ホリドールをまいた田

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    『岡山県ニュース』農薬散布のお手本(YouTube)

    https://www.youtube.com/watch?v=-VVZnJRSzGw

    「真夏の強い太陽を受けて、稲が今年の豊作を約束するようによく育っていますが、ずい虫やウンカなどの害虫が発生しないように注意したいものです。戦後稲の害虫駆除に大きな効果を上げているホリドールなどの農薬は人や家畜にも大変有害ですから、決められた段階から正しい使用計画を作り指導員の実地指導によって作業します」

    作業員のマスクがガチすぎる。これいつ制作か書いてないけど60年代の映像だろう。

    「原液の入っていたビンは土を深く掘って埋めます」

    「空き袋も必ず焼き捨てます」

    ホリドール(パラチオン)自体もさることながら処理方法がめっちゃ環境に悪そう。猛毒すぎて虫のみならず人間の自殺に使われたり作物もライポンで洗っていたのだろうが、BHCと同じく1971年に使用禁止になった。

    だから今の農薬はマイルドになってるけど、近年ミツバチの数激減してる「蜂群崩壊症候群」に市販の殺虫剤にも使われるネオニコチノイド系農薬との関係が疑われ10年ほど前からそこそこ大きく報じられている。人体に直接悪いというよりミツバチが植物の受粉しているので生態系の見地からよろしくないのだろう。

     

    この映画は「蘇れ 生命の力〜小児科医 真弓定夫〜」の岩崎靖子監督らしい。安倍昭恵さんもミツバチ飼ってたけ。

     

    Yahoo!知恵袋

    https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1419461574

    【ホリドールをまいた田です。そばに近寄らないでください。。】と書いた看板を子どもの頃、よく目にしたものですが
    いつの頃か目にしなくなりましたが、現在では稲作にどんな農薬を使用してるのでしょうか?

    なお、ホリドールはどの程度きつい農薬だったのかも合わせて
    ご説明お願いいたします。。。

    よろしくおねがいいたします。。。

    ベストアンサーに選ばれた回答

    プロフィール画像

    fir********さん

    2008/9/2721:54:59

    ホリドールは有機リン系の薬剤で成分はパラチオンです。
    薬効は非常に高く、幅広い害虫に効果を示していました。
    一方、急性毒性も高く、たしか”毒物”指定ではなかったかと記憶しています。
    その毒性の強さから、取り扱いには注意が必要で、よく事故を起こしていました。誤飲だけでなく皮膚からの吸収もいいため、希釈液を素手でまぜていて死亡した事例もあります。この毒性の高さから、自殺にも多く使われました。今でも、農薬を飲んで自殺を図る人がいますが、現在は毒性が非常に低く、ほとんどが死ねずに苦しい思いをするだけとなっています。自殺には農薬のイメージはこのホリドールが大きなウエイトを占めていたのです。
    ”ホリドール 農薬”で検索すると事例が多く出てきますのでそれを見ていただければ良いと思います。
    なお、ホリドールは現在販売禁止農薬となっており、販売や使用すると罰則が適用されるようになっています。
    昔の農薬は一種類の薬剤でほとんどの害虫や病気に効果のあるものでした。反面、毒性が高く、残留性も強かったため、様々な問題を引き起こしました。レイチェル・カーソンの「沈黙の春」この時代の農薬の問題性を取り上げたものです。
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    平成出逢い史

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      正月に放送されてたらしいNHK「平成ネット史」て番組を見た。もう平成終わるので日本で平成振り返る人気なのは分かるのだが、ミュージックビデオとか見てると天皇制関係ないはずの外国もやたら古いパソコンとか携帯とかビデオデッキ出してくるので平成は世界的人気な気がする。

       

      Charli XCX & Troye Sivan - 1999 [Official Video]

      https://www.youtube.com/watch?v=6-v1b9waHWY

      チャーリーXCXは5年ぐらい前にヒットした「Boom Clap」以降どんな歌出してたのか知らなかったけど、かねてより90年代からそのまま抜け出してきたかのような存在感だったためにタイタニックやbabyG(カシオの腕時計)やTLCをパロディし「1999年に戻りたい」と唄うどストレートな楽曲「1999」はまさしく本領発揮といった趣である。もしJ-POPでこれと同じビデオ作るとしたら宇多田ヒカルが中腰で唄うオートマティックのパロディはマストだろうし、他は浜崎あゆみ、鈴木あみ、椎名林檎、東京生まれヒップホップ育ち、ガングロ、キレる17歳とかこの時代だ。

      コラボ相手のトロイ・シヴァンて人初めて知ったがすごい細くて格好良い。このビデオ見て今はいてるスニーカーの底がもうちょっとすり減ったら次スケッチャーズにしようと心に誓った。

       

      [EXID(이엑스아이디)] 알러뷰 (I LOVE YOU) M/V (Official Music Video)

      https://www.youtube.com/watch?v=SAdmzjsFVQo

      K-POPガールズグループEXIDのビデオに出てくるのは食べ物の飾りでデコったモトローラ製の携帯電話。韓国人てサムスンとかLGとかしか使わないと思ってたけどそうでもないんだろうか。

      携帯電話と時代が違うような気もするが、このビデオデッキの回す奴あった。デジタルしか知らぬ現代の若人にとってビデオやカセットのペラペラしたテープが高速回転して早送ったり巻き戻ったりする動きは目新しく愉快なのに違いない。

       

      青山テルマ - 世界の中心〜We are the world〜 (Music Video Full)

      https://www.youtube.com/watch?v=vUf8R-T2Xvw

      個人的には昭和といえばレコード、平成といえばギャル、て感じだ。ギャル史もその原型となったパラギャルやコギャルからカウントしたらもはや30年近く、現在のママ世代は当然ながらへたすると孫がいてもおかしくない。

      ちょっとイントロが安室奈美恵「TRY ME」ふう。このビデオなぜか途中でギャルと何の関係があるのか分からない韓国のキャラ「すこぶる動くウサギ」も出てきた。

       

      冒頭の平成ネット史の話に戻ると、ネットにうといのでよく知らなくまた後半はあまり興味なかったので見てない。番組で出てきたのはパソコン通信とかチャットであった。

      昭和から存在した原始的な雑誌の文通募集もしくは売ります買います情報がおそらく90年代いっぱい生きながらえてたとはいえ、やはりくしゅくしゅ〜ルーズソックス時代はネットに限らずコードレスやポケベルで通信がパーソナル化したこともあって、地元と関係ない他人にアクセスしお友達になったりちょめちょめ(売春等)する敷居は急速に低くなっていった。プッシュホンや女が無料で使えるフリーダイヤルにくわえiモードや写メールが出てきてどうなっていったのか・・・mixiの時代になるとある程度可視化されるからか逆に地元や同級生でくっついてた気がするが。

       

      https://www.amazon.co.jp/dp/B00006ALYN

      Amazonレビュー

         人生に行き詰まりつつあるサラリーマンの逸見(内野聖陽)は、「ハル」というハンドルネームでパソコン通信を始め、やがて「ほし」と名乗る人物とのメール交換が始まる。しだいに「ほし」が女性(深津絵里)であることがわかり、彼女もまた、人生に悩みつつ日々を生きるひとりの若者であることを知る…。
         森田芳光監督が、まだメールという言葉が一般的でなかった1995年に、お互い顔も知らぬまま恋に落ちていく男女の姿を、画面いっぱいのメール文字を中心にしながら描いていくという実験的要素と、時代を先取りする卓抜したセンス(アメリカ映画『ユー・ガット・メール』よりも早い)で繰り広げていくラブストーリー。主人公ふたりがさまざまないきさつを乗り越えて、ようやく出会うラストシーン。そこでの台詞の美しさたるや!(的田也寸志)

       

      ツーショットダイヤル(Wikipedia)

      https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%84%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%80%E3%82%A4%E3%83%A4%E3%83%AB

      男女の出会いや交際を目的としたもので1990年代に若者の間で人気となった。 名称は男女が二人きりになる、デートするという意味の当時の若者の俗語であったツーショットに由来し、サービス利用者間で気に入った同士の男女は二人だけで会話することができた。当初の仕組みは男性がNTTによる情報料金課金回収代行サービスであるダイヤルQ2回線から電話し(通話料を除いて1分100円の情報提供利用料金)女性はフリーダイヤルを通じて結線されていた。男女ともにプッシュ操作で通話相手が変更できた。

      サービスの由来は同様の事が目的のテレクラ(テレフォンクラブ、テレホンクラブ)と呼ばれる電話を利用した風俗店であるが、ダイヤルQ2の登場により自宅の電話からも気軽に利用できる事から人気が高まった。
      ・・・

      Q2サービス開始直後からの爆発的な利用拡大に伴って、援助交際目的の利用が次第に増え少年非行や未成年相手の淫行の温床になったり、若年者が長時間利用したことによる高額の利用料金請求などが社会問題となった。また同時に不当請求事件(回線所有者自身がQ2利用した記憶がないのにNTTから請求がある)、情報提供事業者が自ら違法テレカを利用し自らの提供番組に電話し不当利益を得る、などの事故も起こった。

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      じゃマール(Wikipedia)

      https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%98%E3%82%83%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%AB

      創刊当時の日本では「個人が情報交換の発信者になる」という概念は、後述するような萌芽は見られたものの、まだまだ希薄であった。当時、すでに先進的なメディアとしてNIFTY-ServeやPC-VANといったパソコン通信が全盛期であり、その方面では個人間の情報交換という概念が成熟していたが、これを利用するためには、MS-DOS・通信プロトコル・モデム操作など、コンピュータに関するある程度の知識が必要であり、日本全体から見ればほんの一握りの先進的ユーザがコンピュータを利用しているにすぎない状況であった。ましてインターネットは未だ黎明期であり、「普及」とは程遠い状況であった。なお創刊号が刊行された1995年11月は、日本でMicrosoft Windows 95の販売が開始された月でもある。

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      当初は首都圏を中心に刊行されたが、1997年に「北海道版」「東海版」「関西版」「九州版」が創刊された。

      この頃、たまごっちブームやフリーマーケットブームなどの影響で「個人間売買」という概念が日本国内でかなり定着しており、先述したパソコン通信のようなオンラインのものから、「売ります・買います」掲示板のようなオフラインのものまでよく見られるようになった。じゃマールもこの時流に乗ることができたため、この頃は刊行部数も隆盛を極めた。

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      しかし、1999年頃から競合するメディアとしてインターネットが台頭してきた。

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      さらに、じゃマールをはじめとした個人間情報交換誌を利用した犯罪行為が社会問題になっていった。個人間売買では、じゃマールを通じて偽ブランド品を販売した容疑で情報投稿者が逮捕された事例[5]が発生したり、じゃマールを通じて友人を募集した少女が暴力団組員に脅迫された上に拉致され、風俗店で働かされて給料のほとんどを詐取されていた事例[6]が発生するなど、さまざまな問題が起きていた。これらの問題は紙媒体であるじゃマールに限ったものではなく、インターネット上でも同様の問題を抱えている[7]ものであるが、紙媒体の場合は、責任問題その他の法的な問題や、警察捜査の受け入れその他の事務的負担が、すべて出版元であるリクルートフロムエーに降りかかってくる点がインターネット媒体と異なっており[8]、同社も専用相談電話を開設するなどの対応を行ったが、その対応には一定の限界があった。

       

      【懐かCM】1995年頃 じゃマール 〜Nostalgic CM of Japan〜(YouTube)

      https://www.youtube.com/watch?v=CziZzCnIarE

       

      じゃマール 神田うの(YouTube)

      https://www.youtube.com/watch?v=Q1FNdWsysNA

       

      2ちゃんねる(Wikipedia)

      https://ja.wikipedia.org/wiki/2%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93%E3%81%AD%E3%82%8B

      2ちゃんねる(にちゃんねる)は、日本の電子掲示板である。2ちゃんねるは、略して「2ちゃん」、「2ch」等とも表記される[1]。

      1999年5月中に「ひろゆき」(西村博之)を名乗るネットユーザーの個人サイトとして開設。

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      魔法のiらんど(Wikipedia)

      https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%94%E6%B3%95%E3%81%AEi%E3%82%89%E3%82%93%E3%81%A9

      1999年 - 無料ホームページ作成サービス「魔法のiらんど」をリリース。当時はiモードとインターネット向けであった。

       

      スタービーチ(スタビ)とは?ガラケー時代の伝説の出会い系掲示板

      https://kirari-media.net/posts/483

      スタービーチは1999年の12月にサービスが開始されました。

      1999年という年は、docomoでガラケーでインターネットを閲覧できるi-modeのサービスが開始された年でした。ポケベルからPHS、携帯電話へのユーザーの移行がほぼ終わりかけていた時代です。もちろん当時はまだガラケーでした。

      女子高生やビジネスマンは携帯電話が必需品となっていて、これらのユーザーを中心にスタービーチが広まり始めました。そして2000年代になり携帯電話を1人1台所持する時代になると、スタービーチは爆発的な人気となります。

      ガラケーでスタービーチなどの出会い系掲示板が閲覧できるようになる前も、パソコンのメッセンジャーなどを使いPCの公式サイトとしての出会い系サイトは存在しました。

      しかし、ガラケーという誰もが持っているデバイスで利用可能になった事で、一気に裾野が広がったのです。しかもスタービーチはサイト開設から閉鎖まで利用料金が無料だったことから、ユーザーが桁外れに多く今でも伝説となっているのです。


      高度ハエ成長期

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        以前記事にしたように昔は熟成う○こを肥やしにしてたのを高度経済成長期には衛生的で収穫量が上がるからであろう化学肥料に移行したために使い道のなくなったう○こをそのへんに埋めたり流したりしてたそうなのだが、今も東京湾てう○こで汚染されてなかったけ。とさっき検索したところによると、合流式の下水は雨と汚水がいっしょなのでゲリラ豪雨とか降ると放流されてるらしい。大腸菌とか打ち水とかオリンピックこわすぎる。

         

        五輪会場 大腸菌20倍 東京・お台場、基準値超え対策へ(毎日新聞 2017年10月4日)

        https://mainichi.jp/sportsspecial/articles/20171005/k00/00m/050/082000c

        2020年東京五輪・パラリンピックで水泳のオープンウオーターとトライアスロンの会場になるお台場海浜公園(東京都港区)周辺の水質について、今年7〜9月の調査期間の半分以上の日で、それぞれの国際競技団体(IF)の基準を上回る大腸菌などが検出されたことが4日、明らかになった。大会組織委員会と都が同日、発表した。組織委側は菌の流入を防ぐ措置で対応可能とし、「会場変更の必要はない」との見解を示している。

        水質悪化の原因は、都心で観測された21日連続の降雨で汚水などがたまったため。都オリンピック・パラリンピック準備局は「異常気象の影響が色濃く出た」。今後は水中に布製のシートを設置して菌の流入を防ぐといい、記者会見した組織委の室伏広治スポーツ局長は「都、IFと一丸で対策を講じたい」と語った。

        調査は7月24日〜9月6日の中で計26日間実施。オープンウオーターで国際水泳連盟(FINA)の基準をクリアしたのは五輪の時期に重なる21日間中10日にとどまり、ふん便性大腸菌群数がFINAの基準値の7.2倍を上回った日もあった。トライアスロンでは国際トライアスロン連合(ITU)が定める基準をクリアしたのは、わずか6日。7月末には基準値の20倍以上の大腸菌が検出された。【岩壁峻】

         

        昭和27年05月22日 くみとりの機械化 0003(YouTube)

        https://www.youtube.com/watch?v=79CK1J-_-40

        1960年版「し尿のゆくえ」にはまだくみとり桶が出てきてたが、この川崎の動画を見るといちおう1950年代初頭よりバキュームカーに切り替わりつつあったようだ。割烹着の奥さまがた大集合して壁に赤痢とか手を洗いませうとか書いているあたり、大掃除に動員されたのだろうか。

        映像で香りが伝わらないせいか鼻をつまむ演出もお約束だ。おそらくくみとり桶や手押し車のような非科学的なものは1960年代を通じ肥えだめなどとともに見かけなくなっていったと思われる。

         

        昭和36年制作/第178号 ぼくの衛生日記(YouTube)

        https://www.youtube.com/watch?v=fMCNzMPHGrQ

        「し尿のゆくえ」しかり、高度経済成長期の動画見てるとけっこうな確率で赤痢という病気が登場する。字から察するに血まじりの下痢なのだろう。←適当

        「その日、学校の帰り道安藤くんたちは病院の車に出会いました。去年町に赤痢が出たときもあの車が来ていました。この町からどういうわけか毎年赤痢が出る。なんとかならないものだろうかと考えました」

        「係の人がこの前手形を取ったシャーレを出してきました。洗った安藤くんの手形は菌が少なく、洗わなかった斎藤くんのはばい菌がいっぱい。このばい菌のなかには恐ろしい赤痢菌がいることもあるそうです」

        お子さんがた顕微鏡でたんねんに赤痢菌を観察。

        「ある日安藤くんがうちに帰ると誰か来ています。お医者さんです。妹が寝ています。安藤くんは赤痢ではないかと心配になりました」

        寄合いで赤痢の予防について指導する保健所の職員。あぶら虫とは花につく奴じゃなくてごっきーのことだ。

        台所にたかるハエ。赤痢菌はハエやごっきーが媒介していたことであろう。

        「今日の大掃除には自動煙霧機が大活躍。竹やぶや木の茂みは蚊の住みかです。路地から路地にもまんべんなく。畳の下にも忘れずに。床下にもすみずみまで薬がまかれました」

         

        「はえ」日映科学映画製作所1954年製作(YouTube)

        https://www.youtube.com/watch?v=NaGbeHJkBV4

        ハエの生態を追う気色悪い動画。

        今ごはん外に出しててもここまでハエたからないと思う。昔は犬のう○こ道ばたにゴロゴロ落ちてたし人間の便所もヴォットンだったのでハエ元気だったのかもしれない。

        私が子どもの頃も今よりハエよく飛んでてハエ叩きでしばいてたけど、今ハエ叩きなどというハエに特化した道具使ってる人ってだいぶ少なくなったんじゃないだろうか。ウジ虫にいたっては見たことさえない。

        「汚いものを好んで食べるはえ。そのつばを調べてみるといろいろな菌の中にまじって恐ろしい赤痢やチフスの菌をよく見かけます」

         

        市政ニュース27(YouTube)

        https://www.youtube.com/watch?v=v0BUHIUeHoQ

        浜松市の市政ニュースいつ制作かは書いてないけど赤痢に用心してるから昭和30年代なんだろう。

        「今年は赤痢の多い年です。新聞もしきりに集団発生を知らせています」

        「赤痢は口からうつる病気ですが、その元はおたくのトイレで・・・」

        「こらこら。坊や、いけませんねぇ」

        坊やトイレの後に手を洗わず食事に戻ってきて注意される。これもしかすると非水洗でちゃぶ台で食事しているような家だから赤痢発生しかねないってメッセージなんだろうか。

        「食事は手を洗ってから。トイレの中には赤痢菌がいっぱいついていますよ。それがもし口の中に入ったらたいへんです」

        「ぼくの衛生日記」「はえ」に比べて赤痢菌ドアップすぎてびびる。

        この時代の衛生の衛の字がかなり気持ち悪い。えいせいで変換押してもこんな字出ないんだが・・・

        衛生課の職員が赤痢患者の出た家の周囲にじょうろで薬撒いてる。この頃の映画でも子供の赤痢患者が出たために家を消毒するシーンを見たことがある。

         

        茨城ニュースNO.24(1958年(昭和33年度)制作)(YouTube)

        https://www.youtube.com/watch?v=60RZ42S5ssg

        赤痢など伝染病が身近だった当時、病原菌を媒介する害虫どもをいかに殺戮するかが切実な課題であったにちがいない。

        殺鼠剤入り団子作りや小児麻痺(ポリオ)集団発生など、昭和30年代の動画は害虫駆除に消毒に割烹着の奥さまがた総動員ってよくあるパターンだ。ポリオウイルスは生ワクチン輸入されるまでは麻痺が残ったお子さんも多かったしやはりワクチンによって滅亡した豚を感染源とする日本脳炎て病気も蚊が媒介してた。

        じょうろで便所に薬をかけている。厚生省のサイトによると赤痢は戦後しばらくは10万人を超え2万人近くもの死者をみたが1965年半ば頃から激減、1974年には2000人を割り以降1000人前後で推移している。とのことだ。

        1965てことは井戸水、くみとり、下肥、こういうの使わなくなってハエが少なくなるにつれ菌も滅亡していったのではないだろうか。肥やしも発酵中に赤痢菌死滅するらしいのだが、ちゃんと処理してないケースもあったと思われる。

         

        市政ニュース15(YouTube)

        https://www.youtube.com/watch?v=-3OzbdJ3a8g

        お子さんがた「今日は衛生日。蚊とハエをなくしましょー」

        昔は日本船舶振興会みたいにお子さんがたよく行進してたのかもしれない。蚊やごっきーは今でも現役っていうかむしろ温暖化で増えてきそうな気もするけど、とにかく高度経済成長期は衛生や殺虫が重要なのであり昭和のホーロー看板とか見てても代名詞的存在のオロナミンCやボンカレーに劣らず金鳥やアースや蚊取り線香など殺虫剤の広告も多い。

        「日曜日は今月の会合で決めたことの実行です。蚊とハエのいない町をつくるため、子どもたちは町内をまわって呼びかけます。道やどぶの清掃をしたり薬をまいたりする仕事もお父さんやお母さんたちの協力をえておこなって、たいへんうまくいっています。こうした子ども会活動は町じゅうから喜ばれています」

        割烹着の奥さまがた総動員のどぶさらい・害虫駆除にお子さんがたもくわわった。どぶもきれいにしとかないとすぐ臭いや虫が出る。

        この頃の衛生動画で定番のじょうろによる薬剤散布は成分が強くないのかお子さんがたにもやらせてた。

         

        市政ニュース9(YouTube)

        https://www.youtube.com/watch?v=-LujUA0TK-Y

        「蚊やハエのいない町。この理想に近い町がわたくしたちのまわりにいくつかあります。今日はそのひとつ大久保町をご紹介しましょう」

        この時代の衛生の衛の字が気持ち悪い。もしかすると戦後GHQあたりの逝きなはからいで衛の字って画数多くて難しいからと漢字を民主化してくれたのかもしれないが、気持ち悪いので使われなくなったのだろう。

        割烹着の奥さまがた総動員で町の清掃。かくして大久保町は環境衛生モデル地区となった。

        「ではみなさんにこの浸漬コード法の作り方を説明しましょう。材料はコードとして細長い布きれや縄、テープなど吊り下げやすいものを用意します。次にダイアジノンという薬を5倍から10倍に薄めます。この薬の中にコードを浸して薬が垂れない程度に縛ります。これでできあがりです」

        この浸漬コード大量生産して町民に配布しており家じゅうに吊り下げておくと一ヶ月ほど防虫だか殺虫だかの効果があるらしい。バポナみたいなもんなんだろうか。

        浸漬コードのおよばない地中にいる幼虫に対しては土を掘り返してリンデン乳剤とやらを撒いている。先ほども書いたように高度経済成長期の衛生動画にはたいていじょうろで殺虫剤を散布するシーンが写ってるのだが、検索したところによるとこのリンデン乳剤という薬はBHCのことのようだ。

        BHCはレイチェルカーソンとかに環境に悪いって言われたので今は使われてない。1960年代は食中毒や伝染病の恐怖が隣り合わせなためライポンで野菜洗い割烹着の奥さまがた総動員で殺虫剤散布してたのが、70年代に奥さまがオバタリアン世代になると今度はぎゃくに薬剤による複合汚染や食品公害が問題視されてほんものの牛乳を共同購入と言い出し、80年代には伝染病にかわりお子さんがたアトピーやアレルギーに悩まされだしたり自然なお産(ラマーズ法)や母乳が脚光あびてくるってのがわが戦後奥さま史の雑な認識である。

         

        https://buyee.jp/item/yahoo/auction/g256737470?lang=ja

         

        スプレー缶がなかったのか、DDTなど戦後しばらく殺虫剤は空気入れみたいなので噴射してた模様。現在は恐ろしげな「殺虫剤」に変わり「虫ケア用品」などという不明瞭な名称も提案されているようだが、ハイトリ(はえ取り紙)で有名な倉敷のカモ井製キリメツはKILL&滅を意味することから虫へ容赦なさがうかがえる。

        同社は1952年にBHCも発売しているがかってBHCは大量に使われた結果、牛乳への汚染が問題視されたので1971年には早くも使用禁止になった。ハイトリの全盛期はやはり水洗トイレやごみ処理が遅れていた昭和30年代だったそうで、現在カモ井はその絶妙な粘着技術を生かしほっこりかわいいマスキングテープで名をはせている。

         

        BHC

        http://mh.rgr.jp/memo/mk0016.htm

        有機塩素剤のBHC(別称HCH)の農薬のことであり、BHCはDDTに続いて広く使用されるようになった農薬で、早くから国産化され安く供給されました。人に対する急性毒性が非常に低くなったことなどから広く普及しました。主に生産されたBHCには、殺虫剤としての有効成分であるガンマ・BHCのほか、少しだけ構造が異なるベータ・BHCという物質がかなり含まれていました。 このべータ・BHCは殺虫効果が弱い反面、化学的に極めて安定した化合物であったため、水田で使用されたものが稲わらにも大量に残留し、この稲わらがを餌にしていた乳牛が多くいたため、その牛乳のBHCによる汚染として大きな社会問題となりました。 日本では昭和46年以降農薬として販売禁止となり、使用されなくなりました。

         

        「沈黙の春」の著者レイチェル・カーソンとは・・・

        http://www.gorotto.com/column/kankyo/nov/note1.html

        「沈黙の春」に取り上げられている農薬は主に、DDTBHCをはじめとする有機塩素系殺虫剤と、パラチオンに始まる有機りん系殺虫剤です。当時、アメリカではこれらの農薬や化学物質は止めどなく生産され、使用されていました。

        1962年に「沈黙の春」が出版されるずっと以前から一部の学者や関係者の間では、これらの薬剤のマイナス面についての危惧の念を抱く人もありました。しかし、第二次世界大戦のイタリア戦線において、発疹チフスが流行して多くの兵士達が倒れた時、病菌の媒介昆虫であるシラミをDDTが徹底的に駆除し、この病気のドラマチックな終息をもたらしたこと、太平洋戦争でマラリア蚊の防除に効果を発揮したことなどのためにDDTは救世主のように思われていました。

        日本においても、終戦の混乱期、防疫の目的で、駅頭でだれかれとなくDDTの白い粉を頭から振り掛け、背中にまで吹きこむということがありました。このときは誰もいやだといえず、衛生の為には仕方のないことと思っていました。DDTやBHCは殺虫剤であって人間には無害であると信じられていたのです。そうした中で「沈黙の春」は出版されたのです。

         

        [昭和40年7月] 中日ニュース No.601_3 「ハエ騒動記」(YouTube)

        https://www.youtube.com/watch?v=XhiTFLmU_9M

         

        [昭和40年11月] 中日ニュース No.619_2 「夢の島の鼠退治」(YouTube)

        https://www.youtube.com/watch?v=GwqQfi9p-xo

         

        夢の島(Wikipedia)

        https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A2%E3%81%AE%E5%B3%B6

        1965年か?埋め立て中の夢の島で大量発生したハエが飛来しハエ取り紙にびっしりはりついてる。

         

        【江東区】夢の島「ハエ撲滅作戦」を経て、ファミリー層に人気のエリアになるまで 50年後のずばり東京――そこはかつて、高度経済成長の負の象徴だった(7月30日 文春オンライン)

        http://bunshun.jp/articles/-/7904

        この黒い大群の猛威はすさまじかった。南砂中央町会会長の石原さんが証言する。

        「すごいなんてもんじゃない。あの頃、ハエ取りリボンていうのがあって、それをぐるぐる棒状にして3本とか4本部屋にぶら下げておいた。一時間もすれば、それがハエでびっしり覆われて真っ黒になった」

        食事をするのも一苦労だった。準備が必要だからだ。

        「その2時間とか一時間前に部屋を閉め切ってハエを入れないようにする。それでも何匹かのハエはすでに部屋に入り込んでいるので、それを殺虫剤でまず退治する。次にお膳を出し網のふたをかぶせる。それでも入ってくるから、うちわでバサバサ仰いでハエを防ぎながら、急いで食べたんですよ」(石原さん)

        このハエの大群襲来騒動で、夢の島の“悪名”は一気に日本中に知れわたった。

        ・・・

         

        それにしても高度経済成長期に割烹着の奥さまがたが殺虫剤散布する動画見たく思いYouTubeで赤痢を検索したら赤痢って名前のバンドばっかり出てきて腹立つ。同様に日本脳炎で検索しても日本脳炎って名前のバンドばっかり出てくるので、さてはチフスって名前のバンドもいるだろ。と、検索したらやっぱりいた。

         

        日本パンク伝説“チフス(TYPHUS)”のほぼコンプリート音源集が登場

        https://www.cdjournal.com/main/news/typhus/71895

         

        赤痢 (バンド)(Wikipedia)

        https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E7%97%A2_(%E3%83%90%E3%83%B3%E3%83%89)


        水に流してた

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          1950年代に熊本県水俣市で発生した公害「水俣病」は、チッソの工場排水にメチル水銀が混じったことで魚が汚染された。ということを調べていてふと、水銀に限らず有毒な物いろいろと垂れ流していたであろうわが国の歴史に思いをはせずにはいられなかった。戦後すぐぐらいまでなら江戸時代とそこまで変わらなかったので、ゴミとか川に流したり土に埋めても自然に帰っていたのかもしれない。

          だから高度経済成長期に入っても人類がそんな便利なライフスタイル送った前例がないばかりにしばらくはとりあえず流しとけば今までどうり分解され消えると思われ、その結果が水俣病はじめとする深刻な水質汚染だったと考えられる。水俣病の原因となったメチル水銀はプラスチック作る原料を製造する過程でできてたそうだが、石炭からのエネルギー革命もあったし50-60年代は石油の依存度うなぎのぼって廃棄物は自然界で循環しなくなった。

           

          し尿のゆくえ(YouTube)

          https://www.youtube.com/watch?v=hlcgEajh1Qs

          1960年ごろの映像らしい。これ人気動画なのかニュース映画見てるとけっこうな頻度でサジェスト表示されて鬱。

          「ずらり並んだ、汲みとり桶の異様。旧態依然たる屎尿の処理です。まさに屎尿の臭いに満ちたにっぽん的風景とでも言いましょうか」

          このカットのあと桶の中身がアップになりバシャァァッてひしゃくですくったり、狭い路地をチャプチャプ♪って跳ねてきそうな足どりで天秤棒に担がれてた。おらが村には下水などというオシャな物はないのでヴォットン便所やバキューム車はなじみ深いが、汲みとり桶(こえたご)と天秤棒はさすがに見たことない。

          カラー映像だったら、どんなだっただろうか。しかしにっぽん的風景=臭い、非衛生、遅れてるって嫌味がいかにも戦後ぽいし、そんな時代だからこそ米食や産婆や添い寝がバカにされていたのにちがいない。

          「その屎尿も昔はお百姓さんが桶を担いで屎尿を買い歩き、馬や船で農村に運んで農作物の貴重な肥料としました。それ以来ずーっと屎尿は肥料資源として大切にされてきました。しかし屎尿にとってのいわゆる黄金時代も終わりを告げるときがきました」

          ひしゃくでバシャアアッて下肥をやるにっぽん的風景と化学肥料を撒く近代的な農法が対比される。この時代が下肥の衰退期でこえだめに行き場のない熟成う○こがあふれかえっていた模様。

          「農村還元がさっぱりとなると、あとからあとから出てくる屎尿の始末はさてどうすればいいのか。全国の市町村は頭の痛いところ。やむをえず野原に穴を掘って捨てています。穴というよりまるで沼のようです。やがて屎尿は土にしみこみ地下水に流れ込んで、近くの井戸や川の水を汚染するおそれは十分です」

          地下水汚染ほのめかし、からの井戸水で念入りに米といだり野菜洗うカットにやめろぉぉぁ。てなった。それにしても、1960年は米炊くのにこんな釜や井戸水使っていたんだね。

          「ある大都会。その膨大な量の屎尿がだるま船に積まれて大川を下っていきます。われわれはそのあとを追ってみましょう。さて行きついたところはもう一段と大きい船。屎尿が積みかえられています。今度は屎尿を積んだ大型船が、岬の灯台を超えて沖へ沖へと走ります。やがて船は遠く黒潮流れる外海に出ました。バルブがゆるめられました。船底が開いて屎尿が海面に流れ出します。な〜るほど。すべてを水に流してしまおうというわけなのでしょうか」※白い帯状は屎尿

          海洋投棄からのお子さんがた海水浴シーンにやめろぉぉぁ。てなった。無数の浣腸がプカプカ浮いてるし海の底に汚泥がたまって魚も寄りつかないとか言ってて怖すぎる。

          「調べてみると屎尿を投棄した近くでは、魚や貝などのエラや内臓に寄生虫の卵やおびただしい大腸菌の群れが認められます。こうして汚染された魚や貝を食べたり不潔な流れや井戸の水を飲んだことから毎年数えきれぬ人びとが赤痢、腸チフスなど伝染病の犠牲となって倒れていきます」

          ちょうどこのころ産婆→病院出産っていうのも、下肥→化学肥料みたいな感じで切り替わっていったのだと思われる。たまにこういう高度成長期の悪によって「昔はよかった」を否定しようとする人がいるのだが、時間的には昔であってもマーブルやエールチョコなどと気取った横文字使い、古き良き日本を非衛生、非科学、遅れてる、米食べると馬鹿になるとしてことごとく否定していた時期なので引用するのにふさわしくないっていうかむしろこの時期の汚染ぷりを嘆いているからこそロハスは経済成長を否定し自然なお産や有機農業に回帰しようとするのである。

           

          し尿のゆくえ(YouTube)

          https://www.youtube.com/watch?v=7s9yoQHeVac

          まったく同じタイトルの浜松市版「し尿のゆくえ」。白黒なのかカラーなのかよくわからん色の薄い動画で、上の「し尿のゆくえ」に比べると内容もかなりマイルドになっている。

          1968年と上の「し尿のゆくえ」の8年後なだけあってそのぶん下水もだいぶ整備された模様。この感じだと農家の自家処理およびこえだめは1970年代を通じてほぼ滅亡したことであろう。

          こえだめと衛生的な化学肥料が対比される畑の風景は、上の「し尿のゆくえ」と全く同じ構成である。大量の余剰う○こを川や海や山に捨てるのも汚いけど、下肥使ってたらまた虫ついてるから汚いと野菜をライポンで洗うっていうポイズンぶりなのでさすが水俣病発生してた時期なだけあると思った。

          ライポンといえば最近人気爆発している袋に入ったサラダ、洗わずにそのままドレッシングかけるもので、私はああいうの絶対ライポンで洗ってるよな。と思って、かっては食べたくなかった。でも何かのできごころで安売りしてたのを食べてみたところ、細かく切れてるし野菜が何種類か入ってるし、洗う必要ないから水も完全に切れててドレッシングがよくからむので自分が野菜洗って切るサラダよりおいしかった。

          すると先日、ナメクジの寄生虫だか菌だかが脳に入って障害が残り、死に至った人のニュースを見てびっくりした。野菜から出てきたらナメクジさんが食べるくらいだから安全なんだね♪と思ってたロハス脳だったけど、前述のニュースで、ナメクジきっっったねーーーーーー。てなって、もはやライポンで洗った野菜しか食べたくない。

           

          昭和31年05月16日 皆さんのあと始末 0067(YouTube)

          https://www.youtube.com/watch?v=X6TzamUDgOs

          「みなさんが毎日捨てるごみや体内から排出する汚物はたいへんな量に達します。まず人口が増加するいっぽうでは今までの手押し車のような非科学的なものではそれを処理することができなくなってきました」

          これは川崎市っていうか神奈川県の動画。1956年とかなり古く上の両「し尿のゆくえ」ほどではないとはいえ、経済成長期の初期にはすでに屎尿処理が社会問題になっていたことがわかる。

          出た。くみとり桶。

          「こうして集められた汚物は一部農村に肥料として配給されますが、半分以上は川崎市の持つ屎尿運搬船2隻で絶えず遠く海の彼方へと捨てられます。嫌われながらも毎日たゆまず続けられる仕事。これに従事している人々のたいへんな努力があるのを私たちは忘れてはなりません」

           

          昭和51年04月27日 ごくろうさん清川丸 0351(YouTube)

          https://www.youtube.com/watch?v=EKEeC0q7hkE

          「川崎市では海の汚れを防ぐためにこれまで行っていた屎尿の海洋投棄を廃止。さる3月31日、川崎区夜光町でその終幕記念式を行いました」

          これなぜか白黒なのですごい古い映像に見えるけど、昭和51年なのでじつはそこまででもない。上の「みなさんの後始末」からちょうど20年、毎日たゆまず川崎市の屎尿運搬してた清川丸はここでようやく引退した。

           

          昭和38年 衛生プラント(YouTube)

          https://www.youtube.com/watch?v=KqwaKnho9DI

          「やーどうもくさくってかないませんよ。しかしこれはぼくのことではなくて人間さまの屎尿のことなんですよ♪」by馬

          「毎日毎日生産される屎尿。くさいとか不衛生だとかいわれながらも、昔は農家の大切な肥料として重宝がられてきました。ところが化学肥料が大量に生産されている現在、屎尿はどこへ行ってもじゃま者扱いされまさにふんづまりといったところです」

          桶とひしゃくを使った前時代的な下肥と衛生的な化学肥料を対比させるお約束の演出。この静岡県の動画は昭和38年だそうで東京オリンピックと同時期だ。

          「そうかといって嫌われもののこの汚物、なんとか処理しなければなりません。まさか川や野原には捨てられず、その処理はどこでも頭痛のタネ。焼津市では遠く海上へ運んでいるありさまです。1日でも休めばため池があふれるとあって日に2,3回の定期便です」

          まさか川や野原には捨てられず、て言うけど、そのまさかで1960年版「し尿のゆくえ」では川や野原におもっきしう○こ捨ててた。それでも海に捨てるっていうのは当時の常識だ。

           

          漁業者からみた屎尿の海洋投棄

          http://sinyoken.sakura.ne.jp/caffee/cayomo033.htm

          汲み取り屎尿を海洋に投棄する処分法は,昭和の初めから一部の大都市で行われていました。戦後,屎尿の農地への還元が行き詰まりみせた昭和25年頃からは全国的な広がりをみせ,沿岸の多くの都市で実施するようになりました。当初は内湾部へのほんの少量の投棄でしたが,その量が増えてくるとともに,「アサリやハマグリへの病原菌汚染」や「海苔養殖への被害」が起こり,次第に外洋域への投棄に移っていきました。
          屎尿の海洋投棄に対する漁業関係の学者の考え方は,当初,「海は潮の流れが強く自浄作用も大きいので,少しぐらいの屎尿投棄で海が汚濁されることはない。外洋を流れている黒潮は,栄養分の小さい海域なので,屎尿投棄により栄養分が補給され,魚の餌さとなるプランクトンの繁殖が助長される」というのが主流でした。しかし,瀬戸内海や東京湾の水質汚濁が社会問題化した昭和45年頃になると,「海の自浄作用を超える無計画な屎尿投棄は,漁場の荒廃を招く。海をゴミ溜めにすべきではない」という考え方の方が正論化されてきました。

           

          海洋投入(Wikipedia)

          https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E6%B4%8B%E6%8A%95%E5%85%A5

          一般廃棄物
          日本

          人口集中が下水道整備を超過した1950年代、都市部の収集屎尿は船舶による海洋投入処分が主流となっていた。当時、東京湾外の青い海原に広がる屎尿の黄色い帯が、「黄河」と評されたという。

          その後、下水道の普及や屎尿処理の高度化により、屎尿や下水道・浄化槽汚泥の(施設の建て替えなどによる)一時的な処分や、ボーキサイトからアルミニウムを精製する工程で発生する赤泥(せきでい)を処分する手段として、小規模に継続していた。

          やがて、ロンドン条約の1996年議定書を批准して国内法規を整備し、2002年の廃棄物処理法施行令の改正と2007年までの猶予期間の終了により、海洋投入は原則として廃止された。

          現在では、海底の浚渫土砂などごく限られたものだけが、海洋投入を認められている。
          韓国

          1988年から、汚泥や家畜糞尿、浚渫土砂などの日本海と黄海への海洋投入を開始し、実績は1990年には107万トン、2005年には993万トンとなっている。しかし、廃棄物からの重金属検出による投棄反対運動や、輸出した魚介類の回収要請[3]により、海洋水産部が削減計画を発表した。韓国では漁船が海にゴミを全て捨てることが一般的となっているため、苦言を呈す者もいる[4]。
          韓国海軍
          韓国海軍でも軍艦で出る生活ごみを全部海に捨てていることが判明している[4]。

           

          言うてもう○こ自体は自然だし海もなるべく遠くまで捨てに逝ってるけど、水俣病は湾に水銀を流し地元民が魚ばっかり食べたたらしいので毒性もしゃれなってない。また公害問題にとりくんだ宇井純と中西準子は下水の専門だった。

          よくニセ科学批判においてロハス野郎は放射能や添加物をゼロにしたい「ゼロリスク」と形容されてるのを聞いたことある方もいるかもしれない。ゼロリスク概念の元ネタはおそらく中西氏のリスク評価なのだが、ロハス野郎がゼロにしたいのはあくまで放射能や添加物なのに何でリスクをゼロにしたいって設定にされたのか私の中で謎が深まっている。

           

          「リスク」という概念を知らない日本人 - 『リスクと向きあう』(2012年12月9日 アゴラ)

          http://agora-web.jp/archives/1505977.html

          著者は日本の反公害運動の草分けだ。宇井純の弟子で、高木仁三郎などと同じ第2世代である。私も取材したことがあるが、70年代の反公害運動は今よりはるかに困難だった。そもそも公害というのがよく知られていない上に、情報が出てこない。役所も企業をかばうし、民放はスポンサーに遠慮してほとんど伝えなかった。NHKは公害問題にもっとも積極的に取り組み、高い評価を得た。

          参議院議員までつとめた共産党員の子として生まれ、マルクス主義の影響を受けた著者は、東大の助手時代に反公害運動に身を投じ、その結果として23年間、助手を続ける(小出裕章氏みたいなものだ)。しかし著者は反対だけでは何も変わらないと気づき、流域下水道に代わって小規模な「いい下水道」を提案する。これが藤沢市などに採用されて、日本の下水道は大きく変わる。

          しかし小規模な下水道でも、ごく微量の発癌物質は残る。それをどうしようか思い悩んでいるとき、著者は1987年にアメリカの議会図書館で「発癌リスクの許容度」のデータを見てショックを受ける。それまでの「安全管理」は、死者をゼロにすることが目的で、一定の死亡率を許容することはありえなかったが、これを機に彼女は「リスク」という概念を日本で広めようとする。

          しかし反対派は彼女を「体制側に転向した裏切り者」と批判し、離れていった。彼女はその後、横浜国立大学や産業技術総合研究所で、日本で初めて「リスク」と名のついた研究組織をつくり、さまざまなリスクを定量的に調査する。チェルノブイリ事故の現場も調査し、最大のリスクは強制退去による生活破壊だったことを知る。福島についても、放射線障害のリスクはないが、「ゼロリスク」を求める人々が被災者の生活を破壊している。

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          小悪魔バブル

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            トランスメディア
            ¥ 420
            (2017-12-14)

            VS SASOON(YouTube)

            https://www.youtube.com/watch?v=VpRHDFgMDT0

            先日、小悪魔agehaについての記事を書いていてふと、同誌が「小悪魔&ナッツ」として創刊された2005年ぐらいの時期て小悪魔ブームがあったよな。と思い出した。このシャンプーのCM詳細分からないけどたぶん2003年とか4年とかそんくらいじゃなかろうか。

            小悪魔のモデルさんジョンレノンの息子の彼女らしい。小悪魔という言葉にはおそらくその性的な魔性の魅力で男を翻弄するみたいな意味が込められていて、そういう点で水商売と相性が良かった。

             

            https://www.amazon.co.jp/dp/4872878418

             

            そもそも小悪魔って言葉がブームになったのも蝶々っていう銀座ホステスの本がきっかけだったと思う。読んだことはないけど、恋愛テクとか説かれてるんじゃないだろうか。

             

            BoA in the new Fasio cm(YouTube)

            https://www.youtube.com/watch?v=bxOsD0vFeQE

            上記のシャンプーCM同様、「小悪魔」を宣伝文句に使用したアイシャドウのCM。ダブルキャラクターアイズという商品で、アットコスメで確認したところファシオから2006年に発売されている。

            2000年代半ばは恋コスメやホステスの恋愛テクなど、男のハートをいかにわしずかむかということに女たちの関心が強かった。ダブルキャラクターアイズは黒から白までのいろんな濃さの色が入っているので、薄い色でナチュラル仕上げて王道モテ、もしくは濃い色で厚化粧と、一つのパレットでお嬢と小悪魔「2つのモテメイク」を叶えれるという。

             

            深田恭子 KOSE Fasio1(YouTube)

            https://www.youtube.com/watch?v=XleNOU7Fxt0

            ファシオといえば発売当初はマスカラを売りにしていた。CMで使われている深田恭子の曲から2000年のCMと推察されるが、今でも使われる「目ヂカラ」という言葉、最初はファシオの宣伝文句だった。

            私が初めて買った化粧品がメイベリンのダイヤルマスカラだったことを考えると90年代からすでにマスカラ人気だったと思うのだが、この目ヂカラって言葉が使われるようになったころからマスカラ下地やら繊維入りロングマスカラやらフィルムタイプやらとマスカラがすごい多様化し化粧で女たちの目がでっかくなった。その後つけまやマツエク、今はアイテープやカラコンで目ー盛るのが主流なのでマスカラっていうかバサバサまつげ自体そこまででもって感じだ。


            子供たちは傷ついた

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              胎教博っていう10年ぐらい前のスピリチュアルなイベントに胎内記憶とホメオパシーと助産師が一堂に会してる動画、胎教とか胎内とか言うくらいなのでこの人たちのあいだで胎児は皆が思うよりずっと全てを分かっていることになっており、お母さんも優しそうな人を空の上からより好みしてるし、不自然なお産(分娩台、陣痛促進剤、帝王切開)だと、赤ちゃん生れる前はママをよろこばせるんだ。っと意気込んでたくせに、矢島助産院や吉村医院みたいな昔ながらの落ち着いた畳の部屋で自然にこの世に生まれたかったのにテンション下がるわー。と、人生早々トラウマを抱え将来グレるってな思想を共有してる気がした。今は胎内記憶絵本で世のママたちをほっこりと癒す絵本作家のぶみも過去には池袋連合で160人もの不良をまとめてたって話なのでさぞ不自然なお産だったにちがいない。

               

              胎教博2007ダイジェスト 七田眞 池川明 由井寅子 高橋丈夫 須江孝子 傳田文夫 MIKIMIKI(YouTube)

              https://www.youtube.com/watch?v=BD40MoewW58

               

              子どものこころを理解しよう〜バーストラウマ〜

              https://www.ichigojyutsu.com/parent-child-relationship/birthtrauma/

              出生時は以下の理由でバーストラウマが発生すると言われています。
              現代医学に基づいた出産法をとること。
              陣痛促進剤などをもちいていること。
              帝王切開・吸引分娩などで生まれていること。
              ・陣痛や出産が始まることにより、へその緒からの酸素と血液が途絶え、赤ん坊が酸欠状態になり、死の恐怖を覚えること。
              ・難産などで、赤ん坊が蘇生処置を受けていること。
              ・笑気ガスやモルヒネを出産時に用いていること。

               

              地球上で生きる人間、誰しもが経験する母親のお腹から出る経験、出生。

              出生がバーストラウマの要因になるなんて、と驚かれる方もいるかもしれません。

              しかし実は、出生が一番バーストラウマの要因になりやすいと言われています。

              ここで赤ちゃんの立場にたって出生を考えてみましょう。

              母親のお腹の中で、羊水にぷかぷか浮かび、外界の刺激を羊水を通して穏やかに感じながら、過ごしてきました。

              それが出生のプロセスで一変します。

              狭い産道を通るときは、赤ちゃんにとっても死をも意識する相当な苦痛だと言われています。

              母親が出産中に呼吸を止めると、赤ちゃんも酸欠状態になってしまいます。

              そうやって苦労して生まれてたところはまぶしい光に機械音、見知らぬ人がたくさんいる分娩室。初めて経験する重力と乾いた空気。

              出生のプロセスを

              「のどかな田園からいきなり車と機械のひしめくニューヨーク市のど真ん中に連れていかれるようなものだ」

              と表現した産科医もいます。

              もし赤ちゃんに意識があれば、心の傷になってもおかしくないのではないでしょうか。

              ・・・

               

              医者に現代医療で無理くり出されてトラウマを抱えた幸先悪い赤ちゃんと違い、自分のペースで生まれてきた自然なお産、別名幸せなお産の赤ちゃんは「俺やったよ!」と、達成感で満たされることであろう。胎教や出生外傷という概念は戦前からあったようだがそこまでさかのぼると収拾つかなくなるので、とりあえずトラウマやインナーチャイルドって言葉が消費されるようになったと考えられる90年代を回想してみることにした。

              今はLGBTという言葉、また生きづらさの原因が男らしさ女らしさを強いる社会・・・みたいな文脈をよく聞くのだが、90年代は男女がどうこうって話は私の記憶してるかぎり聞いたことなく、生きづらさとは10代の心の傷や心の闇であり、もっぱら親や家庭に原因が求められ、それに対してカウンセリング、なんちゃらセラピー、みつをやミツルのポエムといった癒しが求められる風潮が強かった。90年代の主役だったルーズソックスJKも、居場所をなくし愛に飢えた(がゆえに援助交際などに走る)イメージがなんとなくあって、J-POPには雑踏や街並みで本当の愛を求めて彷徨うような歌詞が散見されたし、野島ドラマも親父からレイプされてたJKが学校の先生と純愛するって話だった。

               

              https://www.amazon.co.jp/dp/427240315X

               

              これが80年代ならば同じグレててもヤンキー、シンナー、校内暴力、家庭内暴力、恋愛ならトレンディだったであろう。90年代を通して心理学ブームで10代の犯罪も心理学の文脈や親子の関係性で語られることが多かった記憶があるので、インナーチャイルドやアダルトチルドレンといったトラウマかつチャイルドな用語群はニューエイジである前に心理学用語だったのかもしれない。

               

              それいけ!!ココロジー(Wikipedia)

              https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%9D%E3%82%8C%E3%81%84%E3%81%91!!%E3%82%B3%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%83%BC

              『それいけ!!ココロジー』は、1991年4月20日から1992年3月21日まで日本テレビ系列局で放送されていたバラエティ番組。読売テレビとIVSテレビ制作の共同製作。放送時間は毎週土曜 22:00 - 22:54 (JST) 。

              ・・・

              概要

              心理学をテーマにした番組で、出演者に対し心理テスト夢判断を行い、深層心理を分析するのが主な内容。心理テストの監修は齋藤勇が行っていた。解説時に、カール・グスタフ・ユングやジークムント・フロイト等の理論が紹介された。

              わずか1年間という放送期間ではあるものの、この番組は心理テストブームのきっかけとなり、「ココロジー」という新語も生み出すなど心理学を身近なものとした一方で、あまりにも理論を単純化しており、「俗流心理学」を助長したという批判もある。

              また、派生的に青春出版社から何冊かの心理テストの本が発行され、シリーズ累計で400万部以上[1]、『それいけ×ココロジー レベル(1)』は2017年1月時点で178万部[2]を発行するベストセラーとなり、セガ(後のセガ・インタラクティブ)からアーケード版心理テストゲームが2機リリースされた。

              番組終了後の1996年1月、関西地区(読売テレビ視聴地区)で深夜枠にて「1回だけの復活祭」を放送。また、1996年の春から4回にわたって、半年に1度全国放送でスペシャル番組が放送された。

               

              ハートにジャストミート(Wikipedia)

              https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%88%E3%81%AB%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%88

              『ハートにジャストミート』は、1992年10月23日から1993年9月24日まで日本テレビ系列局で放送されていた日本テレビ製作のクイズバラエティ番組である。放送時間は毎週金曜 19:30 - 20:00 (日本標準時)。

              ・・・

              概要

              心理ゲームにクイズを交えた内容の番組で、当時日本テレビのアナウンサーだった福澤朗とタレントの森口博子が司会を務めていた。心理ゲームの監修は、心理学者の富田たかしが担当。富田はその風貌から、番組内で「ムーミンパパ」というあだ名を付けられていた。

              前期においては、心理ゲームを行った後にパネラーの解答の中から1つを無作為に選び、答えた人物の名前を伏せて発表。そして、その答えを書いたのは誰かを予想していた(答えた本人は、答えたことが分からないようにごまかしていた)。予想的中者はゴールドバーを獲得。全員不正解の場合、答えた本人がゴールドバーを獲得できた。後期には毎回ゲストを呼び、その人物に心理ゲーム(高速に切り替わる複数の映像の中から、何が最も印象に残ったのか)やYES-NO式のチャートを出題。パネラーはその結果を予想していた。

               

              ハートにジャストミート 番宣 【福澤朗・森口博子】 1993/01(YouTube)

              https://www.youtube.com/watch?v=mXt6pR0qLdI

              マーシーとのりピー夢の共演動画

               

              上のWikipediaは90年代初頭より心理学ブームあったっていう裏ずけ的な意味で貼ったのだが、心理テストとかでじつはこういう心理が隠れているのですみたいに言われても、隠れてたら自分でも合ってんのかまちがってんのか確認しようがないから深層心理って概念便利すぎないかと昔から思う。そういえば、すごーい小ちゃい字でSEXSEXSEXSEXSEXSEXって書いて潜在意識を刺激・・・っていう訳わからん「サブリミナル効果」とやらも、この時期である。

              トラウマとかアダルトチルドレンはそのちょっと後のルーズソックス時代に出てきたようで、90年代に出た本のタイトルから「傷ついた子供の心の癒し方―子供は助けを求めている」「アダルト・チルドレンと家族 心のなかの子ども癒す」「アダルト・チルドレンと癒し 本当の自分を取りもどす」「内なる子ども癒す アダルトチルドレンの発見と回復」 「AC癒しのプロセス」「インナーチャイルド・ヒーリング あなたの“内なる子供”を大切にしていますか?」「インナーチャイルド 本当のあなたを取り戻す方法」など、やはり傷、子供、癒し、本当の自分(を取り戻す)がセットになっているし、「心の中の子ども」「内なる子ども」はインナーチャイルドと同義であろう。くしゅくしゅソックス時代には心理テストやサブリミナルといったお遊びにすぎなかった心理学的世界観がルーズソックス時代に親に傷つけられた子供あるいは内なる子供の「心のケア」化し、癒しブームや自分(本当の自分)探しブームへと連なっていく模様。


              トラウマブーム

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                ロハス史振り返るシリーズとはまた別に、のぶみという絵本作家の炎上を機に胎内記憶の本を前回紹介した。まず胎内記憶とは何ぞやというと、生れる前の赤ん坊が空の上で神と地上の女たちを見ながら誰をおかんにするか選び「このママにきーめた!」と胎内にスッポリ入る記憶を3歳くらいまでのお子さんなら覚えてるっていう、美健ガイド社でもおなじみ池川明先生が中心となって提唱している説である。

                ネットで検索したのを見るかぎり池川氏が最初に出したであろう胎内記憶の本が2002年で、それより4年ほど前の1998年に七田眞・つなぶちようじ著「胎内記憶―バース・トラウマの秘密」って本がすでに存在してるのでこれがオリジナルな可能性が高い。ふと思ったのだが、もしかしてトラウマってこの時期くらいから使われ出した言葉じゃなかろうか。

                 

                https://www.amazon.co.jp/dp/4478860254

                 

                1998年ごろというとオウムの余波でまだオカルトは低迷、個人的にはミッチーサッチー騒動以外に何が起こったのかたいして覚えていない時期である。しかし今トラウマという文字列を見たことにより、アダルトチルドレン、インナーチャイルド、ヒーリング、みたいな、私も書いてて意味のよく分からないメンヘラ的概念が人気爆発してた気がしてきた。

                1995年頃のルーズソックス化からすでに日本病んでたけども、頻発するルーズソックス第二世代(酒鬼薔薇世代)の人殺しが「17歳の闇」として大きくとり上げられ、そんな病みを癒すための「心のケア」、カウンセラー、セラピー、相田みつをとそれらの要素をつめこんだと思われる路上詩人やナカムラミツルみたいなポエムが席巻した病み全盛期、もっぱら病んでいるのが未成年だったり、子供時代のトラウマってな設定な気がするので、もしかして胎内記憶もそういう流行から生まれてきたのかしらん。と、そんな仮説を立ててみたのだが、ただの思いつきなので話半分に聞いておくれ。少なくともPTSDって言葉にかんしてはEHエリックの娘が堺正章と離婚したときの会見(2001年)で初めて知ったし、一般的にもそうであったと思う。

                 

                https://www.amazon.co.jp/dp/4000260618

                 

                豚まるごと一頭食べるでおなじみ東京賢治シュタイナー学校の鳥山敏子も1997年にアダルトチルドレンの本を出している。Wikipediaを参照すると、アダルトチルドレンという言葉はくしゅくしゅソックス時代(1980年代後半〜90年代初頭)に出てきたようで、その意味するところは親がアルコール依存症とか、また虐待を受けたとかで、それが成人になってもトラウマとして残ってる人のことだそうだ。

                ただのトラウマだったら成人でもいいし他人から受けたいじめが原因でもいい気がするけど、胎内記憶にしろアダルトチルドレンにしろ、子供が親から受けた傷って文脈が多い印象である。こうしたルーズソックス時代のトラウマ文化についてはいづれ気が向いたら調べるかもしれない。

                 

                浜崎あゆみ - Trauma (Live)

                https://www.youtube.com/watch?v=eRwZO1idr_Q


                お正月をうつそう

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                  おととしくらいからマスゴミが「TTポーズが若人に人気大爆発」とかと同じ要領で「写ルンですが若人に人気大爆発」て情報を繰り返し植えつけようとしていたのだが、わざわざ使い捨てカメラなんて買いたくないからアプリにすればいいのに。といった感想を抱いていたところ、やはり写ルンです加工アプリは実在したらしい。無料だったのでさっそく使ってみたところ、本当にeggかhiromixかという仕上がりになり、現在のインスタ映えにも匹敵するガーリーフォト全盛期を知るルーズソックス世代にはその高画質ともSNOWともプリクラとも違うアナログな写りを懐かしく感じた。

                  しかもこんにちの若い娘さんがたはたださえギトギトに黒光りしたシースルー前髪に白塗りに太眉に食事しても落ちない真っ赤な口裂けメイクなので本当に25年くらい前の人みたいに写ること間違いない。帰省中の貴方もお正月は「HUJI」で90年代風家族写真を撮ってみてはいかがだろうか。


                  世代別老人服

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                    サンモニ谷口真由美「拉致被害の話はもう分かってる、この局面で出すなよ!」トランプ国連演説を批判

                    http://ksl-live.com/blog11201

                     

                    先日書いた熟女の記事を自分で読んでて思い出したのが、谷口真由美という学者である。2010年代初頭より「日本おばちゃん党」を立ち上げて脚光を浴び、サンデーモーニングなどテレビで見かけることもあるのだが(関口宏の事務所所属らしい)、全身ヒョウ柄の派手な服装と大阪弁といった庶民的な風貌で憲法とか語る面白さが左翼の間で人気爆発した。

                    しかし日本人出っ歯メガネレベルのステレオタイプなおばちゃん観と肌の若さに強い違和感をおぼえ生年を確認したところ1975年で内田有紀と同い年、私の歴史観ではくしゅくしゅソックスはいていたような世代であった。なのでいくら大阪のおばちゃんといっても1975年生まれでこんなオバタリアンファッソンありえないし、そういう不自然な芸風を庶民の代表であるかのようにもてはやすのはやめたまへと願う。

                    私が子供の頃の婆は、確かにオバタリアンであった。しかしいっぽうでオバタリアンとは別にサザエさんのフネ、ウメ屋雑貨店、ぽたぽたやき(せんべい)の袋にえがかれている婆など、頭をおだんごに結い、和装でかっぽう着という、ステレオタイプな婆像が存在しており、当時から「こんな婆マンガでしか見たことないよ」と思っていた。

                    YouTubeとかで昔の映像見てると、着物の婆は1980年くらいまでは健在な姿で出てくるし、同様に爺も同じころまで波平とかいささか先生みたいに普段着で着物着た人がいる。それらをふまえると、松本清張(1909〜92)くらいが着物最終世代ではないだろうか。

                    1992年に82歳で亡くなったという時期を考えても、90年代育ちの私が着物の爺や婆を見たことないのとつじつまがあう。とりあえずわが歴史観においては松本清張を基準に着物は1910年生まれくらいから着なくなったと仮定しておこう。

                    さすがにこのタイプ(戦前着物型)の爺や婆は見かけなくなって30年程度は経っているだろうから、もうステレオタイプに使われることはないと思うのだが、比較的若々しく足腰も丈夫であろう戦後育ちのオバタリアンだって滅んだとはいかないまでももはや絶滅期に突入しており、青汁やコンドロイチンを飲んでなんとか生きながらえている。また1800年代生まれまでさかのぼると、着物のみならずヒゲを伸ばした爺っていうのもけっこういそうな気がした。

                     

                    https://www.amazon.co.jp/dp/4313880089


                    熟女時代

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                      神田うの話す言葉なし、19年前ハワイで平手打ち(12月9日 日刊スポーツ)

                      https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201712090000076.html

                      プロ野球ヤクルトや阪神で監督を務めた野村克也氏(82)の妻でタレントの野村沙知代(のむら・さちよ)さんが8日午後4時9分、都内の病院で死去した。85歳だった。

                      98年1月に米ハワイで沙知代さんに平手打ちされたタレント神田うの(42)はこの日、沈黙した。うのは当時、野村氏が率いたヤクルト石井一久投手と破局直後で、美川憲一と旅行中だった。ショッピングセンターで偶然、沙知代さんと対面。理由は不明だが、別れ際に右手でほおをたたかれた。野村夫妻は2人の交際に否定的だった。うのは“騒動”後も沙知代さんと交流はなく、関係者によると訃報に接しても、話す言葉が見つからなかったという。

                       

                      当ブログでは1995年ごろ日本人の価値観が激変しギャルが時代の主役となっていく過程をたびたび回想しているのだが、ルーズソックス時代の次であるルーズソックス第二世代(90年代後半〜2000年代初頭)となるといまひとつ印象に残っていない。1995年前後はドラマやバラエティ、流行歌などビデオ3倍録画、深夜起き出し闇の中ですごい小ちゃい音でエッチな番組見るなど今テレビ見るのとは比較にならない集中力だったのでけっこう記憶にも残っているのだが、ルーズソックス第二世代に入ると第一世代のパラダイムを維持しつつ90年代前半のカオスやハレンチぷりはかなりおちついてしまったので、私も若人が好きこのむテレビや雑誌、服装、歌とかに興味なくなっていたし、今もあんまり興味ないのでもしルーズソックス時代以降の若者文化について論じようとすればまた1から調べなければいけないレベルである。

                       

                      ミッチー・サッチー騒動(Wikipedia)

                      https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%81%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%83%E3%83%81%E3%83%BC%E9%A8%92%E5%8B%95

                       

                      ネットで検索したところ先日亡くなった野村克也の妻、沙知代が失脚したのはルーズソックス第二世代である1999年、今から20年ちかく前のこととあるから、今の若いもんはサッチーと言ってもわからないはずだ。発端はミッチーこと浅香光代とのバトル、ちょうど今の貴乃花vsモンゴル人チームのような感じで、熟女芸能人がミッチー派とサッチー派に分かれて罵り合う様子をマスゴミが逐一報じており、私は当時年のわりに若人の文化ちんぷんかんぷんだったけどワイドショーなど婆の見るような番組はそこそこ見ていた。

                      90年代末はテレビの中で熟女ブームだったのか、「怪傑熟女」「愛する二人別れる二人」のようにトラブルを抱えた一般人がスタジオ出演し熟女芸能人軍団がバッサリ切るといった番組において、サッチーをはじめとする1930年代生まれ(当時60代ぐらい)の化粧とキャラ濃い婆がブームを牽引する存在であった。例に出した2番組はいづれともデヴィ夫人が出演しており、おそらく今のようなタレント活動するようになったのもこの時期の熟女ブームからだったし、他にちょっとしたおもしろ熟女枠で落合信子、鈴木その子、橋田寿賀子、カイヤなどもいた。

                       

                      サッチー vs デヴィ夫人(YouTube)

                      https://www.youtube.com/watch?v=NLrZW2KerGc

                       

                      また熟女ではなく熟男なのだが、中尾彬が本業の俳優ではなく毒舌マフラーねじねじのイメージが定着したのもこの時期以降だろうし、みのもんたは軽妙な話術で熟女をとりまとめその支持も熱かった。熟LGBT?の美川憲一は、石井一久との交際をめぐってサッチーと犬猿の仲だった神田うのの親友なのでミッチー派だっただろう。

                      熟女ブームは90年代末突然に起こったわけではなく、くしゅくしゅソックス時代である80年代末〜90年代前半からその伏線はあった。おたかさんブーム(土井たか子)、田嶋陽子が出演したニッセンのCM「見てるだけ」、漫画と実写の「オバタリアン」など、夫をぞんざいに扱ったり厚かましい婆が元気印で面白いのだっていう風潮があり、私が思うに、それまでの婆は白髪に着物で長年のアナログな家事によって腰のまがったガチの婆さんだったのが、バブル期あたりから民主主義やパンやゆたかな栄養、専業主婦業とそのコンテンツ(ワイドショー、女性週刊誌)を享受し夜にはネグリジェ着てカーラー巻いてお面みたいなパックしていた30年代生まれあたりが婆となったことで世代交代が起こり、戦後育ちの若々しくて強い熟女が当時目新しかったのかもしれない。

                      また前述した女じゃないけど熟女ブームの構成員だったみのもんた、美川憲一もそれぞれくしゅくしゅソックス時代に「おもいっきりテレビ」の司会、キンチョー「もっとはじっこ歩きなさいよ」CM、おそらくそういったオバタリアン的文脈でブレイクするまで、現在のような地位ではなかったと思われる。というか、おもいっきりテレビの生電話こそ90年代末の熟女番組におけるスタジオ出演した一般人を熟女(熟男)芸能人がバッサリ切る、の電話バージョンであった。

                       

                      午後は○○おもいっきりテレビ 1995/5/18(YouTube)

                      https://www.youtube.com/watch?v=qYuTDZlQeAg

                       

                      というわけで、90年代はコギャルにしろオバタリアンにしろ、女たちは老いも若いも「か弱い」「清楚」といった女らしいイメージの真逆を逝っていたのだったが、2000年代ルーズからハイソックスへの移行期に入るとサッチーは逮捕、ギャルのあいだでもモテやロリや愛されの需要が高まってきて、90年代に爆発した粗暴な女カルチャーは終結した。みのさんも地上波には出ていないようだし、おもいっきりテレビもヒルナンデスにリニューアルされ、サッチーも先日亡くなるまでほとんど忘れ去られた存在だったのである。

                       

                      昔この映画↑見たとき、サッチー思い出した。岡田茉利子=サッチー ジョー山中=ケニー野村 岩城滉一=カツノリ


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