本当は怖い予防接種

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    ジャパンマシニスト社
    ¥ 1,296
    (2015-01-28)

    「化血研」に立ち入り検査、無届けで毒素運搬(TBS 12月21日)
    http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2663306.html

    血液製剤などを不正に製造していたことが問題になっている製薬メーカー「化血研」が、必要な届け出をせずに致死率の高い毒素を運んでいたとして、厚生労働省が21日、立ち入り検査を行いました。影響は身近なところに及んでいます。  
    午前9時前。雨が降りしきる中、早足で歩く厚生労働省の職員。向かった先は熊本市にある製薬メーカー「化血研」の本社です。21日の検査は、化血研が2007年と今年10月のあわせて4回にわたり、必要な届け出をせずに強い毒性を持つ「ボツリヌス毒素」を運んでいたとして、感染症法に基づき行われたものです。  
    「ボツリヌス毒素」は致死率が高く、生物兵器テロにも使われる恐れがあるため、運搬には、都道府県の公安委員会への届け出が義務づけられています。  
    化血研をめぐっては、40年あまり前から国の承認とは異なる方法で血液製剤を製造していたとして、今月3日にも立ち入り検査が行われていました。製薬メーカーが1か月間に2度も立ち入り検査を受ける異例の事態。厚労省は「前例がなく、大変遺憾だ」とコメントしました。  
    私たちの生活にも影響が・・・。こちらは東京都内の小児科医院。インフルエンザの流行期を目前にして、ワクチンの接種を受ける乳幼児の姿が。厚労省は今年、国内メーカー4社に3000万本のインフルエンザワクチンの製造を依頼。このうちの850万本、3割近くが化血研製だということです。こちらの医院でも、およそ半数のインフルエンザワクチンは化血研のものを使っています。  
    「血液製剤で不正があった、承認されてないやり方で作ったということは許せないことだが、ワクチンは今のところ問題ないということなので、打っていただきたい」(田沼内科・小児科医院 田沼美昭院長)  
    化血研製のインフルエンザワクチンは、血液製剤の問題を受けて一時出荷停止になり、供給不足が懸念されていました。現在は出荷が再開されましたが、一連の問題を受けて不安の声が聞かれます。  
    「大丈夫かという不安はあるんですけど、打たなかったら打たないで、この子がインフルエンザにかかったら心配。打たざるを得ない」(予防接種受けに来た母親)  
    一方、化血研が製造するB型肝炎など3種類のワクチンは、依然、出荷がストップしていて、一部の医療機関では、接種の予約を受け付けることを中止しています。厚労省は血液製剤の問題を受けて、化血研に近く行政処分をする方針です。


    近ごろ熊本市のワクチンメーカー化血研(化学及血清療法研究所)の不祥事が、いろいろと明るみになっている。テレビでは申しわけ程度にしか報じられていないし、いやでも2ちゃんねるくらいのアングラサイトならばとスレッドを探してみても特に盛り上がってないので世間的にはあんまり関心高くないのかもしれないが、私はロハス・ほっこりの過激派がワクチンを危険視している現象に一時期興味あったのでちょっと食いついた。
    ワクチン危険論に対しては科学的見地から強く抵抗する意見も一定数存在するために、サイバー空間においては原発や化学物質のように「ニセ科学vs科学」みたいな枠組みで激しい論争になることも少なくない。で、のちに私の関心が従軍慰安婦やコギャルに移ったためにかってワクチンに興味あったことさえほとんど忘れかけていたのだが、このほど化血研がインフルエンザワクチンの3割ほどを製造していると聞きかじってオヤと思ったのである。
    というのも、ワクチン支持と否定派でもっとも意見が割れるのがインフルエンザワクチンなのだ。ワクチン危険論者の中にはいかなるワクチンも打ってはならないという派閥(←たぶんオカルトの域)もあるらしいが、この記事においては毛利子来(もうりたねき)や母里啓子(もりひろこ)、山田真、浜六郎などジャパンマシニスト社の出版物でよく名前を見る論者を対象にさせていただく。

    そんなわけで、化血研の不祥事が引き金となって再びワクチンへの興味がにわかに再燃した私はある一冊の本を手に取った。ワクチントーク全国編「新・予防接種へ行く前に」である。
    私はこの本を過去に読んだことあるんで普通ならケチって立ち読みですませるところなのだが、最新版が今年出たばかりであり、また近年人々の注目を集めている子宮頸がんワクチンの副反応についても知りたかったため「1200円もするのに字ーでかすぎんだろ」とは思いつつ買ってきた。本書はいわばジャパンマシニスト的ワクチン慎重論を網羅した、入門編ともいうべき内容である。
    ジャパンマシニストという出版社は確か、もともとワクチンと何の関係もない専門書みたいなの出してたんだけども80年代後半におけるチェルノブイリ原発事故を受けたサブカル界の反原発ブーム時に、原発に関する本を出して以来今みたいな左翼路線になったと記憶している。同社が出している子育て雑誌「ちいさい・おおきい・よわい・つよい(略称ちお)」「おそい・はやい・ひくい・たかい(略称おは)」もやはりワクチン本と執筆者は重複していて、ワクチン特集もたびたび組まれている。

    まづ普通の人はこういう本を読んだことなくみじんの疑問も感じずに予防接種を受けた人生なので、何がロハスな左翼をワクチン懐疑にかりたてるのかという点から説明しておきたい。問題となっているのはワクチンの副反応である。
    ここ最近、子宮頸がんワクチン接種によって体がおかしくなってしまい、まともな学校生活を送れなくなった少女の映像を多くの方がニュースでごらんになったことかと思う。あれが副反応かどうかは現時点でまだ疑われている段階なのだが、ワクチン接種によって免疫を得るどころか逆に重篤な症状の出る危険性というのはつねにつきまとっているのだ。
    一種の薬害ではあるのだが、それでも感染症予防の見地からある程度副反応が出てしまうのはしかたなく、もし何かあった場合は厚生労働省が補償する運びになろう。たとえばロハスな奥さんが副反応を恐れ子供の予防接種を拒否した場合、その子供が感染源となり大流行〜・・・ってなことにもなりかねないために、副反応のリスクは救済制度でカバーしてとりあえずは集団生活のマナーとして打っとけや。ということになるのである。
    しかしジャパンマシニスト軍団は「ちいさい・おおきい・よわい・つよい」「おそい・はやい・ひくい・たかい」という雑誌タイトルからもうかがえるように、子供たちはひとりひとりが違う。体の小さい子もいれば強い子もいる。子どもの体や家庭環境など個別にワクチンが必要かどうかを判断するべきであり、見さかいなく打つのは製薬会社のもうけのためでしかないと世にうったえているのである。
    そして、はしか(麻疹)や破傷風などごく一部のワクチンをのぞいて不必要という結論に達しているらしく、その根拠に子供のころになるだけ感染症にかかったほうがよいという考え方がある。ワクチンのような有害な人工物で得られる免疫はモグリで何年かすると効果が消えるけど、本物の感染症で身につけた免疫はプライスレスだというわけである。ウイルスや菌は天然の恵みであり、共生していくべきだということなのだが、最近スピリチュアル奥さんのあいだで「感染パーティー」というのが静かなブームになっていて、水ぼうそうなど何らかの感染症に罹患した子供のウイルスをわざわざ自分の子供に移させることもあると聞く。
    でも私的に言うとウソではないんだろうと思うのだ、天然の免疫ガチ説もインフルエンザワクチン効かない説も。ただ、どうするんだろう、それ感染して死んだり後遺症、残ったりとかした場合。
    感染症のリスクはゼロにはできないのだから、元気で生きられるはずだった人がワクチンで死んだというよりは病気で死んだほうが自然の摂理には適っている。しかしワクチンの副反応だったんなら厚労省とか製薬メーカーとかに怒りのぶつけ先があるけど、自分のお子さんが感染症で命の危険にさらされてなお「人類はウイルスと共生していかなくてはならないのだから、こればっかりはしょうがないよネ」で、あきらめつくか?ワクチンうっときゃこんなことにはならなかったのに。とは、思わないのだろうか?
    また本書ではたいてい感染症の被害が少なくなった原因として衛生面の向上が上げられていて、ワクチンの効果ではないことをほのめかしているのだが、でも感染症がなくなったらガチの免疫やブースター効果が得られないんじゃないんだったっけ。と、けっきょく感染症は流行したほうがいいのか良くないのかよく分からなかった。子供はいかなる感染症に罹患しても、ガチの免疫を身につけて回復できる、それならばいいのだが・・・?
    ただワクチンにはリスクがつきものであるからして、打つ人もその負の情報を知っておいて損はなかろう。ましてリスクを周知する行為を「騒いでいる」「危険を煽っている」などと言う向きには反対である。
    というわけで「予防接種へ行く前に」の内容を下に要約しておくが、病気によって執筆者がバラバラなのでこれらの見解はひとつの目安として参考にしていただきたい。

    4種混合(ジフテリア・百日ぜき・破傷風・ポリオ)
    2012年11月にスタートしたばかりで効果や副作用は不明。
    ジフテリア
    ジフテリア菌による病気。1980年代からは0〜1人で珍しい病気となった。感染しても症状が出ない人が多い。現在は抗生物質でも治療法もあるので昔とちがっておそれる必要はない。
    百日ぜき
    長期間にわたってせきが続く。長らく子供の病気だったにもかかわらず近年成人の患者が多いのは、ワクチンの効果が長く続かないからか?ときおり流行があり1歳未満の赤ちゃんは症状が重くなる可能性が高いが、初期には抗生物質で治療できる。1歳以上の子供の一律接種に疑問。
    破傷風
    破傷風菌という嫌気性(空気に触れると死ぬ)菌で人から人にうつることはない。患者の9割は40歳以上で男性が過半数で死亡は2002年以降1けた。幼子が菌に触れる可能性は低いが、発症した時の重症度が高いため基礎免疫をつけておくのはひとつの考え方。感染の危険のある土木工事の仕事につくとき接種するという判断もできる。
    ポリオ
    小児まひ。ハエやゴキブリがウイルスを媒介する。1950年代には多いときで年間5000人の流行があったが、1980年を最後に自然感染はなく、むしろ生ワクチンが感染源となった。ウイルス常在国は3国のみとなっており、長期滞在があればそのとき予防接種するという判断もできる。

    BCG(結核)
    結核菌による感染。1950年ごろは1年に10万人もの人が死亡していた。現在の患者数は年間2万人、死亡者は2000〜3000人でその大半が70歳以上。結核が流行していた時代に自然感染し、高齢になって抵抗力が落ちたときに菌が暴れ出して発症しているために高齢者がいる限り死亡者は出続ける。子供の結核は父母や祖父母からの家族内感染なのでまわりの大人が予防するべき。BCGは「血行性結核」(結核菌が血の流れに乗って全身や脳に広がる)には効果あるけど肺結核には効果が認められていない。月齢の低い乳児に重篤な副作用が出ることもある。

    MR(麻しん・風しん)
    2種混合になったのは2006年から。もともと別のワクチンで麻しんは幼児期の、風しんは中2女子を対象とした定期接種だった。今では単独接種をする医療機関を見つけるのは困難。
    麻しん
    年間患者数は200〜300人。かってはほとんどの子供がかかっていたが今はまれな病気で、亡くなる人は戦後大人も子供も劇的に少なくなった。今の子育て世代はワクチンで免疫を得ているがその効果が長く続かず、本物の病気に触れる機会もなかったために、母親から赤ちゃんに十分な免疫を手渡すことができなくなっている。2007年に首都圏で麻しんが大流行したとマスコミが大きく報じたが、この年の患者数はことさら多いわけではなく(←管理人注・何人かは書いてない)、感染者が脳症を起こしたとか死亡したという話は聞かれなかった。
    風しん
    乳幼児がかかると風邪と同じように軽いが、年長児がかかると熱が高かったり発疹が多く出る。しかし「3日ばしか」と言われるように3日もすれば治る。子供に予防接種をして不完全なワクチンで流行を小さくしていると、免疫をもたないひとが増えかえって大人になって苦しむことになる。妊婦が感染すると胎児にも感染して障害が出るため、かっては女子中学生を対象に定期接種が行われた。先天性風しん症候群は流行の大きい年で10人程度だが、近年44人もの風しん症候群の赤ちゃんが生まれたため検証が必要。自然感染したおぼえのない女性は妊娠に備えて接種を考えてもよい。

    日本脳炎
    蚊が媒介するウイルス感染症で、人から人には感染しない。第二次大戦後の混乱期には数千人規模の発症を繰り返していたが、1960年代後半から激減。10歳になると非接種群でも8割が自然感染により抗体を保有しているいっぽう、ADEM(急性散在性脳脊髄炎)をふくむ重篤な副反応が毎年数人に起きており、「受けないほうがずっと安全」である。

    ヒブ
    常在菌なのでほとんどの子供はいつの間にか感染して発症しても軽くすみ、5歳以上の子供のほとんどに抗体ができる。ヒブと肺炎球菌ワクチンの同時接種での死亡者が出ており、その原因はわからない。

    肺炎球菌
    肺炎球菌は気道の常在菌で、保菌していても必ず症状が出るわけではない。常在菌ゆえに撲滅は期待できず、ウイルスで抑えると新たな菌が入りこんでくることもある。原因菌との区別ができないために副反応の原因の判定も難しい。常在菌は排除すべきでないのではないか。

    子宮頸がん
    性交渉のある女性の8割は生涯のうちで一度はハイリスクのヒトパピローマウイルス(HPV)に感染した可能性があるが、ほとんどの場合免疫機能でウイルスは排除される。子宮頸がんは他のがんに比べ進み具合が分かりやすく検診で見つけやすい。ワクチンを接種すれば20年くらい効果が持続するが、結局接種をしても検診が必要であり検診だけでも予防できるのではないか。検診率の低さこそ問題であり、婦人科に抵抗がないよう性に関してもフランクに話し合える親子関係が必要。

    水ぼうそう
    2014年10月より定期接種に入った。もともとワクチンは重い病気を抱えている子供のために開発されており、それ以外の子供にとっては症状も軽いポピュラーな病気。重症化は10万人あたり約1例で、小児の重症化は年間10人程度。接種を受けても20%はのちに感染することから、自然感染の方が強力な免疫ができる。安全性の高いワクチンと言われているが、2013年4月〜12月のあいだに重篤として報告された副反応は15名。

    ロタ
    3歳くらいまでにかかるお腹の風邪のひとつ。世界では劣悪な環境の中このワクチンを必要とする地域も多いが、今の日本で感染性胃腸炎で亡くなることはまれであり、ここ30年で症状自体も軽くすむことが多くなった。ロタウイルスワクチンの効果があるとしても、ロタウイルス胃腸炎自体が水分と食事に気を配ることで自然に治ってしまう。この程度の病気にワクチンが必要か?

    インフルエンザ
    かぜの一種。小児の脳炎と高齢者の肺炎が重症化しやすい。だが小児についても高齢者についてもワクチンの有効性は評価にたえない。インフルエンザの1年はヒトの百万年といわれるほどウイルスの抗原変異が早く、その年に流行する型に合わせたワクチンを作ることは容易ではない。10代までと高齢者に重篤な副反応の報告。ワクチン接種で死亡した数のほうが病気による死亡より多かったこともある。

    おたふくかぜ
    患者の9割が9歳までの子供で乳幼児の症状は軽い。思春期以降の男子がおたふくかぜを発症すると睾丸が腫れ、無精子症になるという説もあるが、因果関係はないという報告もある。おたふくかぜワクチンが含まれていたMMRは日本の予防接種史上最悪のワクチンで1989〜1993年に接種された180万人のうち1754人、1000人に1人に髄膜炎が発生。その他死亡や難聴などの被害が出た。無菌性髄膜炎の原因となったのがおたふくかぜワクチン。自然にかかって髄膜炎や難聴になることはまったくないとはいえないが、接種の副作用のようにショックが起こることはない。自然感染の機会を減らすことはない。

    B型肝炎
    完全経路は母子間の垂直感染か、性行為を通じての水平感染。大人になってから完治すれば抗体ができて二度と感染しなくなるが問題は母子感染で、幼い頃に感染すると多くがキャリア(持続感染者)になり大人になって肝硬変や肝がんに移行することがある。発症しなくてもウイルスを持ち続けるので、次世代もしくは性行為によって感染させることがある。1985年からB型肝炎ウイルス(HBV)の抗原が陽性の母親から生まれた赤ちゃんにワクチン接種を実施しているが、B型肝炎ウイルスをもたない母親から生まれた赤ちゃんにはまったく不要。ところが近年ではすべての乳幼児に接種すべきという声が高まっている。すべての乳幼児への接種をすすめている国は、幼い頃の割礼や刺青による感染など別の理由があるため日本とは状況がまったく違う。

    資料収集

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      リサイクルショップでギャルや韓国に関する本を買ってきた。

      少女時代写真集だけが400円で、あとは100円。
      写真集は見てのとうり少し小さいサイズだったために「400円もするのか・・・」と、いっしゅん購入をためらったのだが、定価を見ると2800円だったのでまぁいいかと結局買ってきた。中身はネットでほとんど見たことある画像だった。

      ベタvsメタ

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        マキタスポーツってお笑いを知ってる?
        私はあまり詳しくないのだが、尾崎豊の代表曲である「15の夜」のアンサーソングを歌っているのを以前ラジオで聞いたことがある。そのマキタスポーツ氏が本名の槙田雄司名義で論じたのが、この「一億総ツッコミ時代」だ。
        一億総ツッコミ時代とは何か。槙田氏によれば、芸人でもない一般人のノリにバラエティ臭がはびこり、ちょっとでも失敗すれば「あいつ、サムイ」「そこはツッコまないと」「今スベリました?」「オチは?」などと容赦ないツッコミが入る状況なのだと言う。
        特に槙田氏が言及しているのは、「今噛んだ」というツッコミだ。要するに、言い間違えたり舌がもつれたりしたときに、それを指摘することでおもしろい空気にしようというちょっとした演出である。
        しかし、これまで笑いの対象にはなりえなかった噛みまでもがツッコミの対象になる点に象徴されるように、ツッコミ文化が加速し「人々は自らがツッコミを入れる相手を虎視眈々と探すようになってい」(33ページ)った、こうした小さな失敗も見逃さない空気が現代社会の息苦しさを形成しているのだと、槙田氏は警鐘を鳴らす。
        槙田氏によれば、このツッコミを使い始めたのはダウンタウンの松っちゃんとのことである。
         

        人々がこのようなコミュニケーションツールとしてのツッコミのスキルを身につけたのは何がきっかけだったのでしょうか。私はやはり90年代のダウンタウン台頭以降だと考えます。浜田さんの「なんでやねん!」は衝撃的でした。そして最初は浜田さんの「なんでやねん!」を真似しているだけだった人たちが、徐々に松本さんを含めたダウンタウンの目線を装備するようになっていったのです。(37ページ)

        「噛む」というちょっとしたミスを笑いにつなげるという発明をしたのは、私の記憶によれば、やはりダウンタウンだったと思います。それ以前は多少ミスをしたとしても、そこを笑いの対象にはしなかった。
        ・・・
        噛むというちょっとしたミスに対して、ツッコミ、いわば非難が生まれる。この構造はテレビという枠を超え、一般の人たちにも見られるようになりました。ちょっとした失敗は見過ごそう、もう一度やり直そう。そんな空気感はそこにはありません。これはたいへん息苦しい。そんな息苦しさが、バラエティ番組の枠を超え、いまや日本の社会全体に蔓延してしまっています。(39ページ)

        ボケに対してのお笑いツールであったツッコミが、なぜこれほど他罰的な武器と化してしまったのでしょうか。改めて、考えてみたいと思います。
        日常で起きた腹の立つ出来事をネタにして笑いをとっているのを見たことがあると思います。キレて笑いをとる「キレ芸」です。
        「キレ芸」の始祖は松本人志でしょう。いらだちのあまりイーッとなった後、「僕は○○が許せないんですよ!」といったフレーズで笑いを取る。(47ページ)


        これだけ読むと松ちゃん批判のようにも思えるけども、厳密に言うとそんな松本人志しか使いこなせないような特殊ツッコミが一般人にまで浸透した「プチ松本人志化」(49ページ)を現代社会の息苦しさと関連づけているということだろう。
        しかし私はちょっとこのへんの見解からして、あまりピンとこなかった。まず一般人ってそんなに松ちゃんに影響受けてるかなー。って実感がないのと、ボケのはずの松ちゃんがツッコミにされている点にも違和感がある。
        私も20年くらい前はダウンタウンの番組を見ていたが、当時はまだ尼崎の悪ガキってな雰囲気も残っており、2人して大物相手にも食ってかかるようなところがおもしろかった。それもやがてダウンタウンそのものが大物になってくることで、変質した部分があったのかもしれない。
        噛んだ、キレ芸、ってのはもしかすると、近年共演の多くなった後輩相手、それこそ本書にも出てくる千原ジュニアなどに対してやってる笑いじゃないんだろうか。それでもやっぱり松ちゃんがするとしたらボケの範疇は超えない限りのシュールなツッコミであって、それに対して頭をシバくなり、誰か他に進行役(真のツッコミ)がないと成立しない役回りだと思うのだが。
        またこういうお笑い的な演出と、ネットの炎上のような非難までもが一緒くたに「ツッコミ」とされていたり、自己啓発のような私からするとボケ(変なノリ)としか思えないものまでツッコミにされているので、だんだんボケとツッコミの定義って何なんだろうという気にもなってくる。
        著者は「ベタ」「メタ」という言葉を用いて、ボケとツッコミを以下のように説明している。
         

        「メタ」という言葉はご存知でしょうか。客観的に、俯瞰的に、ものごとを「引いて」見ること。それを「メタ」と言います。
        日本人の最近の傾向としてメタ的な人が多すぎると思います。何ごとにも首を深く突っ込まず、冷静に事態を眺めている。引いちゃっているというわけです。

        一方で「ベタ」というのは、客観的にものごとを眺めるのではなくて、どんどん行動に移して人生を楽しむ姿勢です。正月に餅をつく。夏は海で泳ぐ。誕生日を祝う。クリスマスはイルミネーションを観に行く。なんとも「ベタ」じゃありませんか。結婚をする。子どもの写真を携帯の待ち受けにする。なんとも「ベタ」じゃありませんか!でもそのほうが絶対「面白い」。(11ページ)


        私はこの「ベタ」「メタ」という言葉を、サブカル系の文献で数回見たことがある。おそらく「ファスト風土」みたいな、サブカル野郎のあいだでだけ通じる言葉だろう。
        韻を踏んでいるのか「ベタ」「メタ」に加えて、「ネタ」の3点セットで使われていることもあるようだ。

        ネタ・ベタ・メタという言葉(BIGLOBEなんでも相談室)
        http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa1923068.html  


        私は槙田氏のベタ・メタ論を読んだとき、なぜこれまで正月に餅をついたり、誕生日を祝うのを「面白くない」と感じていたのかが気になったのだが、世代的には1970年生まれ(オリーブ少女世代)ということで、そういうベタなものをクサいダサイと茶化しサブカルやリセエンヌ気取っていた80年代の価値観に毒されていたところもある気がする。ていうか基本的にメタ目線のツッコミって、ダウンタウンよりはむしろビートたけし世代の傾向じゃないだろうか。
        私はふと香山リカ著「ぷちナショナリズム症候群」を思い出した。ベタ・メタという言葉こそ使われていなかった(と思う)けども、この本と逆で、日本大好き!っていうベタ(若者のソフトな愛国心=ぷちナショ)に対し、「なーんちゃって」と自らを相対化するメタ目線を獲得せよ、というメッセージが込められていたのだ。
        私はこれを読んだとき、かなりの違和感をおぼえた。なんで日本人が日本大好きだと言うのに「なーんちゃって」などとおどけなくてはいけないのか?と・・
        そういう意味では槙田氏の提言に同意するところもあるけども、著者が身を置くお笑いという世界でいえば「文句を言う客が買う」ということわざもあるように(あるか?)若い世代があまりテレビを見ないこのご時世に、 ツッコんでくれるだけ人気者ということでけして悪いことではないんじゃないんだろうか。もちろんよほどの誹謗中傷は別として。
        また私はツッコミ過多どころか、むしろ変なノリ(ボケ)が蔓延していながら誰も突っ込まない現状に何よりの息苦しさを感じてしまうのだった。もっとツッコミをおくれ〜。

        江戸時代はエコ時代

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          私は長年、江戸を持てはやす奴の大半は左翼なロハス野郎で憲法9条のステマと決めつけていたのだが、先日読んだ「江戸しぐさの正体」にて、江戸しぐさと安倍政権の関係が強く示唆されているのを見て、ちょっと頭が混乱してきた。
          しかもこの本の影響があるのかどうか知らないが、江戸が好き=右翼(歪んだ愛国者)すなわち嘘っぱちの歴史をでっち上げることで「日本人ってやっぱりどこかの国とは違って民度が高くて素晴らしい♪」と、ウリナラマンセーしている悲しきネトウヨっていうイメージさえ形成されつつあるような気もする。
          しかし実際には、偏狭なナショナリズムどころか外国の人を除け者にせずに新しい物を取り入れる、今でいう「多文化共生」が江戸しぐさらしいし、また安倍晋三個人に江戸を好きになる要素が見いだせないこともあって、このオカルトを安倍や愛国心と結びつけるのは慎重に行きたいと思っておる。
          何しろ「江戸しぐさの正体」の中(下画像)で、江戸しぐさの著者が安倍氏をディスる場面も紹介されているくらいで、これについて同書では「反骨の精神が権力に都合がいい物となる皮肉」としている。


          「江戸しぐさの正体」156ページより

          どうも江戸しぐさの発案者である芝三光(しばみつあきら)なる人物が戦前の軍国主義的風潮を嫌っており、その心情が江戸への回帰に導いた、ということだそうだ。
          ここまでは左翼が江戸を推す典型的パターンであるのに、何がどうなって江戸しぐさ=右翼になってしまったのか。まあ右翼を「愛国」ではなく左翼=共産主義に対する「資本主義」ってな解釈すれば、商人の心得がオカルト経営者の変なノリ経由で自民党に行ったんじゃないかとも考えられるが。
          そして私は江戸しぐさの本を読んだのをきっかけに、半年くらい前にブックオフで買った石川英輔著「大江戸リサイクル事情」(1994年)を引っぱり出してきた。
          石川英輔の名前を知ったのは「スローライフ100のキーワード」っていう左翼の本で田中優子と並んでイチオシされていたからなのだが、杉浦日向子のあとにNHK「お江戸でござる」で江戸文化の解説もしていたことをふまえると、そのスジでは名の知れたスペシャリストなのは間違いない。しかし石川氏は専門的知識を有していながら、2007年にNPO江戸しぐさの設立記念交流会にて「『江戸しぐさ』は資料に乏しいが、江戸のよさをよく体現しているので応援したい」(「江戸しぐさの正体」113ページ)と述べ、あろうことか江戸しぐさを応援していたのだという。
          「大江戸リサイクル事情」も江戸におけるリサイクル業の奥深さを感じられておもしろかったのだが、それと対をなす欧米の文明やそれに毒されて江戸を遅れた時代と見なす日本をディスりまくるあたり、史実を通り越してまで江戸を絶賛するのは分からないでもない。石川氏本人が憲法9条とか好きかどうかは知らないけども、彼の一連の主張がロハス野郎に与えた影響は少なくないだろう。

          否定された江戸しぐさ

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            最近嫌韓本がブームってことで書店に立ち読みしに行ったのだが、けっきょく買って帰ったのは全く韓国と関係のない「江戸しぐさの正体」。公共広告機構のCMでも紹介された江戸の粋なマナー「江戸しぐさ」がいかに嘘っぱちかを論じたこの本は、先月末に出たばかりのようだ。
            今年に入って江戸の風俗に興味を抱き始めた私がブックオフとかで適当に買い集めた本の中にも、お子様向けと思われる越川禮子監修「マンガ版江戸しぐさ入門」(2007年)があった。
            江戸を論じた本には、淡々とした記述の中に江戸の魅力が伝わってくるものと、いっぽうで現代社会をディスるために江戸をもてはやすものがあるが、「江戸しぐさ入門」は後者の中でもかなり強烈な部類だ。良いことを言っているようで、実際は何が言いたいのかよく分からなく、その読後感は新興宗教のラジオやCMに接した時の気持ち悪さに通ずるものがある。
            例えば公共広告機構のCMで引用された「こぶし腰浮かせ」は、腰をやや浮かせて席を詰めるマナーらしい。
             

            渡し舟での江戸しぐさです
            客はそれぞれ自由に乗っています
            「舟が出るぞ〜いっ」
            「待ってくれェー!」
            「乗せてくれェー!」
            ・・・
            客たちは自主的に座り方を変えます
            握りこぶしひとつ分腰を浮かせてやるのです
            「すみませんお侍さん ちょっと腰浮かせてもらいますか!」
            「あい分かった!」
            ・・・
            人に言われてからやるのはいなかっぺいとされました
            現代はどうかな?
            江戸時代は船が主な交通手段だったんじゃ。
            現代はそれが電車やバスに変わった。
            現代にこぶし子腰浮かせは生きているのかな?
            (今しぐさ・・・電車の座席で思い思いに新聞を広げたり荷物を置いて眠りこける悪しき現代人の図)
            なげかわしいのー。そんな世の中になってしまったのか。
            それじゃあ身もフタもないなー。
            他にもあるよねー。
            お年寄りや妊婦さんがいても知らんぷり。
            ・・・
            江戸時代とはエライ違いだナァ。
            江戸時代はみんな譲り合って仲良く暮らしていたんだよ。
            (「江戸しぐさ入門」66,67ページ)


            マンガなので文字だけ抽出すると分かりにくいかもしれんが、この本のエピソードは基本的に、ご隠居とかいう狂言まわしが粋な江戸しぐさを解説(今ひとつ意味の分からないマンガ)からの「今しぐさ」でお互いに関心を払わない人間や「っていうかァ」などと若者言葉を使う服装の乱れたDQNをものすごくステレオタイプの悪に描いて現代社会を嘆き、最後に「江戸を参考にしないといけないね」「江戸っ子の粋を身に着けたいね」「江戸しぐさの信頼の心を取り戻したいね」ねっ!ねっ!と、江戸しぐさのすばらしさを読者のお子様方にゴリ押すパターンが主である。
            で、この「こぶし腰浮かせ」に関して「江戸しぐさの正体」の中では、江戸の渡し舟には座席がなく、馬や荷物と一緒に船の底板にしゃがむように座っていたことをふまえて、腰を浮かせて席を詰めるのは現代のバスや電車のような長い座席ゆえの発想だと指摘されている。
            また「江戸しぐさ入門」で狭い道を傘同士がすれ違う時に傘を傾けてスムーズに通行するマナーとして描かれている「傘かしげ」も、江戸は和傘がそれほど普及していなかったうえに、すれ違う時は傘を傾けるよりもすぼめたほうが自然だったとのことだ。
            私含め普通の人は渡し舟に座席がないとか、和傘の使い方などの知識を知るよしもないと思うが、「江戸しぐさの正体」でたびたび引用されている越川禮子著『商人道「江戸しぐさ」の知恵袋』の内容にいたっては江戸の民が野菜スープ、トマト、チョコパン、バナナなどを食べていたというから、その歴史観は韓流ドラマばりの荒唐無稽さであろう。
            「江戸しぐさ入門」によるともともと「江戸しぐさは商人によって編み出された知恵」(59ページ)が、やがて商人道を超えて見様見まねで江戸の人々に広くいきわたったとのことで、道徳授業とか経営教育コンサルタントとか書いてるのも見ると、これはよくある左翼のロハスな江戸礼賛ではなく、ありがとう教(水からの伝言)とか素手トイレ掃除みたいな、一部教師や経営者に浸食している変なノリの自己啓発かと思われた。
            斎藤貴男(かなりの左翼)言うところの「カルト資本主義」であり、「江戸しぐさの正体」も明らかにそれに似た視点で安倍政権など保守勢力との関係を示唆している。オカルト教育の抑止力、すなわち著者言うところの「トンデモのフィルター」を日教組や市民団体に求めるのは、江戸しぐさをカルト資本主義の一種と位置づけていることに由来しているのだろうけども、安倍晋三個人は多くの江戸礼賛者と違って親米だろうし、江戸時代を好きになる理由も特に思いつかない。
            むしろ私はこれを読むことで、やっぱり江戸しぐさって左翼じゃないのか?とも思えてきたのだ。
            というのも、布教者である越川禮子氏が江戸しぐさ以外で取り扱っていたテーマがインドでヨガの聖地とか、公民権運動、ネイティブアメリカン、アイヌ、など相当に左っぽい(ニューエイジ、カウンターカルチャー)趣なのである。しかも江戸しぐさが途絶えた原因を「江戸っ子狩り」としており、その迫害の歴史を先住民になぞらえているというのだ。
            151ページでは安倍首相が「戦後レジームからの脱却!」「憲法改正!」と言っている横で、越川氏など著者が「オヤ?あんたまだ長州藩ナノ?」「日本を戦争の出来る国にしないで!」と憲法9条風味の意見を物申している江戸しぐさのマンガも掲載されているし、江戸文化の専門家である田中優子氏(かなりの左翼)が江戸しぐさを応援していた事実も指摘されている。
            また江戸しぐさは「外国人など異文化の人も受け入れなくてはいけない」と、多文化共生も志向しているらしい。
            左翼は欧米勢力が牛耳る資本主義のオルタナティブ(平和でエコ&エロな懐かしい未来)として、右翼は日本の伝統リスペクトとして、いずれも江戸時代が素晴らしい理想社会ということには何の疑いも持たないことがある。武士を讃えるのは右翼、吉原や夜這いなど野蛮な文化は左翼・・・ってな違いがみられるけども、商人の精神ってのはこれという位置づけが定まっていなさそうだ。

            昭和50年代の洗髪事情

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              結婚と愛を見つける雑誌ai(アイ)1977年6月号より

              リンスの必要性は“なんとなく”が多いのよ。

              生まれてはじめてリンスをしたとき、リンスはシャンプーみたいに泡立つものだと思っていた。いくらマッサージしても泡立たないのでてっきり不良品だと思い込み、店へ文句を言いに行こうとした

              リンスの効果について前に恋人からいろいろ聞かされたけど、僕はその気にならないなあ。気休めなんじゃないの」なんて、見かけによらず認識不足ね。そんなことないのヨ。

              洗髪もあまりしないけど、みっともないから週3回と書いといてくださいよ

              やや太めで、ロングヘアがちょっとむさくるしい感じ。でも洗髪は週3〜4回とまめなのだ。

              「週2回はふろ屋で、あとは月に1回トルコへ行くから、そこで。頼むと洗ってくれますョ。ていねいに」
              女の子とシャンプーにまつわるエピソードは?の質問に、トルコでのタワシ洗いの感触が忘れられない、との答え。
              何かしらね、タワシ洗いって・・・ユニークな人。

              花王 中森明菜 S58年春頃 CM(YouTube)
              https://www.youtube.com/watch?v=KTnruW5Zrm0

              「信じられる?ティーンの2人に1人は、毎日シャンプーしてるって」

              昭和の主要なシャンプーブランドといえば、花王「フェザー」(1955年)ライオン「エメロン」(1965年)資生堂「バスボン」(1974年)あたりか。「フェザー」は現在も「エッセンシャル」として生きながらえている。
              おそらく戦前には普通の白い石鹸で洗っていたのが高度経済成長期あたりから粉末シャンプーが出てきて、やがて今のようなクリーム状になり、70年代にはリンスも使え!ってな空気になってきた。当時のリンスはトリートメントと違い、お湯に溶かしてゆすぐという使い方であったようだ。
              アイドル時代の中森明菜が言っているように約30年前の時点では、オシャレに敏感なティーンでさえ2人に1人しか毎日シャンプーしていないのだから、平均的には週1、2回ってとこだったんだろう。
              そのくせヘアリキッドやらポマードやらチックやらと今よりキツい整髪料つけていたんだから、その臭さと汚さは想像にあまりある。しかしいっぽうで本来はそんなに洗わなくてよかったはずの髪も、化粧品会社が「毎日シャンプーしないと不潔である」と、きれい好きの日本人を洗脳した部分も大きいのではなかろうか?

              拾い物

              国産シャンプーの草分け「フェザー」の粉末時代。1950年代か?
              当時のピチピチギャルが、今どきシャンプー使わない男なんて遅れてるんだよ!とでも言いたげな広告。

              1977年。「ペアでつかうと、しなやかいっぱい」と、当時のピチピチギャル(山口百恵)がリンスの必要性をアピール。

              ピチピチギャル2人連れが、しなやか!しなやか!とリンスの習慣をゴリ押し。

              「今、2人に1人の割合でトリートメントが使われています」と、「ティーンの2人に1人は毎日シャンプーしてるって!」(by中森明菜)と全く同じ手法で、需要をでっち上げるためにトリートメント使わない奴が遅れているかのように誘導。
              シャンプー使わないとヤバイ。リンス使わないとヤバイ。トリートメント使わないとヤバイ。毎日シャンプーしないとヤバイ。・・・とエスカレートしたあげく、80年代後半には「朝シャン」の習慣が何者かによってゴリ押されている。

              未婚の母

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                モデル・安井レイ、妊娠報告 未婚の母に(朝日新聞デジタル 8月16日)
                http://www.asahi.com/and_w/interest/entertainment/CORI2041054.html?iref=comtop_list_andw_f01


                「JELLY」誌のモデル、安井レイが妊娠を発表した。この人はたびたび同誌の単独表紙にもなっている看板モデルで、私が持っている8月号もやはり安井レイが表紙を飾っている。
                最近にわかにギャルについて興味を抱いている私だが、その前から安井レイは可愛いと思って目をつけており、どっかでこの人が彼氏のことを話している記事か何かを見たこともあった。子供はやはりその彼氏との間にできたようである。
                驚くべきは、交際が6年にわたっているにもかかわらず結婚しないということだ。安井氏が21歳ということを考えると、相手もまだ若いから・・・ということも考えられなくはないが、しかしいくらなんでも学生ではないだろうし、その真相はなぞに包まれている。
                さらに妊娠7か月というのだから、もっと驚いた。8月号では季節柄、ヘソ出しているし、ビキニ着てるし、あいかわらずガリガリお腹ペッタンコで、これを見たらまさか誰も妊婦だと思わないだろうよ。

                まぁどのような事情があれとにかく安井氏には元気なお子さんを生んでいただくとして、それよりこのニュースの「未婚の母」ってフレーズに奥さま全盛期である昭和40〜50年代のワイドショーを感じてしまうのは私だけだろうか。
                この言葉には「シングルマザー」という今風の味気ない横文字とは違い、誰が父親かも分からない子供なんてフシダラな女。という旧モラル側の差別的なニュアンスと同時に、男や結婚制度に依存しない、自立した女性像としてもてはやすウーマンリブ世代の羨望も含まれているように感ずる。どっちにせよスキャンダラスで仰々しい響きに、私は以前から違和感を抱いていた。
                とくに加藤登紀子という左翼の歌手が若い頃、政治犯か何かで逮捕されていた恋人とのあいだに子供ができたことを知ったとき、未婚の母になる決意もした。とかいう話をたびたびテレビでしているのだが、そういうのを見ると「この世代って、未婚の母が格好良かったんだろうな〜」と、引いてみてしまう。
                結局、加藤登紀子は夫が逮捕されているあいだに婚姻届けを出したらしいのだが、それもまた獄中結婚っとドラマチックにたたみかけるのがよりいっそうの萎えポイントだ。特に私は学生運動や加藤登紀子一家の政治思想(有機野菜とか反原発で有名)に疑問を抱いているため、違和感はなおさらである。
                できちゃった結婚をしたり、離婚をしてシングルマザーになることは、今じゃ特別ありふれた話ではない。もちろんそういう男女を計画性がないとして批判する人もあろうが、昔はもっと風当たりが厳しかったんだろうと思う。
                藤圭子が自殺したさい、宇多田の親父と同棲していたのを「同棲なんておかしなことはやめなさい」ってな感じで、レポーターからやけに上から目線で説教されている映像が流れていたが、ほんの30何年か前まで同棲ごときでそこまで言われていたという時代背景があったのだから、奥さま以外の生き方がいい意味でも悪い意味でも特別視されるのは、いたしかたなかったのかもしれない。
                左翼方面に影響された40〜60代の女性に、未婚や離婚をステイタスと見ているようなノリがあるんじゃないかといううっすらした疑惑は、松原惇子著「クロワッサン症候群」(1988年)を読んだときにいっそう強くなった。
                クロワッサンという雑誌、今ではほっこりみたいな感じになっているが、おそらく80年代初頭は結婚や子育てはダサくて東京のワケありキャリアウーマンがおシャンティ、とマガジンハウスらしく都会的かつ浮世離れした女性像をフィーチャリングしていたようだ。
                そんな「ありふれた奥さまなどくだらねー」の煽りを本気にしてしまった一般の女が婚期を逃して迷走している、という現実をえがき出した「クロワッサン症候群」。その中でもクロワッサン御用達文化人としてやはり加藤登紀子の名前があげられている。
                 

                百恵ちゃんや聖子ちゃんはスターである。
                ・・・しかし、リストを見てもらえばおわかりの通りクロワッサン御用達文化人には、とりたててスターはいない。それどころか、はっきりいって中年おばはんばかりである。

                市川房枝、犬養智子、桐島洋子、澤地久枝、加藤登紀子、吉行和子、向田邦子。
                クロワッサン御用文化人には、大きな共通点があった。
                まず第一に若くないということ。読者よりも軽く20歳くらい年上である。はっきりいっておばさんたちである。1人として、20代から30代にかけての女盛りの女はいない。
                ・・・
                第二に、当然のことながら全員キャリアウーマンである。女優をやめて主婦業に専念している浜美枝さんはまちがってもでてこない。
                ・・・
                御用達文化人の第三の共通点。それは、普通の結婚をしていないということである。これは非常に大きな要素だ。
                ・・・
                桐島洋子さんは未婚の母。ちょっと時代がずれれば、過去を隠していなければマスコミに登場できない立場の人である。澤地久枝さんは一度結婚し離婚しているし、犬養智子さんも20年つれそった亭主と別れている。吉行和子さんも20代に一度結婚しているが離婚。向田邦子さんと市川房枝さんは筋がね入りの独身。加藤登紀子さんだけが、正式に結婚し子供ももっているが、獄中の男と結婚したという点がいわゆる普通の結婚ではないと評価され、御用達に選ばれたようだ。
                御用達文化人が実生活で「新しい女」「自立する女」「結婚しない女」をしている、ということが、女たちにとって、説得力をもってせまってきたのはいうまでもないことである。

                御用文化人の顔を思いうかべればわかるが、全員知的な女である。
                ・・・
                知的な女には、ふしぎなことに美人はいない。本当はいるのだけど、「クロワッサン」は知的で美人な有名人を嫌った。その証拠に山本陽子さんや吉永小百合さんは、「自立している女」で東京人で知的であるにもかかわらず御用達のメンバーにいれてもらえなかった。
                美人は一般の知的女たちは好きでないのだ。なぜなら、自分とあまりにもかけはなれすぎていて、生きる指針の手頃な偶像にはなりえないからである。
                ・・・
                もし、加藤登紀子さんが大原麗子のような顔だちをしていたら、女たちは絶対、彼女を快く受け入れはしなかったはずだ。東大卒、美人なんて、聞くだけでうんざりする。知的と評価されるどころか、「嫌味な女」としか思われないだろう。
                加藤登紀子さんの顔が美人じゃなかったから、偶像になれたのだ。


                リスク評価の是非

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                  評価:
                  菊池 誠,松永 和紀,伊勢田 哲治,平川 秀幸,片瀬 久美子
                  光文社
                  ¥ 821
                  (2011-09-16)

                  以前このブログでゼロリスクについて書こうと思っていたのだが、途中から江戸の本ばかり読んでほったらかしになってしまった。エロい本を読むのは容易でも科学に関しては不得手で新書レベルでさえ基本的に何書いてんのかよく分からねぇという個人的問題もあり、調べようという気持ちはありつつも読むのがおっくうになったというのが正直なところだ。
                  そもそもゼロリスクが何なのかということからである。
                  人間が近代的な生活を送るにあたって共存しなくてはならないリスクをゼロにせよという、原発や添加物、予防接種など幅広いジャンルにおけるナチュラル系市民運動の無茶ブリが「ゼロリスク信仰」「ゼロリスク幻想」と一部で揶揄されているのであるが、私はこの概念に関して以前から腑に落ちない思いでいた。
                  ゼロリスク批判は、無添加食品の腐敗リスクや天然の毒性物質(フグ、毒キノコ等)を例に挙げて、実は人工で恐ろしげなる添加物も適切に使えば十分に安全なのだという理屈らしく、原発事故についても同様に、放射能の害をタバコなど生活に密着したポイズンと比較してその恐ろしさを相対化する例がいくらか見られた。
                  だが私は思うのだ。「脱法ハーブ」じゃないけど、「ゼロリスク」なんて言ったら逆に安全っぽく、ロハス野郎がたんなる神経質であるかのような誤解も与えてしまうんではないかと。実際の過激派は自宅出産や感染パーティ、ホメオパシーなどの例をあげるまでもなく、ゼロリスクどころか自ら死のリスクに身を投じる超リスキー野郎であるにもかかわらずだ。
                  そういった意味でロハス野郎がコストをかけようとしているのは、間違いなく(人命の)「安全」ではない。「自然」「幸せ」「スロー」といった、何やらよく分からない天然趣味のために「安全」はもっとも軽視されやすい傾向にさえあるともいえる。
                  ゆえにロハスな野郎は自らをゼロリスクだと名乗るわけではないし、実際の行動も全くゼロリスクではない。
                  ゼロリスク批判においてしばしば「不安」「煽る」「騒ぐ」「商売」などのおどろおどろしい表現が付随するのを見るかぎり、奴らを感情的で不当に金儲けをしている悪者だとほのめかしているようにしか読めないのだが・・・根拠の是非はともかく、そんな道徳的な問題まで言及しなきゃいけないもんなんだろうか。製薬会社はみずからの利益のためにインフルエンザの危機を煽り人々を不安にさせ〜って類の印象操作と、何が違うのか私にはよく分からない。
                  もっとも、科学技術や大企業に対する強硬な左翼的態度が「ゼロリスク」と言われるゆえんなのは理解できる。しかし、それら現在の近代的な生活を前提とする批判を読むにつけ、人類って添加物や原発のリスクと共存しなければ生きていけないもんなのか?といった、根本的な疑問も浮かんでくる。原発のない時代は原発事故のリスクがゼロだったのは間違いない。
                  個人レベルの話であれば、現代の快適な生活と比較していくらでも昔を悪く言うことはできる。だがせいぜいここ40年50年の間に出てきたようなもんを、なくてはならない、とはどうしても思えないのだ。
                  ゼロリスク志向は新しいテクノロジーの危険を大きく見積もってしまうとされている。例えば遺伝子組み換え作物。
                  「人が食べたことがない物の安全性は分からない」といった反対派の意見に対し、著者の1人である松永和紀氏は「人類が長く食べ続けて安全性を証明してきた食べ物など存在しない」「品種改良された農作物は何も言われないのに、遺伝子組み換え食品だけが反対されるのは不公平ではありませんか」(128ページ)と、ひろく受け入れられている米や野菜の品種改良を引き合いに出してその危険性を相対化するのだが、ロハス業界では江戸野菜など近代以前の在来品種が再評価されており、最近も種子メジャーへのカウンターとおぼしき「よみがえりのレシピ」とかいうドキュメンタリーをやっていたので、いちがいに不公平とも言えないだろう。公平だから良いかというと、それはまたよく分からないけども。
                  しかし大きく見積もりすぎだと言われたとこで、人間の経験したことのないリスクをいつの時代にも存在する食中毒や熱射病の恐ろしさで相対化して「科学的」「定量的」とかいうのには、どうもついていけないものがある。

                  江戸の実力

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                    先日ブックオフで買ってきた中江克己著「お江戸の意外な生活事情」。コンパクトな文庫本であるうえに1つ1つのエッセイが短く、バッグにしのばせてちょっとずつ読むのにちょうどよかった。
                    江戸の庶民の暮らしを大きく衣・食・住・金・遊・罪・働のテーマに分けて解説しているのだが、私がこれまで読んだ江戸時代の本はセックロスの話題に集中(5冊程度だが)しているため、それ以外の雑学は初めて知ることがほとんどである。
                    なぜ江戸といえばセクロスなのか。多くの文献に書かれているところによると、江戸は男余りであったし、昔のことなのでそのくらいしか楽しみがなかった。
                    その後明治時代が到来して欧米の列強っぷりに影響されてからというもの、江戸時代(エロ時代)は未開で野蛮でダサッて感じになり、かくして日本人は下品キャラを封印したというわけだ。
                    しかし、17世紀デカルト以来の機械論的自然観が行きずまりを見せると、江戸が未開どころかむしろ欧米よりもススんだ「懐かしい未来」だったのではないかと、近年左翼をはじめとするロハス野郎から再評価の動きが高まっている。
                    このへん左翼が日本の伝統を評価するわけがないと決め込んでいる人が多いのだが、左翼からすれば江戸のいかがわしい一面は「大和魂」「サムライ」といった右翼が好むところの格好良い武士的日本史観を論破するにはもってこいであるし、そういう意味では男と女の営みだけでなく、男娼や男色なども重要な存在になっているようだ。
                    しかしふと、セクロスしていない、平常時の民は何をしていたんだろうという疑問もわいてきたのである。
                    そんなわけで読んでみた「お江戸の意外な生活事情」であるが、私の中で形成されていった「江戸=ドスケベで汚らしい未開社会」というイメージに反し、これがなかなか当時にしてはかなり洗練された都市なのだ。
                    本書では棒手振(ぼてふり)という行商人についてたびたび言及されているのだが、この棒手振が野菜や魚、納豆といった食材から惣菜や菓子、食べ物ばかりでなく金魚や虫、苗木までとにかく何でも天秤棒に担いで売りに来るらしい。
                    私は江戸時代ともなれば日々家しごとに追われ、さぞ質素でていねいな暮らしをしているのかと思いきや、もうこの頃には移動式コンビニのようなシステムが確立され、できあいの惣菜や宅配弁当も普通に食べていたというのだから驚きだ。
                    白米も食べていたし、砂糖が普及していたので餅や団子を手軽な価格で楽しめた。子供用にも、揚げ昆布やおこしなど今の貨幣価値にして100円以下の駄菓子も売られていたという。
                    すし、天ぷら、イカ焼きといった屋台や居酒屋などの外食も充実していたそうだ。
                    1810年代には大食い大会も開催され、酒部門では酒を35リットル飲んだ鯉屋利兵衛(30歳 港区)菓子部門ではまんじゅう50個と薄皮餅30個、羊羹7本を食べた丸屋勘右衛門(56歳 千代田区)、飯部門では68杯飯を食べた三右衛門(41歳 荒川区)、そば部門では63杯食べた山口屋吉兵衛(38歳 台東区)がそれぞれ優勝者となっている。
                    江戸の人がそんなに食べれるもんなのか?というのも意外だが、これら優勝者のほかに、60,70代の当時からすると相当に高齢であろう出場者までもが健闘していたのだというからあなどれない。
                    食の豊かさだけではなく、本やかわら版などの出版物も豊富で、数学をクイズとして楽しんだり、子供が寺子屋に通ったりといったところからも基礎的な教養の高さがうかがえる。
                    もちろん、ここまで栄えていたのは江戸くらいで、地方では日々ひもじく雑穀や野菜を食べていたとは思う。その農村でも長野や新潟の農民は冬の農閑期になると、江戸に出稼ぎに来てつかの間のシティライフを楽しんだようだ。
                    こんな感じで、庶民のリアルな消費生活が垣間見える「お江戸の意外な生活事情」。年号や値段が現在の西暦や円で併記されていることもあって、たいへん読みやすかった。

                    ラーメンの帰属意識

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                      速水健朗氏の著書は、以前に「自分探しが止まらない」(2008年)と「フード左翼とフード右翼 食で分断される日本人」(2013年)を読んだことがある。
                      自分探しや食へのこだわりを手がかりに現代のニューエイジ風味なノリを考察したような書物であるが、私的にはいづれも我が意を得たという読後感にはいたらず、とくに後者はマクロビやほっこりとした感じが好きな自然派「フード左翼」の反対に当たる「フード右翼」が何なのか、読んでもほとんど分からなかった。
                      それでこの「ラーメンと愛国」を見つけたときは、「これにフード右翼の説明が載ってるのか?」と思って購入したわけである。
                      しかし、著者が「作務衣系」と呼ぶここ10年ばかりのラーメン屋のノリが和風だからといって、それが愛国ってほどのもんなのか私にはやはりよく分からない。「作務衣系」ってカテゴライズするほど作務衣着たラーメン店員もそうそう見かけないし。
                      近年はラーメンに限らず、スイーツに抹茶やほうじ茶や和三盆が使われることが多くなったし、スパゲティも和風の内装やメニューは珍しくない。
                      ようするに中華や洋食など、脂っこいものにさっぱりとした和の深みを加える。そうすると懐かしさと新しさが同居する洗練されたおいしさが生まれる・・・という効果を狙っているだけじゃなかろうか。
                      それにしたがって昔ながらの(和風でない)中華料理屋や喫茶店が、昭和で素朴だという感じになってきてもいる。
                      そんな状況の中でフード左翼も江戸や米食やふんどしなど日本の伝統大好きだってことを考えると、和風をぷちナショで愛国と考えるのは昨今のニューエイジ界を考えるうえでけっこう混乱を招くと思う。むしろヤングなネトウヨって、そんなに和風とか好きじゃない気もするし。
                      今は愛国&右翼、反日&左翼といった議論がさかんだ。
                      そのはしりになったとも思われる香山リカ著「ぷちナショナリズム症候群」(2002年)にも、確かぷちナショの例として作務衣を着た路上詩人の写真が掲載されていたと記憶している。
                      確かに路上詩人とラーメン屋の和風は明らかに同じノリだ。作務衣系に相田みつをを彷彿とさせる「ラーメンポエム」がつきものだと指摘されているが、あの手の趣味は若手起業家のあいだで流行っているのかもしれない。成功哲学的に。
                      相田みつをが流行していたのが90年代半ばで、その後ナカムラミツルや路上詩人など、癒し&自己啓発風味なポエムが続々と世に出てきた。これは「作務衣系」が台頭してきた時期とも一致している。
                      速水氏は208ページで作務衣は陶芸家をイメージさせるために着ているものだと書いているが、同時に作務衣は禅宗の僧侶が着るものであって陶芸家は作務衣を着ていないとも書かれてある。
                      引き合いに出されている莫山先生と片岡鶴太郎も陶芸家ではないし、画像検索しても莫山先生が作務衣を着ている写真は出てこないのでこのへんの記述は不可解である。
                      ただウィキペディアによれば相田みつをは禅宗と関わりがあるようだし、作務衣野郎にニューエイジ的なノリが散見されることからもイメージ的にあの宗教的かつ示唆的な書のスタイルと禅が結びつくのもそう不思議ではない。

                      おまけコーナー

                      今はラーメンでさえ中華テイストって誰もありがたがらないが、どうも昭和50年代に関してはその当時の書物やYouTubeを見る限り、「中国四千年の歴史」的ハッタリがグルメや健康法にずいぶん応用されているように見受けられる。
                      ウーロン茶もやせるお茶としてブームになったもので、伊藤園やサントリーなど大手企業による大量生産が始まったのが1981年。
                      当時の最先端テクノポップバンドYMOが人民服を着て毛沢東のポエムを曲に取り入れ、若者もファッションとしてしばしばチャイナ服を着ていた。町の漢方薬局なんかも30年前って感じの店構えが多く、オウム真理教の麻原彰晃が「亜細亜堂」を開業したのも1978年となっている。
                      代替医療は今でこそアロマだのホメオパシーだのとキザな横文字がブームだが、この頃は学生運動(毛沢東主義)上がりが気功や漢方など中国の医学を持てはやし、それらは90年ごろにはニセ科学的な意味で問題視されていた。
                      そんな華流ブームの世の中にあってはインスタントラーメンも「本格中華」であり、1981年に明星から「中華三昧」が発売され翌年にはハウス「楊夫人」(マダムヤン)がその後を追った。

                      中華は作務衣だけではなくキムチ化も進行しており、各種キムチラーメン、キムチチャーハンだけではなく、夏に韓国冷麺を出す店もある。
                      そんな相性のいい中華とキムチだが、ことインスタントにいたっては私の中で辛さとまずさに定評のあるK-ラーメン(ラミョン)。K-POPごり押し期マッコリとともに大量に輸入されたため、スーパーなどで見かけた方も多いだろう。
                      ウィキペディアによれば韓国のインスタントラーメンは1963年、明星から無償技術供与を受けた三養(サンヤン)食品が製造を開始したのが最初であり、朝鮮戦争後の食糧難の時代に手軽なエネルギー源として受け入れられたとのことである。
                      三養食品はCMに少女時代を起用しているトップ企業だが、今のところ日本向けの製品は見たことがない。
                      また韓国料理の店では必ずといってよいほどインスタントラーメン入りの鍋(プデチゲ)が用意されており、プデは部隊の意、具にスパム(の模造品?)が使用されていることから、野戦食の影響があるとみられる。
                      日本でも発売されているオットギ社の「サリ麺」はスープが入っていないのだが、あれもチゲ用なのだろう。
                      食べ方は必ずしも皿にとりわけるわけではなく、麺を鍋ぶたの裏に取ったり、または豪快に鍋ごといったりする例もあるようだ。

                      現在、日本の袋めんは生めん風がブームだ。
                      この市場を切り開いたのは、東洋水産「マルちゃん正麺」で発売は2011年11月。「ラーメンと愛国」がこの1か月前なので、当然ながら同書には生めん風には触れられていない。
                      役所広司のイメージが強いせいか、後発商品のCMも西島秀俊や堺雅人など中年男性俳優を起用するのが定型化している。
                      これまでのインスタントは生めん志向になるとノンフライの細麺になる傾向があったが(豚骨はそれでもよいのだが)生めん風は麺の太さをキープしながらツルツルしているのがなんとも革新的で、これにより醤油および塩ラーメンの素晴らしさが一気に向上した。あくまでメインは麺であり、スープ自体はかなりオーソドックスなのである。
                      にしても・・・こういうのが出てくると、前からある袋めんや高級カップラーメンの価値が相対的に落ちそうな気がしないでもない。まぁカップは麺がどうしようもないぶん、脂っこいスープで勝負って感じだろうか。

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