ヤクルト大好き

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    去年から韓国のセブンで発売され人気大爆発中のアイスヨーグルト。ヨーグルトというより、ヤクルトに見えるのは私だけだろうか。(注 ヨーグルト=ヤクルトのパチモン)

    同じ吸うタイプのアイスでは日本のロッテが発売しているクーリッシュは確か氷の粒が入っていて滑らかな感じだったが、これはたんにヤクルト的な乳酸菌飲料凍らしただけのように思える。だからチューチューみたいな感じで食感も特によくないしすぐ詰まって吸いにくい。

    それでも懸命に吸い出そうとしていたら、キスマークと同じ原理で舌の大部分が内出血し真っ黒になった。このシリーズは棒のついてるアイスとかお菓子とかいろいろ出てるけど、もともと韓国では昔からヤクルトが人気大爆発しているそうだ。

    フィルムの上から直接ストローをぶっ刺すのがオシャ。


    平成食べ物史 前編

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      90年代から現代にいたる服装や化粧の変遷を回想することの多いわがブログだが、そろそろネタ切れ疑惑ということもあり話題を服から食に移行して逝こうと心に誓った。時代区分は例によってくしゅくしゅソックスとか言ってるけど、女子高生とはあんまり関係ないトピックであることを最初にことわっておく。

       

      くしゅくしゅソックス時代(1989〜1994年)

      バブルじゃないけど90年代って感じでもなくルーズソックスが短かった(くしゅくしゅソックス)中途半端な時代

       

      ナタデココ

      やはりくしゅくしゅ時代のブームで誰もが最初に思い出すのがナタデココである。ウィキペディアによるとデニーズがブームの発端だったと書かれているが、私の記憶しているところではフジッコ社が杏仁豆腐のパックに入れ出したのがはしりで、ナタデココ単品では売ってなかったと思う。

      杏仁豆腐は今プリンみたいなのが多いけど、昔のはフルーツポンチで缶詰の甘い汁みたいなのに豆腐やフルーツに混じってナタデココの食感がよいアクセントとなった。南国調のCMで「なんじゃこりゃなんじゃこの歯ごたえ♪」と唄っていたように、その歯ごたえに皆が魅了され、くしゅくしゅ時代最大のヒットとなったことは誰もが認めるところである。

      その後ナタデココ入りの缶ジュースなども出てきたが、ルーズソックス時代には完全に下火となり不遇の時期もあった。だがしばらくしてゼリーやヨーグルトにフルーツが入っているのが主流になると、そいつらに混じってナタデココが紛れ込むようになった。

       

      ティラミス

      ナタデココと並んでくしゅくしゅ時代に大きな爪痕を残したのがティラミスである。イタリアのチーズケーキってことで、イタメシブームと連動していたのだろう。

      ナタデココ同様すぐに飽きられ、ルーズソックス時代に入ると「あの人は今」的な扱いとなったが、ルーズソックス第二世代くらいから再びコンビニで野郎向けスイーツとして返り咲いていた。移り気で新しもの好きの女と違い、男たちはティラミスやナタデココの革新的な味わいが忘れられずにいたのだ。

       

      パンナコッタ

      ティラミスの次は此れ!という感じで出てきて名前だけはインパクトあったけど、すぐ消えたし食べたか食べてないかも覚えていない。そこが一回消えたけど復活・定番化したナタデココやティラミスと違うところだ。

       

      ラザニア

      イタメシブームってティラミスのイメージが強すぎ、目新しいスパゲッティーはどんなのがあったのか分からない。ナポリタンは昭和からあったので、たぶんボンゴレ、たらこ、ペペロンチーノあたりではないかと思うのだが。

      そんな印象薄い麺類と違って、私が衝撃を受けたのがラザニアだ。これはマカロニではなく薄いクレープのようなパスタが重なっているミルクレープ状のグラタンで、非常においしかった。

      しかしドリアとかマカロニグラタンとかあのたぐいが今でも健在で、なおかつ安価なファミレスも充実しているのにラザニアだけが日の目を見ないとはどういうことなのか、日本社会の矛盾を感じざるおえない。近年青の洞窟っていうラザニア材料一式みたいなのを買ったことあるのだけど、あれはハウスのチンする奴と違い作るのがめんどくさかった。

      ちなみにスパゲッティーをパスタって云わなきゃダサイ!昭和!みたいな風潮が作られたのもこの頃である。パスタ以外ではアベックがカップル、ズボンがパンツ、口紅がリップなど言い換えのゴリ押しがあったが、その後もスパッツをレギンス、ジャンパーをブルゾンとかどっちでもええわい!その手のゴリ押しは枚挙にいとまがない。

       

      ピザポテト

      1992年発売。厚切りポテトにチーズが絡まっているような味の濃いピザ風ポテトチップスで、イタメシブームと連動していたと思われ当時は画期的だった。

      しかし私は食感の見地からクッキーとポテトチップスは薄い派なので、まず厚切りポテトっていうのが許せん。そもそも厚切りのポテトチップス自体がたぶんこの頃くらいから食べられだしたものであり、カルビーのサイトを見てみると1989年のアラポテトってのがそのはしりだったと思われる。

      本物のピザはどうだったか・・・というと、私は冷凍のピザをよく食べていた程度で店とか宅配のはよく分からない。ただ今みたいな薄焼きの生地は当時なかったか珍しかったんじゃなかろうか。

       

      ポポリ

      ロッテのサイトを見るとトッポの発売は1994年となっているが、その前にトッポと同じ筒状のビスケットにチョコではなくピザ味のクリームが入ってる「ポポリ」というペペロみたいな名前の菓子があって、当時乗りに乗っていたダウンタウンがCMしていた。そのイタメシブームを反映した味は一瞬だけくしゅくしゅ時代の1ページを飾り、トッポの登場とともに人々から忘れ去られて逝ったのだった。

       

      チーズ蒸しパン 

      それまでの蒸しパンは本当にただの蒸しパンだったけど、チーズ蒸しパンという物珍しい風味と繊細な食感が現れた。今検索したらもともと北海道の会社が発祥で、90年ごろから人気大爆発したという。

      だからヤマザキのチーズ蒸しパンには北海道のシルエットが浮かび上がっていたということなのか。北海道ではなく大阪だけど、りくろーおじさんのチーズケーキも同じ時代と方向性な気がする。

      ただりくろーおじさんは今でも全然美味しいけども、チーズ蒸しパンは特に食べたいと思わない。昔のパンだったら個人的にはコッペパンとか食パンにシュガーマーガリンみたいなチープな奴の方が好みだ。

      チーズ蒸しパンって奴は現代風でもなければ昭和の素朴さもない、くしゅくしゅ時代特有の中途半端な位置づけである。90年代リバイバルの現代においても全く日の目を見ていないが、とはいえ今日でも売られてるってことは、かって物珍しい風味と繊細な食感に魅せられたオッサンがこの四半世紀くらい人知れず買い続けているということだ。

       

      チーズ蒸しパンが出たとき(2ちゃんねる)

      http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/bread/1237253763

       

      東京ばなな

      これもチーズ蒸しパンと同じで今特に食べたいと思わないが、当時(1991年発売)は画期的だった。ちょっと違うカテゴリだが1992年発売のまるごとバナナってのもあり、こっちは生クリームなので今でも毎日食べたいくらいである。

      ただチーズが当時人気だったのは、今ほど食べられてなかったのとかイタメシが人気だったからとかいろいろ心当たりがあるけども、バナナのスイーツが何であんなに画期的だったのかわれながら謎だ。チーズ蒸しパンが最初北海道で売り出されたようにまるごとバナナも東北のバナナボートが原形らしいが、別に東北じゃなくてもバナナボートはあるぞなもし。

       

      ザカルシウム

      たぶんカロリーメイト(1983)からの流れじゃないかと思うが、栄養を添加したり、食事がわりに食べるような菓子やジュースの市場がこの時期に急成長していたように思う。牽引していたのはもちろん大塚製薬で、バブル期は食物繊維がブームだったのかファイブミニ(1988)という瓶入りの炭酸ジュースが流行ったが、くしゅくしゅ時代はカルシウムが注目されており骨粗鬆症っていう婆の骨がポキポキ折れるという病気もこの頃初めて知った。

      私は子供心に骨しょしょうしょう怖ぇとガクブルし、ドラえもんシリアルに明治ラブをドバドバかけて一日600mg摂取を目指したものである。そんな時代に大塚がよくCMしていたのがザカルシウム(1992)というウエハースで、原田知世とその姉が出演していた。

      あんまり食べたことはないのだが、1袋で600mgとかなり簡単にカルシウムを取ることができ味もおいしかった。でもこれ2枚ぽっちしか入ってなくて100円くらいしたんじゃなったか確か。

      しかしザカルシウム以外にもカルシウムを添加したウエハースというのは他にもあったので、私はそういうのを食べていた。それが麦ふぁ〜っていう菓子で、今ありがとうを100万回聴かせたってのを売りにしてるけど、全然記憶にないので昔はそんなことかいてなかったと思う。

      最近はスピリチュアル界で胎内記憶とかよく聞くけども、10年くらい前はどんな酷い目に遭ってもありがとうございます。って言うありがとう教とか素手でトイレ掃除すんのが経営者のあいだで流行ってたから、麦ふぁ〜の社長もそのときからウエハースにありがとうを100万回聴かすようになったのかもしれぬ。麦ふぁ〜自体はかなり昔からあるようだし、私がザカルシウムのつもりで食べてただけで別にくしゅくしゅ時代に人気を博したとかそういうことはないので一応。

       

      杜仲茶

      昭和のやせる茶と言えばウーロン茶、というか今でも黒ウーロン茶とかあるけども、くしゅくしゅ時代は杜仲茶だった。茶葉が日立造船って会社から出ていて今からBODYをシェイプアップ誰にも負けない!とばかりに沸かして飲んでいたのだけど、それはそれはまずかったしルーズソックス時代に入るころには消えていた。

      20年の月日が流れあのまずさをもう一度。といつか小林製薬のペットボトルを買ったけど、薄いのか?昔みたいな飲みにくさはまったくなかった。だが小林製薬は日立造船から杜仲茶を譲渡されているらしいので、一応同じ銘柄なはずである。

      ノンカフェインがはやっているし、90年代がブームなのでふたたび杜仲茶が見直されることもあろう。またダイエットではないけども、アサヒから16茶ってのも面白いCMで人気爆発しブレンド茶の先鞭をつけた。

       

      日立造船、杜仲茶の木でゴム量産 舞鶴に小型プラント(2015年10月14日 日本経済新聞)

      http://www.nikkei.com/article/DGXLASDZ13HAO_T11C15A0TJC000/


      こんにゃく畑

      昔ゼリーといえばカップに入ったものは小さかったし、プルっとしているだけだった。でもこんにゃく畑は大ぶりなカップとそのブルリンッ!としたすごい弾力でゼリー界に革命を起こした。

      それにくわえ食物繊維とか栄養添加した菓子が流行ってた頃だったので、こんにゃくというのもヘルシーで素敵なように思われた。しかしその大ぶりなカップとブルリンッ!としたすごい弾力のために喉につまらせるお子様やお年寄りが後を絶たなかった。

       

      CCレモン

      サントリーの代表的なジュースであるCCレモンは1994年に発売され、ウィキペディアによると炭酸部門ではコカコーラとペプシに次ぐ第三位なのだそうだ。何回も言ってるけどくしゅくしゅ時代は栄養を添加したような菓子やジュースの市場が急成長しており、CCレモンはその中でも自販機で気軽に買え、またたくまに人気爆発した。

      昔の自販機は細長くて缶も細長かったはずだが、この頃から横長になって缶も大きくなって110円になって今みたいなサントリーの自販機が増えたように思う。ビタミンC製品としてはシーズケースやC1000タケダ、チュアブルタイプのハイシーなどもよく食べていたので、カルシウムだけでなくビタミンC製品もトレンドだったのだろう。

       

      アイスボックス

      それまで氷菓子といえばかき氷とかチューチューみたいなのしか知らなく、さじが刺さらねぇとか手が冷てぇとかアイスクリームに比べさまざまな苦痛をともなっていたものだが、アイスボックスは片手でコップみたいに持って氷をボリボリ噛み砕くスマートな方式に衝撃を受けたし溶けてもおいしい柑橘系の味わいをオシャと思った。そして時が流れ、アイスボックスのCMに出てた西島秀俊って格好良かったのに消えたなーと思ってたら、最近コマーシャルでブツブツ独り言を言う夫役みたいなのをよくやってる俳優が西島氏と知ってびっくりした。

       

      ポンデケージョ

      今コンビニとかでよくモチモチした食感のパンが各社出ているけども、昔のパンはモサッとしていてモチモチなどとは無縁だった。そんな菓子パン界にモチモチをもたらしたのが、ポンデケージョという小ちゃくて丸いパンだった。

      これがナタデココ、こんにゃく畑と並び、くしゅくしゅ時代における三大画期的新食感に数えられるのは多くの人が知るところだが、前述したようにその後モチモチしたパンは珍しいものではなくなり、ミスタードーナツからポンデケージョをドーナッツ(リング)状にしたポンデリングが人気定番メニューとなった以外にポンデケージョという名前もすっかり聞かなくなった。確か初めてポンデケージョを食べたのがドンクっていうチェーンのパン屋だったと思うので、まだポンデケージョあるか後日確認しに逝ってみようかと思う。

       

      ライチ

      ナタデココほどではなかったが、ライチもその南国イメージと透明感のある白いボディ、プリっとした食感が何とも目新しく魅力的であった。ライチフレーバーはそこそこ定番化している気がするが、果実を食べることはめったになく、何年か前ステーキけんでライチがあったときは懐かしくていっぱい食べた。

       

      メルティーキッス

      冬限定のチョコで1992年発売。私が子供んとき食べていたチョコといやベビーチョコとかぬーぼー、アポロ、チョコフレーク、チロルチョコBIS、ちょっと大人なとこでせいぜいマーブルポッキーってとこだ。

      そんなところにいきなり出てきたオシャな粉がまぶしてあるティラミスのような風貌、夏には耐えられないというメルティっぷりに、チョコの概念が大きく揺さぶられたのも無理はない。スイーツ感覚のチョコ菓子のはしりだった気がする。

       

      カフェラッテ

      今でもスーパーとかに売ってるあの森永のコーヒー飲料だけど、スターバックスコーヒーが上陸したのはルーズソックス時代以降(96年)なのでカフェラテってのはこの商品で初めて知った。マウントレーニアという銘柄もシアトルから見える山の名前であるし、プラスチックカップにストロー刺して飲むというのもシアトル系だ。

      それまではカフェオレというものしかなかったし、市販品は特にコーヒー味が薄くて甘かった。だからカフェラッテは味もおいしかったのだけど、それよりもカフェラテもスタバもプラスチックのコーヒー飲料も全然存在しなかった時代にシアトルのオシャなカフェ文化を日本にもたらした、その先見性に驚きを禁じ得ない。

       

      ラ王

      日清の高級路線で油で揚げたのじゃなくてソフトメンみたいな生タイプが入ってるカップ麺で、ごんぶと(うどん)とかSPA王(スパゲティ)もあった。でも個人的に生タイプはあんまり好きじゃなかった。

      多分その後ノンフライめんになって、ノンフライめん派の私としてはそりゃそうだろと思った。それにしてもくしゅくしゅ時代に横長の大画面テレビが流行ったとき「画王」ってのがあったけど何か関係あるんだろうか。


      生活系雑誌

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        夫婦生活とゆう雑誌を見つけたよ。1952年2月號なので前に貼った主婦の友の育児本と同じ時期だ。

        右下の部分は何もしてないのにホロっと取れた。セロテープで貼ろうか。

        ページを開くといきなりセクスィーグラビアが。モデルさんは顔が小さくて細くて意外と今風の体型だけど、とりあえず肝心の部分がもやーんとなっているのが気になった。

        前に貼った主婦の友は真面目な雑誌と思うが、この雑誌は若い夫婦に向け科学的根拠に裏打ちされた性の知識を解説。ってな大義名分のエロ雑誌と思われる。バックナンバー一式がこれから結婚する方々への贈物としても喜ばれた模様。

        科学にかこつけているのかヌードの写真よりも多い生殖器の断面図。男児と女児の産み分け方など内容は胡散臭い。

        なんでストリッパーの肢体美が奥さまへのプレゼントなのだろう。と思って読んでみると、ストリッパーの性的魅力を参照して旦那さまをメロメロにしちゃおうということのようである。

        若夫婦の往復ラブレターという小説?よくわからんコーナー。1952年ってまだ貧しかったと思うのだがウイスキーとかチーズとか若夫婦はすでにハイカラな物食うとる。


        ついこのあいだまでベビーブームだったのに、産制(産児制限)の話題が目立つ。避妊が不確かだったせえで関心が高かったのかもしれぬが、でもよく考えると戦前って兄弟多いのに戦後はそうでもないよな?何故?と思って調べると、産制はGHQの陰謀だったと産経新聞に書かれていた。

         

        日本の少子化は「人災」だった(上)戦後ベビーブーム突如終焉(2016年2月20日 産経ニュース)

        http://www.sankei.com/premium/news/160206/prm1602060029-n1.html

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        それにしても日本の出生数の減少ペースは速い。戦後のピークである昭和24(1949)年の約270万人と比較すると、70年弱で約3分の1に減った。しかも、その推移を追いかけると、気になる変化が見つかる。24年の翌年は出生数が一挙に36万人も減り、第1次ベビーブームが突如終わっているのだ。

        明らかに不自然である。当時の資料を調べてみたところ、意外な事実が明らかになってきた。

        戦後、占領政策を実施した連合国軍総司令部(GHQ)が、堕胎や避妊による「産児制限」を仕向けていたのだ。日本の少子化は、GHQによって引き起こされた“人災”だったともいえる。焼け野原からの再出発となった日本は、復員や旧植民地からの引き揚げ者が相次ぎ深刻な食糧難に直面した。一方でベビーブームが起こり、増え続ける人口への懸念が広まっていた。

        GHQは当初、無関心を装っていたが、21年5月に「食糧メーデー」が起こると態度を一変させた。労働運動の広がりによる共産化への警戒だった。

        発展途上国の人口急増が共産主義に結びつくという見方は戦前から強かったが、「人口が急増している日本も例外ではない」と認識したのである。

        懸念はもう一つあった。米国は国土面積が狭い割に多くの人口を抱える日本を戦前から注視していた。

        GHQの報告書を翻訳した『GHQ日本占領史第4巻 人口』(日本図書センター)には、日本の開戦理由を「人口を養うに必要な資源獲得のための軍事力による領土拡張を擁護し、同時に、増加する人口を養うための彼らの帝国主義的政策を宣伝した」とする分析結果が残されている。

        GHQの人口問題の専門家らは、戦後も「日本の人口増加に歯止めがかからなければ、将来、膨張主義が復活する」と警告した。

        だが、人口の多寡が「国力」を意味した戦前・戦中において、人為的に人口を減らす産児制限は“禁断の政策”であった。各国政府はこれを認めず、米国でもキリスト教団体を中心に反対論が強かった。

        占領国が人口抑制を強要した場合、国際社会から強い非難を受けることは必然だった。そこで、GHQは日本人自身の手で産児制限を普及させることにしたのである。
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        産経新聞は保守系であるためにいまだに日本の足かせになってる9条とか左翼っぽい奴ゴリ押ししたGHQ腹立つという歴史観にもとずいてると思うが、産制ゴリ押しぶりを見る限りたんなる右翼の陰謀論と片付けることはできないと思った。スポック博士などの子育て理論にしろ、検閲もあったのかこの頃のマスゴミはアメリカが民主的で科学的で偉くて日本(戦前)はオカルトで性格悪ってな価値観に染まっており、そのために当時10代から20代だった1930年代生まれの若人たちも洗脳されていったにちがいない。

        知られざる“同胞監視” 〜GHQ・日本人検閲官たちの告白 〜(クローズアップ現代)

        http://www.nhk.or.jp/gendai/articles/3425/1.html

        ●アメリカの諜報活動 日本への影響は?

        やはり、アメリカにとって、まずい情報は、メディアに対して検閲をして、報道させない。 このことは、報道の現場で、GHQの新聞課長との戦いというのが、現実にあったわけですね。 それとは全く別に、アメリカは、アメリカの明るいムード、あるいは、すばらしい生活を教えるために、日本に対して、民法の揺らん期ですね、発足したばかりで、ソフトがない時代に、ソフトを作って、完全パッケージの形で提供していたと。 その中には、例えば、5月の母の日にカーネーションを渡すという風習は、日本にはなかったんですけれども、そういう風習を日本に植えつけていったと。 アメリカ好きを、そういう形で助長していくということもやっていた、ということだと思います。

        しかしこの時期の避妊方法は私が思っているよりもけっこう近代的な気がした。アベックとかホテル(←ラブのほう)とかフ○ラチオとかいう格好良い横文字もすでに使われている。

        なんでこういう戦後すぐぐらいの雑誌を読むようになったかと言うと、美健ガイド社のマンガに「GHQが日本人から添い寝やおんぶを奪い〜」ってなことが書いてあったので、それが本当であるかどうか検証しているためである。私の歴史観として日本人を腑抜けにさせるための陰謀であるという点については疑問符が残るものの、戦後のある時期、添い寝やおんぶが馬鹿にされていたのにGHQの意向があった可能性は否定できない。

        この雑誌にも昔からある日本の子育てを遅れたものとして否定し、アメリカにならったと思われる、赤ちゃんを一人で寝かしつける育児法が推奨されている。美健ガイドや予防接種はじめ今のロハスにある昔の子育てに帰ろうってのはほとんどこの時代(から高度経済成長)の反動であり、憲法9条とかとちょっと理由は違うのだがいづれにせよGHQの強力な洗脳からいかに脱却するかというのがひとつのポイントになってくるのだろう。

         

        同じ布団のなかで、母親が赤ん坊に添乳をしたり、子どもに添寝をしたりしているのは、日本獨自の家庭風景で、どうも改訂を要する古い育児法のようである。

        添乳・添寝を、あふれるような母性愛の発現だと説明するのは、おろかなことだ。むしろ家屋のせまさ・寝具の不足・母親の過労のなかに、それは、現實的な理由を持っているのであろう。

        朝から晩まで、炊事・掃除・洗濯・裁縫・買物と、からだをクルクルうごかして、少しの休みのなく一日中はたらきずめの母親、農村では、さらに畑仕事が加わつてくる。添乳、添寝は、子どもの要求というより、つかれた母親が、舅や姑や、口やかましい主人の前でも、公然と自分のからだをやすめることのできる唯一の機会になつているにちがいない。

        きわめて不注意な母親は、赤ん坊に添乳をしているうちに、ついねむりこんで、乳房のおもみで赤ん坊の呼吸をとめて殺してしまう場合が、往々にしてある。

        そんな事故は、まれであるにしても、子どもの添寝は、母親と子どもの関係をいつまでも胎盤と胎児の状態につなぎとめておくものであつて、子どもの獨立をさまたげていることに早く氣がつかねばならない。

        どうも日本の母親は、自分以外に責任をもつて子どもを育てる者がいないとせまく信じこんで、自己満足を感じているようだが、これは母性愛の危険な偏向であると云わねばなるまい。

        子どもを自分の背中にくくりつけて、ネンネコでせおつている姿、布団のなかで子どもとからだをくつつけた添寝、子どもの手をひつぱつて一しよに川へとびこむ母子心中ーーこの三つのもののなかに、氣高い母性愛というよりも、何か共通した日本の未開性が感じられるではないか。

        フランスのトリースという条件反射学者の説によると、生れたばかりの赤ん坊でも性欲を持っているというのである。すなわち、生れたばかりの赤ん坊は、消化器官しかはたらかないが、その消化器系統の入口と出口に、見逃しがたい性感覚があるという新説だ。

        ・・・

        いずれにせよ、赤ん坊にさえ性欲のあることがわかつたら、両親も子どもの取扱いについては、いきおい慎重にならざるをえないであろう。この子どもに内在する性欲の火は、ふきけしてもいけないし、また、あおり立ててもいけない。しずかな自然の燃焼が必要なのだ。

        この立場から、添乳・添寝の問題を見直してみると、日本の母親は、母親の體温や體臭が、しずかな子どもの性欲の燃焼にガソリンや薪を加えて、盛んにあおりたてていることに氣がつかないでいるようである。

        添乳をしなくても、赤ん坊に乳をのませることはできる。健全な子どもの成長、子どもの人格の獨立のためには、添乳・添寝をやめて、ひとりでねかしつけることである。今までの、いわゆる日本的な子供の育て方を切換える必要があるのだ。(そこには、無知にもとづいた盲目的な愛がある。その愛は不幸にして、必ずしも子どもの幸福に寄与するものとは云えない。)そのために、まず手近な、ひとりで寝る癖を子どもにつけるのである。その場合、一定の就寝の時刻をきめるには、柱時計に責任を持たせればよい。


        シースルーブラウス特集

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          袖シースルーがオシャレ♡1500円「しまむら×刺繍ブラウス」が一目惚れする可愛さ(2016年12月17日 spotlight)

          http://spotlight-media.jp/article/359028230401917002

           

          私もしまむらでこの1500円のブラウス見たことある。そのときに横にいた若い娘さんが「これいろんなのが出てるんだよ」と力説しているのが聞こえたのだが、同じ生地でスカートがあったり色とデザイン違いが何枚か売られていたので、本当だなぁ。と思い特に気にしていなかった。

          しかし後日ショッピングモールを彷徨い冬の売れ残りや春の服を適当に見ていたところ、若い娘さんの言っていた本当の意味を知ることとなる。しまむらにあったはずのブラウスがいろんな店で売られているのだ。

           

          http://item.rakuten.co.jp/e-kbt/10002378/

           

          http://item.rakuten.co.jp/honeys-online/6480114048/

           

          http://www.spinns.jp/fs/spinns/0027058-31784

           

          http://www.spray-store.jp/shop/all/all.php?action=detail&pcode=016120190784

           

          https://wowma.jp/item/252434003

           

           

          http://www.jadore-jun.jp/products/detail.php?product_code=BVH1700

           

           

          https://item.iqon.jp/11674202/

           

          上画像は、楽天が2990、ハニーズが2280、スピンズが2806、スプレイが2990と値段は2000円台が主流で、私がショッピングモールで見たのもそのくらいだったが、visとページボーイが4212とやけに強気な値段をつけている。いやしまむらが1500円の安心価格で売っていることを考えたら、そんなに変わらないハニーズ以外はすべて不安価格に思えるのだが。

           

          lunch(1月25日 春名亜美公式ブログ)

          http://lineblog.me/harunaami/archives/1062412486.html

           

          ↑はそのページボーイより高く売っている気がするのだけど、値段書いてないしリンク切れてて分からない。昔は服の生地やデザインは値段に比例していたのだが、近ごろ高見えという言葉もあるように2010年代に入ってからは特に安い服が見栄え良く、逆に高い服がペラペラになって見た目に値段がよく分からないように感じていた。

          今回しまむらで1500円もしくはハニーズで2200円のブラウスが3000〜4000円で売られているのを見ると、やはりアパレルって値段あってないようなもんだなとその深い闇に想いをはせずにはいられない。このブラウス、最高額でいくらつけているのか気になったので4000円以上を目撃した人は情報求む。

           

          http://www.dot-st.com/lowrysfarm/disp/CSfGoodsPage_001.jsp?ITEM_CD=743877

           

          けっきょくモールでは↑を買った。しまむらに同じ奴あったらどうしよう(疑心暗鬼)。


          死んだ人生きてた人

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            マレーシアでの金正男暗殺から一週間ほどが経過した。あらためてニュースなどを見ると北朝鮮籍の男が逮捕されたと報じられていたが、まだ犯行や死因について詳しくはわかっていないようだ。

            事件当初は毒針で殺られたとか工作員が自殺したとか言われ、情報が錯綜していた。今時点では北朝鮮の男が日本のドッキリ番組をかたって工作員でもなんでもない東南アジアの女2人に殺させた説が主流になっており、毒の専門家筋からはオウム事件のときにもよく聞いたVXガスが犯行に使われたと予想されている。

             

            【衝撃事実】金正男の命を奪った女はユーチューバーだった / 容疑者女の全YouTube動画を公開(2月19日 ガジェット通信)

            http://getnews.jp/archives/1633033

            今回の事件は日本人になりすましたり東南アジアが舞台だったりといった点から、80年代の大韓航空機やラングーン事件が思い出される。といっても私のようなピチピチギャルはいづれも覚えていないのだが。

            しかし例の口にテープ貼られた金賢姫が両脇を抱えられてタラップを降りてくる映像は、北朝鮮とか全然分からなかったこともあってとにかく不気味で怖かったし、田口八重子さんの北京原人みたいなモンタージュ画像もめちゃキモかった(田口さん本人に似てない)。そして今回女工作員、いや工作員にだまされたベトナムのインターネットアイドルLOLたんの防犯カメラ映像見て、いくら低画質がオシャって言われる昨今でも、お子さんはこんなオバケみたいな女の写った静止画見たら夜おしっこ逝けんだろ。と思った。

            LOLたんのYouTube見たら意外と可愛い普通の娘だったが、「ペヤングパクチーMAX食べてみた!」「今月号のsweetの付録が豪華すぎる!」「オールキャンメイクでオルチャンメイク♡」みたいな奴はなく、そんじょそこらのフザけたユーチューバーですよー。っていう既成事実を作るためにこさえた適当な動画のような気がした。ちなみにYouTubeに前からあるラングーン事件の動画も、爆発の瞬間や血まみれの人々が映ってるし音楽とか画質とかいろいろ怖い。

             

            【金ハンソル氏とは】金正男氏の息子、暗殺警戒してイギリス留学を断念(2月20日 The Huffington Post)

            http://www.asahi.com/articles/ASK2N2TWCK2NUHBI00F.html

            しかし80年代ならともかく今の時代に信じられないほどの野蛮な犯行だったが、今度は金正男の息子であるキムハンソル君が狙われているという。ハンソル千里走る。

            今回の事件で日本国民は「おれたちのまさおを返せ!」と悲しみにくれ、テレビでも「あのインテリで気さくな金正男さんが・・・」てな感じでその死がおしまれているが、なぜこんなに日本で人気になったかと言うと、テポドンが日本に飛んでくるって騒ぎになってたときに金正男がその迎撃作戦に理解を示すコメントをしたからである。今調べるとそれが2009年の麻生政権時代のときだ。

            よくディズニーランドに来たときの当時29歳の金正男の映像も流れているが、当時まだ金正恩の存在が知られてなかったので正男が後継者と思われてその印象はすこぶる悪かったため、そうした第一印象とのギャップで好感度が爆発的に上昇したというわけだ。金正男がインタビュー答え出した2009年は、寿司職人藤本健二がただ一人後継者を金正恩と予言し子供のころの写真を公開していた時期でもある。

             

            消息不明だった金正日の料理人・藤本健二氏は生きていた!! 北朝鮮ツアー会社が「伝説の料理人のグルメを楽しむツアー」を開催 / 平壌『日本料理たかはし』(2月16日 ロケットニュース24)

            http://rocketnews24.com/2017/02/16/863660/

            その藤本健二、けっこう前から「北朝鮮逝ったけど消息不明」ってな報道がなされていたために、今回の暗殺をうけて「こりゃ藤本氏もまさか・・・」と真っ先に思い出したのだが、なんとその直後に平壌で日本料理を開店したってな情報が流れた。タイミング的に「こりゃ藤本もまさか・・・」と思った、たぶん私を含めた500人くらいにむけての「藤本は生きてるよ!」ていう、北朝鮮のメッセージなのだろう。

            ともかく藤本氏が金正恩との友情をもって何か解決してくれるのでは。と思った私が馬鹿だった。本名高橋だったのか。

             

            TWICE、遂に日本デビューへ! K-POP人気No.1グループの魅力とは?(2月10日 All About NEWS)

            https://news.allabout.co.jp/articles/o/20070/

            さてそのころ南のほうはというと昨日発表した新曲「ノックノック」も大ヒット間違いなしのガールズグループTWICEが渋谷や原宿にもの凄い広告出しているらしく、日本でのゴリ押し、いやデビューも間近と噂されている。IOIで有名になったソミが加入するのではないかという心配は杞憂に終わった。


            団塊よりも

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              くしゅくしゅソックス世代(1973〜76生まれ)およびルーズソックス世代(1977〜80生まれ)など、おもに1970年代生まれの若き日を解説することの多いわがブログだが、それとは別に着目しているのが1930年代生まれだ。この世代は今80代くらいなので最近はじょじょにあの世に逝っており、先日もテレビを見ているとこんなCMが流れていた。

               

              ボス『昭和』篇 60秒 トミー・リー・ジョーンズ サントリー CM(YouTube)

              https://www.youtube.com/watch?v=MW0ynGlUOr8

              永六輔「昭和ひとけた族というのは調子がいい、目立ちたがり屋といわれ・・・」

              宇宙人ジョーンズ「この惑星の昭和と呼ばれる時代には濃いい奴らがいたらしい」

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              蜷川幸雄「やりたいこと、ちゃんと自己主張しなさいと」

              大橋巨泉「人間生き方だけは自分のチョイスでいきたいんだよね」

              永六輔「世の中変わっていくけども絶対変えてはいけないものは変えない」

              宇宙人ジョーンズ「この惑星の昭和はこれからもどこかで生き続ける」

               

              このCMのシリーズ前から意味分からんし気持ち悪いと思ってたけど、これ見て左翼が作ってたんだ。と確信した。上記引用にもあるように、この世代には「昭和ひとけた世代」という名前がついている。

              しかし私的にこの世代は「太平洋戦争時にいちおう生まれてたけど戦争逝ってない」ってのがポイントなのに、昭和のひとけたやふたけたで分けると、戦争知ってる1920年代生まれまで1930年代生まれと同じカテゴリになっちまう。この違いに関してはウィキペディアにも明記されている。

              昭和一桁(Wikipedia)

              https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%AD%E5%92%8C%E4%B8%80%E6%A1%81

              成長過程

              「昭和一桁世代」には2つの層がある。それは、昭和一桁前期生まれ(1926年(昭和元年)末〜1929年(昭和4年)生まれ)と後期生まれ(1930年(昭和5年)〜1934年(昭和9年)生まれ)という2つの層である。前期の人々の多くは、大戦末期に兵士として戦地へ動員され、また軍需工場に徴用されるなどで、戦争に参加した。特別攻撃隊として出撃したり工場で空襲を受けたりして戦死した例も少なくない。後期の人々の多くは、地上戦が行われた沖縄などの少年兵を除いて戦地へ動員されていない。

              昭和一桁後期の人々は予科練にも間に合わなかったが、青年学校で軍事教練を受けて、学童疎開などを経験した。この場合、1920年代生まれは「真っ只中の戦中派」、1930年代生まれは「焼け跡闇市派」と呼ばれる場合もある。例えば1927年(昭和2年)生まれであれば第二次世界大戦終結時に18歳であるのに対し、1934年(昭和9年)生まれだと終戦時に11歳であり、一口に昭和一桁といっても第二次大戦の記憶は人それぞれであるが、大正期からの文化的連続性があった昭和初期の平和であった時期の記憶を持つのは、この昭和一桁前期生まれが最後の世代である。

              そのため1920年代終盤(昭和元年生まれ〜昭和4年生まれ)に生まれた人々は、小学校卒業後の思春期に第二次大戦に遭遇した。対して1930年代前半(昭和5年生まれ〜昭和9年生まれ)に生まれた人々は、日中戦争の最中に小学校に入り、第二次大戦の最中に小学校(第二次大戦中の国民学校)を出たか、小学校在学中に終戦を迎えた。

               

              世間一般で話題になりやすいのは戦後ベビーブーム時に生まれたうわゆる「団塊世代」であり、このブログで言及することの多い70年代生まれも団塊ジュニアなどと名前がついているらしいのだが、私はそこまで団塊が重要と思わないというか、戦後世代のノリは皆1930年代生まれの影響下にあるくらいに思っている。また右翼がよく日本のマスゴミが左翼寄りなのをGHQの陰謀のせいにしておるのも、じつはGHQというより戦後民主主義に毒されまくった1930年代生まれが新しい産業だったテレビの業界を作ってきたために左翼のノリが伝統化したというのが実際のとこではなかろうか。

              戦前までラジオや映画が中心だった娯楽にテレビがくわわるし、当時20歳代である1950年代後半にはテレビだけでなく冷蔵庫と洗濯機が「三種の神器」としてもてはやされた。てことは家事の厳しさからも解放されていたってことであり、戦争逝ってないにとどまらずもっとも若く経済成長の豊かなノリを謳歌しまくった世代であるし、そのせいか多くが80歳代を超えた現在においてもあまり年寄りくささがない。

              といっても上記に引用したボスのCMで「昭和と呼ばれる時代には濃いい奴らがいた」と言っているようにアクの強い人が多く、その昭和感、老害感も団塊より上回っている。そうした30年代生まれが長らく支配してきた戦後的価値観をすごい勢いで破壊し昭和を強制終了さしたのが、冷戦終わってバブル崩壊して日本とか左翼が落ち目になった戦後50年ごろに出現したくしゅくしゅソックス世代でありルーズソックス世代だった。

               

              1930生まれ

              キダタロー、竹村健一、左幸子、野坂昭如、小山内美江子、高島忠夫、俵孝太郎、深作欣二、ハナ肇、藤岡琢也、梶山季之、二谷英明

               

              1931生まれ

              宇津井健、高倉健、ジャニー喜多川、有吉佐和子、漣健児、水野晴郎、山田洋次、八千草薫、いかりや長介、勝新太郎、篠田正浩、来宮良子、大村崑、芦屋雁之助

               

              1932生まれ

              野村沙知代、石原慎太郎、谷啓、本多勝一、小林亜星、大島渚、青島幸男、小田実、秦郁彦、五代目圓楽、長門勇、フランク永井、白土三平、仲代達矢、江藤淳、堀威夫、五木寛之、森田実、船村徹、田中邦衛、桂由美

               

              1933生まれ

              黒柳徹子、永六輔、浅利慶太、草笛光子、菅原文太、藤島泰輔、ペギー葉山、尹学準、扇千景、篠沢秀夫、藤本義一、児玉清、伊丹十三、藤子不二雄、藤田まこと、岡田茉莉子、淡路恵子、オノヨーコ、大山のぶ代、森村誠一、天皇陛下

               

              1934生まれ

              宝田明、長門裕之、山田太一、愛川欽也、東海林のり子、米倉斉加年、田原総一朗、井上ひさし、倉本聰、白木みのる、松井やより、大橋巨泉、横山光輝、筒井康隆、玉置宏、山村美紗、美智子様

               

              1935生まれ

              筑紫哲也、美輪明宏、大江健三郎、田宮二郎、浜木綿子、赤塚不二夫、小澤征爾、桑田次郎、西尾幹二、大藪春彦、朝丘雪路、酒井政利

               

              1936生まれ

              長嶋茂雄、梶原一騎、野沢雅子、さいとうたかを、内海好江、毒蝮三太夫、野際陽子、桂歌丸、つのだじろう、山崎努、川口浩、梁石日、横田早紀江、北島三郎、湯川れい子、楳図かずお、内山田洋、市原悦子

               

              1937生まれ

              樺美智子、モンキーパンチ、小沢遼子、美空ひばり、若杉友子、阿久悠、左とん平、加山雄三、桐島洋子、加茂さくら、ばってん荒川、平尾正晃、花紀京

               

              1938生まれ

              和田春樹、島倉千代子、猪狩章、山尾三省、石ノ森章太郎、山城新伍、田辺昭知、小林旭、大林宣彦、なかにし礼、ミッキー・カーチス、細木数子

               

              1939生まれ

              水森亜土、橋下淳、内田裕也、中沢啓治、赤木圭一郎、ちばてつや、千葉真一、黒部進、高田健三、五月みどり、寺内タケシ、畠山みどり、かまやつひろし、山下敬二郎、徳大寺有恒

               

              突然30年代生まれの著名人を列挙してみたが、こやって見ると左翼、芸能、歌謡、漫画、アニメ、ドラマなど戦後文化の大御所が多い。その前の20年代生まれがまだ年寄り臭いのに比べ、30年代生まれは服装も若いし洋楽、洋菓子、ニンニクみたいな異国の文化に苦手意識もない戦後世代であることをふまえると、今たとえばSNSとかやってたとこでそんなに驚くことではないであろう。

              だから戦前、戦中生まれであるとか80過ぎとかいうと私のようなピチピチギャルから見ればすごい爺のような気がするしめっちゃ戦争知ってるイメージあるけど、それにまどわされてはならない。なんでこんなこと書いたかと言うと、戦前の悪で恐ろしいイメージがGHQのステマにくわえこの世代(の左翼)によって作られたものという気がしてならないのだ。

               

              はだしのゲン作者の中沢啓治は1939年生まれなので終戦時6歳である。被爆したといっても戦争中の話はリアルで見てきたものではないであろう。

               

              松井やより発言集(YouTube)

              https://www.youtube.com/watch?v=YHQF3opeHR0

              松井やより「その兵隊たちをですね、殺人鬼って言われたり強姦魔って言われたり強盗ってね、アジア行ったらみんな言ってますよ。そういうふうなことをさせるような状況にしたのが誰なのかどういう行動なのか。その責任者をね私たち自身の手で問うてないわけでしょ。ですからね、それが第二でしょ。それからもうひとつは補償ですよ」
              田原総一朗「お父さんは中国で何してらっしゃった」
              松井「あの、兵隊です。二等兵です」
              田原「・・・じゃあ同じようにされてたんじゃないですか」
              松井「そうです」
              田原「いや殴ったり」
              松井「殴ったり、されたんですよ」
              田原「いやいやそうじゃなくて。殴ったり、したんじゃないですか」
              松井「いえ、できない。うちの父はね、どういうふうにしたかっていうと、その殺さなくていいようにハンストみたいに非常にこう抵抗してですね、それはこっそりですよ。で通信部隊っていう全然殺さなくていいところにね行って、そして父がまぁキリスト教の関係だったもんですから、そのー中国の子ども達にいろいろしたりなんかしたからね、すぐ・・・」

               

              なんか男を叩いているような女(もしくは女を叩く男)などを見ると、この人自分のお父さんやおじいちゃんのことはどう思っているんだろうか。とつねずね疑問に思っていたが、松井氏のように「うちの父だけは日本人で男だけど例外」ってパターンもあるらしい。ともかく30年代の語る戦争の残酷さの多くは実際の体験でないうえ、何か特定の思想にもとずいた感がすごいので話半分に聞くことにする。

               

              昭和ひとケタ世代日本を怒る1983年1(YouTube)

              https://www.youtube.com/watch?v=Z-44U9yxC8I

              石原慎太郎「ぼくは中学1年でした。戦争はあっけなく終わった感じがしましたけどね、それから一両日おいて私の住んでいる逗子湾の付近にアメリカの連合艦隊がやってきましてね、とにかくそれを迎え撃って死ぬんだということを大人たちが言い、私も15歳でしたけども、あーやっぱり自分も死ぬのかな死ななくちゃならんのかなという感じがしましたがね、別に恐怖心はなかったけどもそういう意味じゃその、私に限らずみんな軍国少年だったと思いますがね」

              田原総一朗「野坂さんは終戦のときは小学校?中学ですか」

              野坂昭如「みなさん数えでおっしゃってるから数えでぼくも言えば16歳ですね、中学3年です」

              田原「8月15日の思い出はいかがですか」

              野坂「ちょうど福井県の春江ってところにいまして、そこはぼくがそれまでいた神戸の瀬戸内海に面した町から比べると配給が非常によくて、比較的おだやかに暮らしてたんですね。なんか戦争の影も形もないみたいな感じでした。ぼくたちは確かに軍国少年で8月15日っていうとたいていは天皇の言葉がよく聞こえなかったって言うんだけども、どういうわけだかわりによく聞こえたわけですわ。でこれは負けたってことはすぐにわかったです。負けたってことがすぐわかったとたんに生物的反応として、もう空襲がない殺されなくてすむってことがまず考えた」

              田原「小田さんは38年前の8月15日、中学ですか?」

              小田実「中学一年生ですね」

              田原「いかがですかそのときの印象は」

              小田「ちょうど今野坂さんがおっしゃった8月14日の大阪の大空襲があったんですね、で砲兵工廠ってのが完全に全滅したんですけども、その近くに私住んでたんですよ。で私防空壕に入ってましたからね、14日のほうが印象的ですね。14日やっとこさ生き延びて出てきたらビラが落ちてましてね、それもう戦争終わりましたと書いてあるんですよ、お国の政府が降伏して終わったと書いてあるんですね。でこれいったい何だって思ったですよ。まあそれは私の根にあるんですけどね、飢えと空襲のなかで、大都会にいたので、まあやってきたんですね、それであの軍国主義少年だったと思いますよ私も


              ルーソ世代全盛期

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                当ブログでルーズソックス世代と定めている1977〜80年生まれの女たちは、茶髪や馬鹿キャラ、ルーズソックスなどギャル(コギャル)のイメージを確立させ、それまでのファッションに変革をもたらした。芸能人を引き合いにしてその変遷を振り返ってみると、1995年から2000年代半ばにかけての女の服装は間違いなくルーズソックス世代が牽引している。

                 

                汚い化→1995年ごろ〜

                くしゅくしゅソックス時代(90年代前半)から兆候はあったものの、茶髪、細眉、黒肌、生足、ルーズソックス、男みたいな言葉遣いでギャーギャー騒ぐなどルーズソックス世代から女子高生の生き様が急激にハレンチで汚らしくなり、そんな意識の変化に合わせるかのようにeggやcawaiiなどギャル雑誌が創刊された。

                安室奈美恵(1977年生まれ)

                小麦肌と厚化粧と厚底ブーツと小室サウンドでコギャルたちの憧れの的だった安室ちゃんはルーズソックス時代の申し子だった。

                押切もえ(1979年生まれ)

                押切もえは絵にかいたような黒くて怖いコギャルだったのに、後述のデカ目・モテ時代を迎え女子力キャラになったし目も大きくなった。

                egg(1995〜2014年)

                cawaii(1996〜2009年)

                ランズキ(1998〜2016年)

                 

                デカ目化→1999年ごろ〜

                ルーズソックス時代からギャルたちは厚化粧ではあったが、この頃からマスカラ下地とか眉マスカラ、チークなどが人気になって化粧が盛れてくるし、巻き髪も精巧になってくる。また高齢化(成人)したコギャルが赤文字系に逝かず、お姉ギャルというジャンルを確立した。

                浜崎あゆみ(1978年生まれ)

                小室さんの才能が枯渇し、朋ちゃんが精神的に不安定になり、安室ちゃんが産休に入りと、ルーズソックス時代が終わりを迎え、歌姫時代を迎えるタイミングですい星のごとく現れた浜崎氏はパッチリとしたお目目とお人形さんのような見た目で、それまでサーファーや辛口なセクシーの多かったギャルの服装に可愛らしい姫、盛り、美白の要素をもたらした。

                カリスマ店員

                109がギャルのファッションビルとして生まれ変わり、森本容子(1977年生まれ)、中根麗子(1979年生まれ)、植田みずき(1980年早生まれ)といったカリスマ店員はのちにお姉さん向けのマウジー、リエンダ、スライなどのブランドを立ち上げた。スライの植田氏は現在中年向けにエンフォルドというブランドを手がけているそうだ。

                Scawaii(2000年〜)

                 

                モテ化→2000年代前半〜半ば

                ギャルは強め・細め一辺倒だったが、2000年代に入ると一部ロリータくらいでしか見かけなかったようなキラキラとかリボンとか女の子っぽいのが流行り出すし、フーミンやかとうれいこ以来あまり見かけなくなっていたグラビアアイドル業界がヅラやサラ金のCMで息を吹き返した。安室→あゆの流れにもうかがえるように、人々の顔の好みが童顔寄りになってきて、ロリを売りにした小倉優子とかミニモニも人気を博す。

                ルーズソックス世代の高齢化に合わせてか、女の強さが汚らしい化粧でギャーギャー騒ぐのから、お目目の大きさを偽りチークで頬をピンクに染めてかわいらしくお化粧し男にモテモテになるようなのに変化して(代表例→押切もえ)cancam誌がその受け皿を果たした。と思われる。

                矢田亜希子(1978年生まれ)

                私が矢田亜希子の可愛さに気づいたのは、フジテレビ系ドラマ「やまとなでしこ」(2000年)で、主演の松嶋菜々子もすごくよかったんだけども、とにかく女たちの可愛さがデカ目化、モテ化しているなかで、お目目がパッチリしてお嬢さんっぽい矢田亜希子はその後男女ともにすごい人気になった。でも刺青めっちゃ入ってる押尾学とのデートが撮られてから清楚なイメージが崩壊して、あんまり見かけなくなった。

                蛯原友里(1979年生まれ)

                結婚した矢田亜希子と入れかわるように出てきたエビちゃんは、2005年マクドナルドのえびフィレオのCMでブレイク。矢田亜希子の時代よりさらにブリブリした感じに進化し、同じcancamの看板モデルとして押切もえもセット売りされた。

                高島彩(1979年早生まれ)

                2003年よりめざましテレビの司会。高島氏はフジテレビの局アナだったが、その安定した実力から皆藤愛子のようなセントフォース系ブリブリアナウンサーの中心的役割を果たした。

                anecan(2006〜2015年)

                 

                ここまでが1995〜2005年くらいの傾向だが、ルーズソックス世代がアラサーと呼ばれる2005年以降はアパレル業界のゴリ押しに従ったり、ゴムの入ったようなズボン、ダウン、チュニック、マキシスカート、ムートンブーツなど楽で年齢不問な服装、また2010年代は韓国の影響も入ってきて現在もそれらの傾向は続いている。そうした意識の変化とアパレルの不振、プチプラ化から、ルーズソックス世代の築いたジャンルや雑誌も今ではすっかり廃れてきているようだ。

                女たちが我が道を逝く最後のジャンルが小悪魔ageha(2005〜)のようなド派手なキャバ嬢で、注目されたのはルーズソックス世代よりもいっこ下の世代なのだが、キャバ嬢がドレスを着たり金髪頭を盛り盛りにしたりするのは少なくともagehaが出てくるよりもけっこう前(2000年代初頭)には見られたために、こうしたスタイルももしかしたらルーズソックス世代が始めたんじゃなかろうか。と思えてきた。前にも言ったけど90年代の水商売の女はスーツ着てた記憶もあり、このへんはお水業界に詳しい方からの情報提供を待ちたい。


                少年時代

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                  最近SM(っていう芸能事務所)がNCTという名前からしてAKB意識したような男グループデビューさせたが、このNCTは「NCT127」「NCT U」「NCT DREAM」と3種類もあるうえにそれぞれメンバー重複しててわけわかめ。DREAMは10代を集めたグループで、去年チューングガムという曲でデビューし、息子でもおかしくないくらいの年の坊やたちがジャニーズ調のアイドルソングに光源氏のローラスケートよろしくセグウエイでステージを所せましと走り回る姿にかわゆいわぁ。と思わず胸が高鳴ったけども、きょう発表された新曲はSHINeeが日本で出しそうな感じの歌と振り付けであまり特筆すべきところはなかった。

                  こんにちTWICEやBLACKPINKが大活躍するなか、SMはというと変な歌ばかり出し全然パッとしなくジャニーズで言うたらBOAとか東方神起とか少女時代みたいなグループ出してたのがたのきんとか渋ガキ隊の頃で、今は忍者、男闘呼組、そして光源氏が「リラの咲くころバルセロナ」と唄ってたレベルくらいに没落している。じゃNCTが今後SMAPみたいに大化けするかというと、そんな気も全然しないので飯島マネージャーをSMに送り込みたい。

                   

                  NCT DREAM_마지막 첫사랑 (My First and Last)_Music Video(YouTube)

                  https://www.youtube.com/watch?v=4pUc7SD0PmU

                  以前は学園もののミュージックビデオはアメフトやチア出てきてアメリカ風だったけど、最近のは体育館、体操服、セーラー服(みたいな衣装)などが多く、曲もそうだけど世界観が全体的に等身大かつ日本っぽくなってきている気がした。K-POP知らぬ人々は少女時代が伝来したときみたいに股上深すぎなショートパンツはいて脚や尻をクネクネさせるようなセクシーのイメージが強いと思うが、最近その路線はAOAくらいしかいなく若い娘さんは日本の制服のようなミニの台形スカートで可愛らしく踊るし尻もそんなに振っていない。

                  NCTはその男版といったところだろうか。韓国の男グループは退廃的なミュージックビデオで目の周りを真っ黒にし腰振ったり筋肉や慰安婦アッピールしたりと何やら恐ろし気だったけども、NCTはかなり中性的なのだ。

                  DREAMはこの少年↑が可愛かったけど、今回は腰痛だかで参加していなかった。レンジュンっていう朝鮮系の中国人も小学生みたいで愛らしい。

                   

                  NCT 127_無限的我 (무한적아;Limitless)_Music Video #1 Rough Ver.(YouTube)

                  https://www.youtube.com/watch?v=RW8iyJcmve4

                  127も先月「リミットレス」という歌を出していて、こちらのミュージックビデオはほとんど全編VHS風低画質。メンバー2人もかぶってるのに立て続けに活動しており、学生さんなのに大丈夫なのだろうかと心配になった。

                  今回はデビュー曲「消防車」から2人増え、向かって左の人が新メンバーのジャニーさん。ちょっとNCTにしては大きいし男っぽ過ぎる気がして、Uのタイ人入れて127だけにした方が素敵でしょうにと思った。

                  実際そのメンバーでSORRY SORRYのカバーしている方がパッとしないオリジナル曲より全然良いので、早くスーパージュニアのように大衆的な歌を出して人気者になってほしい。右の中国人はガリガリで女の子みたいで本当に良い。

                  ジャニーズ系ぽいタイ人。東南アジアでは唯一タイ人はK-POPアイドルに多く、お目目パッチリでけっこう人気もある。

                   

                  170208 Weekly Idol NCT 127 - Limitless 2X FASTER VERSION(YouTube)

                  https://www.youtube.com/watch?v=dKbZdw52nnc

                  そんなNCTが出ている番組見てたらふと、メンバーの1人が着ていたエスプリってトレーナーが目についた。これくしゅくしゅギャルに流行ってたやつじゃ

                  もしやMCMみたいに韓国資本でリバイバルするとかなんだろうか。何のブランドか知らんけど私も欲しい。

                   

                  現在、三十歳、私が中学生の時、エスプリというブランドの布製のトートバッグが流行ったのですが、覚えてマス??!!何だか急に思い出しちゃいました!!(2009年2月12日 yahoo知恵袋)

                  http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1023128620

                  歳、一緒ですね。。。

                  当時、女子大生ブームから女子高生ブームになって、
                  コギャルの始まりみたいな時期で・・・

                  懐かしい〜〜〜
                  ルーズソックスも、この辺からでしたよね〜


                  スピリチャルな男たち

                  0
                    評価:
                    秋山 佳胤,森 美智代,山田 鷹夫
                    マキノ出版
                    ¥ 1,404
                    (2014-07-15)

                    本買うついでにほっこりした本も見てきた。まづはナカムラミツルの胎内記憶。

                     

                    https://www.amazon.co.jp/dp/4861130786/

                     

                    https://www.amazon.co.jp/dp/4861130794

                     

                    これアマゾンでチェックしたときには気づかなかったけど、サンクチュアリ出版から出ている本だった。よく考えるとナカムラミツルのポエムとか胎内記憶ってサンクチュアリっぽい。

                    帯か何かには池川先生の推薦文もあった。ナカムラミツル、(大人向けの)絵本、胎内記憶、サンクチュアリ出版と、私の苦手な要素がこれでもかと凝縮された作品群である。

                    私はキラキラネームとかどうでも良いタイプにもかかわらず、今日って字に「まいにち」ってルビふってたり、母思(ぼし)手帳とかいうそこかしこに出てくるナカムラ氏特有の当て字はめっちゃ気になってしょうがなく、ナカムラミツルのポエムまじ向いてないと痛感した。しかしそれぞれ2006年、2007年とメディアでゴリ押しされるよりもかなり前に出ていることから胎内記憶史においてはけっこう重要な資料なのではないだろうか。

                     

                    https://www.amazon.co.jp/dp/4906817521

                     

                    あと冷え取りコーナーにあったこの本、GHQとか天皇とか縄文とか胎内記憶とか私が怪しんでる思想が満載だった。もし買ったら感想文書くね。

                    ちゅーか最近不食自慢する人多くないか?サンプラザ中野くんがそうなのは知ってたけど、鶴ちゃんや榎木孝明も不食自慢しているよ。(片岡鶴太郎と榎木孝明の共通点→何かポエムとか絵ー書いてる)

                    オレオ一日3袋食べてもガリガリならうらやましいけど、食べなくても生きれるとか別にうらやましくないし何のためにそんなことするのか分からんしそもそも隠れて何か食っとるだろと思った。あとたけーなと思っていた冷え取りの手帳の実物が百科事典レベルでデカすぎてびっくりしたけど検索しても出てこない。

                     

                    片岡鶴太郎の生活がまるで「仙人」だと話題 「逆に体に悪い説」も(2016年11月11日 しらべぇ)

                    https://sirabee.com/2016/11/11/20161026687/


                    クッキー戦国時代

                    0

                      「リッツ」と「ルヴァン」の攻防戦、本当の軍配(2月4日 東洋経済オンライン)

                      http://toyokeizai.net/articles/-/156649

                      ・・・

                      全国のスーパーにおける1店舗当たりの売り上げ点数を見ると、2016年12月はルヴァンが約110点、リッツが約60点。ルヴァンがリッツに2倍近い差をつけて圧倒している。事前の予測はさまざまだったものの、ルヴァンが強いことがわかる。これはもともとの流通の強さに加えて、消費者嗜好への訴求力の強さもあったのだろう。

                      内容量をはじめとして商品が同一ではないため厳密な比較ではないものの、商品単価も比べてみた。2016年12月の平均はルヴァンが約181円、リッツが約187円。ルヴァンのほうが、やや安価に設定している。

                      ・・・

                       

                      ヤマザキとナビスコがいつ頃からか分離しており、YBC社はルヴァンパーティーを開催し各スーパーで大々的なキャンペーンを張っていた。上のニュースはヤマザキがやっぱり日本人に合う。って読めるけど、そもそもYBCの大キャンペーンの陰でナビスコ製をあんまり見かけなくなってしまったってのが実際のとこであろう。

                      しかしYBCはリッツの後継商品であるルヴァンは出してるけどオレオは出していない。私はリッツパーティーにも呼ばれない雑魚なので完全にオレオ派なのであるが、先ほども言ったように最近ナビスコ自体見かけなくなったので、オレオ置いていない店が結構多い。

                      そこで最近食べているのがクリームオーという、どこか物悲しいパチモンだ。だいたい100円でオレオより50〜100円くらい安く、量もちょっと少ない。

                      同時に食べたわけじゃないので味は比べたことないけど、少なくとも袋が妙に空けにくく、またクッキーをパクっと2つに綺麗に分けるのは至難の業で、それだけでもパチモンクオリティって感じである。だけどオレオは一袋が一度に食べるにはちょっと多いしカロリーも高いので、クリームオーに慣れるにつれ本物のオレオを見かけてもたけーなと思うだけで全然欲しくなくなった。

                      それにしてもこれだけルヴァンか、いやリッツかと人々の注目を集めているのは、リッツパーティを楽しむ習慣ない私からすると驚きである。あたいもルヴァンパリピのように魚卵やチーズ載せて立食してみたいものだ。

                      さてオレオに関してはクリームオーでしのぎつつYBCの動きを待つよりほかないが、こんな私もすでにYBC処女ではない。上画像のスリムなる薄焼きクッキーに夢中なのだ。

                      薄焼きクッキーのサクっと間に挟まっているやや甘さ控えめなクリームの柔らか食感のハーモニーが素晴らしいし、オレオ達と違い3枚ずつの小分けになっているので湿気や劣化を気にせずひと箱18枚を何ヶ月もかけて食べることができるのも気が利いている。これはYBCだけどあんまり見かけない菓子で、ごくまれにナビスコ製のスリムも並んで置いていたりするけどそっちは食べたことない。

                      ナビスコではないけど、あの洗濯はさみを挟むのに難儀するココナッツサブレーも小分けになったうえ、いろんなフレーバーが出ていて美味しそうだ。ようやく日清シスコ社にも「何ヶ月もかけて食べたい」というニーズが届いたか。

                      オレオもYBC社から発売されるあかつきには、小分けにして何ヶ月もかけて楽しめるようにしてほしい。いろいろなクッキーが世の中にはあって目移りしてしまうけども、今私のお気に入りはミスターイトウのラングドシャだ。

                      とかくラングドシャクッキーといえば2枚重ねになっており間にクリームやチョコレートをサンドした甘い物ばかりなのだが、これは純粋にラングドシャのホロっとした食感を楽しめる貴重な存在だし、もちろん小分けなので途中で飽きても湿気や劣化を気にせずに何ヶ月かは保管できる。私は小分け原理主義者なのにくわえてラングドシャクッキーとダイジェスティブクッキーはチョコと別々に食べるべきというのがゆずれぬ持論だ。

                      甘いのが好きだった昔はアホイみたいなチョコクッキーもよく食べたものだ。これもともと全然主力商品じゃなかったけど今YBCやナビスコの間でいったいどんな運命をたどっているであろうか。


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