死んだ人生きてた人

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    マレーシアでの金正男暗殺から一週間ほどが経過した。あらためてニュースなどを見ると北朝鮮籍の男が逮捕されたと報じられていたが、まだ犯行や死因について詳しくはわかっていないようだ。

    事件当初は毒針で殺られたとか工作員が自殺したとか言われ、情報が錯綜していた。今時点では北朝鮮の男が日本のドッキリ番組をかたって工作員でもなんでもない東南アジアの女2人に殺させた説が主流になっており、毒の専門家筋からはオウム事件のときにもよく聞いたVXガスが犯行に使われたと予想されている。

     

    【衝撃事実】金正男の命を奪った女はユーチューバーだった / 容疑者女の全YouTube動画を公開(2月19日 ガジェット通信)

    http://getnews.jp/archives/1633033

    今回の事件は日本人になりすましたり東南アジアが舞台だったりといった点から、80年代の大韓航空機やラングーン事件が思い出される。といっても私のようなピチピチギャルはいづれも覚えていないのだが。

    しかし例の口にテープ貼られた金賢姫が両脇を抱えられてタラップを降りてくる映像は、北朝鮮とか全然分からなかったこともあってとにかく不気味で怖かったし、田口八重子さんの北京原人みたいなモンタージュ画像もめちゃキモかった(田口さん本人に似てない)。そして今回女工作員、いや工作員にだまされたベトナムのインターネットアイドルLOLたんの防犯カメラ映像見て、いくら低画質がオシャって言われる昨今でも、お子さんはこんなオバケみたいな女の写った静止画見たら夜おしっこ逝けんだろ。と思った。

    LOLたんのYouTube見たら意外と可愛い普通の娘だったが、「ペヤングパクチーMAX食べてみた!」「今月号のsweetの付録が豪華すぎる!」「オールキャンメイクでオルチャンメイク♡」みたいな奴はなく、そんじょそこらのフザけたユーチューバーですよー。っていう既成事実を作るためにこさえた適当な動画のような気がした。ちなみにYouTubeに前からあるラングーン事件の動画も、爆発の瞬間や血まみれの人々が映ってるし音楽とか画質とかいろいろ怖い。

     

    【金ハンソル氏とは】金正男氏の息子、暗殺警戒してイギリス留学を断念(2月20日 The Huffington Post)

    http://www.asahi.com/articles/ASK2N2TWCK2NUHBI00F.html

    しかし80年代ならともかく今の時代に信じられないほどの野蛮な犯行だったが、今度は金正男の息子であるキムハンソル君が狙われているという。ハンソル千里走る。

    今回の事件で日本国民は「おれたちのまさおを返せ!」と悲しみにくれ、テレビでも「あのインテリで気さくな金正男さんが・・・」てな感じでその死がおしまれているが、なぜこんなに日本で人気になったかと言うと、テポドンが日本に飛んでくるって騒ぎになってたときに金正男がその迎撃作戦に理解を示すコメントをしたからである。今調べるとそれが2009年の麻生政権時代のときだ。

    よくディズニーランドに来たときの当時29歳の金正男の映像も流れているが、当時まだ金正恩の存在が知られてなかったので正男が後継者と思われてその印象はすこぶる悪かったため、そうした第一印象とのギャップで好感度が爆発的に上昇したというわけだ。金正男がインタビュー答え出した2009年は、寿司職人藤本健二がただ一人後継者を金正恩と予言し子供のころの写真を公開していた時期でもある。

     

    消息不明だった金正日の料理人・藤本健二氏は生きていた!! 北朝鮮ツアー会社が「伝説の料理人のグルメを楽しむツアー」を開催 / 平壌『日本料理たかはし』(2月16日 ロケットニュース24)

    http://rocketnews24.com/2017/02/16/863660/

    その藤本健二、けっこう前から「北朝鮮逝ったけど消息不明」ってな報道がなされていたために、今回の暗殺をうけて「こりゃ藤本氏もまさか・・・」と真っ先に思い出したのだが、なんとその直後に平壌で日本料理を開店したってな情報が流れた。タイミング的に「こりゃ藤本もまさか・・・」と思った、たぶん私を含めた500人くらいにむけての「藤本は生きてるよ!」ていう、北朝鮮のメッセージなのだろう。

    ともかく藤本氏が金正恩との友情をもって何か解決してくれるのでは。と思った私が馬鹿だった。本名高橋だったのか。

     

    TWICE、遂に日本デビューへ! K-POP人気No.1グループの魅力とは?(2月10日 All About NEWS)

    https://news.allabout.co.jp/articles/o/20070/

    さてそのころ南のほうはというと昨日発表した新曲「ノックノック」も大ヒット間違いなしのガールズグループTWICEが渋谷や原宿にもの凄い広告出しているらしく、日本でのゴリ押し、いやデビューも間近と噂されている。IOIで有名になったソミが加入するのではないかという心配は杞憂に終わった。


    団塊よりも

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      くしゅくしゅソックス世代(1973〜76生まれ)およびルーズソックス世代(1977〜80生まれ)など、おもに1970年代生まれの若き日を解説することの多いわがブログだが、それとは別に着目しているのが1930年代生まれだ。この世代は今80代くらいなので最近はじょじょにあの世に逝っており、先日もテレビを見ているとこんなCMが流れていた。

       

      ボス『昭和』篇 60秒 トミー・リー・ジョーンズ サントリー CM(YouTube)

      https://www.youtube.com/watch?v=MW0ynGlUOr8

      永六輔「昭和ひとけた族というのは調子がいい、目立ちたがり屋といわれ・・・」

      宇宙人ジョーンズ「この惑星の昭和と呼ばれる時代には濃いい奴らがいたらしい」

      ・・・

      蜷川幸雄「やりたいこと、ちゃんと自己主張しなさいと」

      大橋巨泉「人間生き方だけは自分のチョイスでいきたいんだよね」

      永六輔「世の中変わっていくけども絶対変えてはいけないものは変えない」

      宇宙人ジョーンズ「この惑星の昭和はこれからもどこかで生き続ける」

       

      このCMのシリーズ前から意味分からんし気持ち悪いと思ってたけど、これ見て左翼が作ってたんだ。と確信した。上記引用にもあるように、この世代には「昭和ひとけた世代」という名前がついている。

      しかし私的にこの世代は「太平洋戦争時にいちおう生まれてたけど戦争逝ってない」ってのがポイントなのに、昭和のひとけたやふたけたで分けると、戦争知ってる1920年代生まれまで1930年代生まれと同じカテゴリになっちまう。この違いに関してはウィキペディアにも明記されている。

      昭和一桁(Wikipedia)

      https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%AD%E5%92%8C%E4%B8%80%E6%A1%81

      成長過程

      「昭和一桁世代」には2つの層がある。それは、昭和一桁前期生まれ(1926年(昭和元年)末〜1929年(昭和4年)生まれ)と後期生まれ(1930年(昭和5年)〜1934年(昭和9年)生まれ)という2つの層である。前期の人々の多くは、大戦末期に兵士として戦地へ動員され、また軍需工場に徴用されるなどで、戦争に参加した。特別攻撃隊として出撃したり工場で空襲を受けたりして戦死した例も少なくない。後期の人々の多くは、地上戦が行われた沖縄などの少年兵を除いて戦地へ動員されていない。

      昭和一桁後期の人々は予科練にも間に合わなかったが、青年学校で軍事教練を受けて、学童疎開などを経験した。この場合、1920年代生まれは「真っ只中の戦中派」、1930年代生まれは「焼け跡闇市派」と呼ばれる場合もある。例えば1927年(昭和2年)生まれであれば第二次世界大戦終結時に18歳であるのに対し、1934年(昭和9年)生まれだと終戦時に11歳であり、一口に昭和一桁といっても第二次大戦の記憶は人それぞれであるが、大正期からの文化的連続性があった昭和初期の平和であった時期の記憶を持つのは、この昭和一桁前期生まれが最後の世代である。

      そのため1920年代終盤(昭和元年生まれ〜昭和4年生まれ)に生まれた人々は、小学校卒業後の思春期に第二次大戦に遭遇した。対して1930年代前半(昭和5年生まれ〜昭和9年生まれ)に生まれた人々は、日中戦争の最中に小学校に入り、第二次大戦の最中に小学校(第二次大戦中の国民学校)を出たか、小学校在学中に終戦を迎えた。

       

      世間一般で話題になりやすいのは戦後ベビーブーム時に生まれたうわゆる「団塊世代」であり、このブログで言及することの多い70年代生まれも団塊ジュニアなどと名前がついているらしいのだが、私はそこまで団塊が重要と思わないというか、戦後世代のノリは皆1930年代生まれの影響下にあるくらいに思っている。また右翼がよく日本のマスゴミが左翼寄りなのをGHQの陰謀のせいにしておるのも、じつはGHQというより戦後民主主義に毒されまくった1930年代生まれが新しい産業だったテレビの業界を作ってきたために左翼のノリが伝統化したというのが実際のとこではなかろうか。

      戦前までラジオや映画が中心だった娯楽にテレビがくわわるし、当時20歳代である1950年代後半にはテレビだけでなく冷蔵庫と洗濯機が「三種の神器」としてもてはやされた。てことは家事の厳しさからも解放されていたってことであり、戦争逝ってないにとどまらずもっとも若く経済成長の豊かなノリを謳歌しまくった世代であるし、そのせいか多くが80歳代を超えた現在においてもあまり年寄りくささがない。

      といっても上記に引用したボスのCMで「昭和と呼ばれる時代には濃いい奴らがいた」と言っているようにアクの強い人が多く、その昭和感、老害感も団塊より上回っている。そうした30年代生まれが長らく支配してきた戦後的価値観をすごい勢いで破壊し昭和を強制終了さしたのが、冷戦終わってバブル崩壊して日本とか左翼が落ち目になった戦後50年ごろに出現したくしゅくしゅソックス世代でありルーズソックス世代だった。

       

      1930生まれ

      キダタロー、竹村健一、左幸子、野坂昭如、小山内美江子、高島忠夫、俵孝太郎、深作欣二、ハナ肇、藤岡琢也、梶山季之、二谷英明

       

      1931生まれ

      宇津井健、高倉健、ジャニー喜多川、有吉佐和子、すぎやまこういち、漣健児、水野晴郎、山田洋次、八千草薫、いかりや長介、勝新太郎、篠田正浩、来宮良子、大村崑、芦屋雁之助

       

      1932生まれ

      野村沙知代、石原慎太郎、谷啓、本多勝一、小林亜星、大島渚、青島幸男、小田実、有馬稲子、早乙女勝元、秦郁彦、鈴木その子、五代目圓楽、長門勇、フランク永井、白土三平、仲代達矢、江藤淳、堀威夫、五木寛之、森田実、船村徹、田中邦衛、桂由美

       

      1933生まれ

      黒柳徹子、永六輔、浅利慶太、草笛光子、菅原文太、藤島泰輔、ペギー葉山、尹学準、扇千景、篠沢秀夫、林えいだい、藤本義一、児玉清、伊丹十三、藤子不二雄、藤田まこと、岡田茉莉子、淡路恵子、オノヨーコ、大山のぶ代、森村誠一、天皇陛下

       

      1934生まれ

      宝田明、長門裕之、山田太一、愛川欽也、東海林のり子、灰谷健次郎、米倉斉加年、田原総一朗、井上ひさし、倉本聰、白木みのる、松井やより、大橋巨泉、横山光輝、小中陽太郎、筒井康隆、玉置宏、山村美紗、美智子様

       

      1935生まれ

      筑紫哲也、美輪明宏、大江健三郎、高畑勲、田宮二郎、浜木綿子、赤塚不二夫、小澤征爾、桑田次郎、西尾幹二、大藪春彦、朝丘雪路、酒井政利

       

      1936生まれ

      長嶋茂雄、梶原一騎、野沢雅子、さいとうたかを、内海好江、毒蝮三太夫、野際陽子、桂歌丸、つのだじろう、山崎努、川口浩、梁石日、横田早紀江、北島三郎、湯川れい子、楳図かずお、内山田洋、市原悦子

       

      1937生まれ

      樺美智子、モンキーパンチ、小沢遼子、美空ひばり、横澤彪、若杉友子、阿久悠、左とん平、加山雄三、桐島洋子、加茂さくら、ばってん荒川、平尾正晃、花紀京

       

      1938生まれ

      和田春樹、島倉千代子、猪狩章、山尾三省、石ノ森章太郎、山城新伍、田辺昭知、小林旭、大林宣彦、なかにし礼、ミッキー・カーチス、細木数子

       

      1939生まれ

      水森亜土、橋下淳、内田裕也、中沢啓治、赤木圭一郎、ちばてつや、千葉真一、黒部進、高田健三、五月みどり、寺内タケシ、畠山みどり、かまやつひろし、山下敬二郎、徳大寺有恒

       

      突然30年代生まれの著名人を列挙してみたが、こやって見ると左翼、芸能、歌謡、漫画、アニメ、ドラマなど戦後文化の大御所が多い。その前の20年代生まれがまだ年寄り臭いのに比べ、30年代生まれは服装も若いし洋楽、洋菓子、ニンニクみたいな異国の文化に苦手意識もない戦後世代であることをふまえると、今たとえばSNSとかやってたとこでそんなに驚くことではないであろう。

      だから戦前、戦中生まれであるとか80過ぎとかいうと私のようなピチピチギャルから見ればすごい爺のような気がするしめっちゃ戦争知ってるイメージあるけど、それにまどわされてはならない。なんでこんなこと書いたかと言うと、戦前の悪で恐ろしいイメージがGHQのステマにくわえこの世代(の左翼)によって作られたものという気がしてならないのだ。

       

      はだしのゲン作者の中沢啓治は1939年生まれなので終戦時6歳である。被爆したといっても戦争中の話はリアルで見てきたものではないであろう。

       

      松井やより発言集(YouTube)

      https://www.youtube.com/watch?v=YHQF3opeHR0

      松井やより「その兵隊たちをですね、殺人鬼って言われたり強姦魔って言われたり強盗ってね、アジア行ったらみんな言ってますよ。そういうふうなことをさせるような状況にしたのが誰なのかどういう行動なのか。その責任者をね私たち自身の手で問うてないわけでしょ。ですからね、それが第二でしょ。それからもうひとつは補償ですよ」
      田原総一朗「お父さんは中国で何してらっしゃった」
      松井「あの、兵隊です。二等兵です」
      田原「・・・じゃあ同じようにされてたんじゃないですか」
      松井「そうです」
      田原「いや殴ったり」
      松井「殴ったり、されたんですよ」
      田原「いやいやそうじゃなくて。殴ったり、したんじゃないですか」
      松井「いえ、できない。うちの父はね、どういうふうにしたかっていうと、その殺さなくていいようにハンストみたいに非常にこう抵抗してですね、それはこっそりですよ。で通信部隊っていう全然殺さなくていいところにね行って、そして父がまぁキリスト教の関係だったもんですから、そのー中国の子ども達にいろいろしたりなんかしたからね、すぐ・・・」

       

      なんか男を叩いているような女(もしくは女を叩く男)などを見ると、この人自分のお父さんやおじいちゃんのことはどう思っているんだろうか。とつねずね疑問に思っていたが、松井氏のように「うちの父だけは日本人で男だけど例外」ってパターンもあるらしい。ともかく30年代の語る戦争の残酷さの多くは実際の体験でないうえ、何か特定の思想にもとずいた感がすごいので話半分に聞くことにする。

       

      昭和ひとケタ世代日本を怒る1983年1(YouTube)

      https://www.youtube.com/watch?v=Z-44U9yxC8I

      石原慎太郎「ぼくは中学1年でした。戦争はあっけなく終わった感じがしましたけどね、それから一両日おいて私の住んでいる逗子湾の付近にアメリカの連合艦隊がやってきましてね、とにかくそれを迎え撃って死ぬんだということを大人たちが言い、私も15歳でしたけども、あーやっぱり自分も死ぬのかな死ななくちゃならんのかなという感じがしましたがね、別に恐怖心はなかったけどもそういう意味じゃその、私に限らずみんな軍国少年だったと思いますがね」

      田原総一朗「野坂さんは終戦のときは小学校?中学ですか」

      野坂昭如「みなさん数えでおっしゃってるから数えでぼくも言えば16歳ですね、中学3年です」

      田原「8月15日の思い出はいかがですか」

      野坂「ちょうど福井県の春江ってところにいまして、そこはぼくがそれまでいた神戸の瀬戸内海に面した町から比べると配給が非常によくて、比較的おだやかに暮らしてたんですね。なんか戦争の影も形もないみたいな感じでした。ぼくたちは確かに軍国少年で8月15日っていうとたいていは天皇の言葉がよく聞こえなかったって言うんだけども、どういうわけだかわりによく聞こえたわけですわ。でこれは負けたってことはすぐにわかったです。負けたってことがすぐわかったとたんに生物的反応として、もう空襲がない殺されなくてすむってことがまず考えた」

      田原「小田さんは38年前の8月15日、中学ですか?」

      小田実「中学一年生ですね」

      田原「いかがですかそのときの印象は」

      小田「ちょうど今野坂さんがおっしゃった8月14日の大阪の大空襲があったんですね、で砲兵工廠ってのが完全に全滅したんですけども、その近くに私住んでたんですよ。で私防空壕に入ってましたからね、14日のほうが印象的ですね。14日やっとこさ生き延びて出てきたらビラが落ちてましてね、それもう戦争終わりましたと書いてあるんですよ、お国の政府が降伏して終わったと書いてあるんですね。でこれいったい何だって思ったですよ。まあそれは私の根にあるんですけどね、飢えと空襲のなかで、大都会にいたので、まあやってきたんですね、それであの軍国主義少年だったと思いますよ私も


      ルーソ世代全盛期

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        当ブログでルーズソックス世代と定めている1977〜80年生まれの女たちは、茶髪や馬鹿キャラ、ルーズソックスなどギャル(コギャル)のイメージを確立させ、それまでのファッションに変革をもたらした。芸能人を引き合いにしてその変遷を振り返ってみると、1995年から2000年代半ばにかけての女の服装は間違いなくルーズソックス世代が牽引している。

         

        汚い化→1995年ごろ〜

        くしゅくしゅソックス時代(90年代前半)から兆候はあったものの、茶髪、細眉、黒肌、生足、ルーズソックス、男みたいな言葉遣いでギャーギャー騒ぐなどルーズソックス世代から女子高生の生き様が急激にハレンチで汚らしくなり、そんな意識の変化に合わせるかのようにeggやcawaiiなどギャル雑誌が創刊された。

        安室奈美恵(1977年生まれ)

        小麦肌と厚化粧と厚底ブーツと小室サウンドでコギャルたちの憧れの的だった安室ちゃんはルーズソックス時代の申し子だった。

        押切もえ(1979年生まれ)

        押切もえは絵にかいたような黒くて怖いコギャルだったのに、後述のデカ目・モテ時代を迎え女子力キャラになったし目も大きくなった。

        egg(1995〜2014年)

        cawaii(1996〜2009年)

        ランズキ(1998〜2016年)

         

        デカ目化→1999年ごろ〜

        ルーズソックス時代からギャルたちは厚化粧ではあったが、この頃からマスカラ下地とか眉マスカラ、チークなどが人気になって化粧が盛れてくるし、巻き髪も精巧になってくる。また高齢化(成人)したコギャルが赤文字系に逝かず、お姉ギャルというジャンルを確立した。

        浜崎あゆみ(1978年生まれ)

        小室さんの才能が枯渇し、朋ちゃんが精神的に不安定になり、安室ちゃんが産休に入りと、ルーズソックス時代が終わりを迎え、歌姫時代を迎えるタイミングですい星のごとく現れた浜崎氏はパッチリとしたお目目とお人形さんのような見た目で、それまでサーファーや辛口なセクシーの多かったギャルの服装に可愛らしい姫、盛り、美白の要素をもたらした。

        カリスマ店員

        109がギャルのファッションビルとして生まれ変わり、森本容子(1977年生まれ)、中根麗子(1979年生まれ)、植田みずき(1980年早生まれ)といったカリスマ店員はのちにお姉さん向けのマウジー、リエンダ、スライなどのブランドを立ち上げた。スライの植田氏は現在中年向けにエンフォルドというブランドを手がけているそうだ。

        Scawaii(2000年〜)

         

        モテ化→2000年代前半〜半ば

        ギャルは強め・細め一辺倒だったが、2000年代に入ると一部ロリータくらいでしか見かけなかったようなキラキラとかリボンとか女の子っぽいのが流行り出すし、フーミンやかとうれいこ以来あまり見かけなくなっていたグラビアアイドル業界がヅラやサラ金のCMで息を吹き返した。安室→あゆの流れにもうかがえるように、人々の顔の好みが童顔寄りになってきて、ロリを売りにした小倉優子とかミニモニも人気を博す。

        ルーズソックス世代の高齢化に合わせてか、女の強さが汚らしい化粧でギャーギャー騒ぐのから、お目目の大きさを偽りチークで頬をピンクに染めてかわいらしくお化粧し男にモテモテになるようなのに変化して(代表例→押切もえ)cancam誌がその受け皿を果たした。と思われる。

        矢田亜希子(1978年生まれ)

        私が矢田亜希子の可愛さに気づいたのは、フジテレビ系ドラマ「やまとなでしこ」(2000年)で、主演の松嶋菜々子もすごくよかったんだけども、とにかく女たちの可愛さがデカ目化、モテ化しているなかで、お目目がパッチリしてお嬢さんっぽい矢田亜希子はその後男女ともにすごい人気になった。でも刺青めっちゃ入ってる押尾学とのデートが撮られてから清楚なイメージが崩壊して、あんまり見かけなくなった。

        蛯原友里(1979年生まれ)

        結婚した矢田亜希子と入れかわるように出てきたエビちゃんは、2005年マクドナルドのえびフィレオのCMでブレイク。矢田亜希子の時代よりさらにブリブリした感じに進化し、同じcancamの看板モデルとして押切もえもセット売りされた。

        高島彩(1979年早生まれ)

        2003年よりめざましテレビの司会。高島氏はフジテレビの局アナだったが、その安定した実力から皆藤愛子のようなセントフォース系ブリブリアナウンサーの中心的役割を果たした。

        anecan(2006〜2015年)

         

        ここまでが1995〜2005年くらいの傾向だが、ルーズソックス世代がアラサーと呼ばれる2005年以降はアパレル業界のゴリ押しに従ったり、ゴムの入ったようなズボン、ダウン、チュニック、マキシスカート、ムートンブーツなど楽で年齢不問な服装、また2010年代は韓国の影響も入ってきて現在もそれらの傾向は続いている。そうした意識の変化とアパレルの不振、プチプラ化から、ルーズソックス世代の築いたジャンルや雑誌も今ではすっかり廃れてきているようだ。

        女たちが我が道を逝く最後のジャンルが小悪魔ageha(2005〜)のようなド派手なキャバ嬢で、注目されたのはルーズソックス世代よりもいっこ下の世代なのだが、キャバ嬢がドレスを着たり金髪頭を盛り盛りにしたりするのは少なくともagehaが出てくるよりもけっこう前(2000年代初頭)には見られたために、こうしたスタイルももしかしたらルーズソックス世代が始めたんじゃなかろうか。と思えてきた。前にも言ったけど90年代の水商売の女はスーツ着てた記憶もあり、このへんはお水業界に詳しい方からの情報提供を待ちたい。


        少年時代

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          最近SM(っていう芸能事務所)がNCTという名前からしてAKB意識したような男グループデビューさせたが、このNCTは「NCT127」「NCT U」「NCT DREAM」と3種類もあるうえにそれぞれメンバー重複しててわけわかめ。DREAMは10代を集めたグループで、去年チューングガムという曲でデビューし、息子でもおかしくないくらいの年の坊やたちがジャニーズ調のアイドルソングに光源氏のローラスケートよろしくセグウエイでステージを所せましと走り回る姿にかわゆいわぁ。と思わず胸が高鳴ったけども、きょう発表された新曲はSHINeeが日本で出しそうな感じの歌と振り付けであまり特筆すべきところはなかった。

          こんにちTWICEやBLACKPINKが大活躍するなか、SMはというと変な歌ばかり出し全然パッとしなくジャニーズで言うたらBOAとか東方神起とか少女時代みたいなグループ出してたのがたのきんとか渋ガキ隊の頃で、今は忍者、男闘呼組、そして光源氏が「リラの咲くころバルセロナ」と唄ってたレベルくらいに没落している。じゃNCTが今後SMAPみたいに大化けするかというと、そんな気も全然しないので飯島マネージャーをSMに送り込みたい。

           

          NCT DREAM_마지막 첫사랑 (My First and Last)_Music Video(YouTube)

          https://www.youtube.com/watch?v=4pUc7SD0PmU

          以前は学園もののミュージックビデオはアメフトやチア出てきてアメリカ風だったけど、最近のは体育館、体操服、セーラー服(みたいな衣装)などが多く、曲もそうだけど世界観が全体的に等身大かつ日本っぽくなってきている気がした。K-POP知らぬ人々は少女時代が伝来したときみたいに股上深すぎなショートパンツはいて脚や尻をクネクネさせるようなセクシーのイメージが強いと思うが、最近その路線はAOAくらいしかいなく若い娘さんは日本の制服のようなミニの台形スカートで可愛らしく踊るし尻もそんなに振っていない。

          NCTはその男版といったところだろうか。韓国の男グループは退廃的なミュージックビデオで目の周りを真っ黒にし腰振ったり筋肉や慰安婦アッピールしたりと何やら恐ろし気だったけども、NCTはかなり中性的なのだ。

          DREAMはこの少年↑が可愛かったけど、今回は腰痛だかで参加していなかった。レンジュンっていう朝鮮系の中国人も小学生みたいで愛らしい。

           

          NCT 127_無限的我 (무한적아;Limitless)_Music Video #1 Rough Ver.(YouTube)

          https://www.youtube.com/watch?v=RW8iyJcmve4

          127も先月「リミットレス」という歌を出していて、こちらのミュージックビデオはほとんど全編VHS風低画質。メンバー2人もかぶってるのに立て続けに活動しており、学生さんなのに大丈夫なのだろうかと心配になった。

          今回はデビュー曲「消防車」から2人増え、向かって左の人が新メンバーのジャニーさん。ちょっとNCTにしては大きいし男っぽ過ぎる気がして、Uのタイ人入れて127だけにした方が素敵でしょうにと思った。

          実際そのメンバーでSORRY SORRYのカバーしている方がパッとしないオリジナル曲より全然良いので、早くスーパージュニアのように大衆的な歌を出して人気者になってほしい。右の中国人はガリガリで女の子みたいで本当に良い。

          ジャニーズ系ぽいタイ人。東南アジアでは唯一タイ人はK-POPアイドルに多く、お目目パッチリでけっこう人気もある。

           

          170208 Weekly Idol NCT 127 - Limitless 2X FASTER VERSION(YouTube)

          https://www.youtube.com/watch?v=dKbZdw52nnc

          そんなNCTが出ている番組見てたらふと、メンバーの1人が着ていたエスプリってトレーナーが目についた。これくしゅくしゅギャルに流行ってたやつじゃ

          もしやMCMみたいに韓国資本でリバイバルするとかなんだろうか。何のブランドか知らんけど私も欲しい。

           

          現在、三十歳、私が中学生の時、エスプリというブランドの布製のトートバッグが流行ったのですが、覚えてマス??!!何だか急に思い出しちゃいました!!(2009年2月12日 yahoo知恵袋)

          http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1023128620

          歳、一緒ですね。。。

          当時、女子大生ブームから女子高生ブームになって、
          コギャルの始まりみたいな時期で・・・

          懐かしい〜〜〜
          ルーズソックスも、この辺からでしたよね〜


          スピリチャルな男たち

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            評価:
            秋山 佳胤,森 美智代,山田 鷹夫
            マキノ出版
            ¥ 1,404
            (2014-07-15)

            本買うついでにほっこりした本も見てきた。まづはナカムラミツルの胎内記憶。

             

            https://www.amazon.co.jp/dp/4861130786/

             

            https://www.amazon.co.jp/dp/4861130794

             

            これアマゾンでチェックしたときには気づかなかったけど、サンクチュアリ出版から出ている本だった。よく考えるとナカムラミツルのポエムとか胎内記憶ってサンクチュアリっぽい。

            帯か何かには池川先生の推薦文もあった。ナカムラミツル、(大人向けの)絵本、胎内記憶、サンクチュアリ出版と、私の苦手な要素がこれでもかと凝縮された作品群である。

            私はキラキラネームとかどうでも良いタイプにもかかわらず、今日って字に「まいにち」ってルビふってたり、母思(ぼし)手帳とかいうそこかしこに出てくるナカムラ氏特有の当て字はめっちゃ気になってしょうがなく、ナカムラミツルのポエムまじ向いてないと痛感した。しかしそれぞれ2006年、2007年とメディアでゴリ押しされるよりもかなり前に出ていることから胎内記憶史においてはけっこう重要な資料なのではないだろうか。

             

            https://www.amazon.co.jp/dp/4906817521

             

            あと冷え取りコーナーにあったこの本、GHQとか天皇とか縄文とか胎内記憶とか私が怪しんでる思想が満載だった。もし買ったら感想文書くね。

            ちゅーか最近不食自慢する人多くないか?サンプラザ中野くんがそうなのは知ってたけど、鶴ちゃんや榎木孝明も不食自慢しているよ。(片岡鶴太郎と榎木孝明の共通点→何かポエムとか絵ー書いてる)

            オレオ一日3袋食べてもガリガリならうらやましいけど、食べなくても生きれるとか別にうらやましくないし何のためにそんなことするのか分からんしそもそも隠れて何か食っとるだろと思った。あとたけーなと思っていた冷え取りの手帳の実物が百科事典レベルでデカすぎてびっくりしたけど検索しても出てこない。

             

            片岡鶴太郎の生活がまるで「仙人」だと話題 「逆に体に悪い説」も(2016年11月11日 しらべぇ)

            https://sirabee.com/2016/11/11/20161026687/


            クッキー戦国時代

            0

              「リッツ」と「ルヴァン」の攻防戦、本当の軍配(2月4日 東洋経済オンライン)

              http://toyokeizai.net/articles/-/156649

              ・・・

              全国のスーパーにおける1店舗当たりの売り上げ点数を見ると、2016年12月はルヴァンが約110点、リッツが約60点。ルヴァンがリッツに2倍近い差をつけて圧倒している。事前の予測はさまざまだったものの、ルヴァンが強いことがわかる。これはもともとの流通の強さに加えて、消費者嗜好への訴求力の強さもあったのだろう。

              内容量をはじめとして商品が同一ではないため厳密な比較ではないものの、商品単価も比べてみた。2016年12月の平均はルヴァンが約181円、リッツが約187円。ルヴァンのほうが、やや安価に設定している。

              ・・・

               

              ヤマザキとナビスコがいつ頃からか分離しており、YBC社はルヴァンパーティーを開催し各スーパーで大々的なキャンペーンを張っていた。上のニュースはヤマザキがやっぱり日本人に合う。って読めるけど、そもそもYBCの大キャンペーンの陰でナビスコ製をあんまり見かけなくなってしまったってのが実際のとこであろう。

              しかしYBCはリッツの後継商品であるルヴァンは出してるけどオレオは出していない。私はリッツパーティーにも呼ばれない雑魚なので完全にオレオ派なのであるが、先ほども言ったように最近ナビスコ自体見かけなくなったので、オレオ置いていない店が結構多い。

              そこで最近食べているのがクリームオーという、どこか物悲しいパチモンだ。だいたい100円でオレオより50〜100円くらい安く、量もちょっと少ない。

              同時に食べたわけじゃないので味は比べたことないけど、少なくとも袋が妙に空けにくく、またクッキーをパクっと2つに綺麗に分けるのは至難の業で、それだけでもパチモンクオリティって感じである。だけどオレオは一袋が一度に食べるにはちょっと多いしカロリーも高いので、クリームオーに慣れるにつれ本物のオレオを見かけてもたけーなと思うだけで全然欲しくなくなった。

              それにしてもこれだけルヴァンか、いやリッツかと人々の注目を集めているのは、リッツパーティを楽しむ習慣ない私からすると驚きである。あたいもルヴァンパリピのように魚卵やチーズ載せて立食してみたいものだ。

              さてオレオに関してはクリームオーでしのぎつつYBCの動きを待つよりほかないが、こんな私もすでにYBC処女ではない。上画像のスリムなる薄焼きクッキーに夢中なのだ。

              薄焼きクッキーのサクっと間に挟まっているやや甘さ控えめなクリームの柔らか食感のハーモニーが素晴らしいし、オレオ達と違い3枚ずつの小分けになっているので湿気や劣化を気にせずひと箱18枚を何ヶ月もかけて食べることができるのも気が利いている。これはYBCだけどあんまり見かけない菓子で、ごくまれにナビスコ製のスリムも並んで置いていたりするけどそっちは食べたことない。

              ナビスコではないけど、あの洗濯はさみを挟むのに難儀するココナッツサブレーも小分けになったうえ、いろんなフレーバーが出ていて美味しそうだ。ようやく日清シスコ社にも「何ヶ月もかけて食べたい」というニーズが届いたか。

              オレオもYBC社から発売されるあかつきには、小分けにして何ヶ月もかけて楽しめるようにしてほしい。いろいろなクッキーが世の中にはあって目移りしてしまうけども、今私のお気に入りはミスターイトウのラングドシャだ。

              とかくラングドシャクッキーといえば2枚重ねになっており間にクリームやチョコレートをサンドした甘い物ばかりなのだが、これは純粋にラングドシャのホロっとした食感を楽しめる貴重な存在だし、もちろん小分けなので途中で飽きても湿気や劣化を気にせずに何ヶ月かは保管できる。私は小分け原理主義者なのにくわえてラングドシャクッキーとダイジェスティブクッキーはチョコと別々に食べるべきというのがゆずれぬ持論だ。

              甘いのが好きだった昔はアホイみたいなチョコクッキーもよく食べたものだ。これもともと全然主力商品じゃなかったけど今YBCやナビスコの間でいったいどんな運命をたどっているであろうか。


              動くくしゅくしゅ

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                評価:
                谷口宗一
                EMIミュージック・ジャパン
                ¥ 980
                (1994-03-14)

                ルーズソックス 1994(YouTube)

                https://www.youtube.com/watch?v=uf-cDYw52oQ

                くしゅくしゅ時代末期の靴下映像をYouTubeで発見。服装からおそらく1994年の夏か秋で、くしゅくしゅとルーズの比率からも先日紹介したアクロス「ヘタウマ世代」と同時期と思われる。

                左がくしゅくしゅで右がルーズと混在している。先日言及した1995年2月の「学校では教えてくれないこと」動画では女子高生の靴下が完全にルーズだったのに、同じ1994年度でありながらもこの時点ではたるませる場所もおかしくまだルーズスタイルが完成されていない。

                なおこの番組はフジテレビ系「目覚ましテレビ」で、それまでウゴウゴルーガやポンキッキなどサブカル的な子供番組を放送していたフジ系の朝が1994年4月からワイドショーとなり、始まって早々にこんな特集を組んでいるというのがもはやルーズソックス化である。今思い出したけどくしゅくしゅ時代のポンキッキは山田のぼるっていう劇団員ぽい人がすごい苦手だった。

                バーバリーはのちに安室奈美恵が結婚会見ではいていたミニスカートも人気爆発していたが、くしゅくしゅ時代末期ですでにマフラーや傘など小物で取り入れられている。しかしこの程度のくしゅくしゅ(上画像)がルーズソックスとして紹介されているのが今考えるとすごくねぇか。

                ルーズ人気が高まるにつれ需要の高まったソックタッチは、私の記憶によれば雑誌「レモン」の企画で復活した。キティちゃんと思われるポーチやシャネルの口紅もチラリと映っている。

                カバンの中からのぞくルイビトンの財布。この頃は今みたいにプチプラという物はないも同然であり(ユニクロや鈴丹はあったがすごい微妙だった)ブランドやメーカーが物を言ったし、援助交際が脚光を浴びたのも通信手段の変化だけではなくこういう高価な品を買うためもあったと思われる。

                ルーズソックスも登場ずみだが、「ヘタウマ世代」によれば1994年当時まだ上野の丸井や横浜そごうなど限られたとこでしか売ってなかったようだ。こうした動画や本を総合する限り、東京では1994年度の秋冬にくしゅくしゅからルーズソックスへ一気に転換したと思われる。

                普通のハイソックスと比べてルーズソックスの方が細く見える。という実験のシーン。確かにハイソックスは紺とか黒でないと太く見えるし、ルーズソックスだとそれ自体の太さで相対的にふくらはぎが細く見えた。

                カバンのひものを片側だけ肩にかけるのは「ヘタウマ世代」でも言及されていた。靴下だけでなく、カバンの持ち方や襟の開け方、セーターの大きさなど全体的にルーズなシルエットとなるよう着崩している。

                 

                ルーズソックス 1996(YouTube)

                https://www.youtube.com/watch?v=gUiGLAXNamo

                こちらはルーズソックスが普及しコギャルとしてのイメージが確立された1996年の目覚ましテレビのようだ。ルーズソックスエリア拡大図の色よく分からないのだけど、91年4月に関東、91年9月に東北、93年9月に北海道と中部と中国と九州、94年9月に関西と四国って感じか?

                でもこれは何を元にしているのか分からぬし当てにならん。だいいち同じ目覚ましテレビで1994年の東京でくしゅくしゅがまだ全然現役なのが映っているしEGスミスが貴重品だったってんだから、それ以前のルーズソックスなどただのくしゅくしゅソックスに決まっとる。

                くしゅくしゅソックスだけど、90〜91年にここまで長くなかったんじゃ?と思っていると・・・

                92〜93年にこんなクソ長いルーズソックスがあったと主張し出しびっくりぽん。まだくしゅくしゅ時代が終わって2年しか経ってない1996年時点でこの歴史認識とは、人の記憶というものはこんなにも当てにならないものなのか。

                しかし1996年(現在)っていうのだけはまだ信用していいだろう。ゴム抜きというのか、リブがなくソフトクリームみたいにとろけたシルエットになっている。

                 

                90年代「コギャル」のシンボル、覚えてる?ルーズソックスの歴史|C CHANNELライフスタイル(YouTube)

                https://www.youtube.com/watch?v=DebTKNXm2v0

                もっとすごいのがこの動画だ。92年に50cmとか1996年の目覚ましの歴史認識よりもさらに10cm長いうえ、1994年の70cmにいたっては1996年のルーズソックスより10cm以上長く、96年は100cmだったと言うではないか。

                目覚ましテレビ動画や「ヘタウマ世代」の画像などで1994年のコギャルを見てもらうと分かるように、94年はルーズは出てきているけど1300円のしかなくて全然長くないし、売ってるところも少なかったので多くがEGスミスでもなんでもない普通の白靴下を多少くしゅくしゅさせているだけなのだよ。嘘はやめたまへ。


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