伝統をめぐる情報戦

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    安倍政権や日本会議の語る「日本」「伝統」を橋本治が痛烈批判! 「大嫌い」「明治以降の近代人が勝手につくった」と(リテラ 2月11日)
    http://lite-ra.com/2016/02/post-1969.html

    夫婦別姓に関する最高裁判決や、渋谷区の同性パートナーシップなど、昨年は「家族」「性」に関する新たなかたちを模索する動きが多く生まれた年であった。  
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    夫婦別姓の問題にせよ、パートナーシップ条例をめぐる議論にせよ、政権側からは、この「伝統的な家族制度」なる言葉が盛んに使われる。しかし、この「伝統」とはいったい何を指しているのだろうか。小説『桃尻娘』や、『古事記』『源氏物語』の現代語訳など古典文学研究の仕事で知られる橋本治氏は、「週刊プレイボーイ」(集英社)16年2月15日号のインタビューでこんな言葉を残している。
    「今や建前が好きなのって自民党の政治家だけじゃない? なんか、あの人たちの言う「伝統」やら「日本」やらが私は一番嫌いなんですよね。  
    それは明治以降の近代日本人が「勝手につくった日本」だろうっていうのが頭にあってさ。そういうのがいやだから、こうして近代以前に遡りながら「そうじゃない日本」を一生懸命に探しているわけなんですけどね」
    安倍政権をはじめとした保守主義の人々がことさらに喧伝する「伝統」という言葉。しかし、歴史を振り返ってみれば、彼らの言う「伝統」は、「伝統」でもなんでもない。たかだか150年ほど前、明治時代以降、急速な近代化の流れのなかで形づくられたものだった。また、橋本氏はこんなことも語っている。
    「平塚雷鳥とかの女性解放運動が出てくるのが明治だから、それ以前の時代の日本って、ずっと女性を抑圧していたように思われているけど、実は一番、男女差別が激しくなるのって、むしろ明治からなんですよね」
    「みんな「女は女らしく」っていうのが封建道徳だと思っているかもしれないけど、例えば江戸の芸能って、劇中で女が刀を振り回すシーンとか、カッコいい女盗賊の話なんかも、ごく当たり前にあるのね。ああいうのを見てると、少なくとも江戸時代の人には「女はおとなしくしてなきゃいけない」って感覚はないと思う」
    「女は女らしく」という考え方も、結局はたかだか150年前に出てきたものだったと橋本氏は主張する。
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    先日、本サイトでも取り上げた、古典エッセイストの大塚ひかり氏が指摘している通り、日本の家族制度は古来、母系的な社会であったと言われている。
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    同性パートナーシップの問題に関しても同様のことが言える。前述したヘイトデモで配られたチラシには、先に引いた〈伝統的な家族制度に混乱をもたらす渋谷区条例〉という文章の他に、こんな文言も書き記されていた。
    〈若者が多く集まる渋谷区の路上や職場で、男性同士、女性同士が公然と抱き合ったり、キスをしたりする姿が日常の光景となり、やがてエイズが蔓延してしまうことを、誰も歓迎しておりません〉
    〈条例案は、日本の伝統と文化に対する挑戦状〉  
    正直、引用するのもはばかられるような差別的テキストだが、ここでもとくに熟慮することなく無邪気に使われている「日本の伝統と文化に対する挑戦状」という言葉。この「伝統」も果たして本当に「伝統」なのだろうか。  
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    『源氏物語』のなかで使われる有名な言い回し「女にて見む」は、改めて指摘するまでもなく、「(相手の男を)女としてセックスしたい」という意味であると解釈されている。  
    また、時代は下り、江戸時代、男色は春画のモチーフとしても多く描かれることとなった。
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    安倍首相は、『新しい国へ 美しい国へ 完全版』(文春新書)のなかで、多様な家族観を描く高校の家庭科教科書に対し、こんな疑問を記していた。
    〈同棲、離婚家庭、再婚家庭、シングルマザー、同性愛のカップル、そして犬と暮らす人……どれも家族だ、と教科書は教える。そこでは、父と母がいて子どもがいる、ごくふつうの家族は、いろいろあるパターンのなかのひとつにすぎないのだ〉
    〈「お父さんとお母さんと子どもがいて、おじいちゃんもおばあちゃんも含めてみんな家族だ」という家族観と、「そういう家族が仲良く暮らすのがいちばんの幸せだ」という価値観は、守り続けていくべきだと思う〉  
    しかし、ここまで述べてきたように、これまで我が国が歩んできた「家族」「性」に関する考え方は、安倍首相が断じているほど画一的に述べられるようなものではない。むしろ、本当の意味で日本の「伝統」というものを考えるならば、「家族」や「性」といったものに対し、もっと多様性を認める考えのほうがよっぽど「伝統」なのではないか。  
    国家統制を強めるため、国民を国家に奉仕させるために、明治政府が「勝手につくった」にすぎない「国家」や「家族」というフィクションを、「伝統」などと持ち上げる安倍政権の詐術にはだまされたくないものである。


    夫婦別姓や同性パートナーシップをめぐる論争にさいしてか「安倍など右翼の言う伝統って嘘っぱち」といった言説を左翼サイトで近ごろ数多く目にするようになってきたので、見つけ次第・・・というか気が向いたら報告していきたい。その趣旨は「夫婦同姓の施行は1898年の明治民法」を引き合いに出しているように、安倍など右翼の言う伝統なんぞは多くが江戸っ子が大虐殺された明治以降に捏造されたものであり、フリーダムでエッチな文化(春画、男色)に比べるとシャバすぎだろというわけである。
    だから私が「江戸しぐさは右翼が作り上げた嘘っぱちの伝統」みたいな論に違和感をおぼえるのもそこで、多くのばあい江戸礼賛は伝統を重んじているのではなく、橋本治がいうように「あの人たちの言う「伝統」やら「日本」やらが私は一番嫌いなんですよね。それは明治以降の近代日本人が「勝手につくった日本」だろうっていうのが頭にあってさ。そういうのがいやだから、こうして近代以前に遡りながら「そうじゃない日本」を一生懸命に探している」にすぎないのである。私は江戸しぐさにかんして長らく左翼かどうか分からないと保留していたが「江戸しぐさの正体」という江戸しぐさ批判のバイブル的な本(紛失中)を読み、越川禮子っていうもともと公民権運動を取材していた反アベ政治の人が明治政府が江戸っ子を虐殺したとか?そのときにウンデッドニーの虐殺やソンミ村虐殺といったように白人によるインディアン迫害やベトナム戦争を引用しているらしいことを知って、江戸しぐさも左翼だったんだという確信にいたった。
    公民権運動やネイティブアメリカンやベトナム反戦ってのは、60年代くらいにカウンターカルチャーで混然一体となっていたのである。だからベ平連の流れをくむロハス系の左翼も、江戸礼賛と並行して「ハチドリのひとしずく」とかいうネイティブアメリカンの民話や、ネイティブアメリカンと結婚したセヴァンスズキの「伝説のスピーチ」とかいうのを江戸しぐさと同時期にさかんに紹介しており、これらもやはり道徳やら英語やら学校の教科書に採用されていたりする。
    別にこれは教科書が右や左というのは深読みしすぎで、育鵬社も東京書籍もACとかNPOとかNGOみたいなCSRイカスっていう2000年代以降の風潮から、そういう意識高い系のイイ話をお子さんがたに伝えたくなったのだろうというのが私の見方だ。しかし江戸時代もそうだが、最近の左翼は古事記とか天皇けっこう好きだし、日本人はパンより米だろ。とか、フリーチベットとか中国産じゃなくて地産地消しろとか言うのでまれに保守と誤解されている例もある。
    では保守の歴史観の決定的な違いとは何なのか?いちおう左翼には反戦という建前があるので「サムライ」「武士道」「楠木正成」など、日本の先祖が武士で儒教でストイックって設定だったら右翼である可能性は高いのではないか。
    そして右翼のいう伝統はほとんど明治以降(長州藩=安倍)であるからして、江戸時代は日朝友好でエコでエロで楽しかったけど明治政府が大虐殺。っていう明治凶悪説も左翼なのである。では私の個人的な歴史観はどっちかというと、明治や江戸に生きたわけではないので知ったこっちゃないって感じだ。
    ただ右翼のいう「伝統」を否定するためだけの「昔の日本人はエロかった!」みたいな左翼的歴史観に、もう完全にアレルギーが出始めている。男の絵師が妄想で描いただけであろう春画が本当にあったかのような設定になってるのも謎で、200年後にはめちゃコミックや快楽天のエロマンガが史実になり博物館に展示されるんじゃないかと今から心配だ。

    なぜか今平安

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      当ブログでは左翼の江戸時代好きについて何度か言及した。その理由に近年江戸しぐさが一部で話題になるにともない「歴史修正が嘘っぱちの伝統を作り上げている」といった意見が確立されつつあるのを見て「いや違う」と思ったことが1つにあるが、フェミニズムのグループがたびたび春画をもとに江戸時代は自由な性があった説を推すことも、また理由の1つとしてあげられる。
      しかし、下の記事のようにいや江戸時代のエロはシャバくて実は平安貴族がガチ。ってのは初めて見た。もちろん引用元のリテラは左翼のサイトである。

      平安時代ならベッキーも矢口も喜多嶋舞も叩かれなかった!? 春画で話題の江戸時代より平安のエロのほうが過激(リテラ 1月31日)
      http://lite-ra.com/2016/01/post-1914.html

      「嫌なエロ」は『好色一代男』だけではない。弥次さん喜多さんでおなじみの『東海道中膝栗毛』では、「女の小便の音に興奮した馬方が彼女をレイプ。騒ぐ声を抑えるために餅を口にねじこんだら彼女が『最つとくれろ』と言ったので、さらに餅を口に押し込もうとしたら、今度は間違えて馬糞を口に突っ込んでしまった」。こんな筋のエピソードが「笑える話」として人々に受け入れられていた。「春画には女性蔑視の考えはない」と言われ、前述の『春画展』にもたくさんの女性が来場していたのだが「女性蔑視の考えはない」なんてとんでもない。江戸文化におけるエロティシズムは「ミソジニー」や「セクハラ」に満ちていたのである。  
      一方、それと真逆の価値観をもっていたのが平安時代である。本当の意味で日本が「性」に関する芳醇な文化を誇っていたのは、江戸の庶民文化ではなく、平安時代に花開いた宮廷文学なのだ。たとえば、『蜻蛉日記』には、お正月に女性同士で集まり、性的なメタファーを含んだ和歌をうたいあって笑いながら新年を祝うシーンが描かれ、また、『源氏物語』は雅な性愛の描写が「歌」というかたちをとり巧みな隠喩で盛り込まれている。ここには江戸時代の文化にあったような差別意識に満ちた「性」は描かれていない。この違いはどこから来るのであろうか。大塚氏はその理由を平安貴族たちは母系的な社会であったからだと分析している。まず、母系的な社会とはどんな社会のことなのか。
      〈そもそも母系社会とは、「祖母、母、娘というように、代々女性の血縁関係(出自)をたどって、社会集団をつくりあげ、相続・継承の方法を決定する」(須藤健一『母系社会の構造』)社会のことで、日本では厳密な意味での母系社会はなかったという説もありますが、貴族社会は長い時代を通じて「母系的」であったことが結婚形態などからうかがえます。
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      このような母系的な社会では女性にとっての「性」は、開放的になるのだと言う。
      〈こうした母系的な社会では、娘が大事にされるのはもちろん、女の性に対する締め付けが非常にゆるくなります。  
      財産が父から息子へ継承されるため、「どの父の子であるか」が問われる父系的な社会では、女の貞操は厳しく追及されます。せっかく築いた財産が違うタネの子に受け継がれたら一大事だからです。  
      一方、母から娘へ財産が継承される母系的な社会では、「どの母の子であるか」は疑う余地もないため、極端にいえば「父は誰でもいい」ということになる〉  
      母系的な社会では、このようなプロセスで女性の「性」は開放的になっていく。そして、現在とは趣を異にした「エロい女がエラい」という価値観まで生まれてくると言うのである。
      〈こうした社会では、女による「セックスアピール」が大事になってきます。
      父から息子へ財産が伝えられる父系社会では、女の貞操に厳しくならざるを得ないために、色気を強調するそぶりや服装は「みだら」「はすっぱ」として貶められますが、母系的な社会では、父親が誰であろうと、女の血筋を伝えることが大切ですから、より他の女に勝てるよう、「女のセックスアピール」が大事になるのです。  
      代わりに軽視されるのが、母性や、家まわりのことができるといったいわゆる「家庭的であること」〉  
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      しかし、それだけ豊かなエロティシズムを育んでいた日本の文化が、なぜミソジニーやセクハラを孕んだものへと変わっていってしまったのか。そこには、「母系的な社会」から「父系社会」へというパラダイムシフトが大きな影響を与えていた。
      〈江戸時代のエロがレベルダウンしたのは、何と言っても、父から息子へ財産が伝承される父系的な社会となったため、性道徳が厳しくなったからでしょう。「どの父の子か」が重視されるため、女が夫以外の男とセックスするのが重い罪となり、儒教思想の普及も手伝って、とくに女側が色恋を楽しむ環境が減っていたのです。  
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      前の記事で江戸しぐさがデタラメだったからって、過去の日本に学ぶべきものがないかと言えばそんなことないと主張したはいいけども、平安時代はいくらなんでも昔すぎないか。それに藤原氏の末裔こと藤原紀香ならともかく、あたいのような由緒ない家系が平安貴族とはおそれ多くておいそれと見習うことはできぬ。
      江戸しぐさ批判を見ていると、なんだか右翼が現代の日本を憂いて昔を理想化しているといったふうに考えている人が多いことが分かったが、じつは江戸時代がいいとか、いや縄文だとか実は平安とかいったように特定の時期を理想化したり、逆に豊臣や戦前みたいにことごとく否定するのはたいてい左翼の歴史観であって、右翼は愛国ってなくらいだから今も昔も大和魂で日本最高(ただし戦後の左翼のウザさは異常)ってなくらいで特定の時代を好いたり嫌ったりすることはあまりないんじゃないだろうか。左翼は時代のほかにも、北朝鮮にブータンにコスタリカにキューバにネイティブアメリカンにと、日本人とは似ても似つかぬ外国や民族を理想化するパターンも多く、新作に出会うたびいったいどんだけバリエーションがあるのかと興味をそそられる。

      http://www.amazon.co.jp/dp/4272430939
      それら説をざっと見た感じ、資本主義ではないほうが幸せだというネタならば何でもよさげな印象だ。また上の記事のようにフェミニズムの思想がからむ場合日本の女はエッチだった・・・といった主張がなされることも多い。
      フェミ的には、男と性欲を張り合う傾向があるように思う。女がエッチじゃないは儒教の影響が高まるにつれ社会的にそう抑圧されてるのであって、じつは男と同等の性欲がありオナヌーもしまくりなのだといわんばかりだ。
      おそらく右翼による今も昔も日本最高な感じの歴史観は天皇や武士、儒教の影響が強い。それらは江戸時代以来の国学や水戸学や尊王攘夷といった明治維新につながる動きであって、ゆえに左翼が男尊女卑とする家制度やら夫婦同姓などの多くが明治以降で歴史が浅いといわれるゆえんにもなっていると思われる。
      何にせよ左翼が昔をもてはやしたところで、それは特定の時代(豊臣や戦前や現代)をディスる反日の企てがチラ見えするために、あまり歓迎できるものではない。少なくともこれらがもてはやされることを、日本人が伝統やいい話に弱いといった民族性の問題としてかたずけるべきではないと私は考えている。

      春画人気爆発

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        女子が春画を見るべき理由。むずかしいこと考えずエロ娯楽として愉しんで!(messy 9月24日)
        http://mess-y.com/archives/22810

        日本で初めてとなる『SHUNGA 春画展』が、ついに開幕しました! 
        東京・目白の永青文庫で12月23日まで開催されます。  
        というニュースを、すでにあちこりの媒体で見てご存知の方も多いでしょう。なぜかテレビではあまり報道されませんでしたが……。実は私、ひと足早く内覧会で拝見したのですが、各種メディアが殺到するなかで、映像メディアはほとんど見られませんでした。そして、この報道の偏りこそ、これまで私たちがナマで春画を鑑賞できなかった理由です。おそらく、テレビで報道するには春画は〈性表現が直接すぎる〉と考えられているのでしょう。この展示は、HPを見ても「18歳情の入場は禁止されています」とあります。テレビではそうしたゾーニングをできないから、ということなのでしょうが、でもそうやってスルーすればするほど、〈いかがわしい〉ものとして春画の価値を貶めてしまっています。  
        実際の春画展をひと目見れば、〈いかがわしい〉で片づけるのはまったくのお門違いだとわかります。美術史上の意義や文化史的位置づけは私のような素人が語るべきことではありませんが、そこをまったく無視して、性器や挿入部にばかりこだわるって、かえって心根がいやらしく見えますよね。
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        テレビで性器や挿入部を映してほしいわけじゃないんです。ただ、春画という、たいへん豊かな文化が日本にあり(そのこと自体は18歳未満の少年少女も知っていていいと思います)、それを体感できる絶好のチャンスがついにやってきたことすら伝えないメディアって何なの、と残念な気持ちになるのです。
        と、のっけから不満を並べてしまいましたが、今回の展覧会を見ての感想をひと言でいうと、たいへんハッピーな体験だった、これに尽きます。
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        だって、そこで描かれているのは、私たちもしているセックス。シチュエーションこそ違えど、やっていることは同じです。好きな人と抱き合うって、それだけでもううれしい。それは特別なことでなくはなくて、散らかった部屋で抱き合うときもある。彼が覆いかぶさってきたけれど、明日のことを考えるとせめて髪が乾いてからにしてほしい。って、いってるのに触ってくるから、気持ちよくなっちゃってズルズルと身体を開いてしまう……そんな絵だってあるんです。
        なんて大らかな性文化だろう、と快哉を叫びたくなりました。若い母親が赤ちゃんを抱き、父親がその子をあやす。でも、そのふたりの下半身はしっかりつながっている。これって、いまのママカルチャーのなかでは大炎上必至ですが、江戸っ子なら「1歳にもならねェ赤子に何がわかるってェんだい! ケツの穴の小せェこといいなさんな」というでしょう(適当な江戸っ子言葉でスミマセン)。住文化の影響もあるのでしょうが、のぞいたりのぞかれたりは日常茶飯事。笑いながら抱き合っている男女の絵も多く、セックスとはめくるめくもの、ロマンチックでなければいけないもの、というハードルの高いもののではなく、日常のひとコマだったのだろうと想像がつきました。「あー、私だったらこういうセックスしたいな」「この場面みたいに彼と抱きあいたいな」と思いながら見ると、江戸の男女がぐっと身近に感じられます。
        フェティッシュな視点で見るのもいいでしょう。BLあり、百合あり、触手モノあり……と性嗜好のデパート状態な春画の世界。私は以前から〈美女がエグい坊さんとかジジイとかに犯されている〉という春画が好きです。今回、その手の作品は少なめでしたが、1点ものすごい構図で描かれたものがあって「これはヌケる!」と心のなかでガッツポーズいたしました。絵自体のインパクトもさることながら、裏に広がるストーリーが果てしないのです。
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        1点1点をハッピーな気持ちで鑑賞し、「あー、セックスしたいなぁ」と思いながら会場をあとにしました。大らかな気持ちで、好きな人と笑いながら抱きあいたい。そんな多幸感あふれるセックスをしたくてたまらなくなったのです。それもこれも春画をとおして、かつての日本が性というものを絶対的に肯定していたことが伝わってきたからです。そして、性を表現することもまた尊重されていました。だからこそ当代きっての名のある絵師たちがこぞって描いたわけですが、作る側も見る側も認められているって、なんて気持ちいい! そんなストレスフリーな性の発露を、セックスで、あるいは女性という性で窮屈な思いをしたことのある女性にこそ見てほしいのです。  
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        先日美容院で読んだ女性週刊誌にもこの春画展の記事が載っていた。上に引用した「messy」(乱雑という意味の英語「メッシー」と「メス」をかけたタイトルであろう)は女の本音・・・ってよりはフェミニズムの思想にもとずいて女性の性の解放を説く左翼サイトのように見受けられる。
        私は当ブログで江戸時代が左翼の間で人気爆発中って何回か力説したけど、フェミニズムにおける春画もまたしかりで、基本的に江戸時代および春画礼賛にかんしては左翼のステマだと決めてかかっている。でまずフェミニズムにおける女性の性の解放って何なんだって話からすると、私が見た限りにおいてはまず女性器の解放という印象が強くある。
        これはちんに対してまんが不当に日陰者ポジションなので「子作りにも重要な役割を果たす神聖なまんを差別すんな!」とばかりに、女性器の名前を連呼するといった行動にあらわれる。そして第二に自慰行為の推奨。
        女子のあいだでは自慰トークがもう常識とか、オサレなおもちゃが人気爆発中とか吹かしたりする。流行に敏感な女性に対し、今どき性を恥ずかしいってダッサー!ってメッセージなんだろうが、個人的に自慰トークやおもちゃにかんしてはどんだけ煽ってもこれから先メジャーになることはないと思う。
        フェミニズムが敵視するものとしては、おもに日本男性向けのエッチなコンテンツやそこで氾濫するロリ描写があげられるだろう。女性に対しては専業主婦や赤文字系ゆるふわモテ子なども男への依存として批判しており、総合的に経済や性で男性優位な現状を打破しようという志向がありそうだ。
        また左翼でフェミなので、共産主義が弾圧されてた日帝時代に日本軍のなぐさみものになった(植民地下における朝鮮の)女たち、いわゆる従軍慰安婦もちょっとからんでくる話である。今みたいなフェミ思想が出てきたのは1970年あたりからで、最初はウーマンリブって呼んでたけどなぜか80年代くらいからフェミニズムになった。
        この名称変更にあたっては、ウーマンリブが中ピ連(ピルで避妊したい女性の運動)の影響などでエキセントリックでヒステリックなイメージが定着してたせいで「その頃の女性運動とは違うんだ」と、進化した感じを演出していたのかもしれない。フェミニズム、90年代以降に昭和のノリが一掃された時点であまり脚光を浴びなくなったと思われるが、最近はまたフェミを売りにする人が増えてきたような気もする。
        それにともない江戸時代を理想社会とするステマも、ここ10年くらいでずいぶん増えてきた。春画もやはり朝鮮通信使とか江戸しぐさとかロハスと同じ、左翼による江戸礼賛シリーズの一環じゃないかと思っている。
        上の引用記事がまさに見本のような内容なのだが、江戸は大らかだったけども明治に欧米化してダメになった、戦後は急激にアメリカ化してもっとダメになったって歴史観が鉄板で、明治維新した偉人たとえば吉田松陰はテロリスト、西郷隆盛が朝鮮侵略野郎と位置ずけられたりする。江戸しぐさの批判本では江戸しぐさが右翼の教科書に採用されてるってよりも、そこに引用されてた江戸しぐさ提唱者が憲法改正を唱える安倍晋三(山口県ルーツ)に対して「あんたまだ長州藩なの?」「日本を戦争できる国にしないで!」って批判してた絵のほうが印象に残っている。
        江戸時代はエコで平和な左翼の理想社会だったのだが、薩長みたいな尊王(天皇好き)のクソ武士のせいで愛国心強要する戦争大好き侵略国家に変えられちまったし、国際デビューするにあたって大らかだったエロまでもが封印されてしまった。ということなのだと思う。だから春画なんかは幕末とかに外人に人気爆発してたらしいんだけども、明治にリニューアルした日本が江戸の野蛮をよしとしなかった。
        それを今、明治維新がゴリ押しした天皇や儒教、植民地支配を否定する意図もあって、春画、男色、夜這い、朝鮮通信使など明治に葬り去られた恥ずかしい過去を素晴らしいものとしてえがいている。だからよく右翼が古き良き日本が好きで左翼はそれを否定してるってな説見るたび、左翼=反日イメージからそう連想しただけのように思えるのだ。
        あんだけ安保とか沖縄の基地でモメることからもうかがえるように、左翼による反日の根拠は資本主義のリーダーたるアメリカと手を組んでるとこにある。だから日本だから何でもダメってんじゃなく、徳川なんかは朝鮮にひどいことした豊臣家を滅ぼし国交正常化したイイ奴に相当することから江戸時代はパラダイス視されるだけの価値があるのである。

        私もかって、左翼の江戸好きを不思議に思いそのエコぶりや知恵をいろいろ調べてゆく過程で、確かに江戸ってけっこう素敵かもしれない。と理解を示し出したのだが、春画にかんしてはフェミニズムの批判するところの日本の変態コンテンツの起源としか思えなかった。だいたい浮世絵に描かれてる性行為って多くが遊女と客であって、別にイチャラブしてるわけではなかろう。
        その遊女だってもともとは借金の方に田舎から売られた人身売買の被害者であり、従軍してないだけで慰安婦みたいなもんじゃなかろうか。何で慰安婦問題を今の基準で裁くのに、遊女はオッケーってことになるのかがよく分からない。
        また春画に描かれたシチュエーションをあたかも大らかな性の反映してるかのようにとらえてるけど、おなごがタコに犯されている有名な春画もあるように、浮世絵そのものがリアリズムをガン無視したジャンルである。今日本人のあいだでいくら近親相姦やロリのマンガが人気爆発だからって実際にそのようなプレイやってる人がほとんどいないことを考えると、DNA的に日本人の描くエロなんて全然あてにならないんじゃないかと思うんだが。

        なでなでvsハメハメ

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          女の子の頭をなでるゲームCMに賛否両論 「本当に気持ち悪い」「いや過剰反応だ」(6月22日 J-CASTニュース)
          http://news.biglobe.ne.jp/domestic/0622/jc_150622_1785061664.html

          女の子の頭をなでて行うスマートフォン用ゲームのテレビCMについて、ツイッターなどでその是非が論議になっている。「不快になる」との声が出る一方で、「過剰反応だ」との反論も出ている。
          ゲーム会社「コロプラ」が手がける「バトルガール ハイスクール」は、女子校の新任教師が侵略者から地球を救おうと生徒たちと戦いに挑むという設定のものだ。
          教師は、女の子たちの頭をなでることで親しくなり、彼女らを戦わせることができるようになる。
          そのテレビCMは、2015年6月1日からスタートした。
          第1弾の「なでなで編」では、「Happy Birthday to You」の替え歌で名前を呼ばれた女の子のキャラが、手のマークで頭をなでなでされると、「先生〜」と声を上げる。すると、女の子の周りはハートでいっぱいになり、その豊満な胸も揺れる。その後も、次々に女の子が現れ、なでられると、「落ち着きます〜」「くすぐったいです〜」と声を出していく。
          ・・・
          CMが始まってからは、ツイッターなどで、深夜時間帯ばかりでなく子供も見るゴールデンタイムなどにも何度も流れていたとして、疑問や批判が相次いだ。
          「あのCMは気持ち悪い」「お茶の間が凍りつく」「まるでエロゲー」「女性を馬鹿にしてる」...
          さらに、新聞の投書欄にも、批判的な意見が載った。朝日新聞の大阪地区の21日付朝刊「声欄」では、兵庫県在住の塾講師女性(39)による「女の子なでるゲーム 不快感」というタイトルの投書が出た。
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          その内容に共感する声も出ているが、一方で、「投書のような過剰反応は気持ち悪い」「これは言いがかりだと思う」「あくまでただのゲームだよ コレ」「現実と虚構の区別も出来ない」といった異論も多く出ていた。
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          「先生・・・っ!」

          「おちつきますーぅ♡」

          「・・・くすぐったいです」

          「ふんに〜」

          ネットで気色悪いと話題になっていたので動画サイトで見てみたのだが、これは私だったら全然気にならないなと思った。そもそも画風が今風すぎて、あたいのような古い人間にはエッチなのかどうかよく分からない。
          どれくらい分からないかというと、この絵が何年か前に友人の勧めで見た「けいおん」というマンガの登場人物に見えるレベルである。というか、このゲームも見た感じ「けいおん」と同じく若い女の子しか出てこないんじゃないかと思うが。
          また音声もバックに何言ってるか全然分からないハッピーバースデイトゥーユーの替え歌が流れる上に、なでなでするときの効果音なのか「ブニブニ、ポエーン」と変な音がするので女性たちの声がよく聞き取れなく、聞いたところで「ふんに〜」とか言ってて理解不能だ。しかし言われてみると確かに、なでられている女性が豊かな胸をプルっとさせながらおフェロ顔で「先生」と言っているので、何度も流れていると「・・・男の先生がなでてんのかい?」と、神経逆なでられることもあるのだろうと同情はした。
          だがやはり私的には携帯で幾度か目にする僧侶のセックス漫画のほうが気になってしまう。それまで広告は無意識に無視していたのに、幼き頃に親しんだ少女漫画ふうの絵柄と僧侶という突拍子もない設定から、つい目がいってしまうのか、私が広告にイラつく引き金になってしまった。
          のどかにネットサーフィンしているところに、僧侶とハメハメしているシーンが出てくるのに比べたら、なでなでくらい可愛いもんじゃないだろうか。いづれにせよコンテンツそのものではなく、見たくない人にまで見せてしまう広告の打ち方に問題があると考えられる。
          ところで僧侶のほかにもう1つ気になるのが叔父と姪がハメハメするような少女?漫画の広告だったのだが、私の調査により携帯に表示される叔父漫画は3種類あることがこのほど判明した。

          パパ許して・・・〜今夜、叔父に大人を教わります(めちゃコミック)
          http://sp.comics.mecha.cc/books/85198

          小さいころに死んでしまったパパに代わって、ずっと私を見守ってきてくれた大好きな叔父さん。なのになんで、こんなに胸がドキドキするの…。』女子大生の芹香がひそかに恋心を寄せているのは、父親の弟。彼にお祝いしてもらいたくて就職活動も必死に頑張れた。『お願い、ご褒美をください。一度だけ…。』彼女が望んだのは《一日だけのデート》。いけないことだとは分かっていても、彼を、そして彼の肉体を求めてしまう。「俺は兄貴じゃない…。お前が欲しいのはやさしく甘やかしてくれるパパなんだろ」思いがけない叔父からの言葉に、動揺してしまう芹名。「パパの代わりなんて思ったこない、お願い私に伝えさえて…」はたして、すれ違うふたつの心は…。『神様お願い、勇気をください…』≪ちょっとHで、すごく一途な、ラブストーリー≫


          保護者失格。一線を越えた夜(Renta!)
          http://renta.papy.co.jp/renta/sc/frm/item/54819/

          「叔父さん……私、もう子供じゃないよ……」 裸の姪とお風呂で絡め合う舌。叔父の繊細で長い指が丁寧に弄ると、激しく濡れ出す下半身。 子供だと思っていた姪は、いつの間にか大人の身体、女の表情になっていた……。 8歳の時に両親に先立たれたちづるは、それ以来、叔父に引き取られ2人きりの家族として生きてきた。 けれど、ちづるがハタチになった夜をきっかけに、その関係は崩れ出して……。  


          相姦の赤い河岸(Renta!)
          http://renta.papy.co.jp/renta/sc/frm/item/42214/

          幼い頃、蒸発してしまった両親の代わりに、友美を育ててくれた叔父の要(47)。しかし2人だけの日々を過ごすうちに、歳が離れているにもかかわらず……深い深い男女の関係になってしまったから、さあタイヘン! 夜な夜なカラダを求めあい、心を貪りながら体液と愛液を渦のように混ざり合わせていた……そんなある日。二人の前に、明るい未来を約束してくれるであろう、婚約者・真治が出現し、友美と真治の結婚までのカウントダウンが始まった! ――それは二人の愛欲の日々の終焉を告げる鐘音となるのか!? 道徳と背徳の狭間でせめぎ合う、要と友美。決して越えてはいけない川を渡ってしまった二人は、それぞれの幸せを夢見ながら、漆黒の川を精一杯泳ぎ続ける。


          あらすじを見たところ、作者が別人なのにも関わらずすべて主人公が小さいときに両親がいなくなって叔父と2人きりで育った設定になっている。まず叔父が恋愛対象にならないうえに、育ての親だったらなおさらだと思うのだがなぜこの設定が女たちに人気爆発なのだろうか。
          なでなでCMがロリ男の願望を反映していて恐ろしいと酷評されるいっぽう、叔父とハメハメしてる姪の漫画にもやはり今どきの娘さんの性欲が反映されているとしたら、実はわれわれが思うよりも男と女の利害は一致してるんじゃないかとふと思った。

          知られざる性欲

          0
            池上彰ネトウヨ化疑惑より引き続き「リテラ」をクソテキトーに読んでいたところ、以下のような記事を見つけた。

            江角マキコは女性の性の伝道者だった!TVで「体がオナニーしてしまう」発言(2014年9月24日)
            http://lite-ra.com/2014/09/post-490.html

            最近はメディアでもすっかり市民権を得た感のある「女性のオナニー」。女性誌のセックス特集では当たり前のようにオナニーが紹介され、書店には、『ひとりHマニュアル 女の子の気持ちいいオナニー』(データハウス)、『女性のための LOVE GOODS BOOK』(マイウェイ出版)など、女性向けオナニーマニュアル本も並ぶようになった。  
            女性向けのAVや“エロメン”と称される人気AV男優のヌード写真集、官能小説、TLなど、女性のオナニーの“オカズ”も豊富に流通するようになり、女子会でも「バイブよりローター派かな」などと堂々とオナニー談義が行われている。  
            だが、10年ちょっと前にはこんな状況は考えられなかった。セックス談義についてはオープンでも、オナニーが公然と語られていることはほとんどなく、その言葉は男性向けエロ本やAV、フェミニストの著作くらいでしか見ることはできなかった。「an・an」(マガジンハウス)だけはセックス特集をはじめた当初からオナニー研究の記事を掲載していたが、それ自体がニュースになるくらい珍しいことだった。「オナニーをする女性はごく一部」というような神話を信じている男性も少なくなかった。  
            だが、そんな時代に、なんとテレビで、堂々と女性のオナニーの必要性を訴えた有名女優がいる。いま、ママ友騒動で世間を賑わせている江角マキコだ。  
            江角が自身のオナニー論を展開したのは、2000年に放送された『江角マキコの恋愛の科学復活スペシャル〜A.D.2000セックス研究報告〜』(フジテレビ系)でのこと。この番組は、司会の江角が赤裸々な恋愛トークを繰り広げることで人気を得ていたが、こともあろうか1月4日という正月の真っ只中に、その発言は飛び出した。  
            この日は、ゲストにSMAPの稲垣吾郎を迎え、女性の性のあれこれについて、いつもの白熱トークで番組を盛り上げていた江角。そうして、「オナニーは良いこと? 悪いこと?」というテーマが提示されると、江角はこのように解説を始めたのだ。 「(オナニーは)“セックスの準備”。膣内の粘液の流れを増大させることで男性のペニスを受け入れやすくする。その練習ってことです」  
            さらに江角の解説はつづき、“オナニーは感染症の回避のため。膣内の粘膜を酸性にし、病原体を殺し、体外へ流し出す”と説明。ここまでは番組が用意した原稿だったとしても、女優の口から「オナニー」という言葉が連発されること自体、異例の風景だった。しかし、これで驚いてはいけない。ついに江角は、自分の言葉で体験談を語り出すのだ。
            「身体がオナニーをしてしまうんです! みんなそうだと思います。そういうこと、したことないって人は、私いないと思うんですね」  
            この突然すぎるカミングアウトに、「!?」と凍てつくスタジオ。だが、江角はそんな空気に屈することなく、さらにたたみかけるように「大体の人が、自分の身体を触る行為はしてると思います」とキッパリ言い切った。  
            冒頭で、いまは女性のオナニーは公然化していると書いたが、それでも現在のテレビ番組でも、このような発言はまずあり得ない。せいぜい深夜の、それもテレビ東京で、“セクシータレント”が口にしてぎりぎりでアリな世界だろう。それをいまから14年も前に、23時台スタートのフジテレビの番組で、視聴者も多い正月に、一線で活躍する有名女優が“女はオナニーをするもの”と断言したのだ。これは、女性の性の解放史の1ページに記録されてもいいような大事件である。ある意味、江角はオナニーのジャンヌ・ダルクだったといってもいいかもしれない。  
            ・・・


            下ネタ苦手系の方には申し訳ないのだが、最近私の中で上記引用のような女性の性をもてはやす記事に対し、こういうのってほとんど左翼(女性運動家=フェミニスト)が書いてるんじゃないか?って疑惑が生じているため今後も食いついていくかもしれない。
            記事のいわんとするところを要約すると、近年女ニーが市民権を得ていて、なんと10年前には有名女優の江角マキコがテレビで女ニーをカミングアウトしていた。女性解放はちゃくちゃくと進行中!ってなところだ。
            私がまず一番に違和感をおぼえたのは、こうした状況が「10年前は考えられなかった」ってくだりである。
            女ニーがネタにされるのは男性向けのエロ本かフェミニストくらいで、唯一の例外がananだった、とのことだが、別にそんなことはない。今はギャル雑誌として知られるポップティーンや、その他エルティーン、パステルティーンといった少女向けのティーン誌が20年前は軒並みエロ本だったのは何度か当ブログでも書いているとおりで、自慰ネタは定番だったといってよい。
            先日もそうしたティーン誌の中でとくにゲスかった記憶のあるルナティーン誌が1994年に出した「マンゴープリンとフルーツポンチ―女子中高生放課後作文教室」を読んだところ、女ニーに電動歯ブラシを使用するというネタが散見された。おそらく90年代初頭は電動歯ブラシが一般的になり始めた時期だったのだろう。
             

            ひとりH・・・女子高生ともなると、ひとりHは毎日の日課。最近、彼女たちに人気のひとりHグッズは、ナント電動歯ぶらし。1台約6000円くらいするが、本物の電動コケシより安い。しかし、近ごろは使い捨ての電動歯ぶらしが人気に。これだと値段は580円とお安い、から。
            (15ページ)

            キケンなオナニー・・・オナニーをすること自体は、なんら悪いことではない。性欲を満たすには、相手の男性がいなければ、ひとりHをするしかない。でも、器具を使うときはご注意。電球だと中で割れてしまうし、温度計もそう。電池を入れると取り出しにくいので要注!
            (41ページ)


            電球や温度計や電池をどうやって使うのかもはや意味が分からないのだが、もしかすると学生運動あがりとかのオサーンが「若い娘さんの性を解放しよう」とばかりに適当な情報で少女たちをたきつけていたのかもしれぬ。ひどいところでは、窓を全開にして見せつけちゃおう!ってのもあった。
            こうしたエッチなティーン雑誌が全盛だったのはせいぜい90年代初頭までで、コギャルなどストリートファッションが盛り上がってくると時代と合わなくなったのか、いつの間にか見かけなくなっていった。
            そのこともあって私の中では女性が年々開放的になっているというよりもむしろ、おおっぴらに性を語る女をもてはやすのは左翼による80年代特有の風潮だったという歴史観が形成されつつあり、性器の名前を連呼したり、ことさら女ニーを推進することに、どこか昭和の香りを感じてしまう。なのでこの記事を書いた人の名前を検索して生年を調べようと思ったが、特にこれという情報は出てこなかった。
            そもそも左翼界の下ネタは全体的に女が牽引しているように見える。性をオープンにしなければならぬという強迫観念のために、無理してオカズがどうのと下品気味なこと言って実際の性欲および生物学的能力が男と同等であるとばかりに張り合ってはいやしないだろうか?
            記事を読むと男ナニーはオープンなのに女ニーは何かタブーがあるかのような、ある種の被害妄想をチラつかせているような印象を受けるのだが、私は男の芸能人がテレビでオープンに男ナニーを語っているのも特に見たことがないし、別に見たくもない。江角マキコの女ニー事情も同様である。
            ただ江角氏にかんして以前桐島洋子の息子との結婚歴があるため、もしかすると昔クロワッサンとか出てたようなススんでる女性をステイタス視するようなところが、世代的にあるのかもしれない。ともかくこの記事には、女ニーの話題に人々が戸惑う様子をうかがって、女の性をオープンにできない差別とか抑圧があるといったふうに論を展開させようとする悪意が感じられる。
            「オナニーをする女性はごく一部という神話を信じる男性」といった言い回しも同様に「やってるやってるー♡」って言うと愚かな男たちはビッチのレッテルを貼って幻滅する、だからこそ女はオナキャラ封印し清純ぶらなくてはいけないハメになってる。とでも言いたげだ。しかし、多くの場合男がどうとかいうよりただ下ネタに消極的だったり、自分を慰めてる寂しい女って思われたくないから言わないだけの話じゃなかろうか。
            だいたい男だって、女が独りでしてるからってそこまでショック受けんだろう。知らんけど。

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