もぐもぐタイム

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    おととしあたりから韓国で人気爆発なヤクルト味のお菓子がこのたび日本にも上陸した模様。最初しまむらでグミを見つけ、これ日本でも売ってるのか。と検索したところ、カルディーやウィゴー、ビレバンとかにもあるって書いてたので後日ビレバンに見に行ったらハングルバージョンで売ってた。

    カルディーのもハングルらしいのだが、輸入元が同じなので同じ商品なのだろう。ビレバンにはヤクルト味のアーモンドっていうのがあったのでそっちを買ってきた。

    ヤクルト味のアイスだいぶ前に食べたことがあって、それがロッテ製だったもんでてっきりヤクルト菓子ってロッテ社が展開してるのかと思ってたのだけど、グミとアーモンドにはロッテって書いてないし全部違う会社なのかもしれない。グミはハリボのコーラみたいな形をしており袋を開けるとヤクルトのいいにおいがする。

    でも今グミより豆菓子が好きなので、個人的にヨーグルトアーモンドのほうが気に入った。もともと甘い味ついたナッツ好きなのだけど、これは特にまわりにかかってる甘酸っぱい粉が濃くてとってもおいしい。

    グミといっしょに買った右端のハニーバターアーモンドは、ハニーバターってとことか袋の絵が韓国ぽいけど日本製。こっちは想定内の味だった。

    あと無印で桜味やいちごジャムの菓子など春の味覚いろいろ買ったけどほとんど食べつくし今この3つしか残ってなかった。いちごジャムのクラッカーて前プチにあったのに、それに比べると無印のはクラッカーの向きバラバラでジャムはみだしまくってて汚いしちょっとしか入ってないのに謎に高い。

    手前の桜クッキーはなぜかてんさい糖と国産小麦をアピっててマクロビ的優しさ主張してるけど、無印の菓子はかなり添加物入ってて普通に体に悪そう。私は菓子食べるにあたってそんなもん気にしてないがな。


    国分寺

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      10年ほど前に移転してきたとはいえ自然育児友の会が事務局を置く「カフェスロー」やラマーズ法の流れをくむ矢島助産院など、ロハスの名所が国分寺に集中しているのは偶然ではない気がした。かなり前に「中央線なヒト」って本を読んで思った(内容は覚えてない)のだが、60年代における新宿の若者文化が中央線ぞいに伸長していき、長年にわたってサブカルやヒッピーを寄せつけてきた側面があるのではないかと。

       

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      日本においてラマーズ法の第一人者である三森孔子助産婦の「産婆の学校」また「やさしいかくめい」が編集された地でもあるヒッピーの複合施設「ほびっと村」の西荻窪もまた中央線沿線である。検索したところによると、ほびっと村の2階にある自然食レストラン「バルタザール」は以前「ほんやら洞」って名前で、ほんやら洞はもともと1972年に京都で開業された喫茶店なのだが、その2年後には国分寺にも存在していたらしい。

      ほんやら洞 (喫茶店)

      https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%BB%E3%82%93%E3%82%84%E3%82%89%E6%B4%9E_(%E5%96%AB%E8%8C%B6%E5%BA%97)

      ほんやら洞(ほんやらどう)は、京都府京都市、東京都国分寺市などにある喫茶店。各店の名称は、多くの場合、つげ義春の短編漫画「ほんやら洞のべんさん」(初出:1967年6月『ガロ』)[1]に由来する[2]。

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      『ほんやら洞の詩人たち』出版
      この2階スペースには、1970年代、ボブ・ディラン楽曲の訳詞者である中山容片桐ユズル、秋山基夫、有馬敲らオーラル派と呼ばれる詩人たちが集まり、しばしば自作詩の朗読を行った。そのなかから『ほんやら洞の詩人たち』[9]という朗読レコードが1975年(昭和50年)に制作され、1979年(昭和54年)には同名の本が生まれた。

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      国分寺の「ほんやら洞」

      国分寺市の店は、京都・出町柳の店舗づくりの中心メンバーだった早川正洋が同様のコンセプトでつくり、1974年(昭和49年)頃に中山容が買い取ったものである。2014年現在の店主はシンガーソングライターの中山ラビで[17]、京都の店のコンセプトを熟知する彼女が1977年(昭和52年)から経営し、作家の花村萬月、漫画家のいしかわじゅんらが常連だったことでそれぞれの読者から注目を集めた。いしかわは、中山ラビをモデルにして自作の漫画のキャラクターを書いている。

      画家の牧野伊三夫が店の看板をつくっており、これまで若手の美術家の個展などの会場となることもあった。

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      ノーベル文学賞でおなじみボブディランの訳詞者である中山容が国分寺ほんやら洞店主の女性歌手、中山ラビと同じ苗字であることから夫婦と思ったが、それぞれのWikipediaを読んでもそんなこと書いてないし2人とも本名中山ではないらしい。中山容が英米文学研究者として教鞭をとっていた京都精華大学は、片桐ユズル・中尾ハジメ兄弟が名誉教授と元学長となっており、京都のほんやら洞との関係性がうかがえる。

      京都精華大学は2006年よりマンガ学部を創設したことで有名とのことで、これは2001年から05まで日本マンガ学会初代会長だった中尾氏が同年まで学長だったためだろう。以前ロハス史振り返るシリーズで津村喬や毛利子来が寄稿していた野草社「80年代」って雑誌を紹介したことがあるが、同誌には中尾氏によるスリーマイル島の記事も掲載されていた。

       

      https://www.amazon.co.jp/dp/4787781855

       

      amazon情報によると、中尾ハジメ「スリーマイル島」は1981年に出た本である。スリーマイル島の原発事故が1979年だったてのもあるとはいえ、反原発運動がロハスの一部に組み込まれたのもおそらく「自然なお産」同様1980年ごろという時期が重要になってくるにちがいない。

      反原発運動が今と同じようなノリで盛り上がるのはチェルノブイリの事故以降かと思うのだが、雑誌「80年代」はそれよりも早くて、窪川町の原発誘致や広瀬隆の記事が掲載されていたし、野草社からは「スリーマイル島」と同じ1981年に「いま原発「現地」から 80年代別冊」、広瀬隆著「原子力発電とは何か そのわかりやすい説明」って本も出ていた。同じく野草社から多数の著書がありまた「80年代」の執筆陣の1人であった詩人の山尾三省は、60年代後半ごろか?国分寺のコミューン「エメラルドのそよ風族」が家宅捜索されたさい大麻取締法違反で逮捕されており、下記引用サイトによればこれが日本で初の大麻弾圧事件だったそうである。

      また当時は非合法化される前てこともあったのか大麻よりLSDの方がメインで、LSDの幻覚作用であるサイケデリックも流行したようだが、YouTubeで若人が大麻でもLSDでもなくシンナーやってる古い動画も見たことある。ドラッグとか植物キメだした第一人者がオルダス・ハクスリーで、前述の中山容や片桐ユズルもハクスリーの訳書を手がけていた。

       

      創立40周年「ほら貝」の閉店(麻声民語)

      http://amanakuni.net/pon/maseimingo/51.html

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      わが国初のロック喫茶として、1968年に創立開店した「ほら貝」が、40周年を迎えた今夏をもって閉店することになったので、この日は元ヒッピーたちが集って、長年の労をねぎらい、名残りを惜しんだ。この日顔を見せた元「部族」は、サタン、ミロ、アキ、リューゴ、ヤー、マリ、ミチ、エヘラ、ソーキ、ハス、ハワイのクリス、そして「部族」の友人でありながら一線を画してきた、サワ、デビッド、トラオなどだ。
      「サマー・オブ・ラヴ」と呼ばれた67年夏以来、全世界を席捲したヒッピーブームは、日本でも同時発生し、コミューン運動「部族」は、信州富士見高原の「雷赤鴉族」、トカラ列島諏訪之瀬島の「バンヤン・アシュラマ」、東京国分寺の「エメラルド色のそよ風族」の3ヶ所が発足した。
      高度経済成長の体制社会をドロップアウトして、旅とコミューン作りを開始したヒッピームーヴメントには、ロックとマリファナという強力な武器があった。「ほら貝」はロックという革命的な音楽を、多くの若者たちに紹介するために、「エメラルド色のそよ風族」が、国分寺に築いたヒッピー砦だった。
      当然のことながら、権力側にも目をつけられ、68年初夏「ほら貝」の開店と前後して、警察は「エメラルド色のそよ風族」を家宅捜査し、山尾三省など5名を、大麻取締法違反で逮捕し、わが国初の大麻弾圧事件となった。しかし検察側にはまだ公判を維持するだけの資料がないため、起訴猶予となったが、マスコミは「ヒッピーは麻薬常習者」というスキャンダラスな記事を大々的に報道した。
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      第3章 ヒッピーブームの中の「部族」

      http://amanakuni.net/pon/hippie/3.html

      諏訪之瀬が雨期に入る頃、島にある唯一の電話を通して、東京の仲間からエメラルド色のそよ風族にガサが入り、大麻所持で三省など5名がパクられたという連絡があった。
      やっぱり来たか、と思った。雷赤鴉族の土地が三省の名儀で登記されていると知って、エメラルド色のそよ風族も当然マークされているはずだと、三省にも警告しておいたのだ。
      わが国初の大麻取締法違反(所持)による逮捕者は、三省、マモ、ナンダ、ミコ、シロの5名。折からヒッピーブームの最盛期とあって、マスコミは大々的にこれを報道し、新聞は全員の顔写真まで載せた。
      私としては救援に飛んで行きたかったが、ナナオから諏訪之瀬の方が大切だと言われて思いとどまった。ナーガとピー子はインドへ行っていたが、救援は三省の全学連時代の友人、日吉真夫がやってくれた。
      しかし捕まえてみたものの検事側には、これを裁判にもって行くだけの公判資料がなかった。日本国の必要から生まれた法律ではないから、大麻を有害とする学術資料などあるはずがなかった。そのため全員を起訴猶予として無罪放免した。とはいえ権力は「ヒッピーは麻薬中毒のダメ人間」として、5人を見せしめにしたことで目的を果たしたのである。ヒッピーブームに対する、これが権力による恫喝だった。
      これに対して「部族」は、マモが名誉毀損で反撃したが、控訴棄却されて後が続かず、その後大麻解放運動とは一線を画し、69年から70年にかけて「マリファナ解放戦線」の運動にも関らなかった。そして深く静かに潜行した。
      私たちは富士見や諏訪之瀬のコミューンで、北海道から採取してきたカラスを回しのみ、マントラ・ヨガを修め、自然に回帰する生活を探求した。もっともこの当時は、大麻よりもLSDの方がメインだったが。(LSDが日本で非合法化されたのは1970年)

       

      出てくる固有名詞がほんやら洞とかほびっと村とかほら貝とか全部似たような名前で訳わからなくなってきたので整理さしてもらうと、ほびっと村が西荻窪、ほんやら洞が京都と国分寺の喫茶店、ほら貝が国分寺に10年ぐらい前まであった日本初のロック喫茶・・・なんだそうだ。検索していると、ノーベル文学賞でおなじみ村上春樹が作家デビュー前に営んでいたというジャズ喫茶「ピーター・キャット」もほんやら洞のほど近くにあったって書かれてるのだが、そういえば同氏の1Q84って小説が「80年代」に出てくるようなヒッピーコミューンをモデルにしてるってのもどっかで読んだので、世界の村上春樹は国分寺ロハスほっこり文化に詳しい可能性が高い。

      ところで山尾三省にしても片桐ユズルにしても、ヒッピー黎明期に詩人とか詩の朗読がやたら多いのはヒッピーの前にビートニクというブームがあったからと思われる。村上春樹のジャズ喫茶ってのもビートニクの影響下な気がするけど、私はポエムや小説といった文学方面はちんぷんかんぷんなのでこの適当な推察は話半分にきいとくれ。

       

      村上春樹がついに伝説のビート詩人に挑んだ これは“事件”だ(2016年5月7日 デイリー新潮)

      https://www.dailyshincho.jp/article/2016/05071000/?all=1

       

      ビート・ジェネレーション(Wikipedia)

      https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%8D%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3

      ビート・ジェネレーション(英: Beat Generation)は、1955年から1964年頃にかけて、アメリカ合衆国の文学界で異彩を放ったグループ、あるいはその活動の総称。ビートニク(Beatnik)と呼ばれる事もある。生年でいうと、概ね1914年から1929年までの、第一次世界大戦から狂騒の20年代までに生まれた世代に相当する。

      最盛期にはジャック・ケルアックやアレン・ギンズバーグそしてウィリアム・バロウズを初めとするビート・ジェネレーションの作家たちは多くの若者達、特にヒッピーから熱狂的な支持を受け、やがて世界中で広く知られるようになった。またポエトリー・リーディングの活動も有名である。


      近年冷えとりで有名な服部みれいには詩人という一面もあり、何か呼吸法つながりらしい谷川俊太郎と朗読したりしてるの含めてビートニクなのかもしれない。谷川氏も昔はLSDやってたんだそうだ。

       

      服部みれいさんとの朗読会@自由学園明日館(谷川俊太郎*com)

      http://www.tanikawashuntaro.com/archives/681

      2013年3月3日は自由学園明日館の講堂にて
      服部みれいさんとの朗読会でした。

      意外なことに、お二人はこういった形で共演するのは今回が初めて。
      俊太郎さんのポエメールに、みれいさんがお返事詩、「レス詩」を書いて
      送ってくださったのが、この朗読会をやるひとつのきっかけとなりました。

      朗読会では、ポエメール&レス詩を交互に朗読したり、
      この日に先行発売となったみれいさんの処女詩集、
      『だからもう はい、すきですという』(ナナロク社)から朗読したり、
      創作についてのお二人のお話や、質疑応答、二人の私物大放出の
      抽選会もあったりして、濃密な2時間でした。

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      終了後の打ち上げにて、俊太郎さん、服部みれいさん、加藤俊朗先生。
      加藤先生は、俊太郎さんとみれいさんの呼吸の先生でもあります。
      この日は、なんと京都でのお仕事が終わった後に、
      打ち上げ会場にかけてつけてくださいました!
      加藤先生、ありがとうございました〜。

       

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      世界にはばたく

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        韓国検察、李明博元大統領を逮捕 歴代4人目(3月23日 日本経済新聞)

        https://www.nikkei.com/article/DGXMZO28471420T20C18A3FF1000/

        【ソウル=鈴木壮太郎】韓国のソウル中央地検は23日未明、収賄や横領などの容疑で李明博(イ・ミョンバク)元大統領を逮捕した。2017年3月に逮捕された、前大統領の朴槿恵(パク・クネ)被告に続いて、韓国では約1年間に2人の大統領経験者が身柄を拘束される異例の事態となった。

        李容疑者は大統領在任中に、情報機関の国家情報院から工作資金「特殊活動費」を大統領府に上納させ、その金を自身の側近に渡した疑い。検察が李容疑者が実質オーナーとみなす自動車部品会社「ダース」の裁判費用をサムスングループに肩代わりさせたことで収賄にも問われた。検察は収賄の総額が約110億ウォン(約11億円)、横領は約350億ウォンに上るとみる。

        検察は14日に李容疑者を事情聴取したが、容疑を否認。ソウル中央地検は19日にソウル中央地裁へ逮捕状を請求した。

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        KARAを筆頭に少女時代、ぐんちゃん、マッコリが伝来した2010年夏から11年末の第一次K-POPブーム時の大統領が李明博だった。あれから7年、元大統領だけではなく全盛期のK-POPを牽引していたアイドル達もまたことごとく没落、解散、脱退、逮捕、自殺、またTWICEの活躍もあって昨年時点で完全に世代交代している。

        少女時代は1人の脱退者を出すのみで10年ほど続いたけど、昨年3人が所属事務所SMエンターテイメントとの契約を更新しなかった。もはやメンバー半減したので、この先の活動がどうなるのかはよく分からない。

        でその3人て誰だったっけ。と思って今しがた検索してみると、ティファニーとスヨンとソヒョンだったので、ゑ?となった。名前分からなくとも、ソヒョンは先日オリンピックで北朝鮮の芸術団と手つなぎデュエットして抱き合う映像が何度か流れていたので見覚えのある方も多いのではないだろうか。

        そのとき「少女時代のソヒョン」てテロップ出てたし、ネットでニュース検索しても「少女時代のソヒョン」て出てくるのでてっきり残ったほうかと思ってた。先日も平壌で公演したというが、ソヒョンは前から吉永小百合ぽいノリだった。

         

        カー娘“もぐもぐタイム”で注目の韓国イチゴは「日本流出の品種」 斎藤健農水相が指摘(3月2日 産経ニュース)

        http://www.sankei.com/life/news/180302/lif1803020041-n1.html

        斎藤健農林水産相は2日の閣議後会見で、平昌五輪で銅メダルを獲得したカーリング女子「LS北見」のメンバーが試合中の休息時間「もぐもぐタイム」で食べて注目された韓国のイチゴについて、「以前に日本から流出した品種を基に、韓国で交配されたものが主だ」と指摘した。その上で、日本の品種保護を強化していく方針を示した。

         

        北朝鮮ばかりが注目された感のある平昌オリンピックだが、銅メダルのカーリング女子も負けてはいない。北海道弁「そだねー」と並びハーフタイムにおやつをほうばる「もぐもぐタイム」において北海道銘菓「赤いサイロ」とともに話題を集めたのが韓国のいちごで、これを受け政府はただちに日本起源説を主張したってな流れである。

        近年インスタ映えの需要にともない、韓国はソルビンやボンボンといったいちごスイーツを日本でもはやらそうとしてるために、もぐもぐタイムがクローズアップされたのも最初から仕組まれていた?!と疑心暗鬼になった。ソメイヨシノ起源説「王桜」も売り込んでるようなので、いちごと花見の本場が韓国になる日はきっと近い。

         

        Red Velvet、北朝鮮公演の感想「想像以上に大きな拍手」…金正恩夫妻も鑑賞(4月2日 Kstyle)

        http://news.kstyle.com/article.ksn?articleNo=2090540L

        朴槿恵政権のとき、北朝鮮に向かってでっかいスピーカーでK-POP流したせいで戦争寸前まで逝ったけど、文在寅の世になると日韓合意何其れ知らんがなとなり、少女時代が美女軍団と抱き合いレッドベルベットが平壌を訪問するまでにいたった。レッドベルベットはSM所属のガールズグループで、少女時代やTWICEとはいかないまでもK-POPの中では代表的存在であり、昨年発表した「赤い味」がオリンピックの入場行進とかスケートのエキシビジョンでも使用されていた。

        レッドベルベットはデビュー時もミュージックビデオが反日だと炎上していたし、もしかすると本当に「赤い」グループなのだろうか。それ以前にデビューしてしばらく髪型をおそろいにしてたださえ見分けがつかないのに余計見分けつきにくくするなど近年のK-POPの時流に逆行している点が多々見うけられ、曲も奇抜なのが多く結果SMにしてはいまいちブレイクしきらず後からデビューしたTWICEやBLACKPINKに先を越された印象である。

        そんなレッドベルベットの最新曲「Bad Boy」は初め聞いたとき地味な歌と思ったものの、網タイツを基調とした衣装と日本人ダンサーのリエハタがふりつけた腰をクイクイッとする踊りにしだいに私の心は奪われたのだった。しかしあんなハレンチな踊りが平壌で披露されたとは。

         

        初来日のMOMOLAND、大ヒット曲「BBoom BBoom」披露。日本デビューも決定「紅白に出演したいです! 」(3月2日 BARKS)

        https://www.barks.jp/news/?id=1000152470

        現在プムプムが大ヒット中のモモランド。名前の由来はミヒャエルエンデのロハス小説「モモ」であり、時間泥棒に搾取される現代人に癒しを与えるらしいが、そのわりに見た目も曲も騒々しい感じのガールズグループである。とくにジュイがかなりパンチの効いたビジュアルであるにもかかわらず、上画像を見てのとうりハーフ美女メンバーさえ押しのけセンターをじんどり、間奏部分で奇声をあげる姿には衝撃を受けた。

        日本のテレビに出たらネトウヨたちの恰好のえじきになるにちがいない。ただ現時点ではテレビで発表の場を与えられるK-POPアイドルはTWICEと防弾少年団などひとにぎりの売れっ子に限られているようだ。

         

        日本デビュー目前!NCT 127のAbemaTVオリジナル番組第2弾放送決定(2月5日 TVLIFE)

        http://www.tvlife.jp/entame/157565

        NCT127は前述のレッドベルベットと同じく一流アイドル事務所SM所属のグループだが、デビューして2年がたとうというにもかかわらずいまだこれといった代表曲がない。SMはEXOまではK-POPを牽引する存在であったのに、2,3年ほど前からだろうか、およそ大衆的とは思えぬアーティスト気取ったコンセプトを乱発し目に見えて迷走するようになった。

        NCTというグループも「127」のほかに「U」「DREAM」とか複数ユニットが存在、メンバーの入れ替わりや路線変更がめまぐるしく、127人はいないにしても人数が多すぎて国際色ゆたかな若き美男子たちに心ときめいた私も応援したい気持ちはやまやまだがまったくついていける気がしない。それに人数やユニット多いくせにいつも歌ってるの決まった2,3人ばかりで私が細くて可愛いと思っている中国人メンバーのウィンウィンは全くパートがないばかりか位置もいつもはじっこなので、中国人ことごとく辞めたり自殺者出るだけの闇をこの事務所に感じる。

        かっては我が世の春を謳歌したSMの没落を象徴するのがNCTなのであり、日本人メンバーのユウタがいることから日本進出はすでに決まっていたとはいえ、韓国で売れてないのに日本来るんかいな?と、またNCTやモモランドに限らず、新年度よりGFRIENDやApril、前述のレッドベルベットなどK-POPグループの日本デビューがめじろおしとなれば、少女時代やKARAに続けとたいして売れてないグループまでこぞって押し寄せてきた2011年ごろを思い出さずにはいられない。 ただ先日韓国で発表された新曲「TOUCH」はそれまでとうってかわってチャリティーソングばりの優しさあふれる楽曲で、いつも謎に冷遇(差別?)されているユウタとウィンウィンが珍しくその存在感を発揮、とくにウィンウィンは中性的な風貌を生かしベレー帽かぶって毎回アレンジした可愛い振り付けを披露していた。


        自然育児

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          国分寺のロハスなカフェに事務局を置く「自然育児友の会」が山西みな子助産師の指導を受けた母親たちで組織され、またその山西氏は桶谷式マッサージの桶谷そとみに師事していた。ってな話が前回までのロハス史なのだが、自然育児という概念において山西氏と並び重要なのが食物アレルギーの権威だったと思われる松村龍雄である。松村氏は1981年に「自然育児法―丈夫な体質をつくる」って本を出しているので、その後1983年にできた自然育児友の会の「自然育児」って言い回しも松村氏からの流れだろう。

          美健ガイドでおなじみ真弓定夫は自然「流」育児という言葉を用いているが、自然育児友の会の顧問も務めていたし、また自身が監修したマンガに「牛乳はモー毒」「断乳できない哀しい日本人」があることから、その思想は松村氏の影響下にあるものと考えられる。「断乳できない哀しい日本人」の表紙には牛さんのオパーイに人間がぶら下がっている絵がえがかれており、松村氏が1972年に著した「母乳主義―あなたの子どもは「牛」ではない」の表紙に酷似していた。

           

          出会い 〜一期一会〜「山西みな子先生」 - 松原まなみ

          http://www.matsumana.net/deai/index4.html

          私の人生にとって最も影響のあった出会いといえば、やはり助産師として、看護職としての恩師、山西みな子先生との出会いである。

          山西みな子先生は、桶谷式マッサージの創始者である桶谷そとみ姉に師事したのち、桶谷式乳房管理法の理論化と普及に努め、自らも東京中野区で自然育児相談所を開設され、2万人以上の母子のケアにあたられた。
          おっぱいが出ない、痛い、吸えない、といった母乳育児相談のほか、食物アレルギーの父、松村達夫先生と共に、母乳育児、食養生を通してアトピー体質を克服し、丈夫な体質をつくる「自然育児法」を広められた。

           

          母乳育児、自然育児法の理念はやがて統合されてTotal Breastfeeding(総合母乳育児)として大成された。
          山西先生やその弟子のケアを受けた母親たちは、この理念を子育ての指針とし、母親たちによる自助グループ「自然育児友の会」を発足させた。
          「自然育児友の会」は、日本全国のみならず、世界中に会員を持つNPO組織に発展し、一昨年の愛知万博「地球市民村」では、海外のNPOと共同して、1ヶ月間のブースを運営するまでの組織に発展している。
          母親達が母乳育児をとおして母子の絆を深め、食育手当て法による自然治癒力、自らのからだ、子どもののびゆく力への目覚めを体験した母親達のパワーは、私達専門家の力、働きを超えた広がりをもつ。

           

          共同したアメリカのNPO: Attachment Parenting Internationalが提唱する「愛着に満ちた子育て」の源泉は、実は、戦争直後の沖縄で目にした日本の伝統的な子育ての中に見たおんぶ添い寝母乳育児といった子育ての基本を、アメリカ人小児科医が本国に持ち帰って広めた子育て指針であったという事実に驚かされた。
          どんなに文化が違っても、社会が変化しても変わらない、失ってはならない、「ヒトが人として育つ」ための道筋を私達に示して下さった山西みな子先生のコンセプトは、師の手当て受けた母親達の活動によって、海外へも広がっている。

          ・・・

           

          日本母子ケア研究会とは

          http://boshicare.com/aboutus/

          日本母子ケア研究会の母体となったのは1980年頃から約25年続いた自然育児法研究会というユニークな勉強会です。自然育児法は故山西みな子先生と故松村達雄群馬大学名誉教授が提唱された食物アレルギー学説に基づく育児法でした。

          私たちは当時から「人間の赤ちゃんは人間のおっぱいで育てられるべきである」という自然界においては当たり前のことを現在の母乳育児普及運動に先駆けて提唱し続けて来ました。そして、母乳育児確立のために、全身を診ること、整えることを学び、温灸療法イトオテルミー、遠赤外線治療、ポラリティー、快医学、食事療法、手当法、漢方、中医学、ホメオパシー、アロマテラピー、抱っこ法、インナーチャイルドワーク、ダウジング、ヒーリング、気功などを母乳育児支援に取り入れてきました。

          ・・・

           

          自然育児はもはや「昔(母乳、おんぶ、抱っこ、添い寝)はよかった」をも通り越し、インナーチャイルド、ヒーリング、ホメオパシーなどと90年代のトラウマ全盛期以降も内容が進化し続けている模様。また上記引用によれば、日本母子ケア研究会のルーツも例によって1980年ごろらしい。

          また食物アレルギー研究ってことは、松村氏はいち早く牛乳とアレルギーの関係に目ーつけてたのかもしれない。牛乳とアレルギーの関係とは、牛乳に代表される戦後欧米化した食事がアレルギーやアトピーの一因ってなノリのことであり、じっさいに関係あるかどうかは私にはわかりかねる。

           

          https://www.amazon.co.jp/dp/454090065X/

           

          1.「食物アレルギーへの考え方の今昔」

          http://www.glico.co.jp/boshi/futaba/no74/con04_04.htm

          2.食物アレルギーの最初の考え方

          日本で、食物アレルギーという言葉を最初に唱えた人は、1970年前後に在任していました群馬大学小児科の松村龍男教授です。この先生が初めて食物アレルギーという概念を唱えたわけです。そのときの考えが、子どもが食事(抗原)を食べて、体に抗体ができて(感作と言います)、それによって反応が起こるという考えだったのです。

          ・・・

           

          今の常識は,将来の非常識(医薬ジャーナル社)

          https://www.iyaku-j.com/iyakuj/system/dc8/index.php?trgid=27603

          1900年初頭von Pirquetは,免疫現象のなかに相反する現象を観察し,アレルギーと呼ぶことを提唱しました。1905年SchlossmanやFinkelsteinが牛乳による食物アレルギーの症例を報告し,1921年PrausnitzとKüstnerがアレルギー反応における血清因子の重要性を立証しています。
          本邦における食物アレルギーの歴史を振り返るとき,私の母校である群馬大学小児科 松村龍雄初代教授と門下生の1960年からの約20年間における業績が挙げられます。1960年に米国よりダイズ粉乳を取り寄せ,牛乳アレルギー児の臨床症状を詳細に検討し,食物アレルギーを本邦へ紹介しました。胎内感作に関する研究として,臍帯血や羊水,新生児血,胎便からPCA法で卵白抗原を検出し,食物抗原が母親から胎児に移行することを示しました。さらに,人工流産した胎児の脾臓や肝臓のリンパ球が卵白特異IgGやIgMを産生することを見いだし,胎児の能動感作を証明しています。臨床研究では,食物アレルギーを「はっきり型」と「覆面型」の2つに分類し,前者は即時型を,後者は毎日のように食べる食物によって起こる病態を想定しました。アトピー性皮膚炎を後者によって起こる疾患と捉え,厳格除去食物療法を実施し,動物蛋白として蛇や蛙などを食べさせたことはあまりにも有名です。さらに,食物アレルギーの診断としてオープン試験の不確実性と二重盲検法の重要性を強調し,食物特異IgE抗体価との相関性がなく,抗体が証明されてもすぐに起因アレルゲンと同定できないことも明らかにしています。 

          ・・・

           

          乳製品の過剰で病気に(中野薬房ナチュラルインフォメーション)

          http://www.nakanoyakubou.com/ninfomes/nyuukabyou/nyuukabyou.html

          今から20年以上も前のことだと思いますが「あなたの子供は牛ではない」(群馬大学教授、松村龍雄著)という本を読みました。アトピーなどアレルギーの原因は牛の子供に与える乳を人間の子供に与えているからだという内容です。
          現在では牛乳に限らず卵をはじめとした異種タンパクが、未消化で高分子のまま腸管から取り込まれることがアレルギーの原因になることが分かっています。
          食養の分野では牛乳は「邪食」としてはじめから受け入れられていません。
          一方、栄養学者たちは吸収の良いカルシウムをたくさん含んでいるということから牛乳を推奨しています。
          果たしてどちらが本当なのでしょうか?

           

          上記引用によれば「あなたの子供は牛ではない」ではアトピーも牛乳が原因とされているとのことだが、今検索したかぎりではアトピーにかんする本が出てくるのがこれまた1980年ごろである。私がちょうど1980年生まれですでに同級生にアトピーはかなりいたので、相当爆発的に増えていたのかもしれない。

          そういえば今アレルギーでもっとも人口が多そうな花粉症にしても、20年以上前に愛ラブ爆笑クリニックでスギ花粉がファサーと舞うアルガードのCMやってた気がするのだが、その時点ではリアルに花粉症の患者を見たことがなかったし、今くしゃみしてる奴等もここ20年くらいで発症していると思われる。花粉症やアトピーの前はどっちかというとぜんそくのが多いイメージだ。
          戦中戦後の日本は本当に貧しかったので、アメリカ小麦戦略や給食が広めた動物性の脂肪やたんぱくに富む栄養バランスの良い食事は体位向上に寄与し、また衛生的なダイニングやキッチンも経済成長をめざす日本人の憧れであったにちがいない。しかし1980年ともなるとおそらく世の中は成熟しており、団地とか応接間とか家具調みたいな、高度経済成長期の豊かさダサッてな時期に来ていたと思われるし、アトピーのような未知の病気、また乳、卵、小麦といったアメリカ小麦戦略ぽい食材に対するアレルギーが顕著など複合的な要因が重なってロハスの「戦後や欧米化は悪」といった価値観を形成していったと思われる。

          ただこのブログで何度か書いているように「あなたの子供は牛ではない」説聞くようになったのはここ10年くらいの話であり、少なくとも1990年ごろまで牛乳に関する議論はオバタリアンや生協による、ノンホモでパスチャライズなほんとうの牛乳が飲みたい。ってノリが優勢だったのだ。それが自然育児友の会も参加した愛・地球博の2005年頃にロハスがチーズタッカルビの100倍くらいゴリ押された折、マクロビオティックや助産院、母乳育児の流れに通ずる「あなたの子供は牛ではない」も何らかの形で広まったと考えられる。

          ロハスでは紙おむつ害悪論も根強いけど、1980年はまだ紙おむつ普及していないのでちょっと後の話だろう。それにかんしていうと自然育児友の会はホーローのおまるを用いるおむつなし育児を推してた。

           

          先輩ママに聞く 「冬のおむつなし育児」(YouTube)

          https://www.youtube.com/watch?v=zvVySAoJrfI

          自然育児友の会radio 12月16日に開催された「おむつなしお茶会」(東京国分寺)から 冬の季節ならではの、おむつなし育児についてのママの悩みについて、お茶会でのお話をご紹介しています。

           

          おむつなし育児はマスゴミが自然なお産とか言ってた2009年あたりにゴリ押されているが、その前の歴史が見つからない。ロハスがだいたい1980年代に出そろっているにもかかわらずである。

          2000年代半ばより経血コントロール(ナプキンではなくトイレで経血を排出する)という概念を提唱していた三砂ちづるがその2009年に「赤ちゃんにおむつはいらない」って言い出してるので、おむつなし育児ってのは経血コントロールの赤ちゃん版なのだろう。紙おむつ害悪論は紙おむつが普及しだした時点ですでにあったようだが、おむつなしとなるとわりと歴史は浅いのかもしれない。


          母乳と産婆

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            ロハス史振り返るシリーズで7,8回書いたように、戦後ありがたってきたアメリカの文明よりも自然や昔の知恵こそがガチ。というロハス的価値観が完成されてくるのは1980年代というのがわが持論なのであるが、ヒッピーが目をつけたラマーズ法のブレイクによって産婆や助産院が見直されてきたのと同様、粉ミルクがオシャな時代から母乳に移行してくるのも1980年ごろと考えられる。そもそも人によって程度の差はあれ助産師が母乳至上主義みたいなことになってて、自然なお産をマスゴミがゴリ押してた2010年前後も、助産師のゴッドハンドによる母乳すごい出るマッサージだの、デカパイになるマッサージだのが、テレビや雑誌で頻繁に紹介されていた。

             

            2012年2月29日放送 22:00 - 22:54 フジテレビ ザ・ベストハウス123(TVでた蔵)

            https://datazoo.jp/tv/%E3%82%B6%E3%83%BB%E3%83%99%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%8F%E3%82%A6%E3%82%B9123/548260

            15秒で母乳が溢れる!奇跡のゴッドハンド 平田喜代美

            厚生労働省の調べによると、出産後の母親の48%が母乳が出ない・不足気味と悩んでいる。母乳が出ないため乳腺炎になりやすいというリスクがある。母乳専門のコンサルタントをしている平田喜代美を紹介。

            キーワード
                乳腺炎厚生労働省

            福岡市にある、平田さん経営の施設の待合室には連日母乳が出ないという女性でいっぱいになる。マッサージを受けた女性はおさえなくても母乳がでるようになったとコメントした。

            母乳が出ない女性達を救うゴットハンドによるマッサージ。マッサージを初めて15秒で噴水のように母乳が出てきた。マッサージで母乳が出る仕組みが解説された。

            母乳が出ない女性にはある共通点がある。母親が食べたものが母乳になるが、刺激物や高カロリーのものばかり食べているとまずい母乳になってしまう。子供が乳首を吸わなくなり、母乳が出ていないと勘違いをする母親が多い。 平田喜代美さんは「おっぱいの事は学場所がないから、それを伝えていきたい。ものを言わないで体中で悲鳴を揚げている赤ちゃんたちの代弁者としてしっかりお母さん達に伝え続けていきたい。」と話す。

             

            これ↑はごく一例だが、この頃特集された助産師はしばしばゴッドハンドと形容され、マッサージに限らずこれまで○人の赤ちゃんをとりあげたからゴッドハンド・・・ってな使われ方もしていたように記憶している。あと自然なお産で子供が「産まれる」ことで○○(絆とか)が「生まれた」みたいな言い回しも多かった。

            番組に出演していた平田喜代美は美健ガイド「おっぱいはえらい!!―母乳育児を取り戻そう!」の監修も務めている助産師で、プロフィールによると「1981年10月平田母乳育児コンサルタント開業」とあるので、やはりここでも1980年ごろと呼べる時期である。平田氏は桶谷式に影響されて母乳の相談やマッサージを始めたのだった。

             

            https://www.amazon.co.jp/dp/4894720930

             

            【福岡・福岡市】平田喜代美(ひらた・きよみ)助産師(西日本新聞)

            http://www.nishinippon.co.jp/nnp/lifestyle/shoku/koushi/k01/post_1.shtml

            母乳育児が、昭和四十年代ごろから牛乳を元にした人工ミルクに取って替わられたことが、どこかで現代の病理現象と結びついていると私は感じている。
            母乳育児は母子で心を通わせることで、子どもには人間への基本的な信頼感をはぐくみ、母親には母性愛を呼び起こす大切な営みなのだ。
            引きこもりや不登校、いじめなど、子どもを取り巻くさまざまな問題は、乳幼児期に母乳育児を受けなかったことが遠因となって起こっているのではなかろうか。母親の乳幼児虐待も、根っこには人工ミルクの授乳による母子分離のケースがあると思う。

            「人間が人間のお乳を飲むという原点を取り戻すことが地球を救う原点」とアピールし、母乳育児を指導する助産院「おっぱい110番」を開業して、二十年以上が過ぎた。母乳育児の大切さが少しずつ理解されてきたように思う。産婦人科の病院などにも母乳外来を設けるところが増えてきている。
            「おっぱい110番」には開業以来、これまでに約一万人の母親が訪れた。母親に対し、よい乳質のお乳をたくさん出してもらえるように桶谷式マッサージを乳房に施し、和食中心の食生活を指導する。乳児が歩くようになるまでは母乳をしっかりと飲ませてもらい、二歳前後で断乳して母子分離をしてもらう。
            この間、心身の発達やアレルギー、しつけなどの育児問題だけでなく、夫婦や嫁姑(しゅうとめ)間の人間関係なども含め、さまざまな悩みの相談にも応じてきた。
            母親たちの学習グループの活動が元になって、育児大学講座とゼミを開設。日本の伝統食作りを習い、オモチャづくりなどを楽しんでもらうなど、総合的に育児を支援している。

             

            平田氏の主張では母親が欧米化した油っこい食事をとると母乳がドロドロして詰まり、和食はサラサラで美味ってな感じで、これオリジナルの桶谷助産婦が言い出したことなのかもしれないけど、NHKでアメリカ小麦戦略を特集した「食卓のかげの星条旗 〜米と麦の戦後史〜」が放送されたのも1978年だったりするので、それまでのバランスや動物性たんぱくを重視した「栄養」を見なおし、日本人なら肉や乳じゃなく野菜や米(玄米)食べようよ。と、戦後しばらくパンに押されていた和食やマクロビが見直されたのもやっぱり1980年代なんじゃなかろうか。生協が牛乳、卵、肉を重視しているのを見ても、専業主婦文化花盛りの1960〜70年代ごろはまだ欧米化な食事は悪ではなく、ダイエットにしても生野菜サラダをいっぱい食べるとかそういう方向性だったと思うのだよね。

            なお母乳出なかったらミルクでいいって助産師さんもいるようだが、平田氏にかんしては食事指導等かなり厳しいだろう。というわけで桶谷式もやはりラマーズ法同様、助産婦界で同時期に人気爆発したイメージがなんとなくある。

             

            「−母子一体性の原理− * 桶谷式と私 」

            http://www.oketani-kensankai.jp/html/meet-episode6.html

            恩師、桶谷そとみ先生との邂逅から早25年になります。今の私があるのは、先生のお陰と心から感謝しています。

            30年前、「桶谷式」は、世間に一大センセーションを巻き起こしました。「痛くなく、母乳がよく出る」とのキャッチフレーズの下、医学界を始め助産師界、いろいろなマスコミ界の注目する所となりました。
            私も、早速桶谷式の門下生としてお許し頂き、1985年から2年間、先生から直接御指導を頂きました。
            先生はまさに、母子の為に、母乳哺育の普遍化の為に、又、私達助産師の育成の為に一生を捧げられた方でした。
            その情熱は、時にお母さんや助産師を感動させ、涙を誘う事も度々でした。

             

            桶谷式乳房治療手技研鑽会が作られたのが1980年、「桶谷そとみの母子一体性の原理」って本が1983年に出ており、また上記引用に30年前桶谷式が一大センセーションを巻き起こして1985年から桶谷先生の指導を仰いだってな助産師さんの記述があり、いつの時点から30年前なのか分からないのだがわが歴史観にもとずき80年代初頭に桶谷式がさかんに紹介されていたにちがいないと勝手に解釈した。また助産婦にかぎらず山本高治郎著「母乳」(1983)山内逸郎著「母乳は愛のメッセージ」(1984)内藤寿七郎著「赤ちゃんの命を守る母乳のはなし わが子の一生に影響する乳児期の栄養法」(1984)根津八紘著「母乳で育てる! オッパイの出し方・飲ませ方」(1985)など、80年代前半より母乳本の出版があいついでいることがインターネット検索で判明した。

             

            https://www.amazon.co.jp/dp/4787702009/

             

            また桶谷助産婦に師事していた山西みな子「母乳で育てるコツ」上画像の増補改訂版は2002年に出ているが、オリジナルは1984年となっている。その前年、山西氏の指導を受けた自然育児友の会が発足しており、この会は美健ガイドでおなじみ真弓定夫先生が顧問だったり、2000年代には愛・地球博に参加したり、反原発イベントであるキャンドルナイトを日本で始めた辻信一の「カフェスロー」に事務局が移転したりと完全にロハスに進化した。

             

            特定非営利活動法人自然育児友の会

            https://fields.canpan.info/organization/detail/1161375223

            1983年
            自然な育児をめざす母親たちのサークル「Natural Aid Circle」としてスタート。

            自然育児相談所の山西みな子先生に母乳育児の指導をうけた母親たちが、中心となって、毎月一回集まりながら手作りの会報を発行した。

            母乳育児のお母さん同志の知恵のつたえあいからスタートした会は、自然にのびのびと子どもを育てたい育児サークルとして
            都内のお母さんたちの間で少しづつ広がっていく。

            2000年からは、自然育児にかかわる人とモノが集う「マザリング・フェスタ」を、年一回開催。
            (会場は、早稲田奉仕園、日赤看護大学、三鷹産業プラザ等。2009年は、府中市ルミエール府中で開催の予定。)

            2000年10月
            事務局を豊島区に置き、NPOとして、より広く社会にむけて、母乳育児の講座や、自然育児についての情報発信をはじめる。

            2005年6月、愛・地球博「地球市民村」に参加。米NPOアタッチメント・ペアレンティング・インターナショナルと協働して、親子の早期の絆作りの大切さを伝える「赤ちゃんと絆館」を出展。
            この年、事務局を三鷹市に移転。

            2006年8月 「子育てはスピリチュアル 親子合宿」(ファシリテーター:井上ウィマラ氏)をスタート。以後、毎夏行う。

            12月、音楽イベント「スローマザー・ギャザリング」開催。このイベントでの出会いをきっかけに、カフェ・スロー(府中市)の一角に、事務局を移転。赤ちゃん連れが遊びに来ることができる子育て広場をスタート。


            2007年5月 代々木オリンピックセンターにて、「お泊りミーティング」を開催。(翌年から、毎年母の日に開催。)

            2008年 6月 国分寺市に事務局を移転。

            他のNPO・市民活動団体との協働、他の学協会との共同研究・協働の実績
                
            ・米アタッチメント・ペアレンティング・インターナショナルとの協働
            ・津田塾大学 三砂ちづる教授の研究プロジェクト
            赤ちゃんにおむつはいらない〜失われた身体技法を求めて〜』に協力


            宮殿

            0

              カンブリア宮殿 Ryu's Eye (生活クラブ連合会 顧問 河野栄次)

              https://www.youtube.com/watch?v=Qh6ZUWVoAkQ

              この前テレビ東京の番組で生活クラブやってたらしい。↑パスチャライズ牛乳(低温殺菌)

              できることなら生協の記事書く前に見たかった。岩根夫妻ともう1人若い男の子が創業メンバーだったみたいなのを本で読んだことあるので、それがスタジオ出演してた河野栄次顧問だったんだろう。

               

              [昭和44年10月] 中日ニュース No.824 1「“チクロ”ショック!」(YouTube)

              https://www.youtube.com/watch?v=W-bVRLDBswk

              主婦つながりということでオバタリアン動画鑑賞。チクロというのは昔菓子などに広く使われていた人工甘味料で、発がん性と催奇性が指摘され、日本ではこの動画の1969年に使用禁止になったことで大騒ぎになり姿を消した商品もあるが海外ではまだ使用されてる。ってWikipediaに書いてた。

              こんにち人工甘味料といえばアスパルテームやエリスリトール、トレハロースなどが思い浮かび、なかでもダイエットで人気なアスパルテームは本当に体に悪そうな甘さなのだが、チクロにかんしては砂糖よりも廉価で美味だったとする意見がある。ほかにズルチン、サッカリンなどの甘味料がかってポピュラーだったという。

               

              第4回「チクロは旨かった」の巻(まぼろしチャンネル)

              http://www.maboroshi-ch.com/old/sun/pha_12.htm

              子どものころ、粉末ジュースも瓶入り清涼飲料も現在のものよりおいしかった気がする。ヒトは自分の子ども時代の文化と風俗至上主義に陥りがちであるが、食べ物の味は確かにいまより昔のほうがうまかった。昔の味を知らなければ別にどうってこともないのだけれど。
              たとえそれが人工ものであってもだ。飲料がおいしかったのは、人工甘味料にチクロを使っていたからだ。以前、「あなたの希望を叶えます」的な趣向を持つテレビ番組で、故林家三平の奥さんが、夫がテレビで宣伝していた渡辺製菓の「しるこの素」を再現して欲しいという企画があった。試作品を食べた奥さんは「なにかが足りない」とひとこと。甘味がチクロじゃないからだということになり、名古屋にある製菓メーカーの社長が、記念にチクロを金庫にしまってあるということで、それをみせてもらっていた。私以外にも「チクロ」のほうが砂糖よりもうまいことを覚えている人がいるのだなと嬉しくなった覚えがある。発がん性があろうとなかろうとうまいものはウマイ。ダイエット飲料に使われている「ステビア」や「アスパルテーム」の薄っぺらい味ではあの味はでない。

              「チクロ騒動でデパートにはすばやく自然食品コーナーが出現しました」

              「危険なチクロの使用はパンから味噌、しょうゆまで加工食品27品目にもおよぶとあって、台所をあずかる主婦にはショック」

              このあとマウスの実験の映像が出てきて、胎児が奇形になることが分かった。みたいなこと言ってるのだが、この頃って合成洗剤にしても危険な化学物質といえばとにかく奇形児。しかし私が日本消費者連盟の本にガクブルしてた30年くらい前だと「発がん性」はあっても、すでに奇形児とは言ってなかったと思う。

              どうもチクロといえば粉末ジュースらしい。粉末ジュースってのも、ウソツキ食品全盛期にはジュース名乗ってたけど途中で三一新書あたりからお前はジュースなんかじゃねぇと言われ、通称として残ってるだけなのだろう。

              「東京の主婦連本部には、不信にとりつかれた主婦が食品検査の依頼にあとをたちません」

              ウソツキ食品全盛期の昭和40年代は消費者運動の映像に絶対主婦と商品テストが出てくる。これはオバタリアンではなくマンガでよく見るタイプの明治生まれ婆さんだが。

              主婦連は戦後すぐから存在し、前述の生活クラブ始め生協に影響を与えていると思われる。また動画の中で日本酒の防腐剤についても言及されているがこれはたぶんサリチル酸のことで、やはりチクロと同じ昭和44年に全廃された。

               

              酒文化研究所

              http://www.sakebunka.co.jp/archive/20kuriyama/20kuriyama02.htm

              −この世紀に、腐造が多くたいへんリスキーだった清酒造りが安定したものに変わり、産業化していきました。
              栗山 本当に安定したと確信がもてたのは今世紀後半の昭和44年からでしょうね。
              −と言うのは?
              栗山 業界としてサリチル酸の全廃を達成できたからです。この時は、マスコミや世論のはげしい声に呼応して全国の蔵元が防腐剤の使用を止めたのです。
              しかし、当社はそれより60年も前の、明治44年、今世紀前半に「防腐剤ナシ」の商品を本格的に売り出しています。これは非常な冒険でした。その頃はまだ業界全体の技術レベルも上がっていない。それをあえて発売にふみ切ったのは、「お客さんが安心して飲める酒でなければならない」という、今でいう消費者志向の信念がすでにあったからだといえるでしょう。
              ・・・
              しかし、「防腐剤ナシ」の出荷では、ずいぶんと失敗もしています。東京に着いたらほとんど腐っていたケースさえあったという。当時、火落菌というのは何千種もあるということは学会でもまだわかっていませんでした。私が業界に入った50年前でさえ、学会での研究発表も、研究者それぞれが違う菌でやっていました。だから、殺菌温度60度、5分でよいというのも、たまたまその研究に使った菌がその条件で死んだだけの話。さすがその頃になったら「先生の使ってるのはどんな菌か」くらいは質問がありましたが、当時はまだスライドがないから「黒板に絵を描きます」という程度(笑)。後に、乳酸菌研究の大家・北原覚雄先生が膨大な数の火落菌を分類されて、それぞれに属する菌がわかり、その対策も系統的にできるようになっていった。
              それから10年ほど経って、昭和36年、サリチル酸を飲食物に使っては駄目だというWHOの勧告もでてきた。ついで昭和44年のチクロ騒ぎの時に、マスコミが清酒のサリチル酸も取り上げてしまったから、さあ、たいへんなことになった。

               

              [昭和45年5月] 中日ニュース No.853 1「安売りとはいうけれど」(YouTube)

              https://www.youtube.com/watch?v=nDc8bs1rVwY

              チクロショックの翌年の動画にも主婦連が出てきた。トレードマークのしゃもじにチクロ、不買、とかなんとか書いてる。


              俺を

              0

                マックフルーリーのオレオ増量した超オレオ♡オレオ好きなのでもはやフルーリー抜きでもいいくらいなのだが、ここんとこマクドナルドはメンチカツだチーズだタルタルだと、限定品でデブのハートを容赦なくわしずかんでくる。

                そういえば最近ヤマザキからノワールというオレオが発売され、日本製なのでやっぱり中国製のオレオよりおいしいんだろうか。と思って食べてみたものの、私はオレオの上と下をはがして食べるのが好きなのにはがれなかったし味もオレオの方がおいしく感じられノワール派にはならなかった。ヤマザキビスケット社は「ルヴァン」「ノワール」などと、ブルボンばりのヨーロピアンなネーミングでナビスコのアメリカンなイメージを捨て去ろうとしているが、怪しげなパッケージと相まっていささか陰鬱な印象を受けてしまう。

                もちろんフルーリーはノワールではなく中国産オレオである。明日からはあまおう苺のマックフィズとマックフロートが始まるそうだ。

                ここ5,6年ほど春になると桜味がよく出回る傾向があり、マックフィズもさくらを出していた(珍しく桜餅味ではなくさくらんぼ味だったはず)と思うのだが、今年は桜にくわえてあまおう味が多い。秋によく出たさつまいも味と栗味の菓子類がそれぞれ「安納芋」「和栗」などと種類を細かく指定することで高級感を醸し出しており、苺もまた同様「いちご味」って書くよりも「あまおう苺の○○」って書くことでいちご味のチープなイメージを払拭しようとしている。

                 

                マクドナルドの17年12月期、純利益最高 新商品など好調で(2月13日 日本経済新聞)

                https://www.nikkei.com/article/DGXLASFL13HJW_T10C18A2000000/


                ヒッピーと産婆

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                  かって自宅出産は普通だったけど、オバタリアンが子供産んでた高度経済成長くらいになるとだんだん病院にとって変わられ、母乳出るのにわざわざ粉ミルクをあげる人も少なくなかったという。戦争に負けた日本人にとっては欧米化が民主的で科学的で格好よく、食や衣服や住居はもちろんのこと出産育児にかんしても赤ちゃんがベビーベッドで泣いてても甘えん坊になっちまうからと放置するようなアメリカ式であり、自宅に産婆呼ぶとか畳の部屋に布団しいてちちほり出して添い寝、抱っこやおんぶしてあやす、といった昔ながらの遅れた因習は貧乏臭っということになり、廃れていったと考えられる。

                  しかし10年ぐらい前、吉村医院や助産院の「幸せなお産」とやらがチーズタッカルビばりにごり押されてた影響もあってか、分娩台よりも医療が介入しない畳の部屋でのお産や母乳の方がガチと考えるママさんも今じゃ珍しくなくなった。わが歴史観においてロハス的価値観が完成されていくのは1980年ごろってのが持論なのであるが、やはりお産も例外ではなく70年代後半から80年代にかけて三森孔子という助産婦が中心となって提唱したラマーズ法がさかんに紹介されている。

                   

                  「お産の学校」: 私たちが創った三森ラマーズ法<1>(地球人スピリットジャーナル2.0)

                  http://terran108.cocolog-nifty.com/blog/2014/05/post-9a76.html

                  まず、自己紹介しましよう。名前は三森孔子。孔子(こうし)と書いて、よしこと読みます。職業は産婆です。いまは産婆が好きで好きでたまらない、しあわせな人間です。どうして産が好きかって言いますと、人が人生でいちばん喜ぶ瞬間、いちばん感動する瞬間に立ち会えるからじゃないかと思います。p25「無理をしないで楽しく産もう」

                  この三森さん(1928年福島県生まれ)を迎えて、西荻のほびっと村で「産婆の学校」が始まったのは、1977年のことだった。

                   

                  70年代カウンター・カルチャーの中では、自分たちで自宅出産しようという雰囲気があった。私たちも、他のコミューンでのレポートをもとに勉強会をひらいて準備をしたのだった。

                  ・・・

                  キク 私は仙台にいたころ、仲間と共同生活をしてたんだけど、そこに住んでいた女の子たちが、みんなで出産をやっちゃおうなんて・・・・・。あのころ、ああいうのはやっていたのよね、75年のころだったかな。それで、北海道に1人で産んじゃった人がいるって聞いて、みんなで「女のからだ」なんかを参考にして勉強したんだけど、みんな、わけがわからないわけよ。

                  経験者は1人しかいなかったし、ラマーズ法も何もわからなくて、決死の覚悟のなかである人が産んだってわけ。

                  ・・・

                  そこで自然分娩とか、女のからだのこととか話に出て、私は男との関係や自然分娩にすごく興味があったのね。で、「やさしいかくめい」でも、それをとり上げようってことになったとき、たまたまお産婆さんで、すごくいい人がいるって話になって・・・・。友達どうしできこえてくるの。あの人も三森さんで産んだ、この人も産んだっていうふうに・・・・。

                  ユキ ああ、そのころから三森さんとこで始まってたわけね。

                  キク で、三森さんに、自然分娩の原稿を書いてほしいて頼んだわけ。まずはお話を聞きたいって。それでここに来て、私がいままでどれほど知らなかったか、よーくわかってサ。

                  みえ 知らなかったって、お産に関して?

                  キク いろいろ。まず分娩に関して言えば、それまでカッコよく言っていたわけね、自然分娩じゃきゃだめでだとか、医者なんか絶対悪いとか・・・・・。ところが、自然分娩のどこが、どうしてよいのか、全然知らなかった。

                  ユキ そのへんはピッタシね、私たちが始めたころと。それが三森さんと結びついたことによってかなりの部分、ピシャっとはっきりしたわけね。

                  キク 一回話を聞いて、自分のからだのことはともかく、お産の何がよくて何が悪いのかってことがわかったわけ。

                  そのとき、たまたま私の友達がおなかが大きかったの。4か月くらいだったかな。で、三森さんとこで産んでみないか、と言ったら、彼女も、病院はいやだ、自然分娩にしたい、と思っていたから、さっそく一緒に行ったの。

                  でも、私がお産に立ち会うなんていうのは、その子がすごくいやがると思ってたんだけど、そのうち、向こうのほうから「立ち会ってくれないか」って、コロッと言ったわけ。その立ち会いで、私、三森さんと親しくなったのね。それまでは、編集者と原稿書いてくれる人の関係だったんだけど・・・・。

                  そのころ、いっしょに編集やってた男の子が、そんないいお産をやってる人が見つかったんなら、「産婆の学校」をやってみないかって言われてね、三森さんに「産婆の学校やってもらいたいんだけど」って話したら、三森さんもけっこう乗って、「あ、いいですね、いいですね」って言ってくれたわけ。p261「ひょんなことから『産婆の学校』を」

                   

                  記事中に自宅出産する絵が引用されているアリシア・ベイ=ローレル「地球の上に生きる」、近年では冷えとりの本で著者の写真を見たことがある。確か靴や家の作り方とか書いていたような気がするけど、程度の差こそあれヒッピーおよびロハスはこの現代社会で科学技術に頼らず、ときにGHQに葬られた昔の知恵を掘り起こしながら手づくりや自然の恵みだけでどれだけ暮らせるかに挑戦し続けている。

                  「ほびっと村」は西荻窪にあるヒッピーの館で、ほんやら洞ていう有名な喫茶もあった。このへんは前ブログに書いた気功の津村喬や雑誌「80年代」とも重複してくるが、70年代半ばおそらくすでに病院出産が普通になって産婆文化が滅亡せんとする時期に、医療の介入しないお産がガチって情報を米西海岸から敏感にキャッチした日本の最古参ヒッピーがクチコミで評判だった三森助産院を発掘したとみられる。

                  助産婦とか出産じゃなく「産婆」「お産」って言葉を使うのは暗黙の決まりみたいんもんなんだろうか。10年前の自然なお産&胎内記憶ゴリ押し時は助産師と呼んでいたが、やっぱり看護婦や保母さん同様に助産「婦」がダメになった時点で「婆」もポリティカル的によろしくないってことになったのだと思われる。

                   

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                  商品の説明
                  内容紹介

                  工業製品に頼らず、自分の手でものを作り、大地のリズムに従った生活をするための手引き。農作業、料理、1人でするお産など、全頁イラスト入り、書き文字の本。

                   

                  https://www.amazon.co.jp/dp/4794215487/

                  著者について

                  アリシア・ベイ・ローレル
                  1949年カリフォルニア生まれ。ハイスクール卒業後、全米をヒッチハイクして回り、西海岸に戻ってからウィーラーズ・ランチというコンミューンに落着いた。そこでの体験を描いたものが『地球の上に生きる』(草思社)である。

                   

                  またほびっと村「産婆の学校」の3年ほど後の1980年には、お産革命の記事をきっかけに三森氏に影響を受けた杉山次子による「お産の学校」というのもある。杉山氏は助産婦ではなかったが、ラマーズ法の普及活動をしていたそうだ。

                   

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                  杉山氏による「もういちどおんぶにだっこ」は1986年の本だそうで、鮮明な目次画像があったので読んでみると「伝統的子育てには赤ちゃんとのスキンシップがふんだんにある」「母乳で育つと舌やあごが発達し、言葉も早い」「添い寝が子供の自立を早くする」「母と子の会話はおんぶに抱っこから始まる」「母乳の成分バランスはそれ自体が健脳食」「おっぱい体操とマッサージ」など、戦後軽視された母乳や添い寝を再評価する内容のように思えた。しかし見たところ、ヒッピー的な自然育児ってよりも、胎教や伝統的子育てで賢い子供を育てようという英才教育みたいなノリで、表紙画像を見ても0歳教育だのカードだの、これ七田眞(胎内記憶、七田式)じゃないのか?と思ったら、やはり共著者である水野茂一って人が七田氏と関係あるようだ。

                   

                  「いのちのレポート1980」出産・子育て・そして性をひらく 「やさしいかくめいシリーズ2」(地球人スピリットジャーナル2.0)

                  http://terran108.cocolog-nifty.com/blog/2014/06/1979---cc55.html

                  この号はまず編集が「末永蒼生+浜田光+星川まり+細田喜久江」、となっている。あらためて当時のスタッフやその周辺のネットワークが思い出される。30人ほどいる執筆者の中には、今になって、ほう、と思うような人も含まれている。

                   

                  さて西荻窪のヒッピーの館ほびっと村で編集された雑誌「やさしいかくめい」の2号(1979年11月)は出産特集ということで、表紙の画像を見ると三森助産婦のほか雑誌「80年代」にも出てくる元ヤマギシ会の新島淳良やトランスパーソナル心理学の吉福伸逸などそうそうたる名前が並んでいる。編集の星川まりは俳優で有名ないしだ壱成の母親にあたる人物で、いしだ氏もまた屋久島かどっかのコミューンで生活していた時期があったはずである。

                  また末永蒼生も1973年には三一書房から「生きのびるためのコミューン 幻覚宇宙そして生活革命」ていう何やらサイケなタイトルの本出してるけど、80年代から子供とか色彩とか言い出し、ルーズソックス時代には震災で傷ついた子供の心を絵で癒すみたいなことになってたので、やっぱり90年代トラウマ全盛期にはチャイルドとか内なる子供とかセラピーとか言ってたのだろう(下画像参照)。というわけで、この「やさしいかくめい」の出産特集号が「いのちのレポート1980」であるあたりからも、やはり1980年という時期がロハス的に重要なのだとあらためて思った次第である。

                   

                  https://www.amazon.co.jp/dp/430923044X/

                  内容(「BOOK」データベースより)

                  心を元気にする色彩の不思議!絵を描く愉しみ、色を使う愉しみは、心の痛みを喜びに変える魔法の力だ。色彩心理の第一人者が明かす、カラーセラピーのエッセンス。
                  内容(「MARC」データベースより)

                  「子どものアトリエ・色彩学校」を30年間主宰してきた著者が、その体験に基づいて築いた色彩セラピー法の集大成。子どもの絵、その色彩が現代の疲弊した大人の心を癒すとして、自らの内なる子どもに再会する法を紹介。


                  子供たちは傷ついた

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                    胎教博っていう10年ぐらい前のスピリチュアルなイベントに胎内記憶とホメオパシーと助産師が一堂に会してる動画、胎教とか胎内とか言うくらいなのでこの人たちのあいだで胎児は皆が思うよりずっと全てを分かっていることになっており、お母さんも優しそうな人を空の上からより好みしてるし、不自然なお産(分娩台、陣痛促進剤、帝王切開)だと、赤ちゃん生れる前はママをよろこばせるんだ。っと意気込んでたくせに、矢島助産院や吉村医院みたいな昔ながらの落ち着いた畳の部屋で自然にこの世に生まれたかったのにテンション下がるわー。と、人生早々トラウマを抱え将来グレるってな思想を共有してる気がした。今は胎内記憶絵本で世のママたちをほっこりと癒す絵本作家のぶみも過去には池袋連合で160人もの不良をまとめてたって話なのでさぞ不自然なお産だったにちがいない。

                     

                    胎教博2007ダイジェスト 七田眞 池川明 由井寅子 高橋丈夫 須江孝子 傳田文夫 MIKIMIKI(YouTube)

                    https://www.youtube.com/watch?v=BD40MoewW58

                     

                    子どものこころを理解しよう〜バーストラウマ〜

                    https://www.ichigojyutsu.com/parent-child-relationship/birthtrauma/

                    出生時は以下の理由でバーストラウマが発生すると言われています。
                    現代医学に基づいた出産法をとること。
                    陣痛促進剤などをもちいていること。
                    帝王切開・吸引分娩などで生まれていること。
                    ・陣痛や出産が始まることにより、へその緒からの酸素と血液が途絶え、赤ん坊が酸欠状態になり、死の恐怖を覚えること。
                    ・難産などで、赤ん坊が蘇生処置を受けていること。
                    ・笑気ガスやモルヒネを出産時に用いていること。

                     

                    地球上で生きる人間、誰しもが経験する母親のお腹から出る経験、出生。

                    出生がバーストラウマの要因になるなんて、と驚かれる方もいるかもしれません。

                    しかし実は、出生が一番バーストラウマの要因になりやすいと言われています。

                    ここで赤ちゃんの立場にたって出生を考えてみましょう。

                    母親のお腹の中で、羊水にぷかぷか浮かび、外界の刺激を羊水を通して穏やかに感じながら、過ごしてきました。

                    それが出生のプロセスで一変します。

                    狭い産道を通るときは、赤ちゃんにとっても死をも意識する相当な苦痛だと言われています。

                    母親が出産中に呼吸を止めると、赤ちゃんも酸欠状態になってしまいます。

                    そうやって苦労して生まれてたところはまぶしい光に機械音、見知らぬ人がたくさんいる分娩室。初めて経験する重力と乾いた空気。

                    出生のプロセスを

                    「のどかな田園からいきなり車と機械のひしめくニューヨーク市のど真ん中に連れていかれるようなものだ」

                    と表現した産科医もいます。

                    もし赤ちゃんに意識があれば、心の傷になってもおかしくないのではないでしょうか。

                    ・・・

                     

                    医者に現代医療で無理くり出されてトラウマを抱えた幸先悪い赤ちゃんと違い、自分のペースで生まれてきた自然なお産、別名幸せなお産の赤ちゃんは「俺やったよ!」と、達成感で満たされることであろう。胎教や出生外傷という概念は戦前からあったようだがそこまでさかのぼると収拾つかなくなるので、とりあえずトラウマやインナーチャイルドって言葉が消費されるようになったと考えられる90年代を回想してみることにした。

                    今はLGBTという言葉、また生きづらさの原因が男らしさ女らしさを強いる社会・・・みたいな文脈をよく聞くのだが、90年代は男女がどうこうって話は私の記憶してるかぎり聞いたことなく、生きづらさとは10代の心の傷や心の闇であり、もっぱら親や家庭に原因が求められ、それに対してカウンセリング、なんちゃらセラピー、みつをやミツルのポエムといった癒しが求められる風潮が強かった。90年代の主役だったルーズソックスJKも、居場所をなくし愛に飢えた(がゆえに援助交際などに走る)イメージがなんとなくあって、J-POPには雑踏や街並みで本当の愛を求めて彷徨うような歌詞が散見されたし、野島ドラマも親父からレイプされてたJKが学校の先生と純愛するって話だった。

                     

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                    これが80年代ならば同じグレててもヤンキー、シンナー、校内暴力、家庭内暴力、恋愛ならトレンディだったであろう。90年代を通して心理学ブームで10代の犯罪も心理学の文脈や親子の関係性で語られることが多かった記憶があるので、インナーチャイルドやアダルトチルドレンといったトラウマかつチャイルドな用語群はニューエイジである前に心理学用語だったのかもしれない。

                     

                    それいけ!!ココロジー(Wikipedia)

                    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%9D%E3%82%8C%E3%81%84%E3%81%91!!%E3%82%B3%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%83%BC

                    『それいけ!!ココロジー』は、1991年4月20日から1992年3月21日まで日本テレビ系列局で放送されていたバラエティ番組。読売テレビとIVSテレビ制作の共同製作。放送時間は毎週土曜 22:00 - 22:54 (JST) 。

                    ・・・

                    概要

                    心理学をテーマにした番組で、出演者に対し心理テスト夢判断を行い、深層心理を分析するのが主な内容。心理テストの監修は齋藤勇が行っていた。解説時に、カール・グスタフ・ユングやジークムント・フロイト等の理論が紹介された。

                    わずか1年間という放送期間ではあるものの、この番組は心理テストブームのきっかけとなり、「ココロジー」という新語も生み出すなど心理学を身近なものとした一方で、あまりにも理論を単純化しており、「俗流心理学」を助長したという批判もある。

                    また、派生的に青春出版社から何冊かの心理テストの本が発行され、シリーズ累計で400万部以上[1]、『それいけ×ココロジー レベル(1)』は2017年1月時点で178万部[2]を発行するベストセラーとなり、セガ(後のセガ・インタラクティブ)からアーケード版心理テストゲームが2機リリースされた。

                    番組終了後の1996年1月、関西地区(読売テレビ視聴地区)で深夜枠にて「1回だけの復活祭」を放送。また、1996年の春から4回にわたって、半年に1度全国放送でスペシャル番組が放送された。

                     

                    ハートにジャストミート(Wikipedia)

                    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%88%E3%81%AB%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%88

                    『ハートにジャストミート』は、1992年10月23日から1993年9月24日まで日本テレビ系列局で放送されていた日本テレビ製作のクイズバラエティ番組である。放送時間は毎週金曜 19:30 - 20:00 (日本標準時)。

                    ・・・

                    概要

                    心理ゲームにクイズを交えた内容の番組で、当時日本テレビのアナウンサーだった福澤朗とタレントの森口博子が司会を務めていた。心理ゲームの監修は、心理学者の富田たかしが担当。富田はその風貌から、番組内で「ムーミンパパ」というあだ名を付けられていた。

                    前期においては、心理ゲームを行った後にパネラーの解答の中から1つを無作為に選び、答えた人物の名前を伏せて発表。そして、その答えを書いたのは誰かを予想していた(答えた本人は、答えたことが分からないようにごまかしていた)。予想的中者はゴールドバーを獲得。全員不正解の場合、答えた本人がゴールドバーを獲得できた。後期には毎回ゲストを呼び、その人物に心理ゲーム(高速に切り替わる複数の映像の中から、何が最も印象に残ったのか)やYES-NO式のチャートを出題。パネラーはその結果を予想していた。

                     

                    ハートにジャストミート 番宣 【福澤朗・森口博子】 1993/01(YouTube)

                    https://www.youtube.com/watch?v=mXt6pR0qLdI

                    マーシーとのりピー夢の共演動画

                     

                    上のWikipediaは90年代初頭より心理学ブームあったっていう裏ずけ的な意味で貼ったのだが、心理テストとかでじつはこういう心理が隠れているのですみたいに言われても、隠れてたら自分でも合ってんのかまちがってんのか確認しようがないから深層心理って概念便利すぎないかと昔から思う。そういえば、すごーい小ちゃい字でSEXSEXSEXSEXSEXSEXって書いて潜在意識を刺激・・・っていう訳わからん「サブリミナル効果」とやらも、この時期である。

                    トラウマとかアダルトチルドレンはそのちょっと後のルーズソックス時代に出てきたようで、90年代に出た本のタイトルから「傷ついた子供の心の癒し方―子供は助けを求めている」「アダルト・チルドレンと家族 心のなかの子ども癒す」「アダルト・チルドレンと癒し 本当の自分を取りもどす」「内なる子ども癒す アダルトチルドレンの発見と回復」 「AC癒しのプロセス」「インナーチャイルド・ヒーリング あなたの“内なる子供”を大切にしていますか?」「インナーチャイルド 本当のあなたを取り戻す方法」など、やはり傷、子供、癒し、本当の自分(を取り戻す)がセットになっているし、「心の中の子ども」「内なる子ども」はインナーチャイルドと同義であろう。くしゅくしゅソックス時代には心理テストやサブリミナルといったお遊びにすぎなかった心理学的世界観がルーズソックス時代に親に傷つけられた子供あるいは内なる子供の「心のケア」化し、癒しブームや自分(本当の自分)探しブームへと連なっていく模様。


                    産婆ルネッサンス

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                      評価:
                      大滝詠一 あがた森魚
                      キングレコード
                      ¥ 1,250
                      (2012-10-03)

                      急激な経済成長と技術革新でライフスタイルが激変し豊かさ便利さとひきかえにポイズンでもあった1960〜70年代における薬害や物価高、添加物てんこもりのウソツキ食品に対する三一新書や生活協同組合およびオバタリアンの活躍をロハス史振り返るシリーズでご紹介したが、これはロハス以前の話であって反原発とか自然に帰ろうってな今に近いノリが発生してくるのは1980年ごろというのがわが持論だ。その例としてあげた高橋晄正と日本消費者連盟、また合成洗剤許容派と石けん派の分裂のほか、出産育児にかんしてもオバタリアン世代(核家族、団地妻)は病院出産や粉ミルクがオシャで抱き癖禁止といったスポック博士的価値観だったのが、だんだん昔ながらの産婆(助産婦)や母乳や自然分娩が見直されてくるようになる、そのタイミングってやっぱり1980年ごろなんじゃないだろうか。

                      このブログで何回か書いてるように10年ほど前エコブームと入れかわるがごとく胎内記憶とか自然なお産がチーズタッカルビばりにゴリ押されてた時期があり、そういう番組で特集される母乳の絶対出るマッサージとか、○人の赤ちゃんをとりあげたカリスマ助産師みたいな婆さん、病院出産や粉ミルクがオシャだった時代はどういうポジションだったんだ?って当時から少々疑問に思っていた。助産院はいちおう戦前からの流れで存在はしてたけど、病院に押されて絶滅危惧種の遅れた人達くらいに思われ軽んじられてたんだろうか。

                       

                      母乳の自然主義とその歴史的変遷

                      https://appsv.main.teikyo-u.ac.jp/tosho/skajitani2.pdf

                      こうした世界的な流れを見ると、日本において明治時代に人工乳が入ってきたのも、欧米のメーカーによる世界市場の開拓の一環であったように思える。しかし幸いなことに日本では、欧米の植民地になっていたアジア、アフリカ諸国のような大規模な悲劇は起こらなかった。おそらくそのためであろうが、人工乳のこうした冷酷な産業資本主義的側面は、戦後まで顕在化しなかった。その意味で、1955年に起きた森永ヒ素ミルク中毒事件は、人工乳のもつ独特な危険性が日本で露呈する重要なきっかけになったと言えよう。この事件では、被害者となった子供が約1万2000人、うち131人が死亡した 59)。粉ミルクという工業製品は、かつて母乳に比べて乳母が危険だとか、動物の乳はよくないと言われたレベルとは、比べようもないほど複雑である。それは医療を通して直接母子に介入し、経済活動を通して社会全体に広がるがゆえに、母子の身体も、両者をつなぐ母乳も、いつの間にか巻き込んでいく。

                      もっとも、この事件に対する注目は、しばらくはあまり集まらなかったようである。社会的な関心が高まるのは、裁判が大詰めを迎え、被害者とのあいだで和解が成立する70年代である 60)。この時期は、上述したことからも分かるように、世界的に人工乳への警戒、母乳哺育の見直しと呼びかけが盛んになされた時期である。日本でもそれと並行するように、母乳への関心も強くなり、上述した松村龍雄の他、松田道雄山内逸郎といった母乳推進派の医師の努力により、母乳哺育の割合も増えたようである(cf. 山本 1983、117)61)。

                      戦後も、それ以前と同様、母乳哺育が自然だからいいのだと、繰り返し言われた。だが、母乳への関心の強さは、つねに同じではないのだ 。戦後は、明治・大正とは異なり、人工乳が庶民にも買えるようになり、「山の手から下町へ、都市から農村へ」(山本 1983、110)と広がっていった。社会全体で見ると、人工乳に対しては、まだしばらくのあいだ、警戒心よりも憧れのほうが強かったにちがいない。人工乳はモダンで、新しいがゆえによいものであり、女性解放のシンボルとしても受け止められた。汚染されたミルクによる死亡事故が起きても、ミルクは新しい、医学的にも保証された便利なものだという考え方が続いた(cf.前掲書、184)62)。そして高度成長期になってもまだ、「乳がよく出ない」という言葉は、一種のステータスシンボルのように使われ、いわゆるインテリほど自分で授乳せず、人工栄養で子供を育てた。逆に母乳を与えるのは、古臭いとか貧乏くさいといったイメージと結びつき、文化程度が低い人たちの習俗だとされたようだ。

                       

                      上の引用は助産院や出産については書いてなさそうだが、粉ミルクの普及期であろう高度経済成長期においては母乳が貧乏くさく、乳の出が悪いのがステータスだったとのことで、母乳推進派の医師の努力もあって母乳の価値が見直されてきたのが70年代だという。じっさい検索してても1980年より前って上記引用で母乳推進派として名前の挙げられている松村龍雄著「母乳主義―あなたの子どもは「牛」ではない」(1972年)って、牛さんのおっぱいに赤ちゃんがぶら下がっているという、おそらく牛乳は牛の子どもが飲むもんだから人間が飲んでんじゃねぇって内容とおぼしき本があるぐらいで、自然なお産、育児、産婆、とかが出てくるのはだいたい80年代以降、三森孔子(みもりよしこ)という助産師によって提唱されたラマーズ法という呼吸法が1978年11月、朝日新聞の特集「お産革命」によって注目されたのが最初期ではなかろうか。

                       

                      https://www.amazon.co.jp/dp/4579200306

                       

                      https://www.amazon.co.jp/dp/4326799188

                       

                      私がロハス史振り返るシリーズでもっとも主張したいところに、それまでてんでんばらばらに存在していたであろう生協、ヒッピー、反原発、マクロビオティック、そういう自然派っぽい奴が1980年代を通じてロハス的価値観に統合されていくって歴史観があるのだけども、ラマーズ法が出てきた時期を考えるとお産もまた例外ではないだろう。昔はラマーズ法っていうのがあって云々って言う人は50〜60代くらいのイメージがあるので、やっぱりその世代が赤ちゃんを産んでいた80年代に人気爆発した呼吸法と考えられる。

                      とするとオバタリアン〜団塊はスポック世代、その下の1950〜60年生まれがラマーズ世代ってとこだろうか。やっぱり自然なお産は苦痛なので、自分らしい素敵なお産にするためにそういう呼吸法を取り入れようって運動だったと思われる。

                       

                      母と子のサロン 矢島助産院

                      http://m.webry.info/at/osan-to-oppai/201106/article_27.htm?i=&p=1&c=m&guid=on

                      院長のユカさんは、かつてラマーズ法が自然出産の代名詞だった時代に、その中心的な存在だった三森助産院に勤務していた方です。三森助産院は院長先生が亡くなられたあと閉鎖しましたが、ここからたくさんの開業助産婦さんが育ったところです。中でも勤務年数が長く自宅も近かったユカさんは、開業のスタートも、三森助産院がなくなって困ったしまった人を自宅出産で引き受けるような形でした。3年ほど自宅専門でがんばったあと、1990年に今の地に移り、ゆったり入院出産ができる助産院を建てられました。
                      ごく普通のおうちスタイルの助産院で、入院時は、陣痛、お産、産後まで同じ畳の部屋で過ごします。入院している人とスタッフのご飯を作る場であるダイニング・キッチンは居間とひとつながりになっていて、ここに来る人すべてに解放されています。助産師さんと、また妊婦・産婦どうしで、ふれあいを楽しみ、お産や育児のことをたくさん話していけそうなところです。
                      入院出産がメインになってから長い今も、まだ自宅出産を大事に続けているのもここの特徴です。ユカさんご自身が三番目のお子さんを三森先生の介助で自宅出産していて、その良さを強く実感しているからでしょう。

                       

                      ラマーズ法を提唱した三森助産院からたくさんの開業助産師が育ったとあるが、たしかに今自然なお産や母乳推進の助産師ももともとは病院勤務だったのが80年代以降に助産院開業していることが多いように思う。上記引用にある矢島助産院も80年代に三森助産院から派生した助産院であり、多数マスコミに露出していることを考えても、自然なお産はやはりラマーズ法の系譜なのだろう。

                       

                      [シリーズ・産み、育てる] 助産所で産むということ(YouTube)

                      https://www.youtube.com/watch?v=vp_1nPBKPZo

                      矢島院長「自分の好きな姿勢で、好きなように声を出して・・・そして何て言うかな、自分の思うままにこう産んでいける。そういうお産が私は一番大事じゃないかなと思って」

                      ナレーション「矢島助産院ではお産はこうでなければいけないという決まりはなく、無事に出産を終えたら全員で乾杯してお祝いするなど楽しくお産をしようという雰囲気がただよっています」

                       

                      『うまれる』医療機関向けDVDサンプル(不妊と流産を乗り越えて)(YouTube)

                      https://www.youtube.com/watch?v=BeMjgveyAhk

                       

                      一般社団法人 矢島助産院 国分寺(YouTube)

                      https://www.youtube.com/watch?v=J706WbgdZlQ

                      「あんなに愛されて、抱きしめてもらって、お産をしたことは宝物だし、女の人は産むことで赤ちゃんを生み出してお母さんになるけど、私の中の私を生ませてもらったっていうことがやっぱり矢島さんだったからできたなっていうのをすごく感じます」

                       

                      80年代におけるラマーズ法が分娩台から自分らしい自然なお産へってな流れのはしりと思われるのだが、1986年にはもはやヒッピーとしか思えない山縣良江という屋久島の助産師が「聖なる産声」って本を正食出版ってとこから出している。この正食出版って初めて聞いたうえ検索しても何も出てこなく、サイトによってはたま出版って書いてるとこもある。

                      とりあえず正食ってのはマクロビオティックのことであるし、たま出版ってのはオカルト系の出版社で、Wikipediaによると同出版社は80年代にアクエリアス革命って雑誌を出していたそうだが、アクエリアスとはみずがめ座、ニューエイジとはみずがめ座の時代のことなのだった。山縣助産師の息子は歌手のあがた森魚だそうである。

                       

                      https://www.amazon.co.jp/dp/4884811542

                       

                      『聖なる産声』 山縣良江著 たま出版(REBORNお産図書館)

                      http://www.web-reborn.com/books/library.php?id=129

                      REBORNコメント

                      屋久島の大自然の中で天然村助産院を開業し、全国から集まってきた妊婦たちのお産を取りあげていた山縣助産婦。耕した畑で採れた無農薬の野菜をつかい、自らマクロビオティック(自然食)の食事をつくりながら、食を正してからだを動かし、規律正しい妊娠生活を送ることによって、自然出産に向けたからだづくりをすることができると説く。明治生まれの気骨な精神が読み取れる。

                      (REBRON きくちさかえ)

                      内容

                      自然なお産は、朝日が輝き出ずるがごとく、神秘的で、自然に与えられた天与の術です。

                      目次

                      第1章 女性の願いは自然なお産
                      第2章 母性が目覚めるとき
                      第3章 母と子のきずな、胎教・食
                      第4章 妊娠・出産の心がまえ
                      第5章 緊急のときのお産

                       

                      あがた森魚の「赤色エレジー」

                      http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Forest/4179/agata.html

                      ・・・

                      そして、彼の母親である、山縣(やまがた)良江さんも、
                      精神世界では、それなりの有名人だった。
                      自然分娩を行う助産婦として「聖なる産声」という著書があり、
                      また、マクロビオテックの講師として、日本全国を回ってもいたのだ。
                      ・・・

                      話は戻るが、痩せて肌が色黒の山縣良江さんは、
                      (マクロビオテックの人は、みんなそうだったように思う)
                      鹿児島県の屋久島に一万坪の土地を持って、畑を耕し、
                      夫婦で自給自足の田舎暮らしをしていたが、
                      既に故人となった。
                      (良江さんがうちに泊まった時、息子のあがた森魚さんが
                      一週間後に、タモリの「笑っていいとも」の冒頭のコーナーの
                      「テレフォンショッキング」に出演する予定だと言っていた。
                      あれは当日に翌日の出演をお友達に交渉するはずであるように
                      テレビでは見せているが、それが、へえ、一週間前にもう既に
                      決まっているのかと、テレビの演出に感心したものである)
                      ・・・

                       

                      検索してたらあがた森魚のライブ会場がカフェスローって書いてあるサイトがあるのだが、カフェスローといえば確かエコブーム時にキャンドルナイトやスローフードやハチドリのひとしずくやブータン幸せ説を提唱していた辻信一のお店で、前述の矢島助産院とも近い距離にあるし、矢島助産院の写真展もやっていたようだ。美健ガイドでもおなじみ真弓定夫先生が顧問をつとめていた自然育児友の会の住所もカフェスローで、同会もまた80年代における出産育児のロハス化の流れの中で生まれた集まりと思われる。

                       

                      『 矢島助産院写真展〜お産でうまれるもの〜』ギャラリー&トーク(カフェスローに集う〜イベントカレンダー〜)

                      http://event.cafeslow.com/?eid=1080641

                      期間中トークイベント開催!
                      『お産でうまれるもの 〜矢島床子とお産を語ろう〜 』
                      お産が女性や家族にもたらすものは何でしょう?矢島助産院で産んだ方々に、お産を経て、自身や家族に何がうまれたか語って頂きます。
                      矢島も皆さんと一緒に語り合います。
                      産んだ方、これから産む方、助産院でお産をされていない方、お子様からお年寄りまで、どなたでも是非ご参加ください。

                      ■日時:2014年7月4日 OPEN:18:00 START:19:00
                      ■参加費:事前予約:1,800円 当日:2,000円 /共に1ドリンク付 *高校生以下無料
                      ■出演者:矢島床子と矢島助産院で出産した人たち
                      ■予約申込み:カフェスローまで


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