高度ハエ成長期

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    以前記事にしたように昔は熟成う○こを肥やしにしてたのを高度経済成長期には衛生的で収穫量が上がるからであろう化学肥料に移行したために使い道のなくなったう○こをそのへんに埋めたり流したりしてたそうなのだが、今も東京湾てう○こで汚染されてなかったけ。とさっき検索したところによると、合流式の下水は雨と汚水がいっしょなのでゲリラ豪雨とか降ると放流されてるらしい。大腸菌とか打ち水とかオリンピックこわすぎる。

     

    五輪会場 大腸菌20倍 東京・お台場、基準値超え対策へ(毎日新聞 2017年10月4日)

    https://mainichi.jp/sportsspecial/articles/20171005/k00/00m/050/082000c

    2020年東京五輪・パラリンピックで水泳のオープンウオーターとトライアスロンの会場になるお台場海浜公園(東京都港区)周辺の水質について、今年7〜9月の調査期間の半分以上の日で、それぞれの国際競技団体(IF)の基準を上回る大腸菌などが検出されたことが4日、明らかになった。大会組織委員会と都が同日、発表した。組織委側は菌の流入を防ぐ措置で対応可能とし、「会場変更の必要はない」との見解を示している。

    水質悪化の原因は、都心で観測された21日連続の降雨で汚水などがたまったため。都オリンピック・パラリンピック準備局は「異常気象の影響が色濃く出た」。今後は水中に布製のシートを設置して菌の流入を防ぐといい、記者会見した組織委の室伏広治スポーツ局長は「都、IFと一丸で対策を講じたい」と語った。

    調査は7月24日〜9月6日の中で計26日間実施。オープンウオーターで国際水泳連盟(FINA)の基準をクリアしたのは五輪の時期に重なる21日間中10日にとどまり、ふん便性大腸菌群数がFINAの基準値の7.2倍を上回った日もあった。トライアスロンでは国際トライアスロン連合(ITU)が定める基準をクリアしたのは、わずか6日。7月末には基準値の20倍以上の大腸菌が検出された。【岩壁峻】

     

    昭和27年05月22日 くみとりの機械化 0003(YouTube)

    https://www.youtube.com/watch?v=79CK1J-_-40

    1960年版「し尿のゆくえ」にはまだくみとり桶が出てきてたが、この川崎の動画を見るといちおう1950年代初頭よりバキュームカーに切り替わりつつあったようだ。割烹着の奥さまがた大集合して壁に赤痢とか手を洗いませうとか書いているあたり、大掃除に動員されたのだろうか。

    映像で香りが伝わらないせいか鼻をつまむ演出もお約束だ。おそらくくみとり桶や手押し車のような非科学的なものは1960年代を通じ肥えだめなどとともに見かけなくなっていったと思われる。

     

    昭和36年制作/第178号 ぼくの衛生日記(YouTube)

    https://www.youtube.com/watch?v=fMCNzMPHGrQ

    「し尿のゆくえ」しかり、高度経済成長期の動画見てるとけっこうな確率で赤痢という病気が登場する。字から察するに血まじりの下痢なのだろう。←適当

    「その日、学校の帰り道安藤くんたちは病院の車に出会いました。去年町に赤痢が出たときもあの車が来ていました。この町からどういうわけか毎年赤痢が出る。なんとかならないものだろうかと考えました」

    「係の人がこの前手形を取ったシャーレを出してきました。洗った安藤くんの手形は菌が少なく、洗わなかった斎藤くんのはばい菌がいっぱい。このばい菌のなかには恐ろしい赤痢菌がいることもあるそうです」

    お子さんがた顕微鏡でたんねんに赤痢菌を観察。

    「ある日安藤くんがうちに帰ると誰か来ています。お医者さんです。妹が寝ています。安藤くんは赤痢ではないかと心配になりました」

    寄合いで赤痢の予防について指導する保健所の職員。あぶら虫とは花につく奴じゃなくてごっきーのことだ。

    台所にたかるハエ。赤痢菌はハエやごっきーが媒介していたことであろう。

    「今日の大掃除には自動煙霧機が大活躍。竹やぶや木の茂みは蚊の住みかです。路地から路地にもまんべんなく。畳の下にも忘れずに。床下にもすみずみまで薬がまかれました」

     

    「はえ」日映科学映画製作所1954年製作(YouTube)

    https://www.youtube.com/watch?v=NaGbeHJkBV4

    ハエの生態を追う気色悪い動画。

    今ごはん外に出しててもここまでハエたからないと思う。昔は犬のう○こ道ばたにゴロゴロ落ちてたし人間の便所もヴォットンだったのでハエ元気だったのかもしれない。

    私が子どもの頃も今よりハエよく飛んでてハエ叩きでしばいてたけど、今ハエ叩きなどというハエに特化した道具使ってる人ってだいぶ少なくなったんじゃないだろうか。ウジ虫にいたっては見たことさえない。

    「汚いものを好んで食べるはえ。そのつばを調べてみるといろいろな菌の中にまじって恐ろしい赤痢やチフスの菌をよく見かけます」

     

    市政ニュース27(YouTube)

    https://www.youtube.com/watch?v=v0BUHIUeHoQ

    浜松市の市政ニュースいつ制作かは書いてないけど赤痢に用心してるから昭和30年代なんだろう。

    「今年は赤痢の多い年です。新聞もしきりに集団発生を知らせています」

    「赤痢は口からうつる病気ですが、その元はおたくのトイレで・・・」

    「こらこら。坊や、いけませんねぇ」

    坊やトイレの後に手を洗わず食事に戻ってきて注意される。これもしかすると非水洗でちゃぶ台で食事しているような家だから赤痢発生しかねないってメッセージなんだろうか。

    「食事は手を洗ってから。トイレの中には赤痢菌がいっぱいついていますよ。それがもし口の中に入ったらたいへんです」

    「ぼくの衛生日記」「はえ」に比べて赤痢菌ドアップすぎてびびる。

    この時代の衛生の衛の字がかなり気持ち悪い。えいせいで変換押してもこんな字出ないんだが・・・

    衛生課の職員が赤痢患者の出た家の周囲にじょうろで薬撒いてる。この頃の映画でも子供の赤痢患者が出たために家を消毒するシーンを見たことがある。

     

    茨城ニュースNO.24(1958年(昭和33年度)制作)(YouTube)

    https://www.youtube.com/watch?v=60RZ42S5ssg

    赤痢など伝染病が身近だった当時、病原菌を媒介する害虫どもをいかに殺戮するかが切実な課題であったにちがいない。

    殺鼠剤入り団子作りや小児麻痺(ポリオ)集団発生など、昭和30年代の動画は害虫駆除に消毒に割烹着の奥さまがた総動員ってよくあるパターンだ。ポリオウイルスは生ワクチン輸入されるまでは麻痺が残ったお子さんも多かったしやはりワクチンによって滅亡した豚を感染源とする日本脳炎て病気も蚊が媒介してた。

    じょうろで便所に薬をかけている。厚生省のサイトによると赤痢は戦後しばらくは10万人を超え2万人近くもの死者をみたが1965年半ば頃から激減、1974年には2000人を割り以降1000人前後で推移している。とのことだ。

    1965てことは井戸水、くみとり、下肥、こういうの使わなくなってハエが少なくなるにつれ菌も滅亡していったのではないだろうか。肥やしも発酵中に赤痢菌死滅するらしいのだが、ちゃんと処理してないケースもあったと思われる。

     

    市政ニュース15(YouTube)

    https://www.youtube.com/watch?v=-3OzbdJ3a8g

    お子さんがた「今日は衛生日。蚊とハエをなくしましょー」

    昔は日本船舶振興会みたいにお子さんがたよく行進してたのかもしれない。蚊やごっきーは今でも現役っていうかむしろ温暖化で増えてきそうな気もするけど、とにかく高度経済成長期は衛生や殺虫が重要なのであり昭和のホーロー看板とか見てても代名詞的存在のオロナミンCやボンカレーに劣らず金鳥やアースや蚊取り線香など殺虫剤の広告も多い。

    「日曜日は今月の会合で決めたことの実行です。蚊とハエのいない町をつくるため、子どもたちは町内をまわって呼びかけます。道やどぶの清掃をしたり薬をまいたりする仕事もお父さんやお母さんたちの協力をえておこなって、たいへんうまくいっています。こうした子ども会活動は町じゅうから喜ばれています」

    割烹着の奥さまがた総動員のどぶさらい・害虫駆除にお子さんがたもくわわった。どぶもきれいにしとかないとすぐ臭いや虫が出る。

    この頃の衛生動画で定番のじょうろによる薬剤散布は成分が強くないのかお子さんがたにもやらせてた。

     

    市政ニュース9(YouTube)

    https://www.youtube.com/watch?v=-LujUA0TK-Y

    「蚊やハエのいない町。この理想に近い町がわたくしたちのまわりにいくつかあります。今日はそのひとつ大久保町をご紹介しましょう」

    この時代の衛生の衛の字が気持ち悪い。もしかすると戦後GHQあたりの逝きなはからいで衛の字って画数多くて難しいからと漢字を民主化してくれたのかもしれないが、気持ち悪いので使われなくなったのだろう。

    割烹着の奥さまがた総動員で町の清掃。かくして大久保町は環境衛生モデル地区となった。

    「ではみなさんにこの浸漬コード法の作り方を説明しましょう。材料はコードとして細長い布きれや縄、テープなど吊り下げやすいものを用意します。次にダイアジノンという薬を5倍から10倍に薄めます。この薬の中にコードを浸して薬が垂れない程度に縛ります。これでできあがりです」

    この浸漬コード大量生産して町民に配布しており家じゅうに吊り下げておくと一ヶ月ほど防虫だか殺虫だかの効果があるらしい。バポナみたいなもんなんだろうか。

    浸漬コードのおよばない地中にいる幼虫に対しては土を掘り返してリンデン乳剤とやらを撒いている。先ほども書いたように高度経済成長期の衛生動画にはたいていじょうろで殺虫剤を散布するシーンが写ってるのだが、検索したところによるとこのリンデン乳剤という薬はBHCのことのようだ。

    BHCはレイチェルカーソンとかに環境に悪いって言われたので今は使われてない。1960年代は食中毒や伝染病の恐怖が隣り合わせなためライポンで野菜洗い割烹着の奥さまがた総動員で殺虫剤散布してたのが、70年代に奥さまがオバタリアン世代になると今度はぎゃくに薬剤による複合汚染や食品公害が問題視されてほんものの牛乳を共同購入と言い出し、80年代には伝染病にかわりお子さんがたアトピーやアレルギーに悩まされだしたり自然なお産(ラマーズ法)や母乳が脚光あびてくるってのがわが戦後奥さま史の雑な認識である。

     

    https://buyee.jp/item/yahoo/auction/g256737470?lang=ja

     

    スプレー缶がなかったのか、DDTなど戦後しばらく殺虫剤は空気入れみたいなので噴射してた模様。現在は恐ろしげな「殺虫剤」に変わり「虫ケア用品」などという不明瞭な名称も提案されているようだが、ハイトリ(はえ取り紙)で有名な倉敷のカモ井製キリメツはKILL&滅を意味することから虫へ容赦なさがうかがえる。

    同社は1952年にBHCも発売しているがかってBHCは大量に使われた結果、牛乳への汚染が問題視されたので1971年には早くも使用禁止になった。ハイトリの全盛期はやはり水洗トイレやごみ処理が遅れていた昭和30年代だったそうで、現在カモ井はその絶妙な粘着技術を生かしほっこりかわいいマスキングテープで名をはせている。

     

    BHC

    http://mh.rgr.jp/memo/mk0016.htm

    有機塩素剤のBHC(別称HCH)の農薬のことであり、BHCはDDTに続いて広く使用されるようになった農薬で、早くから国産化され安く供給されました。人に対する急性毒性が非常に低くなったことなどから広く普及しました。主に生産されたBHCには、殺虫剤としての有効成分であるガンマ・BHCのほか、少しだけ構造が異なるベータ・BHCという物質がかなり含まれていました。 このべータ・BHCは殺虫効果が弱い反面、化学的に極めて安定した化合物であったため、水田で使用されたものが稲わらにも大量に残留し、この稲わらがを餌にしていた乳牛が多くいたため、その牛乳のBHCによる汚染として大きな社会問題となりました。 日本では昭和46年以降農薬として販売禁止となり、使用されなくなりました。

     

    「沈黙の春」の著者レイチェル・カーソンとは・・・

    http://www.gorotto.com/column/kankyo/nov/note1.html

    「沈黙の春」に取り上げられている農薬は主に、DDTBHCをはじめとする有機塩素系殺虫剤と、パラチオンに始まる有機りん系殺虫剤です。当時、アメリカではこれらの農薬や化学物質は止めどなく生産され、使用されていました。

    1962年に「沈黙の春」が出版されるずっと以前から一部の学者や関係者の間では、これらの薬剤のマイナス面についての危惧の念を抱く人もありました。しかし、第二次世界大戦のイタリア戦線において、発疹チフスが流行して多くの兵士達が倒れた時、病菌の媒介昆虫であるシラミをDDTが徹底的に駆除し、この病気のドラマチックな終息をもたらしたこと、太平洋戦争でマラリア蚊の防除に効果を発揮したことなどのためにDDTは救世主のように思われていました。

    日本においても、終戦の混乱期、防疫の目的で、駅頭でだれかれとなくDDTの白い粉を頭から振り掛け、背中にまで吹きこむということがありました。このときは誰もいやだといえず、衛生の為には仕方のないことと思っていました。DDTやBHCは殺虫剤であって人間には無害であると信じられていたのです。そうした中で「沈黙の春」は出版されたのです。

     

    [昭和40年7月] 中日ニュース No.601_3 「ハエ騒動記」(YouTube)

    https://www.youtube.com/watch?v=XhiTFLmU_9M

     

    [昭和40年11月] 中日ニュース No.619_2 「夢の島の鼠退治」(YouTube)

    https://www.youtube.com/watch?v=GwqQfi9p-xo

     

    夢の島(Wikipedia)

    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A2%E3%81%AE%E5%B3%B6

    1965年か?埋め立て中の夢の島で大量発生したハエが飛来しハエ取り紙にびっしりはりついてる。

     

    【江東区】夢の島「ハエ撲滅作戦」を経て、ファミリー層に人気のエリアになるまで 50年後のずばり東京――そこはかつて、高度経済成長の負の象徴だった(7月30日 文春オンライン)

    http://bunshun.jp/articles/-/7904

    この黒い大群の猛威はすさまじかった。南砂中央町会会長の石原さんが証言する。

    「すごいなんてもんじゃない。あの頃、ハエ取りリボンていうのがあって、それをぐるぐる棒状にして3本とか4本部屋にぶら下げておいた。一時間もすれば、それがハエでびっしり覆われて真っ黒になった」

    食事をするのも一苦労だった。準備が必要だからだ。

    「その2時間とか一時間前に部屋を閉め切ってハエを入れないようにする。それでも何匹かのハエはすでに部屋に入り込んでいるので、それを殺虫剤でまず退治する。次にお膳を出し網のふたをかぶせる。それでも入ってくるから、うちわでバサバサ仰いでハエを防ぎながら、急いで食べたんですよ」(石原さん)

    このハエの大群襲来騒動で、夢の島の“悪名”は一気に日本中に知れわたった。

    ・・・

     

    それにしても高度経済成長期に割烹着の奥さまがたが殺虫剤散布する動画見たく思いYouTubeで赤痢を検索したら赤痢って名前のバンドばっかり出てきて腹立つ。同様に日本脳炎で検索しても日本脳炎って名前のバンドばっかり出てくるので、さてはチフスって名前のバンドもいるだろ。と、検索したらやっぱりいた。

     

    日本パンク伝説“チフス(TYPHUS)”のほぼコンプリート音源集が登場

    https://www.cdjournal.com/main/news/typhus/71895

     

    赤痢 (バンド)(Wikipedia)

    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E7%97%A2_(%E3%83%90%E3%83%B3%E3%83%89)


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