原発、子ども、予防接種

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    科学派vs自然派の枠組みにおいては原発と自然エネルギー、慣行農法とオーガニックなど、発電方法や農法の対立軸をよく見かけたけど、2010年ごろにエコブームが終わって以降は地震で原発爆発やホメオパシーの死亡事故、マスゴミによる自然なお産や胎内記憶のゴリ押しをへて、今では地球への優しさがどうこうってよりオカルト子育て、具体的には放射能、病院出産、粉ミルク、予防接種お断りってなママさんいったい何やねんみたいな話になってきている。というのは以前にもこのブログで書いた。そんな経緯のためか予防接種お断りはスピリチュアルなイメージと同一視されている気がするのだが、これはわりと最近の傾向で、もとは高橋晄正あたりに告発された薬害問題の1つであったと思われる。

     

    https://www.amazon.co.jp/dp/4540870882/

     

    ロハス史調べていると、農山漁村文化協会って出版社もよく見かける。それにしても高橋晄正の著書↑も1987年とそこまで古くないし、よく考えたら昭和50年代以前に書かれた予防接種危ないって本見たことない気がして、もしかして予防接種が薬害の1つに数えられるようになってから30年程度の歴史しかないんじゃないか疑惑が私の中で生じた。

    これより前に出たのだと谷合規子著「危ないインフルエンザ予防接種: 薬害列島ニッポン」ってのがある(私のインターネット調べ)けど、1986年なのでほとんど同時期だ。そして題名からいづれもインフルエンザワクチンを取り上げていることが分かる。

     

    インフルエンザ大流行。日本から失われた「集団免疫」とは?(1月27日 HUFFPOST)

    http://www.huffingtonpost.jp/2018/01/26/infuruenzacommunity_a_23344626/

    今から31年前に当たる1987年までの11年間だけだったが、小中学校でインフルエンザワクチンの集団接種が義務づけられていて、大半の子どもが学校で接種を受けていた時代があった。

    学校に校医が来て、クラスごとに並び、順番で注射を打たれるのだ。筆者もこの時期に小、中学生だったので毎年受けていた。注射は大嫌いだったが、友達の手前、我慢して受けたものだ。

    この集団接種が始まるきっかけは、1957年の新型インフルエンザ(アジアかぜ)の大流行にさかのぼる。約300万人が感染し、約8000人(推計)が亡くなった。このときの教訓から、1962年から子どもへの接種が推奨されるようになり、1977年には予防接種法で小中学生の接種が義務化された。

    だが、ワクチンを接種した後に高熱を出して後遺症が残ったと、国に損害賠償を求める訴訟が相次ぎ、国が敗訴するケースも少なくなかった。こうした社会情勢を背景に政府は法律を改正し、1987年に保護者の同意を得た希望者に接種する方式に変更、 1994年には、打っても打たなくてもいい任意接種に変わった。

    同時にワクチンそのものの効果を疑問視する声も広がり、かつて100%近かった小中学生の接種率は、90年代、数%にまで落ちた。

    ・・・

     

    「危険なインフルエンザ予防接種」はたぶん昔読んだことあるけど何ひとつ覚えてないので、告発本が出始めた80年代半ばにインフルエンザワクチンに何が起こったかを検索してみたところ、上の記事がヒットした。1977年から10年ほど小中学生は強制的に打たれていたのが、副反応が多いということで保護者の同意を得る方式に変わった頃のようだ。

    任意接種に変わった1994年は、はしか、おたふく、風しんの新三種混合ワクチン(MMR、1988〜1993年)の副反応が問題になったのも関係ある気がしたけど、カンガエルーネットによればインフルエンザワクチンの集団接種廃止は「前橋レポート」という報告書がきっかけだったと書かれてある。いづれにせよ80年代後半から90年代前半にかけワクチン打ちたい人だけ打つってな機運が高まっていたのは間違いないだろうし、今でもそういう機運を高めている子育て雑誌「ちいさいおおきいよわいつよい」が創刊されたのもまた1993年なのだった。

     

    前橋レポート(カンガエルーネット)

    http://www.kangaeroo.net/D-maebashi-F-view-r-R-no-200408_admin_message.html

    ここでは『前橋レポート』と呼ばれている資料の全文をご覧いただけます。

    ■ 前橋レポートとは?

    1990年前半にインフルエンザの集団予防接種が廃止されるきっかけとなった報告書です。

    かつて日本では、小学生などを対象に、世界でも珍しいインフルエンザの集団予防接種が強制的に行われていました。感染拡大の源である学校さえ押さえれば、流行拡大は阻止できるのではないかという「学童防波堤論」を根拠としたものです。しかし、どんなに予防接種を打っても、インフルエンザは毎年決まって大流行しました。

    こうしたなか、1979年の初冬、群馬県の前橋市医師会が集団予防接種の中止に踏み切りました。直接の引き金は予防接種後に起きた痙攣発作の副作用でしたが、この伏線には、以前から予防接種の効果に強い不信感を抱いていたことがあったのです。そして、ただ中止しただけではありませんでした。予防接種の中止によって、インフルエンザ流行に一体どのような変化が現れるのか、開業医が中心になって詳細な調査を始めました。予防接種中止の決断は正しかったのか、あるいは間違っていたのかを検証するためです。

    そして、5年に及んだ調査は、前橋市医師会の判断が正しかったことを裏付ける結果となりました。つまり、ワクチンを接種してもしなくても、インフルエンザの流行状況には何の変化も見られなかったのです。この調査をきっかけに、集団予防接種を中止する動きが全国に広がり、最終的に、インフルエンザ予防接種は1994年に任意接種に切え替わりました。

    ・・・

     

    「ちいさいおおきいよわいつよい」(ちお)が出ているジャパンマシニストって会社はその名前が示すように、昔は油圧とかプレス金型とか機械の専門書ばっかり出してるし、今も出してるようだけど、チェルノブイリがトレンドだった1989年に伊藤書佳著「超ウルトラ原発子ども ゲンパツは止められるよ」以降、子供、教育に関係する左翼の本ばかり出ており、今ではワクチン本が中心となっている。先日も全然ロハスと関係ない本を本屋で探してたら、ちおの中心的メンバーである山田真の新刊「予防接種は迷って、悩んでもいいんだよ」を発見しちょっと立ち読みした。

     

    https://www.amazon.co.jp/dp/4880491012

     

    https://www.amazon.co.jp/dp/488049917X/

     

    こうしたちおの運動を反ワクチンと呼ぶ人もいるが、厳密にいえば「ちいさいおおきいよわいつよい」「迷って悩んでもいい」という言い回しが示すように、ワクチンを打つか打たないかは子どもによって違うのだという主張なのであり、山田真、またちおの中心的メンバーであった故・毛利子来も私は何とかのワクチンを孫に打った〜みたいなことを話しているので、反ワクチンってわけではないだろう。ただブースター効果や生態系の見地からウイルスや菌を撲滅するのに反対しており、確かはしかレベルでさえ打ちたくなかったら打たなくていいみたいなことを言っていたので、普通の医者からすると何やねんこいつって存在なのには変わりない。

    それにしても「ちいさいおおきいよわいつよい」的価値観っていかにもオバタリアン世代ぽい。毛利子来のサスペンダーしてる画像見てのっぽさんに似た雰囲気と感じたのだが、のっぽさんも子供に敬意を払って「小さい人」と呼んでたりするし、子供の「供」が差別的とか言い出したのもこの手のサスペンダー爺なのではないかと、そんなことをふと考えた。

     

    『80年代』に山田真さんの名前が

    http://lumokurago.exblog.jp/17015361/

    スリーマイル島の原発事故が1979年ですから『80年代』ははじめから反原発、「くらしをかえよう」というテーマではじまっています。私が参加した福島原発見学会も野草社の関係で行われたものでした。1980年、私は26歳でしたが、野草図鑑という読者からの投稿欄は10代、20代の若者からの投稿で埋め尽くされていました。野草社は私より7、8歳年上の全共闘世代の2人(IさんとOさん)が中心になってつくった出版社で、いま読むと『80年代』は学生運動が挫折したあと、「からだ」「くらし」「はたけ」などのやわらかい方向に目が向けられていった様子がよくわかります。政治的なテーマはほとんどありません。(チェルノブイリの後は懐かしい高木仁三郎さんの文章がでてきます)。

    それでも「くらし」派のIさんと政治的要素も持ち合わせていたOさんのバランスでつくっていたのですが、何年後かにIさんが共同体に入る決心をして、Oさんと決別し、「田舎暮らし」のテーマが多くなっていきました。これも偶然なのですが、山田さんのお話にお名前がでてきた高橋晄正さんがDr.Kとの対談で、学生運動が田舎暮らし(この言葉ではなかったが)の方向に流れて行ったことを批判しています。

     

    「ちお」はどっちかというと高橋晄正の流れをくんでいる気がするので、ロハスかどうかというと微妙なところだが、毛利子来や山田真はニューエイジ色の強い雑誌クレヨンハウス「クーヨン」、古くは「80年代」にも登場している。「80年代」はチェルノブイリ前から反原発を記事にしていたし、ジャパンマシニストが機械の専門書から教育関係の本を出すようになった最初期の出版物が「超ウルトラ原発子ども ゲンパツは止められるよ」、また山田真はクレヨンハウスから「小児科医が診た放射能と子どもたち」という本も出しており、やはり予防接種と原発が連動しているのだった。

     

    山田真さん講演会「小児科医からみた放射能と子どもたち」2013年3月24日(YouTube)

    https://www.youtube.com/watch?v=I_ctisFEAm0


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      • 2018.05.28 Monday
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