ロハスと薬害

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    薬、フッ素、ワクチン、食品添加物、界面活性剤(一般的な洗剤、化粧品、シャンプー)とからへん嫌いな人がもはやロハス野郎同然みたいに思われる風潮があり、そういうのが批判されるのを見るたび、でも昔はそういう運動もスピリチュアルと関係なかったと思われ。と、幼き日の記憶を回想するうち三一新書や日本消費者連盟の存在を思い出した。三一新書と日本消費者連盟にかんしては何度か書いているので省略するとして、なぜ反「薬、フッ素、ワクチン、食品添加物、界面活性剤その他」が精神世界や自然派と関連付けられるようになったかを考えるうえでわが歴史観ではなんとなく80年代が分岐点な気がしている。

    三一新書とかでアリナミンやフッ素や予防接種やマイルーラを批判していた高橋晄正も、やはり三一新書で洗剤とか化粧品が危ないって本出してた日本消費者連盟と途中まで歩調を合わせていたのが、下記引用によれば80年代に入ったころから日本消費者連盟が「素朴自然主義」におちいっているとして批判しはじめ、両者はやがてたもとを分かったという。素朴自然主義って言葉が意味するところは、科学的検証をへず自然とか昔の生活に近いといった要素を判断基準とする、現在自然派と呼ばれる人々にも受け継がれる反近代的思考であろう。

     

    高橋晄正の薬効の科学的検証と『薬のひろば』の活動

    http://www.r-gscefs.jp/pdf/ce10/ma01.pdf

    日本消費者連盟を批判するようになったのは、彼らが81年に出版した『食・農・医―生命 ― いきるために』という書籍が、自然物なら安全だという「素朴自然主義」に依拠していたこと、さらには竹内ら創立に関わった人たちの世代交代があったことなどによると述べている。

    国内の消費者運動は自然食などへの志向が強かった。化学的生成によらない自然物なら安全だという感覚的な判断を、高橋は科学的根拠に裏打ちされていない「素朴自然主義」という言葉で批判した。自然食を評価するには生物学・医学という個別科学の習得が必要だが、それがなされていないと指摘する。それは、科学への不信あるいは科学論争は難解で自分たちには判らないという態度によるものだと高橋はいう。消費者運動で科学的検証が重要視されなくなった。そのかわりに、反近代イデオロギーが消費者運動を主導するようになり、それ以前のものとは質的に異なっていったという。その帰結が「素朴自然主義」だと指摘する(杣津 1985 : 表紙3) 。

    他方、77年頃には「薬を監視する会」の里見宏(専門は公衆衛生学。国立予防衛生研究所などに勤務していた)が、 会員から運動が専門的になり過ぎたという批判があることを述べている。医師や科学者、ジャーナリストではない一般市民の一部は、自分たちから問題を提起できず、言われた通りに動くのみであるのを不満に思っていたという。科学偏重主義だという批判もあった(竹内ほか 1977 : 17) 。

    「薬を監視する会」を主宰した高橋は薬批判を展開する際に、薬効の科学的検証という方法に依拠した。高橋は、人体にとって「薬は原則的に毒である」という立場であった。そのため、厳密な科学的手続きによって治療が必要な患者を2つのグループに分け、一方には治療薬を、もう一方には偽薬を処方する二重盲検法をおこない、得られた結果を統計処理して薬効の有無を科学的に検証する「二重盲検のもとでの対照試験のデータの統計的解析」を生涯にわたって強く推奨した。薬剤が人体にとって少なからず害作用を及ぼすなら、投与する際には害作用があって もそれを上回る薬効がある確証を科学的に得なければならないと考えた。高橋はプラシーボ効果について以下のような見解を示している。

     

    「プラシ(ママ)ーボー(にせ薬)であろうが何であろうが、病気がよくなるならそれでいいではないか」という人がある。もちろん、医師が意識してプラシーボーを治療に利用することはありうることである。しかし、それは、 患者が心理効果の十分に期待されるような状態のもとにあり、それよりも良い治療法のない場合に限って“意識的”に使用することの許されるべきものであろう。それが“意識的”にではなく“無知なるがゆえに”用いられているときには、しばしばもっと有効な方法を見のがしていたり、あるいは有害であることを知らずに使っていたりすることだってありうるのである。(高橋 1969 : 241 - 2)

     

    臨床経験で得た経験値に医師が頼る「使った、治った、効いた」の「三た論法」による治療を、高橋は強く否定する。疾病が治癒したとしても、生体の自然治癒力によるものか、薬効によるものかを明確にできないからだ。科学的確証に基かない治療は、患者の人権をないがしろにしていると主張する。高橋が薬効の科学的検証を生涯にわたって推奨した意図の一つは、患者の安全を確保するためであったといえる。 また、高橋は日本消費者連盟と70年代には同調していたが、80年代初めには袂を分かち、 「素朴自然主義」に陥っていると同連盟への批判を繰り返した。

     

    素朴自然主義に陥る理由に、薬害運動などにおいて二重盲検など科学的検証を重視する高橋晄正および薬のひろばの論争が専門的すぎてよく分からないといった点があげられている。そして今でも自然派にかぶれるのは科学的リテラシーの欠如(科学とか難しいのでノリに走る)によるものと一般には信じられている。

    しかし当時と決定的に違うのは、科学的検証を重視する人々が高橋晄正および薬のひろばのような反薬害ではなく、むしろそのような運動をニューエイジ臭い素朴自然主義と同一視する傾向が非常に強くなったとこであり、かって左翼の専売特許だったはずの嫌韓がいつのまにかネトウヨと同義になっているのと同じレベルのややこしい逆転現象が時間の経過とともに起こっているのだ。ただそうした相違点がありつつも、同じ左翼的な考えを持つであろう人々が科学派と自然派の二手に分かれる現象はこの高橋晄正と日本消費者連盟の決別あたりに起源が求められると私は考えている。

    そして高橋氏が日本消費者連盟に見切りをつけた原因の1つが世代交代だったことについて、もしかして世代交代して出てきたのが船瀬俊介なのかしらん。と思った。船瀬氏はフリーメーソンとか波動医学とか不食とか言っている人で、もともと昭和50年代に日本消費者連盟で執筆活動していたらしい。

    また日本消費者連盟から買ってはいけないに通じる消費者運動とはまた違う、ミュージシャンや広告関係の影響力が強い今自然派の主流ヒッピー〜ロハスほっこり丁寧なくらしの系譜においては、反(近代的な)医療と密接に関係する反原発運動もやはり同じころに存在した。時期的に1979年スリーマイル島の原発事故が契機になったと思われるが、運動がある程度の規模になるにはチェルノブイリ原発事故の起こる1986年まで待たなくてはならなかっただろう。

    あれから数十年、今じゃ予防接種などにおける科学不信の論争が過熱しつつあるが、原発事故前だと同じたぐいの論争は原発容認か反対かってな話ばっかりで、そこでもニューエイジ的な人々が科学的知識が薄弱だとして問題視されていたものの、当時あまり医療は注目されていなかった。10年ぐらい前に薬害エイズで有名な川田龍平が出馬したとき左翼オールスターズだったけど、支援者に毛利子来なんかもいたのはとくに話題にのぼらなかったのである。

     

    川田龍平を応援する1分マニフェスト 毛利子来さん(YouTube)

    https://www.youtube.com/watch?v=LuiOvvN2Pig

    もう検査のしすぎ、病名のつけすぎ、薬の使いすぎ、予防のしすぎ。これでずいぶん大勢の子供や大人たちが被害を受けている。川田さんの時代よりもっとひどくなっていると思います。その典型がインフルエンザに対するタミフルですね。

     

    川田龍平ヒストリー後半 History of Ryuhei Kawada (2/2)

    https://www.youtube.com/watch?v=1EEi-_7OVIs

     

    くしゅくしゅソックス時代においてホモ、セックル感染だったエイズおよびHIVが薬害のイメージに変わったのは1995年に川田龍平が実名公表してからだろう。YouTubeを見るかぎり当時の支援者もやはり左翼オールスターズで、この10年後にロハスブームの中心的人物となる坂本龍一の姿も映像におさめられていた。

    Wikipedia見るとミドリ十字って製薬会社は731部隊とか右翼とか書かれてたし、厚生大臣として謝罪したのが菅直人ってとこからも、薬害エイズって右翼vs左翼ってな面もあったと思われる。ちなみに当記事は前に書いた「80年代」の続きなのだが、本題から話しそれてきたのでこの続きはまた今度書く。


    80年代

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      評価:
      村上 春樹
      新潮社
      ¥ 1,000
      (2009-05-29)

      90年代末からプリウス、ソトコト、エンデの遺言とロハスブームの伏線は存在していたものの、オウム事件の影響で下火になっていたであろうニューエイジがエコや健康の名目でよみがえり急速に形になったのは2003年と思われる。2年後の2005年に愛・地球博をひかえていたし、打ち水やキャンドルナイトが始まったのも小池百合子が環境大臣になったのもほっこり雑誌の先駆けであるクウネルが創刊したのもピラティスとかいうヨガぽい体操が紹介され出したのもこの年で、2000年代をとうしてキャンドルナイト、スローライフ、ハチドリのひとしずく、ブータン幸せ説などあらゆるキーワードを提供し続けた辻信一の著書がハイペースで出版されるようになったりロハスという言葉が出てきたのもやはり同じ頃だ。

       

      打ち水やキャンドルナイトがはじまった”2003年”に何があったの?真田武幸さん×鈴木菜央のムーブメント談義 [ソーシャルアクション元年への旅](2013年7月23日 greenz)

      https://greenz.jp/2013/07/23/social_action/

       

      私はたぶんその頃あんまりテレビとかニュース見てなく、国やマスゴミの環境政策に左翼臭を感じたのは愛・地球博の後ぐらいなので最初期のゴリ押しがどんなだったのかリアルアイムでは知らない。そのため愛・地球博にも逝ってないのだが、同イベントは時代的にニューエイジ要素は相当入っていただろうと推察される。

      この時点で温暖化だのNPOのていねいな暮らしだのと社会的に素晴らしいかのようにもてはやされていたロハス(ニューエイジっぽいライフスタイル)が浸透した結果、気がつくと予防接種や砂糖や牛乳を否定したり夏でも靴下を何枚も重ねばきしてる危ない奴ってイメージのほうが定着していた。10年ほど前にエコを売りにテレビなどの露出も多かった高樹沙耶がヒッピーになっててしかも大麻で逮捕されたのはその象徴的なできごとであっただろう。

      そのかんにマスゴミのゴリ押しが環境問題を急にやめ自然な(幸せな)お産や胎内記憶、冷えとり、布ナプキンといった女性の体にシフトしていったし、またロハスは反原発運動とほぼ重複しているので2011年の原発事故の影響もあった。そのためロハスすぎて危ないとこまで逝った奴っていうのは、特に子を持つ母親がその非難の対象になることが多い。

      しかし2000年代半ばのニューエイジはまだ女性および母子の健康問題ってよりちょっと温暖化についての意識を高めようよってくらいのイメージだったため今ほどは叩かれてなかったというか、原発事故におびえるロハスをゼロリスク神話とか言ってバカにしていたような人々でさえ温暖化の恐ろしさを説くことが原発推進に有効だからとエコブームを許容していたくらいなので、今でも打ち水とかキャンドルナイトが左翼・反原発・ヒッピー・ニューエイジといった魑魅魍魎とは無関係のちゃんとしたイベントと考えている人もいるのだろう。私からすると連動しているのだが。

      なんでそんな歴史をふりかえったかというと、何かのきっかけで三一新書や日本消費者連盟などを思い出していくうち、昔はこうじゃなかったはずだけどいつからこうなったんだろう。と、石けんとか原価とか資生堂とか合成洗剤とか低温殺菌牛乳とか言ってたはずの消費者運動もしくは薬害の運動(ロハス前の90年代においては週刊金曜日「買ってはいけない」や薬害エイズ)が、いかにして予防接種や病院出産や砂糖や牛乳を否定し夏でも靴下をめっちゃはいてるスピリチュアルな母親たちってなイメージとなっていったか、その過程を整理してみようとさっき心に誓ったのだ。とりあえず現在私の歴史観においてこういう自然派ぽいライフスタイルの源流が出てきたのは昭和50年代であると考えている。

      考えるにあたってとくに本とかで調べたわけではないのが、ネットで検索したりウィキペディアとか読んでるかぎり、低温殺菌牛乳の運動とか気功とかが出てきたのがそのくらいだし、例えば大地を守る会にしても気功の紹介者である津村喬にしてももともと左翼の運動家である。またすでにヒッピーのような人はいて、メディアとしては野草社「80年代」や「自然食通信」って雑誌があったのは確認している。

       

      http://order.mandarake.co.jp/order/detailPage/item?itemCode=1042572933

       

      特別付録ソノシート「80年代」喜納昌吉とチャンプルーズが気になってYouTubeで検索したけど特に何も出てこなかった。創刊号の巻頭で喜納昌吉と対談しているのは元社民党で現世田谷区長の保坂展人である。

      そのほか執筆者として予防接種危ない界で有名な毛利子来、オウム問題で失脚していたらしいけどよみがえって先日も富岡八幡宮を解説していた宗教学者の島田裕巳、喫茶「ほんやら洞」の片桐ユズル・中尾ハジメ兄弟、あと新島淳良って人が毛沢東思想で有名な人らしいのだが、同じく執筆陣の津村喬も毛沢東だし、この雑誌には載ってないけどのちに反原発運動に傾倒しロハスとも関連の深い坂本龍一も曲の中で毛沢東の詩を引用していたりする。なので80年代の中国ブームは日中平和友好だけでなく毛沢東思想の影響もある気がした。

       

      千のナイフ(Wikipedia)

      https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E3%81%AE%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%95

      千のナイフ Thousand Knives 9分34秒 坂本のヴォコーダー(KORG VC-10)による毛沢東の詩(1965年に毛沢東が井岡山を訪問したときに作成)の朗読で幕を開け、印象的な響きの和音が平行移動するイントロへとつながる。イントロ後の速いパッセージ部分のメロディーの音色は大正琴のシミュレート。坂本自身はレゲエや賛美歌、ハービー・ハンコックの「Speak Like A Child」にもインスパイアされたと発言している。ギターソロは渡辺香津美。後にYMOもライブで演奏しており、1981年発表のYMOのアルバム『BGM』にてセルフカバーしている。また、“トリオ・ワールド・ツアー・1996”ではピアノ三重奏のアレンジで演奏。2002年にリリースされた『US』では冒頭の詩の朗読とフェードアウト部分がカットされている。2005年9月28日に発売された坂本のアルバム『/05』ではピアノ連弾にアレンジされたヴァージョンが収録されている。2011年5月28日にリリースされた花井悠希のアルバム『譚詩曲〜11stories on Violin』には鈴木豊乃編曲による楽曲が収録されている。

       

      東風 (曲)

      https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E9%A2%A8_(%E6%9B%B2)

      坂本龍一の代表作の一つ。初収録は1978年にリリースされたイエロー・マジック・オーケストラ(以下、YMO)のアルバム『イエロー・マジック・オーケストラ』。 坂本が北京交響楽団をイメージして書いた曲である。当時文化大革命後に毛沢東の詩に曲をのせたレコードを購入し、その中に気に入った曲があり、参考にしている[1]。

       

      中国女 (曲)

      https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%A5%B3_(%E6%9B%B2)

      初収録は1978年にリリースされたイエロー・マジック・オーケストラ(以下、YMO)のアルバム『イエロー・マジック・オーケストラ』。
      高橋幸宏が断片的に作曲してきたメロディーに細野晴臣と坂本龍一がアレンジを施した。
      ・・・
      曲のタイトルはジャン=リュック・ゴダール監督の映画『中国女(La Chinoise)』から取られている。詳細は「ゴダール3部作」を参照。

       

      6月13日(土)新島淳良氏と緑のふるさと運動そして私の関係(2009年6月13日 島田裕巳の「経堂日記」)

      http://hitorigurashi.cocolog-nifty.com/kyodo/2009/06/613-1bcd.html

      村上春樹氏の『1Q84』の発売を通して、新島淳良氏のことがふたたび取り上げられるようになるとは思わなかった。中国で文化大革命が起こったときには、それを熱烈に支持し、その後、幸福学園運動を提唱してヤマギシ会に入り、ふたたびそこを抜けたことは、あの時代を知る人なら、承知しているかもしれない。ニュースにもなったし、本人がいろいろ書いていたので、それを読んだ人もいただろう。村上氏がちょうど早稲田大学に在籍していた時代、新島氏のヤマギシ会入りが報道されたはずだ。村上氏がそれをどのように受け取ったのか、そして今受け取っているのかはわからないが、明らかに新島氏をモデルにした人物を小説に登場させたのだから、それなりに関心があったのだろう。中国ということも、両者の共通する関心かもしれない。

      新島氏は、ヤマギシ会を出る前に、「緑のふるさと運動」を提唱した。これは、ヤマギシ会を含め、日本の共同体運動全般に呼びかけてはじまった運動で、より開かれたコミューンを作るということが目的になっていた。資金や人材を提供したのはヤマギシ会だった。

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      6月14日(日)昨日の続きで新島淳良氏のその後を書いてみる(2009年6月14日 島田裕巳の「経堂日記」)

      http://hitorigurashi.cocolog-nifty.com/kyodo/2009/06/614-2002.html

      昨日の続きだ。緑のふるさと運動は、私を含め、元ヤマギシ会のメンバーのリハビリが終わると、しだいに衰退し、ついには自然消滅のような形になっていった。元メンバーは、それぞれが、実社会のなかに仕事場所、居場所を見いだすようになり、仲間との頻繁な集まりを必要としなくなっていった。たとえば、私の場合には、大学院生としての生活があり、またこれはヤマギシ会とも関連するが雑誌『80年代』にかかわったりして、出版の世界との関係もできていった。

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      https://www.amazon.co.jp/dp/4880638501/

       

      引用が長すぎて読みにくくなったので続きはまた気が向いたときに書く。


      在りし日の中国

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        幕内秀夫の関連人物の帯津良一が肥満にもかかわらず粗食の本を出しているのを見て、粗食って何なんだ。と疑問を抱き、本屋で帯津先生の本ありそうなコーナーで視界に入ってきた奴を立ち読んだ。なのでタイトルとかは覚えてないし詳細までは読んでないのだけど、食べ物について語ってるページで帯津先生は好きな物を楽しんで食べるのが一番いいみたいな感じで、けっきょく粗食が何なのかよくわからなかった。

        そこで粗食を画像検索してみたのだが、粗食というのは和食であり基本的にはご飯と味噌汁と漬物、それに魚や卵をつけたりといったものもあるが、私的にはそういう動物性たんぱく的な品をつけると豪華な感じがし粗食っていうより普通の和食な気がする。幕内氏が食事をブログにアップしているのを見ても、やはり魚や卵のおかずがあるためにあまり粗食って感じはしなかった。

        というか実際和っていうところがポイントな気がして、美健ガイド社の白砂糖は麻薬!みたいな本見ても和菓子だって白砂糖使ってると思うけど描かれているのはケーキだったりチョコだったり炭酸飲料だったりと戦後ひろく食べれるようになったような菓子ばかりで、小麦も同様にカップラーメンのような不健康な物を除いてはアジアのイメージのある麺類よりもっぱらパンばかりがやり玉にあがる傾向にある。基本的にニューエイジでは欧米が悪なので、アメリカから伝来した食べ物はもちろん、科学的な見地からたんぱく質やビタミンなど栄養成分を特定しそのバランスを整えるというよりは、おそらく中国四千年あたりで言い伝えられてそうな体を冷やすとか温めるとかいうほうのバランスを重視していると考える。

         

        陰陽五行思想(Wikipedia)

        https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B0%E9%99%BD%E4%BA%94%E8%A1%8C%E6%80%9D%E6%83%B3

         

        とりあえず参照としてWikipediaを貼ってみた↑けど、私には何書いてるかさっぱり分からぬ。でニューエイジ的には欧米が悪なので、東洋で昔から言い伝えられている知恵とか、白人に迫害された歴史のインディアン(ネイティブアメリカン)などがもてはやされる傾向にあり、必ずしも日本でなければいけないわけではない。

        というか私が記憶しているかぎり、日本はすばらしいとか、ほぼ和食であろうマクロビオティック、またマクロビから派生した可能性が考えられる白砂糖、牛乳害悪論などがポピュラーになったのはここ10年くらいの話で、90年代までは日本消費者連盟や三一新書(あぶない化粧品)や週刊金曜日(買ってはいけない)といった左翼系グループによって添加物の害や原価などを告発するほうが圧倒的に多かったし、牛乳も高温殺菌か低温殺菌かとかいう議論はあったけど、飲んではいけないってのは聞いたことなかった。昔からあるマクロビオティックも今みたいにスイーツな女たちが健康法として取り入れるってよりは、ほびっと村とかのガチな人々とかサブカル野郎みたいな、左翼の中でも変わり者のあいだで昭和50年代ごろから細々と実践されていたにすぎなかったと思われる。

        で2000年代以降の傾向はというと、トヨタのハイブリッド車をアッピールするべく愛地球博あたりを契機に2008年ごろまでテレビや小池百合子などによってエコの重要性がさかんにうたわれた時期があって、その大部分がニューエイジや左翼の思想にもとずいたものだったのだが、そのころからマクロビだけではなく、江戸の知恵とかMOTTAINAIとか古民家とか地産地消とか産婆さんによる幸せなお産といったように、GHQ(もしくは明治維新)以前の日本こそがガチのエコみたいな話になってきて、右翼とか左翼とかいうのもあんまり関係なくなってきた感がある。最近こういうエコや健康がニッポンだーいすき(by美健ガイド社)化する前ってどんなんだったっけ。と思い出そうとしているのだが、日本消費者連盟のような対大企業の消費者運動とはまた別に、西洋よりも東洋の方が偉いっていうニューエイジ枠では日本よりも中国四千年のほうが断然はばをきかしていたように思うのだ。

        だからほっこり系(北欧)よりもひとまわりかふたわりくらい年齢層が高いと思われるマガジンハウスの「クロワッサン」誌では、別冊などでよく漢方やツボなどが特集されているし、かっては中国茶や薬膳や霊芝など中国に対しておぼろげに健康のイメージがもたれていた。昔のYouTubeとか見てると不良やYMOがチャイナ服着てたりするし、ジャッキーチェンがすごい人気だったし、日本の子供向けもドラゴンボールやらんま、魔法少女ちゅうかなぱいぱい、またNHKで人形劇三国志やシルクロード、映画「敦煌」「ラストエンペラー」など、とくに80年代に中国関連のコンテンツが多い。(ラストエンペラーは日本の制作ではないけど坂本龍一が出演と音楽を担当していた)
        その起源は1972年の日中国交正常化におけるパンダブームやブルースリーあたりにまでさかのぼる気もするが、とりあえず日テレのドラマ「西遊記」あたりじゃないかとWikipediaを読んでみると「1978年は日中平和友好条約が調印された年であり、当時としては画期的な中国ロケが中華人民共和国中央広播事業局の協力のもと行われた」って書いてたので、日中平和友好条約にともない今の韓流ブームのようなゴリ押しが当時あったのかもしれないと思った。といってもカンフー映画=香港は当時イギリス領だったが。

        2007年からテレビで中国は急激な経済成長の裏で環境破壊で不健康で反日で弾圧でパクリでマナー最悪っていう報道が多くなされるようになり、日本人に中国の文化がリスペクトされる機会はめっきり少なくなった。帯津氏の本を読んでいると気功にそのページがけっこう割かれていたためそんなことに思いをはせるようになったが、ある時期まで中国の人や食べ物に対して何か四千年の歴史に裏打ちされた不思議な力が宿っているイメージは確かにあったのだ。

        ヨーガもサリン事件があったのでしばらくタブー視されてたけど、その後2000年代におけるエコという名のニューエイジ解禁時代から意識高い系の体操として復権した。その点が気功やツボみたいなのが帯津氏やクロワッサン誌といった年配のファンが愛好するにとどまっているのとは対照的で、なぜ中国四千年はインドのようにスイーツ化できなかったかについていづれ気が向いたときに考察してみようと心に誓った。


        ふとした疑問

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          なんとなくネットサーフィンしていてこの本↓の表紙を見たとき「ゑ?」と思った。著者である幕内秀夫は粗食(っていうか米を中心とする和食)を推進している帯津三敬病院の管理栄養士で、その帯津三敬病院の名誉院長が帯津良一である。

           

          https://www.amazon.co.jp/dp/4837974015/

           

          幕内氏の食事も粗食ってほどでもないような気がしてたけど、帯津先生までもが粗食を主張しているというのか?見た目的にはからあげとかハンバーグ食べてそうなのに。

           

          https://www.amazon.co.jp/dp/4492043799/

           

          https://www.amazon.co.jp/dp/4569760627/

          毎年の健康診断でおなか周りを測られ、食生活の改善と運動を毎回、薦められるのにうんざりしている人も多いだろう。「そこまで太っていないのに……」と納得いかない気持ちになってしまう。
          そんな読者を勇気づけてくれるのが、著者、帯津先生だ。自身も腹囲およそ100cm、BMIも28.5と立派なメタボ。しかし、77歳を過ぎた現在も週5日、診療を行い、毎日の晩酌も欠かさない。
          本書は、「本当は“ちょいメタボ"がいちばん長生き」「降圧剤は“達者でポックリ"の敵」「タバコも一日三本なら立派な養生」「死ぬまで異性にときめく」「お酒は毎日飲んでこそ養生」など、心も身体も健康になるアドバイスが満載。
          診断結果に一喜一憂しない本当の健康法がわかる!
          『一病あっても、ぼちぼち元気』を文庫化。

           

          しかし最近1930年代生まれの芸能人がバタバタ逝っているニュースを見かけるなか、1936年生まれでこれだけ太っててしかも元気ならすごいことなのかもしれない。↓私がイメージする粗食


          いとおかし

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            現在豆菓子にハマっており先日無印逝ったときも何か良い豆菓子あるかなと菓子のセクションのぞいたのだが、なぜかまたクッキー買っちまった。クッキーとマシュマロ好きやねん。

            国産小麦とてんさい糖を使って素朴な味わいに焼き上げたビスケット。マクロビか?

            と思ったけど、てんさい糖と国産小麦以外は卵成分に乳成分に添加物てんこもりで全然マクロビじゃなかった。しかし熊さんの形してて可愛らしいし、あまり甘くなくココア味が苦くておいしかったからまた買おう。

            マシュマロと固焼きもおいしかった。でもかぼちゃマシュマロっていうわりにかぼちゃの味は特に感じなかった。

            ミニストップでトイレ借りたときにマクロビビスケットを買った。無印はエセ自然派だったけどこっちはガチ。

            製造所の名前から障碍者が作ってる奴な気がして検索してみたところ、やはりそうらしい。販売者はローソンのマクロビクッキーと同じとこなような気がする。

            自然食品の店で買った菓子は「私は嫌いじゃないけど何か独特だな・・・」って味が多かったけど、これは普通のクッキーだし紫いもの風味も感じられておいしかった。でも100円の菓子と一緒においてて量少なかったので100円と思い込みレジで200円と言われ軽くショックを受けた。

            マクロビの菓子はたいてい乾燥材入っており、やっぱり添加物入れてないだけ傷みやすく売り物はクッキーばっかりなのかなー。って気がした。菓子以外のマクロビはどんな感じかと言うと、動物性と精製した奴が良くないはずなので、主食が玄米で野菜のおかずって感じだと思う。


            真のマクロビ派

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              自然食品の店にプラーと立ち寄ったら、クッキーをいっぱい売ってた。私はチョコレートやバターをいっぱい使ったような甘くてリッチなクッキーよりも淡白な味つけのほうが好きなので、ちょっと高いけどこういうの好きかも。と思い適当に買ってみた。

              買ったときおなかペコペコだったので、全粒粉クッキーはその場で小分けを2袋ほど開けた。私は全粒粉とかふすまとか入ったようなザクザク歯ごたえのクッキーが好きなのだが、これはけっこう柔らかめであんまりザクザクしてなく、そのかわり繊維質と思われる木みたいな風味が強く感じられた。

              私は嫌いじゃないけど、けっこうクセが強いので人を選びそうだ。原材料を見ると、甘味はてんさい糖で、ショートニングはパーム油、米油といったあたりマクロビ仕様であり、また国産にこだわっているように見受けられる。

              別会社のクッキーもやはり砂糖は甜菜大根由来であり、油分は菜種油、また(岩手)と書いているあたり、やはりマクロビ仕様と国産(身土不二?)をアッピールしている模様。この会社の菓子は種類が多かったので2つ買ったのだが、いづれもボーロのような食感と味だった。

              ちなみにローソンに売っているマクロビクッキーもボーロ味なので、マクロビの教えにもとずいたクッキーはボーロ味になる傾向があるのかもしれない。私はボーロ好きでよく食べるけど、値段からいうともうちょっと市販にはない珍しい風味のほうが有難味を感じた。

              これはたんぽぽ味って書いてたのでゲテモノかと思って買ってみたけど、甜菜糖じゃないからか?今回買った中で一番普通のクッキーだった。これらのクッキーはクソテキトーに選び、しかもマクロビなどとひとことも書いてないのに、使っている甘味料や油から自然食品で売ってる焼き菓子は有無をいわさずマクロビ派であることを悟った。

              はちみつを与えられた赤ちゃんが死亡した事件でロハスとの関係が疑われたとき、「ロハスがはちみつ好きとはあまり聞いたことないが」と、不思議に思った私の気持ちが少しはお分かりいただけただろうか。そもそも精製された「白」砂糖が体に悪いって説自体がマクロビの一物全体(丸ごと食べる)って思想から来てると思うので、おのずとマクロビの定番甘味料である甜菜糖とかきび砂糖のほうが人気爆発するのに自然であるというのがわが持論だ。

              しかし国産とはいえ小麦粉使ってるあたり、日本人は米といってはばからない幕内秀夫および美健ガイド的にはあんまり好ましくない気がした。また森永のマクロビ派は添加物を入れてないことからかブラウニー(とかいうたぶん湿った感じの菓子)にカビが生えていたりということもあったようなので、もしマクロビの教えにもとずいた加工食品を食べるとしたら腐りにくそうな奴がお勧めだ。


              体にいい牛乳

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                「牛乳は超危険!」って本当? Google検索最上位に出てくる記事を検証してみた(9月13日 ねとらぼ)

                http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1709/13/news079.html

                 

                コーンフレーク全盛期を回想していてふと、私が子供のころ牛乳が体に悪いなんて誰も言ってなかった。と思いだした。自然派などのあいだでは牛乳が悪いのではなく、ロングライフ牛乳が危険で低温殺菌が安全という説だったのだ。

                もしかすると現代の若人は牛乳はモー毒や戦後GHQによる日本人の健康をむしばむための陰謀を知っていても、ロングライフ牛乳危険説は聞いたことなかったりするんだろうか。これ「あぶない化粧品」「原価」みたいなもんで、2000年ごろにはほとんど聞かなくなっていたように思う。

                2000年ごろは日本消費者連盟および三一新書的な消費者運動が廃れ、大企業と闘わないという建前のロハスやニューエイジがマスゴミにゴリおされたため、自然派のイメージはオシャでスイーツな感じに変化した。私がマクロビオティックという食事法を知ったのもその頃であるし、乳製品とか白砂糖が否定されるのもけっきょくマクロビオティックが市民権を得た影響な気がする。(砂糖病=シュガーブルースの著者もマクロビ)

                 

                【第15話】反対から創造へ《牛乳編》(大地を守る会)

                http://www.daichi-m.co.jp/history/2606/

                 

                【第16話】反対から創造へ ―低温殺菌牛乳の実現!(大地を守る会)

                http://www.daichi-m.co.jp/history/2917/

                 

                ロングライフ牛乳危険説、もはや検索してもあんまり出てこないのだけど、唯一第一を守る会のサイトは写真も多くてけっこう詳しい。で前の記事でパスチャライズ牛乳ってのはたまにあるけど低温殺菌の牛乳はあんまり見かけないって書いたが、どうもパスチャライズ牛乳が低温殺菌のことらしい。

                低温殺菌うんぬんと関係ないのはホモジェナイズの方だった。ホモジェナイズは液体の成分を均質化することで、その処理をしていないノンホモ牛乳は上のほうにクリームが溜まるということである。

                だからたぶん、パスチャライズかつノンホモが自然に近く理想的なのである。私はパスチャライズ牛乳全然飲んだことあるのだけど、普通の牛乳と変わらない味とすごく飲みにくいのがあって、後者だけを低温殺菌だと思っていた。

                この違いについて調べてみると、飲みやすいほうは72度15秒(HTST)、飲みにくいのは65度30分の殺菌(LTLT)だった。Wikipediaを読むとやはり厳密には後者のみが低温殺菌牛乳と定義づけられるらしい。

                 

                低温殺菌牛乳(Wikipedia)

                https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%8E%E6%B8%A9%E6%AE%BA%E8%8F%8C%E7%89%9B%E4%B9%B3

                殺菌方法

                低温保持殺菌(LTLT法)
                    摂氏63〜65度で30分間加熱殺菌する方法(パスチャライズドという。フランスの細菌学者ルイ・パスツールが考案した加熱殺菌法であるパスチャライゼーションが由来)。72度前後で15秒間程度殺菌する方法を含む立場も見られるが、あまり一般的ではない。むしろ、この場合は高温殺菌方法に分類するのが一般的である。
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                それに対し普通の牛乳は120〜130度で2〜3秒(UHT)、ロングライフ牛乳は130〜150度で1〜3秒となる。ロングライフ牛乳は1976年、雪印の試験製造に始まり、翌77年には明治や森永が販売開始、1985年に法改正され常温保存できるようになった。

                反ロングライフ牛乳運動が盛り上がったのはこの1977から1985年のあいだのようで、ロングライフ牛乳が輸入され国内の酪農を脅かすと言われたり、「要冷蔵」規定の撤廃を阻止すべく厚生省前に座り込んだりや署名活動などが行われたそうだ。そして低温殺菌牛乳もこの頃で、日本初のパスチャライズ牛乳の木次乳業が1978年、大地を守る会は1981年とそれぞれ低温殺菌牛乳を商品化させている。

                というわけで、ロングライフ牛乳も低温殺菌牛乳も約40年ほどしかないようである。低温殺菌牛乳自体がロングライフ牛乳反対運動の中で生み出されていったものなので、もし飲むときはそんな歴史に思いをはせておくれ。

                このロングライフ牛乳反対運動関連と思われる書物には日本消費者連盟編「ほんものの牛乳がのみたい」(1980年)「ロングライフミルクここが問題―つぶすな日本の酪農」(1984年)高松修著「牛乳戦争!―ホンモノの牛乳を飲む法」 (1983年)「怖い牛乳 良い牛乳―お宅の牛乳は安全ですか」(1986年)小寺とき著「おいしくて安全な牛乳のえらび方」(1990年)森まゆみ著「自主独立農民という仕事―佐藤忠吉と「木次乳業」をめぐる人々」(2007年)などがある。やはり反対運動当時の本は日本消費者連盟だった。

                私が「そういえば昔の意識高い系って」と、90年代を回想するとき、必ず出てくるのが三一新書と日本消費者連盟だ。とにかくロハス以前の消費者運動といえば三一新書と日本消費者連盟なのである。

                日本消費者連盟はついこのあいだニュースになってたように「香害」、つまり柔軟剤の人工的なにおいがまるで公害のようだという概念を一部石けんメーカーや週刊金曜日とともに世に広めており、思いっきり商品名特定して大企業相手に○○は危ない!買ってはいけない!ってやってた昔に比べるとネタギレ感が否めないと思った。実際アマゾン検索してみると、最近日本消費者連盟の名前で出たのが「孤立し漂流する社会を生きる私」(2016年)とかいう憲法9条まもろう的な本しかないのだが、それが化粧品や洗剤と何の関係があるのだか表紙見ただけではまったく謎である。

                ちなみに上にロングライフ牛乳反対運動の参考としてurl貼ってる宅配の大地を守る会も左翼系であり、年逝ってる人には歌手の加藤登紀子と獄中結婚した学生運動の人がやってたってのでけっこう有名らしい。大地を守る会は2000年代にロハス化し、ホワイトバンドの人にロゴとかをオシャな感じにされてキャンドルナイトの呼びかけ人とかもやっていたので私にはそっちのイメージが強い。


                打たないで

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                  何度かこのブログでも書いているように、10年くらい前の温暖化ゴリ押しはしつっこいことこのうえなかった。暑い日や寒い日はいちいち温暖化が〜と言い出すし、北極と思われる氷が割れたり、小ちゃい氷に乗ったシロクマたんが落ちちゃうよーとばかりにおびえてるという、涼しいところの氷が解けて水位が上がることを暗に示唆していると思われる不吉な映像がさかんに流れお子さんがたにトラウマを植えつけようとしていたのだが、2008年の洞爺湖サミットが終わった頃くらいから急にゴリ押しが終わり、チームマイナス6%とかいう環境省のキャンペーンが鳩山のせいでチャレンジ25(二酸化炭素25%削減)になってから、阿呆らしくなったのか誰もエコとか言わなくなり、二酸化炭素を出さない発電だから温暖化対策とうたわれた原発が事故を起こしてグダグダになり、原発事故で脚光をあびたはずの太陽光発電もなぜか音沙汰がなく、今じゃ気温が高くなっても水害が起こってもマスゴミは温暖化が〜と言わなくなった。

                  2003年から2006年まで環境大臣をつとめその後もエコへの行動力を強みにしていた小池百合子もしばらくあの人は今状態でホとひと安心してたのに、都知事候補になった瞬間から露出が急増した。そして下の記事を見て、「この人が都知事になったらまたロハスがゴリ押しされちまう」というかねてからの危惧が現実になったことを知る。

                  東京五輪へ小池知事、酷暑のマラソン打ち水で熱対策(7月21日 日刊スポーツ)

                  https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/1859116.html

                  東京都の小池百合子知事(65)は20日、都庁前広場で行われた「打ち水」イベントに参加し、約1100人の来場者と一斉に打ち水を行った。小池氏は触らなくても温度を計測できる放射温度計を使って、地面の温度の変化も計測。「一斉にやることに意味がありますよね。暑さを乗り越えていきましょう」と呼び掛けた。

                  3年後の夏に行われる20年東京五輪・パラリンピックについて「暑い中でマラソン選手が走ったりするところは打ち水で解消していくなど、江戸の知恵を生かしていく。みなさんと一緒に進めていきたい」と話した。都主催の同イベントは都内141カ所で実施され、都庁会場にはりゅうちぇる(21)も来場した。

                   

                  しかしこの打ち水大作戦ってなんなんだろうか。一般に打ち水は朝夕の涼しい時間に舗装されていないところでやるのが効果的といわれてるのだが、江戸時代には存在しなかったと思われるアスファルトに水をまいて昼間のヒートアイランドを解決するかのようにほのめかしているし、むしろヒートアイランドのようにアスファルトが熱し続けられるところに打ち水したら地面の温度は下がるが散布した水はホカホカとスチームになってマラソン選手の蒸し焼きが懸念される。

                  そういうケチをつけると、じゃあどうすればいいのかとか、水をもっと大量にまけばいいという人が絶対いるのだが、路面が濡れてると多少危なかったり靴が汚れたりということもあるので、人間が水まかなくちゃいけないという使命を捨て何もしないかせいぜい街路樹でも植えたほうがいいんじゃないだろうか。暑い日に水まいたところと木陰とだったら10割の人が木陰逝くと思うし、打ち水大作戦自体も浴衣や桶、ひしゃくのような装備を重視したり、温度下がってないのに涼しく感じたとか風鈴などで凉を感じるとかを見る限り、実際に温度を下げるよりも江戸の知恵は素晴らしい、人々がつながることで考えるきっかけになるといった精神論ありきな感じなので江戸に思い入れのない私はよくわからなかった。

                   

                  メイドさん大集合! 千代田区が秋葉原駅前で打ち水イベントを実施!(2008年8月1日 ASCII.jp)

                  http://ascii.jp/elem/000/000/156/156088/

                  8月2日に神田明神で「NPO法人 秋葉原で社会貢献を行う市民の会リコリタ」が「打ち水っ娘」を行なうのに先立ち、多くのオフィスと秋葉原などのIT街を抱える千代田区が、JR秋葉原駅電気街口を出たところに位置するダイビル前のロータリーで「千代田区打ち水大作戦2008」を開催した。

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                  石川雅己千代田区長が「先月に痛ましい事件がありましたが、江戸しぐさ、伝統の行事の打ち水を通じて、秋葉原を元気付けたい広めたいという、みなさんと一緒に心を込めて打ち水を行います」と挨拶

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                  千代田区の打ち水スローガンに「江戸しぐさ」(2ちゃんねる)

                  http://fox.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1407664758/

                  1 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2014/08/10(日) 18:59:18.82 ID:yS1zXgU80 ?PLT(44074) ポイント特典

                      熱暑の夏を少しでも涼しくすごそうと、千代田区は8月を「打(う)ち水(みず)月間」とし、おけやひしゃくなどの道具の貸し出しもしている。

                      区役所前で1日行われた打ち水では、「打ち水は千代田を冷やす江戸しぐさ」と書かれたのぼりも登場。
                      親子連れや浴衣姿の区職員、上智大の学生、秋葉原を拠点に活動するNPO法人リコリタのメンバーらが参加した。ためた雨水をひしゃくでまき、水しぶきを浴びてはしゃぐ子どもたちもいた。

                      道具は区役所の環境・温暖化対策課で9月末まで貸し出す。 (鈴木久美子)
                      http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/20140805/CK2014080502000101.html

                   

                  これは小池氏が参加している打ち水大作戦ではないのだが、温暖化ブーム時は江戸が循環型社会だからエコで、モッタイナイといった古くからの日本人の精神性がエコとか、買い物袋に風呂敷を使おうといったことがさかんに宣伝されており、小池氏も江戸野菜という在来品種を作っていた。それと同時期に環境CMも制作していた公共広告機構が江戸しぐさを広めるなど温暖化ブームのある部分は江戸万能論にもとずいており、打ち水大作戦もその流れの一部と思われる。

                   

                  「祝10周年の打ち水大作戦はどうやってはじまったの?」を仕掛け人・池田正昭さんに聞いてみた [ソーシャルアクション元年への旅](2013年8月9日 greenz)

                  http://greenz.jp/2013/08/09/uchimizu02/

                   

                  小池百合子が保守系であるし、最近では江戸しぐさしかり、伝統素敵ってノリが右翼的な愛国心だと解釈されがちだが、少なくとも打ち水大作戦を考えた人が坂本龍一と親交があるし地域通貨とかアースデイとか自然なお産とか言ってるのを見る限り反原発運動とかやってる左翼にありがちなロハスだった。環境以外でも世界記憶遺産にむけ朝鮮通信使は韓流ブームの元祖という歴史観がはばをきかせてるように、左翼における江戸好きはとくに珍しいことではない。

                   

                  「奥さんのお産」ではなく「私たち夫婦のお産」。お産を語るオッサンの会の活動に迫る(2016年7月11日 DRESS)

                  https://p-dress.jp/articles/2037

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                  ――産婦人科と助産院はどう違うんですか?

                  池田:助産院は助産師さんがいるだけで、医者はいないんです。医療機器もありません。白衣を着たスタッフもおらず、私たちが行った助産院は、助産師さんはみんなおそろいの割烹着を着ていました。

                  ――お産には命の危険が伴う場合がありますが、医療機器がないことに関し、不安は感じませんでしたか?

                  池田:それが、逆にすごく安心したんですよ。普通の一軒屋なので、まるで実家にいるような、ほっとする空間で。威圧感を与える機器はありません。分娩台もありません。産後の入院中は、とてもおいしい、お袋の味のようなご飯をいただきました。
                  もちろんその場に医師はいないので、いわゆるリスクに対する備えは万全ではないかもしれません。帝王切開など異常出産になる場合は助産院では措置ができないので、提携している病院に搬送される形になります。でも、最初から医者任せにしないで、自分たちの自然な力を信じて、産ませてもらうんじゃなくて「自力で産む」ことにトライしてみようというところに新鮮な喜びを覚えました。

                  ・・・


                  スメハラvs香害

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                    梅雨明けもまじかということで汗の臭いが気になるこの季節、先日こんな110番が設置された。

                     

                    においの悩みに...「香害110番」設置へ(7月14日 FNN)

                    http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00364210.html

                    香水や制汗剤、柔軟剤などに含まれる人工の香り。

                    こうした香りが原因で、体調不良を訴える人が少なくないとして、日本消費者連盟は、「香害110番」を設置します。

                    「近所の人の洗濯物のにおいでベランダに出られない」、「においが原因で電車に乗れない」など、香りに悩んでいる人が増えているそう。

                     

                    以前マンダムだったか、どこかの化粧品会社が制汗剤売るためであろう、体臭のきつい人を「スメハラ(スメルハラスメント)」と定義していたため、確かにマナーの部分もあろうが体臭ってどんなに手術や対策してもどうにもならず苦しんでいる人もいるのになんでもかんでも豊田真由子様と同じハラスメント枠に入れるとはどうなんだい。と気に食わん奴をなんでもハラにしてしまう最近の風潮に反感をおぼえてるのだが、上記引用記事の香害110番とやらは「香水や柔軟剤や制汗剤のような人工的な香り」と言っているように、制汗剤や化粧品など合成化学物質の臭いはもうたまらぬ。っていう、化粧品会社(制汗剤メーカー)の創出する悪「スメハラ」とはまったく逆のコンセプトなことに留意していただきたい。この110番設置したのは週刊金曜日「買ってはいけない」や各種電磁波や抗がん剤の恐怖、近年ファスティングなどの著書も多い船瀬俊介を輩出し、70年代ごろから三一新書あたりで洗剤や化粧品の危険性をうったえ、少女時代の私をガクブルさせていたってのを最近思い出した日本消費者連盟である。

                     

                    https://7net.omni7.jp/detail/1100298061

                     

                    https://www.amazon.co.jp/dp/B000J86L1U/

                     

                    これら表紙画像を見る限り日本消費者連盟は合成界面活性剤が人体や環境に悪いので洗濯、洗顔には石けんを使いましょう。ってな思想なので「香害110番」はあくまでオシャレでわざとつけている香料由来の「香り」に対しての通報であり、湯シャンしてる人の頭とか、石けんで洗濯してる人の服の臭いなど、花王とか各種大手企業が合成洗剤や消臭効果を持つ合成化学物質で解決してきた自然由来の臭みには塩対応であろう。だからって日本消費者連盟がダウニーの香りまきちらしてる容疑で犯人の逮捕や取り調べしてくれるとも思えないので、集まった通報をもとに洗剤・化粧品メーカーに何らかの申し入れをしていくって運動なのかもしれない。

                    しかし上に貼った表紙の画像の古さからふと、検索結果を見る限り日本消費者連盟とか三一新書の本ってもしかして2000年代以降出てないのかな?と思った。2000年代といえばちふれ社もキャンメイクなどと同じいちプチプラ化粧品メーカーと化し、暮らしの手帖もほっこりしたので、人体や環境に悪いもの売って不当に儲けてる大企業どもといった消費生活における左翼的ジャーナリズムが廃れて女子供やロハスにこびる俗物化した時期と考えられる。

                    そのいっぽう、2000年代半ばからだったか、ドンキホーテでダウニーを中心に各種アメリカンな柔軟剤や洗剤が日本消費者連盟が問題視する人工的な香りをプンプンとふりまくようになっていた。もしかして、もともと香水や車の芳香剤とかすごそうなドンキホーテの客層が柔軟剤ブームに火をつけたのか?

                    このブームを牽引していたのがP&G社で、ダウニーのほかにファブリーズやレノア、ボールドなど消臭+香りつけのヒット製品を2000年代に多数ラインナップしていたため、国内洗剤メーカーはそれに追随する形だった。その前の90年代はティセラというシャンプーがあった以外に化粧品は昭和特有の化粧品臭さ(ダウニーよりきつい)が見直されたのかどっちかというと無香料のほうがトレンドで、P&G社も今ほど除菌とか消臭とか言ってなかったような。

                    いっぽうの日本消費者連盟などに見られる、アンチ合成洗剤および石けん至上主義はどうも70年代くらいからの動向のように思う。シャボン玉石けんやパックスナチュロン、ミヨシ石けん、ねば塾といった石けんメーカー各社も日本消費者連盟と同じノリの環境意識がうかがえ、現在もちふれ同様、消費者運動が廃れてなおその商品は数ある洗浄料の選択肢のひとつとして根強い人気を誇っている。

                    おそらくもとからあった石けんメーカーが水質汚染などが問題になっていた時代、環境にやさしいっていう石けんの優位性をアッピールしだしたってとこじゃなかろうか。少なくともシャボン玉の「青いお空がほしい」って歌詞や「香害」ってネーミングも大企業が有害物質まきちらしてた頃のなごりにちがいない。


                    主食対決

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                      先月買った「パンと昭和」って本、ひと月ほど寝かせた末ようやく半分ぐらい読んだ。私がパンと昭和について知りたくなったのは、まず最近影響を受けた真弓定夫先生監修の美健ガイド社マンガシリーズてのが戦後GHQのもたらした欧米化が日本人の健康をおびやかしているという価値観において一貫しており、その例としてあげられているアメリカ式育児法とか牛乳とかのうちの一つにパンがあったのである(下表紙画像参照)。

                       

                      https://www.amazon.co.jp/dp/4894720094

                       

                      https://www.amazon.co.jp/dp/4894720582

                       

                      そのため春先に道徳教科書の検定で愛国心が足りないとしてパンが和菓子に書き換えられたというニュースが、アベ政治のノリは戦中みたいで恐ろしいっと話題沸騰していたのも、いや別にパンと和菓子って対立してないよ?パンと戦ってる和の心は和菓子じゃなくてお米だよ?と、アベ政治許さない扇動に疑問を抱いたということもあった。私調べによれば、パン作ってる業者って戦前は○○屋、戦後は○○製パン所って社名が多く、それとは別に名前の最後に「堂」「舗」「製菓」などの漢字のつくパターンがある。

                      そういう屋号のついてるとこは和菓子がルーツと考えられ、また山崎製パンなどパンの会社はしばしば和菓子も作っておりスーパーでもパンのコーナーと一緒にされている。なので和菓子とパンの両方を作ってる会社などいくらでもあるし、あんぱんも銀座木村屋など初期バージョンのは酵母にイーストではなく酒種を使っており、小ぶりでまんじゅうに近かったように記憶している。

                      あんぱんだけでなく、カステラや蒸しパンやシベリアなどパンなのか和菓子なのかよく分からない食べ物もある。戦前パンがスイーツ(菓子)だったことを考えると自然な話で、あんこ、砂糖、小麦粉など材料がかぶっていることをふまえても、いち出版社が道徳教科書を書き換えたからといって和菓子を戦争やナショナリズムと結びつけいたづらにパンと対立さすのは日本に根ずいてるパンを在日外国人と同一視し、アベ政治は差別主義で性格悪って感じに無理くり持って逝こうとしてるフシがあり、こうした和菓子ネトウヨ説をロハス野郎ハチミツ赤ちゃんに食べさせてる説とともに此れという根拠が見いだせない限りは否定しなければならぬと心に誓った。

                      しかし米となれば話は別である。とにかく日本人は長年米が主食だったんだからパンなんてくってんじゃねー。と、パンをアメリカがもたらした堕落の象徴であるかのようにものすごい敵視しているロハスはけっこういるのだ。

                      だから上に貼った美健ガイド社のマンガの画像「ごはんはえらい!」も、ごはんが侍でパンが白人としてえがかれている。これがマクロビオティックになると、米でも白米は精製してるからダメで玄米に限るとかになってくると思うけど、私マクロビよく分からないのでそれはまた今度調べとく。

                      で私がこのお米とパンの戦いについて知ったのは、美健ガイドのマンガを読むよりまださかのぼることマスゴミが温暖化ゴリ押してた頃にNHKのFMでやってた大貫妙子司会「懐かしい未来」であった。そもそもこの番組名がロハスおよびNHKによる謎のチベット推しの側面があったと思われるが、それはともかくこの番組のゲストに幕内秀夫が出演していたのを聞いたのが初めてである。

                      検索するとそれが2011年6月末の放送だったようで今からちょうど6年前のことらしい。大貫妙子はメトロポリタンミュージアムやシャルウィーダンスなどの曲で有名な歌手だけどしゃべってるの聞いたことなく、この番組確か低い声で電子レンジとか現代文明けっこうディスってて、フワフワした透明感ある歌声とのギャップに驚いた。

                      そんな大貫妙子が幕内秀夫の考えに共鳴してラジオに呼んだのだろう。幕内氏は給食に関する著書が多く、その主張するところは、伝統的な粗食を推進でとにかくパン給食などやめて日本人なら米食べよってことである。

                       

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                      これはパンの記事なのでパンが表紙になった画像を拾ったけども、幕内氏の数ある著書はほとんどがお米の絵や写真の表紙である。マクロビには否定的だったので別に玄米ではないようだ。

                      しかし乳がん患者の8割は朝パンを食べているって、乳がん患者の10割が日常的に米も食べているんじゃないか?と思ってしまった。推薦してる宮崎ますみも、病気してるあいだに何かあったのか最近スピリチュアル方面でたまに名前聞く。

                      あと今調べてて、幕内氏のプロフィールに帯津三敬病院で食事相談を担当とあるのに気づいたが、この帯津三敬病院の帯津良一名誉院長も幕内氏と同じ年に懐かしい未来に出演していた。帯津良一で本ぐぐったらホリスティック医療とか気とかホメオパシーとか書いてたので、そういえば確かがん患者の治療で代替医療取り入れているのが売りだった気がした。

                      ホリスティックとかホーリズムとかいうのはロハスにある基本的な概念で、ホール(全体)っていうのがたぶん科学や還元主義の対義語である。ヒッピーの本のホールアースカタログとかオーガニック食材のホールフーズマーケットとかホール言うし、マクロビみたいに一物全体=皮ごと食べるって思想も関係ありそうだ。

                      最近知った例では、GHQ日本解体説の高橋史朗っていう人の本にホリスティック教育とかいう題名が多かった。幕内氏に話し戻すとそういう病院(ホリスティック医療の帯津三敬病院)と関係あるからって特別スピリチュアルなノリは感じないけども、日本人の長く培ってきた伝統が、欧米からもたらされた科学、栄養学よりも重要なんだという点で大貫妙子のようなロハスに熱烈な支持を受けているのだと考えられる。

                      幕内氏の主張は確かにー。と思うこともあるのだけど、ラジオを聞いた第一印象としては当時、米とパンが戦ってることを知らなく、むしろ2010年ごろは温暖化や厚生省のゴリ押しの一環でロハス(持続的なライフスタイル)としてマクロビにも脚光が当たってたし、自給率とか生物多様性の見地から稲作を盛り上げようという機運が高かったので、幕内氏が日本人はパンばかりに目をくらみ米をぞんざいに扱ってるみたいなこと言うのに、そうでもなくないか?と違和感を抱いていた。

                       

                      美健ガイド社「ごはんはえらい!」より

                       

                      しかしその後幕内氏の話をもとに調べると、戦後のある時期まで日本人が米をバカにしてた時期があったことを知った。それがアメリカ小麦戦略であり、終戦直後の食糧危機から脱してもアメリカの余剰小麦を消費するため給食にパンをゴリ押し主食に米を食べると馬鹿になりパン食べるとめっちゃ頭よくなるという荒唐無稽なステマを展開していたのだ。

                      そのもっとも顕著な例が頭脳パンで、頭脳パンは各社から発売されていて私もフジパンの頭脳パンに一時期ハマってたのだが、これら頭脳パンには「頭脳―才能をひきだす処方箋」(1958年) の著者である林髞(たかし)とおぼしき博士の絵もえがかれている。この博士がアメリカ小麦戦略の回し者として、アメリカ式育児スポック博士とともに欧米化で日本人の健康むしばんだ戦犯視されている二大博士だ。

                       

                      ・・・

                      一方で、林は当時の製粉・製パン業界にとって、まさに「救世主」であった。1955年(昭和30)から1958年(昭和33)にかけて米は豊作が続き、小麦の1日1人当たり消費量も1954年(昭和29)をピークに減ってきていたことから、関係者は危機感を募らせていた。このままじり貧になるのを是が非でも避けたい製粉・製パン業界は、林を講演会に駆り出し、「米を食べるとバカになる」というパンフレットを大量に制作して配布したという。こうしてなりふり構わずパンの優位性を人々に訴え続けた業界は、「パン離れ」を一時的な現象にとどめることに成功し、消費は再び増加へと転じた。粉飾推進運動は、米不足により「主食の二本立て」をめざす時代から、米の作柄とはかかわりなく小麦を消費する時代へと、さらなる転換をとげたのである。

                      (「パンと昭和」108ページより)

                       

                      日本人は戦争に負けてからというもの、アメリカの豊かさをありがたがった。ちゃぶ台とか漬物とかイケてないわぁー。となり、食も体を白人のように大きくしてくれる脂肪やたんぱく質を多く摂取し欧米化することが「栄養」だったであろう。

                      それが今では栄養が毒とばかりに、ダイエット、デトックス、不食など栄養を取らなかったり出すことこそ健康とさえ考えられるようになった。そうした流れの中で幕内氏の提唱する粗食や和食が評価されているにちがいない。

                      米とパンが戦っていることを知らなかったときは、炭水化物大好き野郎として幕内氏の説に対しなぜそこまでパンを敵視?!と疑問を抱いたけど、成程かってアメリカにグイグイ押しつけられたという背景があったというわけである。しかし私(アラフォー)の時代にはすでに欧米化完了しててとくにパンがもてはやされることもなかったし、コッペパンとともに米飯給食もあったのでピンとこなかったのだ。

                      それにそもそもパンが主食として米の地位をおどかしているというのがにわかに信じがたい。実際のところパンはあくまで軽食であり、けっきょく朝ごはんやおやつの域から出ていないように思う。

                      日常的に食事における主食として食べているのはそれこそ給食くらいで、昼ごはんはどっちかというとうどんやラーメンなど麺類のほうがパンよりも食べそうだし、夜ごはんにいたってはなおさらパンなんて食べないだろう。そういう意味ではパンに焦点を当てるうえでの代替案としては主食ってよりも持ち歩いたり単体で食べることの多いおにぎりのほうがふさわしい気がするし、日本人の主食を米からパンにしようとしたとされるアメリカ小麦戦略は失敗だったのではないか。

                      ただ給食の場合だけは別で、おかずなどと一緒にあたかも主食のように出てくるし幕内氏の著書も給食に関するものが多い。これは同じ小麦製品でもスパゲッティーを除いてアジアの料理である麺類に比べパンがいかにもな欧米であること、また給食という、戦後に一般化しまた断れない場で来る日も来る日もパンを食べさされてパン大好きに洗脳されたという筋書きがあるのでパンが主食であるかのようにことさらに名指しされ袋叩きされてしまったのだと私は考えている。

                      しかしコッペパンなど給食を作っている製パン所の大半が1940年代後半から50年代と戦後の限られた時期に創業しているのを見て、私は長年アメリカ小麦戦略をGHQの陰謀と思ってたけど、記憶違いでこのたび「パンと昭和」を読んだところ、給食とかアメリカ小麦戦略はGHQより後の高度経済成長期だったらしい。戦後すぐは食糧難で米もなかったし戦中に米の代用食として作っていたパンはまずかったので、輸入小麦粉の白いパンは美味しかった模様。

                       

                      輸入小麦粉の真っ白いパン配給(NHKアーカイブス)

                      http://cgi2.nhk.or.jp/archives/tv60bin/detail/index.cgi?das_id=D0009100012_00000

                      さる1月、アメリカ軍の厚意で輸入された小麦粉が、さっそくパンに作られることになりました

                      見ただけでも食欲をそそる、きめの細かい真っ白なパン

                      このパンはすでに2月22日から東京都内に配給されております

                       

                      真っ白なパンの味

                      http://www.geocities.jp/shougen60/shougen-list/w-T10-1.html

                      終戦の詔勅は訳わからなかった。負けるとは思いもしなかった。言われるままに働いていたわけです。
                      食糧事情は全部配給で、隣組に週に1回、魚とか野菜とか豆腐とか配給があった。
                      それはお金を払って買うんですが、お米は米穀通帳で配給ですわな。
                      1人当たり何合やったか、月のうち三分の一くらいしか米はないんです。あとは代用食ばっかり。
                      その代用食の配給はありました。
                      小麦、稗、丸麦とか、豆かす、豆を絞ったあとの馬が食べるようなもの。
                      農家はよかったけれど。大阪から大和の農家を訪ねて行って、キモノとお米と交換したものですわ。

                      ・・・
                      戦後結婚した主人の弟は戦死。一番有難かったのは日々の配給で、進駐軍が来てから真っ白な
                      粉の配給
                      があったこと。それまでサツマイモのツルでこしらえた真っ黒けなパンを食べていた。
                      それはちょっと苦みがあって。
                      小麦でも丸のままで配給していたのは、人手不足で製粉する手間がかけられなかったんでしょう。
                      丸のままの小麦やカチカチに乾燥したトウモロコシを石臼で家でひきましたよ。
                      荒い粉にひいてそれを固めてパンに焼いたり、そやから今みたいなパンは見たこともない。
                      アメリカさんの援助物資の真っ白なパンの味が忘れられません。何ともいえんおいしかったですわ。


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