次世代ほっこりを体現

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    武蔵野美術大学(ムサビ)出身の経歴を生かし、目下流行している建築、アート、山ガール等の伝道師としてエコやほっこりのメディアに引っ張りだこのサブカルモデル、KIKIの魅力が一冊に詰まった「KIKI LOVE FASHION」を書店で見かけたので軽く立ち読みした。
    KIKIの年齢は36歳だそうだが、私がその名前を知ったのはここ4,5年の話である。
    エコブーム時にNHKで放送されていた「地球データマップ」という番組の案内役がKIKIだったのだ。
    これが中高生向けに左翼のオカルトな思想を洗脳する強烈な偏向番組だったがために、その頃からKIKIという存在も強く印象づけられたものである。(ちなみに「地球データマップ」の後継番組は、内容が似通っているAKB篠田麻里子出演「麻里子さまのおりこうさま」だと私は勝手に思っている)
    KIKIが活躍するのはおもに「エココロ」「オズマガジン」「ほぼ日刊イトイ新聞」といったほっこり媒体、また教育番組の「NHK高校講座美術」にも出演していたことがある。書評で冷えとりの女王・服部みれいの本を紹介するなど、やはり最近になって頭角を現しだしたモデル菊池亜希子と並んで、その界隈でのオピニオン&ファッションリーダーとして売り出しているのは間違いないだろう。
    ほっこりブームから10年。今後は子育てや手料理などの家庭的なイメージを介した北欧風味のバブリーなライフスタイルではなく、アートや写真、オカルトに精通した「さんぽ」と「おやつ」が好きな中央線のゆるい30代文化系女子に世代交代していくのかもしれない。

    「KIKI LOVE FASHION」で紹介された私服や雑貨の中に、「手ぬぐい」を収集しているとの記述があった。
    最近若い女性に静かなブームだという手ぬぐい。これで顔や体を洗うとピカピカになるとの美容本を読み、私も試してみたところ、ナイロンタオルほど泡がたたないのでつい強めにこすってしまうし、繊維が硬いので「肌に悪くないか?いやそもそも、ただの布きれじゃないか?」と思ってしまいこんでしまったのだ。
    夏になればタオルやハンカチがわりに使えるだろうが、・・・どうも私には手ぬぐいがFUROSHIKIなどと同様の「江戸時代万能論」にもとずくロハス的懐古趣味ではないかと思えてしかたないのである。

    何を怒っているんだい

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      ぎこちない初会談 日韓首脳、関係冷え込み映す (3月26日 日経新聞)
      http://www.nikkei.com/article/DGXNASGM2600G_W4A320C1EB1000/


      朴槿恵大統領と安倍晋三総理大臣。
      北朝鮮からノドンが撃ち込まれるなか、オランダはハーグで就任から1年以上にしてようやく日韓の首脳が顔合わせが実現したものの、わが安倍総理がせっかく気を使ってサランヘヨとかなんとか韓国語しゃべってんのにシカトとはなんて無礼な奴。
      そういえば少女時代も、日本のテレビ番組に出演しても韓国語でばかりしゃべるなどサービス精神の低下が目についたし、ライバルである2NE1が歌番組で1位をとったさい祝福するどころか不服そうな表情を浮かべて問題になっていたが、いったいどうしたっていうんだ最近の韓国女の態度は。親の顔が見てみたいぜ。
      いや、そもそもこのシカトの原因の1つであろう慰安婦問題。50年前に決着ついてんだから慰安婦に補償すべきは日本ではなく、日韓基本条約を結んだ朴槿恵の親父だったんじゃないのか?
      李明博の竹島上陸以来、日本においては韓国の反日感情に関する報道が解禁された感があるが、近ごろアメリカじゃー韓国系アメリカ人が白人に「日本海を東海(トンヘ)って呼んで♪」と働きかけたばかりに、地図の日本海が東海表記になろうとしていたり、また同様に従軍慰安婦像が建立されたりしているとかいう話題はたびたび見聞きする。
      そらアメリカ人にとっちゃ日本海なんてどうでもいいだろうが・・・そもそもなんでそんなに愛国心強いのに韓国籍じゃないんだ韓国系アメリカ人。
      現在日韓を冷え込ましている従軍慰安婦問題や東海問題(?)はそんなに歴史があるわけではなく、ここ20年くらいだというのはよく聞く話だ。
      20年前といや、「地上の楽園」北朝鮮の終わりっぷりが明るみになっていた時期である。
      80年代までは左翼や岩波書店が朴正煕の恐ろしさを主張していたのに、近年手のひらがえしで「韓流」気取ったり、横文字で格好良く「コリア」などと言い出すのはどこか不気味だ。
      ちょうど軍事政権が終わったのも約20年前。もっとも当時の金泳三大統領は親北ではなかったようだが、民主化運動やってた386世代が社会的に力を持ち始めるころであることも考えると、戦争を知らない若い衆に日帝の恐ろしさを叩き込み、日韓の絆を引き裂うて北から目をそらす陰謀だったのではないか?と思えてならない。
      仲よくすりゃいいのに、やっぱり隣国というのは憎しみ合う運命なのか。アメリカもわけわかんねーから北朝鮮対策以外で関わりたくないって感じだろう。

      キウイ界の佐村河内守

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        先ほどニュース番組でとりあげられていた「本当は30%」の果汁100%キウイジュース、なにげに私も飲んだことある。
        小っちゃいくせして250円もするからありがたってチビチビやってたっちゅーのに、ハイシー以下かっ

        味は濃かったけど・・・今にして思うと、確かに100%っちゅーより不二家ネクター的な安っぽいドロドロだったような。
        しかもよく見たら(加糖)って書いてるぞ?

        オザケンの面影

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          小沢健二が16年ぶりにテレビ出演したと聞いて、「笑っていいとも」の動画を見た。
          小沢健二。90年代に「オザケン」の愛称で親しまれた男性歌手だと言ったとこで、16年も姿消していたってんだから今日びの若い衆にはピンとこないだろう。
          とはいえ、私もリアルタイムではあまり興味がなかった。ゆえに、嫌いってわけでもなかったのだが。
          ただ小沢健二が完全に消えていた2000年代半ば、エコブームにおける「オリーブ少女」上がりのほっこりとしたご婦人の影響が無視できなくなるにつれ、私の中でしだいに渋谷系なるジャンルの存在感が大きくなっていったのである。
          おそらく、ていねいに暮らしている30代女性の9割がた、小沢健二好きなんじゃないだろうか?私の憶測という以外に何の根拠もない数字だが・・・
          そもそも渋谷系ってのが、個人的によく分からん概念ではある。
          渋谷というと、私なんかはつい汚らしいガン黒のコギャルを思い出してしまうが、80年代までの渋谷はサブカル的な意味での「若者の街」ってな側面もあったようで、そのイメージを少なからず担っていたのが西武系のファッションビル「パルコ」や外資系レコードショップであった。
          またかってパルコの子会社でWAVEというトンガった品ぞろえのレコードショップも存在し、そのWAVEはFM放送局であるJ-WAVEを80年代後半に開局している。
          今J-WAVEを聴いても特に突出したところがあるとは思わないが、最初は日本語もろくにしゃべらず洋楽ばっかり流していたそうで、NHK-FMとFM東京くらいしか局がなかったうえ、ほとんど録音だった当時の状況に鑑みると、現代のFM放送におけるハーフのバイリンガルDJがネイティブ英語発音をおりまぜながらおシャンティな曲を紹介する軽快な生放送スタイルはすべてJ-WAVEの影響であるとも考えられる。
          そんな最先端のJ-WAVEが邦楽を解禁するにあたって、センスの良い(お眼鏡にかなった)邦楽を格好良く「J-POP」と呼び流し始めたのが、かの渋谷系だったと言うのである。
          ってことは渋谷系の渋谷というのは、渋谷駅を構える東急ではなく、あくまで西武が開発したところの渋谷なのだろう。
          埼玉を駆けぬける西武は本来イケてる私鉄ではなかったはずだが、流通部門(セゾングループ)の経営者である故・堤清二が左翼だったこともあってか、消費社会全盛の70〜80年代は糸井重里などを起用した意味不明系のスカした広告でサブカル気取ってブイブイ言わせていたのである。
          そんな渋谷系をファッションリーダーとしてプッシュしていたのが、マガジンハウス社の少女向けファッション雑誌「オリーブ」だったというわけだ。
          その頃のオリーブ誌は北欧ではなくフランス推しで、読者である「オリーブ少女」は正真正銘のモンゴロイドでありながら「リセエンヌ」を目指していた。
          私が聞いたことあるフランスのブランドだと、アニエスベー、アーペーセー、プチバトー、オーシバル、セントジエームス、エルベシャプリエあたりがオリーブ少女ご用達ってとこだろうか。
          ボーダーのバスクシャツにベレー帽かぶったようなベタなフランス人がはたして実在したのかどうかははなはだ疑問だが、今でもほっこりとした雑誌で、このへんのブランドが「長く着られる」「定番」だとかいって紹介されているのを見かけるので、中の人が同じなのは間違いない。
          そういえばオカルトな香りただよう渋谷系ロハス歌手カヒミ・カリィが栃木県出身であるにもかかわらずフランス語で歌を歌っていたというのも、日本の放送局でありながら日本語を流さなかったかってのJ-WAVEにも通じるモンゴロイドの意地がうかがえる。
          そんな脳内欧米人のフランスに対する憧れが北欧へ移行する経緯は謎だが、90年代にはフランスよりもスエーデンが注目され始めていたようだ。
          西武やレコードショップが没落しギャルに毒された街(渋谷)から逃れ、ていねいにおうちカフェするにあたって、北欧家具の需要が高まったのだろうか?
          さてそんなオリーブ少女から熱烈な支持を受けていた小沢健二の歌手人生はフリッパーズギターというバンドから始まった。
          フリッパーズギターは基本的に小山田圭吾(コーネリアス)との2人組で構成されており、ソロになってからもおもにこの2人が渋谷系を牽引していたようだ。
          どうも渋谷系は、邦楽なのに洋楽みたいにおシャンティ。っちゅーことでJ-WAVEやオリーブ少女などトンガったモンゴロイドのハートをわしずかんだとのことだが、私がよく分からんのは、フリッパーズギターや小沢健二を実際聴いてみても、とくに「洋楽っぽい」とは感じられなかった点である。
          日本人離れしたリズム感や英語の発音があるわけではなく、むしろ邦楽の中でさえ、おせじにもうまいとは言えない歌。そもそも洋楽の「洋」が、われわれのイメージするアメリカではない可能性もあるが。
          とくに小沢健二にかんしては、紅白歌合戦に出演していたことからも分かるように、少なくとも全盛期はごく普通にポピュラー歌手だった。
          そのへんが、渋谷系が語られるときの洋楽志向とか、マニアックさだとかいう定説と私のイメージの相入れないところではある。
          ただいっぽうの小山田圭吾は、子供向け美術番組「デザインあ」(NHK教育)の不気味系音楽がいかにもサブカルな趣きであり、また小山田氏の元妻でやはり渋谷系らしい嶺川貴子が冷えとり靴下の伝道師・服部みれいとバンドを組み「マーマーマガジン」誌上で連載していることなどをふまえると、カルトな渋谷系の中で大衆に迎合していた小沢健二のほうが特殊だったのかもしれない。
          しかし近年その消息を調べたところ、小沢氏の書いたという童話のあらすじが、一部左翼のバイブルでもあるミヒャエルエンデ著「モモ」を連想させるものだったことから、私の脳内で立てられた渋谷系およびオリーブ少女の左傾化仮説は確信に変わるのだった。
          そして、久々にテレビの前に現れた小沢健二。
          私が実際の映像を見る前までは、もう喜多郎みたいになってるんじゃないかとまで思っていたが、意外なことにそのいでだちは例のボーダーシャツにメガネというかっての渋谷系がイメージさせる典型的な服装だった。
          長らくメディアに姿を見せていないというだけあって、UAばりに左翼&ヒッピー方面への変貌を想像していた私にとって、その現在の姿は、何とも拍子抜けするほど昔のままだったのである。
          うーむ。いったい小沢健二の本心はどこにあるのだろうか?華やかな世界から離れ第三世界を放浪するなかにあって、渋谷系のノリで生きていたとはとても思えないのだが。

          本当は左翼な江戸時代

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            先日「本当はエッチな日本人」(歴史の謎を探る会編)を読んだのをきっかけに江戸時代の下半身事情に興味がわいた私は、田中優子著「春画のからくり」を購入した。
            著者の田中氏は江戸文化の専門家なのだが、じつはかの「週刊金曜日」編集委員の顔も持ち、個人的には江戸と全然関係ない反原発運動や新大久保の反差別運動などで見かけたことのある名前だ。
            最初に江戸に気色悪さを感じたのは、2000年代のエコブームにおける打ち水でFUROSHIKIで循環型社会・・・といったノリであったが、やはり江戸礼賛には左翼がつきものなのだろうか?
            世間的には、左翼が日本の伝統を重んずるはずがない、と考えられているのか、なかなか信じてもらえないのだが。
            田中氏には「春画のからくり」と同じちくま文庫から「張形と江戸おんな」という、これまた江戸の下半身事情に関する著書もある。張形(はりがた)とはバイブレータのごとく、てぃん子をリアルに形どった大人のおもちゃのことだ。厳密には電動しないので、バイブではなくディルドーというらしいが。

            春画と張形・・・どちらも捨てがたい。立ち読みしたら内容も似ていたので迷ったが、けっきょく値段の安い「春画のからくり」を選んだ。
            しかし、やはり「春画〜」はカラー資料の多い「張形〜」と違って、掲載されている絵が白黒で、しかも文庫なので載っている絵が小っちゃく何描いてあるのかよく分からんという問題はあった。
            表紙に使われているのは美人画で有名な喜多川歌麿の代表作「歌満くら」。
            茶屋の二階でくちずけする男女がえがかれている。茶屋というのは、「本当はエッチな日本人」に飲食店を装った休憩専門のラブホテルと書かれていた出合茶屋のことだろうか。

            性器こそ描かれていないものの、女のうなじや手つき、黒い布に透ける白い脚、ちらりとのぞく男の視線がなんともなまめかしい。
            「はまぐりにはしをしっかとはさまれて鴫(しぎ)立ちかぬる秋の夕暮れ」
            扇子に書かれた狂歌が、ちょめちょめを暗示している。
            この絵は性器のみならず、顔もほとんど描かれていないという点において、春画というにはかなり珍しいようだ。
            だいたいこの本に掲載されている春画をざっと見た感じだと、気合を入れて描かれているのはたいてい性器、顔、着物である。まぐわっていても全裸ではなく、たいてい着衣なのだ。
            だから、男も女も下をまくって、挿入を楽しんでいる。田中氏によれば、この手の絵は交接部分を強調するためにあえてゴチャゴチャ描きまくっているということのようだが、まあ当時はちょめにおける乳の重要性がいちじるしく低かったので、じっさい全部脱ぐ必要もなかったのかもしれない。
            それに服を描きこんだほうが絵的にも美しいし、現代のコスプレよろしく女の属性もわかるという物ではないか。
            しかし・・・不思議だ。なぜ春画において顔が重要でありながら、ちょめっている男女は真顔なのだろうか?
            現代のエロい漫画ならば、女はもっと顔を赤らめ、眉間にシワを寄せたり涙を浮かべたりと切なげに描かれるにちがいない。それに比べると春画の女は、せいぜい目をつむっている程度で口もそんなに開けていないのだ。
            当時はあまり表情を描かなかったのかとも思ったが、「春画における覗き」(113ページ)で紹介されているいくつかの覗き(他人のちょめちょめを覗きながら、おのれのむす子をこすってるおっさん)はちゃんと助平な顔に描かれている。
            春画は「笑い絵」とも呼ばれるように、ギャグマンガ的な要素があったようだが、なかでも覗き魔は笑いの対象だったのだという。
            そういうマヌケな脇役だけ、いかにもグヘヘ♪といった顔なのだが、まぐわっている主役の男女はあくまでわれわれが浮世絵と言われてイメージする典型的なそれである。
            あの手の顔は、現代のマンガにおいて主役クラスの目が大きく描かれる、というのと同じくらいのお約束で、それ以上を書き込めばギャグ要員になってしまったのかもしれない。
            やはり浮世絵には、漫画の遺伝子を感じてしまう。西洋の絵画が写真ばりにリアルだったのに比べると、浮世絵はずいぶん平面的で、顔や性器の異常なデカさに対する口の小ささ、乳の適当さなどは、当時の価値観に合わせてデフォルメされているし、設定も日常的ではありながら、現実そのものではない。
            日本文化の中で浮世絵や漫画の人気が高いのも、その独特の美的感覚が外人のハートをわしずかみにしたという事実にほかならないだろう。
            そのような考えをもって「いけないヌードから正しい春画へ」(初出1996年)を読むと、やや違和感をおぼえる。
            男女がちょめっている春画と違い、女性のヌード写真ばかりが氾濫している現代の状況をまるで女性差別だとでも言いたげな田中氏。
            しかしあれだけ文字の書き込まれた春画の比較対象としては、ヌード写真よりも漫画がふさわしいのではないか。エロい漫画ならば春画同様、裸の女だけではなく、それをいたぶる相手役も必要なはずであるし。
            だいいち梅毒や間引きが普通だった売春都市の性にそんな素晴らしい要素があるのかどうか、怪しいものだ。
            もしかすると一部の左翼は、現状を変革するために、日本の伝統ともいうべき江戸時代に対してエコだけではなく男女平等&性に開放的(やりまくり、のぞきまくり)であってほしいという邪悪な願望を抱いているのではないだろうか?
            これについては先日読書感想文を書いた青木やよひ著「フェミニズムとエコロジー」にも、気になるくだりがあったので最後に引用しておく。

            たとえばかつて私は、『婦人職人分類』と題した歌麿の浮世絵版画の一枚を見て、意外の感に打たれた記憶がある。それは二人の『かわらけ』職人が頭に手ぬぐいをかぶり着物の裾をはしょりあげて作業をしている情景を描いたものだった。
            ・・・
            江戸時代に三つ指ついて夫に仕え、三界に家なきわが身のはかなさをかこっていた侍の妻などは、ほんのひとにぎりにすぎなかったのである。大部分の女は、農婦や自営業の内儀(おかみさん)としてみずから労働をになっていたはずである。そしてそこには、瀬川清子氏の『若者と娘をめぐる民俗』にひろいあげられているような性の開放性や、それなりの男女平等のルールも存在していたにちがいない。
            しかしもちろん、みずからの願望を歴史に投影して、『バラ色の過去』を描き出すことはいましめなければならない。
            ・・・
            男女の人口比一つとってみても、江戸時代になぜ女の出生率がいちじるしく低いのかという疑問が、長らく私の心を苦しめている。
            「フェミニズムとエコロジー」38ページより 初出1983年


            フェミとフェミの闘い

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              青木やよひ著「フェミニズムとエコロジー」を古本屋の店先で見つけた時、私は著者やフェミニズムに関する基礎知識などまったく持ち合わせていなかったにもかかわらず、このタイトルだけでさぞ恐ろしい左翼に違いないと直感し読んでみることにした。
              初版は1986年で、1978〜86年におよぶ雑誌への寄稿と書き下ろしで構成された評論集である。
              どうも青木やよひは当時、上野千鶴子という同業(フェミニズム業)の物書きと論争になっていたようで、本書に収録されている「フェミニズムの未来 上野千鶴子氏に答える」(1985年「現代思想」)には、20ページ以上にわたってその反論がつづられていた。
              論争になった元ネタや上野氏についてはよく知らんのだが、読んだ感じでは、何かと文化人類学や未開の部族を引き合いに出すニューエイジ気味の青木氏と、あくまで近代主義の中で女性の解放を説く上野氏のあいだで意見の相違があったとみえる。
              近代主義的枠組みにおける女性運動では女が男を、第三世界が先進国を志向し、文明がひらけるにつれて女性の社会的地位が高くなると信じられていたが、青木氏はそんな単線的な歴史観、また科学の発展や豊かさがもたらす自然と人間との分断に異議を唱え、女性の社会進出もしくは経済的自立において足かせにもなりうる月経や出産といった「産む性」への評価を試みているようだ。
              中でも女性運動がウーマンリブと呼ばれていた頃、田中美津が中ピ連と訣別したというエピソードは興味深い。中ピ連は正式名称を「中絶禁止法に反対しピル解禁を要求する女性解放連合」といい、ピンクのヘルメットをかぶってピル解禁を主張していた極端かつ珍妙な左翼グループであるが、私にとってはこのピル解禁っちゅうのが、かねてよりよく分からん運動の一つだった。

              ふつう避妊なんて、ゴム製の避妊具を使えばすむ話であろう。それをわざわざピルなんて体に良くなさそうな合成化学物質を飲むとは、ちょめちょめの主導権も女が握らんとばかりに男と張り合う意思のあらわれなのだろうか?
              もしかしたら一部のススんだ女性運動では妊娠すること自体ダサかったのかもしれない。
              いっぽう中ピ連と訣別した田中美津が鍼灸師となり、ヒッピーファッションで冷えがどうのこうの言っているのは対照的である。ちなみにほっこりより年齢層の高い「クロワッサン」誌にしばしば東洋医学的趣味が見られるように、かって団塊世代のあいだでは代替医療としてツボ、漢方、気功、薬膳、中国茶などが好まれたようだ。
              本書の中で繰り返される「身体の自己管理」。現在でもほっこりとしたご婦人がプロの医者より怪しい民間療法を選択し、布ナプキンやちつトレなど自らのシモの話題に熱心なのはエコフェミ的傾向といえまいか。
              とにかくピルのように男と対等になるために性を科学の力でコントロールするのではなく、女が女として自然に抗わないホーリスティックな生き方をすることが真のフェミでありエコなのである。
              まあだから、エコフェミはいわば現代をていねいに暮らすほっこり婦人、いや、ほっこり婦人が80年代引きづってるのか?まあ、どっちでもいいのだが、ある意味時代を先取りしているにもかかわらず、この論争のあとエコフェミはグダグダになって青木やよひも最後のほうはベートーベンの本ばっかり出していたらしい。

              RYDEEN 〜Dance All Night〜

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                何だ?このYMOに合わせて踊り狂うエセK-POPは。
                108人で「い・け・な・いルージュマジック」をカバーしたゲテモノ集団、煩悩ガールズの再来か?
                この曲はエイベックスからYouTubeにアップされていたのでまたこんなドリームとかハピネスみたいな奴ゴリ押してるんかい。と思って調べてみたところ、そのものずばりドリームとハピネスにフラワーとかいうこれまたエイベックスのグループを合体させたE-girlsなるガールズグループなのだそうだ。
                はぁ〜。こんなのがいたのか。
                そういや彼女たちの持ち歌「ごめんなさいのkissing you」はいっとき、マツキヨで死ぬほど流れていたので今でも耳にこびりついている。マツキヨと結託して、薬買いにきた客のマインドをコントロールしようとしていたに違いない。
                紅白歌合戦にも出ていたとのことだが、日韓関係の悪化で出られなくなった東方神起のエイベックス枠でも獲得したんだろうか。アイコニックよろしく、エグザイルと抱き合わせで売ろうとしてるのがまたウザさ倍増だ。
                にしても、エイベックスのガールズグループ。ぱっと見こそ、K-POPにも似ているかもしれないが、私はちっとも良いと思ったことがない。
                なんかこの、ケバいチャンネーにノリノリの歌を歌わせるってのは、渋谷のコギャルたちの支持を得ようという算段なのだろうか?少なくとも、アイドルには見えんのだけども。
                基本的に日本の流行歌は、ギャルを重んずる風潮が根強いのだ。これはあゆ、いやもっとさかのぼってアムラーの夢よもう一度ってな音楽業界およびエイベックスの悲願なのかもしれぬ。
                ライディーン。あのテッテッテー♪のメロディをサンプリングするならまだしも、変な歌詞を乗せてカバーしたので原曲よりも超絶に劣化している。
                K-POPにおいても、日本活動ではエイベックス所属のアイドルグループがキャンディーズや「ラムのラブソング」をカバーしていたが、こう安易に昭和歌謡を再利用するのは80年代で時間の止まったじじいのハートをわしずかもうという算段なのだろうか?
                いづれにせよ日本の音楽業界の停滞ぶりは目に余る。だからこそ私は韓国に魅せられたのだ。
                それを売国奴と呼ぶならば呼ぶがいい。

                世界が注目した新曲

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                  韓国においては約1年ぶりとなる少女時代の新曲「Mr.Mr.」。
                  K-POPでは日本でも有名なKARAの「ミスター」、また少女時代自身も「Mr.TAXI」という持ち歌があるにも関わらず、またぞろMrを2回も連呼するとは、どんだけミスター好きなんだ韓国人。
                  そういえば、韓国は「氏」と同じように「ミスター」を使うと古い本で読んだことあるが、今でもそうなのだろうか?
                  「Mr.Mr.」のミュージックビデオは病院が舞台になっており、優等生的イメージの少女時代にしちゃ、ちょいと不気味で怖い。最近流行りのセクシー路線もないし、うーむ。

                  しかしこのミュージックビデオ、アメリカのメディアは大絶賛しているのだとか。
                  そう。少女時代は昨年発表した「I Got a Boy」が、そうそうたる米流歌手を押さえYouTubeのなんちゃら賞を受賞していて、その実力は世界のお墨つきなのだ。YouTubeのなんちゃら賞を逃したジャスティン・ビーバーやマイリー・サイラスも、彼女らの魅力を前に敗北を認めるよりほかなかったろう。
                  にしても、「Mr.Mr.」は「I Got a Boy」と違い、ノリはまあまあだがじつに平凡な歌である。結局「I Got a Boy」は失敗だったってことなのか。私、けっこう好きだったのに・・・
                  2NE1が同じ日に新曲を発表するとなった途端、ミュージックビデオのデーターがなくなったとかマウントゴックス社ばりのワケわからん言い訳で直接対決を回避していたらしいし、どうやら天下の少女時代も守りに入ったようである。
                  思えばK-POPが日本に伝来してかれこれ3年以上が経過し、少女時代とともにいち時代を築いたKARAやワンダーガールズがすっかり弱体化している今、K-POP界の世代交代が進んでも何らおかしい話ではないのだ。
                  どうする少女時代。
                  実のところあれだけ少女時代を崇拝していた私も、近ごろはGirl's DayやA Pink、SISTARなど新興勢力に目移りしてしまうのである。

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