合成洗剤史

0

    1932年P&Gから世界初の家庭用合成洗剤「ドレフト」が発売されて19年後の1951年、日本の合成洗剤が登場した。石けんvs合成洗剤の闘いは、1956年にライオン油脂から発売された台所用洗剤「ライポンF」にまでさかのぼる。

    ライポンFが発売された1956年は「もはや戦後ではない」といわれ、高度経済成長期が始まったばかりくらいの時期である。当時アメリカ小麦戦略まっただ中、日本じゅうをアメリカ資本の入ったキッチンカーが砂ぼこりをあげながら爆走し、栄養士さんたちが日本人にもっとバランスよくおかずを食べよと、それまで辛い漬物だけでどっさりめしを食べていたノーおかずの日本人に動物性のたんぱく質や脂肪など栄養ゆたかな料理を伝導した。

    そんな食生活の急激な欧米化から生野菜の寄生虫や農薬、油汚れへの対応が急務となり、業界新聞で行われた厚生省や洗剤メーカーの座談会をきっかけに、わずか3カ月のあいだに日本食品衛生協会の推奨第1号品として食器・野菜洗い洗剤ライポンFは世に出た。そんなある日、東京都衛生研究所臨床試験部長・柳沢文正(1912〜1985)は、胃腸の調子の悪いとのことでキャベツのしぼり汁(キャベジン)を飲むように言った女性が、その後胃腸の調子はよくなったけど肌が荒れ疲れやすくなったことを不思議に思った。

    聞くとキャベツをひと晩ライポンFの溶液に漬け込んでいたというので柳沢先生がライポンFとは何ぞや、と買ってきて調べてみた結果、アルキルなんとかかんとか(ABS)がすごい体に悪いことが判明した。ちなみに柳沢先生は合成洗剤告発の他にガン患者の血液が酸性なのでアルカリ性食品の酢が体にいいっていう健康法の本を出す一面もあったようだ。

    そして翌1962年には誤飲事故が起こった。YouTubeのCM動画で見たバージョンは液体だったけど、これは1959年に発売されたものでそれまで粉末のみだったようである。

    この粉末状のライポンFを粉ミルクの缶に詰め替えていたため奥さんがミルクと間違えてライポンFを作ってしまった。それを赤ちゃんが間違えて飲むと思いきや、嫌がって飲まなかったのでおかしいと口をつけた父親が死亡した。

    この誤飲事件は遺族が国とメーカーを訴えたけど、けっきょく1967年に合成洗剤が原因と認められないとの判決が出た。しかしそのかんに、合成洗剤排除運動がかなり過激化したらしい。

    そうした運動の影響もあるのかどうか、70年代にはABS=ハード型洗剤はLAS=ソフト型洗剤にとってかわられるようになった。しかし今度は洗濯洗剤に含まれるリンと水質汚染(富栄養化、赤潮)の関係が疑われ、80年代からは洗濯洗剤の無リン化が進んだ。

    ・・・というのが前回までのあらすじである。その後どうなったかというと、昔は公共広告機構あたりで水質汚染のCMとかよくやってたがここ20年ほどは環境といえば温暖化だし、石けん運動を盛り上げていた日本消費者連盟も香害とか共謀罪とか言っててネタギレ感が否めない。

    だがそのいっぽう、石けん自体は安くて良いものだと自然派以外にもファンが多かったり、経皮毒、化学物質過敏症、胎盤からシャンプーの香りなど、真偽は不確かながら合成洗剤追放運動をベースにしたと思われる説がごく一部で既成事実化するなど、その影響が完全に失われたわけではないようだ。ただこの場合一部の助産院や美容院、ロハス野郎、マルチ商法などのあいだでクチコミ的に広がっているようで、その都市伝説感において三一新書あたりが表紙に洗剤の写真載せまくっていた60〜70年代の消費者運動に比べるとそのノリはやや異なる。

    例として戦後は化学物質などで環境や人体が汚染されまくっているけど欧米化する前の日本はよかった、と、科学を否定し日本の精神性(お米、風呂敷、打ち水、モッタイナイ等)を礼賛するノリになっていくのはロハスにもありがちな奴である。今や三一新書の継承者はアべ政治許さない精神を炸裂させてる日本消費者連盟でも週刊金曜日でもなく、むしろ「ニッポンだ〜いすき!」な美健ガイド社なんだろう。

     

    環境汚染 合成洗剤(YouTube)

    https://www.youtube.com/watch?v=9xOm1zQ4tjk

    「私たちが、日常なにげなく使っている合成洗剤。その洗剤が自然を破壊し、人体にも被害を与えて、大きな社会問題にまで発展しています」

    今にもふしぶしの皮が破れて出血しそうなすごい手荒れの写真にギャアアーとなった。しかし私、とある歴史あるオリーブ石けんが体に合わなかったので手洗いに使ってたとき、これに近い状態にまで荒れたことがある。

    その前にもオリーブオイルで荒れたことがあるので、石けんというよりオリーブオイルが合ってないのかもしれない。なのでこんな怖い写真見ても、自然だから石けんだからお肌に優しいとは限らないョ。と思ってしまう。

    瀬戸内海の赤潮!って、なぜかこのくだりだけ画面全体が赤くなって赤潮なのかどうかよくわからぬ。

    「つぎの実験を見てみましょう。石けん50ppmが入っている水槽の中で、アユとフナは元気に泳いでいます。いっぽうの水槽ではLASを石けんの10分の1、5ppmのうすい濃度にしてアユとフナをはなしました。およそ1時間後、まずアユが呼吸不能になりました」

    合成洗剤の水槽に入れられたお魚さんたちのあまりにも苦しく恨めしそうな断末魔の表情にガクブル。この2つの水槽にそれぞれ合成洗剤と石けんを入れてお魚さんたちを放つ実験はひろく石けんの優位性の根拠となっているらしい。

    「本来、川や湖の中のリンや窒素などはバクテリアやプランクトンを増やし、それを魚が食べて育つ、いわゆる自然の浄化作用によって水を美しくたもっているのです。ところが最近住宅や工場が密集してきたため、合成洗剤のリンなどを含む栄養がある排水が増え、自然の浄化作用では浄化しきれない、いわゆる富栄養化となり、赤潮やアオコが発生し社会問題に発展したのです」

    「そのためメーカー側ではいち早くリンを使わない無リンの合成洗剤を開発し、無リンは無公害であるかのようにテレビなどで大々的に宣伝しています」

    60年代はライポンFなど食器洗剤のABSの人体に与える影響が柳沢先生から告発されたが、やがて使用されなくなり、今度は洗濯洗剤のリンが水質汚染の原因としてやり玉に上がるようになった。今でも細々と存在する合成洗剤を追放して石けんを使おうってな運動は、洗濯洗剤が無リンになる前の70年代にその起源が求められる。

     

    合成洗剤が引き起こす人体への悪影響 マウスの実験(YouTube)

    https://www.youtube.com/watch?v=2-h5leeb_3g

    「合成洗剤は口や皮膚から血液に入り、肝臓、脾臓、腎臓などに障害を起こします。このところ増えてきたアトピー性皮膚炎は遺伝的に出やすい体質とされていますが、合成洗剤による母親の肝臓の障害が原因ともいわれています」

    合成洗剤が口や皮膚からしみこんで内臓に悪さするっていうのは、現代の経皮毒とか胎盤からシャンプーの香り説に受け継がれていると思われる。アトピーの原因も公式には分かってないと思うのだが、戦後に患者が増えたことから一部では合成洗剤や添加物との関係がほのめかされている。

    「なかでもシャンプーは、ASがもっとも多く含まれています。皮膚に浸透する力が強いASを頭にすりこむのはどうでしょう」

    どうでしょうと言われてもどうかわからんけども、ともかくこのシャンプーに恋コロンって書いてるのが気になった。あとこの前のシーンで閲覧注意な肌荒れ画像をバックに、おむつにしみこんだ合成洗剤がおむつかぶれを起こすので石けんにきり変え・・・みたいなくだりがあったので、この動画まだ布おむつの時代なんだな。

    「一部の避妊薬には合成洗剤と同じ成分のものが使われています」

    私はティセラ世代なので前述の恋コロンシャンプーは全く知らないのだけども、マイルーラはよく雑誌広告で見かけたので懐かしい。当時私が読んでいた雑誌、ぴょんぴょんとかレモンに避妊薬の広告が載っていたと思えないので、やっぱり回し読みだったエルティーンとかルナティーンみたいなエッチ系の雑誌だったんだろうか。

    マイルーラはやっぱり三一新書あたりで二重盲検法の必要性やフッ素危険説を訴えていた高橋晄正が批判しており、2001年に製造中止になった。タンポンしかり、こういう女性器に何か入れる系って昔は結構ポピュラーだったと思う。

    マイルーラと障害、流産の関連について私は分からないけども、三一新書あたりが告発していた高度経済成長期をピークとする公害や薬害は全体的に赤ちゃんの被害が目立つ。森永ヒ素ミルクが一番有名で、そのほかにも胎児性水俣病、サリドマイド児とかカネミ油症の黒い赤ちゃんとか、あとライポンFの誤飲ももとは粉ミルクの缶に洗剤を詰め替えていたのが原因だし、公害じゃないけど病院出産がポピュラーになり始めて取り違えが起こったりとか、日本が豊かさを享受するかげで多くの赤ちゃんも急激な変化のなか犠牲になった。

    そんな時代があったからこそ、製薬、洗剤、化粧品メーカーはおのれの金もうけのためなら人体や青いお空を汚してもええんかいっていう、三一新書的市民運動も存在意義があったのだ。しかし今や、大企業を批判する奴は左翼ということにくわえて、何か怪しい陰謀論にとりつかれてるオカルト野郎やマルチ野郎くらいにしか思われていない。

     

    15年ぐらい前に避妊でマイル−ラを使っていましたが最近、売っていない様な気がします。もう売っていないのですかね?(Yahoo!知恵袋)

    https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1118476991

    ベストアンサーに選ばれた回答

    backyard117さん

    2008/8/1712:38:56

    1983年5月の発売、2001年3月製造中止。になっています。

    その経緯については

    マイルーラは主成分をノノキシノール(ポリオキシエチレンノニルフェニルエーテル(非イオン系界面活性剤のひとつでいわゆる合成洗剤)とする膣用避妊薬で女性が性交渉前に膣に挿入し、侵入した精子を溶かして殺す殺精子剤です。女性週刊誌で大量宣伝し、手軽に入手できることから、女子高校生や中学生にも使用が及びました。1983年、日本消費者連盟と「薬を監視する国民運動の会」の高橋晄正さんがマイルーラの毒性を調査、告発し、朝日新聞に掲載され社会問題化しました。
    ・・・
    これらの問題はきれいな水といのちを守る合成洗剤追放全国連絡会や、厚生省交渉実行委員会などの運動に広がり、マイルーラの毒性を考える会が結成されるなど大きな社会運動に発展しました。しかし期待に反し、会社は強気で販売を中止しませんでした。
    そんな中、1986年にアメリカでの殺精子剤裁判(ノノキシノールと同系列の非イオン界面活性剤であるオクトキシノールを使用し、口蓋裂、右手の異常、左手の欠如、左鎖骨形成不全、等を伴った女児が誕生し、製造販売をしたオルソ社を告訴。)で、地方裁判所も連邦裁判所も因果関係を認め賠償命令を出しました。
    新たな問題として浮上してきたのが環境ホルモン作用です。主成分のノノキシノールは体内で代謝されノニルフェノールになります。これは化学工業製品や農薬に含まれる環境ホルモンとして知られていますが、体内で内分泌かく乱作用を示すなど大問題となりました。運動団体の指摘で当時の厚生省もようやく重い腰を上げ、大鵬薬品にマイルーラの主成分のノノキシノールの代謝実験を命じました。
    市民運動や内部の労働組合の運動、殺精子剤裁判の判決、環境ホルモン問題などを通じ、最高の売上げがあった販売初期に比べ約3分の1に売上が落ちこみ、ついに大鵬薬品は2001年3月に坂売中止を表明しました。

     

    ところで先日ブログで紹介した日本消費者連盟の香害110番の続報、200件以上相談が集まりやはり行政やメーカーへ働きかけがなされるらしい。また合成洗剤を入れた水槽お魚さん死ぬって言ってたシャボン玉石けん社も同様のアンケートを実施していたとのニュースもついでに見つけたので、人工的を毒と見る石けん運動が柔軟剤ブームの今「香害」という概念に活路を見出していると思った。

     

    人工的な香料が原因で体調不良に 「香害」に切実な声(8月15日 ライブドアニュース)

    http://news.livedoor.com/article/detail/13474417/

    香り付きの柔軟剤が人気を博している。しかし、柔軟剤制汗剤などに含まれる人工的な香料が原因となり、体調不良になる人たちも増えているようだ。日本消費者連盟が7月26日と8月1日の2日間、香りに関する悩みを聞く電話相談「香害110番」を実施したところ、全国から213件の相談が寄せられた。9割以上が女性からの相談だった。
    ・・・

    人工的な香料が原因で体調不良を引き起こすことを「香害」と呼ぶ。誤解されがちな点だが、香害に体臭は含まれない。

    ・・・

    香害に悩む人たちにあらわれる症状は様々だが、頭痛、吐き気などの症状が持続するため、それまでの生活が困難になることもある。中には、化学物質過敏症と診断される人もいる。寄せられた相談には「これは公害問題だと知らせて欲しい」という訴えもあった。

    日本消費者連盟は今後、行政、メーカーへの働きかけを行なっていくという。

     

    「香害」で吐き気や頭痛を経験したことがある人の割合は?(8月17日 exciteニュース)

    http://www.excite.co.jp/News/column_g/20170817/Cobs_1660730.html

    シャボン玉石けんはこのほど、「香りに関する意識調査」の結果を明らかにした。同調査は7月15日〜20日、20代〜60代の男女598人を対象にインターネットで実施したもの。

    同社によると近年、「洗濯用洗浄剤の匂い」に対する相談が国民生活センターに多く寄せられているという。「香りで吐き気がする」「柔軟剤のニオイで気分が悪くなる」といった相談内容だが、このように人工的な香りによる健康被害(めまい・頭痛・吐き気といった体調不良など)が「香害」と呼ばれていることを知っているか尋ねたところ、61%が「知らない」と回答した。

    他人のニオイ(香水や柔軟剤、シャンプーなど)を不快に感じたことはあるか聞くと、79%が「ある」と答えた。

    これまでに人工的な香りをかいで、頭痛・めまい・吐き気などの体調不良を起こしたことがあるか尋ねると、51%が「ある」と回答した。

    ・・・


    疑惑検証

    0

      先日日本デビューも果たした、韓国で絶大な人気を誇る韓日台の多国籍ガールズグループTWICEが炎上だって?

       

      【炎上】日テレZIPにインチキアンケート疑惑が浮上(8月13日 netgeek)

      http://netgeek.biz/archives/101129

       

      日テレ系の情報番組「ZIP」の放送において、渋谷の女子中高生にTWICE知ってる?ってアンケートとったら、80%が知ってるの方にシール貼ったという結果をフリップで示しているのだが、いっぽうで「TWICEのファンの方を探しています」と書いた札を持っているZIP取材班の姿が一般人に撮影されていたらしい。てことはつまり、無作為ではなくTWICEのファンだけにアンケートしたから知名度が80%にもなった、つまりヤラセである。というのが、この記事の言いたいところだと解釈した。

      流行ってないTTポーズを唐突に人気大爆発って言い張ったあたりから私もやはり韓流報道に強い不信感を抱いてはいるのだが、いちいちアンケート取るのにファンだけ探すとか手間すぎるし、どうせヤラセするだったら最初からスタッフ自らシール8:2の割合で貼りなはれと思う。ていうか記事でほのめかしてる疑惑が事実として、TWICEのファンなのに「知らない」2割の奴っていったい何。

      以上の疑問にくわえ、同じ番組でTWICEのファンにインタビューし、彼女らの魅力を熱く語っているところに本人登場→号泣。ってなドッキリやってたから、TWICEのファン探してたってのはそっちの企画な気がした。マスゴミ不信の私はその放送見て、このファンどうせ仕込みで加計学園関連のインタビューでも同じ人写ってましたって奴だろうが!とさえ思ってた、ネトウヨ達よりまだ一回り汚れた心の持ち主なので、本当にファン探してたほうに驚きを隠せない。

       

      170428 ZIP! TWICE(YouTube)

      https://www.youtube.com/watch?v=WrlLisOFyWo

       

      上記urlが4分15分あたりからTWICEファンのドッキリ動画である。どうでもいいが私はジパングあさ6からのズームイン世代という古い人間なのでスイーツ化著しい日テレの情報番組には激しく抵抗を覚えざるおえない。

      今月末にはカワイイ系でJ-POP風なTWICEに対するかっこいい系な王道K-POPでガールズグループ人気を二分するBLACKPINKも日本デビューする。さらなるゴリ押しによりネトウヨのテレビ離れが懸念される。


      野菜洗い萎え

      0

        日本消費者連盟の表紙見ていて、洗剤の銘柄古いな〜。と思い、またしても昭和の洗剤動画探して見た。同連盟、今はダウニーなどと名指しせず香りのきつい柔軟剤としか言ってなかったけど、古きよき昭和の時代にはこの手の市民運動が本出すとワンダフル!ザブ!バリ!デイ!と、表紙におもっきし商品の写真載っけてた。

         

        https://7net.omni7.jp/detail/1100298061

         

        http://www.suruga-ya.jp/product/detail/BQ45641

         

        懐かしのCM - 花王 - ワンダフルK - 1966(YouTube)

        https://www.youtube.com/watch?v=ZjwXBmxta_8

        高度経済成長期、アメリカの資金で全国各地を走ったキッチンカー(動くお台所)など厚生省の栄養改善指導でそれまでちゃぶ台でどっさりめしを食べていた日本人は台所を改善し肉や乳やラードといった栄養ゆたかでフライパン使ったようなおかずを多く摂取するようになった。

        そんな食生活の変化もあり、皿の油汚れを落とす合成洗剤の需要はグイグイ上昇していたにちがいない。合成洗剤は石油由来と思われるが、この頃は石油製品が増えた時代でもあろう。

        化学肥料じゃなかったせいか野菜を食器洗い洗剤で洗っていた。果物は農薬を洗っていたのだろう。

         

        懐かしのCM - ライオン - ライポンF - 1962(YouTube)

        https://www.youtube.com/watch?v=qGe2auZkj5g

        ライオン社のライポンF。後発商品である上の花王ワンダフルKもそうなのだが、昔はスポンジで洗剤を泡立てて食器をこするのではなく、つけ置きしたあと手でこする使い方だったのだろうか。

        「りんごもつやつや♡」

        動画のコメントでこの野菜洗いが突っ込まれまくてるけど、今でもピジョンやコンビなど赤ちゃん用品の会社から出てる哺乳瓶用洗剤にはなぜか各社野菜洗いもアピっているし、たぶん普通の食器洗剤にもひそかに用途野菜洗いって書いてると思う。でもじっさい野菜や果物、洗剤で洗ってる人いたらめっちゃ引く。

         

        寄生虫や農薬・・・見えない汚れを除去 昭和30年代の日本の衛生環境の改善に大きく貢献した台所用合成洗剤「ライポンF」(ライオン)

        http://www.lion.co.jp/ja/life-love/history/konjaku/1645

        第二次世界大戦での敗戦後、日本は欧米文化の影響を強く受け、食生活の面でも大きな変化が見られるようになりました。キャベツ、キュウリ、トマト、白菜などの消費が昭和30年頃から次第に伸び始め、更に生野菜として食べるようになりました。また食用油脂の消費量も大きく伸び、昭和30年の一人当たりの消費量を昭和10年時点と比較するとバターで2.2倍、マーガリンで25倍となり、戦後に広まった欧米文化が、食卓の風景をも変えていきました。しかし、一方で洗浄方法は依然として変わらず、食器はクレンザー・石鹸で、野菜は水洗いのみで済まされていたため、野菜に付着した寄生虫の卵をそのまま口にしてしまうことも多く、当時は寄生虫保有率約30%、死亡者数年間6千人強という深刻な衛生状況にありました。また、人口増加に伴う農作物量産のための農薬も大量に使用され、その農薬が十分除去されていないことも多く、残留農薬も大きな問題となっていました。このような状況を救ったのが、『ライポンF』でした。

         

        発売のきっかけは、昭和31年5月に、ある業界新聞で行われた「洗浄運動」をテーマとした座談会です。厚生省(現:厚生労働省)や全国紙の新聞記者、ライオン油脂などの洗剤メーカー、クリーニング業界らが出席していました。このとき「現在厚生省で頭を悩ませているのは回虫の問題である。」との発言があり、野菜に付着した虫卵を除去する話題になりました。その場において、合成洗剤で食器や野菜を洗えば寄生虫の卵がよく取れるといった研究をライオン油脂が行っているといった話があがりました。厚生省は、6月には国立衛生試験所で寄生虫卵除去試験・急性毒性試験を実施し、中性洗剤溶液の除去効果と安全性の確認を行いました。行政の素早い対応にライオン油脂も開発を急ぎ、座談会の席上での話題が、わずか3カ月で「ライポンF」の発売という形で現実になったのです。

        ・・・

         

        ライポンFが生まれたきっかけとなった1956年の厚生省とは、ちょうどアメリカ小麦戦略まっただなかである。上の記事で昭和30年ごろから生野菜が多く食べられるようになったとあるように、キッチンカーの栄養指導か?オシャなサラダも食べられるようになってきた(たぶんマヨネーズのサラダで、ドレッシングはちょっと後だと思う)ようだが、昔そのことについて年配の人と話してて、戦前にも生のキャベツをソースかけて食べてた。と聞いたような気がするし、きゅうりなども戦前から食べてそうなので、化学肥料や野菜洗いがない時代にもいちおう生で食べることはあったと思われる。

        というか、海外ではまだそんなもんなんじゃないだろうか。寄生虫がいなくなってからアレルギーが増えた説も聞いたことあるし、衛生的な野菜ばかり食べているからこそ日本人が海外逝くとお腹壊すのだろう。

        しかしこの時代、大気汚染や水俣病といった各種公害はもちろん、油の料理、農薬、それを落とすための合成洗剤、土に帰らない石油由来のごみ・・・と、経済成長の陰で急速に環境が悪くなってときに人体をもむしばんだ。その後70年代から80年代にかけてはアメリカが民主的で科学的で豊かで素晴らしいって時代の反省から、日本消費者連盟のような消費者運動にくわえてインドとか玄米とか漢方とか母乳がいいとか言い出す奴もけっこう増え今やロハスに発展した。

         

        【日本の石けん運動の歴史】合成洗剤追放運動のそもそもの始まり(石鹸百科)

        http://www.live-science.com/bekkan/toba/rekishi/rekishi01.html

        1961年(昭和36年)春、東京都衛生研究所臨床試験部長・柳沢文正のもとに、一人の中年のご婦人が訪れました。このご婦人の為に柳沢先生は職を追われ、他人から見たら一生を棒に振ったような結果になります。色恋沙汰ではないことは始めにお断りしておきましょう。

        一見して胃腸に障害があることを見抜いた先生は、薬剤より食生活が大切な事を話し、キャベツ(ビタミンU)のしぼり汁に胡麻油を少し加えて朝夕コップ1杯づつ飲むようにすすめました(胃潰瘍の方は試してみてください・筆者注)。数週間後再び訪れたこのご婦人を見て、先生はびっくりしました。前と違って顔色が黒くなりシミが増え、疲れた様子でした。「先生のお話の通り、朝夕キャベツのしぼり汁を飲み続け、お蔭様で胃腸の調子はすっかり良くなりましたが、疲れやすくなり顔や手足にシミが増えました。」と言うのです。不思議に思って良く聞くと、「野菜には寄生虫や農薬が多いと言うので、前の晩からキャベツをライポンFの溶液に浸けておき、翌朝それをミキサーにかけ胡麻油を入れて飲んでいました。」と言います。

        「ライポンFとは一体なんですか?」と聞いたら、その人はすぐ近くの雑貨屋へ行ってライポンFを買って来ました。先生はこの時始めて合成洗剤を知ったのです。その容器には、厚生省実験証明(1)回虫卵が簡単に除去される。(2)毒性がなく衛生上無害である。と表示されていました。その上厚生省の外郭団体である日本食品衛生協会の推奨までつけてあります。

        便利なものができたものだと思ってよく見ると、その成分はアルキルベンゼンスルホン酸ソーダ(ABS)と書いてある。科学者として何故こんなものが無害なのか、疑問を持ちました。早速白ネズミで実験をしてみたら、確実に毒性があることが分かったのです。さらに様々な実験をして、合成洗剤が決して無害でないことを突き止め、同時に実験を始めた令弟の柳沢文徳・東京医科歯科大学教授の実験結果を併せて1962年1月14日、お茶の水医学会に『DBS※に関する研究』と題し「石油系の合成洗剤は決して無害ではない。従って家庭での使用は充分注意しなければいけない。」と発表したのです。これが世界で始めての合成洗剤に対する宣戦布告でした。その後、柳沢文正先生がどんな迫害を受けたかは、次にゆずります。

         

        https://www.amazon.co.jp/dp/B000JAF7OU/

         

        合成洗剤と闘った柳沢文正先生「台所の恐怖」(1964)。例によって商品特定しまくったレトロで味わい深い表紙。

        帯に「現在日本で市販されているハード型洗剤は、昭和39年10月1日から、西ドイツでは法律によりその使用・販売を禁止されました」とあるように、下水処理が困難という理由で柳沢先生と市民運動が告発したハード型洗剤=アルキルなんとかかんとか(ABS)は、日本でも70年代にはとっくに使われなくなっているとのことで安心しておくれ。しかしその代わりに使われるようになったソフト型洗剤(LAS)も、水槽に入れて石けんでは死ななかったお魚さんたち合成洗剤ではめっちゃ死んでるっていう実験に使われているのでやっぱり合成洗剤は水を汚染させ人のいのちと健康をむしばむ元凶(by日本消費者連盟)なのかもしれない。

         

        【懐かCM】1983年 花王 ワンダフル 〜Nostalgic CM of Japan〜(YouTube)

        https://www.youtube.com/watch?v=wmhcS7SJVVw

        ライポンやワンダフルは洗濯洗剤もあったようだ。昭和の洗剤デカッ(たぶんこの頃は一回で使う粉の量が多い)

        昭和50年代ごろの洗剤は「無りん」「低りん」をアッピールしている。昔の洗剤に含まれていたリンが赤潮を引き起こしたとして問題になり、石けん運動もその頃から始まった模様。

        しかし日本消費者連盟の本に「あぶない無リン洗剤」(1980)ってのがあるので、石けん運動家による、無りんだろうと洗剤は体に悪い=粉せっけんで洗いましょうという主張が、読んではないけど表紙からうかがえた。あと先日香害110番のニュースでそういえば昔の洗剤って消臭や除菌や香りなんてひとことも言ってなかったよな。と、歴代の洗剤のCMも見たけどやっぱりファブリーズやレノアが出てくる前はバイオの働きでわんぱく坊やの泥汚れを落としたり白さが際立つばかりで、柔軟剤もファーファーがフカフカのタオルにダイブしたり冬場にパチパチ君が出てるようなのしかなかった。

         

        https://www.amazon.co.jp/dp/B000J86L1U/

         

        [4]合成洗剤v.s.石けん論争の経緯

        http://www.detergent.jp/oya/x004.html

        日本国産の合成洗剤は1951年に登場しました。その後、1953年にワンダフル(花王石鹸)、1956年に台所用合成洗剤ライポンF(ライオン)が発売されました。ライポンFには厚生省から衛生面から使用を推奨する文章が提出されました。そして、1962〜63年に合成洗剤と石けんは使用量において逆転することとなりました。このように、日本で合成洗剤が登場したのは1950年代で急激に普及し、1960年代初めに石けんと主役の座を交代することとなりました。

        ・・・

        ちょうど同年、ライポンFを誤飲した男性が死亡するという事件があり、大きく報道されました。この事件は日本におけるその後の合成洗剤有害説に決定的な影響を及ぼしました。この事件は遺族からメーカーと国を訴える裁判に発展したのですが、動物実験や種々の海外の誤飲事例などから合成洗剤が死亡の原因とは考えがたい点、また原告側が当初訴えていた「当該容器に厚生省の無害表示があった」との証言への事実関係上の矛盾点が指摘されたことなどを受けて、結果的には合成洗剤が死亡の原因であるとは認められないとの判決が1967年に出され、控訴もされませんでした。しかし、判決が出されるまでの間に、「合成洗剤は人を殺傷する毒物であるから排除すべき」との強い論調の意見が消費者グループに浸透し、当初はABS使用は注意すべきとの論調でABS危険説を主張していた柳沢氏らも消費者グループの先頭に立って引くに引けないABS排除論を唱えるようになってしまいました。

        ・・・

        1970年代は環境関連では合成洗剤に含まれる「リン」をめぐって大論争が巻き起こりました。特に琵琶湖での市民運動は有名で、合成洗剤メーカーに対して大変な圧力を加える原動力となりました。結果的には、合成洗剤メーカーは合成洗剤の無リン化を目指すこととなり、1980年に無リン合成洗剤が登場し、現在では日本の合成洗剤の大部分(硬度の高い沖縄を除く)で洗剤は無リンが当然であるという、世界的にも珍しい環境配慮型の洗剤組成が定着しています。

        ・・・

        1986年には石けん推進運動の中心的拠点とされる琵琶湖地区において、石けん運動が風化したという報道があり、1994年には石けんの原料である油脂採取のために熱帯林破壊や農薬問題等につながっているとの情報で消費者グループがショックを受けたとの報道がありました。1997年に日本生活協同組合連合会から発行された「水環境と洗剤」では、環境影響の面で、特に合成洗剤が石けんに比べて劣るものでないとするデータが示されました。このように、従来から科学的に洗剤を見ていこうとする専門家グループ、またその情報を直接的に受ける科学的レベルの高い立場の消費者グループ等では、合成洗剤を敵視する方針の運動は弱くなってきたといえるでしょう。

        一方で、1990年以降、石けん製造・販売企業がリードするゲリラ的な合成洗剤有害説が幅を利かせるようになってきました。その特徴は、せっかく築いてきた洗剤に関する「市民科学」を打ち壊すようなレベルの低いもので、石けんの純分が高いものが安全性や環境面で優れているといった根拠のない情報や、石けんの有害性はゼロであるとする情報等、今までの洗剤論争の意味は何だったのかと落胆させるばかりの内容です。

        ・・・


        子どもも粗食

        0

          「昼の1食程度は、おにぎりだけで十分」…週3回「ノーおかずデー」に(7月27日 Yahoo!ニュース)

          https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170727-00010001-yomidr-sctch

          子どものお弁当、どうしよう。忙しい親は日々悩む。そんな中、神奈川県横須賀市の津久井幼稚園は10年前から、昼食を週3回、おにぎりだけ持ってきてもらう「ノーおかずデー」にしている。

          園長の余郷有聡(よごう・ゆうそう)さん(53)は「みんな喜んで食べていて、昼食を残す子はほとんどいません」と話す。

          以前は毎日、弁当を持参してもらった。子どもが嫌いなピーマンなどの野菜をおかずにする家庭もあったが、泣いて嫌がる子どもや、嫌いなおかずをわざと床に落とす子どももいた。

          「野菜が嫌いでも、ほかの食品で栄養を取れれば問題ない。今は脂肪の取り過ぎによる肥満が問題。昼の1食程度はおにぎりで十分」と主張する管理栄養士の幕内秀夫さん(64)に共感し、おにぎりだけのノーおかずデーの昼食が始まった。

          ・・・

           

          幕内秀夫は戦後アメリカからゴリ押されたパンよりも、昔から日本人が食べてるごはんの方が優れてるからパンを朝食や給食に出すのはおやめなさいと主張をしている栄養士で、著書の表紙もほとんどごはんである。だからおにぎりっていうのは分かるけど、何でそれがノーおかずになるのかはまだ読んでない(幕内氏の存在を知った何年か前に何冊か立ち読みした程度)のでわからなかった。

          ただ昔白米を食べていた軍人が脚気にかかったとか、昔のニュース映画でキッチンカーの栄養士さんが「塩辛い漬物にどっさりめしが一番悪い食べ方」と指導してるのを見た感じでは、日本人が栄養バランスの良いおかずを食べるようになったのって戦後、栄養改善運動や給食以降であって、それまで塩気のあるものを多少添える程度だったと思われる。肉はもちろん、卵や牛乳も高かったらしいし、そもそも冷蔵庫やスーパーマーケットが高度経済成長期以降なので、何か保存するにしてもそれこそ味噌や漬物のように塩がいっぱい入ったようなのを自宅で作って少しづつ食べるのが主であったろう。

          じゃ幕内氏は栄養改善運動以前のノーおかず時代がいいっていう「昔はよかった」論者なのかというと、食事写真がアップされているブログを見る限りでは普通の現代的なおかずにしか見えない。肉はあんまりないけど魚をよく食べてるし、たまにウインナーとかサラダスパゲッティみたいなのまである。

          ノーおかずとか粗食とか言うと、てっきり麦めしに梅干しにめざしくらいのレベルを想像しちまうし、実際昔の日本人の食事てそんなレベルだろうけど、そういう意味では昔ながらの食事を徹底しているわけではないようだ。さすがにパンは食べていないと思うが。

          また上のノーおかず幼稚園の記事を読んで、なんで子供がピーマン嫌いだったらノーおかずになるのか経緯がよく分からなかった。野菜以外で栄養のとれるという「ほかの食品」をおかずにすればいいのでは・・・と。

          それに脂肪のとりすぎによる肥満が問題だと言うのは大人の話であって、子どもは身長も伸びてるし運動量も多いので少々食べ過ぎるくらいでもよい気がした。その点、油はだめでなおかつ嫌いな野菜は食べさせなくていいとなると、消去法でノーおかずということになってしまうのだろうか。

          でも子供は小さい頃から学校給食でパンに慣れさせられたのでパンを食べるようになった〜ってよく言われるし、日本人でも世代によってなじみのない外国の食べ物(キムチとか)、日本人はみんな食べれるけど外国の人が苦手な日本の食べ物(生卵、ごぼうとか)があることを考えると、やっぱり子供のうちから慣れる慣れないはのちの嗜好に影響するはずで、大人になって自然に食べれるかどうかはその後の話ではないか。パン業界が「米を食べると馬鹿になる」と言い、日本の食事が欧米化してもなんだかんだごはんに味噌汁が基本になっているのも、日本人が子供のころから日本人の食事はそういうもんだと慣れてるし、欧米人がアジア人ほど米や麺食べないのも子供のころから食べない食生活に慣れてるからだろう。

          現代は健康と食事についての情報がはんらんしているが、食事というのは日本人なら日本人、子どもなら子ども、肥満なら肥満に適した食事があるのであり、万人に完全な食事があるとは思えない。マクロビオティックなんかも栄養学的にはもしかすると批判されるのかもしれないが、ピザとかバーガーとか食ってるようなアメリカンサイズの巨デブだったらマクロビやったほうが健康的だし、逆にめっちゃガリガリで食細い奴だったらピザやバーガーを食べても問題ないし、私みたいにめしをおかわりするような炭水化物大好き野郎には糖質制限を取り入れるくらいでちょうどいいのだろう。

          健康や痩身などを目的に特定の食事法を実践している人はそれを理想とし、自分と違い何も考えず習慣や欲望のままに食べている人を情弱もしくは怠惰とみなす傾向がある。ダイエットに成功した奴がデブを見下すのと同じ心理で、人生の途中でパンや牛乳をやめて体調よくなった奴はまだそんな体に悪い食事してんのかい!と、他人まで許せなくなってしまう。

          だから栄養改善運動も、いろんな食べ物ある今見たらあまりにも動物性すぎて古いかもしれないけど、昔の貧しかった日本ではそれくらいでよかったと思うし、終戦直後の何も食べ物がない状況での配給されたパンや脱脂粉乳ならなおさらである。何がいい食事かなんてそいつの年齢や体型や地域や宗教や時代にもよるのだから、特定の食材や栄養素を理想化したり悪とみなすことはできない。

          しかしあんまりおかず食べないで脚気とか大丈夫なのか少々気になった。そもそも私どっちかというと幼女時代は和食が苦手で、ピーマンやトマト、コーンやグリーンピースのつぶつぶなどカラフルな野菜に憧れてたからそもそもピーマン嫌いなお子さんがたの気持ちもよくわからん。


          栄養全盛期萌え

          0

            以前パン史を振り返るのにあたり昔の資料や動画など見ていてふと、戦後しばらくのあいだ穴の開いた鍋でパンを自作するのがけっこう普通だったのか?と思ったのだが、やはり下記引用記事によると、戦争が終わって航空機用の資材であるジュラルミンが余ったのと米が不足していたために、ジュラルミン製のパン焼き器がかなり出回っていたとのことだ。このほか電気パン(電流パン、電極パン)というのも有名なようで、私が参照している書物「パンと昭和」においては「代用食の自家製パン」の章に詳しい。

            江戸が知りたい。 東京ってなんだ?!(ほぼ日刊イトイ新聞)

            https://www.1101.com/edo/2003-10-29.html

            ほぼ日     戦争が終わって、また、日本人ってね、調子に乗りやすいというか‥‥。紙の次は、“ジュラルミン”のブームがやってくるんですね。
            新田     この、変わりっぷりは、すごいですよね。戦時中は鉄が使えなかったので、いかに、鉄瓶を土瓶らしく陶器で作るのか、というようなことをやってきたかと思いきや、戦後になるとジュラルミンという航空機用の資材で、生活用品を作っていくという‥‥。
            ほぼ日     これは、要するに、戦争が終わって、飛行機が作れなくなっちゃったから、ジュラルミンが余っちゃったというわけですね。

            *ジュラルミン製パン焼き器
            新田     戦時中は、食べ物をはじめとする物資は、配給って形でなんとか行き渡っていたんですが、戦後になると、それまで大陸にいた人たちが、いっぱい帰ってきて、都市は、食料不足で、どうにもならない状態になっていたんですね。でも、その中でも、アメリカからの援助物資で、コーンスターチとか小麦は比較的手に入りやすかったので、パンを食べるという習慣が、根付いたんですよ。
            ほぼ日     パンは、みんな食べていたようですね。展示室で、年配のご婦人たちが、「昔、お家にあった」と言っていましたよ。
            新田     パン焼き器に関しては、このジュラルミン製と、木製の、電化パン焼き器というのが流行ったみたいです。戦後の物資が不足してた時代に、ガス管がいたるところで断絶していたので、ガスは使えず、薪や炭も、前よりは簡単に手に入らなかったそうですが、電気は、比較的通っていたんです。電線を、焼けたトタン板かなんかにくっつけて、液体を入れると、電気が通るじゃないですか。それで、暖めてパンを焼くっていうような原初的な方法をとっていたんですね。
            ほぼ日     そういえば、うちの母も、その方法のパン焼き器をアイロンの箱で作ったって言ってました。

             

            今みたいにパンを自作するよりも店で買うほうが普通になったのは、60年代くらいだろうか。戦後すぐに配給小麦をパンに委託加工する製パン所が各地にでき給食も作っていたが、当時のニュース映画などを見る限り50年代後半のアメリカ小麦戦略下における栄養改善指導ではキッチンカー等の講習でパンを自作している様子だし、おそらく車や道路や商店などの流通網が発達してきたのが60年代入ってからで、「パンと昭和」によれば地方の製パン所のひとつにすぎなかったであろうシキシマ、フジパン、ヤマザキなどが全国展開になっていくのもこの頃である。

            70年代にかけてはタカキベーカリーのダニッシュロールが1962年、ヤマザキのミニスナックゴールドが1970年、神戸屋サンミーが1971年発売とデニッシュ系の発売があいつぐなどパンの多様化がうかがえ、トングでパンを掴んでトレーに乗せる現代の方式も出てきたようだ。これらをふまえると50年代までは主食としてゴリ押されてはいたけどパンはあまりおいしいものではなかったし自作することが多く、60年代に朝にポップアップ式トースターで食パン焼いたり菓子パンなどが楽しまれるようになり、70年代に軽食として洗練され現在の地位を確立したという流れと推測される。

            そのようなパン史の中で私が一番萌えるのは、やはり50年代後半のアメリカ小麦戦略におけるゴリ押し期だ。栄養指導にまわるキッチンカーを割烹着の嫁や姑が取り囲み欧米化したフライパンのおかずに食いつき、米あるし給食費払えねぇだという農村のおっかさんたちにパン給食の素晴らしさを説き、米を「馬鹿になる」と攻撃するなど、なりふりかまわぬ栄養礼賛(栄養=小麦、動物性の脂肪、たんぱく質、欧米化したおかず)は、和食は健康的だけどパンはジャンクフード、欧米化は体に悪いという現在の価値観からすると少なからぬ新鮮さをおぼえるのだった。

            なので先日古本屋に逝って、当時の婦人雑誌を何冊か立ち読みしたところ、どれを読んでも米と張り合うかのようなパン食推奨記事があって、よほどバッシングされていたのか逆に「漬物で食べるから栄養バランスが偏るだけで米は悪くない」といった、米穀なんちゃら協会みたいな団体の反論広告まで載っていたほどであった。それ以外に読むとこなかったから買わなかったけど、あまりのゴリ押しぷりにアメリカの陰謀恐るべしとの思いを新たにした。
             

            茨城県ニュースNO.33(1961年(昭和36年度)制作)

            https://www.youtube.com/watch?v=moPZAV7IMO4

            1961年の茨城県ニュースは土地柄かオープニングが原子力。核の平和利用と言われ出したのもアメリカ小麦戦略と同じころで戦後史の闇を感じる。

            やはりここでも山村を砂ぼこりをあげて爆走するキッチンカー。音楽はキッチンカーのテーマソングか?

            キッチンカーに群がるご婦人がた。昭和30年代においてこの光景は全国共通である。

            「この車は別の名をキッチンカーとか動くお台所などと呼ばれ、内部にはりっぱに管理された調理室を持ち、私たちのくらしの中でいちばん大切な食生活の改善や合理化などについて各保健所の栄養士さんたちが現地で指導をおこない、健全な体位の向上をはかるため実施されています」

            「安くておいしく、しかも栄養のある料理の仕方を早く身につけようと、みんなパンフレットを片手に熱心に講習を受けています」

            当時の僻地に住むご婦人がたは、服装もだけど栄養改善される前なだけあって今ではまったく見かけなくなったタイプの顔だしびっくりするくらい老けてる。こう見えて右のお婆さんも60代とかけっこう若いんだろうなきっと。

            茨城に来たキッチンカーもソフトメンじゃないけど何かうどんみたいなの作った。手に乗せて試食。

             

            昭和40年 伸びよおおしく(YouTube)

            https://www.youtube.com/watch?v=cLlaq-tdULM

            農村の栄養改善する「栄養の谷間」と同じく静岡県の健康や体位向上に関するお宝動画「伸びよおおしく」。栄養の谷間の4年後の1965年制作。

            「動く台所と呼ばれる、県の栄養指導車」

            「山村、僻地の食生活の合理化を目指す栄養士さんは経済的で栄養価の高い料理を作って指導しています」

            「こうして子供をはじめ家族全体の健康増進に効果をあげています」

            昭和も40年代に入ると僻地とはいえ試食にむらがるご婦人がたの服装がそれ以前のキッチンカー動画よりかなり現代的になっているように感じられた。そのかんにも栄養士さんの栄養指導講習(どっさりめしばっかり食べてないで、肉のおかずや牛乳など動物性食品を取り入れよという指導)は多く開かれていたようだ。

            「発育ざかりの子どもたちには栄養価の高い食事が与えられます」

            給食でパンではなく麺を食べる児童。静岡なだけあって当時関東および東海を中心に導入されたばかりのソフトメン(スパゲッティ式めん)か。

            今みたいな黄色いスパゲッティが食べられるようになったのは70年代くらいからだろうとみているが、たぶんそれまでこういう謎の細麺をスパゲッティって言い張ってたと思う。そして米飯給食導入は1976年まで待たなくてはならなかった。

             

            ソフトスパゲッティ式めん(Wikipedia)

            https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%95%E3%83%88%E3%82%B9%E3%83%91%E3%82%B2%E3%83%83%E3%83%86%E3%82%A3%E5%BC%8F%E3%82%81%E3%82%93

            歴史

            1960年代、当時パンのみであった学校給食の主食を増やすために開発され、東京都が学校給食に採用をしてから各地で採用されていった。それゆえ関東地方や東海地方と、中国地方の一部ではよく知られている一方、東北、関西、四国、九州(沖縄県を含む)、北海道(札幌市を除く)、北陸・甲信越の各地方では、ほとんど知られていないことがある。他の主食と同様に、自校給食の場合でも調理されて蒸しあがったものが業者から納入される。

            当時は美味しくないことで不評であった給食用パンに端を発する給食嫌い(給食離れ)が進行していたが、アメリカ産小麦の輸入と消費を維持するという大前提から、米飯は導入されなかった。1970年代後半から米飯給食の見直しが進められ、現在では米飯給食の普及や他の麺の登場によりソフト麺には学校給食として往時の勢いはないが、懐かしさからまた食べたいと望む声が多いため、コンビニ弁当や通信販売等で入手することができる。『思い出の給食』アンケートをとると関東地方では常に上位に位置するメニューでもある[3][4]。

             

            『岡山県ニュース』くらしにとける牛乳(YouTube)

            https://www.youtube.com/watch?v=0RGKrQOsMk0

            これは小麦ではないのだが、戦後援助物資である脱脂粉乳に始まり米飯給食導入後もごはんに全然合わないのにもかかわらず給食にゴリ押しされ続けるなどパンとセットで語られることの多い牛乳。最近は飲まない人も多いけど、まだパンよりは「栄養」のイメージを維持していると思われる。

            この時代、といっても岡山県のニュース動画は何年か書いてないのだが、ともかくアメリカ資本のキッチンカーを筆頭に栄養に関する講習(どっさりめしばっかり食べてないで、肉のおかずや牛乳など動物性食品を取り入れよという指導)とか料理のコンクールすごい多かった模様。栄養改善は厚生省の一大プロジェクトだったにちがいない。

            「最近では牛乳を飲むだけでなく、どんな料理にでも取り入れられています。婦人会や保健所で開かれる栄養教室では、牛乳料理の講習会に人気が集まります。牛乳は私たちに不足がちなカルシウムやビタミンを十分に補ってくれるバランスの取れた食品です。他のいくつかの食品を合わせたものに劣らない栄養を持っています」

            「さっそく主婦が牛乳を使って家庭料理に腕を振るいます」

            牛乳を使った料理ってシチューみたいなのしかできなさそうだが・・・

            「出来上がった栄養料理に一家は楽しく食事が進みます」

            牛乳のおかずに主食はパン、飲み物は牛乳、とまるで学校給食のような模範的栄養料理である。

             

            『岡山県ニュース』町でも村でも牛乳ラッシュ(YouTube)

            https://www.youtube.com/watch?v=vD8bWdMUcqw

            「岡山県の牛乳生産量は毎年2万1000キロリットルで全国で16位、 その消費量は年とともに増加していますが他県に比べるとまだまだ少ないのです」

            オハヨー乳業のおひざもとであるにもかかわらず岡山の牛乳消費量は他県より少なかった。アドバルーンで牛乳を宣伝。

            「美作町のある酪農家では、毎日水やお茶の代わりに一家7人こぞって牛乳を飲むので、年間9俵のお米が節約できました

            牛乳ってもはや主食じゃねぇだろと思うのだが、牛乳を水がわりに飲んでいるので米を節約できたという、どっさりめしの弊害がうたわれた栄養改善期らしい自慢。

            「勝北町の役場では、牛乳を使った新しい栄養料理の講習会を始めています」

            先ほど牛乳を使った料理ってシチューみたいなのしかなくね?と思ったのだけど、この動画では「野菜のクリーム煮」と「卵のコロッケ」って書いてる。漬物でどっさりめしを食べていた戦前にはなじみのなかっただろう乳や肉や卵を使い、それも油で揚げるという栄養ゆたかな料理を、講習をうけたご婦人がたはさっそく家族にふるまったにちがいない。

             

            『岡山県ニュース』栄養まつり(YouTube)

            https://www.youtube.com/watch?v=jRieRXrdXdE

            「都窪郡清音村は昭和23年9月、岡山県から全国でも珍しい栄養改善標準村の指定を受けました」

            「それ以来全村一体となって、栄養改善を中心に台所の改良など生活改善に努力を続けてきました」

            改良された文化的な台所で牛乳を使った栄養料理に腕をふるうご婦人がた。

            「満10周年を迎えた4月23日、村では盛大な栄養まつりが催されました。 村には賞状や記念品が知事から贈られ、また栄養改善の功労者たちは村から表彰されました」

            「この日料理コンクールも行われ、日頃の腕を競った1食分30円の安くて栄養の高い、しかもおいしい料理は人々の味覚をそそるのに十分でした」

            乳料理コンクールって書いてるけど、牛乳を使った料理ってそんなにバリエーションあるのか?・・・と、どうも栄養改善期における牛乳料理ゴリ押しな風潮をひしひしと感じるお宝動画群であった。とりあえず栄養改善およびパン食奨励のノリはなんとなくわかったので、その批判の先鋒である幕内秀夫の著作も今後読んで逝こうと心に誓った。

             

            【学校給食の裏面史「アメリカ小麦戦略」 / 鈴木 猛夫】No.6〜10

            http://nakayamaj.com/?page_id=4904

            戦後の日本人の食生活欧米化の発端は巨額な費用を注ぎ込んだアメリカ側の見事な小麦戦略であり、それは予期以上の大成功を納めた。パンを主食とするとおかずは自ずと肉、卵、牛乳、乳製品という欧米型食生活になる傾向がある。それらの食材の提供先はアメリカでありそこにアメリカの真の狙いがあった。前号で書いたように東畑朝子先生が「みんな隠したがっている」こととはまさにアメリカ側の資金で戦後の食生活改善運動が推し進められたというあまり知られていないこの事実である。戦後の改善運動ではパン、肉、卵、牛乳、乳製品等の摂取が勧められてきた。厚生省、栄養学者はそれらをバランスよく摂取するという欧米型食生活が正しいと信じ栄養行政に反映させ、栄養教育をしてきた。それは栄養学的にみて望ましいとされ(実際には大いに疑問があると筆者は思うが)、厚生省の管轄下にある各地の栄養学校ではそれらの食品の優位性が強調された栄養学が教育されてきた。「肉は良質な蛋白質である」「牛乳はカルシウムの吸収が良い」等々のように。しかし栄養学的に正しいから国民に教育してきたのだろうか。
            昭和30年代のこれらのアメリカ側の強引な粉食奨励策をみてくると純粋に栄養学上というよりも、アメリカの余剰農産物処理という政治戦略によって推進されたのである。
            食生活改善運動の理論的ささえとなってきたいわゆる現代栄養学を一生懸命教えてきた栄養学者にとっては、この日米一体となって推進してきた食生活欧米化の大事な原因についてはあまり栄養士の卵には教えたくないのが本音だ。だから現代栄養学の優位性をことさら強調する栄養教育が行なわれてきたのだと思う。国民にはもちろんキッチンカーに乗せられ一生懸命活動した栄養士、保健婦たちにもその資金の出所についてはほとんど知らされていなかったのである。「隠したがっている」事実こそ戦後最大の厚生省、栄養教育者のタブーであり、触れられたくないことなのだ。


            打たないで

            0

              何度かこのブログでも書いているように、10年くらい前の温暖化ゴリ押しはしつっこいことこのうえなかった。暑い日や寒い日はいちいち温暖化が〜と言い出すし、北極と思われる氷が割れたり、小ちゃい氷に乗ったシロクマたんが落ちちゃうよーとばかりにおびえてるという、涼しいところの氷が解けて水位が上がることを暗に示唆していると思われる不吉な映像がさかんに流れお子さんがたにトラウマを植えつけようとしていたのだが、2008年の洞爺湖サミットが終わった頃くらいから急にゴリ押しが終わり、チームマイナス6%とかいう環境省のキャンペーンが鳩山のせいでチャレンジ25(二酸化炭素25%削減)になってから、阿呆らしくなったのか誰もエコとか言わなくなり、二酸化炭素を出さない発電だから温暖化対策とうたわれた原発が事故を起こしてグダグダになり、原発事故で脚光をあびたはずの太陽光発電もなぜか音沙汰がなく、今じゃ気温が高くなっても水害が起こってもマスゴミは温暖化が〜と言わなくなった。

              2003年から2006年まで環境大臣をつとめその後もエコへの行動力を強みにしていた小池百合子もしばらくあの人は今状態でホとひと安心してたのに、都知事候補になった瞬間から露出が急増した。そして下の記事を見て、「この人が都知事になったらまたロハスがゴリ押しされちまう」というかねてからの危惧が現実になったことを知る。

              東京五輪へ小池知事、酷暑のマラソン打ち水で熱対策(7月21日 日刊スポーツ)

              https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/1859116.html

              東京都の小池百合子知事(65)は20日、都庁前広場で行われた「打ち水」イベントに参加し、約1100人の来場者と一斉に打ち水を行った。小池氏は触らなくても温度を計測できる放射温度計を使って、地面の温度の変化も計測。「一斉にやることに意味がありますよね。暑さを乗り越えていきましょう」と呼び掛けた。

              3年後の夏に行われる20年東京五輪・パラリンピックについて「暑い中でマラソン選手が走ったりするところは打ち水で解消していくなど、江戸の知恵を生かしていく。みなさんと一緒に進めていきたい」と話した。都主催の同イベントは都内141カ所で実施され、都庁会場にはりゅうちぇる(21)も来場した。

               

              しかしこの打ち水大作戦ってなんなんだろうか。一般に打ち水は朝夕の涼しい時間に舗装されていないところでやるのが効果的といわれてるのだが、江戸時代には存在しなかったと思われるアスファルトに水をまいて昼間のヒートアイランドを解決するかのようにほのめかしているし、むしろヒートアイランドのようにアスファルトが熱し続けられるところに打ち水したら地面の温度は下がるが散布した水はホカホカとスチームになってマラソン選手の蒸し焼きが懸念される。

              そういうケチをつけると、じゃあどうすればいいのかとか、水をもっと大量にまけばいいという人が絶対いるのだが、路面が濡れてると多少危なかったり靴が汚れたりということもあるので、人間が水まかなくちゃいけないという使命を捨て何もしないかせいぜい街路樹でも植えたほうがいいんじゃないだろうか。暑い日に水まいたところと木陰とだったら10割の人が木陰逝くと思うし、打ち水大作戦自体も浴衣や桶、ひしゃくのような装備を重視したり、温度下がってないのに涼しく感じたとか風鈴などで凉を感じるとかを見る限り、実際に温度を下げるよりも江戸の知恵は素晴らしい、人々がつながることで考えるきっかけになるといった精神論ありきな感じなので江戸に思い入れのない私はよくわからなかった。

               

              メイドさん大集合! 千代田区が秋葉原駅前で打ち水イベントを実施!(2008年8月1日 ASCII.jp)

              http://ascii.jp/elem/000/000/156/156088/

              8月2日に神田明神で「NPO法人 秋葉原で社会貢献を行う市民の会リコリタ」が「打ち水っ娘」を行なうのに先立ち、多くのオフィスと秋葉原などのIT街を抱える千代田区が、JR秋葉原駅電気街口を出たところに位置するダイビル前のロータリーで「千代田区打ち水大作戦2008」を開催した。

              ・・・

              石川雅己千代田区長が「先月に痛ましい事件がありましたが、江戸しぐさ、伝統の行事の打ち水を通じて、秋葉原を元気付けたい広めたいという、みなさんと一緒に心を込めて打ち水を行います」と挨拶

              ・・・

               

              千代田区の打ち水スローガンに「江戸しぐさ」(2ちゃんねる)

              http://fox.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1407664758/

              1 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2014/08/10(日) 18:59:18.82 ID:yS1zXgU80 ?PLT(44074) ポイント特典

                  熱暑の夏を少しでも涼しくすごそうと、千代田区は8月を「打(う)ち水(みず)月間」とし、おけやひしゃくなどの道具の貸し出しもしている。

                  区役所前で1日行われた打ち水では、「打ち水は千代田を冷やす江戸しぐさ」と書かれたのぼりも登場。
                  親子連れや浴衣姿の区職員、上智大の学生、秋葉原を拠点に活動するNPO法人リコリタのメンバーらが参加した。ためた雨水をひしゃくでまき、水しぶきを浴びてはしゃぐ子どもたちもいた。

                  道具は区役所の環境・温暖化対策課で9月末まで貸し出す。 (鈴木久美子)
                  http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/20140805/CK2014080502000101.html

               

              これは小池氏が参加している打ち水大作戦ではないのだが、温暖化ブーム時は江戸が循環型社会だからエコで、モッタイナイといった古くからの日本人の精神性がエコとか、買い物袋に風呂敷を使おうといったことがさかんに宣伝されており、小池氏も江戸野菜という在来品種を作っていた。それと同時期に環境CMも制作していた公共広告機構が江戸しぐさを広めるなど温暖化ブームのある部分は江戸万能論にもとずいており、打ち水大作戦もその流れの一部と思われる。

               

              「祝10周年の打ち水大作戦はどうやってはじまったの?」を仕掛け人・池田正昭さんに聞いてみた [ソーシャルアクション元年への旅](2013年8月9日 greenz)

              http://greenz.jp/2013/08/09/uchimizu02/

               

              小池百合子が保守系であるし、最近では江戸しぐさしかり、伝統素敵ってノリが右翼的な愛国心だと解釈されがちだが、少なくとも打ち水大作戦を考えた人が坂本龍一と親交があるし地域通貨とかアースデイとか自然なお産とか言ってるのを見る限り反原発運動とかやってる左翼にありがちなロハスだった。環境以外でも世界記憶遺産にむけ朝鮮通信使は韓流ブームの元祖という歴史観がはばをきかせてるように、左翼における江戸好きはとくに珍しいことではない。

               

              「奥さんのお産」ではなく「私たち夫婦のお産」。お産を語るオッサンの会の活動に迫る(2016年7月11日 DRESS)

              https://p-dress.jp/articles/2037

              ・・・

              ――産婦人科と助産院はどう違うんですか?

              池田:助産院は助産師さんがいるだけで、医者はいないんです。医療機器もありません。白衣を着たスタッフもおらず、私たちが行った助産院は、助産師さんはみんなおそろいの割烹着を着ていました。

              ――お産には命の危険が伴う場合がありますが、医療機器がないことに関し、不安は感じませんでしたか?

              池田:それが、逆にすごく安心したんですよ。普通の一軒屋なので、まるで実家にいるような、ほっとする空間で。威圧感を与える機器はありません。分娩台もありません。産後の入院中は、とてもおいしい、お袋の味のようなご飯をいただきました。
              もちろんその場に医師はいないので、いわゆるリスクに対する備えは万全ではないかもしれません。帝王切開など異常出産になる場合は助産院では措置ができないので、提携している病院に搬送される形になります。でも、最初から医者任せにしないで、自分たちの自然な力を信じて、産ませてもらうんじゃなくて「自力で産む」ことにトライしてみようというところに新鮮な喜びを覚えました。

              ・・・


              スメハラvs香害

              0

                梅雨明けもまじかということで汗の臭いが気になるこの季節、先日こんな110番が設置された。

                 

                においの悩みに...「香害110番」設置へ(7月14日 FNN)

                http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00364210.html

                香水や制汗剤、柔軟剤などに含まれる人工の香り。

                こうした香りが原因で、体調不良を訴える人が少なくないとして、日本消費者連盟は、「香害110番」を設置します。

                「近所の人の洗濯物のにおいでベランダに出られない」、「においが原因で電車に乗れない」など、香りに悩んでいる人が増えているそう。

                 

                以前マンダムだったか、どこかの化粧品会社が制汗剤売るためであろう、体臭のきつい人を「スメハラ(スメルハラスメント)」と定義していたため、確かにマナーの部分もあろうが体臭ってどんなに手術や対策してもどうにもならず苦しんでいる人もいるのになんでもかんでも豊田真由子様と同じハラスメント枠に入れるとはどうなんだい。と気に食わん奴をなんでもハラにしてしまう最近の風潮に反感をおぼえてるのだが、上記引用記事の香害110番とやらは「香水や柔軟剤や制汗剤のような人工的な香り」と言っているように、制汗剤や化粧品など合成化学物質の臭いはもうたまらぬ。っていう、化粧品会社(制汗剤メーカー)の創出する悪「スメハラ」とはまったく逆のコンセプトなことに留意していただきたい。この110番設置したのは週刊金曜日「買ってはいけない」や各種電磁波や抗がん剤の恐怖、近年ファスティングなどの著書も多い船瀬俊介を輩出し、70年代ごろから三一新書あたりで洗剤や化粧品の危険性をうったえ、少女時代の私をガクブルさせていたってのを最近思い出した日本消費者連盟である。

                 

                https://7net.omni7.jp/detail/1100298061

                 

                https://www.amazon.co.jp/dp/B000J86L1U/

                 

                これら表紙画像を見る限り日本消費者連盟は合成界面活性剤が人体や環境に悪いので洗濯、洗顔には石けんを使いましょう。ってな思想なので「香害110番」はあくまでオシャレでわざとつけている香料由来の「香り」に対しての通報であり、湯シャンしてる人の頭とか、石けんで洗濯してる人の服の臭いなど、花王とか各種大手企業が合成洗剤や消臭効果を持つ合成化学物質で解決してきた自然由来の臭みには塩対応であろう。だからって日本消費者連盟がダウニーの香りまきちらしてる容疑で犯人の逮捕や取り調べしてくれるとも思えないので、集まった通報をもとに洗剤・化粧品メーカーに何らかの申し入れをしていくって運動なのかもしれない。

                しかし上に貼った表紙の画像の古さからふと、検索結果を見る限り日本消費者連盟とか三一新書の本ってもしかして2000年代以降出てないのかな?と思った。2000年代といえばちふれ社もキャンメイクなどと同じいちプチプラ化粧品メーカーと化し、暮らしの手帖もほっこりしたので、人体や環境に悪いもの売って不当に儲けてる大企業どもといった消費生活における左翼的ジャーナリズムが廃れて女子供やロハスにこびる俗物化した時期と考えられる。

                そのいっぽう、2000年代半ばからだったか、ドンキホーテでダウニーを中心に各種アメリカンな柔軟剤や洗剤が日本消費者連盟が問題視する人工的な香りをプンプンとふりまくようになっていた。もしかして、もともと香水や車の芳香剤とかすごそうなドンキホーテの客層が柔軟剤ブームに火をつけたのか?

                このブームを牽引していたのがP&G社で、ダウニーのほかにファブリーズやレノア、ボールドなど消臭+香りつけのヒット製品を2000年代に多数ラインナップしていたため、国内洗剤メーカーはそれに追随する形だった。その前の90年代はティセラというシャンプーがあった以外に化粧品は昭和特有の化粧品臭さ(ダウニーよりきつい)が見直されたのかどっちかというと無香料のほうがトレンドで、P&G社も今ほど除菌とか消臭とか言ってなかったような。

                いっぽうの日本消費者連盟などに見られる、アンチ合成洗剤および石けん至上主義はどうも70年代くらいからの動向のように思う。シャボン玉石けんやパックスナチュロン、ミヨシ石けん、ねば塾といった石けんメーカー各社も日本消費者連盟と同じノリの環境意識がうかがえ、現在もちふれ同様、消費者運動が廃れてなおその商品は数ある洗浄料の選択肢のひとつとして根強い人気を誇っている。

                おそらくもとからあった石けんメーカーが水質汚染などが問題になっていた時代、環境にやさしいっていう石けんの優位性をアッピールしだしたってとこじゃなかろうか。少なくともシャボン玉の「青いお空がほしい」って歌詞や「香害」ってネーミングも大企業が有害物質まきちらしてた頃のなごりにちがいない。


                K-POP批判する

                0

                  【公式】Mnet側、「アイドル学校」の映像盗作疑惑を否定…「空間的限界のための必然的類似性」(7月4日 ワウコリア)

                  http://www.wowkorea.jp/news/enter/2017/0704/10193194.html

                  韓国Mnet「アイドル学校」の校歌映像が日本の有名飲料水CMと非常に酷似しているとの指摘を受け、Mnet側が「空間的な限界のために起こった必然的な類似性」と明らかにした。


                  Mnetの関係者は4日、「“学校”という空間を背景に制作する番組であり、学校内で多くの出演者が群舞(一糸乱れぬダンス)できる空間は校庭、教室、廊下、体育館に限定されるほかない」と盗作疑惑を一蹴した。

                  また、「ダンス中に水をかける場面などは、多くの映画などですでに何度も利用されている方式だ。一部、2コンテンツの類似した点は学校を背景にする空間的限界からの表現とすでに多様なコンテンツで使われた撮影方式であるだけだ」と説明した。

                  これを前に「アイドル学校」は先月28日、校歌「可愛いから」の映像を公開した。映像には出演練習生たちが学校を背景に、制服姿でダンスしながら歌う姿が映し出される。しかし、この映像が全体的に日本の有名飲料水CMと酷似しているという指摘があった。

                  一方、「アイドル学校」はガールズグループ育成リアリティーで、学生たちが学び成長する過程を映す番組だ。来る13日、韓国でスタートする。

                   

                  先日、韓国のアイドル学校とかいうのが日本のポカリスエットCMをパクってると話題になっていた。しかし私はパクリよりもそのアイドル学校とやらがセーラー服だったために、やっぱりプリーツミニスカートって韓国(TWICE)が流行らせたと言ってるが、韓国が日本の制服に影響された服装にほかならぬと思った。

                  再々言ってるように、近ごろのK-POPはやけにAKBなど日本のアイドルを意識したような企画や服装が多く、ミュージックビデオは体育館など学園物、おなごも整形美人からナチュラル可愛い系が主流なのでかってのお色気路線は完全に下火となった。お色気は一時期エスカレートしすぎていたとはいえ、ここまで日本化してくると今日までしぶとく聴き続けてきたK-POPをこれからも愛せるか自信がなくなってきたし、ムンジェイン左翼政権なので吾輩の韓国離れが懸念される。

                  そういえばアベ政権許さない人々も、日本のようなロリと違って素晴らしいとも日本批判に利用する人がごくたまにいた。日本のようなロリと大差なくなってきた現代K-POPの体たらくにはいったい何を思うのだろうか。

                  しかしTWICEのTTポーズが若人に人気大爆発!ってのも、蟹工船が若人に人気大爆発!戦争法案デモが若人に人気爆発!みたいで依然としてその手法には違和感がぬぐえない。そうやってルーズソックス時代みたいに若人とか渋谷とか言っときゃ人々がありがたがると思って人為的に流行を創出してますな。

                   

                  Bonus Baby - Urikiri Music Video(YouTube)

                  https://www.youtube.com/watch?v=HcCsIsKChCQ

                  アイドル学校ではないがハイソックスでスカートひらりひるがえし見せパンチラチラするAKB化の最右翼K-POP


                  米受難の時代

                  0

                    戦時中は和菓子じゃなくてパン説を唱えていると、戦前からケーキやパンを販売してきたのに戦時中和菓子屋にされた店は実在した!ってな記事を発見した。いやいやちょっと待てWikipedia等各種サイトによれば戦時中は米不足のためにパンが推奨されていたとのことだしもともとパンってのが軍隊で導入されたのがはしりで、そんな状況をふまえたらスイーツなどぜいたくな物食べる余裕よりもむしろ和菓子屋がパン作らされるレベルだろう・・・と、先日確立したパン史観に混乱をきたしたため読んでみたところ、ハイカラな洋菓子店が名前を和風(洋菓子屋の主人の実家がやっていた和菓子屋の店名)に変えさせられたという内容で、やはり戦時中はパン作ってたそうだ。

                    その店名が「菊屋」なのだが、もともと戦前からのパン屋は木村屋や神戸屋や中村屋など「○○屋」と和風であり、そのほかにも「○○堂」「○○舗」「○○製菓」といったいかにも和菓子屋ぽい屋号が多く、なんちゃら製パンとかベーカリーってネーミングは戦後に多い印象である。早い時期からあんぱんが作られていたり、また記事の洋菓子兼パン屋の実家が和菓子屋であることからも、日本におけるパン史がある部分で和菓子の流れをくんでいると考えられる。

                    たぶん記者が意図的に道徳教科書や和菓子を戦争と結びつけようとしており、見出しや冒頭だけ読んだらあたかも民主的なパン屋がネトウヨな和菓子屋に鞍替えしたかのような印象を抱かせようとしてるけど、あれは東京書籍とかいういち教科書会社の思いつきで書きかえられたすぎないため、実際には絶対ありえないことだと確信した。しかしこれ、戦中=パンって知らない時点で読んだら、もともとパン作ってた店が和菓子屋にされたのにけっきょく戦争終わるまでパン作ってるんかい??と、意味がわからない記事と思うのだがそうでもないんだろうか。

                     

                    戦時中、和菓子屋の名前に変えさせられたケーキ屋さん 「本当に悔しかった」(4月1日 BuzzFeedNEWS)

                    https://www.buzzfeed.com/jp/kotahatachi/lala-cake?utm_term=.siegQV2EN#.ifG5g3AzB

                    「ララ洋菓子店」というケーキ屋が、静岡・三島にある。創業85年。戦前からケーキやパンを販売してきた老舗だ。
                    太宰治も足を運んだというこの店は戦時中、名前を和菓子屋「菊屋」に変えさせられたことがある。「敵国語」だったことが、その理由だった。
                    「我が国や郷土の文化と生活に親しみ、愛着をもつ」視点から、小学校の道徳教科書の「パン屋」が「和菓子屋」に変わったニュースと、どこか重なるこの話。
                    いったい、当時の日本ではどんなことが起きていたのか。そしてその店に関わる人たちは、いま何を感じているのか。
                    「今回のニュースを聞いて真っ先に思い出したのが、祖父母のやっていた洋菓子店の話でした」
                    実家であるララ洋菓子店で修行を積み、いまは神奈川県小田原市でパン屋「ポタジェララ」を営んでいる小澤ちひろさん(53)は、BuzzFeed Newsの取材にそう語る。
                    「洋菓子店を和菓子屋の名前に変えさせられる。昔はそんなことがあったのかと驚いていたのですが、今回のニュースはまさに、おばあちゃんの言っていた通りだと……」
                    小澤さんの話や資料をもとに、歴史を紐解いてみよう。
                    ララ洋菓子店は1932(昭和7)年、小澤さんの祖父である菊川義雄さんが立ち上げた店だ。
                    「誰にでも覚えやすいように」。それが、店名「ララ」の由来。
                    ・・・
                    店では、当初からケーキやパンなどを売っていた。
                      ・・・
                    ようやく店が回り始めたころ。町には、戦争の気配が近づいていた。

                    ・・・
                    憲兵に店名を変えろと言われたのも、このころだ。

                     

                    憲兵からは「ララは敵国語であるから店の名はすぐに変えるように!」ときつく言われ「菊屋」に変えました。看板のネオンは引き抜かれました。

                     

                    物資は配給制度になり、砂糖などの材料は統制品となり商売は行き詰まりました。子どもを抱えて、夫の留守中なんとか続けていきたい気持ちで悲壮な時期でした。

                     

                    「菊屋」とは、菊川さんの実家である和菓子屋の名前だ。小澤さんは言う。
                    「戦争の話になると、祖父母はいつものようにこの話をしていました。戦争から帰ってきた祖父も、店の名が変わっていたのが、本当に悔しかったんじゃないかな」
                     けっきょく、材料不足で洋菓子づくりを諦めた2人。戦争が終わるまで、パン製造に切り替えて商売を続けた。

                     

                    戦前は兵士の脚気予防や高級おやつ、戦中や戦後すぐぐらいは米が足らなかったので主食として食べられたというパン。やがて復興して米が食べれるようになってからも、アメリカが余った小麦ゴリ押ししてきた。

                    わが国の学校給食において長らく不自然なまでにパンと牛乳がねじこまれているのも、終戦直後の援助小麦と脱脂粉乳の名残りなのだろう。戦後すぐは食べるものもなかったし、日本人もまずしい食事をしていたからそれらはよい栄養となったにちがいないが、70年をへて親の趣味やアレルギーで小麦・牛乳を避けたいお子さんがたも多いであろう現代においてはあまりにも時代遅れであり、やはり軽食であるパンと違って和洋中いかなる国の料理にも合うごはんを主食とするほうが今日的でなおかつちゃんとした食事として教育の見地からもふさわしいような気がした。

                     

                    パンが「おやつ」から「食事」に変化していった時代じゃ!(ヤマザキ)

                    https://www.yamazakipan.co.jp/stylebook/world/20061221/index03.html

                    パンザ博士     その後一般市民は、第二次世界大戦後に、主食としてもパンを食べるようになった。

                    ヤマザキ君     何かきっかけがあったんですか?

                    パンザ博士     戦後の食糧難の時代に、アメリカなどから救援物資として小麦粉が配給されたんじゃ。家庭に配給された小麦粉を預かってパンに加工する「委託加工所」が登場したり、小学校で、コッペパンと脱脂粉乳の学校給食が始まった。物不足の時代、パンは日本人の食を支えてくれていたのじゃ。

                    ヤマザキ君     学校の先生に聞いたことがあります!

                    パンザ博士     そして、戦後10年が経った1955年頃からは、全国に大きなパン工場が次々と建設され、パンの生産量は一気に伸びていった。その頃の生産量は、戦前の最大年間生産量のなんと6倍以上にもなったと言われておる。

                    ヤマザキ君     そんなに作られるようになったってことは、その分パンもおいしくなったってことなんでしょうね!

                    パンザ博士     そうじゃな。1964年の東京オリンピックから高度成長期に向けて、日本人の食生活は一気に洋風化していった。それに伴って、パンがおやつとしてだけでなく食事としても食べられる習慣が広まっていったのじゃ。そしていま、日本では世界中のさまざまなパンを手軽に食べられるまでになったのじゃ。

                     

                    1955年は米が大豊作だったのになぜ全国に大きなパン工場が次々と建設され、パンの生産量が一気に伸びていったのだろうか。この年はアメリカ小麦戦略が始まったのだが、やはり戦後史の闇なのかヤマザキ製パンのサイトではその理由にはいっさいふれられていない。

                     

                    昭和36年 なくそう栄養の谷間(YouTube)

                    https://www.youtube.com/watch?v=T9w4RkLDg90

                    貧しい農村の食生活を栄養豊か(欧米化)にしようと啓発する静岡県のお宝動画。

                    「こうした栄養状態は都会ではどうでしょうか。町では当世流行のスーパーマーケット。いろいろな食料品がずらりと並び、栄養ゆたかで自分の経済にあった品物をすぐ手に入れることができます」

                    この頃の「栄養」は動物性のたんぱく質や脂肪であったと思われ、そのせいかラードやハムがうつりこんでいる。

                    別カットでもやはりサブリミナル的に映りこむラードとソーセージ。

                    「町の小学校では完全給食。めぐまれた環境の中で子ども達は明るく楽しい食事をすることができるのです」

                    パンを食べる児童。

                    「これに反して農村。とくに段々畑のつづく山村は昔と変わらない生活。村の店に置いてある干し魚などもたまにしか買いません。弁当保温器の中からわれ先に弁当箱を取り出す山の学校のお昼どきです。おかずはどれもこれも削りぶしかあるいはいもの煮つけといったものばかり。これでは発育ざかりにある子供たちがじゅうぶんな栄養をとることはできません」

                    スーパーマーケット、学校給食、パン、ラード、ソーセージ、ハムといった欧米化で動物性で栄養豊かな都会と対照的な60年代初頭の農村。その象徴としてのもの悲しい弁当や自分とこの畑でとれた大根。

                    「数年前まで県下で一番結核の多い街だった引佐町では、今婦人たちの食生活改善運動が実を結び、動物性たんぱく質、脂肪源にウサギやニワトリを飼うようになりました」

                    読みにくいがたぶん「1日1回分の米食とパン食との比較」って書いている。

                    「婦人会長内山さんの音頭取りでこの町の婦人たちはときおり集まって料理の講習会。みんなのくふうで農家むきのパン窯を利用」

                    米と比較するあたり、主食としてパンの方が栄養的に優れているという趣旨の講習なのだろう。パン業界などが米を頭悪くなるとか攻撃していた時期である。

                    「自家製パンで、1日1回パン食を実行しています」

                    この後内山さんと村の婦人たちは前述のウサギの肉でまんじゅうも作った。

                    「毎年開かれる農業祭には料理コンクールを行い、主婦たちが日ごろの腕をきそうのです。おばあさんも今では熱心な見学者。あれやこれやとお嫁さんの腕前を批評しています。中にはいちいちメモをとる勉強家もみられる盛況ぶりです」

                    農村に似つかわしくないオシャなサンドウィッチ。

                    「県でも小型キッチンカーを走らせ、山の人々に食生活の大切なことをうったえています」

                    舗装されていない山道を砂ぼこりを上げながら爆走するキッチンカー。キッチンカー事業はアメリカ小麦戦略の翌年から始まり、野菜の煮つけや漬物でごはん大量に食べる古い日本人たちに、フライパンや油を使った栄養豊かなおかずを伝えた。

                    栄養士さん「毎日の食事を作る場合にこのいろいろがかたよらないように、とりあわせればいいわけなんですね。そしてできるだけ食品の数を多くします。塩辛いお漬物でどっさりめしっていうのが一番悪い食べ方なんですね。でごはんの量は少なくしておかずをたっぷり取り入れた料理をしていただきたいと思います」

                     

                    『岡山県ニュース』栄養指導者誕生(YouTube)

                    https://www.youtube.com/watch?v=wkS7RWyWb4s

                    いっぽうこちらは岡山県のお宝動画。栄養指導車と書いてやまびこと読む・・・のか?

                    何年の動画か分からないのだが、とりあえず昭和30年代ではあるらしい。

                    キッチンカーをとりかこむご婦人がた。この光景は前述の静岡県の動画でもまったく同様である。

                    塩辛いお漬物でどっさりめしを食べていた日本人にとって、栄養士さんの作るフライパンや油を使った栄養ゆたかなおかずは当時目新しかったにちがいない。こうして日本人の食は欧米化した。

                    キッチンカー事業においては第一期として八台の「栄養指導車」(愛称:キッチンカー)が建造され、1956年(昭和31)10月に日々や応援で盛大な出発式が挙行された。その後4台が追加されて計12台となったキッチンカーは復帰前の沖縄を除く全都道府県を回り、事業が終了する1960年(昭和35)までに二万回以上の講習会を実施した。献立を決めるにあたり、アメリカ側からは「小麦粉を使った料理を最低一品は入れること」という条件が出され、途中から大豆も追加された。これは米国大豆協会がオレゴン小麦栽培者連盟に相乗りする形でこの事業に参加したことによるもので、その頃から油を使った料理が増えていった。アメリカでは植物の消費量の3分の2を大豆油が占めているのである。

                    ・・・

                    身近な食材を用いながらも、揚げたり炒めたりする調理法は多くの参加者にとってまだ目新しく、その場で試食できることも好評だった。みな講習帰りに近所の店で同じ材料を買い求めるため品切れになることも珍しくなく、あらかじめ献立を聞き出して仕入れておく店もあったという。また、大型バスを改造してステンレス張りの流しやガス台、冷蔵庫などを効率よく配置したキッチンカーは、とりわけ農村部では見たこともないような最新式の台所であり、講習会に参加した主婦たちの羨望の的となった。

                    (「パンと昭和」104〜105ページより)

                     

                    生きているパン(YouTube)

                    https://www.youtube.com/watch?v=A1hlvdq4nlA

                    こちらは先のキッチンカー動画とは違い、米および戦前の日本型食生活をディする「栄養改善」ではなく、イーストがいかにして働き生地が膨らむのかなど科学的な趣のあるパンのイメージビデオである。

                    しかしこの動画も1958とパンは頭良くなり米は馬鹿になる説が出てきた時期でもあるし、パンのステマなのだろう。

                    家庭用パン焼き器。静岡の農村で作っていたパンはこれとは違う形だが真ん中に穴が空いているのは共通している。

                    栄養改善でもパンの焼き方をやっていたし、「パンと昭和」にも載っていた。てことは配給小麦の時期にけっこう普及してパン屋やスーパーがいっぱいできるまでは家庭でパン焼くのが普通だったのかもしれない。

                    何か変な菌が優勢になってしまい納豆ばりに糸引いてるパン。気持ち悪い。


                    戦中=和菓子×パン○

                    0
                      評価:
                      甲斐 みのり
                      グラフィック社
                      ¥ 1,620
                      (2016-02-05)

                      前に「パンと昭和」って本の読書感想文書こうと思ったけど、パンの敵は米。っていう語りが長くなりすぎて収拾つかなくなったので書いてる途中で投稿した。私はそれまで見聞きしていた米派のパン批判にくわえ、美健ガイド社のマンガを読み、なぜ戦後に日本人がすごい欧米化したかを考えるうえで、GHQの陰謀に想いをはせずにはいられなかった。

                      また和菓子をルーツにあんぱんを看板とした戦前の○○屋みたいな名前の老舗パン屋のいっぽう、戦後の製パン所はそのほとんどが昭和20年代に創業していてなぜこの限られた時期に大量のパン屋が集中しているのか疑問を抱いたと同時に、そのうちの1つである山崎製パンだけがここまで巨大化したのも不思議に思っており、それらをどうやって調べたらいいのか分からずとほうにくれてたら今年2月に出たばかりのこの本に全部書いてあり昭和より前のパンの歴史も分かって助かった。よく科学技術を進歩さすのは戦争だのエロだの言われるが、日本におけるパン史もまた乾パンなど軍隊における非常食が起源で、幕末の兵糧パンにはじまり1885年には海軍にパンが導入されたという。

                      海軍は長期にわたる航海で新鮮な食材が不足し脚気にかかりやすかった。白米の食べ過ぎと原因が特定されていたのでパンが導入され、その結果脚気が姿を消したそうだがパン食は食べた気がしなかったためにやがて麦飯などが評価されるようになったそうだ。

                       

                      沿革(木村屋)

                      https://www.kimuraya-sohonten.co.jp/corp/history

                      明治10年 陸軍、パンを採用。「西南の役」用のパンを製造。

                       

                      銀座木村屋の歴史

                      http://www.ginzakimuraya.jp/history/

                      日露両国の関係が緊迫して衝突が必至な状況の中、日本陸軍はパン屋、菓子屋を集めて軍指定の大規模なビスケット工場の建設を計画した。
                      その理由は日清戦争後の義和団事件で日本兵は飯を食わなければならないが火を使って飯を炊くからその火を目がけて敵弾が降りそそぎ、多くの犠牲者を出した。
                      しかし欧米の兵士たちはビスケットと缶詰めだから火は使わない。日本軍は各国から近代戦争の基礎を知らないと嘲笑されたのが原因である。
                      日本軍の食糧政策の大転換により、真剣に戦時食糧の研究を始め、その実験にあたったのが儀四郎らが作った東洋製菓であった。この東洋製菓は日本の近代的ビスケット工業の始祖となった。そして研究の末、乾パンが完成した。むろんこの乾パンが日露戦争の食糧となったのは言うまでもない。
                      明治33年、儀四郎はこの東洋製菓で実験を重ねていた時、ビスケットの生地にジャムをはさんで焼く作業を見ているうちに、これをあんの代わりに酒種生地にしてみたらと思いつき、銀座の店で売り出したところ大変な評判となった。ジャムパンの完成である。

                       

                      また戦時中は米不足だったのでパンが米の代用食として推奨されたという。それらパンは興亜建国パンとか時局パンとかいったもので、NHKのドラマに出てきたのか検索するとキャプチャー画像や再現した人がおり、本の中でもレシピを元に再現されている。

                      これらは魚粉や海藻が入っていてあまりおいしくないようだし、前に引用した記事で戦前はイモのツルでできた真っ黒けのパンを食べていたという証言もあった。というわけで、アベ政治許さないの人々はパンが和菓子に書き換えられたのを戦中だと言っていたけど、米が不足していたしぜいたくは敵だったのでむしろ和菓子よりパンの方が戦中で富国強兵でネトウヨなうえ戦後にわたってさえなお駐留米国人向けの特製パンやケーキの委託加工製造を行い米軍GHQより朝鮮戦争戦地向けビスケット受注開始と軍需産業だった。

                       

                      節米料理(Wikipedia)

                      https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AF%80%E7%B1%B3%E6%96%99%E7%90%86

                      節米運動開始後の日中戦争期、節米料理として飯に米以外の具材を混ぜること(混食[1])や、米以外の食材を主食とすること(代用食[1])が奨励された[2]。

                      ・・・

                      代用食としては、パン、うどん、芋などが食べられた[5]。女性雑誌上ではパン類やホットケーキ、お好み焼きといった粉物が紹介された[3]。当時のグラフ誌『アサヒグラフ』でも1940年夏には節米の特集として、一般家庭の家族が楽しそうにひやむぎを食べる写真が掲載された[2]。1940年8月には読売新聞紙上に『うまくて家庭向き米飯ぬき国策料理』が掲載され、代用食としてうどん、饅頭、マカロニなどの料理が紹介された[6]。このように当時の代用食はまだ、彩りや味を考える余裕があり[6]、こうした風潮は1941年(昭和16年)頃まで続いていた[3]。

                      ・・・

                       

                      戦前戦後と「暮しの手帖」のホットケーキ(むかしの装い)

                      http://blog.livedoor.jp/mukashi_no/archives/49195130.html

                      1937(S12)年の日中戦争以降の国策料理なんてのが流行っていた時期、太平洋戦争は間近ですがまだまだ余裕があり戦争気分が盛り上がっている頃です。1938(S13)年には国家総動員法が施行され統制(国などが指導・制限すること)が始まっています。実は戦前も慢性的な米不足で海外に頼っていたのですが(貧しい層は外米を多く食べていた、戦中でもないのに雑穀や芋なども多用されていて米は御馳走の場合も多かった)、1939(S14)年の朝鮮の凶作などでさらに米が不足して節米が叫ばれ節米料理が盛んになりました。節米のために登場し推奨されたのが、小麦や雑穀を使ったものや雑炊など量を増やしてごまかす調理方法でした。

                      ・・・

                      説明に書かれているように、戦中〜占領期と注意したいのは、レシピに小麦粉と書いてあっても実際は雑穀などを混ぜた粉中心だったということです、だから戦中(後半以降)から戦後のレシピは「粉」とだけ書いてあるものもあります。戦争後半以降の粉食は普段食べないようなものを、粉にして食べやすくした結果でもあったようです、使われた粉は、脱脂大豆の粉の豆粉、高粱やトウモロコシの粉、大麦の粉、糠やふすま、野菜や芋の粉、澱粉滓の粉、などです、米や雑穀は未精製の粒のまま配給されることもあり各自が精製・製粉しました。雑穀や正体不明の粉類は変質しやすく、管理も流通もひどい時期ですから腐ったりカビが生えたり砂の混じったものもあったようで、今の雑穀入りのごはんやブラン入りのパンとはかなり違うもののはずです。粉食は戦前から節米のために奨励されましたがその頃はわりと余裕で楽しい工夫的なものもありました、しかし戦争も後半以降は芋類や南瓜や雑穀の粒と並び、各種の粉は飢えを満たすため大切な食糧となっていきます。さまざまな得体の知れないものが混ざった粉の調理方法として、蒸しパンなどパン類、麺類、すいとん、団子・まんじゅう系、お好み焼き・おやき系、それらを芋類や野菜等で増量したタイプ、など各種のお料理が婦人誌上で工夫されています、画像でその片鱗がわかるでしょうか。当時の婦人誌のお料理は、空想の料理との批判も多いですから実際はもっと厳しかったのでしょう。ともかく、白く細かく滑らかで香りのよい現在のような小麦粉は一般にはなかったので、戦後のアメリカの白く精製された高品質の小麦粉には感動もし、ありがたがったのだと思います。麦の統制撤廃は、昭和27(1952)年でした…

                       

                      また居留地の外国人や捕虜によって製パン技術が向上したという面もあり、ロシアパンなんかは日露戦争の捕虜や革命を逃れてきたロシア人によって伝わったらしい。そういえばゴンチャロフ製菓(1923)やモロゾフ(1931)など洋菓子もこの手の話が多いように思う。

                      戦後になると深刻な食糧難を重く見たGHQが1946年2月11日に小麦粉200ポンドを放出し、これを真っ白なコッペパンに加工したものが都民1人あたり2個ずつ配給された。同年に企業許可例が廃止されたことにより、誰でも鉄板二枚くらいの小さな窯で委託加工パンがはじめられるようになったとのことだ。

                       

                      見るだけでも食欲をそそる白いコッペパン(1946)

                       

                      委託加工パンは家庭に配給された粉を持って逝ってパンを焼いてもらうというシステムで、戦前からのパン屋が作っていた配給のパンよりもそっちの方がおいしかったらしい。私がなぜこんなに多いのかと長らく疑問に思っていた終戦直後大量発生した製パン所は1946年から配給が終わる1952年までのものはすべて委託加工パン業者と思われ、1948年設立の山崎製パンもやはりコッペパンやロシアパンを委託加工していたのだという。

                       

                      パンが「おやつ」から「食事」に変化していった時代じゃ!(ヤマザキ)

                      https://www.yamazakipan.co.jp/stylebook/world/20061221/index03.html

                      パンザ博士     その後一般市民は、第二次世界大戦後に、主食としてもパンを食べるようになった。

                      ヤマザキ君     何かきっかけがあったんですか?

                      パンザ博士     戦後の食糧難の時代に、アメリカなどから救援物資として小麦粉が配給されたんじゃ。家庭に配給された小麦粉を預かってパンに加工する「委託加工所」が登場したり、小学校で、コッペパンと脱脂粉乳の学校給食が始まった。物不足の時代、パンは日本人の食を支えてくれていたのじゃ。

                      ヤマザキ君     学校の先生に聞いたことがあります!

                      パンザ博士     そして、戦後10年が経った1955年頃からは、全国に大きなパン工場が次々と建設され、パンの生産量は一気に伸びていった。その頃の生産量は、戦前の最大年間生産量のなんと6倍以上にもなったと言われておる。

                      ヤマザキ君     そんなに作られるようになったってことは、その分パンもおいしくなったってことなんでしょうね!

                      パンザ博士     そうじゃな。1964年の東京オリンピックから高度成長期に向けて、日本人の食生活は一気に洋風化していった。それに伴って、パンがおやつとしてだけでなく食事としても食べられる習慣が広まっていったのじゃ。そしていま、日本では世界中のさまざまなパンを手軽に食べられるまでになったのじゃ。

                       

                      ヤマザキのロシアパンやその巨大化バージョン「大ロシア」は今でもたまに見かけるが、ヤマザキ創業者が戦前に奉公していた中村屋でロシアパンはじめとする多くのロシア料理を作っていたそうなので、ヤマザキ創業当時からロシアパンが売りだったのもそのなごりなのかもしれない。というわけで、終戦直後はGHQがパン大好きに洗脳するためってより、食糧難で輸入小麦しか食べるのがなかった(けど戦前の代用食からしたら美味)までのようである。

                      しかしその時点でパン業界がけっこう大きくなったために、復興して米が食べられるようになると、パン業界が余剰小麦を売りたいアメリカと結託し、米を食べるとお馬鹿になる。とステマしたということなのだろう。また小麦の委託加工ってパンだけでなく、もしかして今スーパーとかによく数十円で売られてる袋入りのゆでうどんやそばをおろしてる製麺所も製パン所と同じ経緯でできてるのかな?と思ったけど、検索ワードがよくないのかそれらしいのは↓以外引っかからなかった。

                       

                      ごあいさつ(羽田製麺)

                      http://www.haneda-seimen.co.jp/company/58.html

                      弊社の創業は戦後間もない食糧難の時期、政府から各家庭に配給となったメリケン粉(小麦粉)をうどんに加工しお戻しする委託加工が商売の始まりでした。その後街の食堂にうどん、そばや中華麺を卸すようになり、徐々に中華麺・ラーメンの麺の製造が増えてきました。

                       

                      製麺所で検索するとさぬきうどんのサイトがけっこう出てくるので、ふとさぬきうどんも戦後に配給小麦やアメリカ小麦戦略で盛んになった食文化のような気がしていくらか読んでみると、全体の傾向として戦前は家でうどんを打ち、戦後は製麺所もしくは製麺所から麺をしいれてる商店でうどんの玉を買ったり給食で食べたという感じで、外で食べるにしても製麺所や製麺所が麺おろしてる食堂であって、店内でうどん打ってるセルフ方式はかなり最近の物と思われる。やはり戦後すぐに小麦をうどんに加工するシステムはあったらしいが、パンとうどんの小麦の種類が違うので配給なのか自分ちの小麦かや製麺所が製パン所のように戦後急増した業種なのかどうかまではよく分からなかった。

                       

                      丸亀市土居町・昭和23年生まれの男性の証言 戦後のうどん屋はだいたい老夫婦がやっていた(さぬきうどん昭和の証言)

                      https://www.sanukiudon-mirai.jp/showa/500

                      店でうどんを打っていたんですか?


                          いやいや、打ってない。たぶん製麺所から買うてきたやつを湯でさばいてダシをかけて出していた。玉売りもやってなかったですよ。店で粉から打ってうどんを出す店なんか、聞いたこともない。だいたい、「手打ち」が脚光を浴び始めたのは1990年代にうどんブームになってからでしょう。当時のうどん屋はみんな、座って待っとったら持って来てくれるのが当たり前やったですよ。

                      ・・・

                      映画『UDON』で小学校に製麺屋さんがうどんを運んで給食で食べているシーンがありましたけど、給食でうどんは出てましたか?


                          出てましたよ。週1ではなかったけど、月に1、2回だったかな。うどん屋さんが学校にセイロでうどん玉を持って来てね、映画『UDON』と全く同じ。うどん玉にダシがかかって、天かすとカマボコが載ってたかな。あとはパン。パンとうどんですよ(笑)。何かおかずがちょっとあったかもしれんけど。昭和30年代の前半な。栄養が云々とか、誰も言いよらんかったからなあ。まあのどかな時代やったわ。

                       

                      高松市北浜町・昭和16年生まれの女性の証言 仕事はパンづくり、趣味はうどんづくり。パン工場のまかない食はうどんだった!(さぬきうどん昭和の証言)

                      https://www.sanukiudon-mirai.jp/showa/227

                      私は昭和16年生まれで北浜町出身です。実家はタバコとかお菓子とかを扱う商店でした。近くに小さい製麺所があったから、そこでちょいちょいは出来だちを買って食べていました。製麺所の名前はちょっと覚えてないなぁ。小さい製麺所だった。戦後の昭和20年代、私が小学生の頃にはそういった小さい製麺所がたくさんあったんです。お使いで買いに行った時、麺を錬って、足で踏んでいたのを見た記憶があります。蒸籠に入れて玉売りしてる。その玉を買うて帰って食べる。値段は覚えていないねぇ。家で親がうどんを打つということはなかったです。商売をしていて忙しかったからだと思います。
                      ・・・
                      でもね、亡くなった主人は昭和14年生まれで三木町の田舎の生まれだったんですけど、その主人の小さいときのお話では、製麺所に小麦を持って行って、生のおうどんに代えてもらっていたそうです。従兄弟と一緒に買いに行って、帰りに一本そっと抜いて食べよった。それがおいしかった、という話を何回も聞きました。湯がいてないのを食べてもおいしかった、楽しみだったと。貧しい時だったんやろうね。だからおうどんは、昔はおご馳走だったんとちがいますか。お祭りとか市とか、そういうときでないと食べられない。普段は質素だったんじゃないかと思います。今から考えたら何で生うどんがおいしかったんかと思うけどねぇ。戦後間もない頃だったから。

                      ・・・


                      「パンと昭和」って本の読書感想文なのに途中からうどんの話になってしまった。しかし、アメリカ小麦戦略が語られるさいの今や日本でもパンが主食として確固たる地位に。ってな前提が私の中で受け入れられなく、給食にゴリ押されたり米(日本の心)との対立をあおるためにパンばかりが標的になってるだけで、本当に主食として米をおどかしている麺類だって小麦が材料でしかも戦後の食文化なはずでいづれ配給時代やアメリカ小麦戦略下における製麺所および中国からの引揚者が始めた支那そばの屋台やソフトメンこと「スパゲッティ式めん」、喫茶店文化(モーニング、サンドイッチ、ナポリタン)などブログに書くかどうかは別として戦後の小麦食を主食軽食にかかわらず総合的に考察して逝こうと心に誓った。

                       

                      町のパン工房“定年”迎え幕 思い出の味、30日まで 横浜(6月23日 yahoo!ニュース)

                      https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170623-00018719-kana-l14

                      創業69年の横浜市中区山元町のパン・洋菓子店「マルイベーカリー・ボヌール」が今月末に閉店する。親子、兄弟で支え合い、地元に愛された町の店だった。  

                      1948年創業。当時は客から配給された小麦粉を預かって窯でパンを焼き、加工賃をもらっていたという。親子2代にわたり、誕生日ケーキを注文する客もいる。30歳で両親から店を引き継いだ2代目店主の井上龍太郎さん(65)は「うちのケーキでなければと言ってくれる。本当にありがたいこと」と話す。

                      ・・・

                       

                      たまたま検索で引っかかったのだが、典型的な配給小麦の委託加工をルーツとする町のパン屋。もう70年も経っているうえ学校給食も米飯が見直され、昔に比べるとオシャなパン屋も多いのでこの手の店は今後激減すると思われる。


                      | 1/43PAGES | >>

                      profile

                      calendar

                      S M T W T F S
                        12345
                      6789101112
                      13141516171819
                      20212223242526
                      2728293031  
                      << August 2017 >>

                      selected entries

                      categories

                      archives

                      recent comment

                      recent trackback

                      search this site.

                      links

                      others

                      mobile

                      qrcode

                      PR

                       

                       

                       

                       

                      powered

                      無料ブログ作成サービス JUGEM