平成食べ物史 前編
90年代から現代にいたる服装や化粧の変遷を回想することの多いわがブログだが、そろそろネタ切れ疑惑ということもあり話題を服から食に移行して逝こうと心に誓った。時代区分は例によってくしゅくしゅソックスとか言ってるけど、女子高生とはあんまり関係ないトピックであることを最初にことわっておく。
くしゅくしゅソックス時代(1989〜1994年)
バブルじゃないけど90年代って感じでもなくルーズソックスが短かった(くしゅくしゅソックス)中途半端な時代
ナタデココ
やはりくしゅくしゅ時代のブームで誰もが最初に思い出すのがナタデココである。ウィキペディアによるとデニーズがブームの発端だったと書かれているが、私の記憶しているところではフジッコ社が杏仁豆腐のパックに入れ出したのがはしりで、ナタデココ単品では売ってなかったと思う。
杏仁豆腐は今プリンみたいなのが多いけど、昔のはフルーツポンチで缶詰の甘い汁みたいなのに豆腐やフルーツに混じってナタデココの食感がよいアクセントとなった。南国調のCMで「なんじゃこりゃなんじゃこの歯ごたえ♪」と唄っていたように、その歯ごたえに皆が魅了され、くしゅくしゅ時代最大のヒットとなったことは誰もが認めるところである。
その後ナタデココ入りの缶ジュースなども出てきたが、ルーズソックス時代には完全に下火となり不遇の時期もあった。だがしばらくしてゼリーやヨーグルトにフルーツが入っているのが主流になると、そいつらに混じってナタデココが紛れ込むようになった。
ティラミス
ナタデココと並んでくしゅくしゅ時代に大きな爪痕を残したのがティラミスである。イタリアのチーズケーキってことで、イタメシブームと連動していたのだろう。
ナタデココ同様すぐに飽きられ、ルーズソックス時代に入ると「あの人は今」的な扱いとなったが、ルーズソックス第二世代くらいから再びコンビニで野郎向けスイーツとして返り咲いていた。移り気で新しもの好きの女と違い、男たちはティラミスやナタデココの革新的な味わいが忘れられずにいたのだ。
パンナコッタ
ティラミスの次は此れ!という感じで出てきて名前だけはインパクトあったけど、すぐ消えたし食べたか食べてないかも覚えていない。そこが一回消えたけど復活・定番化したナタデココやティラミスと違うところだ。
ラザニア
イタメシブームってティラミスのイメージが強すぎ、目新しいスパゲッティーはどんなのがあったのか分からない。ナポリタンは昭和からあったので、たぶんボンゴレ、たらこ、ペペロンチーノあたりではないかと思うのだが。
そんな印象薄い麺類と違って、私が衝撃を受けたのがラザニアだ。これはマカロニではなく薄いクレープのようなパスタが重なっているミルクレープ状のグラタンで、非常においしかった。
しかしドリアとかマカロニグラタンとかあのたぐいが今でも健在で、なおかつ安価なファミレスも充実しているのにラザニアだけが日の目を見ないとはどういうことなのか、日本社会の矛盾を感じざるおえない。近年青の洞窟っていうラザニア材料一式みたいなのを買ったことあるのだけど、あれはハウスのチンする奴と違い作るのがめんどくさかった。
ちなみにスパゲッティーをパスタって云わなきゃダサイ!昭和!みたいな風潮が作られたのもこの頃である。パスタ以外ではアベックがカップル、ズボンがパンツ、口紅がリップなど言い換えのゴリ押しがあったが、その後もスパッツをレギンス、ジャンパーをブルゾンとかどっちでもええわい!その手のゴリ押しは枚挙にいとまがない。
ピザポテト
1992年発売。厚切りポテトにチーズが絡まっているような味の濃いピザ風ポテトチップスで、イタメシブームと連動していたと思われ当時は画期的だった。
しかし私は食感の見地からクッキーとポテトチップスは薄い派なので、まず厚切りポテトっていうのが許せん。そもそも厚切りのポテトチップス自体がたぶんこの頃くらいから食べられだしたものであり、カルビーのサイトを見てみると1989年のアラポテトってのがそのはしりだったと思われる。
本物のピザはどうだったか・・・というと、私は冷凍のピザをよく食べていた程度で店とか宅配のはよく分からない。ただ今みたいな薄焼きの生地は当時なかったか珍しかったんじゃなかろうか。
ポポリ
ロッテのサイトを見るとトッポの発売は1994年となっているが、その前にトッポと同じ筒状のビスケットにチョコではなくピザ味のクリームが入ってる「ポポリ」というペペロみたいな名前の菓子があって、当時乗りに乗っていたダウンタウンがCMしていた。そのイタメシブームを反映した味は一瞬だけくしゅくしゅ時代の1ページを飾り、トッポの登場とともに人々から忘れ去られて逝ったのだった。
チーズ蒸しパン
それまでの蒸しパンは本当にただの蒸しパンだったけど、チーズ蒸しパンという物珍しい風味と繊細な食感が現れた。今検索したらもともと北海道の会社が発祥で、90年ごろから人気大爆発したという。
だからヤマザキのチーズ蒸しパンには北海道のシルエットが浮かび上がっていたということなのか。北海道ではなく大阪だけど、りくろーおじさんのチーズケーキも同じ時代と方向性な気がする。
ただりくろーおじさんは今でも全然美味しいけども、チーズ蒸しパンは特に食べたいと思わない。昔のパンだったら個人的にはコッペパンとか食パンにシュガーマーガリンみたいなチープな奴の方が好みだ。
チーズ蒸しパンって奴は現代風でもなければ昭和の素朴さもない、くしゅくしゅ時代特有の中途半端な位置づけである。90年代リバイバルの現代においても全く日の目を見ていないが、とはいえ今日でも売られてるってことは、かって物珍しい風味と繊細な食感に魅せられたオッサンがこの四半世紀くらい人知れず買い続けているということだ。
チーズ蒸しパンが出たとき(2ちゃんねる)
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/bread/1237253763
東京ばなな
これもチーズ蒸しパンと同じで今特に食べたいと思わないが、当時(1991年発売)は画期的だった。ちょっと違うカテゴリだが1992年発売のまるごとバナナってのもあり、こっちは生クリームなので今でも毎日食べたいくらいである。
ただチーズが当時人気だったのは、今ほど食べられてなかったのとかイタメシが人気だったからとかいろいろ心当たりがあるけども、バナナのスイーツが何であんなに画期的だったのかわれながら謎だ。チーズ蒸しパンが最初北海道で売り出されたようにまるごとバナナも東北のバナナボートが原形らしいが、別に東北じゃなくてもバナナボートはあるぞなもし。
ザカルシウム
たぶんカロリーメイト(1983)からの流れじゃないかと思うが、栄養を添加したり、食事がわりに食べるような菓子やジュースの市場がこの時期に急成長していたように思う。牽引していたのはもちろん大塚製薬で、バブル期は食物繊維がブームだったのかファイブミニ(1988)という瓶入りの炭酸ジュースが流行ったが、くしゅくしゅ時代はカルシウムが注目されており骨粗鬆症っていう婆の骨がポキポキ折れるという病気もこの頃初めて知った。
私は子供心に骨しょしょうしょう怖ぇとガクブルし、ドラえもんシリアルに明治ラブをドバドバかけて一日600mg摂取を目指したものである。そんな時代に大塚がよくCMしていたのがザカルシウム(1992)というウエハースで、原田知世とその姉が出演していた。
あんまり食べたことはないのだが、1袋で600mgとかなり簡単にカルシウムを取ることができ味もおいしかった。でもこれ2枚ぽっちしか入ってなくて100円くらいしたんじゃなったか確か。
しかしザカルシウム以外にもカルシウムを添加したウエハースというのは他にもあったので、私はそういうのを食べていた。それが麦ふぁ〜っていう菓子で、今ありがとうを100万回聴かせたってのを売りにしてるけど、全然記憶にないので昔はそんなことかいてなかったと思う。
最近はスピリチュアル界で胎内記憶とかよく聞くけども、10年くらい前はどんな酷い目に遭ってもありがとうございます。って言うありがとう教とか素手でトイレ掃除すんのが経営者のあいだで流行ってたから、麦ふぁ〜の社長もそのときからウエハースにありがとうを100万回聴かすようになったのかもしれぬ。麦ふぁ〜自体はかなり昔からあるようだし、私がザカルシウムのつもりで食べてただけで別にくしゅくしゅ時代に人気を博したとかそういうことはないので一応。
杜仲茶
昭和のやせる茶と言えばウーロン茶、というか今でも黒ウーロン茶とかあるけども、くしゅくしゅ時代は杜仲茶だった。茶葉が日立造船って会社から出ていて今からBODYをシェイプアップ誰にも負けない!とばかりに沸かして飲んでいたのだけど、それはそれはまずかったしルーズソックス時代に入るころには消えていた。
20年の月日が流れあのまずさをもう一度。といつか小林製薬のペットボトルを買ったけど、薄いのか?昔みたいな飲みにくさはまったくなかった。だが小林製薬は日立造船から杜仲茶を譲渡されているらしいので、一応同じ銘柄なはずである。
ノンカフェインがはやっているし、90年代がブームなのでふたたび杜仲茶が見直されることもあろう。またダイエットではないけども、アサヒから16茶ってのも面白いCMで人気爆発しブレンド茶の先鞭をつけた。
日立造船、杜仲茶の木でゴム量産 舞鶴に小型プラント(2015年10月14日 日本経済新聞)
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDZ13HAO_T11C15A0TJC000/
こんにゃく畑
昔ゼリーといえばカップに入ったものは小さかったし、プルっとしているだけだった。でもこんにゃく畑は大ぶりなカップとそのブルリンッ!としたすごい弾力でゼリー界に革命を起こした。
それにくわえ食物繊維とか栄養添加した菓子が流行ってた頃だったので、こんにゃくというのもヘルシーで素敵なように思われた。しかしその大ぶりなカップとブルリンッ!としたすごい弾力のために喉につまらせるお子様やお年寄りが後を絶たなかった。
CCレモン
サントリーの代表的なジュースであるCCレモンは1994年に発売され、ウィキペディアによると炭酸部門ではコカコーラとペプシに次ぐ第三位なのだそうだ。何回も言ってるけどくしゅくしゅ時代は栄養を添加したような菓子やジュースの市場が急成長しており、CCレモンはその中でも自販機で気軽に買え、またたくまに人気爆発した。
昔の自販機は細長くて缶も細長かったはずだが、この頃から横長になって缶も大きくなって110円になって今みたいなサントリーの自販機が増えたように思う。ビタミンC製品としてはシーズケースやC1000タケダ、チュアブルタイプのハイシーなどもよく食べていたので、カルシウムだけでなくビタミンC製品もトレンドだったのだろう。
アイスボックス
それまで氷菓子といえばかき氷とかチューチューみたいなのしか知らなく、さじが刺さらねぇとか手が冷てぇとかアイスクリームに比べさまざまな苦痛をともなっていたものだが、アイスボックスは片手でコップみたいに持って氷をボリボリ噛み砕くスマートな方式に衝撃を受けたし溶けてもおいしい柑橘系の味わいをオシャと思った。そして時が流れ、アイスボックスのCMに出てた西島秀俊って格好良かったのに消えたなーと思ってたら、最近コマーシャルでブツブツ独り言を言う夫役みたいなのをよくやってる俳優が西島氏と知ってびっくりした。
ポンデケージョ
今コンビニとかでよくモチモチした食感のパンが各社出ているけども、昔のパンはモサッとしていてモチモチなどとは無縁だった。そんな菓子パン界にモチモチをもたらしたのが、ポンデケージョという小ちゃくて丸いパンだった。
これがナタデココ、こんにゃく畑と並び、くしゅくしゅ時代における三大画期的新食感に数えられるのは多くの人が知るところだが、前述したようにその後モチモチしたパンは珍しいものではなくなり、ミスタードーナツからポンデケージョをドーナッツ(リング)状にしたポンデリングが人気定番メニューとなった以外にポンデケージョという名前もすっかり聞かなくなった。確か初めてポンデケージョを食べたのがドンクっていうチェーンのパン屋だったと思うので、まだポンデケージョあるか後日確認しに逝ってみようかと思う。
ライチ
ナタデココほどではなかったが、ライチもその南国イメージと透明感のある白いボディ、プリっとした食感が何とも目新しく魅力的であった。ライチフレーバーはそこそこ定番化している気がするが、果実を食べることはめったになく、何年か前ステーキけんでライチがあったときは懐かしくていっぱい食べた。
メルティーキッス
冬限定のチョコで1992年発売。私が子供んとき食べていたチョコといやベビーチョコとかぬーぼー、アポロ、チョコフレーク、チロルチョコBIS、ちょっと大人なとこでせいぜいマーブルポッキーってとこだ。
そんなところにいきなり出てきたオシャな粉がまぶしてあるティラミスのような風貌、夏には耐えられないというメルティっぷりに、チョコの概念が大きく揺さぶられたのも無理はない。スイーツ感覚のチョコ菓子のはしりだった気がする。
カフェラッテ
今でもスーパーとかに売ってるあの森永のコーヒー飲料だけど、スターバックスコーヒーが上陸したのはルーズソックス時代以降(96年)なのでカフェラテってのはこの商品で初めて知った。マウントレーニアという銘柄もシアトルから見える山の名前であるし、プラスチックカップにストロー刺して飲むというのもシアトル系だ。
それまではカフェオレというものしかなかったし、市販品は特にコーヒー味が薄くて甘かった。だからカフェラッテは味もおいしかったのだけど、それよりもカフェラテもスタバもプラスチックのコーヒー飲料も全然存在しなかった時代にシアトルのオシャなカフェ文化を日本にもたらした、その先見性に驚きを禁じ得ない。
ラ王
日清の高級路線で油で揚げたのじゃなくてソフトメンみたいな生タイプが入ってるカップ麺で、ごんぶと(うどん)とかSPA王(スパゲティ)もあった。でも個人的に生タイプはあんまり好きじゃなかった。
多分その後ノンフライめんになって、ノンフライめん派の私としてはそりゃそうだろと思った。それにしてもくしゅくしゅ時代に横長の大画面テレビが流行ったとき「画王」ってのがあったけど何か関係あるんだろうか。
- 2017.03.30 Thursday
- 懐かしい
- 22:23
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- by 悩み