本場フランス

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    評価:
    英 隆,コリーヌ・ブレ
    集英社
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    (1983-04)

    ソニー創業者の井深大と脳生理学者の大島清の対談を読むと、フリースタイル分娩や水中出産など妊婦が主体のアクティブ・バースにかんする話題があった。この対談がいつおこなわれたものか分からないのだが、話の内容からするとラマーズ法全盛期よりけっこう後なのかもしれない。

    大島氏はラマーズ法で有名な三森助産院の出産ビデオの監修もしていた。それが90年代くらいになると妊婦さんの好きな呼吸や姿勢で産んだらよいって話になってきて、ヒッヒッフーが形式化したラマーズ法はすたれてったと思われる。

     

    井深対談

    http://www.sony-ef.or.jp/sef/about/pdf/taidan12_13.pdf

    井深
      前に南フランスの方で...。  
    大島
      オダン。  
    井深
      ええ、そうです。自然な形の分娩、それも妊婦さんがどういう形でお産をしたいということが選べる。それで、家族が一緒にそこに住めるというような...。
    大島
      選ばして、あおむけにお産をすると言った人は1000人のうち2人しかいなかった。みんなほかにプールでお産するとか、それからいわゆる座産、立ち産を希望したんです。それで、だんなさんに支えてもたいたいと。いなきゃオダン先生で結構ですと。
    井深
      お父さんがお産に立ち会うっていう運動を起こすべきですね。いろんな意味で。  
    大島
      大変うれしいお話です。井深さんがそう言ってくだされば、ぼくなんかはすごくありがたい。  
    井深
      母乳の次にはそれを言わなければね。  
    大島
      まことにそう思いますよ。  
    井深
      病院側が寄せつけないから、そういうことになるわけなんですよね。 

    ・・・

    井深
      このごろ、だんなさんを入れるとか、お母さんを入れることは少し動き出したみたいですね。
    大島
      国立とか大きな病院はだめ。たとえば関西なんかの個人病院でホテル式でっていうのはあります。そういうことを売り物にして患者さんに与えている。ところが、大きなところはまだまだ。いわゆる医療出産のことをフランスの人たちは暴力的出産だと言っている。医者がハサミを持って生まれるまで待っているという話が漫画に書いてあります。

    ・・・

    大島
      水中産はいろいろやっているところがあって。  
    井深
      クリミア半島の近くの海でしているようですが、実際のビデオもあるんですよ。クリミア半島で、もともとソ連の人たちがやっていた方式を、フランス人がフランスで今やっている。
          水中お産をして、そのまま海や水の近くで生活させるんですよね。もちろん、住むのは陸上ですけれども、しょっちゅう水の中に入れるようにすると、すぐにイルカみたいにきれいな泳ぎになっちゃうんです。
    大島
      生まれてからずっと水中生活ですか。もちろん出たり入ったりしているわけですね。  
    井深
      ええ。そうすると、赤ちゃんが少なくとも5分間は入ったままで平気なんです。  
    大島
      赤ちゃんというのは0歳ですか。  
    井深
      もちろん、0歳です。
    長い子は15分間も平気でもつようになるんだそうですよ、全然、息をしないで。
    きっと、それは胎内の延長のようなものなんでしょう。
    ・・・


    オダン先生というのは水中出産で有名なフランスの産科医で日本では「バース・リボーン―よみがえる出産」が1991年に訳されているが、オリジナルは1984年に出てるようだ。画像検索すると日本版の帯に「 “ラマーズ法” “暴力なき出産” を生んだフランスからまた自然出産法が登場した」って書いてて、確かにいわれてみるとラマーズとかルボワイエってフランスの産科医だし、オリーブ誌のリセエンヌ路線しかり30年ぐらい前はフランスが最先端だったのか、オリーブ少女が中年にさしかかった2000年代に主婦のほっこり丁寧なくらしとしてニューエイジは復興したのだった。

    フランスのジャック・マイヨールというイルカ好きな素潜りの達人がリュック・ベッソン監督「グラン・ブルー」て映画(1988)になってて、おそらく同作品がくしゅくしゅソックス時代のイルカブームに強大な影響与えてるのだが、マイヨール氏はオダン先生とも親交があった模様。水中出産自体が、昔人間が水中で生活してたとかイルカ実はすごい頭いいししゃべれるって思想にもとずいてると思われ、夫立会いのラマーズ法どころかイルカ立会いっていうのもあったはず。

     

    映画「プルミエール 私たちの出産」予告編(YouTube)

    https://www.youtube.com/watch?v=zQIHHQtTr1M

     

    プルミエール 私たちの出産(Wikipedia)

    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AB%E3%83%9F%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%83%AB_%E7%A7%81%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%81%AE%E5%87%BA%E7%94%A3

    『プルミエール 私たちの出産』(プルミエール わたしたちのしゅっさん、原題:Le Premier Cri)は、2007年のフランスのドキュメンタリー映画。
    概要

    文化・人種・環境が全く異なる10カ国の出産事情を監督ジル・ド・メストルが追った、ドキュメンタリー作品。出産を皆既日食と結びつけ、神秘的なものとして扱っている。ディズニー・ネイチャー・プロダクションの第1回作品。キャッチコピーはあなたのために生きていく。

    2007年、セザール賞最優秀ドキュメンタリー賞にノミネートされた。

    日本ではPG-12指定。

    監督のメストルは男性で、自国フランスで出産を扱ったドキュメンタリーのテレビ番組を担当したことから出産に興味を持ち、今回の映画の製作に至ったという。
    内容

    アメリカ:ヴァネッサ(32歳)
        医療機関に頼らず、自宅での自然分娩を選択。
    タンザニア:ココヤ(約40歳)
        マサイ族の女性の出産を初映像化。
    日本:由起子(31歳)
        愛知県岡崎市にある吉村医院で昔ながらの生活をしながらの出産。
    ベトナム:ツーズー病院
        1日に120人以上が生まれる、世界最大の産院に密着。
    フランス:サンディ(28歳)
        臨月まで舞台に立ち続けたダンサー。
    ロシア・シベリア:エリザベート(21歳)
        マイナス50度の極寒の環境での出産。
    メキシコ:ガビー(30歳)&ピラー(32歳)
        イルカと共に水中分娩に挑む。
    ブラジル:マシュトンリ(21歳)
        アマゾン川流域に住む先住民族カポヤ族の出産。
    ニジェール:マニ(25歳)
        トゥアレグ族の砂漠での出産。
    インド:スニータ(35歳)
        極貧生活の中での出産。

     

    https://www.amazon.co.jp/dp/4768433774

     

    https://www.amazon.co.jp/dp/4062760622

     

    https://www.amazon.co.jp/dp/B0051CEPFI

     

    水中出産結社に入会する道はじつにさまざまである。まず水中で出産した母親たちがいる。水の世界に対する人間の適応力に強い関心をよせている人たちがいる。『イルカと、海へ還る日』の著者であるジャック・マイヨールもその一人だ。彼は酸素ボンベをつけずに水深100メートル以上も潜れる稀有なダイバーである。マイヨール自身、モスクワのチャルコフスキーのもとを訪れたり、人間と水についての番組を制作するために、日本のテレビクルーをつれて、ピティヴィエ病院を訪れたりしている。またイルカへの関心がきっかけになった人たちもいる。水中出産結社のメンバーの一部には『リバーシング』というセラピーを行っているセラピストたちがいる(リバーシングとは、意図的な通常とは異なる呼吸をすることで、「退行状態」や「変性意識」を引き起こす方法であり、そのプロセスは、誕生のような過去の体験が刻印されている脳の原始的部分を活性化するものと考えられている)。そのほかには、『水中出産結社に接することによって人生が大きく変わってしまったジャーナリスト、作家、プロデューサーたちがいる。また、ヨーロッパ、アメリカ合衆国、ニュージーランド、オーストラリア、南アフリカでは、勇敢にも家庭における水中出産を介助してきた助産婦たちがいる。さらに医師たちのなかにさえ、水中出産結社に加わってくる人たちがいる。

    (ミシェル・オダン著「水とセクシュアリティ」48ページより)

     

    景山民夫、鯨に逢いに行く。ライアル・ワトソン、坂本龍一、他。(YouTube)

    https://www.youtube.com/watch?v=hrPeRhvlDMk

    「ヒトはどこから来たのだろうか。多くの命がこの地球に生まれ育った。ある者は地に住み、ある者は風に舞い、水に泳いだ。クジラは海に戻り、すばらしい知性をはぐくんだ。しかしヒトはどのようにして知性をはぐくんだのだろうか」

    ライアル・ワトソン「人類の進化の歴史の中には600万年の空白があります。そこに何か秘められた謎があると私は思っています。私たちの遺伝子の90%まではいまだにゴリラやチンパンジーと同じものです。この謎の時代にゴリラやチンパンジーに起こらなかった何かが私たちに起こったのです。言葉を持つ2本足の動物になり、体毛も失ったのです」

    「1000万年前、地球を覆っていた氷河が溶け始めた。氷河期の終焉は地球を温暖化し、水面は200mも上昇した。地上は乾燥して砂漠の出現となった。ヒトの祖先は森を捨てて水辺へ。さらに食べ物の豊かな水の中へと入った。水中生活はヒトに何をもたらしたのか。私たちはクジラと同じように体毛を失った。そして水中での生活が2本の足で立つことを容易にした。新生児たちはまったく水を怖がらず、本能的に水の中でのふるまい方を知っている。やはり私たちは水の中で暮らしたのだろうか」

     

    水生類人猿説(Wikipedia)

    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E7%94%9F%E9%A1%9E%E4%BA%BA%E7%8C%BF%E8%AA%AC

    アクア説(アクアせつ、英: Aquatic Ape Hypothesis: AAH, Aquatic Ape Theory: AAT)とは、ヒトがチンパンジー等の類人猿と共通の祖先から進化する過程で、水生生活に一時期適応することによって直立歩行、薄い体毛、厚い皮下脂肪、意識的に呼吸をコントロールする能力といった他の霊長類には見られない特徴を獲得したとする仮説である。

    ・・・

    概要
    霊長類においてはヒトにのみ見られるとされる特徴のいくつかが水棲哺乳類・水棲鳥類では一般にみられることが、この説の根拠となっている。およそ500万年より以前の人類の祖先の化石が発見されていないミッシングリンクと呼ばれる時代におけるヒトにつながる進化の過程について提唱されている仮説のひとつ。

    ・・・

    「ワトソン博士の仮説に導かれてわれわれはロサンゼルスへ向かった。ロサンゼルスのナチュラルチャイルドバースセンター。この産院はもっとも自然な出産のひとつとして水中出産を指導している。1960年代ソビエトのツワルコフスキー博士によって広められたこの出産に賛同者は多い。母親の体は楽で生まれてくる子どもにもよいというのはその理由だ」

    「このナチュラルバースセンターでは胎教にも力を注いでいる。ペンシル型のスピーカーで胎児に音楽や自然音を与え聴かせているのだ。その胎教育のひとつにクジラの鳴き声がある。クジラとヒトの思わぬ出逢いである。はたして胎児はクジラの声にどのような反応をしめすのか」

    イゴール・スミルノフ博士「通常胎児は妊婦のお腹の中では手や足を縮めて身を守るような格好をしているんですが、クジラの声を聴いているときの胎児はまるで水の中を泳いでいるような動作をします。クジラの声の中にはいろんな情報が入っていてきっと胎児に水の中にいるんだということを伝えているんだと思うんです」

     

    オダン著「水とセクシュアリティ」(1995)の訳者は赤ちゃんじつは病院出産嫌がってるの根拠になってるルボワイエ「暴力なき出産 子どもは誕生をおぼえている バースサイコロジー」(1991)と同じくホリスティック教育の中川吉晴同志社大学教授である。前述したように大島清はラマーズ法のビデオ監修してたこともあったし、井深対談の中でも夫の立会いについてふれられているが、意外なことにオダン先生は夫立会いを疑問視していたと経血コントロールでおなじみの三砂ちづるが言うてた。

     

    三砂 出産時の夫の立会いについてもいろいろな議論があります。ミシェル・オダンという水中出産を広めたことで有名なフランスの産科医は、出産時の夫の立会いを肯定的に見ていないようです。

    ・・・

    彼は、自然なお産の世界ではカリスマ的存在です。そのオダンが、90年代の終わり頃にブラジルに招かれて講演をし、「出産の場に男はいらないと思う」といってしまったのです。ブラジル側で彼を招待した自然なお産を推進していたグループの人たちは、人間的な出産の第一歩として、夫の出産時の立会いを推進していたものですから、物議をかもすことになりました。

    お産にかかわっていると、出産の場に男がいることは不自然だと気づきはじめるということはわかるような気がします。オダンも長い間自然なお産に向き合ってきて、やっぱり女性がこういう状態のときには、そもそも男はいない方がいいんだと思ったということでしょう。

    お産が近づいてくると、エンドルフィンと呼ばれる、ほわーっと幸せになるようなホルモンが出ているのだそうです。お産の前には陣痛がきて痛いときと、その波がおさまる間歇期が繰り返されるのですが、「間歇期に引き込まれるように眠くなる。なんだか幸せになる」というような話を女性から聞きます。つまり、エンドルフィン・ハイの状態ですね。自然の痛み止めともいえるでしょう。

    このエンドルフィンがハイのときというのは、恋に落ちるのと同じような状態になるそうです。つまり、周りの人を好きになってしまうような状態。これはきっとほんとうは、生まれてくる子どものためにあるのではないでしょうか。生まれてきたその子にもう無条件に恋してしまう。「もう、この子だけでいい」と思い込むような、そういう仕組みかもしれません。

    辻 なるほど、なるほど、よくできている。

    三砂 だからこそ、オダンは「出産の場に男はいらない」といったのでしょうね。男がいると、赤ちゃんに向かうべき気持ちが男の方に行ってしまう。まあ、夫がそばにいると夫への愛も深まるわけですから、それはそれで意味があることなのですけれどもね。

    ・・・

    現実に、多くのお産の場で、夫の立会いは認められるようになっています。ただ、病院では、マスクと帽子とうわっぱりをつけさせられて、ただ立っているだけの夫の「立会い」もまだ多いようです。助産所ではほとんど立会い分娩をやっていますが、「立会う」どころではなく、夫は産婦を支えたり、マッサージしたり、どんどん能動的にやることが求められていて、「立会う」などというのんきなものではありませんね。まさにいっしょに産んでいるという感じです。

    また、日本の助産所では、夫だけでなく、子どもも立会えるところが多いですね。これはあまりほかの国では聞いたことがありませんが、子どもにはとてもいい体験になっているようです。自然なお産はおどろおどろしい場ではなく、おだやかで、よい雰囲気ですから、2,3歳の子どもでもお母さんをかいがいしく世話しますし、分娩の様子を真剣に見守っています。家族みんなで分娩を見守る、これは、日本の助産所ならではのことでしょう。家族出産ですね。

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    (辻信一・三砂ちづる「だきしめてスローラブゆるやかにしなやかに男と女の性と愛」50〜55ページより)

    産科医院にプールを設置する利点について訊ねられるとき、私はいつも「それは重要な問いを導き出すためですよ」と答えている。現在までのところ、出産は、私たちの社会のなかで二つの問いを導きだしてきた。最初の問いは「出産はどのように管理できるか」というものだ。これは医師たちにとって最優先の問いである。この問いのために、産婦たちはあおむけに寝かしつけられることになった。そして出産が大病院に集中するようになり、分娩監視装置が現代の産科医療のシンボルになった。この問いのおかげで、出産のように自然な性的営みに属している出来事を観察したり管理すると、その自然なプロセスが抑えられてしまうということが、医師たちにはわからなくなってしまったのだ。

    二つめの問いは、「お産をしている女性をどのように援助できるか」というものだ。この問いのおかげで、女性たちは、あるべき出産の仕方を他人から教えてもらうことになった。フェルナン・ラマーズは、女性が読み書きや泳ぎ方を習うように、出産の仕方も習得しなくてはならないと言った、アメリカでは、ロバート・ブラッドレーが、女性も男性も出産時にそれぞれ果たすべき役割があり、男性にはコーチ役がつとまると考えた。ここでの問題点は、出産というものを、意識ではコントロールできないプロセスとして捉えることから、ますます遠ざかっていくということだ。意識でコントロールできないプロセスを援助することなど、そもそもできるものではない。それをやろうとすれば、かえって妨げとなるのが、せきのやまである。

    ・・・

    その問いの答えは、人間以外の哺乳動物たちが教えてくれる。哺乳動物にとって、出産は孤独な営みである。出産まじかになると、彼らは仲間から離れて独りになる。ふだんは群れをなしている羊は群れを離れて出産し、夜行性の動物である野ネズミは昼間に出産する。日中草を食べてくらす馬は夜間に出産する。出産をするメスにとって一番重要なのは、天敵を避けることではなく、同じ種の仲間から自分をまもることなのだ。

    ・・・

    プライバシーの必要性という点からみると、とりわけ病院のような環境においては、産婦はプールに入ることによって、独りになり、無用な刺激から身をまもる機会が得られることになる。また、広くて落ち着かない部屋にあるバスタブより、狭い個室についているシャワーのほうが、出産のプロセスを促進する効果があるということも、プライバシーという点から説明がつくだろう。最後にもうひとつ、水には、イライラした介助者たちを落ち着かせたり、せかせか動きまわろうとする気持ちを静めてくれる効果があるということも忘れてはならない。

    (ミシェル・オダン著「水とセクシュアリティ」39〜42ページより)


    ヒッピー祭り

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      評価:
      南正人
      キングレコード
      ¥ 1,050
      (2012-10-03)

      「木を植えましょう」著者の正木高志も出演していた反原発イベント「いのちの祭り」がヒッピー大集合だった。もともと1988年に開催されたのが最初で、諏訪之瀬島や無我利道場のコミューンにいた山田塊也も実行委員だったらしい。

       

      いのちの祭り2012ーNO NUKES ONE LOVEー

      https://clubberia.com/ja/events/198163-2012-NO-NUKES-ONE-LOVE/

      【いのちのフォーラム】
      「いのちの宣言」メインミーティング9月16日(日)11:00 @RAINBOW STAGE
      「いのちの宣言」発表9月17日(月/祝)15:00 @RAINBOW STAGE 発表人:おおえまさのり
      経産省前テントひろばから 9月17日(月/祝)@RAINBOW STAGE
      呼びかけ人:原発いらない福島の女たち
      子どもの命と健康を守る「福島診療所建設基金」への呼びかけ
      「いのちの文明」トークセッション @NO NUKES ONE LOVE CAFE
      ナビゲーター:谷崎テトラ
      ゲスト:9月14日(金)辻 信一
      9月15日(土)鎌田陽司
      9月15日(土)田中優
      9月16日(日)正木高志

      ・・・

      『いのちの祭り2012』

      富士山麓の豊かな自然の中で、カウンターカルチャーを体現する、
      すべての若者が集まる4日間のキャンプイン・フェスティバル

      『いのちの祭り2012』が開催されます。

      『いのちの祭り』は、1988年に八ヶ岳に約1万人を集め、当時のマスコミから和製ウッドストックなどと呼ばれた野外フェスの元祖です。1969年の『ウッドストック音楽祭』は、1960年代の意識革命で目覚め、オルタナティブな生き方を探して都市を脱出し、全米各地や世界中に散った人々の同窓会でもありました。同様に、チェルノブイリ原発事故を受けて「No Nukes One Love」をテーマに掲げた『いのちの祭り1988』は、1960?70年代、都市を離れてコミューンをつくり、ヒッピーやニューエイジと呼ばれ、オーガニックなライフスタイルを模索した日本のカウンターカルチャーの担い手たちが、一堂に会した「フェス=お祭り」でした。

      その12年後のミレニアムには、『いのちの祭り2000』が開催され、長野県鹿島槍に約7,000人が集まりました。このときは、ロック世代からトランス世代への継承のお祭りでもありました。『いのちの祭り1988』の関係者や参加者が、1990年代のレイブシーンや野外フェスブームの中心だったこともあります。音楽ジャンルの違いは問題ではありません。そこで継承されたのは、近代合理主義を越えた、ポストモダンで、ニューエイジな、水瓶座の時代の意識であり、感性であり、生き方でした。

      そして、2000年からさらに12年後の今年、富士山の麓で『いのちの祭り2012』の開催されます。テーマは再び、「No Nukes One Love」。日本が、そして世界がアフター・フクシマの時代に突入した今、24年前から引き継ぐこのテーマが、ますます重みと輝きを増し始めています。『いのちの祭り』で会いましょう!

       

      いのちの祭り(1988)

      http://www.champloose.co.jp/champloose02/1220.html

      今でも語り継がれる、80年代ニューエイジムーブメントの大きな山といえるイベント「いのちの祭り」も実は昌吉の提唱によるものである。
      昌吉は八八年をとても重要な年と位置付け、70年代後半から88年8月8日に祭りを興すことを目標に、保坂展人氏や友人たちとともに早くから動いていた。
      その昌吉の念願の祭りの会場が長野県八ケ岳に決定し、祭りのタイトルも「八ケ岳、いのちの祭り」に決まった。88年8月8日に八ケ岳の8も加わり五つの八の祭りになったのだ。
      「NO NUKES ONE LOVE」を掲げて実行委員会が結成され「自然と生命の尊さを考える」という主題のもとに八月一日から八日間にわたって行われた。
      出演者も、喜多郎、カルメン・マキ、山口富士夫、上々颱風、吉田日出子、星川淳、広瀬隆、ナナオサカキや、科学者、住民運動家から役人まで多岐にわたった。アメリカインディアン・ホピ族のトーマス・バニヤッカも参加し、ホピの予言、原爆、原発についてのメッセージを送った。チェルノブイリの原発事故以降、危機感を募らせていた人々の思いも集中し、全国から8888人(主催者発表)といわれる観客動員があった。

       

      1979年アメリカのスリーマイル島で事故が起き、野草社の雑誌「80年代」で広瀬隆や中尾ハジメが原発の記事書いてたくらいが反原発運動で主流なロハスのはしりで、その後1986年のチェルノブイリ原発事故を受けて広瀬隆が著した「危険な話」(1987)が一部で話題沸騰し、運動の規模もこのときに相当大きくなったと思われる。いしだ壱成が少年時代に伊方原発の出力調整実験に抗議してほびっと村の人とかと四国電力の座り込みしてたってブログで回想してたのも、いのちの祭りと同じ1988年でこれまた「80年代」の執筆陣だったミュージシャン喜納昌吉も参加していた。

      1988年のチェルノブイリに対し、2012年のいのちの祭りは福島の原発事故を受けての開催だったのだろう。辻信一や正木高志が出演するトークのナビゲーターが谷崎テトラとなっているが、この人は安倍昭恵さんのスピ友達だったかと思う。

       

      谷崎テトラ(Twitter)

      https://twitter.com/tetra_/status/617628942501941248 ‏

      安倍昭恵 総理夫人が日本古来の伝統文化である麻づくりを鳥取県の認可のもとすすめている智頭町を訪ねました。以下は智頭町の取材記事です。 60年ぶりに麻栽培が復活。伝統的な麻づくりの現場

      http://colocal.jp/topics/think-japan/tsukuru/20140902_36143.html …
      2:39 - 2015年7月5日

       

      森永自然シリーズ

       

      10年ぐらい前に谷崎氏がTOKYO FM出演してしゃべってたのがニューエイジすぎて、その番組名思い出したいけど全然出てこないのでWikipedia見てみたところ、構成しているTOKYO FMの番組「アース」「ピース」「キャンドルナイト」「apバンク」「木を植えましょう」みたいなのオンパレード、音楽関連では「PBC名義でティモシー・リアリーとの共作による『バルドソドル〜チベット死者の書ジョン・C・リリーのREMIX作品『ECCO』(サンフランシスコ/サイレントレコード)をリリース」とかよくわからないけどとりあえずニューエイジすぎて昭恵さん大麻畑で微笑むのも無理ないと思った。そういえば初めて服部みれいの存在知ったのも谷崎氏が構成してたTOKYO FMの番組である。

       

      野外フェスの元祖「いのちの祭り」:脱原発と日本のカウンターカルチャーのクロニクル(2012年11月30日 WIRED)

      https://wired.jp/2012/11/30/inochinomatsuri/

      ・・・

      88年8月1日から8日の8日間、八ヶ岳のスキー場で開かれた「いのちの祭り」には、述べ約1万人が、キャンプインで集まった。それだけの数の人間が、野外でキャンプしながらひとつの場所で、1週間以上も生活するなんていうイヴェントはそれまでなかった。

      しかも、単なる音楽フェスティヴァルではなかった。祭りが掲げたテーマが、「No Nukes One Love」。2年前の86年に世界を震撼させた、チェルノブイリ原発事故をきっかけに激化する反原発運動の、それは新しいひとつのかたちでもあった。

      会場では、環境汚染や自然農法が語られ、「No Nukes」な社会を目指すためのシンポジウムが連日行われた。気功や瞑想、マクロビや自然エネルギーに関するワークショップが開かれ、『ホピの予言』のようなメジャーが配給しない映画が上映された。パスポートを持たずに来日したネイティヴアメリカンのメディシンマンがステージで祈りを捧げ、オープニングセレモニーでは神道の大地の神が降ろされ、神楽が奉納された。

      それは、破滅へと突き進む持続不可能な消費文明とは別の、新しいライフスタイルの実験場であり、ショールームであり、束の間に現れた「ONE LOVE」の理想郷であり、日本のカウンターカルチャーにとっては、歴史的なギャザリングであった。

      ・・・

       

      このホピの予言って映画見たことないけどけっこう有名なので何を予言してたのかなど今しがた検索してみたところ、ホピ族っていうのはネイティブアメリカン、つまり白人が入植する前からアメリカに住んでいた先住民のインディアンであり、彼らの住んでいたフォーコーナーズは長らく不毛の地とみなされていた。やがてウラン鉱脈が見つかってそこで採掘されたウランで広島長崎の原爆も作られたのだが、ウランについて「母なる大地から心臓をえぐり出してはいけない」、原爆について「灰のつまったひょうたん」だとかいって、すでに核の汚染がホピ族のあいだで予言されていたのだという。

      ノストラダムスの1999年人類滅びるみたいで懐かしい。ていうか、ホピの予言の監督である宮田雪(きよし)の関わった水木しげるの漫画に「ノストラダムス大予言」もある。

       

      https://www.amazon.co.jp/dp/4886411061/

       

      宮田雪(Wikipedia)

      https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E7%94%B0%E9%9B%AA

      大学卒業後、映画監督鈴木清順に師事し助監督の道へと進むも、その後大和屋竺の薦めで脚本家に転じる。1987年ごろまで数多くのドラマ、アニメ、劇画などの脚本を手がける。一方でブーム前夜にあったニューエイジ・スピリチュアルの世界にも身を置き、1973年のインド旅行をきっかけに、日本山妙法寺の活動に加わるようになる。

      1978年からアメリカインディアンのホピ族に接触し、ホピ族らの文化に傾倒。8年がかりで1986年に記録映画を完成させるなど、彼らの文化の紹介に務める他、反原発運動などにも関わる。水木しげるとは1970年頃から師弟関係にあり、漫画原作の提供や、水木をホピ族の村に招くなどしている。

       

      上の引用記事にある日本山妙法寺、コミューン時代の1975年にヒッピー大集合の「花祭り」が開催されていたようで、13年後のいのちの祭りと山田塊也や南正人など関係者もかぶってる。記録映画「花まつり」監督の藤枝静樹は同時期に上野圭一が部族(っていうコミューン)を撮った「スワノセ・第四世界」(1976)のスタッフで、YMO、甲斐バンド、りんけんバンド、鼓童などおもにミュージシャンの映画に関わっていたらしい。

       

      花祭り1975  final cut(YouTube)

      https://www.youtube.com/watch?v=AITgGWOcLZ8

      (1975年04月20日 御殿場・日本山妙法寺)「ミルキーウェイ・キャラバン75・花まつりコンサート」

      演奏­:アケト、ジョン、タシ、アシッド・セブン・ファミリー・バンド、久保田麻琴と夕焼け楽団、CCCマントラバンド、ジュゴン、裸のラリーズ、南正人グループほか。

      この日の模様は「花まつり」(藤枝静樹監督、16ミリ、約75分 1975)という記録映画に。以下は監督の 藤枝静樹氏談。

      1. 約60分の上映時間のうち、ラリーズの演奏場面(「The Last One」)は2、3分。

      2. 照明なしで、ステージのストロボだけで撮影しているため、姿はストロボが光った時にち­らちらと見えるだけ。

      「裸のラリーズと言えば1曲30分以上で延々と続く演奏がすごいが、ここでの収録はご­く短い。ラリーズだけを期待すると、飽きてしまうかも」との話。 この映画はプリントが3本あるが、

      (1)1本は会場の日本山妙法寺にある仏舎利塔の中(「入れっぱなしのため、とっくに­色などが飛んでおり、見れないだろう」)

      (2)もう1本はオランダに渡った

      (3)残りの1本は藤枝監督自身が持っている 藤枝監督所有分は、日本のコミューン周辺などの要請で数年に1度上映してきたという。

      今のところ次の上映予定は決まっていないが、そのうち何らかの形で上映するようだ。

      具体的にこのフィルムが現在どこにあるのか藤枝監督自身はっきりしないが、「おそらく­自宅のどこかにあるのでは」とのこと。 ビデオ化の予定は今のところない。

       

      確かこの花まつりと同じころの雑誌で宮田雪がラム・ダス「ビーヒアナウ」を解説していたのを見たことがある。当時の宮田氏はいのちの祭りの実行委員長でもあるおおえまさのりとオーム・ファウンデーションとかいう団体?を設立していた。

       

      おおえまさのり(Wikipedia)

      https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E3%81%8A%E3%81%88%E3%81%BE%E3%81%95%E3%81%AE%E3%82%8A

      おおえ まさのり(1942年 - )は、日本の作家、翻訳者、映像作家。

      来歴

      徳島県鳴門市に人形製作者大江巳之助の長男として生まれる[1]。京都学芸大学(現・京都教育大学)特修美術学科卒業。

      1965年より1969年まで、ニューヨークで映画を制作する。1971年、インドを旅しチベット仏教を知り、「チベットの死者の書」を翻訳し出版する[2]。以後、精神世界やニューエイジに関わる様々な企画・出版・学塾に従事する。

      1988年8月に八ヶ岳で開催された「いのちの祭り」[3]、2000年8月に長野県大町市で開催された「いのちの祭り2000」の実行委員長を務めた[4]。いちえんそう主宰。

       

      「ホピの予言」宮田雪監督と関係ある漫画家は水木しげるのほかに真崎守がいて、真崎氏は野草社のコミューン雑誌「80年代」で表紙や山尾三省の詩にイラストをつけていた。「ホピの予言」についての書籍「ホピの太陽の下」も野草社から出ており、宮田氏が「80年代」誌に寄稿していたこともあったそうだ。

       

      https://www.amazon.co.jp/dp/4787705814

       

      未来へ続く道 2018(3)製作ノートより

      https://www.landandlife.org/2018/02/21/%E6%9C%AA%E6%9D%A5%E3%81%B8%E7%B6%9A%E3%81%8F%E9%81%93-2018-3-%E8%A3%BD%E4%BD%9C%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88/

      2月11日に行われた「未来へ続く道 2018」イベントでは、記録映画『ホピの予言」製作ノートのごく一部をみなさんにご紹介しました。

      これは宮田雪が書き記し、1982年11月1日発行で、、当時隔月誌だった『80年代』No.18に寄稿した文章です。

      ここで第1章の一部をあらためて。全体は5,000〜6,000字。

      当時、宮田37歳。
      ちなみに、No.18のタイトルは「文明の光と影」
      表紙は、漫画家真崎 守氏。

      ・・・

       

      映画「ホピの予言」(監督・宮田雪 ランド・アンド・ライフ)をめぐって

      http://d.hatena.ne.jp/siniaimacoco/20100505/1273025643

      「・・・再び宮田雪に出会ったのは73年、71年にインドを旅してきて、

      『チベットの死者の書』の翻訳・出版作業をしているときだった。

      そして74年、東京都国立市に、彼と共に『オームファンデーション』を開いた。

      時代の中には、自己の変容を賭けながら、新しい文化の潮流を花咲かせたいという激しい胎動があった。

      心や魂や精神、あるいは霊性といったもの源流から、

      再びホリスティック(包括的)な生命の潮流を汲みだし、

      自己と社会の変容を実現してゆこうとする多様な運動、

      今日ニューエイジとも呼ばれる潮流の、その胎動である。

      オーム・ファンデーションもまた、そうした人と時代の欲求の中で生まれてきた。

      精神世界の開示と、それを生きることの作業として。

      そして次第に、アメリカ西海岸でニューエイジを体験してきたり、

      インドから帰ってきた人たちの、コンミューン的な出会いの場となっていった」


      そこでの活動の中で、

      宮田は部族の山田塊也や後に屋久島に移り住む詩人の山尾三省などと知り合った。

      この時のつながりは、映画「ホピの予言」の全国上映の時に生きる事となる。

      宮田は同時期平行して、青年誌で売れっ子だった漫画家、真崎守の原作を数多く手がける。

      真崎は宮田にとって、仕事を越えた関係だったらしい。

      真崎の仏教への傾倒は、かなり宮田にも影響を与えたようだ。

      その頃のことを宮田は「真崎守選集13環妖の系譜」(ブロンズ社・刊)の後書きでふれている。

      「長い間シナリオを書く仕事をしてきた私の旅が、

      真崎さんとの出会いと仕事を通して印度という世界観、具体的には印度の、

      その底流に保ち続ける仏教の世界観に向かって旅をし始めた時期だったと記憶している」

      ・・・

      映画「ホピの予言」の上映で初めて出会った時に、

      インド行きのことを宮田は私にこう語った。

      「インドへ行ったら、パスポートとお金を盗まれてしまった。

      三日食事ができなくてやっと日本山妙法寺にたどり着くことが出来、

      ああこれでやっと飯が食えると思ったら、その日から一週間断食が始まった。」

      インドへ旅立って、宮田を待っていたのは「日本山妙法寺」の「藤井日達上人」だった。

      宮田は日達上人を通じて法華経の世界と深く出会う。

      ・・・

      後に、映画「ホピの予言」の中の「ホピ平和宣言」の翻訳を縁に

      宮田と「ランド・アンド・ライフ」を立ち上げる北山耕平(注36)は、当時のことを振り返る。

      吉福伸逸さんが主宰していたC+Fコミュニケーションズというグループがあって、

      アメリカで起こり始めたいろいろな運動とか勉強する会で、

      宮田さんに会ったことがあるというくらいだった。

      宮田さんはその頃既に、シナリオライターとしてかなり実績があった。

      僕は「宝島」というシティボーイのための雑誌を作っていた。

      そういう雑誌を作るというのが面白かった時期もあっただけど、

      76年、ほとんど逃げるみたいに日本から出ていった先がロサンゼルスだった。

      放浪している間にたまたまローリングサンダーという人に出会って、

      アメリカインディアンの事を学ばされた。

      76年から82年頃まで、ちょうどアルカトラ島の事件が起こった直後で、

      アメリカインディアンの権利回復運動が起きた期間にたまたまアメリカにいたから、

      そのことを日本に伝えなければ・・・と思ったことがたくさんあり、

      吉福さんに相談に行ったりしていたんですよ。

      あれは熱海に住んでいた頃、

      映画「ホピの予言」ができる一年半前頃、宮田さんの方から電話してきた。

      「ホピ平和宣言」の翻訳をしてほしいということだった。

      僕はその頃、ローリングサンダーの本を出した頃だった。

      宮田さんもそれを読まれたんだと思う。

      インディアンの人達について伝えるという仕事だったら、なんであれ引き受けるつもりだったし。

      その時にはもう、フィルムは取り終わって編集段階だった。」

      ・・・


      ママえらんだ系

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        今のぶみが有名だけども、胎内記憶の絵本自体は前からあった。神様は小学5年生でおなじみサンマーク出版から出た葉祥明著「おなかの赤ちゃんとお話ししようよ」が2000年3月と私が確認したなかではもっとも古い。

         

        https://www.amazon.co.jp/dp/4763193015

        出版社からのコメント

        妊娠中のおかあさんに贈る胎教のための絵本」 本書は2000年3月に発売以来、出産を間近に控えた女性たちのあいだで、静かなブームを呼んでいる絵本です。 絵本としては異例の売れ行きで現在3万部を突破、およそ40人に1人の妊婦の方がこの絵本を読まれたことになります。(2000年12月現在)

        読者の方から編集部宛に届いたお便りの中からいくつか紹介させていただきます。

        「いままで胎教の本をいろいろ読みましたが、途中で涙が出た本は初めてです。本文中、ありがとう、私をママに選んでくれて、のところです。ワァーっと高ぶってしまって、涙が止まりませんでした」

        「まるで自分のおなかの赤ちゃんに語りかけられているようで幸せな気持ちになりました。私の母も私を産んでくれたときはこんな気持ちだったのかなと思うと、涙が出てきました」

        「めちゃめちゃ感動しました。現在妊娠7か月で日々胎動を感じているので、涙が出そうになりました。絵もきれいでかわ!いくて大好きです。文は短いけれど奥が深い」

        「赤ちゃんを産むことが怖かったけど、なんか勇気がわいてきた気がする」

        作者はメルヘンチックな作風で女性に人気の絵本作家、葉祥明さん。きれいな絵とやさしい言葉が心にやすらぎとうるおいを与えてくれます。

        赤ちゃんを授かることのありがたさに、あらためて気づかせてくれる、感動の絵本。プレゼントにも喜ばれる絵本です。

         

        この本かなりヒットしたのかこの後サンマーク出版が展開する葉祥明の育児絵本「生まれた赤ちゃんとお話ししようよ」(2000年10月)「生んでくれて、ありがとう」(2001年3月)「子どものこころを感じてみようよ」(2002年1月)「育ててくれて、ありがとう」(2002年9月)とシリーズ化しており、絵本でありながらなぜか子どもではなく母親向けであり、赤ちゃんが「ママを選ぶ」といった言い回しもすでにこの時点で出てきている。見た感じ80年代の胎教は優秀な子供を育てる側面が強く、その優秀が学力のみならず超能力もたぶん入ってるのだが、この絵本シリーズは障害がテーマになってることもあるようで、そういえば2010年ごろの胎内記憶ブーム創出のさいも障害(高齢出産、羊水検査)について言及されることが多かった。

        高齢出産になると障害児が生まれやすく、また出生前診断で何らかの先天的な異常が見つかったばあいほとんどの人が中絶を選ぶという。女性運動が中絶の権利を主張してきたのに対し、自然なお産や胎内記憶をとりあげたテレビドラマは障碍児の可愛さ強調することで「命の選別」の是非を問い、また胎教や胎内記憶によって胎児は人間未満の生命体なのではなくすでに頭良いしママを選んでこの世にやってくることを既成事実化し暗に中絶しずらくしようとしているとも思えるのだが、池川先生は例によって赤ちゃんは中絶選んでるとか言っておりそのへんどうなってるのかよくわからない。

         

        生んでくれて、ありがとう(サンマーク出版)

        https://www.sunmark.co.jp/detail.php?csid=9370-4

        子どもを一生懸命に育てる母親と、これから赤ちゃんを産む、勇気ある女性に、そして、自分の人生の意味を考えはじめたすべての人に、この絵本を贈ります。
        わが子が健康であってほしいと願うのは、親であれば、当然のことです。しかし、人生には思いがけない試練が、ときに訪れます。自分の赤ちゃんが、なんらかのハンディキャップをかかえている、ということを知ったとき、多くの人たちががくぜんとし、途方に暮れてしまうことでしょう。人は誰でも、ハンディキャップをどこかにかかえながら、生きています。人が気づき、学べることがあるのは、そのおかげです。人は誰かをささえ、誰かにささえられることで、人生のいとなみの深い意味を理解することができる……。本書は、そんなシンプルな真実をさりげなく気づかせてくれる心温まる絵本です。

        本文より
        うまくいえないけど、このカラダは、ボクじしんがのぞんだものなんだよ。だから、ママは、もうじぶんをせめたりしないでね。むしろボクは、ありがとうって、いいたい!こんなふうにうんでくれたママに、こころから、ありがとうって……。

        つらいときには、そこからすこし、はなれてごらん。そうすると、みえなかったものがみえてくるよ。くるしみのなかにも、よろこびややすらぎがあり、うつくしさだって、すくいだってあるよ。しんぱいしないで。すべてはなるようになっていくからね。

         

        https://www.amazon.co.jp/dp/4062815311/

         

        ストーリー - 映画「うまれる」 - うまれる ずっと、いっしょ。

        http://www.umareru.jp/umareru/story/

        哲(あきら)・直子夫婦は、医療によって、18トリソミーという障害を持って産まれた愛称・虎ちゃん(8カ月)と出会うことができた。

        18トリソミーは染色体異常による重い障がいで、うまれること自体が難しく、うまれても90%の子どもが1年以内に亡くなる。

        妊娠8カ月のときに18トリソミーの可能性を知った松本夫婦は、産むかどうかの選択を迫られたが、迷わず産むことを選んだ。そして、うまれた虎ちゃんは数ヶ月、NICUに入院した後、奇跡的に病院を退院し、家族との生活が始まった。

        しかし、立つことも歩くことも話すことも出来ない我が子。。。
        虎ちゃんは実際、自分で食事を摂ることができず、チューブで直接、栄養分を胃に送っている。

        松本夫婦は、どのように、いつ終わるかわからない虎ちゃんの命と向き合おうとしているのか?

         

        生まれる。(Wikipedia)

        https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%9F%E3%81%BE%E3%82%8C%E3%82%8B%E3%80%82

        『生まれる。』(うまれる。)は、TBS系列の金曜ドラマ枠(毎週金曜日22:00 - 22:54[1]、JST)で2011年4月22日から6月24日まで放送された日本のテレビドラマ。主演は堀北真希。

        ・・・

        林田 愛子(はやしだ あいこ)〈51〉
            演 - 田中美佐子
            4人兄妹の母。新平の妻。1959年12月1日生まれ。新平の死後、51歳で妊娠するが、自身や家族のさまざまな問題を乗り越え、三男・結人(ゆいと)を出産。太一の実母・文恵は高校時代の友人。

        ・・・

        西嶋 萌生(にしじま ほうせい)〈9〉
            演 - 高井萌生(第5・6・8・9・最終話)[2]
            丸子の弟。ダウン症で、言葉の最後を「以上です」と締めくくる口癖があった。一緒に遊びに行った時に公園で愛美が落とした手帳を見つけた事がある。

        ・・・

        八坂 朋子(やさか ともこ)〈41〉
            演 - 生稲晃子(第4話)
            会社員。妊娠15週で12歳の子供がいる。
            一人目の時には羊水検査を受けなかったが、今回は受ける予定。
        鶴野 理子(つるの りこ)〈39〉
            演 - 伊藤つかさ(第4話)
            専業主婦。不妊治療を受けてやっと授かり現在妊娠14週。
            羊水検査を受けるよう姑に勧められるが、受けない予定。
        北条 仁美(ほうじょう ひとみ)〈40〉
            演 - 浅香唯(第4話)
            専業主婦。妊娠16週で、6歳の長男・耕太はダウン症。夫に羊水検査を受けてほしいと言われ、受けるかどうか悩んでいた。
            取材の時点で既に検査を申し込んでおり、陽性が出たら堕ろしてほしいと夫から言われていた。しかしその後、検査を取りやめる。

        ・・・

        芦沢 千穂(あしざわ ちほ)
            演 - 友近(第9話)
            インテリアショップを営む。2年前の夏に妊娠するが、妊娠18週で近藤からお腹の子がポッター症候群だと宣告される。夫は中絶を勧めたが、赤ちゃんがきてくれたことに意味があるという近藤の言葉を聞き出産を決意。男の子を出産し、光一と名づけたが、生まれてから1時間で亡くなり、その時に近藤が自分の妻を亡くした辛い経験を話してまで慰めてくれた。現在妊娠5カ月。

         

        「ママへのちょっと早めのラブレター」鈴木おさむが書いた絵本が泣けると話題

        https://grapee.jp/54646

        皆さんは「ママへのちょっと早めのラブレター」という絵本を知っていますか?

        放送作家、鈴木おさむさん作の絵本で、高齢出産をテーマにしたドラマ「生まれる。」の作中で反響を呼び商品化された一冊です。

        妻の大島美幸さんが出産直前ということで「もっと多くの方に読んでほしい」と、鈴木さんは絵本の内容すべてをブログで公開し、話題になっています。

        大切なことがギュッと詰まっており、母親学級で朗読されることもあるそうです。

        全文ご紹介します。

            今日はお腹の中からママへ早めのラブレターを書きます。

            ちょっと早いけど僕はママのことを愛しています。

            なぜなら、ママが僕のことを 沢山愛してくれそうだからです。

            だから僕も愛してます。だから僕はママのところに来たんです。

            僕はママに会えるのを楽しみにしています。

            もし万が一、会う前にお別れしちゃったとしたら、それは僕がママを幸せに出来る自信がないからです。

            その時はもう一回、ママを幸せに出来るようになって、ママのところに来るね。

            もしこのままママに会うことが出来たら、ママを全力で愛すよ。

            ママはもしかしたら、僕に会ったら、ガッカリすることもあるかもしれない。

            他の友達よりも、格好悪かったり、色んな事がゆっくりだったりするかもしれない。

            だけど、僕は僕なりに頑張ってみる。

            ママを幸せに出来るように頑張ってみる。

            たまにママは寂しそうだよ。辛そうだよ。だからママのところに行くね。

            ママ、ちょっと早いけど、好きだよ。愛してる。

            ママ、ちょっと早いけど、ずっと好きだよ。ずっとずっと愛してる。

         

        こういう絵本「やさしそうだからママをえらんできたんだよ♡」って、生まれる前か生まれたてホヤホヤ赤ちゃんが言ってる設定だけど、じっさい赤ちゃんがそんなこと言ってる確証ないばかりか元池袋連合やスピリチュアルのおっさんが想像でママママ言うてるだけと思うとあんまり可愛くない。「おなかの赤ちゃんとお話ししようよ」著者の葉祥明はこのほかイルカたんとか反戦の絵本があるし、葉氏のデザインしたキャラクターがいっときNHKや環境省(小池百合子)が世界が感嘆する日本古来の精神性って感じでキャンペーンしてた「MOTTAINAI」のTシャツにも起用されていたらしい。

         

        https://www.amazon.co.jp/dp/480476111X

         

        この「わたしにふれてください」て本は読んだことないけど、訳者の三砂ちづるには「タッチハンガー」「抱きしめられたかったあなたへ」などの著書もあり、一貫して身体のふれあいが重要視されている。また正木高志著「木を植えましょう」の絵も葉祥明で打ち水大作戦の仕掛け人である元博報堂の池田正昭の代表作が「木を植えています。私たちはイオンです。」で、その元ネタがこの本なんじゃないかと勝手に思っているのだが、じっさい池田氏と坂本龍一が関係する森林保全団体「more trees」の支援者に正木氏も名前をつらねている。

         

        https://www.amazon.co.jp/dp/4931376673

        カスタマーレビュー
        5つ星のうち5.0

        新しい時代を創るための思想の書
        投稿者石窯男2006年9月30日
        形式: 単行本
        初めて著者の正木高志氏に出会ったのは、もう20年余り前のことだ。当時正木氏は、『80年代』(野草社)という雑誌に“聖母地球の首飾り”という連載を書かれていたのだが、大学卒業を前にして教師になるべきかどうか悩んでいた僕にとって、新しい文明のあり方や、教育の原理、非暴力、平和などについて自身のインドでの体験をもとに書かれているその一連の文章は、衝撃的な力を持っていた。

        ・・・

        正木氏は、娘さんとの会話をもとに教育や文明のあり方に力点をおいた『スプリング・フィールド 〜新しい時代意識の目覚め〜』を90年に上梓、そしてこの『木を植えましょう』に続き、実践の書『出アメリカ記』を2003年にまとめられ出版されている。特に生き方に悩む若い人たちに、ぜひしっかりと読んでほしいと願っている。(了)
        41人のお客様がこれが役に立ったと考えています

         

        正木高志「生命平和憲法」& Oto @三宅洋平選挙フェス@福岡(YouTube)

        https://www.youtube.com/watch?v=WtVVBNe3CgE


        からだ好き

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          ロハスの本「意識の○○」「地球の○○」みたいな言い回し多いってのは前から書いてるが、そういえばわが歴史観においてロハスな価値観が完成されてくるとされる1980年ごろ意識や地球に負けないレベルの頻度でタイトルに身体もしくはからだ入れるの人気爆発してたと↓の表紙画像見て急に思い出した。著書の1人である豚まるごと一頭食べるでおなじみ東京賢治シュタイナー学校の鳥山敏子による初期の著書も「イメージをさぐる からだ・ことば・イメージの授業」(1985)「からだが変わる授業が変わる」(1986年)「からだといのちと食べものと」(1986)といったぐわいである。

           

          https://www.amazon.co.jp/dp/4811806212

           

          津村喬も同時期に野草社から「しなやかな心とからだ」「からだの言いぶん」って本を出してるので気功とも関係あるかもしれないし、やはりロハス草創期に脚光を浴びてたラマーズ法のような呼吸もしかりと思われる。しかしなんといってもロハスの身体人気大爆発に強大な影響を与えているのが演出家の竹内敏晴だった。

          1975年まず思想の科学社から出た「ことばが劈かれるとき」がロハス界における名作であろう。タイトルからだって書いてないけど、Wikipediaの竹内敏晴「著書」を参照すると、「劇へ からだのバイエル」(1975年)「からだが語ることば α+教師のための身ぶりとことば学」(1982)「子どものからだとことば」(1983)「からだ・演劇・教育」(1989)『「からだ」と「ことば」のレッスン』(1990)「ことばとからだの戦後史」(1997)「教師のためのからだとことば考」(1999)『思想する「からだ」』(2001)「待つしかない、か。二十一世紀身体と哲学」(2003)『からだ=魂のドラマ 「生きる力」がめざめるために』(2003)「生きることのレッスン 内発するからだ、目覚めるいのち」(2007)『セレクション/竹内敏晴の「からだと思想」全4巻』(2013〜14)とからだオンパレードとなっており、「からだ」だけではなく「ことば」「いのち」がくっついてきたり、教育をテーマにしているのは鳥山敏子と共通している。

           

          https://www.amazon.co.jp/dp/478360083X

           

          ETV2001 竹内敏晴 「からだ」をめぐる対話 (2 鳥山敏子) 子どものからだを取り戻す 〜教師・鳥山敏子〜

          https://www2.nhk.or.jp/archives/chronicle/opl/detail.cgi?0001000000000000%40000000000000000000000029%2D6A%2D0700000000000000000600

          放送日時     2001年08月07日     チャンネル     教育テレビ
          番組内容     演出家の竹内敏晴さん(75)は、少年時代に重度の聴覚障害に苦しんだ体験をもとに、「からだ」と「ことば」を目覚めさせるための独自のレッスンを続けている。このシリーズでは、からだについて実践の現場で考え続ける2人を、竹内さんが訪問して対談する。
          2回目は、フリースクール「賢治の学校」代表の鳥山敏子さん(58)。鳥山敏子さんは、彼女自身のつらい体験をもとに、ストレスに苦しむ子どもの身体をいかにして生き生きと甦らせるか、30年にわたって子供と向き合ってきた。竹内さんが「賢治の学校」に鳥山さんを訪ねて語り合う。

           

          鳥山敏子(太郎次郎社エディタス)

          http://www.tarojiro.co.jp/author/3849/

          1941年、広島県に生まれる。64年、東京都で小学校教師に。60年代の教育科学運動のなかで、地球・人間の歴史の授業や鉄づくり・米づくりの授業といった先駆的な仕事を生みだす。それらは『ひと』誌(太郎次郎社)に公表された。さらに、そうした実践を超えるために、70年代、竹内敏晴らの「『からだ』と『ことば』の会」に参加、「こんとんの会」で真木悠介と出会う。80年代をとおして、「奇跡的」といわれるいきいきとした授業内容を、子どもたちとの空間に次々と切り拓いてきた。その内容は著書および映画「鳥山先生と子どもたちの一ヶ月間 からだといのちと食べものと」(グループ現代、1985)などに記録されている。現在、「賢治の学校」代表。

           

          竹内敏晴の仕事――からだとことば

          http://www.hiu.ac.jp/library/daigaku-ronsyu/15-02.pdf

          竹内敏晴は当時、演劇の世界では先鋭な演出家として有名な存在だった。また、声に関する専門家としても一部の教育者のあいだでは知られていた。竹内敏晴の名を広く知らしめることになったのは彼の自伝的著書である『ことばが劈かれるとき』である。1975年に思想の科学社から出た。

          『ことばが劈かれるとき』はチヨコちゃんという、新潟の心身障害児の療育施設にいる 女の子の話から始まる。彼女は当時小学校3年生である。チヨコちゃんは声は出るがことばを話せない。肉体的にはまったく異常はない。担当教員のつるまき先生はチヨコちゃんにあいうえおの発音から教えていく。その方法は竹内敏晴からヒントを得たものである。

          ・・・

          ある日のレッスンで、二人の男女が砂浜に入る。女は砂浜に入るとしばらく立ったままぼうっとしていたが、やがて足元の砂を払うかのような動作をしたかと思うとかがみこんで掘り出した。男も砂浜に入り、そばでじっとその様子を見ている。どうやら大きな穴らしきものが掘れたらしい。女はそこに向かって「おーい」と呼びかける。何度かそれが繰り返される。男が何か風のような動作をすると女はその腕のなかに抱きとめられ、号泣していた。ここで竹内敏晴が待ったをかける。しばらく休んだあと、竹内はその女性と話をし、何が起きていたのかを聞く。

          ・・・

          彼女は竹内敏晴と問答をしながら これまでの自分が本当の自分ではなかったことに、そしてそれまで知らなかった自分に気 がつく。この女性の名は鳥山敏子。彼女は小学校の教師である。子どもたちを教えること に何の疑問も持たず、自他ともに認める、いわゆる「熱心な、いい先生」だった。しかし、そのうちに、自分のからだには本当に子どもたちの豊かな感性に応えられるだけのものがあるのかどうか疑問を抱くようになり、縁あって竹内のレッスンを受けることとなった。その経緯、そしてからだが変わってからの授業がどんなものであったかは『からだが変わる 授業が変わる』ともう一つの著書『イメージをさぐる』 (太郎次郎社)に詳しい。からだの変化で生き方が変わり、教え方が変わり、授業でいかに命に満ちた豊かな空間を子どもたちと作りだしていったかが具体的かつ鮮明なことばで語られている。驚異の記録である。後者には「スイミー」や「スーホの白い馬」の授業の記録も含まれ、読む者は教師の、そして子どもたちのことばに対する感性の発露に圧倒される。また、レッスンで鳥山を抱きとめた男性は真木悠介(見田宗介)である。真木は、以後、新進気鋭の社会学者として教育者として東京大学で独創的な仕事を展開していく。

          ・・・

           

          「担当の教員のつるまき先生」とは「からだとことばの会」主宰で「からだぐるみのかしこさを―新たな人間関係の創出へ向けて」(1981)や「〈身心〉(からだ)とコトバ―くらしの中の声・話す・伝える」(1987)の著書があるつるまきさちこで、発売元の野草社は80年代に雑誌「80年代」、また山尾三省や津村喬などの著書を出していた出版社である。そして「80年代」の編集委員だった社会学者の真木悠介は竹内敏晴のレッスンで鳥山敏子と出会った。

           

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          私の歴史観においては野草社「80年代」と鳥山敏子「賢治の学校」がだいたいロハスの源流なのであり、ヤマギシ(コミューン)ビートニク(詩の朗読)と並び、竹内敏晴(からだ)も重要な気がした。竹内敏晴、鳥山敏子なき今、からだとか身体とかいうと経血コントロールの三砂ちづるが思い出されるが、この西早稲田『セレクション・竹内敏晴の「からだと思想」』(全4巻)完結記念 トークイベント「竹内敏晴さんが問い続けたこと」告知↓てのもあり、発行元の藤原書店はイヴァン・イリイチなどを出していた新評論の編集者が設立した出版社だそうで竹内敏晴のほかには「苦海浄土」石牟礼道子の出版物も多く幕内秀夫の日本人パン食べちゃだめの根拠になっている鈴木猛夫著「「アメリカ小麦戦略」と日本人の食生活」も藤原書店である。

           

          http://fujiwara-shoten.co.jp/main/news/archives/2014/07/974.php

           

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          きものであなたのからだが変わる!
          楽しい、うれしい、気持ちいい。実践的「からだにやさしいきもの生活」のすすめ

          きものは、日本の気候や暮らしのなかから生まれた衣服。日本人が快適に暮らすために、「理に適った」服なのです。夏は適度に風を通し、冬にはあたたかく、からだ冷やさない。一見窮屈だけど、実はとても動きやすく、走ることだって! でも着付けが大変? それもちょっとしたコツを身につければ、問題なし。そして何より、きものを着ることで、あなたのからだはいきいきしてくる。きものの暮らしを取り戻すことで、からだが変わるのです。

           

          三砂ちづるが着物なのは南方熊楠研究や内発的発展論で著名な鶴見和子(鶴見俊輔の姉)の影響な気がする。上に貼ってる竹内敏晴著「ことばが劈かれるとき」が思想の科学社って出版社から出ているけど、もともと思想の科学は鶴見姉弟が創刊した雑誌でロハス全盛期にスローライフやキャンドルナイト提唱していた人類学者の辻信一も全然有名じゃない1980年代初頭から転向ってテーマで記事を寄稿していたはず。

           

          思想の科学(Wikipedia)

          https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%80%9D%E6%83%B3%E3%81%AE%E7%A7%91%E5%AD%A6

          『思想の科学』(しそうのかがく)は、1946年から1996年まで刊行された日本の月刊思想誌。命名者は上田辰之助。

          概要
          1946年、鶴見俊輔、丸山眞男、都留重人、武谷三男、武田清子、渡辺慧、鶴見和子の7人の同人が先駆社を創立し『思想の科学』を創刊した。

          ・・・

          共同研究「転向」
          次に鶴見らが取り組んだのは、戦前に自由や平和を唱えていた知識人たちは一体なぜ戦争に反対しなかったのか、という問題だった。10数名の学生たちと8年がかりで調べ、その成果をまとめたのが『共同研究「転向」』である。「転向」とは一般に共産主義者らが権力の弾圧を受け、その思想を放棄すること、とされていた。しかし鶴見は転向を「悪」としてみるのではなく、「権力によって強制されたために起こる思想の変化[9]。」と定義した。共同研究では、共産主義者だけでなく、様々な思想を抱くおよそ50人の人物を取り上げ、なぜ「転向」したのかを調べた。鶴見は共同研究「転向」の意義を「転向の事実を明らかに認め、その道筋をも明らかに認めるとき、転向体験はわれわれにとっての生きた遺産となる[10]。」

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          さらに、南方熊楠と出会った時期が鶴見にとって絶妙だったのは、石牟礼道子から依頼されて参加した水俣病調査と重なったことである。1976年1月に鶴見は水俣を訪れ、その後「近代化論再検討研究会」が中心となって不知火海総合学術調査団が組織されて、水俣での本格的な調査を開始する。しかし、苦しむ患者を前にして、学者が集まってきて調査するといっても、何を調査できるのかという無力感から、調査団のメンバーたちは夜ごと激論を闘わせたという。その一方で、外部からの介入ではなく、患者たちと地元でそれを支援する人たちの「内発的」な努力こそが、地域の再生をなし得るのだという確信も、鶴見の中では大きなものとなっていった。

          20世紀初めの紀伊半島にあって、神社合祀反対運動というかたちで地域の環境保全に努めようとした南方熊楠への圧倒的な共感は、こうした鶴見の水俣体験から生まれたものであった。『地球志向の比較学』の後半には、生態系を研究するエコロジーを標榜し、神社の統廃合による森林伐採をやめさせようとした南方の行動が活写されている。南方のこの運動を「エコロジーの立場に立つ公害反対」と呼び、高度成長期の日本の公害問題と結びつけた議論はやや性急なところはあるものの、この時期の鶴見の水俣での苦闘を考えれば無理からぬところがある。鶴見自身、「南方熊楠への関心もふくめて、その後のわたしのすべての仕事の原点となったのが、水俣体験である」(『鶴見和子曼荼羅此拑欧隆、406頁)としている。

          (藤原書店刊「南方熊楠の謎 鶴見和子との対話」26〜27ページより)

           

          あと斎藤孝というテレビでよく見る学者もたぶん竹内敏晴の影響を受けている。教育テレビ「にほんごであそぼ」の番組監修も手がけている斎藤氏、かって「賢治の学校」誌に寄稿してただけあって宮沢賢治推しだ。

          教育とか宮沢賢治ってのも80年代のロハスにはよくある奴で、思いつく例をあげると1985年に設立されて反原発の本を出してた七ツ森書館の七ツ森、高尾山にトンネル彫らないででおなじみ虔十の会の「虔十」とかが宮沢賢治由来である。でも宮沢賢治って名前は聞いたことあるけど学校で習った注文の多い料理店しか読んだことないので何でそんなにロハス界で人気爆発なのか私には正直よくわからない。

           

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          失われた身体技法

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            評価:
            南伸坊,黒川創,富岡多恵子,海老坂武,塩沢由典,森まゆみ,安田常雄,吉岡忍,粉川哲夫,酒井隆史,上野俊哉,川本隆史
            青土社
            ¥ 1,620
            (2015-09-14)

            日本人は何をめざしてきたのか 知の巨人たち 第6回 石牟礼道子(YouTube)

            https://www.youtube.com/watch?v=UA35VnzZ-3Y

            「海と空のあいだに」と題され雑誌「熊本風土記」に連載された原稿。それがのちにまとめられ昭和44年に「苦海浄土」として出版されました。この雑誌の編集者だったのが渡辺京二さんです。渡辺さんは初めて石牟礼さんの原稿を目にしたときその才気あふれる文章に驚きました。そして編集者として支えることを決めました。それから半世紀にわたって渡辺さんは石牟礼さんとの交流を続けています。渡辺さん自身も石牟礼さんとともに歩むように執筆活動をしてきました。代表作の「逝きし世の面影」では日本が近代化で失った文明の姿を描きました。自然の営みや人々の暮らしの中から言葉を紡ぎ出す石牟礼さんは日本近代文学の中で他に例を見ない作家だと渡辺さんは考えています。

             

            https://bookmeter.com/books/405796

             

            「逝きし世の面影」渡辺京二著

            http://feb27.sakura.ne.jp/book_n_h06.html

            『逝きし世』とは何か、著者は冒頭の三行目に提起している。

            「日本近代が古い日本の制度や文物のいわば蛮勇をふるった清算の上に建設されたことは、あらためて注意するまでもない陳腐な常識であるだろう。だがその清算がひとつのユニークな文明の滅亡を意味したことは、その様々な含蓄もあわせて十分に自覚されているとはいえない。十分どころか、われわれはまだ、近代以前の文明はただ変貌しただけで、おなじ日本という文明が時代の装いを替えて今日も続いていると信じているのではなかろうか。つまりすべては、日本文化という持続する実態の変容の過程にすぎないと、おめでたくも錯覚して来たのではあるまいか。

            実は、一回かぎりの有機的な個性としての文明が滅んだのだった。それは江戸文明とか徳川ぶんめいとか俗称されるもので、十八世紀初頭に確立し、十九世紀を通じて存続した古い日本の生活様式である。」

            最近、江戸時代の見直しが始まっている。明治維新は、江戸時代の否定に始まった西洋化運動である。西洋化によって失われてしまった江戸文明の姿を、欧米人の日本見聞記などを丹念に分析することによって復元している。

            江戸時代の日本は、人口 三千萬人の世界有数の大国であった。しかも、生活必需品は自給自足で賄われており、社会の隅々までリサイクルが行われていた。また、美しい自然と共生している時代でもあった。


            この本は、多くの西洋人によって「エデンの園」ではないかと感嘆せしめた、人々の礼儀正しさ、風景の美しさなどが、丹念に描き出されている487頁にも及ぶ大作である。

             

            キャンドルナイトやブータン幸せ説を世に広め最近では江戸東京博物館でソーヤー海などと江戸の知恵語ってるらしいナマケモノ倶楽部の辻信一も、スローライフとか言う前に水俣病の本を出していた。これ↓は中身ほとんど水俣病認定申請患者協議会会長だった緒方正人の語りだったと思う。

             

            https://www.amazon.co.jp/dp/490638840X

             

            日本人は何をめざしてきたのか 知の巨人たち 第6回 石牟礼道子(YouTube)

            https://www.youtube.com/watch?v=UA35VnzZ-3Y

            昭和50年。水俣病をめぐる新たな問題が起こりました。水俣病の認定を申請している人のなかには補償金目当てのニセ患者が多いと熊本県議会の議員が発言したのです。これに認定を申請していた人たちが猛反発します。県議会に出向き謝罪を求めました。そのときの混乱で申請者と支援者4人が逮捕されました。

            緒方正人さん61歳。逮捕された4人のうちの1人です。当時みずからの認定を申請していました。緒方さんは不知火海で代々続く漁師です。

            緒方さんは6歳のときに網元だった父親を劇症の水俣病で亡くしました。甥と姪は胎児性水俣病です。みずからも手足のしびれに悩まされていました。当時父親のかたきを討ちたいと患者運動の先頭に立って活動していました。石牟礼さんと最初に出会ったのは逮捕後、公判手続きで裁判所に入ろうとしたときでした。

             

            https://www.amazon.co.jp/dp/4087813436

            辻 それにしても、あの『逝きし世の面影』に出てくる子どもの姿は印象的ですね。日本人の子どもほど幸せそうな子どもは見たことがないという外国人訪問者たちの感慨がいっぱい描かれています。いつもニコニコとうれしそうに笑っている子どもがいる。そして、もう一方に、根っからの子ども好きの大人たちがいる、という構図。ぼくには、そんな男の姿もすごく印象的でしたね。とにかく、男たちが、子どもといっしょにいることをすごくよろこんでいる。

            ところが、いまはどうでしょう。大人、とくに男たちは、まったく子どもに目を向けませんね。電車の中でも、住宅街の路地でも、目を合わせることもしない。そういう環境で育っているから、いまの日本の子どもたちというのは、もう何物にも反応しなくなっているんです。コミュニカティブな身体じゃなくなっているんですね。自分からは発信もしないし受信もしない。

            身体レベルでのコミュニケーションがないんですね。江戸しぐさというのが本などで話題になりました。どんな社会にいても、ぼくたちは、身体からいろんなメッセージを発信しながらコミュニケートしているわけじゃないですか。言葉にならなくても、小さな会釈であったり、目つきや視線であったり……。

            ところが、いまの子どもたちはもちろん、けっこう高齢の大人たちに至るまで、みんな、身体がまるで目に見えない膜に覆われているみたいになっている。あれは、満員電車で鍛えられるのかな。満員電車の中でいろんなコミュニケーションが発信されていたら、まずいことになりますからね。一時的に、コミュニケーションしない身体を作らないといけないわけで……。

            (辻信一・三砂ちづる「だきしめてスローラブゆるやかにしなやかに男と女の性と愛」178〜179ページより)

             

            スローライフなどをテーマにした本をハイペースで出してるのは2000年代のロハスブーム以降であり、検索で分かる限りでは1977年より北米に渡り、80年代初頭には辻信一というペンネームの名付け親である鶴見俊輔の雑誌「思想の科学」に寄稿しており、1984年に思想の科学社からたぶん初めての著書「ヒア・アンド・ゼア 北米大陸ホーボー通信」を出している。何か書いてたかはまったく覚えてないけど、80年代ごろの辻氏は在日をけっこう前面に出していたように思う。

            80年代は指紋押捺反対とか在日2世を中心とした民族運動がさかんだったし、辻氏と関連の深い鶴見氏やデビッド・スズキ(セヴァン・スズキの父親)が戦争中に収容所に入っていたことをふまえると、昔は環境より民族や国籍がテーマだったのかもしれない。Wikipediaによると鶴見俊輔はカルロス・カスタネダを日本に紹介したり、ヤマギシ会の協力をえてベトナム戦争の脱走兵かくまってたとかだけど、そういえば公害原論の宇井純もヤマギシ支持してたってな話があった。

             

            『農業が創る未来 ヤマギシズム農法から』の読後感想

            http://logos-ui.org/book/book-18review.html

            渡辺 操  

            師走に入り、そのしめくくりに『農業が創る未来 ヤマギシズム農法から』村岡 到様の御著書、お贈りくださいましてありがとうございました。早速、まえがきとあとがきを拝読して、感動して一気に一冊を拝読しました。理想社会をつくる農業の立場から「人間の根源的営みである」とのこと。かつて1960年代に思想の科学やユートピアの会で鶴見俊輔様が全人幸福社会づくりの一かんとしてヤマギシ会の中で文章が書ける人がいるでしょう、その人に書いてもらって世の中へ出したら良いと言われていました。村岡様がその役割をになってくださり大変たのもしく感じました。

             

            第4章 昭和元禄のサイケブーム 1968

            http://amanakuni.net/pon/hippie/5.html

            意識革命の最強にして神聖なる武器であるLSD(アシッド)を、日本に持ち込んだゲイリー・スナイダーは、「部族」のメンバーをテストし、パーティのガイドを任せられる人物を何人か選んだ。
            LSD教祖ティモシー・リアリーから日本用に預かった“LSD 25”は、ホフマン博士伝来のオーガニックな半合成で、緑色の粉末だった。ゲイリーはそれを薬剤用カプセルに詰め分けた。京都のゲイリー宅でその作業を手伝った私は、満タンのものから微量のものまで、相当量のカプセルを貰い、そのLSDを使ってコミューンの仲間たちと、数多くのアシッド・パーティを催した。

            ・・・

            鹿児島での祭りの後、私は再び諏訪之瀬島へ戻ったが、ベトナム戦争から脱出した3人の米兵が一緒だった。
            ベトナム戦争は泥沼と化し、アメリカ国内ではヒッピーのフラワーパワーが爆発、日本でも「ベ平連」が組織され、積極的な平和運動を展開していた。しかし「部族」をはじめ、わが国のヒッピーたちは「ベ平連」のデモには参加せず、政治的次元での運動を極力避けて、文化的ラディカルを追求していた。
            「部族」と「ベ平連」との関係は、ゲイリー・スナイダーと鶴見俊輔氏との個人的友情によるもので、脱出米兵を諏訪之瀬島に匿う件も、いわば「義理と人情」次元での協力だった。
            ・・・

            積極的な反戦運動はしなかったが、私たちにも殺戮を拒否して脱出した米兵に対する敬意はあった。ところが匿った3人は反戦思想など持ち合わせがなく、上官暴行でやむなく脱出したゴロツキだった。だから腹がへれば台所をうろつき、肉が食いたくなれば包丁を持ってニワトリを追いかけ回した。ひどい連中だった。

            こんなガキ共のために日本中の活動家たちが、身ゼニを切って救援活動しているのかと思うと、心底あほらしくなった。彼らに同伴したベ平連の活動家阿奈井文彦氏も同意していた。もちろん我々の所へ来た3人が最悪で、中には良い連中も沢山いたようだが。
            ・・・
            新宿騒乱のニュースを聞いて諏訪之瀬を出た私は、信州へ行く途中、京都のゲイリー宅に立寄り、初めて鶴見俊輔さんに会い、同志社大学の「ベ平連集会」に誘われた。あまり気は向かなかったが、「何でも一度はやってみよう」という主義なので、参加を約束した。

            ・・・

             

            上記引用によればビート詩人ゲーリー・スナイダーと鶴見俊輔の個人的友情により、脱走兵が3人ほど「部族」にかくまわれていたこともあったらしい。LSDを日本に持ち込んだゲーリー・スナイダーと日本初の大麻取り締まられた山尾三省この2人の詩人は諏訪瀬島でコミューンをやっていたしもちろん地球も好きだった。

             

            https://www.amazon.co.jp/dp/4787713825/

             

            水俣病の写真↑で超有名なユージン・スミスの本を翻訳していた中尾ハジメはWikipediaに「写真家・反核運動家のアイリーン・美緒子・スミス(ユージン・スミスの妻だった)は元妻」って書いてて、この3人どういう関係なんだろう。と疑問に思った。中尾ハジメの弟はゲーリー・スナイダーの本などを訳していた詩人の片桐ユズルである。

             

            片桐 ユズルさん|証言|NHK 戦争証言アーカイブス 戦後日本のあゆみ

            https://cgi2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/postwar/shogen/movie.cgi?das_id=D0012100085_00000

             Q:「思想の科学」にですね、最初関心持たれて、どういう活動といいますか、なにかサークルに入られたんですか?

            あのね、鶴見俊輔さんがね、その頃東京工業大学で研究室がありましたね。俊輔さん、そこで教えてた。それで、そこで「思想の科学」の研究会の、何の会だか、毎月かなんかありましたね。そこへ行きました。

            それまでね、日本の学会っていうのはね、ドイツふうの考えが多くて、あるいは文学界はね、フランスふうの考えが多くてね、それでドイツ語とかフランス語からの発想が多かったわけですよ。私は、うちの親父が英語の教師をしていたということもあったり、わりにそういうんじゃなくて、英語のほうから入ったというか、英語だと分かりやすいんですよね。それで、そうすると「思想の科学」は、アメリカから来たじゃないですか。だから英語系の考え方なんですよね。それが私にはとっつきやすいと思った。というか、そういうものを求めてたわけ。ドイツでもなくて、フランスでもなくて、それで日本は駄目だから。これは駄目に決めてたから。

            Q:日本は駄目っていうのはどういうことですか?

            だから天皇制とかさ、なんとか、それまで戦争、めちゃめちゃなことをやってきた、そういうのがいわゆる日本精神とかさ、大和魂とかさ、日本の伝統とかさ、そういうものが戦争にずっと私たちを引っ張り込んでいったと思ってましたから、だから日本は駄目なの。非常にシンプルに考えていました。

            だから日本は大バツ、だったんです。ところが、それに転換が起こったのはね、鶴見さんなんですよ。鶴見さんがね、柳田國男のことを紹介した。それで柳田國男がいろいろ研究した、それはやっぱり日本のいいことだったりするわけでしょう。そうか、というわけで、見直しはそのへんから始まったわけですけど、私にとって。

             

            逃亡する高橋克也容疑者のカスタネダとチベット死者の書 --- 島田 裕巳(2012年06月10日 アゴラ)

            http://agora-web.jp/archives/1463506.html

            オウム真理教の高橋克也容疑者は、10日朝の時点でも逃走中である。報道では、彼の部屋から防犯ビデオにかんする本が出てきて、いかに逃げ通すか周到な準備をしていたと伝えられているが、もう一つ、彼の部屋から発見されたものがあった。これについては一部でしか報道されていないが、彼のこころのうちを考えるには重要な資料になりうるものである。

            それは、精神世界に関連する数冊の書物である。具体的には、カルロス・カスタネダの『呪術の体験』、『夢見の技法』、そして『チベット死者の書』の解説書などである。私もまだ、どういった本を彼が持っていたのか、すべてを掌握しているわけではない。
            カルロス・カスタネダは、ブラジル生まれの人類学者で、1968年に刊行された『呪術/ドン・ファンの教え』が、彼がいたアメリカだけではなく、世界的にヒットし、とくに当時勢いをもっていたカウンター・カルチャーの運動に多大な影響を与えた。日本では、カスタネダのことについては、最初に哲学者の鶴見俊輔氏が紹介し、社会学者の見田宗介氏(真木悠介の名で)、宗教学者の中沢新一氏がその著作で取り上げ、高く評価したことから広く知られるようになった。

            カスタネダは、オルダス・ハックスリーがLSD体験を記した『知覚の扉』を読んで幻覚性植物への関心をもつようになり、UCLAの人類学の学生として行ったフィールド・ワークのなかで、メキシコのヤキ族の呪術師で、カスタネダがドン・ファンと呼ぶ人物と出会い、そのもとで修行を行うようになる。ドン・ファンは、幻覚性植物などを用いることによって、カスタネダをさまざまな神秘体験に導いていく。

            ・・・

            逃亡中の高橋が、オウムの教団や麻原に対してどういった考えを持っているか、現状においてはまったく分からない。だが、彼が、精神世界や神秘体験について関心を持ち続けていることは間違いないであろう。あるいは1958年生まれという年齢からすると、20代に精神世界の運動に関心を持ち、そこからオウムに入信したのかもしれない。

            ・・・

             

            そういえば全然関係ないけどドンファンの愛犬ラブちゃんの死因ってけっきょく何だったんだろうか。カスタネダを著書で取り上げた真木悠介もまた野草社の雑誌「80年代」編集委員であり、ブタまるごと一頭食べるでおなじみ鳥山敏子と津村喬が90年代に出していた「賢治の学校」にも寄稿していた。

            「賢治の学校」誌には、セヴァンスズキ伝説のスピーチの訳者としてすでに辻信一の名前も出ている。2000年代以前は辻氏もセヴァンスズキもそこまで知られた存在ではなかったと思うが。

             

            https://www.amazon.co.jp/dp/4811806212

             

            真木悠介『気流の鳴る音――交響するコミューン』

            http://sekibang.blogspot.com/2009/08/blog-post_1411.html

            見田宗介の真木悠介名義(日本の社会学界でこのように名義を使い分けている人は、この人ぐらいなのか? まるでエイフェックス・ツインみたいである)での代表作を読む。一九七七年の作品。最初の刊行からすでに三〇年以上も経っているが、今なお「鋭い……」と思わせられる作品であった。冒頭、ヤマギシ会について言及している部分があるが、これをほとんど好意的な感じで捉えているのも興味深い。ヤマギシ会といえば、いまやほとんどカルト扱い。基本的には批判的な文脈においてでしか登場しないものかと思っていたのだが、当時はそうでもなかったのだ、と思ってしまった。私自身、ヤマギシ会の存在を知る機会となったのは、学生時代のある授業においてであり、そこではやはり「人間の主体性を奪ってしまう洗脳的なカルト」というような感じで紹介されていた。一九七〇年代後半には、まだコミューンというものが存在しており、希望として捉えられていたのか、と思うと感慨深いものがある。

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            秋祭り

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              打ち水の仕掛け人がやってた「土と平和の祭典」逝ったときの写真があった。ヤマギシが店出してたとか全然覚えてない。

              左の方にいるオレンジ色のスカートみたいな服見えてる人は顔うつってないけどソーヤー海といい夏にヒルナンデス出てたらしい。しかし「ガーデニングやDIYの本を出版している」って日曜大工の先生みたいな紹介されてる。

               

              「ヒルナンデス! 〜ドケチ隊×生駒里奈が田舎暮らし入門!多肉植物寄せ植え講座〜」 2018年7月4日(水)放送内容

              http://kakaku.com/tv/channel=4/programID=25363/episodeID=1176885/

              パーマカルチャーと平和道場

              エコアパートでは近所に住むお助けマンがいろいろ教えてくれる。畑の師匠のソーヤ海さんは35歳。ガーデニングやDIYの本を出版している。主な仕事は若い人に暮らしの技術を教えること。彼から初心者でも畑の技術が学べる。材料費0円で入門編の畑を教えてくれる。大切なのは楽しむこと。畑仕事は生駒と春日。松本と若林はロケットストーブを作る。

               

              http://miyakestore.com/?pid=132894636

              監修のソーヤー海くんは商店のShine研修でもNVCのワークショップを開いてくれたり、また店主三宅洋平と冨田貴史氏と3人で対談したりと、ともに持続可能な社会を目指す仲間です。2017年にはTUP主催のアメリカ・ポートランドへのパーマカルチャーツアーへ店主も参加しています。

               

              http://miyakestore.com/?pid=104748909

              アースデイやんばる 特別企画 三宅洋平&ソーヤー海 スペシャル対談

              オリジナリティ溢れる活動で存分に自己表現している、三宅洋平・ソーヤー海。 大きな発信力、影響力を持つ2人に、今感じていることを率直に会話してもらいました。初対面であるにも関わらず、尽きることのない楽しい対談を「アースデイやんばる」が密着レポート! (2016.4月)

               

              マーマーマガジンの会社から本出してるのは見たことあるけど、今年にも新刊(ガーデニングやDIYの?)本「みんなのちきゅうカタログ」が出てたようだ。この本売ってる三宅洋平て人もヒッピーぽいし、タイトルがホールアースカタログ、絵の感じは「地球の上に生きる」を彷彿とさせる。

              アースデイは春のロハス祭りで、打ち水ももともとはアースデイマネーという地域通貨から始まっている。とにかくロハスといえば地球なのだ。

               

              江戸東京博物館、4月1日(日)再オープン 東洲斎写楽、喜多川歌麿の浮世絵ベストコレクションを公開!さらに再オープン記念WEEK 「EDO→TOKYO VISION」開催!(3月12日 PR TIMES)

              https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000002.000032465.html

              4月7日(土)テーマ:「サステナブルな暮らし」
              江戸時代の暮らしの知恵を知ることで、東京の未来のライフスタイルが見えてくる。サステナブルやリユースなどをキーワードに、江戸の専門家と現代の活動家たちを交え、これからの東京を楽しくサステナブルに生きるヒントを探ります。

              ●落語
              【出演】
              ・古今亭菊千代(一般社団法人落語協会 真打)

              ●トークセッション
              【出演】
              ・辻 信一(文化人類学者、環境運動家)※コーディネーター
              ・アズビー・ブラウン(デザイナー・作家)

              ・古今亭菊千代(一般社団法人落語協会 真打)
              ・末吉 里花(一般社団法人エシカル協会代表理事)
              ・ソーヤー海(共生革命家・東京アーバンパーマカルチャー創始者)
              ・藤森 照信(東京都江戸東京博物館館長)

              ●スペシャルライブ ※約40分のアコースティックライブを予定しております。
              【出演】
              ・レキシ
              日本の歴史に造詣が深く、ファンキーなサウンドに乗せて歌う日本史の歌詞と、ユーモア溢れるステージングが話題を呼んでいるレキシのスペシャルライブ。

               

              https://www.amazon.co.jp/dp/4484111012/

               

              しつこいけど江戸の知恵に学ぶ系は竹やりではなくたいていベトナム反戦運動や公害の時代から飛び出てきたようなラブ&ピースだ。江戸大好きの根拠になりがちな「逝きし世の面影」の渡辺京二も石牟礼道子と水俣病の運動してたし、その渡辺氏に経血コントロールでおなじみ三砂ちづるが会いに行く本も存在する。

               

              https://www.amazon.co.jp/dp/4863291469

               

              https://www.amazon.co.jp/dp/4167902605/

               

              「石牟礼道子全集」完結で池澤夏樹さんらがシンポ(2014年6月25日 産経新聞)

              https://www.sankei.com/life/news/140625/lif1406250019-n1.html

              水俣病患者からの聞き取りをもとに描いた小説『苦海浄土』などで知られる作家、石牟礼道子さん(87)の全集(藤原書店、全17巻+別巻1)の完結を記念したイベントが、7月21日に東京都文京区の文京シビックホールで開かれる。

              イベントは2部構成。第1部は同日午前11時から、石牟礼さんへのインタビューを中心に構成したドキュメンタリー映画「花の億土へ」の上映会。第2部のシンポジウムは午後2時半から、作家の池澤夏樹さん、高橋源一郎さん、町田康さん、疫学者の三砂ちづるさんをパネリストに迎え、水俣病問題に詳しい政治社会学者の栗原彬(あきら)さんがコメンテーターを務める。

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              脳とお産

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                評価:
                ミュージック・セラピー
                ソニー・ミュージックレコーズ
                ¥ 2,950
                (1996-11-21)

                ソニー創業者・井深大と見城美枝子、トマス・バーニー著「胎児は見ている」(1982)のカバーに推薦文を寄せていたこの2人のラマーズ法についての対談で、井深氏がだんなさんが立ち会ったからエンドルフィンすごい分泌されたみたいなこと言ってたが、脳内麻薬エンドルフィンは1975年に発見され、その影響もあるのか80年代あたり井深対談でも引き合いに出されていたピーター・ラッセル著「グローバル・ブレイン」とか胎内記憶とも関係の深いスタニスラフ・グロフ著「脳を超えて」(いづれも吉福伸逸訳)など脳が人気爆発してた気がする。90年代入っても神様は小学5年生で話題沸騰のサンマーク出版から「脳内革命」とかいうベストセラー出たし、井深対談に登場する大島清は脳生理学者で0歳児教育の久保田競と同じ京都大学霊長類研究所だった。

                 

                https://www.amazon.co.jp/dp/4806745685

                 

                https://www.amazon.co.jp/dp/4341014390

                 

                井深対談

                http://www.sony-ef.or.jp/sef/about/pdf/taidan12_13.pdf

                井深
                エンドルフィンは何かプラスの方が多いですね。
                大島
                そうですね。妊娠と一緒にどんどんふえていくということはわかっておるんですね、エンドルフィンが。お産のときにマキシマムになって・・・。
                井深
                マキシマムになるんですか。痛みを押さえるという・・・。
                大島
                痛みを抑えますからね。ところがだんなさんが陣痛室の中に入りますと、エンドルフィンはよけいふえまして、和痛効果があるということですね。そういうのはアメリカの生理学者が最近言ってるんです。

                 

                夫が立ち合い出産すると嫁の脳エンドルフィン分泌されて痛くない説は大島氏によるものだった。立ち合い出産といえばラマーズ法であり、日本における自然なお産の第一人者である三森助産院の出産ビデオを監修していたそうだ。

                 

                すてきなお産の哲学―ラマーズ法出産ビデオから

                https://noobjection.work/pms_essay/esy016.html

                最近、知り合いの高校生が「出産」について学校で勉強したよ――という話をちらっと聞いて、このビデオテープのことをふと思い出した。『愛と感動の出産【ラマーズ法】』(制作・総発売元エーエスジェイ株式会社)である。

                ・・・

                このビデオの制作に関しては、調べても不明な点が多い。「三森式ラマーズ法」で一躍有名になった三森孔子さんと京都大学教授の大島清氏(大脳生理学、生殖生理学)の監修のもと、「ラマーズ法」の「出産」に関心を持つターゲット層の一般視聴者のために制作した、というのは分かる。実際の「出産」現場(三森助産院)に立ち合って撮影がおこなわれた、というところまでは理解できるのだが、映像の冒頭では、「制作・著作 株式会社エフ・エム・サプライ」と表記されていた。このことから、エフ・エム・サプライという会社がこの映像の制作元であり、著作権を有していたと思われる。

                ・・・

                ここは大事なので何度も書いておくが、「ラマーズ法」を取り入れたお産というのは、決して楽なお産のことでも、無痛のお産のことでもない。けれども、妊娠中に近親者と一緒に体操や呼吸法をあらかじめ勉強することで、お産が怖くなくなり不安が解消され、とてもリラックスした状態でお産に臨むことができる。会陰切除して赤ちゃんを取り出すのではない、自然なお産。結果的には、楽なお産だったわ、ということは言えるのかもしれないが、むしろ別の言い方で表現すれば、「怖くないお産」「気持ちのいいお産」「楽しいお産」なのである。

                 

                https://www.amazon.co.jp/dp/4579200306

                お産は新しい生命を迎えるというおめでたい出来事です。それなら感動に満ちあふれたお産をしたいもの。産婦はもちろん、その連れあいや、お産にかかわっただれもがひとしく「自分が産んだ」という感動と歓喜をおぼえるような、そんなすてきなお産への、これはおさそいです――。

                 

                前述したように井深対談に登場する大島清と久保田競はいづれも京都大学霊長類研究所なのだけど、脳と並んでサルも80年代に多い気がする。30年ほど前ウォークマンのCMで瞑想するサルってのが話題になったらしいが、「音が進化した。人はどうですか」ってコピー、背景に水(海ではなく湖らしいが)、井深大のスピリチュアルぷりや放映された時期にかんがみて100匹目の猿じゃないのかこれ。

                 


                男もお産

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                  評価:
                  見城 美枝子
                  文化出版局
                  ---
                  (1976-10-01)

                  井深大との対談で吉福伸逸の次に気になったのが見城美枝子で、井深氏と同じく胎内記憶の元祖であるトマス・バーニー著「胎児は見ている」(1982)のカバーに、これから母親になる方々におおいに参考になる育児書です。てな推薦文を寄せていた。なんで見城美枝子なんだろうと思ってたら、この人お産の学校に通ってラマーズ法で産んだんだそうだ。

                  井深対談

                  http://www.sony-ef.or.jp/sef/about/pdf/taidan24.pdf

                  井深
                    ラマーズ法は私、余りよく知らないんだけれども、お父さんが産室へ入って手伝うの。  
                  見城
                    そもそものきっかけは・・・。赤ちゃんを産むのに機械や、薬を使うのがこわいから、絶対生むのはいやだとか、産むというと、まず顔をしかめる場合が多いんですよね。でもそこを通らないと親になれないからということで、みんな何かがまんして通ると思うんですが、私はやはり赤ちゃんがこの世に誕生するそのときですから、一番いい形を取りたいと思ったんです。自然分娩で、なおかつお母さんとしての苦しみも乗り切れる形でやる方法。
                          それで、お産というのはどういうふうにして起こるのかというのを知らないものですからお産の学校に、彼も私も一緒に毎週日曜日勉強に通って、お産のメカニズムを教えていただいたり、お産の映画を見たりしました。助産婦さんたちがいろいろ取り上げている体験談から、赤ちゃんというのはこういうふうに生まれるんだから、お母さんとしてはこういう心構えがいいですと、そういうことを全部教えてくださるんです。
                  井深
                    そうすると妊婦さんを相手にトレーニングをするという、そういう学校なんですね。  
                  見城
                    そうなんです。若い世代になればなるほど、抵抗なくご主人がご一緒にいらしてて、たとえばマッサージの練習をするんですね。一番痛くなる時期というのは、それまでに勉強しておきますから、その時期に合ったマッサージ法と呼吸法を繰り返し練習して、最後の方はご主人が抱えてくれて出産するという。そこでりきんじゃうと大変だから、そこだけはやめて、あとは全部同じことをやるんです。
                  井深
                    産む時にはベッドでだんなさんが手伝うわけでしょう。それ、どういう姿勢にするわけ。
                  見城
                    私の彼がやった場合はベッドのマクラの方に座るようにして―。  
                  井深
                    で、お産のあと赤ちゃんは分離?  
                  見城
                    それも希望なんです。  
                  井深
                    ああ、それは大分進歩したな。  
                  見城
                    ですから産んですぐにもう抱きましたし、洗ってきてからは、彼もすぐ抱きましたし、うちの彼はラマーズ法は二度目です。
                  井深
                    赤ちゃんを洗っちゃった?  
                  見城
                    洗う前に抱かしてくれるんです。胎脂がついてる状態で。だからほんと、つるつるしてるのね。ラマーズ法で産むと余りいきみませんから、出血が少ないので赤ちゃんに血がついてないんです。きれいに生まれてくるんです。最近はわりにお医者さんの方がせっかちになるというのか、どうしても会陰切開をしてしまうんですね。生まれるときにじっくりと時間をかけていれば、赤ちゃんの頭がそのまま出てくるわけですよ。ところがそれをじっくりやらないで、膣のところをハサミで切ってしまうわけです。
                  井深
                    大きくしちゃうわけね。  
                  見城
                    ところが、ほんとは女性の体というのは紙 1 枚ぐらいまで伸びて、赤ちゃんが出やすくなって、そしてしゅーっとまた―ゴムじゃないんですけど、小さくなって、そういうふうにできているんですって、メカニズムが。それをね、おもしろい話で、切ってしまうと伸びが悪くなるんですよ。二度目も結局切ることになるというふうに言われて。ですから、切らないにこしたことはないと。
                  井深
                    そんなことをするんですか、ハサミでね。  
                  見城
                    女性の側から―だからそれはやめてほしいと。できるだけ自分でがんばるから、自然に産ませてほしいというのが結びついて運動になって―。
                          痛みが来るというのは―痛みというよりも、赤ちゃんが出てくるために一生懸命「うーん・・・」とやっているんだと教わるわけですね、メカニズムとして。赤ちゃんも苦しい、だからお母さんが「痛い痛い」と言うと、産道が狭まって赤ちゃんも苦しめられるから、そのときに大丈夫、大丈夫と言ってあげると、赤ちゃんがさらにすーっと早く出てくる・・・気持ちよく。出産のときに陣痛が来るとお腹がカチカチになるんですよね。それは赤ちゃんの方が力んでかたくなっているわけでしょ。ああ、赤ちゃんも苦しいなと思うので、もうすぐ、もうすぐというふうに赤ちゃんに働きかけるんですよね。
                  井深
                    お母さんの心理条件というのは全部赤ちゃんに反映していますから、そういうリラックスした気持ちというのは赤ちゃんに全部ツーツーだと思わなきゃいけない。
                  見城
                    ほんとわかるみたいですね。ですから最初のときも、彼は私がキャアキャア言うかと思ったら、一度も言わなくて、「来ました」と言うんですよね、痛みが来ると。そうすると助産婦さんが「はい」と言ってさすって、それでずいぶん気分的に楽になって―。

                  今現在○○で出産しました。ってアッピールするのは、助産院とか自宅出産てとこだろうけど、このときは(対談の日付書いてないけど80年代半ばと仮定)ラマーズ法で産みました。が、自然なお産界のステータスだったと思われる。マジカルチャイルド育児法のあとがきで訳者である吉福氏の奥さんもラマーズ法で産んだって書いてたし、80年代て雑誌に津村喬が自分の子供生まれたときラマーズ法やってるとこだったけど結局しなかったみたいなこと書いてたような記憶がある。

                  見城
                    主人もね、2番目のときはラマーズ法初めてでしたから、一生懸命言われるとおりにして、本当に感激したんですって。オギャアと出て、とても元気で、しみじみ子供ができたという―。
                  井深
                    父親と子供の絆というのは、本当に立ち会うと違うそうですね。全然異質なものになってしまう。
                  見城
                    だから3番目も絶対立ち会う、それが父親として子供にできる一番最初のプレゼントだろうと―。忙しい人ですから、お産はいつから始まるかわかりませんので、ポケットベルを持ち歩いてくれて―。それで3番目の子は、主人が右手を持ってくれて、左手は堀口先生が握ってくださって、幸福なことに2人の男性に手を握られて(笑い)。本当に先生の手が暖かくて優しかったんです。
                  井深
                    出産間近になると、お母さんのお腹の中に物すごくエンドルフィンの分泌がふえるんですよね。それはだんなさんとかが手を握るとか、肩へ手をかけるだけで、それの分泌量ががぜんわーっとふえるんだそうです。エンドルフィンというのが、すべての悩みとか、痛みとか、悲しみとか、そういうものを和らげる役目をするらしい。そういう分泌を自然にするわけなんです。じゃ見城さんの場合は、右手からと左手からと2倍のエンドルフィンを得たわけですね(笑い)。
                  見城
                    2番目の子のときも助産婦さんが数人来てくださって、みんな手を握ったり、足もこうかかえて―みんなの人肌の中で生まれてきたので、だからとっても気持ちがよいというか。
                  ・・・
                  見城
                    最近は痛いからと麻酔をかける人が多いそうですが全然害がないはずがないと思うんですね。
                  井深
                    陣痛ということがやっぱり―人間の脳は痛みとか、激痛とか、そういう刺激をうけて非常に頭をカリッとさせるわけなんですよね。そういうものによって子宮の収縮であるとか、そういうことが行われるんで、陣痛がそれだけ時間が長くて、その中に痛みがあるということは、お母さんにとって非常に意味があるということをこのごろ言われ出しているんですよね。だからお母さんが自分で痛みというものを受け入れるぐらいのつもりになってね。

                  ・・・

                  しかしどこで出産するかにかかわらず、ラマーズ法したかったら自分でヒッヒフーって勝手に言っとけばいいかといえばそうでもなく、おそらくラマーズ法はその呼吸のみにとどまらずそれ以上に夫が立ち会うって要素が重要視されていたとみられる。今じゃ立ち合い出産も呼吸法もめずらしくないし妊婦健診とかでも夫つきそったりしているけど、病院出産や粉ミルクがオシャだったオバタリアン世代くらいだと夫もモーレツ社員だしで全部嫁1人で出産育児になってたのが、団塊かその下くらいからじょじょに夫も手助けするニューファミリー的ノリに切り替わってきたというのがわが歴史認識だ。

                  だから自然なお産というと、母親ばかりに分娩の痛みや母乳などの負担を敷いてるって批判もあるかもしれないけど、むしろ夫はじめ家族を介入させる傾向がまちがいなく強いし、そうすることで人生でなかなか経験できないせっかくのお産をメカニックで怖い病院出産じゃなく、気持ち良く感動的なドラマにしましょうという試みなのである。もちろん誰もが自然分娩や母乳がスムーズに行くとは限らないことを考えれば結果として母子の負担になってしまうことも多々あるのだろうが、やはり自然なお産というのは基本的に高度経済成長およびオバタリアン式子育ての反省なのである。

                  ラマーズ法をめぐる父親の曖昧さについて考える

                  http://www2d.biglobe.ne.jp/~ohta/EQG/otokomo/1-4.html

                  立ち会い分娩だったと人に告げると、たいていはラマーズ法かと問い返されるほどに立ち会い=ラマーズ法という図式は定着している。私もまた「立ち会ったのならラマーズ法だよな」と友人から聞かれたものである。しかし、実はラマーズ法による分娩に立ち会ったのかどうかが私にはよく解らないのだ。

                  ・・・

                  むろん、現在でも陣痛促進剤などを使い「産む」よりも「産ませる」立場をとる産科はあり、「自然な分娩」を重んじるラマーズ法から見れば日本の現状はまだまだなのかもしれない。しかし、私が読んだ『初めての妊娠と出産』というような入門書をみる限りでは、日本においてもラマーズ法的な考え方は大流行のようで、そこには出産の過程を妊婦に詳しく教え、自然な分娩を重視する記事があふれていたのである。

                  ・・・

                  当時の資料が手に入らないので詳しいことは分からないが、アメリカ流のラマーズ法は日本への紹介当時、妙なバイアスをかけられて紹介されたみたいである。「ウーマン・リブ運動の一環とみられて白眼視された」こともあったらしい。とくに夫の立ち会いを強調したことがセンセーショナルな受け取られ方をした原因のようだ。

                  ところで、私はラマーズ博士自身によって書かれたラマーズ法の日本語訳教科書を読んでみたのだが、夫の立ち会いに関してラマーズ博士は何も言ってないのである。驚いたことに、ラマーズ法の出発点では夫の立ち会いは組込まれていなかったのだ。いつ、どこで夫の立ち会いがラマーズ法の重要事項になったのだろう? 現在のラマーズ法の中で夫の立ち会いがあれほどうるさく言われていることを考えると、たいへん不思議である。しかし、この発見でようやく私は、日本の産科が夫の立ち会いに冷淡だった理由が分かったような気がしたのである。

                  欧米では夫の立ち会いがラマーズ法の中で特権化された。しかし日本の産科の世界では夫の立ち会いをラマーズ法=精神性予防無痛分娩法の本質的な部分は、なかなか見なそうとしなかった。母親がリラックスして分娩に臨むというのがそもそもの趣旨だから、いやがる夫を無理やり連れてくるのはいかがなものか、母親のほうだってみっともない姿を夫に見られたくないと考える人だっている、だから夫の立ち会い分娩を日本で一般化する必要はない。少なくとも強制する必要はない。そういう考えのようだ。夫の立ち会いというのは男女の絆を神聖視する欧米社会の特殊事情に基づく一項だから、日本に取り入れる必要はないと判断されているらしい。人によって意見が異なることは言うまでもなく、さまざまな議論があるようだが一般的には夫の立ち会いは疑問視されてきたようだ。

                  ・・・

                  この問題を儀式の導入で解決するやり方もある。アメリカで分娩に立ち会った友人のA君の体験談では、オギャアと生まれた直後、ハサミを渡されたのだそうだ。アメリカ合衆国の一般的なラマーズ法では、父親がへその緒を切るのだそうである。そうやって分娩時、基本的に出番のない父親に象徴的な役割を果たさせ、夫を出産に「参加」させるわけである。これは明らかに儀式だ。

                  ・・・

                  その後、いろいろ聞くと「純正アメリカ流ラマーズ法」経験者も、その流儀を部分的に取り入れている産科も増加し、ハサミでへその緒を切ったという男も増えてきているようです。

                  また、分娩室でビデオを回したという父親も多くなってきました。この点、私達がお世話になった病院の産科は保守的で、「分娩室でビデオを回すなどもってのほかです」と婦長さんが宣告したのは前節で書いた通りです。さらに分娩台を使って身体を固定して産ませるというスタイルも旧スタイルに属するようで、姿勢は産婦の自由に任せるというスタイルも最近よく聞くようになりました。

                  ・・・

                  二人目の出産のときは、この病院で母子同室というのをやってみました。赤ん坊を新生児室に集めて看護婦さんがケアするというスタイルではなくて、出産直後から赤ん坊と母親を同じ部屋に置くというスタイルです。これも父親立ち会いと同様、一部の希望者に対して行われていました。なぜ一部だけなのかと言えば、その産科病棟がそもそも新生児の集中ケア方式用に設計されていて、新しい方式においそれと対応できないというのです。

                  ・・・

                  上のはラマーズ法と立ち合い出産について引用したかったのだが、父親がへその緒を切るのと姿勢を産婦に任せるというのも確かに自然なお産でよく聞く奴である。後者はフリースタイル分娩といって黄(ファン)助産院ってとこが有名だ。

                  同産院についての本「それにしても楽しいお産だったなあ 自由なスタイルで産む」が出たのが1993年、REBORNという自然なお産の情報紙が出たのもこの頃であり、80年代の自然なお産=ラマーズ法・立ち合い出産という図式からよりマニアックに進化した時期だったのかもしれない。打ち水大作戦の仕掛け人である池田正昭も、奥さんがファン助産院で出産した経験をもとにお産のイベントなどを催していたようだし、七田眞・つなぶちようじ著「胎内記憶」でも紹介されている。

                   

                  イベントレポート〜寺子屋かぐれ Life「お産を語るオッサンの生命倫理」(2015年9月18日)

                  http://www.kagure.jp/14355/

                  極度の病院嫌いの池田さんは、奥様が第一子を妊娠された際に訪れた「ファン助産院」の温かくゆるい雰囲気と、院長・杉山先生のお母さんのようなおおらかな存在に一気に魅了され、助産院の虜になります。そして、第一子が生まれたときの衝撃から、お産を語るオッサンへと大きく転向しました。その後も第二子、三子と池田さんのお子さんは全員「ファン助産院」にて産まれ、池田さんがへその緒を切られています。

                  池田さんにとって、一体お産の何が衝撃だったのでしょうか?
                   

                  池田さんは「お産を通して愛を知った」といいます。
                  その愛の定義とは?

                  愛とはいのち。
                  愛とはいのちをつなぐ力。

                  3人のお子さんの出産に立ち会い、そう確信した池田さん。

                  ・・・

                  お産に“人馬一体”の極意をみるオッサンは、「3割はオレが産んだ」と思い込み、外でどんな子を見ても「オレの子かもしれない」と思えて愛おしく、オッサンの父性は世界に及ぶ深い愛に満ちあふれていると。

                  ・・・

                  今回配布されたレジュメの最初に、お産を語るオッサンの会への「入会の誓い」として、代表・池田さんの言葉が書かれていました。講座の最後に、池田さんが入会の誓いを明るく読み上げます。

                  お産の素晴らしさに出会うことで、もはや利己心におぼれる若造ではなく、他者と積極的に関わるオッサンとなった私は、お産は真の男女共同参画の営みであることを理解し、日頃より彼女の助産夫としての役割があることを自覚し、普遍の夫婦愛と家族愛と人類愛にもとづき、陰謀に負けない明るい世界をめざして、主に小言と祈りをとおして、たまには活動への参加をとおして、お産といのちのアメージンググレイスを、伝え広めていくことを誓います。
                  代表:池田正昭


                  幼児開発

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                    病院出産や粉ミルクがオシャな時代から、じつは病院で生まれた赤ちゃんトラウマ抱えてるとして昔ながらの産婆や添い寝やおんぶや母乳が再評価されだしたのは俳優いしだ壱成ともゆかりの深い西荻窪「ほびっと村」のようなヒッピーの功績も大きいのだろうが、そうしたわれわれがイメージしやすいところの左翼や自然派とは別に七田式の七田眞やソニー井深大によって賢い子を育てるには胎児〜乳児期も重要だというオカルト英才教育がほぼ同時期に確立されており、おそらく池川明による胎内記憶は後者の影響のほうが強い。井深大が昔ながらのお産や子育てが再評価される前の70年代初頭からゴマブックスで主張していた0歳児教育「幼稚園では遅すぎる」が「生まれてからでは遅すぎる」に更新されたのは、トマス・バーニー著「胎児は見ている」(1981)以降とみられる。

                     

                    https://www.amazon.co.jp/dp/4396102062/

                    生れてからでは遅すぎる

                    本書は、いままでまったく存在がはっきりしていなかった世界を、私たちの前に展開してくれた。

                    私が昨年、一番多く辞書を引いて読んだのが、この原書である。

                    胎児の神秘が驚きの連続で説かれ、私の「0歳からの教育」を「0歳前から」に修正しなければならなくなってしまった。

                    胎内学習の可能性は0歳からの学習につながり、子どもをよい性格、よい頭脳の人間に育てることに深く結びついていることを示唆していると思う。文字どおり、日本の小児科の第一人者である小林登先生が、心をこめて翻訳しておられるのを見ても、本書がありきたりのものでないのがわかるだろう。

                     

                    上に引用した文章は「胎児は見ている」のカバーに書かれている井深大の推薦文である。同書の訳者であり小児科の第一人者である小林登先生はもしかすると胎児じつは賢い説の紹介者という以上のものはないのかもしれないが、「十分に甘えさせなかった子は自立が遅れる!抱き癖を心配すると情緒不安定の子に育つ!」主張しお産の学校(ラマーズ法)の顧問でもあった内藤寿七郎や「母乳は愛のメッセージ」の山内逸郎など母の愛や母乳を重視する小児科軍団で井深大の出産本に推薦文を寄せているし、ソニー教育財団の井深対談にも登場している。

                     

                    井深対談

                    http://www.sony-ef.or.jp/sef/about/ibukataidan.html

                    1969年から1994年に(財)幼児開発協会(2006年に(財)ソニー教育財団と統合)が発行していた『幼児開発』誌で、井深大が『井深対談』として各界の著名人の方々と行った対談のアーカイブです。

                     

                    この井深対談には小林登や山内逸郎のほか、早期教育の七田眞や久保田競・カヨ子も登場しているが、個人的にはトランスパーソナル心理学の吉福伸逸との会話内容がもっとも気になった。吉福伸逸は星川淳と並び「ビー・ヒア・ナウ」など有名なニューエイジの本を多数日本に紹介した人で、育児関係ではほびっと村が編集した自然なお産の本に名前があったし1984年にはジョセフ・チルトン・ピアス著「マジカル・チャイルド育児法」(1977)といった本も翻訳している。

                     

                    https://www.amazon.co.jp/dp/4531080300

                    現代人を不安に駆り立てるあらゆる過ちの元凶は、病院の分娩室に集中しているように思われる。そこからもたらされる災厄は時限爆弾のような働きをするため、大半が気づかれないままである。この犯罪に加担する者は決して償いをする必要がない。というのも、その爆発は長い年月をかけてゆっくりと進行し、広く拡散して多様な害をもたらすために、その爆弾に点火した犯人をわざわざ過去に遡って追求するようなことをする者がほとんどいないのである。

                    (マジカル・チャイルド育児法 67ページより)

                    この例で私が強調したいのは、胎児のうちから学習がはじまっていること、そしてそれは人間という組織のうちでも最も複雑に入り組んだ部分についての学習であるということである。そういった特質を持った学習が胎内ではじまっているとすれば、われわれの学習というものについての考えや、おそらくは言語そのものについての考え方を再検討しなければならないことになる。そしてなかんずく赤ん坊を「未分化の精神的有機体」とする見解を洗い直さなければならないだろう。

                    (マジカル・チャイルド育児法 72ページより)

                    ・・・

                    何が起こるのだろうか?自然の出産プロセスが今やすっかり台なしにされてしまったために、お産の「手助け」に器具が用いられる。現在ごく普通に行われている会陰切開手術(他のどんな大手術にもひけをとらぬやり方で母親を手ひどく切開し、時に消えることのない傷をもたらす)に加えて、鉗子や吸出機器が無造作に使われる。あのごくこわれやすいきわめて繊細な頭をはさんで、母親の体内から赤ん坊を掻き出したり、吸い出したりするのである。多くの場合、そういった器具の使用は必要ない。医術屋のあの手この手の策略によってさまざまな併発症が引き起こされるが、会陰切開手術が正当化されうるのはごく緊急の場合のみである。真相は単純だ。医術屋は自分の技術を使いたいのである。つまり、自分の存在が重要視されるドラマを好み、数々のメカニカルなおもちゃを操り、自然が無能であることを証明し、自分自身の優越性を確立したいのである。

                    半麻酔状態や過剰ストレスに疲れ切った赤ん坊は、たとえ時間がたっぷり与えられたとしても、当然、自分で呼吸できないのが普通である。数多くのまだ使われていない新しい筋肉の協応が混乱をきたし、うまく働かない。赤ん坊の身体はただ反応するだけである。同調的な相互作用はとっくにすべて破壊されている。酸素欠乏に対する身体的恐怖が続いた末に、母親から吸い出されたり掻き出されたりした赤ん坊は、マスクをつけた生き物やブンブンうなる機械にとりかこまれた、騒々しい、目もくらむような照明が灯された舞台に登場する(蛍光灯が出す雑音だけでも負担であるが、蛍光灯そのものが幼児に及ぼす害に比べれば、そんなものはものの数ではない。蛍光灯が幼児にとって有害であることは、照明の世界的権威であるジョン・オットーが明言してはばからない)。吸入器が無理やり口や鼻にねじこまれ、痛いほどまぶしい光ののもとでまぶたがひっくり返され、測りしれない痛みをひき起こす薬品が開いた瞳に落とされる。赤ん坊はかかとをつかまれて逆さまに吊るされ、背中をたたかれる。さもなくば、人工呼吸器にかけられる。酸素が欠乏したこのきわどい時期に、へその緒が切られてしまう。そして会陰切開手術で汚れた血を洗い落とされ(その血を見て母親はしばらくの間ショックから立ち直れない)、工場の肉片と変わりなく冷たく固い秤で体重を測定され、おくるみでくるまれて(これは何にも増して、あの悪魔のすき間風から赤ん坊を守ってくれる)、恐怖と苦痛に泣き叫びながら乳児室のベッドに送り込まれる。それも運の良い子の場合である。運の悪い子は意識のほとんどない仮死状態で、ベビー・ベッドよりさらにひどい保育器にすばやく入れられる。

                    (マジカル・チャイルド育児法 94〜95ページより)

                    彼が知られるようになったのは、『宇宙卵の裂け目』という本を書いてからなんだ。この本は、自分を支えていた常識的な世界観の崩壊という体験を叙述、解説したものなんだけど、当時、ちょうどアメリカではカルロス・カスタネダの『ドン・ファン』シリーズがベスト・セラーになっていて、非日常的リアリティ(non-ordinary reality)という概念が一般によく知られていた。つまり、僕たちが現実と呼ぶものは単に、大多数の人とか文化によって承認された僕たち自身の創作物にすぎず、そういう一種の文化的暗示の網をかいくぐりさえすれば、そこにはカスタネダやピアスが非日常的リアリティと呼ぶ、まったく別の世界が存在し得る、ということなんだ。ちょうど1960年前後にピアスはそういう世界をかいま見た。彼はその体験を自分の宇宙卵に裂け目ができた、という言葉で表現したわけだよ。誰にとってもそうなんだけど、彼にとってもこの体験は彼の人生観を根底からくつがえすような強烈なインパクトになった。そこでさっきいった、『宇宙卵の裂け目』と『宇宙卵の裂け目の探求』という二冊の本でアルフレッド・ノース・ホワイトヘッド、ジョン・C・リリィ、R・スペリー、マイケル・ボランニィ、チャールズ・タート、それにこの本の中でも頻繁に出てくるブルーナーやピアジェやカスタネダの考え方をベースにして、自分の体験したリアリティを説明していったんだ。その過程の中で、文化的な暗示をあまり受けていない小さな子どもの見ている世界とは、どういうものなのかという問題に突きあたった。おそらく、それがこの本につながってきたんだと思う。最初の本の中で既に、教育者として子どもに最小限の文化的暗示しか与えないような活動をしたい、といっているからね。それに奥さんが五人目の子どもを産んだあと、病気になって医者から見放されてしまった。医者に連れていっても、完治しているという診断が出た。ところが、医者に月に一回一応チェックにくるようにといわれて何度か通っているうちに、医者の否定的な態度によって奥さんの確信が崩れてしまい、結局病気が再発して奥さんは亡くなってしまった。ピアスの西洋医学に対する不信感や死という問題に対する深い洞察力なんかは、この体験からきているんじゃないかな。

                    (マジカル・チャイルド育児法 訳者あとがきより)

                    そうそう。最初に産婆さんに手伝ってもらって自宅出産をしたいと言ったら、両親から大反対されたものね。東京よりも田舎の方が産婆さんが多いだろうと思って僕の実家の倉敷で産むことにして、産婆さんを探したけど、結局地方の方が出産なんかに関しては、よけい西洋化してるんだよね。産婆さんもほとんどいなくなってるし、たまにいても、ほとんどの場合が病院と直結してしまっていて、随所にもしかのときに対する不安が蔓延している。緊急の場合に備えて、病院と提携しているのはわかるけど、あまりその部分を強調されると、不安が先行してしまって胎児にもよくないと思う。どこの病院でも、父親を分娩室には入れてくれないし、結局産婆さんがやっている近くの産院でラマーズ法を使って産んだわけだけど、やっぱり初めての体験だったから、今から思うともっと自覚したうえで、もっと自然にやれたと思うな。

                    (マジカル・チャイルド育児法 訳者あとがきより)

                     

                    ジョセフ・チルトン・ピアスやマジカル・チャイルド育児法で検索してもとくにWikipediaとかでまとめてくれてるわけでもないし30年以上前の本なので雰囲気わかるよう長めに引用しといた。そしてこの本の訳者である吉福伸逸と井深大の対談の話に戻す。

                     

                    井深対談

                    http://www.sony-ef.or.jp/sef/about/pdf/taidan30_31.pdf

                    井深 我々のほうでも、大変おもしろいことが出てましてね。 新体道の青木宏之先生をご存じですね。

                    吉福 はい、知ってます。

                    井深 あの先生に、幼児のいろいろな感性が非常に高いってことを、私がサジェストしたら、それを実証しちゃったわけですよ。 後ろから新聞紙丸めてたたこうとするのをスッとよけるという実験で・・・。3歳はほとんどよけるのに、4歳、5歳となっていくと、だんだんよける子が減っちゃうんです。で、大人はもう5%になっちゃう。

                    吉福 よけられるのがですか?

                    井深 ええ、5%以下だっていうの。それが、3歳ぐらいの子供はほとんど100%よける。 そういう超能力的というか“気”がものすごく強いわけですよね、青木先生自身も。そこで、子供で1つ試しなさいよって言ったんですよね。そしたら、新潟県の長岡の幼稚園に自分のお弟子さんがいるので、そこで実験した。 前の日に1日だけ、合わせて拍手をするといったような簡単な練習をした。 3歳、4歳、5歳ですから、それに分かるように練習しただけ。そうしたら、結果は1番小さい3歳が100%。

                    ・・・

                     

                    後ろから新聞紙丸めて子供叩く実験、美健ガイド「赤ちゃんからのメッセージ」にも描かれていた。対談では3歳にやるってことになってるけど漫画の子どもはもっと小さいように見える。

                    てことはもしかするとこのメガネの爺さんのモデルって、井深大だったんだろうか。似ているような似ていないような微妙なところなのだが。

                    メガネの爺さん「かのソニーの創始者も言っておられます 『悪いことをしたら3歳までには叩いてでも教えろ!』…と」

                    その理論にもとずいて叩かれまくる赤ちゃん。後ろから新聞紙で叩かれそうになったときは超能力でよけてたのだが・・・

                    また井深大の幼児開発協会は「おむつなし育児」も実践していたらしい。おむつなし育児といえばここ10年ほど三砂ちづるが提唱していたため、経血コントロールの発展形とみていたのだが、井深氏の場合だとロハスっていうより、おむつが早くとれる=賢い。って方向性な気がする。

                    井深 それにつながるかどうか分からないけれど、今、幼児開発協会で3年ばかり、 “おむつなし育児”というのをやってるんです。産まれてすぐから、おっぱいをやってからおしっこまでの時間をさぐる。最初は、またへ手を入れて、ぬれていない、ぬれてない、あっ、ぬれたと。何分たったらおしっこが出るんだというのをさぐってもらう。1ヵ月ぐらい、お母さんには苦労だけど、それをやってもらう。 それで、お母さんがそのぐらい注意深くやっていると、大体、様子を見て分かるようになるんです。そうなると、だんだん赤ちゃんのサインが分かってくる。赤ちゃんは、個人個人、サインがみんな違うんです。

                    吉福 お母さんには分かる・・・。

                    井深 ええ。そうすると、それをやった赤ちゃんの、首がすわるとか、寝返りを打つとか、お座りとか、それから、1つの言葉をしゃべるようになるとか、そういうのを全部調べてみると、きれいに2ヵ月ぐらい、やらない子より早いんですね。そういうお母さんとのつながりというものができ上がっていたら、子供というのは間違いなく進むんです。

                    そういえば私も周りに驚かれるぐらいかなり早くからおむつがとれていたのだそうだ。布おむつの時代なので洗う手間が省けるという利点もあるし、母乳より粉ミルクが偉いみたいなのと同じで、もともと早くおむつが取れるほど偉いみたいな風潮ももしかしたらあったのかもしれない。

                     

                    おむつ外し(むかしはね!いまはね!どうする?子育てギャップ)

                    http://oya-ko-mago.ib.craps.co.jp/gap/767.html

                    赤ちゃんのおむつ外し、昔と今とではすいぶん考え方、やり方が異なります。

                    布おむつが主だった時代は、おむつの洗濯が大変だったため、できるだけ早くおむつを外すことが求められました。昔は1歳を過ぎた頃から、おまるを部屋に置いて、おむつ外しを始めたものです。

                    育児用品のロングセラー、コンビのおまる「スワン」が発売されたのは、昭和35(1960)年でした。赤ちゃんをくみ取り式トイレでの落下事故から救うために開発され、当時1,300円ほどでした。

                    スワンおまる

                    布おむつの場合、お尻が濡れたままだと不快なので、排泄する時に赤ちゃんがママに合図を送るようになります。

                    それにより、赤ちゃんが排泄するタイミングを見計らって、おまるに座らせることを繰り返し行って、おむつ外しを試みました。そうやっていくうちに、一日でもおもらししなければ、「おむつがとれた」ととらえていたのです。

                    ・・・

                     

                    昭和23年(1948年)の『おむつなし育児』映像記録!(YouTube)

                    https://www.youtube.com/watch?v=lXY8_9psPRY

                    6ヶ月ごろから便器にかけると赤ちゃんは喜んでやり、おむつを汚さぬようになります」

                    これ厚生省による母子手帳の広報映画らしく、戦後すぐなせいか出てくる夫婦のノリが民主的な印象を受ける。おむつなしの後に宣伝か?ってくらい「モレドン」「アトロゾン」って粉ミルクと思われる缶が大写しになるのも気になった。


                    竹やり発見

                    0

                      梅雨がさっさと終わってしかもじゅうぶん暑かったので、絶対8月20日くらいから秋になる。24時間テレビが終わったら30度切る。と確信してたのに盆終わりに数日ほど涼しくなっただけで週間天気見てもまだ30度超えらしい。夏の終わりってちょっぴり切なくてなごり惜しいけど、今年ほど早よ終われや。と思われた夏もないのではないだろうか。

                      というわけで9月に入ってもしばらくは打ち水や浴衣やよしずの活用を願ってやまない。打ち水といえば今年はその異常すぎな猛暑によって、オリンピック大丈夫かいな・・・?!という不安が国民の頭をよぎり、また小池百合子が昨年から没落していたこともあって、暑さ対策としての打ち水が「竹やり精神」と形容され炎上したことをこのブログですでに記事にしたけど、まだ暑いことをいいことにふたたび打ち水竹やり論について書くことにしたし、もしかすると打ち水史振り返るをシリーズ化し誰もが熱中症なんて忘れ去った雪ふりすさむ真冬まで打ち水記事更新し続けるかもしれない。

                       

                      松浦晋也 ‏ @ShinyaMatsuura(Twitter)

                      https://twitter.com/shinyamatsuura/status/1019496389951123456

                      なんぞこのB29を竹槍で墜とす感。 

                      真夏の東京五輪、暑さ対策に打ち水など検討へ : 読売新聞

                      1:17 - 2018年7月18日

                       

                      2010年の日本一熱い多治見で散水中止(打ち水は今なおやってるらしい)、2011年の産総研の記事から打ち水よけいに蒸し暑くなる説はすでに既成事実化しつつあったのだが、竹やりに形容するのは今年始まった風習であり、その起源はおそらく上記引用のツイートと思われる。真夏の東京五輪、暑さ対策に打ち水、B29を竹やりで落とす感と松浦晋也がつぶやいたから、2018年7月18日を竹やり記念日に制定させていただく。

                      しかしよく見ると、引用元になっている読売新聞の記事は2015年4月だった。私はオリンピックに打ち水がゴリ押されているのは小池都知事という前提で話を進めていたのだが、2015年は小池氏まだ都知事じゃないどころかその前の舛添が平穏な日々を送っていたぐらいの時期である。

                       

                      真夏の東京五輪、暑さ対策に打ち水など検討へ(2015年04月17日 読売新聞)

                      https://www.yomiuri.co.jp/olympic/2020/20150417-OYT1T50027.html

                      国土交通省は、真夏に開催される2020年東京五輪・パラリンピックの期間中、道路への打ち水など伝統的な「暑さ対策」を行う。

                      17日にマラソン元五輪代表の瀬古利彦氏らによる有識者会議の初会合を開き、「道路のおもてなし」の具体策の検討を始める。

                      東京五輪・パラリンピックは20年7月下旬から9月上旬に開催される。道路を利用する競技は、マラソンや競歩、自転車競技などがあり、選手や観客の熱中症予防策が重要となる。

                      有識者会議は、打ち水のほか、浴衣、よしずの活用など日本ならではの対策を盛り込み、観光PRにも生かしたい考えだ。外国人観光客に快適に過ごしてもらうため、路上でオープンカフェを開きやすいよう規制を緩和することや、案内標識のデザインの見直しなども検討する。さらに、赤外線を反射する遮熱材を路面に施して温度を上がりにくくする舗装技術などの効果を検証する。

                       

                      オリンピックの暑さ対策としての打ち水は小池百合子以前に、「おもてなし」シリーズの一環として既定路線だったようだ。そういわれると確かに、滝川クリステルによるお・も・て・な・しが話題になったさい、エコブーム時のMOTTAINAIを彷彿とさせる、外国人が感嘆する日本人特有の精神性ってな文脈を感じていたのも事実だ。

                      私の歴史観において滝川氏は2008年に現在の事務所入ってからロハス化したという認識であり、事務所の方針で国際性や社会貢献をアッピールしていこうという中でその語学と知性を武器に五輪招致お・も・て・な・しにも起用されたのではないだろうか。ブログのタイトル付近に表示されてる画像も滝川氏が鉢植えを持っているエコな写真であるし、Wikipediaを参照すると2009年に環境省地球いきもの応援団、2011年に世界自然保護基金ジャパン顧問、2014年には動物保護・生物多様性保全を目的に一般財団法人クリステル・ヴィ・アンサンブルを設立となっている。

                       

                      奇跡のリンゴ(2015年3月13日 滝川クリステルオフィシャルブログ)

                      https://ameblo.jp/takigawa-christel/entry-12001120676.html

                      今日は、雑誌「ゲーテ」の撮影でした。
                      今回の対談相手は、奇跡のリンゴを作った木村秋則さん。

                       

                      実は、木村さんとは名古屋で開催されたCOP10のとき、
                      そして、私の著書 生き物たちへのラブレターで、
                      お話をさせてもらったことがあるんです。
                      ただ、またお会いしてお話がどうしてもしたくて笑
                      木村さんの何も怖いものなし!っていう笑顔中の笑顔に出会うと、
                      誰もが元気になるんです。

                      そして、木村さんも、奇遇なことに、
                      私が大事にしている言葉、”目に見えない大切なこと”
                      を常におっしゃっている方だったんです。

                       

                      その見えないものに目を向けたとき、
                      木村さんは、奇跡のリンゴを作ることに成功しました。
                      本当に本当に苦労されて、村で孤立して、借金して、自殺まで考えて、、
                      それでも諦めずに、無農薬、無施肥でリンゴが作れることを実証しました。
                      自然栽培で、リンゴが作れる”
                      今や、この農業改革をこの目でみようと、
                      世界中の人々が、木村さんを訪ねてやってくるといいます。

                      全てのものが繋がっている。

                      私が財団でも訴えている生物多様性がいかに大切かということを、
                      木村さんもずっと訴え続けています。
                      実際にその重要性を目にしてきた人の言葉には、あらがえません。
                      邪魔だと人間が勝手に排除してきたものが

                      どれほど大事なものだったのか、、
                      いつも、木村さんのお話を聞くと、心が洗われます。

                      ・・・

                       

                      「奇跡のリンゴ」木村秋則 改革は地方から。日本が世界に誇れる自然栽培の潮流とは?滝川クリステル いま、一番気になる仕事(2015年5月14日 ゲーテ)

                      https://goetheweb.jp/person/slug-ndbddb7d4dd20

                       

                      https://www.amazon.co.jp/dp/4344416457/

                       

                      https://www.amazon.co.jp/dp/B000UKFD7U/

                       

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