今人気のある映像

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    先月号のJELLYにインスタグラムなどSNSに載せる用の写真・動画術の特集があり、写ルンですのステマか?と思ったらやっぱりそうで、私も90年代にやっていたフィルターとしてレンズにセロハンをかぶせるテクなども紹介されていた。

    写ルンですのほかにも最近カセットテープやレコードやファミコン、歌声喫茶(?)などレトロな物が流行していると各マスゴミが取り上げているのは過去にも記事にしたとうりだが、JELLYの特集でひときわ目をひいたのがVHS風の動画がオシャというもので、ビデオデッキとか家庭用レコーダー買うんかい?とびっくりしたのだが、これにかんしてはさすがに有料のアプリで加工するだけなんだそうだ。でも今デジタル放送やDVDだから砂嵐なんかもめっきり見かけなくなったし、ユーチューバーの動画なんかを大画面テレビで見ても普通の番組と何ら遜色ないんじゃないかと思うほどクリアな画質であることを考えると、90年代に女子高生のあいだでピンボケヘタウマ写真が人気爆発した現象と同じく、VHSの薄暗い画質とかノイズが逆にオシャってことになってきたのかもしれない。

     

    CHARLI XCX - WHAT I LIKE (OFFICIAL VIDEO)

    https://www.youtube.com/watch?v=DsqNvy9v93s

    VHS風映像はカセットテープと並んでミュージックビデオでもよく見かける。イギリス人歌手チャーリーXCX「WHAT I LIKE」(2013)の世界観は90年代を忠実に再現しており、写ルンですで自撮りするシーンも出てくる。イギリスでも90年代写ルンですが人気爆発していたのか?

    でも厳密にいうとこの頃の写ルンです系ガーリーフォトは自撮りってよりも撮りあいっこといった方が妥当というか、写メールが出てくるまで携帯電話の画面で自分の顔を確認しながら撮ることができなかったので、盛ることは実質不可能だったしむしろ二重アゴに写るリスクが高かった。あと写真にしてもプリクラにしても、ポラロイドのように上からペンで落書きするというのも90年代からJKが始めた風習と思われる。

     

    でんぱ組.inc「アキハバライフ♪」MV Full(YouTube)

    https://www.youtube.com/watch?v=tuMRPUqP1ho

    でんぱ組「アキハバライフ♪」(2015)。この曲は秋葉原の電気街の歴史を振り返るコンセプトなので、古い電気製品や画質が出てくることに90年代とかオシャとかいう意図は特になさそうである。

     

    Carly Rae Jepsen - Run Away With Me(YouTube)

    https://www.youtube.com/watch?v=TeccAtqd5K8

    カーリーレイジェプセン「Run Away With Me」(2015)は映像効果の一部としてVHS風が使われているようだ。しかし画面上に「再生」みたいな表示やノイズがこれ見よがしに出てこないとただの画質悪い映像にしか見えなく、VHSのよさが半減している。

     

    GOT7 『Hey Yah』Music Video

    https://www.youtube.com/watch?v=TILcG-D0KgI

    ここからはK-POPなのだが、最近YouTubeにアップされたばかりのGOT7「Hey Yah」(2016)も画面が急に早送りになるほか、ラジカセやレトロゲームや緑色の冷蔵庫など昭和な要素を詰め込んでいる。それはそうとしてこのビデオの構成はEXO「Love Me Right」の日本語版に似ている。

     

    EXO / 「Love Me Right 〜romantic universe〜」MV short ver.(YouTube)

    https://www.youtube.com/watch?v=4Ueo4r-ZnX8

    そのGOT7の新曲に似ているEXO「Love Me Right」(2015)。これもVHS風だけでなくカセットテープやレトロゲームなど懐かしい感じの効果をふんだんにとりいれている。

     

    [EXID(이엑스아이디)] 아예 (Ah Yeah) Music Video [Official MV](YouTube)

    https://www.youtube.com/watch?v=egqDPipqIAg

    EXID「Ah Yeah」(2015)はビデオテープと股間モザイクでAVギャル風か?EXIDらしい挑発的なビデオ。

    というわけで人気急上昇中かもしれない不気味なVHS風画質。貴方も思い出のつまった動画を加工して他の子たちに差をつけてみてはいかがだろうか。

     

    昔風の動画が手軽に撮れる『VHS Camcorder』のクオリティが高い(2015年8月29日 APPBANK)

    http://www.appbank.net/2015/08/29/iphone-application/1086215.php

     

    余談だが、上に紹介したGOT7、EXO、EXIDのビデオにはいづれもパソコン上でウインドウがバカバカ開くシーンがあるのだがこれはいったい何なのだろうか。ブラクラ懐かしくてオシャってことなのか?

    GOT7「Hey Yah」

    EXO「Love Me Right」

    EXID「Ah Yeah」


    リアルサザエさん

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      1951年2月の育児本(雑誌付録)を発見。この表紙は絵なのか、写真なのか・・・

      1951年2月ごろをちょっと調べてみると、団塊世代のベビーブーム(1947〜49)は落ち着いているがまだ占領下。戦後すぐは日本軍性格悪っ。とばかりに勝者アメリカが戦前を裁き9条や教育基本法など左翼が好きそうな奴をグイグイ押しつけてきたが、もうこの頃になると朝鮮戦争始まってるなど冷戦が本格化してきて日本では自衛隊の前身である警察予備隊が組織され、赤(左翼)狩りなどもけっこう行われていたようだ。

      だから冷戦においてアメリカの敵である左翼はその後も安保闘争とかすごい盛り上がってるし、今でも沖縄でアメリカ軍出ていけってやってるけども、基本的にライフスタイルにおいては敗戦のトラウマもあって貧乏で迷信オカルトな日本に対し、アメリカ式が科学的で豊かで正しくて素敵だったであろう。この後高度経済成長期が始まり、マスゴミの影響もあってアメリカ脳におかされた日本人はその豊かさに追いつけとばかりモーレツに働き、かまどやちゃぶ台といった大和のスピリットを捨て朝っぱらからダイニングでトーストなどを食べるようになった。

      挿絵の奥さまは割烹着と洋風パーマネントが決まっているオシャなサザエさん型が半々。この奥さまが現在85歳以上であろうと考えると、完全な戦前型育児していた婆はほぼ絶滅しているのではなかろうか。

      アメリカ式のしつけのよいところをとつて、ベッドに入れるとひとりで眠り、自分で洋服も着れば、おもちゃも整理いたします」(わが家のしつけ)

      いくらアメリカのステマが凄まじいといったところでまだこの頃は子育てについて婆があれこれ助言してきたのだと思うが、上流階級のあいだではすでにアメリカ式を取り入れ、このわが家のしつけシリーズは他にもアメリカ人の牧師さんが経営する幼稚園に通わせて小さい頃から宗教教育するのもよいとしみじみ思います・・・うんぬんとアメリカかぶれ極まりない。というかこの本に限らず、同じくらいの頃の婦人雑誌は「あちらでは〜」「向こうでは〜」と、何かとアメリカのステマが多く、奥さまがたがそんなオシャなライフスタイルに憧れたであろうことが容易に想像できる。

      赤ちやんが生後二カ月か二カ月半になつて、腹ばいにさせれば首を持ちあげるようになりましたら、なるべく早いうちにうつぶせの恰好で、頭を枕につけて寝かせるように、向うでは習慣づけます。いつまでも仰向けに寝かせておきますと、やわらかい赤ちやんの後頭部は、平べつたくぺちやんこになり、また、たゞさえ薄い毛はすり切れてハゲになつてしまいます。これは大したことではなく、のちになれば簡単に治るものですが、せつかくかわいらしい赤ちやんの頭を形よくきれいにしておくために、アメリカのお母さん方がどなたも実行なさることだとは、ほゝえましい話ではありませんか。

       

      生後2か月程度でうつぶせ寝って大丈夫なのか?と思って調べてみると、やはり現在は赤ちゃんの突然死との関連が疑われ推奨されていないようである。昔粉ミルク推しの理由に乳の形が崩れないといったようなことがいわれていたようだが、赤ちゃんの頭が平べったくなったりハゲになったりするとかいうのを心配するのもアメリカ的発想なのかもしれない。

      美健ガイド社のマンガでGHQの陰謀で添い寝や抱っこが奪われた〜とあったように、じっさいアメリカ式育児法シリーズでは母親の負担を減らしたり(本書ではのちのナルちゃん=皇太子さまの担当医となる緒方安雄によりおんぶも否定されている)、赤ん坊のころから1人で遊ばし自立をうながすといった傾向は随所に見受けられる。抱きぐせがつく、とかいうのも特に何か根拠があったわけではなく、戦後特有の「日本間違ってるけどアメリカは科学的で正しい」ってなノリだけで既成事実化したのではなかろうか。

       

      赤ちゃんが目をさましているときは、周りを見廻して、自分でおもちやを持つたり手足を動かしたりして遊んでいるのが普通です。あたりのさまざまのものを見、いろいろの音を聞いているということは、それだけ眼や耳を働かせていることですし、おもちやを持つたり、手足を動かしていることは、体を働かしていることです。赤ちやんはこのように心も体も一生懸命働かせているうちに、成長してゆきます。働かせていればそれだけ強く、確かになるものを、抱いてしまうと自由に動けなくなり、こんな風に自分で自分を働かせることができなくなつて発達を妨げることになります。

      それだけではありません。一たん抱き癖がついてしまうと、もうだれかに抱いてもらわないと満足しなくなるものです。一本立ちになれない、依頼心の強い性格が、ここから芽生えてくることになります。

      抱いてもらえないと泣き、泣くとかわいそうだといつて抱くようになり、このために、抱いてもらいたいばつかりに泣くという泣き癖も、こゝから生れてきます。

      赤ちやんがほんとに眞直な成長をしてゆくことができるように、こんな癖はつけないようにいたしましょう。

      赤ちやんは、いろいろの物を見たり、聞いたり、いじったり、また体を動かしたりすることが大好きです。このようにさまざまのことをして喜ぶのが赤ちやんの遊びであり、こうしているうちに、赤ちやんの心も体も順調に成長してゆくことができるのです。

      このように考えると、赤ちやんが自分でいろいろのことをして遊べるようにしてやることが、一番大事だということがわかります。抱き癖をつけると、赤ちやんが自分でいろんなことができないから、成長をおさえることになると前に申しました。それと同じことがすべてのことについていえます。

      できるだけ体の自由がきくように、着物やおむつに工夫をしてやりましよう。寝返りをし、はい廻るようになつたら、動き廻つてもあぶなくないように、危険なものを片づけましよう。何よりもよいことは、赤ちやんが自由に遊べる場所を作つてやることです。赤ちやんを入れる柵のついたベビー・サークルなどは、このようなものとして最も理想的なものです。

      抱き癖やおんぶ癖をつけたり、お母さんが一々相手をしてやらないと満足しないというような癖をつけないで、一人でおもちやを持つて、おとなしく、思う存分に遊ぶ赤ちやんにしたいものです。

      大人の手をかけないで、自分一人で自由に遊べる赤ちやん、そしてその遊びによつてすくすくと成長してゆける赤ちやんにいたしましよう。

       

      美健ガイドのマンガにもそれっぽいことが書いてあったように、抱き癖理論がサイレント・ベビーの原因になっているのではないかと疑われ、これまた現在ではあまり推奨されていないようだ。とはいえ、このような育児法がアメリカのステマだったからといって、日本人を不健康にさせるための陰謀だったと解釈するのは理解に苦しむ。

      当時はまだそこまで粉ミルクや哺乳瓶といったものが普及していなかったのか、人工栄養として赤ちゃんに牛乳やハチミツを与えていたようである。というか、粉ミルクそのものが湯だけではなく砂糖を加える処方だった模様。

      昔は女の命取りといわれたお産も最近は医学が進歩して段々安全になつてきました。

      お産による死亡率は、明治35年頃は出産1万に対して40人前後の高率でしたが、昭和23年には15.7人にまで減少しています。

      それでも年々5,000人近い貴い人命がお産のために失はれています。こうした不幸もお産についての正しい科学的な智識さえあれば、もつともつと除かれることでしよう。

       

      1951年はまだ自宅出産が普通で、病院出産が普通になるのは1960年代くらいかと思う。(←検索してもよく分からなかったので私がそう思ってるだけだが・・・)何年か前に新生児が取り違えられて病院を訴えていた事件があったけども、その人が生まれたのも1953年とまだ病院出産のはしりの時期で昔はそういう悲劇も珍しくなかったらしい。

      その時点でも明治時代と比較すれば妊産婦死亡率はすでに1万人あたり40人から15.7人とかなりの減少しているのだが、Wikipediaによると2012年10万人当たり4人にまで減っており、この広告のように1万にあてはめると0.4人となる。成程これはお産について正しい科学的な智識がお産の不幸を除かせたことにほかならないだろう。

      そう考えると吉村医院みたいにハピふる!もとい、幸せなお産で江戸時代に帰ろうよ。というステマは妊産婦や新生児を自然淘汰しようという陰謀にも思える。GHQやサイレントベビーよりそっちの方がガチすぎて怖い。

      森永ヒ素ミルク事件はこの4年後のことだった。スポック理論の反動からか現在では一部に母乳信仰もあるので、それに対して粉ミルクの何が悪いんだよ!という論争もかまびすしいが、やはり大量生産品は何かが混入したときのリスクもあるし、じっさいに粉ミルクで悲劇が起こっていたことは高度経済成長期の負の面として忘れてはならないだろう。


      TK回想

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        AOA 「WOW WAR TONIGHT〜時には起こせよムーヴメント girls ver 」(ショート ver )

        https://www.youtube.com/watch?v=rG2tEXtCs4s

         

         

        韓国ガールズグループAOAがH Jungle with tこと浜田雅功の大ヒット曲「WOW WAR TONIGHT〜時には起こせよムーヴメント」をカバーしたそうで、ミュージックビデオにはプロデューサーの小室哲哉も出演している。昔ながらのセクシースタイルを踏襲するAOA、過去にはTMレボリューションとコラボもしていたが日本では90年代路線なのだろうか。

        この曲のオリジナルは1995年3月にエイベックスからリリースされ、小室時代とエイベックス時代の幕開けを印象ずけた一曲であった。当時エイベックスはポット出のレコード会社だったものの、小室はTMネットワークもやっていたし90年代前半の時点ですでに宮沢りえや東京パフォーマンスドールなどアイドルへの楽曲提供で大活躍していたのだが、東京パフォーマンスドール出身の篠原涼子が歌った「いとしさとせつなさと心強さと」が大ヒットして以降、そのプロデュース作品はルーズソックス世代に絶大な支持を受けることとなった。

         

        小室快進撃を決定ずけた「愛しさ(以下略」、これはもともとアニメの主題歌でコギャルというより子供から火がついてだんだんランキングを上げていったはず確か。Wikipediaによると、発売はソニーだがミュージックビデオはエイベックスが制作したらしい。

         

        私もルーズソックス世代であり、もともと小室の音楽が好きだったのでTRFなど普通に聴いていたのだが、正直このH Jungle with tだけはよく分からなかった。小室ファミリーの多数は小室好みであろう若くてちょっと安っぽい感じの女たちだったのに、浜ちゃんみたいなオッサンが歌って何がよいのか?という感じで、今回AOAのカバーを聴いてあれ結構いい歌かもと思ったくらいである。

        確かこの歌は当時始まったばかりのダウンタウン司会の歌番組「HEY!HEY!HEY!」によくTRFが出ており、その流れで小室に浜田氏が「曲を書いてください」と冗談まじりに言ったのが本当に実現してしまったという流れだったかと思う。それまでダウンタウンの歌手活動といえば坂本龍一プロデュースのゲイシャガールズ(1994年)がよく知られており、これも「ガキの使い」のトーク収録に坂本龍一が観覧に来ていた縁があって、松ちゃんが「世界の坂本プロデュースで名前はゲイシャガールズ・・・」などと口からでまかせを言いだしたのがきっかけだったように記憶している。

         

        Kick & Loud / Geisha Girls(YouTube)

        https://www.youtube.com/watch?v=URhBUEnAdw8

         

        「HEY!HEY!HEY!」も始まった当初はゲイシャガールズを前面に出していたのだが、H Jungle with tが大成功して以降は完全に過去のものとなってしまった。このようにトンガっていたゲイシャガールズが小室サウンドで大衆に受け入れられた点もさることながら、ダウンタウン自体が「HEY!HEY!HEY!」で多くの歌手と絡むうちに芸風が丸くなってしまったことも、私の中ではルーズソックス時代を象徴する変化であったと思う。

        やはりきわどい笑いでトンガっていたお笑い番組「浅草橋ヤング洋品店」が一部小室のオーディション番組「コムロギャルソン」となり、最終的にオーディション番組「asayan」に変貌して原形をとどめなくなったのもゲイシャガールズ同様、サブカルが淘汰され小室化(ルーズソックス化)した例に数えてよかろう。というかゲイシャガールズを手がけた坂本龍一も、今ではエイベックス所属だったりするのだが。

        ではなぜここまでルーズソックス世代に小室サウンドが受けたのだろうか?といえば、若さをもてあまして都会の雑踏を一人さまよう感じのメンヘル気味な歌詞とか、小室好みの若くてちょっと安っぽい女の見た目や歌唱力がコギャルのリアルを代弁するのに絶妙だったからだと私は思っているのだが、それではオッサンであるH Jungle with tは説明できない。H Jungle with tの大ヒットはルーズソックス時代最大の謎である。

         

        華原朋美1カ月休養へ 交際進まず心身バランス崩す(11月6日 日刊スポーツ)

        http://www.nikkansports.com/entertainment/news/1734285.html

        そんなルーズソックス時代の中心にいた小室だったが、私がそのプロデュース作品に魅力を感じなくなったのは華原朋美の「Hate tell a lie」が出たときである。カネボウのガングロ化粧品「ブロンズラヴ」のCMソングだった同曲は、小室さんがあたいを輝かせるために色々と頑張ってくれてるウォウウォウォ(←管理人要約)という内容の歌詞で、いやこれともちゃんがのろけてるならともかく小室さん本人の作詞かい。とドンびいたのが最初だ。

        そのガングロ化粧品が確かキラキラの入ったジェルでそのために「輝かせる」というフレーズが入っていたのだろうが、とにかく歌詞の違和感にくわえ、曲も早口言葉みたいで聴いていて頭が変になりそうだった。この歌が出た時期を調べてみると1997年4月だそうで、私の歴史観においてはルーズソックス第一世代から第二世代への移行期である。

        私が華原朋美の存在を知ったのは、同級生から「今度小室さんの彼女がデビューするらしい」と聞いたときだ。つまりデビュー前から小室の彼女として知られていたわけだが、デビュー曲「keep yourself alive」(1995年9月)を聴いた時点ではまだミステリアスな印象で、すぐに人気が出たわけではなかった。

        1974年生まれということで世代的にはルーズソックス世代よりもう一段階上の世代でありながらも、当時からキティちゃんや吉野家好きを公言するぶっ壊れたキャラでコギャルたちに人気大爆発した。若人ならばなぜキティちゃんや吉野家がぶっ壊れているのかと思われるかもしれぬが、当時はまだ大人なのにキティちゃん好きとかいうのはあまりなかったし、吉野家も今みたいに女子供がおいそれと入るような店ではなかったのである。

        とにかくそのぶっ壊れ度合いにおいてコギャル草創期の既存文化破壊路線と連動していた華原氏だが、やがて小室氏との別れによって本格的にぶっ壊れてしまった。そして表舞台から去ろうとしていた頃現れたのが華原氏と同様アイドルから歌手に鞍替えし「桃の天然水」CMの座を受け継いだルーズソックス世代の浜崎あゆみで、のちにエイベックス最大の功労者となった彼女も歌手デビュー当初は独特のしゃべり方でぶっ壊れたキャラを演じていた。

         

        牛丼のつゆだく 築地発祥説、華原朋美でブーム…を吉野家解説(2013年5月19日 NEWSポストセブン)

        http://www.news-postseven.com/archives/20130519_189035.html


        レトロシリーズ第三弾

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          先週末ある情報番組を見ていたら、今アナログな物がリバイバルってな特集やり始め、ちょうどそういう記事を書いたとこだった私はカセットテープと写ルンですのステマだろ。と思って見ていたのだが、どっちも紹介されずそのかわり歌声喫茶が熱いとか言い出したのでドンびきした。歌声喫茶の歌とは左翼ソングのことだ。

           

          半世紀ぶりの歌声喫茶

          http://www1.odn.ne.jp/~cea58500/utagoe.htm

          ふりかえれば、かれこれ半世紀も昔のことになりますが、1950年から60年代にかけては、日本の北から南まで、全国的に「うたごえ運動」が爆発的な広まりを見せた時代でした。そもそものはじまりは、当時の共産党が大衆を勧誘するための一つの政治手段として、キャンプ地や集会に集まってきた会衆と共に労働歌反戦歌を歌い、それによって連帯感を高めることを意図したものでしたが、やがてイデオロギーには関心のない若達のあいだにも、フォークダンスなどと並んで、コーラスの楽しみは深く浸透するようになり、そんな大きな時代の流れの中に誕生してきたのが「歌声喫茶」でした。 昭和29年、東京の新宿に日本で最初の「歌声喫茶」が開店したのを皮切りに、やがてそれは大阪、京都、福岡にも飛び火して、全盛期には日本中に100店舗以上ものお店があったと聞いています。ちょうどあの頃の日本は、若者達のあいだに学生運動や平和運動が大きなうねりとなって盛り上がってきた時代で、ロシア民謡を歌い、労働歌反戦歌に盛り上がる歌声喫茶は、左翼傾向の思想を持つ若者達で超満員となり、歌声のリーダー 達の中からは、たくさんのプロの歌手も誕生していきました。ところがこれほど日本中の若者達を熱狂させた「歌声喫茶」も、1970年頃になってカラオケボックスやカラオケスナックが台頭してくると、みるみるうちに衰退の一途を辿り、いつしかそのほとんどの店が廃業に追い込まれていきました。

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          「歌声と喫茶」だけの店内は、これ以上は入らないほど びっしりとテーブルと椅子が押し込まれ、まるで文化祭の屋台食堂のような感がありました。ざら半紙に印刷して綴じただけの歌詞集をもらい、リ ーダーの指揮とアコーディオンの伴奏にあわせて歌った歌は、ロシア民謡を初めとして、学校の教科書に出てくるような日本の唱歌がほとんどでしたが、なぜか必ず労働の歌や反戦歌がリクエストされて、最後には全員起立して肩組みとなり、大声で「インターナショナル」の歌を絶叫するのが お決まりのコースになっていました。

           

          合唱「インターナショナル」(합창 «인터나쇼날»)

          https://www.youtube.com/watch?v=UTleEdgi5uI


          わがカセット史観

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            SHINee 샤이니_1 of 1_Music Video(YouTube)

            https://www.youtube.com/watch?v=WJua7KEP_oE

            K-POPグループSHINeeの新曲「1 of 1」は90年代がコンセプトだそうだ。良い曲だがサビが去年発表した「Married To The Music」になんとなく似ていることもあって、あまり新鮮味はない。

            それよりもこの曲がカセットテープで発売されたということについて、「90年代がカセットテープ???」と、その歴史認識に違和感をおぼえた。90年代はCD全盛期であるとともにレンタル全盛期でもあったので、もちろん借りてきたアルバムをカセットテープにダビングすることなど日常茶飯事だったのだが、写真にあるような分厚いカクカクのケースは80年代のそれであって、90年代はもっと薄型だったはずだ。

            それに80年代でさえ最初から音が入っているカセットテープは付録、演歌、英語教材、コロちゃんパックあたりだったのではなかろうか。カセット全盛期は80年代であり、当時はレコードだったため持ち歩き用とか、あとどっちかというとレンタルよりもラジカセでFM放送を録音する用途(エアーチェック)で使われていたはずである。

            FM放送はバブル期以降J-WAVEの影響でバイリンガルDJの生放送が主流になったそうだが、それまではかける曲が決まっていたため、FM情報誌で何時何分に何がかかるか見て録音することが可能だったのだという。またそうした雑誌はオシャな絵のついたカセットレーベルがついてくることもあり、曲だけでなく見た目も自分でカスタマイズできるのがカセットテープの魅力であった。

            しかし90年代はというとカセットケースは薄型だったり複雑な色味や構造が売りなことが多く、基本的にカセットレーベル等をカスタマイズする風習は廃れていたように思う。だからもう完全に90年代におけるカセットというのはCDの脇役にすぎなかったのであって、SHINeeも90年代を意識するならば限定発売するのは8cmシングルCDでなくてはならなかったのである。

             

            J.Y. Park "Still Alive(살아있네)" M/V

            https://www.youtube.com/watch?v=pJc2ypdWvEI

             

            今回と同様の疑問をおぼえたのが今年4月に発表されたパクチニョンの「Still Alive」で、この曲は44歳のパクチニョンが20年間第一線で活躍していることを自画自賛する内容の歌詞なのであるが、そのサビは以下のようになっている。「レコードがカセットになって カセットテープがCDに変わって CDがダウンロードストリーミングになっても 90年代2000年代2010年代も イケてるね イケてるね イケてるね 90年代2000年代2010年代も」

            この歌詞を見て「この人レコードの時代からいるのか?」と思ってパクチニョンのウィキペディアで年齢やディスコグラフィを確認したけども、歌手デビューは1992年となっている。韓国ではレコードがまだ発売されていたというのか。

            少なくとも日本ではレコードがカセットになったり、カセットがCDになったわけではなく、レコードはCDになって、カセットはMDになったのである。それにしても、このカセットテープ、今若人に人気大爆発なのだそうだ。

             

            カセットテープ、ブームの兆し!今、再評価されるワケは(9月13日 イザ!)

            http://www.iza.ne.jp/topics/economy/economy-10122-m.html

             

            カセットテープで曲をリリースするのはSHINeeに限らず、世界的な流行であるのだとか。でも確かに今あえてカセットをガチャっと入れたり裏返したりするのは楽しいかもしれない。


            プレイバックJ-POP

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              評価:
              Dreams Come True
              エピックレコードジャパン
              ¥ 1,699
              (1991-11-15)


              以前に書いたプレイバック90sの続編として、ルーズソックス時代(1995〜1998年ごろ)とはまた違った趣の感じさせるくしゅくしゅソックス時代(1991〜1994年ごろ)のJ-POPをわが思い出の曲を中心に振り返ってみることにした。当時はYouTubeがなかったために音楽を聴くときはだいたいレンタルの店や人から借りたCDをカセットテープにダビングしていたのだが、A面に収まるように収録時間を計算せねばならないのが面倒で、のちに音楽番組をビデオに3倍録画してそれを聴くという方式に変わった。←雑


              ビーイング
              ルーズソックス時代のヒットメーカーといえば小室哲哉だが、くしゅくしゅソックス時代はビーイング(織田哲郎)によるポカリスエットじこみの爽やかなサウンドがJ-POP界を席巻した。BBクイーンズの踊るポンポコリンやB'zがくしゅくしゅソックス時代に先がけてすでに人気大爆発していたのであるが、個人的に印象深いのは中山美穂とデュエットしたWANDSやDEEN、T-BOLAN、宇徳敬子が所属した3人組のMi-Keなどである。
              ドラマやCMのタイアップで火のついたZARDや大黒摩季はその後も人気を維持した。ただルーズソックス時代に入るとビーイング歌手のテレビ出演はほとんど見かけなくなり、静止画みたいな怪しいミュージックビデオが音楽番組やカウントダウンTVの深夜CMで流れるのみとなった。


              とんねるず
              クレイアニメの可愛い「とんねるずのみなさんのおかげです」オープニングの「ガラガラへびがやってくる」や「じゃがいも」が子供たちを中心に人気爆発した。当時のとんねるずは「情けねぇ」「一番偉い人へ」など真面目な歌も歌っていた。


              ドリームズカムトゥルー
              くしゅくしゅ時代に限らず、長らく人気を維持し続けている御存知「ドリカム」。吉田美和の伸びやかな歌声や愉快なサウンドはもちろんのこと、かっての私はダイドーの1分CM「彼は友達」やフジカラー「太陽が見てる」などドリカムが使われたCMにも魅了されていた。
              しかし個人的には「go for it」(1993)からあまりピンとこなくなり、ルーズソックス時代に「LOVE LOVE LOVE」が人気大爆発しても何がいいのかさっぱり分からないレベルにまで心が遠のいた。3人の中でちょっと浮いていた西川が、シャブでしょっぴかれたのにもドンびいた。
              よって私にとってのドリカムは、あくまで90年代初頭の思い出の中にしか存在しない。ちなみに 「go for it」 は「あおいちゃん」というお化けの声が入っていると当時話題になったので、怖いのが好きな方は一度聞いてみてはいかがだろうか。


              KATSUMI
              まだロン毛が江口洋介しかいない時代、ビジュアル的にものすごいチャラ男なイメージのあった男性歌手。曲は聴いたことない。


              横山輝一
              画像検索したら、ハーフみたいなイケメソなのだが、こんな顔だったけ。Lovin' You(93年)を久しぶりに聴き、中西圭三(参院選の大麻候補・高樹沙耶の元夫)っぽいなと思って調べたけど、横山氏本人の作詞作曲だった。


              工藤静香
              工藤静香の代表曲といえば一般的には「MUGO・ん…色っぽい」とか「黄砂に吹かれて」あたりなのかもしれぬが、くしゅくしゅソックス時代も「慟哭」「声を聴かせて」など名曲に恵まれた。見た目的にはガリガリでお水かヤンキーかという風貌だったが、堅実に実力派歌手としての地位を固めると同時に油絵にも励み、他の元おニャン子とは格の違いを見せつけていた。
              その後、キムタクのハートをいとめたのは御存知のとおり。なんでキムタクのような格好良い男があんなシワシワの婆に?と、当時は不思議がられたものだが、きっと工藤氏が良い奥さんになると見こしてのことだったに違いない。
              娘をインターナショナルスクールに通わせるいっぽう、みずからも英語ペラペラになるなど、どこまでも堅実な工藤静香。先の独立騒動でキムタクだけがジャニーズに残ろうとしたのも、妻の意向が少なからず影響していたことだろう。

              楠瀬誠志郎

              ほっとけないよ〜♪とかいう歌が有名。名前的には忌野清志郎、イメージ的には東野純直とか陣内大蔵あたりとこんがらがってもはや誰が誰だかよく分からなかった。


              J-WALK
              「何も言えなくて夏」が93年ごろ人気大爆発したJ-WALKは当時からむさくるしい爺のバンドで、一発屋でヒット時期と「夏」を歌っていることから、class「夏の日の1993」とこんがらがっていた。ボーカルは何年か前にシャブでしょっぴかれた。


              GAO
              男みたいな見た目と声の女性歌手。「サヨナラ」のヒット以来見かけなくなったら、いつの間にか女性ギャングスタラッパーになっていた。
              その後再びしばらく見ないと思ったら、全盛期と変わらぬ姿でサヨナラを歌うのを見かけるようになった。ラッパー時代はなかったことになっているらしく、何ヶ月か前にも有吉反省会でジーパンが臭いことを反省していた。


              福山雅治
              ひとつ屋根の下で初めて見たとき、なんだこの格好良い男は!と、衝撃を受けたし、クラスでも話題になっていた。中学を卒業するときに同級生とボーリングに逝って、福山のミュージックビデオを流しキャーキャー言っていた記憶がある。
              当時はYouTubeがなかったので、ボーリング場くらいでしかミュージックビデオが見れなかったのである。このように福山氏はくしゅくしゅソックス時代に人気大爆発したのであるが、ルーズソックス時代にキムタクにその座をゆずってからあまり見かけなくなっていた。
              今のように格好良い男の代名詞として返り咲くのは、未来日記かなんかのテーマソングだった「桜坂」が人気大爆発してからのことじゃなかろうか。桜坂のときもまた女たちは福山の格好良さにキャーキャー言っていたのだが、私はもうその頃になるとあまりテレビを見なくなっていたし福山とか全く興味なくなり今に至る。


              東京パフォーマンスドール
              篠原涼子が所属したアイドルグループ。吉本、というかダウンタウンの番組によく出ていた記憶があり、篠原氏もしばらくは「ごっつええ感じ」にレギュラー出演していた。
              TPD自体はそんなにヒットしていなかったのだが、「キスは少年を浪費する」が他のアイドルにはない格好良い小室サウンドで今思うと非常に示唆的だった。そして篠原涼子がソロでリリースした「いとしさと切なさと心強さと」が人気大爆発し、小室時代の幕開けとなる。
              しかしルーズソックス時代に入ると小室が朋ちゃんにハマって、篠原涼子は精彩を欠くこととなった。その後、女優として確固たる地位を築くとは、誰が想像しただろうか。
              元メンバー市井由理がEAST ENDとタッグを組んだ「DAYONE」も、日本のラップ史に重要な足跡を残した。


              氷室京介
              「KISS ME」(92年)が人気大爆発したが、全くテレビ出演せず、ミュージックビデオも何かゆらゆらして顔がよく分からなかった。ルーズソックス時代に入ると布袋のほうがヒットを飛ばすようになっていた。


              谷村有美
              曲は聴いたことがないのだが、どんな顔なのか分からないくらい光で飛ばしたドアップのジャケット写真だけが印象に残っている。夫はマクドナルドとかベネッセで社長だった原田泳幸。


              チャゲ&飛鳥
              「101回目のプロポーズ」主題歌「SAY YES」が人気大爆発した。チャゲあす自体は80年代から人気あったけど、このときの勢いは本当にすごかった。
              飛鳥のソロ曲「始まりはいつも雨」や、曲が使われたスバルの自動車「ビビオ」「インプレッサ」のCMも素敵だった。しかしこの頃から飛鳥はシャブにおぼれていた。

              くしゅくしゅソックス時代はまだロックバンドが人気あったような気がしていたけど、あらためて見るとシンガーソングライターと言うのか、自分で曲を作ったり、作ってなくても歌で真っ向勝負する歌手が多かったんだなと思う。だからYouTubeなんかで当時の映像を見ると歌はうまいのだけど、顔、いや名前さえも印象に残っていない人がけっこう多い。
              よく考えると、バービーボーイズ、レベッカ、ユニコーンなど80年代に人気を博したロックバンドは皆90年代初頭に解散している。これがルーズソックス時代に入ると、ミスターチルドレンをはじめ、ジュディアンドマリーやシャ乱Q、イエローモンキー、ルナシー、ウルフルズなど再びロックバンドが音楽市場を引っ張っていくことになるのだが。
              ユーミンや中島みゆき、小田和正などニューミュージック勢がまだまだ頑張っていたいっぽう、おニャン子、光GENJI以降はアイドル不作であり、歌謡曲もそこまで人気がなかった。SMAPやTOKIOはグイグイ来つつあったけども、少なくとも今みたいにテレビつけたら絶対どっかにジャニーズ出てるっていうほどのものではなかったのである。

              小ちゃなシングルCDを、これ↑の内側にベキっとはめこんでアルバムの大きさにして再生。シングルCDがアルバムみたいになったのはルーズソックス第二世代(1998〜2001年ごろ)と思われる。


              シャギーへの道程

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                YouTubeであらためて女性用整髪料のCM動画を見たところ、先日ドラッグストアで生息を確認した「リーゼ くっきりウェービーヘアフォーム」が濡れソバージュ用とはまた別物のような気がしてきた。よく見ると濡れソバージュ用は「ウェットスタイル」「くっきりウエット」などの表記があるのだ。

                もしかすると今売ってるウェービーフォームはウエットとはまた別の、スタンダードタイプなのかもしれない。けっきょく濡れソバージュ用ムースはシャギー時代の荒波を生き抜いてきたのかきてないのか、どっちなんだ。

                自分が使っていたのとCM動画が多いぶん史料が花王リーゼに偏りがちだが、マンダムやクラシエ「プロスタイル」にもウエットが現存していた。プロスタイルはたぶんリーゼと同じころにできたブランドだと思うが、今流通しているウエット用ムースが濡れソバージュ時のものかいなかは不明である。

                マンダムのジェルは、不自然な水色と気泡具合からして間違いなく20年以上選手だ。しかし見てのとおり男用なのでソバージュ用ではないし、ハードなのでバキバキに固まる。
                しかしくしゅくしゅソックス時代の男はどっちかというと、濡れ髪ってよりは吉田栄作みたいにツーブロックをムースでサラサラにした野郎のイメージだ。当時吉田氏がギャツビーのCMに出演していた影響だろうか。
                で、濡れソバージュを駆逐したシャギーとは何ぞやというところも説明しておくと、ルーズソックス時代に突如として重たい毛先や濡れた仕上がりや黒髪がダサいってことになり、毛先に段をつけたシャギーという内巻きのロングヘヤが人気大爆発するのである。くしゅくしゅソックス時代までは毛先を揃えたワンレン(ワンレングス)スタイルが多かったのが、シャギー以降女のロングは段をつけたり巻いたりして動きが出るような軽い印象の茶髪が主流となった。

                しかしシャギーってもうかれこれ20年前の髪型なのに、濡れソバージュやとさか前髪に比べると今見てもたいして懐かしくない。時期的には2,3年の開きしかないにもかかわらずである。
                いや髪型だけでなく、ルーズソックス時代に流行った歌とかも全然懐かしくない。

                マンダム「ルシードエル」のCMもあった。リーゼと同じようなとさか用ミストで前髪を決める常盤貴子。

                横から見ると何かをせき止めるんじゃないかと思うくらいに前髪が壁状にそそり立っているが、これはとさかなのだろうか。常盤氏はこのCMの前年「悪魔のKISS」に出演し人気爆発した。

                私も見ていたが常盤氏は当時まったく無名だったにもかかわらず、その色気と体当たりの演技で共演の奥山佳恵や深津絵里の2人を完全に圧倒していた。このジョウバンタカコって子は誰だ?とたちまち話題となり、登場時のインパクトは「そのときハートは盗まれた」の内田有紀にも匹敵するほどであった。

                くしゅくしゅソックス時代の巻き髪スタイル。毛先が重い。

                しかしその直後のシャギー用スタイリング剤ではここまで毛先がスカスカになっている。私も当時はこのくらいシャギってほしかったのだが、「あんまりすきすぎるとハネやすくなる」とかなんとか言われて田舎の美容院ではあんまりすいてくれなかった。
                しかも田舎の美容院では仕上げのとき、聖子ちゃんみたいにサイドの髪を外向きにブローしてボリューム感を出してくるのも屈辱的だった。私はボリュームを抑えた、毛先がスカスカで内巻きの髪に憧れたが、今考えると田舎の美容院がそんな数年で技術をアップデートするとも思えないので80年代みたいな髪型にされるのもいたしかたなかったのだろう。

                2000年頃?このくらいが段のついた茶髪の完成形である。ルーズソックス時代以降は髪をきっちり分けたりまとめたりツヤを出すのがダサく、無造作やゆるふわといったラフな質感が好まれたように思う。
                くしゅくしゅソックス時代まではシャンプーも黒髪やワンレンで目立つフケや枝毛に特化していたが、茶髪やレイヤーがメジャーになるにしたがい、枝毛やフケがあんまり目立たなくなってそのかわりカラーやアイロンで傷んだ髪を補修するといううたい文句が増えていった。ワックスが出てきたのも、ルーズソックス時代である。
                しかし近年は若者の茶髪離れが進み、再びワンレンや黒髪、ウェット仕上げに回帰しているようだ。だいたいファッションというものは20年で一周(リバイバル)するもので、くしゅくしゅソックス時代当時もやはりベルボトムなど70年代のものが人気爆発したのである。

                隠れたロングセラー

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                  先の濡れ髪に関する記事で、濡れソバージュ用スタイリング剤が現存していないと書いたのだが、その後大きいドラッグストアで見つかった。「リーゼ くっきりウエービーヘアフォーム」。

                  ちょっと見た目が現代風になっているが、ちゃんとボトルにソバージュがデザインされていて当時の面影は全然ある。いちおうアットコスメでクチコミを見たところ、パリパリに固まるらしく評判はけっしてかんばしくない。
                  確かに固まるのはちょっといただけない。指通して毛が切れるのがちょっと・・・

                  リーゼといえば私がハード派だった90年代から使ってたのが、ポイント用ミスト。これはおそらくウェービーヘアフォームと同時期(1993年頃?)ポイント=とさか用に発売されただけあって、日本で売られている整髪料の中でバキバキに固まることにおいてはいかなるハードスプレーでもこいつの右に出る者はいない。

                  しかしとさか前髪というとバブル(80年代)のイメージあるけど、これもジュリアナと同様にちょっと後だったのではないだろうか。少なくともくしゅくしゅソックス時代(90年代初頭)においてはヤンキーねえちゃんの定番だったのが、ルーズソックス時代(90年代半ば)に入ると濡れソバージュとともにいっきに絶滅した幻の前髪である。
                  くしゅくしゅソックス時代といえば、今で言う「原宿系」のあいだでショートヘアのサイド部分を一部耳の前に出してモミアゲのようにするのもよく見かけたのだが、名前が分からない。とにかく最近のヘアメイクとファッションはくしゅくしゅソックス時代の使い回しであるからして、以前に予言したようにいづれ黒髪やウエットやかきあげだけではなく、とさかやもみあげや白いヘアバンドも近いうちに人気爆発するはずだ。
                  そういえば2,3年前から若い娘さんを中心に人気爆発している「くるりんぱ」もくしゅくしゅソックス時代に一瞬だけ流行したアレンジである。くるりんぱは結んだ髪を根元に入れるだけなのでゴムさえあればできるのだが、くしゅくしゅ時代は(私の記憶ではソニプラあたりで海外雑貨として売られていた)トプシーテールという棒を使うのが一般的で、近年のくるりんぱ人気を受けてか最近またドラッグストアや百均などで見かけるようになってきた。

                  くるりんぱしたあとに、結った部分の髪をちょっとづつ引き出してゆるふわにすると今風になる。

                  初期型ひなの

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                    ルーズソックス時代に人気爆発したファッションモデル・吉川ひなの(1979年生まれ)。テレビタレント業に進出する前のくしゅくしゅソックス時代には、雑誌「オリーブ」で活動していたらしい。

                    私が吉川氏を初めて知ったのは、フジテレビのバラエティ番組「学校では教えてくれないこと!」だった。この番組かなり短命だったよなとウィキペディアで確認すると、1994年11月から1995年9月までとなっていて1年も続いていない。
                    最初は「ウゴウゴルーガ」のノリに似ていて、回を重ねるにつれつまらなくなったような気がする。いちおう土曜の8時ってことで80年代「ひょうきん族」やってた時間帯なのだが、フジ的にも迷走期だったんだろうか。

                    短命ではあったものの吉川氏のほかにも神田うのも人気爆発したし、ビビアンスーを初めて見たのも確かこの番組である。神田うのもやはり「プチセブン」でモデルとして活躍していたらしいが、私はちょっとマニアックな学研の「レモン」を読んでいたので全然知らなかった。
                    「学校では教えてくれないこと!」出演時は神田うのが能天気なお馬鹿キャラ、吉川ひなのが変な声の不思議ちゃんっていうポジションで、いづれもその抜群のプロポーションも手伝ってそれまで見たことのない最先端の女の子として強く印象に残ったものだ。人気爆発した吉川氏はほどなくしてルーズソックス時代の波に乗って茶髪細眉の量産型になったため、この本に載っているような黒髪パッツンでオリーブ少女な雰囲気だった時期はかなり短かったはずである。

                    この本写真より字(インタビューとか)が多いんだけど、吉川氏のしゃべっている内容があまりに突拍子もなく、しかも家庭環境けっこう複雑そうでローラとダブる。ただ、吉川氏はローラみたいにバラエティ番組で笑い取っていくようなタイプではなかった。

                    私が何より気になったのがこの直筆ページである。画像の文章がいつ書かれたのか不明だが、吉川氏の字とイラストはくしゅくしゅソックス時代のタッチに分類されるだろう。
                    丸文字の面影のない反り返った字で、英語の「O」やひらがなの「る」など部分的にグルグル巻きになっているのが特徴。ただ異様にフニャっとしたとこがあって、当時としてもこれは崩しすぎだったと思われる。

                    いつのものか分からないが、成人後の吉川氏と直筆の画像があったので見比べてみた。そこまで文字は変わっていないが、丸みを帯びちょっと今風になっている。

                    また直筆の次に気になったのが吉川氏の持っている男の子の顔のバッグだ。このキャラ、くしゅくしゅソックス時代の一瞬だけ人気爆発したはずなのだが、名前がまったく思い出せない。

                    昭和っぽい感じの絵で、カバンは生首状態だが下半身もちゃんとあってギターを持っていたはずである。詳細キボンヌ。

                    プレイバック90s

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                      評価:
                      有田 芳生,週刊文春取材班
                      教育史料出版会
                      ¥ 1,836
                      (1993-12)

                      ルーズソックス時代(1995〜2000年代前半)や三つ折り時代(バブル期)に比べて、あまりに平和でつかみどころのないくしゅくしゅソックス時代だが、私にとっては中学生を過ごした時期だったために少なからぬ影響を受けている。そんな人々から忘れられたくしゅ時代を記憶の底からほじくり返してみることにした。

                      ソフトジーンズ

                      ひざの曲げ伸ばしがラクな柔らかいジーパンだが、色合いが白っぽく時期的にビンテージが流行り出していた頃だったせいかすぐに見かけなくなった。当時はジーパン人気が高く「エビスジーンズ」という国産ブランドも人気爆発していたように記憶している。

                      浅草橋ヤング洋品店(浅ヤン)

                      ルー大柴や江頭がブレイクしたテレ東の人気お笑い番組。他にも周富徳・周富輝兄弟、金萬福などを輩出した。
                      テリー伊藤が手がけただけあって過激な企画が多く毎週腹筋が崩壊するほど大笑いしていたが、その後小室ブームの折に後半が「コムロギャルソン」というオーディション番組になりdos(カバちゃんが在籍した音楽グループ)を発掘、その後asayanという英語表記になってからは全編オーディション番組に変貌した。浅ヤンと川島なお美と宮沢りえは、くしゅくしゅ時代とは別物になってしまったという点において私の中ではルーズソックス時代の激動ぶりを象徴する存在でもある。

                      タイ米

                      1994年にコメ不足でタイ米が大量に流通し、そのまずさに人々が驚いた。いっぽうヤミ米を売った城南電機の宮路社長が金に物いわすキャラでブレイクし、「浅ヤン」「ガキの使い」などバラエティ番組にもたびたび出演していた。

                      イワンのばかクイズ

                      イワンのばかクイズとは、ピザピザピザピザと10回言わした後「じゃここは?」ピザにつられてついつい「ひざ」と答えてしまうが正解はひじでした・・・っていう、引っかけのクイズ。←説明下手
                      「笑っていいとも」から生まれたうっちゃんなんちゃんとダウンタウンの「世紀末クイズ」も頭の体操になった。

                      細川総理

                      近年、脱原発や春画関係でふたたび名前を聞くようになった細川護熙。前任が宮沢総理だったこともあって急に若返り、就任当時は格好良くて総理大臣らしくないと人気爆発したくせに、今しがた在任期間をウィキペディアで見たところ1年もなかったらしい。

                      すすめ!電波少年

                      電波少年というと猿岩石が人気大爆発したが、個人的にはその前の「バウバウ」「アポなし」を売りにしていた初期バージョンが懐かしい。当時は「笑撃的電影箱」という名称で「ガキの使い」と1セットになっていた。
                      電波少年の企画で生まれたアイドル「電波子」は、だんだん電波子○号といったぐわいに人数が増えてうやむやになった。

                      顔面麻痺

                      ビートたけしが原付の事故で顔面麻痺になった。このときは誰もがもう芸能活動は無理じゃないかと思ったものだが、いつの間にか治っていた。

                      太郎と花子

                      ちびまる子ちゃんの大ヒットでブレイクした声優TARAKOと和田アキ子の取り巻きの吉村明宏が司会していた。楽しみにしていた番組の1つではあるものの、どういうゲームをしていたかまでは記憶にない。
                      ウィキペディアによると、TARAKOは途中で田中義剛に代わったらしいが田中義剛時代もやはり記憶にない。放送期間は1990年10月から1992年3月までと1年半しかなかったらしいので、一般的にはつまらない番組だったのだろう。

                      ロビンちゃん

                      ロリータファッションの代名詞的存在だったロビンちゃん(左画像)は、私の記憶の中で当時ポテトチップスのCMに出演していた濱田マリ(右画像)と混同されている。キャンディちゃんなる、原宿に出没したというキャンディキャンディが好きなおっさんもしばしばロリータ枠で取り上げられていた。

                      藤重政孝

                      くしゅ時代に一部で人気のあった歌手兼俳優のイケメンだが、個人的には似た路線の福山雅治のほうが格好良いと思っていて藤重氏のほうはあまりピンとこなかった。そのうち名前を聞かなくなった。

                      大林雅美

                      ワイドショーでよく見かけたが何者か長年知らなかった人物なので調べてみると、加山雄三の父・上原謙の妻でクラブ「まこん」のママ、加山雄三との確執をネタに人々の注目を集めたとのこと。女優の娘は夫婦でよくテレビに出演していたらしく、夫婦ともども覚せい剤で逮捕されたときは上原謙の娘ってこともありちょっと大きく報じられていた。

                      ジェフくん

                      松田聖子と不倫していた白人。聖子ちゃんと神田正輝はつねに離婚秒読みって言われていたけど、聖子世代じゃないのでどうでもよかった。

                      パンナコッタ

                      ナタデココの次に流行った珍名デザートだが、今調べたらイタリア発で見た目プリンっぽいのでナタデココよりはティラミスのポジションに近そうだ。2000年代初頭にリバイバルして定番スウィーツに君臨したティラミスに比べると一発屋の印象が強いものの、もしかしたらイタめし屋などで知らず知らずに口にしているのかもしれない。
                      私の中ではババロアと並んで名前だけは聞いたことある未知のスイーツである。死ぬまでに食べれるだろうか。

                      やせる石けん

                      中国の脂を溶かす石けん。洗うだけで痩せちゃうっと人気爆発したが今見ると変な粒が入ってて相当怪しい。
                      ウーロン茶みたいな中国の知恵=痩せるみたいな中国信仰がまだ残っていた頃なのだろう。ちなみに私はこのころ苦みが好きで缶のウーロン茶を飲んでいたらよく「ダイエットしてるの?」「何でそんな苦いの飲むの?」と聞かれたので、ウーロン茶を水がわりにガブガブ飲むのはあまり一般的ではなかったと思われる。
                      それでも黒ウーロン茶みたいなのがラーメンのお友に飲まれているくらいだから、ウーロン茶が脂を溶かす伝説は健在なのかもしれぬ。ダイエット目的としては当時日立造船の杜仲茶を煮出して飲んでいたが、こっちはガチにまずかった。

                      追跡

                      日テレで放送されていた夜の帯番組。放送期間は1988〜1994年で、ルーズソックス時代に入ると司会の青島幸男は都市博中止を掲げて東京都知事に当選した。
                      オープニングテーマを聴くと懐かしさで悶絶する。これを見ていると親が安部譲二のことを「この人実はヤクザなんだよ」とよく言っていたので、なんでヤクザがこんな牧歌的な番組出てんだよと思っていた。

                      千堂あきほ

                      今どきのねーちゃん、というべき素人ギャルっぽい雰囲気を醸し出していた千堂氏。くしゅ時代にはバラエティ番組でしょっちゅう見かけたが、何が本業(女優とかモデルとかグラビアとか)で誰がその人気を支えているのかはよく分からなかった。

                      白いヘアバンド

                      厳密にいうとくしゅ時代というよりはルーズソックス時代黎明期って感じなのだが、ほんの一瞬だけ何かの間違いで流行った。お笑いのふかわりょうがこのファッションでネタをやっているのを見たことがあるが、きっとお笑い活動を本格化さしたタイミングが白ヘアバンドが流行ってたその瞬間だったのではなかろうか。

                      ジェンヌ

                      1989年のちゃんりんしゃん(ちゃんとリンスしてくれるシャンプー)ことライオン「ソフトインワン」がブームとなり、シャンプーだけである程度サラっとしてくれるリンスインシャンプーは今日におけるまで一定の地位を確保しているが、1994年に花王から発売された「洗えるリンス、ジェンヌ」はリンスで洗うという斬新なコンセプトだった。というかコンディショナー時代の今見るとシャンプー業界がリンスのことを「リンス」って呼んでること自体懐かしい気がする。
                      リンスで洗うだけあってしっとりした洗い心地がけっこう気に入っていたが、すぐ見かけなくなった。こういうシャンプーとリンスの工程を一括ですまそうとする発想は、時期的に朝シャン需要だったと思われる。

                      ミネラルウォーターのシャンプー

                      ジェンヌの次に斬新だったのが資生堂「ミネラルウォーターのシャンプー」。CMには鈴木杏樹と本木雅弘が出演していて、「はじめてのシャンプー♪」というCMソングが印象的だった。
                      六甲のおいしい水とかはあったんだけども当時はあまり水を買って飲むのは一般的ではなく、エビアンみたいな硬水の飲みにくい海外ブランドが健康やオシャの見地から人々に受け入れられていたと思う。だからミネラルウォーター飲んでる奴って今ふうにいえば「水に金出すなんて意識高っ!」と半笑いにされるようなキザで行けすかん存在だった。
                      ミネラルウォーターのシャンプーが発売された同時期に、ライオン「植物物語」カネボウ「ナイーブ」といった植物生まれをうたった洗浄料シリーズもヒットしていることから、ミネラルウォーターのシャンプーもそうした自然派の需要をくんだものだったのだろう。だがミネラルウォーターの何が髪にいいのか、当時からまったくイメージがわかなかった。

                      ネズミっ子クラブ

                      とんねるずの生でダラダラいかせて!のセクシー小学生のコンテストで、化粧して当時のイケイケギャルの服装で出演していた小学生が結成したおニャン子クラブの妹分。番組内でねずみっ子の出演するトレンディふうドラマが放送されたり(唐沢が出てたような気が)秋元康プロデュースで歌も出したが人気爆発にはいたらなかった。

                      ホットヌードル

                      くしゅ時代はビーイング時代の幕開けでもあった。小室ファミリー時代の前に織田哲郎がヒットメーカーとして君臨した時期があったり、大黒摩季がホットヌードルCMの「DAKARA」、ZARDがドラマ「白鳥麗子でございます」主題歌の「負けないで」の大ヒットによりそれぞれ日本を代表する売れっ子歌手へと成長していく。
                      ビーイングの歌手はルーズソックス時代にテレビ出演しないという方向性が定まり、ミュージックビデオもあるのかないのかよく分からないような作りで所属歌手は非常に謎めいていた。その大黒摩季が人気爆発するきっかけになったホットヌードルのCMは「ターミネーター2」の美少年エドワード・ファーロングが出演し、「はじめての、エッチ」(エッチとはホットヌードルの事)のナレーションもあってくしゅ時代の女子たちはキャーとなった。
                      相手役は当時オスカープロモーションのゴリ押しでありとあらゆるCMに出まくっていた今村雅美が演じている。

                      アルシンド

                      Jリーグ全盛期に頭頂部のハゲで人気爆発した鹿島アントラーズの選手。植毛のCMにも出演。
                      この頃人気爆発したミサンガもJリーグの選手が身に着けていたのがきっかけだったとか。当時「プロミスリング」と呼ばれることの多かったミサンガは切れたときに願いがかなうと言われていたので「○○くんと両想いになれますように」と、刺しゅう糸で手作りしたようなのを肌身離さずつける女子が多くいたが、不衛生として問題視され学校でつけてくるのは禁止された。

                      イレブンラック

                      ヨーロピアンな来客菓子やせんべいのイメージの強いブルボンが、突如としてガムを大量に発売し「イレブンラック」という専用コーナーを設けた。当時のガムはもちろんロッテのほかに並ぶものはいなく、あとは口臭やシュガーレスに特化したキスミントとかトライデントをかむことが多かったが、ブルボンのガムはDHA入りをうたうなどツボがよく分からなく無名の白人女性が出演するCMもかなり怪しかった。

                      シャッセ

                      ビンづめのオシャなフルーティ系微炭酸サイダー「シャッセ」は、CMの油絵アニメが印象的だった。YouTubeには「伝説の少女」バージョンしかなかったが、皆の記憶にあるのは「トゥーシャイシャイボーイ」だろう。

                      てしがわらさん

                      ルーズソックス時代はオウム真理教の地下鉄サリン事件で幕を開けたが、くしゅ時代に人々をお騒がせしていた新興宗教といえばオウムよりも断然統一教会であり、新体操の美人選手・山崎浩子や70年代のアイドル桜田淳子が合同結婚式に参加して大騒ぎになった。「広告塔」という言葉を知ったのも、統一教会の報道がきっかけだったと思う。
                      その山崎氏のお相手であるてしがわらさんは、素人なのに連日ワイドショーに追いかけられテッシーという愛称までつけられた。画像は新体操の練習終わりに世界一まずいコーラとの呼び声高い統一教会系ドリンク「メッコール」でのどをうるおす山崎氏の在りし日の姿。

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