小沢健二が16年ぶりにテレビ出演したと聞いて、「笑っていいとも」の動画を見た。
小沢健二。90年代に「オザケン」の愛称で親しまれた男性歌手だと言ったとこで、16年も姿消していたってんだから今日びの若い衆にはピンとこないだろう。
とはいえ、私もリアルタイムではあまり興味がなかった。ゆえに、嫌いってわけでもなかったのだが。
ただ小沢健二が完全に消えていた2000年代半ば、エコブームにおける「オリーブ少女」上がりのほっこりとしたご婦人の影響が無視できなくなるにつれ、私の中でしだいに渋谷系なるジャンルの存在感が大きくなっていったのである。
おそらく、ていねいに暮らしている30代女性の9割がた、小沢健二好きなんじゃないだろうか?私の憶測という以外に何の根拠もない数字だが・・・
そもそも渋谷系ってのが、個人的によく分からん概念ではある。
渋谷というと、私なんかはつい汚らしいガン黒のコギャルを思い出してしまうが、80年代までの渋谷はサブカル的な意味での「若者の街」ってな側面もあったようで、そのイメージを少なからず担っていたのが西武系のファッションビル「パルコ」や外資系レコードショップであった。
またかってパルコの子会社でWAVEというトンガった品ぞろえのレコードショップも存在し、そのWAVEはFM放送局であるJ-WAVEを80年代後半に開局している。
今J-WAVEを聴いても特に突出したところがあるとは思わないが、最初は日本語もろくにしゃべらず洋楽ばっかり流していたそうで、NHK-FMとFM東京くらいしか局がなかったうえ、ほとんど録音だった当時の状況に鑑みると、現代のFM放送におけるハーフのバイリンガルDJがネイティブ英語発音をおりまぜながらおシャンティな曲を紹介する軽快な生放送スタイルはすべてJ-WAVEの影響であるとも考えられる。
そんな最先端のJ-WAVEが邦楽を解禁するにあたって、センスの良い(お眼鏡にかなった)邦楽を格好良く「J-POP」と呼び流し始めたのが、かの渋谷系だったと言うのである。
ってことは渋谷系の渋谷というのは、渋谷駅を構える東急ではなく、あくまで西武が開発したところの渋谷なのだろう。
埼玉を駆けぬける西武は本来イケてる私鉄ではなかったはずだが、流通部門(セゾングループ)の経営者である故・堤清二が左翼だったこともあってか、消費社会全盛の70〜80年代は糸井重里などを起用した意味不明系のスカした広告でサブカル気取ってブイブイ言わせていたのである。
そんな渋谷系をファッションリーダーとしてプッシュしていたのが、マガジンハウス社の少女向けファッション雑誌「オリーブ」だったというわけだ。
その頃のオリーブ誌は北欧ではなくフランス推しで、読者である「オリーブ少女」は正真正銘のモンゴロイドでありながら「リセエンヌ」を目指していた。
私が聞いたことあるフランスのブランドだと、アニエスベー、アーペーセー、プチバトー、オーシバル、セントジエームス、エルベシャプリエあたりがオリーブ少女ご用達ってとこだろうか。
ボーダーのバスクシャツにベレー帽かぶったようなベタなフランス人がはたして実在したのかどうかははなはだ疑問だが、今でもほっこりとした雑誌で、このへんのブランドが「長く着られる」「定番」だとかいって紹介されているのを見かけるので、中の人が同じなのは間違いない。
そういえばオカルトな香りただよう渋谷系ロハス歌手カヒミ・カリィが栃木県出身であるにもかかわらずフランス語で歌を歌っていたというのも、日本の放送局でありながら日本語を流さなかったかってのJ-WAVEにも通じるモンゴロイドの意地がうかがえる。
そんな脳内欧米人のフランスに対する憧れが北欧へ移行する経緯は謎だが、90年代にはフランスよりもスエーデンが注目され始めていたようだ。
西武やレコードショップが没落しギャルに毒された街(渋谷)から逃れ、ていねいにおうちカフェするにあたって、北欧家具の需要が高まったのだろうか?
さてそんなオリーブ少女から熱烈な支持を受けていた小沢健二の歌手人生はフリッパーズギターというバンドから始まった。
フリッパーズギターは基本的に小山田圭吾(コーネリアス)との2人組で構成されており、ソロになってからもおもにこの2人が渋谷系を牽引していたようだ。
どうも渋谷系は、邦楽なのに洋楽みたいにおシャンティ。っちゅーことでJ-WAVEやオリーブ少女などトンガったモンゴロイドのハートをわしずかんだとのことだが、私がよく分からんのは、フリッパーズギターや小沢健二を実際聴いてみても、とくに「洋楽っぽい」とは感じられなかった点である。
日本人離れしたリズム感や英語の発音があるわけではなく、むしろ邦楽の中でさえ、おせじにもうまいとは言えない歌。そもそも洋楽の「洋」が、われわれのイメージするアメリカではない可能性もあるが。
とくに小沢健二にかんしては、紅白歌合戦に出演していたことからも分かるように、少なくとも全盛期はごく普通にポピュラー歌手だった。
そのへんが、渋谷系が語られるときの洋楽志向とか、マニアックさだとかいう定説と私のイメージの相入れないところではある。
ただいっぽうの小山田圭吾は、子供向け美術番組「デザインあ」(NHK教育)の不気味系音楽がいかにもサブカルな趣きであり、また小山田氏の元妻でやはり渋谷系らしい嶺川貴子が冷えとり靴下の伝道師・服部みれいとバンドを組み「マーマーマガジン」誌上で連載していることなどをふまえると、カルトな渋谷系の中で大衆に迎合していた小沢健二のほうが特殊だったのかもしれない。
しかし近年その消息を調べたところ、小沢氏の書いたという童話のあらすじが、一部左翼のバイブルでもあるミヒャエルエンデ著「モモ」を連想させるものだったことから、私の脳内で立てられた渋谷系およびオリーブ少女の左傾化仮説は確信に変わるのだった。
そして、久々にテレビの前に現れた小沢健二。
私が実際の映像を見る前までは、もう喜多郎みたいになってるんじゃないかとまで思っていたが、意外なことにそのいでだちは例のボーダーシャツにメガネというかっての渋谷系がイメージさせる典型的な服装だった。
長らくメディアに姿を見せていないというだけあって、UAばりに左翼&ヒッピー方面への変貌を想像していた私にとって、その現在の姿は、何とも拍子抜けするほど昔のままだったのである。
うーむ。いったい小沢健二の本心はどこにあるのだろうか?華やかな世界から離れ第三世界を放浪するなかにあって、渋谷系のノリで生きていたとはとても思えないのだが。