天才の秘訣

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    生まれたての赤ちゃんにも記憶はある。てな主張は戦前からあり、オーストリアの精神分析家オットー・ランク(1884−1939)が「出生外傷」を提唱していたとのことであるし、ラマーズ法・産婆さん・母乳育児といった自然なお産ブームメントが起きだした昭和50年代には、すでにルボワイエなど海外の「赤ちゃんじつは病院出産の嫌な記憶覚えてる」説は日本にもたらされていた。しかしそうした「赤ちゃんじつは病院出産の嫌な記憶覚えてる」と現在池川明によって広められている胎内記憶、つまり魂時代に空の上から神様と厳選して優しそうな女や精子の中に入ったとか前世がどうのとかいう話のあいだにはやや隔たりが感じられる。

     

    https://www.amazon.co.jp/dp/4622077825

     

    まづ「胎内記憶」て言い回しから池川氏の主張は0歳児からの七田式教育で著名な七田眞の影響下と思われるが、自然なお産およびその根拠となる「赤ちゃんじつは病院出産の嫌な記憶覚えてる」も、へぇぇ赤ちゃんって実はかしこいんだぁ。と解釈され、優秀な子供を育てるにあたって母の愛や胎教を含めた早期教育の重要性が説かれるノリがうかがえた。祥伝社ノンブックから1982年に訳されたトマス・バーニー著「胎児は見ている」にも、ソニー創業者の井深大によって「生まれてからでは遅すぎる」「0歳からの教育を0歳前からに修正」「胎内学習は子供を良い性格、良い頭脳の人間に育てる」とかいう推薦文が寄せられている。

     

    https://www.amazon.co.jp/dp/4763181246/

    商品説明

       世界のソニーを一代で築き上げた井深大は、幼児教育研究に情熱を注いできたことでも知られる。本書は、幼児の可能性に注目し幼児教育の重要性を論じたベストセラー『幼稚園では遅すぎる』の続編に当たり、1978年に執筆された。その後、新版を重ねてきたが、その内容がいささかも陳腐化していないことには驚かされる。

       著者が一貫して訴えていることは、教育は「幼稚園どころか、3歳でも遅すぎる」ということである。だが、5歳から始めるのと同じ内容の教育を1歳の赤ちゃんから行うべきだと主張しているわけではない。その歳に応じた育て方があるというのだ。0歳から2歳までの時期は有無をいわせず繰り返し覚えさせる時期で、3、4歳はその子の興味に訴え、納得させながら教えていく時期に当たる。とりわけ、さまざまな刺激を何ら抵抗なく受け入れ、脳細胞に焼き付けていく0歳から2歳までを著者は「パターン時代」と呼び、幼児教育上重要な時期と説く。

       そして、このパターン時代の教育は母親にしかできないとの考えから、母親がなすべきことや環境づくりなどについて76話を講じている。「3歳までは、どんなに厳しくしつけても悪影響は残らない」「母親が恐れることは、子どもも恐れる」「『日本語を覚えてから外国語を』では遅すぎる」「子どもの“なぜ”を無視すると、子どもの好奇心は失われる」など、本書には子育てのヒントがいっぱい詰まっている。(清水英孝)

     

    https://www.amazon.co.jp/dp/4198909520/

    商品の説明

    内容(「BOOK」データベースより)

    世界的企業ソニーの創業者・井深大氏は、その後半生を幼児教育に傾注した。三十有余年、母親と幼児との実践教育の現場を踏まえ、氏は、ひとつの事実を確信するに至った。それは、ある意味で「常識」に真っ向から挑戦するものだった。同時に、「心」の貧しさが嘆じられる現代社会にとって、大きな朗報でもあった。―母と胎児は互いに心のコミュニケーションを続けて、深化していく―。この事実を基に、「井深理論」が確立していったのだ。

     

    https://www.amazon.co.jp/dp/4396102062/

     

    井深大著「0歳からの母親作戦」「幼稚園では遅すぎる」は、今「かみさまは小学5年生」でも話題沸騰のサンマーク出版より新装版がそれぞれ出ているが、オリジナルは70年代のゴマブックス(ごま書房新社)であり、画像検索したところゴマ版の表紙には「放任主義もスパルタ主義も子どものためのものではない!真の幼児教育とは何かを全国1000万の母親に問う」「イギリスアメリカをはじめ世界各国でいま注目を集める井深理論をふたたび若い母親に問う!」て書いており、1973年にはやはりゴマブックスから「このに学ぶ」てな本も出ていて、育児書を多く展開していたゴマブックスにおいて井深大による母親に問うシリーズ人気大爆発だった模様。「3歳まではどんなに厳しくしつけても悪影響は残らない」といえば、池川先生も出てくる美健ガイド社マンガシリーズでもまったく同じこと言ってて赤ちゃんを叩いて叱るシーンがあったのだけどあれ井深理論だったのだろうか。

    ゴマブックスでは内藤寿七郎という小児科医も本を出しててこれまた「十分に甘えさせなかった子は自立が遅れる!抱き癖を心配すると情緒不安定の子に育つ!」(内藤博士の愛の育児書)「何を求め何を訴えているのかお母さんの愛が赤ちゃんの心を育てる!」(赤ちゃんの心理)とか表紙からびっくりマークつきで断言しまくってて昭和の育児書インパクトありすぎ。いっぽう「胎児は見ている」のノンブックには同じような表紙でジツコスセディック著「胎児はみんな天才だ―最新の胎内教育 “子宮対話”の驚異」(1986年)て本もあり、このジツコスセディックは夫が米国人の日本人女性で二人の間に生まれたハーフの子どもがすごい天才で、その秘訣は胎内教育にあったんだそうだ。

     

    https://www.amazon.co.jp/dp/4396102704/

     

    『胎児はみんな天才だ』(エルマ♪のバリバリ英語育児)

    https://plaza.rakuten.co.jp/bringeroflight/diary/201101180000/

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    これは、ジツコ・スセディックさんという米国人と結婚した日本人の女性が書いた本です。彼女の4人の娘たちは、いずれも10歳前後で大学に入学するような天才児に育ったのですが、その秘訣は胎内教育にある、と説いた衝撃的な本です。長女のスーザンは、生後2週間で言葉をしゃべり、7カ月には読み始め、1歳では中学レベル、1歳半では高校レベルの本が読め、5歳で高校1年に入学し、10歳のときには大学入学資格試験(SAT)を受けて、最高に近い点数を習得し、大学に入学するのです。この本が書かれた16歳現在では、大学院に在籍して解剖学を学んでいました。この子一人であれば、遺伝的な突然変異ともいえるかもしれませんが、それに続く姉妹全員がこれに近い能力を示した、というのです。そして、生後2週間で言葉を発した理由を胎内での記憶に求めずして、どんな理由があり得るか、というのです。

    今ある胎教の本では、池川明先生の本や、七田の本などもありますが、この本が大元になっていることは間違いありません。古い本ですが、日本人であるジツコさんが書かれた本ですので、非常に読みやすい本です。当時、日本でもかなり有名になった本のようですので、実家の倉庫をあさってみたら、この本が眠っているかもしれませんよ。

     

    https://www.amazon.co.jp/dp/4396104200/

    https://www.amazon.co.jp/dp/4584010277/

    https://www.amazon.co.jp/dp/4805002026/

    https://www.amazon.co.jp/dp/4806312061/

    https://www.amazon.co.jp/dp/4877950176/

     

    ↑胎児天才オールスターズ。0歳からの天才教育(久保田メソッド)てのもあったけど、0歳じゃ遅すぎて生後2週間で言葉をしゃべり7カ月には読み始め1歳では中学レベル1歳半では高校レベルの本が読め5歳で高校入学10歳で大学入学資格試験(SAT)を受けて最高に近い点数を習得し大学に入学するジツコ・スセディックのお子さんの記録にはとうていおよばないように思われる。

     

    https://www.amazon.co.jp/dp/4575150509/

     

    英才教育といえば、ラマーズ法の記事書いてるとき検索でたまたま見つけた本に「もういちどおんぶに抱っこ」(1986年)てのがあった。読んだことないから想像だけども、アマゾンにあった目次画像を見た感じではラマーズの部分を杉山次子が、「胎内からの英才教育」みたいなのは水野茂一って人が書いてる気がした。

    水野氏の著書は「ママ、こくごおしえて」「ママ、おはなしきいて」 「赤ちゃんの全脳体操 ママのお話、わかる?お母さんモニター記録集」など、のぶみかってくらいママママ言うてるあたり母子の絆を重要視していることであろう。表紙の赤ちゃんがカードを手にしていることから七田式とも関係ありそうなのだがはたして。


    池川以前

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      胎教という概念は相当古いらしく、ウィキペディアを参照すると「胎教という言葉の起源は中国の『青史氏之期』という古書であり、(中略)日本においては6〜8世紀頃医書を通じ部分的に伝来した。 江戸時代末期になると妊婦の保護や妊娠中の食物禁忌などと相まって胎教と解釈されるようになった」て書いており、青史氏之期がいつの本なのか分からないけど日本に伝来した6〜8世紀より前なんだろう。私の知識でそこまでさかのぼるのは無理なので、2010年ごろから「自然なお産」とともにゴリ押され近ごろではのぶみという新キャラの参入でよりパワーアップしている「胎内記憶」に焦点をあててみると、まづ本田望結ちゃんもやってる0歳から能力を伸ばす七田式教育の七田眞とつなぶちようじの共著で「胎内記憶―バース・トラウマの秘密」て本が今から20年前に出ており、それが胎内記憶って四文字熟語の起源と考えられる。

      どうもこのバース・トラウマという概念が胎内記憶を考えるにあたって重要であり、赤ちゃんが畳の部屋で自然に生まれたかったのに、病院出産では気持ち良い胎内から無理くり引きづりだされるやいなや強いライトにさらされたくさんの人に囲まれ母親と引き離され・・・誕生早々この仕打ち何やねん?!と、心に深い傷を受けるというわけである。そんなの覚えてるはずがないと思うことなかれ、じつは赤ちゃんというのはわれわれ大人が思うより多くのこと分かっており、魂時代から空の上で神様や他の赤ちゃんと「このママにきーめた!」「ぼく虐待されにいくんだ♪」などと話しながら自分の生まれる場所も決め、そのことを多くの子どもは3歳ぐらいまで覚えているし、病院出産によるバーストラウマとやらは潜在意識だか深層心理だかに強く刻まれ、後の人生にも影響を及ぼすのであった。

      「胎内記憶―バース・トラウマの秘密」が出た90年代後半という時期をふまえ、胎内記憶がトラウマ&癒しブームを背景に出てきたものと仮説していたけども、ラマーズ法などヒッピーが自然なお産に注目しだしたのとほぼ同時期である1976年にはすでにフレデリック・ルボワイエール著「暴力なき出産―赤ちゃんのために」が村松博雄によって訳されており、これが病院出産によるバーストラウマの根拠になっているらしい。1974年に出た初版は世界各国で訳され、日本では村松博雄版が入手できなくなったためか1991年にも同じ内容と思われる「暴力なき出産―バースサイコロジー 子どもは誕生をおぼえている」が中川吉晴訳で上梓されている。

       

      https://www.amazon.co.jp/dp/4795234728

      内容(「MARC」データベースより)

      現在の出産法は生まれてくる赤ん坊にとって暴力だ。赤ん坊の立場から出産のときにどんな心の傷が起こるのか、どのようにすれば快い祝福の人生に旅立っていけるのか。誕生時に赤ん坊が感じることを解明し、子どもに心理的外傷を残さないおだやかな出産を提言。

       

      訳者の中川吉晴はホリスティック教育を専門とした同志社大学教授、ほんやら洞の片桐ユズル京都精華大学名誉教授とも親交があるし、ブタ一頭丸ごと食べるでおなじみ鳥山敏子(シュタイナー教育)と津村喬(気功)が出していた「賢治の学校」て雑誌にも何か書いてた。中川氏はオダンの水中出産、トランスパーソナル、オルダス・ハクスレーの妻であるローラ・ハクスレーの本などのほか「魂の殺人 親は子どもに何をしたか」のアリス・ミラーの著書も翻訳しており、やっぱり子供のトラウマって概念がアダルトチルドレンやらインナーチャイルドとやらにもつながってくる気がする。

       

      オルダス・ハクスリー生誕100年祭について中川吉晴が聞き,ユズルが話す。

      http://yuzurukatagiri.net/archives/huxley1994la/

      中川
          最初の三日間あった「子どもは人類の究極的投資」のカンファレンスはどうでしたか?
      片桐
          おもしろかった。デービッド・チェンバレンの誕生以前の記憶の話とね,それからミシェル・オダンの水の話,水とホルモンの話はすごくおもしろかった。それからフェルッチが言った話もおもしろかったな。コーヒーが生殖能力に悪いということを言ったじゃない。コーヒー,タバコ,アルコール,それから……。
      中川
          妊娠してからの話というのは,これまでもあったかもしれませんが,妊娠前からのものというのは……
      片桐
          だけど前のほうは,あんまりはっきり今回の会議でも出てなかったんじゃない。もちろん,妊娠する瞬間の母親の,つまり母体の状態が大切だということは言っていたけど……
      中川
          「コンシャス・コンセプション」というのは新しい考えですよね。
      片桐
          うん,だから最初は文字どおりとってさ,コンセプションの瞬間を意識できるような,そういうことかと思ったけど,そこまで厳密に言ってるわけではなくて,アンウォンテッド・チャイルド,欲しくない子どもじゃなくて,ウォンテッド・チャイルド,子どもが欲しくてつくるということだよね。アンウォンテッド・チャイルドが実際はすごく多いということでしょう。
      中川
          それは悪循環になるわけでしょう。
      片桐
          そう,アンウォンテッドだった人はまた親になって,不注意な無自覚的なセックスをするからいけないんだ,ということかな。無自覚的なセックスをして,無自覚的に子どもをつくる,すなわちアンウォンテッド・チルドレンをつくる。
          ぼくはオダンのホルモンの話がすごくおもしろかった。妊娠やお産のときアドレナリンがどうなるとか……。もう一つのポイントは,記憶というものが脳のなかにあるだけじゃなくて,三つのシステムがあってね,その一つはホルモン・システムなんだ。もう一つは,免疫システムということね。それから麻酔の害のことをすごく言ってたじゃない。麻酔をやったら,その結果生まれた子どもが,ドラッグ・アディクト(薬物中毒)になる可能性は非常に高いということも言ってたよね。それは統計的に,そういうことが出てるからね。だから,日本なんかこれから恐ろしいな。それとオダンの話によれば,工業国では,子どもというか,とくにティーンエイジャーの自殺率がすごくあがってるんでしょう。これには出産時の帝王切開とか,病院で生まれたかどうかとか,そういうことと関係があるんだということだけど。オランダでは低くて,ほかは大変なんだよね。オランダはなんでかっていうと,33パーセントは自分の家で生むわけ,産婆さんによってね。アメリカの場合,自殺した人の23パーセントは帝王切開なんだ。ブラジルだと自殺者の32パーセントが帝王切開。オランダの場合は,7パーセントが帝王切開。まあそういう統計をあげてましたね。必要性もないのに帝王切開をやるし,それから最近は会陰を切るのはあたりまえでしょう。だからやっぱりそれも,憂うべきものとつながるんじゃないですか。日本では,自閉症と出産時のドラッグ,麻酔薬との関係が報告されているそうですね。

      ・・・

      中川
          精神面で豊かになったということがあるのでしょうか?
      片桐
          そういう感じは出てきたんじゃない,たぶん。だから,ああいう人たちがふえれば,やっぱり百匹目のサルじゃないけど,だんだん変わってくるとおもうよ。
      中川
          今回,ぼくは「ボーディ・トゥリー」に初めて行けてうれしかったんですが,あそこもすごい繁盛ぶりでしたね(ボーディ・トゥリー書店は,その年の成功したビジネスとして,商工会議所から表彰されていた)
      片桐
          いや「ボーディ・トゥリー」の雰囲気も変わった。それはね,どういうふうに変わったかというとね,そんなに特別の場所じゃないというふうになってきた。前はね,もうちょっとなにか特別な人たちがくるような場所だったような感じがある。それがそんな特別な場所じゃなくなったという感じがあるね。だから,やっぱりああいう意識がかなり広まってきた,ふつうの人たちのあいだにね。ぜんぜん今回の会議とかそういうこと関係のない人たちのあいだにもね。百匹目のサルという話はもっとみんなの常識になってもいいんじゃない。
      中川
          日本は百匹目までは,まだまだですか?
      片桐
          いや,そりゃアメリカが変われば,日本だって変わるし,そういう意識はその国に限られたものじゃないからね。

       

      しかしルボワイエの時代から前世とかこのママにきーめた!って、言ってたんだろうか。ルボワイエがインドに逝ったってあたりから自然なお産復興が当初よりヒッピー野郎によるものだったと推察されるが、病院出産が苦痛だったこと赤ちゃんは意外に覚えてまっせ。て話だったのが、赤ちゃん意外に知能が高い→英才教育、胎教ってことになってたり、話が年々進化してってると思う。


      熱中時代

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        小池都知事、東京五輪へ向け「打ち水」協力呼び掛け(7月24日 日刊スポーツ)

        https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/201807240000088.html

        小池百合子都知事は23日、東京・日比谷ミッドタウンで行われた打ち水イベントに参加し、20年東京オリンピック(五輪)・パラリンピックに向けた暑さ対策の一環として、江戸由来の「打ち水作戦」を活用する意向を示した。

        今日24日で五輪まで2年。「言うまいと思うが、暑い。これが毎日続くと『異常気象』とはいえなくなり、大会の暑さ対策は大きな課題だ」と述べた。「風呂の残り湯などを使って朝夕にまく打ち水は、江戸の知恵で、おもてなしでもある。隣近所で、同じような時間にやることで涼を確保する。この作戦も、東京大会で威力を発揮するのではないか」と述べた。バケツとひしゃくで、再生水を利用した水をまいた小池氏は、「体感温度がかなり下がった。打ち水はどこでもできる。体感してほしい」と、来場者に協力を呼び掛けた。

         

        10年ほど前のエコブーム時も昔に比べて暑すぎるとよく言われており、もはや温暖化で北極の氷もとけて水位が上がっちまうとばかりに、シロクマたんが流氷の上でたすけてくれー。てなってる映像とかテレビ見てたら頻繁に流れていたけど、いや水害など異常気象という広い観点ならばともかく私が子供の頃も35℃とか普通にあったと思う。と、昔より熱い論にはやや懐疑的だった。しかし今年はまちがいなくいまだ経験したことのない暑さである。

        どこそこの国で40度記録しました。てな海外ニュース聞いたら、40度てなにそれ怖いと思ってたのに、この夏はわが国でもそれに近い気温が連日体験できるようになった。今日がとっても暑いと明日もきっと暑くて、そんな日々が続いてくような気がしてしまい、今もっとも人々に心配されているのが2年後のオリンピックである。

        そんななかエコユリこと小池百合子東京都知事がオリンピックの暑さ対策に打ち水を提案して、そのアナログぷりが一部に物議をかもしたらしい。ただ小池氏が打ち水なのはかなり昔からで、去年の今ぐらいの時期にもすでにオリンピックの暑さ対策に打ち水とまっったく同じこと↓言ってる。

         

        東京五輪へ小池知事、酷暑のマラソン打ち水で熱対策(2017年7月21日 日刊スポーツ)

        https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/1859116.html

        東京都の小池百合子知事(65)は20日、都庁前広場で行われた「打ち水」イベントに参加し、約1100人の来場者と一斉に打ち水を行った。小池氏は触らなくても温度を計測できる放射温度計を使って、地面の温度の変化も計測。「一斉にやることに意味がありますよね。暑さを乗り越えていきましょう」と呼び掛けた。

        3年後の夏に行われる20年東京五輪・パラリンピックについて「暑い中でマラソン選手が走ったりするところは打ち水で解消していくなど、江戸の知恵を生かしていく。みなさんと一緒に進めていきたい」と話した。都主催の同イベントは都内141カ所で実施され、都庁会場にはりゅうちぇる(21)も来場した。

         

        だが去年の東京は梅雨みたいな気候でまったく熱くなかったのにくわえ、まだ希望の党とか言い出す前で小池氏の人気が今より高かったので私が知る限り何の話題にもならなかった。さらにエコブーム時はオカルトどころかむしろヒートアイランドやエアコンの節電対策として科学的に立証されてる日本古来の素敵な知恵とされ、マスゴミがさかんに宣伝していたのにもかかわらず特に異論をさしはさむ者はいなかったのである。

        今こんだけみんな冷房使ってて電力とか二酸化炭素排出量がはたしてどうなっているのやらなのだが、打ち水がもてはやされていたエコブームの時代には江戸の知恵(風鈴の音とか風呂敷とか)を生かしなるべく冷房を使わないで(もしくは28度設定で)夏を乗り切ろうといった環境意識が(ごく一部の意識高い系の間で)強かったし、そういうノリを牽引していたのが元環境大臣の小池百合子だった。というわけで前からやってた打ち水が今になって否定されるように経緯としては、クチコミで実は効果ないみたいなことがささやかれるようになってたなかこの打ち水レベルではどうにもならぬレベルの暑さと小池没落などいくらかの要因が複合的に重なったものと考えられる。

        それにしても今回の打ち水批判を見ていると「竹やり」に例える記述がやたら多い。何で江戸の知恵っていってんのに竹やり(戦時中?)出てくんのか不可解である。

        熱波をアメリカに例えているのかわからんが、それよりも古き良き日本を賛美するのは右翼によるオカルトなのだという印象操作だとしたらそんなことはすぐにやめたまへ。江戸礼賛は通常、富国強兵とか帝国主義のアンチとして朝鮮通信使が韓流ブームの元祖とか明治政府が江戸っ子を虐殺したとかいう設定になっちまうんだから竹やりではないのである。

         

        7/22(火)大暑 巣鴨地蔵通りご近所打ち水大作戦

        http://www.uchimizu.jp/archive/07/080722sugamo.html

        作戦は大成功!
        参加された皆さん、
        お手伝いいただいたボランティアスタッフの皆さん
        高野豊島区長、小池百合子さん
        そして巣鴨地蔵通り商店街の皆さん、豊島区の皆さん
        とげぬき地蔵尊高岩寺のご住職はじめ皆さん、
        そしてニュースとしてとりあげていただきましたメディアの皆さん、
        本当にありがとうございました!
        (首都高速の皆サマ『うちみず君』の出動協力ありがとうございました!)
        今年も打ち水大作戦はみんなの大作戦です。

        ※暑い日がつづきます。
        打ち水するときは熱中症に気をつけましょう!
        (日陰にはいる/帽子をかぶる/こまめに水分と塩分を補給する)

        打ち水大作戦本部
        巣鴨地蔵通り商店街 ご近所打ち水大作戦 作戦隊長
        ハッタケンタロー
        (環境エンタメ・デザイン&プロデュース)

         

        これ↑はちょうど10年前の打ち水で、すでに小池百合子が参加していた。このときの作戦隊長のハッタケンタローは下記によれば「緑の党グリーンズジャパン」という、左翼政党の支援者である。

         

        ハッタケンタロー(緑の党グリーンズジャパン)

        http://greens.gr.jp/member/support-2012/1629/

        肩書き    トージバ/土と平和の祭典/打ち水大作戦など仕掛人
        メッセージ:
        “こども達の未来についてを共通のコンセプトにいのちと暮らしを考えて“

        種まき大作戦のハッタケンタローと言います。緑の党、みどりの未来、応援しています。
        ひとつ、お願いがあります。今、いのちと暮らしの問題というのは、放射能の問題があって
        非常に苦しい立場に置かれている方が大勢居ます。
        そのいのちと暮らし、それぞれの視点、それぞれの立場で議論する中で、ひとつだけコンセプト、共通する議論のコンセプトを注文すれば、それはこども達の未来。これについて、共通のコンセプトで、これからの議論を発展させて頂ければと思います。
        その中から新しい未来、こども達を守る未来を作って頂ければと思います。応援しています。

         

        このページ↑で佐藤潤一って名前が視界に入ったのでそれもクリックしたらやっぱりグリーンピースの鯨肉横領事件で少々有名な佐藤潤一だった。事件のときの事務局長が星川淳で、その妹の星川まりが緑の党グリーンズジャパンの運営委員となっているし、いしだ壱成(星川一星)も同党結成時に応援メッセージを寄せている。

        星川ファミリーしかり、この政党ほびっと村と関係あったように記憶しているし、その他の支援者見ても辻信一などロハス大集合って感じだった。なので打ち水大作戦っていうのも例によってヒッピーみたいな一派から出てきているのであり、そういう人達が安倍の嫁と仲良くしてるって一点をクローズアップすればアベ政治と関係あると言えなくもないのだけど普通に考えて安倍に大麻やクジラや脱原発の趣味はないだろう。

        上の引用文でハッタ氏が打ち水大作戦以外にかかわっているトージバは大豆を作っているNPOらしく、公式サイトによると代表理事が渡邊尚となっているが、この人の奥さんが藤岡亜美といって確か辻信一のゼミ出身でナマケモノ倶楽部の共同代表も務めている。藤岡氏のプロフィールにはだいたい子供に関して自宅出産で生んだって記述があり、○児の母(父)ってのはよくあるけど分娩方法まで書いてるってことは自然なお産の普及活動もしてそうな感じだった。

         

        藤岡 亜美(ふじおか・あみ)(共同代表 | ナマケモノ倶楽部)

        http://www.sloth.gr.jp/persons/top/_1/

        1979年東京生まれ。学生時代、バックパックで通った南米エクアドルでコーヒーやサイザル麻製品の生産者と共に活動をはじめ、国分寺カフェスローの立ち上げに携わる。焙煎、商品の企画輸入をはじめ、ETIC.主催の日本初の社会起業家コンペ「STYLE2002」で優秀賞・感動賞を獲得。
        23歳のとき、エクアドルとのフェアトレードを展開する。スローウォーターカフェ有限会社を設立。作り手を招聘するなど、エクアドルの森林保護にも取り組む。とくに、カカオ生産国でチョコレートをつくるサリナス村でのプロジェクトと百貨店での販売は、朝日新聞一面トップに掲載されるなど、日本のフェアトレード運動を盛り上げる。現在は、大学や専門学校での講師もつとめる。

        カフェスローで『半農半X』などのイベントを共催していた、都市農村交流 NPO法人トージバの渡邉尚氏と結婚、自宅出産で生まれた3児の母。3.11後は、宮崎県串間市に拠点をうつし、エクアドルをモデルにした森の農業、限界集落での事業展開、パーマカルチャー的な暮らしの拠点づくりに取り組む。
        共著に『日本のフェアトレード』(明石書店)、『エクアドルを知るための60章』(明石書店)、『グローバル化に対抗するアマゾンの先住民族』(現代企画室)、『9をまく』(大月書店)など。

         

        上記引用にカフェスローでイベントを共催していた渡邉氏と結婚とあるが、このカフェスローが自然育児友の会の事務局となっており、自然育児友の会が出してた「ナチュラルマザリング」誌の表紙↓も藤岡氏だったと記憶している。ハッタケンタローとアースデイマネーという地域通貨を運営していた元博報堂の池田正昭も打ち水大作戦の仕掛け人であり、やはりこの人も奥さんが助産院で生んでるってことでかお産のイベントを開催したりしていた。

         

        https://www.amazon.co.jp/dp/4990440927

         

        「祝10周年の打ち水大作戦はどうやってはじまったの?」を仕掛け人・池田正昭さんに聞いてみた [ソーシャルアクション元年への旅](2013年8月9日 greenz)

        https://greenz.jp/2013/08/09/uchimizu02/

         

        イベントレポート〜寺子屋かぐれ Life「お産を語るオッサンの生命倫理」〜(2015年9月18日 かぐれ)

        http://www.kagure.jp/14355/

        2015年9月12日(土)、『寺子屋かぐれ Life』vol.2が始まりました。
        テーマは「お産」。講師は、東京・吉祥寺のオーガニックレストラン「タイヒバン」のオーナー・池田正昭さんです。「男だてらにお産の素晴らしさを語る試み」として、『お産を語るオッサンの会』を発足された池田さん。その会に参加して感銘を受けたかぐれスタッフが、池田さんにかぐれでの講座開催を懇願。快くお引き受けいただき、この度の講座開催となりました。
        9月と10月の2回にわたって池田さんの赤裸々なお産体験とともにその持論を展開していただき、Lifeの真理に根ざした生命倫理を一緒に考えます。

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        極度の病院嫌いの池田さんは、奥様が第一子を妊娠された際に訪れた「ファン助産院」の温かくゆるい雰囲気と、院長・杉山先生のお母さんのようなおおらかな存在に一気に魅了され、助産院の虜になります。そして、第一子が生まれたときの衝撃から、お産を語るオッサンへと大きく転向しました。その後も第二子、三子と池田さんのお子さんは全員「ファン助産院」にて産まれ、池田さんがへその緒を切られています。

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        気になる電車広告

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          のぶみという人の存在を知った時(本読んでない)の第一印象「めっちゃ胎内記憶の絵本書いてそう」だったけど、あれからわずか1年あまりで胎内記憶といえばのぶみ。のぶみといえば胎内記憶。また新しくのぶみの胎内記憶本↓が人々を感動のうずに巻き込んでいるのであった。


          イルカ好き

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            評価:
            ケン・キース・ジュニア,Y・モンキー
            佐川出版
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            (1984-01)

            「ライトスタッフ」の米作家トム・ウルフさん死去(5月16日 朝日新聞)

            https://www.asahi.com/articles/ASL5J2D49L5JUHBI009.html

             

            米作家のトム・ウルフが88歳で亡くなった。読んだことないけど、とりあえず表紙の絵とタイトルからしてこれ↓はメリー・プランクスターズっていうLSD野郎のバスの本なのではないだろうか。

             

            https://www.amazon.co.jp/Electric-Kool-Aid-Acid-Test/dp/031242759X

             

            さて先日イルカの記事を書いたさい、ミュージシャン細野晴臣と宗教人類学者の植島啓司がイルカについて語らう動画を目にした。この番組はたぶんイルカ大好き博士のジョンCリリーが来日した1992年であり、その翌年には80年代に人気博した坂本龍一のテクノグループYMOが再結成したそうである。

             

            対談21世紀 TRANQUILITY イルカ・人・コミュニケーション(1/2)

            https://www.youtube.com/watch?v=fLra7Q5evqE

             

            植島啓司って人は知らなかったけど動画見ててどっかで見たことある名前だなー。「メディア・セックス」の訳者だったような気がするなー。と思って検索したらやっぱりそうだった。10年くらい前だったか関暁夫(スティーブン・セキルバーグ)の著書でサブリミナル効果に関心を抱きこの本も買ったのだが、SEXが隠されている広告写真見ても、私には上からペンでSEXSEXSEXってかいてるだけにしか見えなかったし、なんかサブリミナルって概念自体がニューエイジ臭い。

             

            https://www.amazon.co.jp/dp/4845703726/

             

            YMO - Technodon in Tokyo Dome (1993.06.10,11)

            https://www.youtube.com/watch?v=lZpJ4-9QyCc

            てなわけで1993年にYMOが再結成したさいアルバム「テクノドン」を発表したとのことだ。少なくともYouTube上にミュージックビデオなどはないようだが、東京ドームのライブはたまに映像が加工されてたり、後ろの画面にミュージックビデオ的な物が大写しになったりしている。

             

            テクノドン(Wikipedia)

            https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%AF%E3%83%8E%E3%83%89%E3%83%B3

            曲解説

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            DOLPHINICITY

            細野が当時傾倒していた、イルカの声をサンプリングした環境音楽。「BE GOOD BOYS」の声はイルカの調教師のもの。男性の声は神経生理学者でありイルカ研究家でもあるジョン・C・リリー博士がイルカに向かって語りかけている声である。

             

            「Hi-tech Hippies」で使われてる60年代風のアニメには初期のカラフルなアップル社のロゴやホールアースカタログのような地球の絵がえがかれているし、そのタイトルからしてもヒッピーとコンピューターのことを歌っているのはまちがいない。あとWikipedia曲解説によればビート作家ウィリアム・バロウズの音声を使った曲もあるそうで、サリン事件前だったとはいえなんでくしゅくしゅ時代にこんなサイケな音楽だったのかよくは分からないのだが、坂本龍一はこの再結成くらいの時期にLSDを世に広めたティモシー・リアリーとも会ったそうである。

             

            ティモシー・リアリーとの出会い(反骨の音楽家、坂本龍一が若者に伝える「大人の言うことを信じるな」「とにかく自分で考えろ」の意味)

            https://logmi.jp/231831#subhead1

            坂本龍一氏(以下、坂本) 僕は60年代に高校生で10代で、サイケデリックとか音楽とかヒッピーズとか、そういうものにもろに影響を受けた世代なので、まさかね、その頃は自分がティモシーに会うことになるとは想像もできなかったけども。

            超有名なカルトの教祖ですよね。という感じでとても大きな関心を持っていたので、90何年か、92年か93年ぐらいかな。L.A.で会った時に本当に驚きましたよ。

            友達に連れてってもらったら、いた。そしたら「お前日本人か。日本人だったらJoi Itoを知ってるか」と言うから「知らない」。「すごいおもしろい日本人がいて、若い子で、ヴァーチャルリアリティのテーマパークみたいなものを作ろうとしてるから絶対会えよ」っておじいちゃんに言われて。それで記憶にあったの。
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            林 僕からすると、坂本さんもそうだしティモシーもそうなんだけど。同じ大きな第一世代というか、あのベトナム戦争反対という流れがヒッピームーブメントとカルチャーになって、そこから音楽とか、ああいう生き方のコンセプトみたいな。それがスティーブ・ジョブズに伝わって、というか受け継がれて。 そういう次の流れが、ティモシーみたいな人とかJoiもそうだけど第二世代というか、次の世代というか。

             

            景山民夫、鯨に逢いに行く。ライアル・ワトソン、坂本龍一、他。(YouTube)

            https://www.youtube.com/watch?v=hrPeRhvlDMk

            この動画1時間半もあるから後で見るけど、やっぱり坂本龍一もクジラ好きなのだろうか。ライアル・ワトソンもクジラ大好きにくわえ100匹目の猿とか言っててうさんくささに定評がある。

             

            百匹目の猿現象(Wikipedia)

            https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E5%8C%B9%E7%9B%AE%E3%81%AE%E7%8C%BF%E7%8F%BE%E8%B1%A1

            百匹目の猿現象(ひゃっぴきめのさる げんしょう、英: Hundredth Monkey Effect)は、生物学の現象と称してライアル・ワトソンが創作した物語である。疑似科学又はオカルトに分類されている(疑似科学#自然科学に関するもの)。

            宮崎県串間市の幸島に棲息する猿の一頭がイモを洗って食べるようになり、同行動を取る猿の数が閾値(ワトソンは仮に100匹としている)を超えたときその行動が群れ全体に広がり、さらに場所を隔てた大分県高崎山の猿の群れでも突然この行動が見られるようになったというストーリーであった。このように「ある行動、考えなどが、ある一定数を超えると、これが接触のない同類の仲間にも伝播する」という、実際には存在しない現象を指す。

            経緯
            ライアル・ワトソンが1979年の著書『生命潮流』 で述べ、1981年に出版されたケン・キース・ジュニア(1921年-1995年)の著書『百番目のサル』によって世界中に広まった。これが日本では船井幸雄の『百匹目の猿―思いが世界を変える』で紹介され、人間にも同様の現象が存在するのではないかということでニューエイジ関係で有名になった。

            ・・・

             

            https://www.amazon.co.jp/dp/4584182582

             

            七田眞=胎内記憶。基本的に「脳」「意識」とかいう語彙群はサイケ文化の産物と思われる。

             

            昔のCM 181 1993年 劇場版 遠い海から来たCoo(番宣)

            https://www.youtube.com/watch?v=qY5tEEwyVdo

            景山民夫はどっちかというとニューエイジっていうより新興宗教で有名な人だった。1993年公開の恐竜映画で角川文庫だったせいか、アニメであるにもかかわらず安達祐実のREXとものすごいイメージかぶってる。

            やはり1993年公開だったジュラシックパークに比べると遠い海から来たCooとREXはちょっと痛いと思ってたし、じっさい宣伝のわりにそんなヒットしなかったのではないだろうか。でもWikipediaであらすじ読んだら、パゴパゴ島のトンベルア酋長の許可をもらい、日本から移住した海洋生物学者の小畑徹郎とその息子である洋助フランスの核実験計画をめぐる同国諜報機関の暗躍を知り銃をとり云々と書かれてて、もしかしたらジュラシックパークより深い話なのかもしれない。


            地球好き

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              「カッコーの巣の上で」著者ケン・キージー率いるバスのコミューン「メリー・プランクスターズ」。「ホールアースカタログ」編集者として著名なスチュアート・ブランドもこのLSD軍団のメンバーだったという。

              ホールアースカタログ読んだことないっていうか読んだところで日本語でおk。としかならないだろうが、とにかくヒッピーのあいだですごい有名な雑誌だった気がする。Wikipediaによれば、1968年に創刊され表紙にはブランドが1966年にNASAに地球見せやがれと運動を起こして公開さした写真が使われているとのことだ。

              それ読んで、1966年ってまだ月面着陸してないだろ。と思って確認したところ、やはり月面着陸はその3年後だった。てっきり私はアポロが月面から地球を映像だか写真だかにおさめ、みんなそれで初めて地球見、とくにベトナム戦争とかで疲弊してたアメリカの人々に「地球ってひとつなんだ〜」ってな感動与えたと思ってたけど、1966年時点で地球の写真あったってことはすべて私の作り話だったようだ。

              ホールアースに影響与えてるのがバックミンスター・フラーが1963年ぐらいに提唱した「宇宙船地球号」らしいのだが、Wikipediaで宇宙船地球号読んだら月面着陸前の1968年「アポロ計画で撮影された地球の写真は、観る者に、もはや地球は無限大の存在ではなく、保護の必要な華奢な存在という印象を与えるようになった」って書いてたのでアポロうんぬんの私の作り話あながち間違ってないと思った。今では環境問題とかエコロジーいうと9割がた地球の絵(たまにイルカ)が使われ、とくに10年ほど前の温暖化ゴリ押し時などはそういうイメージ氾濫してるのを見るたびニューエイジみたいな奴ねじこんでくんのやめやがれ。って思ってたし、番組の名前に使ったトヨタ一社提供「素敵な宇宙船地球号」もすごいロハスでEMだんごを川にほうりこむ様子とか放送されてた。

              ホールアースカタログにのってた「ステイハングリー、ステイフーリッシュ」って標語は、元ヒッピーでアップル創業者スティーブ・ジョブズがスピーチで引用してたので、ジョブズ氏亡くなったときさかんにとり上げられてたのを聞いたことあるかたも多いのではないだろうか。今検索して確認するとジョブズの死没2011年だそうで、このちょっと前iPhoneが爆発的に普及したため関心度も高かったのである。

              没後すぐ自伝か何か発売され、私もいちおうヒッピー時代の部分だけ読もうと買ったが、すごい分厚くて重い本で持ちたくないと思ってるうちにどっか逝った。とにかくアップルみたいな大企業にも影響与えたホールアースカタログ、1969年には「部族」がやってた諏訪瀬のコミューンもヒッピーの聖地として紹介されてるんだって。

              初期の宝島誌は大橋歩画伯の地球の絵もまんま中身も全都市「カタログ」である。宝島は今付録つきファッション雑誌のイメージが強いけど、ルーツはヒッピー雑誌だったのだろう。

              同じくポパイ誌も初期は米西海岸の文化を紹介する雑誌であり、同誌を発行するマガジンハウス社に見られるカタログ的な誌面も「ホールアースカタログ」の流れと思われる。ロハス雑誌「ソトコト」編集長ももともとマガジンハウス社員だったし、初期のポパイ・宝島両誌にかかわっている北山耕平の著作は冷えとり服部みれいにも影響を与えた。

               

              https://www.amazon.co.jp/dp/4778311981/


              LSD全盛期

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                評価:
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                ワーナー・ホーム・ビデオ
                ¥ 998
                (2010-04-21)

                今でこそヒッピーは大麻のイメージだけど禁止される前の60年代はLSDであり、本場アメリカ西海岸ではメリー・プランクスターズっていうLSD軍団のサイケなバスが走っていた。Wikipediaによると、このバスはLSDの先駆者ティモシー・リアリー博士とも合流したことがあるのだという。

                 

                https://www.amazon.co.jp/Magic-Trip-DVD-Import/dp/B005HI4LLO

                 

                メリー・プランクスターズ(Wikipedia)

                https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%BA

                メリー・プランクスターズ(Merry Pranksters)は、1960年代に活動したケン・キージー率いるアメリカ合衆国のサイケデリック集団。団体名は、「陽気ないたずら者たち」という意味である。

                キージーの自宅農場があるカリフォルニア州とオレゴン州を中心に活動した。

                ・・・

                概要

                LSDが合法だった1964年にカリフォルニア州ラ・ホンダ(英語版)を出発し、全米を虹色に塗ったバス(ファーザー)に乗って、アシッド・テストをして回った[1]。ティモシー・リアリーとも合流したことがある[2]。その後、1966年と1969年にも同様のツアーを行った(ただし後者にはキージーは参加していない)。

                ビートルズの映画『マジカル・ミステリー・ツアー』のモデルとなったと言われている[3]。

                 

                ビートルズの映画マジカルミステリーツアー(1967年)のモデルになったとのことでYouTubeでダイジェスト的な動画見たところ、確かにサイケぽいしバスが走っている。ビートルズはとくにボーカルのジョン・レノンとギター担当のジョージ・ハリスンがヒッピー文化と密接だったと思われ、あとイマジンって歌だったかたまにロハスや憲法9条で引用されてたり、ジョン・レノンの妻オノ・ヨーコがキャンドルナイトにメッセージを寄せたりしてるのを見たことがある。

                 

                Magical Mystery Tour (HQ Version)

                https://www.youtube.com/watch?v=jIDEZ_frJBs

                 

                「ビートルズに影響を与え世界初のコンセプトアルバムを産み出したLSD」〜ビートルズとスピリチュアルな世界 その2〜(TRINITY)

                http://www.el-aura.com/beatles20160831/

                幻覚を見ることでなにを得られるの? と思うかもしれませんが、古来から「シャーマンが幻覚剤を使って異なる世界にアクセスしていた」ことからもわかるように、通常では気づかなかった領域の情報を受け取ることが可能になります。

                MacintoshやiPhoneの産みの親である「天才スティーブ・ジョブズ」も、LSDを使用したことがあり、その時の体験を「人生の中で最も重要な体験のひとつ」だとしています。それは幻覚をみたというよりも、「自分自身のセンスを強化し、別のものの見方を与えてくれたことに起因している」ようです。

                そんなLSDによって得たインスピレーションから生まれた名曲として知られているのが「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」。頭文字をとると「LSD」になることから、当時はラジオで放送禁止になったこともあります。しかしながら、タイトルに関しては偶然であり、ジョン・レノンの息子であるジュリアン・レノンが保育園で書いたルーシーという友達の絵が元になっているというのが定説です。

                タイトルの略称からこの曲が有名となっていますが、ジョン・レノンはLSDを「天の恵み」と表現したほどであり、他にも「レイン」や「アイ・アム・ザ・ウォルラス」などもLSDの影響が強いものとして知られています。

                 

                ジョージ・ハリスン(Wikipedia)

                https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%B3

                ジョージは60年代後半にはヒッピー・ムーブメントやサイケデリックなドラッグの影響もあり、ヒンズー教にこるようになった。1960年代半ばまでに、ハリソンはインドの宗教を他のビートルズに紹介し、インド文化と神秘主義の賛美者になっていた。ヘルプの撮影中、ビートルズのメンバーはバハマで、スワミ・ビシュヌ・デバナンダ(シヴァナンダ・ヨガの創始者)の会合に出席。彼は本に署名した「ヨガの完全なイラストレーション・ブック」を渡した。1966年の最後のビートルズツアーのころには、ヒンズー教のヨガの伝統に沿って、ハリソンは1960年代後半に菜食主義者になった。インドへ、ビートルズのメンバーやドノヴァン、ジェーン・アッシャー、ミア・ファーロー、マイク・ラヴらと旅行に行ったこともある。1966年にラヴィ・シャンカールによって様々な宗教的なテキストが与えられた後、彼はスワミ・ヴィヴェカナンダとパラマハンサ・ヨーガナンダのヨガと、ライターの教えの生涯にわたる支持者として残った(ラジャ・ヨガとヨギの自叙伝による)。 1969年中頃、彼はLondon Radha Krishna寺院のメンバーによって実行された、"Hare Krishna Mantra"のシングル盤を制作した。「マイ・スウィート・ロード」の曲中でも、クリシュナという歌詞が出てくる。

                 

                メリー・プランクターズのリーダーが「カッコーの巣の上で」の原作者であるケン・キージーで、バス運転手であるニール・キャサディはビートニクの作家であるジャック・ケルアックの代表作「路上」の登場人物のモデルにもなっているらしい。またメンバーの1人として「ホールアースカタログ」のスチュアート・ブランドの名前もあげられている。

                 

                Magic Trip Trailer(YouTube)

                https://www.youtube.com/watch?v=57OaoZZ61oM

                「路上」「禅ヒッピー」などの著書があるビート文学の代表的な作家ジャック・ケルアック。

                バス運転手ニール・キャサディ。ケルアックの代表作「路上」(1957年)の登場人物はキャサディほかアレン・ギンズバーグやウィリアム・バロウズなどビートニクの作家がモデルになってる。ってWikipediaに書いてた。

                アレン・ギンズバーグは日本ホリスティック医学協会名誉顧問・上野圭一のコミューン映画「スワノセ・第四世界」に出てくるらしくヤマハのレジャー開発反対運動の署名もやってたというので、山尾三省やナナオサカキらへんの「部族」と交流があったのだろう。このへんの話は山田塊也の本読んだら全部書いてそうだ。

                メリー・プランクスターズのリーダーであるケン・キージーが著した1962年のベストセラー小説「カッコーの巣の上で」。


                LSD人気に嫉妬

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                  いしだ壱成の叔父である星川淳、Wikipediaで著書や訳した本のタイトル一覧見て、この本全部読んだらニューエイジ博士になれると思った。しかし山尾三省にしろあがた森魚の母(助産婦)にしろ、なんでヒッピーのあいだでは屋久島人気大爆発なのだろうか。

                   

                  https://www.amazon.co.jp/dp/4944075758

                   

                  星川淳といえばロハスブーム(をマスゴミが創出してた)2000年代後半にグリーンピースの事務局長をつとめていた。ちょうどその頃、グリーンピースがクジラ肉を盗んだり、ザ・コーブってくじらたん野蛮な日本人に虐殺されてるって映画が話題になったり、シーシェパードの妨害行為が大きく報じられるなど、なぜかクジラ問題が炎上気味だった。

                  私はクジラ肉なじみないし炭水化物大好き野郎なので、クジラは日本の文化とかなんとか議論されてるのすごいどうでもいいしクジラたんかわいそうだからもう食べるのやめたれくらいにしか思ってなかった。ただクジラたんイルカたん賢くて大好きみたいなこと言う奴はたいていニューエイジなのである。

                   

                  Catch Up! J.C.Lilly Talking(YouTube)

                  https://www.youtube.com/watch?v=5UgJrKFOdss

                  イルカたんかしこくて大好きの根拠はジョンCリリー博士だろう。

                  タンクに浮くうんぬんの実験はアルタードステーツって映画にもなった。

                  1994年クジライルカ会議って書いてるから93〜94年ごろか。日本の皆さんクジラ食べないでとかLSDとか、今日本で放送されたらゑ?ってなりそうだけど、くしゅくしゅソックス時代はサリン事件の前でまだこういうのゆるかったんだと思う。

                   

                  鯨イルカ・イデオロギーを考える(検法 宗.献腑鵝Γ叩Ε螢蝓爾両豺隋 

                  http://luna.pos.to/whale/jpn_miura_lily.html

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                  そもそも先にも述べたように、第一期イルカ研究も後半になるとリリーはLSD使用にのめりこんでいく。 幻覚剤を使うこと自体、アメリカ60年代から70年代にかけてのカウンターカルチャーの中で、外部世界に向けられていた革命の対象を内部世界に転じるといった意味付けがなされていたわけだが、50年代から一部で始まっていたようである。22) リリーもイルカ研究に手を染める前、50年代半ばに人間の精神を研究していた時代にすでに同僚から研究目的で LSD使用を勧められており、その時は断ったようだが23)、時代の流れも彼の体質を後押ししたわけだ。 もともと彼は脳や心に関心があってイルカに近づいたという経緯があり、ドラッグ使用を肯定的に捉えやすい体質があったと言える。 64年、イルカ研究中にドラッグで心が自分の肉体から離脱した状態を体験し、その状態がイルカによってプログラムされたのではないかとリリーは考えた。 しばらくはイルカ研究とLSD使用を並行して続けたが、結局はイルカからは離れて、LSD体験によって人間の心を研究する方向に回帰していった、と見るべきだろう。
                  リリーはスタンフォード大学の催眠研究所やメリーランドの精神医学研究センター、そしてエサレン研究所を知る。 エサレン研究所とは60年代に設立されたセラピーのための施設で、タオやチベット密教など東洋系宗教をも含むさまざまなサイコテクノロジーの実践の場となっていた。 オルダス・ハックスリーやベイトソンもここに出入りし、やがてリリー自身も密接な関係を持つようになり、一時期ここで講師も務めている。24)
                  60年代末からのリリーは仏教や禅に詳しいアラン・ワッツや、ヒンズー教やヨガに詳しいリチャード・アルパートや、さらにチリに住むオスカー・イチャーゾを尋ねてそこのグノーシス主義研究所に出入りし、スーフィズムや仏教や禅について独特の教義を学んだりして、この方面に深入りしていく。 この時期のリリーも複数の著書を出しており、邦訳されているものもある。25) イルカ・イデオロギーを扱う本論の目的からはずれるので内容についてここで検討することはしないが、要するに幻覚剤を用いての神秘体験やその方面の研究所での仕事について書かれている。 今から見れば、70年代にもてはやされたニューエイジ、およびその中のニューサイエンス26)という枠の中でリリーは動いていたと言えるだろう。 この時期、彼はいくつもの恋を体験しては愛に関する考察をも極めようとする。 しかし終始LSDを手放さなかった事実は押さえておかねばならない。  

                  ・・・

                   

                  https://www.amazon.co.jp/dp/4892031410

                   

                  文中に出てくるヒンズー教やヨガに詳しいリチャード・アルパートって人はインドでさずかったラム・ダス(神の下僕って意味らしい)の名で出してるビーヒアナウっていう本が有名である。訳者の1人である上野圭一は日本ホリスティック医学協会副会長なので帯津良一との共著もあるし、70年代には監督として「スワノセ・第四世界」っていうナナオサカキとかアレン・ギンズバーグが出てくるらしいコミューン映画作ってた。

                   

                  https://www.amazon.co.jp/dp/427232036X/

                   

                  上野圭一や三砂ちづるとの共著(対談)もあり、ロハス全盛期の中心人物だった辻信一もナナオサカキと親交があったり著書の中で山尾三省の詩とか引用してるらしいので、こうしたつながりを見る限り部族などの60年代古参ヒッピーと2000年代のロハスは明らかに連続性がある・・・っていうか、精神世界とかニューエイジって言われてたの同じ物だけどやっぱりチベットとかグルとかLSDにオウムのイメージつきまとってたからロハスって格好良い名前変えただけなんじゃないだろうか。地産地消ってのもマクロビオティックの身土不二だし、食育って言葉もマクロビ用語なので、ロハス全盛期の2000年代に広まった言葉は基本的に目新しい概念などではなくきっと昔からあったニューエイジなのである。

                   

                  ナナオは歩く(世話人・辻信一のコラム)

                  http://www.sloth.gr.jp/library/tsuji/020122nanao.html

                   

                  https://www.amazon.co.jp/dp/B000J94BQG

                   

                  ビートニクを代表する詩人ジャック・ケルアックの「禅ヒッピー」のモデルは、山尾三省やナナオサカキとともに諏訪瀬のコミューンにいたゲーリー・スナイダーとのことである。ジャック・ケルアックはアレン・ギンズバーグのオススメで鈴木大拙って人の本読んで禅に心奪われた。

                  しかし禅とかポエムとかLSDって60年代の文化であって、現在ロハスのイメージとはそこまで結びつかない。こういう文化が出てくる背景には、アメリカのイケイケぷりやベトナム戦争がビートニクや若人のあいだで逝ってよしとなり、インドやチベットや禅といった東洋の精神世界に走らせたのだと適当に解釈した。

                   

                  ティモシー・リアリー博士の生涯 2 3(YouTube)

                  https://www.youtube.com/watch?v=2vdtSnzD8YE

                  LSD界の大御所ティモシー・リアリー博士のドキュメンタリー動画を発見。

                  前述のリチャード・アルパート博士(ラム・ダス)やアレン・ギンズバーグも出てくる。


                  おさな妻

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                    喜納昌吉&チャンプルーズ,チャンプルーズ,喜納昌吉
                    徳間ジャパンコミュニケーションズ
                    ¥ 1,330
                    (1994-06-25)

                    飯村貴子、セクシービデオが嫌いな恋人・いしだ壱成は「私で十分と言っています」(2月3日 スポーツ報知)

                    http://www.hochi.co.jp/entertainment/20180203-OHT1T50077.html

                     

                    つい先日コミューン俳優のいしだ壱成が以前より交際していた24歳年下の女性と再再婚したとのことである。いしだ氏がここ何年か複雑な家族関係を売りにしており、父親の石田純一とバラエティ番組に出演しているのは知っていたが、ちゃんと見たことないので今どんな感じの顔なんだろうと画像検索したところ薄毛とK-POPアイドルばりの白塗りにびびった。

                    相手女性との結婚と妊娠を発表したのもAGAスキンクリニック広報室発毛大使就任記者発表会だったとのことで、今後は複雑な家族関係にくわえて薄毛も売りにしていくのだろう。奥さんはまだ19歳なだけあって可愛い感じの人で、ラマーズ法や畳の部屋でかどうかはわからないけどとりあえず元気な赤ちゃん生みそうな感じがした。

                    現代の若人からすると、このくたびれた爺いったい何なんだい?って思ってるかもしれないが、何度かこのブログでも言及したように四半世紀ほど前、デビュー当時のいしだ氏は新しい時代を感じさせられたものである。それまで格好良いとされていた吉田栄作や加勢大周のようなハンサムな奴らとは明らかに異質の存在で、ぼくたちのドラマシリーズで初めてその姿を見たときは衝撃を受けたし、ほどなくして俳優やファッソンリーダーとして売れっ子となった。

                    そのため石田純一の息子と認識されていたけど家族関係をオープンにすることもなかったし、むしろいしだ壱成が第一線なのに親父は俳優業よりワイドショーでばかり騒がれてちょっと格が落ちるくらいに思われていたはずだ。それがいろいろあって石田純一が東尾理子と結婚、また異母妹であるハワイ育ちのすみれがデビューして石田家に注目が集まった2010年代以降、親父に振り回されつつも同じ道を歩む息子って役まわりに活路を見出してる。

                    まずいしだ壱成は2001年にLSDと大麻で逮捕された。ここからが第一線俳優から現在の地位にいたる序章なのだが、芸能人に大人気の覚せい剤ではなくLSDと大麻ってセレクトがコミューンである。

                    しかし芸能界で薬物なんてあいさつがわりぐらいなもんだろうし、常連だった野島ドラマがヒットしなくなってたとはいえいしだ氏クラスなら普通に復帰もできたと思うのだが、何かその後決定的な不祥事あったような。とWikipediaを確認したところ、2009年川合千春と一緒に住んでたのに他の女性を妊娠させてしかも連絡をシカトしたので女性が自殺未遂と堕胎、川合に振られ事務所からも解雇されってなことがあったと書いてた。川合千春は小松千春とよく混同してしまったものの、くしゅくしゅソックス時代に売れっ子だったモデルさんで当時流行の口裂けメイクが似合いそうなおしゃ顔だった。

                    そういえばいしだ壱成は坂井真紀やとよた真帆などどっちかというと同世代か年上の女優と浮名を流していたはずで、43歳の今アラフィフ熟女行くかと思いきや今回は19歳ってとこが納得いかん。で川合千春との破局とプライベート安売りのあいだに一瞬だけコミューン育ちや反原発を売りにしてた時もあった。

                     

                    https://www.amazon.co.jp/dp/4905042399

                     

                    今だからみんなで考えたいこと。(2011年3月4日 Arrivals)

                    https://ameblo.jp/isseiishida/entry-10819818986.html

                    ・・・

                    たしか自分が11歳ぐらいの頃だった、二歳のとき両親が離婚したあと、母子家庭で当時は母と母の恋人と山のなかで三人で暮らしていた。

                    旧ソ連(現在のウクライナ)のチェルノブイリ原発が大爆発を起こしたわりとすぐ後、だったと記憶している。

                    当時通っていた、山梨県長坂町(現在の山梨県北杜市)の小泉小学校の校舎の窓からクラスメイトたちと曇る空を見上げながら『きっと死の灰が降ってくる』と不安を囁きあったものだ。

                    そしてその事故の同年か翌年に、四国の最西端に建つ伊方原子力発電所で、とある実験があった。

                    出力調整実験、という実験だった。

                    ・・・

                    それを技術がそこまでしっかりと追いついていないのに、そんな実験をするなんて、とさすがに小学生の僕でもとんでもないことだと感じた。というか、単純に恐怖だった。

                    そして、まさに、その出力調整中に、あのチェルノブイリは爆発したのだ。

                    母親からその話しを聞いたときは、ぞっとした。

                    それを、日本でやるという。

                    ついこないだチェルノブイリが同じ実験をしていて大爆発をしたというのに、やるという。

                    母たちは全国から仲間たちを募って、その実験を止めてもらう様、即刻四国電力に行くと荷支度を始めていた。自分も行く、と言った。そう言ったか、勝手に車に乗ったかよく覚えていないが、とにかくそのまま車で八ヶ岳から四国へ出発した。

                    学校は、休んだ。

                    全国から四国は高松にある四国電力本社前へ実験中止を訴えようと、数えきれない人たちが座り込みに集まっていた。

                    ・・・

                    そして、実験当日の実験開始時刻まであと一時間ほど。

                    現場がやはり、荒れ始めた。

                    声を荒げる人が増えはじめた。

                    自分の親たちも、慌しく荒々しく声を上げはじめた。

                    伊方が爆発する。

                    お願いだ、やめてくれ。

                    それが、やめろ、に変わり、恐怖と興奮と怒りとが入り混じった不穏な空気があたりを包みはじめた。一触即発の空気。

                    無論警察が介入、そしてなぜか機動隊が群をなして押し寄せて来た。

                    当たり前だが、生まれて初めてそのときに機動隊を生で見た。

                    人数は正確には覚えていないがこちら側の約200名から見ると多勢に無勢なのは明らかだった。

                    ・・・

                    やはり、武力による衝突が始まったのだ。

                    急いで起き上がるが、身体の小さい僕は圧倒的に非力だった。

                    あたりはカオス状態だった。

                    今度は機動隊員の膝蹴りを喰らった。

                    また冷たいアスファルトの地面に顔面から叩きつけられた。

                    ラジ!!と聴いたことのある声が聞こえた。ラジというのは、僕の洗礼名で、親たちにはこう呼ばれる方が多い。

                    顔を上げると、子供になんてことするんだ!!と僕を助けようと手を伸ばして叫んでいる西荻窪で無農薬野菜の八百屋を営む親(一括してそう呼びたいと思う、僕には沢山の親がいると思っている)がいた。一瞬だが、知った顔を見つけて安心した。

                    その矢先、機動隊の警棒が彼に叩きつけられ、彼は苦痛に顔を歪めてその場に倒れ込んだ。

                    あんなに優しい笑顔しか見たことのなかった人間が見知らぬ人間に殴られて、苦痛に顔を歪めている。

                    ・・・

                    そして、実験開始時刻。

                    突然、騒乱は収まった。

                    収まったというか、親たちが動きを止めて皆、一斉に地面に伏せたのだ。

                    無言の祈り。無音の時間。

                    そして実験は成功し、爆発は起こらなかった。

                    これが、僕が原発、というものに本格的に興味を持ったきっかけだ。

                    ・・・

                    読んで下さって、ありがとう。
                    愛ある日々を!!


                    No Nukes One Love.

                     

                    薪割りをしながら‥。(2007年6月2日 Arrivals)

                    https://ameblo.jp/isseiishida/entry-10035478240.html

                    ・・・

                    ん、あ、僕生まれたのは東京の世田谷区なのですが、育ったのは屋久島という島の山の奥深くなんです。っていうかジャングルのなか。
                    小学校の2年生くらいまでは東京にいて、いわゆる典型的な鍵っ子だったのですが、その後はずっと島っ子。母の『東京離れたいな〜』という突発的な(? 笑)衝動に『いいねー!』と乗っかるカタチで、作家をしている叔父、星川淳、といいます、の家族が住む屋久島に母と移住したのは小学3年に上がろうかという頃。
                    僕らが住む事になったのは、電気もガスも水道もない山のなかにぽつんと佇む木造の小さな小屋。
                    ・・・
                    とはいえ、それまで都会の生活を享受していた子供にとって、島での生活はカルチャーショックの連続。
                    先ほども書きましたが、まず電気が無い。夜なんかはいわゆるランプと蝋燭の生活です。あれほど、夜って怖いんだぁ、って思ったことはなかったです。森の木々がざわざわ揺れて、時にゴォッて音をたてて‥雨がざざぁって横殴りに小屋を揺らして‥。
                    当然、TVやらもある訳が無い。
                    やー、そうなったら読書です読書。あ、僕はもっぱら東京から持って行った漫画ばかりでしたケド(笑)
                    無論、ステレオなんぞもありませんから、音楽が聴きたくなったら夜な夜な集まって来る陽気な大人たちがお酒を酌み交わしながらアコースティックギターやパーカッションで奏でるメロディやリズム、それぞれの思いおもいの人生の唄を聴かせてもらう訳です。それも僕は何だか暖かくていいな、と思いました。だって自分たちで音を鳴らすしか無いんだもん。だけど、どこか心暖まる優しい風景。
                    ・・・

                     

                    てっきり東日本大震災に便乗して原発とかコミューン言い出したくらいに思ってたけど、今確認すると原発のことを長々語ってたブログ記事が地震の一週間前というすごいタイミングだったし、2007年時点でコミューンの話もしてた。記事読んで、そうそう福島の事故が起こるまで祝島とかめっちゃ言ってたし映画もあったなー。と記憶がよみがえったし、多島美とかいって瀬戸内の自然に脚光が当たり出したのも上関原発反対運動が関係していると当時ひそかに思ってた。

                     

                    上関原子力発電所(Wikipedia)

                    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E9%96%A2%E5%8E%9F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E7%99%BA%E9%9B%BB%E6%89%80

                    推進運動と反対運動
                    上関原子力発電所の計画に当たっては、賛成派・反対派で町内を二分するほどの激しい対立が続いている。2005年から2009年にかけて、中国電力は建設予定地での詳細調査を行い、2010年には予定地内の埋め立て工事に着手しているが、いずれの機会も反対派の町民や祝島漁民、「虹のカヤック隊」と称するシーカヤックに乗った活動家グループによる作業の実力阻止が試みられている。このこともあって、事業主体の中国電力では計画が浮上してから着工許可を国に上程するまで複数回の延期を繰り返している。

                     

                    祝島って震災以降とんと聞かなくなったので原発の計画も棚上げになったと思ってたけど、今Wikipedia↑読んだら2016年以降はまた工事着手への準備が進んでいるって書いててびっくりした。虹のカヤック隊ってネーミングはたぶんネイティブアメリカンの虹の戦士からとってると思う。(カヤックももとは先住民の船)

                    いしだ氏が参加したという四国電力の座り込みは、チェルノブイリ後に反原発運動がけっこう盛り上がってる時期だった。YouTubeで動画を見るとバブル期なのにヒッピー大集合してて、喜納昌吉やチェルノブイリ時にブレイクした広瀬隆も登場していた野草社「80年代」誌におけるコミューン主義との連続性を感じさせる。
                     

                    喜納昌吉 原発サラバ記念日&命の祭り 1988年(YouTube)

                    https://www.youtube.com/watch?v=7abXqj7YQr4

                     

                    洗礼名のラジという名で呼ばれ〜というくだりはおそらくキリストの教会でやる洗礼ではなく、ラジってくらいだからラジニーシってインド人からもらったサニヤスネームだと思う。でもWikipediaによるといしだ氏の叔父でラジニーシの訳者でもある星川淳のサニヤスネームがスワミ・プレム・プラブッダで、喜納昌吉がスワミ・プレム・ウパニシャッドとあり、それに比べるとラジって短すぎるので違う気もした。

                    西荻窪で有機野菜の八百屋を営む親(のような存在)ってのは、ほびっと村の長本兄弟商会と思われる。この八百屋にかんする本が1982年に出ているが、表紙の絵は山田真の本とかでよく見る柳生弦一郎画伯だろうか。

                    背景にはほんやら洞を示す看板もえがかれている。長本兄弟商会とはいうけど兄弟でやってるわけではないらしい。

                     

                    https://www.amazon.co.jp/dp/4794919735


                    流浪の民

                    0
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                      Osamu Kitajima
                      Psi Psychedelic
                      ¥ 2,775
                      (2016-09-16)

                      ヤマギシ会はまだやっていた --- 島田 裕巳(2013年2月17日 アゴラ)

                      http://agora-web.jp/archives/1519621.html

                      ふと、ヤマギシ会はどうなっているのだろうかと気になった。ヤマギシ会は、日本で最大のコミューン、共同体であり、理想社会の実現をその組織の目的としてきた。創立は1953年のことで、ちょうど今年で60年になる。

                      私は、大学時代にヤマギシ会に関心をもち、宗教学のゼミでの調査をきっかけに、近づき、その運動に共鳴して、メンバーになったことがあった。今から40年近く前のことである。ヤマギシ会の共同体で生活していた期間は7カ月と短かったものの、その後も、ヤマギシ会を出てきた人間たちが中心になった、共同体つくりの運動に参加し、そのあいだはヤマギシ会ともかかわりをもった。


                      当時のヤマギシ会には、学生運動に参加した経験をもつ若い人間が多かった。ヤマギシ会は、1959年に「ヤマギシ会事件」を起こし、世間の注目を集めたが、それによって危険な団体とも見なされ、一時、運動は停滞した。ところが、学生運動崩れが多数参加することで、60年代の終わりから70年代のはじめにかけて、ユニークな運動体として注目を集めたのだった。

                      ・・・

                      私が抜けた後、ヤマギシ会は、農業産業の方向へ大きく舵を切った。若いメンバーは、朝から晩まで熱心に働くようになる。そして、都会の主婦層から、ヤマギシ会の農場で生産される卵や鶏肉が自然で安全な食品ということで需要が生まれ、共同体の規模は拡大していった。

                      ・・・

                      ところが、急激な拡大はひずみも生む。ヤマギシ会の共同体のなかで、子どもに対する体罰が行われているなどとして日弁連などによる調査が行われ、その事実が明らかになることで、ヤマギシ会は社会から激しいバッシングを受けることとなった。それは、オウム真理教の地下鉄サリン事件が起こってから、それほど経っていない段階でのことで、ヤマギシ会はオウム真理教と同様に危険なカルトであると見なされたことも大きかった。

                      ・・・

                       

                      おそらく1970年代の現象と思うのだが、雑誌「80年代」の執筆陣だった新島淳良、野本三吉、島田裕巳、野草社創設者の石垣雅設、また水俣病にとりくんでいた宇井純など、ヤマギシズムやってた人がけっこう多い。「コミューン」とかいう他人どうしの共同生活が一瞬脚光をあびたものと思われるが、私がJCぐらいの時分にはすでにヤマギシ危ない連中ってのが一般的なイメージだったことから、産婆やマクロビと違い左翼が発掘したけど人気定着しなかったパターンと思われる。

                      たぶんヤマギシの主力商品って卵とか牛乳だし公式サイトを見たら「ほんもの」を売りにしてたので、三一新書が食品公害を告発していたような時代にはオバタリアンから支持され生協みたいな存在価値もあったのかもしれない。ただ牛乳の殺菌が80℃と120℃なのであまり低温ではないようだ。

                       

                      東海アマブログ

                      http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-22.html

                      日本では、資本主義的競争価値観が孤立化家族を産み出したことはあっても、それに逆行する大家族共同体を結成し、その良さをアピールする民衆運動は極めて少なかった。
                      冒頭に述べた『新しき村』をはじめ、資本主義の弊害が目立ち始めた時代にアンチテーゼとして登場した大正デモクラシーや幸徳秋水・大杉栄らによる社会主義・アナキズム思想運動から、いくつかの試行錯誤が行われたにとどまる。
                      また、1960年代に、小規模ながら、ヒッピー運動から派生した「部族共同体運動」(榊七夫らによる)が長野県富士見町などで営まれたこともあった。
                      これらは、ただ一つの例外を除いて、ほとんど有力な勢力となりえなかった。

                      その「ただ一つの例外」こそ『ヤマギシ会』であった。
                      ヤマギシズムは、ちょうどイスラエルの入植者共同体「キブツ」が登場するのと時を同じくして1953年に登場し、この両者だけが、現在、数万人を超える参画者を有し、経済的に優位な自立的地位を獲得し、世界的に共同体として成功を収めている稀少な例である。(キブツは、現在では「工業共同体」に転化している)
                      すでにブログでも何度も取り上げているが、筆者は、ヤマギシ会の本拠地である伊賀市が近いこともあり、これまで大きな関わりをもって見守ってきた。

                      ・・・

                      ヤマギシズムは、当初、思想運動の側面が色濃く、分けても、1956年から伊賀市柘植の春日山実顕地で行われた「特別講習研鑽会」によって、明確に「私有財産を拒否する農業共同体」、当時で言う「コミューン」思想を主軸に据えていた。
                      1959年に「世界急進Z革命団山岸会」と改名し、非合法な監禁に近い洗脳工作を行ったとされ、マスコミなどから大規模なバッシングを受けることになった。
                      この事件以降、「アカの過激派団体」と見なされることが多くなり、ヤマギシズムは一時的な停滞に陥った。
                      筆者も、ヤマギシズムを初めて知ったのは1969年だったが、1974年に、この「特講」に参加している。
                      このとき、ヤマギシズムの代表を勤め、特講の最高幹事だったのが新島淳良であり、奇しくも、彼は筆者が毛沢東思想に傾斜していた時代の教師ともいえる存在であった。

                      実は、1960年代後半から燃え上がった「学園闘争・全共闘運動」のなかで、最期に赤軍派などの大量殺人が摘発され、一気に意欲消沈、運動が崩壊してゆくなかで、主役であった戦闘的な若者たちの多くが、こうしたコミューン運動に幻想を抱き、ヤマギシズムに共鳴して、参画していったのである。
                      思想的オピニオンリーダーの一人であり、日本を代表する中国革命思想研究者だった新島淳良は、早稲田大学教授の地位をなげうって、全財産をヤマギシ会に提供し、一家で参画したのだった。(本人は死去したが妻や子供たちは、まだ参画している)
                      当時、筆者も「ベ平連運動」に共鳴していた一人だが、ベトナム戦争での無意味な人殺しを拒否した在日米軍脱走兵などがヤマギシ会に匿われていたと記録されている。筆者自身は立川のローカル活動家であって、鶴見俊輔らと直接の交際はなかった。

                      ・・・

                       

                      上記引用にある榊七夫とは詩人のナナオサカキで、山尾三省が購入した長野県富士見町の山地に「雷赤鴉族(かみなりあかがらすぞく)」というコミューンを作っていた。同じ部族共同体運動でも国分寺や長野やトカラ列島などやたら拠点が分散していてよく分からないのだが、そういえばだいぶ前にNHKアーカイブス的な再放送で山尾三省が出演している古いドキュメンタリーを見かけたことがあり、そのときの山尾氏は与論島に住んでいたように記憶している。

                       

                      https://www.amazon.co.jp/dp/478770382X/

                       

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                      屋久島にも住んでいたのか?高樹沙耶はじめ今でもヒッピーって都会から入植してきて自然ゆたかな山の中や南の島で共同生活したり大麻やったりしてるけど、「部族」はそのパターンの先駆けだろう。

                       

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                      にっぽんコミューンて本は1979年に出ており、ほびっと村やヤマギシのほかに奄美大島の無我利道場なんかもとりあげられているらしい。その無我利道場や前述の「部族」に詳しい動画がYouTubeにあった。

                       

                      アイ・アム・ヒッピー―日本のヒッピー・ムーヴメント’60(YouTube)

                      https://www.youtube.com/watch?v=iZVyM7lDdro

                      無我利道場の故・山田塊也を追った毎日放送のドキュメンタリー。山田氏による同じタイトルの本が1990年に第三書館(マリファナや辻元清美の著書を多く出してた会社)から出ているので、近い時期の番組と思われる。

                      スワノセってことはこれが「部族」の「バンヤン・アシュラマ」ってコミューンなのだろうか。検索したとこによると、1967年にはすでにナナオサカキなどが入植しLSDとかやっていたようだ。

                      70年代には国分寺を拠点にヤマハによる諏訪之瀬島観光開発計画の反対運動としてフリーコンサートを開催しており、そうしたコンサートの常連だったロックバンド「裸のラリーズ」は結成当初よど号メンバーの若林盛亮が在籍していた。若林氏も山田塊也と親交があったという。

                      しかしこの記録映画なんなんだろう。と思って検索してみたところ、1976年制作、監督が上野圭一、音楽が喜多嶋修、キャストはナナオサカキとアレン・ギンズバーグとのことである。アレン・ギンズバーグは村上春樹も訳したとかいうビートニクの詩人、喜多嶋修は喜多嶋舞の父親でDNA鑑定のときに光GENJIのことディスってた。

                       

                      アレン・ギンズバーグ(Wikipedia)

                      https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AE%E3%83%B3%E3%82%BA%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%B0

                      アーウィン・アレン・ギンズバーグ(Irwin Allen Ginsberg, 1926年6月3日 - 1997年4月5日)は、アメリカの詩人。ジャック・ケルアックとともにビート文学の代表者のひとり。

                      https://www.amazon.co.jp/dp/4309462987/

                       

                      今アレン・ギンズバーグを引用して、あれ?この人ってゲーリー・スナイダーって詩人とは別人なのか。と気づき、Wikipediaを確認したところ、ゲーリー・スナイダーのほうは山尾三省やナナオサカキとともに諏訪瀬のコミューンに住んでたらしい。ゲーリー・スナイダーには山尾三省との共著やナナオサカキ、片桐ユズルによる訳書がある。

                       

                      ゲーリー・スナイダー(Wikipedia)

                      https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%80%E3%83%BC

                      ゲーリー・スナイダー(Gary Snyder、1930年5月8日 - )は、アメリカ合衆国の詩人、自然保護活動家。20世紀のアメリカを代表する自然詩人。カリフォルニア州サンフランシスコ生まれ。

                      代表作の詩集『亀の島』ではピューリッツアー賞を、『終わりなき山河』ではボリンゲン賞を受賞。アレン・ギンスバーグやジャック・ケルアックなどとの交友関係は有名で、(しかし本人は、自身をビートと結び付けたがっていない)1950年代前半には「ビート・ジェネレーション」の詩人として活躍した。

                      1956年から1968年までの期間の大半は京都に滞在し、相国寺や大徳寺で臨済禅を学んだ。この時期には宮沢賢治の詩の翻訳も試み、「春と修羅」などの一連の作品の英訳が『奥地』(The Back Country)に所収されている。また、ナナオサカキ、山尾三省らと鹿児島県のトカラ列島に属する諏訪之瀬島にコミューンを作り、移住した。

                      ・・・

                      https://www.amazon.co.jp/dp/4787713825/

                       

                      なぜか旭日旗みたいなの持って爆走する全裸集団。この人々絶対ドラッグとか大麻やってる。

                      集団で歌うヒッピー。70年代のフィルム映像なのでかなり不気味。

                      無我利が問題になっていた頃の、ヒッピーは出ていけー!って行進してる映像もあるのだけど、これ当時どれくらい報道されてたんだろうか。都会から左翼が大挙してドラッグや大麻やったりテロリストかくまったりとなれば、むしろコミューンが僻地にとって本土資本や原発いやそれ以上のやっかいな存在だったにちがいない。


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