韓国っぽグルメ

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    韓国で一大ブームメントを起こしたハニーバターチップを最近わが国のスーパーマーケットでも見かけるようになった。あれカルビーの幸せバタ〜と同じ味と違うんかいな。

    ロッテリアにふるポテという、紙袋にスナック菓子にかかってそうな粉入れて自分でシェイクするタイプのポテトが安くなってたので初めて食べてみたところ良き。と思い、普段マックしか行かないけど今年のマック限定が去年の使い回しすぎることもあってしばらくロッテリアにはまった。パイやチーズがモチモチしており、時期によってタピオカや雪見大福を使ったメニューもあるなど、韓国人企業なせいか全体的に韓国好みのモチモチシコシコした食感が多い。

    ふるポテはカルビーとコラボしていることもあって、粉がカルビー製かつ紙袋まで可愛い。しかし幸せバタ〜(ハニーバターチップ)がヘテ製菓なのに、ライバルのロッテと組むなんてカルビーはとんだ二股野郎だ。

    マックのシャカシャカシリーズもしかり、私は味にムラがあるのが好きなのであえてシェイクせず、適当に粉かけてめちゃくちゃ味が濃いところと普通のところと粉全然かかってないところと1つのフレーバーで3種類の味を楽しむのがこだわりだ。そんな性癖なのでビビンバとか食べてもあんまり混ぜないけど、韓国でそれやったら店のおばはん勝手に人のスプーン奪いグチャグチャかき混ぜて味を均一にしてくるので困る。

    そのふるポテおよびシャカシャカポテトと同様のメニューがファーストキッチンにも存在した。写真ほとんど紙しか写ってないが、いちおうポテトとハンバーガーが中に入っている。

    これはチーズタッカルビ味だそうで、タッカルビ味の粉をまぶしたポテトをチーズソースにディップする・・・という、ちょっとややこしい方式のせいで、店のおばはんにあらかじめ粉をシャカシャカされてしまっている。けどこれ、べつに辛くもなければ鶏肉の味がするわけでもなく、このチーズだったらマヨネーズでも良いやと思うような、全体的にぼやーとした味だった。

    そういえば少女時代やマッコリが伝来した、第一次K-POPゴリ押し期には外食中食の韓国メニューもっと多くて、マクドナルドのプルコギバーガーとかコンビニの韓国風おにぎりとかとにかく規模も無理やり感もすごかった。チーズタッカルビのゴリ押しはその時に比べると全然たいしたことない。

    剛力氏も踊り出すあのランチパックからチーズタッカルビ味が登場した。パンはしっとりでさすがのランチパックだが、フィリングはピザみたいな感じだったので目新しさはなく、ランチパックではどっちかというとサーティーワンコラボの方が踊り出したかった。

    かねてよりチーズタッカルビおにぎりなどチーズタッカルビ商品を複数発売しチーズタッカルビと親和性の高い大手コンビニチェーンであるファミリーマートからチーズタッカルビパンが出ていた。作ってる会社は知らんけど同時期にチーズタッカルビ味のランチパックが出てたくらいなのでヤマザキ製とみた。

    チーズが中からとろーんじゃなく上部に焼きつけてるし、見た目パッサーしててこのパン絶対おいしくないわ。と全く期待せずに買ったけど、すぐもちもち食感に走りがちなファミマの菓子パンにありながら、しっとりふわふわのパン生地に意外性があり、フィリングもけっこうリアルにタッカルビだった。まだしばらく買えると思うのでピリ辛いのが好きな人はいっぺん食べてみてはいかがだろうか。

    ハニーバターといえば韓国っぽフレーバーの代名詞的存在だが、その影響かたけのこの里からもはちみつバターが出ていた。近年、あまおう苺味や甘酒味やチョコミント味などお菓子は同じフレーバーが乱立する傾向があるのだが、カルビー以外ではちみつバター味を出すのはまだ珍しいように思う。

    とりあえずはちみつバターという味が面白そうだから買ってみるものの、見た感じこのチョコは激甘でおいしくなさそうだ・・・と、もともとたけのこ食べる習慣がないこともあり期待していなかった。でも中のビスケットがビター系なのが幸いし、甘いはちみつチョコともバランスがよくって、オレオ的おいしさだった。

    ハニーマスタードにチキンって組み合わせが韓国ぽいので食べてみたけど、うどん離れした価格にくわえ蜂蜜に辛子に鶏肉に生野菜・・・で訳の分からない味だった。うどんはかけや温玉ぶっかけなど普通の味で食べようと心に誓った。

    韓国がヤクルト先進国となるなか、ヤクルトの祖国であるにもかかわらず遅れをとっている日本。ヤクルト的飲料のビックルから出たソーダ普通においしかったけどまだまだヤクルト味は少ない。

    韓国人はモチモチシコシコした食感が好きらしく、グミの人気が高い。わが国でUHA味覚糖が発売する新食感グミ「コロロ」も有名でパクリ臭い商品(おそらくコロロの食感フルーツ感は再現できてないと思われる)も存在するけど、今度はその味覚糖からヤクルト味のグミが発売されていた。

    その商品名から食感がむっちりらしいし、グミがビンの形しているあたりも韓国の奴と同じだ。現在日本ではチョコミント味の菓子が乱立しているのだが、チョコミントゴリ押しが終わったらヤクルト味来るか?

    ヤクルトや即席めんは日本起源でありながら、その摂取ペースはもはや韓国のほうがまさっている可能性が高い。即席めんを袋の上から割り、スープの粉をかけて生のままバリバリ食べる、そんな食べ方も韓国ではポピュラーで、最初から生でバリバリ食べることを想定した「ブショブショ」なる菓子も存在する。

    ブショブショというのは袋の上から割るときのバキバキ、もしくは混ぜるときのシャカシャカ、いづれかの擬声語であろう。めんにかける粉はスープみたいな味とは限らず、バーベキュー味のようないかにもスナック菓子な味、ハニーバターのような甘い味やワサビ味もある。

    わが国ではベビースターやラーメン屋さん太郎などチキンラーメン系の麺が最初から粉々になっている菓子と、それを食べやすいようひとくちサイズにまとめたラーメン丸やどでかいラーメンなどがあるものの、ブショブショのように見た目が即席めんと全く同じものは見たことがない。少なくとも台湾には「王子麺」「科学麺」といったブショブショと同タイプの菓子があるのだが。

    しかしこのたびベビースターからもブロック型が限定発売されており、史上初と記載されている。これまでのベビースターと違い好きな大きさに割れるという利点はあるが、けっきょくこれはしょっぱくないチキンラーメンでしかない。

    ブショブショがいいのは粉を均一にすることもできるのだが、あえて全然混ぜずに粉がいっぱいかかってるとこと全然かかってないとこ両方楽しむのがいいのであって、あのジャンクな粉が重要なのである。ベビースターはまるかじりとはいってもチキンの味が均一にしみてしまっているし何よりもうこの新しいキャラの絵があまりにも可愛くない。

     

    【辛い】インスタントラーメンみたいな韓国のお菓子[プショプショ] ×10袋!4140kcal【木下ゆうか】(YouTube)

    https://www.youtube.com/watch?v=cuf4-h2FloQ&vl=ja


    竹やり禁止

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      今年すごい暑いし雨も全然降らないけども17日から3日ほどは一瞬だけ爽やかな気候になり、いちおう秋が近づいてる気がした。その後ふたたび熱くなって30度超えたものの、心なし風がサラリとしてて屋外もお盆前ほどは苦しくない。

      東京の週間天気によれば8月末までは30度超えと予報されているが、今年は梅雨がほとんどなく夏が前倒し気味かつもう十分暑かったので、アイスバケツチャレンジやポケモンGOの時がそうだったように9月になればさっさと涼しくなって夏の騒ぎも瞬時に忘れられるパターンと予想する。オリンピック打ち水論争もまたしかり、人々の関心も今だけだろうからまだ暑いうちに記事をしたためとこうと心に誓った。

      10年以上前からロハスと小池百合子がやってたはずの打ち水が今年に入って急に論争になった経緯としては、この酷暑のなか去年の希望の党だなんだで没落した小池都知事がオリンピックも打ち水で乗り切ろうよ的なことを言い、戦時中のような愚行としてインターネット中心に批判を集めたものと認識している。それが竹やりと形容されているあたり、江戸など伝統を美化するのが右翼だというニュアンスが多分にふくまれているのだろう。

      しかしそれは誤解で江戸好き=左翼って認識が早く人々に広まることを願ってやまない。でないと、江戸って右翼的なんだー。って勘違いして本当に江戸を褒め称えだす奴が出てくるのでややこしいことになっちまうっていうかアベの嫁がロハス野郎とつるんでいることもあってもうすでになりつつある。

      なんで小池百合子が前から打ち水をやってたかというと、ニューエイジおよび脱原発の人々が創出してた2000年代初頭におけるロハスブームのさい環境大臣を務めており、それ以降エコを売りにするようになったからだろう。服とかが緑色なのはよく知られたところかと思うが、Twitterのアカウントも「エコユリ」となっている。

      打ち水がヒートアイランドに効果的であるかのように宣伝されだした頃、小池百合子は都知事ではなく環境大臣、オリンピックはまだ招致してなくて愛・地球博を目前にしていた。もともとは真夏の昼が一番電力消費多いから江戸のスローライフにならって原子力発電所減らそうって方向性だったはずで、江戸賛美は右翼。小池百合子は右翼。オリンピックは右翼。てな思い込みによって打ち水やモッタイナイが戦時中の竹やりとか欲しがりませんと結びつけられたりするのを見ると、ロハスブームも遠い昔なのだと思わずにいられない。
       

      「祝10周年の打ち水大作戦はどうやってはじまったの?」を仕掛け人・池田正昭さんに聞いてみた [ソーシャルアクション元年への旅](2013年8月9日 greenz)

      https://greenz.jp/2013/08/09/uchimizu02/

      真田 打ち水大作戦を思いついた背景を聞かせてくれませんか?

      池田 ひとつは渋谷川を再生させようという「渋谷川ルネッサンス」というプロジェクトがあります。そのとき僕はすでに「アースデイマネー」という地域通貨をはじめていたのですが、この地域通貨というものは、なにかを達成するための手段であって、目的には成り得ません。なので、地域通貨の流通させることが必然となるような目的としてのプロジェクトが必要になり、それがどぶ川のような渋谷川の再生だったわけです。

      真田 どうして渋谷川だったんですか?

      池田 『エヴァンゲリオン』シリーズの庵野秀明監督が『ラブ&ポップ』という実写映画を撮ったこと、真田さんならご存知ですよね。その頃、僕は村上隆さんとよく一緒に仕事をしていたのですが、彼が『ラブ&ポップ』をベタ褒めして「ぜひ観るべきだ」とやたらと勧めてきて。

      それで観てみたのですが、なにが一番印象に残ったかって、これがもう秀逸なエンディングロールなんですよ。エンディングは、女子高生4人が「あの素晴しい愛をもう一度」を歌いながらドブ川を歩いているシーンなんです。このドブ川はどこだろうと思いました。ずっと渋谷の話だったから、渋谷なのかなと。

      それで、調べてみたら、そのドブ川が渋谷川だってことがすぐにわかったんです。渋谷で立ち上げたアースデイマネーのプロジェクトには東急電鉄の方が関わってくれていて、そのひとから「渋谷川はいまでこそすっかり汚れてしまっていますが、本当は“春の小川”のモデルとなった川だったんですよ」と教えていただいたんです。これはかなり衝撃的でしたね。それまで知らなかったんですけど。

      この汚くなった渋谷川を春の小川として再生する、そのための地域通貨をアースデイマネーにしよう……。ヒラめいたんです。それで、春の小川を再生する活動を支援したり、活動している団体を見つけるためにさっそく動き出しました。

      しかし調べてみると、そんなことしている団体は一切なかったんです。困ったなぁと思っていたのですが、そんなときに目に留まったのがNPO法人渋谷川ルネッサンスの代表をしている尾田榮章(おだひであき)さんだったんです。本来なら私がやらなくてはいけないけれども、実際には地域通貨のほうをやらなくてはならないので、渋谷川の再生をやれる人はいないのかなと探していたんですね。

      尾田さんは世界水フォーラムの事務局長として活躍していて、元建設省の河川局長の立場でありながらすごく大胆なことを言うような方でした。とある雑誌では「都市は春の小川の再生のようなことをやらなくちゃいかん」と熱く語っておられました。私はすぐこの人だと思いました。渋谷川の再生プロジェクトをやるのはこの人しかいない、と。

      真田 そういう流れだったんですか。

      池田 ええ。それで会いに行ったら、「おもしろい、やろう!」と二つ返事。それで、とんとん拍子にNPO法人渋谷川ルネッサンスが立ち上がることになりました。と同時に、僕も世界水フォーラムに関わるようになり、結果として世界水フォーラムが母体となって、打ち水大作戦本部がつくられることになったのです。

      真田 それが2003年頃だったと。

      池田 そうですね。そして私は打ち水大作戦終了後のレポートに、打ち水大作戦の成功の理由をひとつあげるならばそれは“近隣コミュニティの再生”だと記しました。

      この近隣コミュニティの再生とは、まさに第三回の世界水フォーラムの閣僚宣言で出てきた考え方とぴったり重なっていたんです。「世界の水問題の解決のためには、近隣コミュニティの再生こそが鍵である」それが世界水フォーラムの閣僚宣言の締めの言葉だったんです。

      真田 そうなんですか。

      池田 そう。そしてそれをまさに体現したのが打ち水大作戦でした。2003年の打ち水が終わったとき、参加してくれたひとりの女性が、「近所の人と挨拶をして、またみんながひとつになれました」と教えてくれました。“また”ひとつになれたという部分が大きいかなって思っています。

       

      打ち水が気温を下げる説を既成事実化したイベント「打ち水大作戦」においては、当初地域通貨「アースデイマネー」の存在があり、仕掛け人の元博報堂・池田正昭はミヒャエル・エンデ著「モモ」を題材としたNHKのロハス番組「エンデの遺言」にも出演していた。そしてアースデイマネーを流通させるためのプロジェクトとして渋谷川の再生を目的とする「渋谷川ルネッサンス」が発足し、その再生事業に世界水フォーラムが関わってきて、このアースデイマネーと世界水フォーラムにより近隣コミュニティの再生を目的に打ち水大作戦本部が作られた・・・と、上記引用には書いている。

      もともとこの渋谷川が暗渠化されたのは1964年の東京オリンピックであった。なお打ち水大作戦の元となったアースデイマネーはカフェスローでも使うことができたようだが、確かアースデイマネーはほとんど流通してなかったので今やってるかどうかは分からない。

       

      https://www.amazon.co.jp/dp/4140806672/

       

      カフェスローに集う 〜地域通貨マーケット〜

      http://www.cafeslow.com/event/market.html

      「地域通貨」とは、

      『国家が発行する”円””ドル”などの法定通貨とは別に、地域やコミュニティの中で独自に作られ、使われる通貨システムのこと。商店街、NPO、地方自治体などが運営主体となることが多い。法律等で規格が整備されているわけではないので、各地の地域通貨ごとに形状もシステムも様々だが、流通するなかで利子が発生せず一切の利潤を生まない点が地域通貨の最大の特徴といわれる。 』

      と、このように書くと大変難しいものに思いますが、
      カフェスローのマーケットで使われる「ナマケ」「アースデイマネー」は、クーポン感覚で誰でも気軽に使えるシンプルなタイプの地域通貨。
      商品代金の10%から使用可能です(使える割合は店舗によって異なります。詳しくは各店舗まで)。

      くるくると循環する地域通貨は、地域やコミュニティのなかで人の縁をつなぎ、互いを活かし支えあうための、”道具”としてのお金。

       

      地域通貨ってのもよくわからんけど、今みたいな銀行が明治(渋沢栄一とか)に由来していることを考えると江戸みたいなもんなんだろう。このカフェスローで『半農半X』などのイベントを共催していた、NPO法人トージバの渡邉尚氏と結婚し3人の子どもさんを自宅出産したのがナマケモノ倶楽部の藤岡亜美、また渡邉尚とトージバを運営していたハッタケンタローが隊長を務めていた打ち水大作戦に小池百合子が参加していたのは何日か前の打ち水記事で紹介したとうりである。

       

      鴨川自然王国で農的な暮らしをする歌手のyaeさんをゲストに迎えて(2009年5月17日)

      http://www.bayfm.co.jp/flint/20090517.html

      ●生き方自体が自然ベースのライフスタイルになっているんだなって思うんですけど、yaeさんは種まき大作戦っていうアクションも起こしてらっしゃるそうですね。

      「はい。2007年からスタートしたんですけど、環境に対する運動って世の中で色々起こっていて、東京のほうでも行なっているんですけど、打ち水大作戦っていうのがありまして、打ち水すれば気温も下がるよみたいな。打ち水大作戦の仕掛け人でもある、ハッタケンタローという男が『今度は種まき大作戦っていうのをやろうじゃないか』と。人は食べなきゃ生きていけない。その食をもっとクローズアップさせて、みんなでムーヴメントにして、みんなで楽しんでどんどん広めていこうよ。日本の自給率が4割を切っていてって、ニュースですごくいわれるんですけど、『そのためにどうすればいいのかが分からないんだけど』っていう人たちのために、『こんな方法があるよ』って分かりやすくて楽しくて、もっともっと広まっていくような仕掛けを種まき大作戦でやっています。種まき大作戦の棚田チャレンジとか、はじめる自給とか、米をみんなで作ってみる。米と大豆さえ作れれば、大体の日本の味は作れるだろうみたいな。豆腐ができるし、納豆ができるし、醤油ができるし。そういう意味で大豆を作ろうみたいな話で体験をやるんですけど、一般の人たちがたくさん参加してくださったりして、この間、アースデイで呼びかけたら結構応募があったりして、私のファンクラブでも田植え体験とかやっています」

       

      このYaeと言う歌手は加藤登紀子と獄中結婚した藤本敏夫の娘で、土と平和の祭典ていうロハス大集合の実行委員長でもあった。土と平和の祭典の世話人って記載されてる高野孟はたぶん藤本敏夫と親交があったと思うのだけど気功を紹介してた津村喬(本名 高野威)の兄にあたる人物で雑誌「80年代」にも何か中東の記事書いてた気がする。

       

      https://www.amazon.co.jp/dp/4051052079/

       

      種まき大作戦&土と平和の祭典

      http://www.tanemaki.jp/

      【実行委員長】藤本八恵(Yae)
      【世話人】加藤 登紀子(歌手)/高野 孟(株式会社インサイダー代表取締役兼同誌編集長)/田中 正治(ネットワーク農縁)/藤田 和芳(大地を守る会会長)
      /辻 信一(文化人類学者・環境運動家・明治学院大学国際学部教員)/甲斐 良治(社団法人農山漁村文化協会 編集局次長)/渡邊 義明(株式会社アファス認証センター代表取締役)
      【事務局】特定非営利活動法人 トージバ

       

      というわけで打ち水はロハスなのであり、竹やりではない。これから打ち水を竹やりとか言う奴は竹やりで突つく。


      四半世紀前ぐらい

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        先日オウム真理教の死刑囚が全員ポアされて一瞬だけ話題になった。選挙やテレビ出たり凶悪犯罪を繰り返すなど、くしゅくしゅソックス時代にくすぶっていた狂気が1995年の初めごろテロという形で爆発したという点をふまえると、私の歴史観においてやはりオウムは非常にルーズソックス的だったように感じられる。

        サリン事件はくしゅくしゅソックスがルーズソックスにとって変わられる時期で、安室奈美恵がコギャルに人気爆発するきっかけとなった「TRY ME」が1月発売、また小室時代の足掛かりを作ったtrfの楽曲がショボくなってくるのも同時期で、くしゅくしゅ時代からルーズソックス時代へとJKはもちろん人々の意識も急速に変化していった。1995年初めに阪神淡路大震災とサリン事件が起きるまで世の中はオカルトやエロに寛容で、なんならニューエイジが知識人やクリエイターのたしなみぐらいに思われていたのではないだろうか。

         

        エコマーク

        左翼の反原発グループ、環境省feat.小池百合子、トヨタ自動車が三位一体となった2005年前後のエコブームにおいてはおもに地球温暖化の危機が叫ばれた。その内容は、二酸化炭素増えすぎだから今使ってるガソリン車や消費電力の高い白熱電球を捨ててハイブリットやLEDに買い替えだとか、江戸の循環型社会に学んで浴衣で打ち水したりレジ袋をやめて風呂敷使おうとか、そんなとこだったと記憶しているけども、くしゅくしゅ期にもエコブームはあってその時は地球温暖化はそこまで言ってなかった。

        ただ二酸化炭素増えすぎ問題はすでにあって、森林が二酸化炭素吸って酸素出すし森林伐採で砂漠化してるからってことで植林だとか、紙が木でできているから木で紙作るんじゃなくて紙から紙に再生しようとリサイクルが進み、くしゅくしゅ時代より紙製品等にエコマークやグリーンマークがつき出した。私が計算とか書く用に使ってた落書き帳も途中で再生紙になってページ数が大幅に減ったのを覚えている(今ふうに言う実質値上げ)。なので木というものは無条件に多ければ多いほど良いものなのだと思っていて、当時まだ珍しかった花粉症を聞いたときは、何で木なのに体に悪いんだ?と不思議に思っていた。

        ヘアスプレーなどに使ってたフロンガスがオゾンホールを破壊して紫外線がすごくなるってのも砂漠化と同じぐらいよく聞いた。ナマケモノ倶楽部が紹介し、いつのまにか英語の教科書にまで採用されるようになったセヴァンスズキ伝説のスピーチってのも1992年の地球サミットである。

         

        ガイアシンフォニー

        地球、それもガイアといえばニューエイジだが、地球交響曲と書いてガイアシンフォニーの第一番が公開されたのが1992年。監督の龍村仁はNHK出身で、NHKといえば同じころ「チベット死者の書」てドキュメンタリーもあった。

         

        イルカたん

        ロハスブームの頃もグリーンピースの鯨肉窃盗事件(2008)、映画「ザ・コーヴ」(2009)やシーシェパードの妨害行為など反捕鯨団体がよくとりざたされ、その時期をさかいに日本人の総意としてクジラ食べるのは伝統なんだから白人が口出してんじゃねぇってとこに落ち着いた。しかしくしゅくしゅソックス時代はアイソレーションタンクでおなじみジョンCリリー博士が来日してたこともあるし、サブカルチャー系(≒ロハス)の人々がイルカやクジラで盛り上がっても普通の人はへえ〜イルカってかしこいんだ・・・くらいにしか思ってなかったのが、竹島問題みたいにある時から反日と宣伝されて関心が高まったケースと思われる。

         

        七つの海のティコ 第1話「シャチをつれた少女 冒険者ナナミ」(YouTube)

        https://www.youtube.com/watch?v=4OyScGnJn6Y

         

        1994年に放送された「七つの海のティコ」。幻のヒカリクジラを探すため海洋生物学者の父(カリフォルニア大卒)と世界一周の船旅しているバークレー出身の主人公ナナミが5分以上呼吸なしで水深100m以上素潜りが特技とかいうジャック・マイヨールみたいな少女で「フランダースの犬」「洗い熊ラスカル」といった古典だったはずのハウス世界名作劇場がなぜかこの時だけニューエイジ劇場と化した。

         

        ジャック・マイヨール(Wikipedia)

        https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%83%AB

        4歳の時、母親に初めて水とのつき合い方を教わる。10歳の時に、佐賀県唐津市の七つ釜ではじめてイルカと出会い、その後の生活の原点となる。12歳で一家でフランスのマルセイユに移住。17歳で父の設計事務所で働きながらバカロレアを取得。高校を出ると北極圏でイヌイットと暮らすなど、以後コペンハーゲンを起点に旅を繰り返す。

        ・・・

        その後水族館を退職しカイコス諸島に移住、素潜りによる伊勢エビ漁を島民に教える。その頃になると周りの勧めでフリーダイビングに挑戦するようになり、1966年にハバナにて60メートルを記録したのを皮切りにエンゾ・マイオルカと共に記録合戦を繰り広げた。1973年、イタリアに居を移し、10余りの潜水実験に参加。それにより数十メートルの深度でフリーダイビング中のマイヨールの脈拍が毎分26回になっていることや赤血球が著しく増加していることが、スキューバで潜った医師によって測定されたこともある。1976年11月23日、エルバ島にて人類史上初めて素潜りで100メートルを超える記録をつくる。この時49歳であった。

        ・・・

        大の親日家であり、フリーダイビングにヨーガや禅を取り入れていた。千葉県館山市坂田に別荘を設けている。1995年にはTBSテレビのドキュメンタリー番組『いのちの響』に出演したことがある。1997年の秋には27HOUR SPECIAL CHALLENGE 97内で放送された『イルカが海に帰る日 〜ユキよ、自由の海を泳げ〜』のスペシャルゲストを担当した。

         

        女優 高樹 沙耶さん

        http://www.yonaguni.jp/20040525-takagi-saya.htm

        5月23日フリーダイバーの第一人者で女優の高樹沙耶さんが、世界的に有名なフリーダイバー、故ジャック・マイヨール氏を偲び、メモリアルプレークへスキンダイビングで来島あいさつ

         

        高樹沙耶さんインタビュー(なまえのない新聞)

        http://amanakuni.net/Namaenonai-shinbun/Namae131-saya.html

        沙耶:最初の入り口は、仕事で野生のイルカに出会う機会があって、イルカと泳ぎたい、イルカのように泳ぎたいって強く思ったこと。でもすぐに、自分が水中の生きものであるイルカのように泳げるなんておこがましいということに気づいてうちのめされました。やっぱり自分は陸で酸素を吸って生きている人間で、水の中ではダメな生きものなんだ〜って。それでも、こんなに幸せな気持ちを味あわせてくれる彼らに、 少しでも近づきたい。どうやったらより深く長く海の中にいられるかなと思っていた頃、ハワイ島でアメリカのフリーダイビングの選手と出会えたんです。その人たちの姿をみて、人間の、生きものとしての可能性に感動した。「こうしたい」と思ったことって、必ず実現出来るんだって。「深く潜りたい」と思ったら、生理学的には無理といわれていた深さを超えて潜ってゆくことが出来る。息も4分半もとめることが出来るようになったし。フリーダイビングは、私自身にそういう生きものとしての可能性を確認させてくれました。

         

        ラッセン

        イルカたんといえば、くしゅくしゅ時代はラッセンの絵をよく見かけた。でも日本人にとってはニューエイジがどうってよりもバブルを象徴するめっちゃ痛い絵って位置ずけなんだろう。

         

        クリスチャン・ラッセン(Wikipedia)

        https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%BB%E3%83%B3

        経歴

        カリフォルニア州の海沿いにあるメンドシノ(英語版)[2]出身。11歳のときに家族と共にハワイ島へ渡り[3]、後にマウイ島へ移住した[2]。

        10代からサーフィンと絵画に熱中し、オアフ島ノースショアに住んでプロサーファーとして活動。美術の専門教育は受けていない。1985年にラッセン・アート・パブリケーションズを設立。アールビバンが取り扱いを始め、1988年からバブル期の日本でベストセラー画家となる[4]。
        作風・評価

        ハワイの海中風景やイルカなどの海洋生物を主要なモチーフに、南洋の自然をきらびやかな画風で描き、「マリンアート」と称される[5]。空(そら)の部分などにはエアブラシも用いるという[2]。

        その作品は安価な版画やリトグラフ、ジグソーパズルとして大衆的人気を得た。日本での知名度向上に絵画商法が大きく関わっていたため、その販売戦略への反感からヒロ・ヤマガタ同様美術界の本流からは無視されてきた[6]。奈良美智には「ああいう平和頭の理想的自然志向は理解できない」と批判されている[7]。

         

        ラッセンとヒロヤマガタはくしゅくしゅソックス時代においてREX恐竜物語と遠い海から来たcoo、夏の日の1993と何も言えなくて夏ばりに私の中でこんがらがってる記憶なのだが、ヒロヤマガタで画像検索したらこっちは全然イルカ書いてなかった。しかしヤマガタ氏は70年代に海外でアレン・ギンズバーグやグレゴリー・コルソーと出会い、1994年にギンズバーグと「ビートニク」ってドキュメンタリー映画の製作開始し同作にイージー・ライダーの監督でもあるデニス・ホッパーをバロウズ役で出演さしてたり、アースリーパラダイスっていうメリー・プランクスターズ(LSDの車)みたいな作品発表してて、ニューエイジとしてはラッセンより王道な気がする。

         

        サブリミナル

        JUNGLE ハート編(YouTube)

        https://www.youtube.com/watch?v=7J8XBOtLtW0

         

        怖いCMとして語り継がれるフジテレビ「JUNGLE」は心音のような太鼓をバックに綺麗なピンク色だったハートがどんどん汚れていき、AIDSという影が浮かび上がる。AIDSうんぬんは読みにくいこともありウワサとしてささやかれているにすぎないが、放送期間が1992〜93年であることを考えると事実それを意図した可能性は高い。

        AIDSって文字が読みにくいのも、サブリミナル効果なのだろう。サブリミナルブームはウィルソン・ブライアン・キイ著「メディア・セックス」(1989年)がそのはしりと思われ、くしゅくしゅソックス時代のクリエイター界においてはエイズやサブリミナルがトレンドだったにちがいない。

        メディアセックス持ってるけど、何でこの人にはここにSEXが見えるんだろう。てな写真ばっかりだった。だからサブリミナルのメッセージは「読めんがな」てくらいでたぶん丁度よいのである。

        しかしルーズソックス時代になるとサブリミナルが問題視されるようになっていて、Wikipediaのサブリミナルのページでも「日本では1995年に日本放送協会(NHK)が、1999年に日本民間放送連盟が、それぞれの番組放送基準でサブリミナル的表現方法を禁止することを明文化した」とある。これはアニメ「シティーハンター」に一瞬だけ麻原彰晃の顔が挿入されていた件が影響を与えているような気がするが、見た感じビデオ再生のコマ送りを想定したお遊びにすぎず、放送された1989年という時期を考えてもサブリミナルを狙うには早すぎ、また当時オウムもそこまで危険視されていなかった。

        Wikipediaによればシティーハンターはサリン事件以降にTBSがとりざたしたが、同じころにTBSが報道番組で麻原の顔をサブリミナル的に使用しブーメランとなった。TBSはエコブームのころ食育とか小池百合子って書いたフリップ写りこませてたしサブリミナル好きな社風かもしれない。


        天才の秘訣

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          生まれたての赤ちゃんにも記憶はある。てな主張は戦前からあり、オーストリアの精神分析家オットー・ランク(1884−1939)が「出生外傷」を提唱していたとのことであるし、ラマーズ法・産婆さん・母乳育児といった自然なお産ブームメントが起きだした昭和50年代には、すでにルボワイエなど海外の「赤ちゃんじつは病院出産の嫌な記憶覚えてる」説は日本にもたらされていた。しかしそうした「赤ちゃんじつは病院出産の嫌な記憶覚えてる」と現在池川明によって広められている胎内記憶、つまり魂時代に空の上から神様と厳選して優しそうな女や精子の中に入ったとか前世がどうのとかいう話のあいだにはやや隔たりが感じられる。

           

          https://www.amazon.co.jp/dp/4622077825

           

          まづ「胎内記憶」て言い回しから池川氏の主張は0歳児からの七田式教育で著名な七田眞の影響下と思われるが、自然なお産およびその根拠となる「赤ちゃんじつは病院出産の嫌な記憶覚えてる」も、へぇぇ赤ちゃんって実はかしこいんだぁ。と解釈され、優秀な子供を育てるにあたって母の愛や胎教を含めた早期教育の重要性が説かれるノリがうかがえた。祥伝社ノンブックから1982年に訳されたトマス・バーニー著「胎児は見ている」にも、ソニー創業者の井深大によって「生まれてからでは遅すぎる」「0歳からの教育を0歳前からに修正」「胎内学習は子供を良い性格、良い頭脳の人間に育てる」とかいう推薦文が寄せられている。

           

          https://www.amazon.co.jp/dp/4763181246/

          商品説明

             世界のソニーを一代で築き上げた井深大は、幼児教育研究に情熱を注いできたことでも知られる。本書は、幼児の可能性に注目し幼児教育の重要性を論じたベストセラー『幼稚園では遅すぎる』の続編に当たり、1978年に執筆された。その後、新版を重ねてきたが、その内容がいささかも陳腐化していないことには驚かされる。

             著者が一貫して訴えていることは、教育は「幼稚園どころか、3歳でも遅すぎる」ということである。だが、5歳から始めるのと同じ内容の教育を1歳の赤ちゃんから行うべきだと主張しているわけではない。その歳に応じた育て方があるというのだ。0歳から2歳までの時期は有無をいわせず繰り返し覚えさせる時期で、3、4歳はその子の興味に訴え、納得させながら教えていく時期に当たる。とりわけ、さまざまな刺激を何ら抵抗なく受け入れ、脳細胞に焼き付けていく0歳から2歳までを著者は「パターン時代」と呼び、幼児教育上重要な時期と説く。

             そして、このパターン時代の教育は母親にしかできないとの考えから、母親がなすべきことや環境づくりなどについて76話を講じている。「3歳までは、どんなに厳しくしつけても悪影響は残らない」「母親が恐れることは、子どもも恐れる」「『日本語を覚えてから外国語を』では遅すぎる」「子どもの“なぜ”を無視すると、子どもの好奇心は失われる」など、本書には子育てのヒントがいっぱい詰まっている。(清水英孝)

           

          https://www.amazon.co.jp/dp/4198909520/

          商品の説明

          内容(「BOOK」データベースより)

          世界的企業ソニーの創業者・井深大氏は、その後半生を幼児教育に傾注した。三十有余年、母親と幼児との実践教育の現場を踏まえ、氏は、ひとつの事実を確信するに至った。それは、ある意味で「常識」に真っ向から挑戦するものだった。同時に、「心」の貧しさが嘆じられる現代社会にとって、大きな朗報でもあった。―母と胎児は互いに心のコミュニケーションを続けて、深化していく―。この事実を基に、「井深理論」が確立していったのだ。

           

          https://www.amazon.co.jp/dp/4396102062/

           

          井深大著「0歳からの母親作戦」「幼稚園では遅すぎる」は、今「かみさまは小学5年生」でも話題沸騰のサンマーク出版より新装版がそれぞれ出ているが、オリジナルは70年代のゴマブックス(ごま書房新社)であり、画像検索したところゴマ版の表紙には「放任主義もスパルタ主義も子どものためのものではない!真の幼児教育とは何かを全国1000万の母親に問う」「イギリスアメリカをはじめ世界各国でいま注目を集める井深理論をふたたび若い母親に問う!」て書いており、1973年にはやはりゴマブックスから「このに学ぶ」てな本も出ていて、育児書を多く展開していたゴマブックスにおいて井深大による母親に問うシリーズ人気大爆発だった模様。「3歳まではどんなに厳しくしつけても悪影響は残らない」といえば、池川先生も出てくる美健ガイド社マンガシリーズでもまったく同じこと言ってて赤ちゃんを叩いて叱るシーンがあったのだけどあれ井深理論だったのだろうか。

          ゴマブックスでは内藤寿七郎という小児科医も本を出しててこれまた「十分に甘えさせなかった子は自立が遅れる!抱き癖を心配すると情緒不安定の子に育つ!」(内藤博士の愛の育児書)「何を求め何を訴えているのかお母さんの愛が赤ちゃんの心を育てる!」(赤ちゃんの心理)とか表紙からびっくりマークつきで断言しまくってて昭和の育児書インパクトありすぎ。いっぽう「胎児は見ている」のノンブックには同じような表紙でジツコスセディック著「胎児はみんな天才だ―最新の胎内教育 “子宮対話”の驚異」(1986年)て本もあり、このジツコスセディックは夫が米国人の日本人女性で二人の間に生まれたハーフの子どもがすごい天才で、その秘訣は胎内教育にあったんだそうだ。

           

          https://www.amazon.co.jp/dp/4396102704/

           

          『胎児はみんな天才だ』(エルマ♪のバリバリ英語育児)

          https://plaza.rakuten.co.jp/bringeroflight/diary/201101180000/

          ・・・

          これは、ジツコ・スセディックさんという米国人と結婚した日本人の女性が書いた本です。彼女の4人の娘たちは、いずれも10歳前後で大学に入学するような天才児に育ったのですが、その秘訣は胎内教育にある、と説いた衝撃的な本です。長女のスーザンは、生後2週間で言葉をしゃべり、7カ月には読み始め、1歳では中学レベル、1歳半では高校レベルの本が読め、5歳で高校1年に入学し、10歳のときには大学入学資格試験(SAT)を受けて、最高に近い点数を習得し、大学に入学するのです。この本が書かれた16歳現在では、大学院に在籍して解剖学を学んでいました。この子一人であれば、遺伝的な突然変異ともいえるかもしれませんが、それに続く姉妹全員がこれに近い能力を示した、というのです。そして、生後2週間で言葉を発した理由を胎内での記憶に求めずして、どんな理由があり得るか、というのです。

          今ある胎教の本では、池川明先生の本や、七田の本などもありますが、この本が大元になっていることは間違いありません。古い本ですが、日本人であるジツコさんが書かれた本ですので、非常に読みやすい本です。当時、日本でもかなり有名になった本のようですので、実家の倉庫をあさってみたら、この本が眠っているかもしれませんよ。

           

          https://www.amazon.co.jp/dp/4396104200/

          https://www.amazon.co.jp/dp/4584010277/

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          ↑胎児天才オールスターズ。0歳からの天才教育(久保田メソッド)てのもあったけど、0歳じゃ遅すぎて生後2週間で言葉をしゃべり7カ月には読み始め1歳では中学レベル1歳半では高校レベルの本が読め5歳で高校入学10歳で大学入学資格試験(SAT)を受けて最高に近い点数を習得し大学に入学するジツコ・スセディックのお子さんの記録にはとうていおよばないように思われる。

           

          https://www.amazon.co.jp/dp/4575150509/

           

          英才教育といえば、ラマーズ法の記事書いてるとき検索でたまたま見つけた本に「もういちどおんぶに抱っこ」(1986年)てのがあった。読んだことないから想像だけども、アマゾンにあった目次画像を見た感じではラマーズの部分を杉山次子が、「胎内からの英才教育」みたいなのは水野茂一って人が書いてる気がした。

          水野氏の著書は「ママ、こくごおしえて」「ママ、おはなしきいて」 「赤ちゃんの全脳体操 ママのお話、わかる?お母さんモニター記録集」など、のぶみかってくらいママママ言うてるあたり母子の絆を重要視していることであろう。表紙の赤ちゃんがカードを手にしていることから七田式とも関係ありそうなのだがはたして。


          池川以前

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            胎教という概念は相当古いらしく、ウィキペディアを参照すると「胎教という言葉の起源は中国の『青史氏之期』という古書であり、(中略)日本においては6〜8世紀頃医書を通じ部分的に伝来した。 江戸時代末期になると妊婦の保護や妊娠中の食物禁忌などと相まって胎教と解釈されるようになった」て書いており、青史氏之期がいつの本なのか分からないけど日本に伝来した6〜8世紀より前なんだろう。私の知識でそこまでさかのぼるのは無理なので、2010年ごろから「自然なお産」とともにゴリ押され近ごろではのぶみという新キャラの参入でよりパワーアップしている「胎内記憶」に焦点をあててみると、まづ本田望結ちゃんもやってる0歳から能力を伸ばす七田式教育の七田眞とつなぶちようじの共著で「胎内記憶―バース・トラウマの秘密」て本が今から20年前に出ており、それが胎内記憶って四文字熟語の起源と考えられる。

            どうもこのバース・トラウマという概念が胎内記憶を考えるにあたって重要であり、赤ちゃんが畳の部屋で自然に生まれたかったのに、病院出産では気持ち良い胎内から無理くり引きづりだされるやいなや強いライトにさらされたくさんの人に囲まれ母親と引き離され・・・誕生早々この仕打ち何やねん?!と、心に深い傷を受けるというわけである。そんなの覚えてるはずがないと思うことなかれ、じつは赤ちゃんというのはわれわれ大人が思うより多くのこと分かっており、魂時代から空の上で神様や他の赤ちゃんと「このママにきーめた!」「ぼく虐待されにいくんだ♪」などと話しながら自分の生まれる場所も決め、そのことを多くの子どもは3歳ぐらいまで覚えているし、病院出産によるバーストラウマとやらは潜在意識だか深層心理だかに強く刻まれ、後の人生にも影響を及ぼすのであった。

            「胎内記憶―バース・トラウマの秘密」が出た90年代後半という時期をふまえ、胎内記憶がトラウマ&癒しブームを背景に出てきたものと仮説していたけども、ラマーズ法などヒッピーが自然なお産に注目しだしたのとほぼ同時期である1976年にはすでにフレデリック・ルボワイエール著「暴力なき出産―赤ちゃんのために」が村松博雄によって訳されており、これが病院出産によるバーストラウマの根拠になっているらしい。1974年に出た初版は世界各国で訳され、日本では村松博雄版が入手できなくなったためか1991年にも同じ内容と思われる「暴力なき出産―バースサイコロジー 子どもは誕生をおぼえている」が中川吉晴訳で上梓されている。

             

            https://www.amazon.co.jp/dp/4795234728

            内容(「MARC」データベースより)

            現在の出産法は生まれてくる赤ん坊にとって暴力だ。赤ん坊の立場から出産のときにどんな心の傷が起こるのか、どのようにすれば快い祝福の人生に旅立っていけるのか。誕生時に赤ん坊が感じることを解明し、子どもに心理的外傷を残さないおだやかな出産を提言。

             

            訳者の中川吉晴はホリスティック教育を専門とした同志社大学教授、ほんやら洞の片桐ユズル京都精華大学名誉教授とも親交があるし、ブタ一頭丸ごと食べるでおなじみ鳥山敏子(シュタイナー教育)と津村喬(気功)が出していた「賢治の学校」て雑誌にも何か書いてた。中川氏はオダンの水中出産、トランスパーソナル、オルダス・ハクスレーの妻であるローラ・ハクスレーの本などのほか「魂の殺人 親は子どもに何をしたか」のアリス・ミラーの著書も翻訳しており、やっぱり子供のトラウマって概念がアダルトチルドレンやらインナーチャイルドとやらにもつながってくる気がする。

             

            オルダス・ハクスリー生誕100年祭について中川吉晴が聞き,ユズルが話す。

            http://yuzurukatagiri.net/archives/huxley1994la/

            中川
                最初の三日間あった「子どもは人類の究極的投資」のカンファレンスはどうでしたか?
            片桐
                おもしろかった。デービッド・チェンバレンの誕生以前の記憶の話とね,それからミシェル・オダンの水の話,水とホルモンの話はすごくおもしろかった。それからフェルッチが言った話もおもしろかったな。コーヒーが生殖能力に悪いということを言ったじゃない。コーヒー,タバコ,アルコール,それから……。
            中川
                妊娠してからの話というのは,これまでもあったかもしれませんが,妊娠前からのものというのは……
            片桐
                だけど前のほうは,あんまりはっきり今回の会議でも出てなかったんじゃない。もちろん,妊娠する瞬間の母親の,つまり母体の状態が大切だということは言っていたけど……
            中川
                「コンシャス・コンセプション」というのは新しい考えですよね。
            片桐
                うん,だから最初は文字どおりとってさ,コンセプションの瞬間を意識できるような,そういうことかと思ったけど,そこまで厳密に言ってるわけではなくて,アンウォンテッド・チャイルド,欲しくない子どもじゃなくて,ウォンテッド・チャイルド,子どもが欲しくてつくるということだよね。アンウォンテッド・チャイルドが実際はすごく多いということでしょう。
            中川
                それは悪循環になるわけでしょう。
            片桐
                そう,アンウォンテッドだった人はまた親になって,不注意な無自覚的なセックスをするからいけないんだ,ということかな。無自覚的なセックスをして,無自覚的に子どもをつくる,すなわちアンウォンテッド・チルドレンをつくる。
                ぼくはオダンのホルモンの話がすごくおもしろかった。妊娠やお産のときアドレナリンがどうなるとか……。もう一つのポイントは,記憶というものが脳のなかにあるだけじゃなくて,三つのシステムがあってね,その一つはホルモン・システムなんだ。もう一つは,免疫システムということね。それから麻酔の害のことをすごく言ってたじゃない。麻酔をやったら,その結果生まれた子どもが,ドラッグ・アディクト(薬物中毒)になる可能性は非常に高いということも言ってたよね。それは統計的に,そういうことが出てるからね。だから,日本なんかこれから恐ろしいな。それとオダンの話によれば,工業国では,子どもというか,とくにティーンエイジャーの自殺率がすごくあがってるんでしょう。これには出産時の帝王切開とか,病院で生まれたかどうかとか,そういうことと関係があるんだということだけど。オランダでは低くて,ほかは大変なんだよね。オランダはなんでかっていうと,33パーセントは自分の家で生むわけ,産婆さんによってね。アメリカの場合,自殺した人の23パーセントは帝王切開なんだ。ブラジルだと自殺者の32パーセントが帝王切開。オランダの場合は,7パーセントが帝王切開。まあそういう統計をあげてましたね。必要性もないのに帝王切開をやるし,それから最近は会陰を切るのはあたりまえでしょう。だからやっぱりそれも,憂うべきものとつながるんじゃないですか。日本では,自閉症と出産時のドラッグ,麻酔薬との関係が報告されているそうですね。

            ・・・

            中川
                精神面で豊かになったということがあるのでしょうか?
            片桐
                そういう感じは出てきたんじゃない,たぶん。だから,ああいう人たちがふえれば,やっぱり百匹目のサルじゃないけど,だんだん変わってくるとおもうよ。
            中川
                今回,ぼくは「ボーディ・トゥリー」に初めて行けてうれしかったんですが,あそこもすごい繁盛ぶりでしたね(ボーディ・トゥリー書店は,その年の成功したビジネスとして,商工会議所から表彰されていた)
            片桐
                いや「ボーディ・トゥリー」の雰囲気も変わった。それはね,どういうふうに変わったかというとね,そんなに特別の場所じゃないというふうになってきた。前はね,もうちょっとなにか特別な人たちがくるような場所だったような感じがある。それがそんな特別な場所じゃなくなったという感じがあるね。だから,やっぱりああいう意識がかなり広まってきた,ふつうの人たちのあいだにね。ぜんぜん今回の会議とかそういうこと関係のない人たちのあいだにもね。百匹目のサルという話はもっとみんなの常識になってもいいんじゃない。
            中川
                日本は百匹目までは,まだまだですか?
            片桐
                いや,そりゃアメリカが変われば,日本だって変わるし,そういう意識はその国に限られたものじゃないからね。

             

            しかしルボワイエの時代から前世とかこのママにきーめた!って、言ってたんだろうか。ルボワイエがインドに逝ったってあたりから自然なお産復興が当初よりヒッピー野郎によるものだったと推察されるが、病院出産が苦痛だったこと赤ちゃんは意外に覚えてまっせ。て話だったのが、赤ちゃん意外に知能が高い→英才教育、胎教ってことになってたり、話が年々進化してってると思う。


            セブチ

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              1994年のセブンティーン誌。表紙にNo4・5 2/1って書いてていったい何月號なんだ。と思ったけど、どうもセブンティーン誌は月に2回で、これは2月号かつ4号と5号の合併号という意味らしい。

              しかし2月にもうすでに4冊も5冊も出てるんかいな?と、結局どういうしくみなのかよく分からないのだが、とにかく1993年度の三学期、くしゅくしゅソックス時代も末にさしかかり、来たる1995年のコギャルパラダイムに向けJKの目新しい消費動向、言語感覚、コミュニケーション、貞操観念の希薄などに注目が集まり、くしゅくしゅが巨大化=ルーズソックス化し始めているさなかである。それでいてルーズソックス世代とはやや異なる趣であり、赤くて落ちない口紅や濡れ髪、編み上げのショートブーツが人気だったりとファッションなどは今(2013〜現在くらい)に近いものも多い。

              コギャル雑誌が出てくる前なこともあり、セブンティーン誌はかなり一般的だったらしいのだが、私はレモンの読者だったので読んだことなくモデルもケツメイシと結婚してた石川亜沙美とロハス化した田辺あゆみ以外誰か分からない。むしろ全然世代じゃない鈴木えみ、木村カエラ、榮倉奈々から北川景子が出てくるあたりまでのセブンティーン読んでた。

              JKのヒット商品を100個紹介するページ。満足印良品とはおそらく無印良品をもじっているのであり、当時脱ファンシーいちじるしく舶来品のソニープラザ(現プラザ)と並び無印良品のシンプル雑貨も人気が高まっていたように思う。

              記念すべきエントリーナンバー1「セレブ洗顔フォーム」は牛乳石鹸社が発売していた洗顔で、使ったことはないけど当時見てたお笑い番組「生生生生ダウンタウン」にてきまって流れる「セレブで洗ったら♪パックした後のように♪さっぱりすべすべミルクと卵の♪セレブです♪」て印象深いCMソングはくしゅくしゅ時代の思い出の壱ページだ。わが国ではいつからセレブを洗顔ではなく富める者を意味するようになったのだろうか。

              パッケージがかわいいから、つい買ってしまうのが輸入モノお菓子。『ホールズ』や『オレオ』みたいに日本製があっても、わざわざ輸入のを買っちゃう。形がかわいいグミも輸入モノならではだよね。かわいいパッケージに入っていると、すっごく嬉しいけど、ときどき味に当たりはずれがあるのが困る。

              (「女子高生噂の法則」186ページより)

              プリングルスは確かにこの時期の発売であるが「ソニプラに逝くと絶対買う!」て書かれてるあたり、最初は輸入ものだったのかもしれない。ルーズソックス時代以降のキャラはキティーちゃん(とマイメロ)一極集中するけどくしゅ時代はピングーやミスターフレンドリーなど欧米のキャラや雑貨が人気だったために、プリングルスも当初は日本の菓子にはないそのポップなデザインがJKに支持されたことであろう。私もソニプラ逝くといつも熊のクッキー(たぶんナビスコのテディグラハム)買って一人でボリボリ全部食べたものだった。でもプリングルスみたいな成形ポテトは味も形も人工的すぎていまいち好きになれない。

              JKカテゴリではルーズソックスが出始めた経緯に言及することが多く、過去このスヌーピーソックタッチ↑を取り上げたこともある。高2の「なかなか売ってなくて」というコメントもあるように、JKの靴下短かった時期が長かったせいかルーズソックスが人気爆発するまで白元はソックタッチ製造していなかったのだ。

              くしゅくしゅソックス時代に今売ってるのと同じ形状のリップグロスがすでにあったとは知らなかった。当時、コギャルの源流である日焼け肌の飯島愛ふうギャルはすでにベージュぽい色合いの口紅つけてただろうけど、どっちかというと多くは吉田美和がCMしてたみたいな赤くて落ちないマットな口紅で、リップグロスというのはルーズソックス時代をさかいに急に女たちが真っ赤っかの乾いたクチビル気色悪っ!てことになり流行したという認識であった。

              基本的にルーズソックス時代というのはルーズってなだけあって、赤い口紅にとどまらず、黒髪、ストッキング、パンプス、ロング丈スカート、ウエストインなどフォーマルや大人の女性を感じさせるファッションはすべて禁忌となり、汚らしくてハレンチなぐらいがこなれてて格好良い、そんな不真面目な女を演出するために髪を茶色に脱色して生足とキャミで男たちを誘い我が世の春とばかり傍若無人に振る舞ったのである。きっとこのボディショップって店がおらが村にはなかったので知らなかったのだが、人気爆発し始めた当初のリップグロスはジャー(軟膏の容器みたいなのに入った固形油脂を指や筆で塗布し唇に艶を与える)タイプが多く塗ってもそこまでテカテカにならなかった。

              学校では『ボディショップ』のリップクリームが人気。アプリコットなんて香りもあって、すごくおいしそーなの。くちびるも荒れないし。でも冬になると、なんとなくメンソレータムの薬用リップの方が効くって思って変えちゃうなぁ。口紅は学校ではしないけど、放課後に駅のトイレで口紅を塗ってる。もう、身だしなみってカンジで、ないと不安なんだぁ。

              (「女子高生噂の法則」213ページより)

              ボディショップとやらがなかった田舎にもさすがに資生堂は売ってたし油ギッシュだったのでニキビ用のエルセリエは使っており、写真のパウダーも何回詰め替えたか分からない。とはいえあんな色もついてないてんかふん同然の粉が1500円とは、プチプラコスメ全盛の今見ると高すぎて驚く。

              あと右下にあるカロリーメイトダイエットっていうのも聞いたことあるけど、これ栄養が添加されてるから短期間に食事がわりにできるってことであって、おやつにしちまったら痩せないんじゃなかろうか。この頃のダイエットはダンベルとか杜仲茶とかりんごとか痩せる石けんとかがあり、ディオールのスヴェルトはちょっと後だった気がする。

              毎日リンゴしか食べないリンゴ・ダイエットって、ダイエット初心者が必ずやる方法ね。3日間から1週間、リンゴだけしか食べないの。リンゴじゃなくて、パイナップルとか、グレープフルーツとか、トマトとか、バリエーションがいろいろあるんだけど、成功したっていうコがいないの。たいてい途中で胃がおかしくなったり、ふらふらして倒れちゃったりするんだって。

              (「女子高生噂の法則」207ページより)

              いま、ポイント高いと評判なのがカロリーメイト・ダイエット。クッキータイプのをおやつがわりに食べるの。とくにチョコレート味が人気で、薬局で買いだめしてるコもいるよ。私は缶入りのニューカロリーメイトっていうのが好き。ココアの味がして、1本飲むとお腹がいっぱい、とまではいかないけれど、けっこう満足感があるの。

              (「女子高生噂の法則」207ページより)

              近年ウエストゴムのスカートやカップつきキャミソールなど女の服装がどんどん楽になっていく中で冬の定番商品ともなっていたムートンブーツ、第一次ブームがこの頃だったようで、アグではなくホーキンス、ムートンではなく「シープスキン」と呼んでいることが多い。このブーツ厚底全盛期のルーズソックス時代には見かけなかったように思うが、機能的ながら特徴ありすぎな形状ゆえ流行ったりすたったりを繰り返しているのかもしれぬ。

              スケジュール帳にはもらった名刺を入れておく。名刺を持ってるのはジョーシキだけど、みんな100枚くらい作るみたい。学校名、名前、住所、電話番号を入れてね。

              (「女子高生噂の法則」174ページより)

              おらが村には東急ハンズなどなかったので透明手帳なんて見たことも聞いたこともないけど、イラストレーターがゴチャゴチャと絵やセリフ書きこんだような80年代的ファンシーグッズから、こうした透明手帳とか無印とかみたいなシンプルな文具を自分でアレンジする傾向にはあった。あとエビアン、この当時の水に対する意識では蛇口ひねったら出るのにわざわざ買う、それも異国の地の水とかオシャすぎるし、こんなペットボトルで飲み物飲むこともなかった。

              クッキークリームのアイスは2000年ごろ、ハーゲンダッツのカップが一般的になるにしたがい食べられるようになったものと思っていたが、この時代すでに存在していて、しかも本家オレオを使用した商品も雪印から発売されていたという。確かに私はこのころ金持ちの友達の家でクッキークリームのアイスを初めて食べ、富める者はこんな素敵な物くうとんのかい・・・!と、驚いた記憶があるので、もしかするとあれハーゲンダッツだったのかもしれない。

              いつのまにか韓国産になり今年3月に日本での販売も終了してしまったウイスパーだが、この頃だと第一線で活躍する女たちが静寂の中でドライメッシュシートの素晴らしさ解説するいかにも外資系ぽいCMがよく流れており、ナプキンの代名詞的存在だった。今では普通のくるくる巻いてテープで留める袋はルーズソックス時代に芳本みっちょんが更衣室で「こうやって捨てれるんだよ♪」てやってるロリエのCMで初めて知ったので、てっきり花王さんの技術かと思ってたけどウイスパーが一番早いようだ。

              他社もドライメッシュシートみたいなのが多かったことを考えると、当時はウイスパーがナプキン界をリードしていたものと思われる。吸収体を覆うポリ袋みたいな素材が水吸わないせいか表面サラサラってことになってたけど、すごい通気性悪くてその後不織布のシートを使った安価なナプキンが出てくると全然使わなくなった。

              不織布は使い捨てマスクなんかも出しているユニチャーム社の得意とするところと思われ、真ん中吸収を売りにしていたセンターインも資生堂が手放してからユニチャームが作っているし、タンポンも今はユニチャーム一社だ。くしゅくしゅソックス時代にさまざまなメーカーが競って進化を遂げたのに、いつのまにか3社くらいの独占的な事業になっていたという生理用品メーカーの経緯は、シリアル大手やコンビニ大手とも共通している。

              生理用品はウイスパープラスという超薄型が人気。ウイングつきだと長時間安心というのはホント。でも買うのは恥ずかしいから母親に頼んじゃう。クラスの大半はナプキン派で、タンポンを使っているコって少ないみたい。ナプキンはポーチか布のキンチャクに入れるけど、サンリオの「コップ袋」が便利って知ってるコはまだ少ない。

              (「女子高生噂の法則」170ページより)

              このブログでも言及したことのあるスイスエミー果実頃はなんといっても大きなフルーツが贅沢で嬉しかったものだ。フルーツ入りがめづらしくない今見るとどうか分からないが・・・

              スイスエミーのムースヨーグルトも果実頃と同じくらい好きだった。果実頃はもうとっくに売ってないけど、近年もパルテノという美味なヨーグルトで乳製品界をリードし続けている森永乳業さんにこれからも着いていこうと心に誓った。


              熱中時代

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                小池都知事、東京五輪へ向け「打ち水」協力呼び掛け(7月24日 日刊スポーツ)

                https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/201807240000088.html

                小池百合子都知事は23日、東京・日比谷ミッドタウンで行われた打ち水イベントに参加し、20年東京オリンピック(五輪)・パラリンピックに向けた暑さ対策の一環として、江戸由来の「打ち水作戦」を活用する意向を示した。

                今日24日で五輪まで2年。「言うまいと思うが、暑い。これが毎日続くと『異常気象』とはいえなくなり、大会の暑さ対策は大きな課題だ」と述べた。「風呂の残り湯などを使って朝夕にまく打ち水は、江戸の知恵で、おもてなしでもある。隣近所で、同じような時間にやることで涼を確保する。この作戦も、東京大会で威力を発揮するのではないか」と述べた。バケツとひしゃくで、再生水を利用した水をまいた小池氏は、「体感温度がかなり下がった。打ち水はどこでもできる。体感してほしい」と、来場者に協力を呼び掛けた。

                 

                10年ほど前のエコブーム時も昔に比べて暑すぎるとよく言われており、もはや温暖化で北極の氷もとけて水位が上がっちまうとばかりに、シロクマたんが流氷の上でたすけてくれー。てなってる映像とかテレビ見てたら頻繁に流れていたけど、いや水害など異常気象という広い観点ならばともかく私が子供の頃も35℃とか普通にあったと思う。と、昔より熱い論にはやや懐疑的だった。しかし今年はまちがいなくいまだ経験したことのない暑さである。

                どこそこの国で40度記録しました。てな海外ニュース聞いたら、40度てなにそれ怖いと思ってたのに、この夏はわが国でもそれに近い気温が連日体験できるようになった。今日がとっても暑いと明日もきっと暑くて、そんな日々が続いてくような気がしてしまい、今もっとも人々に心配されているのが2年後のオリンピックである。

                そんななかエコユリこと小池百合子東京都知事がオリンピックの暑さ対策に打ち水を提案して、そのアナログぷりが一部に物議をかもしたらしい。ただ小池氏が打ち水なのはかなり昔からで、去年の今ぐらいの時期にもすでにオリンピックの暑さ対策に打ち水とまっったく同じこと↓言ってる。

                 

                東京五輪へ小池知事、酷暑のマラソン打ち水で熱対策(2017年7月21日 日刊スポーツ)

                https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/1859116.html

                東京都の小池百合子知事(65)は20日、都庁前広場で行われた「打ち水」イベントに参加し、約1100人の来場者と一斉に打ち水を行った。小池氏は触らなくても温度を計測できる放射温度計を使って、地面の温度の変化も計測。「一斉にやることに意味がありますよね。暑さを乗り越えていきましょう」と呼び掛けた。

                3年後の夏に行われる20年東京五輪・パラリンピックについて「暑い中でマラソン選手が走ったりするところは打ち水で解消していくなど、江戸の知恵を生かしていく。みなさんと一緒に進めていきたい」と話した。都主催の同イベントは都内141カ所で実施され、都庁会場にはりゅうちぇる(21)も来場した。

                 

                だが去年の東京は梅雨みたいな気候でまったく熱くなかったのにくわえ、まだ希望の党とか言い出す前で小池氏の人気が今より高かったので私が知る限り何の話題にもならなかった。さらにエコブーム時はオカルトどころかむしろヒートアイランドやエアコンの節電対策として科学的に立証されてる日本古来の素敵な知恵とされ、マスゴミがさかんに宣伝していたのにもかかわらず特に異論をさしはさむ者はいなかったのである。

                今こんだけみんな冷房使ってて電力とか二酸化炭素排出量がはたしてどうなっているのやらなのだが、打ち水がもてはやされていたエコブームの時代には江戸の知恵(風鈴の音とか風呂敷とか)を生かしなるべく冷房を使わないで(もしくは28度設定で)夏を乗り切ろうといった環境意識が(ごく一部の意識高い系の間で)強かったし、そういうノリを牽引していたのが元環境大臣の小池百合子だった。というわけで前からやってた打ち水が今になって否定されるように経緯としては、クチコミで実は効果ないみたいなことがささやかれるようになってたなかこの打ち水レベルではどうにもならぬレベルの暑さと小池没落などいくらかの要因が複合的に重なったものと考えられる。

                それにしても今回の打ち水批判を見ていると「竹やり」に例える記述がやたら多い。何で江戸の知恵っていってんのに竹やり(戦時中?)出てくんのか不可解である。

                熱波をアメリカに例えているのかわからんが、それよりも古き良き日本を賛美するのは右翼によるオカルトなのだという印象操作だとしたらそんなことはすぐにやめたまへ。江戸礼賛は通常、富国強兵とか帝国主義のアンチとして朝鮮通信使が韓流ブームの元祖とか明治政府が江戸っ子を虐殺したとかいう設定になっちまうんだから竹やりではないのである。

                 

                7/22(火)大暑 巣鴨地蔵通りご近所打ち水大作戦

                http://www.uchimizu.jp/archive/07/080722sugamo.html

                作戦は大成功!
                参加された皆さん、
                お手伝いいただいたボランティアスタッフの皆さん
                高野豊島区長、小池百合子さん
                そして巣鴨地蔵通り商店街の皆さん、豊島区の皆さん
                とげぬき地蔵尊高岩寺のご住職はじめ皆さん、
                そしてニュースとしてとりあげていただきましたメディアの皆さん、
                本当にありがとうございました!
                (首都高速の皆サマ『うちみず君』の出動協力ありがとうございました!)
                今年も打ち水大作戦はみんなの大作戦です。

                ※暑い日がつづきます。
                打ち水するときは熱中症に気をつけましょう!
                (日陰にはいる/帽子をかぶる/こまめに水分と塩分を補給する)

                打ち水大作戦本部
                巣鴨地蔵通り商店街 ご近所打ち水大作戦 作戦隊長
                ハッタケンタロー
                (環境エンタメ・デザイン&プロデュース)

                 

                これ↑はちょうど10年前の打ち水で、すでに小池百合子が参加していた。このときの作戦隊長のハッタケンタローは下記によれば「緑の党グリーンズジャパン」という、左翼政党の支援者である。

                 

                ハッタケンタロー(緑の党グリーンズジャパン)

                http://greens.gr.jp/member/support-2012/1629/

                肩書き    トージバ/土と平和の祭典/打ち水大作戦など仕掛人
                メッセージ:
                “こども達の未来についてを共通のコンセプトにいのちと暮らしを考えて“

                種まき大作戦のハッタケンタローと言います。緑の党、みどりの未来、応援しています。
                ひとつ、お願いがあります。今、いのちと暮らしの問題というのは、放射能の問題があって
                非常に苦しい立場に置かれている方が大勢居ます。
                そのいのちと暮らし、それぞれの視点、それぞれの立場で議論する中で、ひとつだけコンセプト、共通する議論のコンセプトを注文すれば、それはこども達の未来。これについて、共通のコンセプトで、これからの議論を発展させて頂ければと思います。
                その中から新しい未来、こども達を守る未来を作って頂ければと思います。応援しています。

                 

                このページ↑で佐藤潤一って名前が視界に入ったのでそれもクリックしたらやっぱりグリーンピースの鯨肉横領事件で少々有名な佐藤潤一だった。事件のときの事務局長が星川淳で、その妹の星川まりが緑の党グリーンズジャパンの運営委員となっているし、いしだ壱成(星川一星)も同党結成時に応援メッセージを寄せている。

                星川ファミリーしかり、この政党ほびっと村と関係あったように記憶しているし、その他の支援者見ても辻信一などロハス大集合って感じだった。なので打ち水大作戦っていうのも例によってヒッピーみたいな一派から出てきているのであり、そういう人達が安倍の嫁と仲良くしてるって一点をクローズアップすればアベ政治と関係あると言えなくもないのだけど普通に考えて安倍に大麻やクジラや脱原発の趣味はないだろう。

                上の引用文でハッタ氏が打ち水大作戦以外にかかわっているトージバは大豆を作っているNPOらしく、公式サイトによると代表理事が渡邊尚となっているが、この人の奥さんが藤岡亜美といって確か辻信一のゼミ出身でナマケモノ倶楽部の共同代表も務めている。藤岡氏のプロフィールにはだいたい子供に関して自宅出産で生んだって記述があり、○児の母(父)ってのはよくあるけど分娩方法まで書いてるってことは自然なお産の普及活動もしてそうな感じだった。

                 

                藤岡 亜美(ふじおか・あみ)(共同代表 | ナマケモノ倶楽部)

                http://www.sloth.gr.jp/persons/top/_1/

                1979年東京生まれ。学生時代、バックパックで通った南米エクアドルでコーヒーやサイザル麻製品の生産者と共に活動をはじめ、国分寺カフェスローの立ち上げに携わる。焙煎、商品の企画輸入をはじめ、ETIC.主催の日本初の社会起業家コンペ「STYLE2002」で優秀賞・感動賞を獲得。
                23歳のとき、エクアドルとのフェアトレードを展開する。スローウォーターカフェ有限会社を設立。作り手を招聘するなど、エクアドルの森林保護にも取り組む。とくに、カカオ生産国でチョコレートをつくるサリナス村でのプロジェクトと百貨店での販売は、朝日新聞一面トップに掲載されるなど、日本のフェアトレード運動を盛り上げる。現在は、大学や専門学校での講師もつとめる。

                カフェスローで『半農半X』などのイベントを共催していた、都市農村交流 NPO法人トージバの渡邉尚氏と結婚、自宅出産で生まれた3児の母。3.11後は、宮崎県串間市に拠点をうつし、エクアドルをモデルにした森の農業、限界集落での事業展開、パーマカルチャー的な暮らしの拠点づくりに取り組む。
                共著に『日本のフェアトレード』(明石書店)、『エクアドルを知るための60章』(明石書店)、『グローバル化に対抗するアマゾンの先住民族』(現代企画室)、『9をまく』(大月書店)など。

                 

                上記引用にカフェスローでイベントを共催していた渡邉氏と結婚とあるが、このカフェスローが自然育児友の会の事務局となっており、自然育児友の会が出してた「ナチュラルマザリング」誌の表紙↓も藤岡氏だったと記憶している。ハッタケンタローとアースデイマネーという地域通貨を運営していた元博報堂の池田正昭も打ち水大作戦の仕掛け人であり、やはりこの人も奥さんが助産院で生んでるってことでかお産のイベントを開催したりしていた。

                 

                https://www.amazon.co.jp/dp/4990440927

                 

                「祝10周年の打ち水大作戦はどうやってはじまったの?」を仕掛け人・池田正昭さんに聞いてみた [ソーシャルアクション元年への旅](2013年8月9日 greenz)

                https://greenz.jp/2013/08/09/uchimizu02/

                 

                イベントレポート〜寺子屋かぐれ Life「お産を語るオッサンの生命倫理」〜(2015年9月18日 かぐれ)

                http://www.kagure.jp/14355/

                2015年9月12日(土)、『寺子屋かぐれ Life』vol.2が始まりました。
                テーマは「お産」。講師は、東京・吉祥寺のオーガニックレストラン「タイヒバン」のオーナー・池田正昭さんです。「男だてらにお産の素晴らしさを語る試み」として、『お産を語るオッサンの会』を発足された池田さん。その会に参加して感銘を受けたかぐれスタッフが、池田さんにかぐれでの講座開催を懇願。快くお引き受けいただき、この度の講座開催となりました。
                9月と10月の2回にわたって池田さんの赤裸々なお産体験とともにその持論を展開していただき、Lifeの真理に根ざした生命倫理を一緒に考えます。

                ・・・

                極度の病院嫌いの池田さんは、奥様が第一子を妊娠された際に訪れた「ファン助産院」の温かくゆるい雰囲気と、院長・杉山先生のお母さんのようなおおらかな存在に一気に魅了され、助産院の虜になります。そして、第一子が生まれたときの衝撃から、お産を語るオッサンへと大きく転向しました。その後も第二子、三子と池田さんのお子さんは全員「ファン助産院」にて産まれ、池田さんがへその緒を切られています。

                ・・・


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