ベタvsメタ

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    マキタスポーツってお笑いを知ってる?
    私はあまり詳しくないのだが、尾崎豊の代表曲である「15の夜」のアンサーソングを歌っているのを以前ラジオで聞いたことがある。そのマキタスポーツ氏が本名の槙田雄司名義で論じたのが、この「一億総ツッコミ時代」だ。
    一億総ツッコミ時代とは何か。槙田氏によれば、芸人でもない一般人のノリにバラエティ臭がはびこり、ちょっとでも失敗すれば「あいつ、サムイ」「そこはツッコまないと」「今スベリました?」「オチは?」などと容赦ないツッコミが入る状況なのだと言う。
    特に槙田氏が言及しているのは、「今噛んだ」というツッコミだ。要するに、言い間違えたり舌がもつれたりしたときに、それを指摘することでおもしろい空気にしようというちょっとした演出である。
    しかし、これまで笑いの対象にはなりえなかった噛みまでもがツッコミの対象になる点に象徴されるように、ツッコミ文化が加速し「人々は自らがツッコミを入れる相手を虎視眈々と探すようになってい」(33ページ)った、こうした小さな失敗も見逃さない空気が現代社会の息苦しさを形成しているのだと、槙田氏は警鐘を鳴らす。
    槙田氏によれば、このツッコミを使い始めたのはダウンタウンの松っちゃんとのことである。
     

    人々がこのようなコミュニケーションツールとしてのツッコミのスキルを身につけたのは何がきっかけだったのでしょうか。私はやはり90年代のダウンタウン台頭以降だと考えます。浜田さんの「なんでやねん!」は衝撃的でした。そして最初は浜田さんの「なんでやねん!」を真似しているだけだった人たちが、徐々に松本さんを含めたダウンタウンの目線を装備するようになっていったのです。(37ページ)

    「噛む」というちょっとしたミスを笑いにつなげるという発明をしたのは、私の記憶によれば、やはりダウンタウンだったと思います。それ以前は多少ミスをしたとしても、そこを笑いの対象にはしなかった。
    ・・・
    噛むというちょっとしたミスに対して、ツッコミ、いわば非難が生まれる。この構造はテレビという枠を超え、一般の人たちにも見られるようになりました。ちょっとした失敗は見過ごそう、もう一度やり直そう。そんな空気感はそこにはありません。これはたいへん息苦しい。そんな息苦しさが、バラエティ番組の枠を超え、いまや日本の社会全体に蔓延してしまっています。(39ページ)

    ボケに対してのお笑いツールであったツッコミが、なぜこれほど他罰的な武器と化してしまったのでしょうか。改めて、考えてみたいと思います。
    日常で起きた腹の立つ出来事をネタにして笑いをとっているのを見たことがあると思います。キレて笑いをとる「キレ芸」です。
    「キレ芸」の始祖は松本人志でしょう。いらだちのあまりイーッとなった後、「僕は○○が許せないんですよ!」といったフレーズで笑いを取る。(47ページ)


    これだけ読むと松ちゃん批判のようにも思えるけども、厳密に言うとそんな松本人志しか使いこなせないような特殊ツッコミが一般人にまで浸透した「プチ松本人志化」(49ページ)を現代社会の息苦しさと関連づけているということだろう。
    しかし私はちょっとこのへんの見解からして、あまりピンとこなかった。まず一般人ってそんなに松ちゃんに影響受けてるかなー。って実感がないのと、ボケのはずの松ちゃんがツッコミにされている点にも違和感がある。
    私も20年くらい前はダウンタウンの番組を見ていたが、当時はまだ尼崎の悪ガキってな雰囲気も残っており、2人して大物相手にも食ってかかるようなところがおもしろかった。それもやがてダウンタウンそのものが大物になってくることで、変質した部分があったのかもしれない。
    噛んだ、キレ芸、ってのはもしかすると、近年共演の多くなった後輩相手、それこそ本書にも出てくる千原ジュニアなどに対してやってる笑いじゃないんだろうか。それでもやっぱり松ちゃんがするとしたらボケの範疇は超えない限りのシュールなツッコミであって、それに対して頭をシバくなり、誰か他に進行役(真のツッコミ)がないと成立しない役回りだと思うのだが。
    またこういうお笑い的な演出と、ネットの炎上のような非難までもが一緒くたに「ツッコミ」とされていたり、自己啓発のような私からするとボケ(変なノリ)としか思えないものまでツッコミにされているので、だんだんボケとツッコミの定義って何なんだろうという気にもなってくる。
    著者は「ベタ」「メタ」という言葉を用いて、ボケとツッコミを以下のように説明している。
     

    「メタ」という言葉はご存知でしょうか。客観的に、俯瞰的に、ものごとを「引いて」見ること。それを「メタ」と言います。
    日本人の最近の傾向としてメタ的な人が多すぎると思います。何ごとにも首を深く突っ込まず、冷静に事態を眺めている。引いちゃっているというわけです。

    一方で「ベタ」というのは、客観的にものごとを眺めるのではなくて、どんどん行動に移して人生を楽しむ姿勢です。正月に餅をつく。夏は海で泳ぐ。誕生日を祝う。クリスマスはイルミネーションを観に行く。なんとも「ベタ」じゃありませんか。結婚をする。子どもの写真を携帯の待ち受けにする。なんとも「ベタ」じゃありませんか!でもそのほうが絶対「面白い」。(11ページ)


    私はこの「ベタ」「メタ」という言葉を、サブカル系の文献で数回見たことがある。おそらく「ファスト風土」みたいな、サブカル野郎のあいだでだけ通じる言葉だろう。
    韻を踏んでいるのか「ベタ」「メタ」に加えて、「ネタ」の3点セットで使われていることもあるようだ。

    ネタ・ベタ・メタという言葉(BIGLOBEなんでも相談室)
    http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa1923068.html  


    私は槙田氏のベタ・メタ論を読んだとき、なぜこれまで正月に餅をついたり、誕生日を祝うのを「面白くない」と感じていたのかが気になったのだが、世代的には1970年生まれ(オリーブ少女世代)ということで、そういうベタなものをクサいダサイと茶化しサブカルやリセエンヌ気取っていた80年代の価値観に毒されていたところもある気がする。ていうか基本的にメタ目線のツッコミって、ダウンタウンよりはむしろビートたけし世代の傾向じゃないだろうか。
    私はふと香山リカ著「ぷちナショナリズム症候群」を思い出した。ベタ・メタという言葉こそ使われていなかった(と思う)けども、この本と逆で、日本大好き!っていうベタ(若者のソフトな愛国心=ぷちナショ)に対し、「なーんちゃって」と自らを相対化するメタ目線を獲得せよ、というメッセージが込められていたのだ。
    私はこれを読んだとき、かなりの違和感をおぼえた。なんで日本人が日本大好きだと言うのに「なーんちゃって」などとおどけなくてはいけないのか?と・・
    そういう意味では槙田氏の提言に同意するところもあるけども、著者が身を置くお笑いという世界でいえば「文句を言う客が買う」ということわざもあるように(あるか?)若い世代があまりテレビを見ないこのご時世に、 ツッコんでくれるだけ人気者ということでけして悪いことではないんじゃないんだろうか。もちろんよほどの誹謗中傷は別として。
    また私はツッコミ過多どころか、むしろ変なノリ(ボケ)が蔓延していながら誰も突っ込まない現状に何よりの息苦しさを感じてしまうのだった。もっとツッコミをおくれ〜。

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      • 2017.09.15 Friday
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