小悪魔バブル

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    評価:
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    トランスメディア
    ¥ 420
    (2017-12-14)

    VS SASOON(YouTube)

    https://www.youtube.com/watch?v=VpRHDFgMDT0

    先日、小悪魔agehaについての記事を書いていてふと、同誌が「小悪魔&ナッツ」として創刊された2005年ぐらいの時期て小悪魔ブームがあったよな。と思い出した。このシャンプーのCM詳細分からないけどたぶん2003年とか4年とかそんくらいじゃなかろうか。

    小悪魔のモデルさんジョンレノンの息子の彼女らしい。小悪魔という言葉にはおそらくその性的な魔性の魅力で男を翻弄するみたいな意味が込められていて、そういう点で水商売と相性が良かった。

     

    https://www.amazon.co.jp/dp/4872878418

     

    そもそも小悪魔って言葉がブームになったのも蝶々っていう銀座ホステスの本がきっかけだったと思う。読んだことはないけど、恋愛テクとか説かれてるんじゃないだろうか。

     

    BoA in the new Fasio cm(YouTube)

    https://www.youtube.com/watch?v=bxOsD0vFeQE

    上記のシャンプーCM同様、「小悪魔」を宣伝文句に使用したアイシャドウのCM。ダブルキャラクターアイズという商品で、アットコスメで確認したところファシオから2006年に発売されている。

    2000年代半ばは恋コスメやホステスの恋愛テクなど、男のハートをいかにわしずかむかということに女たちの関心が強かった。ダブルキャラクターアイズは黒から白までのいろんな濃さの色が入っているので、薄い色でナチュラル仕上げて王道モテ、もしくは濃い色で厚化粧と、一つのパレットでお嬢と小悪魔「2つのモテメイク」を叶えれるという。

     

    深田恭子 KOSE Fasio1(YouTube)

    https://www.youtube.com/watch?v=XleNOU7Fxt0

    ファシオといえば発売当初はマスカラを売りにしていた。CMで使われている深田恭子の曲から2000年のCMと推察されるが、今でも使われる「目ヂカラ」という言葉、最初はファシオの宣伝文句だった。

    私が初めて買った化粧品がメイベリンのダイヤルマスカラだったことを考えると90年代からすでにマスカラ人気だったと思うのだが、この目ヂカラって言葉が使われるようになったころからマスカラ下地やら繊維入りロングマスカラやらフィルムタイプやらとマスカラがすごい多様化し化粧で女たちの目がでっかくなった。その後つけまやマツエク、今はアイテープやカラコンで目ー盛るのが主流なのでマスカラっていうかバサバサまつげ自体そこまででもって感じだ。


    子供たちは傷ついた

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      胎教博っていう10年ぐらい前のスピリチュアルなイベントに胎内記憶とホメオパシーと助産師が一堂に会してる動画、胎教とか胎内とか言うくらいなのでこの人たちのあいだで胎児は皆が思うよりずっと全てを分かっていることになっており、お母さんも優しそうな人を空の上からより好みしてるし、不自然なお産(分娩台、陣痛促進剤、帝王切開)だと、赤ちゃん生れる前はママをよろこばせるんだ。っと意気込んでたくせに、矢島助産院や吉村医院みたいな昔ながらの落ち着いた畳の部屋で自然にこの世に生まれたかったのにテンション下がるわー。と、人生早々トラウマを抱え将来グレるってな思想を共有してる気がした。今は胎内記憶絵本で世のママたちをほっこりと癒す絵本作家のぶみも過去には池袋連合で160人もの不良をまとめてたって話なのでさぞ不自然なお産だったにちがいない。

       

      胎教博2007ダイジェスト 七田眞 池川明 由井寅子 高橋丈夫 須江孝子 傳田文夫 MIKIMIKI(YouTube)

      https://www.youtube.com/watch?v=BD40MoewW58

       

      子どものこころを理解しよう〜バーストラウマ〜

      https://www.ichigojyutsu.com/parent-child-relationship/birthtrauma/

      出生時は以下の理由でバーストラウマが発生すると言われています。
      現代医学に基づいた出産法をとること。
      陣痛促進剤などをもちいていること。
      帝王切開・吸引分娩などで生まれていること。
      ・陣痛や出産が始まることにより、へその緒からの酸素と血液が途絶え、赤ん坊が酸欠状態になり、死の恐怖を覚えること。
      ・難産などで、赤ん坊が蘇生処置を受けていること。
      ・笑気ガスやモルヒネを出産時に用いていること。

       

      地球上で生きる人間、誰しもが経験する母親のお腹から出る経験、出生。

      出生がバーストラウマの要因になるなんて、と驚かれる方もいるかもしれません。

      しかし実は、出生が一番バーストラウマの要因になりやすいと言われています。

      ここで赤ちゃんの立場にたって出生を考えてみましょう。

      母親のお腹の中で、羊水にぷかぷか浮かび、外界の刺激を羊水を通して穏やかに感じながら、過ごしてきました。

      それが出生のプロセスで一変します。

      狭い産道を通るときは、赤ちゃんにとっても死をも意識する相当な苦痛だと言われています。

      母親が出産中に呼吸を止めると、赤ちゃんも酸欠状態になってしまいます。

      そうやって苦労して生まれてたところはまぶしい光に機械音、見知らぬ人がたくさんいる分娩室。初めて経験する重力と乾いた空気。

      出生のプロセスを

      「のどかな田園からいきなり車と機械のひしめくニューヨーク市のど真ん中に連れていかれるようなものだ」

      と表現した産科医もいます。

      もし赤ちゃんに意識があれば、心の傷になってもおかしくないのではないでしょうか。

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      医者に現代医療で無理くり出されてトラウマを抱えた幸先悪い赤ちゃんと違い、自分のペースで生まれてきた自然なお産、別名幸せなお産の赤ちゃんは「俺やったよ!」と、達成感で満たされることであろう。胎教や出生外傷という概念は戦前からあったようだがそこまでさかのぼると収拾つかなくなるので、とりあえずトラウマやインナーチャイルドって言葉が消費されるようになったと考えられる90年代を回想してみることにした。

      今はLGBTという言葉、また生きづらさの原因が男らしさ女らしさを強いる社会・・・みたいな文脈をよく聞くのだが、90年代は男女がどうこうって話は私の記憶してるかぎり聞いたことなく、生きづらさとは10代の心の傷や心の闇であり、もっぱら親や家庭に原因が求められ、それに対してカウンセリング、なんちゃらセラピー、みつをやミツルのポエムといった癒しが求められる風潮が強かった。90年代の主役だったルーズソックスJKも、居場所をなくし愛に飢えた(がゆえに援助交際などに走る)イメージがなんとなくあって、J-POPには雑踏や街並みで本当の愛を求めて彷徨うような歌詞が散見されたし、野島ドラマも親父からレイプされてたJKが学校の先生と純愛するって話だった。

       

      https://www.amazon.co.jp/dp/427240315X

       

      これが80年代ならば同じグレててもヤンキー、シンナー、校内暴力、家庭内暴力、恋愛ならトレンディだったであろう。90年代を通して心理学ブームで10代の犯罪も心理学の文脈や親子の関係性で語られることが多かった記憶があるので、インナーチャイルドやアダルトチルドレンといったトラウマかつチャイルドな用語群はニューエイジである前に心理学用語だったのかもしれない。

       

      それいけ!!ココロジー(Wikipedia)

      https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%9D%E3%82%8C%E3%81%84%E3%81%91!!%E3%82%B3%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%83%BC

      『それいけ!!ココロジー』は、1991年4月20日から1992年3月21日まで日本テレビ系列局で放送されていたバラエティ番組。読売テレビとIVSテレビ制作の共同製作。放送時間は毎週土曜 22:00 - 22:54 (JST) 。

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      概要

      心理学をテーマにした番組で、出演者に対し心理テスト夢判断を行い、深層心理を分析するのが主な内容。心理テストの監修は齋藤勇が行っていた。解説時に、カール・グスタフ・ユングやジークムント・フロイト等の理論が紹介された。

      わずか1年間という放送期間ではあるものの、この番組は心理テストブームのきっかけとなり、「ココロジー」という新語も生み出すなど心理学を身近なものとした一方で、あまりにも理論を単純化しており、「俗流心理学」を助長したという批判もある。

      また、派生的に青春出版社から何冊かの心理テストの本が発行され、シリーズ累計で400万部以上[1]、『それいけ×ココロジー レベル(1)』は2017年1月時点で178万部[2]を発行するベストセラーとなり、セガ(後のセガ・インタラクティブ)からアーケード版心理テストゲームが2機リリースされた。

      番組終了後の1996年1月、関西地区(読売テレビ視聴地区)で深夜枠にて「1回だけの復活祭」を放送。また、1996年の春から4回にわたって、半年に1度全国放送でスペシャル番組が放送された。

       

      ハートにジャストミート(Wikipedia)

      https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%88%E3%81%AB%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%88

      『ハートにジャストミート』は、1992年10月23日から1993年9月24日まで日本テレビ系列局で放送されていた日本テレビ製作のクイズバラエティ番組である。放送時間は毎週金曜 19:30 - 20:00 (日本標準時)。

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      概要

      心理ゲームにクイズを交えた内容の番組で、当時日本テレビのアナウンサーだった福澤朗とタレントの森口博子が司会を務めていた。心理ゲームの監修は、心理学者の富田たかしが担当。富田はその風貌から、番組内で「ムーミンパパ」というあだ名を付けられていた。

      前期においては、心理ゲームを行った後にパネラーの解答の中から1つを無作為に選び、答えた人物の名前を伏せて発表。そして、その答えを書いたのは誰かを予想していた(答えた本人は、答えたことが分からないようにごまかしていた)。予想的中者はゴールドバーを獲得。全員不正解の場合、答えた本人がゴールドバーを獲得できた。後期には毎回ゲストを呼び、その人物に心理ゲーム(高速に切り替わる複数の映像の中から、何が最も印象に残ったのか)やYES-NO式のチャートを出題。パネラーはその結果を予想していた。

       

      ハートにジャストミート 番宣 【福澤朗・森口博子】 1993/01(YouTube)

      https://www.youtube.com/watch?v=mXt6pR0qLdI

      マーシーとのりピー夢の共演動画

       

      上のWikipediaは90年代初頭より心理学ブームあったっていう裏ずけ的な意味で貼ったのだが、心理テストとかでじつはこういう心理が隠れているのですみたいに言われても、隠れてたら自分でも合ってんのかまちがってんのか確認しようがないから深層心理って概念便利すぎないかと昔から思う。そういえば、すごーい小ちゃい字でSEXSEXSEXSEXSEXSEXって書いて潜在意識を刺激・・・っていう訳わからん「サブリミナル効果」とやらも、この時期である。

      トラウマとかアダルトチルドレンはそのちょっと後のルーズソックス時代に出てきたようで、90年代に出た本のタイトルから「傷ついた子供の心の癒し方―子供は助けを求めている」「アダルト・チルドレンと家族 心のなかの子ども癒す」「アダルト・チルドレンと癒し 本当の自分を取りもどす」「内なる子ども癒す アダルトチルドレンの発見と回復」 「AC癒しのプロセス」「インナーチャイルド・ヒーリング あなたの“内なる子供”を大切にしていますか?」「インナーチャイルド 本当のあなたを取り戻す方法」など、やはり傷、子供、癒し、本当の自分(を取り戻す)がセットになっているし、「心の中の子ども」「内なる子ども」はインナーチャイルドと同義であろう。くしゅくしゅソックス時代には心理テストやサブリミナルといったお遊びにすぎなかった心理学的世界観がルーズソックス時代に親に傷つけられた子供あるいは内なる子供の「心のケア」化し、癒しブームや自分(本当の自分)探しブームへと連なっていく模様。


      トラウマブーム

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        ロハス史振り返るシリーズとはまた別に、のぶみという絵本作家の炎上を機に胎内記憶の本を前回紹介した。まず胎内記憶とは何ぞやというと、生れる前の赤ん坊が空の上で神と地上の女たちを見ながら誰をおかんにするか選び「このママにきーめた!」と胎内にスッポリ入る記憶を3歳くらいまでのお子さんなら覚えてるっていう、美健ガイド社でもおなじみ池川明先生が中心となって提唱している説である。

        ネットで検索したのを見るかぎり池川氏が最初に出したであろう胎内記憶の本が2002年で、それより4年ほど前の1998年に七田眞・つなぶちようじ著「胎内記憶―バース・トラウマの秘密」って本がすでに存在してるのでこれがオリジナルな可能性が高い。ふと思ったのだが、もしかしてトラウマってこの時期くらいから使われ出した言葉じゃなかろうか。

         

        https://www.amazon.co.jp/dp/4478860254

         

        1998年ごろというとオウムの余波でまだオカルトは低迷、個人的にはミッチーサッチー騒動以外に何が起こったのかたいして覚えていない時期である。しかし今トラウマという文字列を見たことにより、アダルトチルドレン、インナーチャイルド、ヒーリング、みたいな、私も書いてて意味のよく分からないメンヘラ的概念が人気爆発してた気がしてきた。

        1995年頃のルーズソックス化からすでに日本病んでたけども、頻発するルーズソックス第二世代(酒鬼薔薇世代)の人殺しが「17歳の闇」として大きくとり上げられ、そんな病みを癒すための「心のケア」、カウンセラー、セラピー、相田みつをとそれらの要素をつめこんだと思われる路上詩人やナカムラミツルみたいなポエムが席巻した病み全盛期、もっぱら病んでいるのが未成年だったり、子供時代のトラウマってな設定な気がするので、もしかして胎内記憶もそういう流行から生まれてきたのかしらん。と、そんな仮説を立ててみたのだが、ただの思いつきなので話半分に聞いておくれ。少なくともPTSDって言葉にかんしてはEHエリックの娘が堺正章と離婚したときの会見(2001年)で初めて知ったし、一般的にもそうであったと思う。

         

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        豚まるごと一頭食べるでおなじみ東京賢治シュタイナー学校の鳥山敏子も1997年にアダルトチルドレンの本を出している。Wikipediaを参照すると、アダルトチルドレンという言葉はくしゅくしゅソックス時代(1980年代後半〜90年代初頭)に出てきたようで、その意味するところは親がアルコール依存症とか、また虐待を受けたとかで、それが成人になってもトラウマとして残ってる人のことだそうだ。

        ただのトラウマだったら成人でもいいし他人から受けたいじめが原因でもいい気がするけど、胎内記憶にしろアダルトチルドレンにしろ、子供が親から受けた傷って文脈が多い印象である。こうしたルーズソックス時代のトラウマ文化についてはいづれ気が向いたら調べるかもしれない。

         

        浜崎あゆみ - Trauma (Live)

        https://www.youtube.com/watch?v=eRwZO1idr_Q


        お正月をうつそう

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          おととしくらいからマスゴミが「TTポーズが若人に人気大爆発」とかと同じ要領で「写ルンですが若人に人気大爆発」て情報を繰り返し植えつけようとしていたのだが、わざわざ使い捨てカメラなんて買いたくないからアプリにすればいいのに。といった感想を抱いていたところ、やはり写ルンです加工アプリは実在したらしい。無料だったのでさっそく使ってみたところ、本当にeggかhiromixかという仕上がりになり、現在のインスタ映えにも匹敵するガーリーフォト全盛期を知るルーズソックス世代にはその高画質ともSNOWともプリクラとも違うアナログな写りを懐かしく感じた。

          しかもこんにちの若い娘さんがたはたださえギトギトに黒光りしたシースルー前髪に白塗りに太眉に食事しても落ちない真っ赤な口裂けメイクなので本当に25年くらい前の人みたいに写ること間違いない。帰省中の貴方もお正月は「HUJI」で90年代風家族写真を撮ってみてはいかがだろうか。


          世代別老人服

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            サンモニ谷口真由美「拉致被害の話はもう分かってる、この局面で出すなよ!」トランプ国連演説を批判

            http://ksl-live.com/blog11201

             

            先日書いた熟女の記事を自分で読んでて思い出したのが、谷口真由美という学者である。2010年代初頭より「日本おばちゃん党」を立ち上げて脚光を浴び、サンデーモーニングなどテレビで見かけることもあるのだが(関口宏の事務所所属らしい)、全身ヒョウ柄の派手な服装と大阪弁といった庶民的な風貌で憲法とか語る面白さが左翼の間で人気爆発した。

            しかし日本人出っ歯メガネレベルのステレオタイプなおばちゃん観と肌の若さに強い違和感をおぼえ生年を確認したところ1975年で内田有紀と同い年、私の歴史観ではくしゅくしゅソックスはいていたような世代であった。なのでいくら大阪のおばちゃんといっても1975年生まれでこんなオバタリアンファッソンありえないし、そういう不自然な芸風を庶民の代表であるかのようにもてはやすのはやめたまへと願う。

            私が子供の頃の婆は、確かにオバタリアンであった。しかしいっぽうでオバタリアンとは別にサザエさんのフネ、ウメ屋雑貨店、ぽたぽたやき(せんべい)の袋にえがかれている婆など、頭をおだんごに結い、和装でかっぽう着という、ステレオタイプな婆像が存在しており、当時から「こんな婆マンガでしか見たことないよ」と思っていた。

            YouTubeとかで昔の映像見てると、着物の婆は1980年くらいまでは健在な姿で出てくるし、同様に爺も同じころまで波平とかいささか先生みたいに普段着で着物着た人がいる。それらをふまえると、松本清張(1909〜92)くらいが着物最終世代ではないだろうか。

            1992年に82歳で亡くなったという時期を考えても、90年代育ちの私が着物の爺や婆を見たことないのとつじつまがあう。とりあえずわが歴史観においては松本清張を基準に着物は1910年生まれくらいから着なくなったと仮定しておこう。

            さすがにこのタイプ(戦前着物型)の爺や婆は見かけなくなって30年程度は経っているだろうから、もうステレオタイプに使われることはないと思うのだが、比較的若々しく足腰も丈夫であろう戦後育ちのオバタリアンだって滅んだとはいかないまでももはや絶滅期に突入しており、青汁やコンドロイチンを飲んでなんとか生きながらえている。また1800年代生まれまでさかのぼると、着物のみならずヒゲを伸ばした爺っていうのもけっこういそうな気がした。

             

            https://www.amazon.co.jp/dp/4313880089


            熟女時代

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              神田うの話す言葉なし、19年前ハワイで平手打ち(12月9日 日刊スポーツ)

              https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201712090000076.html

              プロ野球ヤクルトや阪神で監督を務めた野村克也氏(82)の妻でタレントの野村沙知代(のむら・さちよ)さんが8日午後4時9分、都内の病院で死去した。85歳だった。

              98年1月に米ハワイで沙知代さんに平手打ちされたタレント神田うの(42)はこの日、沈黙した。うのは当時、野村氏が率いたヤクルト石井一久投手と破局直後で、美川憲一と旅行中だった。ショッピングセンターで偶然、沙知代さんと対面。理由は不明だが、別れ際に右手でほおをたたかれた。野村夫妻は2人の交際に否定的だった。うのは“騒動”後も沙知代さんと交流はなく、関係者によると訃報に接しても、話す言葉が見つからなかったという。

               

              当ブログでは1995年ごろ日本人の価値観が激変しギャルが時代の主役となっていく過程をたびたび回想しているのだが、ルーズソックス時代の次であるルーズソックス第二世代(90年代後半〜2000年代初頭)となるといまひとつ印象に残っていない。1995年前後はドラマやバラエティ、流行歌などビデオ3倍録画、深夜起き出し闇の中ですごい小ちゃい音でエッチな番組見るなど今テレビ見るのとは比較にならない集中力だったのでけっこう記憶にも残っているのだが、ルーズソックス第二世代に入ると第一世代のパラダイムを維持しつつ90年代前半のカオスやハレンチぷりはかなりおちついてしまったので、私も若人が好きこのむテレビや雑誌、服装、歌とかに興味なくなっていたし、今もあんまり興味ないのでもしルーズソックス時代以降の若者文化について論じようとすればまた1から調べなければいけないレベルである。

               

              ミッチー・サッチー騒動(Wikipedia)

              https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%81%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%83%E3%83%81%E3%83%BC%E9%A8%92%E5%8B%95

               

              ネットで検索したところ先日亡くなった野村克也の妻、沙知代が失脚したのはルーズソックス第二世代である1999年、今から20年ちかく前のこととあるから、今の若いもんはサッチーと言ってもわからないはずだ。発端はミッチーこと浅香光代とのバトル、ちょうど今の貴乃花vsモンゴル人チームのような感じで、熟女芸能人がミッチー派とサッチー派に分かれて罵り合う様子をマスゴミが逐一報じており、私は当時年のわりに若人の文化ちんぷんかんぷんだったけどワイドショーなど婆の見るような番組はそこそこ見ていた。

              90年代末はテレビの中で熟女ブームだったのか、「怪傑熟女」「愛する二人別れる二人」のようにトラブルを抱えた一般人がスタジオ出演し熟女芸能人軍団がバッサリ切るといった番組において、サッチーをはじめとする1930年代生まれ(当時60代ぐらい)の化粧とキャラ濃い婆がブームを牽引する存在であった。例に出した2番組はいづれともデヴィ夫人が出演しており、おそらく今のようなタレント活動するようになったのもこの時期の熟女ブームからだったし、他にちょっとしたおもしろ熟女枠で落合信子、鈴木その子、橋田寿賀子、カイヤなどもいた。

               

              サッチー vs デヴィ夫人(YouTube)

              https://www.youtube.com/watch?v=NLrZW2KerGc

               

              また熟女ではなく熟男なのだが、中尾彬が本業の俳優ではなく毒舌マフラーねじねじのイメージが定着したのもこの時期以降だろうし、みのもんたは軽妙な話術で熟女をとりまとめその支持も熱かった。熟LGBT?の美川憲一は、石井一久との交際をめぐってサッチーと犬猿の仲だった神田うのの親友なのでミッチー派だっただろう。

              熟女ブームは90年代末突然に起こったわけではなく、くしゅくしゅソックス時代である80年代末〜90年代前半からその伏線はあった。おたかさんブーム(土井たか子)、田嶋陽子が出演したニッセンのCM「見てるだけ」、漫画と実写の「オバタリアン」など、夫をぞんざいに扱ったり厚かましい婆が元気印で面白いのだっていう風潮があり、私が思うに、それまでの婆は白髪に着物で長年のアナログな家事によって腰のまがったガチの婆さんだったのが、バブル期あたりから民主主義やパンやゆたかな栄養、専業主婦業とそのコンテンツ(ワイドショー、女性週刊誌)を享受し夜にはネグリジェ着てカーラー巻いてお面みたいなパックしていた30年代生まれあたりが婆となったことで世代交代が起こり、戦後育ちの若々しくて強い熟女が当時目新しかったのかもしれない。

              また前述した女じゃないけど熟女ブームの構成員だったみのもんた、美川憲一もそれぞれくしゅくしゅソックス時代に「おもいっきりテレビ」の司会、キンチョー「もっとはじっこ歩きなさいよ」CM、おそらくそういったオバタリアン的文脈でブレイクするまで、現在のような地位ではなかったと思われる。というか、おもいっきりテレビの生電話こそ90年代末の熟女番組におけるスタジオ出演した一般人を熟女(熟男)芸能人がバッサリ切る、の電話バージョンであった。

               

              午後は○○おもいっきりテレビ 1995/5/18(YouTube)

              https://www.youtube.com/watch?v=qYuTDZlQeAg

               

              というわけで、90年代はコギャルにしろオバタリアンにしろ、女たちは老いも若いも「か弱い」「清楚」といった女らしいイメージの真逆を逝っていたのだったが、2000年代ルーズからハイソックスへの移行期に入るとサッチーは逮捕、ギャルのあいだでもモテやロリや愛されの需要が高まってきて、90年代に爆発した粗暴な女カルチャーは終結した。みのさんも地上波には出ていないようだし、おもいっきりテレビもヒルナンデスにリニューアルされ、サッチーも先日亡くなるまでほとんど忘れ去られた存在だったのである。

               

              昔この映画↑見たとき、サッチー思い出した。岡田茉利子=サッチー ジョー山中=ケニー野村 岩城滉一=カツノリ


              サプリやだ

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                <健康>サプリ過剰摂取は副作用の恐れ(12月2日 毎日新聞)

                https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171202-00000022-mai-soci

                 

                わが歴史観においてサプリメントなる物が市民権得たのは鉄骨飲料やCCレモン、ザカルシウム、c1000タケダなど栄養を添加した(もしくはコーンフレークやカロリーメイトのごとく食事がわりをうたう)菓子類が多く出回りだしたくしゅくしゅソックス時代=90年代初頭くらいからで、当時は大塚のネイチャーメイドぐらいしかなかったような気がして検索したところ、下の引用記事によればやはり記憶どうり1993年からの発売となっている。アメリカが本場のマルチ商法ならば市販品に先がけてサプリの扱いはあったと思うが全体として市場は大きくなく、おそらく種類もカルシウムやビタミンといったベーシックなラインナップであったろう。

                 

                日本のサプリ文化を作ったネイチャーメイド(All About)

                https://allabout.co.jp/gm/gc/65379/2/

                −−−ネイチャーメイドというブランドはいつ頃作られたのですか?

                ネイチャーメイドというブランドは、1971年(約40年前)に、アメリカのファーマバイト社が立ち上げたものです。ですから元々は、サプリメントの先進国であるアメリカで作られたブランドです。大塚製薬はこのファーマバイト社と資本提携しており、日本では1993年にネイチャーメイドの製品を導入し、ドラッグストアなどでの販売を開始しました。

                −−−1993年と言えば15年以上前ですよね。当時は粒状のサプリメント自体が珍しかったのでは?

                当時は、健康食品といえば高齢者向けの健康茶や食品などが中心で、粒状のビタミンサプリメントは、まだまだ少ない状況でした。ですから、1999年に発売したネイチャーメイドのマルチビタミンは、日本のドラッグストアで初めて売られたマルチビタミンになったんですよ。

                ・・・

                 

                しかしいつのまにかサプリメント市場は大規模になっており、カルシウムとかビタミンCとか鉄分くらいなら私のような無知にもそれらが骨や肌や血にいいのだろうとイメージがわくけど、イチョウ葉だのセサミンだのノコギリヤシだの言われても日本語でおk。となっちまう。テレビなどで広告を目にする限り、ダイエットに敏感なおなごや体の不調が慢性化している年寄りなどをターゲットにしていると考えられる。

                しかし過去イソフラボンとか酵素とかいろんな成分が手を変え品を変えもてはやされたけど、それらが含まれる食べ物、例えば大豆なんか昔からあるわけで、別に今まで人類が摂取しなかった完全に新しい栄養素ではないだろうし、逆に未知の栄養素だったとしたら人体にどんな影響があるのだか分からなくそれはそれで食べたくないので、私はどっちにしろそんな腹のたしにもならない物をわざわざは食べたくない気がした。いやそれに、昔からある食べ物だったとしたって記事にもあるようにサプリで特定の栄養を大量摂取したときの副作用的な影響も考えられ、たとえば先ほどの例にした大豆だって個人的には大豆アレルギーなどを誘発するとも限らないことを心配し、豆乳や豆菓子などを好きこのんで食べることはあっても、体にいいとかいう理屈で積極的に摂取するのは考え物である。

                その点でニッポンだーいすき(by美健ガイド)みたいに、日本人ならパン、牛乳、肉などやめて米食えってのが一理あるのは、パンとか牛乳の歴史が浅すぎてまだ日本人の体質にどんな影響があるのか分からない(それいいだしたら白米の歴史も浅そうだしハーフはどうなるんだよって話だが)し、添加物や白砂糖、それらを使った大量生産品も同様で、もしかしたらもしかすると、そういう戦後になって広まった近代的で目新しい食べ物、目新しい生産方法、目新しい食べ方が、アトピーやアレルギーといった現代病と関係してる可能性も、なくはないかもしれない。それら今日的な問題が現代医学で解決しないかぎり、ニッポンだーいすきやマクロビオティックにみられるホリスティックな思考を完全にしりぞけることは私にはできないのだった。

                サプリメントや健康食品が一般化する以前だと、ビタミン剤が高度経済成長期に宣伝されたようで、当時アリナミンやアスパラで元気出したモーレツ社員が今イチョウ葉とかノコギリヤシ飲んでるにちがいない。フッ素危ないや予防接種危ないの先駆けだった高橋晄正も特にアリナミンをピンポイントで批判していて「アリナミン」ていう著書もあったはずなのだが画像が出てこなかった。

                 

                https://www.amazon.co.jp/dp/B000J9NF2M/

                 

                でもこの商品を特定しロゴをズラリと並べた表紙がまた、いかにも昔の三一新書って感じでレトロ怖いと思ったけど、よく見たらこの本三一新書じゃない。というか今フッ素危ないや予防接種危ないがニューエイジ系のような霊的な力信ずる人々と同一視されてそうな気がするが、もともとはそうなのではなく予防接種の副反応ほかスモン、サリドマイド、エイズと連続する製薬会社や厚生省に対する薬害の運動であり、高橋医師はビタミン剤に対する二重盲検をうったえ、その後代替医療として一般的だったと思われる漢方薬も効かないと批判するなどむしろスピリチュアルとは対極だったのである。


                私が選ぶ名曲

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                  小室哲哉が天才だと思う楽曲ランキング(11月7日 gooランキング)

                  https://ranking.goo.ne.jp/column/4633/

                   

                  小室哲哉は80年代から活躍してたけど、私は幼女だったためTMネットワークはカメリアダイヤモンドのCMソングくらいにしか知らなかったしどっちかというと宇都宮隆のほうが人気あった気がするので、やはり年齢的には小室氏が勢いずいていく1995年前後、このブログで言うくしゅくしゅソックス時代からルーズソックス時代にかけての楽曲群がもっとも印象深く記憶に残っている。ずっと前にも書いたようにくしゅくしゅソックス時代はチャゲ飛鳥とか浜田省吾とかユーミンとか、ベテランでなおかつあまりテレビ出ないような歌手がドラマの主題歌とか歌って大ヒットすることが多かったし、若い女に向けた歌といえばとにかくドリカムだった。

                  この時代は歌詞を見る限り嫁入り前の大学生〜社会人あたりが繰り広げる恋愛模様であり、中高生にむけて10〜20代前半くらいの若くて化粧の濃い女が結婚を前提としていない恋愛を歌う、今では普通となった歌手の売り出し方は当時まったくなかったように思う。それがルーズソックス時代以降は、くしゅくしゅ時代から芸能活動していた安室奈美恵や華原朋美、hitomiなどが小室氏に新たに命をふきこまれコギャルの新しい生きざまを体現するようになった。

                  そういうわけで、小室サウンドは女子中高生に熱狂的に支持されたのだが、歌詞が支離滅裂でやかましいこともあってそれ以上の年齢の人のリアクションは「訳わからねぇ」というのが大半だった。これはルーズソックス第二世代から小室ファミリーにとってかわった宇多田ヒカル、浜崎あゆみ、椎名林檎あたりといった女の歌手が若人以外からもそこそこ支持されていた(少なくとも意味不明ではなかった)のとは対照的である。

                   

                  SHAKE YOUR BODY FOR ME(1992年 観月ありさ)

                  先ほども書いたように90年代前半はあまりテレビ出ないようなベテランのシンガーソングライターがドラマやCMタイアップ等で人気大爆発することが多く、歌謡曲って感じの歌唄うアイドルはというとモーニング娘。が出てくるまで(厳密にはモー娘。に後藤真希が加入するまで)完全に廃れていた。そんななかでも東京パフォーマンスドールとか桜っ子クラブとかリボンとかココといった、乙女塾出身者などで構成されたアイドルグループは存在したし、また宮沢りえや西田ひかるのようなCMアイドルが歌を出し健闘することはあったものの、ヒットソングの主流ではなく天下のジャニーズさえ光GENJI以降は低迷していたほどである。

                  だがそんなくしゅくしゅソックス時代(1989〜94年)におけるアイドル冬の時代こそが小室全盛期の伏線であった。私がもっとも初めに感銘を受けた小室ソングは宮沢りえ「ドリームラッシュ」(1989)なのだが、Wikipediaによるとこれが小室氏がトータルプロデュースを手掛けた最初の楽曲だそうである。

                  TMネットワークになじみのない私にとっては、90年代アイドルプロデュースこそが小室氏の本領発揮であり、朋ちゃんはじめルーズソックス時代以降に活躍した小室ファミリーの女たちの多くがすでに芸能界で活動歴があったり、小室氏の初婚の相手がキララとウララとかいうB級アイドルの片割れだったのもそのことを示唆しているように思う。さて前置きが長くなったが、観月ありさ「SHAKE YOUR BODY FOR ME」はフジテレビ系で放送されていたぼくたちのドラマシリーズ第一弾「放課後」の主題歌だった。

                  「放課後」は尾道で高校生の男と女が入れ替わる映画があったと思うがあれと同じ話であり、観月氏の相手役はいしだ壱成だった。同じドラマに当時いしだ氏とともに「フェミ男」と呼ばれた武田真治も出演しており(こちらはどっちかというと同時期放送されていたナイトヘッドって深夜ドラマで頭角を現した)、また同じく観月ありさの援助交際ドラマで初めて見た袴田吉彦などは今まで見たことのないタイプの俳優で、くしゅくしゅソックス時代前期には織田裕二、加勢大周、吉田栄作、くわえてちょっと個性的なのに江口洋介や萩原聖人がいたけど、その誰とも違う新しい時代を感じたし、ぼくたちのドラマシリーズは嫁入り前の女が繰り広げる浮ついた恋愛模様などでもなければ学ランやセーラー服でもない、ブレザー(必然的にスカート短い&非ヤンキー)の学園ドラマというのも非常にくしゅくしゅ的だったのである。

                  観月ありさの楽曲で小室プロデュースといえば同年に発表され同じアルバムにも収録されている「TOO SHY SHY BOY」、キリンシャッセという瓶に入ったフルーティーな微炭酸ジュースのCMを思い出される方が大半だろうが、有名曲なだけあって私にはいささか大衆的すぎるというか、格好良さでは断然「SHAKE YOUR BODY FOR ME」だ。いづれにせよ手つなぎやキッスでドキドキするといった学生さんらしい爽やかな恋愛ではなく、男をリードしどことなくコギャルをも感じさせる強気な少女、そういう歌詞を92年時点でアイドルに提供しちまうところに小室さんの先見性が垣間見える。

                   

                  キスは少年を浪費する(1993年 東京パフォーマンスドール)

                  東京パフォーマンスドールは解散後に篠原涼子や市井由理が在籍したことで有名になったアイドルグループで、活動中は吉本興業などのお笑い番組でよく見かけた気がする。この曲を知ったのも確かダウンタウンの番組だった。

                  この曲は作詞が売野雅勇なので小室氏の歌詞とはまた違う、ちょっと妖しい世界観が小室ソングの中では新鮮なのにくわえ、やけにノリノリで東京パフォーマンスドールの楽曲の中でもひときわ異彩を放っている。のちに元メンバーの篠原涼子が独りで歌った「恋しさとせつなさと心強さと」(1994年)が人気大爆発したことが小室時代の幕開けとなった。

                   

                  寒い夜だから(1993年 trf)

                  この曲を初めて聞いたのは、フジテレビがHEY!HEY!HEY!の前に一瞬だけやってて飛鳥の怒りを買ったことでも有名な古館伊知郎司会の歌番組「MJ」であったと思う。この年にデビューしたtrfはアップテンポの「EZ DO DANCE」がすでに有名だったが、本格ブレイクしたのはこの曲以降であり、もしかするとTHE BOOMの島唄みたいにMJの放送がきっかけになって売れたのかもしれない。(WikipediaによればMJがヒットさせたのはBOOMと橘いずみだけだそうだが)

                  この曲を聴くと本当に1993年の冬がフラッシュバックするようである。trfは小室時代初期にヒットを次々と飛ばし、MJに変わって始まったHEY!HEY!HEY!にも初めのころはしょうっちゅう出演していた。

                   

                  CANDY GIRL(1995年4月 hitomi)

                  この曲は制服の女子高生が出演するコダックの使い捨てカメラのCMソングだった。プリント倶楽部が出てくる直前でもあり、すでに盛り上がっていた自撮り文化が爆発せんとする頃である。

                  まだ始まって半年くらいのHEY!HEY!HEY!で、すごいミニスカートのハレンチな女が私に声かけてきてねとか歌ってるのを聴いたときはとってもびっくりした。その時の動画あるんじゃないかと今しがた確認したところ、hitomiはミニスカートではなく韓流アイドルばりのショートパンツをはいていたのだったが、とにかく脚の主張がすごくてさすがサーファー雑誌のモデルだっただけありコギャルの生足感覚を先どりしていたと思う。

                  小室作品の中では地味ながらhitomiによる歌詞も秀逸で、この曲によってルーズソックス時代が幕開けしたといっても過言ではない。ちなみにhitomiってこの前にも何か曲出してたような気がして調べたところ2曲出しており、そっちも小室作曲でポケベルのCMソングだったそうだ。

                   

                  Feel Like dance(1995年8月 globe)

                  前述の「寒い夜だから」以降trfが人気爆発し、1994年「survival dAnce 〜no no cry more〜」「BOY MEETS GIRL」1995年「CRAZY GONNA CRAZY」と順調にヒットを飛ばし続けたが、1995年2月発売のカメリアダイヤモンドCMソング「マスカレード」から「ん?」となってきた。そして同年8月、この「Feel Like dance」でglobeがデビューすると、その曲を初めて聴いた者たちは皆trfが歌っているものと思って疑わなかった。

                  倉木麻衣がデビューしたとき誰もが宇多田ヒカルと思ったように、矢井田瞳がデビューしたとき誰もが椎名林檎と勘違いしたように、globeの第一印象は完全にtrfだったのである。しかしglobeがtrfの上位互換であることに気づくと、皆は一瞬でtrfを忘れ去った。

                  小室さんがglobeに力入れるぜ!ってなったとたんtrfが目に見えておざなりになってきて、今思うとその予兆が「マスカレード」だったのだろう。篠原涼子も、朋ちゃんに力入れるぜ!ってなったため提供曲が雑になり、trfと篠原涼子は小室全盛期を決定ずけた二大巨頭でありながらもルーズソックス時代の荒波を生き抜くことはできなかった。

                  そういう点では「CANDY GIRL」同様、trf・篠原体制のくしゅくしゅソックス時代に終止符を打ち、華原朋美や安室奈美恵など小室ファミリーが第二世代に刷新するうえで非常に意義深い曲だったのである。ただglobeは他のファミリーに比べると比較的コギャル色(仲間たちとか街じゅうさすらうとか何が正しいか分からないといった価値観)は希薄だった。

                   

                  keep yourself alive(1995年9月 華原朋美)

                  華原朋美のデビュー曲で、この時点ですでになぜか小室さんの彼女と知れ渡っていた。Wikipediaによると華原朋美の生き様を小室氏が詞にしたということだが、傷を抱え刺激や欲望うずまく街じゅう彷徨う若い私だけどいつか素直な自分を誰かに見せたい(管理人要約)・・・みたいなルーズソックス感満載の歌で、そのさすらってた街じゅうで誰か(小室さん)に出会えた感動と素直な自分を必ず(小室さんに)知ってもらうという決意を(小室さん作詞で)歌ったのが「I'm proud」と考えられるので、2曲同時に聴いて華原朋美の半生に思いをはせていただきたい。

                  keep yourself aliveを出した時点ではまだ朋ちゃんはテレビ出てなく、少なくとも私はミュージックビデオの一部を見ただけだったため、不思議な化粧をし真剣な表情で蛍光灯を持つ姿に引きつけられた。キティーちゃんだつゆだくだというキャラが判明したのはおそらく「I BELIEVE」以降と思うが、歌の内容や服装もさることながらその生き方が飯島愛と並びルーズソックス世代の先輩格だったと思う。

                   

                  安室奈美恵さんのベストアルバム 5日間でミリオンセラーに(11月14日 NHK)

                  http://www3.nhk.or.jp/news/html/20171114/k10011222411000.html

                   

                  というわけで以上が私の名曲セレクションだが、小室プロデュースあるいはルーズソックス第一世代の代名詞存在でもある安室奈美恵の歌は入っていない。安室氏が小室プロデュースになったのは1995年10月発売の「Body Feels EXIT」以降であり、その前にすでに安室氏は「TRY ME」「太陽のSEASON」「Stop the music」といったユーロビトの楽曲群ですでにルーズソックス化していたため、小室プロデュースに関してはいつの間にか切り替わってた・・・って感じで、他の歌手に比べてあんまり記憶になく、どっちかというと「TRY ME」が出たときの方が強く印象に残っているのだ。

                  先々月に引退を表明し、店内音楽でもよく安室氏が流れるようになり、このCD売れない時代に8日発売のベストアルバムが100万枚突破したということで、引退はまだだいぶ先ながら安室フィーバーが起こっている。ベスト盤は全盛期の小室プロデュース作品はもちろんのこと、コーンフレーク全盛期下のシリアルアイスCMソング「ミスターUSA」(1992年)や同じくロッテのCMでもっとも最初期に安室氏を世に知らしめた「愛してマスカット」(1993年)、また人気がウナギのぼりになっていったユーロビートなど、くしゅくしゅソックス時代から混迷のルーズソックス時代にいたる代表曲すべてが、現在の本人による歌唱で収録されているとのことで、感慨深いなー。と、聴いてもないのに思った。

                  しかし途中で小室ファミリーの時代が終わったにもかかわらず、いかにして安室氏はここまで来たのだろうか。1997年の初めに「CAN YOU CELEBRATE?」が大ヒットしたのだが、これは小室氏の才能が衰えるギリギリのタイミングだった。

                  しかし小室さんが飽きられつつあったことも手伝ってか、この頃になると安室ちゃんも調子乗ってるとかやる気ないとか言われ、そのテンションの低さから叩かれることもそこそこあったように記憶している。それが10月の結婚妊娠発表をさかいに祝福ムード一色に変わり、その後産休から復帰後も家族の不幸がありながら淡々と頑張る姿に皆が心打たれ、のちに子育てしながらマイペースに活動、その衰えを知らぬ可愛い容姿もアンチエイジングの時代に合致し大人女子となったルーズソックス世代のあこがれの存在であり続けたという訳である。

                   

                  安室奈美恵、小室哲哉と再会の握手 16年ぶりコラボ曲「How do you feel now?」で“渋谷ジャック”(11月15日 モデルプレス)

                  https://mdpr.jp/news/detail/1727934
                   

                  またこのアルバムに小室ソング「How do you feel now?」も収録されているという。CMで流れる部分を聴いた限りでは「あの時代熱かったよね」と激動のコギャル時代を振り返る、押切もえの姿が何故か脳裏に浮かんだ。


                  くしゅ字

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                    10年ぐらい前に畠山鈴香って人が自分の子供とその友達を殺害し、連日ニュースで騒がれていた。私自身は殺人事件とかあんまり関心なかったが、それよりネットで見かけた卒業文集の寄せ書き画像に目を奪われた。

                    畠山鈴香は1972年度の早生まれ(1973生まれ)のようなので、卒業文集は1991年の3月である。全部文字が同じなので畠山が自分で書いたんじゃないかとも書かれてたけど、脱丸文字し始めた4,5年間の女子高生の字ならばこんなもんだ。

                    たまに男の文字があったり丸文字を書く人もあるが、ハネが大きかったりタテ棒が長いのがくしゅくしゅソックス時代特有の文字であろう。また手書きではない文字にもくしゅくしゅ時代の流行があった。

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                    こういう音楽関係のジャケット等において、カクカクした切り絵みたいな読みにくい文字を80年代後半から90年代前半のごく限られた時期によく見かけた。この字はやはり95年あたりをさかいに消え、それに変わったのが下画像のソックタッチや篠原ともえのCDみたいな文字である。(ソックタッチのデザインはおそらく20数年以来変わっていない)


                    今はだめ

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                      フジ社長「保毛尾田保毛男」謝罪「同性愛者を侮蔑」批判の声受け(9月30日 スポーツ報知)

                      http://www.hochi.co.jp/entertainment/20170929-OHT1T50315.html

                      フジテレビの宮内正喜社長が29日、都内・同局で行われた定例社長会見で、28日放送の「とんねるずのみなさんのおかげでした 30周年記念SP」で、とんねるずの石橋貴明(55)扮(ふん)するコントのキャラクター「保毛尾田保毛男(ほもおだ・ほもお)」が同性愛者を侮蔑したものだと一部で批判されたことについて謝罪した。

                      青ひげが特徴で、共演者から「ホモでしょ」と指摘されると、「あくまでそれはうわさで」と答える内容。石橋が同キャラを演じるのは28年ぶりだった。放送開始から29日正午までに電話やホームページを通じて、同局に「時代にそぐわないのでないか」「30周年特番懐かしかったです」といった意見が約100件寄せられた。

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                      保毛尾田保毛男はたぶん90年代初頭(くしゅくしゅソックス時代)のネタだったので、私もそういうキャラ居たのは覚えている。どっちかというと仮面ノリダーとかモジモジ君の方が人気だったが。

                      子どもの頃はとんねるずや志村けんやフジテレビがおもしろくてしかたなかったけど、中学時代からダウンタウンやナインティーナイン(吉本印天然素材)の方が人気になってきて、その後日本がルーズソックス化すると、とんねるずや秋元康のような80年代的笑いは時代遅れになっていた。そのため、もうとんねるずみたいな笑いオワコン。と思ってから、20年以上をへた今なお「みなさんのおかげ」とかいう番組やってるのに驚く。

                      お笑い番組とはいえ現代のお子さんがたってこんなの見るんだろうか。ヒカキンとかの方がおもしろいと思うが・・・

                      それにしても今回の炎上で思ったのは、そういえば「ホモ」って言葉あんまり聞かなくなったなー。ってことだ。そのかわり長谷部健が渋谷区長になってから、LGBTって言葉を流行らそうとしてる気がする。

                      ホモ同様にあんまり聞かなくなったのが格好や言葉が女みたいな「おかま」で、何年か前IKKOなどそういう人が芸能界にいっぱい出てきたときに「おねえ」って言うようになったんだが、おねえ系といや2000年ころには赤文字系、つまり化粧ケバいけどギャルよりコンサバな「おねえさん」を指す言葉だった。そしてその前の保毛尾田保毛男の時代には「ミスターレディ」なる言葉も存在した。

                      これはおもに「上岡龍太郎のズバリ」って番組で使われており、同番組は豊田真由子様がブレイクしたさいかって「東大生50人」みたいな回に出演しジュリ扇(ジュリアナの羽扇子)を振っている若き日のお宝動画がTBS系報道番組で発掘されていていたのをごらんになった方もいるかもしれない。もっとも人気があったのが無名時代のはるな愛も出演していたらしいミスターレディ50人のシリーズで、YouTubeで見たところこのシリーズをやっていた頃はTバック全盛期なこともあって、お立ち台ギャル50人の回同様に皆きわどい服装で自慢のおっぱいや尻などをアッピールしているのだが、よくこんなの夜7時から家族で見てたよなと、くしゅくしゅソックス時代の破廉恥さにあらためて気づかされた。

                       

                      1993年東大女子50人出演(YouTube)

                      https://www.youtube.com/watch?v=gIOH42o7Gr0

                       

                      上岡龍太郎50人カマリンピック1香子.mpg(YouTube)

                      https://www.youtube.com/watch?v=BMmdgZsbGDU

                       

                      1500M走(YouTube)

                      https://www.youtube.com/watch?v=izZfUIqEd1M

                       

                      ガキの使い Mr レディ勝ち抜き腕相撲!!(YouTube)

                      https://www.youtube.com/watch?v=qSe8GOI8gcg

                       

                      私がくしゅくしゅソックス時代と呼んでいる90年代初頭は基本的にそういう時代で、まだそんなにテレビの表現とかうるさくなかったので、1993年あたりをピークとして深夜帯でなくてもおっぱいとかTバックよく映っていたし、前述した上岡龍太郎の番組でもオカマ言いまくっているのだが、この時代にもポリティカルコレクトネスという概念がなかったわけではなく、むしろそういうのにうるさくなり始めた頃で「黒人」「土人」「未開人」系はすでにやばかったと思う。

                      私が幼き頃はおもちゃといえば何がなくともタカラ社であり、ロゴには抱っこちゃんがデザインされていたのだけど、私がおもちゃを卒業しようというくらいのタイミングで抱っこちゃんがロゴから消えたし、ちびくろさんぼが告発されたのも同時期で、その後スチュワーデスとか看護婦とかも公には言わなくなった。それらに比べると「ホモ」「オカマ」あたりはまだ最近っていうか、それこそLGBTって言い出した現在進行形の議論なので、今後も同様の炎上が起きると予想する。

                      また90年代初頭の同性愛者事情を回想するうえで、「保毛尾田保毛男」「ミスターレディ」と並び思い出されるのがエイズである。今はあまりエイズって言わなくなったし、川田龍平を見るかぎり、医学の進歩なのかHIVに感染してもエイズを発症せずにすむようだが、この頃はエイズといえば性行為で感染即死亡。特に同性愛者。ってイメージだったし、たぶん実際そうだったと思う。

                      以前くしゅくしゅソックス時代は骨粗鬆症の恐怖とカルシウムの重要性がうたわれた時期と回想しているが、当時エイズは骨粗鬆症以上にガクブルで、もうエイズとオゾン層破壊で人類オワタくらいに思っていたし、また日本消費者連盟の本読んで資生堂の化粧品とか使ったら肌ボロボロになって死ぬ。とガクブルしてたし、とにかくいろいろとガクブルしていた。こういう意識はなぜかルーズソックス時代以降とんと消滅するのだが、エイズも1995年3月に川田龍平が実名で告発してから「性行為」「同性愛」から急速に薬害事件のイメージに変わった。

                      というわけで「保毛尾田保毛男」「ミスターレディ」「エイズ」と、くしゅくしゅソックス時代にはさまざまな形で偏見にさらされ注目を集めた同性愛者もルーズソックス時代以降はコギャルのほうが強烈だったせいか、それこそ「おねえ」って言われる時代になるまで話題になること自体が少なかったように思う。2010年代以降は女の化粧がまた太眉と口裂けになってJKの靴下がくしゅくしゅするなど世の中が急速にくしゅくしゅ化しているため、ふたたび同性愛者やフェミ男(今で言うジェンダーレス男子)にスポットライトが当たってきている。

                       

                      コンドマニアはなぜ原宿の一等地に?実は儲かっているその実態

                      https://www.fashionsnap.com/inside/condomania-coverage/

                      コンドマニア原宿店は1993年の2月にオープンし、今年で創業23年目。キャッチーな外観が目印で店内は広さ4.5坪とコンパクトな作りになっている。

                      根岸氏は「オープンした90年代の前半は、フレディ・マーキュリー(Freddie Mercury)やキース・ヘリング(Keith Haring)など、ミュージシャンやアーティスト、スポーツ選手たちがHIVであることをカミングアウトし、世界的に話題になっていました。コンドームを買うとしても町の薬局やドラッグストア、スーパーでしか手に入らなかったんです。そのためHIVをコンドームで予防しようという認識も無いに等しい状況でした」と当時を振り返る。同社には当時アパレル事業部があり、海外に買い付けに行った際に、HIVを予防する活動を目にする機会が多かったという。「遅かれ早かれ日本でも問題になると思い、HIV予防を啓蒙するために何かできないか」と思い立ち、1号店を六本木に出店した。

                      原宿店はそれに続く2号店という位置付け。日本では買うことが恥ずかしいとされるコンドーム、専門店をやるとしても裏道に開業するのがセオリーだ。だが同社では裏道でHIV予防を啓蒙することが難しいと判断し、人の目につきやすい原宿の一等地にオープンさせた。「だめだったらすぐ撤退しようと考えていた」という根岸氏の思いをよそに、オープンからTVや新聞、雑誌など多くのマスコミに取り上げられたことで順調な滑り出しを切った。

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