吸引用大麻

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    「大麻を使用していました」 高樹沙耶容疑者が供述(11月14日 朝日新聞)

    http://www.asahi.com/articles/ASJCG3W45JCGUTIL01D.html

     

    先月25日、高樹沙耶がとうとう大麻で仲間たちと逮捕され、最初は使用を否認してたけど昨日あたりから認め出した。この人が大麻で逮捕される直前に話題になっていた町おこし大麻野郎もそうだけど、医療用とかなんとか格好良い理屈こねたところでけっきょくハピふる!が目的にきまっとる。

    逮捕されたときの報道では男たちとの不気味な共同生活がとりざたされ、あたかも大麻で脳がハピふる!になり、皆で「キメセク」してるんじゃないかくらいの印象を与えていたが、まづヒッピーで大麻吸うくらいの奴はその行為にいたるまでの思想がぶっとんでいることがほとんどと思われ、純粋に大麻による作用だけでハピふる!化したのかは疑問だ。だから大麻に覚せい剤のイメージを重ねていたづらに危険をあおるより、親和性の高いふんどしとか南の島とか先住民とか縄文というところも含めて「あのハピふる!なノリは何なのか」を考えねば、ふたたびマスゴミや環境省によって「スローライフ」「懐かしい未来」などと耳障りの良いゴリ押しを許してしまうだろう。

    じっさい元環境大臣でもある小池百合子が都知事になって最近また「もったいない」「持続可能」とかいうロハスワードねじ込んできているのが嫌すぎる。しかし同時期にエコをゴリ押しハピふる!でも共演していた小池氏と高樹氏、かたや消えかかっていたのに都知事で返り咲き、かたや大麻でしょっぴかれるとは何とも対照的な熟女2人だ。

     

    無我利道場(Wikipedia)

    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E6%88%91%E5%88%A9%E9%81%93%E5%A0%B4

    無我利道場(むがりどうじょう)とは、鹿児島県大島郡宇検村にかつて存在していたヒッピー系コミューン。

    1973年、東亜燃料工業(現在の東燃ゼネラル石油)による石油備蓄基地を宇検村の技手久島に建設する計画が持ち上がり、村を二分する対立が勃発した。1975年、ヒッピーYがこの問題に関心を持ち、基地反対派のリーダーであったNとHの勧めで村内の集落に入植することになった。そこへ仲間のヒッピー達も入植し共同生活を始め、この共同体(コミューン)を「無我利道場」と命名した。「無我利」という漢字は当て字で、「憤る(むづかる)」を意味する奄美方言の「ムガル・ムガリ」が由来であるが、転用されて「偏屈者」も指す。

    当初、過疎に悩む同村において数少ない青年グループであり、基地反対の同志であったことから共存していた。1984年に東亜燃料工業が建設計画を断念した後も、無我利道場のメンバーはそのまま住み続けた。

    1986年になって、無我利道場メンバーの子供が地元学校の制服着用を拒否、また義務教育を拒絶した不登校を始めとして、地域活動への不参加をも宣言したことから、地元住民との関係が徐々に悪化し始めた。1988年には右翼団体松魂塾メンバーが来村し常駐を開始、地元住民も「無我利道場解体村民会」を結成し、「無我利(偏屈者)追い出し」を図った。同年10月30日に松魂塾が無我利道場を襲撃、無我利道場メンバー1人に重傷を負わせた。その頃になると無我利道場問題が全国的に知られるようになった。

    1989年9月、無我利道場側は胡散臭い団体のイメージを与えているとして「無我利道場」の名称をやめ、実生活も家族ごとの生活に改めるなど地元住民に譲歩し、地域活動へも参加するようにした。しかし不信感は拭えず、反対運動はその後も継続され、デモ活動や民事訴訟が相次いで起こされた。最終的な和解が成立したのは1993年になってからであった。 なお、入植を斡旋したNは現在「琉球民族独立総合研究学会」のメンバーで発起人の一人でもあり、沖縄県と奄美群島を日本から独立させるための運動を行っている。

    反発の一因

    無我利道場はヒッピー仲間の他に、左翼活動家との交流があった。その中に神社本庁爆破事件などの爆弾テロ事件を起こした加藤三郎を匿っていた女性もいた。彼女は指名手配の身であり、無我利道場に来た時も身分を隠していたが、これが原因で1983年に無我利道場創設者のYが逮捕された。そして1988年にも日本赤軍絡みの旅券法違反容疑で捜索を受けたことから、無我利道場と極左団体の交友の事実が公にされ、右翼団体の介入も招くことになった。

     

     

    というわけで、南の島移住系ヒッピーの先駆者として無我利道場という固有名詞が出てきたんで検索したんだけども、ウィキペディアはイニシャルばっかりでよく分からなかった。ただこのヒッピーYというのは山田塊也って人かと思う。

     

    追 悼  山 田 塊 也(ポ ン)

    http://amanakuni.net/uchu/36.html

    著書『アイアム・ヒッピー』の表紙の見開き1ページ目。マントラの渦の中で踊るシヴァがいる。その周りで礼拝、瞑想し、あるいは蠢く善男善女、有象無象、死者の霊たち。  

    この幻惑的で強烈なサイケデリック・タッチ。ポンの描いた絵の中で、僕の最も好きな一枚だ。これを見ていると、ポンがそこにいることが分かる。ポンとは、その踊るシヴァでもあるのだと。  

    彼は神を讃えるように堂々と大麻の素晴らしさと経倫を語った。聖と俗、清濁併せ呑み、死と再生―破壊と創造を司る、宇宙の根源力を象徴したような色っぽい姿のシヴァ神は、僕の好みにぴったりだった。  

    僕がポンと初めて出会ったのは、1974年秋のことだったが、ミルキーウェイ・キャラバンの旅を経て、1976年の3月に、ひょんなことから、宮崎の街で落ち合って、共に奄美大島の宇検村にあるコミューン―無我利道場に向かうことになった。その勢いで僕は大学をドロップ・アウトし、僕の人生はこの時点で永久に変わってしまった。そして春から冬にかけて8ヵ月間、ポンや無我利の仲間と同じ屋根の下で暮らした。  

    ・・・ 

    初期の一時期、無我利道場の床の間の一角に、19世紀のインドの覚者、ラーマクリシュナの肖像が掲げられていた。それは一見、このあたり(久志部落)のジイさんとそっくりにも見えるイッた目をした髭面のオッさんだった。当初、何も知らない僕は、なんじゃ、このむさいジイさんはと思ったものだ。その後、そこにあった『不滅の言葉』の冊子を読んで、その存在を知り、僕自身、瞑想の真似事を始めるきっかけとなった。さらにそこからヴィヴェカーナンダ、ラーマナ・マハリシ…といった覚者たちを知るようになる。  

    ・・・

    昨年、12月20日付の『麻声民語』で、ポンはこう言っていた。 「…大麻が解放されるまでは死ねないし、死なない。我が国で最初に大麻のことで検察庁に出頭したヒッピーの、これがカルマなのだから、今後ともよろしく―」  

    それなのに彼は、自分で言う寿命の75歳より2年も早くここから旅立ってしまった。  

    アセンションの波は、見えない世界でも早まっているのだろうか。  

    ・・・

    ポンとはいったい何者であったのか―若い女好きのスケベジジイ、人騒がせなオッチョコチョイ、画家、物書き、過激な運動家、大麻とLSDのマスターであり、伝導者、一介のフリーク(旅人)、瞑想家…と、誰でもが知るように聖から俗まで様々な顔を多面体のように併せ持っていたポンという人は、ある意味尋常とは思えない道を突き進んだ。そしてある光を見い出し、僕たちにそれを示した。 「見つけ出した人間」の強さは、絶対にその真似は他の人間では出来えないということだ。それっぽい者もいないし、引き継げるものでもない。そして独特過ぎてバトンタッチすることもできない。ナナオがそうであったように、その存在とメッセージは、代わりに誰かがバトンタッチできる性質のものではないのだ。

    ・・・

     

    ヒッピーの前にビートニクというムーブメントが出てきたころから幻覚が最先端ということになり、LSDとか薬物を使ってサイケデリック体験していたのだが、ヒッピーの自然・健康志向にともない、これからは天然のハーブ使おうよ。ってなノリになってきたのではなかろうか。そうした「変性意識状態」はいわゆる薬物に限らず、瞑想やヨーガやジョギング(ランナーズハイ)がロハスのように意識高い系としてもてはやされてきたこととも関係ありそうだ。

     

    https://www.amazon.co.jp/dp/B00005HC5W

    内容紹介

    無意識下の世界へ、ようこそ。

    ウィリアム・ハート衝撃のデビュー作。鬼才ケン・ラッセルが描く、禁断のドラッグ・トリップ・ムービー。

    生理学者エディは、記憶から意識の頂点へ遡れる、という自説を証明するため、自らの肉体と精神を実験に捧げた。"先祖の花"と呼ばれるメキシコ・インディアンから手に入れた秘薬は強力な幻覚症状を引き起こす。しかし実験は続く…。彼の探究心はとどまることを知らず、幻覚は、やがて現実の肉体の逆進化を促進し始める。SFXを駆使した幻覚映像が、多くの話題を呼んだ異色作。

     

    この「アルタード・ステイツ」(変性意識状態)って36年前の映画見たことないけど、Wikipediaによればジョン・C・リリー博士による感覚遮断実験での変性意識状態をモデルとしたとあり、このジョン・C・リリーはイルカたん素晴らしい説を提唱した脳科学者である。そしてメキシコインディアンの秘薬〜ってのはたぶん、カルロス・カスタネダ「ドン・ファンの教え」でも紹介されたペヨーテ(メスカリン)のことではなかろうか。

    高樹氏もテレビの仕事でイルカたんや先住民に接したのがきっかけでハピふる!になったはずだ。その証拠にハピふる!のロゴにもイルカたんの絵がえがかれている。↓参照画像


     

    高樹沙耶さんインタビュー

    http://amanakuni.net/Namaenonai-shinbun/Namae131-saya.html

    ● どうやって海の世界と出会ったんですか?

    沙 耶:最初の入り口は、仕事で野生のイルカに出会う機会があって、イルカと泳ぎたい、イルカのように泳ぎたいって強く思ったこと。でもすぐに、自分が水中の生きものであるイルカのように泳げるなんておこがましいということに気づいてうちのめされました。やっぱり自分は陸で酸素を吸って生きている人間で、水の中ではダメな生きものなんだ〜って。それでも、こんなに幸せな気持ちを味あわせてくれる彼らに、少しでも近づきたい。どうやったらより深く長く海の中にいられるかなと思っていた頃、ハワイ島でアメリカのフリーダイビングの選手と出会えたんです。その人たちの姿をみて、人間の、生きものとしての可能性に感動した。「こうしたい」と思ったことって、必ず実現出来るんだって。「深く潜りたい」と思ったら、生理学的には無理といわれていた深さを超えて潜ってゆくことが出来る。息も4分半もとめることが出来るようになったし。フリーダイビングは、私自身にそういう生きものとしての可能性を確認させてくれました。  

    宇宙飛行士が宇宙から地球を見たときに、強烈な一体感を感じるっていうでしょ。 それに近い感覚で、海の深さ30メートル以上にもなると、神の領域になってくる。 そういう領域に自分が行かせてもらって、「みんなつながっている」っていうことが はっきりわかった。理屈じゃなくて、体中の細胞がわ〜っとそれに気づいちゃう感じ。生きてるってなんて素晴らしいんだろう!って。地球という生命体において、自分だけが孤立してるのではない。みんなつながっている。死が近い究極の場所にいると、無意識にそういうことを感じとるんだと思う。  

    ・・・

    沙 耶:本当に海に慣れて、息をとめていることが気持ちいいと感じられるようになれば、深さはそれほど関係ない。5メートルの深さでもそれを味わえると思うの。自分の準備次第で。最終的には、例えばヨガの瞑想のように、水の中でなくてもそれを味わえるようになる。でも海の中はやっぱり特別気づきやすい状態でいさせてもらえる。水の中だと、自分の力ではどうにもならないって最初からあきらめてるでしょう。だから謙虚な形で入っていけるんだね。  

    水の中という、自分が普通に生きているのと全くちがう環境に身をおくことによって、色んなことに気づかされる。例えば呼吸もそう。人間って、ふだん当たり前にあるものって意識できないでしょう。でも水の中に入っていくことによって、自分が空気を吸って生きてる生きものなんだ、呼吸ってすごい!ってあらためて気づいたり。 フリーダイビングの面白さは、そういうたくさんの気づきをくれること。私にとってそれは水中瞑想であり、究極のミソギでもあった。行者さん達が本格的にミソギをする時のように、食事も徹底的に調整して初めて深く潜ってゆけるのね。やっている最中はそこまで考えてなかったけど、フリーダイビングに集中したあの1年で究極のミソギをさせてもらったんだなって。後になってから色んなことが分かってきました。

    ・・・  

    30代前半でアボリジニと出会ったときに教わった、先住民の昔ながらの地球における生き方のエッセンスが今の私の核になっています。それと同時に、人類が築いてきた現代のテクノロジーも学んで取り入れいきたい。それらは両方とも、究極の所でつながることができると思うの。地球が崩壊しない限り、私たちは毎日食べものを食べて生き続けてゆくわけだし、その持続ということを考えながら、色んなことをシェアできる場をつくってゆきたい。千葉の白浜に、建設予定の家の設計図がちょうどできたところです。地球に生きる人たちの古くからの知恵と、持続可能なテクノロジーの両方が融合したモデルハウスになったらいいなと。「地球に負担をかけないど、自分たちも楽園」みたいなお家を作って、みんなが集まって歌ったり踊ったり、楽しくシェアしていけたらいいな。

    ・・・

     

    このインタビューも上の山田塊也という無我利道場の「ヒッピーY」を追悼するサイトと同じ引用元だったりするのだが、これを読むとどうもイルカたんとの交流をきっかけとして素潜りを体験し、その素潜りがもたらした強烈なハピふる!=変性意識状態に魅了されたであろうことがうかがえる。また高樹氏と連動していたナマケモノ倶楽部も文化人類学系で、ネイティブインディアンの知恵とかいって「ハチドリのひとしずく」という真意のよくわからない寓話を一時さかんに紹介しており、今では何かの教科書(道徳か?)に載っているらしい。

    まぁ先進的なヒッピーはそんな感じだが、サイケデリックブームの頃日本ではLSDの代替手段としてか?アンパン(シンナー吸引)が新宿駅前で流行し、しかもそれら若者はヒッピーではなく「フーテン族」と呼ばれていたようである。しかしなんでそんな人出の多いとこでこれ見よがしにシンナーやってたんだろうか。

     

    15 - フーテン族 - 1967&1968(YouTube)

    https://www.youtube.com/watch?v=IEdQgfkqaRU

    幻想的な絵。

    どぎつい色彩。

    今年は、サイケと呼ばれる奇妙な流行が、都会の街をいろどりました。

    アメリカのヒッピーのあいだで生まれたサイケ調は、海を越えて若者の街・新宿にあらわれ、たちまち氾濫。

    赤坂にあるクラブでは、幻想的な照明で壁や天井一面に怪しい雰囲気を映し出し、ゴーゴーダンスに熱中する若者で満員です。

    昭和元禄とも言われた今年の世相の中に浮き沈みしたフーテン。

    シンナー遊びはこうした無気力な若者だけでなく、全国の青少年のあいだに爆発的に流行しました。

    シンナー遊びでは呼吸困難になって100人以上が死に、第三の麻薬とか、死の遊びとも言われて、青少年をむしばむ大きな問題になりました。


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