流浪の民

0
    評価:
    Osamu Kitajima
    Psi Psychedelic
    ¥ 2,775
    (2016-09-16)

    ヤマギシ会はまだやっていた --- 島田 裕巳(2013年2月17日 アゴラ)

    http://agora-web.jp/archives/1519621.html

    ふと、ヤマギシ会はどうなっているのだろうかと気になった。ヤマギシ会は、日本で最大のコミューン、共同体であり、理想社会の実現をその組織の目的としてきた。創立は1953年のことで、ちょうど今年で60年になる。

    私は、大学時代にヤマギシ会に関心をもち、宗教学のゼミでの調査をきっかけに、近づき、その運動に共鳴して、メンバーになったことがあった。今から40年近く前のことである。ヤマギシ会の共同体で生活していた期間は7カ月と短かったものの、その後も、ヤマギシ会を出てきた人間たちが中心になった、共同体つくりの運動に参加し、そのあいだはヤマギシ会ともかかわりをもった。


    当時のヤマギシ会には、学生運動に参加した経験をもつ若い人間が多かった。ヤマギシ会は、1959年に「ヤマギシ会事件」を起こし、世間の注目を集めたが、それによって危険な団体とも見なされ、一時、運動は停滞した。ところが、学生運動崩れが多数参加することで、60年代の終わりから70年代のはじめにかけて、ユニークな運動体として注目を集めたのだった。

    ・・・

    私が抜けた後、ヤマギシ会は、農業産業の方向へ大きく舵を切った。若いメンバーは、朝から晩まで熱心に働くようになる。そして、都会の主婦層から、ヤマギシ会の農場で生産される卵や鶏肉が自然で安全な食品ということで需要が生まれ、共同体の規模は拡大していった。

    ・・・

    ところが、急激な拡大はひずみも生む。ヤマギシ会の共同体のなかで、子どもに対する体罰が行われているなどとして日弁連などによる調査が行われ、その事実が明らかになることで、ヤマギシ会は社会から激しいバッシングを受けることとなった。それは、オウム真理教の地下鉄サリン事件が起こってから、それほど経っていない段階でのことで、ヤマギシ会はオウム真理教と同様に危険なカルトであると見なされたことも大きかった。

    ・・・

     

    おそらく1970年代の現象と思うのだが、雑誌「80年代」の執筆陣だった新島淳良、野本三吉、島田裕巳、野草社創設者の石垣雅設、また水俣病にとりくんでいた宇井純など、ヤマギシズムやってた人がけっこう多い。「コミューン」とかいう他人どうしの共同生活が一瞬脚光をあびたものと思われるが、私がJCぐらいの時分にはすでにヤマギシ危ない連中ってのが一般的なイメージだったことから、産婆やマクロビと違い左翼が発掘したけど人気定着しなかったパターンと思われる。

    たぶんヤマギシの主力商品って卵とか牛乳だし公式サイトを見たら「ほんもの」を売りにしてたので、三一新書が食品公害を告発していたような時代にはオバタリアンから支持され生協みたいな存在価値もあったのかもしれない。ただ牛乳の殺菌が80℃と120℃なのであまり低温ではないようだ。

     

    東海アマブログ

    http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-22.html

    日本では、資本主義的競争価値観が孤立化家族を産み出したことはあっても、それに逆行する大家族共同体を結成し、その良さをアピールする民衆運動は極めて少なかった。
    冒頭に述べた『新しき村』をはじめ、資本主義の弊害が目立ち始めた時代にアンチテーゼとして登場した大正デモクラシーや幸徳秋水・大杉栄らによる社会主義・アナキズム思想運動から、いくつかの試行錯誤が行われたにとどまる。
    また、1960年代に、小規模ながら、ヒッピー運動から派生した「部族共同体運動」(榊七夫らによる)が長野県富士見町などで営まれたこともあった。
    これらは、ただ一つの例外を除いて、ほとんど有力な勢力となりえなかった。

    その「ただ一つの例外」こそ『ヤマギシ会』であった。
    ヤマギシズムは、ちょうどイスラエルの入植者共同体「キブツ」が登場するのと時を同じくして1953年に登場し、この両者だけが、現在、数万人を超える参画者を有し、経済的に優位な自立的地位を獲得し、世界的に共同体として成功を収めている稀少な例である。(キブツは、現在では「工業共同体」に転化している)
    すでにブログでも何度も取り上げているが、筆者は、ヤマギシ会の本拠地である伊賀市が近いこともあり、これまで大きな関わりをもって見守ってきた。

    ・・・

    ヤマギシズムは、当初、思想運動の側面が色濃く、分けても、1956年から伊賀市柘植の春日山実顕地で行われた「特別講習研鑽会」によって、明確に「私有財産を拒否する農業共同体」、当時で言う「コミューン」思想を主軸に据えていた。
    1959年に「世界急進Z革命団山岸会」と改名し、非合法な監禁に近い洗脳工作を行ったとされ、マスコミなどから大規模なバッシングを受けることになった。
    この事件以降、「アカの過激派団体」と見なされることが多くなり、ヤマギシズムは一時的な停滞に陥った。
    筆者も、ヤマギシズムを初めて知ったのは1969年だったが、1974年に、この「特講」に参加している。
    このとき、ヤマギシズムの代表を勤め、特講の最高幹事だったのが新島淳良であり、奇しくも、彼は筆者が毛沢東思想に傾斜していた時代の教師ともいえる存在であった。

    実は、1960年代後半から燃え上がった「学園闘争・全共闘運動」のなかで、最期に赤軍派などの大量殺人が摘発され、一気に意欲消沈、運動が崩壊してゆくなかで、主役であった戦闘的な若者たちの多くが、こうしたコミューン運動に幻想を抱き、ヤマギシズムに共鳴して、参画していったのである。
    思想的オピニオンリーダーの一人であり、日本を代表する中国革命思想研究者だった新島淳良は、早稲田大学教授の地位をなげうって、全財産をヤマギシ会に提供し、一家で参画したのだった。(本人は死去したが妻や子供たちは、まだ参画している)
    当時、筆者も「ベ平連運動」に共鳴していた一人だが、ベトナム戦争での無意味な人殺しを拒否した在日米軍脱走兵などがヤマギシ会に匿われていたと記録されている。筆者自身は立川のローカル活動家であって、鶴見俊輔らと直接の交際はなかった。

    ・・・

     

    上記引用にある榊七夫とは詩人のナナオサカキで、山尾三省が購入した長野県富士見町の山地に「雷赤鴉族(かみなりあかがらすぞく)」というコミューンを作っていた。同じ部族共同体運動でも国分寺や長野やトカラ列島などやたら拠点が分散していてよく分からないのだが、そういえばだいぶ前にNHKアーカイブス的な再放送で山尾三省が出演している古いドキュメンタリーを見かけたことがあり、そのときの山尾氏は与論島に住んでいたように記憶している。

     

    https://www.amazon.co.jp/dp/478770382X/

     

    https://www.amazon.co.jp/dp/4804760822/

     

    屋久島にも住んでいたのか?高樹沙耶はじめ今でもヒッピーって都会から入植してきて自然ゆたかな山の中や南の島で共同生活したり大麻やったりしてるけど、「部族」はそのパターンの先駆けだろう。

     

    https://www.amazon.co.jp/dp/B000J8GC8M

     

    にっぽんコミューンて本は1979年に出ており、ほびっと村やヤマギシのほかに奄美大島の無我利道場なんかもとりあげられているらしい。その無我利道場や前述の「部族」に詳しい動画がYouTubeにあった。

     

    アイ・アム・ヒッピー―日本のヒッピー・ムーヴメント’60(YouTube)

    https://www.youtube.com/watch?v=iZVyM7lDdro

    無我利道場の故・山田塊也を追った毎日放送のドキュメンタリー。山田氏による同じタイトルの本が1990年に第三書館(マリファナや辻元清美の著書を多く出してた会社)から出ているので、近い時期の番組と思われる。

    スワノセってことはこれが「部族」の「バンヤン・アシュラマ」ってコミューンなのだろうか。検索したとこによると、1967年にはすでにナナオサカキなどが入植しLSDとかやっていたようだ。

    70年代には国分寺を拠点にヤマハによる諏訪之瀬島観光開発計画の反対運動としてフリーコンサートを開催しており、そうしたコンサートの常連だったロックバンド「裸のラリーズ」は結成当初よど号メンバーの若林盛亮が在籍していた。若林氏も山田塊也と親交があったという。

    しかしこの記録映画なんなんだろう。と思って検索してみたところ、1976年制作、監督が上野圭一、音楽が喜多嶋修、キャストはナナオサカキとアレン・ギンズバーグとのことである。アレン・ギンズバーグは村上春樹も訳したとかいうビートニクの詩人、喜多嶋修は喜多嶋舞の父親でDNA鑑定のときに光GENJIのことディスってた。

     

    アレン・ギンズバーグ(Wikipedia)

    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AE%E3%83%B3%E3%82%BA%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%B0

    アーウィン・アレン・ギンズバーグ(Irwin Allen Ginsberg, 1926年6月3日 - 1997年4月5日)は、アメリカの詩人。ジャック・ケルアックとともにビート文学の代表者のひとり。

    https://www.amazon.co.jp/dp/4309462987/

     

    今アレン・ギンズバーグを引用して、あれ?この人ってゲーリー・スナイダーって詩人とは別人なのか。と気づき、Wikipediaを確認したところ、ゲーリー・スナイダーのほうは山尾三省やナナオサカキとともに諏訪瀬のコミューンに住んでたらしい。ゲーリー・スナイダーには山尾三省との共著やナナオサカキ、片桐ユズルによる訳書がある。

     

    ゲーリー・スナイダー(Wikipedia)

    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%80%E3%83%BC

    ゲーリー・スナイダー(Gary Snyder、1930年5月8日 - )は、アメリカ合衆国の詩人、自然保護活動家。20世紀のアメリカを代表する自然詩人。カリフォルニア州サンフランシスコ生まれ。

    代表作の詩集『亀の島』ではピューリッツアー賞を、『終わりなき山河』ではボリンゲン賞を受賞。アレン・ギンスバーグやジャック・ケルアックなどとの交友関係は有名で、(しかし本人は、自身をビートと結び付けたがっていない)1950年代前半には「ビート・ジェネレーション」の詩人として活躍した。

    1956年から1968年までの期間の大半は京都に滞在し、相国寺や大徳寺で臨済禅を学んだ。この時期には宮沢賢治の詩の翻訳も試み、「春と修羅」などの一連の作品の英訳が『奥地』(The Back Country)に所収されている。また、ナナオサカキ、山尾三省らと鹿児島県のトカラ列島に属する諏訪之瀬島にコミューンを作り、移住した。

    ・・・

    https://www.amazon.co.jp/dp/4787713825/

     

    なぜか旭日旗みたいなの持って爆走する全裸集団。この人々絶対ドラッグとか大麻やってる。

    集団で歌うヒッピー。70年代のフィルム映像なのでかなり不気味。

    無我利が問題になっていた頃の、ヒッピーは出ていけー!って行進してる映像もあるのだけど、これ当時どれくらい報道されてたんだろうか。都会から左翼が大挙してドラッグや大麻やったりテロリストかくまったりとなれば、むしろコミューンが僻地にとって本土資本や原発いやそれ以上のやっかいな存在だったにちがいない。


    スポンサーサイト

    0
      • 2018.05.28 Monday
      • -
      • 00:02
      • -
      • -
      • -
      • -
      • by スポンサードリンク

      コメント
      コメントする








         
      この記事のトラックバックURL
      トラックバック

      profile

      calendar

      S M T W T F S
        12345
      6789101112
      13141516171819
      20212223242526
      2728293031  
      << May 2018 >>

      selected entries

      categories

      archives

      recent comment

      recent trackback

      search this site.

      links

      others

      mobile

      qrcode

      PR

       

       

       

       

      powered

      無料ブログ作成サービス JUGEM