基地

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    60年代後半は反戦フォークや学生運動が人気爆発したけど、1972年ぐらいになると政治的な歌ダサッ。左翼キモッッ。て感じになってきてたらしく四畳半で若くて貧乏な男女がちちくりあいフォークソングは軟弱になった。でも四畳半フォーク人気もそんなに長くなかったんじゃないだろうか。

    反戦フォークの時代は新宿に若者の街としての拠点性があったのが、70年代にはいるとコミューンじゃなくても高円寺とか阿佐ヶ谷とか荻窪とか中央線沿線で四畳半フォークふくめ戦争を知らないような若人が結婚もせずに好きな女や仲間と暮らすみたいな設定多い。阿佐ヶ谷を舞台にした永島慎二の「若者たち」も原作こそ60年代だけど「黄色い涙」としてドラマ化されたのは1974年だし、その翌年のおれたちの旅って中村雅俊主演のドラマも吉祥寺だったかと思う。

    でもそういう貧乏アパート系と別に米軍ハウス系があって、立川の「キャンプ・フィンカム」だと思うのだけど米軍ハウスにヒッピーが住みつきだしたというのを何かの本で読んだ。ただ検索したかぎりでは70年代における米軍ハウス人気爆発については福生(横田基地)に言及されてることが多い。

     

    限りなく透明に近いブルー(Wikipedia)

    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%90%E3%82%8A%E3%81%AA%E3%81%8F%E9%80%8F%E6%98%8E%E3%81%AB%E8%BF%91%E3%81%84%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%BC

    ・・・

    あらすじ

    舞台は東京、基地の町、福生。ここにあるアパートの一室、通称ハウスで主人公リュウや複数の男女クスリ、LSD、セックス、暴力、兵士との交流などに明け暮れ生活している。明日、何か変わったことがおこるわけでも、何かを探していたり、期待しているわけでもない。リュウは仲間達の行為を客観的に見続け、彼らはハウスを中心にただただ荒廃していく。そしていつの間にかハウスからは仲間達は去っていき、リュウの目にはいつか見た幻覚が鳥として見えた。
    ハウス
    「ハウス」とは、福生市にある米空軍横田基地周辺にあった(元)米軍住宅である。JR八高線と平行する国道16号に約2000戸あったとされる。朝鮮戦争やベトナム戦争の時に住宅不足のために建てられた。米軍住宅の場合は一種の治外法権地帯であり、ドラッグ・パーティーや乱交パーティーが開かれていたと言われる。戦争後「ハウス」は安く借りられる広々とした一軒家として、芸術志向の若者を引きつけた。乱交パーティーの文化はそのまま残ったと言われる。

     

    村上龍「限りなく透明にちかいブルー」は1976年の作品だが村上氏は1970年から1年ほど暮らしていたとのことで、米軍ハウス住み始めるの早い。URCからレコード出してたバンド「はっぴいえんど」が解散したのが1972年で下記引用によればメンバーの大瀧詠一が翌1973年に福生に引っ越してスタジオを構えた。

     

    ニッポンのポ

    https://www.nhk.or.jp/po/tokushu/2007.html

    ロングヘアにサングラス。この写真、誰だかわかりますか?

    今から39年前、1976年(昭和51年)当時の、作家・村上龍さんです。
    ドラッグ、セックス、音楽・・・陶酔を求めてうごめく若者の退廃的な日常を描いた「限りなく透明に近いブルー」で芥川賞を受賞した時の写真で、当時24歳。作品の舞台となったのは村上さん自身も1970年(昭和45年)から1年半ほど暮らしていた福生の米軍ハウスでした。

    もともと米軍ハウスとは、米兵に貸すことを目的に一定の規格に基づいて建設された平屋です。しかし、ベトナム戦争終結後は、横田基地の米兵や家族の数が減少したため、空家が増加。その新たな住人となったのが日本の若者でした。床がフローリングでアトリエとして利用しやすく、大音量で楽器を演奏しても近所から苦情があまり来なかったことなどから、美術や音楽関係者が多く集まったといわれています。

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    ロック歌手・忌野清志郎さんも70年代半ばに横田基地の横を走る国道16号線近くの米軍ハウスを友人とシェアして住んでいたといいます。「基地のフェンスの向こうはアメリカ、福生という街には一種の憧れがあった」と語っていた清志郎さん。2000年代になってからはトレードマークでもあった派手なステージ衣装も16号線沿いにあった仕立屋で作っていました。

    そして“福生”を語るにあたって忘れてはいけないのがこの方、大滝詠一さんです。
    ・・・

    その大滝さんが福生市の隣、瑞穂町の米軍ハウスに引っ越してきたのは「はっぴいえんど」解散後の1973年(昭和48年)。自宅に作ったレコーディング・スタジオにつけた名前は、「福生45スタジオ」。ここから『ナイアガラ・ムーン』や『ナイアガラ・トライアングル』などの名作が生まれました。そのスタジオで最初にレコーディングした記念すべき曲がこちら・・・。

        「福生ストラット(パート供法廖丙郢譟作曲 大瀧詠一)
        福生行きの切符買って (お守りに)
        福が生まれる町
        すぐに生まれる町
        福生ストラット Keep on strut

    歌詞はこの4行だけ。

    ・・・

    1970年代の空気感を今に伝えるライブハウスがあると聞き、訪ねました。
    国道16号線から東福生駅に向かって歩くと、住宅街の中にその店はあります。

    ザ・ストリート・スライダーズやZIGGYなど、数々のバンドがここからプロとして巣立ったという「伝説」のライブハウス。店主は村上永里子さん(65才)。

    短大卒業後、関西から東京へと移り住みバンド活動をしていた永里子さん。1970年代初頭、夫の祐一さんとともに横田基地近くの米軍ハウスに住み始めます。

        「私たちのようなミュージシャン、近所には彫刻家、画家、楽器職人が住んでいた。一軒の家を3人くらいでシェアして生活する美大の学生もいて、いつもみんなで騒いでいました。村上龍の「限りなく透明に近いブルー」を読んだけど、まさにあんな感じでしたよ、私の周りは。ちょっとフツウの人とは違ったと思います」

    ライブハウスを始めたのは1975年(昭和50年)。当時はベトナム戦争の終盤にさしかかっていたころ。
    店は基地から訪れる米兵と、日本の若者とでごった返していました。
    「お客さんは米兵と日本人とで半々くらい。ヒッピーみたいな人がたくさんいて、反戦だとか自由だとか騒いでいた。ロックで世界を変える!と本気で考えていた」

    ・・・

    福生を愛する著名人は数多くいますが、この人もそんな1人。いくつもの飲食店チェーンの経営者として知られる、中島武さん(67才)。筋金入りの福生好きで、「福生は自分の青春」と公言しています。小学生の頃から福生に憧れ、中学校から遊びに来ていたと言います。

    ・・・

    1970年代、福生に最先端のサブカルチャーがあるからと、若者が次々と米軍ハウスに「入植」するのを、中島さんは冷ややかに見ていたと言います。

        「小学校の頃から福生を知っている者からしたら、「自由な生活」とか言って一時期ハウスに住んで芸術活動するような人が軟派に見えたんだよね。自分たちが知っている福生はもっと危なっかしくて泥臭くて「硬派」だったから」

    「軟派」も「硬派」も数多くの人々が集まってきた福生。
    しかしベトナム戦争が終結すると次第に横田基地の米兵は少なくなります。

    また、ドルと円の固定相場制が終わり、ドル安が進み、米兵が基地の外に出ること自体が減っていきました。基地と街の交わりは薄れていきます。

    ・・・

     

    ライブハウスの開店が1975年とのことだが「ライブハウス」という形態が定着してきたのもこの頃と思われる。それまではジャズ喫茶やらロック喫茶やら喫茶と言ってたようだし、ライブハウス時代になるとプロテストとか四畳半にかかわらずフォークソング自体が低迷してきてニューミュージックやロックバンドのほうが人気になってきたであろう。

    日本が欧米化したタイミングは明治維新でもあるしGHQでもあるけど、1970年代においてはアメリカのサブカルチャー(ヒッピー文化の発展形)が若者の消費文化として人気爆発してた。「ホールアースカタログ」の系譜にあると思われる「メイドインUSAカタログ」が1975年でその翌年にマガジンハウスから「ポパイ」が創刊されてる。

    またスカイラークとドムドムバーガーが1970年、日本マクドナルドとミスタードーナツが1971年、モスバーガー1972年、イトーヨーカ堂がデニーズやセブンイレブンを展開しだしたのと日本シェーキーズが1973年、ローソンが1974年と、米軍ハウス人気爆発と同時期に飲食も急速にアメリカづいてきてた。今コンビニやファミレスやハンバーガーやドーナツのチェーン店て日本の郊外のイメージだが昭和50年代まではわりとバタ臭くて都会的だった気がする。

    1974年に「妹」「赤ちょうちん」かぐや姫の歌をモチーフにした四畳半気分な映画を監督してた藤田敏八も1981年には福生でロケした「スローなブギにしてくれ」を撮ってた。これテレビで見たことあるけど意味わからん。

    スローなブギにしてくれと同じ時期に女優の原田美枝子が手がけた「ミスター・ミセス・ミス・ロンリー」て映画もまったく意味わからんかった。内容も覚えてないのだけど横田基地や米軍ハウス出てきたような記憶がある。

    監督の神代辰巳は「ベッドタイムアイズ」て映画も撮っており、ジャケ写から福生でちちくる話の可能性高いと思った。山田詠美の原作は1985年だそうなので、昭和50年代を福生時代てことにしとこう。

    昭和62年/1987年・婦女暴行致傷罪で起訴された同棲相手のことを、記者会見で聞かれた山田詠美。(直木賞のすべて 余聞と余分)

    https://naokiaward.cocolog-nifty.com/blog/2018/07/621987-7289.html

    作家山田詠美さんの小説「ベッドタイムアイズ」のモデルとされる在日米空軍横田基地の技術軍曹A(35)が7日、東京地検八王子支部から東京地裁八王子支部に婦女暴行致傷罪で起訴された。

    起訴状によると、Aは3月1日午前4時半ごろ、東京都福生市福生の公園で、帰宅途中の女性(46)に背後から抱きつき、約100メートル離れた自宅に引きずり込んで暴行し、顔などに2週間のけがをさせた、とされる。

    ――『朝日新聞』昭和62年/1987年7月8日夕刊「小説「ベッドタイムアイズ」のモデル黒人兵、女性暴行で起訴」より

    ・・・

    主役となったのは、山田詠美さんです。

    いや、山田さんの華やかさや話題性も相当でしたが、それだけが大勢の取材陣を動かしたわけではありません。直木賞の会見風景を一気に変貌させたその最大の要因は、明らかにひとつの犯罪事件でした。否定する人はいないと思います。

    報道によると、昭和62年/1987年3月1日明け方5時半ごろ。東京都福生市に住む会社員、46歳の女性が徒歩で帰宅中、ちょうど「わらつけ公園」を歩いていたところ、何者かに突然抱きつかれ、100メートルほど離れたマンション3階の一室に、強引に連れ込まれる事件が発生します。加害者は抵抗する女性を殴りつけ、レイプに及んだとのこと。被害を受けた女性はそのマンションの住人でもあったため、加害者の人体は把握しており、3月4日に被害届を警察に提出。その加害者とはアメリカ国籍をもつ氏名カールビン・ウィルソン35歳(ケルビン、カルビンと表記する文献もあり)、米軍横田基地の航空貨物補給部で働く技術軍曹で、福生署の捜査員は性犯罪ということもあって慎重に裏づけ捜査を進めますが、事実関係の捜査がかたまり、6月17日に逮捕。7月7日、東京地裁八王子支部に起訴されました。続報によれば、同年12月23日に同支部にて、求刑懲役四年に対し、懲役三年六か月の実刑判決が言い渡され、刑に服すことになった、ということです。

    そのウィルソンさんは、山田詠美さんの当時の同棲相手。処女作『ベッドタイムアイズ』のモデルのひとりとも言われて、デビュー直後から数々のメディアに取り上げられた山田さんとともに、マスコミに幾度となく登場していた人ですが、犯行のあった当日、山田さんはバリ島に取材旅行に出かけていて不在、その留守宅が犯行現場になった、という話から、二人の仲は最近ギクシャクしていたとか、山田さんの浮気に心痛めたウィルソンさんがそのフラストレーションを爆発させたのではないかとか、どうでもいいといえばどうでもいい事情が、週刊誌を中心に報じられます。

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