リアルサザエさん
1951年2月の育児本(雑誌付録)を発見。この表紙は絵なのか、写真なのか・・・
1951年2月ごろをちょっと調べてみると、団塊世代のベビーブーム(1947〜49)は落ち着いているがまだ占領下。戦後すぐは日本軍性格悪っ。とばかりに勝者アメリカが戦前を裁き9条や教育基本法など左翼が好きそうな奴をグイグイ押しつけてきたが、もうこの頃になると朝鮮戦争始まってるなど冷戦が本格化してきて日本では自衛隊の前身である警察予備隊が組織され、赤(左翼)狩りなどもけっこう行われていたようだ。
だから冷戦においてアメリカの敵である左翼はその後も安保闘争とかすごい盛り上がってるし、今でも沖縄でアメリカ軍出ていけってやってるけども、基本的にライフスタイルにおいては敗戦のトラウマもあって貧乏で迷信オカルトな日本に対し、アメリカ式が科学的で豊かで正しくて素敵だったであろう。この後高度経済成長期が始まり、マスゴミの影響もあってアメリカ脳におかされた日本人はその豊かさに追いつけとばかりモーレツに働き、かまどやちゃぶ台といった大和のスピリットを捨て朝っぱらからダイニングでトーストなどを食べるようになった。
挿絵の奥さまは割烹着と洋風パーマネントが決まっているオシャなサザエさん型が半々。この奥さまが現在85歳以上であろうと考えると、完全な戦前型育児していた婆はほぼ絶滅しているのではなかろうか。
「アメリカ式のしつけのよいところをとつて、ベッドに入れるとひとりで眠り、自分で洋服も着れば、おもちゃも整理いたします」(わが家のしつけ)
いくらアメリカのステマが凄まじいといったところでまだこの頃は子育てについて婆があれこれ助言してきたのだと思うが、上流階級のあいだではすでにアメリカ式を取り入れ、このわが家のしつけシリーズは他にもアメリカ人の牧師さんが経営する幼稚園に通わせて小さい頃から宗教教育するのもよいとしみじみ思います・・・うんぬんとアメリカかぶれ極まりない。というかこの本に限らず、同じくらいの頃の婦人雑誌は「あちらでは〜」「向こうでは〜」と、何かとアメリカのステマが多く、奥さまがたがそんなオシャなライフスタイルに憧れたであろうことが容易に想像できる。
赤ちやんが生後二カ月か二カ月半になつて、腹ばいにさせれば首を持ちあげるようになりましたら、なるべく早いうちにうつぶせの恰好で、頭を枕につけて寝かせるように、向うでは習慣づけます。いつまでも仰向けに寝かせておきますと、やわらかい赤ちやんの後頭部は、平べつたくぺちやんこになり、また、たゞさえ薄い毛はすり切れてハゲになつてしまいます。これは大したことではなく、のちになれば簡単に治るものですが、せつかくかわいらしい赤ちやんの頭を形よくきれいにしておくために、アメリカのお母さん方がどなたも実行なさることだとは、ほゝえましい話ではありませんか。
生後2か月程度でうつぶせ寝って大丈夫なのか?と思って調べてみると、やはり現在は赤ちゃんの突然死との関連が疑われ推奨されていないようである。昔粉ミルク推しの理由に乳の形が崩れないといったようなことがいわれていたようだが、赤ちゃんの頭が平べったくなったりハゲになったりするとかいうのを心配するのもアメリカ的発想なのかもしれない。
美健ガイド社のマンガでGHQの陰謀で添い寝や抱っこが奪われた〜とあったように、じっさいアメリカ式育児法シリーズでは母親の負担を減らしたり(本書ではのちのナルちゃん=皇太子さまの担当医となる緒方安雄によりおんぶも否定されている)、赤ん坊のころから1人で遊ばし自立をうながすといった傾向は随所に見受けられる。抱きぐせがつく、とかいうのも特に何か根拠があったわけではなく、戦後特有の「日本間違ってるけどアメリカは科学的で正しい」ってなノリだけで既成事実化したのではなかろうか。
赤ちゃんが目をさましているときは、周りを見廻して、自分でおもちやを持つたり手足を動かしたりして遊んでいるのが普通です。あたりのさまざまのものを見、いろいろの音を聞いているということは、それだけ眼や耳を働かせていることですし、おもちやを持つたり、手足を動かしていることは、体を働かしていることです。赤ちやんはこのように心も体も一生懸命働かせているうちに、成長してゆきます。働かせていればそれだけ強く、確かになるものを、抱いてしまうと自由に動けなくなり、こんな風に自分で自分を働かせることができなくなつて発達を妨げることになります。
それだけではありません。一たん抱き癖がついてしまうと、もうだれかに抱いてもらわないと満足しなくなるものです。一本立ちになれない、依頼心の強い性格が、ここから芽生えてくることになります。
抱いてもらえないと泣き、泣くとかわいそうだといつて抱くようになり、このために、抱いてもらいたいばつかりに泣くという泣き癖も、こゝから生れてきます。
赤ちやんがほんとに眞直な成長をしてゆくことができるように、こんな癖はつけないようにいたしましょう。
赤ちやんは、いろいろの物を見たり、聞いたり、いじったり、また体を動かしたりすることが大好きです。このようにさまざまのことをして喜ぶのが赤ちやんの遊びであり、こうしているうちに、赤ちやんの心も体も順調に成長してゆくことができるのです。
このように考えると、赤ちやんが自分でいろいろのことをして遊べるようにしてやることが、一番大事だということがわかります。抱き癖をつけると、赤ちやんが自分でいろんなことができないから、成長をおさえることになると前に申しました。それと同じことがすべてのことについていえます。
できるだけ体の自由がきくように、着物やおむつに工夫をしてやりましよう。寝返りをし、はい廻るようになつたら、動き廻つてもあぶなくないように、危険なものを片づけましよう。何よりもよいことは、赤ちやんが自由に遊べる場所を作つてやることです。赤ちやんを入れる柵のついたベビー・サークルなどは、このようなものとして最も理想的なものです。
抱き癖やおんぶ癖をつけたり、お母さんが一々相手をしてやらないと満足しないというような癖をつけないで、一人でおもちやを持つて、おとなしく、思う存分に遊ぶ赤ちやんにしたいものです。
大人の手をかけないで、自分一人で自由に遊べる赤ちやん、そしてその遊びによつてすくすくと成長してゆける赤ちやんにいたしましよう。
美健ガイドのマンガにもそれっぽいことが書いてあったように、抱き癖理論がサイレント・ベビーの原因になっているのではないかと疑われ、これまた現在ではあまり推奨されていないようだ。とはいえ、このような育児法がアメリカのステマだったからといって、日本人を不健康にさせるための陰謀だったと解釈するのは理解に苦しむ。
当時はまだそこまで粉ミルクや哺乳瓶といったものが普及していなかったのか、人工栄養として赤ちゃんに牛乳やハチミツを与えていたようである。というか、粉ミルクそのものが湯だけではなく砂糖を加える処方だった模様。
昔は女の命取りといわれたお産も最近は医学が進歩して段々安全になつてきました。
お産による死亡率は、明治35年頃は出産1万に対して40人前後の高率でしたが、昭和23年には15.7人にまで減少しています。
それでも年々5,000人近い貴い人命がお産のために失はれています。こうした不幸もお産についての正しい科学的な智識さえあれば、もつともつと除かれることでしよう。
1951年はまだ自宅出産が普通で、病院出産が普通になるのは1960年代くらいかと思う。(←検索してもよく分からなかったので私がそう思ってるだけだが・・・)何年か前に新生児が取り違えられて病院を訴えていた事件があったけども、その人が生まれたのも1953年とまだ病院出産のはしりの時期で昔はそういう悲劇も珍しくなかったらしい。
その時点でも明治時代と比較すれば妊産婦死亡率はすでに1万人あたり40人から15.7人とかなりの減少しているのだが、Wikipediaによると2012年10万人当たり4人にまで減っており、この広告のように1万にあてはめると0.4人となる。成程これはお産について正しい科学的な智識がお産の不幸を除かせたことにほかならないだろう。
そう考えると吉村医院みたいにハピふる!もとい、幸せなお産で江戸時代に帰ろうよ。というステマは妊産婦や新生児を自然淘汰しようという陰謀にも思える。GHQやサイレントベビーよりそっちの方がガチすぎて怖い。
森永ヒ素ミルク事件はこの4年後のことだった。スポック理論の反動からか現在では一部に母乳信仰もあるので、それに対して粉ミルクの何が悪いんだよ!という論争もかまびすしいが、やはり大量生産品は何かが混入したときのリスクもあるし、じっさいに粉ミルクで悲劇が起こっていたことは高度経済成長期の負の面として忘れてはならないだろう。
- 2016.11.22 Tuesday
- 懐かしい
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- by 悩み