ケータイ小説入門
個人的にケータイ小説なんぞにはまったく縁がないのだが、女子高生が援助交際する映画だとどこかで聞きかじったとき私の中にちょっとした衝撃が走ったのだ。
「細眉アムラー時代ならともかく、今さら援助交際はねぇだろう」
今の女子高生が援助交際してないとは思わないのだが(むしろスマホやアイドルの台頭でロリコン需要が高まっている可能性さえある)、アバズレ&病みが最先端なんて90年代に手垢のつきまくったベタなコギャル像をまだ引きづっているケータイ小説とはいったいなんぞや。
どうも調べたところ、2000年に「DEEP LOVE」というこれまたエンコーモノが最初にヒットしてから、基本的にそのスタイルを踏襲しているそうだ。読者は女子高生とのことだが、やはりいつの時代も少女たちはセックスとか中絶みたいなワルの世界に憧れてしまうもんなんだろうか?
ちなみに作者の情報は全然出てこない。私は最初、イケてるピチピチギャルがさえない中年に恋するって設定に、女子高生を援助交際に憧れさせるためロリコンくそ野郎が仕組んだ何かのステマなんじゃないかと不審に思っていた。
だが実際に見た感じでは、若い女性が考えそうなストーリーである。
特にここぞという場面で、登場人物がバタッ!と倒れてしまうのはどこか少女マンガ的だ。
そして倒れた後につきそった人と距離が縮まる、みたいな展開。1回ならまだしも、これが主役を務める佐々木希と谷原章介それぞれに1回ずつわりあてられている。同様に「私、じつはレイプされてたの」と口頭で説明する例も2回出てきて、体弱い自慢と不幸自慢のワンパターンっぷりが目にあまった。
別に倒れたりレイプされる人がいてもいいが、1回の話に2人もいらんだろう。
それとも何だ。バタッ!と倒れたり、レイプされたりって、そんなに格好良いんかい?
だいたい友人たちを巻き込んで組織的に援助交際していたにもかかわらず、谷原章介にひとめぼれしてから全部ほっぽりだした佐々木。陰で「あの子たちは利用してるだけ♪」などと恐ろしいことも口走っており、友人たちのうち誰かがその悪行に不信感を抱いてもよさそうなところ、佐々木のペースに従うだけなのには疑問を感じざるおえない。
友情だけではない。谷原章介に関しても、写真を見ただけでいきなり好きになり、出会って以降も「ねーえ!あたしのことすきー?!」と、図書館の静寂の中で突然奇声を発するなど自分の想いをゴリ押すのに終始しており、佐々木の美貌がなければただちに撲殺されるレベルの傍若無人ぶりである。
いっぽうの谷原は戦国武将の話しかできないような日本史オタクであるがために2人の会話はほとんど噛み合っておらず、この人たちのどこに惹かれあう要素があったのか、まったくもって不可解である。
「かもめ食堂」以来の、ワケわからん映画だ。ほっこり映画におけるていねいな感じのパンやら自家焙煎コーヒーが、ケータイ小説ではエンコーでありレイプってことなのだろう。
だいたい出会うきっかけになったのが同じ小沢姓だった2人の写真を写真屋が取り違えたって話なのだが、写真屋に現像出しに行くってのがもう90年代なのだ。
細眉アムラー時代の援助交際映画「ラブ&ポップ」(これは「天使の恋」以上につまらなかった)にも、確か女子高生がカメラで写真を撮る場面があったように記憶している。
今でいう「自撮り」をし始めたのが、おそらくルーズソックス世代。写ルンですやビッグミニあたりを使ってとにかく自分や仲間を撮影してはせっせと現像に出し、フラッシュ炊きすぎで顔が発光したような写真を油性の蛍光マーカー「ポスカ」でデコるのはありがちだった。
しかし現代の高校生ならば友人たちとの写真は携帯電話で管理しそうなものだし、カメラで撮ったにしても2009年ならデジカメプリントの機械はそこらじゅうにあるはずである。
佐々木がタクシーを捕まえる場面で「テレクラ」って書いてるド派手な看板が映りこむのにも脱力だ。
もうやめようぜ。こんなテレクラやブルセラやパラパラに手を染めている、トラウマを抱えた東京のアバズレ女子高生が最先端っていう20年前の風潮。
- 2014.06.28 Saturday
- ギャル・JK今昔
- 20:26
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- by 悩み