平成食べ物史 前編

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    90年代から現代にいたる服装や化粧の変遷を回想することの多いわがブログだが、そろそろネタ切れ疑惑ということもあり話題を服から食に移行して逝こうと心に誓った。時代区分は例によってくしゅくしゅソックスとか言ってるけど、女子高生とはあんまり関係ないトピックであることを最初にことわっておく。

     

    くしゅくしゅソックス時代(1989〜1994年)

    バブルじゃないけど90年代って感じでもなくルーズソックスが短かった(くしゅくしゅソックス)中途半端な時代

     

    ナタデココ

    やはりくしゅくしゅ時代のブームで誰もが最初に思い出すのがナタデココである。ウィキペディアによるとデニーズがブームの発端だったと書かれているが、私の記憶しているところではフジッコ社が杏仁豆腐のパックに入れ出したのがはしりで、ナタデココ単品では売ってなかったと思う。

    杏仁豆腐は今プリンみたいなのが多いけど、昔のはフルーツポンチで缶詰の甘い汁みたいなのに豆腐やフルーツに混じってナタデココの食感がよいアクセントとなった。南国調のCMで「なんじゃこりゃなんじゃこの歯ごたえ♪」と唄っていたように、その歯ごたえに皆が魅了され、くしゅくしゅ時代最大のヒットとなったことは誰もが認めるところである。

    その後ナタデココ入りの缶ジュースなども出てきたが、ルーズソックス時代には完全に下火となり不遇の時期もあった。だがしばらくしてゼリーやヨーグルトにフルーツが入っているのが主流になると、そいつらに混じってナタデココが紛れ込むようになった。

     

    ティラミス

    ナタデココと並んでくしゅくしゅ時代に大きな爪痕を残したのがティラミスである。イタリアのチーズケーキってことで、イタメシブームと連動していたのだろう。

    ナタデココ同様すぐに飽きられ、ルーズソックス時代に入ると「あの人は今」的な扱いとなったが、ルーズソックス第二世代くらいから再びコンビニで野郎向けスイーツとして返り咲いていた。移り気で新しもの好きの女と違い、男たちはティラミスやナタデココの革新的な味わいが忘れられずにいたのだ。

     

    パンナコッタ

    ティラミスの次は此れ!という感じで出てきて名前だけはインパクトあったけど、すぐ消えたし食べたか食べてないかも覚えていない。そこが一回消えたけど復活・定番化したナタデココやティラミスと違うところだ。

     

    ラザニア

    イタメシブームってティラミスのイメージが強すぎ、目新しいスパゲッティーはどんなのがあったのか分からない。ナポリタンは昭和からあったので、たぶんボンゴレ、たらこ、ペペロンチーノあたりではないかと思うのだが。

    そんな印象薄い麺類と違って、私が衝撃を受けたのがラザニアだ。これはマカロニではなく薄いクレープのようなパスタが重なっているミルクレープ状のグラタンで、非常においしかった。

    しかしドリアとかマカロニグラタンとかあのたぐいが今でも健在で、なおかつ安価なファミレスも充実しているのにラザニアだけが日の目を見ないとはどういうことなのか、日本社会の矛盾を感じざるおえない。近年青の洞窟っていうラザニア材料一式みたいなのを買ったことあるのだけど、あれはハウスのチンする奴と違い作るのがめんどくさかった。

    ちなみにスパゲッティーをパスタって云わなきゃダサイ!昭和!みたいな風潮が作られたのもこの頃である。パスタ以外ではアベックがカップル、ズボンがパンツ、口紅がリップなど言い換えのゴリ押しがあったが、その後もスパッツをレギンス、ジャンパーをブルゾンとかどっちでもええわい!その手のゴリ押しは枚挙にいとまがない。

     

    ピザポテト

    1992年発売。厚切りポテトにチーズが絡まっているような味の濃いピザ風ポテトチップスで、イタメシブームと連動していたと思われ当時は画期的だった。

    しかし私は食感の見地からクッキーとポテトチップスは薄い派なので、まず厚切りポテトっていうのが許せん。そもそも厚切りのポテトチップス自体がたぶんこの頃くらいから食べられだしたものであり、カルビーのサイトを見てみると1989年のアラポテトってのがそのはしりだったと思われる。

    本物のピザはどうだったか・・・というと、私は冷凍のピザをよく食べていた程度で店とか宅配のはよく分からない。ただ今みたいな薄焼きの生地は当時なかったか珍しかったんじゃなかろうか。

     

    ポポリ

    ロッテのサイトを見るとトッポの発売は1994年となっているが、その前にトッポと同じ筒状のビスケットにチョコではなくピザ味のクリームが入ってる「ポポリ」というペペロみたいな名前の菓子があって、当時乗りに乗っていたダウンタウンがCMしていた。そのイタメシブームを反映した味は一瞬だけくしゅくしゅ時代の1ページを飾り、トッポの登場とともに人々から忘れ去られて逝ったのだった。

     

    チーズ蒸しパン 

    それまでの蒸しパンは本当にただの蒸しパンだったけど、チーズ蒸しパンという物珍しい風味と繊細な食感が現れた。今検索したらもともと北海道の会社が発祥で、90年ごろから人気大爆発したという。

    だからヤマザキのチーズ蒸しパンには北海道のシルエットが浮かび上がっていたということなのか。北海道ではなく大阪だけど、りくろーおじさんのチーズケーキも同じ時代と方向性な気がする。

    ただりくろーおじさんは今でも全然美味しいけども、チーズ蒸しパンは特に食べたいと思わない。昔のパンだったら個人的にはコッペパンとか食パンにシュガーマーガリンみたいなチープな奴の方が好みだ。

    チーズ蒸しパンって奴は現代風でもなければ昭和の素朴さもない、くしゅくしゅ時代特有の中途半端な位置づけである。90年代リバイバルの現代においても全く日の目を見ていないが、とはいえ今日でも売られてるってことは、かって物珍しい風味と繊細な食感に魅せられたオッサンがこの四半世紀くらい人知れず買い続けているということだ。

     

    チーズ蒸しパンが出たとき(2ちゃんねる)

    http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/bread/1237253763

     

    東京ばなな

    これもチーズ蒸しパンと同じで今特に食べたいと思わないが、当時(1991年発売)は画期的だった。ちょっと違うカテゴリだが1992年発売のまるごとバナナってのもあり、こっちは生クリームなので今でも毎日食べたいくらいである。

    ただチーズが当時人気だったのは、今ほど食べられてなかったのとかイタメシが人気だったからとかいろいろ心当たりがあるけども、バナナのスイーツが何であんなに画期的だったのかわれながら謎だ。チーズ蒸しパンが最初北海道で売り出されたようにまるごとバナナも東北のバナナボートが原形らしいが、別に東北じゃなくてもバナナボートはあるぞなもし。

     

    ザカルシウム

    たぶんカロリーメイト(1983)からの流れじゃないかと思うが、栄養を添加したり、食事がわりに食べるような菓子やジュースの市場がこの時期に急成長していたように思う。牽引していたのはもちろん大塚製薬で、バブル期は食物繊維がブームだったのかファイブミニ(1988)という瓶入りの炭酸ジュースが流行ったが、くしゅくしゅ時代はカルシウムが注目されており骨粗鬆症っていう婆の骨がポキポキ折れるという病気もこの頃初めて知った。

    私は子供心に骨しょしょうしょう怖ぇとガクブルし、ドラえもんシリアルに明治ラブをドバドバかけて一日600mg摂取を目指したものである。そんな時代に大塚がよくCMしていたのがザカルシウム(1992)というウエハースで、原田知世とその姉が出演していた。

    あんまり食べたことはないのだが、1袋で600mgとかなり簡単にカルシウムを取ることができ味もおいしかった。でもこれ2枚ぽっちしか入ってなくて100円くらいしたんじゃなったか確か。

    しかしザカルシウム以外にもカルシウムを添加したウエハースというのは他にもあったので、私はそういうのを食べていた。それが麦ふぁ〜っていう菓子で、今ありがとうを100万回聴かせたってのを売りにしてるけど、全然記憶にないので昔はそんなことかいてなかったと思う。

    最近はスピリチュアル界で胎内記憶とかよく聞くけども、10年くらい前はどんな酷い目に遭ってもありがとうございます。って言うありがとう教とか素手でトイレ掃除すんのが経営者のあいだで流行ってたから、麦ふぁ〜の社長もそのときからウエハースにありがとうを100万回聴かすようになったのかもしれぬ。麦ふぁ〜自体はかなり昔からあるようだし、私がザカルシウムのつもりで食べてただけで別にくしゅくしゅ時代に人気を博したとかそういうことはないので一応。

     

    杜仲茶

    昭和のやせる茶と言えばウーロン茶、というか今でも黒ウーロン茶とかあるけども、くしゅくしゅ時代は杜仲茶だった。茶葉が日立造船って会社から出ていて今からBODYをシェイプアップ誰にも負けない!とばかりに沸かして飲んでいたのだけど、それはそれはまずかったしルーズソックス時代に入るころには消えていた。

    20年の月日が流れあのまずさをもう一度。といつか小林製薬のペットボトルを買ったけど、薄いのか?昔みたいな飲みにくさはまったくなかった。だが小林製薬は日立造船から杜仲茶を譲渡されているらしいので、一応同じ銘柄なはずである。

    ノンカフェインがはやっているし、90年代がブームなのでふたたび杜仲茶が見直されることもあろう。またダイエットではないけども、アサヒから16茶ってのも面白いCMで人気爆発しブレンド茶の先鞭をつけた。

     

    日立造船、杜仲茶の木でゴム量産 舞鶴に小型プラント(2015年10月14日 日本経済新聞)

    http://www.nikkei.com/article/DGXLASDZ13HAO_T11C15A0TJC000/


    こんにゃく畑

    昔ゼリーといえばカップに入ったものは小さかったし、プルっとしているだけだった。でもこんにゃく畑は大ぶりなカップとそのブルリンッ!としたすごい弾力でゼリー界に革命を起こした。

    それにくわえ食物繊維とか栄養添加した菓子が流行ってた頃だったので、こんにゃくというのもヘルシーで素敵なように思われた。しかしその大ぶりなカップとブルリンッ!としたすごい弾力のために喉につまらせるお子様やお年寄りが後を絶たなかった。

     

    CCレモン

    サントリーの代表的なジュースであるCCレモンは1994年に発売され、ウィキペディアによると炭酸部門ではコカコーラとペプシに次ぐ第三位なのだそうだ。何回も言ってるけどくしゅくしゅ時代は栄養を添加したような菓子やジュースの市場が急成長しており、CCレモンはその中でも自販機で気軽に買え、またたくまに人気爆発した。

    昔の自販機は細長くて缶も細長かったはずだが、この頃から横長になって缶も大きくなって110円になって今みたいなサントリーの自販機が増えたように思う。ビタミンC製品としてはシーズケースやC1000タケダ、チュアブルタイプのハイシーなどもよく食べていたので、カルシウムだけでなくビタミンC製品もトレンドだったのだろう。

     

    アイスボックス

    それまで氷菓子といえばかき氷とかチューチューみたいなのしか知らなく、さじが刺さらねぇとか手が冷てぇとかアイスクリームに比べさまざまな苦痛をともなっていたものだが、アイスボックスは片手でコップみたいに持って氷をボリボリ噛み砕くスマートな方式に衝撃を受けたし溶けてもおいしい柑橘系の味わいをオシャと思った。そして時が流れ、アイスボックスのCMに出てた西島秀俊って格好良かったのに消えたなーと思ってたら、最近コマーシャルでブツブツ独り言を言う夫役みたいなのをよくやってる俳優が西島氏と知ってびっくりした。

     

    ポンデケージョ

    今コンビニとかでよくモチモチした食感のパンが各社出ているけども、昔のパンはモサッとしていてモチモチなどとは無縁だった。そんな菓子パン界にモチモチをもたらしたのが、ポンデケージョという小ちゃくて丸いパンだった。

    これがナタデココ、こんにゃく畑と並び、くしゅくしゅ時代における三大画期的新食感に数えられるのは多くの人が知るところだが、前述したようにその後モチモチしたパンは珍しいものではなくなり、ミスタードーナツからポンデケージョをドーナッツ(リング)状にしたポンデリングが人気定番メニューとなった以外にポンデケージョという名前もすっかり聞かなくなった。確か初めてポンデケージョを食べたのがドンクっていうチェーンのパン屋だったと思うので、まだポンデケージョあるか後日確認しに逝ってみようかと思う。

     

    ライチ

    ナタデココほどではなかったが、ライチもその南国イメージと透明感のある白いボディ、プリっとした食感が何とも目新しく魅力的であった。ライチフレーバーはそこそこ定番化している気がするが、果実を食べることはめったになく、何年か前ステーキけんでライチがあったときは懐かしくていっぱい食べた。

     

    メルティーキッス

    冬限定のチョコで1992年発売。私が子供んとき食べていたチョコといやベビーチョコとかぬーぼー、アポロ、チョコフレーク、チロルチョコBIS、ちょっと大人なとこでせいぜいマーブルポッキーってとこだ。

    そんなところにいきなり出てきたオシャな粉がまぶしてあるティラミスのような風貌、夏には耐えられないというメルティっぷりに、チョコの概念が大きく揺さぶられたのも無理はない。スイーツ感覚のチョコ菓子のはしりだった気がする。

     

    カフェラッテ

    今でもスーパーとかに売ってるあの森永のコーヒー飲料だけど、スターバックスコーヒーが上陸したのはルーズソックス時代以降(96年)なのでカフェラテってのはこの商品で初めて知った。マウントレーニアという銘柄もシアトルから見える山の名前であるし、プラスチックカップにストロー刺して飲むというのもシアトル系だ。

    それまではカフェオレというものしかなかったし、市販品は特にコーヒー味が薄くて甘かった。だからカフェラッテは味もおいしかったのだけど、それよりもカフェラテもスタバもプラスチックのコーヒー飲料も全然存在しなかった時代にシアトルのオシャなカフェ文化を日本にもたらした、その先見性に驚きを禁じ得ない。

     

    ラ王

    日清の高級路線で油で揚げたのじゃなくてソフトメンみたいな生タイプが入ってるカップ麺で、ごんぶと(うどん)とかSPA王(スパゲティ)もあった。でも個人的に生タイプはあんまり好きじゃなかった。

    多分その後ノンフライめんになって、ノンフライめん派の私としてはそりゃそうだろと思った。それにしてもくしゅくしゅ時代に横長の大画面テレビが流行ったとき「画王」ってのがあったけど何か関係あるんだろうか。


    生活系雑誌

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      夫婦生活とゆう雑誌を見つけたよ。1952年2月號なので前に貼った主婦の友の育児本と同じ時期だ。

      右下の部分は何もしてないのにホロっと取れた。セロテープで貼ろうか。

      ページを開くといきなりセクスィーグラビアが。モデルさんは顔が小さくて細くて意外と今風の体型だけど、とりあえず肝心の部分がもやーんとなっているのが気になった。

      前に貼った主婦の友は真面目な雑誌と思うが、この雑誌は若い夫婦に向け科学的根拠に裏打ちされた性の知識を解説。ってな大義名分のエロ雑誌と思われる。バックナンバー一式がこれから結婚する方々への贈物としても喜ばれた模様。

      科学にかこつけているのかヌードの写真よりも多い生殖器の断面図。男児と女児の産み分け方など内容は胡散臭い。

      なんでストリッパーの肢体美が奥さまへのプレゼントなのだろう。と思って読んでみると、ストリッパーの性的魅力を参照して旦那さまをメロメロにしちゃおうということのようである。

      若夫婦の往復ラブレターという小説?よくわからんコーナー。1952年ってまだ貧しかったと思うのだがウイスキーとかチーズとか若夫婦はすでにハイカラな物食うとる。


      ついこのあいだまでベビーブームだったのに、産制(産児制限)の話題が目立つ。避妊が不確かだったせえで関心が高かったのかもしれぬが、でもよく考えると戦前って兄弟多いのに戦後はそうでもないよな?何故?と思って調べると、産制はGHQの陰謀だったと産経新聞に書かれていた。

       

      日本の少子化は「人災」だった(上)戦後ベビーブーム突如終焉(2016年2月20日 産経ニュース)

      http://www.sankei.com/premium/news/160206/prm1602060029-n1.html

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      それにしても日本の出生数の減少ペースは速い。戦後のピークである昭和24(1949)年の約270万人と比較すると、70年弱で約3分の1に減った。しかも、その推移を追いかけると、気になる変化が見つかる。24年の翌年は出生数が一挙に36万人も減り、第1次ベビーブームが突如終わっているのだ。

      明らかに不自然である。当時の資料を調べてみたところ、意外な事実が明らかになってきた。

      戦後、占領政策を実施した連合国軍総司令部(GHQ)が、堕胎や避妊による「産児制限」を仕向けていたのだ。日本の少子化は、GHQによって引き起こされた“人災”だったともいえる。焼け野原からの再出発となった日本は、復員や旧植民地からの引き揚げ者が相次ぎ深刻な食糧難に直面した。一方でベビーブームが起こり、増え続ける人口への懸念が広まっていた。

      GHQは当初、無関心を装っていたが、21年5月に「食糧メーデー」が起こると態度を一変させた。労働運動の広がりによる共産化への警戒だった。

      発展途上国の人口急増が共産主義に結びつくという見方は戦前から強かったが、「人口が急増している日本も例外ではない」と認識したのである。

      懸念はもう一つあった。米国は国土面積が狭い割に多くの人口を抱える日本を戦前から注視していた。

      GHQの報告書を翻訳した『GHQ日本占領史第4巻 人口』(日本図書センター)には、日本の開戦理由を「人口を養うに必要な資源獲得のための軍事力による領土拡張を擁護し、同時に、増加する人口を養うための彼らの帝国主義的政策を宣伝した」とする分析結果が残されている。

      GHQの人口問題の専門家らは、戦後も「日本の人口増加に歯止めがかからなければ、将来、膨張主義が復活する」と警告した。

      だが、人口の多寡が「国力」を意味した戦前・戦中において、人為的に人口を減らす産児制限は“禁断の政策”であった。各国政府はこれを認めず、米国でもキリスト教団体を中心に反対論が強かった。

      占領国が人口抑制を強要した場合、国際社会から強い非難を受けることは必然だった。そこで、GHQは日本人自身の手で産児制限を普及させることにしたのである。
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      産経新聞は保守系であるためにいまだに日本の足かせになってる9条とか左翼っぽい奴ゴリ押ししたGHQ腹立つという歴史観にもとずいてると思うが、産制ゴリ押しぶりを見る限りたんなる右翼の陰謀論と片付けることはできないと思った。スポック博士などの子育て理論にしろ、検閲もあったのかこの頃のマスゴミはアメリカが民主的で科学的で偉くて日本(戦前)はオカルトで性格悪ってな価値観に染まっており、そのために当時10代から20代だった1930年代生まれの若人たちも洗脳されていったにちがいない。

      知られざる“同胞監視” 〜GHQ・日本人検閲官たちの告白 〜(クローズアップ現代)

      http://www.nhk.or.jp/gendai/articles/3425/1.html

      ●アメリカの諜報活動 日本への影響は?

      やはり、アメリカにとって、まずい情報は、メディアに対して検閲をして、報道させない。 このことは、報道の現場で、GHQの新聞課長との戦いというのが、現実にあったわけですね。 それとは全く別に、アメリカは、アメリカの明るいムード、あるいは、すばらしい生活を教えるために、日本に対して、民法の揺らん期ですね、発足したばかりで、ソフトがない時代に、ソフトを作って、完全パッケージの形で提供していたと。 その中には、例えば、5月の母の日にカーネーションを渡すという風習は、日本にはなかったんですけれども、そういう風習を日本に植えつけていったと。 アメリカ好きを、そういう形で助長していくということもやっていた、ということだと思います。

      しかしこの時期の避妊方法は私が思っているよりもけっこう近代的な気がした。アベックとかホテル(←ラブのほう)とかフ○ラチオとかいう格好良い横文字もすでに使われている。

      なんでこういう戦後すぐぐらいの雑誌を読むようになったかと言うと、美健ガイド社のマンガに「GHQが日本人から添い寝やおんぶを奪い〜」ってなことが書いてあったので、それが本当であるかどうか検証しているためである。私の歴史観として日本人を腑抜けにさせるための陰謀であるという点については疑問符が残るものの、戦後のある時期、添い寝やおんぶが馬鹿にされていたのにGHQの意向があった可能性は否定できない。

      この雑誌にも昔からある日本の子育てを遅れたものとして否定し、アメリカにならったと思われる、赤ちゃんを一人で寝かしつける育児法が推奨されている。美健ガイドや予防接種はじめ今のロハスにある昔の子育てに帰ろうってのはほとんどこの時代(から高度経済成長)の反動であり、憲法9条とかとちょっと理由は違うのだがいづれにせよGHQの強力な洗脳からいかに脱却するかというのがひとつのポイントになってくるのだろう。

       

      同じ布団のなかで、母親が赤ん坊に添乳をしたり、子どもに添寝をしたりしているのは、日本獨自の家庭風景で、どうも改訂を要する古い育児法のようである。

      添乳・添寝を、あふれるような母性愛の発現だと説明するのは、おろかなことだ。むしろ家屋のせまさ・寝具の不足・母親の過労のなかに、それは、現實的な理由を持っているのであろう。

      朝から晩まで、炊事・掃除・洗濯・裁縫・買物と、からだをクルクルうごかして、少しの休みのなく一日中はたらきずめの母親、農村では、さらに畑仕事が加わつてくる。添乳、添寝は、子どもの要求というより、つかれた母親が、舅や姑や、口やかましい主人の前でも、公然と自分のからだをやすめることのできる唯一の機会になつているにちがいない。

      きわめて不注意な母親は、赤ん坊に添乳をしているうちに、ついねむりこんで、乳房のおもみで赤ん坊の呼吸をとめて殺してしまう場合が、往々にしてある。

      そんな事故は、まれであるにしても、子どもの添寝は、母親と子どもの関係をいつまでも胎盤と胎児の状態につなぎとめておくものであつて、子どもの獨立をさまたげていることに早く氣がつかねばならない。

      どうも日本の母親は、自分以外に責任をもつて子どもを育てる者がいないとせまく信じこんで、自己満足を感じているようだが、これは母性愛の危険な偏向であると云わねばなるまい。

      子どもを自分の背中にくくりつけて、ネンネコでせおつている姿、布団のなかで子どもとからだをくつつけた添寝、子どもの手をひつぱつて一しよに川へとびこむ母子心中ーーこの三つのもののなかに、氣高い母性愛というよりも、何か共通した日本の未開性が感じられるではないか。

      フランスのトリースという条件反射学者の説によると、生れたばかりの赤ん坊でも性欲を持っているというのである。すなわち、生れたばかりの赤ん坊は、消化器官しかはたらかないが、その消化器系統の入口と出口に、見逃しがたい性感覚があるという新説だ。

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      いずれにせよ、赤ん坊にさえ性欲のあることがわかつたら、両親も子どもの取扱いについては、いきおい慎重にならざるをえないであろう。この子どもに内在する性欲の火は、ふきけしてもいけないし、また、あおり立ててもいけない。しずかな自然の燃焼が必要なのだ。

      この立場から、添乳・添寝の問題を見直してみると、日本の母親は、母親の體温や體臭が、しずかな子どもの性欲の燃焼にガソリンや薪を加えて、盛んにあおりたてていることに氣がつかないでいるようである。

      添乳をしなくても、赤ん坊に乳をのませることはできる。健全な子どもの成長、子どもの人格の獨立のためには、添乳・添寝をやめて、ひとりでねかしつけることである。今までの、いわゆる日本的な子供の育て方を切換える必要があるのだ。(そこには、無知にもとづいた盲目的な愛がある。その愛は不幸にして、必ずしも子どもの幸福に寄与するものとは云えない。)そのために、まず手近な、ひとりで寝る癖を子どもにつけるのである。その場合、一定の就寝の時刻をきめるには、柱時計に責任を持たせればよい。


      団塊よりも

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        くしゅくしゅソックス世代(1973〜76生まれ)およびルーズソックス世代(1977〜80生まれ)など、おもに1970年代生まれの若き日を解説することの多いわがブログだが、それとは別に着目しているのが1930年代生まれだ。この世代は今80代くらいなので最近はじょじょにあの世に逝っており、先日もテレビを見ているとこんなCMが流れていた。

         

        ボス『昭和』篇 60秒 トミー・リー・ジョーンズ サントリー CM(YouTube)

        https://www.youtube.com/watch?v=MW0ynGlUOr8

        永六輔「昭和ひとけた族というのは調子がいい、目立ちたがり屋といわれ・・・」

        宇宙人ジョーンズ「この惑星の昭和と呼ばれる時代には濃いい奴らがいたらしい」

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        蜷川幸雄「やりたいこと、ちゃんと自己主張しなさいと」

        大橋巨泉「人間生き方だけは自分のチョイスでいきたいんだよね」

        永六輔「世の中変わっていくけども絶対変えてはいけないものは変えない」

        宇宙人ジョーンズ「この惑星の昭和はこれからもどこかで生き続ける」

         

        このCMのシリーズ前から意味分からんし気持ち悪いと思ってたけど、これ見て左翼が作ってたんだ。と確信した。上記引用にもあるように、この世代には「昭和ひとけた世代」という名前がついている。

        しかし私的にこの世代は「太平洋戦争時にいちおう生まれてたけど戦争逝ってない」ってのがポイントなのに、昭和のひとけたやふたけたで分けると、戦争知ってる1920年代生まれまで1930年代生まれと同じカテゴリになっちまう。この違いに関してはウィキペディアにも明記されている。

        昭和一桁(Wikipedia)

        https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%AD%E5%92%8C%E4%B8%80%E6%A1%81

        成長過程

        「昭和一桁世代」には2つの層がある。それは、昭和一桁前期生まれ(1926年(昭和元年)末〜1929年(昭和4年)生まれ)と後期生まれ(1930年(昭和5年)〜1934年(昭和9年)生まれ)という2つの層である。前期の人々の多くは、大戦末期に兵士として戦地へ動員され、また軍需工場に徴用されるなどで、戦争に参加した。特別攻撃隊として出撃したり工場で空襲を受けたりして戦死した例も少なくない。後期の人々の多くは、地上戦が行われた沖縄などの少年兵を除いて戦地へ動員されていない。

        昭和一桁後期の人々は予科練にも間に合わなかったが、青年学校で軍事教練を受けて、学童疎開などを経験した。この場合、1920年代生まれは「真っ只中の戦中派」、1930年代生まれは「焼け跡闇市派」と呼ばれる場合もある。例えば1927年(昭和2年)生まれであれば第二次世界大戦終結時に18歳であるのに対し、1934年(昭和9年)生まれだと終戦時に11歳であり、一口に昭和一桁といっても第二次大戦の記憶は人それぞれであるが、大正期からの文化的連続性があった昭和初期の平和であった時期の記憶を持つのは、この昭和一桁前期生まれが最後の世代である。

        そのため1920年代終盤(昭和元年生まれ〜昭和4年生まれ)に生まれた人々は、小学校卒業後の思春期に第二次大戦に遭遇した。対して1930年代前半(昭和5年生まれ〜昭和9年生まれ)に生まれた人々は、日中戦争の最中に小学校に入り、第二次大戦の最中に小学校(第二次大戦中の国民学校)を出たか、小学校在学中に終戦を迎えた。

         

        世間一般で話題になりやすいのは戦後ベビーブーム時に生まれたうわゆる「団塊世代」であり、このブログで言及することの多い70年代生まれも団塊ジュニアなどと名前がついているらしいのだが、私はそこまで団塊が重要と思わないというか、戦後世代のノリは皆1930年代生まれの影響下にあるくらいに思っている。また右翼がよく日本のマスゴミが左翼寄りなのをGHQの陰謀のせいにしておるのも、じつはGHQというより戦後民主主義に毒されまくった1930年代生まれが新しい産業だったテレビの業界を作ってきたために左翼のノリが伝統化したというのが実際のとこではなかろうか。

        戦前までラジオや映画が中心だった娯楽にテレビがくわわるし、当時20歳代である1950年代後半にはテレビだけでなく冷蔵庫と洗濯機が「三種の神器」としてもてはやされた。てことは家事の厳しさからも解放されていたってことであり、戦争逝ってないにとどまらずもっとも若く経済成長の豊かなノリを謳歌しまくった世代であるし、そのせいか多くが80歳代を超えた現在においてもあまり年寄りくささがない。

        といっても上記に引用したボスのCMで「昭和と呼ばれる時代には濃いい奴らがいた」と言っているようにアクの強い人が多く、その昭和感、老害感も団塊より上回っている。そうした30年代生まれが長らく支配してきた戦後的価値観をすごい勢いで破壊し昭和を強制終了さしたのが、冷戦終わってバブル崩壊して日本とか左翼が落ち目になった戦後50年ごろに出現したくしゅくしゅソックス世代でありルーズソックス世代だった。

         

        1930生まれ

        キダタロー、竹村健一、左幸子、野坂昭如、小山内美江子、高島忠夫、俵孝太郎、深作欣二、ハナ肇、藤岡琢也、二谷英明

         

        1931生まれ

        宇津井健、高倉健、ジャニー喜多川、漣健児、水野晴郎、山田洋次、八千草薫、いかりや長介、勝新太郎、来宮良子、大村崑、芦屋雁之助

         

        1932生まれ

        野村沙知代、石原慎太郎、谷啓、本多勝一、小林亜星、大島渚、青島幸男、小田実、五代目圓楽、長門勇、フランク永井、白土三平、仲代達矢、江藤淳、堀威夫、五木寛之、森田実、船村徹、田中邦衛、桂由美

         

        1933生まれ

        黒柳徹子、永六輔、浅利慶太、草笛光子、菅原文太、藤島泰輔、ペギー葉山、扇千景、藤本義一、児玉清、伊丹十三、藤子不二雄、藤田まこと、岡田茉莉子、淡路恵子、オノヨーコ、大山のぶ代、森村誠一、天皇陛下

         

        1934生まれ

        宝田明、長門裕之、山田太一、愛川欽也、東海林のり子、米倉斉加年、田原総一朗、井上ひさし、倉本聰、白木みのる、松井やより、大橋巨泉、横山光輝、筒井康隆、玉置宏、山村美紗、美智子様

         

        1935生まれ

        筑紫哲也、美輪明宏、大江健三郎、田宮二郎、浜木綿子、赤塚不二夫、小澤征爾、桑田次郎、西尾幹二、大藪春彦、朝丘雪路、酒井政利

         

        1936生まれ

        長嶋茂雄、梶原一騎、野沢雅子、さいとうたかを、内海好江、毒蝮三太夫、桂歌丸、つのだじろう、山崎努、川口浩、梁石日、横田早紀江、北島三郎、湯川れい子、楳図かずお、内山田洋、市原悦子

         

        1937生まれ

        樺美智子、モンキーパンチ、小沢遼子、美空ひばり、阿久悠、左とん平、加山雄三、桐島洋子、加茂さくら、ばってん荒川、平尾正晃、花紀京

         

        1938生まれ

        和田春樹、島倉千代子、猪狩章、山尾三省、石ノ森章太郎、山城新伍、田辺昭知、小林旭、大林宣彦、なかにし礼、ミッキー・カーチス、細木数子

         

        1939生まれ

        水森亜土、橋下淳、内田裕也、中沢啓治、ちばてつや、高田健三、五月みどり、寺内タケシ、畠山みどり、かまやつひろし、山下敬二郎、徳大寺有恒

         

        突然30年代生まれの著名人を列挙してみたが、こやって見ると左翼、芸能、歌謡、漫画、アニメ、ドラマなど戦後文化の大御所が多い。その前の20年代生まれがまだ年寄り臭いのに比べ、30年代生まれは服装も若いし洋楽、洋菓子、ニンニクみたいな異国の文化に苦手意識もない戦後世代であることをふまえると、今たとえばSNSとかやってたとこでそんなに驚くことではないであろう。

        だから戦前、戦中生まれであるとか80過ぎとかいうと私のようなピチピチギャルから見ればすごい爺のような気がするしめっちゃ戦争知ってるイメージあるけど、それにまどわされてはならない。なんでこんなこと書いたかと言うと、戦前の悪で恐ろしいイメージがGHQのステマにくわえこの世代(の左翼)によって作られたものという気がしてならないのだ。

         

        はだしのゲン作者の中沢啓治は1939年生まれなので終戦時6歳である。被爆したといっても戦争中の話はリアルで見てきたものではないであろう。

         

        松井やより発言集(YouTube)

        https://www.youtube.com/watch?v=YHQF3opeHR0

        松井やより「その兵隊たちをですね、殺人鬼って言われたり強姦魔って言われたり強盗ってね、アジア行ったらみんな言ってますよ。そういうふうなことをさせるような状況にしたのが誰なのかどういう行動なのか。その責任者をね私たち自身の手で問うてないわけでしょ。ですからね、それが第二でしょ。それからもうひとつは補償ですよ」
        田原総一朗「お父さんは中国で何してらっしゃった」
        松井「あの、兵隊です。二等兵です」
        田原「・・・じゃあ同じようにされてたんじゃないですか」
        松井「そうです」
        田原「いや殴ったり」
        松井「殴ったり、されたんですよ」
        田原「いやいやそうじゃなくて。殴ったり、したんじゃないですか」
        松井「いえ、できない。うちの父はね、どういうふうにしたかっていうと、その殺さなくていいようにハンストみたいに非常にこう抵抗してですね、それはこっそりですよ。で通信部隊っていう全然殺さなくていいところにね行って、そして父がまぁキリスト教の関係だったもんですから、そのー中国の子ども達にいろいろしたりなんかしたからね、すぐ・・・」

         

        なんか男を叩いているような女(もしくは女を叩く男)などを見ると、この人自分のお父さんやおじいちゃんのことはどう思っているんだろうか。とつねずね疑問に思っていたが、松井氏のように「うちの父だけは日本人で男だけど例外」ってパターンもあるらしい。ともかく30年代の語る戦争の残酷さの多くは実際の体験でないうえ、何か特定の思想にもとずいた感がすごいので話半分に聞くことにする。

         

        昭和ひとケタ世代日本を怒る1983年1(YouTube)

        https://www.youtube.com/watch?v=Z-44U9yxC8I

        石原慎太郎「ぼくは中学1年でした。戦争はあっけなく終わった感じがしましたけどね、それから一両日おいて私の住んでいる逗子湾の付近にアメリカの連合艦隊がやってきましてね、とにかくそれを迎え撃って死ぬんだということを大人たちが言い、私も15歳でしたけども、あーやっぱり自分も死ぬのかな死ななくちゃならんのかなという感じがしましたがね、別に恐怖心はなかったけどもそういう意味じゃその、私に限らずみんな軍国少年だったと思いますがね」

        田原総一朗「野坂さんは終戦のときは小学校?中学ですか」

        野坂昭如「みなさん数えでおっしゃってるから数えでぼくも言えば16歳ですね、中学3年です」

        田原「8月15日の思い出はいかがですか」

        野坂「ちょうど福井県の春江ってところにいまして、そこはぼくがそれまでいた神戸の瀬戸内海に面した町から比べると配給が非常によくて、比較的おだやかに暮らしてたんですね。なんか戦争の影も形もないみたいな感じでした。ぼくたちは確かに軍国少年で8月15日っていうとたいていは天皇の言葉がよく聞こえなかったって言うんだけども、どういうわけだかわりによく聞こえたわけですわ。でこれは負けたってことはすぐにわかったです。負けたってことがすぐわかったとたんに生物的反応として、もう空襲がない殺されなくてすむってことがまず考えた」

        田原「小田さんは38年前の8月15日、中学ですか?」

        小田実「中学一年生ですね」

        田原「いかがですかそのときの印象は」

        小田「ちょうど今野坂さんがおっしゃった8月14日の大阪の大空襲があったんですね、で砲兵工廠ってのが完全に全滅したんですけども、その近くに私住んでたんですよ。で私防空壕に入ってましたからね、14日のほうが印象的ですね。14日やっとこさ生き延びて出てきたらビラが落ちてましてね、それもう戦争終わりましたと書いてあるんですよ、お国の政府が降伏して終わったと書いてあるんですね。でこれいったい何だって思ったですよ。まあそれは私の根にあるんですけどね、飢えと空襲のなかで、大都会にいたので、まあやってきたんですね、それであの軍国主義少年だったと思いますよ私も


        アパま田吉彦

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          アパホテル中国で批判 全客室に南京大虐殺否定本(1月18日)

          http://mainichi.jp/articles/20170118/k00/00m/030/176000c

           

          アパホテルの客室に南京大虐殺を否定する本が置かれているとして、中国と左翼が批判しているとのニュースが今話題だ。同じ物かどうかは知らぬが、私もあの有名社長の夫が書いた本を読んだことがあるので「あ・・・あれが話題に」と、目ーつけてたアイドルがブレイクしだす時みたいな感慨を覚えた。

          だが人種差別したとかならまだしも、中国人に泊まってもらうからと言って中国共産党の歴史観に屈する必要もあるまい。で最近アパ以外でも聖書じゃなく竹田恒泰訳の古事記が置かれていることもあることなどもありネトウヨホテルの話でもしようと思ったけど、アパで検索するとやたら袴田吉彦の記事が出てくるので予定を変更し袴田について書くことにした。

           

          ホテルのポイントでグラドルと逢瀬!? 袴田吉彦が“アパ不貞”で完全に笑い者に(1月16日 アサ芸プラス)

          http://www.asagei.com/excerpt/73641

          ・・・

          「不貞相手も皮肉なことに30歳のグラドルということですが、今回の報道で最も注目を集めているのがその密会場所。相手の女性によれば、袴田はビジネスマンご用達のビジネスホテルの“アパホテル”にばかり行きたがっていたとのこと。15年9月に出会ってからその年の暮れまで約10回ホテルに行き、その内の7回はアパホテルだったそうです。激安というわけではありませんが、芸能人の逢瀬にはかなりリーズナブルな印象。なんでもメンバーズカードでポイントを貯めるほど、同ホテルを重宝していたようですね(笑)」(女性誌記者)

          ・・・

          アパホテルにはよもやのいい宣伝になったという声もあるが、あくまで健全なビジネスホテル。世間の出張組が「今回はアパだった」と言ったら、奥さまに疑いの目で見られかねない。「アパ不貞」が流行語になるわけがないとはいえ、芸能人の“火遊び”はもっと安全な場所でやっていただきたいものだ(笑)。

           

          袴田吉彦という固有名詞を聞くこと自体がずいぶん久方ぶりのような気がするが、現代の若い娘さんは御存知なのだろうか。私が最初に袴田を知ったのはTBSドラマ「いつも心に太陽を」(94年1月〜3月)だった。

           

          「 大切な君の胸へ・・・ 」 藤川賢一(YouTube)

          https://www.youtube.com/watch?v=yC80dORV6D8

          これ西田敏行と観月ありさがテレクラで出会い恋に落ちるという気色悪いドラマで、美女と野獣的組み合わせに当時「101回目のプロポーズ意識してんのか?」と思ってたけど、今Wikipediaを見たところ前年(93)に人気爆発した高校教師意識らしい。しかし当時の野島伸司は天才すぎたので格は全然違う。

          いちおう高校教師とかと同じ金曜の10時からやってたんだけども、観月ありさは「ぼくたちのドラマシリーズ」またその後「ナースのお仕事」が代表作にもなったように、どっちかというとフジテレビの中でもコミカル路線のノリだったので桜井幸子と違ってTBS金曜10時の雰囲気は皆無だった。もともと高校教師は観月氏がキャスティングされていたけど、内容が過激すぎると断った経緯があったという。

          くしゅくしゅ時代なので太眉やチョーカーなどファッションが今ぽい。画像ないけど袴田はこのドラマでいつも車いす乗ってる病弱な役で、それまで見たことないタイプの顔と苗字だったため非常に印象に残っていた。

          調べてみるとやはりこの作品がドラマデビューだったようである。それにしても当時のドラマは若い娘がおっさんとつきあってるって設定がけっこう多く(高校教師にいたっては京本政樹とか赤井英和とか峰岸徹とかおっさんばっかりで若い男は全然出てこなかった)、来るルーズソックス時代も「援助交際」イメージ、もしくは小室さんのようなJKに人気のプロデューサーなど、おっさんは性とひきかえにギャルの経済力や文化を裏で支える存在であり続けた。

          このドラマの後袴田は内田有紀主演「時をかける少女」(94年2〜3月)に未来人ケンソゴルの役で出ていたらしい。こっちは見たことないけど、くしゅくしゅ世代感覚のフジテレビドラマ群「ぼくたちのドラマシリーズ」のうちのひとつであり、袴田氏も内田有紀やいしだ壱成と並び当時の新しい俳優として売れっ子になっていったのだった。

           

          はなまるチェック(1994年)

          https://www.youtube.com/watch?v=avq_yLI2TTE

          初期の袴田氏が出ていた番組で印象深いのが、フジテレビ系「学校では教えてくれないこと!!」(94年11月〜95年9月)である。朝の番組「ウゴウゴルーガ」を踏襲したいかにもくしゅくしゅソックス時代っぽいノリだったが、短い放送期間のあいだに袴田氏ほか神田うのや吉川ひなの、ビビアンスーなど今までに見たことのないような新しい感覚の新人たちがこぞって出演しており、ルーズソックス時代の到来を感じさせられた。

          神田うのはグンゼのタイツで成功してからタカビーなセレブキャラになっているが、出始めの頃はまだそんな実績もなく「うっのでーす!!」とやたらやかましい、というかルーズソックス時代によくいた可愛いけどぶっ飛んでる系の女だった。このキャラで成功したあと、タイツで巨万の富を得るまでのあいだに石井一久とつきあって野村沙知代と闘っている時期もあった。

          この番組に出てくる素人女子高生の靴下がすでにくしゅくしゅではなくルーズと言えるレベルにまで達している。動画のタイトルに1994年とあるので、にしちゃかなりルーズだな???と思ったけど、動画をよく見るとバレンタインとか言っているので1995年の2月だろう。

          この頃のくしゅくしゅからルーズへの転換はかなり早いと思われる。髪も茶色いし地べたに座っているしで、もう95年入ってすぐに「コギャル」としての基本形が完成されていた模様。

          モテない男がロン毛のモテ男にアドバイスを受ける。モテない奴新垣氏ぽい。

           

          はなまるチェック:学校では教えてくれない (帰ってきた遅刻者チョメチョメ団)(YouTube)
          https://www.youtube.com/watch?v=ysl0WOKwtZc

          これも冬服なので同じ時期の放送だろう。女子高生はくしゅくしゅはすでにルーズ化、茶髪でメイクも濃い。

          野次馬がみんな写ルンですで撮ってる。てかこの記事全然アパも袴田も関係ねぇ。


          メロンからぶどうへ

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            評価:
            DREAMS COME TRUE
            エピックレコードジャパン
            ¥ 1,149
            (1992-11-14)

            昨年クボメイクから発せられたメロンメイク(鮮やかなピンクオレンジ色の口紅やチークを使った化粧)が人気爆発していたそうだが、秋冬はぶどうメイクだったんだそうだ。それらしい用語で検索するとレブロン社の口紅の広告が出てくるので、同社が仕掛けた流行なのかもしれない。

            くしゅくしゅソックス時代まで鮮やかで落ちなさ(ラスティング)重視だった口紅が、ルーズソックス時代以降は「リップ」「グロス」のような薄ずきでツヤ重視に、ベージュやピンクのような彩度を押さえたヌーディーな色あいにとって変わられた。それが2012年ごろ、ふたたび若い娘さんが赤い口紅を塗っているのを見かけるようになったのだが、ここにきて口紅やティントの鮮やかな発色とラスティングにくわえ、ブルーグロスやぶどうリップなど青味がかった色に人気が集まっているようだ。

            上画像のディオールはバブルの頃人気爆発していた色番だという。こういう紫がかったピンクはバブルの代名詞って感じでオバサン臭いと忌避され、ここ20年以上ほどはリップメイクの主流から遠ざかっていた。

            それにしてもこういう角柱の口紅、私も90年代当時持っていたのだが現代の口紅よりも格好良くないか?昔の化粧品で紺色のケースはめずらしくなかったが(今は黒か、リボンやハートをあしらった乙女なデザインが主流)ディオールはコンパクトも六角形でその角張りっぷりがとくに素敵に感じられたものである。

             

            資生堂 レシェンテ (1992) CM(YouTube)

            https://www.youtube.com/watch?v=xcne4WLErIA

            このレシェンテってのは、たぶんくしゅくしゅ時代の資生堂の主力ブランドと思われる。モーヴとは青みの強い紫色とのことだそうだ。

            1992ってことで、牧瀬里穂が稲垣吾郎と共演したドラマ「20歳の約束」でヒューヒューだよ!って言ってた頃である。色的に秋冬のキャンペーンだろう。

             

            資生堂 Reciente レシェエンテ TV-CM 1993(YouTube)

            https://www.youtube.com/watch?v=VkLxMILmoQ0

            こちらは紫色の口紅ではないのだが、翌年の「春うらはらのベイビーリップス」はそのキャンペーンソングが印象的だったこともあり強く記憶に残っている。牧瀬氏は基本カワイイ系だったのに、資生堂のCMでは当然ながら化粧が濃くそのぶん見違えるほど大人っぽかった。

            このCMは可愛らしく春ぽいピンクの口紅をアッピールしているのだが、それとセットでエラ(Uゾーン)に塗るシェーディングと鼻すじ(Tゾーン)に塗るハイライトもセットが売られていた。つまり顔に陰影をつけてシュっと大人っぽくしているのに、口紅がピンクであどけない感じ、それが「うらはら」というわけである。

            くしゅくしゅ時代は濃い色の落ちない口紅をベタ塗りした女の記憶しかないために、今で言うコントアーって奴がこの時代にすでに提案されていたことに驚いた。それに牧瀬里穂の見た目がアリアナグランデすぎて2010年代としか思えない。

             

            資生堂レシェンテCM 90年代 YouTube)

            https://www.youtube.com/watch?v=XDVOclF0eh4

            モーヴ、ベイビーリップスと来て、93年秋の「レシェンテ」モデルは吉田美和。ドリカムファンだったこともあって記憶に残っているが、正直このCMは口裂け女としか思えなかった。

            キャンペーンソングの「go for it!」も日本語でおk。としか思えず、それ以降ドリカムは全く聞いていない。ただこの口裂けメイクこそがくしゅくしゅ時代のイメージなのである。

            ちなみに私このレシェンテというのはよく知らんのだが、昔はあまりドラッグストアーや100均やプチプラコスメっちゅうのがなかったので(あったけど今みたいな人気はなかった)化粧しだした頃は「人を彩るサイエンス」資生堂筆頭にそこそこのメーカー物を使うことが多く、今思うと高いオプチューン、ビバーチェ、PJラピス、エルセリエ、スタイリッシュ・・・といった銘柄をスーパーや稲葉さんの実家みたいな店で買っていた。コギャルにいたっては、化粧品といやブランド物(一説ではディオール、サンローラン、シャネル)が当たり前だったろう。

             

            DREAMS COME TRUE - 太陽が見てる(YouTube)

            https://www.youtube.com/watch?v=dvtpcSXZ4mM

            口紅のCMはいまひとつだったものの、くしゅくしゅ時代における吉田美和はオシャレなお姉さん的存在で女子高生から人気爆発だった。今見ると小松菜奈っぽいとも思う。

            歌詞もブルーのシャツやあの岬より遠くや夕暮れの競技場や雨が降れば川底に沈む橋といった情景があざやかに浮かんでくるようだった。だがドリカムは95年あたりからルーズソックス化が顕著となり、ファンクザピーナッツとかやり出たり髪がひっつめになったり曲も辛気臭くなって苦手になった。

            だがくしゅくしゅ時代にもみじんの違和感もおぼえていなかったわけではなく、この3人やたらニコニコベタベタくっついってっけど言うほど仲良くなさそうだしいったいどういう関係なんだろう。と不思議に思っていた。そのため吉田美和は可愛かったが、後ろの野郎2人についてはあまり深く考えないようにしていた。

             

            オーブCM(YouTube)

            https://www.youtube.com/watch?v=_p3YzoQ8s3o

            これは何年のCMか分からないが、花王「オーブ」のモデル高橋リナもカップにつかない紫色の口裂けメイクでくしゅくしゅ当時のおしゃ顔だった。80年代のアイドルの写真とか見るとおちょぼぐち(ぶりっ子)しているのに、今井美樹からの流れか?もともと口の大きい女がそれが目立つような色の濃いマットな口紅を塗ってガハっと大きく口をあけて笑うのがサバサバで格好良いっていう風潮があった。

            ドリカムの3人編成にいだいていた違和感も、吉田美和の「あたいは恋愛とか抜きで男とスキンシップできるんだよ!」っていう、サバサバアッピールが原因だったのかもしれない。そういえばルーズソックス時代以降にみられるJKのオラオラ感(女らしさダサイ、汚い言葉遣い等)も、口裂けサバサバ女の進化形だった気もする。


            ルーソ化の数々

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              前回私が思いついた概念「ルーズソックス化」について説明しようと思たのだが、SMAPのことだけ書いて終わってしまった。まづルーズソックスという名称は私の中で90年代前半をくしゅくしゅソックス時代、95年以降をルーズソックス時代と区分している歴史認識によるもので、ルーズソックス化したもろもろが靴下と関係あるとは限らない、というか基本的には関係ないと考えていただいてよろしい。

              くしゅくしゅソックス時代とはその名のとうり女子高生が靴下をくしゅくしゅとたるませてはいていた時代で、そのくしゅくしゅソックスがルーズソックスに進化し、ギャルのイメージが確立された時代がルーズソックス時代である。1995年は大きな事件やファッションの変化があって人々の価値観が激変するのであるが、どうもくしゅくしゅソックス時代はジュリアナしかり90年代というにはバブリー感が残りすぎているいっぽう、実際にはとうにバブル崩壊していてすでにコギャルも存在していたりと、つかみどころのない時期であるせいか人々に思い出されることも少ないように思う。

              たとえば最近平野ノラというバブルの女を再現したらしいお笑いがいるけれども、そういうバブル期のギャルや90年代のコギャルはキャラが立っている。しかしその間にはさまった90年代前半は過渡期であるためにいまいちイメージがわきずらく、その中途半端っぷりを象徴するのが誰にも思い出されないくしゅくしゅソックス、およびお立ち台ギャルにもコギャルの波にも乗れなかったくしゅくしゅソックス世代(1973〜76年生まれ)なのだった。

              代表的なものとしてテレビの例を多くとっているが、くしゅくしゅソックス時代はオカルトやお色気、サブカルなどバブル期以上の享楽的なノリを特徴としており、飯島愛がこの時期にコギャルの先駆者として頭角を現したようにお子さんがたが起きている朝やゴールデンタイムでさえTバックギャルが尻をふっていたほどであった。だが95年初めに阪神大震災があったせいかお色気がなりをひそめる。

              またオウム真理教という宗教がサリン事件で世を騒がせていたためにオカルトもほとんど見かけなくなり、全体的にそれまでのくしゅくしゅ時代のノリが笑えなくなったり不謹慎として一気に姿を消し完全に潮目が変わった感があった。そんな激動のルーズソックス時代をさかいとした脱オカルト、脱サブカル、脱左翼、脱お色気、脱B級現象をルーズソックス化と呼ぶことに決めたので、その例を既出の話題含めて挙げてみよう。

               

              渋谷

              渋谷はギャルの聖地としてその名を知らしめてきたが、渋谷系(≒ほっこり)というカテゴリーもあることからじつはくしゅくしゅソックス時代までサブカルを売りにしていたのがルーズソックス化した例と思われる。渋谷109ももともと別にギャル向けの商業施設ではなくコギャル全盛の1996年ごろは売り上げも悪かったけど、JKのルーズソックス化を受けてギャルショップに力入れたところ大成功し2000年ごろに「カリスマ店員」「お姉ギャル」などの文化を生み出した。

               

              ポップティーン

              くしゅくしゅソックス時代は少女たちがセックスの体験談やイラスト(妄想)を投稿する過激な雑誌が数多く存在し、その多くが「○○ティーン」という名称でポップティーン誌もそのうちのひとつだった。おそらく「セブンティーン」の後追いなのだと思うが、セブンティーン自体はおそらく健全なファッション雑誌だったと思われる。

              そんなポップティーンがいつギャル雑誌にくらがえしたのか、検索しただけでは分からなかったが押切もえが出ていたとの情報をどっかで見たのでeggとかカワイイのちょっと後くらいだったのではないだろうか。しかしギャル文化下火の今、ポップティーンは何系かよく分からない路線になっている。

               

              ポップティーン(Twitter)

              https://twitter.com/Popteen_jp/status/636430732328484864

              Popteenが今のサイズになって、ファッションページが増えたのは1993年11月号から。そのころ渋谷が注目されはじめて「コギャル」誕生!ルーズソックス、始めは「くしゅくしゅソックス」という名前だったみたい。=͟͟͞͞٩(๑☉ᴗ☉)੭ु⁾⁾

               

              オウム真理教

              ルーズソックス時代は地下鉄サリン事件で幕を開けた。その後村井が刺されたり上祐が会見したり麻原が逮捕されたりと派手な展開だったために95年のワイドショーはオウム一色、とくに「THEワイド」(現在のミヤネ屋)や「スペースJ」って番組がオウム報道に力入れまくっていて、THEワイドのオウムコメンテーターで名を知らしめたのが最近ヘイトスピーチとか横田めぐみさん関係で見かける有田芳生だった。

              くしゅくしゅソックス時代までこの手の宗教ネタはカルトといえども今の金正恩みたいなちょっとしたお笑いB級ニュースの枠で、どっちかというとオウムよりも統一教会が取り上げられることが多かった。しかしサリン事件があまりにもガチなテロだったために、オカルト特にヨガが笑えない感じになってしまい、くしゅくしゅ時代によくやっていた江頭がヨガの達人と対決したり、気功で人が吹っ飛ばされたり心霊写真を鑑定したり催眠術にかかるような馬鹿馬鹿しいバラエティのたぐいはほとんど見かけなくなってしまった。

              お笑いだけでなく中沢新一がやっていたNHKスペシャル「チベット死者の書」(93年)も相当怪しかったが、中沢氏はオウムを擁護していたとかで長らく失脚していたという。だけどその後チベット死者の書の監督がエンデの遺言という番組で地域通貨を提唱して一部左翼から熱烈な支持を受けたし、2000年代にロハスが叫ばれる頃にはオウムのほとぼりも冷めて中沢氏も復活したようだった。

               

              山口美江

              テレビで催眠術にかかりまくっていたのが、バブル期にバイリンギャルとして脚光を浴びた山口美江。当時司会業などで活躍していた渡部正行との交際もささやかれていた。

              その出来る女のイメージに反し気さくなキャラでくしゅくしゅ時代のバラエティに欠かせない存在だったにもかかわらず、1996年芸能界を引退。ときたま「あの人は今」のたぐいに出演する以外は見かけなくなり、4年前に51歳の若さで死去したと報じられた。

               

              蓮舫

              グラビア出身ながらくしゅくしゅソックス時代は報道番組のキャスターを務めるなどのちに政治家となる片鱗も見せていたが、個人的にはスーパージョッキーの司会が印象に残っている。一時家庭に入ったのか、ルーズソックス時代にぱったり見かけなくなった。

              今は蓮舫なんてしょっちゅうテレビに映るし出自が台湾で苗字が村田・・・などなどWikipediaとかで確認できるけども、当時は全然可愛くないし蓮舫って名前何やねんと思っていた。テレビに出なくなってからもたまに思い出しては、蓮舫ってけっきょく何だったのよと思っていた。

               

              だっふんだ

              山口美江や蓮舫同様にルーズソックス時代に見かけなくなったのが志村けんで、死亡説さえ流れた。ただ高校の時の同級生がドリフの大爆笑見ていたように思い検索すると、やはりこの頃まだドリフ大爆笑は放送されていたようで志村も出ていたはずなのだが。

              ともかく志村のバカバカしい笑いはルーズソックス時代における脱B級、脱お色気の流れに乗れていなかったのはまちがいない。だが2000年代に入ると、ミニモニとコラボしたり志村動物園も始まったりでふたたび返り咲き、2016年現在もなお現役でお笑いとしては異例ともいえる息の長さを見せつけている。

               

              ボキャブラ天国

              タモリ司会の通称「ボキャ天」は92年10月に開始し、フジテレビ系ではあったがハウフルス制作だったために空耳アワーの替え歌版という感じで、たとえばクリスタルキング「大都会」を「あーあーハゲ歯科医ー♪」とか森進一「冬のリビエラ」を「フグの右エラ」・・・といったぐわいに視聴者が投稿したネタをもとに短いビデオが何本も流れるようなゆるい番組だったのだが、ルーズソックス化して以降は爆笑問題やネプチューンなど芸人が多数出演しJKにキャーキャー言われるようになった。今PPAPで活躍中のピコ太郎も出演していたのだそうだ。

              同じく「電波少年」も松村が体を張るアポ無し企画が中心だったのが、96年から猿岩石(有吉のいたお笑いコンビ)のヒッチハイクやり出してからJKにキャーキャー言われたり芸人の登竜門みたいになっていった。芸人ではないけど、宮路社長とか金萬福とか出ていたはずの「浅草橋ヤング洋品店」が小室のオーディション番組「asayan」にリニューアルするなど、この時期にルーズソックス化(JK迎合)してくしゅくしゅ時代と別物になるお笑い番組が多かった。

               

              川島なお美

              昨年がん闘病のすえ若くしてこの世を去った故・川島なお美。子供のころお笑い漫画道場で親しんだが、途中で交通事故にあって番組を降板した。

              その事故はWikipediaで確認すると1989年とのことだが当時の報道はなんとなく記憶にあり、松島トモ子がライオンに噛まれた時みたいなのを首につけて痛々しい姿だったような気がする。その後漫画道場の若い娘枠は森山祐子という人がやっていたけど顔が濃くてあまり好きになれなかったし、じっさいなお美時代が漫画道場の全盛期だったはずだ。

              くしゅくしゅソックス時代に漫画道場が終わり、ルーズソックス時代にさしかかると漫画道場のイメージしかなかったはずのなお美が「イグアナの娘」「失楽園」で女優として返り咲き、脱B級=ルーズソックス化に成功した。しかもワインとかセレブみたいないけすかんキャラになり、幼き日に見た漫画道場のなお美は何処逝ったのよ?と、何か納得のいかない気持ちでその活躍を見ていた。

              しかしなお美が高齢で病気がちな富永先生より先に逝くとは誰が想像できただろうか。今でも信じられない気持ちだ。

               

              宮沢りえ

              くしゅくしゅソックス時代はヘアヌードが解禁され、お毛毛の写ったヌード写真集が一大ブームとなった。そんななか宮沢りえも18歳で篠山紀信撮影のヘアヌード写真集を出したのでものすごい騒ぎとなった。

              しかし93年、会見までしたのに貴花田と婚約解消。その後もCMで「すったもんだがありました」とおどけていたが、精神を病んだのかルーズソックス時代に入るとヌード写真のときの美しさがまるで嘘のように激ヤセし、しばらく芸能界からも遠ざかっていた。


              安室奈美恵

              安室氏はくしゅくしゅソックス時代には「スーパーモンキーズ」としてすでにそこそこ知られた存在であり、NHKの歌番組「ポップジャム」でバックダンサーしたりサブカル色の強い子供番組「ポンキッキーズ」で兎の着ぐるみを着て童謡を歌ったりなどしていたが、ルーズソックス時代に入るとスーパーモンキーズから分離し脱B級に成功、残されたスーパーモンキーズは「MAX」となりこちらはB級路線をそのまま引き継いでいた。安室とMAXが牽引した沖縄アクターズスクールブームにはSPEEDが続き、他にはダパンプとか知念里奈とかフォルダー、あと売れてはなかったけど山田優もいた。

              アクターズスクールの先人としては関空でアイス売りしている早坂佳恵やISSAの姉ちゃんの里中茶美がアイドル系、そのほかにギンコっていう人がR&Bとかダンスを基調としのちのアクターズスクール路線をいち早く開拓していたがいづれもパッとしなかった。スーパーモンキーズ時代の安室も正直いって全然あか抜けてなく、悪い意味で沖縄!ハーフ!って感じの濃い顔でダウンタウンにも猿みたい(モンキーズだけに)と陰でいじられていたが、細眉やベージュリップなどのルーズソックスな厚化粧をほどこすようになってからはお人形さんのようになって見違えJKから熱烈な支持を受けた。

               

              MJ

              フジテレビ系の歌番組「ヘイヘイヘイ」はくしゅくしゅ時代末期の1994年10月に始まり、その後小室やロックバンドがミリオンセラーを出すとともに人気番組に成長。司会の浜田雅功も「ヘーイヘイヘイ時には起こせよ・・・♪」と番組名の入ったような小室プロデュースの歌を出し、ルーズソックス時代の1ページを飾った。

              90年代前半は歌番組が低迷していた(CDは売れてたけどタイアップの一発屋とか氷室とか小田和正みたいなあんまりテレビ出ない奴ばっかりだった)と以前にも言及したが、当時フジテレビ系の歌番組といえば古館伊知郎、加山雄三、田中律子司会の「MJ」(92年10月〜94年3月)が印象深い。金スマの赤服みたいにミニスカートはいたギャルが座っていてCMに入るといっせいに足を組み替えたり、やたらファックス言ってたりとくしゅくしゅらしいノリとセットで、今調べると短命だったようだが私はけっして嫌いではなかった。

               

              [ミュージック]MJ[ジャーナル](2ちゃんねる)

              http://bubble4.2ch.net/test/read.cgi/natsutv/1059791100/

              1:名無しだョ!全員集合:03/08/02 11:25 ID:pIso8Fc9

                  司会:古舘伊知郎・加山雄三・田中律子
                  第一回目のテーマが「チャゲ&飛鳥は演歌である」(小金沢昇司が演歌バージョンでSAY YESを歌っていた)

              5 :名無しだョ!全員集合:03/08/02 13:55 ID:wn2bi46h

                  文字情報があった番組?
              6 :名無しだョ!全員集合:03/08/02 15:24 ID:8I86rldc
                  懐かしいなあ・・・この番組でミスチルを初めて見た。

              7 :名無しだョ!全員集合:03/08/02 15:30 ID:4+9U2xdv
                  足を組みかえるだけのネーチャン達 スタッフの便所だったんだろーなー

              9 :名無しだョ!全員集合:03/08/04 11:16 ID:SzLMzFGu
                  >5
                  そうそう、はっきりいいて番組の内容よりも電光板のアーティスト情報(はっきりいってどーでもいい情報)の方が
                  気になってたよ!で、一番印象に残っているのが「大の阪神ファンの陣内大蔵は神宮球場のヤクルト戦を見に行って、連夜のサヨナラ負けで大荒れだった」ってやつ

              14 :名無しだョ!全員集合:03/08/16 11:47 ID:OOcgpEnM
                  >1
                  その第一回目の特集を見たチャゲアスの事務所の人間がフジにクレームつけたってのは本当か?

              17 :名無しだョ!全員集合:04/01/22 13:07 ID:???
                  何気に毎週見てた番組だな

              18 :名無しだョ!全員集合:04/01/22 13:50 ID:???
                  自分も観てたな。ミスチルをビデオに録った覚えがあるので、
                  探せばこの番組出てくるな。

                  ユーミンも古舘にクレームつけてたような気がする。

              19 :名無しだョ!全員集合:04/01/23 04:44 ID:U/HtdvWY
                  FAXガールズ

              21 :名無しだョ!全員集合:04/01/24 01:12 ID:3EjNzoJA
                  司会者席の電光掲示板に「古舘伊知郎のマネージャーは…」と
                  一瞬映ったが、その後出演者のワンショットに切り替わってしまい、
                  当時、古舘の周辺では
                  「古舘伊知郎のマネージャーは…の後は何なんだyo!」と
                  大騒ぎになった。無論、そんな電光表示が出るなどとは本人も知らず
                  古舘自身が「その続きを知りたい!」と関係者に言っていた。

              22 :名無しだョ!全員集合:04/01/25 03:19 ID:hJXeqkON
                  今だったら電光掲示板と画面を分けて放送するかな。
                  確かこの番組って秋元康が関わっていたような。

              24 :名無しだョ!全員集合:04/04/15 23:17 ID:ISrpQltn
                  サザンが「エロティカ セブン」を歌ってる時に桑田が加山雄三に脳天チョップ
                  を食らわせた記憶がある

              25 :名無しだョ!全員集合:04/04/21 22:49 ID:W0y2y4E6
                  チャゲアスがこの番組で古館に馬鹿にされて、それに怒って「YAH YAH YAH」を作ったんだよね。

              27 :名無しだョ!全員集合:04/04/24 20:30 ID:???
                  >14
                  チャゲアスの事務所の人じゃなくて、ASKA本人が古館にクレーム。
                  YAH YAH YAHはこの怒りがきっかけらしい。
                  おしゃれカンケイで言ってた。

              28 :名無しだョ!全員集合:04/05/02 22:26 ID:fRG/Dvh5
                  橘いずみをフィーチャーしてたね

              29 :名無しだョ!全員集合:04/05/03 07:03 ID:???
                  後に出た、DEENの「♪このまま君だけを奪い去りたい〜」は
                  この番組から出たのかな?

              32 :名無しだョ!全員集合:04/05/08 01:47 ID:???
                  ★歌とは全く関係ない遠距離恋愛特集
                  →「エンレン」という言葉を生んだ(メジャーにした)のはこの番組?

                  ★加山雄三、当時のホールズのCMソング歌う

              36 :フィヴブ:04/07/28 15:34 ID:OjmFX8zU
                  僕が覚えている電光掲示板で印象に残っているのは「J-WALKはよくJ-WAVEと間違えられるらしい」です。
                  J-WALKがJAY WALKに改名したのは、これが原因かなと思ってしまう。

              37 :名無しだョ!全員集合:04/07/28 19:08 ID:7zBO6PMr
                  録画の日って、電光掲示板の映り方がおかしかったような。

              38 :携帯:04/08/11 04:32 ID:+L698+BB
                  >32
                  そうですね。
                  「遠恋」という言葉を最初に使ったのは、この番組(と言うか、古舘伊知郎)。
                  本人も初めて口にしたとき「また変な古舘語録を作ってしまった」って顔をしてましたよ。

                  ところで「エンレン→遠恋」が一発変換できてビックリ。

              41 :名無しだョ!全員集合:04/10/05 17:08:25 ID:wb1z/HZo
                  懐かしいな、この番組。
                  遠距離恋愛という言葉を流行らせた番組だね

              42 :名無しだョ!全員集合:04/10/31 23:12:59 ID:???
                  私に翼があれば♪
                  って歌ってたね

              52 :名無しだョ!全員集合:2005/03/24(木) 18:27:05 ID:Q7B1HyCC
                  チャゲアス激怒

              57 :名無しだョ!全員集合:2005/04/18(月) 20:46:57 ID:???
                  松村のピロピロって番組で
                  MJをパロってOJっていうのをやってた。
                  電光掲示板のかわりに長い布に文章書いて
                  横に動かしてた

              63 :名無しだョ!全員集合:2005/06/09(木) 05:24:32 ID:???
                  ニュース番組っぽく作った音楽番組といっていいのかな
                  真偽はともかく電光掲示板のアーティストのネタが気になってしょうがなかった

              66 :名無しだョ!全員集合:2005/07/02(土) 12:10:30 ID:CxdpPwzY
                  誰もつっこまないが
                  >>1
                  1回目の特集はユーミン。
                  これみてユーミンがきれたのは有名な話。
                  「チャゲアスは演歌だ」とか「B'zはJリーグだ」とかよくわからないまとめかたをして
                  しかも古館や加山がそれにさらにわけわからんコメントいれて・・・
                  そんな印象だなこの番組。

              67 :名無しだョ!全員集合:2005/11/30(水) 19:43:37 ID:???
                  チャゲアスファンだけど演歌といえば演歌だよね
                  最初はフォーク艶歌とか呼ばれてたし

              71 :名無しだョ!全員集合:2005/12/28(水) 00:07:39 ID:???
                  >>66-67
                  今更気が付いたんだが、5ヶ月近くもレスが付かなかったんだな。

              74 :名無しだョ!全員集合:2006/03/14(火) 05:14:24 ID:/5El9EL0
                  恐い歌特集、山崎ハコの歌が強烈で、その夜は眠れなかった。
                  森田童子も紹介されてたね…手首を切る歌。
                  最後に何故か桜田淳子の「わたしの青い鳥」が流れたんだけど、本来恐い歌ではないはずなのに
                  凄い不気味な感じがした。…記憶違いだったらごめんなさい。

               

              北朝鮮

              94年に金日成が死亡し、本格的な金正日体制(ルーズソックス化)が始まった。80年代半ばから「現代コリア」あたりで実は北朝鮮怖いってな情報はかなり出始めていたものの、北朝鮮の今の地位が決定的になったのは金正日時代だろう。

              冷戦が終わってソ連の援助もなくなったってことで飢饉もすごかったらしいが、なんといっても96年に現代コリアに載った記事をきっかけに横田めぐみが拉致されたことが判明。ちょうど社会党(現在の社民党)政権が失敗した頃でもあるし、社会党と言えば北朝鮮ってことで左翼離れが顕著となり、かっては自民党と張り合って山が動いたとか言ってたのに見る影もなくなった。

               

              脱自虐史観

              そういえばこの頃から保守系が優勢になってきたのか、新しい教科書をつくる会(96年)が組織されたり産経新聞の「教科書が教えない歴史」(95年)がベストセラーになったりしたようだ。のちにネトウヨに進化していく流れか。

              https://www.amazon.co.jp/dp/4594020402


              SMAPと90年代

              0

                「SMAP×SMAP」最終回がついにスタート「森くんめっちゃ出てる」「すでに泣いてる」の声(12月26日 モデルプレス)

                https://mdpr.jp/news/detail/1649698

                 

                私は芸能通気取っているくせに、ルーズソックス時代から若人向けの番組とかフジテレビのノリが嫌いになったのでじつはSMAPSMAPちゅう奴も見たことない。話題の最終回も見ておらず、とうとう見たことないまま終わった。

                そんなSMAP語る資格ない私だが、ルーズソックス時代を語るうえではずせないアイドルであったという点において適当に語っちまう。近ごろ当ブログはくしゅくしゅソックスまたはルーズソックス時代という造語に引き続き、新たにルーズソックス化という概念を提唱し出したのだが、その意味するところはというと1995年あたりをさかいにそれまでの浮かれた時代がなかったかのように路線変更しルーズソックス時代の荒波を駆け抜けたもののすべてを指している。

                今でこそジャニーズのアイドル達はバラエティとかドラマとかいろんなものにてんとう虫のごとくしゃしゃり出てきてうざいことこの上ないが、くしゅくしゅ時代は光GENJI以降のスターが出てこなく低迷していた。とはいえ、その頃からミュージックステーションとハウスカレーとオリンピックイメージソングみたいな奴には食いこんでいたのだが。

                んでその頃の音楽シーンといえば、以前にも記事にしたことあるようにドリカムがとにかく人気爆発、あとは70,80年代からいるニューミュージック系の人(チャゲアスもそうだと思うが、この系統はあんまりテレビ出なかった)とかドラマやCMとタイアップしたような歌手が大半で、ジャニーズだけではなくアイドルやロックバンドもパッとしなくて歌番組も少なかった時期である。

                そんななか「夢がMORIMORI」(92年4月〜95年10月)という深夜番組が若人のあいだで評判となっていく。この番組はSMAPと当時の人気タレントである森脇健児と森口博子が共演したバラエティで、私は見たことないけど周りでは面白いとか格好良いとか言って見ている女子がけっこう多かった。

                SMAPSMAPは夢がMORIMORIの終わった半年後に同じフジテレビ系で始まっていることから、おそらく後継にあたるのだろう。ジャニーズをバラエティに進出させたはしりであると思われるが、この路線はくだんの女性マネージャが開拓したと独立騒動時の報道で聞いた気がする。

                で先ほど言ったルーズソックス化とは何ぞやという話に戻ると、ルーズソックス時代に入ってモリモリがスマスマになりMORIの語源である森脇・森口両者を見かけなくなり、森君もいなかったことになり、長らくキムタク一強時代がしかれることになる。この1995年をさかいとするSMAPの脱MORI化が、まさしくルーズソックス化なのである。

                くしゅくしゅ時代からキムタクはいちおうドラマには出ていたが、人気爆発しだすのは私の記憶しているところではフジテレビ系「若者のすべて」(94年10月〜12月)で、キムタクという呼称が出てきて「ロン毛」が格好良いとなったのもこのあたりだった。若者のすべてには萩原聖人と武田真治が出ていて、90年代初頭はどっちかというとその2人の方が売れっ子であったことを考えると、くしゅくしゅからルーズへの世代交代を象徴するドラマであったし、94年末という時期もミスターチルドレンの主題歌も、話は全然覚えてないけど冬にやたら病んでて重苦しい雰囲気だったのも、今思うとルーズソックス時代の到来を暗示していた。

                それにくしゅくしゅソックス時代にSMAPで俳優として人気があったのは、稲垣吾郎のほうだったはずだ。SMAPにとどまらず、忍者とか男闘呼組とか言って何かオワコンなイメージのあったジャニーズにTOKIO、V6、キンキキッズなどの人気グループがどんどん生まれたのもルーズソックス化の一環であろう。


                今人気のある映像

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                  先月号のJELLYにインスタグラムなどSNSに載せる用の写真・動画術の特集があり、写ルンですのステマか?と思ったらやっぱりそうで、私も90年代にやっていたフィルターとしてレンズにセロハンをかぶせるテクなども紹介されていた。

                  写ルンですのほかにも最近カセットテープやレコードやファミコン、歌声喫茶(?)などレトロな物が流行していると各マスゴミが取り上げているのは過去にも記事にしたとうりだが、JELLYの特集でひときわ目をひいたのがVHS風の動画がオシャというもので、ビデオデッキとか家庭用レコーダー買うんかい?とびっくりしたのだが、これにかんしてはさすがに有料のアプリで加工するだけなんだそうだ。でも今デジタル放送やDVDだから砂嵐なんかもめっきり見かけなくなったし、ユーチューバーの動画なんかを大画面テレビで見ても普通の番組と何ら遜色ないんじゃないかと思うほどクリアな画質であることを考えると、90年代に女子高生のあいだでピンボケヘタウマ写真が人気爆発した現象と同じく、VHSの薄暗い画質とかノイズが逆にオシャってことになってきたのかもしれない。

                   

                  CHARLI XCX - WHAT I LIKE (OFFICIAL VIDEO)

                  https://www.youtube.com/watch?v=DsqNvy9v93s

                  VHS風映像はカセットテープと並んでミュージックビデオでもよく見かける。イギリス人歌手チャーリーXCX「WHAT I LIKE」(2013)の世界観は90年代を忠実に再現しており、写ルンですで自撮りするシーンも出てくる。イギリスでも90年代写ルンですが人気爆発していたのか?

                  でも厳密にいうとこの頃の写ルンです系ガーリーフォトは自撮りってよりも撮りあいっこといった方が妥当というか、写メールが出てくるまで携帯電話の画面で自分の顔を確認しながら撮ることができなかったので、盛ることは実質不可能だったしむしろ二重アゴに写るリスクが高かった。あと写真にしてもプリクラにしても、ポラロイドのように上からペンで落書きするというのも90年代からJKが始めた風習と思われる。

                   

                  でんぱ組.inc「アキハバライフ♪」MV Full(YouTube)

                  https://www.youtube.com/watch?v=tuMRPUqP1ho

                  でんぱ組「アキハバライフ♪」(2015)。この曲は秋葉原の電気街の歴史を振り返るコンセプトなので、古い電気製品や画質が出てくることに90年代とかオシャとかいう意図は特になさそうである。

                   

                  Carly Rae Jepsen - Run Away With Me(YouTube)

                  https://www.youtube.com/watch?v=TeccAtqd5K8

                  カーリーレイジェプセン「Run Away With Me」(2015)は映像効果の一部としてVHS風が使われているようだ。しかし画面上に「再生」みたいな表示やノイズがこれ見よがしに出てこないとただの画質悪い映像にしか見えなく、VHSのよさが半減している。

                   

                  GOT7 『Hey Yah』Music Video

                  https://www.youtube.com/watch?v=TILcG-D0KgI

                  ここからはK-POPなのだが、最近YouTubeにアップされたばかりのGOT7「Hey Yah」(2016)も画面が急に早送りになるほか、ラジカセやレトロゲームや緑色の冷蔵庫など昭和な要素を詰め込んでいる。それはそうとしてこのビデオの構成はEXO「Love Me Right」の日本語版に似ている。

                   

                  EXO / 「Love Me Right 〜romantic universe〜」MV short ver.(YouTube)

                  https://www.youtube.com/watch?v=4Ueo4r-ZnX8

                  そのGOT7の新曲に似ているEXO「Love Me Right」(2015)。これもVHS風だけでなくカセットテープやレトロゲームなど懐かしい感じの効果をふんだんにとりいれている。

                   

                  [EXID(이엑스아이디)] 아예 (Ah Yeah) Music Video [Official MV](YouTube)

                  https://www.youtube.com/watch?v=egqDPipqIAg

                  EXID「Ah Yeah」(2015)はビデオテープと股間モザイクでAVギャル風か?EXIDらしい挑発的なビデオ。

                  というわけで人気急上昇中かもしれない不気味なVHS風画質。貴方も思い出のつまった動画を加工して他の子たちに差をつけてみてはいかがだろうか。

                   

                  昔風の動画が手軽に撮れる『VHS Camcorder』のクオリティが高い(2015年8月29日 APPBANK)

                  http://www.appbank.net/2015/08/29/iphone-application/1086215.php

                   

                  余談だが、上に紹介したGOT7、EXO、EXIDのビデオにはいづれもパソコン上でウインドウがバカバカ開くシーンがあるのだがこれはいったい何なのだろうか。ブラクラ懐かしくてオシャってことなのか?

                  GOT7「Hey Yah」

                  EXO「Love Me Right」

                  EXID「Ah Yeah」


                  リアルサザエさん

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                    1951年2月の育児本(雑誌付録)を発見。この表紙は絵なのか、写真なのか・・・

                    1951年2月ごろをちょっと調べてみると、団塊世代のベビーブーム(1947〜49)は落ち着いているがまだ占領下。戦後すぐは日本軍性格悪っ。とばかりに勝者アメリカが戦前を裁き9条や教育基本法など左翼が好きそうな奴をグイグイ押しつけてきたが、もうこの頃になると朝鮮戦争始まってるなど冷戦が本格化してきて日本では自衛隊の前身である警察予備隊が組織され、赤(左翼)狩りなどもけっこう行われていたようだ。

                    だから冷戦においてアメリカの敵である左翼はその後も安保闘争とかすごい盛り上がってるし、今でも沖縄でアメリカ軍出ていけってやってるけども、基本的にライフスタイルにおいては敗戦のトラウマもあって貧乏で迷信オカルトな日本に対し、アメリカ式が科学的で豊かで正しくて素敵だったであろう。この後高度経済成長期が始まり、マスゴミの影響もあってアメリカ脳におかされた日本人はその豊かさに追いつけとばかりモーレツに働き、かまどやちゃぶ台といった大和のスピリットを捨て朝っぱらからダイニングでトーストなどを食べるようになった。

                    挿絵の奥さまは割烹着と洋風パーマネントが決まっているオシャなサザエさん型が半々。この奥さまが現在85歳以上であろうと考えると、完全な戦前型育児していた婆はほぼ絶滅しているのではなかろうか。

                    アメリカ式のしつけのよいところをとつて、ベッドに入れるとひとりで眠り、自分で洋服も着れば、おもちゃも整理いたします」(わが家のしつけ)

                    いくらアメリカのステマが凄まじいといったところでまだこの頃は子育てについて婆があれこれ助言してきたのだと思うが、上流階級のあいだではすでにアメリカ式を取り入れ、このわが家のしつけシリーズは他にもアメリカ人の牧師さんが経営する幼稚園に通わせて小さい頃から宗教教育するのもよいとしみじみ思います・・・うんぬんとアメリカかぶれ極まりない。というかこの本に限らず、同じくらいの頃の婦人雑誌は「あちらでは〜」「向こうでは〜」と、何かとアメリカのステマが多く、奥さまがたがそんなオシャなライフスタイルに憧れたであろうことが容易に想像できる。

                    赤ちやんが生後二カ月か二カ月半になつて、腹ばいにさせれば首を持ちあげるようになりましたら、なるべく早いうちにうつぶせの恰好で、頭を枕につけて寝かせるように、向うでは習慣づけます。いつまでも仰向けに寝かせておきますと、やわらかい赤ちやんの後頭部は、平べつたくぺちやんこになり、また、たゞさえ薄い毛はすり切れてハゲになつてしまいます。これは大したことではなく、のちになれば簡単に治るものですが、せつかくかわいらしい赤ちやんの頭を形よくきれいにしておくために、アメリカのお母さん方がどなたも実行なさることだとは、ほゝえましい話ではありませんか。

                     

                    生後2か月程度でうつぶせ寝って大丈夫なのか?と思って調べてみると、やはり現在は赤ちゃんの突然死との関連が疑われ推奨されていないようである。昔粉ミルク推しの理由に乳の形が崩れないといったようなことがいわれていたようだが、赤ちゃんの頭が平べったくなったりハゲになったりするとかいうのを心配するのもアメリカ的発想なのかもしれない。

                    美健ガイド社のマンガでGHQの陰謀で添い寝や抱っこが奪われた〜とあったように、じっさいアメリカ式育児法シリーズでは母親の負担を減らしたり(本書ではのちのナルちゃん=皇太子さまの担当医となる緒方安雄によりおんぶも否定されている)、赤ん坊のころから1人で遊ばし自立をうながすといった傾向は随所に見受けられる。抱きぐせがつく、とかいうのも特に何か根拠があったわけではなく、戦後特有の「日本間違ってるけどアメリカは科学的で正しい」ってなノリだけで既成事実化したのではなかろうか。

                     

                    赤ちゃんが目をさましているときは、周りを見廻して、自分でおもちやを持つたり手足を動かしたりして遊んでいるのが普通です。あたりのさまざまのものを見、いろいろの音を聞いているということは、それだけ眼や耳を働かせていることですし、おもちやを持つたり、手足を動かしていることは、体を働かしていることです。赤ちやんはこのように心も体も一生懸命働かせているうちに、成長してゆきます。働かせていればそれだけ強く、確かになるものを、抱いてしまうと自由に動けなくなり、こんな風に自分で自分を働かせることができなくなつて発達を妨げることになります。

                    それだけではありません。一たん抱き癖がついてしまうと、もうだれかに抱いてもらわないと満足しなくなるものです。一本立ちになれない、依頼心の強い性格が、ここから芽生えてくることになります。

                    抱いてもらえないと泣き、泣くとかわいそうだといつて抱くようになり、このために、抱いてもらいたいばつかりに泣くという泣き癖も、こゝから生れてきます。

                    赤ちやんがほんとに眞直な成長をしてゆくことができるように、こんな癖はつけないようにいたしましょう。

                    赤ちやんは、いろいろの物を見たり、聞いたり、いじったり、また体を動かしたりすることが大好きです。このようにさまざまのことをして喜ぶのが赤ちやんの遊びであり、こうしているうちに、赤ちやんの心も体も順調に成長してゆくことができるのです。

                    このように考えると、赤ちやんが自分でいろいろのことをして遊べるようにしてやることが、一番大事だということがわかります。抱き癖をつけると、赤ちやんが自分でいろんなことができないから、成長をおさえることになると前に申しました。それと同じことがすべてのことについていえます。

                    できるだけ体の自由がきくように、着物やおむつに工夫をしてやりましよう。寝返りをし、はい廻るようになつたら、動き廻つてもあぶなくないように、危険なものを片づけましよう。何よりもよいことは、赤ちやんが自由に遊べる場所を作つてやることです。赤ちやんを入れる柵のついたベビー・サークルなどは、このようなものとして最も理想的なものです。

                    抱き癖やおんぶ癖をつけたり、お母さんが一々相手をしてやらないと満足しないというような癖をつけないで、一人でおもちやを持つて、おとなしく、思う存分に遊ぶ赤ちやんにしたいものです。

                    大人の手をかけないで、自分一人で自由に遊べる赤ちやん、そしてその遊びによつてすくすくと成長してゆける赤ちやんにいたしましよう。

                     

                    美健ガイドのマンガにもそれっぽいことが書いてあったように、抱き癖理論がサイレント・ベビーの原因になっているのではないかと疑われ、これまた現在ではあまり推奨されていないようだ。とはいえ、このような育児法がアメリカのステマだったからといって、日本人を不健康にさせるための陰謀だったと解釈するのは理解に苦しむ。

                    当時はまだそこまで粉ミルクや哺乳瓶といったものが普及していなかったのか、人工栄養として赤ちゃんに牛乳やハチミツを与えていたようである。というか、粉ミルクそのものが湯だけではなく砂糖を加える処方だった模様。

                    昔は女の命取りといわれたお産も最近は医学が進歩して段々安全になつてきました。

                    お産による死亡率は、明治35年頃は出産1万に対して40人前後の高率でしたが、昭和23年には15.7人にまで減少しています。

                    それでも年々5,000人近い貴い人命がお産のために失はれています。こうした不幸もお産についての正しい科学的な智識さえあれば、もつともつと除かれることでしよう。

                     

                    1951年はまだ自宅出産が普通で、病院出産が普通になるのは1960年代くらいかと思う。(←検索してもよく分からなかったので私がそう思ってるだけだが・・・)何年か前に新生児が取り違えられて病院を訴えていた事件があったけども、その人が生まれたのも1953年とまだ病院出産のはしりの時期で昔はそういう悲劇も珍しくなかったらしい。

                    その時点でも明治時代と比較すれば妊産婦死亡率はすでに1万人あたり40人から15.7人とかなりの減少しているのだが、Wikipediaによると2012年10万人当たり4人にまで減っており、この広告のように1万にあてはめると0.4人となる。成程これはお産について正しい科学的な智識がお産の不幸を除かせたことにほかならないだろう。

                    そう考えると吉村医院みたいにハピふる!もとい、幸せなお産で江戸時代に帰ろうよ。というステマは妊産婦や新生児を自然淘汰しようという陰謀にも思える。GHQやサイレントベビーよりそっちの方がガチすぎて怖い。

                    森永ヒ素ミルク事件はこの4年後のことだった。スポック理論の反動からか現在では一部に母乳信仰もあるので、それに対して粉ミルクの何が悪いんだよ!という論争もかまびすしいが、やはり大量生産品は何かが混入したときのリスクもあるし、じっさいに粉ミルクで悲劇が起こっていたことは高度経済成長期の負の面として忘れてはならないだろう。


                    TK回想

                    0

                      AOA 「WOW WAR TONIGHT〜時には起こせよムーヴメント girls ver 」(ショート ver )

                      https://www.youtube.com/watch?v=rG2tEXtCs4s

                       

                       

                      韓国ガールズグループAOAがH Jungle with tこと浜田雅功の大ヒット曲「WOW WAR TONIGHT〜時には起こせよムーヴメント」をカバーしたそうで、ミュージックビデオにはプロデューサーの小室哲哉も出演している。昔ながらのセクシースタイルを踏襲するAOA、過去にはTMレボリューションとコラボもしていたが日本では90年代路線なのだろうか。

                      この曲のオリジナルは1995年3月にエイベックスからリリースされ、小室時代とエイベックス時代の幕開けを印象ずけた一曲であった。当時エイベックスはポット出のレコード会社だったものの、小室はTMネットワークもやっていたし90年代前半の時点ですでに宮沢りえや東京パフォーマンスドールなどアイドルへの楽曲提供で大活躍していたのだが、東京パフォーマンスドール出身の篠原涼子が歌った「いとしさとせつなさと心強さと」が大ヒットして以降、そのプロデュース作品はルーズソックス世代に絶大な支持を受けることとなった。

                       

                      小室快進撃を決定ずけた「愛しさ(以下略」、これはもともとアニメの主題歌でコギャルというより子供から火がついてだんだんランキングを上げていったはず確か。Wikipediaによると、発売はソニーだがミュージックビデオはエイベックスが制作したらしい。

                       

                      私もルーズソックス世代であり、もともと小室の音楽が好きだったのでTRFなど普通に聴いていたのだが、正直このH Jungle with tだけはよく分からなかった。小室ファミリーの多数は小室好みであろう若くてちょっと安っぽい感じの女たちだったのに、浜ちゃんみたいなオッサンが歌って何がよいのか?という感じで、今回AOAのカバーを聴いてあれ結構いい歌かもと思ったくらいである。

                      確かこの歌は当時始まったばかりのダウンタウン司会の歌番組「HEY!HEY!HEY!」によくTRFが出ており、その流れで小室に浜田氏が「曲を書いてください」と冗談まじりに言ったのが本当に実現してしまったという流れだったかと思う。それまでダウンタウンの歌手活動といえば坂本龍一プロデュースのゲイシャガールズ(1994年)がよく知られており、これも「ガキの使い」のトーク収録に坂本龍一が観覧に来ていた縁があって、松ちゃんが「世界の坂本プロデュースで名前はゲイシャガールズ・・・」などと口からでまかせを言いだしたのがきっかけだったように記憶している。

                       

                      Kick & Loud / Geisha Girls(YouTube)

                      https://www.youtube.com/watch?v=URhBUEnAdw8

                       

                      「HEY!HEY!HEY!」も始まった当初はゲイシャガールズを前面に出していたのだが、H Jungle with tが大成功して以降は完全に過去のものとなってしまった。このようにトンガっていたゲイシャガールズが小室サウンドで大衆に受け入れられた点もさることながら、ダウンタウン自体が「HEY!HEY!HEY!」で多くの歌手と絡むうちに芸風が丸くなってしまったことも、私の中ではルーズソックス時代を象徴する変化であったと思う。

                      やはりきわどい笑いでトンガっていたお笑い番組「浅草橋ヤング洋品店」が一部小室のオーディション番組「コムロギャルソン」となり、最終的にオーディション番組「asayan」に変貌して原形をとどめなくなったのもゲイシャガールズ同様、サブカルが淘汰され小室化(ルーズソックス化)した例に数えてよかろう。というかゲイシャガールズを手がけた坂本龍一も、今ではエイベックス所属だったりするのだが。

                      ではなぜここまでルーズソックス世代に小室サウンドが受けたのだろうか?といえば、若さをもてあまして都会の雑踏を一人さまよう感じのメンヘル気味な歌詞とか、小室好みの若くてちょっと安っぽい女の見た目や歌唱力がコギャルのリアルを代弁するのに絶妙だったからだと私は思っているのだが、それではオッサンであるH Jungle with tは説明できない。H Jungle with tの大ヒットはルーズソックス時代最大の謎である。

                       

                      華原朋美1カ月休養へ 交際進まず心身バランス崩す(11月6日 日刊スポーツ)

                      http://www.nikkansports.com/entertainment/news/1734285.html

                      そんなルーズソックス時代の中心にいた小室だったが、私がそのプロデュース作品に魅力を感じなくなったのは華原朋美の「Hate tell a lie」が出たときである。カネボウのガングロ化粧品「ブロンズラヴ」のCMソングだった同曲は、小室さんがあたいを輝かせるために色々と頑張ってくれてるウォウウォウォ(←管理人要約)という内容の歌詞で、いやこれともちゃんがのろけてるならともかく小室さん本人の作詞かい。とドンびいたのが最初だ。

                      そのガングロ化粧品が確かキラキラの入ったジェルでそのために「輝かせる」というフレーズが入っていたのだろうが、とにかく歌詞の違和感にくわえ、曲も早口言葉みたいで聴いていて頭が変になりそうだった。この歌が出た時期を調べてみると1997年4月だそうで、私の歴史観においてはルーズソックス第一世代から第二世代への移行期である。

                      私が華原朋美の存在を知ったのは、同級生から「今度小室さんの彼女がデビューするらしい」と聞いたときだ。つまりデビュー前から小室の彼女として知られていたわけだが、デビュー曲「keep yourself alive」(1995年9月)を聴いた時点ではまだミステリアスな印象で、すぐに人気が出たわけではなかった。

                      1974年生まれということで世代的にはルーズソックス世代よりもう一段階上の世代でありながらも、当時からキティちゃんや吉野家好きを公言するぶっ壊れたキャラでコギャルたちに人気大爆発した。若人ならばなぜキティちゃんや吉野家がぶっ壊れているのかと思われるかもしれぬが、当時はまだ大人なのにキティちゃん好きとかいうのはあまりなかったし、吉野家も今みたいに女子供がおいそれと入るような店ではなかったのである。

                      とにかくそのぶっ壊れ度合いにおいてコギャル草創期の既存文化破壊路線と連動していた華原氏だが、やがて小室氏との別れによって本格的にぶっ壊れてしまった。そして表舞台から去ろうとしていた頃現れたのが華原氏と同様アイドルから歌手に鞍替えし「桃の天然水」CMの座を受け継いだルーズソックス世代の浜崎あゆみで、のちにエイベックス最大の功労者となった彼女も歌手デビュー当初は独特のしゃべり方でぶっ壊れたキャラを演じていた。

                       

                      牛丼のつゆだく 築地発祥説、華原朋美でブーム…を吉野家解説(2013年5月19日 NEWSポストセブン)

                      http://www.news-postseven.com/archives/20130519_189035.html


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