朝鮮料理とは何かその2

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    前回「朝鮮料理が南北対立によって焼肉(プルコギの直訳)になった」説を紹介したが、この説のもとになっている宮塚利雄の本をあらためて読んでみた。といっても宮塚氏の単著ではなく、「韓国・北朝鮮の嘘を見破る」という、いろんな人が強制連行や慰安婦などについて論破した本で、宮塚氏はその中で「韓国の焼肉は世界一うまいと言われたら」という項を担当している。

    つまり韓国人に「韓国の焼肉は世界一うまい」と自慢されたとしても、この本を読んでおけば「そんなの嘘っぱちなんだよ!」と、ボコボコにできると言う訳である。そんな機会あるのか?

    宮塚氏はこの主張について「日本焼肉物語」という本も一冊出しているのだが、とりあえずそのダイジェスト版であろう「韓国の焼肉は世界一うまいと言われたら」をもとに宮塚氏の主張をまとめてみよう。

     

    日本の焼肉は韓国から伝わったものではない

    無煙ロースターやタレは日本から輸入された

    朝鮮半島で焼肉は「ノビアニ」と呼ばれていた

    ノビアニは台所で焼いてお膳で出すもので食べる人が焼くのではない

    在日のオモニは日本人が食べようとしない内臓(ホルモン、臓物、モツ)を家庭で料理した

    大勢の家族がホルモンを焼いて食べるには皆でコンロ(七輪)を囲んだほうが早い

    コンロを囲むスタイルがホルモン食堂に取り入れられた

    ホルモンは「放るもん」ではない

    韓国では朝鮮戦争後に「ノビアニ」が「プルコギ」になった

    日本では「朝鮮料理」「ホルモン料理」「モツ料理」と呼ばれていたが70年代「焼肉」に

    日韓条約後、日本に訪れた韓国人が「朝鮮」に抵抗をおぼえたため

    焼肉という名称はそれ以前にもあった

    在日から経営ノウハウを学んだ韓国人がプルコギの店を開業した

    焼肉産業は日本の方が進んでいる

    と、このような感じなのだが、私はこれを読んでやはり前回仮説をうちたてたように焼肉史観においてしばしば「朝鮮料理屋」「ホルモン食堂」が混同されており、韓国人が経営ノウハウを学んだのは都会を中心に在日韓国人がやっていた「朝鮮料理」であってホルモン焼があんまり関係ないような気がしている。つまり「朝鮮料理」というのは、テーブルの真ん中に網が内蔵されていて、肉以外にも韓国料理を楽しめる、現在のオーソドックスな焼肉レストランタイプであり、「ホルモン焼」というのは在日のおばちゃんがやっている、カウンターやテーブルにコンロを置いてひたすら肉を焼く家庭料理タイプのことを言っているんではないかと。

    焼肉レストランタイプは「○○苑(園)」という店名が圧倒的に多く、60年代から70年代にかけて六本木あたりの店が先進的な芸能人(六本木野獣会?)に大ハヤリしていたようだ。おそらく80年代あたりまでは、業界人や都会の人が行くようなそこそこ珍しい店だったのではないだろうか。

    宮塚氏によると日本の戦後の焼肉の元祖は「東の名月館(新宿)、西の食道園(大阪)」であり、いづれも1946年に開業しているようだ。業界のリーダーである1976年に叙々苑を開業した朴泰道(1942年生まれ)は中学3年で家を飛び出し、「名月館」と「大同苑」(神田)で丁稚奉公したのだという。

    それを読んでもやはり○○苑系の焼肉レストランおよび祖国へのノウハウ輸出は在日の実業家がやっていて、オモニが店に立つ家庭的なホルモン焼とは全然違う系譜としか思えない。だから「朝鮮料理」とは○○苑系であって、そういった店が冷麺とかビビンバのような珍しい異国料理を普及させ、また日韓両国で広く焼肉店のモデルとなったのではなかろうか。

     

    盛岡冷麺(Wikipedia)

    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%9B%E5%B2%A1%E5%86%B7%E9%BA%BA

    朝鮮半島北部(現・北朝鮮)の咸興(かんこう、ハムフン)生まれの在日朝鮮人1世の青木輝人(朝鮮名:楊龍哲(よう りゅうてつ、ヤン・ヨンチョル:양용철))が、1954年(昭和29年)5月に盛岡でテーブル4つの「食道園」を開業し、店で出したのが最初である。料理人としてのプロの技術を持たなかった楊は、自分が子供のころに食べた咸興の冷麺を独力(独学)で再現しようとしたという[1]。

    ・・・

     

    しかし、宮塚氏の主張にもとずいたテレビ番組を見てみると、ホルモン焼の店が朝鮮料理を名乗っていたり、また豚ではなく牛の内臓を出していたと言っている。うーむ・・・

     

    ニッポンの焼肉(YouTube)

    https://www.youtube.com/watch?v=bDyskO015MY

     

    また2ちゃんねるで、肉やホルモンの部位はほとんど日本語由来で韓国語はカルビくらいだと指摘されていたが、確かに80年代の本では骨つきカルビが韓国名物という感じで語られているし、どうも骨つきカルビはあまり日本でなじみがなかったように読める。以下、「ソウルAtoZ」(本は1988年だが文章自体は1986年)より抜粋。

     

    △蓮屮ルビタン」。「タン」は「湯」のことで汁もの料理。カルビはあばら骨のことだから、焼くのも煮るのも汁ものも、骨がついていて本物。カルビを煮込んだあぶらの浮いたような汁で、カネの大ドンブリに入っている。塩・胡椒で自分で味つけする。とにかくカルビは骨つきでなければ面白くない。その意味では、新村の延世大前通り「ヒョンジェ(兄弟)・カルビ」はこぶし大のカルビのぶつ切りがごろごろ入っていて頼もしい。

    (162ページ 黒田勝弘「ソウルうまいものベストスリー」より)

    歩き廻ってお腹が空いたら食事となる。水原といえば何といってもカルビである。水原には昔から牛市場が立ったため、上質の牛肉があり水原カルビとして名が通っている。昔は八達門のすぐ近くにあるカルビ横丁が有名だったが、最近は水原インターチェンジの方向に市内を抜け出たあたりの林の中にあるバンガロー式のカルビ店が人気を集めているようである。

    テーブルに丸い穴が空いていて、そこに炭火を持ってきてくれる。カルビとは肋骨のあたりの肉のことで韓国では骨についたまま出てくるのが普通である。特に水原カルビは肉が柔らかく、一つ一つがとても大きい(タバコの箱ぐらい)ので有名である。骨についたままの肉を炭火で焼き、焼きあがったところでお店のアガシ(女従業員)が大きなはさみで食べやすい大きさに肉を切り分けてくれる。それをやはりその場で焼いたニンニクなどといっしょにサンチュ(サニーレタス)でくるんで口を思い切りあけてかぶりつく。この豪快なうまさは一度経験したら忘れられないだろう。

    (98ページ 西岡力「ソウル近郊の旅」より))

     

    ホルモン、つけだれ、七輪などは日本起源だと主張されているようだが、骨つきカルビと肉や冷麺をハサミで切るのは韓国起源のような気がする。そもそも日本で生まれたといっても現在の焼肉は完全に在日一世が確立したジャンルであろうから、ロッテみたいに本場が韓国ってことになってても別によくねぇか。


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      • 2017.11.15 Wednesday
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