四半世紀前ぐらい

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    先日オウム真理教の死刑囚が全員ポアされて一瞬だけ話題になった。選挙やテレビ出たり凶悪犯罪を繰り返すなど、くしゅくしゅソックス時代にくすぶっていた狂気が1995年の初めごろテロという形で爆発したという点をふまえると、私の歴史観においてやはりオウムは非常にルーズソックス的だったように感じられる。

    サリン事件はくしゅくしゅソックスがルーズソックスにとって変わられる時期で、安室奈美恵がコギャルに人気爆発するきっかけとなった「TRY ME」が1月発売、また小室時代の足掛かりを作ったtrfの楽曲がショボくなってくるのも同時期で、くしゅくしゅ時代からルーズソックス時代へとJKはもちろん人々の意識も急速に変化していった。1995年初めに阪神淡路大震災とサリン事件が起きるまで世の中はオカルトやエロに寛容で、なんならニューエイジが知識人やクリエイターのたしなみぐらいに思われていたのではないだろうか。

     

    エコマーク

    左翼の反原発グループ、環境省feat.小池百合子、トヨタ自動車が三位一体となった2005年前後のエコブームにおいてはおもに地球温暖化の危機が叫ばれた。その内容は、二酸化炭素増えすぎだから今使ってるガソリン車や消費電力の高い白熱電球を捨ててハイブリットやLEDに買い替えだとか、江戸の循環型社会に学んで浴衣で打ち水したりレジ袋をやめて風呂敷使おうとか、そんなとこだったと記憶しているけども、くしゅくしゅ期にもエコブームはあってその時は地球温暖化はそこまで言ってなかった。

    ただ二酸化炭素増えすぎ問題はすでにあって、森林が二酸化炭素吸って酸素出すし森林伐採で砂漠化してるからってことで植林だとか、紙が木でできているから木で紙作るんじゃなくて紙から紙に再生しようとリサイクルが進み、くしゅくしゅ時代より紙製品等にエコマークやグリーンマークがつき出した。私が計算とか書く用に使ってた落書き帳も途中で再生紙になってページ数が大幅に減ったのを覚えている(今ふうに言う実質値上げ)。なので木というものは無条件に多ければ多いほど良いものなのだと思っていて、当時まだ珍しかった花粉症を聞いたときは、何で木なのに体に悪いんだ?と不思議に思っていた。

    ヘアスプレーなどに使ってたフロンガスがオゾンホールを破壊して紫外線がすごくなるってのも砂漠化と同じぐらいよく聞いた。ナマケモノ倶楽部が紹介し、いつのまにか英語の教科書にまで採用されるようになったセヴァンスズキ伝説のスピーチってのも1992年の地球サミットである。

     

    ガイアシンフォニー

    地球、それもガイアといえばニューエイジだが、地球交響曲と書いてガイアシンフォニーの第一番が公開されたのが1992年。監督の龍村仁はNHK出身で、NHKといえば同じころ「チベット死者の書」てドキュメンタリーもあった。

     

    イルカたん

    ロハスブームの頃もグリーンピースの鯨肉窃盗事件(2008)、映画「ザ・コーヴ」(2009)やシーシェパードの妨害行為など反捕鯨団体がよくとりざたされ、その時期をさかいに日本人の総意としてクジラ食べるのは伝統なんだから白人が口出してんじゃねぇってとこに落ち着いた。しかしくしゅくしゅソックス時代はアイソレーションタンクでおなじみジョンCリリー博士が来日してたこともあるし、サブカルチャー系(≒ロハス)の人々がイルカやクジラで盛り上がっても普通の人はへえ〜イルカってかしこいんだ・・・くらいにしか思ってなかったのが、竹島問題みたいにある時から反日と宣伝されて関心が高まったケースと思われる。

     

    七つの海のティコ 第1話「シャチをつれた少女 冒険者ナナミ」(YouTube)

    https://www.youtube.com/watch?v=4OyScGnJn6Y

     

    1994年に放送された「七つの海のティコ」。幻のヒカリクジラを探すため海洋生物学者の父(カリフォルニア大卒)と世界一周の船旅しているバークレー出身の主人公ナナミが5分以上呼吸なしで水深100m以上素潜りが特技とかいうジャック・マイヨールみたいな少女で「フランダースの犬」「洗い熊ラスカル」といった古典だったはずのハウス世界名作劇場がなぜかこの時だけニューエイジ劇場と化した。

     

    ジャック・マイヨール(Wikipedia)

    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%83%AB

    4歳の時、母親に初めて水とのつき合い方を教わる。10歳の時に、佐賀県唐津市の七つ釜ではじめてイルカと出会い、その後の生活の原点となる。12歳で一家でフランスのマルセイユに移住。17歳で父の設計事務所で働きながらバカロレアを取得。高校を出ると北極圏でイヌイットと暮らすなど、以後コペンハーゲンを起点に旅を繰り返す。

    ・・・

    その後水族館を退職しカイコス諸島に移住、素潜りによる伊勢エビ漁を島民に教える。その頃になると周りの勧めでフリーダイビングに挑戦するようになり、1966年にハバナにて60メートルを記録したのを皮切りにエンゾ・マイオルカと共に記録合戦を繰り広げた。1973年、イタリアに居を移し、10余りの潜水実験に参加。それにより数十メートルの深度でフリーダイビング中のマイヨールの脈拍が毎分26回になっていることや赤血球が著しく増加していることが、スキューバで潜った医師によって測定されたこともある。1976年11月23日、エルバ島にて人類史上初めて素潜りで100メートルを超える記録をつくる。この時49歳であった。

    ・・・

    大の親日家であり、フリーダイビングにヨーガや禅を取り入れていた。千葉県館山市坂田に別荘を設けている。1995年にはTBSテレビのドキュメンタリー番組『いのちの響』に出演したことがある。1997年の秋には27HOUR SPECIAL CHALLENGE 97内で放送された『イルカが海に帰る日 〜ユキよ、自由の海を泳げ〜』のスペシャルゲストを担当した。

     

    女優 高樹 沙耶さん

    http://www.yonaguni.jp/20040525-takagi-saya.htm

    5月23日フリーダイバーの第一人者で女優の高樹沙耶さんが、世界的に有名なフリーダイバー、故ジャック・マイヨール氏を偲び、メモリアルプレークへスキンダイビングで来島あいさつ

     

    高樹沙耶さんインタビュー(なまえのない新聞)

    http://amanakuni.net/Namaenonai-shinbun/Namae131-saya.html

    沙耶:最初の入り口は、仕事で野生のイルカに出会う機会があって、イルカと泳ぎたい、イルカのように泳ぎたいって強く思ったこと。でもすぐに、自分が水中の生きものであるイルカのように泳げるなんておこがましいということに気づいてうちのめされました。やっぱり自分は陸で酸素を吸って生きている人間で、水の中ではダメな生きものなんだ〜って。それでも、こんなに幸せな気持ちを味あわせてくれる彼らに、 少しでも近づきたい。どうやったらより深く長く海の中にいられるかなと思っていた頃、ハワイ島でアメリカのフリーダイビングの選手と出会えたんです。その人たちの姿をみて、人間の、生きものとしての可能性に感動した。「こうしたい」と思ったことって、必ず実現出来るんだって。「深く潜りたい」と思ったら、生理学的には無理といわれていた深さを超えて潜ってゆくことが出来る。息も4分半もとめることが出来るようになったし。フリーダイビングは、私自身にそういう生きものとしての可能性を確認させてくれました。

     

    ラッセン

    イルカたんといえば、くしゅくしゅ時代はラッセンの絵をよく見かけた。でも日本人にとってはニューエイジがどうってよりもバブルを象徴するめっちゃ痛い絵って位置ずけなんだろう。

     

    クリスチャン・ラッセン(Wikipedia)

    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%BB%E3%83%B3

    経歴

    カリフォルニア州の海沿いにあるメンドシノ(英語版)[2]出身。11歳のときに家族と共にハワイ島へ渡り[3]、後にマウイ島へ移住した[2]。

    10代からサーフィンと絵画に熱中し、オアフ島ノースショアに住んでプロサーファーとして活動。美術の専門教育は受けていない。1985年にラッセン・アート・パブリケーションズを設立。アールビバンが取り扱いを始め、1988年からバブル期の日本でベストセラー画家となる[4]。
    作風・評価

    ハワイの海中風景やイルカなどの海洋生物を主要なモチーフに、南洋の自然をきらびやかな画風で描き、「マリンアート」と称される[5]。空(そら)の部分などにはエアブラシも用いるという[2]。

    その作品は安価な版画やリトグラフ、ジグソーパズルとして大衆的人気を得た。日本での知名度向上に絵画商法が大きく関わっていたため、その販売戦略への反感からヒロ・ヤマガタ同様美術界の本流からは無視されてきた[6]。奈良美智には「ああいう平和頭の理想的自然志向は理解できない」と批判されている[7]。

     

    ラッセンとヒロヤマガタはくしゅくしゅソックス時代においてREX恐竜物語と遠い海から来たcoo、夏の日の1993と何も言えなくて夏ばりに私の中でこんがらがってる記憶なのだが、ヒロヤマガタで画像検索したらこっちは全然イルカ書いてなかった。しかしヤマガタ氏は70年代に海外でアレン・ギンズバーグやグレゴリー・コルソーと出会い、1994年にギンズバーグと「ビートニク」ってドキュメンタリー映画の製作開始し同作にイージー・ライダーの監督でもあるデニス・ホッパーをバロウズ役で出演さしてたり、アースリーパラダイスっていうメリー・プランクスターズ(LSDの車)みたいな作品発表してて、ニューエイジとしてはラッセンより王道な気がする。

     

    サブリミナル

    JUNGLE ハート編(YouTube)

    https://www.youtube.com/watch?v=7J8XBOtLtW0

     

    怖いCMとして語り継がれるフジテレビ「JUNGLE」は心音のような太鼓をバックに綺麗なピンク色だったハートがどんどん汚れていき、AIDSという影が浮かび上がる。AIDSうんぬんは読みにくいこともありウワサとしてささやかれているにすぎないが、放送期間が1992〜93年であることを考えると事実それを意図した可能性は高い。

    AIDSって文字が読みにくいのも、サブリミナル効果なのだろう。サブリミナルブームはウィルソン・ブライアン・キイ著「メディア・セックス」(1989年)がそのはしりと思われ、くしゅくしゅソックス時代のクリエイター界においてはエイズやサブリミナルがトレンドだったにちがいない。

    メディアセックス持ってるけど、何でこの人にはここにSEXが見えるんだろう。てな写真ばっかりだった。だからサブリミナルのメッセージは「読めんがな」てくらいでたぶん丁度よいのである。

    しかしルーズソックス時代になるとサブリミナルが問題視されるようになっていて、Wikipediaのサブリミナルのページでも「日本では1995年に日本放送協会(NHK)が、1999年に日本民間放送連盟が、それぞれの番組放送基準でサブリミナル的表現方法を禁止することを明文化した」とある。これはアニメ「シティーハンター」に一瞬だけ麻原彰晃の顔が挿入されていた件が影響を与えているような気がするが、見た感じビデオ再生のコマ送りを想定したお遊びにすぎず、放送された1989年という時期を考えてもサブリミナルを狙うには早すぎ、また当時オウムもそこまで危険視されていなかった。

    Wikipediaによればシティーハンターはサリン事件以降にTBSがとりざたしたが、同じころにTBSが報道番組で麻原の顔をサブリミナル的に使用しブーメランとなった。TBSはエコブームのころ食育とか小池百合子って書いたフリップ写りこませてたしサブリミナル好きな社風かもしれない。


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      • 2018.11.13 Tuesday
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