ヒッピーと産婆

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    かって自宅出産は普通だったけど、オバタリアンが子供産んでた高度経済成長くらいになるとだんだん病院にとって変わられ、母乳出るのにわざわざ粉ミルクをあげる人も少なくなかったという。戦争に負けた日本人にとっては欧米化が民主的で科学的で格好よく、食や衣服や住居はもちろんのこと出産育児にかんしても赤ちゃんがベビーベッドで泣いてても甘えん坊になっちまうからと放置するようなアメリカ式であり、自宅に産婆呼ぶとか畳の部屋に布団しいてちちほり出して添い寝、抱っこやおんぶしてあやす、といった昔ながらの遅れた因習は貧乏臭っということになり、廃れていったと考えられる。

    しかし10年ぐらい前、吉村医院や助産院の「幸せなお産」とやらがチーズタッカルビばりにごり押されてた影響もあってか、分娩台よりも医療が介入しない畳の部屋でのお産や母乳の方がガチと考えるママさんも今じゃ珍しくなくなった。わが歴史観においてロハス的価値観が完成されていくのは1980年ごろってのが持論なのであるが、やはりお産も例外ではなく70年代後半から80年代にかけて三森孔子という助産婦が中心となって提唱したラマーズ法がさかんに紹介されている。

     

    「お産の学校」: 私たちが創った三森ラマーズ法<1>(地球人スピリットジャーナル2.0)

    http://terran108.cocolog-nifty.com/blog/2014/05/post-9a76.html

    まず、自己紹介しましよう。名前は三森孔子。孔子(こうし)と書いて、よしこと読みます。職業は産婆です。いまは産婆が好きで好きでたまらない、しあわせな人間です。どうして産が好きかって言いますと、人が人生でいちばん喜ぶ瞬間、いちばん感動する瞬間に立ち会えるからじゃないかと思います。p25「無理をしないで楽しく産もう」

    この三森さん(1928年福島県生まれ)を迎えて、西荻のほびっと村で「産婆の学校」が始まったのは、1977年のことだった。

     

    70年代カウンター・カルチャーの中では、自分たちで自宅出産しようという雰囲気があった。私たちも、他のコミューンでのレポートをもとに勉強会をひらいて準備をしたのだった。

    ・・・

    キク 私は仙台にいたころ、仲間と共同生活をしてたんだけど、そこに住んでいた女の子たちが、みんなで出産をやっちゃおうなんて・・・・・。あのころ、ああいうのはやっていたのよね、75年のころだったかな。それで、北海道に1人で産んじゃった人がいるって聞いて、みんなで「女のからだ」なんかを参考にして勉強したんだけど、みんな、わけがわからないわけよ。

    経験者は1人しかいなかったし、ラマーズ法も何もわからなくて、決死の覚悟のなかである人が産んだってわけ。

    ・・・

    そこで自然分娩とか、女のからだのこととか話に出て、私は男との関係や自然分娩にすごく興味があったのね。で、「やさしいかくめい」でも、それをとり上げようってことになったとき、たまたまお産婆さんで、すごくいい人がいるって話になって・・・・。友達どうしできこえてくるの。あの人も三森さんで産んだ、この人も産んだっていうふうに・・・・。

    ユキ ああ、そのころから三森さんとこで始まってたわけね。

    キク で、三森さんに、自然分娩の原稿を書いてほしいて頼んだわけ。まずはお話を聞きたいって。それでここに来て、私がいままでどれほど知らなかったか、よーくわかってサ。

    みえ 知らなかったって、お産に関して?

    キク いろいろ。まず分娩に関して言えば、それまでカッコよく言っていたわけね、自然分娩じゃきゃだめでだとか、医者なんか絶対悪いとか・・・・・。ところが、自然分娩のどこが、どうしてよいのか、全然知らなかった。

    ユキ そのへんはピッタシね、私たちが始めたころと。それが三森さんと結びついたことによってかなりの部分、ピシャっとはっきりしたわけね。

    キク 一回話を聞いて、自分のからだのことはともかく、お産の何がよくて何が悪いのかってことがわかったわけ。

    そのとき、たまたま私の友達がおなかが大きかったの。4か月くらいだったかな。で、三森さんとこで産んでみないか、と言ったら、彼女も、病院はいやだ、自然分娩にしたい、と思っていたから、さっそく一緒に行ったの。

    でも、私がお産に立ち会うなんていうのは、その子がすごくいやがると思ってたんだけど、そのうち、向こうのほうから「立ち会ってくれないか」って、コロッと言ったわけ。その立ち会いで、私、三森さんと親しくなったのね。それまでは、編集者と原稿書いてくれる人の関係だったんだけど・・・・。

    そのころ、いっしょに編集やってた男の子が、そんないいお産をやってる人が見つかったんなら、「産婆の学校」をやってみないかって言われてね、三森さんに「産婆の学校やってもらいたいんだけど」って話したら、三森さんもけっこう乗って、「あ、いいですね、いいですね」って言ってくれたわけ。p261「ひょんなことから『産婆の学校』を」

     

    記事中に自宅出産する絵が引用されているアリシア・ベイ=ローレル「地球の上に生きる」、近年では冷えとりの本で著者の写真を見たことがある。確か靴や家の作り方とか書いていたような気がするけど、程度の差こそあれヒッピーおよびロハスはこの現代社会で科学技術に頼らず、ときにGHQに葬られた昔の知恵を掘り起こしながら手づくりや自然の恵みだけでどれだけ暮らせるかに挑戦し続けている。

    「ほびっと村」は西荻窪にあるヒッピーの館で、ほんやら洞ていう有名な喫茶もあった。このへんは前ブログに書いた気功の津村喬や雑誌「80年代」とも重複してくるが、70年代半ばおそらくすでに病院出産が普通になって産婆文化が滅亡せんとする時期に、医療の介入しないお産がガチって情報を米西海岸から敏感にキャッチした日本の最古参ヒッピーがクチコミで評判だった三森助産院を発掘したとみられる。

    助産婦とか出産じゃなく「産婆」「お産」って言葉を使うのは暗黙の決まりみたいんもんなんだろうか。10年前の自然なお産&胎内記憶ゴリ押し時は助産師と呼んでいたが、やっぱり看護婦や保母さん同様に助産「婦」がダメになった時点で「婆」もポリティカル的によろしくないってことになったのだと思われる。

     

    https://www.amazon.co.jp/dp/4794200129

    商品の説明
    内容紹介

    工業製品に頼らず、自分の手でものを作り、大地のリズムに従った生活をするための手引き。農作業、料理、1人でするお産など、全頁イラスト入り、書き文字の本。

     

    https://www.amazon.co.jp/dp/4794215487/

    著者について

    アリシア・ベイ・ローレル
    1949年カリフォルニア生まれ。ハイスクール卒業後、全米をヒッチハイクして回り、西海岸に戻ってからウィーラーズ・ランチというコンミューンに落着いた。そこでの体験を描いたものが『地球の上に生きる』(草思社)である。

     

    またほびっと村「産婆の学校」の3年ほど後の1980年には、お産革命の記事をきっかけに三森氏に影響を受けた杉山次子による「お産の学校」というのもある。杉山氏は助産婦ではなかったが、ラマーズ法の普及活動をしていたそうだ。

     

    https://www.amazon.co.jp/dp/4575150509/

     

    杉山氏による「もういちどおんぶにだっこ」は1986年の本だそうで、鮮明な目次画像があったので読んでみると「伝統的子育てには赤ちゃんとのスキンシップがふんだんにある」「母乳で育つと舌やあごが発達し、言葉も早い」「添い寝が子供の自立を早くする」「母と子の会話はおんぶに抱っこから始まる」「母乳の成分バランスはそれ自体が健脳食」「おっぱい体操とマッサージ」など、戦後軽視された母乳や添い寝を再評価する内容のように思えた。しかし見たところ、ヒッピー的な自然育児ってよりも、胎教や伝統的子育てで賢い子供を育てようという英才教育みたいなノリで、表紙画像を見ても0歳教育だのカードだの、これ七田眞(胎内記憶、七田式)じゃないのか?と思ったら、やはり共著者である水野茂一って人が七田氏と関係あるようだ。

     

    「いのちのレポート1980」出産・子育て・そして性をひらく 「やさしいかくめいシリーズ2」(地球人スピリットジャーナル2.0)

    http://terran108.cocolog-nifty.com/blog/2014/06/1979---cc55.html

    この号はまず編集が「末永蒼生+浜田光+星川まり+細田喜久江」、となっている。あらためて当時のスタッフやその周辺のネットワークが思い出される。30人ほどいる執筆者の中には、今になって、ほう、と思うような人も含まれている。

     

    さて西荻窪のヒッピーの館ほびっと村で編集された雑誌「やさしいかくめい」の2号(1979年11月)は出産特集ということで、表紙の画像を見ると三森助産婦のほか雑誌「80年代」にも出てくる元ヤマギシ会の新島淳良やトランスパーソナル心理学の吉福伸逸などそうそうたる名前が並んでいる。編集の星川まりは俳優で有名ないしだ壱成の母親にあたる人物で、いしだ氏もまた屋久島かどっかのコミューンで生活していた時期があったはずである。

    また末永蒼生も1973年には三一書房から「生きのびるためのコミューン 幻覚宇宙そして生活革命」ていう何やらサイケなタイトルの本出してるけど、80年代から子供とか色彩とか言い出し、ルーズソックス時代には震災で傷ついた子供の心を絵で癒すみたいなことになってたので、やっぱり90年代トラウマ全盛期にはチャイルドとか内なる子供とかセラピーとか言ってたのだろう(下画像参照)。というわけで、この「やさしいかくめい」の出産特集号が「いのちのレポート1980」であるあたりからも、やはり1980年という時期がロハス的に重要なのだとあらためて思った次第である。

     

    https://www.amazon.co.jp/dp/430923044X/

    内容(「BOOK」データベースより)

    心を元気にする色彩の不思議!絵を描く愉しみ、色を使う愉しみは、心の痛みを喜びに変える魔法の力だ。色彩心理の第一人者が明かす、カラーセラピーのエッセンス。
    内容(「MARC」データベースより)

    「子どものアトリエ・色彩学校」を30年間主宰してきた著者が、その体験に基づいて築いた色彩セラピー法の集大成。子どもの絵、その色彩が現代の疲弊した大人の心を癒すとして、自らの内なる子どもに再会する法を紹介。


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      • 2018.11.13 Tuesday
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      • 00:56
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