合成洗剤史

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    1932年P&Gから世界初の家庭用合成洗剤「ドレフト」が発売されて19年後の1951年、日本の合成洗剤が登場した。石けんvs合成洗剤の闘いは、1956年にライオン油脂から発売された台所用洗剤「ライポンF」にまでさかのぼる。

    ライポンFが発売された1956年は「もはや戦後ではない」といわれ、高度経済成長期が始まったばかりくらいの時期である。当時アメリカ小麦戦略まっただ中、日本じゅうをアメリカ資本の入ったキッチンカーが砂ぼこりをあげながら爆走し、栄養士さんたちが日本人にもっとバランスよくおかずを食べよと、それまで辛い漬物だけでどっさりめしを食べていたノーおかずの日本人に動物性のたんぱく質や脂肪など栄養ゆたかな料理を伝導した。

    そんな食生活の急激な欧米化から生野菜の寄生虫や農薬、油汚れへの対応が急務となり、業界新聞で行われた厚生省や洗剤メーカーの座談会をきっかけに、わずか3カ月のあいだに日本食品衛生協会の推奨第1号品として食器・野菜洗い洗剤ライポンFは世に出た。そんなある日、東京都衛生研究所臨床試験部長・柳沢文正(1912〜1985)は、胃腸の調子の悪いとのことでキャベツのしぼり汁(キャベジン)を飲むように言った女性が、その後胃腸の調子はよくなったけど肌が荒れ疲れやすくなったことを不思議に思った。

    聞くとキャベツをひと晩ライポンFの溶液に漬け込んでいたというので柳沢先生がライポンFとは何ぞや、と買ってきて調べてみた結果、アルキルなんとかかんとか(ABS)がすごい体に悪いことが判明した。ちなみに柳沢先生は合成洗剤告発の他にガン患者の血液が酸性なのでアルカリ性食品の酢が体にいいっていう健康法の本を出す一面もあったようだ。

    そして翌1962年には誤飲事故が起こった。YouTubeのCM動画で見たバージョンは液体だったけど、これは1959年に発売されたものでそれまで粉末のみだったようである。

    この粉末状のライポンFを粉ミルクの缶に詰め替えていたため奥さんがミルクと間違えてライポンFを作ってしまった。それを赤ちゃんが間違えて飲むと思いきや、嫌がって飲まなかったのでおかしいと口をつけた父親が死亡した。

    この誤飲事件は遺族が国とメーカーを訴えたけど、けっきょく1967年に合成洗剤が原因と認められないとの判決が出た。しかしそのかんに、合成洗剤排除運動がかなり過激化したらしい。

    そうした運動の影響もあるのかどうか、70年代にはABS=ハード型洗剤はLAS=ソフト型洗剤にとってかわられるようになった。しかし今度は洗濯洗剤に含まれるリンと水質汚染(富栄養化、赤潮)の関係が疑われ、80年代からは洗濯洗剤の無リン化が進んだ。

    ・・・というのが前回までのあらすじである。その後どうなったかというと、昔は公共広告機構あたりで水質汚染のCMとかよくやってたがここ20年ほどは環境といえば温暖化だし、石けん運動を盛り上げていた日本消費者連盟も香害とか共謀罪とか言っててネタギレ感が否めない。

    だがそのいっぽう、石けん自体は安くて良いものだと自然派以外にもファンが多かったり、経皮毒、化学物質過敏症、胎盤からシャンプーの香りなど、真偽は不確かながら合成洗剤追放運動をベースにしたと思われる説がごく一部で既成事実化するなど、その影響が完全に失われたわけではないようだ。ただこの場合一部の助産院や美容院、ロハス野郎、マルチ商法などのあいだでクチコミ的に広がっているようで、その都市伝説感において三一新書あたりが表紙に洗剤の写真載せまくっていた60〜70年代の消費者運動に比べるとそのノリはやや異なる。

    例として戦後は化学物質などで環境や人体が汚染されまくっているけど欧米化する前の日本はよかった、と、科学を否定し日本の精神性(お米、風呂敷、打ち水、モッタイナイ等)を礼賛するノリになっていくのはロハスにもありがちな奴である。今や三一新書の継承者はアべ政治許さない精神を炸裂させてる日本消費者連盟でも週刊金曜日でもなく、むしろ「ニッポンだ〜いすき!」な美健ガイド社なんだろう。

     

    環境汚染 合成洗剤(YouTube)

    https://www.youtube.com/watch?v=9xOm1zQ4tjk

    「私たちが、日常なにげなく使っている合成洗剤。その洗剤が自然を破壊し、人体にも被害を与えて、大きな社会問題にまで発展しています」

    今にもふしぶしの皮が破れて出血しそうなすごい手荒れの写真にギャアアーとなった。しかし私、とある歴史あるオリーブ石けんが体に合わなかったので手洗いに使ってたとき、これに近い状態にまで荒れたことがある。

    その前にもオリーブオイルで荒れたことがあるので、石けんというよりオリーブオイルが合ってないのかもしれない。なのでこんな怖い写真見ても、自然だから石けんだからお肌に優しいとは限らないョ。と思ってしまう。

    瀬戸内海の赤潮!って、なぜかこのくだりだけ画面全体が赤くなって赤潮なのかどうかよくわからぬ。

    「つぎの実験を見てみましょう。石けん50ppmが入っている水槽の中で、アユとフナは元気に泳いでいます。いっぽうの水槽ではLASを石けんの10分の1、5ppmのうすい濃度にしてアユとフナをはなしました。およそ1時間後、まずアユが呼吸不能になりました」

    合成洗剤の水槽に入れられたお魚さんたちのあまりにも苦しく恨めしそうな断末魔の表情にガクブル。この2つの水槽にそれぞれ合成洗剤と石けんを入れてお魚さんたちを放つ実験はひろく石けんの優位性の根拠となっているらしい。

    「本来、川や湖の中のリンや窒素などはバクテリアやプランクトンを増やし、それを魚が食べて育つ、いわゆる自然の浄化作用によって水を美しくたもっているのです。ところが最近住宅や工場が密集してきたため、合成洗剤のリンなどを含む栄養がある排水が増え、自然の浄化作用では浄化しきれない、いわゆる富栄養化となり、赤潮やアオコが発生し社会問題に発展したのです」

    「そのためメーカー側ではいち早くリンを使わない無リンの合成洗剤を開発し、無リンは無公害であるかのようにテレビなどで大々的に宣伝しています」

    60年代はライポンFなど食器洗剤のABSの人体に与える影響が柳沢先生から告発されたが、やがて使用されなくなり、今度は洗濯洗剤のリンが水質汚染の原因としてやり玉に上がるようになった。今でも細々と存在する合成洗剤を追放して石けんを使おうってな運動は、洗濯洗剤が無リンになる前の70年代にその起源が求められる。

     

    合成洗剤が引き起こす人体への悪影響 マウスの実験(YouTube)

    https://www.youtube.com/watch?v=2-h5leeb_3g

    「合成洗剤は口や皮膚から血液に入り、肝臓、脾臓、腎臓などに障害を起こします。このところ増えてきたアトピー性皮膚炎は遺伝的に出やすい体質とされていますが、合成洗剤による母親の肝臓の障害が原因ともいわれています」

    合成洗剤が口や皮膚からしみこんで内臓に悪さするっていうのは、現代の経皮毒とか胎盤からシャンプーの香り説に受け継がれていると思われる。アトピーの原因も公式には分かってないと思うのだが、戦後に患者が増えたことから一部では合成洗剤や添加物との関係がほのめかされている。

    「なかでもシャンプーは、ASがもっとも多く含まれています。皮膚に浸透する力が強いASを頭にすりこむのはどうでしょう」

    どうでしょうと言われてもどうかわからんけども、ともかくこのシャンプーに恋コロンって書いてるのが気になった。あとこの前のシーンで閲覧注意な肌荒れ画像をバックに、おむつにしみこんだ合成洗剤がおむつかぶれを起こすので石けんにきり変え・・・みたいなくだりがあったので、この動画まだ布おむつの時代なんだな。

    「一部の避妊薬には合成洗剤と同じ成分のものが使われています」

    私はティセラ世代なので前述の恋コロンシャンプーは全く知らないのだけども、マイルーラはよく雑誌広告で見かけたので懐かしい。当時私が読んでいた雑誌、ぴょんぴょんとかレモンに避妊薬の広告が載っていたと思えないので、やっぱり回し読みだったエルティーンとかルナティーンみたいなエッチ系の雑誌だったんだろうか。

    マイルーラはやっぱり三一新書あたりで二重盲検法の必要性やフッ素危険説を訴えていた高橋晄正が批判しており、2001年に製造中止になった。タンポンしかり、こういう女性器に何か入れる系って昔は結構ポピュラーだったと思う。

    マイルーラと障害、流産の関連について私は分からないけども、三一新書あたりが告発していた高度経済成長期をピークとする公害や薬害は全体的に赤ちゃんの被害が目立つ。森永ヒ素ミルクが一番有名で、そのほかにも胎児性水俣病、サリドマイド児とかカネミ油症の黒い赤ちゃんとか、あとライポンFの誤飲ももとは粉ミルクの缶に洗剤を詰め替えていたのが原因だし、公害じゃないけど病院出産がポピュラーになり始めて取り違えが起こったりとか、日本が豊かさを享受するかげで多くの赤ちゃんも急激な変化のなか犠牲になった。

    そんな時代があったからこそ、製薬、洗剤、化粧品メーカーはおのれの金もうけのためなら人体や青いお空を汚してもええんかいっていう、三一新書的市民運動も存在意義があったのだ。しかし今や、大企業を批判する奴は左翼ということにくわえて、何か怪しい陰謀論にとりつかれてるオカルト野郎やマルチ野郎くらいにしか思われていない。

     

    15年ぐらい前に避妊でマイル−ラを使っていましたが最近、売っていない様な気がします。もう売っていないのですかね?(Yahoo!知恵袋)

    https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1118476991

    ベストアンサーに選ばれた回答

    backyard117さん

    2008/8/1712:38:56

    1983年5月の発売、2001年3月製造中止。になっています。

    その経緯については

    マイルーラは主成分をノノキシノール(ポリオキシエチレンノニルフェニルエーテル(非イオン系界面活性剤のひとつでいわゆる合成洗剤)とする膣用避妊薬で女性が性交渉前に膣に挿入し、侵入した精子を溶かして殺す殺精子剤です。女性週刊誌で大量宣伝し、手軽に入手できることから、女子高校生や中学生にも使用が及びました。1983年、日本消費者連盟と「薬を監視する国民運動の会」の高橋晄正さんがマイルーラの毒性を調査、告発し、朝日新聞に掲載され社会問題化しました。
    ・・・
    これらの問題はきれいな水といのちを守る合成洗剤追放全国連絡会や、厚生省交渉実行委員会などの運動に広がり、マイルーラの毒性を考える会が結成されるなど大きな社会運動に発展しました。しかし期待に反し、会社は強気で販売を中止しませんでした。
    そんな中、1986年にアメリカでの殺精子剤裁判(ノノキシノールと同系列の非イオン界面活性剤であるオクトキシノールを使用し、口蓋裂、右手の異常、左手の欠如、左鎖骨形成不全、等を伴った女児が誕生し、製造販売をしたオルソ社を告訴。)で、地方裁判所も連邦裁判所も因果関係を認め賠償命令を出しました。
    新たな問題として浮上してきたのが環境ホルモン作用です。主成分のノノキシノールは体内で代謝されノニルフェノールになります。これは化学工業製品や農薬に含まれる環境ホルモンとして知られていますが、体内で内分泌かく乱作用を示すなど大問題となりました。運動団体の指摘で当時の厚生省もようやく重い腰を上げ、大鵬薬品にマイルーラの主成分のノノキシノールの代謝実験を命じました。
    市民運動や内部の労働組合の運動、殺精子剤裁判の判決、環境ホルモン問題などを通じ、最高の売上げがあった販売初期に比べ約3分の1に売上が落ちこみ、ついに大鵬薬品は2001年3月に坂売中止を表明しました。

     

    ところで先日ブログで紹介した日本消費者連盟の香害110番の続報、200件以上相談が集まりやはり行政やメーカーへ働きかけがなされるらしい。また合成洗剤を入れた水槽お魚さん死ぬって言ってたシャボン玉石けん社も同様のアンケートを実施していたとのニュースもついでに見つけたので、人工的を毒と見る石けん運動が柔軟剤ブームの今「香害」という概念に活路を見出していると思った。

     

    人工的な香料が原因で体調不良に 「香害」に切実な声(8月15日 ライブドアニュース)

    http://news.livedoor.com/article/detail/13474417/

    香り付きの柔軟剤が人気を博している。しかし、柔軟剤制汗剤などに含まれる人工的な香料が原因となり、体調不良になる人たちも増えているようだ。日本消費者連盟が7月26日と8月1日の2日間、香りに関する悩みを聞く電話相談「香害110番」を実施したところ、全国から213件の相談が寄せられた。9割以上が女性からの相談だった。
    ・・・

    人工的な香料が原因で体調不良を引き起こすことを「香害」と呼ぶ。誤解されがちな点だが、香害に体臭は含まれない。

    ・・・

    香害に悩む人たちにあらわれる症状は様々だが、頭痛、吐き気などの症状が持続するため、それまでの生活が困難になることもある。中には、化学物質過敏症と診断される人もいる。寄せられた相談には「これは公害問題だと知らせて欲しい」という訴えもあった。

    日本消費者連盟は今後、行政、メーカーへの働きかけを行なっていくという。

     

    「香害」で吐き気や頭痛を経験したことがある人の割合は?(8月17日 exciteニュース)

    http://www.excite.co.jp/News/column_g/20170817/Cobs_1660730.html

    シャボン玉石けんはこのほど、「香りに関する意識調査」の結果を明らかにした。同調査は7月15日〜20日、20代〜60代の男女598人を対象にインターネットで実施したもの。

    同社によると近年、「洗濯用洗浄剤の匂い」に対する相談が国民生活センターに多く寄せられているという。「香りで吐き気がする」「柔軟剤のニオイで気分が悪くなる」といった相談内容だが、このように人工的な香りによる健康被害(めまい・頭痛・吐き気といった体調不良など)が「香害」と呼ばれていることを知っているか尋ねたところ、61%が「知らない」と回答した。

    他人のニオイ(香水や柔軟剤、シャンプーなど)を不快に感じたことはあるか聞くと、79%が「ある」と答えた。

    これまでに人工的な香りをかいで、頭痛・めまい・吐き気などの体調不良を起こしたことがあるか尋ねると、51%が「ある」と回答した。

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    野菜洗い萎え

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      日本消費者連盟の表紙見ていて、洗剤の銘柄古いな〜。と思い、またしても昭和の洗剤動画探して見た。同連盟、今はダウニーなどと名指しせず香りのきつい柔軟剤としか言ってなかったけど、古きよき昭和の時代にはこの手の市民運動が本出すとワンダフル!ザブ!バリ!デイ!と、表紙におもっきし商品の写真載っけてた。

       

      https://7net.omni7.jp/detail/1100298061

       

      http://www.suruga-ya.jp/product/detail/BQ45641

       

      懐かしのCM - 花王 - ワンダフルK - 1966(YouTube)

      https://www.youtube.com/watch?v=ZjwXBmxta_8

      高度経済成長期、アメリカの資金で全国各地を走ったキッチンカー(動くお台所)など厚生省の栄養改善指導でそれまでちゃぶ台でどっさりめしを食べていた日本人は台所を改善し肉や乳やラードといった栄養ゆたかでフライパン使ったようなおかずを多く摂取するようになった。

      そんな食生活の変化もあり、皿の油汚れを落とす合成洗剤の需要はグイグイ上昇していたにちがいない。合成洗剤は石油由来と思われるが、この頃は石油製品が増えた時代でもあろう。

      化学肥料じゃなかったせいか野菜を食器洗い洗剤で洗っていた。果物は農薬を洗っていたのだろう。

       

      懐かしのCM - ライオン - ライポンF - 1962(YouTube)

      https://www.youtube.com/watch?v=qGe2auZkj5g

      ライオン社のライポンF。後発商品である上の花王ワンダフルKもそうなのだが、昔はスポンジで洗剤を泡立てて食器をこするのではなく、つけ置きしたあと手でこする使い方だったのだろうか。

      「りんごもつやつや♡」

      動画のコメントでこの野菜洗いが突っ込まれまくてるけど、今でもピジョンやコンビなど赤ちゃん用品の会社から出てる哺乳瓶用洗剤にはなぜか各社野菜洗いもアピっているし、たぶん普通の食器洗剤にもひそかに用途野菜洗いって書いてると思う。でもじっさい野菜や果物、洗剤で洗ってる人いたらめっちゃ引く。

       

      寄生虫や農薬・・・見えない汚れを除去 昭和30年代の日本の衛生環境の改善に大きく貢献した台所用合成洗剤「ライポンF」(ライオン)

      http://www.lion.co.jp/ja/life-love/history/konjaku/1645

      第二次世界大戦での敗戦後、日本は欧米文化の影響を強く受け、食生活の面でも大きな変化が見られるようになりました。キャベツ、キュウリ、トマト、白菜などの消費が昭和30年頃から次第に伸び始め、更に生野菜として食べるようになりました。また食用油脂の消費量も大きく伸び、昭和30年の一人当たりの消費量を昭和10年時点と比較するとバターで2.2倍、マーガリンで25倍となり、戦後に広まった欧米文化が、食卓の風景をも変えていきました。しかし、一方で洗浄方法は依然として変わらず、食器はクレンザー・石鹸で、野菜は水洗いのみで済まされていたため、野菜に付着した寄生虫の卵をそのまま口にしてしまうことも多く、当時は寄生虫保有率約30%、死亡者数年間6千人強という深刻な衛生状況にありました。また、人口増加に伴う農作物量産のための農薬も大量に使用され、その農薬が十分除去されていないことも多く、残留農薬も大きな問題となっていました。このような状況を救ったのが、『ライポンF』でした。

       

      発売のきっかけは、昭和31年5月に、ある業界新聞で行われた「洗浄運動」をテーマとした座談会です。厚生省(現:厚生労働省)や全国紙の新聞記者、ライオン油脂などの洗剤メーカー、クリーニング業界らが出席していました。このとき「現在厚生省で頭を悩ませているのは回虫の問題である。」との発言があり、野菜に付着した虫卵を除去する話題になりました。その場において、合成洗剤で食器や野菜を洗えば寄生虫の卵がよく取れるといった研究をライオン油脂が行っているといった話があがりました。厚生省は、6月には国立衛生試験所で寄生虫卵除去試験・急性毒性試験を実施し、中性洗剤溶液の除去効果と安全性の確認を行いました。行政の素早い対応にライオン油脂も開発を急ぎ、座談会の席上での話題が、わずか3カ月で「ライポンF」の発売という形で現実になったのです。

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      ライポンFが生まれたきっかけとなった1956年の厚生省とは、ちょうどアメリカ小麦戦略まっただなかである。上の記事で昭和30年ごろから生野菜が多く食べられるようになったとあるように、キッチンカーの栄養指導か?オシャなサラダも食べられるようになってきた(たぶんマヨネーズのサラダで、ドレッシングはちょっと後だと思う)ようだが、昔そのことについて年配の人と話してて、戦前にも生のキャベツをソースかけて食べてた。と聞いたような気がするし、きゅうりなども戦前から食べてそうなので、化学肥料や野菜洗いがない時代にもいちおう生で食べることはあったと思われる。

      というか、海外ではまだそんなもんなんじゃないだろうか。寄生虫がいなくなってからアレルギーが増えた説も聞いたことあるし、衛生的な野菜ばかり食べているからこそ日本人が海外逝くとお腹壊すのだろう。

      しかしこの時代、大気汚染や水俣病といった各種公害はもちろん、油の料理、農薬、それを落とすための合成洗剤、土に帰らない石油由来のごみ・・・と、経済成長の陰で急速に環境が悪くなってときに人体をもむしばんだ。その後70年代から80年代にかけてはアメリカが民主的で科学的で豊かで素晴らしいって時代の反省から、日本消費者連盟のような消費者運動にくわえてインドとか玄米とか漢方とか母乳がいいとか言い出す奴もけっこう増え今やロハスに発展した。

       

      【日本の石けん運動の歴史】合成洗剤追放運動のそもそもの始まり(石鹸百科)

      http://www.live-science.com/bekkan/toba/rekishi/rekishi01.html

      1961年(昭和36年)春、東京都衛生研究所臨床試験部長・柳沢文正のもとに、一人の中年のご婦人が訪れました。このご婦人の為に柳沢先生は職を追われ、他人から見たら一生を棒に振ったような結果になります。色恋沙汰ではないことは始めにお断りしておきましょう。

      一見して胃腸に障害があることを見抜いた先生は、薬剤より食生活が大切な事を話し、キャベツ(ビタミンU)のしぼり汁に胡麻油を少し加えて朝夕コップ1杯づつ飲むようにすすめました(胃潰瘍の方は試してみてください・筆者注)。数週間後再び訪れたこのご婦人を見て、先生はびっくりしました。前と違って顔色が黒くなりシミが増え、疲れた様子でした。「先生のお話の通り、朝夕キャベツのしぼり汁を飲み続け、お蔭様で胃腸の調子はすっかり良くなりましたが、疲れやすくなり顔や手足にシミが増えました。」と言うのです。不思議に思って良く聞くと、「野菜には寄生虫や農薬が多いと言うので、前の晩からキャベツをライポンFの溶液に浸けておき、翌朝それをミキサーにかけ胡麻油を入れて飲んでいました。」と言います。

      「ライポンFとは一体なんですか?」と聞いたら、その人はすぐ近くの雑貨屋へ行ってライポンFを買って来ました。先生はこの時始めて合成洗剤を知ったのです。その容器には、厚生省実験証明(1)回虫卵が簡単に除去される。(2)毒性がなく衛生上無害である。と表示されていました。その上厚生省の外郭団体である日本食品衛生協会の推奨までつけてあります。

      便利なものができたものだと思ってよく見ると、その成分はアルキルベンゼンスルホン酸ソーダ(ABS)と書いてある。科学者として何故こんなものが無害なのか、疑問を持ちました。早速白ネズミで実験をしてみたら、確実に毒性があることが分かったのです。さらに様々な実験をして、合成洗剤が決して無害でないことを突き止め、同時に実験を始めた令弟の柳沢文徳・東京医科歯科大学教授の実験結果を併せて1962年1月14日、お茶の水医学会に『DBS※に関する研究』と題し「石油系の合成洗剤は決して無害ではない。従って家庭での使用は充分注意しなければいけない。」と発表したのです。これが世界で始めての合成洗剤に対する宣戦布告でした。その後、柳沢文正先生がどんな迫害を受けたかは、次にゆずります。

       

      https://www.amazon.co.jp/dp/B000JAF7OU/

       

      合成洗剤と闘った柳沢文正先生「台所の恐怖」(1964)。例によって商品特定しまくったレトロで味わい深い表紙。

      帯に「現在日本で市販されているハード型洗剤は、昭和39年10月1日から、西ドイツでは法律によりその使用・販売を禁止されました」とあるように、下水処理が困難という理由で柳沢先生と市民運動が告発したハード型洗剤=アルキルなんとかかんとか(ABS)は、日本でも70年代にはとっくに使われなくなっているとのことで安心しておくれ。しかしその代わりに使われるようになったソフト型洗剤(LAS)も、水槽に入れて石けんでは死ななかったお魚さんたち合成洗剤ではめっちゃ死んでるっていう実験に使われているのでやっぱり合成洗剤は水を汚染させ人のいのちと健康をむしばむ元凶(by日本消費者連盟)なのかもしれない。

       

      【懐かCM】1983年 花王 ワンダフル 〜Nostalgic CM of Japan〜(YouTube)

      https://www.youtube.com/watch?v=wmhcS7SJVVw

      ライポンやワンダフルは洗濯洗剤もあったようだ。昭和の洗剤デカッ(たぶんこの頃は一回で使う粉の量が多い)

      昭和50年代ごろの洗剤は「無りん」「低りん」をアッピールしている。昔の洗剤に含まれていたリンが赤潮を引き起こしたとして問題になり、石けん運動もその頃から始まった模様。

      しかし日本消費者連盟の本に「あぶない無リン洗剤」(1980)ってのがあるので、石けん運動家による、無りんだろうと洗剤は体に悪い=粉せっけんで洗いましょうという主張が、読んではないけど表紙からうかがえた。あと先日香害110番のニュースでそういえば昔の洗剤って消臭や除菌や香りなんてひとことも言ってなかったよな。と、歴代の洗剤のCMも見たけどやっぱりファブリーズやレノアが出てくる前はバイオの働きでわんぱく坊やの泥汚れを落としたり白さが際立つばかりで、柔軟剤もファーファーがフカフカのタオルにダイブしたり冬場にパチパチ君が出てるようなのしかなかった。

       

      https://www.amazon.co.jp/dp/B000J86L1U/

       

      [4]合成洗剤v.s.石けん論争の経緯

      http://www.detergent.jp/oya/x004.html

      日本国産の合成洗剤は1951年に登場しました。その後、1953年にワンダフル(花王石鹸)、1956年に台所用合成洗剤ライポンF(ライオン)が発売されました。ライポンFには厚生省から衛生面から使用を推奨する文章が提出されました。そして、1962〜63年に合成洗剤と石けんは使用量において逆転することとなりました。このように、日本で合成洗剤が登場したのは1950年代で急激に普及し、1960年代初めに石けんと主役の座を交代することとなりました。

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      ちょうど同年、ライポンFを誤飲した男性が死亡するという事件があり、大きく報道されました。この事件は日本におけるその後の合成洗剤有害説に決定的な影響を及ぼしました。この事件は遺族からメーカーと国を訴える裁判に発展したのですが、動物実験や種々の海外の誤飲事例などから合成洗剤が死亡の原因とは考えがたい点、また原告側が当初訴えていた「当該容器に厚生省の無害表示があった」との証言への事実関係上の矛盾点が指摘されたことなどを受けて、結果的には合成洗剤が死亡の原因であるとは認められないとの判決が1967年に出され、控訴もされませんでした。しかし、判決が出されるまでの間に、「合成洗剤は人を殺傷する毒物であるから排除すべき」との強い論調の意見が消費者グループに浸透し、当初はABS使用は注意すべきとの論調でABS危険説を主張していた柳沢氏らも消費者グループの先頭に立って引くに引けないABS排除論を唱えるようになってしまいました。

      ・・・

      1970年代は環境関連では合成洗剤に含まれる「リン」をめぐって大論争が巻き起こりました。特に琵琶湖での市民運動は有名で、合成洗剤メーカーに対して大変な圧力を加える原動力となりました。結果的には、合成洗剤メーカーは合成洗剤の無リン化を目指すこととなり、1980年に無リン合成洗剤が登場し、現在では日本の合成洗剤の大部分(硬度の高い沖縄を除く)で洗剤は無リンが当然であるという、世界的にも珍しい環境配慮型の洗剤組成が定着しています。

      ・・・

      1986年には石けん推進運動の中心的拠点とされる琵琶湖地区において、石けん運動が風化したという報道があり、1994年には石けんの原料である油脂採取のために熱帯林破壊や農薬問題等につながっているとの情報で消費者グループがショックを受けたとの報道がありました。1997年に日本生活協同組合連合会から発行された「水環境と洗剤」では、環境影響の面で、特に合成洗剤が石けんに比べて劣るものでないとするデータが示されました。このように、従来から科学的に洗剤を見ていこうとする専門家グループ、またその情報を直接的に受ける科学的レベルの高い立場の消費者グループ等では、合成洗剤を敵視する方針の運動は弱くなってきたといえるでしょう。

      一方で、1990年以降、石けん製造・販売企業がリードするゲリラ的な合成洗剤有害説が幅を利かせるようになってきました。その特徴は、せっかく築いてきた洗剤に関する「市民科学」を打ち壊すようなレベルの低いもので、石けんの純分が高いものが安全性や環境面で優れているといった根拠のない情報や、石けんの有害性はゼロであるとする情報等、今までの洗剤論争の意味は何だったのかと落胆させるばかりの内容です。

      ・・・


      栄養全盛期萌え

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        以前パン史を振り返るのにあたり昔の資料や動画など見ていてふと、戦後しばらくのあいだ穴の開いた鍋でパンを自作するのがけっこう普通だったのか?と思ったのだが、やはり下記引用記事によると、戦争が終わって航空機用の資材であるジュラルミンが余ったのと米が不足していたために、ジュラルミン製のパン焼き器がかなり出回っていたとのことだ。このほか電気パン(電流パン、電極パン)というのも有名なようで、私が参照している書物「パンと昭和」においては「代用食の自家製パン」の章に詳しい。

        江戸が知りたい。 東京ってなんだ?!(ほぼ日刊イトイ新聞)

        https://www.1101.com/edo/2003-10-29.html

        ほぼ日     戦争が終わって、また、日本人ってね、調子に乗りやすいというか‥‥。紙の次は、“ジュラルミン”のブームがやってくるんですね。
        新田     この、変わりっぷりは、すごいですよね。戦時中は鉄が使えなかったので、いかに、鉄瓶を土瓶らしく陶器で作るのか、というようなことをやってきたかと思いきや、戦後になるとジュラルミンという航空機用の資材で、生活用品を作っていくという‥‥。
        ほぼ日     これは、要するに、戦争が終わって、飛行機が作れなくなっちゃったから、ジュラルミンが余っちゃったというわけですね。

        *ジュラルミン製パン焼き器
        新田     戦時中は、食べ物をはじめとする物資は、配給って形でなんとか行き渡っていたんですが、戦後になると、それまで大陸にいた人たちが、いっぱい帰ってきて、都市は、食料不足で、どうにもならない状態になっていたんですね。でも、その中でも、アメリカからの援助物資で、コーンスターチとか小麦は比較的手に入りやすかったので、パンを食べるという習慣が、根付いたんですよ。
        ほぼ日     パンは、みんな食べていたようですね。展示室で、年配のご婦人たちが、「昔、お家にあった」と言っていましたよ。
        新田     パン焼き器に関しては、このジュラルミン製と、木製の、電化パン焼き器というのが流行ったみたいです。戦後の物資が不足してた時代に、ガス管がいたるところで断絶していたので、ガスは使えず、薪や炭も、前よりは簡単に手に入らなかったそうですが、電気は、比較的通っていたんです。電線を、焼けたトタン板かなんかにくっつけて、液体を入れると、電気が通るじゃないですか。それで、暖めてパンを焼くっていうような原初的な方法をとっていたんですね。
        ほぼ日     そういえば、うちの母も、その方法のパン焼き器をアイロンの箱で作ったって言ってました。

         

        今みたいにパンを自作するよりも店で買うほうが普通になったのは、60年代くらいだろうか。戦後すぐに配給小麦をパンに委託加工する製パン所が各地にでき給食も作っていたが、当時のニュース映画などを見る限り50年代後半のアメリカ小麦戦略下における栄養改善指導ではキッチンカー等の講習でパンを自作している様子だし、おそらく車や道路や商店などの流通網が発達してきたのが60年代入ってからで、「パンと昭和」によれば地方の製パン所のひとつにすぎなかったであろうシキシマ、フジパン、ヤマザキなどが全国展開になっていくのもこの頃である。

        70年代にかけてはタカキベーカリーのダニッシュロールが1962年、ヤマザキのミニスナックゴールドが1970年、神戸屋サンミーが1971年発売とデニッシュ系の発売があいつぐなどパンの多様化がうかがえ、トングでパンを掴んでトレーに乗せる現代の方式も出てきたようだ。これらをふまえると50年代までは主食としてゴリ押されてはいたけどパンはあまりおいしいものではなかったし自作することが多く、60年代に朝にポップアップ式トースターで食パン焼いたり菓子パンなどが楽しまれるようになり、70年代に軽食として洗練され現在の地位を確立したという流れと推測される。

        そのようなパン史の中で私が一番萌えるのは、やはり50年代後半のアメリカ小麦戦略におけるゴリ押し期だ。栄養指導にまわるキッチンカーを割烹着の嫁や姑が取り囲み欧米化したフライパンのおかずに食いつき、米あるし給食費払えねぇだという農村のおっかさんたちにパン給食の素晴らしさを説き、米を「馬鹿になる」と攻撃するなど、なりふりかまわぬ栄養礼賛(栄養=小麦、動物性の脂肪、たんぱく質、欧米化したおかず)は、和食は健康的だけどパンはジャンクフード、欧米化は体に悪いという現在の価値観からすると少なからぬ新鮮さをおぼえるのだった。

        なので先日古本屋に逝って、当時の婦人雑誌を何冊か立ち読みしたところ、どれを読んでも米と張り合うかのようなパン食推奨記事があって、よほどバッシングされていたのか逆に「漬物で食べるから栄養バランスが偏るだけで米は悪くない」といった、米穀なんちゃら協会みたいな団体の反論広告まで載っていたほどであった。それ以外に読むとこなかったから買わなかったけど、あまりのゴリ押しぷりにアメリカの陰謀恐るべしとの思いを新たにした。
         

        茨城県ニュースNO.33(1961年(昭和36年度)制作)

        https://www.youtube.com/watch?v=moPZAV7IMO4

        1961年の茨城県ニュースは土地柄かオープニングが原子力。核の平和利用と言われ出したのもアメリカ小麦戦略と同じころで戦後史の闇を感じる。

        やはりここでも山村を砂ぼこりをあげて爆走するキッチンカー。音楽はキッチンカーのテーマソングか?

        キッチンカーに群がるご婦人がた。昭和30年代においてこの光景は全国共通である。

        「この車は別の名をキッチンカーとか動くお台所などと呼ばれ、内部にはりっぱに管理された調理室を持ち、私たちのくらしの中でいちばん大切な食生活の改善や合理化などについて各保健所の栄養士さんたちが現地で指導をおこない、健全な体位の向上をはかるため実施されています」

        「安くておいしく、しかも栄養のある料理の仕方を早く身につけようと、みんなパンフレットを片手に熱心に講習を受けています」

        当時の僻地に住むご婦人がたは、服装もだけど栄養改善される前なだけあって今ではまったく見かけなくなったタイプの顔だしびっくりするくらい老けてる。こう見えて右のお婆さんも60代とかけっこう若いんだろうなきっと。

        茨城に来たキッチンカーもソフトメンじゃないけど何かうどんみたいなの作った。手に乗せて試食。

         

        昭和40年 伸びよおおしく(YouTube)

        https://www.youtube.com/watch?v=cLlaq-tdULM

        農村の栄養改善する「栄養の谷間」と同じく静岡県の健康や体位向上に関するお宝動画「伸びよおおしく」。栄養の谷間の4年後の1965年制作。

        「動く台所と呼ばれる、県の栄養指導車」

        「山村、僻地の食生活の合理化を目指す栄養士さんは経済的で栄養価の高い料理を作って指導しています」

        「こうして子供をはじめ家族全体の健康増進に効果をあげています」

        昭和も40年代に入ると僻地とはいえ試食にむらがるご婦人がたの服装がそれ以前のキッチンカー動画よりかなり現代的になっているように感じられた。そのかんにも栄養士さんの栄養指導講習(どっさりめしばっかり食べてないで、肉のおかずや牛乳など動物性食品を取り入れよという指導)は多く開かれていたようだ。

        「発育ざかりの子どもたちには栄養価の高い食事が与えられます」

        給食でパンではなく麺を食べる児童。静岡なだけあって当時関東および東海を中心に導入されたばかりのソフトメン(スパゲッティ式めん)か。

        今みたいな黄色いスパゲッティが食べられるようになったのは70年代くらいからだろうとみているが、たぶんそれまでこういう謎の細麺をスパゲッティって言い張ってたと思う。そして米飯給食導入は1976年まで待たなくてはならなかった。

         

        ソフトスパゲッティ式めん(Wikipedia)

        https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%95%E3%83%88%E3%82%B9%E3%83%91%E3%82%B2%E3%83%83%E3%83%86%E3%82%A3%E5%BC%8F%E3%82%81%E3%82%93

        歴史

        1960年代、当時パンのみであった学校給食の主食を増やすために開発され、東京都が学校給食に採用をしてから各地で採用されていった。それゆえ関東地方や東海地方と、中国地方の一部ではよく知られている一方、東北、関西、四国、九州(沖縄県を含む)、北海道(札幌市を除く)、北陸・甲信越の各地方では、ほとんど知られていないことがある。他の主食と同様に、自校給食の場合でも調理されて蒸しあがったものが業者から納入される。

        当時は美味しくないことで不評であった給食用パンに端を発する給食嫌い(給食離れ)が進行していたが、アメリカ産小麦の輸入と消費を維持するという大前提から、米飯は導入されなかった。1970年代後半から米飯給食の見直しが進められ、現在では米飯給食の普及や他の麺の登場によりソフト麺には学校給食として往時の勢いはないが、懐かしさからまた食べたいと望む声が多いため、コンビニ弁当や通信販売等で入手することができる。『思い出の給食』アンケートをとると関東地方では常に上位に位置するメニューでもある[3][4]。

         

        『岡山県ニュース』くらしにとける牛乳(YouTube)

        https://www.youtube.com/watch?v=0RGKrQOsMk0

        これは小麦ではないのだが、戦後援助物資である脱脂粉乳に始まり米飯給食導入後もごはんに全然合わないのにもかかわらず給食にゴリ押しされ続けるなどパンとセットで語られることの多い牛乳。最近は飲まない人も多いけど、まだパンよりは「栄養」のイメージを維持していると思われる。

        この時代、といっても岡山県のニュース動画は何年か書いてないのだが、ともかくアメリカ資本のキッチンカーを筆頭に栄養に関する講習(どっさりめしばっかり食べてないで、肉のおかずや牛乳など動物性食品を取り入れよという指導)とか料理のコンクールすごい多かった模様。栄養改善は厚生省の一大プロジェクトだったにちがいない。

        「最近では牛乳を飲むだけでなく、どんな料理にでも取り入れられています。婦人会や保健所で開かれる栄養教室では、牛乳料理の講習会に人気が集まります。牛乳は私たちに不足がちなカルシウムやビタミンを十分に補ってくれるバランスの取れた食品です。他のいくつかの食品を合わせたものに劣らない栄養を持っています」

        「さっそく主婦が牛乳を使って家庭料理に腕を振るいます」

        牛乳を使った料理ってシチューみたいなのしかできなさそうだが・・・

        「出来上がった栄養料理に一家は楽しく食事が進みます」

        牛乳のおかずに主食はパン、飲み物は牛乳、とまるで学校給食のような模範的栄養料理である。

         

        『岡山県ニュース』町でも村でも牛乳ラッシュ(YouTube)

        https://www.youtube.com/watch?v=vD8bWdMUcqw

        「岡山県の牛乳生産量は毎年2万1000キロリットルで全国で16位、 その消費量は年とともに増加していますが他県に比べるとまだまだ少ないのです」

        オハヨー乳業のおひざもとであるにもかかわらず岡山の牛乳消費量は他県より少なかった。アドバルーンで牛乳を宣伝。

        「美作町のある酪農家では、毎日水やお茶の代わりに一家7人こぞって牛乳を飲むので、年間9俵のお米が節約できました

        牛乳ってもはや主食じゃねぇだろと思うのだが、牛乳を水がわりに飲んでいるので米を節約できたという、どっさりめしの弊害がうたわれた栄養改善期らしい自慢。

        「勝北町の役場では、牛乳を使った新しい栄養料理の講習会を始めています」

        先ほど牛乳を使った料理ってシチューみたいなのしかなくね?と思ったのだけど、この動画では「野菜のクリーム煮」と「卵のコロッケ」って書いてる。漬物でどっさりめしを食べていた戦前にはなじみのなかっただろう乳や肉や卵を使い、それも油で揚げるという栄養ゆたかな料理を、講習をうけたご婦人がたはさっそく家族にふるまったにちがいない。

         

        『岡山県ニュース』栄養まつり(YouTube)

        https://www.youtube.com/watch?v=jRieRXrdXdE

        「都窪郡清音村は昭和23年9月、岡山県から全国でも珍しい栄養改善標準村の指定を受けました」

        「それ以来全村一体となって、栄養改善を中心に台所の改良など生活改善に努力を続けてきました」

        改良された文化的な台所で牛乳を使った栄養料理に腕をふるうご婦人がた。

        「満10周年を迎えた4月23日、村では盛大な栄養まつりが催されました。 村には賞状や記念品が知事から贈られ、また栄養改善の功労者たちは村から表彰されました」

        「この日料理コンクールも行われ、日頃の腕を競った1食分30円の安くて栄養の高い、しかもおいしい料理は人々の味覚をそそるのに十分でした」

        乳料理コンクールって書いてるけど、牛乳を使った料理ってそんなにバリエーションあるのか?・・・と、どうも栄養改善期における牛乳料理ゴリ押しな風潮をひしひしと感じるお宝動画群であった。とりあえず栄養改善およびパン食奨励のノリはなんとなくわかったので、その批判の先鋒である幕内秀夫の著作も今後読んで逝こうと心に誓った。

         

        【学校給食の裏面史「アメリカ小麦戦略」 / 鈴木 猛夫】No.6〜10

        http://nakayamaj.com/?page_id=4904

        戦後の日本人の食生活欧米化の発端は巨額な費用を注ぎ込んだアメリカ側の見事な小麦戦略であり、それは予期以上の大成功を納めた。パンを主食とするとおかずは自ずと肉、卵、牛乳、乳製品という欧米型食生活になる傾向がある。それらの食材の提供先はアメリカでありそこにアメリカの真の狙いがあった。前号で書いたように東畑朝子先生が「みんな隠したがっている」こととはまさにアメリカ側の資金で戦後の食生活改善運動が推し進められたというあまり知られていないこの事実である。戦後の改善運動ではパン、肉、卵、牛乳、乳製品等の摂取が勧められてきた。厚生省、栄養学者はそれらをバランスよく摂取するという欧米型食生活が正しいと信じ栄養行政に反映させ、栄養教育をしてきた。それは栄養学的にみて望ましいとされ(実際には大いに疑問があると筆者は思うが)、厚生省の管轄下にある各地の栄養学校ではそれらの食品の優位性が強調された栄養学が教育されてきた。「肉は良質な蛋白質である」「牛乳はカルシウムの吸収が良い」等々のように。しかし栄養学的に正しいから国民に教育してきたのだろうか。
        昭和30年代のこれらのアメリカ側の強引な粉食奨励策をみてくると純粋に栄養学上というよりも、アメリカの余剰農産物処理という政治戦略によって推進されたのである。
        食生活改善運動の理論的ささえとなってきたいわゆる現代栄養学を一生懸命教えてきた栄養学者にとっては、この日米一体となって推進してきた食生活欧米化の大事な原因についてはあまり栄養士の卵には教えたくないのが本音だ。だから現代栄養学の優位性をことさら強調する栄養教育が行なわれてきたのだと思う。国民にはもちろんキッチンカーに乗せられ一生懸命活動した栄養士、保健婦たちにもその資金の出所についてはほとんど知らされていなかったのである。「隠したがっている」事実こそ戦後最大の厚生省、栄養教育者のタブーであり、触れられたくないことなのだ。


        米受難の時代

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          戦時中は和菓子じゃなくてパン説を唱えていると、戦前からケーキやパンを販売してきたのに戦時中和菓子屋にされた店は実在した!ってな記事を発見した。いやいやちょっと待てWikipedia等各種サイトによれば戦時中は米不足のためにパンが推奨されていたとのことだしもともとパンってのが軍隊で導入されたのがはしりで、そんな状況をふまえたらスイーツなどぜいたくな物食べる余裕よりもむしろ和菓子屋がパン作らされるレベルだろう・・・と、先日確立したパン史観に混乱をきたしたため読んでみたところ、ハイカラな洋菓子店が名前を和風(洋菓子屋の主人の実家がやっていた和菓子屋の店名)に変えさせられたという内容で、やはり戦時中はパン作ってたそうだ。

          その店名が「菊屋」なのだが、もともと戦前からのパン屋は木村屋や神戸屋や中村屋など「○○屋」と和風であり、そのほかにも「○○堂」「○○舗」「○○製菓」といったいかにも和菓子屋ぽい屋号が多く、なんちゃら製パンとかベーカリーってネーミングは戦後に多い印象である。早い時期からあんぱんが作られていたり、また記事の洋菓子兼パン屋の実家が和菓子屋であることからも、日本におけるパン史がある部分で和菓子の流れをくんでいると考えられる。

          たぶん記者が意図的に道徳教科書や和菓子を戦争と結びつけようとしており、見出しや冒頭だけ読んだらあたかも民主的なパン屋がネトウヨな和菓子屋に鞍替えしたかのような印象を抱かせようとしてるけど、あれは東京書籍とかいういち教科書会社の思いつきで書きかえられたすぎないため、実際には絶対ありえないことだと確信した。しかしこれ、戦中=パンって知らない時点で読んだら、もともとパン作ってた店が和菓子屋にされたのにけっきょく戦争終わるまでパン作ってるんかい??と、意味がわからない記事と思うのだがそうでもないんだろうか。

           

          戦時中、和菓子屋の名前に変えさせられたケーキ屋さん 「本当に悔しかった」(4月1日 BuzzFeedNEWS)

          https://www.buzzfeed.com/jp/kotahatachi/lala-cake?utm_term=.siegQV2EN#.ifG5g3AzB

          「ララ洋菓子店」というケーキ屋が、静岡・三島にある。創業85年。戦前からケーキやパンを販売してきた老舗だ。
          太宰治も足を運んだというこの店は戦時中、名前を和菓子屋「菊屋」に変えさせられたことがある。「敵国語」だったことが、その理由だった。
          「我が国や郷土の文化と生活に親しみ、愛着をもつ」視点から、小学校の道徳教科書の「パン屋」が「和菓子屋」に変わったニュースと、どこか重なるこの話。
          いったい、当時の日本ではどんなことが起きていたのか。そしてその店に関わる人たちは、いま何を感じているのか。
          「今回のニュースを聞いて真っ先に思い出したのが、祖父母のやっていた洋菓子店の話でした」
          実家であるララ洋菓子店で修行を積み、いまは神奈川県小田原市でパン屋「ポタジェララ」を営んでいる小澤ちひろさん(53)は、BuzzFeed Newsの取材にそう語る。
          「洋菓子店を和菓子屋の名前に変えさせられる。昔はそんなことがあったのかと驚いていたのですが、今回のニュースはまさに、おばあちゃんの言っていた通りだと……」
          小澤さんの話や資料をもとに、歴史を紐解いてみよう。
          ララ洋菓子店は1932(昭和7)年、小澤さんの祖父である菊川義雄さんが立ち上げた店だ。
          「誰にでも覚えやすいように」。それが、店名「ララ」の由来。
          ・・・
          店では、当初からケーキやパンなどを売っていた。
            ・・・
          ようやく店が回り始めたころ。町には、戦争の気配が近づいていた。

          ・・・
          憲兵に店名を変えろと言われたのも、このころだ。

           

          憲兵からは「ララは敵国語であるから店の名はすぐに変えるように!」ときつく言われ「菊屋」に変えました。看板のネオンは引き抜かれました。

           

          物資は配給制度になり、砂糖などの材料は統制品となり商売は行き詰まりました。子どもを抱えて、夫の留守中なんとか続けていきたい気持ちで悲壮な時期でした。

           

          「菊屋」とは、菊川さんの実家である和菓子屋の名前だ。小澤さんは言う。
          「戦争の話になると、祖父母はいつものようにこの話をしていました。戦争から帰ってきた祖父も、店の名が変わっていたのが、本当に悔しかったんじゃないかな」
           けっきょく、材料不足で洋菓子づくりを諦めた2人。戦争が終わるまで、パン製造に切り替えて商売を続けた。

           

          戦前は兵士の脚気予防や高級おやつ、戦中や戦後すぐぐらいは米が足らなかったので主食として食べられたというパン。やがて復興して米が食べれるようになってからも、アメリカが余った小麦ゴリ押ししてきた。

          わが国の学校給食において長らく不自然なまでにパンと牛乳がねじこまれているのも、終戦直後の援助小麦と脱脂粉乳の名残りなのだろう。戦後すぐは食べるものもなかったし、日本人もまずしい食事をしていたからそれらはよい栄養となったにちがいないが、70年をへて親の趣味やアレルギーで小麦・牛乳を避けたいお子さんがたも多いであろう現代においてはあまりにも時代遅れであり、やはり軽食であるパンと違って和洋中いかなる国の料理にも合うごはんを主食とするほうが今日的でなおかつちゃんとした食事として教育の見地からもふさわしいような気がした。

           

          パンが「おやつ」から「食事」に変化していった時代じゃ!(ヤマザキ)

          https://www.yamazakipan.co.jp/stylebook/world/20061221/index03.html

          パンザ博士     その後一般市民は、第二次世界大戦後に、主食としてもパンを食べるようになった。

          ヤマザキ君     何かきっかけがあったんですか?

          パンザ博士     戦後の食糧難の時代に、アメリカなどから救援物資として小麦粉が配給されたんじゃ。家庭に配給された小麦粉を預かってパンに加工する「委託加工所」が登場したり、小学校で、コッペパンと脱脂粉乳の学校給食が始まった。物不足の時代、パンは日本人の食を支えてくれていたのじゃ。

          ヤマザキ君     学校の先生に聞いたことがあります!

          パンザ博士     そして、戦後10年が経った1955年頃からは、全国に大きなパン工場が次々と建設され、パンの生産量は一気に伸びていった。その頃の生産量は、戦前の最大年間生産量のなんと6倍以上にもなったと言われておる。

          ヤマザキ君     そんなに作られるようになったってことは、その分パンもおいしくなったってことなんでしょうね!

          パンザ博士     そうじゃな。1964年の東京オリンピックから高度成長期に向けて、日本人の食生活は一気に洋風化していった。それに伴って、パンがおやつとしてだけでなく食事としても食べられる習慣が広まっていったのじゃ。そしていま、日本では世界中のさまざまなパンを手軽に食べられるまでになったのじゃ。

           

          1955年は米が大豊作だったのになぜ全国に大きなパン工場が次々と建設され、パンの生産量が一気に伸びていったのだろうか。この年はアメリカ小麦戦略が始まったのだが、やはり戦後史の闇なのかヤマザキ製パンのサイトではその理由にはいっさいふれられていない。

           

          昭和36年 なくそう栄養の谷間(YouTube)

          https://www.youtube.com/watch?v=T9w4RkLDg90

          貧しい農村の食生活を栄養豊か(欧米化)にしようと啓発する静岡県のお宝動画。

          「こうした栄養状態は都会ではどうでしょうか。町では当世流行のスーパーマーケット。いろいろな食料品がずらりと並び、栄養ゆたかで自分の経済にあった品物をすぐ手に入れることができます」

          この頃の「栄養」は動物性のたんぱく質や脂肪であったと思われ、そのせいかラードやハムがうつりこんでいる。

          別カットでもやはりサブリミナル的に映りこむラードとソーセージ。

          「町の小学校では完全給食。めぐまれた環境の中で子ども達は明るく楽しい食事をすることができるのです」

          パンを食べる児童。

          「これに反して農村。とくに段々畑のつづく山村は昔と変わらない生活。村の店に置いてある干し魚などもたまにしか買いません。弁当保温器の中からわれ先に弁当箱を取り出す山の学校のお昼どきです。おかずはどれもこれも削りぶしかあるいはいもの煮つけといったものばかり。これでは発育ざかりにある子供たちがじゅうぶんな栄養をとることはできません」

          スーパーマーケット、学校給食、パン、ラード、ソーセージ、ハムといった欧米化で動物性で栄養豊かな都会と対照的な60年代初頭の農村。その象徴としてのもの悲しい弁当や自分とこの畑でとれた大根。

          「数年前まで県下で一番結核の多い街だった引佐町では、今婦人たちの食生活改善運動が実を結び、動物性たんぱく質、脂肪源にウサギやニワトリを飼うようになりました」

          読みにくいがたぶん「1日1回分の米食とパン食との比較」って書いている。

          「婦人会長内山さんの音頭取りでこの町の婦人たちはときおり集まって料理の講習会。みんなのくふうで農家むきのパン窯を利用」

          米と比較するあたり、主食としてパンの方が栄養的に優れているという趣旨の講習なのだろう。パン業界などが米を頭悪くなるとか攻撃していた時期である。

          「自家製パンで、1日1回パン食を実行しています」

          この後内山さんと村の婦人たちは前述のウサギの肉でまんじゅうも作った。

          「毎年開かれる農業祭には料理コンクールを行い、主婦たちが日ごろの腕をきそうのです。おばあさんも今では熱心な見学者。あれやこれやとお嫁さんの腕前を批評しています。中にはいちいちメモをとる勉強家もみられる盛況ぶりです」

          農村に似つかわしくないオシャなサンドウィッチ。

          「県でも小型キッチンカーを走らせ、山の人々に食生活の大切なことをうったえています」

          舗装されていない山道を砂ぼこりを上げながら爆走するキッチンカー。キッチンカー事業はアメリカ小麦戦略の翌年から始まり、野菜の煮つけや漬物でごはん大量に食べる古い日本人たちに、フライパンや油を使った栄養豊かなおかずを伝えた。

          栄養士さん「毎日の食事を作る場合にこのいろいろがかたよらないように、とりあわせればいいわけなんですね。そしてできるだけ食品の数を多くします。塩辛いお漬物でどっさりめしっていうのが一番悪い食べ方なんですね。でごはんの量は少なくしておかずをたっぷり取り入れた料理をしていただきたいと思います」

           

          『岡山県ニュース』栄養指導者誕生(YouTube)

          https://www.youtube.com/watch?v=wkS7RWyWb4s

          いっぽうこちらは岡山県のお宝動画。栄養指導車と書いてやまびこと読む・・・のか?

          何年の動画か分からないのだが、とりあえず昭和30年代ではあるらしい。

          キッチンカーをとりかこむご婦人がた。この光景は前述の静岡県の動画でもまったく同様である。

          塩辛いお漬物でどっさりめしを食べていた日本人にとって、栄養士さんの作るフライパンや油を使った栄養ゆたかなおかずは当時目新しかったにちがいない。こうして日本人の食は欧米化した。

          キッチンカー事業においては第一期として八台の「栄養指導車」(愛称:キッチンカー)が建造され、1956年(昭和31)10月に日々や応援で盛大な出発式が挙行された。その後4台が追加されて計12台となったキッチンカーは復帰前の沖縄を除く全都道府県を回り、事業が終了する1960年(昭和35)までに二万回以上の講習会を実施した。献立を決めるにあたり、アメリカ側からは「小麦粉を使った料理を最低一品は入れること」という条件が出され、途中から大豆も追加された。これは米国大豆協会がオレゴン小麦栽培者連盟に相乗りする形でこの事業に参加したことによるもので、その頃から油を使った料理が増えていった。アメリカでは植物の消費量の3分の2を大豆油が占めているのである。

          ・・・

          身近な食材を用いながらも、揚げたり炒めたりする調理法は多くの参加者にとってまだ目新しく、その場で試食できることも好評だった。みな講習帰りに近所の店で同じ材料を買い求めるため品切れになることも珍しくなく、あらかじめ献立を聞き出して仕入れておく店もあったという。また、大型バスを改造してステンレス張りの流しやガス台、冷蔵庫などを効率よく配置したキッチンカーは、とりわけ農村部では見たこともないような最新式の台所であり、講習会に参加した主婦たちの羨望の的となった。

          (「パンと昭和」104〜105ページより)

           

          生きているパン(YouTube)

          https://www.youtube.com/watch?v=A1hlvdq4nlA

          こちらは先のキッチンカー動画とは違い、米および戦前の日本型食生活をディする「栄養改善」ではなく、イーストがいかにして働き生地が膨らむのかなど科学的な趣のあるパンのイメージビデオである。

          しかしこの動画も1958とパンは頭良くなり米は馬鹿になる説が出てきた時期でもあるし、パンのステマなのだろう。

          家庭用パン焼き器。静岡の農村で作っていたパンはこれとは違う形だが真ん中に穴が空いているのは共通している。

          栄養改善でもパンの焼き方をやっていたし、「パンと昭和」にも載っていた。てことは配給小麦の時期にけっこう普及してパン屋やスーパーがいっぱいできるまでは家庭でパン焼くのが普通だったのかもしれない。

          何か変な菌が優勢になってしまい納豆ばりに糸引いてるパン。気持ち悪い。


          べちゃメロン伝説

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            ¥ 1,404
            (2009-05-23)

            戦中か! 道徳教科書検定で「パン屋」を「和菓子屋」に…安倍政権はやっぱり日本全体の“森友”化を狙っている(3月31日 リテラ)

            http://lite-ra.com/2017/03/post-3037.html

            来年4月から科目化する道徳の初の教科書検定を巡り、波紋が広がっている。教科書のなかに出てくる「パン屋」に対し、文科省が「学習指導要領の示す内容に照らして、扱いが不適切」と指摘し、「和菓子」へ変更されたというやつだ。

            報道によれば、「パン屋」から「和菓子屋」への“修正”が入ったのは小学校1年生用の検定教科書。「散歩中に友達の家のパン屋を見つけた話」について、文科省が「我が国や郷土の文化と生活に親しみ、愛着を持つ」点が足りないとして変更された。また、町を探検する話でも、同じ理由の検定意見によって、子どもたちが公園の「アスレチック遊具」で遊ぶ写真が「和楽器店」の写真に差し替えられたという。

            つまり、パン屋やアスレチックは“愛国的”でないのでNG、和菓子屋や和楽器だったら“愛国的”なのでOK、ということらしい。まるで外来語を「敵性語」として排除し、不自然な言い換えを強要された戦中を彷彿とさせるではないか。

            ウェブメディア「キャリコネニュース」の取材によれば、文科省初等中等教育局の教科書課はこの“パン屋・和菓子屋問題”についてこのように回答したという。

            「文科省がパン屋を和菓子屋に修正するよう指示した訳ではありません。修正箇所はあくまでも出版社の判断に基づくものです」
            「パン屋が和菓子屋に修正された教材は、検定時に書籍全体として『我が国や郷土の文化と生活に親しみ,愛着をもつこと』という項目の、特に『我が国』の部分の記載が充足していませんでした。そのため、教科書全体を通してこの部分を記載するよう指摘したまでです」(キャリコネニュース3月27日付)

            だが、どう言い繕おうとも、文科省が“検定教科書は愛国心が足りない”と指導し、出版社が「パン屋」を「和菓子屋」に変えてきたからOKを出した、というバカげた事実は変わらない。そんな安っぽい“愛国心”とは、いったいなんなのか。出版社側は「和菓子屋」への変更について、〈「日本文化的である点と、四季の変化が表現されるという特徴」が、項目を充足させるために相応しいと判断した〉(前掲キャリコネニュース)というが、ようするに文科省も「パンは外国だけど和菓子は日本文化だね!合格っ!」と安直に判断したということだろう。

            ・・・

             

            パンの記事を書こうとして、ふと一か月前くらいのニュースを思い出した。道徳教科書の検定で出てきたパン屋が愛国心が足りないとして和菓子屋に書き換えられたして、左翼のあいだでまるで戦中だと話題沸騰していたのである。

            そのニュース見たとき、本当だとすると文部科学省はパン食が愛国心の欠如と思っているということか?文科省の人々だって絶対パン食べてるし、そもそも給食にもパン出るはずだし、小学校も英語授業とか言ってるのにそんなことありうるのか?と疑問に思ってそのままだったので、今検索して調べた。上の記事でも、最初のほうであたかも文科省が書き換えさせたと読めるのだが、文科省の言い分によればパンの部分をピンポイントで指導したわけではなく、教科書全体として愛国心が足りないと言ったら出版社側がパン屋を和菓子屋に書き換えたということらしい。

            そういうことならば納得がゆく。パンから和菓子に書き換えられたってのがあまりにも荒唐無稽すぎ、右翼的な思想統制というよりも文科省や出版社のやっつけのあらわれと考えたほうが自然なように思うのだ。

            記事の中には同じく道徳に採用されてる江戸しぐさの話題もちょっと出ているが、文科省があたかもパンなどけしからぬとばかりに和菓子に書き換えさせたかのようなイメージ操作は「江戸しぐさは右翼のでっちあげ」的な単純化と同じ匂い(アベ政治許さない臭)がした。いちおう、お米は素晴らしいけどパンは馬鹿(和菓子は不明)って思想はこの世に存在するけど、どっちかというと安倍でも晋三より昭恵のほうに近いノリと思う。

             

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            私は道徳といえば爽やか三組っていうテレビ番組を見る楽な授業で愛国心とか学んだ記憶がないので、道徳や愛国心が重視されるようになったのは最近の傾向と思われる。なぜ道徳が悪しき教育としてたびたび左翼に話題沸騰するのかと言うと、戦前は修身という授業で教育勅語を暗唱していたので、その戦後verである道徳をやったらお子様がたに愛国心がうえつけられ、侵略戦争を始めるようになるって思考であろう。

            でも愛国心や軍国主義を恐ろしがる奴に限って、民族教育やってる朝鮮学校を無償化とか言うし、北朝鮮ミサイル撃っても「日本人は恐ろしがりすぎだぜ」とばかりに冷静をアッピールしてくるので、左翼の基準よくわからねぇ。個人的に和菓子よりはミサイルのほうが恐ろしいと思った。

            で今修身をWikipediaで読んだら、これGHQが軍国主義的としてやめさせたけど、逆コースの中で1958年に復活したのが道徳らしい。GHQは戦後すぐ天皇大好きや祭日など神道を止めさせ9条とか教育基本法とか民主的で科学的な奴グイグイ押しつけてきたけど、その後すぐ冷戦で資本主義のアメリカは共産主義(左翼、ソ連)とめっちゃ仲悪くなった。

            お互いに核の実験とか宇宙開発しまくり、終戦直後と違って50年代から60年代にかけ朝鮮戦争やベトナム戦争など代理戦争で戦うなど戦後を通じアメリカは左翼に牙をむいた。そんな流れの中で日本も9条あるのに警察予備隊からの自衛隊作られたりして、GHQが民主化したのにまた戦前戻ってるの意で人々は逆コースと呼んだ。

            それをふまえると左翼の「戦前(てか1930年代)戻ってる」と人々を怖がらせようとするのも、安倍政権より全然前、戦後2年時点ですでに言ってたと思う。当時だったらそんなに昔じゃなかったので説得力あったのだろうけど、もう戦後72年とかになるとスマホどころか黒電話やテレビやLPレコードもなかったような時代と今と比べて空気めっちゃ似てると言われても、昔すぎて絶対似てねぇ。としか思えぬし、戦前とか言う奴もほとんど戦前生まれてなく、よくて子供のころ軍国少年だった1930年代生まれってとこだろう。

            ところで今、私何の話してるんだっけ。とわれに帰ったので、もともと書こうと思っていたパンについての話題に話を変える。前にアップした2000年代の食べ物を回顧する記事で、メロンパンは今サクサクが主流ながら昔のも売ってる・・・って書いたけど、さっきスーパーのパン売り場見たらみんな皮サクサクのような気がした。

             

            メロンパンは美味しいPart5(2ちゃんねる)
            http://ikura.2ch.sc/test/read.cgi/bread/1256577817/

            2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/31(土) 03:41:22 ID:8+7ODG6a.net
                ベトベトのやつはどこで売ってるかな
                むかしヤマザキで売ってたようなやつ
            16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/24(火) 03:34:45 ID:9tyB/UVs.net
                昔のみたいに表面のビスケット生地が
                しっとりしてるメロンパンを
                どこか定番商品としてだしてくれないかな…
            253 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/22(木) 18:34:17.87 ID:sidFD07+.net
                ヤマザキのビッグメロンパンみたいなしっとり形状のヤツって本当なかなか見ないよ

                そんなにも需要ないんかな
            254 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/23(金) 00:17:30.61 ID:gSKcDNwc.net
                やっぱ、今の主流は「外はカリカリ・中はフンワリ」なんでないの?
            283 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/01(水) 09:10:01.67 ID:d2vhbfqH.net
                しっとりしたヤツ、もっと増えてくれ…
                サクッカリッなんて求めてない人もいるんだぞ…
            289 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/03(金) 14:28:30.55 ID:WFOcxqxB.net
                そういえば子供の頃
                ねっちょりしたメロンパンの皮が好きだったな
                歯の裏にはりつく系
                懐かしくて食べたくなってきた
            290 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/05(日) 12:34:42.20 ID:C5kFG/dW.net
                子供の頃、ねとねと・ボソボソだったからメロンパン嫌いだったんだよな・・・

            297 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/08(木) 01:02:17.82 ID:Mn0vGQtP.net
                神戸屋のビッグメロン
                ウマイ。表面ベチョリ系で剥がせるくらいだけど。
                スイートブールの、内側も甘いバージョン。

            302 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/28(水) 22:43:02.14 ID:dKX8LMDd.net
                >>297
                そう、そういうしっとりのメロンパンがもっと増えて欲しいもんだ

            303 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/29(木) 00:30:43.46 ID:VMI9/O32.net
                しっとりが好きならしばらく風呂場に置いておいたらいいんじゃね?
            308 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/12(木) 01:07:33.26 ID:7PHUd+qO.net
                デイリーの、店内で焼いておりますメロンパンは、それに近い気がする。ビス生地で勝負してるわな。

                ファミマのメロンパン食べたけど、特に何か主張してるような部分も感じられず、普通だった。
                個人的には、ビス生地がガシガシなのと、真逆のペトペトのやつ、両極端が一番好きだ。粗い砂糖粒をかけまくったやつは、苦手。
                339 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/22(火) 15:00:04.88 ID:O9Pha/Zn.net
                ビッグメロンとか言ったかな。
                ああいう程よいしっとりなのが増えるの希望

            340 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/23(水) 00:16:02.19 ID:xc5N5Umt.net
                俺もそっち派。
                でも、これから暑くなると包装にくっついたり皮がベチャついたり…てなりやすいから、サクフワのメロンパンばっかじゃないかなぁ。

            341 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/25(金) 18:45:40.75 ID:qqB3M+5C.net
                だよなー。
                かじった時にサクっじゃなくてパフっとかモフっとかそういうのを求めるわ。
                模索せず買った時の状態でそのまま食べれるに越した事ないし。
                メーカーさん頼むわ
            351 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/07/23(月) 21:26:16.26 ID:IG0/6hfv.net
                久々にレモン味のベタベタ手にくっつくやつを食べてしまった
                これのせいで10年前まで嫌いだったというのに
            429 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/08/09(日) 14:16:26.48 ID:kaQ/UD8g.net
                昔のメロンパンって言えばいいのかな
                もっと白っぽい色でザクザクしたところはなく
                下側の周囲に固まりがあって中の生地は今より
                パサつき気味でそこを穿って食べて側だけにして
                食べるのが好きだった
            441 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/01/31(日) 18:28:58.96 ID:9P/PxMEJ.net
                昔ながらの袋に貼り付くようなペッチョリ甘甘なメロンパンが食べたい…
                おれはクッキーが食いたいわけじゃないんだ
            443 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/09(水) 12:12:01.85 ID:Av5jMMCw.net
                すげー久しぶりにメロンパン食ったんだが
                表面がサクっとしてて何か違う
                昔は違ったような…今のメロンパンは皆こうなの?
            456 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/13(火) 21:16:55.75 ID:++66rPHL.net
                色々試した結果、業務スーパーの安物メロンパンが一番落ち着くわ
                ベタッとした表面にボソボソの中身
                このチープ感がTHEメロンパンって感じで飽きない

             

            やっぱりこれを読むと、メロンパン人気が完全に定着した2009年時点でもうすでに皮サク中フワverにほぼ切り替わっていたようで、皮べちゃ中モソverは絶滅にひんしているようだ。ただこれはヤマザキとか神戸屋みたいな大手の菓子パンの話なので、戦後アメリカ小麦戦略以降に地元の給食パン作ってるようなパン屋(○○製パン、製パン所って名前が多い)が昭和から進化してないべちゃパンをスーパーに下ろしてる例ならいくらでもあると思う。

            上記引用のスレにべちゃ派が定期的に現れるけど、シュガーマーガリンやあげパン、スイスロールなど昭和の大味な菓子パン好きな私も、メロンパンべちゃべちゃの方がいいってのはよくわからん。でも今もはや伝説化しているということならば見つけたときには食べてみようと心に誓った。


            平成食べ物史 後編

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              ハイソ時代(2002〜2009年)

              ルーズソックスおよび消費者としての女子高生が力を失った時代。モーニング娘。のようなアイドル、小倉優子のようなグラビアなどどこか幼い感じの女がハァハァされるようになってロリコン大国の礎が築かれた。

              2000年代前半はインターネットとかオタクは日陰者で無視されてたのに、2005年くらいからとつじょ電車男が放送されたり中川翔子が出てきたりとマスゴミが突然秋葉原を人気にしようしてAKBも作られた。ブログサービスや画像のアップロードとかで見かけたライブドアという会社のホリえもんがフジテレビを買収しようとしたこともあった。

              ネットの活気と連動し若人の嫌韓とナショナリズムが進行。それとは関係ないと思うけど森山以降、春先にさくらソングがやたら発売されるようになった。

              東京一極集中だったのに地方や方言にスポットが当たるようになり、県民SHOWって番組が始まったり各地でゆるキャラやB級グルメがでっちあげられるようになった。あと愛・地球博から洞爺湖サミットにかけて地球温暖化危ない!っていうゴリ押し(ロハス、左翼のステマ)が凄く、キャンドルナイトや地産地消がもてはやされたり親知らず抜歯の痛みに耐えられなかった高樹沙耶のスローライフがテレビでたびたび特集されフジテレビでは帯番組を担当していた。

              メロンパン

              今主流のメロンパンは皮がサクサク、中は空気ばっかりなのでその食感の軽さから大きくてもペロリと食べれるが、昭和のメロンパンはサクサクもしてないし、それどころかむしろ表面はベチャり気味で、空気感も皆無でモソモソと重かった。なので現代と昭和のメロンパンって、形(表面のメロン柄)だけが同じで食感はまったく別物という認識だ。

              その転換点は2000年ごろだったと思う。2000年なのに何で2002年〜のハイソ時代に入れたのかと言うと、今思い出したからとすぐ皮サクサクverに切り替わったわけではないと思うのでそのへんは少々多めに見ていただきたい。

              ミルクレープ=ドトールみたいに、皮サクサクverを広めた店というのがもしかしたらあるのかもしれないが、私が初めてサクサクverを食べたのは意外にもコンビニのメロンパンだった。といってもまだ出始めの頃は、昔よりはおいしくなってるな?って程度で、今のメロンパンほどは食感よくなかったと思う。

              もともと友人がしょっちゅうコンビニのメロンパンを食べていて、それを分けてもらうか真似したかで食べるようになった形である。でその友人がメロンパンを食べるようになったのはナースのお仕事というフジテレビ系のドラマの影響と言っていたので、それまで具もなくひたすらモソモソしてたメロンパンが人気出て皮サクサク中フワフワverに進化するきっかけも同作品だったのかもしれない(私はナースのお仕事見たことないのでよくわからん)。

              2000年代半ばごろまでか?ベルギーワッフル同様ブーム時はこれまたメロンパンを売る移動販売みたいなの見かけたけど、普通にパン屋のほうがいろんなパン買えるので私はそういう所で買ったことはない。というか一瞬だけ爆発的に流行ったって感じではなく、じょじょにサクサクverに切り替わり地位を復権していったという感じなので、流行りすぎて消えたみたいな時期もなかった。

               

              焼きたてメロンパンで起業された方に質問です。(2010年6月14日 yahoo知恵袋)

              https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1042224925

              最近、焼きたてメロンパンの移動販売車を全く見かけなくなったように見受けられます。

              ・なぜ、焼きたてメロンパンを売るだけでやっていけると思い、起業されたのでしょうか。
              焼きたてメロンパンがブームでなく定着すると思われたなら、その根拠はなんだったのでしょうか。
              ・今も焼きたてメロンパンを売られている方、黒字経営できていらっしゃるのでしょうか。
              ・焼きたてメロンパンの販売を辞められた方は、今どのようなビジネスに取り組まれているのでしょうか。

               

              昭和のメロンパンも懐かしいverとしてサクサクverと共存している。ちなみに西日本(たぶん神戸)ではラグビーボールみたいな形で中に白あんが入っているパンをメロンパンと呼んでいるが、あれの何処にメロンの要素があるのか謎だ。

              この頃シュークリームもビアードパパという店の影響か、パイシューというのか皮がサクサクしているようなのが人気出た。でもこちらはメロンパンほど皮サクサク化は進まなかった。

               

              食パンくりぬいた奴

              食パンの白身部分をくりぬいて皿にしたような料理を見かけるようになった。初めて見たとき素敵と思ったし今でも興味あるが、中に入ってる白身やシチューの部分食べたら一斤ぶんの耳(皿の部分)食べなくちゃいけないのか?と考え躊躇してしまう。

               

              ロールケーキ

              大阪の堂島ロールというのが火付け役と思うがそれは食べたことない。ただ堂島ロールがブームになって以降、モンテールとかがコンビニスーパーに下ろしてるロールケーキも生クリームの比率が上昇し冷蔵不可避となった。

              それまでロールケーキと言えば、だて巻きみたいなの内側に申し訳程度のバタークリームが塗ってあるような奴だった。いわゆるスイスロールで私はそっちの方が好きである。

               

              一世を風靡した「堂島ロール」の深すぎる苦悩(2016年12月21日 東京経済ONLINE)

              http://toyokeizai.net/articles/-/150277

               

              ニューヨークチーズケーキ

              それまでのチーズケーキと言えば、昔の洋菓子屋にあるスフレ状で表面にゼリーがコーティングしてあるタイプと白くてさっぱりしているレアチーズケーキしか知らんかった。ニューヨークチーズケーキはチーズがねっとりとして濃厚だったが、私はどっちかというとスフレタイプの方が好きだ。

               

              私が食べたことあるぶんには甘くてあんまりおいしくなかった。味ってよりも2000年代半ばスイーツのモチーフが流行り出したころ可愛いマカロンカラーが女たちに人気爆発した。

               

              白いたいやき

              やたら白くてモチモチとしたたいやき。私は生地を焼いたようなのが好きじゃなく、焼きプリンの焼きははがすし、固くなったパンでさえトーストしないような奴で、それにくわえてポンデケージョ世代なのでモチモチ食感も好きなのだが、たいやきに限っては白くもモチモチもしていない普通の焼きが好きだということを白いたい焼きを食べて初めて気づいた。

              これワッフルやメロンパンみたいにこれだけ売る店が出てたのだけどすぐ消えた。でもベルギーワッフルが菓子パンコーナーでいまだ現役なようにコンビニのどら焼きとか売ってるコーナーではけっこう生き残ってたりするので、ブーム時そのモチモチ感に魅せられた奴がまだ人知れず買っているのだろう。

               

              【悲惨】白い鯛焼きで独立開業した元銀行員の現在・・(NAVERまとめ)

              https://matome.naver.jp/odai/2137578685299391601

               

              ハーゲンダッツ

              2000年代からみんな高い高い言いながらハーゲンダッツのラムレーズンとかクッキークリームのミニカップ食べるようになった。何が契機となったかは不明だが、90年代までそういう具の入ったアイスを食べることは少なくとも自分にはほとんどなかった(クッキークリームを初めて食べたのはたぶんくしゅくしゅソックス時代でけっこう衝撃を受けた)し、高級アイスはレディボーデンとかビエネッタのような一人で食べきれない系だった。

              そういえばサーティワンみたいにコーンにアイス入れてくれるようなハーゲンダッツのお店があったの、最近見かけないなって今思い出して調べたら4年前に撤退していたんだそうだ。サーティワンよりおいしかったと思うけど。

               

              ハーゲンダッツ店舗、日本から「消滅」 「なんでやー」「悲しい」惜しむ声相次ぐ(2013年4月19日 J-CASTニュース)

              https://www.j-cast.com/2013/04/19173546.html?p=all

               

              トルコアイス

              のびーるアイスでちょっと流行った。ハーゲンダッツが日常的に食べれられるようになったり、MOWとか出てきたのもこの頃だし、人々が食べるアイスはハイソ時代にレベル上げたと思う。

               

              【懐かしの味をもう一度!】のび〜る『トルコ風アイス』から新しい味が出た!(2015年10月9日 RENOTE)

              http://renote.jp/articles/4047

              「トルコ風アイス」のウリは練るともっちりのびる、新感覚の食感だ。

              トルコ風アイスのモデルとなった「ドンドゥルマ」とは訳あって原料が異なるが、それに近い粘りを再現している。
              2001年に雪印トルコ風アイス(バニラ)第1弾が発売。その後もチョコ&マーブル味などが売り出され消費者に愛されていたが、気が付くと「トルコ風アイス」は店頭から姿を消していた。
              原因はトルコアイスブームが去った事による売り上げの低迷だと思われる。

              ・・・

               

              ムースポッキー

              人気絶頂期のモーニング娘がCMしていた。もともと明治のフランが先行だったらしい。

              フランのほうが柔らかく、ムースポッキーは固かったような気がする。すごい流行ったけど、個人的にはどっちもチョコつけすぎって感じで普通のポッキーで良い(今は極細派)と思っていた。

               

              黒ごまスイーツ

              黒ごまプリンとか黒ごま流行ってたような気がした。

               

              マンゴー

              それまでフルーツのフレーバーといえばりんご、オレンジ、ぶどう、たまに桃ってとこだったけど、この頃からマンゴーが定番化した。

               

              きなこもち

              チロルチョコがやたらリアルな味を出し出したのはこの頃だったかと思う。少なくとも私が子供のころはミルクとかBISみたいなのしかなかった。

               

              キャラメル味

              甘くて歯にくっつくイメージしかなかったキャラメルだが、キャラメル味のお菓子が出てきてありがたられるようになった。キャラメルポップコーンがきっかけか?

              2000年代後半に塩スイーツが流行ったときは塩キャラメル、あと田中義剛がやってた生キャラメルってのもあった。生キャラメルすごいはやったけど苦手だった。

               

              生キャラメルブーム一服? 田中オーナー「花畑牧場」300人離職(2009年9月25日 J-CASTニュース)

              https://www.j-cast.com/2009/09/25050275.html?p=all

               

              個人的な見解

              ハイソックス時代に流行ったものはキャラメルとかバームクーヘンとかムースポッキーとかくどい物が多くて全体的にあんまり好きじゃなかった(ハーゲンダッツよりガリガリくんの方が好き)。くしゅくしゅソックス時代はナタデココやチーズ蒸しパンのようなそれまでの概念を覆す先鋭が次々と現れ、食べ物が右肩上がりにおいしくなって逝ったけど、この時代はとにかくクリーミーや甘い物ばっかりがゴリ押され、おいしさ成長率にかげりが出てきた。


              平成食べ物史 中編

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                ♥前回までのあらすじ♥

                くしゅくしゅソックス時代(1989〜94)はイタメシブームで、チーズの料理やピザ味のお菓子が人気となった。それまであんまりおいしくなかったチーズが香り高くなった。

                ナタデココやこんにゃく畑やチーズ蒸しパンなど面白い食感の食べ物が出てきた。ビタミンなどを添加した健康志向のお菓子やジュースが増えた。

                自動販売機が巨大化しジュースが110円になってプルタブが缶と一体化した。平成の到来とともに昭和っぽい大味なもの(バタークリームケーキとか)はこの頃ずいぶんと淘汰されたように思う。

                それにしても前編ではくしゅくしゅ時代の食を語るうえではずせないタイ米やチーズ蒸しパンとまるごとバナナに並ぶヤマザキの革命的商品ダブルソフトを入れるのを忘れたことに今気づいた。悔しいので気が向いたら加筆する。

                 

                ルーズソックス時代(1995〜2001年)

                ミスティオ

                ダイドーから発売されていた微炭酸のジュースで柑橘系の風味がついていた。今考えたら微炭酸っておいしくねぇだろと思うのだが、物は言いようというか「新ミスト系」「果汁よりすっきりで炭酸より優しい」といったコンセプトが絶妙で何か有り難いもののように錯覚しちまった。

                 

                ジョージア

                昔の自販機って細長くて入ってるジュースの本数もあんまり多くなかったしよくわからんメーカーも多かったけど、くしゅくしゅソックス時代に矢沢永吉をCMタレントにしてBOSSを売り出した頃からBOSSのおっさんの絵がついたサントリーの大きい自販機が増えて逝ったように思う。またくしゅくしゅ時代のサントリーはBOSSやCCレモンだけでなくデカビタC、ビックル、ピコーなど面白味のあるCMでヒット商品を多数出していた。

                それを受けてかくしゅ時代末期コカコーラ社のジョージアも飯島直子がテレビの向うからサラリーマンに「ジョージアで、ひとやすみ」と語りかけるCMで話題となり、ルーズソックス時代以降はサラリーマンの飲み物としてのコーヒー飲料の競争の火ぶたが切られて現在も各社しのぎをけずっている。BOSS以前の缶コーヒーは甘かったしどっちかというとダイドーのイメージだった。

                 

                桃の天然水

                ルーズソックス第二世代のときに人気爆発し、この頃くらいからジュースの主流が缶から500mlペットボトルに移行して逝った。ペットの中身は味の濃いものより桃天とか今のいろはすのフルーツ味みたいな透明の水にちょっと甘い味がついてるようなのが人気あったけど、いつの間にか茶や炭酸飲料のほうが多く飲まれるようになっていた。

                 

                カフェ

                森永カフェラッテでしか知らなかったシアトルのカフェ文化も、1996年スターバックスコーヒーが日本上陸して以降人気を博し店を増やしていった。喫茶店よりカフェでエスプレッソのような濃いコーヒーをたしなむ方が若人に人気になった。

                 

                ミルクレープ

                ミルクレープ自体はくしゅ時代にも食べたことあったのだが、個人的にはドトールコーヒーのイメージが強いし一般的にもミルクレープを現在の地位まで押し上げたのはドトール社であろうかと思う。あまりフルーツが好きではないこともあり、具が生クリームのみというところに魅了されたし幾重にも重なっていることによりクレープの食感が目新しいもののように感じられた。

                90年代に衝撃を受けた食べ物ってやがて珍しくなくなり誰もありがたがらなくなるけど、ブームが爆発的なものではなかったせいもあってか、ナタデココやティラミスみたいに消えた時期というのもなかったし個人的に今でも好きでよく食べる。ミルクレープとチーズ蒸しパンの人気は90年代以来のファンが支えているのではないだろうか。

                 

                ベルギーワッフル

                それまでのワッフルは柔らかいオムレットみたいな奴で、幼き日にミニレディ百科的な本でしか見たことない凸凹をオシャと思った(本で見たワッフルは四角くてそれはまだ見たことないのだが)。今でも菓子パンコーナーに並びチーズ蒸しパンとともに当時からのファンを魅了し続けているが、ブーム時はたこ焼き屋みたいに専門店や移動販売があり甘い香りをプンプンとただよわせていたように記憶している。

                当時ワッフルという響き自体が何かオシャな感じで、パフィーの影響でワッフルパーマって髪型も一瞬だけ流行った。私はやったことないけど専用のコテで細かいウエーブをつけるもので、90年代リバイバル期の今そろそろ復活すると思う。

                 

                焼きプリン

                表面がカラメルで焼き付けられている感じのプリンだが、私はこの表面の焼きがあまり好きでなく、焼きを先にはがしてからプリンだけ食べていた。意味ねぇ。

                しかしなんで皆がこんなに焼きをもてはやすのかよく分からなかった。あたいはパンなんかも表面の焼きをはがして白い部分だけ後で食べるような奴だ。

                 

                アロエヨーグルト

                くしゅくしゅソックス時代の植物はグリーンをフローリングに置くのが格好良かったので、そんなんに比べるとアロエの鉢植えは見た目に怖いと思っていたのだが、まさか中のゼリーの部分がこんなにおいしくて素敵な食感だったとは。と、アロエを気味悪がっていた自分を恥ずかしく思った。それまでアロエの鉢植えはポキっと折って断面から露出したぬるぬるゼリーの部分を虫刺されに塗っていたが食べたことはなかった。

                 

                スイスエミー

                焼きプリン、アロエヨーグルトと森永のカップは次々と新しさを打ち出し、近年もパルテノとかいうギリシャヨーグルトのヒットが多くのフォロワーを生んだが、私はぶどうやさくらんぼなど大粒のフルーツがごろごろ入った果実ごろやムースヨーグルトなど、まだフルーツ入りが少なかった時代にスイーツ感覚のヨーグルトをラインナップしていたスイスエミーのことを決して忘れることはできない。できることならばもう一度食べたい。

                 

                スイーティー

                ロッテとたらみがやたら売り出していた柑橘系の果物ですぐ消えた。それまでもハウスのフルーツインゼリーとかあったけど、ゼリーがフルーツ入りになった巨大化したのはたらみ以来ではなかろうか。

                スイーティーゼリーのCMではMAXがラブゲームで勝てる恋は遊びにもならないと唄っていた。スイーティーと同じようにロッテが提案した目新しいフルーツにはマンゴスチンってのがあり、実物見たことないけど何か卑猥な響きだったために名前だけは今でも全然覚えている。

                上の画像見てラフランスって奴もあったなぁ。と思い出した。日本のサクサクした梨と違い甘くて柔らかった気がします。

                 

                じゃがりこ

                カルビーのポテト製品はポテトチップスとかサッポロポテトみたいな袋に入った奴だったけど、アイスボックスみたいに片手でカップ持ってボリボリ食べるオシャなスタイルを提案した。食感より入れ物の方が革新的だったと思う。


                リッツチーズサンド

                昔はチーズキャッチとか動物チーズ、よくてとろけるチーズかチーズ鱈くらいしかなかったけど、イタメシブーム、チーズ蒸しパン、ピザポテトとくしゅくしゅソックス時代に濃厚で風味高い物が次々と現れチーズの地位はグイグイ上昇した。

                そんななか現れたリッツチーズサンドは、今までのチーズ味とは明らかにレベルの違うガチな色と臭みでわれわれを魅了した。ちなみにクッキーは薄い派だが、スリムサンドのチーズ味とリッツチーズサンドでは後者の方がおいしい。

                リッツの香ばしさや塩気がいいのだろうか。やはり昭和の時代からチーズや魚卵を載せるのを推奨しているだけのことはあって、スリムサンドのようなぽっと出ではかなわないこともあるようだ。


                平成食べ物史 前編

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                  90年代から現代にいたる服装や化粧の変遷を回想することの多いわがブログだが、そろそろネタ切れ疑惑ということもあり話題を服から食に移行して逝こうと心に誓った。時代区分は例によってくしゅくしゅソックスとか言ってるけど、女子高生とはあんまり関係ないトピックであることを最初にことわっておく。

                   

                  くしゅくしゅソックス時代(1989〜1994年)

                  バブルじゃないけど90年代って感じでもなくルーズソックスが短かった(くしゅくしゅソックス)中途半端な時代

                   

                  ナタデココ

                  やはりくしゅくしゅ時代のブームで誰もが最初に思い出すのがナタデココである。ウィキペディアによるとデニーズがブームの発端だったと書かれているが、私の記憶しているところではフジッコ社が杏仁豆腐のパックに入れ出したのがはしりで、ナタデココ単品では売ってなかったと思う。

                  杏仁豆腐は今プリンみたいなのが多いけど、昔のはフルーツポンチで缶詰の甘い汁みたいなのに豆腐やフルーツに混じってナタデココの食感がよいアクセントとなった。南国調のCMで「なんじゃこりゃなんじゃこの歯ごたえ♪」と唄っていたように、その歯ごたえに皆が魅了され、くしゅくしゅ時代最大のヒットとなったことは誰もが認めるところである。

                  その後ナタデココ入りの缶ジュースなども出てきたが、ルーズソックス時代には完全に下火となり不遇の時期もあった。だがしばらくしてゼリーやヨーグルトにフルーツが入っているのが主流になると、そいつらに混じってナタデココが紛れ込むようになった。

                   

                  ティラミス

                  ナタデココと並んでくしゅくしゅ時代に大きな爪痕を残したのがティラミスである。イタリアのチーズケーキってことで、イタメシブームと連動していたのだろう。

                  ナタデココ同様すぐに飽きられ、ルーズソックス時代に入ると「あの人は今」的な扱いとなったが、ルーズソックス第二世代くらいから再びコンビニで野郎向けスイーツとして返り咲いていた。移り気で新しもの好きの女と違い、男たちはティラミスやナタデココの革新的な味わいが忘れられずにいたのだ。

                   

                  パンナコッタ

                  ティラミスの次は此れ!という感じで出てきて名前だけはインパクトあったけど、すぐ消えたし食べたか食べてないかも覚えていない。そこが一回消えたけど復活・定番化したナタデココやティラミスと違うところだ。

                   

                  ラザニア

                  イタメシブームってティラミスのイメージが強すぎ、目新しいスパゲッティーはどんなのがあったのか分からない。ナポリタンは昭和からあったので、たぶんボンゴレ、たらこ、ペペロンチーノあたりではないかと思うのだが。

                  そんな印象薄い麺類と違って、私が衝撃を受けたのがラザニアだ。これはマカロニではなく薄いクレープのようなパスタが重なっているミルクレープ状のグラタンで、非常においしかった。

                  しかしドリアとかマカロニグラタンとかあのたぐいが今でも健在で、なおかつ安価なファミレスも充実しているのにラザニアだけが日の目を見ないとはどういうことなのか、日本社会の矛盾を感じざるおえない。近年青の洞窟っていうラザニア材料一式みたいなのを買ったことあるのだけど、あれはハウスのチンする奴と違い作るのがめんどくさかった。

                  ちなみにスパゲッティーをパスタって云わなきゃダサイ!昭和!みたいな風潮が作られたのもこの頃である。パスタ以外ではアベックがカップル、ズボンがパンツ、口紅がリップなど言い換えのゴリ押しがあったが、その後もスパッツをレギンス、ジャンパーをブルゾンとかどっちでもええわい!その手のゴリ押しは枚挙にいとまがない。

                   

                  ピザポテト

                  1992年発売。厚切りポテトにチーズが絡まっているような味の濃いピザ風ポテトチップスで、イタメシブームと連動していたと思われ当時は画期的だった。

                  しかし私は食感の見地からクッキーとポテトチップスは薄い派なので、まず厚切りポテトっていうのが許せん。そもそも厚切りのポテトチップス自体がたぶんこの頃くらいから食べられだしたものであり、カルビーのサイトを見てみると1989年のアラポテトってのがそのはしりだったと思われる。

                  本物のピザはどうだったか・・・というと、私は冷凍のピザをよく食べていた程度で店とか宅配のはよく分からない。ただ今みたいな薄焼きの生地は当時なかったか珍しかったんじゃなかろうか。

                   

                  ポポリ

                  ロッテのサイトを見るとトッポの発売は1994年となっているが、その前にトッポと同じ筒状のビスケットにチョコではなくピザ味のクリームが入ってる「ポポリ」というペペロみたいな名前の菓子があって、当時乗りに乗っていたダウンタウンがCMしていた。そのイタメシブームを反映した味は一瞬だけくしゅくしゅ時代の1ページを飾り、トッポの登場とともに人々から忘れ去られて逝ったのだった。

                   

                  チーズ蒸しパン 

                  それまでの蒸しパンは本当にただの蒸しパンだったけど、チーズ蒸しパンという物珍しい風味と繊細な食感が現れた。今検索したらもともと北海道の会社が発祥で、90年ごろから人気大爆発したという。

                  だからヤマザキのチーズ蒸しパンには北海道のシルエットが浮かび上がっていたということなのか。北海道ではなく大阪だけど、りくろーおじさんのチーズケーキも同じ時代と方向性な気がする。

                  ただりくろーおじさんは今でも全然美味しいけども、チーズ蒸しパンは特に食べたいと思わない。昔のパンだったら個人的にはコッペパンとか食パンにシュガーマーガリンみたいなチープな奴の方が好みだ。

                  チーズ蒸しパンって奴は現代風でもなければ昭和の素朴さもない、くしゅくしゅ時代特有の中途半端な位置づけである。90年代リバイバルの現代においても全く日の目を見ていないが、とはいえ今日でも売られてるってことは、かって物珍しい風味と繊細な食感に魅せられたオッサンがこの四半世紀くらい人知れず買い続けているということだ。

                   

                  チーズ蒸しパンが出たとき(2ちゃんねる)

                  http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/bread/1237253763

                   

                  東京ばなな

                  これもチーズ蒸しパンと同じで今特に食べたいと思わないが、当時(1991年発売)は画期的だった。ちょっと違うカテゴリだが1992年発売のまるごとバナナってのもあり、こっちは生クリームなので今でも毎日食べたいくらいである。

                  ただチーズが当時人気だったのは、今ほど食べられてなかったのとかイタメシが人気だったからとかいろいろ心当たりがあるけども、バナナのスイーツが何であんなに画期的だったのかわれながら謎だ。チーズ蒸しパンが最初北海道で売り出されたようにまるごとバナナも東北のバナナボートが原形らしいが、別に東北じゃなくてもバナナボートはあるぞなもし。

                   

                  ザカルシウム

                  たぶんカロリーメイト(1983)からの流れじゃないかと思うが、栄養を添加したり、食事がわりに食べるような菓子やジュースの市場がこの時期に急成長していたように思う。牽引していたのはもちろん大塚製薬で、バブル期は食物繊維がブームだったのかファイブミニ(1988)という瓶入りの炭酸ジュースが流行ったが、くしゅくしゅ時代はカルシウムが注目されており骨粗鬆症っていう婆の骨がポキポキ折れるという病気もこの頃初めて知った。

                  私は子供心に骨しょしょうしょう怖ぇとガクブルし、ドラえもんシリアルに明治ラブをドバドバかけて一日600mg摂取を目指したものである。そんな時代に大塚がよくCMしていたのがザカルシウム(1992)というウエハースで、原田知世とその姉が出演していた。

                  あんまり食べたことはないのだが、1袋で600mgとかなり簡単にカルシウムを取ることができ味もおいしかった。でもこれ2枚ぽっちしか入ってなくて100円くらいしたんじゃなったか確か。

                  しかしザカルシウム以外にもカルシウムを添加したウエハースというのは他にもあったので、私はそういうのを食べていた。それが麦ふぁ〜っていう菓子で、今ありがとうを100万回聴かせたってのを売りにしてるけど、全然記憶にないので昔はそんなことかいてなかったと思う。

                  最近はスピリチュアル界で胎内記憶とかよく聞くけども、10年くらい前はどんな酷い目に遭ってもありがとうございます。って言うありがとう教とか素手でトイレ掃除すんのが経営者のあいだで流行ってたから、麦ふぁ〜の社長もそのときからウエハースにありがとうを100万回聴かすようになったのかもしれぬ。麦ふぁ〜自体はかなり昔からあるようだし、私がザカルシウムのつもりで食べてただけで別にくしゅくしゅ時代に人気を博したとかそういうことはないので一応。

                   

                  杜仲茶

                  昭和のやせる茶と言えばウーロン茶、というか今でも黒ウーロン茶とかあるけども、くしゅくしゅ時代は杜仲茶だった。茶葉が日立造船って会社から出ていて今からBODYをシェイプアップ誰にも負けない!とばかりに沸かして飲んでいたのだけど、それはそれはまずかったしルーズソックス時代に入るころには消えていた。

                  20年の月日が流れあのまずさをもう一度。といつか小林製薬のペットボトルを買ったけど、薄いのか?昔みたいな飲みにくさはまったくなかった。だが小林製薬は日立造船から杜仲茶を譲渡されているらしいので、一応同じ銘柄なはずである。

                  ノンカフェインがはやっているし、90年代がブームなのでふたたび杜仲茶が見直されることもあろう。またダイエットではないけども、アサヒから16茶ってのも面白いCMで人気爆発しブレンド茶の先鞭をつけた。

                   

                  日立造船、杜仲茶の木でゴム量産 舞鶴に小型プラント(2015年10月14日 日本経済新聞)

                  http://www.nikkei.com/article/DGXLASDZ13HAO_T11C15A0TJC000/


                  こんにゃく畑

                  昔ゼリーといえばカップに入ったものは小さかったし、プルっとしているだけだった。でもこんにゃく畑は大ぶりなカップとそのブルリンッ!としたすごい弾力でゼリー界に革命を起こした。

                  それにくわえ食物繊維とか栄養添加した菓子が流行ってた頃だったので、こんにゃくというのもヘルシーで素敵なように思われた。しかしその大ぶりなカップとブルリンッ!としたすごい弾力のために喉につまらせるお子様やお年寄りが後を絶たなかった。

                   

                  CCレモン

                  サントリーの代表的なジュースであるCCレモンは1994年に発売され、ウィキペディアによると炭酸部門ではコカコーラとペプシに次ぐ第三位なのだそうだ。何回も言ってるけどくしゅくしゅ時代は栄養を添加したような菓子やジュースの市場が急成長しており、CCレモンはその中でも自販機で気軽に買え、またたくまに人気爆発した。

                  昔の自販機は細長くて缶も細長かったはずだが、この頃から横長になって缶も大きくなって110円になって今みたいなサントリーの自販機が増えたように思う。ビタミンC製品としてはシーズケースやC1000タケダ、チュアブルタイプのハイシーなどもよく食べていたので、カルシウムだけでなくビタミンC製品もトレンドだったのだろう。

                   

                  アイスボックス

                  それまで氷菓子といえばかき氷とかチューチューみたいなのしか知らなく、さじが刺さらねぇとか手が冷てぇとかアイスクリームに比べさまざまな苦痛をともなっていたものだが、アイスボックスは片手でコップみたいに持って氷をボリボリ噛み砕くスマートな方式に衝撃を受けたし溶けてもおいしい柑橘系の味わいをオシャと思った。そして時が流れ、アイスボックスのCMに出てた西島秀俊って格好良かったのに消えたなーと思ってたら、最近コマーシャルでブツブツ独り言を言う夫役みたいなのをよくやってる俳優が西島氏と知ってびっくりした。

                   

                  ポンデケージョ

                  今コンビニとかでよくモチモチした食感のパンが各社出ているけども、昔のパンはモサッとしていてモチモチなどとは無縁だった。そんな菓子パン界にモチモチをもたらしたのが、ポンデケージョという小ちゃくて丸いパンだった。

                  これがナタデココ、こんにゃく畑と並び、くしゅくしゅ時代における三大画期的新食感に数えられるのは多くの人が知るところだが、前述したようにその後モチモチしたパンは珍しいものではなくなり、ミスタードーナツからポンデケージョをドーナッツ(リング)状にしたポンデリングが人気定番メニューとなった以外にポンデケージョという名前もすっかり聞かなくなった。確か初めてポンデケージョを食べたのがドンクっていうチェーンのパン屋だったと思うので、まだポンデケージョあるか後日確認しに逝ってみようかと思う。

                   

                  ライチ

                  ナタデココほどではなかったが、ライチもその南国イメージと透明感のある白いボディ、プリっとした食感が何とも目新しく魅力的であった。ライチフレーバーはそこそこ定番化している気がするが、果実を食べることはめったになく、何年か前ステーキけんでライチがあったときは懐かしくていっぱい食べた。

                   

                  メルティーキッス

                  冬限定のチョコで1992年発売。私が子供んとき食べていたチョコといやベビーチョコとかぬーぼー、アポロ、チョコフレーク、チロルチョコBIS、ちょっと大人なとこでせいぜいマーブルポッキーってとこだ。

                  そんなところにいきなり出てきたオシャな粉がまぶしてあるティラミスのような風貌、夏には耐えられないというメルティっぷりに、チョコの概念が大きく揺さぶられたのも無理はない。スイーツ感覚のチョコ菓子のはしりだった気がする。

                   

                  カフェラッテ

                  今でもスーパーとかに売ってるあの森永のコーヒー飲料だけど、スターバックスコーヒーが上陸したのはルーズソックス時代以降(96年)なのでカフェラテってのはこの商品で初めて知った。マウントレーニアという銘柄もシアトルから見える山の名前であるし、プラスチックカップにストロー刺して飲むというのもシアトル系だ。

                  それまではカフェオレというものしかなかったし、市販品は特にコーヒー味が薄くて甘かった。だからカフェラッテは味もおいしかったのだけど、それよりもカフェラテもスタバもプラスチックのコーヒー飲料も全然存在しなかった時代にシアトルのオシャなカフェ文化を日本にもたらした、その先見性に驚きを禁じ得ない。

                   

                  ラ王

                  日清の高級路線で油で揚げたのじゃなくてソフトメンみたいな生タイプが入ってるカップ麺で、ごんぶと(うどん)とかSPA王(スパゲティ)もあった。でも個人的に生タイプはあんまり好きじゃなかった。

                  多分その後ノンフライめんになって、ノンフライめん派の私としてはそりゃそうだろと思った。それにしてもくしゅくしゅ時代に横長の大画面テレビが流行ったとき「画王」ってのがあったけど何か関係あるんだろうか。


                  生活系雑誌

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                    夫婦生活とゆう雑誌を見つけたよ。1952年2月號なので前に貼った主婦の友の育児本と同じ時期だ。

                    右下の部分は何もしてないのにホロっと取れた。セロテープで貼ろうか。

                    ページを開くといきなりセクスィーグラビアが。モデルさんは顔が小さくて細くて意外と今風の体型だけど、とりあえず肝心の部分がもやーんとなっているのが気になった。

                    前に貼った主婦の友は真面目な雑誌と思うが、この雑誌は若い夫婦に向け科学的根拠に裏打ちされた性の知識を解説。ってな大義名分のエロ雑誌と思われる。バックナンバー一式がこれから結婚する方々への贈物としても喜ばれた模様。

                    科学にかこつけているのかヌードの写真よりも多い生殖器の断面図。男児と女児の産み分け方など内容は胡散臭い。

                    なんでストリッパーの肢体美が奥さまへのプレゼントなのだろう。と思って読んでみると、ストリッパーの性的魅力を参照して旦那さまをメロメロにしちゃおうということのようである。

                    若夫婦の往復ラブレターという小説?よくわからんコーナー。1952年ってまだ貧しかったと思うのだがウイスキーとかチーズとか若夫婦はすでにハイカラな物食うとる。


                    ついこのあいだまでベビーブームだったのに、産制(産児制限)の話題が目立つ。避妊が不確かだったせえで関心が高かったのかもしれぬが、でもよく考えると戦前って兄弟多いのに戦後はそうでもないよな?何故?と思って調べると、産制はGHQの陰謀だったと産経新聞に書かれていた。

                     

                    日本の少子化は「人災」だった(上)戦後ベビーブーム突如終焉(2016年2月20日 産経ニュース)

                    http://www.sankei.com/premium/news/160206/prm1602060029-n1.html

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                    それにしても日本の出生数の減少ペースは速い。戦後のピークである昭和24(1949)年の約270万人と比較すると、70年弱で約3分の1に減った。しかも、その推移を追いかけると、気になる変化が見つかる。24年の翌年は出生数が一挙に36万人も減り、第1次ベビーブームが突如終わっているのだ。

                    明らかに不自然である。当時の資料を調べてみたところ、意外な事実が明らかになってきた。

                    戦後、占領政策を実施した連合国軍総司令部(GHQ)が、堕胎や避妊による「産児制限」を仕向けていたのだ。日本の少子化は、GHQによって引き起こされた“人災”だったともいえる。焼け野原からの再出発となった日本は、復員や旧植民地からの引き揚げ者が相次ぎ深刻な食糧難に直面した。一方でベビーブームが起こり、増え続ける人口への懸念が広まっていた。

                    GHQは当初、無関心を装っていたが、21年5月に「食糧メーデー」が起こると態度を一変させた。労働運動の広がりによる共産化への警戒だった。

                    発展途上国の人口急増が共産主義に結びつくという見方は戦前から強かったが、「人口が急増している日本も例外ではない」と認識したのである。

                    懸念はもう一つあった。米国は国土面積が狭い割に多くの人口を抱える日本を戦前から注視していた。

                    GHQの報告書を翻訳した『GHQ日本占領史第4巻 人口』(日本図書センター)には、日本の開戦理由を「人口を養うに必要な資源獲得のための軍事力による領土拡張を擁護し、同時に、増加する人口を養うための彼らの帝国主義的政策を宣伝した」とする分析結果が残されている。

                    GHQの人口問題の専門家らは、戦後も「日本の人口増加に歯止めがかからなければ、将来、膨張主義が復活する」と警告した。

                    だが、人口の多寡が「国力」を意味した戦前・戦中において、人為的に人口を減らす産児制限は“禁断の政策”であった。各国政府はこれを認めず、米国でもキリスト教団体を中心に反対論が強かった。

                    占領国が人口抑制を強要した場合、国際社会から強い非難を受けることは必然だった。そこで、GHQは日本人自身の手で産児制限を普及させることにしたのである。
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                    産経新聞は保守系であるためにいまだに日本の足かせになってる9条とか左翼っぽい奴ゴリ押ししたGHQ腹立つという歴史観にもとずいてると思うが、産制ゴリ押しぶりを見る限りたんなる右翼の陰謀論と片付けることはできないと思った。スポック博士などの子育て理論にしろ、検閲もあったのかこの頃のマスゴミはアメリカが民主的で科学的で偉くて日本(戦前)はオカルトで性格悪ってな価値観に染まっており、そのために当時10代から20代だった1930年代生まれの若人たちも洗脳されていったにちがいない。

                    知られざる“同胞監視” 〜GHQ・日本人検閲官たちの告白 〜(クローズアップ現代)

                    http://www.nhk.or.jp/gendai/articles/3425/1.html

                    ●アメリカの諜報活動 日本への影響は?

                    やはり、アメリカにとって、まずい情報は、メディアに対して検閲をして、報道させない。 このことは、報道の現場で、GHQの新聞課長との戦いというのが、現実にあったわけですね。 それとは全く別に、アメリカは、アメリカの明るいムード、あるいは、すばらしい生活を教えるために、日本に対して、民法の揺らん期ですね、発足したばかりで、ソフトがない時代に、ソフトを作って、完全パッケージの形で提供していたと。 その中には、例えば、5月の母の日にカーネーションを渡すという風習は、日本にはなかったんですけれども、そういう風習を日本に植えつけていったと。 アメリカ好きを、そういう形で助長していくということもやっていた、ということだと思います。

                    しかしこの時期の避妊方法は私が思っているよりもけっこう近代的な気がした。アベックとかホテル(←ラブのほう)とかフ○ラチオとかいう格好良い横文字もすでに使われている。

                    なんでこういう戦後すぐぐらいの雑誌を読むようになったかと言うと、美健ガイド社のマンガに「GHQが日本人から添い寝やおんぶを奪い〜」ってなことが書いてあったので、それが本当であるかどうか検証しているためである。私の歴史観として日本人を腑抜けにさせるための陰謀であるという点については疑問符が残るものの、戦後のある時期、添い寝やおんぶが馬鹿にされていたのにGHQの意向があった可能性は否定できない。

                    この雑誌にも昔からある日本の子育てを遅れたものとして否定し、アメリカにならったと思われる、赤ちゃんを一人で寝かしつける育児法が推奨されている。美健ガイドや予防接種はじめ今のロハスにある昔の子育てに帰ろうってのはほとんどこの時代(から高度経済成長)の反動であり、憲法9条とかとちょっと理由は違うのだがいづれにせよGHQの強力な洗脳からいかに脱却するかというのがひとつのポイントになってくるのだろう。

                     

                    同じ布団のなかで、母親が赤ん坊に添乳をしたり、子どもに添寝をしたりしているのは、日本獨自の家庭風景で、どうも改訂を要する古い育児法のようである。

                    添乳・添寝を、あふれるような母性愛の発現だと説明するのは、おろかなことだ。むしろ家屋のせまさ・寝具の不足・母親の過労のなかに、それは、現實的な理由を持っているのであろう。

                    朝から晩まで、炊事・掃除・洗濯・裁縫・買物と、からだをクルクルうごかして、少しの休みのなく一日中はたらきずめの母親、農村では、さらに畑仕事が加わつてくる。添乳、添寝は、子どもの要求というより、つかれた母親が、舅や姑や、口やかましい主人の前でも、公然と自分のからだをやすめることのできる唯一の機会になつているにちがいない。

                    きわめて不注意な母親は、赤ん坊に添乳をしているうちに、ついねむりこんで、乳房のおもみで赤ん坊の呼吸をとめて殺してしまう場合が、往々にしてある。

                    そんな事故は、まれであるにしても、子どもの添寝は、母親と子どもの関係をいつまでも胎盤と胎児の状態につなぎとめておくものであつて、子どもの獨立をさまたげていることに早く氣がつかねばならない。

                    どうも日本の母親は、自分以外に責任をもつて子どもを育てる者がいないとせまく信じこんで、自己満足を感じているようだが、これは母性愛の危険な偏向であると云わねばなるまい。

                    子どもを自分の背中にくくりつけて、ネンネコでせおつている姿、布団のなかで子どもとからだをくつつけた添寝、子どもの手をひつぱつて一しよに川へとびこむ母子心中ーーこの三つのもののなかに、氣高い母性愛というよりも、何か共通した日本の未開性が感じられるではないか。

                    フランスのトリースという条件反射学者の説によると、生れたばかりの赤ん坊でも性欲を持っているというのである。すなわち、生れたばかりの赤ん坊は、消化器官しかはたらかないが、その消化器系統の入口と出口に、見逃しがたい性感覚があるという新説だ。

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                    いずれにせよ、赤ん坊にさえ性欲のあることがわかつたら、両親も子どもの取扱いについては、いきおい慎重にならざるをえないであろう。この子どもに内在する性欲の火は、ふきけしてもいけないし、また、あおり立ててもいけない。しずかな自然の燃焼が必要なのだ。

                    この立場から、添乳・添寝の問題を見直してみると、日本の母親は、母親の體温や體臭が、しずかな子どもの性欲の燃焼にガソリンや薪を加えて、盛んにあおりたてていることに氣がつかないでいるようである。

                    添乳をしなくても、赤ん坊に乳をのませることはできる。健全な子どもの成長、子どもの人格の獨立のためには、添乳・添寝をやめて、ひとりでねかしつけることである。今までの、いわゆる日本的な子供の育て方を切換える必要があるのだ。(そこには、無知にもとづいた盲目的な愛がある。その愛は不幸にして、必ずしも子どもの幸福に寄与するものとは云えない。)そのために、まず手近な、ひとりで寝る癖を子どもにつけるのである。その場合、一定の就寝の時刻をきめるには、柱時計に責任を持たせればよい。


                    団塊よりも

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                      くしゅくしゅソックス世代(1973〜76生まれ)およびルーズソックス世代(1977〜80生まれ)など、おもに1970年代生まれの若き日を解説することの多いわがブログだが、それとは別に着目しているのが1930年代生まれだ。この世代は今80代くらいなので最近はじょじょにあの世に逝っており、先日もテレビを見ているとこんなCMが流れていた。

                       

                      ボス『昭和』篇 60秒 トミー・リー・ジョーンズ サントリー CM(YouTube)

                      https://www.youtube.com/watch?v=MW0ynGlUOr8

                      永六輔「昭和ひとけた族というのは調子がいい、目立ちたがり屋といわれ・・・」

                      宇宙人ジョーンズ「この惑星の昭和と呼ばれる時代には濃いい奴らがいたらしい」

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                      蜷川幸雄「やりたいこと、ちゃんと自己主張しなさいと」

                      大橋巨泉「人間生き方だけは自分のチョイスでいきたいんだよね」

                      永六輔「世の中変わっていくけども絶対変えてはいけないものは変えない」

                      宇宙人ジョーンズ「この惑星の昭和はこれからもどこかで生き続ける」

                       

                      このCMのシリーズ前から意味分からんし気持ち悪いと思ってたけど、これ見て左翼が作ってたんだ。と確信した。上記引用にもあるように、この世代には「昭和ひとけた世代」という名前がついている。

                      しかし私的にこの世代は「太平洋戦争時にいちおう生まれてたけど戦争逝ってない」ってのがポイントなのに、昭和のひとけたやふたけたで分けると、戦争知ってる1920年代生まれまで1930年代生まれと同じカテゴリになっちまう。この違いに関してはウィキペディアにも明記されている。

                      昭和一桁(Wikipedia)

                      https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%AD%E5%92%8C%E4%B8%80%E6%A1%81

                      成長過程

                      「昭和一桁世代」には2つの層がある。それは、昭和一桁前期生まれ(1926年(昭和元年)末〜1929年(昭和4年)生まれ)と後期生まれ(1930年(昭和5年)〜1934年(昭和9年)生まれ)という2つの層である。前期の人々の多くは、大戦末期に兵士として戦地へ動員され、また軍需工場に徴用されるなどで、戦争に参加した。特別攻撃隊として出撃したり工場で空襲を受けたりして戦死した例も少なくない。後期の人々の多くは、地上戦が行われた沖縄などの少年兵を除いて戦地へ動員されていない。

                      昭和一桁後期の人々は予科練にも間に合わなかったが、青年学校で軍事教練を受けて、学童疎開などを経験した。この場合、1920年代生まれは「真っ只中の戦中派」、1930年代生まれは「焼け跡闇市派」と呼ばれる場合もある。例えば1927年(昭和2年)生まれであれば第二次世界大戦終結時に18歳であるのに対し、1934年(昭和9年)生まれだと終戦時に11歳であり、一口に昭和一桁といっても第二次大戦の記憶は人それぞれであるが、大正期からの文化的連続性があった昭和初期の平和であった時期の記憶を持つのは、この昭和一桁前期生まれが最後の世代である。

                      そのため1920年代終盤(昭和元年生まれ〜昭和4年生まれ)に生まれた人々は、小学校卒業後の思春期に第二次大戦に遭遇した。対して1930年代前半(昭和5年生まれ〜昭和9年生まれ)に生まれた人々は、日中戦争の最中に小学校に入り、第二次大戦の最中に小学校(第二次大戦中の国民学校)を出たか、小学校在学中に終戦を迎えた。

                       

                      世間一般で話題になりやすいのは戦後ベビーブーム時に生まれたうわゆる「団塊世代」であり、このブログで言及することの多い70年代生まれも団塊ジュニアなどと名前がついているらしいのだが、私はそこまで団塊が重要と思わないというか、戦後世代のノリは皆1930年代生まれの影響下にあるくらいに思っている。また右翼がよく日本のマスゴミが左翼寄りなのをGHQの陰謀のせいにしておるのも、じつはGHQというより戦後民主主義に毒されまくった1930年代生まれが新しい産業だったテレビの業界を作ってきたために左翼のノリが伝統化したというのが実際のとこではなかろうか。

                      戦前までラジオや映画が中心だった娯楽にテレビがくわわるし、当時20歳代である1950年代後半にはテレビだけでなく冷蔵庫と洗濯機が「三種の神器」としてもてはやされた。てことは家事の厳しさからも解放されていたってことであり、戦争逝ってないにとどまらずもっとも若く経済成長の豊かなノリを謳歌しまくった世代であるし、そのせいか多くが80歳代を超えた現在においてもあまり年寄りくささがない。

                      といっても上記に引用したボスのCMで「昭和と呼ばれる時代には濃いい奴らがいた」と言っているようにアクの強い人が多く、その昭和感、老害感も団塊より上回っている。そうした30年代生まれが長らく支配してきた戦後的価値観をすごい勢いで破壊し昭和を強制終了さしたのが、冷戦終わってバブル崩壊して日本とか左翼が落ち目になった戦後50年ごろに出現したくしゅくしゅソックス世代でありルーズソックス世代だった。

                       

                      1930生まれ

                      キダタロー、竹村健一、左幸子、野坂昭如、小山内美江子、高島忠夫、俵孝太郎、深作欣二、ハナ肇、藤岡琢也、梶山季之、二谷英明

                       

                      1931生まれ

                      宇津井健、高倉健、ジャニー喜多川、有吉佐和子、すぎやまこういち、漣健児、水野晴郎、山田洋次、八千草薫、いかりや長介、勝新太郎、篠田正浩、来宮良子、大村崑、芦屋雁之助

                       

                      1932生まれ

                      野村沙知代、石原慎太郎、谷啓、本多勝一、小林亜星、大島渚、青島幸男、小田実、有馬稲子、早乙女勝元、秦郁彦、鈴木その子、五代目圓楽、長門勇、フランク永井、白土三平、仲代達矢、江藤淳、堀威夫、五木寛之、森田実、船村徹、田中邦衛、桂由美

                       

                      1933生まれ

                      黒柳徹子、永六輔、浅利慶太、草笛光子、菅原文太、藤島泰輔、ペギー葉山、尹学準、扇千景、篠沢秀夫、林えいだい、藤本義一、児玉清、伊丹十三、藤子不二雄、藤田まこと、岡田茉莉子、淡路恵子、オノヨーコ、大山のぶ代、森村誠一、天皇陛下

                       

                      1934生まれ

                      宝田明、長門裕之、山田太一、愛川欽也、東海林のり子、灰谷健次郎、米倉斉加年、田原総一朗、井上ひさし、倉本聰、白木みのる、松井やより、大橋巨泉、横山光輝、小中陽太郎、筒井康隆、玉置宏、山村美紗、美智子様

                       

                      1935生まれ

                      筑紫哲也、美輪明宏、大江健三郎、高畑勲、田宮二郎、浜木綿子、赤塚不二夫、小澤征爾、桑田次郎、西尾幹二、大藪春彦、朝丘雪路、酒井政利

                       

                      1936生まれ

                      長嶋茂雄、梶原一騎、野沢雅子、さいとうたかを、内海好江、毒蝮三太夫、野際陽子、桂歌丸、つのだじろう、山崎努、川口浩、梁石日、横田早紀江、北島三郎、湯川れい子、楳図かずお、内山田洋、市原悦子

                       

                      1937生まれ

                      樺美智子、モンキーパンチ、小沢遼子、美空ひばり、横澤彪、若杉友子、阿久悠、左とん平、加山雄三、桐島洋子、加茂さくら、ばってん荒川、平尾正晃、花紀京

                       

                      1938生まれ

                      和田春樹、島倉千代子、猪狩章、山尾三省、石ノ森章太郎、山城新伍、田辺昭知、小林旭、大林宣彦、なかにし礼、ミッキー・カーチス、細木数子

                       

                      1939生まれ

                      水森亜土、橋下淳、内田裕也、中沢啓治、赤木圭一郎、ちばてつや、千葉真一、黒部進、高田健三、五月みどり、寺内タケシ、畠山みどり、かまやつひろし、山下敬二郎、徳大寺有恒

                       

                      突然30年代生まれの著名人を列挙してみたが、こやって見ると左翼、芸能、歌謡、漫画、アニメ、ドラマなど戦後文化の大御所が多い。その前の20年代生まれがまだ年寄り臭いのに比べ、30年代生まれは服装も若いし洋楽、洋菓子、ニンニクみたいな異国の文化に苦手意識もない戦後世代であることをふまえると、今たとえばSNSとかやってたとこでそんなに驚くことではないであろう。

                      だから戦前、戦中生まれであるとか80過ぎとかいうと私のようなピチピチギャルから見ればすごい爺のような気がするしめっちゃ戦争知ってるイメージあるけど、それにまどわされてはならない。なんでこんなこと書いたかと言うと、戦前の悪で恐ろしいイメージがGHQのステマにくわえこの世代(の左翼)によって作られたものという気がしてならないのだ。

                       

                      はだしのゲン作者の中沢啓治は1939年生まれなので終戦時6歳である。被爆したといっても戦争中の話はリアルで見てきたものではないであろう。

                       

                      松井やより発言集(YouTube)

                      https://www.youtube.com/watch?v=YHQF3opeHR0

                      松井やより「その兵隊たちをですね、殺人鬼って言われたり強姦魔って言われたり強盗ってね、アジア行ったらみんな言ってますよ。そういうふうなことをさせるような状況にしたのが誰なのかどういう行動なのか。その責任者をね私たち自身の手で問うてないわけでしょ。ですからね、それが第二でしょ。それからもうひとつは補償ですよ」
                      田原総一朗「お父さんは中国で何してらっしゃった」
                      松井「あの、兵隊です。二等兵です」
                      田原「・・・じゃあ同じようにされてたんじゃないですか」
                      松井「そうです」
                      田原「いや殴ったり」
                      松井「殴ったり、されたんですよ」
                      田原「いやいやそうじゃなくて。殴ったり、したんじゃないですか」
                      松井「いえ、できない。うちの父はね、どういうふうにしたかっていうと、その殺さなくていいようにハンストみたいに非常にこう抵抗してですね、それはこっそりですよ。で通信部隊っていう全然殺さなくていいところにね行って、そして父がまぁキリスト教の関係だったもんですから、そのー中国の子ども達にいろいろしたりなんかしたからね、すぐ・・・」

                       

                      なんか男を叩いているような女(もしくは女を叩く男)などを見ると、この人自分のお父さんやおじいちゃんのことはどう思っているんだろうか。とつねずね疑問に思っていたが、松井氏のように「うちの父だけは日本人で男だけど例外」ってパターンもあるらしい。ともかく30年代の語る戦争の残酷さの多くは実際の体験でないうえ、何か特定の思想にもとずいた感がすごいので話半分に聞くことにする。

                       

                      昭和ひとケタ世代日本を怒る1983年1(YouTube)

                      https://www.youtube.com/watch?v=Z-44U9yxC8I

                      石原慎太郎「ぼくは中学1年でした。戦争はあっけなく終わった感じがしましたけどね、それから一両日おいて私の住んでいる逗子湾の付近にアメリカの連合艦隊がやってきましてね、とにかくそれを迎え撃って死ぬんだということを大人たちが言い、私も15歳でしたけども、あーやっぱり自分も死ぬのかな死ななくちゃならんのかなという感じがしましたがね、別に恐怖心はなかったけどもそういう意味じゃその、私に限らずみんな軍国少年だったと思いますがね」

                      田原総一朗「野坂さんは終戦のときは小学校?中学ですか」

                      野坂昭如「みなさん数えでおっしゃってるから数えでぼくも言えば16歳ですね、中学3年です」

                      田原「8月15日の思い出はいかがですか」

                      野坂「ちょうど福井県の春江ってところにいまして、そこはぼくがそれまでいた神戸の瀬戸内海に面した町から比べると配給が非常によくて、比較的おだやかに暮らしてたんですね。なんか戦争の影も形もないみたいな感じでした。ぼくたちは確かに軍国少年で8月15日っていうとたいていは天皇の言葉がよく聞こえなかったって言うんだけども、どういうわけだかわりによく聞こえたわけですわ。でこれは負けたってことはすぐにわかったです。負けたってことがすぐわかったとたんに生物的反応として、もう空襲がない殺されなくてすむってことがまず考えた」

                      田原「小田さんは38年前の8月15日、中学ですか?」

                      小田実「中学一年生ですね」

                      田原「いかがですかそのときの印象は」

                      小田「ちょうど今野坂さんがおっしゃった8月14日の大阪の大空襲があったんですね、で砲兵工廠ってのが完全に全滅したんですけども、その近くに私住んでたんですよ。で私防空壕に入ってましたからね、14日のほうが印象的ですね。14日やっとこさ生き延びて出てきたらビラが落ちてましてね、それもう戦争終わりましたと書いてあるんですよ、お国の政府が降伏して終わったと書いてあるんですね。でこれいったい何だって思ったですよ。まあそれは私の根にあるんですけどね、飢えと空襲のなかで、大都会にいたので、まあやってきたんですね、それであの軍国主義少年だったと思いますよ私も


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