本当は左翼な江戸時代

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    先日「本当はエッチな日本人」(歴史の謎を探る会編)を読んだのをきっかけに江戸時代の下半身事情に興味がわいた私は、田中優子著「春画のからくり」を購入した。
    著者の田中氏は江戸文化の専門家なのだが、じつはかの「週刊金曜日」編集委員の顔も持ち、個人的には江戸と全然関係ない反原発運動や新大久保の反差別運動などで見かけたことのある名前だ。
    最初に江戸に気色悪さを感じたのは、2000年代のエコブームにおける打ち水でFUROSHIKIで循環型社会・・・といったノリであったが、やはり江戸礼賛には左翼がつきものなのだろうか?
    世間的には、左翼が日本の伝統を重んずるはずがない、と考えられているのか、なかなか信じてもらえないのだが。
    田中氏には「春画のからくり」と同じちくま文庫から「張形と江戸おんな」という、これまた江戸の下半身事情に関する著書もある。張形(はりがた)とはバイブレータのごとく、てぃん子をリアルに形どった大人のおもちゃのことだ。厳密には電動しないので、バイブではなくディルドーというらしいが。

    春画と張形・・・どちらも捨てがたい。立ち読みしたら内容も似ていたので迷ったが、けっきょく値段の安い「春画のからくり」を選んだ。
    しかし、やはり「春画〜」はカラー資料の多い「張形〜」と違って、掲載されている絵が白黒で、しかも文庫なので載っている絵が小っちゃく何描いてあるのかよく分からんという問題はあった。
    表紙に使われているのは美人画で有名な喜多川歌麿の代表作「歌満くら」。
    茶屋の二階でくちずけする男女がえがかれている。茶屋というのは、「本当はエッチな日本人」に飲食店を装った休憩専門のラブホテルと書かれていた出合茶屋のことだろうか。

    性器こそ描かれていないものの、女のうなじや手つき、黒い布に透ける白い脚、ちらりとのぞく男の視線がなんともなまめかしい。
    「はまぐりにはしをしっかとはさまれて鴫(しぎ)立ちかぬる秋の夕暮れ」
    扇子に書かれた狂歌が、ちょめちょめを暗示している。
    この絵は性器のみならず、顔もほとんど描かれていないという点において、春画というにはかなり珍しいようだ。
    だいたいこの本に掲載されている春画をざっと見た感じだと、気合を入れて描かれているのはたいてい性器、顔、着物である。まぐわっていても全裸ではなく、たいてい着衣なのだ。
    だから、男も女も下をまくって、挿入を楽しんでいる。田中氏によれば、この手の絵は交接部分を強調するためにあえてゴチャゴチャ描きまくっているということのようだが、まあ当時はちょめにおける乳の重要性がいちじるしく低かったので、じっさい全部脱ぐ必要もなかったのかもしれない。
    それに服を描きこんだほうが絵的にも美しいし、現代のコスプレよろしく女の属性もわかるという物ではないか。
    しかし・・・不思議だ。なぜ春画において顔が重要でありながら、ちょめっている男女は真顔なのだろうか?
    現代のエロい漫画ならば、女はもっと顔を赤らめ、眉間にシワを寄せたり涙を浮かべたりと切なげに描かれるにちがいない。それに比べると春画の女は、せいぜい目をつむっている程度で口もそんなに開けていないのだ。
    当時はあまり表情を描かなかったのかとも思ったが、「春画における覗き」(113ページ)で紹介されているいくつかの覗き(他人のちょめちょめを覗きながら、おのれのむす子をこすってるおっさん)はちゃんと助平な顔に描かれている。
    春画は「笑い絵」とも呼ばれるように、ギャグマンガ的な要素があったようだが、なかでも覗き魔は笑いの対象だったのだという。
    そういうマヌケな脇役だけ、いかにもグヘヘ♪といった顔なのだが、まぐわっている主役の男女はあくまでわれわれが浮世絵と言われてイメージする典型的なそれである。
    あの手の顔は、現代のマンガにおいて主役クラスの目が大きく描かれる、というのと同じくらいのお約束で、それ以上を書き込めばギャグ要員になってしまったのかもしれない。
    やはり浮世絵には、漫画の遺伝子を感じてしまう。西洋の絵画が写真ばりにリアルだったのに比べると、浮世絵はずいぶん平面的で、顔や性器の異常なデカさに対する口の小ささ、乳の適当さなどは、当時の価値観に合わせてデフォルメされているし、設定も日常的ではありながら、現実そのものではない。
    日本文化の中で浮世絵や漫画の人気が高いのも、その独特の美的感覚が外人のハートをわしずかみにしたという事実にほかならないだろう。
    そのような考えをもって「いけないヌードから正しい春画へ」(初出1996年)を読むと、やや違和感をおぼえる。
    男女がちょめっている春画と違い、女性のヌード写真ばかりが氾濫している現代の状況をまるで女性差別だとでも言いたげな田中氏。
    しかしあれだけ文字の書き込まれた春画の比較対象としては、ヌード写真よりも漫画がふさわしいのではないか。エロい漫画ならば春画同様、裸の女だけではなく、それをいたぶる相手役も必要なはずであるし。
    だいいち梅毒や間引きが普通だった売春都市の性にそんな素晴らしい要素があるのかどうか、怪しいものだ。
    もしかすると一部の左翼は、現状を変革するために、日本の伝統ともいうべき江戸時代に対してエコだけではなく男女平等&性に開放的(やりまくり、のぞきまくり)であってほしいという邪悪な願望を抱いているのではないだろうか?
    これについては先日読書感想文を書いた青木やよひ著「フェミニズムとエコロジー」にも、気になるくだりがあったので最後に引用しておく。

    たとえばかつて私は、『婦人職人分類』と題した歌麿の浮世絵版画の一枚を見て、意外の感に打たれた記憶がある。それは二人の『かわらけ』職人が頭に手ぬぐいをかぶり着物の裾をはしょりあげて作業をしている情景を描いたものだった。
    ・・・
    江戸時代に三つ指ついて夫に仕え、三界に家なきわが身のはかなさをかこっていた侍の妻などは、ほんのひとにぎりにすぎなかったのである。大部分の女は、農婦や自営業の内儀(おかみさん)としてみずから労働をになっていたはずである。そしてそこには、瀬川清子氏の『若者と娘をめぐる民俗』にひろいあげられているような性の開放性や、それなりの男女平等のルールも存在していたにちがいない。
    しかしもちろん、みずからの願望を歴史に投影して、『バラ色の過去』を描き出すことはいましめなければならない。
    ・・・
    男女の人口比一つとってみても、江戸時代になぜ女の出生率がいちじるしく低いのかという疑問が、長らく私の心を苦しめている。
    「フェミニズムとエコロジー」38ページより 初出1983年


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      • 2020.02.22 Saturday
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