ただいま炎上中
空前の問題作「明日、ママがいない」を、きのう初めて見た。
一回目の放送後、孤児をテーマにしていることと三上博史の出演が話題となっていたことで、ようやくこれが野島伸司がらみだと気づいた。脚本はまた、別の人のようだが。
何せもう、私が女学生の時分といや野島伸司大全盛だったのだ。基本的に野島ドラマといえばTBS金曜22時だったが、「家なき子」にもやっぱりハマっていた。
安達祐実は当時、カレーのコマーシャルに出演したりREXと交流したりしていた人気子役で、雑誌で新しいドラマを予告する記事を見ても、まさか靴みがきをする役どころとは予想できるはずもなく、わんこのドラマでも始まるのだと思っていたのだ。
やはり「明日、ママがいない」も、番組宣伝を見て芦田愛菜ちゃんと子役たちの心温まるドラマでも始まるのかしらん。くらいにしか思ってなかったので、まさかあの「家なき子」の再来(焼き直し?)だったと知ったときは少なからず衝撃を受けた。
昔から野島ドラマはイジメ、レイプ、自殺、障害者ネタなどが満載でたびたび物議をかもしていたのだが、「明日ママがいない」は一般視聴者からも放送をやめさせるような動きがあったり、今週放送分からすべてのスポンサーが降りたりと、その話題性は過去の比ではない。
なんかそう言われると、かっての野島節が炸裂してるのか?!と、逆に期待するところもあり、今回ばかりは見ずにいられなかった。
でも、感想としてはあまりおもしろくなかったのが正直なところである。
主人公は赤ちゃんポストに捨てられていた「ポスト」。家なき子の「すず」よろしく、そのませた表情と粗暴な言葉づかいで芦田愛菜の新境地を開拓したのは間違いない。
そこまではいいのだが・・・あんな幼い女児が施設のリーダー格だったり、世の中の欺瞞を見抜く特殊能力を備えているかのような設定には、ちょっとついていけないものがあった。
ポストが抱える弱さや、親分キャラになる必然性が、芦田氏の達者すぎる演技からは今ひとつ見えてこない。フィクションならフィクションなりに、その作品世界を納得させるだけのものがほしかったのだが。
私が見た第3話では、ミタムラとかいう家政婦をつけている足の不自由なお嬢様が出てきた。裕福な親がいてなお孤独なそのたたずまいは、貧しいけどもにぎやかにたくましく暮らす施設の子供達と対象的である。
そんなの見りゃわかるのに、ポストが「親がいてあんなに恵まれてても寂しいんだから、分からないものだ」とかなんとか、わざわざ要点をセリフで説明してしまうのには興ざめであった。
この施設、行くあてのない子供たちが、悩みながらも肩を寄せ合って懸命に生きている・・・という、見るものの胸を苦しくさせるような暗さもない。
野島ドラマは、こんなもんじゃなかったろう。こんなもんじゃ。
にしても、この程度のドラマでコマーシャルが全部ACになるのには驚きだ。
もちろん俗に言うところの「赤ちゃんポスト」を設置している病院および児童養護施設など関係者の名誉が傷つけられたのは事実だろうが、それ以外の人が子供のいじめを心配するというのはちょいと孤児に対してネガティブすぎやしないか。ドラマの子供とそのあだ名に関しては、けして悪く書かれているわけではないというのに。
子供社会のルールにかんがみると、ポストのような一般名詞よりも有名人と同じ名前のほうがまだあだ名としてはありえるし、だいたい出自がどうだろうと顔がかわいかったりドッチボールが強かったらクラスの主導権を握れるに決まってるだろ。
孤児イコールかわいそう、いじめられる、っていう固定観念は子供よりむしろ世間体を気にする大人のほうにありがちだ。
私はこの一連の話題を見て、以前読んだあるゼロリスクの本を思い出していた。
その本の中で、最近テレビがおとなしくなっているのはゼロリスクのせい、といった主張を読んだとき「テレビにまでゼロリスクをこじつけるんかい」としか思わなかったが、まさにこういう状況のことを言っていたのかと、今になってようやく納得した次第である。
「明日、ママがいない」。数々のクレームを受け入れたとき、もしかするとテレビ界はもっと大きな物を失うかもしれない。これをリスクのトレードオフと言う・・・のか?
まあそんなわけで賛否両論なドラマだが、私のまわりではけっこう高評価だし、ジャニーズをあてがったような惚れた腫れたのぬるいドラマよりは健闘しているので、ぜひとも最後まで放送してほしいと個人的には思う。
一回目の放送後、孤児をテーマにしていることと三上博史の出演が話題となっていたことで、ようやくこれが野島伸司がらみだと気づいた。脚本はまた、別の人のようだが。
何せもう、私が女学生の時分といや野島伸司大全盛だったのだ。基本的に野島ドラマといえばTBS金曜22時だったが、「家なき子」にもやっぱりハマっていた。
安達祐実は当時、カレーのコマーシャルに出演したりREXと交流したりしていた人気子役で、雑誌で新しいドラマを予告する記事を見ても、まさか靴みがきをする役どころとは予想できるはずもなく、わんこのドラマでも始まるのだと思っていたのだ。
やはり「明日、ママがいない」も、番組宣伝を見て芦田愛菜ちゃんと子役たちの心温まるドラマでも始まるのかしらん。くらいにしか思ってなかったので、まさかあの「家なき子」の再来(焼き直し?)だったと知ったときは少なからず衝撃を受けた。
昔から野島ドラマはイジメ、レイプ、自殺、障害者ネタなどが満載でたびたび物議をかもしていたのだが、「明日ママがいない」は一般視聴者からも放送をやめさせるような動きがあったり、今週放送分からすべてのスポンサーが降りたりと、その話題性は過去の比ではない。
なんかそう言われると、かっての野島節が炸裂してるのか?!と、逆に期待するところもあり、今回ばかりは見ずにいられなかった。
でも、感想としてはあまりおもしろくなかったのが正直なところである。
主人公は赤ちゃんポストに捨てられていた「ポスト」。家なき子の「すず」よろしく、そのませた表情と粗暴な言葉づかいで芦田愛菜の新境地を開拓したのは間違いない。
そこまではいいのだが・・・あんな幼い女児が施設のリーダー格だったり、世の中の欺瞞を見抜く特殊能力を備えているかのような設定には、ちょっとついていけないものがあった。
ポストが抱える弱さや、親分キャラになる必然性が、芦田氏の達者すぎる演技からは今ひとつ見えてこない。フィクションならフィクションなりに、その作品世界を納得させるだけのものがほしかったのだが。
私が見た第3話では、ミタムラとかいう家政婦をつけている足の不自由なお嬢様が出てきた。裕福な親がいてなお孤独なそのたたずまいは、貧しいけどもにぎやかにたくましく暮らす施設の子供達と対象的である。
そんなの見りゃわかるのに、ポストが「親がいてあんなに恵まれてても寂しいんだから、分からないものだ」とかなんとか、わざわざ要点をセリフで説明してしまうのには興ざめであった。
この施設、行くあてのない子供たちが、悩みながらも肩を寄せ合って懸命に生きている・・・という、見るものの胸を苦しくさせるような暗さもない。
野島ドラマは、こんなもんじゃなかったろう。こんなもんじゃ。
にしても、この程度のドラマでコマーシャルが全部ACになるのには驚きだ。
もちろん俗に言うところの「赤ちゃんポスト」を設置している病院および児童養護施設など関係者の名誉が傷つけられたのは事実だろうが、それ以外の人が子供のいじめを心配するというのはちょいと孤児に対してネガティブすぎやしないか。ドラマの子供とそのあだ名に関しては、けして悪く書かれているわけではないというのに。
子供社会のルールにかんがみると、ポストのような一般名詞よりも有名人と同じ名前のほうがまだあだ名としてはありえるし、だいたい出自がどうだろうと顔がかわいかったりドッチボールが強かったらクラスの主導権を握れるに決まってるだろ。
孤児イコールかわいそう、いじめられる、っていう固定観念は子供よりむしろ世間体を気にする大人のほうにありがちだ。
私はこの一連の話題を見て、以前読んだあるゼロリスクの本を思い出していた。
その本の中で、最近テレビがおとなしくなっているのはゼロリスクのせい、といった主張を読んだとき「テレビにまでゼロリスクをこじつけるんかい」としか思わなかったが、まさにこういう状況のことを言っていたのかと、今になってようやく納得した次第である。
「明日、ママがいない」。数々のクレームを受け入れたとき、もしかするとテレビ界はもっと大きな物を失うかもしれない。これをリスクのトレードオフと言う・・・のか?
まあそんなわけで賛否両論なドラマだが、私のまわりではけっこう高評価だし、ジャニーズをあてがったような惚れた腫れたのぬるいドラマよりは健闘しているので、ぜひとも最後まで放送してほしいと個人的には思う。
- 2014.01.30 Thursday
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- 22:53
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- by 悩み