平成食べ物史 前編

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    90年代から現代にいたる服装や化粧の変遷を回想することの多いわがブログだが、そろそろネタ切れ疑惑ということもあり話題を服から食に移行して逝こうと心に誓った。時代区分は例によってくしゅくしゅソックスとか言ってるけど、女子高生とはあんまり関係ないトピックであることを最初にことわっておく。

     

    くしゅくしゅソックス時代(1989〜1994年)

    バブルじゃないけど90年代って感じでもなくルーズソックスが短かった(くしゅくしゅソックス)中途半端な時代

     

    ナタデココ

    やはりくしゅくしゅ時代のブームで誰もが最初に思い出すのがナタデココである。ウィキペディアによるとデニーズがブームの発端だったと書かれているが、私の記憶しているところではフジッコ社が杏仁豆腐のパックに入れ出したのがはしりで、ナタデココ単品では売ってなかったと思う。

    杏仁豆腐は今プリンみたいなのが多いけど、昔のはフルーツポンチで缶詰の甘い汁みたいなのに豆腐やフルーツに混じってナタデココの食感がよいアクセントとなった。南国調のCMで「なんじゃこりゃなんじゃこの歯ごたえ♪」と唄っていたように、その歯ごたえに皆が魅了され、くしゅくしゅ時代最大のヒットとなったことは誰もが認めるところである。

    その後ナタデココ入りの缶ジュースなども出てきたが、ルーズソックス時代には完全に下火となり不遇の時期もあった。だがしばらくしてゼリーやヨーグルトにフルーツが入っているのが主流になると、そいつらに混じってナタデココが紛れ込むようになった。

     

    ティラミス

    ナタデココと並んでくしゅくしゅ時代に大きな爪痕を残したのがティラミスである。イタリアのチーズケーキってことで、イタメシブームと連動していたのだろう。

    ナタデココ同様すぐに飽きられ、ルーズソックス時代に入ると「あの人は今」的な扱いとなったが、ルーズソックス第二世代くらいから再びコンビニで野郎向けスイーツとして返り咲いていた。移り気で新しもの好きの女と違い、男たちはティラミスやナタデココの革新的な味わいが忘れられずにいたのだ。

     

    パンナコッタ

    ティラミスの次は此れ!という感じで出てきて名前だけはインパクトあったけど、すぐ消えたし食べたか食べてないかも覚えていない。そこが一回消えたけど復活・定番化したナタデココやティラミスと違うところだ。

     

    ラザニア

    イタメシブームってティラミスのイメージが強すぎ、目新しいスパゲッティーはどんなのがあったのか分からない。ナポリタンは昭和からあったので、たぶんボンゴレ、たらこ、ペペロンチーノあたりではないかと思うのだが。

    そんな印象薄い麺類と違って、私が衝撃を受けたのがラザニアだ。これはマカロニではなく薄いクレープのようなパスタが重なっているミルクレープ状のグラタンで、非常においしかった。

    しかしドリアとかマカロニグラタンとかあのたぐいが今でも健在で、なおかつ安価なファミレスも充実しているのにラザニアだけが日の目を見ないとはどういうことなのか、日本社会の矛盾を感じざるおえない。近年青の洞窟っていうラザニア材料一式みたいなのを買ったことあるのだけど、あれはハウスのチンする奴と違い作るのがめんどくさかった。

    ちなみにスパゲッティーをパスタって云わなきゃダサイ!昭和!みたいな風潮が作られたのもこの頃である。パスタ以外ではアベックがカップル、ズボンがパンツ、口紅がリップなど言い換えのゴリ押しがあったが、その後もスパッツをレギンス、ジャンパーをブルゾンとかどっちでもええわい!その手のゴリ押しは枚挙にいとまがない。

     

    ピザポテト

    1992年発売。厚切りポテトにチーズが絡まっているような味の濃いピザ風ポテトチップスで、イタメシブームと連動していたと思われ当時は画期的だった。

    しかし私は食感の見地からクッキーとポテトチップスは薄い派なので、まず厚切りポテトっていうのが許せん。そもそも厚切りのポテトチップス自体がたぶんこの頃くらいから食べられだしたものであり、カルビーのサイトを見てみると1989年のアラポテトってのがそのはしりだったと思われる。

    本物のピザはどうだったか・・・というと、私は冷凍のピザをよく食べていた程度で店とか宅配のはよく分からない。ただ今みたいな薄焼きの生地は当時なかったか珍しかったんじゃなかろうか。

     

    ポポリ

    ロッテのサイトを見るとトッポの発売は1994年となっているが、その前にトッポと同じ筒状のビスケットにチョコではなくピザ味のクリームが入ってる「ポポリ」というペペロみたいな名前の菓子があって、当時乗りに乗っていたダウンタウンがCMしていた。そのイタメシブームを反映した味は一瞬だけくしゅくしゅ時代の1ページを飾り、トッポの登場とともに人々から忘れ去られて逝ったのだった。

     

    チーズ蒸しパン 

    それまでの蒸しパンは本当にただの蒸しパンだったけど、チーズ蒸しパンという物珍しい風味と繊細な食感が現れた。今検索したらもともと北海道の会社が発祥で、90年ごろから人気大爆発したという。

    だからヤマザキのチーズ蒸しパンには北海道のシルエットが浮かび上がっていたということなのか。北海道ではなく大阪だけど、りくろーおじさんのチーズケーキも同じ時代と方向性な気がする。

    ただりくろーおじさんは今でも全然美味しいけども、チーズ蒸しパンは特に食べたいと思わない。昔のパンだったら個人的にはコッペパンとか食パンにシュガーマーガリンみたいなチープな奴の方が好みだ。

    チーズ蒸しパンって奴は現代風でもなければ昭和の素朴さもない、くしゅくしゅ時代特有の中途半端な位置づけである。90年代リバイバルの現代においても全く日の目を見ていないが、とはいえ今日でも売られてるってことは、かって物珍しい風味と繊細な食感に魅せられたオッサンがこの四半世紀くらい人知れず買い続けているということだ。

     

    チーズ蒸しパンが出たとき(2ちゃんねる)

    http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/bread/1237253763

     

    東京ばなな

    これもチーズ蒸しパンと同じで今特に食べたいと思わないが、当時(1991年発売)は画期的だった。ちょっと違うカテゴリだが1992年発売のまるごとバナナってのもあり、こっちは生クリームなので今でも毎日食べたいくらいである。

    ただチーズが当時人気だったのは、今ほど食べられてなかったのとかイタメシが人気だったからとかいろいろ心当たりがあるけども、バナナのスイーツが何であんなに画期的だったのかわれながら謎だ。チーズ蒸しパンが最初北海道で売り出されたようにまるごとバナナも東北のバナナボートが原形らしいが、別に東北じゃなくてもバナナボートはあるぞなもし。

     

    ザカルシウム

    たぶんカロリーメイト(1983)からの流れじゃないかと思うが、栄養を添加したり、食事がわりに食べるような菓子やジュースの市場がこの時期に急成長していたように思う。牽引していたのはもちろん大塚製薬で、バブル期は食物繊維がブームだったのかファイブミニ(1988)という瓶入りの炭酸ジュースが流行ったが、くしゅくしゅ時代はカルシウムが注目されており骨粗鬆症っていう婆の骨がポキポキ折れるという病気もこの頃初めて知った。

    私は子供心に骨しょしょうしょう怖ぇとガクブルし、ドラえもんシリアルに明治ラブをドバドバかけて一日600mg摂取を目指したものである。そんな時代に大塚がよくCMしていたのがザカルシウム(1992)というウエハースで、原田知世とその姉が出演していた。

    あんまり食べたことはないのだが、1袋で600mgとかなり簡単にカルシウムを取ることができ味もおいしかった。でもこれ2枚ぽっちしか入ってなくて100円くらいしたんじゃなったか確か。

    しかしザカルシウム以外にもカルシウムを添加したウエハースというのは他にもあったので、私はそういうのを食べていた。それが麦ふぁ〜っていう菓子で、今ありがとうを100万回聴かせたってのを売りにしてるけど、全然記憶にないので昔はそんなことかいてなかったと思う。

    最近はスピリチュアル界で胎内記憶とかよく聞くけども、10年くらい前はどんな酷い目に遭ってもありがとうございます。って言うありがとう教とか素手でトイレ掃除すんのが経営者のあいだで流行ってたから、麦ふぁ〜の社長もそのときからウエハースにありがとうを100万回聴かすようになったのかもしれぬ。麦ふぁ〜自体はかなり昔からあるようだし、私がザカルシウムのつもりで食べてただけで別にくしゅくしゅ時代に人気を博したとかそういうことはないので一応。

     

    杜仲茶

    昭和のやせる茶と言えばウーロン茶、というか今でも黒ウーロン茶とかあるけども、くしゅくしゅ時代は杜仲茶だった。茶葉が日立造船って会社から出ていて今からBODYをシェイプアップ誰にも負けない!とばかりに沸かして飲んでいたのだけど、それはそれはまずかったしルーズソックス時代に入るころには消えていた。

    20年の月日が流れあのまずさをもう一度。といつか小林製薬のペットボトルを買ったけど、薄いのか?昔みたいな飲みにくさはまったくなかった。だが小林製薬は日立造船から杜仲茶を譲渡されているらしいので、一応同じ銘柄なはずである。

    ノンカフェインがはやっているし、90年代がブームなのでふたたび杜仲茶が見直されることもあろう。またダイエットではないけども、アサヒから16茶ってのも面白いCMで人気爆発しブレンド茶の先鞭をつけた。

     

    日立造船、杜仲茶の木でゴム量産 舞鶴に小型プラント(2015年10月14日 日本経済新聞)

    http://www.nikkei.com/article/DGXLASDZ13HAO_T11C15A0TJC000/


    こんにゃく畑

    昔ゼリーといえばカップに入ったものは小さかったし、プルっとしているだけだった。でもこんにゃく畑は大ぶりなカップとそのブルリンッ!としたすごい弾力でゼリー界に革命を起こした。

    それにくわえ食物繊維とか栄養添加した菓子が流行ってた頃だったので、こんにゃくというのもヘルシーで素敵なように思われた。しかしその大ぶりなカップとブルリンッ!としたすごい弾力のために喉につまらせるお子様やお年寄りが後を絶たなかった。

     

    CCレモン

    サントリーの代表的なジュースであるCCレモンは1994年に発売され、ウィキペディアによると炭酸部門ではコカコーラとペプシに次ぐ第三位なのだそうだ。何回も言ってるけどくしゅくしゅ時代は栄養を添加したような菓子やジュースの市場が急成長しており、CCレモンはその中でも自販機で気軽に買え、またたくまに人気爆発した。

    昔の自販機は細長くて缶も細長かったはずだが、この頃から横長になって缶も大きくなって110円になって今みたいなサントリーの自販機が増えたように思う。ビタミンC製品としてはシーズケースやC1000タケダ、チュアブルタイプのハイシーなどもよく食べていたので、カルシウムだけでなくビタミンC製品もトレンドだったのだろう。

     

    アイスボックス

    それまで氷菓子といえばかき氷とかチューチューみたいなのしか知らなく、さじが刺さらねぇとか手が冷てぇとかアイスクリームに比べさまざまな苦痛をともなっていたものだが、アイスボックスは片手でコップみたいに持って氷をボリボリ噛み砕くスマートな方式に衝撃を受けたし溶けてもおいしい柑橘系の味わいをオシャと思った。そして時が流れ、アイスボックスのCMに出てた西島秀俊って格好良かったのに消えたなーと思ってたら、最近コマーシャルでブツブツ独り言を言う夫役みたいなのをよくやってる俳優が西島氏と知ってびっくりした。

     

    ポンデケージョ

    今コンビニとかでよくモチモチした食感のパンが各社出ているけども、昔のパンはモサッとしていてモチモチなどとは無縁だった。そんな菓子パン界にモチモチをもたらしたのが、ポンデケージョという小ちゃくて丸いパンだった。

    これがナタデココ、こんにゃく畑と並び、くしゅくしゅ時代における三大画期的新食感に数えられるのは多くの人が知るところだが、前述したようにその後モチモチしたパンは珍しいものではなくなり、ミスタードーナツからポンデケージョをドーナッツ(リング)状にしたポンデリングが人気定番メニューとなった以外にポンデケージョという名前もすっかり聞かなくなった。確か初めてポンデケージョを食べたのがドンクっていうチェーンのパン屋だったと思うので、まだポンデケージョあるか後日確認しに逝ってみようかと思う。

     

    ライチ

    ナタデココほどではなかったが、ライチもその南国イメージと透明感のある白いボディ、プリっとした食感が何とも目新しく魅力的であった。ライチフレーバーはそこそこ定番化している気がするが、果実を食べることはめったになく、何年か前ステーキけんでライチがあったときは懐かしくていっぱい食べた。

     

    メルティーキッス

    冬限定のチョコで1992年発売。私が子供んとき食べていたチョコといやベビーチョコとかぬーぼー、アポロ、チョコフレーク、チロルチョコBIS、ちょっと大人なとこでせいぜいマーブルポッキーってとこだ。

    そんなところにいきなり出てきたオシャな粉がまぶしてあるティラミスのような風貌、夏には耐えられないというメルティっぷりに、チョコの概念が大きく揺さぶられたのも無理はない。スイーツ感覚のチョコ菓子のはしりだった気がする。

     

    カフェラッテ

    今でもスーパーとかに売ってるあの森永のコーヒー飲料だけど、スターバックスコーヒーが上陸したのはルーズソックス時代以降(96年)なのでカフェラテってのはこの商品で初めて知った。マウントレーニアという銘柄もシアトルから見える山の名前であるし、プラスチックカップにストロー刺して飲むというのもシアトル系だ。

    それまではカフェオレというものしかなかったし、市販品は特にコーヒー味が薄くて甘かった。だからカフェラッテは味もおいしかったのだけど、それよりもカフェラテもスタバもプラスチックのコーヒー飲料も全然存在しなかった時代にシアトルのオシャなカフェ文化を日本にもたらした、その先見性に驚きを禁じ得ない。

     

    ラ王

    日清の高級路線で油で揚げたのじゃなくてソフトメンみたいな生タイプが入ってるカップ麺で、ごんぶと(うどん)とかSPA王(スパゲティ)もあった。でも個人的に生タイプはあんまり好きじゃなかった。

    多分その後ノンフライめんになって、ノンフライめん派の私としてはそりゃそうだろと思った。それにしてもくしゅくしゅ時代に横長の大画面テレビが流行ったとき「画王」ってのがあったけど何か関係あるんだろうか。


    生活系雑誌

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      夫婦生活とゆう雑誌を見つけたよ。1952年2月號なので前に貼った主婦の友の育児本と同じ時期だ。

      右下の部分は何もしてないのにホロっと取れた。セロテープで貼ろうか。

      ページを開くといきなりセクスィーグラビアが。モデルさんは顔が小さくて細くて意外と今風の体型だけど、とりあえず肝心の部分がもやーんとなっているのが気になった。

      前に貼った主婦の友は真面目な雑誌と思うが、この雑誌は若い夫婦に向け科学的根拠に裏打ちされた性の知識を解説。ってな大義名分のエロ雑誌と思われる。バックナンバー一式がこれから結婚する方々への贈物としても喜ばれた模様。

      科学にかこつけているのかヌードの写真よりも多い生殖器の断面図。男児と女児の産み分け方など内容は胡散臭い。

      なんでストリッパーの肢体美が奥さまへのプレゼントなのだろう。と思って読んでみると、ストリッパーの性的魅力を参照して旦那さまをメロメロにしちゃおうということのようである。

      若夫婦の往復ラブレターという小説?よくわからんコーナー。1952年ってまだ貧しかったと思うのだがウイスキーとかチーズとか若夫婦はすでにハイカラな物食うとる。


      ついこのあいだまでベビーブームだったのに、産制(産児制限)の話題が目立つ。避妊が不確かだったせえで関心が高かったのかもしれぬが、でもよく考えると戦前って兄弟多いのに戦後はそうでもないよな?何故?と思って調べると、産制はGHQの陰謀だったと産経新聞に書かれていた。

       

      日本の少子化は「人災」だった(上)戦後ベビーブーム突如終焉(2016年2月20日 産経ニュース)

      http://www.sankei.com/premium/news/160206/prm1602060029-n1.html

      ・・・

      それにしても日本の出生数の減少ペースは速い。戦後のピークである昭和24(1949)年の約270万人と比較すると、70年弱で約3分の1に減った。しかも、その推移を追いかけると、気になる変化が見つかる。24年の翌年は出生数が一挙に36万人も減り、第1次ベビーブームが突如終わっているのだ。

      明らかに不自然である。当時の資料を調べてみたところ、意外な事実が明らかになってきた。

      戦後、占領政策を実施した連合国軍総司令部(GHQ)が、堕胎や避妊による「産児制限」を仕向けていたのだ。日本の少子化は、GHQによって引き起こされた“人災”だったともいえる。焼け野原からの再出発となった日本は、復員や旧植民地からの引き揚げ者が相次ぎ深刻な食糧難に直面した。一方でベビーブームが起こり、増え続ける人口への懸念が広まっていた。

      GHQは当初、無関心を装っていたが、21年5月に「食糧メーデー」が起こると態度を一変させた。労働運動の広がりによる共産化への警戒だった。

      発展途上国の人口急増が共産主義に結びつくという見方は戦前から強かったが、「人口が急増している日本も例外ではない」と認識したのである。

      懸念はもう一つあった。米国は国土面積が狭い割に多くの人口を抱える日本を戦前から注視していた。

      GHQの報告書を翻訳した『GHQ日本占領史第4巻 人口』(日本図書センター)には、日本の開戦理由を「人口を養うに必要な資源獲得のための軍事力による領土拡張を擁護し、同時に、増加する人口を養うための彼らの帝国主義的政策を宣伝した」とする分析結果が残されている。

      GHQの人口問題の専門家らは、戦後も「日本の人口増加に歯止めがかからなければ、将来、膨張主義が復活する」と警告した。

      だが、人口の多寡が「国力」を意味した戦前・戦中において、人為的に人口を減らす産児制限は“禁断の政策”であった。各国政府はこれを認めず、米国でもキリスト教団体を中心に反対論が強かった。

      占領国が人口抑制を強要した場合、国際社会から強い非難を受けることは必然だった。そこで、GHQは日本人自身の手で産児制限を普及させることにしたのである。
      ・・・

       

      産経新聞は保守系であるためにいまだに日本の足かせになってる9条とか左翼っぽい奴ゴリ押ししたGHQ腹立つという歴史観にもとずいてると思うが、産制ゴリ押しぶりを見る限りたんなる右翼の陰謀論と片付けることはできないと思った。スポック博士などの子育て理論にしろ、検閲もあったのかこの頃のマスゴミはアメリカが民主的で科学的で偉くて日本(戦前)はオカルトで性格悪ってな価値観に染まっており、そのために当時10代から20代だった1930年代生まれの若人たちも洗脳されていったにちがいない。

      知られざる“同胞監視” 〜GHQ・日本人検閲官たちの告白 〜(クローズアップ現代)

      http://www.nhk.or.jp/gendai/articles/3425/1.html

      ●アメリカの諜報活動 日本への影響は?

      やはり、アメリカにとって、まずい情報は、メディアに対して検閲をして、報道させない。 このことは、報道の現場で、GHQの新聞課長との戦いというのが、現実にあったわけですね。 それとは全く別に、アメリカは、アメリカの明るいムード、あるいは、すばらしい生活を教えるために、日本に対して、民法の揺らん期ですね、発足したばかりで、ソフトがない時代に、ソフトを作って、完全パッケージの形で提供していたと。 その中には、例えば、5月の母の日にカーネーションを渡すという風習は、日本にはなかったんですけれども、そういう風習を日本に植えつけていったと。 アメリカ好きを、そういう形で助長していくということもやっていた、ということだと思います。

      しかしこの時期の避妊方法は私が思っているよりもけっこう近代的な気がした。アベックとかホテル(←ラブのほう)とかフ○ラチオとかいう格好良い横文字もすでに使われている。

      なんでこういう戦後すぐぐらいの雑誌を読むようになったかと言うと、美健ガイド社のマンガに「GHQが日本人から添い寝やおんぶを奪い〜」ってなことが書いてあったので、それが本当であるかどうか検証しているためである。私の歴史観として日本人を腑抜けにさせるための陰謀であるという点については疑問符が残るものの、戦後のある時期、添い寝やおんぶが馬鹿にされていたのにGHQの意向があった可能性は否定できない。

      この雑誌にも昔からある日本の子育てを遅れたものとして否定し、アメリカにならったと思われる、赤ちゃんを一人で寝かしつける育児法が推奨されている。美健ガイドや予防接種はじめ今のロハスにある昔の子育てに帰ろうってのはほとんどこの時代(から高度経済成長)の反動であり、憲法9条とかとちょっと理由は違うのだがいづれにせよGHQの強力な洗脳からいかに脱却するかというのがひとつのポイントになってくるのだろう。

       

      同じ布団のなかで、母親が赤ん坊に添乳をしたり、子どもに添寝をしたりしているのは、日本獨自の家庭風景で、どうも改訂を要する古い育児法のようである。

      添乳・添寝を、あふれるような母性愛の発現だと説明するのは、おろかなことだ。むしろ家屋のせまさ・寝具の不足・母親の過労のなかに、それは、現實的な理由を持っているのであろう。

      朝から晩まで、炊事・掃除・洗濯・裁縫・買物と、からだをクルクルうごかして、少しの休みのなく一日中はたらきずめの母親、農村では、さらに畑仕事が加わつてくる。添乳、添寝は、子どもの要求というより、つかれた母親が、舅や姑や、口やかましい主人の前でも、公然と自分のからだをやすめることのできる唯一の機会になつているにちがいない。

      きわめて不注意な母親は、赤ん坊に添乳をしているうちに、ついねむりこんで、乳房のおもみで赤ん坊の呼吸をとめて殺してしまう場合が、往々にしてある。

      そんな事故は、まれであるにしても、子どもの添寝は、母親と子どもの関係をいつまでも胎盤と胎児の状態につなぎとめておくものであつて、子どもの獨立をさまたげていることに早く氣がつかねばならない。

      どうも日本の母親は、自分以外に責任をもつて子どもを育てる者がいないとせまく信じこんで、自己満足を感じているようだが、これは母性愛の危険な偏向であると云わねばなるまい。

      子どもを自分の背中にくくりつけて、ネンネコでせおつている姿、布団のなかで子どもとからだをくつつけた添寝、子どもの手をひつぱつて一しよに川へとびこむ母子心中ーーこの三つのもののなかに、氣高い母性愛というよりも、何か共通した日本の未開性が感じられるではないか。

      フランスのトリースという条件反射学者の説によると、生れたばかりの赤ん坊でも性欲を持っているというのである。すなわち、生れたばかりの赤ん坊は、消化器官しかはたらかないが、その消化器系統の入口と出口に、見逃しがたい性感覚があるという新説だ。

      ・・・

      いずれにせよ、赤ん坊にさえ性欲のあることがわかつたら、両親も子どもの取扱いについては、いきおい慎重にならざるをえないであろう。この子どもに内在する性欲の火は、ふきけしてもいけないし、また、あおり立ててもいけない。しずかな自然の燃焼が必要なのだ。

      この立場から、添乳・添寝の問題を見直してみると、日本の母親は、母親の體温や體臭が、しずかな子どもの性欲の燃焼にガソリンや薪を加えて、盛んにあおりたてていることに氣がつかないでいるようである。

      添乳をしなくても、赤ん坊に乳をのませることはできる。健全な子どもの成長、子どもの人格の獨立のためには、添乳・添寝をやめて、ひとりでねかしつけることである。今までの、いわゆる日本的な子供の育て方を切換える必要があるのだ。(そこには、無知にもとづいた盲目的な愛がある。その愛は不幸にして、必ずしも子どもの幸福に寄与するものとは云えない。)そのために、まず手近な、ひとりで寝る癖を子どもにつけるのである。その場合、一定の就寝の時刻をきめるには、柱時計に責任を持たせればよい。


      シースルーブラウス特集

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        袖シースルーがオシャレ♡1500円「しまむら×刺繍ブラウス」が一目惚れする可愛さ(2016年12月17日 spotlight)

        http://spotlight-media.jp/article/359028230401917002

         

        私もしまむらでこの1500円のブラウス見たことある。そのときに横にいた若い娘さんが「これいろんなのが出てるんだよ」と力説しているのが聞こえたのだが、同じ生地でスカートがあったり色とデザイン違いが何枚か売られていたので、本当だなぁ。と思い特に気にしていなかった。

        しかし後日ショッピングモールを彷徨い冬の売れ残りや春の服を適当に見ていたところ、若い娘さんの言っていた本当の意味を知ることとなる。しまむらにあったはずのブラウスがいろんな店で売られているのだ。

         

        http://item.rakuten.co.jp/e-kbt/10002378/

         

        http://item.rakuten.co.jp/honeys-online/6480114048/

         

        http://www.spinns.jp/fs/spinns/0027058-31784

         

        http://www.spray-store.jp/shop/all/all.php?action=detail&pcode=016120190784

         

        https://wowma.jp/item/252434003

         

         

        http://www.jadore-jun.jp/products/detail.php?product_code=BVH1700

         

         

        https://item.iqon.jp/11674202/

         

        上画像は、楽天が2990、ハニーズが2280、スピンズが2806、スプレイが2990と値段は2000円台が主流で、私がショッピングモールで見たのもそのくらいだったが、visとページボーイが4212とやけに強気な値段をつけている。いやしまむらが1500円の安心価格で売っていることを考えたら、そんなに変わらないハニーズ以外はすべて不安価格に思えるのだが。

         

        lunch(1月25日 春名亜美公式ブログ)

        http://lineblog.me/harunaami/archives/1062412486.html

         

        ↑はそのページボーイより高く売っている気がするのだけど、値段書いてないしリンク切れてて分からない。昔は服の生地やデザインは値段に比例していたのだが、近ごろ高見えという言葉もあるように2010年代に入ってからは特に安い服が見栄え良く、逆に高い服がペラペラになって見た目に値段がよく分からないように感じていた。

        今回しまむらで1500円もしくはハニーズで2200円のブラウスが3000〜4000円で売られているのを見ると、やはりアパレルって値段あってないようなもんだなとその深い闇に想いをはせずにはいられない。このブラウス、最高額でいくらつけているのか気になったので4000円以上を目撃した人は情報求む。

         

        http://www.dot-st.com/lowrysfarm/disp/CSfGoodsPage_001.jsp?ITEM_CD=743877

         

        けっきょくモールでは↑を買った。しまむらに同じ奴あったらどうしよう(疑心暗鬼)。


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