80年代

0
    評価:
    村上 春樹
    新潮社
    ¥ 1,000
    (2009-05-29)

    90年代末からプリウス、ソトコト、エンデの遺言とロハスブームの伏線は存在していたものの、オウム事件の影響で下火になっていたであろうニューエイジがエコや健康の名目でよみがえり急速に形になったのは2003年と思われる。2年後の2005年に愛・地球博をひかえていたし、打ち水やキャンドルナイトが始まったのも小池百合子が環境大臣になったのもほっこり雑誌の先駆けであるクウネルが創刊したのもピラティスとかいうヨガぽい体操が紹介され出したのもこの年で、2000年代をとうしてキャンドルナイト、スローライフ、ハチドリのひとしずく、ブータン幸せ説などあらゆるキーワードを提供し続けた辻信一の著書がハイペースで出版されるようになったりロハスという言葉が出てきたのもやはり同じ頃だ。

     

    打ち水やキャンドルナイトがはじまった”2003年”に何があったの?真田武幸さん×鈴木菜央のムーブメント談義 [ソーシャルアクション元年への旅](2013年7月23日 greenz)

    https://greenz.jp/2013/07/23/social_action/

     

    私はたぶんその頃あんまりテレビとかニュース見てなく、国やマスゴミの環境政策に左翼臭を感じたのは愛・地球博の後ぐらいなので最初期のゴリ押しがどんなだったのかリアルアイムでは知らない。そのため愛・地球博にも逝ってないのだが、同イベントは時代的にニューエイジ要素は相当入っていただろうと推察される。

    この時点で温暖化だのNPOのていねいな暮らしだのと社会的に素晴らしいかのようにもてはやされていたロハス(ニューエイジっぽいライフスタイル)が浸透した結果、気がつくと予防接種や砂糖や牛乳を否定したり夏でも靴下を何枚も重ねばきしてる危ない奴ってイメージのほうが定着していた。10年ほど前にエコを売りにテレビなどの露出も多かった高樹沙耶がヒッピーになっててしかも大麻で逮捕されたのはその象徴的なできごとであっただろう。

    そのかんにマスゴミのゴリ押しが環境問題を急にやめ自然な(幸せな)お産や胎内記憶、冷えとり、布ナプキンといった女性の体にシフトしていったし、またロハスは反原発運動とほぼ重複しているので2011年の原発事故の影響もあった。そのためロハスすぎて危ないとこまで逝った奴っていうのは、特に子を持つ母親がその非難の対象になることが多い。

    しかし2000年代半ばのニューエイジはまだ女性および母子の健康問題ってよりちょっと温暖化についての意識を高めようよってくらいのイメージだったため今ほどは叩かれてなかったというか、原発事故におびえるロハスをゼロリスク神話とか言ってバカにしていたような人々でさえ温暖化の恐ろしさを説くことが原発推進に有効だからとエコブームを許容していたくらいなので、今でも打ち水とかキャンドルナイトが左翼・反原発・ヒッピー・ニューエイジといった魑魅魍魎とは無関係のちゃんとしたイベントと考えている人もいるのだろう。私からすると連動しているのだが。

    なんでそんな歴史をふりかえったかというと、何かのきっかけで三一新書や日本消費者連盟などを思い出していくうち、昔はこうじゃなかったはずだけどいつからこうなったんだろう。と、石けんとか原価とか資生堂とか合成洗剤とか低温殺菌牛乳とか言ってたはずの消費者運動もしくは薬害の運動(ロハス前の90年代においては週刊金曜日「買ってはいけない」や薬害エイズ)が、いかにして予防接種や病院出産や砂糖や牛乳を否定し夏でも靴下をめっちゃはいてるスピリチュアルな母親たちってなイメージとなっていったか、その過程を整理してみようとさっき心に誓ったのだ。とりあえず現在私の歴史観においてこういう自然派ぽいライフスタイルの源流が出てきたのは昭和50年代であると考えている。

    考えるにあたってとくに本とかで調べたわけではないのが、ネットで検索したりウィキペディアとか読んでるかぎり、低温殺菌牛乳の運動とか気功とかが出てきたのがそのくらいだし、例えば大地を守る会にしても気功の紹介者である津村喬にしてももともと左翼の運動家である。またすでにヒッピーのような人はいて、メディアとしては野草社「80年代」や「自然食通信」って雑誌があったのは確認している。

     

    http://order.mandarake.co.jp/order/detailPage/item?itemCode=1042572933

     

    特別付録ソノシート「80年代」喜納昌吉とチャンプルーズが気になってYouTubeで検索したけど特に何も出てこなかった。創刊号の巻頭で喜納昌吉と対談しているのは元社民党で現世田谷区長の保坂展人である。

    そのほか執筆者として予防接種危ない界で有名な毛利子来、オウム問題で失脚していたらしいけどよみがえって先日も富岡八幡宮を解説していた宗教学者の島田裕巳、喫茶「ほんやら洞」の片桐ユズル・中尾ハジメ兄弟、あと新島淳良って人が毛沢東思想で有名な人らしいのだが、同じく執筆陣の津村喬も毛沢東だし、この雑誌には載ってないけどのちに反原発運動に傾倒しロハスとも関連の深い坂本龍一も曲の中で毛沢東の詩を引用していたりする。なので80年代の中国ブームは日中平和友好だけでなく毛沢東思想の影響もある気がした。

     

    千のナイフ(Wikipedia)

    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E3%81%AE%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%95

    千のナイフ Thousand Knives 9分34秒 坂本のヴォコーダー(KORG VC-10)による毛沢東の詩(1965年に毛沢東が井岡山を訪問したときに作成)の朗読で幕を開け、印象的な響きの和音が平行移動するイントロへとつながる。イントロ後の速いパッセージ部分のメロディーの音色は大正琴のシミュレート。坂本自身はレゲエや賛美歌、ハービー・ハンコックの「Speak Like A Child」にもインスパイアされたと発言している。ギターソロは渡辺香津美。後にYMOもライブで演奏しており、1981年発表のYMOのアルバム『BGM』にてセルフカバーしている。また、“トリオ・ワールド・ツアー・1996”ではピアノ三重奏のアレンジで演奏。2002年にリリースされた『US』では冒頭の詩の朗読とフェードアウト部分がカットされている。2005年9月28日に発売された坂本のアルバム『/05』ではピアノ連弾にアレンジされたヴァージョンが収録されている。2011年5月28日にリリースされた花井悠希のアルバム『譚詩曲〜11stories on Violin』には鈴木豊乃編曲による楽曲が収録されている。

     

    東風 (曲)

    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E9%A2%A8_(%E6%9B%B2)

    坂本龍一の代表作の一つ。初収録は1978年にリリースされたイエロー・マジック・オーケストラ(以下、YMO)のアルバム『イエロー・マジック・オーケストラ』。 坂本が北京交響楽団をイメージして書いた曲である。当時文化大革命後に毛沢東の詩に曲をのせたレコードを購入し、その中に気に入った曲があり、参考にしている[1]。

     

    中国女 (曲)

    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%A5%B3_(%E6%9B%B2)

    初収録は1978年にリリースされたイエロー・マジック・オーケストラ(以下、YMO)のアルバム『イエロー・マジック・オーケストラ』。
    高橋幸宏が断片的に作曲してきたメロディーに細野晴臣と坂本龍一がアレンジを施した。
    ・・・
    曲のタイトルはジャン=リュック・ゴダール監督の映画『中国女(La Chinoise)』から取られている。詳細は「ゴダール3部作」を参照。

     

    6月13日(土)新島淳良氏と緑のふるさと運動そして私の関係(2009年6月13日 島田裕巳の「経堂日記」)

    http://hitorigurashi.cocolog-nifty.com/kyodo/2009/06/613-1bcd.html

    村上春樹氏の『1Q84』の発売を通して、新島淳良氏のことがふたたび取り上げられるようになるとは思わなかった。中国で文化大革命が起こったときには、それを熱烈に支持し、その後、幸福学園運動を提唱してヤマギシ会に入り、ふたたびそこを抜けたことは、あの時代を知る人なら、承知しているかもしれない。ニュースにもなったし、本人がいろいろ書いていたので、それを読んだ人もいただろう。村上氏がちょうど早稲田大学に在籍していた時代、新島氏のヤマギシ会入りが報道されたはずだ。村上氏がそれをどのように受け取ったのか、そして今受け取っているのかはわからないが、明らかに新島氏をモデルにした人物を小説に登場させたのだから、それなりに関心があったのだろう。中国ということも、両者の共通する関心かもしれない。

    新島氏は、ヤマギシ会を出る前に、「緑のふるさと運動」を提唱した。これは、ヤマギシ会を含め、日本の共同体運動全般に呼びかけてはじまった運動で、より開かれたコミューンを作るということが目的になっていた。資金や人材を提供したのはヤマギシ会だった。

    ・・・

     

    6月14日(日)昨日の続きで新島淳良氏のその後を書いてみる(2009年6月14日 島田裕巳の「経堂日記」)

    http://hitorigurashi.cocolog-nifty.com/kyodo/2009/06/614-2002.html

    昨日の続きだ。緑のふるさと運動は、私を含め、元ヤマギシ会のメンバーのリハビリが終わると、しだいに衰退し、ついには自然消滅のような形になっていった。元メンバーは、それぞれが、実社会のなかに仕事場所、居場所を見いだすようになり、仲間との頻繁な集まりを必要としなくなっていった。たとえば、私の場合には、大学院生としての生活があり、またこれはヤマギシ会とも関連するが雑誌『80年代』にかかわったりして、出版の世界との関係もできていった。

    ・・・

     

    https://www.amazon.co.jp/dp/4880638501/

     

    引用が長すぎて読みにくくなったので続きはまた気が向いたときに書く。


    スポンサーサイト

    0
      • 2019.07.16 Tuesday
      • -
      • 23:53
      • -
      • -
      • -
      • -
      • by スポンサードリンク

      コメント
      コメントする








         
      この記事のトラックバックURL
      トラックバック

      profile

      calendar

      S M T W T F S
       123456
      78910111213
      14151617181920
      21222324252627
      28293031   
      << July 2019 >>

      selected entries

      categories

      archives

      recent comment

      recent trackback

      search this site.

      links

      others

      mobile

      qrcode

      PR

       

       

      powered

      無料ブログ作成サービス JUGEM