私が選ぶ名曲

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    小室哲哉が天才だと思う楽曲ランキング(11月7日 gooランキング)

    https://ranking.goo.ne.jp/column/4633/

     

    小室哲哉は80年代から活躍してたけど、私は幼女だったためTMネットワークはカメリアダイヤモンドのCMソングくらいにしか知らなかったしどっちかというと宇都宮隆のほうが人気あった気がするので、やはり年齢的には小室氏が勢いずいていく1995年前後、このブログで言うくしゅくしゅソックス時代からルーズソックス時代にかけての楽曲群がもっとも印象深く記憶に残っている。ずっと前にも書いたようにくしゅくしゅソックス時代はチャゲ飛鳥とか浜田省吾とかユーミンとか、ベテランでなおかつあまりテレビ出ないような歌手がドラマの主題歌とか歌って大ヒットすることが多かったし、若い女に向けた歌といえばとにかくドリカムだった。

    この時代は歌詞を見る限り嫁入り前の大学生〜社会人あたりが繰り広げる恋愛模様であり、中高生にむけて10〜20代前半くらいの若くて化粧の濃い女が結婚を前提としていない恋愛を歌う、今では普通となった歌手の売り出し方は当時まったくなかったように思う。それがルーズソックス時代以降は、くしゅくしゅ時代から芸能活動していた安室奈美恵や華原朋美、hitomiなどが小室氏に新たに命をふきこまれコギャルの新しい生きざまを体現するようになった。

    そういうわけで、小室サウンドは女子中高生に熱狂的に支持されたのだが、歌詞が支離滅裂でやかましいこともあってそれ以上の年齢の人のリアクションは「訳わからねぇ」というのが大半だった。これはルーズソックス第二世代から小室ファミリーにとってかわった宇多田ヒカル、浜崎あゆみ、椎名林檎あたりといった女の歌手が若人以外からもそこそこ支持されていた(少なくとも意味不明ではなかった)のとは対照的である。

     

    SHAKE YOUR BODY FOR ME(1992年 観月ありさ)

    先ほども書いたように90年代前半はあまりテレビ出ないようなベテランのシンガーソングライターがドラマやCMタイアップ等で人気大爆発することが多く、歌謡曲って感じの歌唄うアイドルはというとモーニング娘。が出てくるまで(厳密にはモー娘。に後藤真希が加入するまで)完全に廃れていた。そんななかでも東京パフォーマンスドールとか桜っ子クラブとかリボンとかココといった、乙女塾出身者などで構成されたアイドルグループは存在したし、また宮沢りえや西田ひかるのようなCMアイドルが歌を出し健闘することはあったものの、ヒットソングの主流ではなく天下のジャニーズさえ光GENJI以降は低迷していたほどである。

    だがそんなくしゅくしゅソックス時代(1989〜94年)におけるアイドル冬の時代こそが小室全盛期の伏線であった。私がもっとも初めに感銘を受けた小室ソングは宮沢りえ「ドリームラッシュ」(1989)なのだが、Wikipediaによるとこれが小室氏がトータルプロデュースを手掛けた最初の楽曲だそうである。

    TMネットワークになじみのない私にとっては、90年代アイドルプロデュースこそが小室氏の本領発揮であり、朋ちゃんはじめルーズソックス時代以降に活躍した小室ファミリーの女たちの多くがすでに芸能界で活動歴があったり、小室氏の初婚の相手がキララとウララとかいうB級アイドルの片割れだったのもそのことを示唆しているように思う。さて前置きが長くなったが、観月ありさ「SHAKE YOUR BODY FOR ME」はフジテレビ系で放送されていたぼくたちのドラマシリーズ第一弾「放課後」の主題歌だった。

    「放課後」は尾道で高校生の男と女が入れ替わる映画があったと思うがあれと同じ話であり、観月氏の相手役はいしだ壱成だった。同じドラマに当時いしだ氏とともに「フェミ男」と呼ばれた武田真治も出演しており(こちらはどっちかというと同時期放送されていたナイトヘッドって深夜ドラマで頭角を現した)、また同じく観月ありさの援助交際ドラマで初めて見た袴田吉彦などは今まで見たことのないタイプの俳優で、くしゅくしゅソックス時代前期には織田裕二、加勢大周、吉田栄作、くわえてちょっと個性的なのに江口洋介や萩原聖人がいたけど、その誰とも違う新しい時代を感じたし、ぼくたちのドラマシリーズは嫁入り前の女が繰り広げる浮ついた恋愛模様などでもなければ学ランやセーラー服でもない、ブレザー(必然的にスカート短い&非ヤンキー)の学園ドラマというのも非常にくしゅくしゅ的だったのである。

    観月ありさの楽曲で小室プロデュースといえば同年に発表され同じアルバムにも収録されている「TOO SHY SHY BOY」、キリンシャッセという瓶に入ったフルーティーな微炭酸ジュースのCMを思い出される方が大半だろうが、有名曲なだけあって私にはいささか大衆的すぎるというか、格好良さでは断然「SHAKE YOUR BODY FOR ME」だ。いづれにせよ手つなぎやキッスでドキドキするといった学生さんらしい爽やかな恋愛ではなく、男をリードしどことなくコギャルをも感じさせる強気な少女、そういう歌詞を92年時点でアイドルに提供しちまうところに小室さんの先見性が垣間見える。

     

    キスは少年を浪費する(1993年 東京パフォーマンスドール)

    東京パフォーマンスドールは解散後に篠原涼子や市井由理が在籍したことで有名になったアイドルグループで、活動中は吉本興業などのお笑い番組でよく見かけた気がする。この曲を知ったのも確かダウンタウンの番組だった。

    この曲は作詞が売野雅勇なので小室氏の歌詞とはまた違う、ちょっと妖しい世界観が小室ソングの中では新鮮なのにくわえ、やけにノリノリで東京パフォーマンスドールの楽曲の中でもひときわ異彩を放っている。のちに元メンバーの篠原涼子が独りで歌った「恋しさとせつなさと心強さと」(1994年)が人気大爆発したことが小室時代の幕開けとなった。

     

    寒い夜だから(1993年 trf)

    この曲を初めて聞いたのは、フジテレビがHEY!HEY!HEY!の前に一瞬だけやってて飛鳥の怒りを買ったことでも有名な古館伊知郎司会の歌番組「MJ」であったと思う。この年にデビューしたtrfはアップテンポの「EZ DO DANCE」がすでに有名だったが、本格ブレイクしたのはこの曲以降であり、もしかするとTHE BOOMの島唄みたいにMJの放送がきっかけになって売れたのかもしれない。(WikipediaによればMJがヒットさせたのはBOOMと橘いずみだけだそうだが)

    この曲を聴くと本当に1993年の冬がフラッシュバックするようである。trfは小室時代初期にヒットを次々と飛ばし、MJに変わって始まったHEY!HEY!HEY!にも初めのころはしょうっちゅう出演していた。

     

    CANDY GIRL(1995年4月 hitomi)

    この曲は制服の女子高生が出演するコダックの使い捨てカメラのCMソングだった。プリント倶楽部が出てくる直前でもあり、すでに盛り上がっていた自撮り文化が爆発せんとする頃である。

    まだ始まって半年くらいのHEY!HEY!HEY!で、すごいミニスカートのハレンチな女が私に声かけてきてねとか歌ってるのを聴いたときはとってもびっくりした。その時の動画あるんじゃないかと今しがた確認したところ、hitomiはミニスカートではなく韓流アイドルばりのショートパンツをはいていたのだったが、とにかく脚の主張がすごくてさすがサーファー雑誌のモデルだっただけありコギャルの生足感覚を先どりしていたと思う。

    小室作品の中では地味ながらhitomiによる歌詞も秀逸で、この曲によってルーズソックス時代が幕開けしたといっても過言ではない。ちなみにhitomiってこの前にも何か曲出してたような気がして調べたところ2曲出しており、そっちも小室作曲でポケベルのCMソングだったそうだ。

     

    Feel Like dance(1995年8月 globe)

    前述の「寒い夜だから」以降trfが人気爆発し、1994年「survival dAnce 〜no no cry more〜」「BOY MEETS GIRL」1995年「CRAZY GONNA CRAZY」と順調にヒットを飛ばし続けたが、1995年2月発売のカメリアダイヤモンドCMソング「マスカレード」から「ん?」となってきた。そして同年8月、この「Feel Like dance」でglobeがデビューすると、その曲を初めて聴いた者たちは皆trfが歌っているものと思って疑わなかった。

    倉木麻衣がデビューしたとき誰もが宇多田ヒカルと思ったように、矢井田瞳がデビューしたとき誰もが椎名林檎と勘違いしたように、globeの第一印象は完全にtrfだったのである。しかしglobeがtrfの上位互換であることに気づくと、皆は一瞬でtrfを忘れ去った。

    小室さんがglobeに力入れるぜ!ってなったとたんtrfが目に見えておざなりになってきて、今思うとその予兆が「マスカレード」だったのだろう。篠原涼子も、朋ちゃんに力入れるぜ!ってなったため提供曲が雑になり、trfと篠原涼子は小室全盛期を決定ずけた二大巨頭でありながらもルーズソックス時代の荒波を生き抜くことはできなかった。

    そういう点では「CANDY GIRL」同様、trf・篠原体制のくしゅくしゅソックス時代に終止符を打ち、華原朋美や安室奈美恵など小室ファミリーが第二世代に刷新するうえで非常に意義深い曲だったのである。ただglobeは他のファミリーに比べると比較的コギャル色(仲間たちとか街じゅうさすらうとか何が正しいか分からないといった価値観)は希薄だった。

     

    keep yourself alive(1995年9月 華原朋美)

    華原朋美のデビュー曲で、この時点ですでになぜか小室さんの彼女と知れ渡っていた。Wikipediaによると華原朋美の生き様を小室氏が詞にしたということだが、傷を抱え刺激や欲望うずまく街じゅう彷徨う若い私だけどいつか素直な自分を誰かに見せたい(管理人要約)・・・みたいなルーズソックス感満載の歌で、そのさすらってた街じゅうで誰か(小室さん)に出会えた感動と素直な自分を必ず(小室さんに)知ってもらうという決意を(小室さん作詞で)歌ったのが「I'm proud」と考えられるので、2曲同時に聴いて華原朋美の半生に思いをはせていただきたい。

    keep yourself aliveを出した時点ではまだ朋ちゃんはテレビ出てなく、少なくとも私はミュージックビデオの一部を見ただけだったため、不思議な化粧をし真剣な表情で蛍光灯を持つ姿に引きつけられた。キティーちゃんだつゆだくだというキャラが判明したのはおそらく「I BELIEVE」以降と思うが、歌の内容や服装もさることながらその生き方が飯島愛と並びルーズソックス世代の先輩格だったと思う。

     

    安室奈美恵さんのベストアルバム 5日間でミリオンセラーに(11月14日 NHK)

    http://www3.nhk.or.jp/news/html/20171114/k10011222411000.html

     

    というわけで以上が私の名曲セレクションだが、小室プロデュースあるいはルーズソックス第一世代の代名詞存在でもある安室奈美恵の歌は入っていない。安室氏が小室プロデュースになったのは1995年10月発売の「Body Feels EXIT」以降であり、その前にすでに安室氏は「TRY ME」「太陽のSEASON」「Stop the music」といったユーロビトの楽曲群ですでにルーズソックス化していたため、小室プロデュースに関してはいつの間にか切り替わってた・・・って感じで、他の歌手に比べてあんまり記憶になく、どっちかというと「TRY ME」が出たときの方が強く印象に残っているのだ。

    先々月に引退を表明し、店内音楽でもよく安室氏が流れるようになり、このCD売れない時代に8日発売のベストアルバムが100万枚突破したということで、引退はまだだいぶ先ながら安室フィーバーが起こっている。ベスト盤は全盛期の小室プロデュース作品はもちろんのこと、コーンフレーク全盛期下のシリアルアイスCMソング「ミスターUSA」(1992年)や同じくロッテのCMでもっとも最初期に安室氏を世に知らしめた「愛してマスカット」(1993年)、また人気がウナギのぼりになっていったユーロビートなど、くしゅくしゅソックス時代から混迷のルーズソックス時代にいたる代表曲すべてが、現在の本人による歌唱で収録されているとのことで、感慨深いなー。と、聴いてもないのに思った。

    しかし途中で小室ファミリーの時代が終わったにもかかわらず、いかにして安室氏はここまで来たのだろうか。1997年の初めに「CAN YOU CELEBRATE?」が大ヒットしたのだが、これは小室氏の才能が衰えるギリギリのタイミングだった。

    しかし小室さんが飽きられつつあったことも手伝ってか、この頃になると安室ちゃんも調子乗ってるとかやる気ないとか言われ、そのテンションの低さから叩かれることもそこそこあったように記憶している。それが10月の結婚妊娠発表をさかいに祝福ムード一色に変わり、その後産休から復帰後も家族の不幸がありながら淡々と頑張る姿に皆が心打たれ、のちに子育てしながらマイペースに活動、その衰えを知らぬ可愛い容姿もアンチエイジングの時代に合致し大人女子となったルーズソックス世代のあこがれの存在であり続けたという訳である。

     

    安室奈美恵、小室哲哉と再会の握手 16年ぶりコラボ曲「How do you feel now?」で“渋谷ジャック”(11月15日 モデルプレス)

    https://mdpr.jp/news/detail/1727934
     

    またこのアルバムに小室ソング「How do you feel now?」も収録されているという。CMで流れる部分を聴いた限りでは「あの時代熱かったよね」と激動のコギャル時代を振り返る、押切もえの姿が何故か脳裏に浮かんだ。


    くしゅ字

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      10年ぐらい前に畠山鈴香って人が自分の子供とその友達を殺害し、連日ニュースで騒がれていた。私自身は殺人事件とかあんまり関心なかったが、それよりネットで見かけた卒業文集の寄せ書き画像に目を奪われた。

      畠山鈴香は1972年度の早生まれ(1973生まれ)のようなので、卒業文集は1991年の3月である。全部文字が同じなので畠山が自分で書いたんじゃないかとも書かれてたけど、脱丸文字し始めた4,5年間の女子高生の字ならばこんなもんだ。

      たまに男の文字があったり丸文字を書く人もあるが、ハネが大きかったりタテ棒が長いのがくしゅくしゅソックス時代特有の文字であろう。また手書きではない文字にもくしゅくしゅ時代の流行があった。

       

       

       

       

       

       

       

      こういう音楽関係のジャケット等において、カクカクした切り絵みたいな読みにくい文字を80年代後半から90年代前半のごく限られた時期によく見かけた。この字はやはり95年あたりをさかいに消え、それに変わったのが下画像のソックタッチや篠原ともえのCDみたいな文字である。(ソックタッチのデザインはおそらく20数年以来変わっていない)


      今はだめ

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        フジ社長「保毛尾田保毛男」謝罪「同性愛者を侮蔑」批判の声受け(9月30日 スポーツ報知)

        http://www.hochi.co.jp/entertainment/20170929-OHT1T50315.html

        フジテレビの宮内正喜社長が29日、都内・同局で行われた定例社長会見で、28日放送の「とんねるずのみなさんのおかげでした 30周年記念SP」で、とんねるずの石橋貴明(55)扮(ふん)するコントのキャラクター「保毛尾田保毛男(ほもおだ・ほもお)」が同性愛者を侮蔑したものだと一部で批判されたことについて謝罪した。

        青ひげが特徴で、共演者から「ホモでしょ」と指摘されると、「あくまでそれはうわさで」と答える内容。石橋が同キャラを演じるのは28年ぶりだった。放送開始から29日正午までに電話やホームページを通じて、同局に「時代にそぐわないのでないか」「30周年特番懐かしかったです」といった意見が約100件寄せられた。

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        保毛尾田保毛男はたぶん90年代初頭(くしゅくしゅソックス時代)のネタだったので、私もそういうキャラ居たのは覚えている。どっちかというと仮面ノリダーとかモジモジ君の方が人気だったが。

        子どもの頃はとんねるずや志村けんやフジテレビがおもしろくてしかたなかったけど、中学時代からダウンタウンやナインティーナイン(吉本印天然素材)の方が人気になってきて、その後日本がルーズソックス化すると、とんねるずや秋元康のような80年代的笑いは時代遅れになっていた。そのため、もうとんねるずみたいな笑いオワコン。と思ってから、20年以上をへた今なお「みなさんのおかげ」とかいう番組やってるのに驚く。

        お笑い番組とはいえ現代のお子さんがたってこんなの見るんだろうか。ヒカキンとかの方がおもしろいと思うが・・・

        それにしても今回の炎上で思ったのは、そういえば「ホモ」って言葉あんまり聞かなくなったなー。ってことだ。そのかわり長谷部健が渋谷区長になってから、LGBTって言葉を流行らそうとしてる気がする。

        ホモ同様にあんまり聞かなくなったのが格好や言葉が女みたいな「おかま」で、何年か前IKKOなどそういう人が芸能界にいっぱい出てきたときに「おねえ」って言うようになったんだが、おねえ系といや2000年ころには赤文字系、つまり化粧ケバいけどギャルよりコンサバな「おねえさん」を指す言葉だった。そしてその前の保毛尾田保毛男の時代には「ミスターレディ」なる言葉も存在した。

        これはおもに「上岡龍太郎のズバリ」って番組で使われており、同番組は豊田真由子様がブレイクしたさいかって「東大生50人」みたいな回に出演しジュリ扇(ジュリアナの羽扇子)を振っている若き日のお宝動画がTBS系報道番組で発掘されていていたのをごらんになった方もいるかもしれない。もっとも人気があったのが無名時代のはるな愛も出演していたらしいミスターレディ50人のシリーズで、YouTubeで見たところこのシリーズをやっていた頃はTバック全盛期なこともあって、お立ち台ギャル50人の回同様に皆きわどい服装で自慢のおっぱいや尻などをアッピールしているのだが、よくこんなの夜7時から家族で見てたよなと、くしゅくしゅソックス時代の破廉恥さにあらためて気づかされた。

         

        1993年東大女子50人出演(YouTube)

        https://www.youtube.com/watch?v=gIOH42o7Gr0

         

        上岡龍太郎50人カマリンピック1香子.mpg(YouTube)

        https://www.youtube.com/watch?v=BMmdgZsbGDU

         

        1500M走(YouTube)

        https://www.youtube.com/watch?v=izZfUIqEd1M

         

        ガキの使い Mr レディ勝ち抜き腕相撲!!(YouTube)

        https://www.youtube.com/watch?v=qSe8GOI8gcg

         

        私がくしゅくしゅソックス時代と呼んでいる90年代初頭は基本的にそういう時代で、まだそんなにテレビの表現とかうるさくなかったので、1993年あたりをピークとして深夜帯でなくてもおっぱいとかTバックよく映っていたし、前述した上岡龍太郎の番組でもオカマ言いまくっているのだが、この時代にもポリティカルコレクトネスという概念がなかったわけではなく、むしろそういうのにうるさくなり始めた頃で「黒人」「土人」「未開人」系はすでにやばかったと思う。

        私が幼き頃はおもちゃといえば何がなくともタカラ社であり、ロゴには抱っこちゃんがデザインされていたのだけど、私がおもちゃを卒業しようというくらいのタイミングで抱っこちゃんがロゴから消えたし、ちびくろさんぼが告発されたのも同時期で、その後スチュワーデスとか看護婦とかも公には言わなくなった。それらに比べると「ホモ」「オカマ」あたりはまだ最近っていうか、それこそLGBTって言い出した現在進行形の議論なので、今後も同様の炎上が起きると予想する。

        また90年代初頭の同性愛者事情を回想するうえで、「保毛尾田保毛男」「ミスターレディ」と並び思い出されるのがエイズである。今はあまりエイズって言わなくなったし、川田龍平を見るかぎり、医学の進歩なのかHIVに感染してもエイズを発症せずにすむようだが、この頃はエイズといえば性行為で感染即死亡。特に同性愛者。ってイメージだったし、たぶん実際そうだったと思う。

        以前くしゅくしゅソックス時代は骨粗鬆症の恐怖とカルシウムの重要性がうたわれた時期と回想しているが、当時エイズは骨粗鬆症以上にガクブルで、もうエイズとオゾン層破壊で人類オワタくらいに思っていたし、また日本消費者連盟の本読んで資生堂の化粧品とか使ったら肌ボロボロになって死ぬ。とガクブルしてたし、とにかくいろいろとガクブルしていた。こういう意識はなぜかルーズソックス時代以降とんと消滅するのだが、エイズも1995年3月に川田龍平が実名で告発してから「性行為」「同性愛」から急速に薬害事件のイメージに変わった。

        というわけで「保毛尾田保毛男」「ミスターレディ」「エイズ」と、くしゅくしゅソックス時代にはさまざまな形で偏見にさらされ注目を集めた同性愛者もルーズソックス時代以降はコギャルのほうが強烈だったせいか、それこそ「おねえ」って言われる時代になるまで話題になること自体が少なかったように思う。2010年代以降は女の化粧がまた太眉と口裂けになってJKの靴下がくしゅくしゅするなど世の中が急速にくしゅくしゅ化しているため、ふたたび同性愛者やフェミ男(今で言うジェンダーレス男子)にスポットライトが当たってきている。

         

        コンドマニアはなぜ原宿の一等地に?実は儲かっているその実態

        https://www.fashionsnap.com/inside/condomania-coverage/

        コンドマニア原宿店は1993年の2月にオープンし、今年で創業23年目。キャッチーな外観が目印で店内は広さ4.5坪とコンパクトな作りになっている。

        根岸氏は「オープンした90年代の前半は、フレディ・マーキュリー(Freddie Mercury)やキース・ヘリング(Keith Haring)など、ミュージシャンやアーティスト、スポーツ選手たちがHIVであることをカミングアウトし、世界的に話題になっていました。コンドームを買うとしても町の薬局やドラッグストア、スーパーでしか手に入らなかったんです。そのためHIVをコンドームで予防しようという認識も無いに等しい状況でした」と当時を振り返る。同社には当時アパレル事業部があり、海外に買い付けに行った際に、HIVを予防する活動を目にする機会が多かったという。「遅かれ早かれ日本でも問題になると思い、HIV予防を啓蒙するために何かできないか」と思い立ち、1号店を六本木に出店した。

        原宿店はそれに続く2号店という位置付け。日本では買うことが恥ずかしいとされるコンドーム、専門店をやるとしても裏道に開業するのがセオリーだ。だが同社では裏道でHIV予防を啓蒙することが難しいと判断し、人の目につきやすい原宿の一等地にオープンさせた。「だめだったらすぐ撤退しようと考えていた」という根岸氏の思いをよそに、オープンからTVや新聞、雑誌など多くのマスコミに取り上げられたことで順調な滑り出しを切った。

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        わがお人形遊び史

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          コーンフレーク全盛時代、ケロッグのCMがやたらアメリカンなノリで全然可愛くないしウザかった。と先日回想したが、そういえば90年代初頭にかけていかにもアメリカンなノリが凄い嫌いだった。アニメなんかも、日本のはドラえもんとかドラゴンボールとからんま2分の1とか面白いのに、アメリカのはトムとジェリーみたいに捕食者が小動物を追いかけて壁に激突したり崖から落ちるようなのばっかりで子ども心にすっげーつまらんと思っていた。

          あとマクドナルドも昔はもっとアメリカンなノリで、ドナルド含めなんかいっぱいいたキャラ全員可愛くなかったし、アメリカに対してもっとも可愛くないと思っていたのがバービーって人形である。リカちゃんが少女的かつ日本的な見た目に対してバービーはババ臭いわ無駄にリアルだわで、パパお人形ほしー。ってリカちゃんと間違えて買ってこられたら鬱で寝込むレベルだった。

           

          CMですよ〜168「バービー」(YouTube)

          https://www.youtube.com/watch?v=nDSTo9wooxw

           

          もうこの静止画↑切り取っただけで、いかに日本市場を無視したアメリカンなノリのCMかお分かりいただけるはずだ。しかしYouTubeでさっき関連動画見て、リカちゃんの友人であるジェニーがバービーであったことを初めて知った。

          ジェニーはブロンドだし名前からもアメリカ人の設定のような気がするが、見てのとうり本家のバービーとは全然違う日本人好みの顔面であり、リカちゃんと人気を二分したかもしかすると私世代ではリカちゃんより人気があったかもしれない。ジェニーは1982年の発売で、マテル社とのライセンス契約が切れたことにともない改名を余儀なくされたようだ。

           

          1984年CM タカラ タッチトーン バービー 人形 Barbie ソフラン(YouTube)

          https://www.youtube.com/watch?v=uwTNZpKYhoE

           

          あとジェニーの友人にティモテもいた。もちろん川のほとりでたらいに水張って髪洗う日本リーバのシャンプーから生まれたキャラで、北欧なせいかジェニーよりまたひとまわりブロンドでかなり色素薄い系である。

          持ってはなかったけどそういう人形あったって全然覚えてるので、シャンプーとともにけっこうヒットしたはずだ。でもティモテってブランド自体がかなり短命だった気がする。

           

          【懐かCM】1980年代 タカラ Timotei ティモテ 〜Nostalgic CM of Japan〜(YouTube)

          https://www.youtube.com/watch?v=KozaZ_xDjBg

           

          YouTubeで初めて見たが、ジェニーのお友達にジュリアナちゃんというお立ち台ギャルもいたそうだ。こういうお立ち台(羽扇子、Tバック)が注目を集めたのは私の記憶では1993年だけなので、ティモテ以上に短命だったと思われる。

          ジェニーにお立ち台ギャルの一面があったことにドン引きしたが、くしゅくしゅソックス時代ならこういう人形が出てきても何ら不思議ではなかった。もしかしたら10年くらい前にもリカちゃんのお友達のキャバ嬢アゲハちゃん、スジ盛りできるヘアドレッサーみたいなのが発売されていたかもしれない。

           

          【懐かCM】1993年 TAKARA タカラ JENNY ジェニー JULIANA ジュリアナ 〜Nostalgic CM of Japan〜(YouTube)

          https://www.youtube.com/watch?v=x9BfZBWwKSc


          トニーの過去

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            評価:
            アラン・パーカー
            JVCエンタテインメント
            ---
            (2001-10-26)

            コーンフレーク世代の私はケロッグといえばやたらアメリカンなノリと体型の虎が現れコーンフレーク食べたお子さん力が湧いてきてグーレイトォッ言うイメージが強く、子供心に全然可愛くなかった。しかしYouTubeで歴代のCM動画を見る限り、どうもあんなノリになったのはバブル期以降で、それより前の虎はもっと可愛らしい絵柄でトニーではなくとらチャンって名前だったようだ。

            そして私が子供の時のコーンフレークはだいたいプレーン(味なし)、フロスト(砂糖)、チョコ味、いちご味あたりのコーンフレークが鉄板だったが、とらチャン時代はシュガーポンやハニーポンといったシリアルが主力で、これはコーンフレークではなかったらしい。40代より上はあまりシリアル食べない気がするので、シュガーポン時代はまだシリアルが朝食としては根づいてなく、お菓子だったんじゃないかと思って調べてみると、やはり目新しさやおまけに釣られてごくまれに買ってもらう感じだったようだ。

            私が中学生くらいのときには普通に朝コーンフレークを食べることもあり、それはケロッグが子供番組でトニーのCMを流しまくって、シスコ以外にもいろんな国産シリアルが参入したことで、ルーズソックス世代あたりからシリアル文化が定着し購買層の年齢が上がるにつれ現在のグラノーラ人気に発展したと思った。またバブル期からくしゅくしゅ時代にかけては、今と違ってレンジでチンとかカロリーメイトみたいに、栄養を添加したような食品で軽く済ますほうが文明的って思われていた気がする。

            そのなかでも大塚製薬のザ・カルシウム、サントリーの鉄骨飲料がさかんに宣伝されていたように、骨粗鬆症の危険とカルシウムの重要性がうたわれていたのがこの時期だった。なので、コーンフレークがいくらお菓子だと言われようとも、牛乳をかけていることによってカルシウムが容易に摂取できていることを考えれば、私にとってこのうえない健康的な朝食だったのである。

            牛乳はモ〜毒(猛毒)とかGHQの陰謀と言われるようになったのは、わりと最近、ここ10年くらいか?の風潮で、私が記憶している限りくしゅくしゅ時代はコーンフレーク全盛期であると同時にカルシウム全盛期であり、牛乳や乳製品が体に悪いとは聞いたことなかった。意識高い系のあいだでは、LL(ロングライフ)牛乳が危なくて低温殺菌がいいっていうのはあったけど、これも「原価」「炭酸で骨溶ける」同様、最近あんまり聞かなくなった説だし、そもそもロングライフも低温殺菌もあんまりメジャーじゃない気がする(パスチャライズ牛乳てのはよくあるが)。

             

            【第15話】反対から創造へ《牛乳編》(大地を守る会)

            http://www.daichi-m.co.jp/history/2606/

            日本にLL牛乳が誕生したのは1976年。雪印乳業の試験製造に始まり、翌77年には明治、森永といった大手乳業メーカーも発売を開始した。その直後から消費者団体から批判の声が上がり始めるのだが、ここに生協運動の草分けと言われた兵庫県の大手生協が販売を始めたことによって、「よつば牛乳」の共同購入グループが猛反発し、以後、生産者(酪農家)・消費者を巻き込む形でLLミルク反対運動が広がっていった。

             

            背景をちゃんと説明すると長くなるが、当時は一大生産地である北海道の牛乳が、酪農の近代化(機械化と大型化)路線によってダブついていて、常温流通と長期保存可能な牛乳(=安い牛乳)によって販売を増やしたいとの大手乳業メーカーの思惑がはたらいたと言われる。また常温流通は牛乳の輸入に道を開くという指摘もあり、危機感を抱いた関東の酪農家による「缶詰牛乳(LLミルク)絶対反対!総決起集会」が開かれ、「牛乳の南北戦争」と呼ばれる事態にまで至るのである。

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            しかしアメリカから来ておまけで子どもたちの心を掴む手法、砂糖や牛乳まみれで、いかにもロハスから否定されそうな朝食であるにもかかわらず、これにかんしてはハチミツ同様、シリアルがとくに良いとか悪いとか言われてる様子がないのは不思議だ。おまけで子どもを釣ってアメリカンな食文化を刷り込むってのはマクドナルドだとすごいおどろおどろしく語られているのだけども、マクドナルドはパンや砂糖ではなく、もっぱら肉食の代名詞として否定されているのである。

             

            いいなCM ロッテ シリアルアイス 安室奈美恵 (SUPER MONKEY'S)

            https://www.youtube.com/watch?v=YP1hY44i3E4

             

            コーンフレーク全盛期にはシリアルアイスというコーンフレークのくっついたアイスもあり、CMではまだスーパーモンキーズだった安室ちゃんが「ミスターUSA」とこれまたアメリカンな歌を歌っていた。安室氏はマスカットガムなどブレイク前からロッテのイメージが強く、ルーズソックス時代以降もCMに出演していた。


            わがシリアル史

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              パンの特性上、主食として米と競い合うのはもっぱら朝食と給食であるが、朝食において現在パンや米をおどかしつつあるのがシリアルではないだろうか。パンがいくら欧米化と言われてもやはり明治もしくは広く食べれるようになった戦後以来の歴史があり、ラーメンのように日本人好みに進化して定着したのに比べ、シリアルはいまだにアメリカのイメージが強いし、どう考えてもお菓子とそんなに変わらないような食べ物なのに牛乳と組み合わせ「栄養」「食事」としてのメリットを強調されているのはアメリカ小麦戦略期におけるパンのゴリ押しをも彷彿とさせる。

              そんなシリアルは2010年代以降だろうか、売り場のほとんどをグラノーラを占めるようになった。私は味のないコーンフレークがけっこう好きなのだが、たまにケロッグの鶏の奴が置いてあるくらいで、そんな高いメーカー物いらねぇと思っても現在はプライベートブランドがフロストとチョコ味を出している程度で、味のない奴は香りの弱い柔軟剤を見つけるくらい困難な状況となっている。

              フロストやチョコは牛乳がほんのり甘くなるのが良いというファンがついてかろうじて生き残っているのだろうが、味のない奴だって余計な甘みがないぶんヨーグルトやパフェと食べたらちょうどよく、さくさくした軽い食感と素材本来の甘味がおいしいと、現代のお子様がたは思わないだろうか。グラノーラ全盛期によってコーンフレークがすみに追いやられた今、小中学生を過ごしたくしゅくしゅソックス時代(1989〜94)にコーンフレーク全盛期の洗礼を受けたコーンフレーク世代の私はこれ以上ない寂しさを覚えるのであった。

               

              ブラウンシュガーCM【チャーリー・ブラウン】1993 カルビー(YouTube)

              https://www.youtube.com/watch?v=gFHuCM0v1qo

              私がくしゅくしゅ時代にもっとも食べていたのはカルビーのコーンフレークである。YouTubeで動画を見ると1991年時点ではアメリカ意識したようなケロッグのでき損ないみたいなキャラがデザインされており、明石家さんまがCM出演していたことが確認できるが、そのバージョンは全く記憶にないのでおそらくこのスヌーピーにリニューアルしたことが現在のフルグラ人気にも通じるカルビー社製シリアルの地位を決定ずけたにちがいない。

              カルビーのシリアル=スヌーピーのイメージは根強く長年採用されていたが、あるときから外箱を廃した簡易包装となり、グラノーラと違って中身割れるだろ。と心配したものだが(そんなこと言ったらポテトチップスも外箱ないけど)、グラノーラ人気が決定的になると袋からスヌーピーの絵も消え「ブラウンシュガー」「トッピンチョコ」から「毎朝フレーク」とかいう味も素っ気もない名前になり、今やカルビーはコーンフレーク事業から撤退してしまった。CMを見ると5つの味を展開していたようだが、右2つの味のない奴とはちみつ&りんごはどうもスヌーピーの絵がついていないせいか?まったく記憶になくカルビー製のはブラウンシュガーやトッピンチョコ、いちご、またこの動画にはない「チョコパフィ」というチョコ味のポン菓子のような奴など、フルグラ全盛期の今見ると、お子様向けの味つけが多かったように思う。

              フルグラは2000年代初頭にフルーツグラノーラの名前で売り出し、その頃から私もこういう甘い菓子みたいなコーンフレークよりフルーツグラノーラ、ケロッグでは玄米フレークやオールブランなど歯ごたえのあるシリアルを好むようになり、トニーの出てくるようなCMも見かけなくなった。スヌーピーやトニーのコーンフレークで育ったルーズソックス世代が大人になるのとともに、シリアル市場も子供向け一辺倒から変化していったのかもしれない。

               

              【懐かしいCM】ケロッグ コーンフロスト(1988)|JAPAN commercial

              https://www.youtube.com/watch?v=6B1OD1FRqoI

              われわれルーズソックス世代にはなじみ深いのがケロッグのCMである。日曜の朝のイメージがあるので、ビックリマンだかタルルート君だかアニメの提供だったんじゃないかと思うのだが。

              ケロッグは虎の他に猿もいたけど、やたらアメリカンなウザいノリと絵柄で、スヌーピーと違いあんまり可愛いとは思わなかった。なのでケロッグにかんしてはお子様向けのよりも鶏の奴とか玄米フレークとかの方がなじみ深い。

               

              【なつかCM】1977年夏(1977/07-08)

              https://www.youtube.com/watch?v=tmSc2N6hTcg

              YouTubeで昔のCM動画を見てみると、全く同じ構図ながらアニメが水島新司なうえに虎の絵柄も非常に大味で私の知っているグーレイトォッ!ていうアメリカンなノリがウザいケロッグとは全く違うイメージだ。それよりこの動画、古いVHSを発掘〜って書いてるのけど、70年代ってまだ全然ビデオ普及してなく、機械はもちろんテープも高いので、家庭用のビデオがあったとして上から新しい番組録画されてたりCMがカットされてたりする(今見るとCMの方が貴重)もんなのに、CMめっちゃ録れててすごいと思った。

              70年代はハニーポンとかシュガーポンていうシリアルが主力だったようだ。いちおう90年代まで生きながらえていたらしいけど全然聞いたことない。

              これはおまけがついているなど完全にお子様向けだったようである。ポンって名前ついてるからポン菓子ぽい?見た感じ牛乳入れるとプカプカ浮く系シリアルと思うのだが。

               

              【懐かCM】1982年 Kellogg's ケロッグ コーンフレーク 〜Nostalgic CM of Japan〜(YouTube)

              https://www.youtube.com/watch?v=mAi99bbABgI

              おそらく鶏バージョンの奴と思うが、80年代はいっとき白人女性のパッケージになった時期があったらしい。着物のオッサンが「アメリカ式もいいが日本人は朝くらい・・・」と言いながらもコーンフレークをうまいっというCM。

              このオッサンくらいの世代だと朝シリアルを食べる習慣はまずないと思われる。当時は子供でも今ほどなじみがなかったんじゃないかと思うのだが、味のない奴はこうやって大人向けにも宣伝していたのだろう。

               

              懐かしいCM 永谷園 「ドラえもんシリアル」(YouTube)

              https://www.youtube.com/watch?v=vr4GNe6_uUQ

              現在のシリアル市場はおそらく本家アメリカのケロッグと、日本人好みのカルビーが二強で、あと老舗シスコーンブランドを守り続ける日清シスコが後を追うような感じに見受けられるが、コーンフレーク全盛期のくしゅ時代には永谷園製のコーンフレークが存在し、ドラえもんの絵がついていたためか可愛さ重視の私はスヌーピーの次くらいによく食べたように思う。お菓子メーカーはともかくふりかけという完全異業種の参入であり、フロストとチョコの二つの味がブレンドされていたり、ビスケットが入っていたりなどコーンフレーク界の異端児だった。

              ケロッグやカルビーがキャラクターを前面に出しながらも中身はただの甘いとうもろこしだったわけだが、ドラえもんシリアルはビスケットを入れさらにドラえもんの絵がついているなど芸が細かく、また牛乳で湿ったビスケットの食感がマックフルーリーやクッキークリームのアイスがなかった時代にはずいぶん新鮮に感じられた。そんな私はドラえもんシリアルなき今、オレオを一口サイズに砕いて牛乳をかけシリアルのように食べたりもする。

              まさに応募者全員サービスのこのボールで食べていたので、懐かしさはカルビーの比ではない。永谷園がコーンフレークを発売していたことなど誰もが忘れた頃、ケロッグのシリアルにドラえもんの絵が使われているのを見たときは、お前さんがケロッグに寝返っても永谷園のことは忘れないよと心の中でつぶやいた。

              永谷園といえばいわずとしれたふりかけとかお吸い物の会社であるが、ルーズソックス時代には「トッピー」という、パンにかけるふりかけも作っていて篠原ともえがCM出演していた。90年代の永谷園は、ふりかけとかお吸い物(つまり和食)はダサいぜ。とばかりに、シリアルやパンといったヤングで欧米な朝食にアプローチしていた時期だったのだろう。

               

              日清シスコ Ciscorn  原由子  1992 「眠れぬ夜の小さなお話」から「友達でいようね」(YouTube)

              https://www.youtube.com/watch?v=ziHINg-SrKc

              お菓子のチョコフレークも1968年以来の歴史があるということなので、シスコ社は国内シリアルの最古参メーカーと思われるのだが、私はシスコーンを食べた記憶がまったくない。90年代初頭のシスコーンは箱に絵がついてないようなので、他メーカーに比べると見劣りしたのだろう。

              そのかわり原由子がシスコーンのCMに出演していたのは覚えている。やたら可愛い声の歌をバックに「おいしいだけじゃないんだよ〜♡」と、やたら可愛い声のナレーション、それが原坊の声なんだと言われればそれまでだが、本人が出演しているので「この声と見た目が合ってないおばちゃんいったい何」と思っていた。

              そして四半世紀をへてYouTubeを介しふたたびこのシスコーンのCMを見たけど、やはり当時と感想は同じで、原坊本人が出演していることに強い違和感をおぼえる。また関連動画で見かけて知ったのだが、この頃日清シスコだけでなく日清製粉からもミッキーマウスの絵のついたコーンフレークが発売されていたらしく、日清という同じような2つの会社からコーンフレーク出しててややこしいなと思った。

              日清製粉にしろ永谷園にしろ、今ではシリアル作ってない大手が参入していたり、スナック菓子のイメージの強いカルビーがスヌーピーのシリーズで勢いずくなど、やはりくしゅくしゅソックス時代はコーンフレークが急成長した時期と考えられる。今ならば手をかけた和食で自分で漬物つけたり箸置きに箸置いて真上から撮ったようなのがていねいでオシャって思われてるけど、くしゅくしゅ時代は浮ついてるので、コーンフレークやカロリーメイトみたいに栄養添加したお菓子みたいなのを食事にするほうがアメリカ人のようで格好良いと思われてそうな気がした。


              消費者今昔

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                評価:
                船瀬俊介
                イースト・プレス
                ¥ 1,620
                (2016-04-17)

                先日ちふれ化粧品が炎上したときに、そういえばそもそもちふれが安さを売りにしてたのって、大企業の製品(化粧品でいったらおもに資生堂)は広告費をかけまくっているから不当に値段が上乗せされているのであって、本当はもっと安く品質のいいものを作れるのだという、消費者運動のノリではなかったかと回想した。ちふれだけではなく80年代あたりに出てきたプライベートブランドもそんな感じで、西友のプライベートブランド「無印良品」(1980年)も初期の売り文句は「わけあって、安い」だった。

                20年以上前ワラ半紙でできたような無印の茶色い文房具がけっこう人気あったのだけど、それもノートは文字かけりゃ十分でコクヨなどのメーカー品みたいに真っ白い必要はないっていう発想だったんだと思う。広告費や見た目などブランドイメージにコストをかけるメーカー品に対する「無印」だったということなのだろう。

                しかしコスト削減のためであったとおぼしきワラ半紙や装飾を廃したシンプルさがゴチャゴチャしてなくてオシャと解釈された結果、ちふれ化粧品や暮らしの手帖がそうであったように、無印ももともとあった消費者運動的コンセプトがどっか逝き、いち雑貨屋としてスイーツ化した。また2000年代以降はダイソーやユニクロなど中国産あたりの安物がクオリティを上げてきたり、プライベートブランドがはんらんするようになり、今や安くて良い品を求める消費者に意識高い系のイメージはまったく持たれなくなっている。

                むしろ安物は海外で労働力を買いたたいたりなど安いなりの事情があるのであって、エシカル消費やフェアトレードなど、本当に品質が高く社会的に良いものはそれなりの値段なのだというのが、意識高い系のイメージになっているのではないだろうか。しかし90年代くらいまでは、安くて良いものを求めるのが賢い消費者で意識高いってノリが確かにあった。

                 

                https://www.amazon.co.jp/dp/4380800059/

                 

                http://www.watai.jp/mokuroku/sonota/shakai.htm

                 

                https://www.amazon.co.jp/dp/B000J9QX62/

                 

                三一新書で原価本を著している平沢正夫と大門一樹は、「化粧品の秘密」という共著もある。また平沢氏が予防接種やフッ素、マイルーラなどを告発していた高橋晄正と「薬・この危険な副作用―あなたは知らない」を出していたり(これは三一新書ではなくワニの本)、また大門氏の「原価の秘密」に「現金正価800円薬の原価12円50銭」と、高橋氏が批判していたアリナミンが表紙に載っているなど、原価系の著者がある部分で製薬や化粧品会社を相手にしていることがうかがえる。

                化粧品といえば日本消費者連盟の「あぶない化粧品」もあるし、高橋氏と日本消費者連盟は80年代ともにマイルーラを告発しており、化粧品、マイルーラといえば合成洗剤批判および石けん運動ともつながってくる話だ。そんな本ばっかり出していた三一新書も最近おとさたないが、少なくとも90年代まではあぶない化粧品系の本がド田舎の小さな書店でも普通に見かけたくらいポピュラーで、原価の話をする人も炭酸は骨が溶けるっていう人と同じくらい存在した。

                マルチやってる人もけっこう原価の話をしていて、今にしてみるとマルチの化粧品って上の方の人に吸い上げられるぶん大手企業以上にぼったくってるがな。と思うのであるが、本人的には広告してないからそれだけ良いものなのだっていう理屈だったのかもしれない。また石けん運動が言っていた合成洗剤が口や皮膚から血液に入り、肝臓、脾臓、腎臓などに障害を起こすってのもいつしか経皮毒と呼ばれるようになり、これまたマルチが大手企業を批判するときの根拠になるなど、無印やちふれがスイーツ化したいっぽうで、先鋭化した消費者運動のノリがもはや悪徳商法やオカルトのイメージと重なっているのは皮肉なことである。

                 

                ニュースキンのセミナーに行ってきた。(2009年4月25日 闘病日記)

                http://d.hatena.ne.jp/a_kaede2/

                ニュースキンの企業理念や、ビジネスモデルなどはいたるところでコンテンツにあがっているのでそちらを参照されたし。

                ディストリビューターのリーダー格のお宅で開かれたセミナーに参加してみた。

                入ると広いリビングには15人くらいの30歳〜75歳くらいまでの女性陣が思い思いに過ごしていた。ホームエステをしたり、

                雑談したり様々。

                私が着くと、10人くらいがテーブルを囲んでニュースキンの入門編的なセミナーが開始された。

                いろんなコンテンツで書かれている実験を織り交ぜた「アレ」である。

                ・製品に対する原材料費の割合について

                他社製品とニュースキン製品を比べると販売価格に対する原材料費の割合が全く違うという説明。

                資生堂のTSUBAKIを例にだして販売価格の大部分が広告宣伝費である(TSUBAKIに関しては初期宣伝費50億をかけ、100億を売り上げる目標)、『不良化粧品一覧―資生堂よ、反論せよ 平沢 正夫 (著) 』を手にし、18000円の美容クリームが

                材料費60円にも満たないことを説明。

                その点、ニュースキンの「リジューベネイティングクリーム(7707円)」を大手メーカーのルートに乗せて販売するとその販売額は20万円近くになるという説明。

                製品の原材料に対するこだわりと品質のよさをPRする内容。

                −疑問1 平沢氏の本の信憑性を確認する。

                −疑問2 材料費だけでなく人件費はフォーカスしないでよいのか?

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                検索して見つけたマルチの原価トーク、2009年時点でも相当古い三一新書を引き合いに出してマルチのクリームが大手メーカーのルートに乗せると20万円とかおもしろすぎる。日本消費者連盟からアムウェイ批判する本も出てるというのに、もともと左翼だったはずの三一新書や石けん運動がすたれてからというもの、原価にしろ経皮毒にしろ逆にマルチの大手企業批判、もしくは美健ガイドの「ニッポンだーいすき」的世界観にその姿を残すのみとなっている。

                美健ガイド社子ども法廷シリーズ4「出口のない毒 経皮毒 - 石けん・合成洗剤編」より


                合成洗剤史

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                  1932年P&Gから世界初の家庭用合成洗剤「ドレフト」が発売されて19年後の1951年、日本の合成洗剤が登場した。石けんvs合成洗剤の闘いは、1956年にライオン油脂から発売された台所用洗剤「ライポンF」にまでさかのぼる。

                  ライポンFが発売された1956年は「もはや戦後ではない」といわれ、高度経済成長期が始まったばかりくらいの時期である。当時アメリカ小麦戦略まっただ中、日本じゅうをアメリカ資本の入ったキッチンカーが砂ぼこりをあげながら爆走し、栄養士さんたちが日本人にもっとバランスよくおかずを食べよと、それまで辛い漬物だけでどっさりめしを食べていたノーおかずの日本人に動物性のたんぱく質や脂肪など栄養ゆたかな料理を伝導した。

                  そんな食生活の急激な欧米化から生野菜の寄生虫や農薬、油汚れへの対応が急務となり、業界新聞で行われた厚生省や洗剤メーカーの座談会をきっかけに、わずか3カ月のあいだに日本食品衛生協会の推奨第1号品として食器・野菜洗い洗剤ライポンFは世に出た。そんなある日、東京都衛生研究所臨床試験部長・柳沢文正(1912〜1985)は、胃腸の調子の悪いとのことでキャベツのしぼり汁(キャベジン)を飲むように言った女性が、その後胃腸の調子はよくなったけど肌が荒れ疲れやすくなったことを不思議に思った。

                  聞くとキャベツをひと晩ライポンFの溶液に漬け込んでいたというので柳沢先生がライポンFとは何ぞや、と買ってきて調べてみた結果、アルキルなんとかかんとか(ABS)がすごい体に悪いことが判明した。ちなみに柳沢先生は合成洗剤告発の他にガン患者の血液が酸性なのでアルカリ性食品の酢が体にいいっていう健康法の本を出す一面もあったようだ。

                  そして翌1962年には誤飲事故が起こった。YouTubeのCM動画で見たバージョンは液体だったけど、これは1959年に発売されたものでそれまで粉末のみだったようである。

                  この粉末状のライポンFを粉ミルクの缶に詰め替えていたため奥さんがミルクと間違えてライポンFを作ってしまった。それを赤ちゃんが間違えて飲むと思いきや、嫌がって飲まなかったのでおかしいと口をつけた父親が死亡した。

                  この誤飲事件は遺族が国とメーカーを訴えたけど、けっきょく1967年に合成洗剤が原因と認められないとの判決が出た。しかしそのかんに、合成洗剤排除運動がかなり過激化したらしい。

                  そうした運動の影響もあるのかどうか、70年代にはABS=ハード型洗剤はLAS=ソフト型洗剤にとってかわられるようになった。しかし今度は洗濯洗剤に含まれるリンと水質汚染(富栄養化、赤潮)の関係が疑われ、80年代からは洗濯洗剤の無リン化が進んだ。

                  ・・・というのが前回までのあらすじである。その後どうなったかというと、昔は公共広告機構あたりで水質汚染のCMとかよくやってたがここ20年ほどは環境といえば温暖化だし、石けん運動を盛り上げていた日本消費者連盟も香害とか共謀罪とか言っててネタギレ感が否めない。

                  だがそのいっぽう、石けん自体は安くて良いものだと自然派以外にもファンが多かったり、経皮毒、化学物質過敏症、胎盤からシャンプーの香りなど、真偽は不確かながら合成洗剤追放運動をベースにしたと思われる説がごく一部で既成事実化するなど、その影響が完全に失われたわけではないようだ。ただこの場合一部の助産院や美容院、ロハス野郎、マルチ商法などのあいだでクチコミ的に広がっているようで、その都市伝説感において三一新書あたりが表紙に洗剤の写真載せまくっていた60〜70年代の消費者運動に比べるとそのノリはやや異なる。

                  例として戦後は化学物質などで環境や人体が汚染されまくっているけど欧米化する前の日本はよかった、と、科学を否定し日本の精神性(お米、風呂敷、打ち水、モッタイナイ等)を礼賛するノリになっていくのはロハスにもありがちな奴である。今や三一新書の継承者はアべ政治許さない精神を炸裂させてる日本消費者連盟でも週刊金曜日でもなく、むしろ「ニッポンだ〜いすき!」な美健ガイド社なんだろう。

                   

                  環境汚染 合成洗剤(YouTube)

                  https://www.youtube.com/watch?v=9xOm1zQ4tjk

                  「私たちが、日常なにげなく使っている合成洗剤。その洗剤が自然を破壊し、人体にも被害を与えて、大きな社会問題にまで発展しています」

                  今にもふしぶしの皮が破れて出血しそうなすごい手荒れの写真にギャアアーとなった。しかし私、とある歴史あるオリーブ石けんが体に合わなかったので手洗いに使ってたとき、これに近い状態にまで荒れたことがある。

                  その前にもオリーブオイルで荒れたことがあるので、石けんというよりオリーブオイルが合ってないのかもしれない。なのでこんな怖い写真見ても、自然だから石けんだからお肌に優しいとは限らないョ。と思ってしまう。

                  瀬戸内海の赤潮!って、なぜかこのくだりだけ画面全体が赤くなって赤潮なのかどうかよくわからぬ。

                  「つぎの実験を見てみましょう。石けん50ppmが入っている水槽の中で、アユとフナは元気に泳いでいます。いっぽうの水槽ではLASを石けんの10分の1、5ppmのうすい濃度にしてアユとフナをはなしました。およそ1時間後、まずアユが呼吸不能になりました」

                  合成洗剤の水槽に入れられたお魚さんたちのあまりにも苦しく恨めしそうな断末魔の表情にガクブル。この2つの水槽にそれぞれ合成洗剤と石けんを入れてお魚さんたちを放つ実験はひろく石けんの優位性の根拠となっているらしい。

                  「本来、川や湖の中のリンや窒素などはバクテリアやプランクトンを増やし、それを魚が食べて育つ、いわゆる自然の浄化作用によって水を美しくたもっているのです。ところが最近住宅や工場が密集してきたため、合成洗剤のリンなどを含む栄養がある排水が増え、自然の浄化作用では浄化しきれない、いわゆる富栄養化となり、赤潮やアオコが発生し社会問題に発展したのです」

                  「そのためメーカー側ではいち早くリンを使わない無リンの合成洗剤を開発し、無リンは無公害であるかのようにテレビなどで大々的に宣伝しています」

                  60年代はライポンFなど食器洗剤のABSの人体に与える影響が柳沢先生から告発されたが、やがて使用されなくなり、今度は洗濯洗剤のリンが水質汚染の原因としてやり玉に上がるようになった。今でも細々と存在する合成洗剤を追放して石けんを使おうってな運動は、洗濯洗剤が無リンになる前の70年代にその起源が求められる。

                   

                  合成洗剤が引き起こす人体への悪影響 マウスの実験(YouTube)

                  https://www.youtube.com/watch?v=2-h5leeb_3g

                  「合成洗剤は口や皮膚から血液に入り、肝臓、脾臓、腎臓などに障害を起こします。このところ増えてきたアトピー性皮膚炎は遺伝的に出やすい体質とされていますが、合成洗剤による母親の肝臓の障害が原因ともいわれています」

                  合成洗剤が口や皮膚からしみこんで内臓に悪さするっていうのは、現代の経皮毒とか胎盤からシャンプーの香り説に受け継がれていると思われる。アトピーの原因も公式には分かってないと思うのだが、戦後に患者が増えたことから一部では合成洗剤や添加物との関係がほのめかされている。

                  「なかでもシャンプーは、ASがもっとも多く含まれています。皮膚に浸透する力が強いASを頭にすりこむのはどうでしょう」

                  どうでしょうと言われてもどうかわからんけども、ともかくこのシャンプーに恋コロンって書いてるのが気になった。あとこの前のシーンで閲覧注意な肌荒れ画像をバックに、おむつにしみこんだ合成洗剤がおむつかぶれを起こすので石けんにきり変え・・・みたいなくだりがあったので、この動画まだ布おむつの時代なんだな。

                  「一部の避妊薬には合成洗剤と同じ成分のものが使われています」

                  私はティセラ世代なので前述の恋コロンシャンプーは全く知らないのだけども、マイルーラはよく雑誌広告で見かけたので懐かしい。当時私が読んでいた雑誌、ぴょんぴょんとかレモンに避妊薬の広告が載っていたと思えないので、やっぱり回し読みだったエルティーンとかルナティーンみたいなエッチ系の雑誌だったんだろうか。

                  マイルーラはやっぱり三一新書あたりで二重盲検法の必要性やフッ素危険説を訴えていた高橋晄正が批判しており、2001年に製造中止になった。タンポンしかり、こういう女性器に何か入れる系って昔は結構ポピュラーだったと思う。

                  マイルーラと障害、流産の関連について私は分からないけども、三一新書あたりが告発していた高度経済成長期をピークとする公害や薬害は全体的に赤ちゃんの被害が目立つ。森永ヒ素ミルクが一番有名で、そのほかにも胎児性水俣病、サリドマイド児とかカネミ油症の黒い赤ちゃんとか、あとライポンFの誤飲ももとは粉ミルクの缶に洗剤を詰め替えていたのが原因だし、公害じゃないけど病院出産がポピュラーになり始めて取り違えが起こったりとか、日本が豊かさを享受するかげで多くの赤ちゃんも急激な変化のなか犠牲になった。

                  そんな時代があったからこそ、製薬、洗剤、化粧品メーカーはおのれの金もうけのためなら人体や青いお空を汚してもええんかいっていう、三一新書的市民運動も存在意義があったのだ。しかし今や、大企業を批判する奴は左翼ということにくわえて、何か怪しい陰謀論にとりつかれてるオカルト野郎やマルチ野郎くらいにしか思われていない。

                   

                  15年ぐらい前に避妊でマイル−ラを使っていましたが最近、売っていない様な気がします。もう売っていないのですかね?(Yahoo!知恵袋)

                  https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1118476991

                  ベストアンサーに選ばれた回答

                  backyard117さん

                  2008/8/1712:38:56

                  1983年5月の発売、2001年3月製造中止。になっています。

                  その経緯については

                  マイルーラは主成分をノノキシノール(ポリオキシエチレンノニルフェニルエーテル(非イオン系界面活性剤のひとつでいわゆる合成洗剤)とする膣用避妊薬で女性が性交渉前に膣に挿入し、侵入した精子を溶かして殺す殺精子剤です。女性週刊誌で大量宣伝し、手軽に入手できることから、女子高校生や中学生にも使用が及びました。1983年、日本消費者連盟と「薬を監視する国民運動の会」の高橋晄正さんがマイルーラの毒性を調査、告発し、朝日新聞に掲載され社会問題化しました。
                  ・・・
                  これらの問題はきれいな水といのちを守る合成洗剤追放全国連絡会や、厚生省交渉実行委員会などの運動に広がり、マイルーラの毒性を考える会が結成されるなど大きな社会運動に発展しました。しかし期待に反し、会社は強気で販売を中止しませんでした。
                  そんな中、1986年にアメリカでの殺精子剤裁判(ノノキシノールと同系列の非イオン界面活性剤であるオクトキシノールを使用し、口蓋裂、右手の異常、左手の欠如、左鎖骨形成不全、等を伴った女児が誕生し、製造販売をしたオルソ社を告訴。)で、地方裁判所も連邦裁判所も因果関係を認め賠償命令を出しました。
                  新たな問題として浮上してきたのが環境ホルモン作用です。主成分のノノキシノールは体内で代謝されノニルフェノールになります。これは化学工業製品や農薬に含まれる環境ホルモンとして知られていますが、体内で内分泌かく乱作用を示すなど大問題となりました。運動団体の指摘で当時の厚生省もようやく重い腰を上げ、大鵬薬品にマイルーラの主成分のノノキシノールの代謝実験を命じました。
                  市民運動や内部の労働組合の運動、殺精子剤裁判の判決、環境ホルモン問題などを通じ、最高の売上げがあった販売初期に比べ約3分の1に売上が落ちこみ、ついに大鵬薬品は2001年3月に坂売中止を表明しました。

                   

                  ところで先日ブログで紹介した日本消費者連盟の香害110番の続報、200件以上相談が集まりやはり行政やメーカーへ働きかけがなされるらしい。また合成洗剤を入れた水槽お魚さん死ぬって言ってたシャボン玉石けん社も同様のアンケートを実施していたとのニュースもついでに見つけたので、人工的を毒と見る石けん運動が柔軟剤ブームの今「香害」という概念に活路を見出していると思った。

                   

                  人工的な香料が原因で体調不良に 「香害」に切実な声(8月15日 ライブドアニュース)

                  http://news.livedoor.com/article/detail/13474417/

                  香り付きの柔軟剤が人気を博している。しかし、柔軟剤制汗剤などに含まれる人工的な香料が原因となり、体調不良になる人たちも増えているようだ。日本消費者連盟が7月26日と8月1日の2日間、香りに関する悩みを聞く電話相談「香害110番」を実施したところ、全国から213件の相談が寄せられた。9割以上が女性からの相談だった。
                  ・・・

                  人工的な香料が原因で体調不良を引き起こすことを「香害」と呼ぶ。誤解されがちな点だが、香害に体臭は含まれない。

                  ・・・

                  香害に悩む人たちにあらわれる症状は様々だが、頭痛、吐き気などの症状が持続するため、それまでの生活が困難になることもある。中には、化学物質過敏症と診断される人もいる。寄せられた相談には「これは公害問題だと知らせて欲しい」という訴えもあった。

                  日本消費者連盟は今後、行政、メーカーへの働きかけを行なっていくという。

                   

                  「香害」で吐き気や頭痛を経験したことがある人の割合は?(8月17日 exciteニュース)

                  http://www.excite.co.jp/News/column_g/20170817/Cobs_1660730.html

                  シャボン玉石けんはこのほど、「香りに関する意識調査」の結果を明らかにした。同調査は7月15日〜20日、20代〜60代の男女598人を対象にインターネットで実施したもの。

                  同社によると近年、「洗濯用洗浄剤の匂い」に対する相談が国民生活センターに多く寄せられているという。「香りで吐き気がする」「柔軟剤のニオイで気分が悪くなる」といった相談内容だが、このように人工的な香りによる健康被害(めまい・頭痛・吐き気といった体調不良など)が「香害」と呼ばれていることを知っているか尋ねたところ、61%が「知らない」と回答した。

                  他人のニオイ(香水や柔軟剤、シャンプーなど)を不快に感じたことはあるか聞くと、79%が「ある」と答えた。

                  これまでに人工的な香りをかいで、頭痛・めまい・吐き気などの体調不良を起こしたことがあるか尋ねると、51%が「ある」と回答した。

                  ・・・


                  野菜洗い萎え

                  0

                    日本消費者連盟の表紙見ていて、洗剤の銘柄古いな〜。と思い、またしても昭和の洗剤動画探して見た。同連盟、今はダウニーなどと名指しせず香りのきつい柔軟剤としか言ってなかったけど、古きよき昭和の時代にはこの手の市民運動が本出すとワンダフル!ザブ!バリ!デイ!と、表紙におもっきし商品の写真載っけてた。

                     

                    https://7net.omni7.jp/detail/1100298061

                     

                    http://www.suruga-ya.jp/product/detail/BQ45641

                     

                    懐かしのCM - 花王 - ワンダフルK - 1966(YouTube)

                    https://www.youtube.com/watch?v=ZjwXBmxta_8

                    高度経済成長期、アメリカの資金で全国各地を走ったキッチンカー(動くお台所)など厚生省の栄養改善指導でそれまでちゃぶ台でどっさりめしを食べていた日本人は台所を改善し肉や乳やラードといった栄養ゆたかでフライパン使ったようなおかずを多く摂取するようになった。

                    そんな食生活の変化もあり、皿の油汚れを落とす合成洗剤の需要はグイグイ上昇していたにちがいない。合成洗剤は石油由来と思われるが、この頃は石油製品が増えた時代でもあろう。

                    化学肥料じゃなかったせいか野菜を食器洗い洗剤で洗っていた。果物は農薬を洗っていたのだろう。

                     

                    懐かしのCM - ライオン - ライポンF - 1962(YouTube)

                    https://www.youtube.com/watch?v=qGe2auZkj5g

                    ライオン社のライポンF。後発商品である上の花王ワンダフルKもそうなのだが、昔はスポンジで洗剤を泡立てて食器をこするのではなく、つけ置きしたあと手でこする使い方だったのだろうか。

                    「りんごもつやつや♡」

                    動画のコメントでこの野菜洗いが突っ込まれまくてるけど、今でもピジョンやコンビなど赤ちゃん用品の会社から出てる哺乳瓶用洗剤にはなぜか各社野菜洗いもアピっているし、たぶん普通の食器洗剤にもひそかに用途野菜洗いって書いてると思う。でもじっさい野菜や果物、洗剤で洗ってる人いたらめっちゃ引く。

                     

                    寄生虫や農薬・・・見えない汚れを除去 昭和30年代の日本の衛生環境の改善に大きく貢献した台所用合成洗剤「ライポンF」(ライオン)

                    http://www.lion.co.jp/ja/life-love/history/konjaku/1645

                    第二次世界大戦での敗戦後、日本は欧米文化の影響を強く受け、食生活の面でも大きな変化が見られるようになりました。キャベツ、キュウリ、トマト、白菜などの消費が昭和30年頃から次第に伸び始め、更に生野菜として食べるようになりました。また食用油脂の消費量も大きく伸び、昭和30年の一人当たりの消費量を昭和10年時点と比較するとバターで2.2倍、マーガリンで25倍となり、戦後に広まった欧米文化が、食卓の風景をも変えていきました。しかし、一方で洗浄方法は依然として変わらず、食器はクレンザー・石鹸で、野菜は水洗いのみで済まされていたため、野菜に付着した寄生虫の卵をそのまま口にしてしまうことも多く、当時は寄生虫保有率約30%、死亡者数年間6千人強という深刻な衛生状況にありました。また、人口増加に伴う農作物量産のための農薬も大量に使用され、その農薬が十分除去されていないことも多く、残留農薬も大きな問題となっていました。このような状況を救ったのが、『ライポンF』でした。

                     

                    発売のきっかけは、昭和31年5月に、ある業界新聞で行われた「洗浄運動」をテーマとした座談会です。厚生省(現:厚生労働省)や全国紙の新聞記者、ライオン油脂などの洗剤メーカー、クリーニング業界らが出席していました。このとき「現在厚生省で頭を悩ませているのは回虫の問題である。」との発言があり、野菜に付着した虫卵を除去する話題になりました。その場において、合成洗剤で食器や野菜を洗えば寄生虫の卵がよく取れるといった研究をライオン油脂が行っているといった話があがりました。厚生省は、6月には国立衛生試験所で寄生虫卵除去試験・急性毒性試験を実施し、中性洗剤溶液の除去効果と安全性の確認を行いました。行政の素早い対応にライオン油脂も開発を急ぎ、座談会の席上での話題が、わずか3カ月で「ライポンF」の発売という形で現実になったのです。

                    ・・・

                     

                    ライポンFが生まれたきっかけとなった1956年の厚生省とは、ちょうどアメリカ小麦戦略まっただなかである。上の記事で昭和30年ごろから生野菜が多く食べられるようになったとあるように、キッチンカーの栄養指導か?オシャなサラダも食べられるようになってきた(たぶんマヨネーズのサラダで、ドレッシングはちょっと後だと思う)ようだが、昔そのことについて年配の人と話してて、戦前にも生のキャベツをソースかけて食べてた。と聞いたような気がするし、きゅうりなども戦前から食べてそうなので、化学肥料や野菜洗いがない時代にもいちおう生で食べることはあったと思われる。

                    というか、海外ではまだそんなもんなんじゃないだろうか。寄生虫がいなくなってからアレルギーが増えた説も聞いたことあるし、衛生的な野菜ばかり食べているからこそ日本人が海外逝くとお腹壊すのだろう。

                    しかしこの時代、大気汚染や水俣病といった各種公害はもちろん、油の料理、農薬、それを落とすための合成洗剤、土に帰らない石油由来のごみ・・・と、経済成長の陰で急速に環境が悪くなってときに人体をもむしばんだ。その後70年代から80年代にかけてはアメリカが民主的で科学的で豊かで素晴らしいって時代の反省から、日本消費者連盟のような消費者運動にくわえてインドとか玄米とか漢方とか母乳がいいとか言い出す奴もけっこう増え今やロハスに発展した。

                     

                    【日本の石けん運動の歴史】合成洗剤追放運動のそもそもの始まり(石鹸百科)

                    http://www.live-science.com/bekkan/toba/rekishi/rekishi01.html

                    1961年(昭和36年)春、東京都衛生研究所臨床試験部長・柳沢文正のもとに、一人の中年のご婦人が訪れました。このご婦人の為に柳沢先生は職を追われ、他人から見たら一生を棒に振ったような結果になります。色恋沙汰ではないことは始めにお断りしておきましょう。

                    一見して胃腸に障害があることを見抜いた先生は、薬剤より食生活が大切な事を話し、キャベツ(ビタミンU)のしぼり汁に胡麻油を少し加えて朝夕コップ1杯づつ飲むようにすすめました(胃潰瘍の方は試してみてください・筆者注)。数週間後再び訪れたこのご婦人を見て、先生はびっくりしました。前と違って顔色が黒くなりシミが増え、疲れた様子でした。「先生のお話の通り、朝夕キャベツのしぼり汁を飲み続け、お蔭様で胃腸の調子はすっかり良くなりましたが、疲れやすくなり顔や手足にシミが増えました。」と言うのです。不思議に思って良く聞くと、「野菜には寄生虫や農薬が多いと言うので、前の晩からキャベツをライポンFの溶液に浸けておき、翌朝それをミキサーにかけ胡麻油を入れて飲んでいました。」と言います。

                    「ライポンFとは一体なんですか?」と聞いたら、その人はすぐ近くの雑貨屋へ行ってライポンFを買って来ました。先生はこの時始めて合成洗剤を知ったのです。その容器には、厚生省実験証明(1)回虫卵が簡単に除去される。(2)毒性がなく衛生上無害である。と表示されていました。その上厚生省の外郭団体である日本食品衛生協会の推奨までつけてあります。

                    便利なものができたものだと思ってよく見ると、その成分はアルキルベンゼンスルホン酸ソーダ(ABS)と書いてある。科学者として何故こんなものが無害なのか、疑問を持ちました。早速白ネズミで実験をしてみたら、確実に毒性があることが分かったのです。さらに様々な実験をして、合成洗剤が決して無害でないことを突き止め、同時に実験を始めた令弟の柳沢文徳・東京医科歯科大学教授の実験結果を併せて1962年1月14日、お茶の水医学会に『DBS※に関する研究』と題し「石油系の合成洗剤は決して無害ではない。従って家庭での使用は充分注意しなければいけない。」と発表したのです。これが世界で始めての合成洗剤に対する宣戦布告でした。その後、柳沢文正先生がどんな迫害を受けたかは、次にゆずります。

                     

                    https://www.amazon.co.jp/dp/B000JAF7OU/

                     

                    合成洗剤と闘った柳沢文正先生「台所の恐怖」(1964)。例によって商品特定しまくったレトロで味わい深い表紙。

                    帯に「現在日本で市販されているハード型洗剤は、昭和39年10月1日から、西ドイツでは法律によりその使用・販売を禁止されました」とあるように、下水処理が困難という理由で柳沢先生と市民運動が告発したハード型洗剤=アルキルなんとかかんとか(ABS)は、日本でも70年代にはとっくに使われなくなっているとのことで安心しておくれ。しかしその代わりに使われるようになったソフト型洗剤(LAS)も、水槽に入れて石けんでは死ななかったお魚さんたち合成洗剤ではめっちゃ死んでるっていう実験に使われているのでやっぱり合成洗剤は水を汚染させ人のいのちと健康をむしばむ元凶(by日本消費者連盟)なのかもしれない。

                     

                    【懐かCM】1983年 花王 ワンダフル 〜Nostalgic CM of Japan〜(YouTube)

                    https://www.youtube.com/watch?v=wmhcS7SJVVw

                    ライポンやワンダフルは洗濯洗剤もあったようだ。昭和の洗剤デカッ(たぶんこの頃は一回で使う粉の量が多い)

                    昭和50年代ごろの洗剤は「無りん」「低りん」をアッピールしている。昔の洗剤に含まれていたリンが赤潮を引き起こしたとして問題になり、石けん運動もその頃から始まった模様。

                    しかし日本消費者連盟の本に「あぶない無リン洗剤」(1980)ってのがあるので、石けん運動家による、無りんだろうと洗剤は体に悪い=粉せっけんで洗いましょうという主張が、読んではないけど表紙からうかがえた。あと先日香害110番のニュースでそういえば昔の洗剤って消臭や除菌や香りなんてひとことも言ってなかったよな。と、歴代の洗剤のCMも見たけどやっぱりファブリーズやレノアが出てくる前はバイオの働きでわんぱく坊やの泥汚れを落としたり白さが際立つばかりで、柔軟剤もファーファーがフカフカのタオルにダイブしたり冬場にパチパチ君が出てるようなのしかなかった。

                     

                    https://www.amazon.co.jp/dp/B000J86L1U/

                     

                    [4]合成洗剤v.s.石けん論争の経緯

                    http://www.detergent.jp/oya/x004.html

                    日本国産の合成洗剤は1951年に登場しました。その後、1953年にワンダフル(花王石鹸)、1956年に台所用合成洗剤ライポンF(ライオン)が発売されました。ライポンFには厚生省から衛生面から使用を推奨する文章が提出されました。そして、1962〜63年に合成洗剤と石けんは使用量において逆転することとなりました。このように、日本で合成洗剤が登場したのは1950年代で急激に普及し、1960年代初めに石けんと主役の座を交代することとなりました。

                    ・・・

                    ちょうど同年、ライポンFを誤飲した男性が死亡するという事件があり、大きく報道されました。この事件は日本におけるその後の合成洗剤有害説に決定的な影響を及ぼしました。この事件は遺族からメーカーと国を訴える裁判に発展したのですが、動物実験や種々の海外の誤飲事例などから合成洗剤が死亡の原因とは考えがたい点、また原告側が当初訴えていた「当該容器に厚生省の無害表示があった」との証言への事実関係上の矛盾点が指摘されたことなどを受けて、結果的には合成洗剤が死亡の原因であるとは認められないとの判決が1967年に出され、控訴もされませんでした。しかし、判決が出されるまでの間に、「合成洗剤は人を殺傷する毒物であるから排除すべき」との強い論調の意見が消費者グループに浸透し、当初はABS使用は注意すべきとの論調でABS危険説を主張していた柳沢氏らも消費者グループの先頭に立って引くに引けないABS排除論を唱えるようになってしまいました。

                    ・・・

                    1970年代は環境関連では合成洗剤に含まれる「リン」をめぐって大論争が巻き起こりました。特に琵琶湖での市民運動は有名で、合成洗剤メーカーに対して大変な圧力を加える原動力となりました。結果的には、合成洗剤メーカーは合成洗剤の無リン化を目指すこととなり、1980年に無リン合成洗剤が登場し、現在では日本の合成洗剤の大部分(硬度の高い沖縄を除く)で洗剤は無リンが当然であるという、世界的にも珍しい環境配慮型の洗剤組成が定着しています。

                    ・・・

                    1986年には石けん推進運動の中心的拠点とされる琵琶湖地区において、石けん運動が風化したという報道があり、1994年には石けんの原料である油脂採取のために熱帯林破壊や農薬問題等につながっているとの情報で消費者グループがショックを受けたとの報道がありました。1997年に日本生活協同組合連合会から発行された「水環境と洗剤」では、環境影響の面で、特に合成洗剤が石けんに比べて劣るものでないとするデータが示されました。このように、従来から科学的に洗剤を見ていこうとする専門家グループ、またその情報を直接的に受ける科学的レベルの高い立場の消費者グループ等では、合成洗剤を敵視する方針の運動は弱くなってきたといえるでしょう。

                    一方で、1990年以降、石けん製造・販売企業がリードするゲリラ的な合成洗剤有害説が幅を利かせるようになってきました。その特徴は、せっかく築いてきた洗剤に関する「市民科学」を打ち壊すようなレベルの低いもので、石けんの純分が高いものが安全性や環境面で優れているといった根拠のない情報や、石けんの有害性はゼロであるとする情報等、今までの洗剤論争の意味は何だったのかと落胆させるばかりの内容です。

                    ・・・


                    栄養全盛期萌え

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                      以前パン史を振り返るのにあたり昔の資料や動画など見ていてふと、戦後しばらくのあいだ穴の開いた鍋でパンを自作するのがけっこう普通だったのか?と思ったのだが、やはり下記引用記事によると、戦争が終わって航空機用の資材であるジュラルミンが余ったのと米が不足していたために、ジュラルミン製のパン焼き器がかなり出回っていたとのことだ。このほか電気パン(電流パン、電極パン)というのも有名なようで、私が参照している書物「パンと昭和」においては「代用食の自家製パン」の章に詳しい。

                      江戸が知りたい。 東京ってなんだ?!(ほぼ日刊イトイ新聞)

                      https://www.1101.com/edo/2003-10-29.html

                      ほぼ日     戦争が終わって、また、日本人ってね、調子に乗りやすいというか‥‥。紙の次は、“ジュラルミン”のブームがやってくるんですね。
                      新田     この、変わりっぷりは、すごいですよね。戦時中は鉄が使えなかったので、いかに、鉄瓶を土瓶らしく陶器で作るのか、というようなことをやってきたかと思いきや、戦後になるとジュラルミンという航空機用の資材で、生活用品を作っていくという‥‥。
                      ほぼ日     これは、要するに、戦争が終わって、飛行機が作れなくなっちゃったから、ジュラルミンが余っちゃったというわけですね。

                      *ジュラルミン製パン焼き器
                      新田     戦時中は、食べ物をはじめとする物資は、配給って形でなんとか行き渡っていたんですが、戦後になると、それまで大陸にいた人たちが、いっぱい帰ってきて、都市は、食料不足で、どうにもならない状態になっていたんですね。でも、その中でも、アメリカからの援助物資で、コーンスターチとか小麦は比較的手に入りやすかったので、パンを食べるという習慣が、根付いたんですよ。
                      ほぼ日     パンは、みんな食べていたようですね。展示室で、年配のご婦人たちが、「昔、お家にあった」と言っていましたよ。
                      新田     パン焼き器に関しては、このジュラルミン製と、木製の、電化パン焼き器というのが流行ったみたいです。戦後の物資が不足してた時代に、ガス管がいたるところで断絶していたので、ガスは使えず、薪や炭も、前よりは簡単に手に入らなかったそうですが、電気は、比較的通っていたんです。電線を、焼けたトタン板かなんかにくっつけて、液体を入れると、電気が通るじゃないですか。それで、暖めてパンを焼くっていうような原初的な方法をとっていたんですね。
                      ほぼ日     そういえば、うちの母も、その方法のパン焼き器をアイロンの箱で作ったって言ってました。

                       

                      今みたいにパンを自作するよりも店で買うほうが普通になったのは、60年代くらいだろうか。戦後すぐに配給小麦をパンに委託加工する製パン所が各地にでき給食も作っていたが、当時のニュース映画などを見る限り50年代後半のアメリカ小麦戦略下における栄養改善指導ではキッチンカー等の講習でパンを自作している様子だし、おそらく車や道路や商店などの流通網が発達してきたのが60年代入ってからで、「パンと昭和」によれば地方の製パン所のひとつにすぎなかったであろうシキシマ、フジパン、ヤマザキなどが全国展開になっていくのもこの頃である。

                      70年代にかけてはタカキベーカリーのダニッシュロールが1962年、ヤマザキのミニスナックゴールドが1970年、神戸屋サンミーが1971年発売とデニッシュ系の発売があいつぐなどパンの多様化がうかがえ、トングでパンを掴んでトレーに乗せる現代の方式も出てきたようだ。これらをふまえると50年代までは主食としてゴリ押されてはいたけどパンはあまりおいしいものではなかったし自作することが多く、60年代に朝にポップアップ式トースターで食パン焼いたり菓子パンなどが楽しまれるようになり、70年代に軽食として洗練され現在の地位を確立したという流れと推測される。

                      そのようなパン史の中で私が一番萌えるのは、やはり50年代後半のアメリカ小麦戦略におけるゴリ押し期だ。栄養指導にまわるキッチンカーを割烹着の嫁や姑が取り囲み欧米化したフライパンのおかずに食いつき、米あるし給食費払えねぇだという農村のおっかさんたちにパン給食の素晴らしさを説き、米を「馬鹿になる」と攻撃するなど、なりふりかまわぬ栄養礼賛(栄養=小麦、動物性の脂肪、たんぱく質、欧米化したおかず)は、和食は健康的だけどパンはジャンクフード、欧米化は体に悪いという現在の価値観からすると少なからぬ新鮮さをおぼえるのだった。

                      なので先日古本屋に逝って、当時の婦人雑誌を何冊か立ち読みしたところ、どれを読んでも米と張り合うかのようなパン食推奨記事があって、よほどバッシングされていたのか逆に「漬物で食べるから栄養バランスが偏るだけで米は悪くない」といった、米穀なんちゃら協会みたいな団体の反論広告まで載っていたほどであった。それ以外に読むとこなかったから買わなかったけど、あまりのゴリ押しぷりにアメリカの陰謀恐るべしとの思いを新たにした。
                       

                      茨城県ニュースNO.33(1961年(昭和36年度)制作)

                      https://www.youtube.com/watch?v=moPZAV7IMO4

                      1961年の茨城県ニュースは土地柄かオープニングが原子力。核の平和利用と言われ出したのもアメリカ小麦戦略と同じころで戦後史の闇を感じる。

                      やはりここでも山村を砂ぼこりをあげて爆走するキッチンカー。音楽はキッチンカーのテーマソングか?

                      キッチンカーに群がるご婦人がた。昭和30年代においてこの光景は全国共通である。

                      「この車は別の名をキッチンカーとか動くお台所などと呼ばれ、内部にはりっぱに管理された調理室を持ち、私たちのくらしの中でいちばん大切な食生活の改善や合理化などについて各保健所の栄養士さんたちが現地で指導をおこない、健全な体位の向上をはかるため実施されています」

                      「安くておいしく、しかも栄養のある料理の仕方を早く身につけようと、みんなパンフレットを片手に熱心に講習を受けています」

                      当時の僻地に住むご婦人がたは、服装もだけど栄養改善される前なだけあって今ではまったく見かけなくなったタイプの顔だしびっくりするくらい老けてる。こう見えて右のお婆さんも60代とかけっこう若いんだろうなきっと。

                      茨城に来たキッチンカーもソフトメンじゃないけど何かうどんみたいなの作った。手に乗せて試食。

                       

                      昭和40年 伸びよおおしく(YouTube)

                      https://www.youtube.com/watch?v=cLlaq-tdULM

                      農村の栄養改善する「栄養の谷間」と同じく静岡県の健康や体位向上に関するお宝動画「伸びよおおしく」。栄養の谷間の4年後の1965年制作。

                      「動く台所と呼ばれる、県の栄養指導車」

                      「山村、僻地の食生活の合理化を目指す栄養士さんは経済的で栄養価の高い料理を作って指導しています」

                      「こうして子供をはじめ家族全体の健康増進に効果をあげています」

                      昭和も40年代に入ると僻地とはいえ試食にむらがるご婦人がたの服装がそれ以前のキッチンカー動画よりかなり現代的になっているように感じられた。そのかんにも栄養士さんの栄養指導講習(どっさりめしばっかり食べてないで、肉のおかずや牛乳など動物性食品を取り入れよという指導)は多く開かれていたようだ。

                      「発育ざかりの子どもたちには栄養価の高い食事が与えられます」

                      給食でパンではなく麺を食べる児童。静岡なだけあって当時関東および東海を中心に導入されたばかりのソフトメン(スパゲッティ式めん)か。

                      今みたいな黄色いスパゲッティが食べられるようになったのは70年代くらいからだろうとみているが、たぶんそれまでこういう謎の細麺をスパゲッティって言い張ってたと思う。そして米飯給食導入は1976年まで待たなくてはならなかった。

                       

                      ソフトスパゲッティ式めん(Wikipedia)

                      https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%95%E3%83%88%E3%82%B9%E3%83%91%E3%82%B2%E3%83%83%E3%83%86%E3%82%A3%E5%BC%8F%E3%82%81%E3%82%93

                      歴史

                      1960年代、当時パンのみであった学校給食の主食を増やすために開発され、東京都が学校給食に採用をしてから各地で採用されていった。それゆえ関東地方や東海地方と、中国地方の一部ではよく知られている一方、東北、関西、四国、九州(沖縄県を含む)、北海道(札幌市を除く)、北陸・甲信越の各地方では、ほとんど知られていないことがある。他の主食と同様に、自校給食の場合でも調理されて蒸しあがったものが業者から納入される。

                      当時は美味しくないことで不評であった給食用パンに端を発する給食嫌い(給食離れ)が進行していたが、アメリカ産小麦の輸入と消費を維持するという大前提から、米飯は導入されなかった。1970年代後半から米飯給食の見直しが進められ、現在では米飯給食の普及や他の麺の登場によりソフト麺には学校給食として往時の勢いはないが、懐かしさからまた食べたいと望む声が多いため、コンビニ弁当や通信販売等で入手することができる。『思い出の給食』アンケートをとると関東地方では常に上位に位置するメニューでもある[3][4]。

                       

                      『岡山県ニュース』くらしにとける牛乳(YouTube)

                      https://www.youtube.com/watch?v=0RGKrQOsMk0

                      これは小麦ではないのだが、戦後援助物資である脱脂粉乳に始まり米飯給食導入後もごはんに全然合わないのにもかかわらず給食にゴリ押しされ続けるなどパンとセットで語られることの多い牛乳。最近は飲まない人も多いけど、まだパンよりは「栄養」のイメージを維持していると思われる。

                      この時代、といっても岡山県のニュース動画は何年か書いてないのだが、ともかくアメリカ資本のキッチンカーを筆頭に栄養に関する講習(どっさりめしばっかり食べてないで、肉のおかずや牛乳など動物性食品を取り入れよという指導)とか料理のコンクールすごい多かった模様。栄養改善は厚生省の一大プロジェクトだったにちがいない。

                      「最近では牛乳を飲むだけでなく、どんな料理にでも取り入れられています。婦人会や保健所で開かれる栄養教室では、牛乳料理の講習会に人気が集まります。牛乳は私たちに不足がちなカルシウムやビタミンを十分に補ってくれるバランスの取れた食品です。他のいくつかの食品を合わせたものに劣らない栄養を持っています」

                      「さっそく主婦が牛乳を使って家庭料理に腕を振るいます」

                      牛乳を使った料理ってシチューみたいなのしかできなさそうだが・・・

                      「出来上がった栄養料理に一家は楽しく食事が進みます」

                      牛乳のおかずに主食はパン、飲み物は牛乳、とまるで学校給食のような模範的栄養料理である。

                       

                      『岡山県ニュース』町でも村でも牛乳ラッシュ(YouTube)

                      https://www.youtube.com/watch?v=vD8bWdMUcqw

                      「岡山県の牛乳生産量は毎年2万1000キロリットルで全国で16位、 その消費量は年とともに増加していますが他県に比べるとまだまだ少ないのです」

                      オハヨー乳業のおひざもとであるにもかかわらず岡山の牛乳消費量は他県より少なかった。アドバルーンで牛乳を宣伝。

                      「美作町のある酪農家では、毎日水やお茶の代わりに一家7人こぞって牛乳を飲むので、年間9俵のお米が節約できました

                      牛乳ってもはや主食じゃねぇだろと思うのだが、牛乳を水がわりに飲んでいるので米を節約できたという、どっさりめしの弊害がうたわれた栄養改善期らしい自慢。

                      「勝北町の役場では、牛乳を使った新しい栄養料理の講習会を始めています」

                      先ほど牛乳を使った料理ってシチューみたいなのしかなくね?と思ったのだけど、この動画では「野菜のクリーム煮」と「卵のコロッケ」って書いてる。漬物でどっさりめしを食べていた戦前にはなじみのなかっただろう乳や肉や卵を使い、それも油で揚げるという栄養ゆたかな料理を、講習をうけたご婦人がたはさっそく家族にふるまったにちがいない。

                       

                      『岡山県ニュース』栄養まつり(YouTube)

                      https://www.youtube.com/watch?v=jRieRXrdXdE

                      「都窪郡清音村は昭和23年9月、岡山県から全国でも珍しい栄養改善標準村の指定を受けました」

                      「それ以来全村一体となって、栄養改善を中心に台所の改良など生活改善に努力を続けてきました」

                      改良された文化的な台所で牛乳を使った栄養料理に腕をふるうご婦人がた。

                      「満10周年を迎えた4月23日、村では盛大な栄養まつりが催されました。 村には賞状や記念品が知事から贈られ、また栄養改善の功労者たちは村から表彰されました」

                      「この日料理コンクールも行われ、日頃の腕を競った1食分30円の安くて栄養の高い、しかもおいしい料理は人々の味覚をそそるのに十分でした」

                      乳料理コンクールって書いてるけど、牛乳を使った料理ってそんなにバリエーションあるのか?・・・と、どうも栄養改善期における牛乳料理ゴリ押しな風潮をひしひしと感じるお宝動画群であった。とりあえず栄養改善およびパン食奨励のノリはなんとなくわかったので、その批判の先鋒である幕内秀夫の著作も今後読んで逝こうと心に誓った。

                       

                      【学校給食の裏面史「アメリカ小麦戦略」 / 鈴木 猛夫】No.6〜10

                      http://nakayamaj.com/?page_id=4904

                      戦後の日本人の食生活欧米化の発端は巨額な費用を注ぎ込んだアメリカ側の見事な小麦戦略であり、それは予期以上の大成功を納めた。パンを主食とするとおかずは自ずと肉、卵、牛乳、乳製品という欧米型食生活になる傾向がある。それらの食材の提供先はアメリカでありそこにアメリカの真の狙いがあった。前号で書いたように東畑朝子先生が「みんな隠したがっている」こととはまさにアメリカ側の資金で戦後の食生活改善運動が推し進められたというあまり知られていないこの事実である。戦後の改善運動ではパン、肉、卵、牛乳、乳製品等の摂取が勧められてきた。厚生省、栄養学者はそれらをバランスよく摂取するという欧米型食生活が正しいと信じ栄養行政に反映させ、栄養教育をしてきた。それは栄養学的にみて望ましいとされ(実際には大いに疑問があると筆者は思うが)、厚生省の管轄下にある各地の栄養学校ではそれらの食品の優位性が強調された栄養学が教育されてきた。「肉は良質な蛋白質である」「牛乳はカルシウムの吸収が良い」等々のように。しかし栄養学的に正しいから国民に教育してきたのだろうか。
                      昭和30年代のこれらのアメリカ側の強引な粉食奨励策をみてくると純粋に栄養学上というよりも、アメリカの余剰農産物処理という政治戦略によって推進されたのである。
                      食生活改善運動の理論的ささえとなってきたいわゆる現代栄養学を一生懸命教えてきた栄養学者にとっては、この日米一体となって推進してきた食生活欧米化の大事な原因についてはあまり栄養士の卵には教えたくないのが本音だ。だから現代栄養学の優位性をことさら強調する栄養教育が行なわれてきたのだと思う。国民にはもちろんキッチンカーに乗せられ一生懸命活動した栄養士、保健婦たちにもその資金の出所についてはほとんど知らされていなかったのである。「隠したがっている」事実こそ戦後最大の厚生省、栄養教育者のタブーであり、触れられたくないことなのだ。


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