自然育児

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    国分寺のロハスなカフェに事務局を置く「自然育児友の会」が山西みな子助産師の指導を受けた母親たちで組織され、またその山西氏は桶谷式マッサージの桶谷そとみに師事していた。ってな話が前回までのロハス史なのだが、自然育児という概念において山西氏と並び重要なのが食物アレルギーの権威だったと思われる松村龍雄である。松村氏は1981年に「自然育児法―丈夫な体質をつくる」って本を出しているので、その後1983年にできた自然育児友の会の「自然育児」って言い回しも松村氏からの流れだろう。

    美健ガイドでおなじみ真弓定夫は自然「流」育児という言葉を用いているが、自然育児友の会の顧問も務めていたし、また自身が監修したマンガに「牛乳はモー毒」「断乳できない哀しい日本人」があることから、その思想は松村氏の影響下にあるものと考えられる。「断乳できない哀しい日本人」の表紙には牛さんのオパーイに人間がぶら下がっている絵がえがかれており、松村氏が1972年に著した「母乳主義―あなたの子どもは「牛」ではない」の表紙に酷似していた。

     

    出会い 〜一期一会〜「山西みな子先生」 - 松原まなみ

    http://www.matsumana.net/deai/index4.html

    私の人生にとって最も影響のあった出会いといえば、やはり助産師として、看護職としての恩師、山西みな子先生との出会いである。

    山西みな子先生は、桶谷式マッサージの創始者である桶谷そとみ姉に師事したのち、桶谷式乳房管理法の理論化と普及に努め、自らも東京中野区で自然育児相談所を開設され、2万人以上の母子のケアにあたられた。
    おっぱいが出ない、痛い、吸えない、といった母乳育児相談のほか、食物アレルギーの父、松村達夫先生と共に、母乳育児、食養生を通してアトピー体質を克服し、丈夫な体質をつくる「自然育児法」を広められた。

     

    母乳育児、自然育児法の理念はやがて統合されてTotal Breastfeeding(総合母乳育児)として大成された。
    山西先生やその弟子のケアを受けた母親たちは、この理念を子育ての指針とし、母親たちによる自助グループ「自然育児友の会」を発足させた。
    「自然育児友の会」は、日本全国のみならず、世界中に会員を持つNPO組織に発展し、一昨年の愛知万博「地球市民村」では、海外のNPOと共同して、1ヶ月間のブースを運営するまでの組織に発展している。
    母親達が母乳育児をとおして母子の絆を深め、食育手当て法による自然治癒力、自らのからだ、子どもののびゆく力への目覚めを体験した母親達のパワーは、私達専門家の力、働きを超えた広がりをもつ。

     

    共同したアメリカのNPO: Attachment Parenting Internationalが提唱する「愛着に満ちた子育て」の源泉は、実は、戦争直後の沖縄で目にした日本の伝統的な子育ての中に見たおんぶ添い寝母乳育児といった子育ての基本を、アメリカ人小児科医が本国に持ち帰って広めた子育て指針であったという事実に驚かされた。
    どんなに文化が違っても、社会が変化しても変わらない、失ってはならない、「ヒトが人として育つ」ための道筋を私達に示して下さった山西みな子先生のコンセプトは、師の手当て受けた母親達の活動によって、海外へも広がっている。

    ・・・

     

    日本母子ケア研究会とは

    http://boshicare.com/aboutus/

    日本母子ケア研究会の母体となったのは1980年頃から約25年続いた自然育児法研究会というユニークな勉強会です。自然育児法は故山西みな子先生と故松村達雄群馬大学名誉教授が提唱された食物アレルギー学説に基づく育児法でした。

    私たちは当時から「人間の赤ちゃんは人間のおっぱいで育てられるべきである」という自然界においては当たり前のことを現在の母乳育児普及運動に先駆けて提唱し続けて来ました。そして、母乳育児確立のために、全身を診ること、整えることを学び、温灸療法イトオテルミー、遠赤外線治療、ポラリティー、快医学、食事療法、手当法、漢方、中医学、ホメオパシー、アロマテラピー、抱っこ法、インナーチャイルドワーク、ダウジング、ヒーリング、気功などを母乳育児支援に取り入れてきました。

    ・・・

     

    自然育児はもはや「昔(母乳、おんぶ、抱っこ、添い寝)はよかった」をも通り越し、インナーチャイルド、ヒーリング、ホメオパシーなどと90年代のトラウマ全盛期以降も内容が進化し続けている模様。また上記引用によれば、日本母子ケア研究会のルーツも例によって1980年ごろらしい。

    また食物アレルギー研究ってことは、松村氏はいち早く牛乳とアレルギーの関係に目ーつけてたのかもしれない。牛乳とアレルギーの関係とは、牛乳に代表される戦後欧米化した食事がアレルギーやアトピーの一因ってなノリのことであり、じっさいに関係あるかどうかは私にはわかりかねる。

     

    https://www.amazon.co.jp/dp/454090065X/

     

    1.「食物アレルギーへの考え方の今昔」

    http://www.glico.co.jp/boshi/futaba/no74/con04_04.htm

    2.食物アレルギーの最初の考え方

    日本で、食物アレルギーという言葉を最初に唱えた人は、1970年前後に在任していました群馬大学小児科の松村龍男教授です。この先生が初めて食物アレルギーという概念を唱えたわけです。そのときの考えが、子どもが食事(抗原)を食べて、体に抗体ができて(感作と言います)、それによって反応が起こるという考えだったのです。

    ・・・

     

    今の常識は,将来の非常識(医薬ジャーナル社)

    https://www.iyaku-j.com/iyakuj/system/dc8/index.php?trgid=27603

    1900年初頭von Pirquetは,免疫現象のなかに相反する現象を観察し,アレルギーと呼ぶことを提唱しました。1905年SchlossmanやFinkelsteinが牛乳による食物アレルギーの症例を報告し,1921年PrausnitzとKüstnerがアレルギー反応における血清因子の重要性を立証しています。
    本邦における食物アレルギーの歴史を振り返るとき,私の母校である群馬大学小児科 松村龍雄初代教授と門下生の1960年からの約20年間における業績が挙げられます。1960年に米国よりダイズ粉乳を取り寄せ,牛乳アレルギー児の臨床症状を詳細に検討し,食物アレルギーを本邦へ紹介しました。胎内感作に関する研究として,臍帯血や羊水,新生児血,胎便からPCA法で卵白抗原を検出し,食物抗原が母親から胎児に移行することを示しました。さらに,人工流産した胎児の脾臓や肝臓のリンパ球が卵白特異IgGやIgMを産生することを見いだし,胎児の能動感作を証明しています。臨床研究では,食物アレルギーを「はっきり型」と「覆面型」の2つに分類し,前者は即時型を,後者は毎日のように食べる食物によって起こる病態を想定しました。アトピー性皮膚炎を後者によって起こる疾患と捉え,厳格除去食物療法を実施し,動物蛋白として蛇や蛙などを食べさせたことはあまりにも有名です。さらに,食物アレルギーの診断としてオープン試験の不確実性と二重盲検法の重要性を強調し,食物特異IgE抗体価との相関性がなく,抗体が証明されてもすぐに起因アレルゲンと同定できないことも明らかにしています。 

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    乳製品の過剰で病気に(中野薬房ナチュラルインフォメーション)

    http://www.nakanoyakubou.com/ninfomes/nyuukabyou/nyuukabyou.html

    今から20年以上も前のことだと思いますが「あなたの子供は牛ではない」(群馬大学教授、松村龍雄著)という本を読みました。アトピーなどアレルギーの原因は牛の子供に与える乳を人間の子供に与えているからだという内容です。
    現在では牛乳に限らず卵をはじめとした異種タンパクが、未消化で高分子のまま腸管から取り込まれることがアレルギーの原因になることが分かっています。
    食養の分野では牛乳は「邪食」としてはじめから受け入れられていません。
    一方、栄養学者たちは吸収の良いカルシウムをたくさん含んでいるということから牛乳を推奨しています。
    果たしてどちらが本当なのでしょうか?

     

    上記引用によれば「あなたの子供は牛ではない」ではアトピーも牛乳が原因とされているとのことだが、今検索したかぎりではアトピーにかんする本が出てくるのがこれまた1980年ごろである。私がちょうど1980年生まれですでに同級生にアトピーはかなりいたので、相当爆発的に増えていたのかもしれない。

    そういえば今アレルギーでもっとも人口が多そうな花粉症にしても、20年以上前に愛ラブ爆笑クリニックでスギ花粉がファサーと舞うアルガードのCMやってた気がするのだが、その時点ではリアルに花粉症の患者を見たことがなかったし、今くしゃみしてる奴等もここ20年くらいで発症していると思われる。花粉症やアトピーの前はどっちかというとぜんそくのが多いイメージだ。
    戦中戦後の日本は本当に貧しかったので、アメリカ小麦戦略や給食が広めた動物性の脂肪やたんぱくに富む栄養バランスの良い食事は体位向上に寄与し、また衛生的なダイニングやキッチンも経済成長をめざす日本人の憧れであったにちがいない。しかし1980年ともなるとおそらく世の中は成熟しており、団地とか応接間とか家具調みたいな、高度経済成長期の豊かさダサッてな時期に来ていたと思われるし、アトピーのような未知の病気、また乳、卵、小麦といったアメリカ小麦戦略ぽい食材に対するアレルギーが顕著など複合的な要因が重なってロハスの「戦後や欧米化は悪」といった価値観を形成していったと思われる。

    ただこのブログで何度か書いているように「あなたの子供は牛ではない」説聞くようになったのはここ10年くらいの話であり、少なくとも1990年ごろまで牛乳に関する議論はオバタリアンや生協による、ノンホモでパスチャライズなほんとうの牛乳が飲みたい。ってノリが優勢だったのだ。それが自然育児友の会も参加した愛・地球博の2005年頃にロハスがチーズタッカルビの100倍くらいゴリ押された折、マクロビオティックや助産院、母乳育児の流れに通ずる「あなたの子供は牛ではない」も何らかの形で広まったと考えられる。

    ロハスでは紙おむつ害悪論も根強いけど、1980年はまだ紙おむつ普及していないのでちょっと後の話だろう。それにかんしていうと自然育児友の会はホーローのおまるを用いるおむつなし育児を推してた。

     

    先輩ママに聞く 「冬のおむつなし育児」(YouTube)

    https://www.youtube.com/watch?v=zvVySAoJrfI

    自然育児友の会radio 12月16日に開催された「おむつなしお茶会」(東京国分寺)から 冬の季節ならではの、おむつなし育児についてのママの悩みについて、お茶会でのお話をご紹介しています。

     

    おむつなし育児はマスゴミが自然なお産とか言ってた2009年あたりにゴリ押されているが、その前の歴史が見つからない。ロハスがだいたい1980年代に出そろっているにもかかわらずである。

    2000年代半ばより経血コントロール(ナプキンではなくトイレで経血を排出する)という概念を提唱していた三砂ちづるがその2009年に「赤ちゃんにおむつはいらない」って言い出してるので、おむつなし育児ってのは経血コントロールの赤ちゃん版なのだろう。紙おむつ害悪論は紙おむつが普及しだした時点ですでにあったようだが、おむつなしとなるとわりと歴史は浅いのかもしれない。


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      • 2018.11.13 Tuesday
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