失われた身体技法

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    評価:
    南伸坊,黒川創,富岡多恵子,海老坂武,塩沢由典,森まゆみ,安田常雄,吉岡忍,粉川哲夫,酒井隆史,上野俊哉,川本隆史
    青土社
    ¥ 1,620
    (2015-09-14)

    日本人は何をめざしてきたのか 知の巨人たち 第6回 石牟礼道子(YouTube)

    https://www.youtube.com/watch?v=UA35VnzZ-3Y

    「海と空のあいだに」と題され雑誌「熊本風土記」に連載された原稿。それがのちにまとめられ昭和44年に「苦海浄土」として出版されました。この雑誌の編集者だったのが渡辺京二さんです。渡辺さんは初めて石牟礼さんの原稿を目にしたときその才気あふれる文章に驚きました。そして編集者として支えることを決めました。それから半世紀にわたって渡辺さんは石牟礼さんとの交流を続けています。渡辺さん自身も石牟礼さんとともに歩むように執筆活動をしてきました。代表作の「逝きし世の面影」では日本が近代化で失った文明の姿を描きました。自然の営みや人々の暮らしの中から言葉を紡ぎ出す石牟礼さんは日本近代文学の中で他に例を見ない作家だと渡辺さんは考えています。

     

    https://bookmeter.com/books/405796

     

    「逝きし世の面影」渡辺京二著

    http://feb27.sakura.ne.jp/book_n_h06.html

    『逝きし世』とは何か、著者は冒頭の三行目に提起している。

    「日本近代が古い日本の制度や文物のいわば蛮勇をふるった清算の上に建設されたことは、あらためて注意するまでもない陳腐な常識であるだろう。だがその清算がひとつのユニークな文明の滅亡を意味したことは、その様々な含蓄もあわせて十分に自覚されているとはいえない。十分どころか、われわれはまだ、近代以前の文明はただ変貌しただけで、おなじ日本という文明が時代の装いを替えて今日も続いていると信じているのではなかろうか。つまりすべては、日本文化という持続する実態の変容の過程にすぎないと、おめでたくも錯覚して来たのではあるまいか。

    実は、一回かぎりの有機的な個性としての文明が滅んだのだった。それは江戸文明とか徳川ぶんめいとか俗称されるもので、十八世紀初頭に確立し、十九世紀を通じて存続した古い日本の生活様式である。」

    最近、江戸時代の見直しが始まっている。明治維新は、江戸時代の否定に始まった西洋化運動である。西洋化によって失われてしまった江戸文明の姿を、欧米人の日本見聞記などを丹念に分析することによって復元している。

    江戸時代の日本は、人口 三千萬人の世界有数の大国であった。しかも、生活必需品は自給自足で賄われており、社会の隅々までリサイクルが行われていた。また、美しい自然と共生している時代でもあった。


    この本は、多くの西洋人によって「エデンの園」ではないかと感嘆せしめた、人々の礼儀正しさ、風景の美しさなどが、丹念に描き出されている487頁にも及ぶ大作である。

     

    キャンドルナイトやブータン幸せ説を世に広め最近では江戸東京博物館でソーヤー海などと江戸の知恵語ってるらしいナマケモノ倶楽部の辻信一も、スローライフとか言う前に水俣病の本を出していた。これ↓は中身ほとんど水俣病認定申請患者協議会会長だった緒方正人の語りだったと思う。

     

    https://www.amazon.co.jp/dp/490638840X

     

    日本人は何をめざしてきたのか 知の巨人たち 第6回 石牟礼道子(YouTube)

    https://www.youtube.com/watch?v=UA35VnzZ-3Y

    昭和50年。水俣病をめぐる新たな問題が起こりました。水俣病の認定を申請している人のなかには補償金目当てのニセ患者が多いと熊本県議会の議員が発言したのです。これに認定を申請していた人たちが猛反発します。県議会に出向き謝罪を求めました。そのときの混乱で申請者と支援者4人が逮捕されました。

    緒方正人さん61歳。逮捕された4人のうちの1人です。当時みずからの認定を申請していました。緒方さんは不知火海で代々続く漁師です。

    緒方さんは6歳のときに網元だった父親を劇症の水俣病で亡くしました。甥と姪は胎児性水俣病です。みずからも手足のしびれに悩まされていました。当時父親のかたきを討ちたいと患者運動の先頭に立って活動していました。石牟礼さんと最初に出会ったのは逮捕後、公判手続きで裁判所に入ろうとしたときでした。

     

    https://www.amazon.co.jp/dp/4087813436

    辻 それにしても、あの『逝きし世の面影』に出てくる子どもの姿は印象的ですね。日本人の子どもほど幸せそうな子どもは見たことがないという外国人訪問者たちの感慨がいっぱい描かれています。いつもニコニコとうれしそうに笑っている子どもがいる。そして、もう一方に、根っからの子ども好きの大人たちがいる、という構図。ぼくには、そんな男の姿もすごく印象的でしたね。とにかく、男たちが、子どもといっしょにいることをすごくよろこんでいる。

    ところが、いまはどうでしょう。大人、とくに男たちは、まったく子どもに目を向けませんね。電車の中でも、住宅街の路地でも、目を合わせることもしない。そういう環境で育っているから、いまの日本の子どもたちというのは、もう何物にも反応しなくなっているんです。コミュニカティブな身体じゃなくなっているんですね。自分からは発信もしないし受信もしない。

    身体レベルでのコミュニケーションがないんですね。江戸しぐさというのが本などで話題になりました。どんな社会にいても、ぼくたちは、身体からいろんなメッセージを発信しながらコミュニケートしているわけじゃないですか。言葉にならなくても、小さな会釈であったり、目つきや視線であったり……。

    ところが、いまの子どもたちはもちろん、けっこう高齢の大人たちに至るまで、みんな、身体がまるで目に見えない膜に覆われているみたいになっている。あれは、満員電車で鍛えられるのかな。満員電車の中でいろんなコミュニケーションが発信されていたら、まずいことになりますからね。一時的に、コミュニケーションしない身体を作らないといけないわけで……。

    (辻信一・三砂ちづる「だきしめてスローラブゆるやかにしなやかに男と女の性と愛」178〜179ページより)

     

    スローライフなどをテーマにした本をハイペースで出してるのは2000年代のロハスブーム以降であり、検索で分かる限りでは1977年より北米に渡り、80年代初頭には辻信一というペンネームの名付け親である鶴見俊輔の雑誌「思想の科学」に寄稿しており、1984年に思想の科学社からたぶん初めての著書「ヒア・アンド・ゼア 北米大陸ホーボー通信」を出している。何か書いてたかはまったく覚えてないけど、80年代ごろの辻氏は在日をけっこう前面に出していたように思う。

    80年代は指紋押捺反対とか在日2世を中心とした民族運動がさかんだったし、辻氏と関連の深い鶴見氏やデビッド・スズキ(セヴァン・スズキの父親)が戦争中に収容所に入っていたことをふまえると、昔は環境より民族や国籍がテーマだったのかもしれない。Wikipediaによると鶴見俊輔はカルロス・カスタネダを日本に紹介したり、ヤマギシ会の協力をえてベトナム戦争の脱走兵かくまってたとかだけど、そういえば公害原論の宇井純もヤマギシ支持してたってな話があった。

     

    『農業が創る未来 ヤマギシズム農法から』の読後感想

    http://logos-ui.org/book/book-18review.html

    渡辺 操  

    師走に入り、そのしめくくりに『農業が創る未来 ヤマギシズム農法から』村岡 到様の御著書、お贈りくださいましてありがとうございました。早速、まえがきとあとがきを拝読して、感動して一気に一冊を拝読しました。理想社会をつくる農業の立場から「人間の根源的営みである」とのこと。かつて1960年代に思想の科学やユートピアの会で鶴見俊輔様が全人幸福社会づくりの一かんとしてヤマギシ会の中で文章が書ける人がいるでしょう、その人に書いてもらって世の中へ出したら良いと言われていました。村岡様がその役割をになってくださり大変たのもしく感じました。

     

    第4章 昭和元禄のサイケブーム 1968

    http://amanakuni.net/pon/hippie/5.html

    意識革命の最強にして神聖なる武器であるLSD(アシッド)を、日本に持ち込んだゲイリー・スナイダーは、「部族」のメンバーをテストし、パーティのガイドを任せられる人物を何人か選んだ。
    LSD教祖ティモシー・リアリーから日本用に預かった“LSD 25”は、ホフマン博士伝来のオーガニックな半合成で、緑色の粉末だった。ゲイリーはそれを薬剤用カプセルに詰め分けた。京都のゲイリー宅でその作業を手伝った私は、満タンのものから微量のものまで、相当量のカプセルを貰い、そのLSDを使ってコミューンの仲間たちと、数多くのアシッド・パーティを催した。

    ・・・

    鹿児島での祭りの後、私は再び諏訪之瀬島へ戻ったが、ベトナム戦争から脱出した3人の米兵が一緒だった。
    ベトナム戦争は泥沼と化し、アメリカ国内ではヒッピーのフラワーパワーが爆発、日本でも「ベ平連」が組織され、積極的な平和運動を展開していた。しかし「部族」をはじめ、わが国のヒッピーたちは「ベ平連」のデモには参加せず、政治的次元での運動を極力避けて、文化的ラディカルを追求していた。
    「部族」と「ベ平連」との関係は、ゲイリー・スナイダーと鶴見俊輔氏との個人的友情によるもので、脱出米兵を諏訪之瀬島に匿う件も、いわば「義理と人情」次元での協力だった。
    ・・・

    積極的な反戦運動はしなかったが、私たちにも殺戮を拒否して脱出した米兵に対する敬意はあった。ところが匿った3人は反戦思想など持ち合わせがなく、上官暴行でやむなく脱出したゴロツキだった。だから腹がへれば台所をうろつき、肉が食いたくなれば包丁を持ってニワトリを追いかけ回した。ひどい連中だった。

    こんなガキ共のために日本中の活動家たちが、身ゼニを切って救援活動しているのかと思うと、心底あほらしくなった。彼らに同伴したベ平連の活動家阿奈井文彦氏も同意していた。もちろん我々の所へ来た3人が最悪で、中には良い連中も沢山いたようだが。
    ・・・
    新宿騒乱のニュースを聞いて諏訪之瀬を出た私は、信州へ行く途中、京都のゲイリー宅に立寄り、初めて鶴見俊輔さんに会い、同志社大学の「ベ平連集会」に誘われた。あまり気は向かなかったが、「何でも一度はやってみよう」という主義なので、参加を約束した。

    ・・・

     

    上記引用によればビート詩人ゲーリー・スナイダーと鶴見俊輔の個人的友情により、脱走兵が3人ほど「部族」にかくまわれていたこともあったらしい。LSDを日本に持ち込んだゲーリー・スナイダーと日本初の大麻取り締まられた山尾三省この2人の詩人は諏訪瀬島でコミューンをやっていたしもちろん地球も好きだった。

     

    https://www.amazon.co.jp/dp/4787713825/

     

    水俣病の写真↑で超有名なユージン・スミスの本を翻訳していた中尾ハジメはWikipediaに「写真家・反核運動家のアイリーン・美緒子・スミス(ユージン・スミスの妻だった)は元妻」って書いてて、この3人どういう関係なんだろう。と疑問に思った。中尾ハジメの弟はゲーリー・スナイダーの本などを訳していた詩人の片桐ユズルである。

     

    片桐 ユズルさん|証言|NHK 戦争証言アーカイブス 戦後日本のあゆみ

    https://cgi2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/postwar/shogen/movie.cgi?das_id=D0012100085_00000

     Q:「思想の科学」にですね、最初関心持たれて、どういう活動といいますか、なにかサークルに入られたんですか?

    あのね、鶴見俊輔さんがね、その頃東京工業大学で研究室がありましたね。俊輔さん、そこで教えてた。それで、そこで「思想の科学」の研究会の、何の会だか、毎月かなんかありましたね。そこへ行きました。

    それまでね、日本の学会っていうのはね、ドイツふうの考えが多くて、あるいは文学界はね、フランスふうの考えが多くてね、それでドイツ語とかフランス語からの発想が多かったわけですよ。私は、うちの親父が英語の教師をしていたということもあったり、わりにそういうんじゃなくて、英語のほうから入ったというか、英語だと分かりやすいんですよね。それで、そうすると「思想の科学」は、アメリカから来たじゃないですか。だから英語系の考え方なんですよね。それが私にはとっつきやすいと思った。というか、そういうものを求めてたわけ。ドイツでもなくて、フランスでもなくて、それで日本は駄目だから。これは駄目に決めてたから。

    Q:日本は駄目っていうのはどういうことですか?

    だから天皇制とかさ、なんとか、それまで戦争、めちゃめちゃなことをやってきた、そういうのがいわゆる日本精神とかさ、大和魂とかさ、日本の伝統とかさ、そういうものが戦争にずっと私たちを引っ張り込んでいったと思ってましたから、だから日本は駄目なの。非常にシンプルに考えていました。

    だから日本は大バツ、だったんです。ところが、それに転換が起こったのはね、鶴見さんなんですよ。鶴見さんがね、柳田國男のことを紹介した。それで柳田國男がいろいろ研究した、それはやっぱり日本のいいことだったりするわけでしょう。そうか、というわけで、見直しはそのへんから始まったわけですけど、私にとって。

     

    逃亡する高橋克也容疑者のカスタネダとチベット死者の書 --- 島田 裕巳(2012年06月10日 アゴラ)

    http://agora-web.jp/archives/1463506.html

    オウム真理教の高橋克也容疑者は、10日朝の時点でも逃走中である。報道では、彼の部屋から防犯ビデオにかんする本が出てきて、いかに逃げ通すか周到な準備をしていたと伝えられているが、もう一つ、彼の部屋から発見されたものがあった。これについては一部でしか報道されていないが、彼のこころのうちを考えるには重要な資料になりうるものである。

    それは、精神世界に関連する数冊の書物である。具体的には、カルロス・カスタネダの『呪術の体験』、『夢見の技法』、そして『チベット死者の書』の解説書などである。私もまだ、どういった本を彼が持っていたのか、すべてを掌握しているわけではない。
    カルロス・カスタネダは、ブラジル生まれの人類学者で、1968年に刊行された『呪術/ドン・ファンの教え』が、彼がいたアメリカだけではなく、世界的にヒットし、とくに当時勢いをもっていたカウンター・カルチャーの運動に多大な影響を与えた。日本では、カスタネダのことについては、最初に哲学者の鶴見俊輔氏が紹介し、社会学者の見田宗介氏(真木悠介の名で)、宗教学者の中沢新一氏がその著作で取り上げ、高く評価したことから広く知られるようになった。

    カスタネダは、オルダス・ハックスリーがLSD体験を記した『知覚の扉』を読んで幻覚性植物への関心をもつようになり、UCLAの人類学の学生として行ったフィールド・ワークのなかで、メキシコのヤキ族の呪術師で、カスタネダがドン・ファンと呼ぶ人物と出会い、そのもとで修行を行うようになる。ドン・ファンは、幻覚性植物などを用いることによって、カスタネダをさまざまな神秘体験に導いていく。

    ・・・

    逃亡中の高橋が、オウムの教団や麻原に対してどういった考えを持っているか、現状においてはまったく分からない。だが、彼が、精神世界や神秘体験について関心を持ち続けていることは間違いないであろう。あるいは1958年生まれという年齢からすると、20代に精神世界の運動に関心を持ち、そこからオウムに入信したのかもしれない。

    ・・・

     

    そういえば全然関係ないけどドンファンの愛犬ラブちゃんの死因ってけっきょく何だったんだろうか。カスタネダを著書で取り上げた真木悠介もまた野草社の雑誌「80年代」編集委員であり、ブタまるごと一頭食べるでおなじみ鳥山敏子と津村喬が90年代に出していた「賢治の学校」にも寄稿していた。

    「賢治の学校」誌には、セヴァンスズキ伝説のスピーチの訳者としてすでに辻信一の名前も出ている。2000年代以前は辻氏もセヴァン氏もそこまで知られた存在ではなかったと思うが。

     

    https://www.amazon.co.jp/dp/4811806212

     

    真木悠介『気流の鳴る音――交響するコミューン』

    http://sekibang.blogspot.com/2009/08/blog-post_1411.html

    見田宗介の真木悠介名義(日本の社会学界でこのように名義を使い分けている人は、この人ぐらいなのか? まるでエイフェックス・ツインみたいである)での代表作を読む。一九七七年の作品。最初の刊行からすでに三〇年以上も経っているが、今なお「鋭い……」と思わせられる作品であった。冒頭、ヤマギシ会について言及している部分があるが、これをほとんど好意的な感じで捉えているのも興味深い。ヤマギシ会といえば、いまやほとんどカルト扱い。基本的には批判的な文脈においてでしか登場しないものかと思っていたのだが、当時はそうでもなかったのだ、と思ってしまった。私自身、ヤマギシ会の存在を知る機会となったのは、学生時代のある授業においてであり、そこではやはり「人間の主体性を奪ってしまう洗脳的なカルト」というような感じで紹介されていた。一九七〇年代後半には、まだコミューンというものが存在しており、希望として捉えられていたのか、と思うと感慨深いものがある。

    ・・・


    秋祭り

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      打ち水の仕掛け人がやってた「土と平和の祭典」逝ったときの写真があった。ヤマギシが店出してたとか全然覚えてない。

      左の方にいるオレンジ色のスカートみたいな服見えてる人は顔うつってないけどソーヤー海といい夏にヒルナンデス出てたらしい。しかし「ガーデニングやDIYの本を出版している」って日曜大工の先生みたいな紹介されてる。

       

      「ヒルナンデス! 〜ドケチ隊×生駒里奈が田舎暮らし入門!多肉植物寄せ植え講座〜」 2018年7月4日(水)放送内容

      http://kakaku.com/tv/channel=4/programID=25363/episodeID=1176885/

      パーマカルチャーと平和道場

      エコアパートでは近所に住むお助けマンがいろいろ教えてくれる。畑の師匠のソーヤ海さんは35歳。ガーデニングやDIYの本を出版している。主な仕事は若い人に暮らしの技術を教えること。彼から初心者でも畑の技術が学べる。材料費0円で入門編の畑を教えてくれる。大切なのは楽しむこと。畑仕事は生駒と春日。松本と若林はロケットストーブを作る。

       

      http://miyakestore.com/?pid=132894636

      監修のソーヤー海くんは商店のShine研修でもNVCのワークショップを開いてくれたり、また店主三宅洋平と冨田貴史氏と3人で対談したりと、ともに持続可能な社会を目指す仲間です。2017年にはTUP主催のアメリカ・ポートランドへのパーマカルチャーツアーへ店主も参加しています。

       

      http://miyakestore.com/?pid=104748909

      アースデイやんばる 特別企画 三宅洋平&ソーヤー海 スペシャル対談

      オリジナリティ溢れる活動で存分に自己表現している、三宅洋平・ソーヤー海。 大きな発信力、影響力を持つ2人に、今感じていることを率直に会話してもらいました。初対面であるにも関わらず、尽きることのない楽しい対談を「アースデイやんばる」が密着レポート! (2016.4月)

       

      マーマーマガジンの会社から本出してるのは見たことあるけど、今年にも新刊(ガーデニングやDIYの?)本「みんなのちきゅうカタログ」が出てたようだ。この本売ってる三宅洋平て人もヒッピーぽいし、タイトルがホールアースカタログ、絵の感じは「地球の上に生きる」を彷彿とさせる。

      アースデイは春のロハス祭りで、打ち水ももともとはアースデイマネーという地域通貨から始まっている。とにかくロハスといえば地球なのだ。

       

      江戸東京博物館、4月1日(日)再オープン 東洲斎写楽、喜多川歌麿の浮世絵ベストコレクションを公開!さらに再オープン記念WEEK 「EDO→TOKYO VISION」開催!(3月12日 PR TIMES)

      https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000002.000032465.html

      4月7日(土)テーマ:「サステナブルな暮らし」
      江戸時代の暮らしの知恵を知ることで、東京の未来のライフスタイルが見えてくる。サステナブルやリユースなどをキーワードに、江戸の専門家と現代の活動家たちを交え、これからの東京を楽しくサステナブルに生きるヒントを探ります。

      ●落語
      【出演】
      ・古今亭菊千代(一般社団法人落語協会 真打)

      ●トークセッション
      【出演】
      ・辻 信一(文化人類学者、環境運動家)※コーディネーター
      ・アズビー・ブラウン(デザイナー・作家)

      ・古今亭菊千代(一般社団法人落語協会 真打)
      ・末吉 里花(一般社団法人エシカル協会代表理事)
      ・ソーヤー海(共生革命家・東京アーバンパーマカルチャー創始者)
      ・藤森 照信(東京都江戸東京博物館館長)

      ●スペシャルライブ ※約40分のアコースティックライブを予定しております。
      【出演】
      ・レキシ
      日本の歴史に造詣が深く、ファンキーなサウンドに乗せて歌う日本史の歌詞と、ユーモア溢れるステージングが話題を呼んでいるレキシのスペシャルライブ。

       

      https://www.amazon.co.jp/dp/4484111012/

       

      しつこいけど江戸の知恵に学ぶ系は竹やりではなくたいていベトナム反戦運動や公害の時代から飛び出てきたようなラブ&ピースだ。江戸大好きの根拠になりがちな「逝きし世の面影」の渡辺京二も石牟礼道子と水俣病の運動してたし、その渡辺氏に経血コントロールでおなじみ三砂ちづるが会いに行く本も存在する。

       

      https://www.amazon.co.jp/dp/4863291469

       

      https://www.amazon.co.jp/dp/4167902605/

       

      「石牟礼道子全集」完結で池澤夏樹さんらがシンポ(2014年6月25日 産経新聞)

      https://www.sankei.com/life/news/140625/lif1406250019-n1.html

      水俣病患者からの聞き取りをもとに描いた小説『苦海浄土』などで知られる作家、石牟礼道子さん(87)の全集(藤原書店、全17巻+別巻1)の完結を記念したイベントが、7月21日に東京都文京区の文京シビックホールで開かれる。

      イベントは2部構成。第1部は同日午前11時から、石牟礼さんへのインタビューを中心に構成したドキュメンタリー映画「花の億土へ」の上映会。第2部のシンポジウムは午後2時半から、作家の池澤夏樹さん、高橋源一郎さん、町田康さん、疫学者の三砂ちづるさんをパネリストに迎え、水俣病問題に詳しい政治社会学者の栗原彬(あきら)さんがコメンテーターを務める。

      ・・・


      脳とお産

      0
        評価:
        ミュージック・セラピー
        ソニー・ミュージックレコーズ
        ¥ 2,950
        (1996-11-21)

        ソニー創業者・井深大と見城美枝子、トマス・バーニー著「胎児は見ている」(1982)のカバーに推薦文を寄せていたこの2人のラマーズ法についての対談で、井深氏がだんなさんが立ち会ったからエンドルフィンすごい分泌されたみたいなこと言ってたが、脳内麻薬エンドルフィンは1975年に発見され、その影響もあるのか80年代あたり井深対談でも引き合いに出されていたピーター・ラッセル著「グローバル・ブレイン」とか胎内記憶とも関係の深いスタニスラフ・グロフ著「脳を超えて」(いづれも吉福伸逸訳)など脳が人気爆発してた気がする。90年代入っても神様は小学5年生で話題沸騰のサンマーク出版から「脳内革命」とかいうベストセラー出たし、井深対談に登場する大島清は脳生理学者で0歳児教育の久保田競と同じ京都大学霊長類研究所だった。

         

        https://www.amazon.co.jp/dp/4806745685

         

        https://www.amazon.co.jp/dp/4341014390

         

        井深対談

        http://www.sony-ef.or.jp/sef/about/pdf/taidan12_13.pdf

        井深
        エンドルフィンは何かプラスの方が多いですね。
        大島
        そうですね。妊娠と一緒にどんどんふえていくということはわかっておるんですね、エンドルフィンが。お産のときにマキシマムになって・・・。
        井深
        マキシマムになるんですか。痛みを押さえるという・・・。
        大島
        痛みを抑えますからね。ところがだんなさんが陣痛室の中に入りますと、エンドルフィンはよけいふえまして、和痛効果があるということですね。そういうのはアメリカの生理学者が最近言ってるんです。

         

        夫が立ち合い出産すると嫁の脳エンドルフィン分泌されて痛くない説は大島氏によるものだった。立ち合い出産といえばラマーズ法であり、日本における自然なお産の第一人者である三森助産院の出産ビデオを監修していたそうだ。

         

        すてきなお産の哲学―ラマーズ法出産ビデオから

        https://noobjection.work/pms_essay/esy016.html

        最近、知り合いの高校生が「出産」について学校で勉強したよ――という話をちらっと聞いて、このビデオテープのことをふと思い出した。『愛と感動の出産【ラマーズ法】』(制作・総発売元エーエスジェイ株式会社)である。

        ・・・

        このビデオの制作に関しては、調べても不明な点が多い。「三森式ラマーズ法」で一躍有名になった三森孔子さんと京都大学教授の大島清氏(大脳生理学、生殖生理学)の監修のもと、「ラマーズ法」の「出産」に関心を持つターゲット層の一般視聴者のために制作した、というのは分かる。実際の「出産」現場(三森助産院)に立ち合って撮影がおこなわれた、というところまでは理解できるのだが、映像の冒頭では、「制作・著作 株式会社エフ・エム・サプライ」と表記されていた。このことから、エフ・エム・サプライという会社がこの映像の制作元であり、著作権を有していたと思われる。

        ・・・

        ここは大事なので何度も書いておくが、「ラマーズ法」を取り入れたお産というのは、決して楽なお産のことでも、無痛のお産のことでもない。けれども、妊娠中に近親者と一緒に体操や呼吸法をあらかじめ勉強することで、お産が怖くなくなり不安が解消され、とてもリラックスした状態でお産に臨むことができる。会陰切除して赤ちゃんを取り出すのではない、自然なお産。結果的には、楽なお産だったわ、ということは言えるのかもしれないが、むしろ別の言い方で表現すれば、「怖くないお産」「気持ちのいいお産」「楽しいお産」なのである。

         

        https://www.amazon.co.jp/dp/4579200306

        お産は新しい生命を迎えるというおめでたい出来事です。それなら感動に満ちあふれたお産をしたいもの。産婦はもちろん、その連れあいや、お産にかかわっただれもがひとしく「自分が産んだ」という感動と歓喜をおぼえるような、そんなすてきなお産への、これはおさそいです――。

         

        前述したように井深対談に登場する大島清と久保田競はいづれも京都大学霊長類研究所なのだけど、脳と並んでサルも80年代に多い気がする。30年ほど前ウォークマンのCMで瞑想するサルってのが話題になったらしいが、「音が進化した。人はどうですか」ってコピー、背景に水(海ではなく湖らしいが)、井深大のスピリチュアルぷりや放映された時期にかんがみて100匹目の猿じゃないのかこれ。

         


        男もお産

        0
          評価:
          見城 美枝子
          文化出版局
          ---
          (1976-10-01)

          井深大との対談で吉福伸逸の次に気になったのが見城美枝子で、井深氏と同じく胎内記憶の元祖であるトマス・バーニー著「胎児は見ている」(1982)のカバーに、これから母親になる方々におおいに参考になる育児書です。てな推薦文を寄せていた。なんで見城美枝子なんだろうと思ってたら、この人お産の学校に通ってラマーズ法で産んだんだそうだ。

          井深対談

          http://www.sony-ef.or.jp/sef/about/pdf/taidan24.pdf

          井深
            ラマーズ法は私、余りよく知らないんだけれども、お父さんが産室へ入って手伝うの。  
          見城
            そもそものきっかけは・・・。赤ちゃんを産むのに機械や、薬を使うのがこわいから、絶対生むのはいやだとか、産むというと、まず顔をしかめる場合が多いんですよね。でもそこを通らないと親になれないからということで、みんな何かがまんして通ると思うんですが、私はやはり赤ちゃんがこの世に誕生するそのときですから、一番いい形を取りたいと思ったんです。自然分娩で、なおかつお母さんとしての苦しみも乗り切れる形でやる方法。
                  それで、お産というのはどういうふうにして起こるのかというのを知らないものですからお産の学校に、彼も私も一緒に毎週日曜日勉強に通って、お産のメカニズムを教えていただいたり、お産の映画を見たりしました。助産婦さんたちがいろいろ取り上げている体験談から、赤ちゃんというのはこういうふうに生まれるんだから、お母さんとしてはこういう心構えがいいですと、そういうことを全部教えてくださるんです。
          井深
            そうすると妊婦さんを相手にトレーニングをするという、そういう学校なんですね。  
          見城
            そうなんです。若い世代になればなるほど、抵抗なくご主人がご一緒にいらしてて、たとえばマッサージの練習をするんですね。一番痛くなる時期というのは、それまでに勉強しておきますから、その時期に合ったマッサージ法と呼吸法を繰り返し練習して、最後の方はご主人が抱えてくれて出産するという。そこでりきんじゃうと大変だから、そこだけはやめて、あとは全部同じことをやるんです。
          井深
            産む時にはベッドでだんなさんが手伝うわけでしょう。それ、どういう姿勢にするわけ。
          見城
            私の彼がやった場合はベッドのマクラの方に座るようにして―。  
          井深
            で、お産のあと赤ちゃんは分離?  
          見城
            それも希望なんです。  
          井深
            ああ、それは大分進歩したな。  
          見城
            ですから産んですぐにもう抱きましたし、洗ってきてからは、彼もすぐ抱きましたし、うちの彼はラマーズ法は二度目です。
          井深
            赤ちゃんを洗っちゃった?  
          見城
            洗う前に抱かしてくれるんです。胎脂がついてる状態で。だからほんと、つるつるしてるのね。ラマーズ法で産むと余りいきみませんから、出血が少ないので赤ちゃんに血がついてないんです。きれいに生まれてくるんです。最近はわりにお医者さんの方がせっかちになるというのか、どうしても会陰切開をしてしまうんですね。生まれるときにじっくりと時間をかけていれば、赤ちゃんの頭がそのまま出てくるわけですよ。ところがそれをじっくりやらないで、膣のところをハサミで切ってしまうわけです。
          井深
            大きくしちゃうわけね。  
          見城
            ところが、ほんとは女性の体というのは紙 1 枚ぐらいまで伸びて、赤ちゃんが出やすくなって、そしてしゅーっとまた―ゴムじゃないんですけど、小さくなって、そういうふうにできているんですって、メカニズムが。それをね、おもしろい話で、切ってしまうと伸びが悪くなるんですよ。二度目も結局切ることになるというふうに言われて。ですから、切らないにこしたことはないと。
          井深
            そんなことをするんですか、ハサミでね。  
          見城
            女性の側から―だからそれはやめてほしいと。できるだけ自分でがんばるから、自然に産ませてほしいというのが結びついて運動になって―。
                  痛みが来るというのは―痛みというよりも、赤ちゃんが出てくるために一生懸命「うーん・・・」とやっているんだと教わるわけですね、メカニズムとして。赤ちゃんも苦しい、だからお母さんが「痛い痛い」と言うと、産道が狭まって赤ちゃんも苦しめられるから、そのときに大丈夫、大丈夫と言ってあげると、赤ちゃんがさらにすーっと早く出てくる・・・気持ちよく。出産のときに陣痛が来るとお腹がカチカチになるんですよね。それは赤ちゃんの方が力んでかたくなっているわけでしょ。ああ、赤ちゃんも苦しいなと思うので、もうすぐ、もうすぐというふうに赤ちゃんに働きかけるんですよね。
          井深
            お母さんの心理条件というのは全部赤ちゃんに反映していますから、そういうリラックスした気持ちというのは赤ちゃんに全部ツーツーだと思わなきゃいけない。
          見城
            ほんとわかるみたいですね。ですから最初のときも、彼は私がキャアキャア言うかと思ったら、一度も言わなくて、「来ました」と言うんですよね、痛みが来ると。そうすると助産婦さんが「はい」と言ってさすって、それでずいぶん気分的に楽になって―。

          今現在○○で出産しました。ってアッピールするのは、助産院とか自宅出産てとこだろうけど、このときは(対談の日付書いてないけど80年代半ばと仮定)ラマーズ法で産みました。が、自然なお産界のステータスだったと思われる。マジカルチャイルド育児法のあとがきで訳者である吉福氏の奥さんもラマーズ法で産んだって書いてたし、80年代て雑誌に津村喬が自分の子供生まれたときラマーズ法やってるとこだったけど結局しなかったみたいなこと書いてたような記憶がある。

          見城
            主人もね、2番目のときはラマーズ法初めてでしたから、一生懸命言われるとおりにして、本当に感激したんですって。オギャアと出て、とても元気で、しみじみ子供ができたという―。
          井深
            父親と子供の絆というのは、本当に立ち会うと違うそうですね。全然異質なものになってしまう。
          見城
            だから3番目も絶対立ち会う、それが父親として子供にできる一番最初のプレゼントだろうと―。忙しい人ですから、お産はいつから始まるかわかりませんので、ポケットベルを持ち歩いてくれて―。それで3番目の子は、主人が右手を持ってくれて、左手は堀口先生が握ってくださって、幸福なことに2人の男性に手を握られて(笑い)。本当に先生の手が暖かくて優しかったんです。
          井深
            出産間近になると、お母さんのお腹の中に物すごくエンドルフィンの分泌がふえるんですよね。それはだんなさんとかが手を握るとか、肩へ手をかけるだけで、それの分泌量ががぜんわーっとふえるんだそうです。エンドルフィンというのが、すべての悩みとか、痛みとか、悲しみとか、そういうものを和らげる役目をするらしい。そういう分泌を自然にするわけなんです。じゃ見城さんの場合は、右手からと左手からと2倍のエンドルフィンを得たわけですね(笑い)。
          見城
            2番目の子のときも助産婦さんが数人来てくださって、みんな手を握ったり、足もこうかかえて―みんなの人肌の中で生まれてきたので、だからとっても気持ちがよいというか。
          ・・・
          見城
            最近は痛いからと麻酔をかける人が多いそうですが全然害がないはずがないと思うんですね。
          井深
            陣痛ということがやっぱり―人間の脳は痛みとか、激痛とか、そういう刺激をうけて非常に頭をカリッとさせるわけなんですよね。そういうものによって子宮の収縮であるとか、そういうことが行われるんで、陣痛がそれだけ時間が長くて、その中に痛みがあるということは、お母さんにとって非常に意味があるということをこのごろ言われ出しているんですよね。だからお母さんが自分で痛みというものを受け入れるぐらいのつもりになってね。

          ・・・

          しかしどこで出産するかにかかわらず、ラマーズ法したかったら自分でヒッヒフーって勝手に言っとけばいいかといえばそうでもなく、おそらくラマーズ法はその呼吸のみにとどまらずそれ以上に夫が立ち会うって要素が重要視されていたとみられる。今じゃ立ち合い出産も呼吸法もめずらしくないし妊婦健診とかでも夫つきそったりしているけど、病院出産や粉ミルクがオシャだったオバタリアン世代くらいだと夫もモーレツ社員だしで全部嫁1人で出産育児になってたのが、団塊かその下くらいからじょじょに夫も手助けするニューファミリー的ノリに切り替わってきたというのがわが歴史認識だ。

          だから自然なお産というと、母親ばかりに分娩の痛みや母乳などの負担を敷いてるって批判もあるかもしれないけど、むしろ夫はじめ家族を介入させる傾向がまちがいなく強いし、そうすることで人生でなかなか経験できないせっかくのお産をメカニックで怖い病院出産じゃなく、気持ち良く感動的なドラマにしましょうという試みなのである。もちろん誰もが自然分娩や母乳がスムーズに行くとは限らないことを考えれば結果として母子の負担になってしまうことも多々あるのだろうが、やはり自然なお産というのは基本的に高度経済成長およびオバタリアン式子育ての反省なのである。

          ラマーズ法をめぐる父親の曖昧さについて考える

          http://www2d.biglobe.ne.jp/~ohta/EQG/otokomo/1-4.html

          立ち会い分娩だったと人に告げると、たいていはラマーズ法かと問い返されるほどに立ち会い=ラマーズ法という図式は定着している。私もまた「立ち会ったのならラマーズ法だよな」と友人から聞かれたものである。しかし、実はラマーズ法による分娩に立ち会ったのかどうかが私にはよく解らないのだ。

          ・・・

          むろん、現在でも陣痛促進剤などを使い「産む」よりも「産ませる」立場をとる産科はあり、「自然な分娩」を重んじるラマーズ法から見れば日本の現状はまだまだなのかもしれない。しかし、私が読んだ『初めての妊娠と出産』というような入門書をみる限りでは、日本においてもラマーズ法的な考え方は大流行のようで、そこには出産の過程を妊婦に詳しく教え、自然な分娩を重視する記事があふれていたのである。

          ・・・

          当時の資料が手に入らないので詳しいことは分からないが、アメリカ流のラマーズ法は日本への紹介当時、妙なバイアスをかけられて紹介されたみたいである。「ウーマン・リブ運動の一環とみられて白眼視された」こともあったらしい。とくに夫の立ち会いを強調したことがセンセーショナルな受け取られ方をした原因のようだ。

          ところで、私はラマーズ博士自身によって書かれたラマーズ法の日本語訳教科書を読んでみたのだが、夫の立ち会いに関してラマーズ博士は何も言ってないのである。驚いたことに、ラマーズ法の出発点では夫の立ち会いは組込まれていなかったのだ。いつ、どこで夫の立ち会いがラマーズ法の重要事項になったのだろう? 現在のラマーズ法の中で夫の立ち会いがあれほどうるさく言われていることを考えると、たいへん不思議である。しかし、この発見でようやく私は、日本の産科が夫の立ち会いに冷淡だった理由が分かったような気がしたのである。

          欧米では夫の立ち会いがラマーズ法の中で特権化された。しかし日本の産科の世界では夫の立ち会いをラマーズ法=精神性予防無痛分娩法の本質的な部分は、なかなか見なそうとしなかった。母親がリラックスして分娩に臨むというのがそもそもの趣旨だから、いやがる夫を無理やり連れてくるのはいかがなものか、母親のほうだってみっともない姿を夫に見られたくないと考える人だっている、だから夫の立ち会い分娩を日本で一般化する必要はない。少なくとも強制する必要はない。そういう考えのようだ。夫の立ち会いというのは男女の絆を神聖視する欧米社会の特殊事情に基づく一項だから、日本に取り入れる必要はないと判断されているらしい。人によって意見が異なることは言うまでもなく、さまざまな議論があるようだが一般的には夫の立ち会いは疑問視されてきたようだ。

          ・・・

          この問題を儀式の導入で解決するやり方もある。アメリカで分娩に立ち会った友人のA君の体験談では、オギャアと生まれた直後、ハサミを渡されたのだそうだ。アメリカ合衆国の一般的なラマーズ法では、父親がへその緒を切るのだそうである。そうやって分娩時、基本的に出番のない父親に象徴的な役割を果たさせ、夫を出産に「参加」させるわけである。これは明らかに儀式だ。

          ・・・

          その後、いろいろ聞くと「純正アメリカ流ラマーズ法」経験者も、その流儀を部分的に取り入れている産科も増加し、ハサミでへその緒を切ったという男も増えてきているようです。

          また、分娩室でビデオを回したという父親も多くなってきました。この点、私達がお世話になった病院の産科は保守的で、「分娩室でビデオを回すなどもってのほかです」と婦長さんが宣告したのは前節で書いた通りです。さらに分娩台を使って身体を固定して産ませるというスタイルも旧スタイルに属するようで、姿勢は産婦の自由に任せるというスタイルも最近よく聞くようになりました。

          ・・・

          二人目の出産のときは、この病院で母子同室というのをやってみました。赤ん坊を新生児室に集めて看護婦さんがケアするというスタイルではなくて、出産直後から赤ん坊と母親を同じ部屋に置くというスタイルです。これも父親立ち会いと同様、一部の希望者に対して行われていました。なぜ一部だけなのかと言えば、その産科病棟がそもそも新生児の集中ケア方式用に設計されていて、新しい方式においそれと対応できないというのです。

          ・・・

          上のはラマーズ法と立ち合い出産について引用したかったのだが、父親がへその緒を切るのと姿勢を産婦に任せるというのも確かに自然なお産でよく聞く奴である。後者はフリースタイル分娩といって黄(ファン)助産院ってとこが有名だ。

          同産院についての本「それにしても楽しいお産だったなあ 自由なスタイルで産む」が出たのが1993年、REBORNという自然なお産の情報紙が出たのもこの頃であり、80年代の自然なお産=ラマーズ法・立ち合い出産という図式からよりマニアックに進化した時期だったのかもしれない。打ち水大作戦の仕掛け人である池田正昭も、奥さんがファン助産院で出産した経験をもとにお産のイベントなどを催していたようだし、七田眞・つなぶちようじ著「胎内記憶」でも紹介されている。

           

          イベントレポート〜寺子屋かぐれ Life「お産を語るオッサンの生命倫理」(2015年9月18日)

          http://www.kagure.jp/14355/

          極度の病院嫌いの池田さんは、奥様が第一子を妊娠された際に訪れた「ファン助産院」の温かくゆるい雰囲気と、院長・杉山先生のお母さんのようなおおらかな存在に一気に魅了され、助産院の虜になります。そして、第一子が生まれたときの衝撃から、お産を語るオッサンへと大きく転向しました。その後も第二子、三子と池田さんのお子さんは全員「ファン助産院」にて産まれ、池田さんがへその緒を切られています。

          池田さんにとって、一体お産の何が衝撃だったのでしょうか?
           

          池田さんは「お産を通して愛を知った」といいます。
          その愛の定義とは?

          愛とはいのち。
          愛とはいのちをつなぐ力。

          3人のお子さんの出産に立ち会い、そう確信した池田さん。

          ・・・

          お産に“人馬一体”の極意をみるオッサンは、「3割はオレが産んだ」と思い込み、外でどんな子を見ても「オレの子かもしれない」と思えて愛おしく、オッサンの父性は世界に及ぶ深い愛に満ちあふれていると。

          ・・・

          今回配布されたレジュメの最初に、お産を語るオッサンの会への「入会の誓い」として、代表・池田さんの言葉が書かれていました。講座の最後に、池田さんが入会の誓いを明るく読み上げます。

          お産の素晴らしさに出会うことで、もはや利己心におぼれる若造ではなく、他者と積極的に関わるオッサンとなった私は、お産は真の男女共同参画の営みであることを理解し、日頃より彼女の助産夫としての役割があることを自覚し、普遍の夫婦愛と家族愛と人類愛にもとづき、陰謀に負けない明るい世界をめざして、主に小言と祈りをとおして、たまには活動への参加をとおして、お産といのちのアメージンググレイスを、伝え広めていくことを誓います。
          代表:池田正昭


          幼児開発

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            病院出産や粉ミルクがオシャな時代から、じつは病院で生まれた赤ちゃんトラウマ抱えてるとして昔ながらの産婆や添い寝やおんぶや母乳が再評価されだしたのは俳優いしだ壱成ともゆかりの深い西荻窪「ほびっと村」のようなヒッピーの功績も大きいのだろうが、そうしたわれわれがイメージしやすいところの左翼や自然派とは別に七田式の七田眞やソニー井深大によって賢い子を育てるには胎児〜乳児期も重要だというオカルト英才教育がほぼ同時期に確立されており、おそらく池川明による胎内記憶は後者の影響のほうが強い。井深大が昔ながらのお産や子育てが再評価される前の70年代初頭からゴマブックスで主張していた0歳児教育「幼稚園では遅すぎる」が「生まれてからでは遅すぎる」に更新されたのは、トマス・バーニー著「胎児は見ている」(1981)以降とみられる。

             

            https://www.amazon.co.jp/dp/4396102062/

            生れてからでは遅すぎる

            本書は、いままでまったく存在がはっきりしていなかった世界を、私たちの前に展開してくれた。

            私が昨年、一番多く辞書を引いて読んだのが、この原書である。

            胎児の神秘が驚きの連続で説かれ、私の「0歳からの教育」を「0歳前から」に修正しなければならなくなってしまった。

            胎内学習の可能性は0歳からの学習につながり、子どもをよい性格、よい頭脳の人間に育てることに深く結びついていることを示唆していると思う。文字どおり、日本の小児科の第一人者である小林登先生が、心をこめて翻訳しておられるのを見ても、本書がありきたりのものでないのがわかるだろう。

             

            上に引用した文章は「胎児は見ている」のカバーに書かれている井深大の推薦文である。同書の訳者であり小児科の第一人者である小林登先生はもしかすると胎児じつは賢い説の紹介者という以上のものはないのかもしれないが、「十分に甘えさせなかった子は自立が遅れる!抱き癖を心配すると情緒不安定の子に育つ!」主張しお産の学校(ラマーズ法)の顧問でもあった内藤寿七郎や「母乳は愛のメッセージ」の山内逸郎など母の愛や母乳を重視する小児科軍団で井深大の出産本に推薦文を寄せているし、ソニー教育財団の井深対談にも登場している。

             

            井深対談

            http://www.sony-ef.or.jp/sef/about/ibukataidan.html

            1969年から1994年に(財)幼児開発協会(2006年に(財)ソニー教育財団と統合)が発行していた『幼児開発』誌で、井深大が『井深対談』として各界の著名人の方々と行った対談のアーカイブです。

             

            この井深対談には小林登や山内逸郎のほか、早期教育の七田眞や久保田競・カヨ子も登場しているが、個人的にはトランスパーソナル心理学の吉福伸逸との会話内容がもっとも気になった。吉福伸逸は星川淳と並び「ビー・ヒア・ナウ」など有名なニューエイジの本を多数日本に紹介した人で、育児関係ではほびっと村が編集した自然なお産の本に名前があったし1984年にはジョセフ・チルトン・ピアス著「マジカル・チャイルド育児法」(1977)といった本も翻訳している。

             

            https://www.amazon.co.jp/dp/4531080300

            現代人を不安に駆り立てるあらゆる過ちの元凶は、病院の分娩室に集中しているように思われる。そこからもたらされる災厄は時限爆弾のような働きをするため、大半が気づかれないままである。この犯罪に加担する者は決して償いをする必要がない。というのも、その爆発は長い年月をかけてゆっくりと進行し、広く拡散して多様な害をもたらすために、その爆弾に点火した犯人をわざわざ過去に遡って追求するようなことをする者がほとんどいないのである。

            (マジカル・チャイルド育児法 67ページより)

            この例で私が強調したいのは、胎児のうちから学習がはじまっていること、そしてそれは人間という組織のうちでも最も複雑に入り組んだ部分についての学習であるということである。そういった特質を持った学習が胎内ではじまっているとすれば、われわれの学習というものについての考えや、おそらくは言語そのものについての考え方を再検討しなければならないことになる。そしてなかんずく赤ん坊を「未分化の精神的有機体」とする見解を洗い直さなければならないだろう。

            (マジカル・チャイルド育児法 72ページより)

            ・・・

            何が起こるのだろうか?自然の出産プロセスが今やすっかり台なしにされてしまったために、お産の「手助け」に器具が用いられる。現在ごく普通に行われている会陰切開手術(他のどんな大手術にもひけをとらぬやり方で母親を手ひどく切開し、時に消えることのない傷をもたらす)に加えて、鉗子や吸出機器が無造作に使われる。あのごくこわれやすいきわめて繊細な頭をはさんで、母親の体内から赤ん坊を掻き出したり、吸い出したりするのである。多くの場合、そういった器具の使用は必要ない。医術屋のあの手この手の策略によってさまざまな併発症が引き起こされるが、会陰切開手術が正当化されうるのはごく緊急の場合のみである。真相は単純だ。医術屋は自分の技術を使いたいのである。つまり、自分の存在が重要視されるドラマを好み、数々のメカニカルなおもちゃを操り、自然が無能であることを証明し、自分自身の優越性を確立したいのである。

            半麻酔状態や過剰ストレスに疲れ切った赤ん坊は、たとえ時間がたっぷり与えられたとしても、当然、自分で呼吸できないのが普通である。数多くのまだ使われていない新しい筋肉の協応が混乱をきたし、うまく働かない。赤ん坊の身体はただ反応するだけである。同調的な相互作用はとっくにすべて破壊されている。酸素欠乏に対する身体的恐怖が続いた末に、母親から吸い出されたり掻き出されたりした赤ん坊は、マスクをつけた生き物やブンブンうなる機械にとりかこまれた、騒々しい、目もくらむような照明が灯された舞台に登場する(蛍光灯が出す雑音だけでも負担であるが、蛍光灯そのものが幼児に及ぼす害に比べれば、そんなものはものの数ではない。蛍光灯が幼児にとって有害であることは、照明の世界的権威であるジョン・オットーが明言してはばからない)。吸入器が無理やり口や鼻にねじこまれ、痛いほどまぶしい光ののもとでまぶたがひっくり返され、測りしれない痛みをひき起こす薬品が開いた瞳に落とされる。赤ん坊はかかとをつかまれて逆さまに吊るされ、背中をたたかれる。さもなくば、人工呼吸器にかけられる。酸素が欠乏したこのきわどい時期に、へその緒が切られてしまう。そして会陰切開手術で汚れた血を洗い落とされ(その血を見て母親はしばらくの間ショックから立ち直れない)、工場の肉片と変わりなく冷たく固い秤で体重を測定され、おくるみでくるまれて(これは何にも増して、あの悪魔のすき間風から赤ん坊を守ってくれる)、恐怖と苦痛に泣き叫びながら乳児室のベッドに送り込まれる。それも運の良い子の場合である。運の悪い子は意識のほとんどない仮死状態で、ベビー・ベッドよりさらにひどい保育器にすばやく入れられる。

            (マジカル・チャイルド育児法 94〜95ページより)

            彼が知られるようになったのは、『宇宙卵の裂け目』という本を書いてからなんだ。この本は、自分を支えていた常識的な世界観の崩壊という体験を叙述、解説したものなんだけど、当時、ちょうどアメリカではカルロス・カスタネダの『ドン・ファン』シリーズがベスト・セラーになっていて、非日常的リアリティ(non-ordinary reality)という概念が一般によく知られていた。つまり、僕たちが現実と呼ぶものは単に、大多数の人とか文化によって承認された僕たち自身の創作物にすぎず、そういう一種の文化的暗示の網をかいくぐりさえすれば、そこにはカスタネダやピアスが非日常的リアリティと呼ぶ、まったく別の世界が存在し得る、ということなんだ。ちょうど1960年前後にピアスはそういう世界をかいま見た。彼はその体験を自分の宇宙卵に裂け目ができた、という言葉で表現したわけだよ。誰にとってもそうなんだけど、彼にとってもこの体験は彼の人生観を根底からくつがえすような強烈なインパクトになった。そこでさっきいった、『宇宙卵の裂け目』と『宇宙卵の裂け目の探求』という二冊の本でアルフレッド・ノース・ホワイトヘッド、ジョン・C・リリィ、R・スペリー、マイケル・ボランニィ、チャールズ・タート、それにこの本の中でも頻繁に出てくるブルーナーやピアジェやカスタネダの考え方をベースにして、自分の体験したリアリティを説明していったんだ。その過程の中で、文化的な暗示をあまり受けていない小さな子どもの見ている世界とは、どういうものなのかという問題に突きあたった。おそらく、それがこの本につながってきたんだと思う。最初の本の中で既に、教育者として子どもに最小限の文化的暗示しか与えないような活動をしたい、といっているからね。それに奥さんが五人目の子どもを産んだあと、病気になって医者から見放されてしまった。医者に連れていっても、完治しているという診断が出た。ところが、医者に月に一回一応チェックにくるようにといわれて何度か通っているうちに、医者の否定的な態度によって奥さんの確信が崩れてしまい、結局病気が再発して奥さんは亡くなってしまった。ピアスの西洋医学に対する不信感や死という問題に対する深い洞察力なんかは、この体験からきているんじゃないかな。

            (マジカル・チャイルド育児法 訳者あとがきより)

            そうそう。最初に産婆さんに手伝ってもらって自宅出産をしたいと言ったら、両親から大反対されたものね。東京よりも田舎の方が産婆さんが多いだろうと思って僕の実家の倉敷で産むことにして、産婆さんを探したけど、結局地方の方が出産なんかに関しては、よけい西洋化してるんだよね。産婆さんもほとんどいなくなってるし、たまにいても、ほとんどの場合が病院と直結してしまっていて、随所にもしかのときに対する不安が蔓延している。緊急の場合に備えて、病院と提携しているのはわかるけど、あまりその部分を強調されると、不安が先行してしまって胎児にもよくないと思う。どこの病院でも、父親を分娩室には入れてくれないし、結局産婆さんがやっている近くの産院でラマーズ法を使って産んだわけだけど、やっぱり初めての体験だったから、今から思うともっと自覚したうえで、もっと自然にやれたと思うな。

            (マジカル・チャイルド育児法 訳者あとがきより)

             

            ジョセフ・チルトン・ピアスやマジカル・チャイルド育児法で検索してもとくにWikipediaとかでまとめてくれてるわけでもないし30年以上前の本なので雰囲気わかるよう長めに引用しといた。そしてこの本の訳者である吉福伸逸と井深大の対談の話に戻す。

             

            井深対談

            http://www.sony-ef.or.jp/sef/about/pdf/taidan30_31.pdf

            井深 我々のほうでも、大変おもしろいことが出てましてね。 新体道の青木宏之先生をご存じですね。

            吉福 はい、知ってます。

            井深 あの先生に、幼児のいろいろな感性が非常に高いってことを、私がサジェストしたら、それを実証しちゃったわけですよ。 後ろから新聞紙丸めてたたこうとするのをスッとよけるという実験で・・・。3歳はほとんどよけるのに、4歳、5歳となっていくと、だんだんよける子が減っちゃうんです。で、大人はもう5%になっちゃう。

            吉福 よけられるのがですか?

            井深 ええ、5%以下だっていうの。それが、3歳ぐらいの子供はほとんど100%よける。 そういう超能力的というか“気”がものすごく強いわけですよね、青木先生自身も。そこで、子供で1つ試しなさいよって言ったんですよね。そしたら、新潟県の長岡の幼稚園に自分のお弟子さんがいるので、そこで実験した。 前の日に1日だけ、合わせて拍手をするといったような簡単な練習をした。 3歳、4歳、5歳ですから、それに分かるように練習しただけ。そうしたら、結果は1番小さい3歳が100%。

            ・・・

             

            後ろから新聞紙丸めて子供叩く実験、美健ガイド「赤ちゃんからのメッセージ」にも描かれていた。対談では3歳にやるってことになってるけど漫画の子どもはもっと小さいように見える。

            てことはもしかするとこのメガネの爺さんのモデルって、井深大だったんだろうか。似ているような似ていないような微妙なところなのだが。

            メガネの爺さん「かのソニーの創始者も言っておられます 『悪いことをしたら3歳までには叩いてでも教えろ!』…と」

            その理論にもとずいて叩かれまくる赤ちゃん。後ろから新聞紙で叩かれそうになったときは超能力でよけてたのだが・・・

            また井深大の幼児開発協会は「おむつなし育児」も実践していたらしい。おむつなし育児といえばここ10年ほど三砂ちづるが提唱していたため、経血コントロールの発展形とみていたのだが、井深氏の場合だとロハスっていうより、おむつが早くとれる=賢い。って方向性な気がする。

            井深 それにつながるかどうか分からないけれど、今、幼児開発協会で3年ばかり、 “おむつなし育児”というのをやってるんです。産まれてすぐから、おっぱいをやってからおしっこまでの時間をさぐる。最初は、またへ手を入れて、ぬれていない、ぬれてない、あっ、ぬれたと。何分たったらおしっこが出るんだというのをさぐってもらう。1ヵ月ぐらい、お母さんには苦労だけど、それをやってもらう。 それで、お母さんがそのぐらい注意深くやっていると、大体、様子を見て分かるようになるんです。そうなると、だんだん赤ちゃんのサインが分かってくる。赤ちゃんは、個人個人、サインがみんな違うんです。

            吉福 お母さんには分かる・・・。

            井深 ええ。そうすると、それをやった赤ちゃんの、首がすわるとか、寝返りを打つとか、お座りとか、それから、1つの言葉をしゃべるようになるとか、そういうのを全部調べてみると、きれいに2ヵ月ぐらい、やらない子より早いんですね。そういうお母さんとのつながりというものができ上がっていたら、子供というのは間違いなく進むんです。

            そういえば私も周りに驚かれるぐらいかなり早くからおむつがとれていたのだそうだ。布おむつの時代なので洗う手間が省けるという利点もあるし、母乳より粉ミルクが偉いみたいなのと同じで、もともと早くおむつが取れるほど偉いみたいな風潮ももしかしたらあったのかもしれない。

             

            おむつ外し(むかしはね!いまはね!どうする?子育てギャップ)

            http://oya-ko-mago.ib.craps.co.jp/gap/767.html

            赤ちゃんのおむつ外し、昔と今とではすいぶん考え方、やり方が異なります。

            布おむつが主だった時代は、おむつの洗濯が大変だったため、できるだけ早くおむつを外すことが求められました。昔は1歳を過ぎた頃から、おまるを部屋に置いて、おむつ外しを始めたものです。

            育児用品のロングセラー、コンビのおまる「スワン」が発売されたのは、昭和35(1960)年でした。赤ちゃんをくみ取り式トイレでの落下事故から救うために開発され、当時1,300円ほどでした。

            スワンおまる

            布おむつの場合、お尻が濡れたままだと不快なので、排泄する時に赤ちゃんがママに合図を送るようになります。

            それにより、赤ちゃんが排泄するタイミングを見計らって、おまるに座らせることを繰り返し行って、おむつ外しを試みました。そうやっていくうちに、一日でもおもらししなければ、「おむつがとれた」ととらえていたのです。

            ・・・

             

            昭和23年(1948年)の『おむつなし育児』映像記録!(YouTube)

            https://www.youtube.com/watch?v=lXY8_9psPRY

            6ヶ月ごろから便器にかけると赤ちゃんは喜んでやり、おむつを汚さぬようになります」

            これ厚生省による母子手帳の広報映画らしく、戦後すぐなせいか出てくる夫婦のノリが民主的な印象を受ける。おむつなしの後に宣伝か?ってくらい「モレドン」「アトロゾン」って粉ミルクと思われる缶が大写しになるのも気になった。


            竹やり発見

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              梅雨がさっさと終わってしかもじゅうぶん暑かったので、絶対8月20日くらいから秋になる。24時間テレビが終わったら30度切る。と確信してたのに盆終わりに数日ほど涼しくなっただけで週間天気見てもまだ30度超えらしい。夏の終わりってちょっぴり切なくてなごり惜しいけど、今年ほど早よ終われや。と思われた夏もないのではないだろうか。

              というわけで9月に入ってもしばらくは打ち水や浴衣やよしずの活用を願ってやまない。打ち水といえば今年はその異常すぎな猛暑によって、オリンピック大丈夫かいな・・・?!という不安が国民の頭をよぎり、また小池百合子が昨年から没落していたこともあって、暑さ対策としての打ち水が「竹やり精神」と形容され炎上したことをこのブログですでに記事にしたけど、まだ暑いことをいいことにふたたび打ち水竹やり論について書くことにしたし、もしかすると打ち水史振り返るをシリーズ化し誰もが熱中症なんて忘れ去った雪ふりすさむ真冬まで打ち水記事更新し続けるかもしれない。

               

              松浦晋也 ‏ @ShinyaMatsuura(Twitter)

              https://twitter.com/shinyamatsuura/status/1019496389951123456

              なんぞこのB29を竹槍で墜とす感。 

              真夏の東京五輪、暑さ対策に打ち水など検討へ : 読売新聞

              1:17 - 2018年7月18日

               

              2010年の日本一熱い多治見で散水中止(打ち水は今なおやってるらしい)、2011年の産総研の記事から打ち水よけいに蒸し暑くなる説はすでに既成事実化しつつあったのだが、竹やりに形容するのは今年始まった風習であり、その起源はおそらく上記引用のツイートと思われる。真夏の東京五輪、暑さ対策に打ち水、B29を竹やりで落とす感と松浦晋也がつぶやいたから、2018年7月18日を竹やり記念日に制定させていただく。

              しかしよく見ると、引用元になっている読売新聞の記事は2015年4月だった。私はオリンピックに打ち水がゴリ押されているのは小池都知事という前提で話を進めていたのだが、2015年は小池氏まだ都知事じゃないどころかその前の舛添が平穏な日々を送っていたぐらいの時期である。

               

              真夏の東京五輪、暑さ対策に打ち水など検討へ(2015年04月17日 読売新聞)

              https://www.yomiuri.co.jp/olympic/2020/20150417-OYT1T50027.html

              国土交通省は、真夏に開催される2020年東京五輪・パラリンピックの期間中、道路への打ち水など伝統的な「暑さ対策」を行う。

              17日にマラソン元五輪代表の瀬古利彦氏らによる有識者会議の初会合を開き、「道路のおもてなし」の具体策の検討を始める。

              東京五輪・パラリンピックは20年7月下旬から9月上旬に開催される。道路を利用する競技は、マラソンや競歩、自転車競技などがあり、選手や観客の熱中症予防策が重要となる。

              有識者会議は、打ち水のほか、浴衣、よしずの活用など日本ならではの対策を盛り込み、観光PRにも生かしたい考えだ。外国人観光客に快適に過ごしてもらうため、路上でオープンカフェを開きやすいよう規制を緩和することや、案内標識のデザインの見直しなども検討する。さらに、赤外線を反射する遮熱材を路面に施して温度を上がりにくくする舗装技術などの効果を検証する。

               

              オリンピックの暑さ対策としての打ち水は小池百合子以前に、「おもてなし」シリーズの一環として既定路線だったようだ。そういわれると確かに、滝川クリステルによるお・も・て・な・しが話題になったさい、エコブーム時のMOTTAINAIを彷彿とさせる、外国人が感嘆する日本人特有の精神性ってな文脈を感じていたのも事実だ。

              私の歴史観において滝川氏は2008年に現在の事務所入ってからロハス化したという認識であり、事務所の方針で国際性や社会貢献をアッピールしていこうという中でその語学と知性を武器に五輪招致お・も・て・な・しにも起用されたのではないだろうか。ブログのタイトル付近に表示されてる画像も滝川氏が鉢植えを持っているエコな写真であるし、Wikipediaを参照すると2009年に環境省地球いきもの応援団、2011年に世界自然保護基金ジャパン顧問、2014年には動物保護・生物多様性保全を目的に一般財団法人クリステル・ヴィ・アンサンブルを設立となっている。

               

              奇跡のリンゴ(2015年3月13日 滝川クリステルオフィシャルブログ)

              https://ameblo.jp/takigawa-christel/entry-12001120676.html

              今日は、雑誌「ゲーテ」の撮影でした。
              今回の対談相手は、奇跡のリンゴを作った木村秋則さん。

               

              実は、木村さんとは名古屋で開催されたCOP10のとき、
              そして、私の著書 生き物たちへのラブレターで、
              お話をさせてもらったことがあるんです。
              ただ、またお会いしてお話がどうしてもしたくて笑
              木村さんの何も怖いものなし!っていう笑顔中の笑顔に出会うと、
              誰もが元気になるんです。

              そして、木村さんも、奇遇なことに、
              私が大事にしている言葉、”目に見えない大切なこと”
              を常におっしゃっている方だったんです。

               

              その見えないものに目を向けたとき、
              木村さんは、奇跡のリンゴを作ることに成功しました。
              本当に本当に苦労されて、村で孤立して、借金して、自殺まで考えて、、
              それでも諦めずに、無農薬、無施肥でリンゴが作れることを実証しました。
              自然栽培で、リンゴが作れる”
              今や、この農業改革をこの目でみようと、
              世界中の人々が、木村さんを訪ねてやってくるといいます。

              全てのものが繋がっている。

              私が財団でも訴えている生物多様性がいかに大切かということを、
              木村さんもずっと訴え続けています。
              実際にその重要性を目にしてきた人の言葉には、あらがえません。
              邪魔だと人間が勝手に排除してきたものが

              どれほど大事なものだったのか、、
              いつも、木村さんのお話を聞くと、心が洗われます。

              ・・・

               

              「奇跡のリンゴ」木村秋則 改革は地方から。日本が世界に誇れる自然栽培の潮流とは?滝川クリステル いま、一番気になる仕事(2015年5月14日 ゲーテ)

              https://goetheweb.jp/person/slug-ndbddb7d4dd20

               

              https://www.amazon.co.jp/dp/4344416457/

               

              https://www.amazon.co.jp/dp/B000UKFD7U/

               

              https://www.amazon.co.jp/dp/B00F42JJDS


              竹やり禁止

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                今年すごい暑いし雨も全然降らないけども17日から3日ほどは一瞬だけ爽やかな気候になり、いちおう秋が近づいてる気がした。その後ふたたび熱くなって30度超えたものの、心なし風がサラリとしてて屋外もお盆前ほどは苦しくない。

                東京の週間天気によれば8月末までは30度超えと予報されているが、今年は梅雨がほとんどなく夏が前倒し気味かつもう十分暑かったので、アイスバケツチャレンジやポケモンGOの時がそうだったように9月になればさっさと涼しくなって夏の騒ぎも瞬時に忘れられるパターンと予想する。オリンピック打ち水論争もまたしかり、人々の関心も今だけだろうからまだ暑いうちに記事をしたためとこうと心に誓った。

                10年以上前からロハスと小池百合子がやってたはずの打ち水が今年に入って急に論争になった経緯としては、この酷暑のなか去年の希望の党だなんだで没落した小池都知事がオリンピックも打ち水で乗り切ろうよ的なことを言い、戦時中のような愚行としてインターネット中心に批判を集めたものと認識している。それが竹やりと形容されているあたり、江戸など伝統を美化するのが右翼だというニュアンスが多分にふくまれているのだろう。

                しかしそれは誤解で江戸好き=左翼って認識が早く人々に広まることを願ってやまない。でないと、江戸って右翼的なんだー。って勘違いして本当に江戸を褒め称えだす奴が出てくるのでややこしいことになっちまうっていうかアベの嫁がロハス野郎とつるんでいることもあってもうすでになりつつある。

                なんで小池百合子が前から打ち水をやってたかというと、ニューエイジおよび脱原発の人々が創出してた2000年代初頭におけるロハスブームのさい環境大臣を務めており、それ以降エコを売りにするようになったからだろう。服とかが緑色なのはよく知られたところかと思うが、Twitterのアカウントも「エコユリ」となっている。

                打ち水がヒートアイランドに効果的であるかのように宣伝されだした頃、小池百合子は都知事ではなく環境大臣、オリンピックはまだ招致してなくて愛・地球博を目前にしていた。もともとは真夏の昼が一番電力消費多いから江戸のスローライフにならって原子力発電所減らそうって方向性だったはずで、江戸賛美は右翼。小池百合子は右翼。オリンピックは右翼。てな思い込みによって打ち水やモッタイナイが戦時中の竹やりとか欲しがりませんと結びつけられたりするのを見ると、ロハスブームも遠い昔なのだと思わずにいられない。
                 

                「祝10周年の打ち水大作戦はどうやってはじまったの?」を仕掛け人・池田正昭さんに聞いてみた [ソーシャルアクション元年への旅](2013年8月9日 greenz)

                https://greenz.jp/2013/08/09/uchimizu02/

                真田 打ち水大作戦を思いついた背景を聞かせてくれませんか?

                池田 ひとつは渋谷川を再生させようという「渋谷川ルネッサンス」というプロジェクトがあります。そのとき僕はすでに「アースデイマネー」という地域通貨をはじめていたのですが、この地域通貨というものは、なにかを達成するための手段であって、目的には成り得ません。なので、地域通貨の流通させることが必然となるような目的としてのプロジェクトが必要になり、それがどぶ川のような渋谷川の再生だったわけです。

                真田 どうして渋谷川だったんですか?

                池田 『エヴァンゲリオン』シリーズの庵野秀明監督が『ラブ&ポップ』という実写映画を撮ったこと、真田さんならご存知ですよね。その頃、僕は村上隆さんとよく一緒に仕事をしていたのですが、彼が『ラブ&ポップ』をベタ褒めして「ぜひ観るべきだ」とやたらと勧めてきて。

                それで観てみたのですが、なにが一番印象に残ったかって、これがもう秀逸なエンディングロールなんですよ。エンディングは、女子高生4人が「あの素晴しい愛をもう一度」を歌いながらドブ川を歩いているシーンなんです。このドブ川はどこだろうと思いました。ずっと渋谷の話だったから、渋谷なのかなと。

                それで、調べてみたら、そのドブ川が渋谷川だってことがすぐにわかったんです。渋谷で立ち上げたアースデイマネーのプロジェクトには東急電鉄の方が関わってくれていて、そのひとから「渋谷川はいまでこそすっかり汚れてしまっていますが、本当は“春の小川”のモデルとなった川だったんですよ」と教えていただいたんです。これはかなり衝撃的でしたね。それまで知らなかったんですけど。

                この汚くなった渋谷川を春の小川として再生する、そのための地域通貨をアースデイマネーにしよう……。ヒラめいたんです。それで、春の小川を再生する活動を支援したり、活動している団体を見つけるためにさっそく動き出しました。

                しかし調べてみると、そんなことしている団体は一切なかったんです。困ったなぁと思っていたのですが、そんなときに目に留まったのがNPO法人渋谷川ルネッサンスの代表をしている尾田榮章(おだひであき)さんだったんです。本来なら私がやらなくてはいけないけれども、実際には地域通貨のほうをやらなくてはならないので、渋谷川の再生をやれる人はいないのかなと探していたんですね。

                尾田さんは世界水フォーラムの事務局長として活躍していて、元建設省の河川局長の立場でありながらすごく大胆なことを言うような方でした。とある雑誌では「都市は春の小川の再生のようなことをやらなくちゃいかん」と熱く語っておられました。私はすぐこの人だと思いました。渋谷川の再生プロジェクトをやるのはこの人しかいない、と。

                真田 そういう流れだったんですか。

                池田 ええ。それで会いに行ったら、「おもしろい、やろう!」と二つ返事。それで、とんとん拍子にNPO法人渋谷川ルネッサンスが立ち上がることになりました。と同時に、僕も世界水フォーラムに関わるようになり、結果として世界水フォーラムが母体となって、打ち水大作戦本部がつくられることになったのです。

                真田 それが2003年頃だったと。

                池田 そうですね。そして私は打ち水大作戦終了後のレポートに、打ち水大作戦の成功の理由をひとつあげるならばそれは“近隣コミュニティの再生”だと記しました。

                この近隣コミュニティの再生とは、まさに第三回の世界水フォーラムの閣僚宣言で出てきた考え方とぴったり重なっていたんです。「世界の水問題の解決のためには、近隣コミュニティの再生こそが鍵である」それが世界水フォーラムの閣僚宣言の締めの言葉だったんです。

                真田 そうなんですか。

                池田 そう。そしてそれをまさに体現したのが打ち水大作戦でした。2003年の打ち水が終わったとき、参加してくれたひとりの女性が、「近所の人と挨拶をして、またみんながひとつになれました」と教えてくれました。“また”ひとつになれたという部分が大きいかなって思っています。

                 

                打ち水が気温を下げる説を既成事実化したイベント「打ち水大作戦」においては、当初地域通貨「アースデイマネー」の存在があり、仕掛け人の元博報堂・池田正昭はミヒャエル・エンデ著「モモ」を題材としたNHKのロハス番組「エンデの遺言」にも出演していた。そしてアースデイマネーを流通させるためのプロジェクトとして渋谷川の再生を目的とする「渋谷川ルネッサンス」が発足し、その再生事業に世界水フォーラムが関わってきて、このアースデイマネーと世界水フォーラムにより近隣コミュニティの再生を目的に打ち水大作戦本部が作られた・・・と、上記引用には書いている。

                もともとこの渋谷川が暗渠化されたのは1964年の東京オリンピックであった。なお打ち水大作戦の元となったアースデイマネーはカフェスローでも使うことができたようだが、確かアースデイマネーはほとんど流通してなかったので今やってるかどうかは分からない。

                 

                https://www.amazon.co.jp/dp/4140806672/

                 

                カフェスローに集う 〜地域通貨マーケット〜

                http://www.cafeslow.com/event/market.html

                「地域通貨」とは、

                『国家が発行する”円””ドル”などの法定通貨とは別に、地域やコミュニティの中で独自に作られ、使われる通貨システムのこと。商店街、NPO、地方自治体などが運営主体となることが多い。法律等で規格が整備されているわけではないので、各地の地域通貨ごとに形状もシステムも様々だが、流通するなかで利子が発生せず一切の利潤を生まない点が地域通貨の最大の特徴といわれる。 』

                と、このように書くと大変難しいものに思いますが、
                カフェスローのマーケットで使われる「ナマケ」「アースデイマネー」は、クーポン感覚で誰でも気軽に使えるシンプルなタイプの地域通貨。
                商品代金の10%から使用可能です(使える割合は店舗によって異なります。詳しくは各店舗まで)。

                くるくると循環する地域通貨は、地域やコミュニティのなかで人の縁をつなぎ、互いを活かし支えあうための、”道具”としてのお金。

                 

                地域通貨ってのもよくわからんけど、今みたいな銀行が明治(渋沢栄一とか)に由来していることを考えると江戸みたいなもんなんだろう。このカフェスローで『半農半X』などのイベントを共催していた、NPO法人トージバの渡邉尚氏と結婚し3人の子どもさんを自宅出産したのがナマケモノ倶楽部の藤岡亜美、また渡邉尚とトージバを運営していたハッタケンタローが隊長を務めていた打ち水大作戦に小池百合子が参加していたのは何日か前の打ち水記事で紹介したとうりである。

                 

                鴨川自然王国で農的な暮らしをする歌手のyaeさんをゲストに迎えて(2009年5月17日)

                http://www.bayfm.co.jp/flint/20090517.html

                ●生き方自体が自然ベースのライフスタイルになっているんだなって思うんですけど、yaeさんは種まき大作戦っていうアクションも起こしてらっしゃるそうですね。

                「はい。2007年からスタートしたんですけど、環境に対する運動って世の中で色々起こっていて、東京のほうでも行なっているんですけど、打ち水大作戦っていうのがありまして、打ち水すれば気温も下がるよみたいな。打ち水大作戦の仕掛け人でもある、ハッタケンタローという男が『今度は種まき大作戦っていうのをやろうじゃないか』と。人は食べなきゃ生きていけない。その食をもっとクローズアップさせて、みんなでムーヴメントにして、みんなで楽しんでどんどん広めていこうよ。日本の自給率が4割を切っていてって、ニュースですごくいわれるんですけど、『そのためにどうすればいいのかが分からないんだけど』っていう人たちのために、『こんな方法があるよ』って分かりやすくて楽しくて、もっともっと広まっていくような仕掛けを種まき大作戦でやっています。種まき大作戦の棚田チャレンジとか、はじめる自給とか、米をみんなで作ってみる。米と大豆さえ作れれば、大体の日本の味は作れるだろうみたいな。豆腐ができるし、納豆ができるし、醤油ができるし。そういう意味で大豆を作ろうみたいな話で体験をやるんですけど、一般の人たちがたくさん参加してくださったりして、この間、アースデイで呼びかけたら結構応募があったりして、私のファンクラブでも田植え体験とかやっています」

                 

                このYaeと言う歌手は加藤登紀子と獄中結婚した藤本敏夫の娘で、土と平和の祭典ていうロハス大集合の実行委員長でもあった。土と平和の祭典の世話人って記載されてる高野孟はたぶん藤本敏夫と親交があったと思うのだけど気功を紹介してた津村喬(本名 高野威)の兄にあたる人物で雑誌「80年代」にも何か中東の記事書いてた気がする。

                 

                https://www.amazon.co.jp/dp/4051052079/

                 

                種まき大作戦&土と平和の祭典

                http://www.tanemaki.jp/

                【実行委員長】藤本八恵(Yae)
                【世話人】加藤 登紀子(歌手)/高野 孟(株式会社インサイダー代表取締役兼同誌編集長)/田中 正治(ネットワーク農縁)/藤田 和芳(大地を守る会会長)
                /辻 信一(文化人類学者・環境運動家・明治学院大学国際学部教員)/甲斐 良治(社団法人農山漁村文化協会 編集局次長)/渡邊 義明(株式会社アファス認証センター代表取締役)
                【事務局】特定非営利活動法人 トージバ

                 

                というわけで打ち水はロハスなのであり、竹やりではない。これから打ち水を竹やりとか言う奴は竹やりで突つく。


                四半世紀前ぐらい

                0

                  先日オウム真理教の死刑囚が全員ポアされて一瞬だけ話題になった。選挙やテレビ出たり凶悪犯罪を繰り返すなど、くしゅくしゅソックス時代にくすぶっていた狂気が1995年の初めごろテロという形で爆発したという点をふまえると、私の歴史観においてやはりオウムは非常にルーズソックス的だったように感じられる。

                  サリン事件はくしゅくしゅソックスがルーズソックスにとって変わられる時期で、安室奈美恵がコギャルに人気爆発するきっかけとなった「TRY ME」が1月発売、また小室時代の足掛かりを作ったtrfの楽曲がショボくなってくるのも同時期で、くしゅくしゅ時代からルーズソックス時代へとJKはもちろん人々の意識も急速に変化していった。1995年初めに阪神淡路大震災とサリン事件が起きるまで世の中はオカルトやエロに寛容で、なんならニューエイジが知識人やクリエイターのたしなみぐらいに思われていたのではないだろうか。

                   

                  エコマーク

                  左翼の反原発グループ、環境省feat.小池百合子、トヨタ自動車が三位一体となった2005年前後のエコブームにおいてはおもに地球温暖化の危機が叫ばれた。その内容は、二酸化炭素増えすぎだから今使ってるガソリン車や消費電力の高い白熱電球を捨ててハイブリットやLEDに買い替えだとか、江戸の循環型社会に学んで浴衣で打ち水したりレジ袋をやめて風呂敷使おうとか、そんなとこだったと記憶しているけども、くしゅくしゅ期にもエコブームはあってその時は地球温暖化はそこまで言ってなかった。

                  ただ二酸化炭素増えすぎ問題はすでにあって、森林が二酸化炭素吸って酸素出すし森林伐採で砂漠化してるからってことで植林だとか、紙が木でできているから木で紙作るんじゃなくて紙から紙に再生しようとリサイクルが進み、くしゅくしゅ時代より紙製品等にエコマークやグリーンマークがつき出した。私が計算とか書く用に使ってた落書き帳も途中で再生紙になってページ数が大幅に減ったのを覚えている(今ふうに言う実質値上げ)。なので木というものは無条件に多ければ多いほど良いものなのだと思っていて、当時まだ珍しかった花粉症を聞いたときは、何で木なのに体に悪いんだ?と不思議に思っていた。

                  ヘアスプレーなどに使ってたフロンガスがオゾンホールを破壊して紫外線がすごくなるってのも砂漠化と同じぐらいよく聞いた。ナマケモノ倶楽部が紹介し、いつのまにか英語の教科書にまで採用されるようになったセヴァンスズキ伝説のスピーチってのも1992年の地球サミットである。

                   

                  ガイアシンフォニー

                  地球、それもガイアといえばニューエイジだが、地球交響曲と書いてガイアシンフォニーの第一番が公開されたのが1992年。監督の龍村仁はNHK出身で、NHKといえば同じころ「チベット死者の書」てドキュメンタリーもあった。

                   

                  イルカたん

                  ロハスブームの頃もグリーンピースの鯨肉窃盗事件(2008)、映画「ザ・コーヴ」(2009)やシーシェパードの妨害行為など反捕鯨団体がよくとりざたされ、その時期をさかいに日本人の総意としてクジラ食べるのは伝統なんだから白人が口出してんじゃねぇってとこに落ち着いた。しかしくしゅくしゅソックス時代はアイソレーションタンクでおなじみジョンCリリー博士が来日してたこともあるし、サブカルチャー系(≒ロハス)の人々がイルカやクジラで盛り上がっても普通の人はへえ〜イルカってかしこいんだ・・・くらいにしか思ってなかったのが、竹島問題みたいにある時から反日と宣伝されて関心が高まったケースと思われる。

                   

                  七つの海のティコ 第1話「シャチをつれた少女 冒険者ナナミ」(YouTube)

                  https://www.youtube.com/watch?v=4OyScGnJn6Y

                   

                  1994年に放送された「七つの海のティコ」。幻のヒカリクジラを探すため海洋生物学者の父(カリフォルニア大卒)と世界一周の船旅しているバークレー出身の主人公ナナミが5分以上呼吸なしで水深100m以上素潜りが特技とかいうジャック・マイヨールみたいな少女で「フランダースの犬」「洗い熊ラスカル」といった古典だったはずのハウス世界名作劇場がなぜかこの時だけニューエイジ劇場と化した。

                   

                  ジャック・マイヨール(Wikipedia)

                  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%83%AB

                  4歳の時、母親に初めて水とのつき合い方を教わる。10歳の時に、佐賀県唐津市の七つ釜ではじめてイルカと出会い、その後の生活の原点となる。12歳で一家でフランスのマルセイユに移住。17歳で父の設計事務所で働きながらバカロレアを取得。高校を出ると北極圏でイヌイットと暮らすなど、以後コペンハーゲンを起点に旅を繰り返す。

                  ・・・

                  その後水族館を退職しカイコス諸島に移住、素潜りによる伊勢エビ漁を島民に教える。その頃になると周りの勧めでフリーダイビングに挑戦するようになり、1966年にハバナにて60メートルを記録したのを皮切りにエンゾ・マイオルカと共に記録合戦を繰り広げた。1973年、イタリアに居を移し、10余りの潜水実験に参加。それにより数十メートルの深度でフリーダイビング中のマイヨールの脈拍が毎分26回になっていることや赤血球が著しく増加していることが、スキューバで潜った医師によって測定されたこともある。1976年11月23日、エルバ島にて人類史上初めて素潜りで100メートルを超える記録をつくる。この時49歳であった。

                  ・・・

                  大の親日家であり、フリーダイビングにヨーガや禅を取り入れていた。千葉県館山市坂田に別荘を設けている。1995年にはTBSテレビのドキュメンタリー番組『いのちの響』に出演したことがある。1997年の秋には27HOUR SPECIAL CHALLENGE 97内で放送された『イルカが海に帰る日 〜ユキよ、自由の海を泳げ〜』のスペシャルゲストを担当した。

                   

                  女優 高樹 沙耶さん

                  http://www.yonaguni.jp/20040525-takagi-saya.htm

                  5月23日フリーダイバーの第一人者で女優の高樹沙耶さんが、世界的に有名なフリーダイバー、故ジャック・マイヨール氏を偲び、メモリアルプレークへスキンダイビングで来島あいさつ

                   

                  高樹沙耶さんインタビュー(なまえのない新聞)

                  http://amanakuni.net/Namaenonai-shinbun/Namae131-saya.html

                  沙耶:最初の入り口は、仕事で野生のイルカに出会う機会があって、イルカと泳ぎたい、イルカのように泳ぎたいって強く思ったこと。でもすぐに、自分が水中の生きものであるイルカのように泳げるなんておこがましいということに気づいてうちのめされました。やっぱり自分は陸で酸素を吸って生きている人間で、水の中ではダメな生きものなんだ〜って。それでも、こんなに幸せな気持ちを味あわせてくれる彼らに、 少しでも近づきたい。どうやったらより深く長く海の中にいられるかなと思っていた頃、ハワイ島でアメリカのフリーダイビングの選手と出会えたんです。その人たちの姿をみて、人間の、生きものとしての可能性に感動した。「こうしたい」と思ったことって、必ず実現出来るんだって。「深く潜りたい」と思ったら、生理学的には無理といわれていた深さを超えて潜ってゆくことが出来る。息も4分半もとめることが出来るようになったし。フリーダイビングは、私自身にそういう生きものとしての可能性を確認させてくれました。

                   

                  ラッセン

                  イルカたんといえば、くしゅくしゅ時代はラッセンの絵をよく見かけた。でも日本人にとってはニューエイジがどうってよりもバブルを象徴するめっちゃ痛い絵って位置ずけなんだろう。

                   

                  クリスチャン・ラッセン(Wikipedia)

                  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%BB%E3%83%B3

                  経歴

                  カリフォルニア州の海沿いにあるメンドシノ(英語版)[2]出身。11歳のときに家族と共にハワイ島へ渡り[3]、後にマウイ島へ移住した[2]。

                  10代からサーフィンと絵画に熱中し、オアフ島ノースショアに住んでプロサーファーとして活動。美術の専門教育は受けていない。1985年にラッセン・アート・パブリケーションズを設立。アールビバンが取り扱いを始め、1988年からバブル期の日本でベストセラー画家となる[4]。
                  作風・評価

                  ハワイの海中風景やイルカなどの海洋生物を主要なモチーフに、南洋の自然をきらびやかな画風で描き、「マリンアート」と称される[5]。空(そら)の部分などにはエアブラシも用いるという[2]。

                  その作品は安価な版画やリトグラフ、ジグソーパズルとして大衆的人気を得た。日本での知名度向上に絵画商法が大きく関わっていたため、その販売戦略への反感からヒロ・ヤマガタ同様美術界の本流からは無視されてきた[6]。奈良美智には「ああいう平和頭の理想的自然志向は理解できない」と批判されている[7]。

                   

                  ラッセンとヒロヤマガタはくしゅくしゅソックス時代においてREX恐竜物語と遠い海から来たcoo、夏の日の1993と何も言えなくて夏ばりに私の中でこんがらがってる記憶なのだが、ヒロヤマガタで画像検索したらこっちは全然イルカ書いてなかった。しかしヤマガタ氏は70年代に海外でアレン・ギンズバーグやグレゴリー・コルソーと出会い、1994年にギンズバーグと「ビートニク」ってドキュメンタリー映画の製作開始し同作にイージー・ライダーの監督でもあるデニス・ホッパーをバロウズ役で出演さしてたり、アースリーパラダイスっていうメリー・プランクスターズ(LSDの車)みたいな作品発表してて、ニューエイジとしてはラッセンより王道な気がする。

                   

                  サブリミナル

                  JUNGLE ハート編(YouTube)

                  https://www.youtube.com/watch?v=7J8XBOtLtW0

                   

                  怖いCMとして語り継がれるフジテレビ「JUNGLE」は心音のような太鼓をバックに綺麗なピンク色だったハートがどんどん汚れていき、AIDSという影が浮かび上がる。AIDSうんぬんは読みにくいこともありウワサとしてささやかれているにすぎないが、放送期間が1992〜93年であることを考えると事実それを意図した可能性は高い。

                  AIDSって文字が読みにくいのも、サブリミナル効果なのだろう。サブリミナルブームはウィルソン・ブライアン・キイ著「メディア・セックス」(1989年)がそのはしりと思われ、くしゅくしゅソックス時代のクリエイター界においてはエイズやサブリミナルがトレンドだったにちがいない。

                  メディアセックス持ってるけど、何でこの人にはここにSEXが見えるんだろう。てな写真ばっかりだった。だからサブリミナルのメッセージは「読めんがな」てくらいでたぶん丁度よいのである。

                  しかしルーズソックス時代になるとサブリミナルが問題視されるようになっていて、Wikipediaのサブリミナルのページでも「日本では1995年に日本放送協会(NHK)が、1999年に日本民間放送連盟が、それぞれの番組放送基準でサブリミナル的表現方法を禁止することを明文化した」とある。これはアニメ「シティーハンター」に一瞬だけ麻原彰晃の顔が挿入されていた件が影響を与えているような気がするが、見た感じビデオ再生のコマ送りを想定したお遊びにすぎず、放送された1989年という時期を考えてもサブリミナルを狙うには早すぎ、また当時オウムもそこまで危険視されていなかった。

                  Wikipediaによればシティーハンターはサリン事件以降にTBSがとりざたしたが、同じころにTBSが報道番組で麻原の顔をサブリミナル的に使用しブーメランとなった。TBSはエコブームのころ食育とか小池百合子って書いたフリップ写りこませてたしサブリミナル好きな社風かもしれない。


                  天才の秘訣

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                    生まれたての赤ちゃんにも記憶はある。てな主張は戦前からあり、オーストリアの精神分析家オットー・ランク(1884−1939)が「出生外傷」を提唱していたとのことであるし、ラマーズ法・産婆さん・母乳育児といった自然なお産ブームメントが起きだした昭和50年代には、すでにルボワイエなど海外の「赤ちゃんじつは病院出産の嫌な記憶覚えてる」説は日本にもたらされていた。しかしそうした「赤ちゃんじつは病院出産の嫌な記憶覚えてる」と現在池川明によって広められている胎内記憶、つまり魂時代に空の上から神様と厳選して優しそうな女や精子の中に入ったとか前世がどうのとかいう話のあいだにはやや隔たりが感じられる。

                     

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                    まづ「胎内記憶」て言い回しから池川氏の主張は0歳児からの七田式教育で著名な七田眞の影響下と思われるが、自然なお産およびその根拠となる「赤ちゃんじつは病院出産の嫌な記憶覚えてる」も、へぇぇ赤ちゃんって実はかしこいんだぁ。と解釈され、優秀な子供を育てるにあたって母の愛や胎教を含めた早期教育の重要性が説かれるノリがうかがえた。祥伝社ノンブックから1982年に訳されたトマス・バーニー著「胎児は見ている」にも、ソニー創業者の井深大によって「生まれてからでは遅すぎる」「0歳からの教育を0歳前からに修正」「胎内学習は子供を良い性格、良い頭脳の人間に育てる」とかいう推薦文が寄せられている。

                     

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                    商品説明

                       世界のソニーを一代で築き上げた井深大は、幼児教育研究に情熱を注いできたことでも知られる。本書は、幼児の可能性に注目し幼児教育の重要性を論じたベストセラー『幼稚園では遅すぎる』の続編に当たり、1978年に執筆された。その後、新版を重ねてきたが、その内容がいささかも陳腐化していないことには驚かされる。

                       著者が一貫して訴えていることは、教育は「幼稚園どころか、3歳でも遅すぎる」ということである。だが、5歳から始めるのと同じ内容の教育を1歳の赤ちゃんから行うべきだと主張しているわけではない。その歳に応じた育て方があるというのだ。0歳から2歳までの時期は有無をいわせず繰り返し覚えさせる時期で、3、4歳はその子の興味に訴え、納得させながら教えていく時期に当たる。とりわけ、さまざまな刺激を何ら抵抗なく受け入れ、脳細胞に焼き付けていく0歳から2歳までを著者は「パターン時代」と呼び、幼児教育上重要な時期と説く。

                       そして、このパターン時代の教育は母親にしかできないとの考えから、母親がなすべきことや環境づくりなどについて76話を講じている。「3歳までは、どんなに厳しくしつけても悪影響は残らない」「母親が恐れることは、子どもも恐れる」「『日本語を覚えてから外国語を』では遅すぎる」「子どもの“なぜ”を無視すると、子どもの好奇心は失われる」など、本書には子育てのヒントがいっぱい詰まっている。(清水英孝)

                     

                    https://www.amazon.co.jp/dp/4198909520/

                    商品の説明

                    内容(「BOOK」データベースより)

                    世界的企業ソニーの創業者・井深大氏は、その後半生を幼児教育に傾注した。三十有余年、母親と幼児との実践教育の現場を踏まえ、氏は、ひとつの事実を確信するに至った。それは、ある意味で「常識」に真っ向から挑戦するものだった。同時に、「心」の貧しさが嘆じられる現代社会にとって、大きな朗報でもあった。―母と胎児は互いに心のコミュニケーションを続けて、深化していく―。この事実を基に、「井深理論」が確立していったのだ。

                     

                    https://www.amazon.co.jp/dp/4396102062/

                     

                    井深大著「0歳からの母親作戦」「幼稚園では遅すぎる」は、今「かみさまは小学5年生」でも話題沸騰のサンマーク出版より新装版がそれぞれ出ているが、オリジナルは70年代のゴマブックス(ごま書房新社)であり、画像検索したところゴマ版の表紙には「放任主義もスパルタ主義も子どものためのものではない!真の幼児教育とは何かを全国1000万の母親に問う」「イギリスアメリカをはじめ世界各国でいま注目を集める井深理論をふたたび若い母親に問う!」て書いており、1973年にはやはりゴマブックスから「このに学ぶ」てな本も出ていて、育児書を多く展開していたゴマブックスにおいて井深大による母親に問うシリーズ人気大爆発だった模様。「3歳まではどんなに厳しくしつけても悪影響は残らない」といえば、池川先生も出てくる美健ガイド社マンガシリーズでもまったく同じこと言ってて赤ちゃんを叩いて叱るシーンがあったのだけどあれ井深理論だったのだろうか。

                    ゴマブックスでは内藤寿七郎という小児科医も本を出しててこれまた「十分に甘えさせなかった子は自立が遅れる!抱き癖を心配すると情緒不安定の子に育つ!」(内藤博士の愛の育児書)「何を求め何を訴えているのかお母さんの愛が赤ちゃんの心を育てる!」(赤ちゃんの心理)とか表紙からびっくりマークつきで断言しまくってて昭和の育児書インパクトありすぎ。いっぽう「胎児は見ている」のノンブックには同じような表紙でジツコスセディック著「胎児はみんな天才だ―最新の胎内教育 “子宮対話”の驚異」(1986年)て本もあり、このジツコスセディックは夫が米国人の日本人女性で二人の間に生まれたハーフの子どもがすごい天才で、その秘訣は胎内教育にあったんだそうだ。

                     

                    https://www.amazon.co.jp/dp/4396102704/

                     

                    『胎児はみんな天才だ』(エルマ♪のバリバリ英語育児)

                    https://plaza.rakuten.co.jp/bringeroflight/diary/201101180000/

                    ・・・

                    これは、ジツコ・スセディックさんという米国人と結婚した日本人の女性が書いた本です。彼女の4人の娘たちは、いずれも10歳前後で大学に入学するような天才児に育ったのですが、その秘訣は胎内教育にある、と説いた衝撃的な本です。長女のスーザンは、生後2週間で言葉をしゃべり、7カ月には読み始め、1歳では中学レベル、1歳半では高校レベルの本が読め、5歳で高校1年に入学し、10歳のときには大学入学資格試験(SAT)を受けて、最高に近い点数を習得し、大学に入学するのです。この本が書かれた16歳現在では、大学院に在籍して解剖学を学んでいました。この子一人であれば、遺伝的な突然変異ともいえるかもしれませんが、それに続く姉妹全員がこれに近い能力を示した、というのです。そして、生後2週間で言葉を発した理由を胎内での記憶に求めずして、どんな理由があり得るか、というのです。

                    今ある胎教の本では、池川明先生の本や、七田の本などもありますが、この本が大元になっていることは間違いありません。古い本ですが、日本人であるジツコさんが書かれた本ですので、非常に読みやすい本です。当時、日本でもかなり有名になった本のようですので、実家の倉庫をあさってみたら、この本が眠っているかもしれませんよ。

                     

                    https://www.amazon.co.jp/dp/4396104200/

                    https://www.amazon.co.jp/dp/4584010277/

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                    https://www.amazon.co.jp/dp/4877950176/

                     

                    ↑胎児天才オールスターズ。0歳からの天才教育(久保田メソッド)てのもあったけど、0歳じゃ遅すぎて生後2週間で言葉をしゃべり7カ月には読み始め1歳では中学レベル1歳半では高校レベルの本が読め5歳で高校入学10歳で大学入学資格試験(SAT)を受けて最高に近い点数を習得し大学に入学するジツコ・スセディックのお子さんの記録にはとうていおよばないように思われる。

                     

                    https://www.amazon.co.jp/dp/4575150509/

                     

                    英才教育といえば、ラマーズ法の記事書いてるとき検索でたまたま見つけた本に「もういちどおんぶに抱っこ」(1986年)てのがあった。読んだことないから想像だけども、アマゾンにあった目次画像を見た感じではラマーズの部分を杉山次子が、「胎内からの英才教育」みたいなのは水野茂一って人が書いてる気がした。

                    水野氏の著書は「ママ、こくごおしえて」「ママ、おはなしきいて」 「赤ちゃんの全脳体操 ママのお話、わかる?お母さんモニター記録集」など、のぶみかってくらいママママ言うてるあたり母子の絆を重要視していることであろう。表紙の赤ちゃんがカードを手にしていることから七田式とも関係ありそうなのだがはたして。


                    池川以前

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                      胎教という概念は相当古いらしく、ウィキペディアを参照すると「胎教という言葉の起源は中国の『青史氏之期』という古書であり、(中略)日本においては6〜8世紀頃医書を通じ部分的に伝来した。 江戸時代末期になると妊婦の保護や妊娠中の食物禁忌などと相まって胎教と解釈されるようになった」て書いており、青史氏之期がいつの本なのか分からないけど日本に伝来した6〜8世紀より前なんだろう。私の知識でそこまでさかのぼるのは無理なので、2010年ごろから「自然なお産」とともにゴリ押され近ごろではのぶみという新キャラの参入でよりパワーアップしている「胎内記憶」に焦点をあててみると、まづ本田望結ちゃんもやってる0歳から能力を伸ばす七田式教育の七田眞とつなぶちようじの共著で「胎内記憶―バース・トラウマの秘密」て本が今から20年前に出ており、それが胎内記憶って四文字熟語の起源と考えられる。

                      どうもこのバース・トラウマという概念が胎内記憶を考えるにあたって重要であり、赤ちゃんが畳の部屋で自然に生まれたかったのに、病院出産では気持ち良い胎内から無理くり引きづりだされるやいなや強いライトにさらされたくさんの人に囲まれ母親と引き離され・・・誕生早々この仕打ち何やねん?!と、心に深い傷を受けるというわけである。そんなの覚えてるはずがないと思うことなかれ、じつは赤ちゃんというのはわれわれ大人が思うより多くのこと分かっており、魂時代から空の上で神様や他の赤ちゃんと「このママにきーめた!」「ぼく虐待されにいくんだ♪」などと話しながら自分の生まれる場所も決め、そのことを多くの子どもは3歳ぐらいまで覚えているし、病院出産によるバーストラウマとやらは潜在意識だか深層心理だかに強く刻まれ、後の人生にも影響を及ぼすのであった。

                      「胎内記憶―バース・トラウマの秘密」が出た90年代後半という時期をふまえ、胎内記憶がトラウマ&癒しブームを背景に出てきたものと仮説していたけども、ラマーズ法などヒッピーが自然なお産に注目しだしたのとほぼ同時期である1976年にはすでにフレデリック・ルボワイエール著「暴力なき出産―赤ちゃんのために」が村松博雄によって訳されており、これが病院出産によるバーストラウマの根拠になっているらしい。1974年に出た初版は世界各国で訳され、日本では村松博雄版が入手できなくなったためか1991年にも同じ内容と思われる「暴力なき出産―バースサイコロジー 子どもは誕生をおぼえている」が中川吉晴訳で上梓されている。

                       

                      https://www.amazon.co.jp/dp/4795234728

                      内容(「MARC」データベースより)

                      現在の出産法は生まれてくる赤ん坊にとって暴力だ。赤ん坊の立場から出産のときにどんな心の傷が起こるのか、どのようにすれば快い祝福の人生に旅立っていけるのか。誕生時に赤ん坊が感じることを解明し、子どもに心理的外傷を残さないおだやかな出産を提言。

                       

                      訳者の中川吉晴はホリスティック教育を専門とした同志社大学教授、ほんやら洞の片桐ユズル京都精華大学名誉教授とも親交があるし、ブタ一頭丸ごと食べるでおなじみ鳥山敏子(シュタイナー教育)と津村喬(気功)が出していた「賢治の学校」て雑誌にも何か書いてた。中川氏はオダンの水中出産、トランスパーソナル、オルダス・ハクスレーの妻であるローラ・ハクスレーの本などのほか「魂の殺人 親は子どもに何をしたか」のアリス・ミラーの著書も翻訳しており、やっぱり子供のトラウマって概念がアダルトチルドレンやらインナーチャイルドとやらにもつながってくる気がする。

                       

                      オルダス・ハクスリー生誕100年祭について中川吉晴が聞き,ユズルが話す。

                      http://yuzurukatagiri.net/archives/huxley1994la/

                      中川
                          最初の三日間あった「子どもは人類の究極的投資」のカンファレンスはどうでしたか?
                      片桐
                          おもしろかった。デービッド・チェンバレンの誕生以前の記憶の話とね,それからミシェル・オダンの水の話,水とホルモンの話はすごくおもしろかった。それからフェルッチが言った話もおもしろかったな。コーヒーが生殖能力に悪いということを言ったじゃない。コーヒー,タバコ,アルコール,それから……。
                      中川
                          妊娠してからの話というのは,これまでもあったかもしれませんが,妊娠前からのものというのは……
                      片桐
                          だけど前のほうは,あんまりはっきり今回の会議でも出てなかったんじゃない。もちろん,妊娠する瞬間の母親の,つまり母体の状態が大切だということは言っていたけど……
                      中川
                          「コンシャス・コンセプション」というのは新しい考えですよね。
                      片桐
                          うん,だから最初は文字どおりとってさ,コンセプションの瞬間を意識できるような,そういうことかと思ったけど,そこまで厳密に言ってるわけではなくて,アンウォンテッド・チャイルド,欲しくない子どもじゃなくて,ウォンテッド・チャイルド,子どもが欲しくてつくるということだよね。アンウォンテッド・チャイルドが実際はすごく多いということでしょう。
                      中川
                          それは悪循環になるわけでしょう。
                      片桐
                          そう,アンウォンテッドだった人はまた親になって,不注意な無自覚的なセックスをするからいけないんだ,ということかな。無自覚的なセックスをして,無自覚的に子どもをつくる,すなわちアンウォンテッド・チルドレンをつくる。
                          ぼくはオダンのホルモンの話がすごくおもしろかった。妊娠やお産のときアドレナリンがどうなるとか……。もう一つのポイントは,記憶というものが脳のなかにあるだけじゃなくて,三つのシステムがあってね,その一つはホルモン・システムなんだ。もう一つは,免疫システムということね。それから麻酔の害のことをすごく言ってたじゃない。麻酔をやったら,その結果生まれた子どもが,ドラッグ・アディクト(薬物中毒)になる可能性は非常に高いということも言ってたよね。それは統計的に,そういうことが出てるからね。だから,日本なんかこれから恐ろしいな。それとオダンの話によれば,工業国では,子どもというか,とくにティーンエイジャーの自殺率がすごくあがってるんでしょう。これには出産時の帝王切開とか,病院で生まれたかどうかとか,そういうことと関係があるんだということだけど。オランダでは低くて,ほかは大変なんだよね。オランダはなんでかっていうと,33パーセントは自分の家で生むわけ,産婆さんによってね。アメリカの場合,自殺した人の23パーセントは帝王切開なんだ。ブラジルだと自殺者の32パーセントが帝王切開。オランダの場合は,7パーセントが帝王切開。まあそういう統計をあげてましたね。必要性もないのに帝王切開をやるし,それから最近は会陰を切るのはあたりまえでしょう。だからやっぱりそれも,憂うべきものとつながるんじゃないですか。日本では,自閉症と出産時のドラッグ,麻酔薬との関係が報告されているそうですね。

                      ・・・

                      中川
                          精神面で豊かになったということがあるのでしょうか?
                      片桐
                          そういう感じは出てきたんじゃない,たぶん。だから,ああいう人たちがふえれば,やっぱり百匹目のサルじゃないけど,だんだん変わってくるとおもうよ。
                      中川
                          今回,ぼくは「ボーディ・トゥリー」に初めて行けてうれしかったんですが,あそこもすごい繁盛ぶりでしたね(ボーディ・トゥリー書店は,その年の成功したビジネスとして,商工会議所から表彰されていた)
                      片桐
                          いや「ボーディ・トゥリー」の雰囲気も変わった。それはね,どういうふうに変わったかというとね,そんなに特別の場所じゃないというふうになってきた。前はね,もうちょっとなにか特別な人たちがくるような場所だったような感じがある。それがそんな特別な場所じゃなくなったという感じがあるね。だから,やっぱりああいう意識がかなり広まってきた,ふつうの人たちのあいだにね。ぜんぜん今回の会議とかそういうこと関係のない人たちのあいだにもね。百匹目のサルという話はもっとみんなの常識になってもいいんじゃない。
                      中川
                          日本は百匹目までは,まだまだですか?
                      片桐
                          いや,そりゃアメリカが変われば,日本だって変わるし,そういう意識はその国に限られたものじゃないからね。

                       

                      しかしルボワイエの時代から前世とかこのママにきーめた!って、言ってたんだろうか。ルボワイエがインドに逝ったってあたりから自然なお産復興が当初よりヒッピー野郎によるものだったと推察されるが、病院出産が苦痛だったこと赤ちゃんは意外に覚えてまっせ。て話だったのが、赤ちゃん意外に知能が高い→英才教育、胎教ってことになってたり、話が年々進化してってると思う。


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