イソジン買ってきた

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    東京の感染者だけで3ケタ逝くようになってから一カ月あまりが経過した。かっては数字に一喜一憂していた私もゴールデンウィークに乱高下してからというもの感染者数はただの飾りでしかないと思うようになったのだが、くわえて7月以降は全国的に感染者多すぎ何かもうよくわかんねぇ心境になってオリンピック連休(23-26日)初日から東京366人記録したのにもかかわらず、けっこう人出はあった。

    そんなやけっぱちのオリンピック連休から2週間たったのが今ぐらいなのだから法則的にはもう600人ぐらい逝ってもよさそうなところ8月1日の472人がピークで以降は300人前後キープしてる。重症者もまだ少ないイメージがあって、じっさいNHKのサイト参照すると3か月前が287人だのに今は104人だそうだ。

    マスクやアルコールも売ってるし安いアルコール入りウエットティッシュも一度に一個までの制限あるけど買えないことはない。というわけでコロナやばいけどパニックではないというのが今の状況であるが先月末にマスクとアルコールがちかく転売解禁との報道を見、くわえて4日に開かれた大阪府知事の会見によってイソジンがドラッグストアから消え、個人的にはマスク、アルコール、イソジンを使ったコロナ対策への関心は薄いが一度買い占めが起こると便所紙やらホットケーキミックスやら絶対コロナに役立たなそうなものにまで争奪戦が波及し辛ラーメンだけが売れ残る怖さはある。

     

    俳優イ・ソジン、新型コロナ克服「リレー応援キャンペーン」参加…”汗を流す医療関係者を応援します” (3月24日 wow!Korea)

    https://kt.wowkorea.jp/news-read/44412.html

     

    よく首にできるブツブツがいつもはでかいのが1、2個できステロイド軟膏で即日治ってたのに今同じ場所ながらタイプの違う小さくて赤いブツブツがいっぱいできててステロイドでちっとも治らなく何か塗り薬ないかドラッグストア逝ったので、その日会見があったイソジンがなくなってるのもついでに確認し、アルコール争奪戦のときは見向きもされてなかったのに・・。と感慨深かった。イソジンの軟膏と消毒薬はあり、ものはためしでブツブツに塗ってみようかしらんと消毒薬を買ったが店員に「これはうがい薬ではないですよ?!」とあわてられることも特にはなかった。

    消毒薬もあのうがいのイソジンとほぼ同じ物で肌に塗ると黄色くなる。うがいしてもいいぐらいなのだから安全性は高いだろうと思ったものの肌には合ってないらしくブツブツに塗って寝たらひと晩ですさまじく悪化したので即刻使用中止し皮膚科逝きを心に誓った。

    しかしふと思ったことにはうがい薬でないとはいえこのバブルのさなかにイソジンブランドというかヨード液じたいを買わないほうがよかったんだろうか。だとしても、とりあえずすべては大阪府知事のせいである。

    ニュース見てて大阪府知事があまりに若いのにびっくりし思わず年齢を検索したが45と思ったほどではなかった。2月ごろだったかイケメンで○○より素敵って言われてた(○○がアベか小池か忘れ)北海道の知事はほんとに若い。

     

    カバくんが泣いている イソジンめぐり半世紀提携してきた日米2社が泥沼訴訟合戦に 背景には何があったのか?(2016年3月16日 産経新聞)

    https://www.sankei.com/premium/news/160316/prm1603160003-n1.html

     

    イソジンは明治製菓が冬場にカバが〽ただいまのあとはガラガライソジンとやってるイメージが強いけど消毒薬の箱を見るとカバが犬になって発売元が塩野義になってる。上のニュース記事を参照するとイソジンちゅうのはもともとアメリカのムンディファーマの商標なのだがカバは明治製菓の商標でムンディ社と明治の提携が終わってそれぞれから同じよなカバうがいを出したので明治は「カバ使うな」ムンディは「イソジンのパクリ」とそれぞれ争ってたそうで何かそれ読んでヤマザキとナビスコの破局劇を思い出した。

     

    カゼの予防には、うがい薬は「使わない」ほうが良いらしいって、知っていました?(2017年1月23日 Yahoo!ニュース)

    https://news.yahoo.co.jp/byline/mamoruichikawa/20170123-00066174/

     

    しかしイソジンでうがいをするのは逆効果ともいわれる。実験した京都大学によると喉内フローラ・・って言葉があるかどうかは知らんけどイソジンの強力な殺菌効果で細菌叢が崩壊して風邪への抵抗力が下がってしまったというのである。

    そういえばリステリン好きなのだけど個人的には歯ーツルツルするだけで殺菌しなくていいのにと思ってて、せめて弱そうなノンアルコールタイプ使ってる。リステリンの殺菌力が口臭や虫歯のばい菌をピンポイントで殺してくれりゃよいけど絶対そんなうまいぐわいにいかないしむしろ殺菌力が口腔細菌叢を崩壊さし口臭や虫歯に逆効果なんじゃないかという見立てなのだがイソジンの例を見る限りその懸念もあながち間違ってはいない気がした。

    というかコロナ前までは衛生仮説もあり消毒や殺菌が見なおされる向きがあって手洗いもやりすぎないほうがいいって言われてたのだ。あと昔はケガしたらヨーチンや赤チンで消毒してから何かガーゼなり貼ってたけども今は湿潤療法といって消毒はせずに洗い流すだけでキズパワーパット貼ればいいといわれてる。

    山田真も生態系の見地から菌やウイルスを殺しすぎるのはよくないって言ってるし早くきれいに治るとかで湿潤療法をおすすめしてた。キズパワーパットも類似品が多く発売されるなど人気爆発してる。

    ただジョンソン社のじゃなくても非常に高価であり、バンドエイドのパット部分がないなんてただのシールじゃないの?と、購入にはいたらなかったのだが最近100均で湿潤療法タイプのばんそうこうを見つけてたので買ってみた。しばらくして派手に転倒しひじとひざ小僧とをすりむいたのでさっそく使ったのだけどもグチョってる傷の上に貼るのをためらわれるほどのただのセロテープぷりでふくらむどころかシワのあいだから傷の汁がダダ漏れるはいつまでもグチョってて治りが遅いはでジョンソン社のだったらまた違うのだろうか?と何かいまだに納得できない気持ちでいる。


    チャイルドバース史

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      お産の情報誌「REBORN」編集人のきくちさかえがアイナ・メイ・ガスキンやシーラ・キッツィンガー、ミシェル・オダン、吉村正、片桐弘子など自然なお産界の巨匠にインタビューした「イブの出産、アダムの誕生」で日本にも支部がある母乳推進団体ラ・レーチェ・リーグの会長だったドリス・ヘアが麻酔を使った出産について言及している。ドリス・ヘアは1925年オクラホマ州生まれで初めて赤ちゃんを産んだのは1951年、アメリカでの出産はすでに病院が普通だった。

      当時は女性がベッドで縛られスコポラミンという麻酔で意識がもうろうとし産んだあとに赤ちゃんに触る気力もなかったのだという。しかし1950年にライフって雑誌で新生児抱く意識はっきりしたお母さまの写真を見たのをきっかけに当時はめずらしかった麻酔を使わない自然なお産にいどんだのだった。

       

      https://oldlifemagazine.com/january-30-1950-life-magazine.html

       

      ライフ誌の画像見たら「CHILDBIRTH WITHOUT FEAR」って書いてるが、これはイギリスのディックリード医師が1942年に上梓した著書のタイトルでもあり今出てる版はヒッピー助産師のアイナ・メイがはしがきを書いてる。FEAR(恐怖)とは出産時の痛みのことと思われ、写真の女性はリード医師の介助により麻酔なしで出産した。

      われわれにとって出産直後に赤ちゃん抱いて笑ってるのなんてことないけども当時のアメリカでは衝撃的だったのかもしれない。リード医師は麻酔を使わずに出産する模様を見たことがあり、麻酔なしで産むって意外と難しくないのではないしそのほうがお母さまにとってもいいのではないかと思い始めたのだそうだ。

       

      https://www.amazon.co.jp/dp/1780660553

       

      「イブの出産、アダムの誕生」によれば16世紀半ばに産婆の登録制度ができ、その100年後には男子禁制だったお産に男医(助産夫)が裕福な層の難産の処置に当たるようになっていた。器械分娩の始まりとしては17世紀にロンドンのチェンバレン一家が鉗子を考案し、それまで産道を出てこれなかった胎児の頭をひっぱり出せるようになる。

      1663年にルイ14世が愛人の出産に助産夫を呼んだことで貴族の女性のあいだで助産夫の出産がオシャとなり、介助しやすいように産婦が台で仰向けにされるのが標準となって18世紀にそれまで使われていた分娩椅子は姿を消した。そして19世紀半ばビクトリア女王の侍医ジェームズ・ヤング・シンプソンによって麻酔にクロロホルムが導入されている。

      Wikipediaによるとクロロホルムはさらし粉とアセトンもしくはエタノールを反応させてできるのだそうで1831年に発見された。麻酔として使い出したのは分娩であり当初は聖職者や男医から聖書に原罪って書いてんのに産みの苦しみとっちまってええのかい。と批判があったのだそうだが欧米においては現在に至るまで麻酔分娩がスタンダードとなっており病院だろうと助産院だろうと痛い分娩が普通でキリスト教も信じられてないわが国とは事情が異なっている。

      上に書いた産婆の歴史は「イブの出産、アダムの誕生」を参照しただけなのだが雨森良彦の記述とも一致している。雨森先生は1932年生まれの産科医で深江誠子との共著に「赤ちゃんをラマーズ法で産みました」(1986)がある。

       

      いわゆるラマーズ法による出産における母児相互作用 雨森良彦(日本赤十字社医療センター)

      https://www.niph.go.jp/wadai/mhlw/1980/s5504010.pdf

      分娩の形態の歴史を顧ると,かっては男子禁制の出産であったといわれるが,医師が男性として立会うのは16世紀以降であるといわれる。一方産科麻酔は1850年クロロフォルムが使用され1853年Victoria女王がレオポルド王子出産にクロロフォルムが使用され,1902年ドイツではモルヒネ.スコポラミンによるTwilightsleep半麻酔状態による分娩が開発された。その後の産科麻酔の発達は笑気,ハローセンなど種々の外科手術麻酔が産科にも導入され成功をおさめている。しかし一方では薬剤麻酔以外のいわゆる精神予防性和痛分娩がノブロフ条件反射の原理を応用しレニングラード病院のニコラエフ教授によって紹介され,自然分娩を主張するグループによって種々修正され撰択されるにいたった。すなわち英国では,リード法,米国ではブラッドレー法,フランスではラマーズ法として発達するにいたった。

      出生直後の母と子の出合い,きずなを明白にきざみ込むためには,母体が全身麻酔下に意識を喪失しているままでは求むべきもないため,この心理的初対面,情動性を重要と考える立場からは自然分娩かつなんらかの上記の和痛分娩法の撰択が前提となる。

      次に夫の立合いについては,ブラッドレー法ラマーズ法は一つの必須条件としているが,第2次世界大戦中より病院分娩化が進むにつれて産婦は家族と隔離され,母親の立合はもちろん夫の立合いも認められなくなっている。

      原始社会では夫は妻の分娩に立合っていたとのことが人類学者マーガレッドミード博士によって立証されているが,今日でもポリネシアでは夫は妻の分娩に立合っており「擬娩」という用語が用いられている。米国では夫の立合を主張し裁判に持ち込みジョンクレイン氏はカリフォルニア州で1964年認められるにいたった。

      1973年マーサ・グリフィス国会議員は国の補助を受けている病院では,産婦の要求があれば夫の立合権を認めるべきであると主張している。

      この夫の立会いについての反対理由としては,夫が病原菌を分娩室に持ち込むということが主なるものであるが,カリフォルニア州では4500例について調査した結果,このようなリスクは否定されるにいたった。

       

      1958年東京大学医学部卒業後、東大病院産婦人科教室入局。1967年からアメリカのミシガン州立大学に三年間留学後、日赤病院(現・日赤医療センター)に勤務。産婦人科部長、副院長を歴任・・とのプロフを読み胎内記憶で著名な池川明のお父さんが東大の医師と日赤の産科部長を経て産婦人科医を開業してたと言ってたのを思い出したが思い出しただけで関係あるかどうかはわからない。ただ雨森先生は故・小林登国立小児病院名誉院長と近しく、このブログで胎内記憶の元ネタとして何回か引用した小林登訳のトマス・バーニー「胎児は見ている」の帯にも当時人気大爆発だったラマーズ法で出産したケンケンとともに推薦文を寄せている。

      この本が出た昭和50年代は胎児や新生児はどこまで世の中や母親のことわかってんのか産科、小児科、脳科学のあいだですごい研究されてた。つまり戦後の子育ては母親が病院で独り分娩し生まれたら赤ちゃんを新生児室に隔離して甘えんぼにならないよう泣いてもすぐ抱っこしないと指導されてたのが、じつは助産院や母乳のほうが赤ちゃん健やかに育つといわれだし、その流れは小林先生の母乳哺育学会や山内逸郎の日本母乳の会また胎教や胎内記憶にもつらなる流れである。

       

      ドゥーラ的な発想をいまいちど考える 雨森良彦(元日赤医療センター副院長、産婦人科医)

      https://www.crn.or.jp/LIBRARY/EVENT/DOULA/comment1.html

      私は産婦人科医ですが、小林登先生の弟子だと思っています。若いころから先生のお話や論文を拝見して、非常に感銘を受けてきましたし、勉強もさせていただきましたから。
      現代の医療は、産婦人科に関わらず全体的に“Cure”よりも“Care”が重要視されているのではないでしょうか。ドゥーラ(Doula)は心理的なサポートの代表的なものだと考えています。

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      アメリカには弁護士が日本の数倍もいるからでしょうか、医療訴訟が盛んで、少しでも事故が起こるとすぐに慰謝料を請求されます。日本でも、少しでもリスクがあれば帝王切開に切り替え、帝王切開率が増加しています。
      産婦人科医は大変な職業ですから、若い医師が希望しませんね。産婦人科を希望しない背景には、ドゥーラ的な発想が忘れられているからではないでしょうか。日本でもドゥーラ的な発想のキャンペーンを行い、日本に根付かせたいと考えています。
      日本では高齢出産が増えていますね。お産は安全だと思われているかもしれませんが、事故やトラブルは決して少なくありません。日本では高校生の妊娠や10代のお母さんへの視線が冷たいことはないでしょうか。若年妊娠・出産も暖かく見守ってあげたい。高校や大学にも託児室を用意して、子どもを育てながら勉学する時代にしたいですね。補助金出したくらいでは産んでくれないですよ(笑)。

       

      近年カンガルーケアという言葉も多く聞かれるように生まれた直後に母親とふれあうことがとくにきずなの形成や母乳の分泌にとって重要であり麻酔で意識もうろうとしていたのではままならない。なので陣痛促進や麻酔しない分娩で愛情ホルモン「オキシトシン」てわけなのだが問題は痛みと恐怖をどうするかということで出てきたのがモルヒネにかわるベーターエンドルフィン(脳内モルヒネ)でありイギリスのリード法でありフランスのラマーズ法であり・・雨森先生がいうアメリカの「ブラッドレー法」とやらは初耳でじっさいわが国にはほとんど紹介されていないようだ。

       

      Bradley method of natural childbirth(Wikipedia)

      https://en.wikipedia.org/wiki/Bradley_method_of_natural_childbirth

      The Bradley method of natural childbirth (also known as "husband-coached childbirth") is a method of natural childbirth developed in 1947 by Robert A. Bradley, M.D. (1917–1998) and popularized by his book Husband-Coached Childbirth, first published in 1965. The Bradley method emphasizes that birth is a natural process: mothers are encouraged to trust their body and focus on diet and exercise throughout pregnancy; and it teaches couples to manage labor through deep breathing and the support of a partner or labor coach.[1]

       

      https://www.amazon.com/dp/055338516X

       

      https://www.amazon.com/dp/0525537996/

       

      雨森先生について検索してたら鎌倉市の分娩事情が出てきた。鎌倉市の分娩施設は湘南鎌倉病院しかなく、この病院はモベリのオキシトシン推しの中心地でありまた膣トレと冷えとりの関口由紀医師も勤務してたかと思うが、分娩施設の減少が問題視され10年ほど前に鎌倉市医師会が新しく診療所「ティアラかまくら」を開設し雨森先生はそこの院長だったのだが医師会との対立ですぐに辞任したとのことである。


      ふろ史

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        買い物カゴがレジ袋になった記事かいてるときにふと「ほくさんバスオール」思い出したのだが、さっきYouTubeで検索してみたらいろいろ動画が出てきた。昭和に詳しいYouTuberが解説してるところによると風呂がなかった時代に団地で流行し、だいたいベランダに設置されてたそうでその写真も撮ってきてる。

         

        【なつかCM】モノクロ「ほくさん」「文明堂」(YouTube)

        https://www.youtube.com/watch?v=oVxThgYwEuc

        ほくさんバスオール室内に設置したらお湯がもれそうで怖い。冬の銭湯通いつら。みたいなシーンは動画なのにバスオール設置してるシーンが謎に静止画だった。

        しかし右下の昭和34年って表示10年間違えてないかしら。昭和34年にしちゃ部屋のしつらえがオシャすぎる気がしてほくさんバスオールの販売開始時期を検索したら昭和38年って書いてるし。

         

        昭和45年(1970)頃の白黒CM Japanese TV commercials(YouTube)

        https://www.youtube.com/watch?v=22P1Ko6I0zg

        「豊かな暮らしを包むパック。今や住まいはパックの時代です。リビングパック、寝室パックも夢ではありません」って正直何いってるのかよくわからなくコメント欄読んでも誰も食いついてない。人殺せそうな灰皿や怪しい絵画、飲みもしない洋酒や読みもしない百科事典とか飾ってそうなこのオバタリアン世代の趣味炸裂したインテリアはリビングというより応接間ぽいがテレビ置いてるから今みたいに居間と客間の兼用って感じなのだろうか。

         

        しかし検索で出てきた洗い場つきのバスオールが集合住宅用に広がり・・ってその物置みたいな写真見たとき、バスオールかどうかわからないけどそういえばこんな簡易式の風呂入ったことあるの思い出した。アパートの外に共同風呂があって湯出すのに10円で10分だか小銭入れてたような。

        ほくさんバスオール全盛期が1970年、銭湯通いが寒そうなかぐや姫の「神田川」が1973年ってことで、昭和40年代までは少なくとも銭湯通いってのはかなり普通だったと考えられる。私はスーパー銭湯など今ふうのお風呂屋さんしか逝ったことないので番台があったり富士山とかかいてる昭和かつ都市型ぽい銭湯は買い物かごで買い物してる奥さんとか白髪をおだんごに結った着物の婆さん同様にテレビとか見たことある程度だ。

        そういう銭湯ではビンの牛乳を飲むのがお約束だと聞いたことがあり私は風呂上がりに茶こそ飲んでも牛乳なんか飲まないので前から不思議に思ってたのをせっかくなので今調べてみた。検索結果を要約すると銭湯全盛期つまり家風呂がない時代は電気冷蔵庫がない時代でもあり牛乳を飲むのは配達されてすぐの朝だけだった。

        しかし多くの場所が集まる銭湯には家庭より早くから電気冷蔵庫が置かれてて朝じゃないのに冷たい牛乳飲めるってとこに値うちがあったようである。ビンなのはその時代の名残りなのだろう。

         

        「昔の暮らし」金ヶ崎町農業協同組合1975年製作(YouTube)

        https://www.youtube.com/watch?v=_fllilKlK6s

        昔の暮らしを再現したビデオだけどこれが撮られた1975年がもはやかなりの昔である。戦前や戦後しばらくの風呂は大型の樽みたいな奴で今のような座って足を伸ばせる仕様ではなく中腰の姿勢で入るようだ。

         

        Japan in the seventies (2) 70年代の日本(YouTube)

        https://www.youtube.com/watch?v=I081OvfZZtc

        買い物カゴが出てきた外国人撮影の不自然な日本の映像70年代版で風呂や洗面器がプラになってるものの足伸ばせない仕様はまだ変わってない。浴槽の横に何かすごいマシンが場所とってるがバランス釜って奴だろうか。

         

        1977-1992 東京ガス&大阪ガスCM集 with Soikll5(YouTube)

        https://www.youtube.com/watch?v=pPMedlyNhpA

        どうもバランス釜とやら70年代までは浴槽に隣接してたが80年代に入ると外に移動してそのぶん浴槽が広くなったようだ。なべおさみのCMは浴室の壁が木で洗面器もふろおけだったのがタイルとブラインドと観葉植物でオシャに。

         

        ダウンタウンCM 大阪ガス「ビンビンシャワー」(YouTube)

        https://www.youtube.com/watch?v=c-g5rOSKlkA

        バランス釜はシャワーが弱かったらしい。そのせいか?バブル期のガスのCMは水圧をアッピールしてる。

         

        大阪ガス Olive Shower CM(1993)

        https://www.youtube.com/watch?v=sw3aQUpht-U

        南青山少女歌劇団とかいうアイドルグループの出演する大阪ガス「オリーブシャワー」このロゴからして雑誌のオリーブと何か関係あるのだろうが詳細は不明。くしゅくしゅJKが気分転換にシャワー浴びまくっててオリーブ少女は朝シャン世代なのかもしれない。

         

        1981-1989 カネヨ石鹸CM集(YouTube)

        https://www.youtube.com/watch?v=x1loqq6vKfU

        インテリアの素材が和(木)から洋(プラ、タイル、ステンレス)に変換するにあたり60年代には家具調って路線もあったが70年代は黄緑とオレンジが多くて電気冷蔵庫なんかかなりの割合で黄緑色だったのが80年代は赤、青、黄など原色にトレンドが移ってたようだ。やはり目地カビそうな水回りの圧倒的タイル感は捨てがたい。

         

        注意!若い人は知らないバランス釜(業界最弱の5号)

        https://www.youtube.com/watch?v=fUzwSid2yyc

        この動画の冒頭でっかい屁こいててびっくりした。カットしないんかと・・


        私のブルボン

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          2年ほど前からウミガメやグレタさんなど突如として脱プラキャンペーンが始まり不自然なほどに包装とストローがやり玉にあげられてるのを見るに香害やピル同様、世論が高まっているというよりは何らかの陰謀がはたらいてる気がしてならない。先日は亀田製菓とブルボンの過剰包装に物申す高校生のニュース記事を見かけた。

           

          亀田製菓とブルボンに「過剰包装やめて」、高校生訴え(7月16日 Yahoo!ニュース)

          https://news.yahoo.co.jp/articles/a45175d11b2fc171057cffcf33c5da842d1b0598

           

          亀田製菓さん、ブルボンさん:プラスチックの過剰包装を無くしてください!(change.org)

          https://www.change.org/p/%E4%BA%80%E7%94%B0%E8%A3%BD%E8%8F%93%E3%81%95%E3%82%93-%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%9C%E3%83%B3%E3%81%95%E3%82%93-%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%83%81%E3%83%83%E3%82%AF%E3%81%AE%E9%81%8E%E5%89%B0%E5%8C%85%E8%A3%85%E3%82%92%E7%84%A1%E3%81%8F%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%8F%E3%81%A0%E3%81%95%E3%81%84

          こんにちは、私は都内の高校に通う一年生です。子供達から大人まで、私のような中高生も、もちろん大好きな、「お菓子」。そんなお菓子を作ってくださっている亀田製菓さんとブルボンさんにお願いしたいことがあって、キャンペーンを立ち上げます!


          現状、多くの食品、特にお菓子が過剰包装されていると感じます。それに加えて、昨今はコロナにより外食に行けず、テイクアウトや巣篭もり消費が増えています。その結果、家庭から出る食品のプラスチックゴミも増え、ゴミを整理する負担やストレスも増えているのではないでしょうか。


          私も母親とプラスチックゴミの整理をしている時、「コロナで家で食事をせざるを得ないから、家から出るゴミが多くなっちゃって困っちゃう。ほとんどがパッケージのゴミだし、家族も多い分、何回もゴミ袋を変えなきゃいけないのは面倒だし、こんなに大量のゴミが出るとショックだな。」と話をし、パッケージのゴミを少なくすることでこんな負担も減らせるのではないかな、と考えました。


          確かに、私の好きなブルボンさんのブランチュールは、お菓子自体への包装はもちろん、周りのパッケージ、そして下に引いてあるトレーにまでプラスチックが使われているため、たった10個食べただけでこんなにも大量のゴミが出てしまいます。

          無駄のないエコな消費のために、家庭での工夫も呼びかけられてはいます。しかし、やはり、商品自体のプラスチックの過剰包装をやめることで、より効果的なプラスチック削減になるのではないのでしょうか。もちろんおいしさや形や品質の維持も大切なので、過剰なお菓子の包装やトレーなどのプラスチックゴミを減らす取り組みや、プラスチックにかわる材料・デザインを考えていただきたいです。

          ・・・

           

          ブルボンのブランチュールが過剰包装すぎてコロナ禍の巣ごもりにおいてはプラゴミがすごいことになっちまう。ってこれ見よがしに食いカスが散らばってるのだけども、たった10個って言ってることからもしかして独りでいっぺんに食べちまったのだろうか。ブルボンのサイトを見るとブランチュールは1個あたりが7.8グラム44カロリーなのでたった10個とはいえ計440カロリー・・の量からしてブルボン側としてはいちどきに1人がひと袋開けるってよりは人と分けあったり、あるいは何日かかけちょっとづつ食べることを想定した菓子のように思える。

          もし独りでいっぺんに食べるのだったら若人向けのプチシリーズ「ホワイトチョコラングドシャ」がまだプラゴミ少ない仕様でひと袋開けて250カロリー、同じブルボンだから味だってほぼ同じだと思うがプチは47グラムぽっちだしクッキーに模様が入ってないし四角くないしチョコはみでてないからダメってんならアルフォートみたいな紙バージョン(確か中袋のみプラ)のブランチュールもあるようだ。コロナと過剰包装の何の関係があるのかも不明で、いちどきにブランチュールひと袋開けるぐらい過剰飲食する家庭ならいっそ巣ごもりを機にラングドシャクッキーみずから焼くって手もある。

          ただ私もブルボンは過剰包装だと思っててルマンドしかり他のメーカーなら2、3個で1袋にしそうなとこブルボンは1個づつである。だからダメってんじゃなく、むしろブルボンってそんなにおいしいと思ってないけど食べきり原理主義者としてはあの個包装やプチのパッケージが強みなのだ。

           

          http://shop.takahashi-shouten.co.jp/?pid=87300415

           

          署名運動においてはブルボンのほかになぜか亀田製菓もロックオンされており、どっちも新潟の会社だけどブランチュールJKは新潟県と何かゆかりがあるのだろうか。新潟といえば米どころであり米菓のイメージもある。

          亀田製菓や三幸製菓あたりがよく作ってる洋風のサラダせんべいみたいなのはとくに湿気に弱いせいか2枚1組になってることが多く、おかきは湿気そこまででもないと思うけど三幸のチーズアーモンドやブルボンの味サロンなどちょっとしゃれたようなのは来客用設定なのか個包装となってる。高度経済成長期においてだんだん床(畳)に正座する生活からソファやテーブルやカーペットやスリッパがとりいれられたころ客間にかわって応接間っていう来客をもてなすしゃれた洋室が存在してたのだがブルボンって洋菓子屋ふうのネーミング(モロゾフとかゴンチャロフみたいな謎に気高い感じ)から洋菓子がオシャだった時代にクッキー缶とかバタークリームのケーキを模したであろうラインナップにそこはかとなく応接間感があり、じっさい婆さんの家で出てくるってイメージが持たれてるようだ。

          これはブルボンではなく森永でなおかつ高度経済成長期よりはちょっと後に見えるが奥さまが洋酒のつまみに来客とフィンガーチョコレート食べるなど応接間感満載の写真である。しかし個人的にはフィンガーチョコより洋酒やドライフルーツがふんだんに使われじゃっかんパサつき気味の半生食感とエマニエル夫人みたいな妖しい書体が応接間菓子にはふさわしくブルボンの原点になったとみられる「レーズンサンド」はその条件をすべて満たしている。

          ケーキに生フルーツが乗ってなかった時代にもかろうじてバナナはあったらしく丸ごとバナナの原型?とおぼしきオムレットは具なしも含めて昔はよくあった。バナナのオムレットはバナナボートって名前で売ってることもあるのだが同じ名前でバナナスプリット(アメリカ起源のバナナパフェ)出してる喫茶もあり、そういえばプリンアラモードの皿って謎にバナナスプリット用とおぼしきボート型なとこからたぶん外国人用に考えだされたメニューでフルーツも今みたいなメロンとかキウイとかあるわけないのでせいぜい缶詰の桃とかリンゴぐらいだったと思われる。

           

          ブルボン バームロールCM 1982年(YouTube)

          https://www.youtube.com/watch?v=CHvPlS3YHsc

          ルマンドはじめ例の88円ぐらいで売ってる個包装シリーズのCMはエマニエル夫人みたいな白人の奥さまが籐のイスではないものの応接間で優雅なひとときを過ごしてる。このグラスからしてバームロールも洋酒のつまみなのだろうか。

          しかしルマンドはエコルセ、ルーベラはヨックモック、ロアンヌは風月堂など、だいたい元ネタの見当つくけどこのバームロールってのは他で見た記憶がなくブルボンが独自に発明した菓子かもしれん。じっさい味もねっちゃりして甘ったるくていかにもブルボンって感じだったかと思う。

           

          ブルボン チョコあーんぱん CM 1988年(YouTube)

          https://www.youtube.com/watch?v=1xEH3b86CFs

          ブルボンの応接間菓子やせんべいはアダルトなぶん可愛さって点ではロッテやグリコに比べて見劣りしたが、そんな80年代の高感度少女のためにチョコあーんぱん、エブリバーガー、きどりっこなどファンシー系の菓子も多数展開されてた。シルバニアファミリー大の小ちゃな人形がチョコあーんぱん皿に盛りつけてくれてきゅん♡

           

          「私のパルミよ!」(紫の落書き帳 2018年6月19日)

          https://blog.goo.ne.jp/shiburou2000/e/797fdff582ed274d7b4469491685111b

          テーブルに置いてある菓子をくすね取られ、少女が怒って発する台詞。
          其れが
          「私のパルミよ!」
          です。

          然し、或る日突然、此の台詞が
          「私のブルボンよ!」
          に変わりました。
          シチュエーションも出演者も全く同じ。あれにはびっくりしました。

          然し、何故『パルミ』から突然『ブルボン』に変えたのか、そして『パルミ』とは何なのか。
          ・・・
          北日本食品の公式ページに至っては『パルミ』の『パ』の字も有りません。余程『パルミ』と言う言葉に遺恨でも有るのでしょうか。謎は深まる許りです。


          コロナ今昔

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            この暑いのに体育の日が7月24日ってやっぱり今年だけなのだろうか。せっかく日にちずらしてんのにオリンピックが延期なり、けっきょく海の日に開催するらしいけど、わずか1年後にコロナ滅ぼせる保証なさすぎるし、わが国だけでなく世界規模で滅亡しないと選手村がクルーズになっちまう。

            準備期間ちゅうもんがあるのだからオリンピックできるレベルになるまでコロナ滅ぼす期限じっさいは1年ない。だからせめて冬季と同じ2022年まで待ってほしかった。

            今でこそオリンピックは2年ごとに夏季と冬季を交互にやってるが昭和の時代は夏季と冬季を同じ年にやってたので冬季は1992のアルベールビルの次は1994のリレハンメルと2年しかあいてない前例あり橋本聖子なんか1988年に夏季と冬季どっちも出てるは高橋大輔にくちずけするはでスタミナすごすぎる。しかし2022の開催地がよりによって北京だというのだから、もし2021開催できなかったら日本人にはトラウマものだ。

            コロナはゴールデンウィークより収束しそうな兆候があり暑いのでマスクもほどほどにな〜。とだいじょうぶだぁモードにシフトしてきたのに7月入って急に東京の感染者数はね上がった。NHKのサイトで確認すると7月1日に67人だったのが2日に107人と3ケタになり、翌週から200人超えクラスターや芸能人の感染者も出だし地方にも波及して今にいたる。

            しかも東京コロナ3ケタ化の翌3日から九州では長いこと線状降水帯による豪雨が降り続けて川が氾濫し浸水もさることながら近年の水害多すぎ傾向から懸念されてたコロナ禍における大災害が現実化した。避難所でクラスター発生したって話は聞いてないが再開しようと思ってた観光やテレビなど娯楽はふたたび停滞し7月2日から9日にかけては4月中旬以来の鬱週間となったにもかかわらずGoToキャンペーンとか言ってるぐらいなので終息する要因もない。

            今回のはホストとかキャバクラみたいな「いわゆる夜の街」(水商売)から広がったといわれてる。そういえばクルーズの中の出来事ぐらいにしか思われてなかったコロナがさしせまってると思われだしたきっかけの1つとして愛知県蒲郡市のフィリピンパブにコロナばらまいたコロナばらまき男の死亡があった。

            これがだいじょうぶだぁ週間(トレットペーパー戦争が一段落し連休を謳歌した3月15-22日)のさなかである18日のことでコロナばらまき男みたいな馬鹿馬鹿しい助平じじいがまさか死ぬわけないと思われてたのだが、その1週間後に志村が陽性報道から3月末には死亡し「コロナはいわゆる夜の街からうつされるために馬鹿馬鹿しくて助平なじじいほどあっけなく逝く」印象が強く持たれるようになった。そっからいわゆる夜の街がコロナ警察にロックオンされて翌月にはなぜかパチンコにまで飛び火したのだがパチンコ言うほどうつらない気がするし、じっさいパチンコクラスターは出てないはず。

            ただ現時点で感染者数が多いといっても若人の割合が多いってあたり春先のように味覚がない人や濃厚接触者など選ばれし者だけがPCR受けれるっていうんじゃなく無症状のホストとかすごい調べてそうだ。4月末に50人前後にまで減ってた東京の感染者数が5月入っていきなり150人にはね上がったときから感染者数ってただの飾りじゃないんかという気もしてる。

            そういえばPCR受けたくても受けれない人がいるってのが問題視されてた時期があった。医療資源が物的にも人的にもじゅうぶんではないなか、そんなに誰でもPCR受けれるようにはならないだろうし陽性であってもまだ薬がないじゃないか?と不思議がってたのだがPCR増やせの論拠ってもしかして「日本には数え切れないコロナ患者がいるにもかかわらず検査数を抑えオリンピックを強行しようとしているアベ政治」だったのではないだろうか。

            ホリエモンと親しい久住英二医師も3月17日に火葬場が2割増しとか言ってたらしく、その約一週間後にオリンピック延期が決まってから感染者数が増えだした。なので延期が決まるまでコロナだいじょうぶだぁを演出するために検査を抑制してたという見方もできなくはないが春休みの欧州旅行強行組が持ち帰ったてのがじっさいのとこかと思う。

            火葬場2割増しだっただいじょうぶだぁ週間(トレットペーパー戦争が一段落し連休を謳歌した3月15-22日)はだいじょうぶかそうでないか意見が割れてて、たとえば3月8-22日の大相撲春場所が無観客で開催されてるのだが手洗いやアルコールで科学的根拠にもとずいた対策とってればだいじょうぶなのであり自粛はゼロリスク症候群としてイベント中止しない人が志村ショック週間(オリンピック中止が決まり志村けんがコロナ陽性報道から死去までの3月24-31日)まではホリエモン以外にも全然いたはずのである。つまり裏をかえすとコロナにかかるのは手洗いやアルコールが不十分で非科学的な不潔野郎ともとれるわけで欧米が地獄絵図(今はどうなってるのか知らん)だったさい欧米は靴も脱がない不潔野郎だけど日本人は清潔民族でマスク好きだからだいじょうぶだぁって見方もかなり流布された。

            それにたいし欧米に恨みでもあるんかいな?と引いてたが今調べてみるとダイヤモンドプリンセス時代はまだコロナが欧米で全然ブレイクしてなく中国人と見た目同じ日本人が「コロナたん♪」呼ばわりされるは倫敦にいたっては「うちでオリンピックしてあげてもいいんだよw?」と申し出てくるなど欧米がのきなみ屈辱的な扱いしてきたので、その報復としての不潔説だったとみられる。しかしコロナたん呼ばわりされてた中華以外のアジア人がのきなみ「私は中国人じゃない!!」ってキレまくってて、いや中国人だったらコロナたんなのか?とそれにもちょっと引いてた。

             

            欧米メディア「隔離は失敗」 クルーズ船対応に批判(2月20日 産経新聞)

            https://www.sankei.com/world/news/200220/wor2002200030-n1.html

             

            東京五輪中止なら「ロンドンでやる」…市長候補ら主張(2月21日 読売新聞)

            https://www.yomiuri.co.jp/olympic/2020/20200220-OYT1T50233/

             

            コロナウイルスで外出禁止(ロックダウン) − イギリスの現状(3月25日 LONDON AtoZ)

            https://www.rakuten.ne.jp/gold/chgardens/atoz/contents/contents200325.htm

            ・・・

            イギリスでは3月23日の夜に3週間の外出禁止要請が出て、チェルシーガーデンズのオフィスも閉鎖することになりました。 ご注文とお問い合わせは通常通り受け付けておりますが、ロンドンオフィスからの発送ができないため、多くのお客様にはご迷惑をお掛けすることになり大変申し訳ございません。 (一部日本国内に在庫がある商品は通常通り発送させていただいております。)

            新型コロナウイルスはそれぞれの国で広まり方や対策等に違いがあると思いますが、イギリスに暮らしている一住民として、実体験した過去数週間〜ロックダウンの現状をお知らせしたいと思います。

            中国、韓国、イタリア、スペイン、フランス、とじわじわイギリスにも近づいてきたかな、という2月下旬。まず、スーパーや薬局から殺菌用ハンドジェルが姿を消しました。

            3月に入り、トイレットペーパーが。

            ・・・

             

            ジョンソン英首相、新型コロナウイルス陽性 保健相も(3月27日 BBC)

            https://www.bbc.com/japanese/52065259

             

            英チャールズ皇太子、味やにおいの感覚が完全には回復せず(6月17日 BBC)

            https://www.bbc.com/japanese/53074223

             

            【新型コロナウイルス|イギリス】ロックダウン緩和後のロンドンの様子(2020年6月8日現在)(6月24日 たびこふれ)

            https://tabicoffret.com/article/78525/index.html

            前回こちらでロンドンからの情報をお届けしてから、ちょうど2か月が経ちました。

            【新型コロナウイルス】イギリス・ロンドンの現状(2020年4月8日現在)

            この間に、英国での新型コロナウィルスによる死者数はついに4万人を超え、アメリカに次いで世界第2位を記録するほどの事態となってしまいました。ロックダウンの開始が遅かった、テスト数が少なかった、など、政府の対応について批判の声はとどまるところを知りません。それでも、ここイギリスでもロックダウンが段階的に緩和されており、日々の生活に活気が戻ってきつつあります。今回は、そんなロンドンの街中の様子をご報告します。

            ・・・


            YouTube今昔

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              前にJKや流行の記事を書いてたときは20歳前後が読むよな雑誌を参照してたけど最近の雑誌はふろくがメインで内容は韓国コスメの広告と化してるのでYouTubeを参考にしたほうがいいのかもしれない。ただYouTubeも韓国の化粧品やラーメンが不自然にねじこまれてるのだが・・

               

              キンコン梶原YouTube活動に上沼恵美子怒り爆発か「えみちゃんねる」でのパワハラ報道(7月3日 niftyニュース)

              https://news.nifty.com/article/entame/showbizd/12251-716388/

               

              テレビ見てても吉本とAKBとジャニーズばっかり(ニュースまでも)なので、しだいにYouTubeばっかりになっちまった。3,4年ぐらい前はYouTubeはテレビと比べて素人すぎ、YouTube見ててテレビ見てないって言ったらなぜか「テレビ見てない自慢」に受けとられることも多かったが去年あたりから芸能人の参入が爆発的に増え今年はコロナ禍でテレビの収録が減ったからかより増えた印象を受ける。

              SMAPをやめた草なぎ(新しい地図)がYouTube始めたのが先進的と思った記憶があり、これが2017年の11月でその1年後ぐらいに上沼恵美子にパワハラされてるキンコン梶原や本田翼が動画やりだしてて、いづれも登録者200万人ぐらいである。芸能人のYouTube参入が勢いずいたのがその後ぐらいなのだろう。

              さきほども書いたように私がテレビ見なくなった理由にテレビ見てても吉本とAKBとジャニーズばっかりてのがあったのだけども、その吉本が4月にYouTubeの事務所であるUUUMと提携したそうだ。それと前後して人気のYouTuberがあいついでUUUMを辞める事態となっている。

               

              UUUMから人気ユーチューバーが続々流出の裏事情…“再生回数”非依存型へ転換(5月16日 ビジネスジャーナル)

              https://biz-journal.jp/2020/05/post_157200.html

               

              YouTuberはスマホ普及と関係あるのか7,8年ぐらいからじょじょに増えだしたように思う。しかしYouTuberおよびUUUMの代名詞的存在であるヒカキンの最初の動画をさきほど確認してみると2007年とめちゃくちゃ早いうえに別人レベルに痩せててびっくりした。

              サムネイルをちゃんと作り出したのが7,8年ぐらいからのようだが今みたいに大きい文字入れるのがマニュアル化したのはもうちょっと後でYouTubeが大々的に「好きなことで生きていく」の広告出してた2014年ぐらいからな気がする。そっからYouTuberという存在が広まりだしヒカキンもすでに大スターだったのだが、その3年後に草なぎがYouTubeやりだしたってのがまだ珍しかったのだから何だかんだまだスタンダードはテレビのほうにあってYouTubeはくだらぬ素人芸でテレビ見てないのは自慢として警戒されてる時代は2014-18年の5年間ほどとけっこう長かったのだ。

               

              ヒカキン vs 草なぎ剛!コーラ一気飲みバトルしたらまさかの結果に!【負けたらデスソース】(YouTube)

              https://www.youtube.com/watch?v=DYDMgCGJePk

               

              基本的には一般人が部屋の中で独りでブツブツ言いながらゲームや大食いや化粧してるだけのYouTubeチャンネルに慣れると上下関係とか事務所とかブスいじりみたいな芸能界のしきたりがだるく感じられてしまい上沼恵美子パワハラなどもその最たる例だろう。テレビは人数が多すぎてみんな映ろうと必死でそのぶん声張り上げ感染リスクも高いけどもYouTubeは自分らしくいられ、そこに居心地のよさを見出し軸足を移してくる芸能人もこれから増えてくるにちがいない。

              しかしいくらYouTubeがゆるいといっても今ほど広告や収益化が標準化してなかった時代と比べたら再生回数を上げるために釣りみたいなタイトルだったり韓国ねじこみがかなり多くなった。去年韓国が日本の不買運動やってるとき、もうK-POPアイドルや化粧品の売り込みもやめるのかと思ったら全然やめてないというかむしろパワーアップさえしてる。

              10年前の少女時代とかKARAが伝来してたときはテレビで韓国礼賛しており売り込んでる商品も酒(マッコリ、チャミスル)とかでその強引さからK-POPファンとともに嫌韓も爆増したろうが、それはいったん2012年で終わってて2015年以降のTWICE・BTS・3CE・シースルーバングの世では若い娘さん向けの雑誌やYouTubeが乗っとられた。そういうのって最初はUUUMが提供動画をあっせんしてると思ったけど、だんだんしょぼいYouTuberまでもコスメや旅行や激辛ラーメンやりだしたので人気者はなおさらUUUMに所属しなくても収益化できる見込みがあって辞めてるんじゃないだろうか。

              しかし不思議なのはコスメや旅行や激辛ラーメン、青汁かダニエルウェリントンかてぐらいみんながこぞってやるあたり何らかの案件だろうにもかかわらず「この動画は提供です」って表示が一切なく自分で買ったていになってることだ。ステルスマーケティングというのか視聴者に告知しないで宣伝するのは途中から禁止されたはずなので「この動画は提供です」と書かずに人気爆発を創出する抜け道があるとしか思えない。

              収益化の弊害として韓国に魂売り渡しすぎのほかに最近は視聴者数稼ぎで女性アカウントにいかがわしい動画が多くなってきた。たとえばコロナ太りを解消するエクササイズと称してピタピタの服着て息荒く体操、下着レビューと称してブラパンツ一丁(厳密には二丁)で助平な男どもを誘惑してる。

              ダイエット動画は韓国の2週間で10キロ痩せる「ハンドクラップ」やデブスなbefore写真公開、もしくはこれからダイエットしますってなぐわいに現在の体重公開するのが再生数が多いようだ。なぜか今オートミールが人気爆発してるようで(オートミール食べてるがどこにダイエット要素があるのかは知らん)確かに業務スーパーの激安オートミールは冬から全然見かけなくなった(今は暑くて買ってないから知らん)のだけど時期的にYouTubeのせいなのかホットケーキミックスのようなコロナパニックのせいなのかはよくわからない。

               

              https://www.amazon.co.jp/dp/4800297621/

               

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              https://www.amazon.co.jp/dp/4299002792/

               

              YouTubeはASMRやマクドナルド食べまくるなどの大食いも人気あるいっぽうダイエットや筋トレ、化粧など自分の見た目を改良する思想と相性が良い。そのうえ巨万の富を手にする人気YouTuberとなればやっかみもすごく「アンチどもがいろいろ言ってくるけどそんなのには耳をかさず自分らしくやる!!」と自分を鼓舞しだすのでしだいに自己啓発めいてくる。

              昨年からKADOKAWA、扶桑社、宝島社を中心にYouTuberの書籍が粗製乱造されてて内容的には自信のなかったブスがダイエットとメイクで生まれ変わり(もしくは自信のなかったブスがありのままの自分を受け入れ)YouTubeで巨万の富を手に入れた、そういう成功本なのだと思う。なおかってメイクやファッションは○○系になるための自己表現だったが今はそんなんなくGUやユニクロみたいな年齢不問のプチプラ服で「垢抜け」「高見え」のノウハウが求められている。

               

              【神回】最近よく見るVTuberの広告がウザすぎた(YouTube)

              wwwwhttps://www.youtube.com/watch?v=tBGMBq2tLFw

               

              【ツッコミ】最近YouTubeでよく見るビセラの漫画広告がヤバすぎた件wwwww YouTube)

              https://www.youtube.com/watch?v=shaE8T5m5WQ

               

              【神回】YouTubeの漫画広告で紹介してたビセラ試してみたらまさかの結果に...(YouTube)

              https://www.youtube.com/watch?v=sYQbFNQmV6I

               

              YouTubeの広告はというとテレビのCMと変わらないのも流れるけどVtuberの怪しいサプリとかいづれも秒でスキップしてた。それが去年末からマンガを早口で朗読するタイプに切り替わってる。私の名前はゆうこ。ぽっちゃりだけど今のままのゆうこが好きだよ。ってなイケメン彼氏がいる順調な主人公だけどもあるときイケメン彼氏が別の女といるところを目撃、なんであんなデブとつきあってんのw?ああ〜あいつはただのATMだよwww!てな展開のマンガで締め切りが早いのかやたらデッサン狂ってる。友人から教えてもらったamazonで買ってはいけない短鎖脂肪酸の痩せ菌サプリで激ヤセしてイケメン彼氏を見返すまで読めるけどつい途中まで見てまう。

               

              ユーチューバー「へずまりゅう」関連でPCR検査240人超【山口県】(7月20日 Yahoo!ニュース)

              https://news.yahoo.co.jp/articles/4a1d77a5b1ace7353791fa223370ab4051335509


              ボトル史

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                ジョニ黒の容器が環境配慮のためビンから紙に変更するってニュース見てなんでビンより紙がエコなのかよくわからなかった。私が小中学生の時分は木が切られすぎて砂漠化のためにエコといえば植林や再生紙ってイメージで牛乳パックでイス作ったりアイスの棒で城を築く人もいたほど森林資源を無駄使いするのは悪だったというのに今じゃプラの消費量がすごすぎて紙に変更するのがエコみたいなことになってきてる。

                 

                ジョニ黒 紙ボトルに変更へ(7月15日 niftyニュース)

                https://news.nifty.com/topics/jiji/200716420584/

                 

                しかしこんだけ脱プラいわれながらも化粧水やドレッシングなんかはビンだったのに最近ではプラスチック多くなってきてるぐらいだ。スキンケア売り場を見るかぎり「極潤」「メラノCC」「豆乳イソフラボン」のシェアがかなりなので、このへんから親指だけでパチっと開けれるタイプのプラ容器とつめかえ袋ってタイプが増えてきたものと思われる。

                それに衣料も90年代まではすごい高くてジーパンとかどんなに安くても5000円はしてた気がするけども最近はプチプラ服を着回すってパターンが多くそのぶんポリエステルなど化学繊維の消費量も増えてきてるにちがいない。化学繊維を洗濯すると出てくるのがウミガメストローとともに周知されたマイクロプラスチックって奴なんだそうだ。

                マイクロプラスチックがよく出るらしいフリース素材はもともと環境意識の高いパタゴニア社が90年代にペットボトルをリサイクルしてたって話だったのでまだエコ要素あったのだけど人気爆発したのは安価かつリサイクルではなさそうなユニクロ製だった。それと同時に衣類のプチプラ化および飲料のペットボトル化も急激に進行してた。

                けっきょく何がいいたいかと言いますと、おそらく50年ぐらいの歴史あるレジ袋やストローってプラの中ではたいしたことないような気がするってことだ。それどころか昔のレジ袋ってもっと分厚くて石油消費量多そうな感じではなかったか。

                ジョニ黒にいたってはもともとプラ使ってないのにもかかわらず環境に配慮してプラを使ってない紙容器に。って意味不明すぎる。プラ化しちまったラムネやコーラやカルピスがいうのならまだわかるが紙容器に入ってる炭酸は見たことない。

                 

                トンボ飲料の歴史 トンボ飲料の1世紀以上にわたる歩み

                http://www.tombow-b.jp/company/history.html

                 

                正倉院の宝物でガラス見たことあるし江戸の世にも江戸切子とかビードロとか存在するので近代以前から全然ガラスあるようなイメージあるけど意外とそうでもなく酒なんかも量り売りしてたのだそうだ。近代ガラス史の草分けは1873(明治6)年の品川硝子でビール瓶の国産化に成功した。

                品川硝子の工場は三共合資会社製薬場となって高峰譲吉がアドレナリンとともに発見したタカヂアスターゼ(新三共胃腸薬の有効成分)など薬品が製造されており、最初期のビール瓶も第一三共が所蔵してるらしい。近代以前のガラスは鉛ガラスで明治以降ルブラン法のソーダ工業が興り日用品としてのソーダガラスが生産されるようになったものと思われる。

                飲料をビンにつめだした年号を見てくと三ツ矢サイダーの炭酸水が1884(明治17)年、ウィルキンソンが1890(明治23)年、トンボ飲料のラムネが1896(明治29)年・・てとこからだいたい19世紀末期≒明治20年代であり瓶ビールや化粧品もそんなもんだろう。20世紀に入ると第一次世界大戦で炭酸ソーダの輸入が激減したこともあってソルベー法の工場ができたり、あとフタがコルクから王冠になったりといった進化があった。

                明治期には万国鉱泉博覧会で世界の鉱泉が競ってたらしく欧米ではコーラしかり炭酸(飲泉だけではなく入浴も)が今のようなたんなる嗜好品ではなく何らかの薬効が期待され、それが最先端医学としてわが国にも伝わってたのだろう。じっさい1886(明治19)年にコレラが大流行したさいはラムネが治療や予防に使われてたそうだ。

                 

                第六話「ラムネの沿革について」(清涼飲料よもやま話)

                http://seiryouken.jp/yomoyama/yomoyama_06.html

                1.ペルリとラムネ

                我が国に初めて炭酸飲料(ラムネ)が伝えられたのは、1853年(嘉永6年)ペルリ提督のひきいる米艦3隻が浦賀に来航したとき清涼飲料水の一部として炭酸飲料(ラムネ)を積んできて、幕府の役人にこれを飲ませたところ、「ポン」の音に驚くとともにそのうまさに驚嘆したことだろう。炭酸ガスを含有した飲料なので栓を抜いたさいに「ポン」と音を立てることを特徴とした飲料が、我が国に初めて入ってきたのは事実とされている。

                このときの炭酸飲料(ラムネ)が詰められていた「びん」がハミルトンボトル(我が国では「キュウリびん」といった。)で口栓はコルクで、これを針金でびんの首に結えつけたものであった。

                1860年(万延元年)に英国船によって長崎に機材等を運搬し、外人の手で製造され、長崎に在住した外国人の間で愛飲されたといわれている。びんは英国人のW.Fハミルトンの考案したボトル(キュウリびん)に詰められ栓を抜いたときに「ポン」という音が出るところから「ポン水」といわれ、また、びんは「トンゴびん」といわれていたという。

                2.長崎で国産最初のラムネ製造者誕生か

                1865年(慶応元年)長崎の藤瀬半兵衛氏が外国人からレモネード(Lemonade)の製法を学び「レモン水」と名づけて販売したのが国産第一号であろうという説がある。「レモン水」とか「ポン水」の名称は、ついにつかわれずに「ラムネ」といった。ラムネという名称であるが、外国人がこの飲料水のことを「レモネード」と呼んでおり、英語読みなので語尾が消えて「レ」が「ラ」の発音に聞えて「ラムネ」になったといわれる。藤瀬半兵衛氏が国産最初の製造者の元祖だろうといわれているが、当時の交通、音信等の事情からみて確かな記録はない。

                3.ラムネは長崎→神戸→横浜か

                和田伊輔氏は「業界回顧史」のなかで、次のように書いている。「我が国で一番古いラムネの製造販売者は、長崎へ来たオランダ人であるといわれているが、私の知る限りにおいては、神戸のシーム十八番ラムネであろうと思う(注:明治17、8年以前の頃と記している)。これは神戸居留地十八番館に居たシーム商会が製造したので、十八番という名称をレッテル(注:ヒシ形に帆前船印)に附したのであったが、このラムネが非常に優良なもので、関西一帯に愛飲されるようになった。…中略・・・「なお、当時のラムネ壜は総て英国から輸入されたもので殆んど白色の玉壜であった」という。当時、横浜におけるラムネ製造の元祖は後藤という人であった。このようにラムネは、はじめ長崎に入り神戸に伝わった。そして神戸よりも少しおくれて横浜ではじまったようで、製造時代の順序は長崎→神戸→横浜であろう。また、1884年(明治17年)には、大阪で初めてラムネ製造を始めたのは洋酒の製造に従事していた橋本清三郎氏であったといわれる。

                4.玉ラムネびん詰の流行

                キュウリびんがすたれて「玉ラムネびん詰」が流行しだしたのは1887年(明治20年)からで玉ラムネびんが多量に輸入されている。
                1888年(明治21年頃)頃には大阪酒造組合が支店を東京日本橋浜町に設けて玉ラムネびんを使いだしたのが始まりである。1890年(明治23年)には東京第一を誇っていた東京本所の洋水社が玉ラムネびん詰の製造販売を行っており、さらに東京全市にわたって玉ラムネびん詰が売り出され次第に各地に広がっていった。

                5.コレラの大流行でラムネが売れた

                1886年(明治19年)はラムネ屋にとっては忘れることのできない印象を残した年であった。辻新太郎氏は「業界回顧史」で次のように書いている。「その夏は非常な熱暑に加えて晴天が続き、東京附近にはコレラの大流行を来たし、東京市内だけでも10万人の死亡者があったといわれているほどであった。この年は7月10日から8月24日まで、晴天続きで日中は華氏100度(注:摂氏38度)以上に昇る日が多かった。…(中略)…したがってラムネの売れ行きは大したものだった。とくに当時発行されていた「東京横浜毎日新聞」に「ガスを含有している飲料を用いると、恐るべきコレラ病に犯されることがない。」という記事が掲載されてから一層売れ行きが盛んになって、ラムネ屋は毎日徹夜で仕事をしても間に合わないほどの状態であった。…(中略)…当時のラムネは冬になると絶体といってよいほど売れなかった。それで余儀なくラムネ屋は玉突屋や西洋料理店などに競って売りこんだ。そのため先方からの注文による飲み物を拵えて売るという有様であった。」という。

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                明治期頃 きゅうり瓶 無字 検索 / ラムネ瓶ニッキ水金平糖サイダー

                https://www.mercari.com/jp/items/m57635717606/

                 

                しかし旭硝子と日本山村硝子の発祥がいづれも尼崎なのだが、兵庫県に鉱泉所が多いのもガラス産業と関係しているのだろうか。Wikipediaを読むと三ツ矢サイダーやウィルキンソンはいづれも外国人が兵庫県で鉱泉を発見して、これビンにつめちゃいなよ。てな感じで始まって当初は外国人向けに作ってる。

                 

                ありまサイダー(有馬サイダー)てっぽう水

                https://www.hyotan.co.jp/cnt/food/arima-cider.html 

                ”炭酸せんべい”でお馴染みの有馬温泉は日本のサイダーの発祥地とも云われています。

                明治34年(1901年)に大阪・堺の酒造家で清酒「春駒」醸造元の#1鳥井駒吉は、温泉地有馬に「有馬鉱泉株式会社」設立し、ガス入りミネラルウォーターを製造し、神戸居留地の外国人、外国航路向けに発売していました。

                それに香料、糖分を加えた高級飲料のサイダーは明治41年(1908年)発売され、好評を博し大正2年(1913年)時には、有馬シャンペンサイダー、有馬ストロベリーボンズ、鼓シトロンなどのネームバリエーションを展開していましたが、大正13年(1924年)には、金泉飲料に買収され、さらに翌年日本麦酒鉱泉株式会社に買収され、大正15年(1926年)には川西市の平野に移され、有馬での製造は幕を下ろしました。 ※有馬鉱泉株式会社は、25年間企業活動し、内サイダーが製造されたのは18年間でした。

                川西市の平野には、元々帝國鉱泉株式会社(明治40年(1907年)設立)があり、「三ツ矢印 平野シャンペンサイダー」→(明治42年(1909年)に「三ツ矢シャンペンサイダー」改称が造られていましたが、大正10年(1921年)に同じく日本麦酒鉱泉株式会社に合併されていました。そのため、有馬でのサイダー造りが川西市の平野に移されたのは、日本麦酒鉱泉株式会社が合理化のため統合したものと思われます。

                また、その日本麦酒鉱泉株式会社自体が、昭和8年(1933年)に大日本麦酒株式会社に合併され、さらに大日本麦酒株式会社は第二次世界大戦後の財閥解体により昭和24年(1949年)に、朝日麦酒株式会社(現:アサヒビール)と日本麦酒株式会社(現:サッポロビール)に分社化されました。

                そしてアサヒでは「三ツ矢サイダー」、サッポロでは「リボンシトロン」と言う名前で売り出されました。その後、昭和から平成となり時代の移り変わりとともに、他の清涼飲料水の品数も増え「サイダー」の影は薄くなって行きました。

                 

                日本麦酒鉱泉尼崎工場

                http://www.archives.city.amagasaki.hyogo.jp/apedia/index.php?key=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E9%BA%A6%E9%85%92%E9%89%B1%E6%B3%89%E5%B0%BC%E5%B4%8E%E5%B7%A5%E5%A0%B4

                1918年(大正7)11月、山為硝子製造所の山本為三郎を中心に濱口吉右衛門、和田豊治らが発起人となって日本製壜(株)が発足した。すでにこの年の5月、日本硝子工業が日本初の自動製壜工場を稼働させており、日本製壜の設立もまた、自動製壜機による飲料用ガラス壜の大量生産を目的とするものであった。尼崎市大洲村初島(現北初島町)に新設された工場に米国から輸入したオニール式半自動製壜機が設置され、1919年12月日本製壜の工場が操業を開始した。

                  1921年5月11日、加富登麦酒が日本製壜と帝国鉱泉を合併し、新たに日本麦酒鉱泉(株)が発足したことにより、日本製壜の工場は同社の尼崎工場となった(『大日本麦酒株式会社三十年史』に記述された1922年は誤りと思われる)。その後製壜機の全自動化などにより設備を拡充し、生産された各種の壜は国内のみならず中国・インド・南洋方面へも輸出された。1933年7月、日本麦酒鉱泉の大日本麦酒との合併に伴い大日本麦酒の初島工場となったが、1934年9月の室戸台風によって大きな被害を受けたため、設備を他の工場に移して閉鎖された。

                 

                神戸のカクシボタン 第三十四回 神戸のご当地飲料「アップル」(2016年10月 KOBECCO)

                https://kobecco.hpg.co.jp/5941/

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                1952年創業の「兵庫鉱泉所」は、各種清涼飲料水を製造卸する老舗メーカーである。現在、ラムネ、サイダーといった7種の商品を販売している。素材にこだわり甘味料は、全ての商品に上白糖を使用。震災の影響を受け半分ほどの数になってしまったが銭湯やコナモン等を提供する約150店舗に商品を卸している。工場を見渡すとガラスの瓶に入った大量のアップルを発見。三代目の秋田健次さんにお話を伺った。
                アップルと言いますが中身は、みかん水です。物心ついたときから何故かそう呼んでいます。串カツやお好み焼きとの相性が良く定番の商品です」。
                以前は、十数社が多少レシピの異なる「アップル」を製造していた。しかし、現在は同社のみとなった。明確な発祥や語源は不明だが成分にリンゴ酸が入っており、それが関係しているのではと秋田さんは語る。
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                無名の炭酸飲料を作ってた鉱泉所が乱立してたのは高度経済成長期とみられる。昔は家に風呂や電気冷蔵庫がなかったので銭湯逝ってそこで牛乳やジュースなど冷えた飲み物飲んでたが、だんだん自宅風呂や電気冷蔵庫が普及しコカコーラみたいなブランド物飲むようになって飲み終わったらお金返ってくるビンから自販機の缶になって・・ごぞんじのとうり今はビンや缶に比べて再利用しにくそうなペットボトルが主流になってる。

                 

                1977-1997 PEPSI CM集(YouTube)

                https://www.youtube.com/watch?v=Iqt0KWHc0H0

                一般人に銘柄を隠した2つのコーラを飲ましてどっちがおいしいか聞くペプシチャレンジ、半数近くがペプシを選びましたぁ!てよく考えたら2択しかないのにペプシ派が半数に達してない模様。ラーマ奥さまインタビューとか通勤途中のサラリーマンにヒゲ剃らすシェーバーとか外資系企業って消費者テストふうCMがけっこう多い気がする。

                 

                ポカリスエットCM 80年代(YouTube)

                https://www.youtube.com/watch?v=bDJGR7dIP4k

                ジュースの動画見てたら70年代あたりからビンがどんどん巨大化しだし「3杯注いでもまだ余る」って今は1人飲み用の500mlサイズを小ちゃなコップに注いでた。80年代もしばらくビンがでかくて舘ひろし出演のリゾートぽいポカリスエットCMでもでっかいビン一気飲みしており見てるだけで糖尿病になりそう。

                350ml缶が一般的になりだしたのは90年代にプルタブが切り離せなくなってボスの自販機が出てきてからな気がする。先日ヤカンにスポーツドリンク入れたら水道水の銅が溶けだしてお腹痛くなったニュースあり、ヤカンにスポーツドリンクってもしかして粉から作ったんじゃないかと思ったのだが粉ポカリって今も売ってるのだろうか。

                 

                懐かしいCM 炭酸飲料 ファンタ「青りんご」(YouTube)

                https://www.youtube.com/watch?v=W8ULdDu3e9k

                80年代にビンが巨大化したのちに出てきたのが1.25リットルのペットボトルで昔はこのサイズも自販機で売ってた。たぶん炭酸だけだと思うけど底に分厚い皿がついてて当時の動画見たらフタも今と違うような。

                昔は水筒サイズのペットボトルって水だけではなかっただろうか。炭酸ペットの底はその形状からペタロイド(花弁)と言われてて強度があり、なぜか炭酸ではないポカリまでペタロイドなのだが、この皿つけて補強したバージョンを見るかぎり途中からペタロイドボトルが出てきたことで今のような500mlペットのバリエーションが増えたのかもしれない。


                夏ソング特集

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                  80年代のトロピカルなマリン気分はテクノ時代(1979-83)よりさかんになりだしバブル時代(1984-88)に痛くなりすぎて平成に滅亡したというのがわが歴史観なのだが、1979デビューの聖子ちゃんもそんな歌唄ってた気がして調べてみるとタイトルが「青い珊瑚礁」だった。高中正義の「ブルーラグーン」のシングルカットもフィジーのヤサワ諸島で撮影されたという映画「ブルーラグーン」邦題「青い珊瑚礁」も1980年とこの年だけで青い珊瑚礁が3作品もある。

                  それにしても当時の写真を見るとやっぱり1980年はまだ化粧とか髪型そんなださくないと思った。そのへんやっぱり1984年のバイオ口紅とかTANTANたぬきの時代ぐらいからが痛い。

                   

                  https://www.amazon.co.jp/dp/B0001FAFXG

                   

                  全盛期にあたるであろうテクノ時代に聖子ちゃんが出した曲を調べてみると「夏の扉」「裸足の季節」「小麦色のマーメイド」「渚のバルコニー」「天国のキッス」「白いパラソル」などがトロピカルなマリン気分にあたりアルバムの曲入れたらもっと多いのかもしれない。タイトルは「(漢字)の(カタカナ)」みたいなのが多くて歌詞は青いヤシの島、熱帯の花、風を切るディンギー、常夏色などやはりリゾート感を前面に出してるけど夏だけではなく春や秋を唄った曲も多いあたり季節感が聖子ちゃんの持ち味だったのだろうか。

                   

                  資生堂 CM - ブラバス - 1979(YouTube)

                  https://www.youtube.com/watch?v=ID2JI-MoWnM

                  そういえば昭和50年代のCM動画見てると季節感すごくて、とくにニューミュージック全盛期における化粧品のキャンペーンは注目度が高かった。しかし私のリアルタイム(平成)で「ティセラ」とかえびちゃんの日焼け止め「アネッサ」CMが一瞬そういうタイアップで季節盛り上げてた以外に化粧品のキャンペーンが激しかったという記憶はなく・・夏が来た〜ってなるCMはもはや殺虫剤かジャワカレーぐらいじゃないか。

                  昭和50年代ってたぶんまだフロンガスでオゾン層破壊で皮膚ガンって言われてなかったのかSPFではなくサンオイル塗ってガンガン焼いてたのかもしれん。と、当時のキャンペーンガールの黒さを見てて思う。化粧品CMに使われてたニューミュージックもフォークの次に出てきたメッセージ性より抒情的な詩なので季節感バブルだったんだろうが、その季節感がだんだん常夏・マリン・トロピカルに一極集中していく過渡期がテクノ時代であった。

                  渡辺貞夫が出演する男性用化粧品のCMは1979年。使用曲は「モーニングアイランド」で水没こそしてないが、しそうなとこで机置いて草刈正雄と食事してる。

                  アイランド感覚としては写真集「ISLANDS」が1978年とやはり浅井慎平がひと足早く、その後は永井博画「A LONG VACATION」に収録された大瀧詠一「カナリア諸島にて」が1981年、鈴木英人画「FOR YOU」に収録された山下達郎「LOVELAND, ISLAND」が1982年などと続いた。そして1984年以降は石川優子とチャゲ「ふたりの愛ランド」やCCB(ココナッツボーイ)が人気大爆発しヤシ(ココ夏)やアイランド(愛ランド)は本格的にバブルみを帯びていき、1986年には東京靴株式会社がシューズ愛ランド1号店をオープン、1987年にはリゾート法が制定される。

                  そういえば先日エイベックスのMAX松浦らしき人をテレビで見かけたさい自宅だか別荘だかでここから見えるヤシの木がどうたらこうたら言ってた。1964年生まれなので海の中に机置いて食事するのに憧れたココ夏世代であろう。

                   

                  [MV] ふたりの愛ランド / 石川優子とチャゲ(YouTube)

                  https://www.youtube.com/watch?v=WqcHxy-Tldk

                   

                  私は当時まだ幼女ゆえこんなバブル時代の曲はすべて画箱か歌の大辞典かYouTubeで仕込んだものでありリアルタイムで覚えてるのは平成入ってからである。平成初期はバブルのノリ逝ってよしって雰囲気がすでにかなりあって夏やインストゥルメンタルはゴンチチとか井上陽水みたいにノスタルジックでゆるい曲調あるいはビーイングのポカリスエット感に転換してて80年代残滓としてはTUBEが生き残ってる程度だった。


                  脱プラしたい

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                    7月1日からレジ袋が有料化した。2年ほど前から突如としてウミガメと海洋プラスチックごみがさかんにとりざたされるようになり、とくに去年からストローがラップの芯みたいな紙製に変わったりなどしてたのだが、もともと5年前にストローが鼻に刺さったウミガメの映像が話題になったりしてたようだ。

                    以前はほぼ10割がた割りばしだった飲食店の箸が洗いタイプに切り替わりだした12年ぐらい前も同じよな現象があり、そのときは割りばしが間伐材ではなく中国産でまたそれがいかに体に悪いかという報道がこれまたウミガメストローぐらい唐突にキャンペーンされてた。さらに30年ちかく前もウミガメが風船をクラゲと間違えて食べてるって言われてたりして、そっから風船飛ばしあんまりやらなくなったようである。

                    というわけでエコ野郎から目のかたきにされやすいごく一部の使い捨て商品において脱プラスチック化が進行してるのだが、このコロナ禍なのでレジ袋のほうが衛生的でよかったという人も少なくない。私もそう思うのだけども買えばいいし子供のときはカゴで買い物するのに憧れてた。

                    いまだに白髪をおだんごにした着物の婆さん(たぶん30年前には滅亡してる)が描かれるみたいなのと同様じっさいはレジ袋なのに買い物カゴが描かれてたので何かそっちのほうがマンガぽくて格好良いと思ってた。エコバッグが標準化した今となってはカゴで買い物してもいいけどコーラ入れたらたぶんクソ重い。

                    スーパーマーケットのなかった時代はペットボトルはおろかコーラもそんな飲むこともそんななさそうだし、まづ電気冷蔵庫が普及したのが昭和30年代とするとそれまで買い置きってことはあまりできないのだからいちどきの買い物で買う量も今に比べたら相当少なかったはずだ。だからカゴで買い物する人ってマンガでしか見たことないけども1960年代までは実在してたのかもしれない。

                     

                    Everyday life in bygone days in Tokyo, 1966 昭和東京(YouTube)

                    https://www.youtube.com/watch?v=qvoZjbp9R1w

                    かっぽう着と買い物カゴで買い物してるこの奥さん50歳ぐらい(旦那さんは60ぐらい)にしか見えないのだけど子供の歳からして30代半ばと40ぐらいの夫婦なんだろう。でもその世代にしちゃ普段着が和装ってのが違和感あるので外国人撮影者に着させれてた可能性がある。

                    八百屋で野菜買うとき新聞紙に包んでたが1966年なのですでにプラスチックのザルや包装も見える。庭先には牛乳配達の木箱があり炊飯器・・っていうか電気釜はまだ保温ができない鍋みたいな奴で冷蔵庫は1ドア、朝ごはんはイスに座ってソーセージと玉子焼きとみそ汁食べてて今と変わらなく、ふと牛乳はいつ飲んでるのか謎に思った。

                    ネットで検索してみるとスーパーの成長期が1960年代でレジ袋の普及が1970年ごろのようだ。豆腐なんかも鍋で買ってたそうで、そんな世だからプラスチック以前ってごみポイ捨ててもさほど問題にならなかったと思われる。

                    朝ごはんはイスに座ってるのに夜は違う部屋で正座して食事してる。テレビが置かれてるので茶の間って奴だ。

                    風呂のシーンはないけどまだ都市部で自宅に風呂がある家庭はそんなに多くなかったと思われ前ナイトスクープでやってたほくさんバスオールもちょうどこの頃の商品である。木の桶より衛生的で広告が載せれるプラスチック製ケロリン洗面器は動画の3年前にあたる1963年より出てきた。

                     

                    プラスチックの歴史としては1870年にアメリカの印刷業者ジョン・ハイアットが象牙の代替物としてニトロセルロースに可塑剤の樟脳を加えた「セルロイド」を開発し写真フィルムやセル画などにも使われた。第一次大戦期にヨーロッパのセルロイド工場が火薬工場に転換されたのをきっかけに日本がセルロイドの一大輸出国となってる。

                    セルロイドは植物のセルロースを原料とする半合成プラスチックだったが1907年に工業化されたフェノール樹脂「ベークライト」は世界で初めて植物によらず人工的に合成されてたので発明者のベークランドはプラスチックの父と呼ばれた。わが国ではベークランドの親友でアドレナリンの発見者でもある高峰譲吉を社長に三共株式会社が設立され同社の工場で始まったベークライト生産がのちに住友ベークライト株式会社となる。

                     

                    https://aucfree.com/items/d346743698#

                     

                    https://kaitoricollector.com/retrotoys/item_25902.html

                     

                    【写真】悪夢のような「セルロイド人形製造過程」 ― ドロドロホラーの域を超えた当時の現場とは?(2016年2月16日 exciteニュース)

                    https://www.excite.co.jp/news/article/Tocana_201602_post_8896/

                     

                    戦後に入り石炭から石油に転換してプラスチック普及期にあたる高度経済成長の時代はまづセルロイドの燃えやすさが問題になり1955年に輸出できなくなった。セルロイド人形を扱っていたマルサン商店は1958年に「プラモデル」(プラスチックモデル)1966年に怪獣のソフトビニール(ポリ塩化ビニル)人形などで人気を博す。

                    ビニール人形「だっこちゃん」が1960年でりかちゃんでも有名な発売元のタカラは有限会社佐藤ビニール工業所って社名だったので創業時は玩具専門ではなかったと思われる。玩具としてはそのほか積水化学のポリエチレン管を加工した輪っか「フラフープ」が1958年に人気大爆発するなどセルロイドが凋落した昭和30年代いっきにプラスチック化が進行した。

                    積水化学はもともと日窒コンツェルンの一部だったが戦後に財閥解体で切り離されたそうだ。同社は1952年にポリ塩化ビニル製パイプの代名詞的存在「エスロンパイプ」1957年に肥桶をルーツに持つポリエチレンのバケツ「ポリバケツ」など名作を次々とリリースしてることからプラスチック革命の波に乗りに乗ってたことであろう。

                    日窒コンツェルンといえばチッソもあり同社は塩化ビニルを製造する過程で水銀を用いて排水を水俣湾にそのまま流してたので昭和30年代より水俣病の発症があいついだ。また90年代には塩ビから溶け出してる可塑剤のフタル酸エステルが女性ホルモン(エストロゲン)に似た内分泌攪乱物質(環境ホルモン)として問題視されてる。

                     

                    https://www.amazon.co.jp/dp/4881359851

                    商品の説明
                    商品説明
                       環境ホルモンの存在を世に知らしめたベストセラーの増補改訂版である。日本での初版刊行は1997年9月だが、その影響はあまりにも大きく、環境ホルモンをめぐる状況は一変してしまった。それをフォローするために、原著者による「『奪われし未来』以後の世界」「未来を奪われないために」「おわりに」の3章と、環境ホルモン学会副会長の井口泰泉による日本の現状についての解説が加えられている。

                       著者のひとりであるコルボーンが、野生生物や人の異常に関する論文を読みあさっていくうちに、生物のホルモンを撹乱する汚染物質にたどりつくという初版の内容はそのままである。いまも進行中の科学ミステリーという体裁で、科学書にありがちな読みにくさはない。ごく微量の合成化学物質が、孵化しないワニやカモメの卵、アザラシやイルカの大量死、ヒトの精子数の減少など、人類を含めた生物全体の生殖機能を脅かしているという事実には、いつ読んでも慄然とさせられる。

                       本書が危機感を呼び起こしたおかげで、環境ホルモンの研究は飛躍的に進んでいるという。新たに加わった章では、初版刊行時から現在までに明らかになった新事実が紹介されている。それでも環境ホルモンが人類の未来に暗い影を投げかけていることに変わりはない。初版では最終章だった「無視界飛行」の「何より大切なのは、地球に住む一人ひとりがこの問題を真剣に考え、論じはじめることだ」という言葉は、残念ながらまだ古びていないのだ。(齋藤聡海)

                     

                    日本消費者連盟いわく塩化ビニル樹脂は「作って水俣病、使って環境ホルモン、燃やしてダイオキシン」とのことだ。同じく日窒コンツェルン系だった旭化成(旭ダウ)はダウケミカルが開発したポリ塩化ビニリデンの食品フィルム「サランラップ」を1960年に発売し冷蔵庫もしくは電子レンジの普及で大きく売り上げを伸ばしたという。

                    あと身近な塩ビというとレコードとかプラスチック消しゴムがある。レコードは「ビニール盤」の呼称もあったそうで1951年に日本コロムビアがLPを輸入発売、1954年に日本ビクターがEPレコードを発売したのが最初で1959年には日本レコード大賞が創設され最初期の大賞には松尾和子と和田弘とマヒナスターズ「誰よりも君を愛す」などがあった。

                    戦前は蓄音機で再生する78回転のSP盤らしいけどこれは見たことない。消しゴムは青いカバーが有名な「レーダー」がEP発売と同じ1954年発売ともっとも早かった。

                     

                    サンスターアーム筆入 TVCM集(YouTube)

                    https://www.youtube.com/watch?v=JGF40j7H9rw

                    1965年発売の「象がふんでも壊れない」サンスターアーム筆入れは衝撃に強いポリカーボネート製。だからって高いとこから笑顔でサンスターアーム筆入れを4つもほりなげる男こわすぎる。

                    日本PTA全国協議会推薦サンスターアーム筆入れ以前はセルロイド製が多かったが耐久性が低くなんといっても発火しやすいという問題があった。セルロイドの原料であるニトロセルロース(硝化綿)は火薬に使われてる。

                    ポリカーボネートの原料であるビスフェノールAは1891年に合成されホルモンバブルの1930年代に合成エストロゲンとして研究されていた。このビスフェノールAが洗浄などで溶けだし環境ホルモンとして作用することが懸念されている。

                     

                    九州などの大雨 「令和2年7月豪雨」と命名 気象庁(7月9日 NHK)

                    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200709/k10012506041000.html

                     

                    そんなわけで環境汚染の見地から脱プラがさけばれてるけど10年前はどっちかというと化石燃料使いすぎ二酸化炭素だしまくりで気候が変動するってのがさかんに言われており、たしかに2年前の猛暑と西日本豪雨がやばすぎてようやく温暖化がガチな気がし始めた。水害じたいは2000年代半ばからやたら増えだし、それまで災害といえば台風で何か吹き飛ばされたりせえぜい床下浸水するぐらいなもんで梅雨ごときで川があふれて町ごと水没するなんて聞いたことなかったので低いとこに住んでてもそこまで気にしてなく「岸辺のアルバム」だって多くの人にとってはドラマの出来事だったろう。


                    脱ステしたい

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                      昨年、顔面に大炎症が起こりあわててドラッグストアにとびこんだ。塗り薬コーナー種類多すぎて何が何やらよくわからなかったなか真っ赤赤な皮膚炎のイメージ図つきで「つらい湿疹かぶれ化膿した症状に効く抗炎症成分抗生物質」とでっかく表示されてた「ベトネベート軟膏」をわらにもすがる想いで買ったところ塗りだして3日めぐらいからグチョってた炎症が目に見えて干からび1週間後には嘘のように皮膚が再生されまったく跡も残らなかった。

                       

                      https://www.amazon.co.jp/dp/B06XKMR1CL

                       

                      その後もあまったぶんを首によくできる、しつこいブツブツにも塗ってたら翌日には干からびてくるなどすばらしく効いたが、あんまり効きがよすぎて急性の大炎症にはともかくブツブツ用にはもうちょっとしょぼい薬でもいいよな気がしてた。そんなところに山田真「子どもに薬を飲ませる前に読む本」のステロイドのページを読んでたらベトネベートが5段階中(ストロンゲスト、ベリーストロング、ストロング、ミディアム、ウィーク)のストロングに分類されてて「ストロング以上のステロイドは子供には使わないようにしたい」と書かれてたのでやっぱりけっこう強い薬なんだな。と思ったし、あらためて外箱見てみると有効成分ベタメタゾン吉草酸エステルはOTC医薬品の中では強いランクって書いてる。

                      てことはベリーストロング〜ストロンゲストのステロイドは病院で処方されるのでしか手に入らないのだろう。ベリーストロングがフルメタ、アンテベート、トプシム、リンデロン-DP、マイザー、ビスダーム、テクスメテン、ネリゾナ、パンデル、もっとも強いストロンゲストがデルモベート、ダイアコート、ジフラールだそうで、貴方の使ったことある薬はこの中に入っていただろうか。

                      これらがどういうネーミングなのかよくわからないのだがベトネベートやアンテベートのような「なんとかベート」フルコートやダイアコートのような「なんとかコート」みたいなのが気持ち多い気がした。ステロイドそのものの名前だと「ベタメタゾンなんとか酸エステル」「なんとかかんとか吉草酸エステル」みたいなのが多くベトネベートも「ベタメタゾン吉草酸エステル」その前に長らく使ってた虫刺されのムヒアルファー軟膏は「プレドニゾロン吉草酸エステル酢酸エステル」と酸エステル大事なので2回言うた。

                      ここでいうステロイドとは副腎皮質ホルモンだけど精巣や卵巣で分泌されるテストステロンとかエストロゲンのような性ホルモンもまたステロイドホルモンである。ステロイドホルモンはコレステロールから合成されるためか「ステロ」「エストロ」「エステル」みたいな文字列がやけに多い。

                       

                      https://www.amazon.co.jp/dp/B005UJ1IUW

                       

                      そんなわけで軽症の皮膚炎にはベトネベートより弱い薬にしてみよう。と、何ヶ月か前から思い立ってたのだがドラッグストアがマスクとアルコールとトイレットペーパーの争奪により戦場と化し生理用品もなくなるんじゃないかとビクビクしてたので軟膏どころではなかった。終戦時にちょうどベトネベートを使い切りそうだったので先日いろいろ見てたところクロマイ軟膏とオイラックスが候補にあがった。

                      ベトネベートもそうなのだがクロマイ軟膏とオイラックスは全部発売元が第一三共ヘルスケアである。同社の軟膏は「抗生物質」「ステロイド」「ノンステロイド」など簡潔な表示があるために成分がちんぷんかんぷんな消費者に易しい。

                      ステロイドメインのベトネベートに対し抗生物質(クロロマイセチン)メインのクロマイ軟膏、かゆみ止め(クロタミトン)メインのオイラックスって感じのようだがクロマイにもオイラックスにもステロイド入りがあるので早く治したかったらそれもいい。私は脱ステなのでクロマイ軟膏とオイラックスの非ステロイドを比較したところ、クロマイの効能は化膿性皮膚疾患(とびひ、めんちょう、毛のう炎)のみと心もとなかったので、しっしん、かぶれ、かゆみ、虫さされ、じんましん、しもやけ、皮膚炎、あせも、ただれに効き膣にも使えるぽい?オイラックスソフトを買ってみた。

                       

                      https://www.amazon.co.jp/dp/B07S18LPB9

                       

                      たまにじんましん出るし、やはりこれからの季節、虫さされとあせもとかゆみはカバーしといてほしいもんだ。さっそくブツブツ(ベトネベートで8割がた治ってる)に塗ってみた感じは良きなのでしばらくこれで逝こうと心に誓った。

                      しかしふと思った。世の中には「あせもの薬」「虫さされの薬」「じんましんの薬」いろんな塗り薬あるけどもこれらはみんな成分いっしょなのではないかと・・

                       

                      https://www.amazon.co.jp/dp/B01CNF38QC

                       

                      ためしにロート製薬の非ステロイドあせも治療薬「メンソレータム ケアセモ」の成分を確認してみるとクロタミトン、ジフェンヒドラミン、グリチルリチン酸ジカリウム、イソプロピルメチルフェノール、トコフェロール酢酸エステル ・・ってオイラックスと成分ほとんど同じなのに200円ぐらい安いのに気づいた瞬間ショックすぎて不幸せホルモン鬱トニン分泌され子宮は冷え膣カサカサになりQOLと免疫力がいちじるしく低下した。ゆいいつ皮膚の組織修復を助けるアラントインとやらはケアセモに入ってないのでそれが200円ぶんの価値ある薬効と信じたい。

                      しかしスキンケアにもけっこう配合されてる甘草(リコリス)由来の消炎成分グリチルリチン酸ジカリウムといえば中村雅俊が歯磨きのCMでグリチルリチン酸ジカリウム!グリチルリチン酸ジカリウム!連呼してたのが思い出されるがサルファレゾルシン処方とかジンクピリチオン配合とかCMで化学物質の名前言うのがオシャだったのかもしれん。

                       

                      「クロロマイセテイン療法 赤痢、腸チフス、百日咳」東京シネマ1956年製作(YouTube)

                      https://www.youtube.com/watch?v=orGFivcVo1A

                      三共のクロロマイセチン映画1956年てだけあって見るからに古い。調べてみるとクロロマイセチン=クロラムフェニコールはペニシリンとストレプトマイシンの次に発見された古い抗生物質で赤痢や腸チフスのほかつつがむし病にも効くなど万能薬なのに今は飲み薬や注射などにはあまり使われていないようである。

                      なお三共創業者の高峰譲吉は廃棄された家畜の内臓(放るもん?)からホルモンを世界で初めて抽出した。副腎髄質ホルモン「アドレナリン」は1902年には三共から製品化され、こんにちではアナフィラキシーの注射にもなってる。

                       

                      おばたんの肌荒れなんぞステロイドだろうと非ステロイドだろうとたこの吸出しだろうと好きなもんぬっとけって感じなのだが、だいたいステロイドが問題になるのはお子さんのアトピー性皮膚炎であると考えられる。副作用の見地からステロイド軟膏を危険視しお子さんの肌荒れやかゆみがすごいことになる例があるようだ。

                      前述の「子どもに薬を飲ませる前に読む本」によるとステロイドには注射や飲み薬もあり注射はめったに使われない。飲み薬はけっこう使われてて難病の患者さんにとってはなくてはならないものになっている。

                      アトピーはというと直接生死にかかわらないため親しだいで塗るとか塗らないとかいう話になってくるのだが使用に注意を要するステロイドはむしろ飲み薬であって外用薬は安全性が高い。山田医師が子供に薬〜と別の本でステロイド危険説の出どころが漢方薬局だか東洋医学の医者だかが多いって書いてるの見てありえそうだと思った。

                      東洋医学には毒の概念があるのでアトピーもその体内に蓄積した毒によって引き起こされてる→毒を出し切ったらガチの完治と考えられてるのかもしれない。対症療法で副作用の西洋医学(ここでいうステロイド外用薬=かりそめの治癒)に対し自然治癒力の東洋医学・・の極端な医師などが症状がひどくなっても「ここでふんばったら毒が出きってガチ完治」って期待を抱かせてるんじゃないかと。

                       

                      アトピーの治療(日本アトピー協会)

                      http://www.nihonatopy.join-us.jp/padyna/chiryo/steroidprotopic.html

                      ステロイド外用薬を使用していて使用を止めると「リバウンド」が起こって酷い目にあったと患者さんからよく聞きます。リバウンドって何でしょう?私どもではステロイド外用薬でのリバウンドは明確に否定します。リバウンドは外用薬では起こりえないというのが定説ですが、リバウンドと云われている現象を考えると明らかに外用薬の使用中止による治療放棄以外の何物でもありません。治療放棄すれば症状が悪化するのは当たりまえです。逆にそれだけ効いていたという証です。
                      よく健康食品業者のリーフレットなどにサイトカインがどうの、インターロイキン2がどうしたのって知ったかぶりでリバウンドを説明しています。なかでもリバウンドを説明するときに副腎機能の回復期間のことが引き合いに出されます。外部からの投与で副腎機能の働きが緩やかとなっていたのが急に止めてその機能が回復する間に免疫障害が起こって症状が酷くなるということですが、それは相当量の内服による話であって軟膏やクリームの含有量程度では起こりえないことという。

                       

                      症状別 漢方治療の実際 アトピー性皮膚炎(成人型)

                      http://www.kampoyubi.jp/learn/beauty/05.html

                      ステロイドの長期使用は副作用が心配

                      西洋医学による治療では、ステロイド剤で痒み(アレルギー症状)を抑え、保湿目的で非ステロイド系消炎剤やワセリンなどを併用する対症療法が一般的です。
                      ステロイド剤は効果が高いのですが、副作用の問題もあり、長期使用の場合は使用量に注意しなければなりません。
                      そのような際に漢方治療を導入することで、ステロイド剤の減量を図ることができます。西洋医学的な治療も併用しながら、漢方治療の効果がでてきたところで徐々にステロイド剤を減らしていき、最終的に使用を中止できる場合もあります。
                      体調にあわせて根気よく治療

                      東洋医学的に診断すると、アトピー性皮膚炎の患者さんでは、気血水のうちどれか1つだけではなく「気滞の兆候が強いが、瘀血・水毒の傾向も混じっている」といったように、気血水の乱れが複合的な場合が少なくありません。また、症状は、季節、体調、ストレス、生理周期などによっても大きく変化します。治癒までの経過が長いアトピー性皮膚炎の漢方治療では、患者さんの状態の変化に注意し、その時々で処方を変えながら治療のゴールを目指していきます。
                      ・・・
                      体質を改善する処方

                          ・ 各人の体質により処方が決まるため、「アトピーだからこれ」といったものはない。

                          ・ 初めは皮膚よりも体調が先に良くなってくることが多い。皮膚症状の改善がみられるのは、治療の最終段階。根気よく治療を続けていくことが大切。

                       

                      上の引用は「コッコアポ」など漢方を販売してるクラシエ薬品のサイトでステロイドも併用するってあたり脱ステとは違うと思われるかもしれないが「子どもに薬を飲ませる前に読む本」で子供のばあいどんなに重症でもミディアム以下でがんばるべきって書いてるぐらいステロイドに慎重な山田医師でさえ大人はベリーストロングを1日5〜10g、3カ月使い続けてもたいした副作用は出ないという日本皮膚科学会のガイドラインを引用している。その程度の薬だったら漢方薬で「根気強く治療」(長期使用)することの副作用を心配したほうがいいんじゃないだろうか。


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