ルーソ化の数々
評価:
猿岩石 角川書店 --- (1998-07) |
前回私が思いついた概念「ルーズソックス化」について説明しようと思たのだが、SMAPのことだけ書いて終わってしまった。まづルーズソックスという名称は私の中で90年代前半をくしゅくしゅソックス時代、95年以降をルーズソックス時代と区分している歴史認識によるもので、ルーズソックス化したもろもろが靴下と関係あるとは限らない、というか基本的には関係ないと考えていただいてよろしい。
くしゅくしゅソックス時代とはその名のとうり女子高生が靴下をくしゅくしゅとたるませてはいていた時代で、そのくしゅくしゅソックスがルーズソックスに進化し、ギャルのイメージが確立された時代がルーズソックス時代である。1995年は大きな事件やファッションの変化があって人々の価値観が激変するのであるが、どうもくしゅくしゅソックス時代はジュリアナしかり90年代というにはバブリー感が残りすぎているいっぽう、実際にはとうにバブル崩壊していてすでにコギャルも存在していたりと、つかみどころのない時期であるせいか人々に思い出されることも少ないように思う。
たとえば最近平野ノラというバブルの女を再現したらしいお笑いがいるけれども、そういうバブル期のギャルや90年代のコギャルはキャラが立っている。しかしその間にはさまった90年代前半は過渡期であるためにいまいちイメージがわきずらく、その中途半端っぷりを象徴するのが誰にも思い出されないくしゅくしゅソックス、およびお立ち台ギャルにもコギャルの波にも乗れなかったくしゅくしゅソックス世代(1973〜76年生まれ)なのだった。
代表的なものとしてテレビの例を多くとっているが、くしゅくしゅソックス時代はオカルトやお色気、サブカルなどバブル期以上の享楽的なノリを特徴としており、飯島愛がこの時期にコギャルの先駆者として頭角を現したようにお子さんがたが起きている朝やゴールデンタイムでさえTバックギャルが尻をふっていたほどであった。だが95年初めに阪神大震災があったせいかお色気がなりをひそめる。
またオウム真理教という宗教がサリン事件で世を騒がせていたためにオカルトもほとんど見かけなくなり、全体的にそれまでのくしゅくしゅ時代のノリが笑えなくなったり不謹慎として一気に姿を消し完全に潮目が変わった感があった。そんな激動のルーズソックス時代をさかいとした脱オカルト、脱サブカル、脱左翼、脱お色気、脱B級現象をルーズソックス化と呼ぶことに決めたので、その例を既出の話題含めて挙げてみよう。
渋谷
渋谷はギャルの聖地としてその名を知らしめてきたが、渋谷系(≒ほっこり)というカテゴリーもあることからじつはくしゅくしゅソックス時代までサブカルを売りにしていたのがルーズソックス化した例と思われる。渋谷109ももともと別にギャル向けの商業施設ではなくコギャル全盛の1996年ごろは売り上げも悪かったけど、JKのルーズソックス化を受けてギャルショップに力入れたところ大成功し2000年ごろに「カリスマ店員」「お姉ギャル」などの文化を生み出した。
ポップティーン
くしゅくしゅソックス時代は少女たちがセックスの体験談やイラスト(妄想)を投稿する過激な雑誌が数多く存在し、その多くが「○○ティーン」という名称でポップティーン誌もそのうちのひとつだった。おそらく「セブンティーン」の後追いなのだと思うが、セブンティーン自体はおそらく健全なファッション雑誌だったと思われる。
そんなポップティーンがいつギャル雑誌にくらがえしたのか、検索しただけでは分からなかったが押切もえが出ていたとの情報をどっかで見たのでeggとかカワイイのちょっと後くらいだったのではないだろうか。しかしギャル文化下火の今、ポップティーンは何系かよく分からない路線になっている。
ポップティーン(Twitter)
https://twitter.com/Popteen_jp/status/636430732328484864
Popteenが今のサイズになって、ファッションページが増えたのは1993年11月号から。そのころ渋谷が注目されはじめて「コギャル」誕生!ルーズソックス、始めは「くしゅくしゅソックス」という名前だったみたい。=͟͟͞͞٩(๑☉ᴗ☉)੭ु⁾⁾
オウム真理教
ルーズソックス時代は地下鉄サリン事件で幕を開けた。その後村井が刺されたり上祐が会見したり麻原が逮捕されたりと派手な展開だったために95年のワイドショーはオウム一色、とくに「THEワイド」(現在のミヤネ屋)や「スペースJ」って番組がオウム報道に力入れまくっていて、THEワイドのオウムコメンテーターで名を知らしめたのが最近ヘイトスピーチとか横田めぐみさん関係で見かける有田芳生だった。
くしゅくしゅソックス時代までこの手の宗教ネタはカルトといえども今の金正恩みたいなちょっとしたお笑いB級ニュースの枠で、どっちかというとオウムよりも統一教会が取り上げられることが多かった。しかしサリン事件があまりにもガチなテロだったために、オカルト特にヨガが笑えない感じになってしまい、くしゅくしゅ時代によくやっていた江頭がヨガの達人と対決したり、気功で人が吹っ飛ばされたり心霊写真を鑑定したり催眠術にかかるような馬鹿馬鹿しいバラエティのたぐいはほとんど見かけなくなってしまった。
お笑いだけでなく中沢新一がやっていたNHKスペシャル「チベット死者の書」(93年)も相当怪しかったが、中沢氏はオウムを擁護していたとかで長らく失脚していたという。だけどその後チベット死者の書の監督がエンデの遺言という番組で地域通貨を提唱して一部左翼から熱烈な支持を受けたし、2000年代にロハスが叫ばれる頃にはオウムのほとぼりも冷めて中沢氏も復活したようだった。
山口美江
テレビで催眠術にかかりまくっていたのが、バブル期にバイリンギャルとして脚光を浴びた山口美江。当時司会業などで活躍していた渡部正行との交際もささやかれていた。
その出来る女のイメージに反し気さくなキャラでくしゅくしゅ時代のバラエティに欠かせない存在だったにもかかわらず、1996年芸能界を引退。ときたま「あの人は今」のたぐいに出演する以外は見かけなくなり、4年前に51歳の若さで死去したと報じられた。
蓮舫
グラビア出身ながらくしゅくしゅソックス時代は報道番組のキャスターを務めるなどのちに政治家となる片鱗も見せていたが、個人的にはスーパージョッキーの司会が印象に残っている。一時家庭に入ったのか、ルーズソックス時代にぱったり見かけなくなった。
今は蓮舫なんてしょっちゅうテレビに映るし出自が台湾で苗字が村田・・・などなどWikipediaとかで確認できるけども、当時は全然可愛くないし蓮舫って名前何やねんと思っていた。テレビに出なくなってからもたまに思い出しては、蓮舫ってけっきょく何だったのよと思っていた。
だっふんだ
山口美江や蓮舫同様にルーズソックス時代に見かけなくなったのが志村けんで、死亡説さえ流れた。ただ高校の時の同級生がドリフの大爆笑見ていたように思い検索すると、やはりこの頃まだドリフ大爆笑は放送されていたようで志村も出ていたはずなのだが。
ともかく志村のバカバカしい笑いはルーズソックス時代における脱B級、脱お色気の流れに乗れていなかったのはまちがいない。だが2000年代に入ると、ミニモニとコラボしたり志村動物園も始まったりでふたたび返り咲き、2016年現在もなお現役でお笑いとしては異例ともいえる息の長さを見せつけている。
ボキャブラ天国
タモリ司会の通称「ボキャ天」は92年10月に開始し、フジテレビ系ではあったがハウフルス制作だったために空耳アワーの替え歌版という感じで、たとえばクリスタルキング「大都会」を「あーあーハゲ歯科医ー♪」とか森進一「冬のリビエラ」を「フグの右エラ」・・・といったぐわいに視聴者が投稿したネタをもとに短いビデオが何本も流れるようなゆるい番組だったのだが、ルーズソックス化して以降は爆笑問題やネプチューンなど芸人が多数出演しJKにキャーキャー言われるようになった。今PPAPで活躍中のピコ太郎も出演していたのだそうだ。
同じく「電波少年」も松村が体を張るアポ無し企画が中心だったのが、96年から猿岩石(有吉のいたお笑いコンビ)のヒッチハイクやり出してからJKにキャーキャー言われたり芸人の登竜門みたいになっていった。芸人ではないけど、宮路社長とか金萬福とか出ていたはずの「浅草橋ヤング洋品店」が小室のオーディション番組「asayan」にリニューアルするなど、この時期にルーズソックス化(JK迎合)してくしゅくしゅ時代と別物になるお笑い番組が多かった。
川島なお美
昨年がん闘病のすえ若くしてこの世を去った故・川島なお美。子供のころお笑い漫画道場で親しんだが、途中で交通事故にあって番組を降板した。
その事故はWikipediaで確認すると1989年とのことだが当時の報道はなんとなく記憶にあり、松島トモ子がライオンに噛まれた時みたいなのを首につけて痛々しい姿だったような気がする。その後漫画道場の若い娘枠は森山祐子という人がやっていたけど顔が濃くてあまり好きになれなかったし、じっさいなお美時代が漫画道場の全盛期だったはずだ。
くしゅくしゅソックス時代に漫画道場が終わり、ルーズソックス時代にさしかかると漫画道場のイメージしかなかったはずのなお美が「イグアナの娘」「失楽園」で女優として返り咲き、脱B級=ルーズソックス化に成功した。しかもワインとかセレブみたいないけすかんキャラになり、幼き日に見た漫画道場のなお美は何処逝ったのよ?と、何か納得のいかない気持ちでその活躍を見ていた。
しかしなお美が高齢で病気がちな富永先生より先に逝くとは誰が想像できただろうか。今でも信じられない気持ちだ。
宮沢りえ
くしゅくしゅソックス時代はヘアヌードが解禁され、お毛毛の写ったヌード写真集が一大ブームとなった。そんななか宮沢りえも18歳で篠山紀信撮影のヘアヌード写真集を出したのでものすごい騒ぎとなった。
しかし93年、会見までしたのに貴花田と婚約解消。その後もCMで「すったもんだがありました」とおどけていたが、精神を病んだのかルーズソックス時代に入るとヌード写真のときの美しさがまるで嘘のように激ヤセし、しばらく芸能界からも遠ざかっていた。
安室奈美恵
安室氏はくしゅくしゅソックス時代には「スーパーモンキーズ」としてすでにそこそこ知られた存在であり、NHKの歌番組「ポップジャム」でバックダンサーしたりサブカル色の強い子供番組「ポンキッキーズ」で兎の着ぐるみを着て童謡を歌ったりなどしていたが、ルーズソックス時代に入るとスーパーモンキーズから分離し脱B級に成功、残されたスーパーモンキーズは「MAX」となりこちらはB級路線をそのまま引き継いでいた。安室とMAXが牽引した沖縄アクターズスクールブームにはSPEEDが続き、他にはダパンプとか知念里奈とかフォルダー、あと売れてはなかったけど山田優もいた。
アクターズスクールの先人としては関空でアイス売りしている早坂佳恵やISSAの姉ちゃんの里中茶美がアイドル系、そのほかにギンコっていう人がR&Bとかダンスを基調としのちのアクターズスクール路線をいち早く開拓していたがいづれもパッとしなかった。スーパーモンキーズ時代の安室も正直いって全然あか抜けてなく、悪い意味で沖縄!ハーフ!って感じの濃い顔でダウンタウンにも猿みたい(モンキーズだけに)と陰でいじられていたが、細眉やベージュリップなどのルーズソックスな厚化粧をほどこすようになってからはお人形さんのようになって見違えJKから熱烈な支持を受けた。
MJ
フジテレビ系の歌番組「ヘイヘイヘイ」はくしゅくしゅ時代末期の1994年10月に始まり、その後小室やロックバンドがミリオンセラーを出すとともに人気番組に成長。司会の浜田雅功も「ヘーイヘイヘイ時には起こせよ・・・♪」と番組名の入ったような小室プロデュースの歌を出し、ルーズソックス時代の1ページを飾った。
90年代前半は歌番組が低迷していた(CDは売れてたけどタイアップの一発屋とか氷室とか小田和正みたいなあんまりテレビ出ない奴ばっかりだった)と以前にも言及したが、当時フジテレビ系の歌番組といえば古館伊知郎、加山雄三、田中律子司会の「MJ」(92年10月〜94年3月)が印象深い。金スマの赤服みたいにミニスカートはいたギャルが座っていてCMに入るといっせいに足を組み替えたり、やたらファックス言ってたりとくしゅくしゅらしいノリとセットで、今調べると短命だったようだが私はけっして嫌いではなかった。
[ミュージック]MJ[ジャーナル](2ちゃんねる)
http://bubble4.2ch.net/test/read.cgi/natsutv/1059791100/
1:名無しだョ!全員集合:03/08/02 11:25 ID:pIso8Fc9
司会:古舘伊知郎・加山雄三・田中律子
第一回目のテーマが「チャゲ&飛鳥は演歌である」(小金沢昇司が演歌バージョンでSAY YESを歌っていた)5 :名無しだョ!全員集合:03/08/02 13:55 ID:wn2bi46h
文字情報があった番組?
6 :名無しだョ!全員集合:03/08/02 15:24 ID:8I86rldc
懐かしいなあ・・・この番組でミスチルを初めて見た。7 :名無しだョ!全員集合:03/08/02 15:30 ID:4+9U2xdv
足を組みかえるだけのネーチャン達 スタッフの便所だったんだろーなー9 :名無しだョ!全員集合:03/08/04 11:16 ID:SzLMzFGu
>5
そうそう、はっきりいいて番組の内容よりも電光板のアーティスト情報(はっきりいってどーでもいい情報)の方が
気になってたよ!で、一番印象に残っているのが「大の阪神ファンの陣内大蔵は神宮球場のヤクルト戦を見に行って、連夜のサヨナラ負けで大荒れだった」ってやつ14 :名無しだョ!全員集合:03/08/16 11:47 ID:OOcgpEnM
>1
その第一回目の特集を見たチャゲアスの事務所の人間がフジにクレームつけたってのは本当か?17 :名無しだョ!全員集合:04/01/22 13:07 ID:???
何気に毎週見てた番組だな18 :名無しだョ!全員集合:04/01/22 13:50 ID:???
自分も観てたな。ミスチルをビデオに録った覚えがあるので、
探せばこの番組出てくるな。ユーミンも古舘にクレームつけてたような気がする。
19 :名無しだョ!全員集合:04/01/23 04:44 ID:U/HtdvWY
FAXガールズ21 :名無しだョ!全員集合:04/01/24 01:12 ID:3EjNzoJA
司会者席の電光掲示板に「古舘伊知郎のマネージャーは…」と
一瞬映ったが、その後出演者のワンショットに切り替わってしまい、
当時、古舘の周辺では
「古舘伊知郎のマネージャーは…の後は何なんだyo!」と
大騒ぎになった。無論、そんな電光表示が出るなどとは本人も知らず
古舘自身が「その続きを知りたい!」と関係者に言っていた。22 :名無しだョ!全員集合:04/01/25 03:19 ID:hJXeqkON
今だったら電光掲示板と画面を分けて放送するかな。
確かこの番組って秋元康が関わっていたような。24 :名無しだョ!全員集合:04/04/15 23:17 ID:ISrpQltn
サザンが「エロティカ セブン」を歌ってる時に桑田が加山雄三に脳天チョップ
を食らわせた記憶がある25 :名無しだョ!全員集合:04/04/21 22:49 ID:W0y2y4E6
チャゲアスがこの番組で古館に馬鹿にされて、それに怒って「YAH YAH YAH」を作ったんだよね。27 :名無しだョ!全員集合:04/04/24 20:30 ID:???
>14
チャゲアスの事務所の人じゃなくて、ASKA本人が古館にクレーム。
YAH YAH YAHはこの怒りがきっかけらしい。
おしゃれカンケイで言ってた。28 :名無しだョ!全員集合:04/05/02 22:26 ID:fRG/Dvh5
橘いずみをフィーチャーしてたね29 :名無しだョ!全員集合:04/05/03 07:03 ID:???
後に出た、DEENの「♪このまま君だけを奪い去りたい〜」は
この番組から出たのかな?32 :名無しだョ!全員集合:04/05/08 01:47 ID:???
★歌とは全く関係ない遠距離恋愛特集
→「エンレン」という言葉を生んだ(メジャーにした)のはこの番組?★加山雄三、当時のホールズのCMソング歌う
36 :フィヴブ:04/07/28 15:34 ID:OjmFX8zU
僕が覚えている電光掲示板で印象に残っているのは「J-WALKはよくJ-WAVEと間違えられるらしい」です。
J-WALKがJAY WALKに改名したのは、これが原因かなと思ってしまう。37 :名無しだョ!全員集合:04/07/28 19:08 ID:7zBO6PMr
録画の日って、電光掲示板の映り方がおかしかったような。38 :携帯:04/08/11 04:32 ID:+L698+BB
>32
そうですね。
「遠恋」という言葉を最初に使ったのは、この番組(と言うか、古舘伊知郎)。
本人も初めて口にしたとき「また変な古舘語録を作ってしまった」って顔をしてましたよ。ところで「エンレン→遠恋」が一発変換できてビックリ。
41 :名無しだョ!全員集合:04/10/05 17:08:25 ID:wb1z/HZo
懐かしいな、この番組。
遠距離恋愛という言葉を流行らせた番組だね42 :名無しだョ!全員集合:04/10/31 23:12:59 ID:???
私に翼があれば♪
って歌ってたね52 :名無しだョ!全員集合:2005/03/24(木) 18:27:05 ID:Q7B1HyCC
チャゲアス激怒57 :名無しだョ!全員集合:2005/04/18(月) 20:46:57 ID:???
松村のピロピロって番組で
MJをパロってOJっていうのをやってた。
電光掲示板のかわりに長い布に文章書いて
横に動かしてた63 :名無しだョ!全員集合:2005/06/09(木) 05:24:32 ID:???
ニュース番組っぽく作った音楽番組といっていいのかな
真偽はともかく電光掲示板のアーティストのネタが気になってしょうがなかった66 :名無しだョ!全員集合:2005/07/02(土) 12:10:30 ID:CxdpPwzY
誰もつっこまないが
>>1
1回目の特集はユーミン。
これみてユーミンがきれたのは有名な話。
「チャゲアスは演歌だ」とか「B'zはJリーグだ」とかよくわからないまとめかたをして
しかも古館や加山がそれにさらにわけわからんコメントいれて・・・
そんな印象だなこの番組。67 :名無しだョ!全員集合:2005/11/30(水) 19:43:37 ID:???
チャゲアスファンだけど演歌といえば演歌だよね
最初はフォーク艶歌とか呼ばれてたし71 :名無しだョ!全員集合:2005/12/28(水) 00:07:39 ID:???
>>66-67
今更気が付いたんだが、5ヶ月近くもレスが付かなかったんだな。74 :名無しだョ!全員集合:2006/03/14(火) 05:14:24 ID:/5El9EL0
恐い歌特集、山崎ハコの歌が強烈で、その夜は眠れなかった。
森田童子も紹介されてたね…手首を切る歌。
最後に何故か桜田淳子の「わたしの青い鳥」が流れたんだけど、本来恐い歌ではないはずなのに
凄い不気味な感じがした。…記憶違いだったらごめんなさい。
北朝鮮
94年に金日成が死亡し、本格的な金正日体制(ルーズソックス化)が始まった。80年代半ばから「現代コリア」あたりで実は北朝鮮怖いってな情報はかなり出始めていたものの、北朝鮮の今の地位が決定的になったのは金正日時代だろう。
冷戦が終わってソ連の援助もなくなったってことで飢饉もすごかったらしいが、なんといっても96年に現代コリアに載った記事をきっかけに横田めぐみが拉致されたことが判明。ちょうど社会党(現在の社民党)政権が失敗した頃でもあるし、社会党と言えば北朝鮮ってことで左翼離れが顕著となり、かっては自民党と張り合って山が動いたとか言ってたのに見る影もなくなった。
脱自虐史観
そういえばこの頃から保守系が優勢になってきたのか、新しい教科書をつくる会(96年)が組織されたり産経新聞の「教科書が教えない歴史」(95年)がベストセラーになったりしたようだ。のちにネトウヨに進化していく流れか。
https://www.amazon.co.jp/dp/4594020402
- 2016.12.29 Thursday
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- by 悩み